カテゴリ:研究室風景
さえ:
久しぶり。ここに書くのは本当に久しぶり。半年くらい間が開いていますね。
二日前のRecord Chinaの記事は、今北京で開かれている新しい指導者選びの全国人民代表大会から、息抜きの記事を載せていました。
『「昔はPM2.5はなかったが、PM250はあった」習近平総書記、環境問題で―本日の中国TOPニュース』(注1)
ところが、肝心の笑いどころの説明がないので日本人には全く分からない話なのです。この記事の内容を続けて載せますね。
『2013年3月6日、中国で現在開催中の全国人民代表大会(全人代と略称し、日本の国会に相当)で、中国の新指導者に選出されるとみられている習近平共産党総書記が、大気汚染問題について冗談めかした発言をしたと話題になっている』
『習総書記は各代表団と談話中、北京を中心に深刻となっている大気汚染問題について言及した。その中で、「子どものころの北京も砂埃がひどかった。マスクをして通学したものだ。学校に到着するころにはマスクが砂だらけになっていたことや、冬季になるとこれにすすが加わってさらに悲惨だった」』
『そして、「あのころはPM2.5はなかったが、PM250はあった」と冗談めかして話し、周囲は爆笑に包まれたという。(※PM2.5:現在の大気汚染問題の元凶とされている超微粒子)』
『報道を受けて、国外の中国語メディアは「彼の冗談に周囲は笑ったようだが、中国のネチズン(ネット上の市民)たちは『まったく笑えない』と感じたようだ」と指摘。インターネットでは「国民が関心を持つ深刻な問題について、こんな軽口をたたくなんて」「PM2.5はマスクなんかでは 防げないのだが」と怒りの声が飛んでいるという』
「昔はPM2.5ではなくPM250があった」という話に皆が大笑いしたのは、後者のPM250の意味に懸かっていますね。この意味が分からないと、笑う理由が分からない。
インターネットで見ても「卓球台PM250」が出てきますが、いくら中国で卓球が普及していても、卓球台の名前を皆が共通認識しているとは思えません。
それで周りの学生に訊いてみました。
「それって、馬鹿っていう意味ですよ」と誰もが笑い出して、そして教えてくれます。「子供の頃、親に何時も二百五十っていわれていましたよ」
PMには意味がないのですね。二百五十(アールバイウー)に意味があるのです。
でも、どうして? なぜ二百五十が馬鹿って言うことになるの?
「それは中国の重さの単位、一斤は500グラムなので、250グラムは半分足りないから、つまり馬鹿と言うことなんですよ」
中国人なら誰でも知っているこの言葉の意味が分かって初めて、この話で笑えました。
Record Chinaの記者はこの意味を知っているのかも知れませんが、この記事は日本向けに書いているのだから、説明不足も良いところですね。
今、来年度の科研費申請を書いているところですが、ぼくは中国語が書けないので英語で書いて、それを暁艶が中国語にしています。
この作業がちっとも進まないので、暁艶に「ぼく達って二百五十じゃないの?」というと、彼女はにやりと笑って「ま、二人で一人前ってことだから、良いことにしましょ」
(注1)Record China 3月7日(木)配信
カテゴリ:薬科大学
さえ:
研究費の申請を書いているって書いたでしょ。中国で初めて研究費の申請を書いているのです。
二年前から制度が変わって、基礎研究部門で外国籍制限と年齢制限が撤廃されたということです。それで昨年は池島さんが出した申請が通って、今年から研究費をもらえる事になったし、ぼくも今年申請を書かないかと小張老師に言われました。
今まで申請の機会がなかったので、ともかく一度くらい挑戦してみたいですね。
中国には有名大学が沢山ありますし、そういうところの研究費申請からどんどん選ばれて、残りわずかの選考に薬科大学の順番がやっと回ってくるのじゃないかな。いずれにしても相当のコネがないと無理なんでしょうね。
それでも、申請を書いてみようと1月に日本語の申請書を書き上げて、それをうちの研究室を卒業した学生さん達に中国語にして貰いました。ちょうど春節休暇に掛かったのですけれど、王麗が中心になって頑張って、ぼくが瀋陽に戻る2月21日までに中国語にしてくれました。
さてそれからが大変。23日には小張老師に見て貰ったところいろいろと中国語で意見を述べてくれました。それを暁艶が英語でぼくに伝えて、ぼくが英語で本文を直して、暁艶がそれを中国語にして、小張が読んでまた意見を中国語で暁艶に言って、、、
3月9日にひとまず最終フォームにしたものを学内の専門家がレビューしてくれて、またその意見に基づいて書き直して(これも中国語の意見なので、同じく面倒な手順を踏んで)、、、
いや、冗談でなくこの一週間、暁艶は殆ど毎日16時間働いてふらふら、もう頭がおかしい、誰もわたしの事を怒らせないで、噛みつくわよと叫びながらPCに向かっていました。
それで申請書は殆どできあがりましたが、ぼく一人の名前で出しても通るとは思えません、これはすべての人が言っています。それで生化学科の主任に相談を持ちかけて、某助教授を推薦して貰いました。
さて、どうなるでしょうね。
カテゴリ:研究室風景
さえ:
今日の土曜日、何時もの研究室セミナーが11時40分に終わったあと、買い置きの食材がすべてなくなったので、近くのスーパーのカルフールに買い物がてらで出掛けて、昼も外で食べようと、何時ものように暁艶と二人でバックパックを背負って部屋を出ました。
建物を出たところで暁艶に電話が掛かってきて、何やら人と急に会う用事が出来た様子。
10分くらい校庭を歩くか日向ぼっこをしていてというので、校庭を周りを二周して、それでも連絡がないので正門の近くの小庭園に行ってベンチに座って、空を見上げて、太陽の光を浴びていました。
Sun shine on my shoulders makes me happy...
ベンチに座ってから20分経っても、電話が掛かってこないので探しに行かなくちゃと思って、歩き出すと、向こうから「先生」と声が掛かりました。見ると暁艶が研究室の他の学生3人とこっちに向けて歩いてきます。
「あれれ、他に学生さんも連れて買い物に行くことになったの?」と思いつつ、「やっと用事が終わったね」と言ったのです。
でも、暁艶によると、「ずっと探したんですよ。電話が通じなかったから、研究室の皆に声を掛けて探し続けたのですよ。先生は待ちくたびれてカルフールに行ってしまったに違いないと言ったけれど(自分もそう思ったけれど)、劉通に電話をして『もし、劉通が先生なら、こういう時どうしている』と訊いたら『もちろん暁艶を待っている』というので、このキャンパスで探し続けたのですよ」
ほとんど「You have made me so upset. I will kill you」という感じでした。つまりぼくが携帯電話を持っているとお互い思っていたのに、実際はぼくが携帯電話をラボに置き忘れて出てきたからですね。
ぼくにしてみれば「長い間待たされたのに、ぼくは怒りも苛立ちもしないで、暁艶の(連絡が)来るのを待っていた」のですよ。
ぼくが何処にいるか分からずに苛立った暁艶の気持ちは殆ど理解できずに、ぼくはあっけらかんとしていたと思います。「散々待ったけれど、やっと会えたからよかったじゃん」という感じで。
人の間だって、こういう具合にちぐはぐなことが起こるし、感じることも大きく違うのですね。
何かが起きたときにその結果をフィードバックして賢くなるか、依然として変わらないか、人さまざまでしょうけれど、人が付き合っていけるかどうかは、その人の性格が耐えられるかどうかに掛かっていることは確かですね。
少なくとも、約束したときは携帯電話を持っているかどうか、チャージしてあるかどうか確かめる必要のあることが、今回のことでよく分かりました。そのことを大いに反省しています。
カテゴリ:生命科学
さえ:
中国の小話を学生さんたちから聞きました。そのうちの一つです。
ある人が店に鸚鵡を買いに行きました。店に入って見ると、鳥かごの中に鸚鵡がいて、「言葉が二つしゃべれます。200元」と札が付いていました。
となりの鸚鵡のかごには「四つ言葉が話せます。400元」と書いてありました。
二羽とも若くて、羽はつやつやして元気そうです。
その奥にある鳥かごには、見るからに歳をとって羽に生気のない鸚鵡が入っていましたが、札にはただ「800元」と書いてありました。
不思議に思って店の主人に尋ねました。「この鸚鵡は歳をとっているのに800元という値が付いていますね。言葉を八つ以上話せるのですか?」
店の主人は、「いえいえ、全然しゃべれないのですよ」「でもね、こっちの二羽の若い鸚鵡がこの鳥をボス扱いしているからね。ボスだから高値を付けるのは当然でしょ、誰もこの鸚鵡に興味を示さないけれどね」
なんだか、笑えそうで笑えない話ですね。
どこかの国のリーダーを皮肉っているようにも見えないでもないけれど、実験を自分でする能力のない、しかしボスだと言って収まりかえっているぼくへの皮肉にもなります。
何しろ、王麗から「老孔開屏」と言ってからからかわれたのも十年前ですものね(歳をとった雄のクジャクが昔を忘れられずに、若い雌の前で羽を広げている若い雄クジャクに対抗して古びた尾羽を広げることをいう)。
皆がボスだと言ってくれるからこの地位にいるけれど、実際の実力にふさわしいかどうか客観的には分かったものじゃない、とも言えましょう。
高値を付けても売れるのが、本当に実力を持ったボスでしょう。さて、ぼくを含めて、皆がその地位に値するかどうか、ボスという名の付く人は何時もこのこと真剣に考えているでしょうか。
会社では営業成績で直ぐに評価されるので無能な人はボスを続けられないでしょう。大学は、専門が違うとその点では無風地帯みたいなものですから、「ノミの金玉の重さを量り続けても」教授を続けられるのですね。ま、さすがに学生が来なければ評価が下ったことになるかも知れません。
でも学生による評判も的外れが結構ありますから、一旦教授にしてしまうと、その評価は実に難しいものでしょう。最終的には、発表論文の数(あるいはIFを加算した値)しか目安はないと言うことになってしまうのですね。
IFはその論文を引用した数ですから、流行っている学問なら研究者も多いのでIFは高くなりますし、その反対に、同じ領域の研究者がいないと低くなります。
誰も興味も持たない程度の低い研究のIFが低いというのは納得できますが、時代を超えていると誰も理解できないと言うことになります。メンデルの先駆的な研究は誰の興味も引かずにいて、その30年後ド・フリースなど独立の三人の研究があって、初めて世の脚光を浴びました。今では、同時代人が全然価値に気付かないけれど優れた研究なんてものは少ないでしょうね。
ぼく達は決して突出した研究をしているわけではないけれど、研究室の学生にとっては、あの研究室にいて(あるいは、山形研究室を出て)良かったと思われる研究室のボスでいたいですね。
カテゴリ:薬科大学
さえ:
いま研究室の陽暁艶が博士号の申請をするために、提出する博士論文を書いています。この薬科大学はSCIジャーナルに1報の論文があれば博士の申請が出来ますが、うちの研究室は内規で2報以上としていますよね。
名古屋大学の北島健研究室ではJBCクラスの論文2報以上が申請資格だと思いますが、うちではSCIでReferされるジャーナルなら何でも良いことにしています。暁艶は昨年BBRCに1報出していて、次の論文の目鼻も付いたので申請にGOを出しました。
暁艶は初めて博士論文を書くわけで、いろいろと情報を集めてきているみたいですが、今年度中に論文を提出して博士号が取得できるためのDeadlineが何時かを訊くと、何やら訳の分からないことを言うのです。
やっと分かったのは、先ず論文を大学に出すと、それをコンピューターでチェックして博士論文にコピーしたものがあるかどうかを調べるそうです。コピーペーストした部分がたとえば40%もあったら文句なしに却下。しかも、その一度きりで学位請求権を失ってしまうのだそうで、学位論文を書く学生は戦々兢々としているという話です。
そしてコピーした部分が25%以下ならこの審査に合格して、審査委員会の先生達に論文を提出することが認められるのだそうです。
今までは、このコピーの程度を調べる会社があって、そこに書いた論文を送ってコピーペーストが25%になる迄直していたんですって。25%以下になったら、大学に申請を出すと言うわけ。お金と手間の掛かる話ですね。先人の論文からコピーペーストするより、自分で関係した論文を読んで勉強して書いた方がよほど早いし、自分のためになるでしょうに。
今年から大学でこのコピーペーストの程度をチェックすることになったそうですが、このチェックで引っかかったらもう将来がないわけで、相変わらずチェックする会社が繁盛しているとか。
へえ、と言って呆れかえるよりほかありません。こんな具合だから、中国の学位の程度については、あちこちであれこれと批判が絶えないわけです。
たとえば:
『「博士も教授もアメリカなら9割が不合格」!?中国の学位乱発に苦言—在米科学者』(引用1)
『在米科学者の王鴻飛(ワン・ホンフェイ)博士は1日、中国教育部と国務院学位委員会が9月に、博士課程の学位に関する調査を始めると発表したことを受け、自身のブログで「中国の博士と指導教員の90%がアメリカの三流大学でも不合格」と、学位のレベルの低さを批判した』
この大学の博士の程度はどうでしょうねえ。審査に関係していないので分かりませんけれど、うちの研究室出身の博士は本物ですよね。
でもね、王麗がこの間言っていたけれど、中国で職を得ようとして申請を出すでしょ。すると瀋陽薬科大学で理学博士を取得しているというと、鼻も引っかけてもらえないんだって。権威主義も甚だしいことですね。
そりゃ北京大学や精華大学はこの大学より名が通っているかも知れないけれど、博士を取った学生の一人一人の実力を見ないで、大学の名前だけで評価しているうちはこの国に未来の発展は望めませんね。評価する方は、自分以上の玉に来て欲しくないのが本心なんでしょう。
論文の盗用については:
『研究者の過半数が身近に不正行為を経験=論文盗用など普遍化—中国』(引用2)
のほか、ネットを見ると山ほど記事が出てきます。
とうとう教育部(日本の文科省にあたる)が業を煮やして「処分弁法」を発布したということです。これが、今の論文審査で厳しい関門がある理由ですね。
『中国、学位論文の偽装行為に史上最も厳しい処分―中国メディア』(引用3)
『処分の対象となる学位論文の偽装行為は、1. 学位論文の購入・販売或いは集団で学位論文の売買を行う行為、2. 学位論文を他人に代筆してもらう、あるいは他人の学位論文を代筆する行為、集団で学位論文の代筆を行う行為、3. 他人の論文や研究成果を盗作・盗用する行為、4. データをねつ造する行為、5. その他の深刻な偽装行為の5つである』
『学位資格を申請した者に関して、以上の5つの行為が発覚した場合、まだ学位を取得していない者に関しては、学位申請資格を剥奪し、学位を既に取得した者に関しては、学位を剥奪し、学位授与証明書を取消処分に処す。また、処分が決定した日から3年間、学位を授与する機関は、当該者の学位申請を受理してはいけない。偽装行為を行った学位申請者が在学生の場合、除籍処分にすることもできる』
やっと、と言うところですね。でもねえ。「上有政策 下有対策」のお国柄ですから、さてどうなることやら。
(引用1)Record China 2008年3月3日
(引用2)2009年:http://rchina.jp/article/33337.html
(引用3)Record China 2013年1月4日
カテゴリ:瀋陽の生活
さえ
いきなり「陽春白雪 下里巴人」と言われてもなんだか分からないでしょ。それが突然のことじゃなくても、字面は分かるけれど、何の意味だか分からないですよね。
昨日昼から雪が降り続いたので今朝は見渡す限り白銀の世界でしたが、それが今日の陽光を浴びて溶けていきます。今日の瀋陽は空も景色も綺麗です。
「陽春白雪」というと今日の美しい風景を指していますね。でも、だからって、それが何か?
今日の昼過ぎ、買い置きの食材がすっかりなくなったので、唯一残っている大根を厚く切って冷凍してあった牛肉と煮込むことにしました。圧力釜に入れて、沸騰とともに浮いてくる灰汁をすくっていると暁艶が昼寝から戻ってきました。
暁艶はこのところ学位論文を書く毎日で、昼ご飯のあと昼寝に宿舎に行っていたのです。そして料理をしているぼくを見て、「陽春白雪 下里巴人」と言うのですよ。
どう考えても、何を意味するのか分かりません。尋ねると、「陽春白雪」は確かに今日のことだけれど、「珍しいでしょ、春に雪が降って暖かな日差しと白雪の組み合わせって言うのは」と言うのです。
そうですね。春に雪が降るのは当たり前の景色ではありません。つまり、滅多にないこと。だから価値のあるものを意味していて、たとえば歌で言うと高雅な、たとえばオペラアリアを意味することにしましょうというのです。
いっぽう「下里巴人」は、里に(村や家に)人がいるのは当たり前なことですね。それで、これは当たり前なこと、普通なこと、それで歌で言うと通俗歌謡を指すことになるでしょう、と。
つまり「価値のある(高級な)ことと、当たり前のこと」を比較しているのだそうです。
それでも意味が分からずにいると、暁艶が言うには、「先生は料理を作れる、一方私は、料理を作れないから、後片付けくらいしかできない」
なるほどね。でも、まだ良く飲み込めないのです。どうしてそれが面白いことなの?
それでぼくが暁艶に言った解釈は、「それって、『先生は料理を作りながらも研究のことを考えている。一方、それに比べて私は、学位論文を書くのでPCに向かいながらも、晩ご飯は何だろうって考えている』ってことだね」
これを言ったために、テーブル一つ分の周りを追いかけられてしまいました。
それにしても中国語は複雑です。「陽春白雪 下里巴人」と言う叙述が対比を意味し、その対比はいろんな場面で使いうるわけですものね。
漢字を発明して、象形文字からさらに抽象を表す会意文字を作って抽象的思考を発達させた古代の中国人は実にすごいと思います。
遅れてこの世界の東の果てに登場した日本人は、抽象的思考を言葉として作りあげることのできる前に、中国文化に出合って漢字を取り入れてしまったのですよね。
カテゴリ:日本の将来
さえ:
昨日のYahooニュースによると『文系入試も理数必須 自民提言 技術立国に不可欠』と言うのがありました。(資料1)
へえ。読んでみて、大賛成。大喝采。自民党も時には良いことを言うよね。
『日本経済を復活させ、技術立国として「イノベーション(技術革新)」を進めていくには、将来世代に対する理数教育の充実が不可欠と判断した。安倍晋三首相に提出する第1次報告案に盛り込み、夏の参院選公約の目玉の一つにする方針』だそうです。
技術立国としてイノベーションのために必要というのは、直截的でわかりやすいですが、もっと大きな効果もありますね。政治、経済で活躍している人たちや官僚はたいてい文系出身ですけれど、人を説得するには論理的思考が必要です。今までの日本では、数学が苦手だから文系に行くみたいな発想がまかり通っていました。
でも、日比谷高校時代の親友のひとり・岸柾文は数学が素晴らしく出来てぼくの良い勉強相手でしたが、東大の経済学部に進んで三菱石油の副社長に迄なりました。今は歌三昧の生活をしているみたいですけれど。
外務省に行って最後は中国大使になった谷野作太郎も、大蔵省に行って最後は日銀の何とかになった大須敏生も皆数学は抜群に出来ましたね。まあ、東大の入試は文系でも数学がありましたから、彼らが数学にも秀でていたのは当然かも知れません。
自民党の提案では英語・国語・社会の3科目が中心となっている私立大の試験科目で理数科目を増やすと『中学、高校での理数科目の時間が増え、科学技術系分野に関心を持つ生徒が増える』と踏んでいます。
そのためには『小学校では、理科の授業について、中学・高校の理科の教員免許を持つ教諭に限定する』ことを提案しています。これは『小学校教諭には文系学部出身者が多く、児童に対して理科の魅力をうまく伝えられていないのではないか』というので、『観察や実験の知識や技術を持つ専科教師が指導することで、児童の理科に対する興味が伸びると期待している』のだそうです。
これも正解でしょうね。理数系に興味がないどころか苦手で嫌いな教師が教えたって、生徒が理数系に興味を持つわけがありません。大学の講義だってそうですよね。教科書に書いてあることをだらだら述べている講義では、学問嫌い、大学嫌いの人を増やすだけですものね。
ぼく達の中学では数学、理科、社会、国語すべて専門の先生から教わりましたし(もちろん今でもそうでしょうね)、さらに小学校の担任は理系でしたから『小学校では、理科の授業は中学・高校の理科の教員免許を持つ教諭に限定する』ことの大きな影響力が分かります。
というわけで、この自民党の提案が日の目を見ることを熱烈に期待しますけれど、まてよ、政治家が自分たちの利権に繋がらないことで政策を発表するなんて、普通は考えにくいことですよね。これはただの観測気球で、本命は別にあるとか。何が裏にあるかを探ってみないといけないかも知れません。
(資料1) http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20130325-00000064-san-pol
産経新聞 2013年3月25日
カテゴリ:薬科大学
さえ
この薬科大学は世界各地の大学と交流協定を結んでいるのを知っていますね。一番古いのが確か北里大学で、1984年に協定が調印されました。
引き続いて富山医科薬科大学1985年、米国カリフォルニア大学薬学院1986年、米国ミネソタ大学薬学院1987年、北海道薬科大学1987年と続いて、いまでは52校と交流協定があるそうです。
交流協定というと、学生の交換、単位の互換性とか、先生達の交換留学などいろいろのレベルの交流があると思います。でも、この薬科大学から日本を含む世界各国に学生や先生達が出掛ける例は沢山ありますが、逆にこの大学を訪問する学生や先生達はあまりありません。
まして現役の研究者である教授がここに長期滞在する例は、少なくとも日本からあったとはぼくは聞いたことがありません。おそらく大学の実力に格差があるからでしょうね。ここから世界の各地に出掛けたがる人は沢山いても、この大学に来たい人はあまりないのでしょう。
ところが昨年秋、北海道薬科大学から一人の女性准教授が半年の研修予定で着任しました。この薬科大学から北海道薬科大学に留学して博士号をとってこの大学の教授になった先生が何人もいるので、そのうちの一人の研究室が彼女の滞在の面倒を見たようです。
この准教授は薬学教育系で仕事をしている若手の先生です。つまり北海道薬科大学は薬学教育の方法に力を入れているのですね。教え方に関する研究もあるみたいです。
北海道薬科大学では先生の授業に対する学生の評価も(無記名ですが)、秘密にするのではなく一般にも公開しているのだそうです。公開しなくては学生による評価が当の先生にフィードバックしないですよね。大学のレベルを上げるのに本気で取り組んでいるのだと思います。
この准教授に伺うと、中国にあるこの薬科大学に来て良かったと言うことですが、ここでは学生の講義の殆どは若い講師が教科書を読み上げているだけですから、むしろ北海道薬科大学で工夫している教授法を伝えて欲しかったですね。
薬学はもちろん科学では、年々知識の量はうなぎ登りに増えて行く一方です。基礎の知識から最新の知見までの羅列を、一方的に教え込むなんて、しかも学生がすべて受け身だったら、それが効果を挙げるなんて至難の業です。
そう思うと大学の講義は、学生にモティべーションを持たせること、どうやって学ぶかを教えることに尽きますね。最新の知見だって、学生が講義で聴いても卒業して社会に役立つ人材となった頃には一昨日の知識ですものね。人は一生学び続ける以外ないのですから、学んでいく姿勢を教え込むのが大学でしょう。
ぼくの受け持っている分子生物学では、薬学日語の学生と中薬日語の学生と毎期ごとに交代で受け持っています。毎回、その前の講義に基づいて変更を加えています。講義のたびに、教えた内容で考えさせるための問題を出して、紙に書かせています。これの出来不出来は成績には一切関係なしで書かせています。
本当はアメリカの講義みたいに、事前の予習を要求して、講義ではぼくと学生の質疑応答だけに出来たらいいなと何時も思っています。
「学習する」ことは「知識を詰め込む」ことだという中国や日本の学問の大前提を、どこかで崩さないと、本当に頭を使ってものを考える人は育たないのかも知れませんね。
カテゴリ:瀋陽の生活
さえ:
4月になりました。
昨日は朝から雪で、途中から雨に変わりましたが、それでも温度が低いので、夕方はぐちょぐちょの雪を踏みつけて滑りながら、何時もの二倍の時間を掛けて家につきました。最高気温は2度でしたけれど、もちろん昨日の1日から、集中暖房は停止です。
と言うわけで外の気温が20度になるまでは、何しろ暖房がないので、とくに健康に気をつけないといけません。
それなのに五日前に唇の内側を食事中に噛んで、しかも三度も噛んでしまい未だに治らず、腫れ上がった痛みに食事どころか話すのも不便だし、ニコッと笑うのも痛くて出来ないし不快感が続いています。
最低の気分の一週間。
学生にはどんな時も誠心誠意対応するのがぼくのモットーですけれど、この一週間は返事をするのがやっと。
ま、少し痩せたのがせめてのプラスでしょうか。
いま用いている細胞ではカルシウムチャンネルとしてCacna1cが発現しているのですが、それをターゲットにして一寸したことをしたいのですね。
でも、Transcrit variantsが何と10種類もあるのですよ。Primerも、SiRNAもこのVariantsのどれがあってもカバーできるように設計していて、それはそれで良いのですが、いまは、どのTranscrit variantが実際にこの細胞に発現しているか調べたいのです。
これら10種類の間の差異は小さくて、Primersを個別に設計して対応しようと散々工夫したけれど、あるいはSiRNAをせめて個別にしようと努力したけれど、それも成功せず、どこかに見落としがあるのではないかと繰り返して、手を尽くして調べたけれど、未だに個別に発現しているVariantを同定する方法が見つけられません。
抗体で免疫沈降して、落ちてきたCacna1cのアミノ酸配列を調べて、どの異性体かを調べるしかないのでしょうか?そんなこと、ここにいては出来ないし。。。
この1月半ばから何時も、アジア、特に中国、中でも瀋陽のAir Pollution Indexを気にしていますが、昨日が最低101で最高312。今朝が187。
ちなみに今朝の北京は185。
日本の警戒上限値が35ですから、この国の空気はとんでもない値ですね。
4月になったのに苛々しまくっています。
カテゴリ:薬科大学
さえ:
ぼく達の教授室に入ってくると、白板がちょうど廊下からの目隠しみたいに置いてあるでしょ。
一週間くらい前のある日の夕方のこと、ぼくの部屋に突然入ってきた女性が、「I want to use this white board for one hour」と言うのですよ。
ぼくは唖然としてとっさに言葉が何も出てきませんでした。だって、「この白板を使いたいよ」なんて、初めての人がものを貸して欲しいと頼む相手に言う言葉ですか。
ぼくが英語を理解しないと思ったのか、この女性は同じことを同じ言い方で繰り返すのですよ。
でも、ここは中国だし、ものを頼むときに中国語ではこういう言い方をするのかなと納得して、この女性の無礼をたしなめることは止めて「What for would you like to use it?」と尋ねました、ずいぶん丁寧な言い方でしょ。
それで分かったのは、この薬科大学に新しく赴任した教授があって、その先生が夕方自分の学生に白板を使って講義をすると言うことでした。
そういうことなら、もちろん喜んで貸してあげましょう。
すると廊下の外に白板運びの学生が待機していたようでしたが、その中に件の教授もいて部屋に入ってきました。180センチくらいの背丈の堂々たる押し出しの、見かけは中国人です。
「自分は美国にいる教授だが、これからここにも時々来ることになった」ということでした。名前を聞くと、鄭江という名前でした。
ま、ぼくが彼なら学生に任せないで自分で入っていって自己紹介をしてお願いするでしょうが、これも中国式なのでしょうか。
そのあとで、薬科大学のHPを見てみると:
「遼寧省攀登学者鄭江教授為我院学生做講座」とありました。さらに読むと、1年のうち数ヶ月ここに滞在して、自分の学生の指導をするようです。
1982年に浙江医科大学薬学部を卒業して、1985年薬理学修士。1992年美国テキサス大学で博士となって、カリフォルニア大学デービスでポスドク。2007年からワシントン大学医学部准教授だそうです(ワシントン大学はシアトルと、セントルイスにキャンパスがありますね、どっちでしょう)。年齢は53歳くらい。
専門は薬物代謝、薬物設計、薬物環境毒理の研究だそうです。
と言うわけでびっくりの出会いでしたが、ぼく達がここに来て十年経つ間、辞める教授はどんどん出てくるのに、任命される教授は中からの持ち上がりばかりで、外から来た人は誰もいませんでした。少なくともぼくの知っている限り、外部から教授が来たとは聞いていません。
この大学で、外部からの訪問者によるセミナーは年間通じて20件もないと思います。日本なら何処でも毎日一つどころか複数のセミナーが、あちこちの学部で開かれていますよね。
そんな環境の大学なのでこの先どうなることやらと案じているのですが、ともかくここに講座を持って、数ヶ月にしろここに来て研究室の学生を指導する教授ができたことはとても結構なことで、この大学と学生のために喜んでいます。
カテゴリ:日本語について
さえ:
瀋陽では瀋陽日本人会の主催で毎年日本語弁論大会が開かれているでしょ。教師の会が実働部隊になって、各学校に知らせて回り、参加者を募って原稿を提出して貰い、その最終選考を通った学生達が、晴れの舞台で演説をして日本語能力を競うわけですね。今年は4月14日日曜日に最終スピーチコンテストが開かれます。
薬科大学の枠は、非日本語専攻の大学の中で6人分の枠を貰っているので、日本語を勉強した学生が自由に作文した中から日本語を教える先生達が選んで出場者を決めるみたいです。
今年選ばれたうちの一人は二年生で、たまたまぼくの知っている学生でした。二年生と言うことは日本語を勉強を始めて1年半ですね。
知っているというのは昨年夏に大学の構内で、ぼくをちゃんと認識した上で声を掛けてきたのですよ。つまりは、日本語習得にも積極的な学生なのでしょう。
その学生が、弁論大会に出場することになったので、ついては自分の話を聴いて欲しい、ということでした。
断る理由もないので教授室に来て、話して貰いました。
聴いてみると、日本語のイントネーションがあちこち違っていて、直ぐに日本人じゃないなと分かります。尋ねると、スピーチは日本語らしく、と言うことは日本人が話すみたいに話すほうが高く評価されるということでした。
と言うわけでいままで三回ぼくのところに来ましたが、その都度カメラで動画にとって、それをPCで見つつ、聴きつつ、ここはこう話す方が自然だよと言った具合に教えました。
一方で中身ですが、話の中の一節に「あなたの面倒はもうみれないし、将来も見届けれないよ」というのがあって、あれ、これって、例の「ら抜き」じゃないと気付きました。
指摘すると、本人は「ら抜き」だと言うことはちゃんと認識しているのですよ。
「いまの若い人は「ら抜き」で話をするけれど、それは正しい日本語ではないし、審査員はたいてい年配の人たちで、こういうことを一番気にすると思うから、ここはちゃんとした話し方にしましょうね」
この学生の原稿は日本語の先生が見ているはずなのですが、「ら抜き」に気付かなかったのか、それでも良いと思ったのか、どちらなのでしょうか。
たまたま、Livedoor Hommeの記事に『「ら抜き言葉」は、そんなにいけないものなのか』っていうのがありました。(資料1)
会社の面接試験で「ら抜き言葉」を指摘されて落とされた学生が、『「こちらの意気込みを全く理解する姿勢がなかった」と憤慨し、さらに「細かな言葉遣いがそんなに大事なことなのか」と』疑問を呈していることを紹介しています。
一方で採用側は、「ら抜き言葉」を使うと言うことはそれが許される環境にいることを示しているので、その話し方から『「学生時代にどの程度の知的レベルの集団にいたか」を推測する材料にしている』(つまりそういう学生は落とす)と書かれています。
『学歴だけでなく、日常的に知的水準の高い集団に属している人は意欲も高く、自分の頭でものごとを考える習慣があるという。言葉遣いひとつでそこまで見透かされることを考えると、やはり油断はできないのかもしれない』と言う具合に何やら締まらない話で記事を締めくくっていますが、中国で初めて日本語を学ぶ学生に日本語を教える先生が、「ら抜き言葉」を普通のものとして教えるか、あるいはそれを見逃しているようではまずいですね。
ぼく達にとって「ら抜き言葉」は聞き苦しいものですが、一方でそれを使って育った若者からするとごく自然な言葉でしょう。
むしろ彼らには、「ら抜き」言葉の方が美しく響くのでしょう。こうやって言葉は変わっていくのでしょうね。世代が変わり、言葉も変わる。フランスではフランス語が変わらないように教育に力を入れて変化に抵抗していますが、世の中は変わるものと思ってしまうのは、世の中を無常観で見ていた古来の日本人の心がぼく達の中に流れているからでしょうか。
(資料1)『「ら抜き言葉」は、そんなにいけないものなのか』2013年04月10日
Livedoor Homme
http://news.livedoor.com/article/detail/7581420/
カテゴリ:瀋陽の生活
さえ:
この数日Macに手こずっていたのですよ。書類の開閉やコピーのスピードがこの頃遅くなったと思ったので、久しぶりにTechToolPro6を働かせました。去年の秋以来です。
その働き具合も凄く遅い上に、途中で止まってしまうのですよ。そのたびに、MacをeDriveから立ち上げてTechToolPro6を働かせると、前に止まったところから働いて、四回目にやっと、100%デフラグとボリュームの整頓が完了しました。ここまでに三晩と昼間の数時間が掛かっています。
そこで、どんなに早くなるか期待しながら、もとのMac OS(まだMac 10.6のSnow Leopard)から立ち上げたのです。
すると、ユーザー名とパスワードを聞いてくるのは何時もの通りなのですが、受け付けてくれないのですよ。ひょっとしてと思って、思いつくもののどれを入れても首を横に振って駄目。
TechToolPro6で処理したときに、Mac OSに何かの変異が起きてしまったのでしょう。
Mac OSで立ち上げるとパスワードの変更が可能なのでそれをやってみました。
最初はユーザー名の変更のところが分からなくてまごついたのですが、次には名前をここに出てくる通りのSystem Administratorにすればよいことが分かって、それを使ったのです。
するとユーザー名とパスワードは受け付けてくれるのに、先に進まず同じ画面に戻ってしまうのです。
結局、Mac OSから立ち上げて、タイムマシンからOSを回復するというのを選びました。すると、これを実行するとHDDの中身は全部消えてしまうというのです。データもタイムマシンに入っているので、大丈夫なはずと思って、ボタンを押しました。
3時間後に再インストールが終わって、恐るおそる見てみると、嬉しいことにデータもちゃんとインストールされていたではありませんか。
3日前のOSから回復したので、この三日間に入れたデータが失われてしまいましたが、これは記憶を頼りに、一つ一つをタイムマシンから回復しました。
というわけで三日間苦労したのに(Mac OSの再インストールを入れると四日間ですね)、このMacの速度は元通り遅いというわけ。
何しろ、ここでは一人でMacを使っているので、いざというときは実に心細いものです。10年前までは、周囲にMacのことを訊けるひとが沢山いたのにね。
それでも、Time MachineがあるMacは素晴らしいですね。周り全部がWindowsのユーザーですけれど、Time MachineのないWindowsに乗り換える気はしません。
カテゴリ:研究室風景
さえ:
教授室の白板には、
要想成功 要提問題 (成功したければ、質問をしなさい)
と左側に、そして右側には
不提問題 不能成功 (質問も思いつかない人は、偉くなれませんよ)
と、中国でよく見かける対聯のように書いてあります。何年か前に、セミナーで学生の反応があまりにもないので、業を煮やして書き付けたのですよね。
学生は授業に出ると試験でよい成績を取らないといけないので、必死になって覚え込むという努力をしますが、セミナーでは試験をするわけではないので、当番の学生が新しい論文の紹介をしていても、聴く方はぼやっとしています。
何も理解しようとしないで、聞いているふりをしているだけみたいなのは、ぼくも発表を聴いているから、直ぐに分かります。
この前のセミナーで演者となった学生は、Nature Cell biologyに載った論文を紹介しました。
腫瘍細胞がばらばらになった一つずつの細胞ではなく、いくつかの細胞が固まりになって転移するとき、その固まりを保持している要因は何かという論文でした。細胞が固まりになって転移する方がばらばらの細胞が転移するよりもホストの体内で生き延びる確率が高いわけですし、逆にホストの方から見ると細胞が固まっていない方が良いわけです。
ですからこの細胞塊を維持する機構が分かれば、それを壊す手段も見つかるわけですね。
こういう前置きがこの論文の紹介には必要だと思うのですが、演者はそんなことなしに、話を進めていきます。
はい、それで第一図の顕微鏡写真は、左は細胞塊の3Dで、右は2Dの写真です、といって、輪切りになった細胞塊の細胞の間の仕切りのなっている細胞膜上の分子の発現がいろいろと違うという話をするのです。
え、え、一寸待ってよ、何が3Dでなにが2Dなの?どっちも2Dの顕微鏡写真じゃない?
いえ、この左は3Dで右が2Dです、の一点張り。図の説明書きも見せてくれないので、こちらはいろいろと想像して合理的な説明を考えるしかありません。聞いている学生達はただうつろな目をしているだけ。
この左は細胞の固まりを、Matrigelみたいなゲル(毛細血管の周りの結合組織-
細胞外マトリックスーと呼んでいます)の上に置いて、その中にこの固まりが入っていくときの顕微鏡写真で、右は培養皿の底に培地に浸ったまま存在しているときの写真じゃないですか、それ以外には考えられないとぼくは主張しました。
こういう風に、正解かどうか分からないにしても、何か合理的な説明が付けられることをしないと、合理性を欠いたまま実験の説明が進んでいくのですよ(話が進んでいけば、それが正しかったかどうか、自然に明らかになります)。
もしぼくが黙ったままでいたら、演者は自分も分かっていないことをしゃべって、聞いている方は何も分からないまま、ただ聞き流していると言うことになります。
セミナーは、演者となった学生が新しい論文を自分で探して選んで、それを読んできて皆に紹介し、ちゃんと内容を分かってもらえる説明をして、なおかつ、その論文の内容を批判できなくてはなりません。
著者の主張していることを、聞き手に正確に伝えないといけませんが(理解できずにいい加減な説明をするなんて、論外ですよね)、ただそのまま受け売りしていつだけではいけません。
何故、このテーマで研究を始めたか、どういう解決法を考えたか、それが論理的に正しい選択だったか、その実験手法と得られた結果が科学的に受け入れらるものであって合理的な解釈がなされているかを、批判的にみながら読むことによって、自分も研究者になるための洞察力が得られるのです。そしてまだ知らない実験方法を学ぶ良い機会でもあるわけです。
落ち着いて考えてみると、何故、研究論文を読まなくてはいけないか、その紹介をどうやってするのかは、この頃は学生に話したことはありませんね。
ぼくが演者となって話すときの話し方、内容の並べ方、どういう目で批判しているかを学んで欲しいと思って、月に一度の当番をこなしていますが(ぼくの知っている限り研究室の教授がセミナーで同じように話している例は殆ど知りません。ましてこの年齢になっては、いないでしょ、そんな人は)、ぼくの論文紹介を見習えと言う言う態度だけでは不十分なのでしょうね。
このセミナーの時みたいに、演者の見せている図の説明に耳と心を研ぎ澄まし、間違いと思われるものを指摘して正しい流れに乗るように、指摘し続ける消耗な2時間を過ごして、今のうちの学生のレベルでは、日本でやってきたような論文紹介は、ここでは高度すぎるのじゃないかと思い始めました。
でも、どうしたらよいのでしょうね。
一人一人、論文を読ませて試験みたいにチェックすることが彼らをやる気を振るい立たせるのでしょうか。
少なくとも、対聯の中の、
要想成功 要提問題 (成功したければ、質問をしなさい)
は
要想成功 動Ni的脳 (成功したければ、頭を使え)
に代えました。
演者の論文の読み方は、個別に指導することによって、あるレベルにするのは可能かも知れません
一方で聞き手の方の鍛錬ですが、具体的に彼らを鍛えるにはどうしたら効果的か、少なくとも聞いている人がぼやっとしているのを、そのままにして置くのは、教育という観点から見ると犯罪的ですよね。理解したかどうかを、計る方法を作って皆の頭を刺激しましょう。
でもね、どうやったらよいか。。。
カテゴリ:中国の生活
さえ:
4月20日の朝、四川省でマグニチュード7.0の地震があって、大きな被害が出たそうです。日本を含めて各国が素早く救助と援助を申し入れていますが、中国政府は全部を断ったといわれています。
市民が地震の被災地に向けて募金をするかと思うと、今回はひどく冷淡みたいです。
四川では2008年5月12日に、後で「512地震」あるいは「四川大震災」と呼ばれるマグニチュード8.0の大地震がありましたね。すぐに、中国の中でも大規模な募金活動があり、この大学でも図書館前に大きな募金箱がもうけられ、偶々その開口式みたいな時に通り合わせて副学長と眼があってしまい、100元を入れました。その後の瀋陽日本人会の集まりでも、募金が呼びかけられ、皆が争うように財布を出して紙幣を何枚も入れるものですから、ぼくもなけなしの600元をまとめてえいやっと箱に入れました。
このように中国はじめ世界中から義援金が集まったのですが、その後の使途には透明性を欠き、特に中国赤十字は人々の善意で集まる寄付金を幹部の懐を肥やすのに(愛人を囲うのも含めて)使っていたことが分かって、赤十字はすっかり信用を失いました。
それで、今回はいち早く『中国赤十字、「義援金は全て被災地での救援や復興活動に充て、その使い方は公表する」と約束』したそうです。(資料1)
でも、彼らを信用できないと知った市民は募金に協力しないでしょう。おまけに世界第二位のGDPを誇り、アフリカに多額の援助を約束している国ですから、自分たちの国の地震の被害地の人達を救うお金に困るわけがありません。
なお、瀋陽で昨日の午後5時過ぎ、二回の体感地震がありました。今年の1月24日にも瀋陽近郊を震源地とするマグニチュード5.1の地震があって、この地には地震がないという伝説が吹っ飛んだ後なので、学生はびっくり、競って外に出るために階段に駆け寄りました。
ここでいまの建物を造っているときに見ていますが、縦の柱には鉄筋が数本入っているだけの作りですから、日本であるみたいな地震が来たらひとたまりもありません。
大地震に出合ったら、はい、それまでよ、「生死事大 無常迅速」と観念して暮らしています。
(追記)
23日のRecord Chinaによるとこの地震で、2008年以降に建てられた建物が多数倒壊したようです。これらの建物は、「マグニチュード8に耐え、同9に備えて設計、施行され、最高の建築技術が取り入れられたはずだった」のに、マグニチュード7.0で倒壊。
「耐震基準で中国は日本に及ばないのだろうか。われわれは日本人ほど真面目ではないのか」と嘆いています。(資料2)
(資料1)XINHUA.JP 4月22日
(資料2)Record China 4月23日
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20130423-00000031-rcdc-cn
カテゴリ:研究室風景
さえ:
実験室に入っていったら、一人の女子学生を囲んで学生が賑やかに騒いでいました。
大学の近くの店に入って行ったら、「韓国人?」で訊かれたのだそうです。中国人で、しかもその中心を占める誇り高き漢族なのに、韓国人と言われて、たいそう傷ついたみたいなのです。
この大学に韓国人は一人もいませんが、ここは中国の東北地方で鴨緑江を挟んで朝鮮と国境を接しているところですから、少数民族の一つの朝鮮族はかなりの数がいます。そういうこともあって、彼らは韓国嫌いと公然とは口にしませんけれど、実は殆どの学生は本当は好きではないみたいです、韓国風の焼肉屋は沢山ありますけれどね。
楚の国の詩人屈原を祭る端午節は中国で二千年以上の歴史があるのに、韓国で断りもなく無形世界遺産に申請してユネスコでそれが通ってしまったことで中国人は怒っていますよね。
その後も、孔子の祖先は朝鮮半島から来たと主張する韓国人が出てきて、さらに、孔子が生きていた時代には孔子の思想の中心の一つである『仁』という漢字はなかったから、儒教を起こしたのも孔子ではないと韓国では主張されているようです。中国では共産党の天下になって儒教は否定されましたが、孔子の教えがこの国の文化の礎となっていることは間違いなく、このような韓国の主張は中国人の韓国人嫌いに、火を付けていますね。
ほかにも韓国では、漢方、風水、漢字も中国の発明でなく韓国起源だと主張して火に油を注いでいますから、中国人による韓国嫌いがますます進むのも無理はありません。
「どうして韓国人って言われたの」「何処が似ているんだろうね」などと皆でがやがや喋っています。
その中の一人が、「韓国は美容整形美人で有名だから、その美人と見られたんでしょ」と言いました。整形美人の好き嫌いは別として、美人と見られた可能性が指摘されたわけです。しかし韓国嫌いは相当なものと見えて、「私って整形美人じゃないわよ」と、見当違いのむくれ方です。
韓国の女性は整形前が想像できなくなるほど激しく美容整形をして、美人顔を獲得するという話は中国でも有名です。まさか女性の全部がやっている訳ではないでしょうけれどね。韓国はWhoreの数が世界で一番多いと言われています。(資料1)
だからそのために美容整形が必要なんだという説と、Whoreをやるのは美容整形をするための金稼ぎなのだと言う説があったりしますね。
ぼくもいたずらっ気を出して、「それじゃ、美容整形前の韓国人と思われたんでは?」と言ったのですよ。だって、女性が韓国人と思われたなら、美人過ぎて美容整形後と思われたか、あるいは普通すぎて美容整形前と思われたかのどちらかですよね。
でも、この合理的な説明は気に入られなかったらしく、途端に、「何よ、それ」という感じで激しく追いかけられてしまいました。
(資料1)「世界に影響を及ぼす韓国人売春婦の実態」http://matome.naver.jp/odai/2134046056003214901
カテゴリ:薬科大学
さえ:
瀋陽にもやっと春が来ました。桃の花が昨日から咲き始めました。
一方、ここでも暁艶が博士論文をやっと書き上げました。3月半ばから取りかかってひとまず書き上げたのですが、彼女の場合は先ず中国語で仕上げました。
今までのうちの博士の学生は先ず英語で書いて、内容がOKであることをぼく達に確かめてから中国語を書いていましたね。ええ、この大学の博士論文は中国語で書かないといけないのです。それでぼくも中国語の原稿に目を通したのですよ。
彼女はこの博士論文の原稿を申請書と共に大学に持って行って、コンピュータによるコピー度チェックを受けてきました。半日で返事が返ってきて(これはこの大学のすべての事務能率を考えると、信じられないほどの驚くべき早さです)、コピー度は2.5%だそうです。
この論文はすべてを自分で書いていますし、暁艶が自分で言うところによると、彼女の中国語はひどいものなのでこんな中国語で論文を今まで書いた人がいるわけがない、だからコピー度はゼロの筈ですよといっていました。
何処をどうやって類似度の検査をするのか知りませんが、化学の術語や化合物名などが単独でも同一性が調べられれば、数パーセントの類似度は当然出てくるでしょう。
暁艶は一方で、論文の査読のために学外から3名の教授、学内から4名の教授を捜して、審査をお願いをしていました。論文の査読に通ると公開の学位審査会が開かれて、このときは学外1名、学内4名の教授が審査委員となります。ふつうは、査読した教授がその役に就きます。
東工大ですと公開発表会の後で、また別に審査委員会による審査会が開かれるのですが、ここでは公開の審査会が一度だけですし、研究室によっては午後全部を使って博士候補の3-4名が審査を受けることがあります。そうなると、学位論文の講演をした後の質疑応答(これが審査になりますね)が30分もないと言うことがあるみたいです。
英国などでは、学位論文の審査だけでなく本人がPhDの学位にふさわしいかどうかをありとあらゆる角度から審査すると聞いています。
ここではそこまで厳しくないにしても、学位審査は審査する側にとっては相当時間をつかう仕事です。暁艶の分も含めて、今までうちの学生の学位審査に関わった先生がたには、心から感謝する次第です。
カテゴリ:世界の将来
さえ:
Yahooで見られる日本の雑誌ニュースを見ていたら「日本のサラリーマンの平均年収409万円は世界の上位4.5%に」というのがありました。(資料1)
自分の年収が「世界の何位か」が瞬時にわかるサイトがインターネット上にあるのですね。
そこで見つけた「Global Rich List」http://www.globalrichlist.com/をクリックし、中国と入力して、自分の年収を入れました。
なんとまあ驚いたことに、世界のトップの2.46%に入るのですよ。上から数えて164,708,375人目になるのですって。
本当かなあ。別の方法で調べてみたいけれど、実際の世界の高収入の人たちの数は調べようがないですよね。それで、それに代わるものとして、GDPの高い国の人々の収入はGDPに応じて多いという前提をたてて、以下の乱暴な計算をしてみました。
世界GDP一人当たりGDPランキングは、Wikipidiaによると、ルクセンブルク、ノルウェー、カタール、スイス、アラブ首長国連邦 、デンマーク、オーストラリア、スウェーデン、アメリカ合衆国、オランダ、カナダ、アイルランド、オーストリア、フィンランド、シンガポール、と言う順番で来て16番目に日本がきます。
それぞれの国の人口を上位から足していくと8位のスエーデンまでの総人口は60,271,883人ですが、9位のアメリカ合衆国の310,383,948人を足すと370,655,831人となって、このぼくの順位を超えます。
おおざっぱに言うと、アメリカ人のまん中当たりに位置する人の収入と言うことになりますね。
日本以上の一人当たりのGDPを持つ国のすべての人口を足すと(シンガポールまで)444,599,920人となります。この一人当たりGDPで日本より豊かな国の人々を並べたときには、その上位3分の1位に位置することになるのですよ。
そんなに凄い給料を貰っているの?驚きです。うそでしょう。
『日本のサラリーマンの平均年収(2011年)は409万円。その順位は、2億6739万4435位だ。「億」の表示にややショックを受けるが、それでも世界の上位4.5%に入る。日本のサラリーマンは、世界的には“稼ぐ人”といえるだろう。』
日本人の平均給与よりも高いはずがありません。自分の年収が世界の何位かが瞬時にわかるという、この計算が何処かおかしいのでしょうね。
『世界の“真ん中”はどのあたりかというと、日本円で年収約10万円。言い換えれば、「年収10万円以下の人が、世界の半分を占めている」ことになる。日本がいかに“恵まれた”環境にあるかが実感できるだろう。』
これには驚きますが、直ぐに驚きを越えて、厳粛な現実に向かい合います。
世界の人々が日本並みに豊かになるには地球がもう一つ必要と言われます。
世界中が日本並みになることが不可能なら、先進国は自分たちの権益だけは守ることで現状維持を堅持する事に固執するか、あるいは世界中が、先進国の目で見ると遙かにレベルを落とすところに落ち着くかしかありません。
ぼく達の世代はこう言っていれだけで済むかも知れませんが、この先を生きる人々は厳しい現実に直面して、それを解決していかなくてはなりませんね。
人類の英知によって、なけなしの資源を再回転しながら生きていく方式で全世界の人々が合意できるか、あるいは、自分たちだけは生き残ろうと他の国を侵略して殺戮を欲しいままにするか、考え始めるとどんどん悪い方向に行ってしまいます。
(資料1)「日本のサラリーマンの平均年収409万円は世界の上位4.5%に」
NEWS ポストセブン 4月23日(火)7時6分配信
カテゴリ:瀋陽の生活
さえ:
瀋陽で桃の花が咲いてからは、最低気温が零度以下に下がることはなくなりました。最高温度は15-21度の間くらいを上下しています。
室温は4月に入って集中暖房が切れてからはエアコンの助けも借りて20度にしています。つまり室内の温度は真冬と変わりないのですね。
それでも、下着はいわゆる「ヒマラヤでもこの下着一枚でぽかぽか」というものからユニクロの薄いHeatTech になったし、シャツの上にはセーターを着ていたのにそれを脱いでしまっているので、大分薄着になりました。
冬は室内が20度でも沢山着ていないと寒くてやりきれなかったのが、今はずっと薄着になっても、平気なのです。毎年この時期になると思うのですが、身体って面白いものですね。ちゃんと春になったと認識しているのですね。
日照時間の長さを目を通して松菓体が感じて、身体のホルモンを調節して外は暖かいんだぞと身体に春の備えをさせているのでしょうか。
それで思い出したのですが「春の目覚め」というタイトルの本がありましたね。それを、まさにぼくの春の目覚めの頃読みました。細かな内容はうろ覚えですが、人が「生きもの」のであるという厳しい現実に強い衝撃を受けたことは覚えています。
誰が書いたか思い出そうと思ってネットを検索すると、そのかわりに、ロシア映画「春のめざめ」、劇団四季の「春のめざめ」が出てきました。ロシア映画はツルゲーネフの「初恋」を下敷きにした創作映画らしく、一方で劇団四季の「春のめざめ」はヴェデキントの「春の目覚め」を舞台に載せたものでした。あ、これだ。でも劇団四季が公演しているなんて、全く知りませんでした。
あの年頃の身体と心のもやもやは、振り返ってみると良く無事にあの時期を越えたものと思えるほどの未知の体験ですね。殆どの男は無事にそれを通過して大人になるのですから、ぼくが大丈夫だったのも当たり前かも知れませんが、今思うと奇跡みたいに思えます。
研究室では暁艶が論文書きをひとまず終えたので、ほぼ2ヶ月ぶりに暁艶と連れだって劉凱さんのお宅を訪ねました。ゴールデンレトリーバーの宝来は1歳と5ヶ月のもう立派な体格の青年で、立ち上がって劉凱さん、暁艶の見境なく抱きついて腰をすりつけています。ぼくには飛びついてきても、そこまではしません。つまり、ヒトにもイヌにも共通の女性ホルモンによる何かの匂いがあるのでしょうね。
あの頃のぼくが自制できたのは、少なくとも親のお陰ではありません。親は恐らくおろおろと見守っていただけでした。沢山の本を読むことで人を知り、社会を知り、世間を知り、それが自制心を呼び起こしたのでしょうね。
猫にはまだ真冬の1月に春の目覚めがやってきます。春の出産できるようにと言う自然の巧みさです。冬は窓の外で何時も騒々しいですよね。それが、時期が終わるとぴたりと治まって、「うらやまし 思い切るとき 猫の恋」という名句になっています。
ほんと、大人になっても、何度この句を思い出す場面があったことか。
今ではどうかって?
カテゴリ:研究室風景
さえ:
今年度の卒業研究でぼくたちの研究室に来ている学生の一人が、セミナーの終わった後、自分の腕にしこりがあるのですが、大丈夫ですか?と訊いてきました。
ちょうどセミナーではがんの転移の話が出てきたところでした。さえには、がん細胞の自然転移の測定には、がん細胞を10の6-7乗個くらいをマウスのたとえば皮下に植え込む(注入する)と教わったものですね。一方で、実験転移を調べるときは、マウスの尾静脈に注入すると教わりました。
がん細胞の自然転移の実験では、がん細胞は植えられた場所で増殖を繰り返して大きな固まりを作りますが、転移するときには(血流に乗って全身を流れて)好みの場所に、たとえば肺にコロニーを作り、これが育つと、マウスの胸を開いて見ると肺の表面に白いぽつぽつの固まりとなって認められますよね。これをNoduleと言うなんてことを学生は学んだわけです。
ちなみに、このNoduleは中国語で小節ですが、XiaoJieのアクセントが違うと小姐になります。昔は文字通り、若いお嬢さん、あるいは小娘の意味でしたが、ドイツ語のFraulein(お嬢さん)が第二次大戦後のアメリカ軍の駐留と共にとてつもなく悪い意味になったと同様に、小姐も今は普段は使わない言葉になりました。
ぼくがNoduleはXiaoJieだねなんて言うと、発音がおかしいのでみなが大喜びするわけです。
腫瘍の転移の話を聞いて、この男子学生は「そう言や、この腕のしこりはどんどん大きくなっているみたいだ。もしや腫瘍ではないか?」と気になったのですね。触ってみると皮下に小豆大くらいのしこりがあります。「こっちもですよ」と言ってほかにも、お腹のへその上くらいのところを触らせます。
指先で一寸触ってみます。何しろ触っている相手が小姐ならともかく、男の肌の小節ですものね。
どうですか?真剣に訊いてきますけれど、ぼくには診断できるはずもないですよね。何時気付いたの?どんどん大きくなっているの?と尋ねてみますが、こういうことって、曖昧なものですよね。偶々触って、おやと気付いたときにあった訳ですものね。気になってからの短い日数では、それがどんどん大きくなると言うこともないし。
ぼくだってお腹や腕の皮下に小さなしこりがあるのに気付いています。長年変化しませんし、きっと繊維芽細胞が最終分化して脂肪細胞となってそのままそこにあるのでしょう。
でも、ぼくがそういったって気休めにもならないでしょうし、結局本人は大騒ぎした挙げ句、うちの学生三人に付き添われて中国医科大学盛京病院に行ってきました。
もちろん、何でもないという診断が下されて、病院から戻ってきました。
卒業実験では、蛍光光度計を使って細胞内カルシウム濃度を計測できる実験系を作り上げて、細胞内カルシウム濃度に影響するいろいろな薬物を調べようとしています。
細胞内カルシウム濃度を計るためには、細胞にFluo-4のようなカルシウムと結びついて蛍光を出す試薬を取り込ませるのですけれど、まだ安定してカルシウム濃度に応じて蛍光強度が上がるようになりません。
細胞は化学試薬と違いますから、注意深い取り扱いに慣れないと、ちゃんとこちらの質問に答えてくれません。卒業研究の学生が先ず手こずるのは、ここのところでしょうね。高価なFluo-4を使っているので、こちらは密かに気を揉んでいます。
細胞は小姐を扱うように優しく、注意深く、愛情を持って、と言いたいところです。
小姐が今まではよい意味ではないので、自分の初めての恋人(中国語だと情人)を扱うようにと言えば良いでしょうか。この学生にはすでに婚約した女友達がいると言うことなので、扱い方が分かっても良さそうなのに。
カテゴリ:薬科大学
さえ:
瀋陽日本語弁論大会が4月の日曜日に盛貿飯店(昔の商貿飯店)で開かれました。参加区分は日本語学科があって専門の日本語を勉強している人たちは大学I部。薬科大学みたいなところは大学II部と分かれています。
15人の大学II 部の枠の中で薬科大学からは7名参加したようですが、このII部での上位入賞は中国医科大学の学生が占めたそうです。
薬科大学からは4位として企業賞を貰った5名の中に、二人が入るのがやっとでした。その中に、前に書いたぼくのところにも練習に来た馬紫薇さんが入っていました。
嬉しいことですね。
医科大学の入賞学生は4年と5年生ですが、馬紫薇さんは日本語を勉強し始めてまだ1年半ですよ。ですから大したものだと言って良いでしょうね。
大体、この大会に出る人ようなたちは皆日本人並みのしゃべり方が出来るので(審査ではそれが重視され、「努力しましたね」なんてのはの当たり前すぎて問題外です)、ぼくのところで話す言葉のアクセントを直し、イントネーションを直しなどしたことも、それなりに効果はあったでしょうね。
馬紫薇さんが総合4位になったのは、即席スピーチでの点がよかったからだそうです。
タイトルを貰って2-3分で内容を考えて、2分間で話しきるという技術は、日本語力だけでなく、トピックスについて話を纏めるという能力と、相当の度胸がないと出来ませんよね。
日本語を勉強し始めてから1年半なのですから、この学生の将来は楽しみにできそうです。
用意してきたスピーチの出来がいくら良くても、この即席スピーチでしどろもどろだと、はいお終いよ、ってことになるケースは今までに散々見てきましたね。
見ていると何時もあまりにも気の毒な思いがするので、教師の会の懇親会でも、この即席スピーチを日本語で良いから余興でやりましょうよと何度も提案したのですよ。でも、皆さん自分の面子を重んじる人たちばかりで、取り上げてはもらえませんでした。
後日、馬さんはお世話なになったからご馳走したいと言うことで、日本語教師で彼女のクラス担当の田中先生と私が彼女に招かれて焼き肉をご馳走になりました。今度はぼくが食事を作って、晩ご飯に呼びましょう。
カテゴリ:研究室風景
さえ:
毎週土曜日にやっているJournal Clubが、参加している人たちに本当に有効か、悩んでいるでしょ。
一つは演者側の問題です。演者が読んだ論文を、中身を真に理解しないで皆の前で喋っているケース。
二つ目は、聞き手の問題。漫然と聞き流していても、それで済んでしまうのは演者にとても失礼だし、聞き手にとっては時間の浪費ですね。
どんなひどい話でも、ぼくは聞いている一人として一生懸命論文の内容を理解するように、何度も質問して、ほかの聞き手も正しく理解できるように勤めているわけですが、どうしたらこの演者の問題点を直せるか。
実際の発表の場で、問題を指摘して正しているわけですが、だからといって次回に改善されてはいないのです。
人の前で話すためには、論文そのものの内容を(ちゃんと理解して)受け入れた上で、それを批判しながら読まないといけませんね。このような論文の読み方を身をもって指導してきたつもりですけれど、分かって身につけている人もいれば、分からないままの人もいます。
じゃ読み方を、一対一で教えたらいいじゃないか、ということになりますが、具体例がなくて論文の読み方の指導になると、ごく観念的なものになってしまいます。
ちゃんと内容を理解しなさい、実験はどのようにやられて、それから何が導き出されたかをちゃんと理解しなさい、と言う具合になります。しかしこれも、本人が分かったつもりになってしまえばお終いです。
実際に目の前で話して貰わないと論文の理解度は分からないわけです。それは実際に、いつもJrounal Clubで実行していることですね。だからといって、何時も気をつけていますが、皆の前で手ひどいことを言って演者のプライドを傷つけたらいけませんよね。
それでひとつ思いついたのは、聞き手に紙を配って、書き入れさせることです。
演者は論文の背景を十分に聞き手に分かるように話したか
演者は論文の内容を十分に理解したうえで話をしたと思うか
ここの実験の目的、内容、その結果を明快に説明したか
話は論理的だったか
話は聞いていてよく分かるように組み立てられてていたか
論文の内容を理解したとき、その研究に感心したか
演者の話し方に感銘を受けたか
話の途中で質問をしたか
Jounal Clubに出ていて、自分はどの程度貢献したと思うか
この話を聴いていて自分はどの程度理解したと言えるか
これを、秀・優・普通・不可で書きいれて貰います。
さらに「実際にした質問・あるいは未だしていない質問を書きなさい」という欄外も作りました。
つまり聞き手が、演者の話しかたを評価すると同時に、書かれた評価と自己評価から聞き手の理解度がこちらには分かる仕組みにしたつもりです。
中国の学生が仲間をかばう程度は信じられないほどですから、演者のことを厳しく批判することはないでしょう。でも、聞き手の態度はこれを書き入れることで今までと比べものにならないほど真剣になるだろうと、期待しています。
カテゴリ:研究室風景
さえ:
王毅楠が訪ねてきてくれました。2008年の修士課程修了者ですから、もう5年近く日本に行っていることになります。
日本の10連休を利用して中国に来たのですね。今までも卒業生は良く5月の連休に瀋陽に戻ってきて尋ねてきてくれました。でも彼は今年の4月から日本で就職したので、あれれ、どうしたの?と思ったのです。
おまけに王毅楠の故郷は河南省です。彼の女友達(許嫁でもこう呼ぶ)の出身地は瀋陽ですが、彼女は今スウェーデンに留学しているはずです。
一瞬考えてみて、なるほど、そうか、連休を利用して王毅楠は日本から西に飛んできて、一方で、彼女はスウェーデンから東に飛んできてここで壮大なデートをしているんだな。
ま、瀋陽に来た第一の理由は何であれ、瀋陽で薬科大学にぼくを訪ねてきてくれたのですから、とても嬉しいことです。
この間の春休みには行き違って王毅楠とは日本で会えなかったので、昨年の夏以来の再開です。嬉しかったのは、半年の間にこれまでの幼さの残る顔つきが消えて、自信に満ちた顔つきになっていたことです。
もちろん今でも若いし、薬科大学きってのハンサムと言われた色白の顔立ちはそのままですが、表情がきりりと強く引き締まりました。
博士を取るまでの悩みと苦しみを克服したことで一段と自信が付いた顔つきで、とても頼もしく見えます。元教師としてはこれほど嬉しいことはありません。
久しぶりに会えたので昼ご飯を誘ったのですが、彼は、4月に貰った初月給からおごると言って聞かず、とうとう唐萱閣で昼ご飯をご馳走になりました。
就職は大手の企業の研究所で、どうやって探したのか興味があるので聞くと、大学で世話をしてくれたのだそうです。ぼく達の学生の時代には、そんなことは無論なかったし、東工大を1998年に辞めたときにもありませんでしたよね。
学生や修士は放っておいても就職で大丈夫な慶応大学だからでしょうか、博士課程の出身者の就職斡旋をしているのだそうです。
外国の留学生だけなの?と聞いたら日本人の博士課程の修了者も対象だと言うことでした。今の大学は大したものですね。
もちろん、莫大な教育投資を考えれば、博士課程の修了者に何もしないよりも、就職の斡旋をした方がお互い良いに決まっています。
世の中どんどん、親切に、人に優しくなっていきますね。
カテゴリ:中国の生活
さえ:
5月に入ってから瀋陽の最高気温がどんどん上がって、1日は16度、2日は18度、3日は20度、4日は24度、5日は26度、6日は28度、7日は30度、今日の8日も30度だといわれています。
このような気温の上昇はうなぎ登りと言いますね。ウナギといえば、日本ではウナギの値段が高騰しています。ウナギと思った途端に生唾が出てきます。この間の2月の日本の休みにも食べなかったし。
日本ではウナギは珍奇種になったので、ナマズを輸入して代わりにしようという動きがあるそうです。(資料1)
ナマズの味は淡泊でウナギに似ていると言いますが、以前アメリカのニューオーリンズで食べたナマズはフライにしてあって、美味しくていくらでも食べられました。大体、ウナギってそれ自身は美味しいものではなく、日本独自に発達した調理法で美味しく食べているのですよね。
話は飛びますけれど、今朝のYahoo ニュースを見ていると、『「100回着ても洗濯不要」のシャツ 米ベンチャーが考案』と言う記事が出ていました。(資料2)
『「ウール・アンド・プリンス」と名付けられたこのYシャツは、洗濯せずに100回以上着ても、しわや汚れ、においがつかない』というのですよ。そんなのあり?
『細いウールの糸で織った素材が特徴。温度を調節したり水分を逃がしたりする機能がある。「綿のようにソフト」な肌触りを実現する一方で、通常の綿シャツに比べ6倍も長持ちするという』
『洗濯の手間やクリーニング費用から解放されたいビジネスパーソンの声を反映してか、関心は高まる一方だ』
結構ですね。1着が98ドルでも、高くはないでしょう。
洗濯しなくてもにおいが付かないのなら、これで下着を作ってここでも売って欲しい。ここの学生は1回3元のシャワーに行くのを惜しむことが多いらしく、冬場のエレベーターは時には苦行です。
でもね。どうやって汚れが付かないようにするのでしょう。
瀋陽でYシャツを着ると1日で襟が汚れます。洗濯しないで2回着るのがやっとですよ。1回着るだけのことが多いです。PM2.5が200-300なんてのは普通の毎日ですから、埃の成分であるPM2.5以上の微粒子も同じように多いわけですね。
Yシャツを洗うときは洗濯機に入れる前に、濃い洗剤を使い古した歯ブラシに付けて擦って襟に洗剤をしみこませます。こうやっても、襟に茶色が付いて残っていきます。この「ウール・アンド・プリンス」が着られるようになると、この襟の黒ずみから解放されるのでしょうか。大歓迎です。
(資料1)
「世界の食料危機を救うのはナマズか!?」 Wedge 2013年05月01日 中村繁夫
http://wedge.ismedia.jp/articles/-/2732
(資料2)
CNN.co.jp 5月6日(月)
カテゴリ:研究室風景
さえ:
朝ぼくがラボに着くのは6時半頃でしょ。研究室の学生達がやってくる8時までの時間は、いろいろとプライベートな事を片付けたり、研究を考える時間です。
この間のこと、この日は実験で思いついたことがあって、暁艶の来るのが待ちきれず、7時過ぎに連絡を入れました。
と言っても、電話をしたのでは一室4人の宿舎では他の人にも迷惑ですから、メイルを打ちました。簡単な中国語は携帯電話のメッセージで打ち込めるのですが、何と書いて良いか適当な中国語の定形を思いつかなかったので、「想見面」と書きました。
「想」は、何かしたいとき、これを付ければ「〜をしたい」という意志が相手に通じる万能の言葉だと教わっています。
人に会うことをどういって良いか分からないので辞書を引くと、単に「会う」は「見面」とあります。
それで「想見面」と書いて送ったのですよ。
それで、いつもよりは早く7時半には暁艶が部屋にやってきました。そして笑い転げながら、「いったいこれは何ですか。これを人が見たら、勘違いされますよ」というのです。
「こんなメッセージを携帯に残しておいて、人に見られたらやばいですよ」とも言うのです。
この様子からぼくの送ったメッセージが適当じゃないのだなと分かって、1.送ったメッセージはどういう状況でどういう意味になるのか?2.用事があるから早く来ないかと言うのに適切なメッセージは何か、と尋ねました。
1.このような言い回しは相当親しい男女の間柄で使われるもので、こんな言い方をしているのを聞かれたら、そういう関係なのかと言うことになってしまうとのことです。
2.そして適切な表現は、「快来吧(バ)」なのだそうです。「早くおいでよ」というところですね。
散々笑ってしまいましたが、これでは命令形ですよね。ぼくとしては、命令するのではなく、「会いたいのだけれど」と遠慮を含んだ言い方をしたかったのですよ。言われる身になっても(何時も英語を使っていますけれど)、普通に人に頼むときは命令形ではない言い回しをしますよね。
そういう言い方がないのが中国語みたいです。非常にはっきりしているのはよいけれど、なんだか、余韻のない言語のようですね。
カテゴリ:研究室風景
さえ:
今年の卒業研究生の一人に侯くんがいます。侯くんの英語は日本語と同じくらいで上手とは言えませんが、ジャーナルクラブでは十分理解して話していることがわかります。質問にも的確に答えられますし、とても頭の良い学生です。
卒業したら日本の大学院に行きたいと言っていましたが、何処に行くの?と訊くと、答がだんだん曖昧になってきました。つまり、日本との関係、日本の放射能、日本の地震などさまざまな問題があるので、彼の親としては一人息子を日本にやりたくないみたいです。
とうとう親の極めつけは、早手回しに郷里で嫁さん候補を見つけたことです。どうも彼はこの娘にすっかりメロメロになったみたいで、卒業後は郷里で何か仕事を見つけるのでしょう。
ま、それでも卒業研究に取り組んでいます。
ぼくの出したテーマはFluoSCANという96穴プレートを測定できる蛍光光度計を使って、細胞のカルシウム濃度を測れるようにして、いろいろの薬物でシグナル伝達経路を調べようというものです。
この機器を使ったことがないし、この薬科大学では誰も細胞を使って細胞内のカルシウム濃度の測定をしたことがないので、最適条件を探すところから始めました。
この機器の売りは、96穴のウェル内で細胞を培養して、そのままいろいろな目的で細胞の蛍光強度が時間軸で測れるというものです。
今まで使われているカルシウム試薬(Fla2とか、Fluo4とか)は細胞の中に取り込まれるとカルシウムイオンと反応する形に変わって、つまりカルシウム濃度に依存した強さの蛍光を発色します。
このとき、培地に添加した試薬を取り除かないといけません。細胞を洗うことでウェル内の細胞の一部が吸い出される危険性があります。
今はFluo8という試薬が開発されていてFluo4よりも感度が高い上に、試薬を培地に添加して細胞に取り込ませた後、培地の中の色素を除かなくても良いというものです。高いけれど、これこそ望ましい蛍光試薬ですからこれを買いました。
細胞のカルシウム濃度の上昇はA23187という薬を入れると瞬時に上がるので、細胞のカルシウム濃度がちゃんと計れるかどうかはこれを利用して調べます。
さて、始めて見ると、全然うまくいかないのですよ。蛍光がちっとも出ないし、A23187を入れても計っている値が上がりません。ですから、蛍光がちゃんと出ているの?から始まって、機器がちゃんと動いているのか、試薬は大丈夫か、などの検討を重ねました。
分かったのはFluo8は効能書きと違って、洗わなくて良いというのは大嘘だと言うことでした。大金をはたいたのにね。そして機器はちゃんと働いていると言うことも分かりました。ここに至るまでに3週間。
それでもデータが始終ぶれるので、メーカーや技術者にいろいろと尋ねてみると、ウェルの底面の細胞の蛍光が計れるというのは、蛍光受光器がウェルの底側に配置されている機器の場合で、ここにあるみたいな、上面照射・上面受光型では(培地の内容と厚さが邪魔をして)良くないことも分かってきました。機器の性能の一部だけを買ったわけですね。
上面照射・上面受光型では、ウェルに入れた細胞の沈み具合で結果が大きく変わってくるわけです。
それで、細胞は培養中にFluo4を与えて試薬を取り込ませ、細胞を集めて良く洗ってから、懸濁してウェルに入れて蛍光を調べる方式に到達しました。一つ一つのウェルの蛍光強度を時間で記録していくのです。
この機器は、インジェクターが用意されていて、一つ一つのウェルに、少量の試薬を入れることが出来ます。細胞に先ず何も入れずに蛍光強度を記録し、インジェクターで試薬を入れ、さらに記録を続けます。A23187を入れると、入れた途端に蛍光強度が跳ね上がるのです。A23187の入っていないバッファーを入れるとほんの一寸だけ蛍光強度が変わります。
ここに来るまでにさらに5週間掛かったのですが、細胞内カルシウムの測定法が兎も角やっとできあがったので、これを使っていろいろの試薬の効果を調べることが出来そうです。
インジェクターも数個設置出来るみたいですが、ここのは一つだけ。せめて二つは欲しいですね。
実はFlow Cytmertyを使って今までのデータを出していたのですけれど、Flow Cytmertyでは1回の測定に10の6乗個の細胞が必要ですよね。
ですから機器が使える1回のチャンスに、数個の試料の測定が出来るだけです。おまけに測定できるのは月・木の午後だけ担当者がやってくれるので、利用者が殺到します。順番の予約はしてあっても、前の測定が長引いている間にこちらの細胞はどんどん弱ってくるわけですよ。
それに比べると、新しい方式は、機器が空いていさえすれば、細胞が用意できた時に測定出来るし、一つのウェルには細胞が1-2万個もあれば十分ですから、Flow Cytmertyに比べて遙かに経済的に実験が出来ますね
ま、そんなわけで、侯くんが頑張っているわけです。卒業までに使えるあと1ヶ月の間に、侯くんが NEW to SCIENCE のデータを出せるよう、切に希求しています。
カテゴリ:瀋陽の生活
さえ:
ぼく達が瀋陽に来て驚いたのは、朝大学に行くために団地の中を歩いていると、パジャマ姿の女性が闊歩していたことですね。実際は団地内どころか大通りの歩道でも、普通に歩き回っています。
さすが昼間はパジャマ姿を見ることはないですけれど、ここは大病院が近いせいか、看護婦さんが白い制服で外を歩いています。白い看護婦の制服の上に戴帽を被っている看護婦を見かけるだけでなく、手術室用である濃い緑色の看護服のまま歩いているのも見かけます。
言うまでもなく手術室では血が付く可能性があるので目立たなくするために補色である濃い緑色を使っています。そのまま病院の外で出てくるなんて、これは驚きですね。
2008年の北京オリンピックの前にも、そして2010年の上海EXPOの前にも、「パジャマ姿で外を歩くのを辞めよう」というキャンペーンがあったと思いま。外国人に対し「てみっともないから」です。
最近『「パジャマ論争」ついに地方でも勃発!軍配はどちらに?―中国広西』という記事がYahooに載っていました。(資料1)
広西チワン族自治区と言うとベトナムと国境を接していて、中国の中央から見ると田舎です。
『賛成派は「裸で街を歩くような公序良俗に反した行為ではない」「何を着て外出するかは個人の自由」「パジャマとはいっても、洋服と見間違えるほどきれいだから」というのがその理由』
『反対派からは「マナーとしておかしい」「みっともない」「外のばい菌がたくさん着いたまま、ベッドに入るなんて不衛生」といった声が上がっている』
ぼくの見るところでは、以前は夜寝るとき着替えることもなくそのまま寝ていた。しかし今では、パジャマを買って着られるようになったので、それを人に見せびらかしたいと言うのが根底にあるんじゃないか、と言うものです。
看護婦の制服だってそのまま外に着て出るためのものではありません。でも制服のまま嬉々として外を歩くのは、それを人に示したいからでしょう。
中国の一般の人達は喜怒哀楽をそのまま表しますし、日本人ほど感情表現に屈折していません。おおらかで気持ちが良いほどですが、やはりパジャマは夜の室内の衣服ですから、外で人目にさらすものじゃないでしょうね。
ついでに言うと日本の小学校の先生達は何時もジャージを着ているそうですが、これはおかしいですね。家にいるときにくつろぐ服で生徒に接しているというのは、けじめがなさ過ぎます。学校は知識だけでなく人のあり方も教えているはずですものね。
(資料1)
「パジャマ論争」ついに地方でも勃発!軍配はどちらに?―中国広西、XINHUA.JP 5月13日
カテゴリ:研究室風景
さえ:
今年度のもう一人の卒業研究の学生は、李さんという女子学生です。二年生の終わった夏休みにうちの研究室に来ていた宋くんが紹介したらしく、どうしても来たいと昨年の春にはぼくのところに日参していていました。
将来の方針を訊くと卒業後は海外の大学院に行きたいと言うことでした。その頃は侯くんも大学院は日本に行くのだと言っていましたから、卒業研究の学生はすべて海外に出て行ってしまうわけでしょ。
大学院に入ってうちの研究室に残りたいという学生が出てくるのを待っていたのですが、結局いなかったので、この二人になったわけです。
将来は薬の動力学をしたいと言うことでした。薬の効き方を研究する人はここでは少ないですね。極端に言うと、効けばいいじゃんと言うところがあります。
成績が抜群によいと聞いていましたが、態度に落ち着きがないので、暗記に優れているだけの(だから成績がよい)学生かと思っていました。
ところがジャーナルクラブの発表者の一人として話すのを聴くと、卒業実験の学生とは思えない理解力です。背景はしっかり勉強していますし、何を訊いても知っている限りのことを丁寧に答えてくれます。何も見ることなしにですよ。
他人の論文を読んでここまでしっかり理解して他人が分かるように話せるのは、昨年度の劉丹くん以外、未だに見たことがありません。
研究室では何時も笑ってふざけてばかりいるので、頭がよいように見えません。冬になってパンダの帽子を被ってきたので、それ以来パンダ・リーと呼んで可愛がっていますが、頭脳明晰、愛嬌パンダなのですよ。
ここの大学の卒業生が海外に志願しても、中国の中でのこの大学の評価が低いので、誰でも行けるわけではありません。私費留学ではなく、先方の大学の奨学金を獲得して留学できる学生は、千人近くいる卒業生の中で十名くらいだと思います。
香港大学をはじめ海外の大学いくつかに申請していて、3月はじめにはミネソタ大学から許可を貰ったけれどどうかと言って来ました。大都会でないけれど、勉強と研究をするためには静かで落ち着いた街に行くのが一番なので、ぼくは賛成しました。それで行く意思を先方に確認していました。
ところが4月初めに、先方から断ってきたと言って憤慨しているのです。殆どの大学は入学選考を終えて応募締め切りをした時期に断ってくるなんてひどいですよね。駄目元でも文句を言うべきだとぼくは、嗾(けしか)けました。
電話の英語でちゃんと先方とやり合えるのですから、李さんの英語は大したものなのですよ。
結局先方が駄目なのものは駄目でしたが、オレゴン州立大学からのオファーもあって、そこに行くことにしたみたいです。薬学では一段と秀でた業績を上げている大学です。
今年の初めにジャーナルクラブの一員として話して貰ったら、聴いているこちらを感心させたので、そのままレギュラーメンバーにしました。
先週が彼女の最後の話でしたが、「合計4回も話す機会を与えてくれてありがとう、とても良い勉強になりました」と言うことでした。
演者のサイクルに入れただけなのですが、こちらもとっても良いことをしたみたいな気持ちになりました。将来ひとかどの科学者として成長するでしょう。楽しみにしています。
カテゴリ:瀋陽の生活
さえ:
30度に達した日が連続三日あったあと、最高気温が25度くらいの快適な日が十日ぐらい続きました。柳絮が飛んでいます。柳の種子だそうですね。
ちょうど同じころ、銀杏も新芽が出てきて、その後花房が伸びて、今は不要になった花房が路一面に落ちています。
用事があって昨日は久しぶりに中街に出掛け、そのとき地下鉄を利用しました。教師の会の資料室が品和軒にあった頃は良く地下鉄に乗りましたけれど、資料室が引っ越して以来、乗る機会がなくなりました。ちょうど一年近く乗っていません。
もう市民の足としてすっかり定着していて、日曜日の夕方は大混雑です。やっと乗り込んで、次の駅に着くと同じ側が開きました。未だ降りるわけではないのですが、降りる客がいるので、先ず外に出ました。
でも、見ていると出口の近くで降りる客が混乱しているのですね。車内から降りたい客が出口に向かって出たがっているのに、出口に立っている人たちが頑張って通り道を譲らないのです。ぼくたちがさっさと駅に降り立っているのに、真似をしようという気もないみたいで外に出たい客と揉み合っています。
人の都合も考えて、自分は譲るという精神が未だ乏しいみたいです。未だ過渡期なのでしょうね。混雑は不愉快にしても、お互いその不愉快さをなるべく減らそうと日本ではそれなりのマナーが発達しましたから、中国でも何時かは互譲の気持ちが行き渡るかも知れません。
それでもやっと降りる人が降りて、さてと再度乗り込むとき、ドアが閉まってしまわないかと電車の後ろの方を見透かしましたが、車掌のいない電車みたいでした。
瀋陽の地下鉄は最近出来たので、東京の三田線みたいにホームには内ドアが初めから作られていて乗客の安全が守られています。
電車が駅に着いて停まるときは当然のこと、電車のドアはホームの開口部と一致しないといけませんね。
実際、電車のドアの中央は、このホームのドアの中央線とぴたり重なって停まります。これって、どういう制御をしているのでしょう。電車の発進と停止を人手でやったら出来ることではありませんよね。
重い電車を減速してちょうど良い場所にぴたりと止めるというのは、駅を出発して加速に必要なエネルギーから荷重を素早く計算して、減速と停止に必要な制御を駅ごとにやっているのでしょうね。何時も感心しています。
カテゴリ:研究室風景
さえ:
十日くらい前、暁艶が博士論文を書き上げて印刷し、それを審査員の先生方に渡してきました。公開の審査会の日にちも先生方の間の都合を聞いて回って、6月3日と決まりました。
今回製本して提出したのは査読用で、審査員の意見が付いて本人に返って来ます。それに基づいて訂正、あるいは編集し直してそれが本論文となり、公開の審査会が開かれると言うことです。
「そうすると、審査員によっては、この内容では博士の請求に値しないという厳しい意見が返ってくることもあるのじゃない?」と暁艶に尋ねました。
「当然あるでしょうね、でも、それで学生が悲観して自殺でもすると大変なことになるから、大丈夫、そんなことにはなりませんよ」
「この間自殺した人がいたから、これで皆、文句なしにパスだっていう話ですよ」
これは冗談にしても、学生の自殺は時折耳にします。公式には発表されることはないので学生の話だけですけれど。
自殺するような人は内面に解決できない問題を抱えているわけですから、いまは大学では精神科の医師陣容を強化して、大学院学生はすべて医師の面接を受けるように取りはからっているようなことを聞いています。ここまで育ててきて自殺されたら、家族にとっても、国にとっても大きな損失ですものね。
学位論文の提出は本人だけが決めるのではなく指導教官が同意しているわけですから、ま、それなりのレベルでしょう。諸外国で中国の学位のレベルがあまりにも低すぎると言われているにしてもね。
学位論文の提出の際には申請書に本人の資料を書いて出すのですが、日本と違って「民族」を書く欄があります。漢族とか蒙古族とか書くわけです。聞いて驚いたのは、親の名前も書くだけでなく親の「成分」を書くそうです。
親の成分というのは、中国における地位です。国や省政府の指導者の地位にあるのか、局長なのか、大学では共産党書記(学長よりも上の地位です)なのか、学部長なのか、それとも平の教授なのか、そういうことを明らかにしないといけません。ただの人は「大衆」と書き入れます。これを見るとこの国は人民共和国ですが、厳然たる階級社会みたいですね。しかもそれが固定されている。。。
ところでひとまずほっとした暁艶は、修士論文の発表の時、他の人は2-3回の練習だったのに自分は9回も練習をさせられたと言っています。それでかどうか知りませんけれど、もう自発的に発表の練習を始めました。さて、今度は何回の練習が必要でしょうか。
カテゴリ:韓国のこと
さえ:
戦前の日本軍が従軍慰安婦を強制的に設置していたかどうか、大阪市長の橋本さんが言い出したことが世界的に改めて波紋を呼んでいます。
アメリカでは公式に娼婦の存在を認めていないので、アメリカ軍は、この橋本市長の発言を飛んでもない恥知らずの発言だと決めつけ、韓国も、中国も、世界中がこの論調に同調して、橋本市長を、そしてひいては日本人を非難しています。
ちょうど日本の憲法のことを調べていて、朝鮮戦争のことも知りたかったのでネットを調べました。すると、その頃、韓国軍慰安婦または大韓民国軍慰安婦が存在したという記述に行き当たりました。
Wikipediaの記述ですから、何処まで本当か分からないと言われそうですけれど、韓国語の文献が随所に引用されているので、恐らく実際のことなのでしょう。
『1945年-1990年の韓国軍と在韓米軍によって慰安婦に動員された韓国人女性たち。韓国戦争以降1990年代まで在韓米軍の韓国駐留時に大韓民国の国軍によって強行され、大韓民国の国軍と在韓米軍の○的欲求を解消する目的で強制的に集団○行為を強要された慰安婦をいう』と書いてあるので、韓国の軍隊で公的に認められた存在で、しかも本人の意志に反して強要されたみたいですね。
さらに『韓国軍が1951年-1954年まで「特殊慰安隊」という名前で、固定式あるいは移動式慰安婦制度を取り入れて運用したのは否定できない歴史的事実で、これは韓国陸軍本部が1956年に編纂した公式記録である『後方戦史』(후방전사)の人事編と目撃者たちの証言によって裏付けられた』
『「慰安(婦)」という言葉が共通していることなどから韓国軍慰安婦は旧日本軍慰安婦にならってつくられたと考えられている。しかしながら、旧日本軍の慰安婦が民営であったのに対し、韓国軍の慰安婦は軍直営を超えて「慰安隊」として正規の軍組織となっていた点で大きく異なる。なお、通称日本軍慰安婦の場合は公募によるものであり、当時の公務員の平均給与を超えた高額給与が慰安婦に支払われていた。公募資料や給与明細などの資料が発見されている』
『また、正規の「慰安隊」とは別に部隊長裁量で慰安婦を抱えた部隊もあり、ドラム缶に女性をひとりずつ入れて前線に運んだこともあるという。[4]軍にあって配分の際には、慰安婦は「第五種補給品」と称されていた(補給品には一~四種しかなかった)』
『朝鮮戦争当時の韓国軍の公式・非公式慰安婦の規模に関する明確な情報はないが、金貴玉教授は朝鮮戦争直前の私娼の数5万人を下ることはないと見ている。なお、朝鮮戦争後には○売買をする女性は30万人余りに達したと推測されている』
朝鮮戦争の休戦後は、『ベトナム戦争に参戦するにあたり韓国政府は朝鮮戦争時と同様な「慰安隊」設置を計画したが、米軍の反対に遭い実現はしなかった(駐越韓国軍司令官)。このことがベトナムの民間女性に対する強○事件が多発したことの一因になっている』と、以上の記述は必要なところは韓国語の引用文献を明記して書かれています。
軍隊は若い男が世間から隔離されていますから、どうしてもこのような大きな声では言えないことが付随しそうです。アメリカ軍は娼婦の存在は認めていないそうですが、女性兵士は絶え間ないレイプにあっていることが報告されています。(資料1)
表に出したくない問題を口にしてしまったために橋本市長は袋だたきですが、『なんぢらの中、罪なき者まづ石を擲て』ですよね。世間の橋本市長の揚げ足取りに便乗して韓国がしたり顔に日本を侮辱するのはやり過ぎでしょう。
(資料1)「駐留部隊:米女性兵士の3割、軍内部でレイプ被害」毎日新聞 2013年03月19日
注記:上の文章の中で、字を伏せないと、『->わいせつ、もしくは公序良俗に反すると判断された表現が含まれています』と言う注意が出てきて、アップロードできませんでした。
コメント:
e:大韓民国軍慰安婦の存在(05/24) みのもんだ さん
先生、ご無沙汰しております。
以前の書き込みで、日本人の由来についての先生の文章の内容について、橋下市長のことを一言触れたと思いますが、彼の若干異なった出身の背景によるところでしょうか、タブーのことをあえて逃げずにずばずば口にし、弁護士としての一面もあるから理路整然にものを言うので、私としてはとても好きです。
本件の延長線上のことですが、どうも、今日5/24の午前中に、元慰安婦の韓国人二人と面会し、その面会をネットで生中継したことになっていましたが、中止となったそうです。面会の申し込みも面会のキャンセルも元慰安婦側がされたそうです。何かあったのでしょうかね。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20130524-00000001-inet-sci
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20130524-00000541-san-pol
「ニコニコ生放送」、本日11時から橋下市長と元慰安婦の面談を生中継
japan.internet.com 5月24日(金)6時2分配信
「ニコニコ生放送」、本日11時から橋下市長と元慰安婦の面談を生中継
ニワンゴは、ライブ動画配信サービス「ニコニコ生放送」において、大阪市の市長で政党「日本維新の会」の共同代表を務める橋下徹氏が元慰安婦といわれる女性2名と面談するようすを、5月24日11時より生中継する。番組名は「【慰安婦問題】橋下徹大阪市長が元慰安婦らと面談」。
この面談は、日本軍の従軍慰安婦だったと称する韓国人女性2名と橋下氏が大阪市役所で行う。同番組では面談の模様と、その後行われる会見を生中継で放送する。
番組は携帯電話でも視聴可能。放送終了後に「タイムシフト視聴」することもできる。
※2013年5月24日追記(japan.internet.com 編集部):橋下市長と元慰安婦といわれる女性の面談は中止になりました。面談を放送する予定だったニコニコ生放送は、同番組で女性の支援者による会見を生放送します。
橋下氏と面会中止 元慰安婦「謝罪パフォーマンス、二度踏みにじられる」
産経新聞 5月24日(金)12時6分配信
急遽中止になった面談。元慰安婦の支援団体代表(中央左)が、大阪市の担当者に申し入れ文書を読み上げた=24日午前、大阪市北区(渡守麻衣撮影)(写真:産経新聞)
日本維新の会共同代表の橋下徹大阪市長への面会を自ら申し出ながら、支援団体を通じてキャンセルを通告した元慰安婦の韓国人、金福童さん(87)と吉元玉さん(84)が、支援団体側を通じ、「私たちは橋下市長との面談を拒否します」とするコメントを発表した。
2人は「市長が自身の妄言を撤回し謝罪するために会うと理解して面会を決めた」と説明。だが、橋下氏が慰安婦制度に関する発言を撤回しなかったため、「引き裂かれた胸を抱いて張本人を前にすることが恐ろしい」と述べた。
さらに、「日本の記者から、市長が面談で謝罪パフォーマンスを企てているという情報を入手した」とし、「被害者の胸痛む現実と歴史を、謝罪パフォーマンスと引き換えにすることはできない。二度も踏みにじられる必要はない」と切り捨てた。 (2013.05.24 12:50:27)
みのもんださん shanda さん
マスコミのニュースは扇情的なタイトルを選ぶし、内容の要約はそれをする人の意図によって恣意的に変えられるものですから、話は一旦こじれるとますます収拾付かない方向に進むものですね。
橋本市長が女性の人権を侮蔑しているとは思えないので、私は彼は謝る必要はなく、真意を徹底的に述べるべきだと思っています。いかに外国から日本の大都市の首長にふさわしくないと言われようと、踏みとどまって言い出したことの真意を分からせるべきでしょう。
日本のマスコミは、ただ騒ぎを広げることだけを面白がっているみたいですね。日本の一番のゴミなんじゃないかと思います。
(2013.05.24 21:42:25)
Re:みのもんださん(05/24) みのもんだ さん
先生も以前より言葉がストレートになっていらっしゃいますね。ある程度のストレス解消になりますからとても良いことと思います。
日本のマスコミの姿勢は特に2年前の東日本大地震の原発事故以来、こんな程度のものなのかと、多くの日本人が分かるようになったと思います。それはさておき。
橋下市長はとても正直な方と思いますので、今回のことの一つの矛先はアメリカであることは気になります。アメリカを敵に回すと政治生命はいずれ大変な危機に晒されることになるのは、多くの日本の政治家が分かるので、うまくやっていますが、橋下さんも勿論とても頭が良いので、そんなことは十分に承知の上と思いますが、あえてそのようなリスクを取られました。つまり逃げずに戦おうと思ったと思います。
橋下さんはアジアの国にも辛口を言っていますが、どちらかと言うと、私の直感ですが、橋下さんはアジア主義の面があると推測しています。この先、十年でも二十年でもの先ではいずれアメリカに潰される可能性が高いと思います。そこは安倍総理の出身母体の清和会の政治家達とも違えば、石原さんとも違うと思います。
頑張って欲しいですね。段取り、物事の優先順位をもっと長期的な視野できちんと整理した上で行動してほしいと思います。 (2013.05.25 00:30:02)
あれこれ悩みつつ shanda さん
今両国の関係は微妙でしょ。うっかりしたことは表明できないので、関係ありそうなことは一切触れずに過ごしています。そうなると、ブログに書くことは身の回りのことだけですね。
どうしても鬱屈してしまいます。ここで仕事が出来ることを傷つけたくない、しかし、あれこれ遠慮して言いたいことも言わずに一生を過ごして、いったい何のために生きているのか?とも悩みます。
中国で一番有名な日本人としてもてはやされた加藤某氏は米国に移ったあと、勢いよくこの国の批判を書いていますが、こういうのも嫌ですね。
(2013.05.25 08:53:12)
カテゴリ:薬科大学
さえ:
暁艶が博士論文を書いて先ずその査読を薬科大学の外部3人、内部4人の教授にお願いしました。
十日ほどたったので、暁艶はその査読の先生のところに行って、貴重な意見と採点を戴いて来ました。
当然忙しい先生達ばかりですから、自分は読まずに副教授に回す人もいるみたいです。
一人の審査をすることで300元の謝礼は入るにしても、それじゃ割に合わないと思う先生もいるでしょう。もっとも、日本では大学院教授は審査をするのは職務の一つであって、特別に報酬を貰うことはありません。
そのうちの一人の先生はしっかりと、しかも十分理解するために二度以上目を通したみたいです。仮とじの本がよれよれになって戻ってきて、しかも沢山の書き込みがありました。
兎も角その教授に会ったら、冒頭に「中国語が良くないよ」と言われたそうです。
暁艶本人も気にしているのですが、ぼくにはどのような程度なのか分かりません。間違っているのか、子供っぽい表現なのか、それともcolloquialなのか、と言うと、どうもcolloquialな表現で書いているみたいです。
実際、日本語でも科学の雑誌では、それらしい雰囲気での書き方ですよね。科学論文や科学の雑誌を読んでいるうちに知らず知らずのうちに身につける技術ですから、未だ書き慣れないと、こういうことになるのでしょうか。
もっとも、「酵素の生産」という代わりに、日本の科学では「酵素の産生」というひねった言い方をします。つまり科学用語を一般と違うぞ、難しいんだぞ、と脅しているのですね。ナンセンスですね。中国は日本に輪を掛けて事大主義の国ですから、科学論文は難しくみえる言い回しが好まれるのでしょうね。
その教授に、日本で行った研究なのかと聞かれたそうです。研究の質が高いからじゃなくて、彼女の言葉が稚拙だったからでしょうか。将来はどうするのかとも聞かれて、「瀋陽薬科大学で仕事をしたいけれど、この中国語じゃ先生になれません。何処か外国に行きます」と返事したところ、その先生は「さもありなん」と大きく頷いたと言うことです。
戻ってきた暁艶は「ちゃんとした言葉にしますから」と言って作業をしていましたが、ふと思いついて先輩の胡丹に見て貰おうと言い出しました。胡丹はこの1月に広州の暨南大学の副教授になったのですよ。
電話をして頼んで引き受けて貰ったのですが、ぼくが電話に代わって出ると胡丹は「私だって6年中国語を使っていなかったから、大丈夫かどうか分かりませんよ」なんて言っていました。
言葉が稚拙にしても、幸い、内容は立派なものだと褒めて貰ったようで、本人は気をよくしていました。しかし、博士論文に書いた三つの内容の中で、すでに論文として発表したのは一つですから、残りを発表するまでは気が抜けません。
発表の練習に付き合っていると、研究をこうやって纏める過程で暁艶も大きく成長しているのが分かります。話のまとめとしてPerspectivesのところで、この先の方向性を見事に指し示していましたが、ぼくの描く将来像と殆ど同じです。彼女の成長をぼくは喜んでいます。
カテゴリ:日本の将来
さえ:
世の中の情報があまり入ってこない僻地にいて、あれこれとやきもきするのはナンセンスかなあと思いつつ、今思っていることを書いておきましょう。
大阪の橋本市長が「昔の軍隊につきものの慰安婦は必要な存在だった」と言ったことで、世界中から袋だたきです。
今朝のYahooニュースによると、『日本維新の会共同代表の橋下徹大阪市長は26日、日本外国特派員協会で27日に行う講演で配布する慰安婦発言や在日米軍への風俗業活用発言などに関する自身の見解文書の全文を公表した』と言うことです。(資料1)
その発表文書を読んだわけでないので、このニュースに書かれたことがぼくの判断材料ですから、記者による要約というバイアスが掛かっているかも知れませんが、改めて「世界各国の軍が必要としていた、と発言しただけだ」と主張しているそうです。
前のニュースでもぼくはそう受け止めました。
しかし橋本市長のもとの発言は、「日本が国家として、嫌がる婦女子を強制的に連行し、性奴隷(sex slaves)とした」という“レイプ国家”としてのレッテルを張るための主張を強化する材料として、日本および世界のマスコミに使われているみたいです。
これは針小棒大に事を荒立たせるというマスコミ得意の手法でしょうけれど、元々は朝日新聞の捏造で始まったことが日本人の品位をおとしめることに、ことあるたびに使われているのは、実に腹立たしいことです。
ぼくは普通の人間なので、朝日新聞で報道されたことが嘘か真実かを検証することは出来ませんが、「国による慰安婦の強制連行」と報じた朝日新聞の報道が捏造であることがその後いろいろと報告されています。
嘘でないなら、「おまえの書いた記事は捏造だ」と決めつけられときに当然それに反論して、反証を上げて大議論をよぶでしょう。それが全くないのは、朝日新聞の捏造と言う見解が正しかったのではないかと思わせます。
世界の歴史を見れば軍隊と○的暴行はつきものです。「世界の軍が必要としたと発言しただけ」の橋本発言を、日本の軍隊だけの恥ずべき行為として日本と日本人とをおとしめる世界的便乗の風潮に、あえて対抗することをマスコミにもやって欲しいですね。
誤解という網に絡め取られている橋本市長も、唾棄すべき駄目人間というレッテルを張られたまま退陣したりせずに、世界の人々が自分たちの歴史を直視するように説き続けて貰いたいと思います。
実際、軍隊と○的暴行は米軍でも日常的なことですし、『米兵、仏女性を性的はけ口に=レイプも多発―大戦中の欧州』と言う報道もあります。『米ウィスコンシン大学のメアリー・ロバーツ教授(歴史学)』が「兵士たちは何をしたのか―第2次大戦時のフランスにおける性と米兵」と言う本に書いているそうです。(資料2)
(資料1)『橋下氏見解公表、慰安婦「世界の軍が必要としたと発言しただけ」』Yahooニュース 5月26日
(資料2)「米兵、仏女性を性的はけ口に=レイプも多発―大戦中の欧州」時事通信 5月26日
カテゴリ:研究室風景
さえ:
5月も終わりに近づいてくると、研究室はとても慌ただしくなります。
毎月の月末には学生一人一人が皆のまえでその1ヶ月の研究の結果を発表するProgress Reportを開いています。一回に二〜三人なので二回に亘って開きます。
今回は、この6月に卒業する崔玉婷さんが毎月報告の代わりに、修士論文の発表をさせて欲しいと言って来ました。彼女は、私のほかに薬理の楊教授が指導教官なのですが、その先生の前で話すように言われたので、その前日の昨日、うちで練習をしたいと言うことでした。
崔玉婷さんが三年前にうちの研究室に来たときには、さえはもう具合が悪くて日本からこちらに戻って来られない時期でした。
シアリダーゼのをFBJ細胞に発現させると、細胞周期が大きく伸びるという前の学生によるデータがあったので、それをやることになりました。
Neu3は細胞表面に局在してガングリオシドに特異的な酵素なので、この結果はガングリオシドが細胞周期を制御しているという面白い話になりますよね。
Neu3のcDNAをFBJ細胞にTransfectして、Neu3の発現の抑えられた株価細胞を沢山取って(もちろんControl vectorを入れた細胞も)、それを使って細胞の性質を詳しく調べました。ところがいくら調べても、細胞周期が遅くなっていないのですね。細胞のほかの形質が変化していないかと、ここで調べられる限りのことを調べましたが、Neu3の発現を抑えても、細胞の形質は変わりません。
こういうような実験の結果がネガティブな場合は論文に出来ませんよね。
それで急遽実験のテーマを切り替えることにしました。時間はあと一年一寸しか残っていませんでしたが、実験技術そのものには習熟してきたので、彼女の能力なら大丈夫出来ると見極めたのでした。
それで免疫細胞を用いて自然免疫に及ぼすガングリオシドの影響を調べ始めたのです。ガングリオシドが脳に局在するマクロファージに作用してそれを活性化するという論文は出ていますが、彼女は、免疫細胞がほかの因子で活性化されるときに、ガングリオシドがその活性化を阻害することを見つけました。
そうなるとガングリオシドが、活性化因子の結合をどの程度阻害するか調べたいところですが、活性化因子を放射性同位体で標識すると言った技術がここでは使えないので、調べようがありません。
せめてガングリオシドがどのような経路で阻害するかを明らかにしたいですよね。
免疫細胞が活性化されたときには、それを抑制する機構も働くことが知られています。つまり免疫反応が過敏になりすぎないよう、あまり続かないように抑える生体にとっては必須の機構です。
これには沢山の因子が関わっていることが知られていますが、たまたまそのうちの一つの因子がガングリオシドで増えることを明らかにしました。
崔玉婷さんの実験は今ここまで来ています。今、話しをするとここまでの結果ですが新しく取り組んで一年と少しで良くもここまで明らかに出来たと思います。
この分子の発現を抑えたときにガングリオシドの抑制効果が見られなくなったら、しめたものですね。彼女が実際に卒業するまでには、この実験結果が出来ているのではないかと思います。そうすると、それにはさらに確認は必要ですけれど、新しい知見を科学に加える可能性が大ということになりますね。
崔玉婷さんは修士過程を終えたら香港大学の医学部の博士課程に進学することが決まっています。彼女の将来が輝きに満ちたものであることを願っています。
カテゴリ:瀋陽の生活
さえ:
最高気温はほぼ毎日30度になる瀋陽です。Tシャツかポロシャツで一日を過ごしていますが、朝晩は涼しくなるので気持ちがよいです。
ぼくの生活って、昼と夜ご飯は教授室で作っているので、その時はそれなりに動き回っていますが、それでも本質的には朝の6時半から、夜の8時半にラボを出るまで、ほぼ一日座ったままモニターを朝から晩まで見つめていますよね。
何をしているかって?もちろんYahooニュースを見ることから一日が始まりますけれど、研究室の論文書き、学生などの論文の査読、最新のジャーナルに載った興味を惹く論文など読んで勉強すること、そしてうちの研究室の学生の研究指導が、公けにできるぼくの仕事の領分です。
5月からは毎週二回の分子生物学の講義が始まりました。普段努めて身体を動かしていますけれども、ぼくは教室の中を歩き回りながら話すためか、結構疲れるみたいです。それで、毎週1回はマッサージに出掛けるようになりました。
構内を歩くのが気に入って良く行くのですが、大学の向かいの中国科学院生態学研究所の中に「全盲按摩」があります。1回1時間、全身按摩でも足揉みだけでも25元です。この頃は2時間、首、肩、頭を特に揉んで貰っています。
3年近く前の、さえの入院で日本に戻ったとき、ベッドの傍の丸椅子に一日中座り続けて身体じゅうがこちこちになって、按摩さんを探しました。やっと満足するマッサージ師を見つけたのが、1時間6千円。2時間施療を受けて1万2千円を払っていました。
瀋陽の按摩さんの2時間分50元を計算すると、3年前で日本円として600円。今のレートですと、750円になります。つまり瀋陽では、日本の20分の1から16分の1ということです。
給料の差を見ると(何処を採るかが難しいですけれど)日本の5分の1から10分の1くらいでしょうから、マッサージの料金は割安ですね。
6畳くらいの部屋にベッドが三つ入っているので3人が同時に施療を受けています。お客は施術士と結構賑やかにおしゃべりをしていますが。ぼくは「聴不Dong」しか言えないので、ぼくの施術士はぼくを揉みながら何やら話しかけては「聴不Dong?」と言っては笑っています。こういうときに話が出来ないのは実に悔しいですね。
ぼくが日本人であることはここでは当然誰でも知っています。ですから相部屋のお客もぼくが日本人であることを聞き知って、日本語の出来る人は日本語でいろいろと話しかけてきます。
二つの国の間は不穏な関係ですが、一般庶民同士としては誰もが暖かく接してくれますし、嫌な思いをしたことは一度もありません。心地良い時間が流れます。
カテゴリ:健康問題
さえ:
暖かくなってからは、家を出て大学に着いたあと校庭を1-2周廻っています。少しでも足の筋肉を使いたいからです。
毎年、季節の良いときは昼休みに向かいの生態学研究所の構内を越えて運河のほとりを歩いていました。運河を一回りして戻ってくると大体1時間でした。
今は忙しい日が続くので昼に歩くという贅沢は出来ず、朝来るときに余分に歩いているだけです。
歩くのは、相変わらず早いほうですよ。1Kmを10分の速度で歩いています。速く歩くことのできる人は長生すると言う研究結果があります(資料1)
ぼく自身は、何歳まで生きていたかと言うことは分からないことですので、これが本当かどうか、誰か気にしていて下さいな。
教授室にはそれぞれ6Kgのダンベルが二つ置いてあって、時々腕を動かしています。これでは軽すぎて負荷が掛からないので、腕を鍛えるという感じにはなりません。
実験室では学生の張雪城くんが重さの増やせるダンベルを買ったので、週に二回くらいは実験室に出掛けていって、10Kgのダンベルをそれぞれの手に持って運動をしています。両手を体側に沿って、水平に持ち上げるとか。結構大変です。
でも、なかなか胸板は厚くならないし、お腹の脂は減らないし、殆ど目に見える変化がないですね。
ところで先日「男を襲うEDの恐怖 動脈硬化のサインかも」みたいな医学風記事をネットで読みました。
いやあ、いざというときに役に立たないほど情けないことはないですよね。
EDが気になるのは若いときです。歳をとってくると自然とセックスに興味はなくなってきますから、EDを気にすることもありません。おまけに朝○ちもだんだんなくなってきていて、年齢と共にセックスへの興味と一緒にこれも失われていくくらいに思っていました。
ところがこの記事によると、EDは高血圧などの血管障害で引き起こされることもあるし、血管障害で朝○ちがなくなるのですって。つまり朝○ちがなくなったら年齢相応なんて思ったりしていると、実は飛んでもない原因が隠されていることもあるのだというのです。人を驚かすのが、この手の記事の特徴と言えば、その通りですけれど。
それを読んだので、今書いておこうかという気になったのですよ。
何時始まったのかはっきりしませんけれど、ぼくは長い間朝○ちから遠ざかっていたように思います。でも、一頃ロイヤルジェリーを食べ始めたら朝○ちが戻ってきて、「ロイヤルジェリーって顕著な効果があるよ」と、北京にいるぼくの悪友の呉さんはじめぼくの友人に宣伝したことがあります。「必要になったら、○○のロイヤルジェリーが絶対だよ」って。
ロイヤルジェリーが蜂の幼虫に与えられると女王蜂に育つのは、その中に含まれる成長因子が幼虫の消化管で完全に分解されることなく吸収され、体内に拡散して幼虫の細胞に働きを示すからです。
私たちの消化管は、外来の成長ホルモンを完全に分解して組成のアミノ酸に分解してからでないと吸収しませんから、蜂の幼虫に効くようにロイヤルジェリーが私たちに効くことはないわけですね。
とは言っても、ロイヤルジェリーの中にはビタミンやアミノ酸が沢山含まれていますから、ま、身体によい微量成分がたくさんあることは確かです。
こういう薬みたいなものは、いっときは毎日服用するけれど、それをずっと続けるには相当な忍耐心と克己心が必要です。さえの健康にと思ってロイヤルジェリーを入手していましたが、もうその必要もなくなったし、おまけにぼくには忍耐心と克己心が欠けているので、飲まなくなって大分経ちます。でも、この朝○ちは今でもちゃんとあるのですよ。
つまり、ぼくは運動家ではないのでまともな運動をしてないけれど、実は驚くほど規則的な生活をしています。朝は5時半に起きて、大学に出掛けます。夜の8時半から9時半には戻ってきて、10時半には寝ます。食事も自分で作っているので健康的な食事をきちんと規則的な時間に摂っています。
おまけに適度な運動をしているので、座業専門、長時間PCを見続ける生活をしていても、意外に健康でいられるのではないかと思います。
こうやって書いたことが、その通り健康に良かったねと分かるほど生きているかどうかは分からないことですが、ともかく今の時点で書いておかないと意味がないわけですものね。
(資料1)JAMA. 2011 Jan 5;305(1):50-8. doi: 10.1001/jama.2010.1923.
Studenski S. et al., Gait speed and survival in older adults.
カテゴリ:健康問題
さえ:
前回は、速く歩くことのできる人は長生すると言う研究結果を引用したでしょ。
誰でも長生きに関心があって、長生きする人の何が原因となっているか知りたいわけですね。曰く、食べるのは腹八分目がよい。くよくよしないがよい。何にでも興味を持つことだ。最後のセックスから十年で死ぬ、などなど。
この米国、英国、オランダ、スペイン、イタリアの研究者からなるチームは、年寄りを対象に生存年齢を追跡し、それぞれの人の歩く速度を調べて、それがその人の残りの生存年齢に比例していることを突き止めました。
結果が面白いので、少し詳しく引用しますね。(資料1)
34,485人の 65 歳以上のお年寄りを6年から21年に亘り追跡して調べたデータです。平均年齢は73.5 (SD=5.9) 歳。そのうち女性は59.6%。79.8%が白人でした。彼らの平均の歩く速度は0.92 (SD=0.27) m/sでした。
この歩行速度は、6メートルの距離を普通に歩かせ、1秒当たり歩いた距離をメートルで計算しています。
調べた対象に人たちの年齢幅は多様で、85歳以上が1,765人含まれていました。歩行速度は0.4m/s未満(1,274人)の人から1.4m/s(1,491人)の人まで分布していました。この研究の間の死者は17,528人だったそうです。
全研究のデータを用いて、性別ごとの5年生存、10年生存表を作成すると、歩行速度は男女ともにすべての年齢層において生存可能性の差と関連が見つかりました。
どの性別でも年齢でも、歩行速度が速いほど余命年数が高くなり、歩行速度約0.8m/sが男女ともにほとんどの年齢における余命中央値となっています。歩行速度が1.0m/s以上の場合は、年齢や性別のみによって予測されるよりも一貫して長く生存することが示されたのです。
具体的に書くと、男性の75歳の歩行速度0.2m/sでは平均余命は5年、歩行速度1.6m/sでは平均余命は18年と大きな違いがあります。
男性が85歳になると歩行速度0.2m/sでは平均余命は3年ですが、歩行速度1.6m/sでは平均余命は11年と大きく開いています。
客観的なデータで平均余命と関連づけたはじめての研究ではないでしょうか。
論文の考察では、歩行速度が余命の予測につながるのは、歩くためには心臓・肺・循環系・神経系・筋骨格系を含む多様な器官系の協調が必要な上に、エネルギーの代謝調節・身体の能力すべてがうまく働くことを要求しているので、歩行速度は、簡便な身体能力の指標となると言っています。実際、関連づけることに成功していますから、その通りなのですね。
ぼくは1時間に6Kmの速度で歩きますから、秒速で1.6m/sと言うこの調査の最高グループに入ります。それによると余命は18年です。
さて、あと18年、つまり93歳まで生きているかどうか。長いですね。さあ、さあ、お立ち合い、お立ち合い。。。
(資料1)JAMA. 2011 Jan 5;305(1):50-8. doi: 10.1001/jama.2010.1923.
Studenski S. et al., Gait speed and survival in older adults.
カテゴリ:健康問題
さえ:
高齢者の余命は歩行速度と相関するという研究を紹介しましたね。このような研究は科学の一部ですが疫学と呼ばれていて、ぼくたちの娘の専門の研究領域です。
ですから言うまでもないことですがこの手の研究では母集団が多い方が良いし、しかも性別、人種、病歴など明確でないといけないし、調べたい要因に影響を及ぼしうる因子を出来るだけ明確にしておかないといけませんよね。
そうじゃないと、たとえば、今は人生の終末を病院で迎える人が多いですけれど、大部屋と個室とに分けてどちらが死ぬ率が高いかを調べると、個室の方が高いという答えが出てきます。
「だから病院で個室に入るのは嫌だ」なんてことになりかねませんが、病院では死期の近い人は大部屋から個室に移す方針なのを無視して答を出したからですね。
と言うわけでうっかりすると、珍妙な答えが出てくるのが疫学だと、ぼくは何時も娘をからかって怒られているわけです。
娘は有能だし、人柄もとても魅力的だし、大好きなのですけれど、真面目なので、つい、からかいたくなります。
疫学調査でぼくはいろいろのアイデアを娘に出しています。何時も「パパは馬鹿なことを言うのね」と、全く無視されていますけれど。
今思いついたのは、「朝勃ち」と平均余命の関係調査です。もう、やっているのかな。動脈硬化が起こると朝勃ちがなくなるそうですから、これは疫学調査がされているのかも知れませんね。
でも、平均余命との関係はどうでしょう。
と言いつつ、どうやって調べるのだろうと考え込みました。問診・聞き取り調査が疫学では行われていますが、記憶に基づくと、どうしても間違いがありますから、避けた方が良いですよね。
となると勃○の有無を客観的に調べないといけません。
調査は結婚している人は面倒ですから避けることにして、老人ホームの男性を対象にすることにしましょう。寝る前にいちもつに糸を巻き付けて、これが伸びたらあとで分かる装置を開発して、男性に装着します。翌朝、回収して本人の記憶による申告と一緒に記録します。
これを数年から20年に亘って続けます。殆どの場合、この男性が実際に死ぬまで記録しないといけないわけですね。勃○が全くなくなってしまったら調べなくも良いですけれど、研究である以上、もう起きないかも知れない勃○もあるかも知れないと思って毎日調べ続けないと、その価値がなくなります。
さあて、毎晩これをやってくれる、しかも毎日毎日装着してくれる看護師さんがいるでしょうか。疫学にはこうやって実際の調査に協力する人が必須なのですね。
そんなこんなで、昨日は夢を見ました。
ぼくが痴呆になった状態で老人ホームに入っていて、この疫学調査を受けているのです。夜寝る前にいちもつに装置が付けられたのは知らなかったけれど、朝になって看護師が来てそこをいじっているときに、惚けた頭に閃きました。「あ、あの調査なんだな。ぼくが提案したんだ」と。
見ると看護師は「朝勃ちなし」と記録しています。このまま朝勃ちがないと記録されるなんて、ぼくの恥です。
「違うよ、違うよ。ホントはね、ちゃんと勃っていたんだよ。この装置がやくざだから、なしって出ているけれど、間違いだよ。娘に言って装置を直させないと、間違った結果を発表することになっちゃうじゃないか。困るのはぼくの娘なんだよ」と。
看護師に一生懸命に抗議を続けているうちに、だんだん目が覚めました。朝勃ちの確かな余韻があそこに残っていますから、ぼくは正しい。装置が悪い。装置を直さなくっちゃ。あはは。
コメント:
Re:朝○ちと平均余命の関係(06/07) Paque さん
このところ寝ている事が多くなりました。余命は◎カ月かもね。チャイさんは元気そうでなによりです。 (2013.06.10 17:04:22)
Paqueちゃん shanda さん
この間大学のトイレでちょろちょろとオシッコをしていたら、隣りにやってきたのが81歳になる日本人の先輩教授でした。毎年数回瀋陽薬科大学を訪ねておられて、ちょうどその時期でした。
じゃじゃっと済ませると、まだちょろちょろと続けているぼくに「山形さん、それじゃなんだね、長生きできないね」とのことでした。
オシッコの排尿速度と平均余命との関係も疫学調査をしたら、関係ありって出るかも。。。
どうかお大事に。今度会いに行きますね。 (2013.06.11 11:14:18)
カテゴリ:薬科大学
さえ:
暁艶が博士論文の発表をしました。6月3日の午後3時からでした。審査員はこの大学の教授が四人。中国科学院応用生態学研究所の教授が一人。
うちの学生たちは、あらかじめ果物屋に行って、サクランボ、バナナ、楊貴妃の好んだ茘枝(ライチ)などを買ってきて、洗って、6個の皿に盛りつけて、報告庁の一番前の机の上に並べています。6皿目は、書記役の夏副教授のためでした。
午後1時過ぎには一天にわかにかき曇り、天の底が抜けたような大雨が降りました。どうなることかと思っていたのが、2時半には雨が降り止んでほっとしました。暑くもなく、寒くもなく、Yシャツ姿でちょうど良い気候です。
全部の教授の揃うのを待って3時5分から暁艶が話しを始めました。
ぼくには何の役目もないので、審査員の先生たちに挨拶をしたあとは二列目に座って、ムービーカメラをセットし、スチルフォトを時々撮っていました。でも、 所々、スライド一つの説明に思ったよりも時間が掛かったりして、密かにやきもきしていました。
学位の指導教授と言うより父親みたいな気分です。
娘の晴れ舞台の発表を聞きに来たとすると、研究と無縁の父親には話している科学の言葉が分からない。それでも分からないまま、心の中で一生懸命応援しているでしょう。
そう、中国語の発表なので、ぼくにはほとんど分かりません。ですから、娘の発表を聴いている父親と同じようなものだなんて、考えていました。
暁艶が2005年の秋に、この年の卒業研究をぼくたちのところでやりたいと言って、関さんに連れられてぼくたちに会いに来たときのことを、昨日のように鮮やかに覚えています。
関さんに呼ばれて教授室の入り口で出迎えたぼくの顔を見た途端に、暁艶は「先生の英語が上手なので先生のところに来たいです」と、ぼくを見下ろしながらにこやかに英語で言うのでした。
部屋の中にいたさえにも聞こえていましたね。部屋に迎え入れて奥のソファーに暁艶、関さん、向かい合ってさえとぼくが座ってその後しばらくお喋りをしましたが、この時を思い出して、そのあと何度もさえとぼくは苦笑していましたね。
だって、学生が先生の英語はうまいねなどと面と向かって云々するなんて、日本では考えられませんもの。
彼女の同期には、べらぼうに優秀な陳陽、曹、徐蘇がいました。三人とも目から鼻に抜ける優秀な学生でした。暁艶は英語班の出身なので、他の人よりもちゃんとした英語を話します。でも文法に沿っていないし、語彙も足りないので、「え、それで英語班の出身?」とぼくは何時もからかっていました。
英語を除いて同期の三人と比べると、暁艶は明るいのが取り柄としか言いようがない。
実験を進める上で優秀な三人は、中国人らしく、他の人はどうでも良い、自分のことだけが大事というタイプです。ところが、暁艶は他人に優しい気配りの出来る人です。それだけに他人と争ってまで実験をやるタイプではなく、仕事ものんびりしていて、将来ちゃんとした研究者に育つか知らんとずっと心配していました。
カテゴリ:薬科大学
さえ:
ぼくたちの研究室では暁艶と同期の学生はほかに三人いましたよね。
彼らが修士課程を終えたとき、陳陽は博士課程を東京大学、曹はイタリアのミラノ大学、徐蘇はアメリカのアラバマ大学に進むことが早くから決まっていました。彼女は修士を出たら就職するかなあと言っていましたが、ぎりぎりの時期になってそれを翻してぼくたちの博士課程に進むと宣言し、そのための受験勉強を始めました。
全国一斉に行われる国家試験ですよ。無事に通って欲しいと毎日祈り続けました。
暁艶は入試の終わった直ぐあと、熊のぬいぐるみを持ってきました。ぬいぐるみは学位のガウンを着て角帽を被り、丸めた免状をもっています。「博士の入試に私が落ちたとしても、この熊が先生のところにいますからね」と、ぼくのところに置いていったのですよ。
この大学で博士課程に進学したい場合には、修士を2年終えところで簡単な審査を受けて博士課程に進級できるのです。しかし一旦修士課程を3年までやると、博士課程に入るのに、国家試験を受けないといけません。それに落ちたら目も当てられないですよね。
彼女が無事に合格した時は、実にほっと胸をなで下ろしたものです。
2010年の1月にさえが亡くなって、2月の終わりに一人で瀋陽に戻ってきたぼくはずっとつらい時期を過ごしていました。
半年くらい経ったときでしょうか、暁艶が言うには、彼女が博士課程を受験したのはさえが彼女に頼んだからだというのです。さえが、「瀋陽に'彼'と二人で 来て、学生を育てながら一緒に研究を進めてきてとても楽しい人生だったわ。でも、自分の先はもう長くないと思う。もし暁艶ができるならここの博士課程に進 んで、'彼'を助けてあげて欲しい」と言ったそうです。
今から思うと、それはさえが化学療法を受けてから1年半経って、また具合が悪くなって来た2008年の夏のことだと思います。王麗が博士を卒業した年ですね。博士課程にはもう誰もいませんでした。
暁艶がどのように考えたのかは知りませんが、彼女はさえの頼みを聞き入れて、普通の学生なら決して選ばない、修士を終えてからの博士課程の入試を受けたのです。
さえの頼みをぼくに言う積もりはなかったと思います。でも、ぼくがあまり長い間落ち込んでいて危なく見えたので、「貞子先生がフォローアップ体制まで作っておいたんだから、しっかりしてよ」と言うことだったのでしょうね。
暁艶は本来なら昨年の夏に卒業でした。4月に送った二つの論文はエディターに断られましたが、そのうちの一つに実験を加えてさらに全面的に書き直して別のジャーナルに送って、夏にAcceptされました。
ですから、博士論文の請求は昨年の秋早々にでも出来たのですよ。うちの研究室の規定では、しかるべきジャーナルに二報書くことという内規がありますが、実際もう一つ投稿したくらいですから、それも大体でき上がっていたわけです。
それでも実際にはまだAcceptされていないという理由で暁艶は博士論文を書こうとしませんでした。
カテゴリ:薬科大学
さえ:
ぼくが推察するその理由は、こうです。
暁艶がぐずぐずしていたのは、自分が学位を取ったらこの大学を去ることになるので、ぼくが直ぐに困るのじゃないかと考えていたのではないか。そして、ぼくもそれを恐れて強く言い出せずにいたのではないかと、思います。
暁艶が研究室にいてくれると博士課程の最高学年として、ぼくの秘書としての機能を果たしてくれるし、研究室の学生の実験については、研究室の助手みたいに指導してくれるし、この頃は研究の内容もいっしょにDiscuss出来るほどになりましたから、こんなにありがたい存在はないのです。
でも、それを続けていては彼女の将来のためにならない。ついには、ぼくも暁艶が卒業してどこかに行くことは当然のことだと受け入れて、暁艶に博士論文を早く書いて将来に踏み出しなさいと強く言ったのが昨年の暮れでした。
それでやっとこの日に漕ぎ着けたわけです。
聴き手は審査員と書記の先生たち6人。うちの研究室の学生たち、私たちの友人である劉さんと于さん、そのほか5人くらいの知らない人たちがいました。
暁艶は私をはらはらさせながら、55分の話を終えました。研究の背景が10分、三つの研究の話が37分、そしてまとめと研究の展望で8分。
このあと先生たちとの質疑応答が50分続いて、審査員たちはほかの部屋に移って協議をすること15分。戻ってきて、書記の夏先生が審査員全員一致で彼女が博士の学位審査に合格したことを述べて、そして博士論文の内容を読み上げました。
審査委員長を務めていた応用生態学研究所の張教授に促されて暁艶が短い挨拶をしたのですが、異例なことだと思います。そのあとさらに、審査委員長はぼくにも何か言えというのですよ。
立ち上がって思い浮かぶままに、7年前には海のものとも山のもとのと分からなかった暁艶が、ぼくたちの研究室にいる間にこれだけの研究を進めて、博士にふさわしい人材であることを示したことの喜びを述べて、大学と先生がたに感謝しました。
さえのことが頭に浮かび、さえが今ここにいたらどんなに嬉しく思っただろうと考えた途端に、胸が詰まって言葉が止まってしまいました。言葉にしてさえに触れることが出来ないまま、唐突に「Thank you, everybody」とやっと言ってそこで話を終えました。
さえは暁艶のゆっくり進む時間には苦笑しながらも、彼女の性格の良さ、ものの考え方の生真面目さに感心していましたね。実験も結果も決してごまかしたり、妥協したりせず、真剣に結果を見つめて自分の腕を磨き、ひたむきに勉強して新しい知識と自分とを繋ごうと言う態度は、時間こそ掛かりましたが今や独立の研究者の卵として見事に開花したと思います。
彼女の今後を見守っていく時間が、ぼくにはどのくらいあるのか分かりませんけれど、何時までも応援し続けたいと思っています。
カテゴリ:中国の学生
さえ:
食事は何時も大学の研究室で作っていると書いているでしょ。おさえちゃんの死後、ろくに食事を食べていなかったぼくを見かねて、陽暁艶が夜の食事のために食堂に行く度にぼくに食事を買って持ってきてくれました。そのうち食堂で二人前を買ってきて、一緒に食べてくれるようになりました。
それを続けているうちに、大学の食堂の食べ物はお世辞にも美味しいとは言えないので、食欲が出なくなるのですね。食堂には料理の種類はたくさんありますが、どれも油が多いし、塩分は多いし、食堂に行くことを考えるだけで苦痛になってきます。
秋になって食事を自分で作ろうという気力もやっと出てきて、炊飯器を瀋陽に進出してきたヤマダ電機で手に入れて、スーパーマーケットの家楽福(カルフール)で素材を買ってきて作るようになりました。
一人のためには作る気力が出ませんでしたが、一緒に食べてくれる陽暁艶がいたので始めることが出来たのだと思います。
昼はパンを沢山買って凍らせて保存して食べていたのですが、今では昼もここで作って食べるようになりました。うどんか、スパゲッティですね。
ついこの間は、昼時に合わせて二人分のスパゲッティを作っていました。ソースは、挽肉を赤唐辛子と油で炒めてからDel Monteのトマトソースを缶で買っているのでそれに絡め、さらに李錦記の紅焼汁「秘剣」と紹興酒で味付けします。最後にはチーズも入れます。もちろん良い匂いがそこら中に広がります。
ちょうど実験に必要な試薬を教授室に取りに来た卒研生の侯滔くんが、冷蔵庫のところでイヌみたいに鼻を文字通りクンクン言わせているのに気付きました。でも、「美味そうでしょ」と声を掛けただけです。
だって、特別な理由がない限り学生は食事に誘わないことにしているのですよ。暁艶だけが例外。招くなら全員、と言うのが鉄則です。
スパゲッティが茹だってソースに絡めようと言うとき、時間を見計らっていたみたいに陽暁艶が入ってきたのですが、侯滔くんがくっついていました。
「小黒(この間までうちにいた子犬ですよ)がスパゲッティを食べたいって」と暁艶が言うのです。侯滔くんは隣で鼻を鳴らしています。
「え、え、えっ。そんなあ。もう二人分を茹でちゃったし。それじゃ、少なくなるけれど三人でわけよう」と言いつつ、お皿の数を増やして3人分に盛りつけました。二人分で230グラムも茹でていますから、三人で分けても何とかなります。
三人で食べ始めたのですが、侯滔くんはあっという間に食べ終わって「美味しかった」の連発です。ぼくも正直に「美味しいよね。小黒がいたら最後に皿を綺麗に舐め上げるんだけれど。これは小黒の代わり」と言いつつ、皿に残ったソースをフォークでこすり取って口に運びました。
「先生、レシピを教えて下さいな、今度ここで作ってみようか知らん」なんて言っています。でも侯滔くんの魂胆は見え見えです。彼は人懐こくて可愛いので女子学生に人気が高いのですが、さらに料理で評判を上げようと考えているに違いありません。その前はカレーの作り方を覚えて喜んでいたし。
簡単すぎるほど簡単だから、直ぐに作れます。教えても良いけれどね。ぼくはここでは好々爺をしていますが、請われるままに若いクジャクに塩を送るのも口惜しいなあ。
十年前に王麗に「老孔開屏(年取った雄のクジャクがそれでも若い雌の前で見苦しくも尾羽を精一杯広げること)」と言ってからからかわれましたが、今だってどうしてどうして、負けん気盛んなのですよ。
侯滔くんは上海で得意の日本語を使って働くことを決めました。中国では日本の学生みたいに寄らば大樹の陰なんて言って大企業への就職に血眼になる風潮はありません。自分で起業してしっかり稼ぐぞと意欲満々です。さあ、独り立ちする若いクジャクくん。頑張って自分の運を自分で掴みなさい。
カテゴリ:日本の将来
さえ:
2009年に衆議院選挙で民主党が躍進し自民党が没落したとき、ぼくたちは狂喜しましたね。これで因習と既得権に守られた逼塞感のある政治と社会が変わるのだ、新しい時代の幕が開けたと。
ところがそれに続く3年間は失望の連続でした。民主党員は政治屋であっても政治家ではなかった。行き詰まった日本にやっと展望をもたらしたと思った初心な有権者の期待をことごとく裏切り、日本を内から見ても外から見ても滅茶苦茶に傷つけたと言って良いでしょう。昨年の衆議院総選挙で政権ががらりと交代して、2009年に民主党を支持した人々すらも胸をなで下ろしたに違いありません。
その自民党が憲法改正を謳っています。
今の憲法は国同士の争いの解決に戦争をしないという明瞭な主張があって、世界初めてで唯一の「平和憲法」として熱狂的に支持する人たちがいます。でもそれは日本を米国の庇護下に置くから可能なのですね。平和憲法支持者(護憲派)は対米従属を批判して米軍基地不要と主張していますけれど、この憲法は交戦権だけでなく自衛権を否定しているので、これはとりもなおさず、今の日本から米国を追い出せば、日本は他の国のものになると言うことです。
ぼくはそんなこと、真っ平ご免です。
民主党政権下で国防費が年々減り続け、この先どうなることやらと言うときに自民党が政権を奪って、国防がしっかりしないと日本の存続が危ないと腰を据えて主張しています。自民党は憲法改正を考えていて、この名高い第九条を変えて、日本にも自衛権があることを明記すべきだと言っています。これは独立国としては当然なことなので、歓迎すべきことだと思います。
ところが自民党の改憲案はこれだけではないのですね。憲法改正草案をネットで見ましたが、一見して戦慄が走りました。(資料1)
「集会、結社及び言論、出版その他一切の表現の自由は、これを保障する(第21条)」という現行憲法に、「前項の規定にかかわらず、公益及び公の秩序を害することを目的とした活動を行い、並びにそれを目的として結社をすることは、認められない」という条文を追加しようと主張しています。
これは時の政権が、個人やグループの主張や活動が「公益及び公の秩序を害する」と判断したら、個人やグループの自由な主張や活動が許されなくなってしまうことになります。もちろん処罰規定も出来るでしょうし、これは戦前の治安維持法の悪夢を思い出させます。
第12条には「自由及び権利には責任及び義務が伴うことを自覚し、常に公益及び公の秩序に反してはならない」と追加して書かれています。この公益とか公の秩序とは当然時の権力者の都合のことですよね。責任と権利は一体のものだと思いますけれど、現在の秩序の維持が優先され、批判を許さないというのは、国民の人権の侵害です。
私たちは西側諸国では市民が血で勝ち取った国民の基本的人権を、戦争に負けて与えられただけなので、基本的人権のありがたみを骨身に沁みて知っているとは言えないのが弱みです。でも、それが政権によって制約されてしまう社会は、戦前のファシズムの再現ですよね。
冗談じゃありません。自民党によるこの憲法改正を身を張っても止めなくてはなりません。この改正を許したら、この日本で将来も生きている子孫たちに対して、戦後の自由な空気を吸った人間としての責任を果たしていないことになりましょう。
6月初めの読売新聞のアンケートによると、自民党が44%の支持率で、その次が何と大きく離れて7%の民主党、それぞれ5%の維新と公明党なのだそうです。日本の政治を大きく失望させた民主党の罪は大きい。でも、だからといって自民党に今の憲法を変えさせてはいけません。改正されたら、こういうことも好き勝手に言えなくなってしまうのですよ。
(資料1)https://www.jimin.jp/activity/colum/116667.html
日本国憲法改正草案(全文)PDF形式(767.9KB)がダウンロードできます。
コメント:
Re:戦前の治安維持法の悪夢が蘇る(06/19) ヨシノ さん
憲法改正については、ノンポリでしたが、目が覚めました。
それにしてもなんでhttpsなんだろう。
pdf download のサイトまでhttpsとは。
閲覧を望んでいないのでしょうか。 (2013.06.19 11:25:41)
Re:戦前の治安維持法の悪夢が蘇る(06/19) みのもんだ さん
自民党の提示した憲法改正案の内容はテレビでも取り上げられるようになりました。TBSのサンデーモーニングでシリーズがされています。
福祉の文言を取りやめ、秩序に変えられそうです。先生のおっしゃる通り、恐ろしいですね。なんでそんなことをするのでしょうか。
人間は、一旦権力を握ってしまえば、他人の幸せを犠牲するまで、自分の利益を得たい、そのような生き物ですね。
内容は勿論、憲法改正に必要な2/3を取っ払って、1/2にするそうです。経験から2/3のハードルが高すぎたと言えるかもしれないが、それでも1/2って、それは政権与党になれるハードルではなかったか。つまり、時の政権側の人間がその気になれば、憲法をころころ改正できるようになるかもしれない。
どんな発想ですか。 (2013.06.19 12:44:21)
Re:戦前の治安維持法の悪夢が蘇る(06/19) みのもんだ さん
憲法改正に1/2以上が必要とは私の間違った理解です。
訂正させていただきます。 (2013.06.25 00:38:08)
カテゴリ:日本の将来
さえ:
さえ自民党の憲法改正案を見ると、自民党とは恐ろしい党ですね。日本に戦前の価値観を呼び戻そうとしています。言論の自由が奪われて、政府と軍部を支持しないものは「国民の敵」として糾弾された、あのおぞましい記憶が蘇ってきます。
憲法を改正して、自衛権の縛りを取り払ってこの日本を外敵の侵襲から守ることを主張する唯一の政党が自民党かと思ったのですよ。この一点でぼくは長年の宗旨を変えて支持しようかと思っていたら、自民党はそれどころじゃなく国民の基本的権利を奪って、全体国家を作ろうと目指しているのですよ。
今の日本国憲法第13条には、「すべて国民は、個人として尊重される」と書かれています。
ところが、「草案」では、「全て国民は、人として尊重される」と書き直されています。
私たちは個人として尊重されるのではなく、「君たちは人なんだよね、人だから大事にするからね」と、同じように見える言葉を憲法に使うことで、個人の意見の意見を実は歓迎しないという自民党の本質がここに見られます。
国というのは、一人一人の個人が自分の幸福を自由に追求する中において生み出されたものであり、その構成員である国民を、国が一人一人の個人として尊重するのは国の基本のはずです。これを保証するのが憲法ですね。
ところが自民党の案では個人という概念は消えて、人というひとくくりの概念の中に入れられてしまいます。一人一人が違う個性を持った個人の集まりの結果として国があるのに、人は同質のものだという見方を押しつけているのだと思います。
ですから、第11条の基本的人権のところでは現行の「国民は、すべての基本的人権を享有する」と書かれているのに、自民党案では「国民は、すべての基本的人権の享有を妨げられない」というように、一歩後退しています。「『基本的人権の享有を妨げられない』ことになっているけれどね、あんたが悪いんだよ、政府の言うことを聞かないからね、基本的人権が妨げられたってしょうがないだろ」ということになりそうです。こう書いておけば基本的人権は抑圧しやすくなります。
前回書いたように、自民党案では第12条では「自由及び権利には責任及び義務が伴うことを自覚し、常に公益及び公の秩序に反してはならない」と書かれていて、公益優先を謳っています。たとえば、公益を考えてくれないから土地買収が遅れて成田は開港後35年経っても未だにローカル空港のままで日本は恥ずかしいのだ、と一般人にわかりやすい、公益優先、国益優先を謳っているのです。
でもこれは、政権の好む秩序を国民に一方的に守らせることですし、権力者の意向に沿わなければ基本的人権を制約すると言っているのです。個人が自分の自由な発想に従って意見を述べることが、政権の忌諱に触れるならたちまち禁止され、その先には投獄、強制労働所、あるいは秘密の処刑が待ち構えていることもあり得るでしょう。
大袈裟ではありません。そうならないように憲法で国民の権利をしっかりと保証しているのに、そのたがを外してしまうということは、この最悪の事態もあり得ると言うことですね。
日本の戦前の価値観、世界観が、この自民党による憲法草案の基本的な考えなのだと思います。こんなことを許すわけにはいきません。「美しい日本」を守ることが大事だからと言って、今の憲法をいじって日本の戦前の価値感に戻されたら、またあの暗い時代を私たちは生きて、日本人は破滅に向かうのですよ。
近いうちに参議院選挙がありますけれど、そして自民党に代わる受け皿はないみたいなのが残念ですね。でも、それでも、自民党を勝たせてはいけません。
コメント:
Re:自民党の日本に個人の存在は不要なのだ(06/21) みのもんだ さん
昨日日曜日の東京都議選の結果、自民党の候補者全員が当選しました。流れはもう変わりようがないかもしれません。
そのうち、このように自由に書き込むことが出来なくなるかもしれません。某国のように。 (2013.06.25 00:45:49)
みのもんださん shanda さん
自民党と公明党が圧勝したと言うこと、一方で投票率が今までになく低調だったと言うことは、反自民党の票を受け取る政党がなかったと言うことでしょうね。
民主党がプロの政党でないことが分かって、日本には自民党しかないという、実に情けない選択肢しか残されていないという日本の将来は、実に背筋が寒くなりますね。 (2013.06.25 15:29:29)
カテゴリ:研究室風景
さえ:
6月16日の日曜日は父の日でした。父の日なんて何時出来たのか記憶にないくらい遠い存在でしたが、この数年はこの時期になると息子の嫁が素敵なシャツなどを送ってくれますし、研究室に長くいる暁艶などの学生が「父の日おめでとう」などと口々に言ってくれるので、ぼくの心の中でも少しは定着してきました。
昨年はMacのNoteBookの修理に出掛けたとき暁艶が父の日だからご馳走すると言って聞かず、学生にご馳走になるなんてと思いつつ、一坐一茶という名のレストランで食事をしました。
今年のこの日には、うちの研究室を卒業する陽暁艶(博士)、崔玉婷(修士)、李パンダ(学士)、侯滔(学士)の四人がスポンサーになってぼくを含めて研究室の皆をゴージャスモールの万象城にあるAsian Tableに招待してくれました。
日本でもこんなに豪勢なモールは見たことがありません。一階にはエルメス、プラダなど名だたるブティックが並び、開店以来二年経ってもどんどん拡充していく一方なのですよ。ぼくがここに来るのは一年に一度か二度ですけれど。
Asian Tableは昨年秋も彼らに招かれて一緒に食事をしたところです。数人のバンドのメンバーが入り口にいて、陽気に声を掛けてくれます。あとで歌を歌うから、一緒にダンスをするんだよ、なんて言いながら。
ココナツジュースのアペタイザーから始まって、マンゴー味のカレー、焼き鳥、焼きエビ、クリームで味付けした大きなエビ、焼いた豚肉や牛肉、ホタテ、パイナップルやエビなどの入ったピラフ、その他諸々の豪華なDishが次々と出てきて、とうとう全部は食べきれずに終わりました。
うちの学生のほかに、昨年の卒研生だった劉丹くんのGFである郭さん、日語の4年生の蘆さんも招かれていました。
郭さんは数日前の学部の卒業大演奏会で、バレーのソロをそれは見事に踊りました。観客から溜息の漏れるほど美しく、以前、彼女がバレーを踊っていると聞いたときは、この瀋陽で?と耳を疑ったのですけれど、実際には幼いときから始めていて今でも倦まずに続けていたのでした。卒業後は、劉丹くんが院生となっている上海のFuDan大学で助手の職を得たと言うことでした。良かったですね。
蘆さんは中薬学院日語の学生で、ぼくたちのジャーナルクラブにもずっと出ている聡明な女子学生です。その熱心さに感心していましたが、この席上で、うちの研究室で来年度の卒研生をやりたいけれどお願いできますかと発言しました。もちろん、熱烈歓迎です。
食事の始まる前にもバンドの人たちに誘われてマンボ風の踊りをしましたが、食事のあとでは本格的に誘われて、ぼくたち全員が陽気な女性のリーダーの振り付けの《修飾語の連続・「の」の連続》ままに、それを真似して手を振り腰を振って踊ったのですよ。
ウイル・スミスのHitchという恋の手ほどきをする映画の中に、うぶな太ったおじさんが惚れた彼女と初めて踊る場面がありますが、ぼくもこんなイメージで手を突き出したり、突き上げたりと曲に合わせて踊りを楽しみました。
この日は朝から頭が重く、崔玉婷の論文発表のヴィデオを折角撮ったのにあとで間違って消してしまったりして、いよいよ痴呆が始まったかと自分でも思ったのですよ。でも、楽しい食事に誘われて、身体も動かして、少しは痴呆が遠ざかったみたいです。父の日を楽しく祝ってくれて、みんな、ありがとう。
カテゴリ:生命科学
さえ:
今日の朝は、陽暁艶を大連で開かれる国際学会Glyco22に送り出しました。
ぼくたちはこの十年間は学会に参加する費用も惜しんで研究費にしているので、ぼくは今回も学会参加を見送りました。でも、大連ですもの、近いでしょ。それで暁艶に研究室の代表として参加して貰いました。
日本の友人からもメイルが来て学会に参加するから会えますねと言われたり、ネットで入手できる学会のAbstractから誰が参加するかも分かり、友人・知人が一堂に会する時に、それに参加しないなんてと思って、落ち着かない感じです。
大体、初参加の暁艶を一人で送り出していることも気になっています。本来はぼくがバックアップして、あれこれの人々に紹介しなくちゃいけないのですよね。
十年も経つと学界の世代交代も進みますけれど、それでも昔から若い人たちを沢山知っているせいか、日本からの参加者には懐かしい名前が多いです。外国からの参加者となると、もともとBig shotsが仕事仲間でしたから、今回は名簿を見ても参加している知人の数は確実に減りました。
しかしぼくが参加できなくても、本当なら皆にこの国際学会のあとここを訪ねて欲しいところです。
でも、時期が悪いですよね、研究室の学生はこの数日間でみんな卒業してしまって、ここにいないでしょ。在校生は7月早々の試験準備に大忙しです。
2007年を例外としてこの十年間ずっと学会に出ていないので、今回も同じような理由で見送ったつもりですが、よくよく胸に問うと、費用がないという理由だけでなく、学問に対して自信を失っているのかも知れませんね。
もちろん、論文を書いてジャーナルに投稿して審査員とやり合うこともあるし、考える能力がそんなに落ちたとは思っていませんけれど、瞬時に頭の働く能力が鈍くなっているんじゃないかという懸念が、学会に行かないことの裏に芽生えているんじゃないかと思い始めてます。
難しいところですね。老化を懸念していないのは問題だし、そうかと言って気にしすぎていても良くないでしょうね。
学界の登録日に当たる今日は、通常ですと、夕方、集まりに遠くから来た人たちのGet Together Partyが開かれてお互いが久闊を叙し合います。
暁艶がその集まりに行っているかなあと思うと気になって携帯で電話をしたら、賑やかな話し声を背景に、古川先生や、山口先生が次々に電話に現れて、それこそお互いに久闊を叙しました。暁艶が一人なので、あちこちの人たちに紹介してくれているそうです。嬉しいことです。加油、暁艶!!!
カテゴリ:薬科大学
さえ:
6月16日日曜日は生命科学院の修士学生の論文発表会でした。うちの崔玉婷の登場です。ぼくが中国語が駄目なので、うちの学生が話したあと直ぐに会場から出て行けるように、うちの発表者は何時も最初に話すようアレンジされています。
8時20分から始まると言うことで会議室に8時に行きました。
審査員は5人いるのですが、昨年と同じく委員長が教授なだけで、あとはすべて副教授です。そのうち男性は一人であとは女性でした。
女性がいけないというわけではありませんが、生命科学部では恐らくFacultyの7割以上は女性です。今の西側諸国の求人では通用しませんが、この大学の求人で応募者は男性に限ると言うのが今年は多かったように思います。
聴衆は仲間の学生とおぼしき人たちばかりで、ついにほかの教授も副教授の姿も見かけませんでした。
副教授も修士学生の指導者になれますから、審査員も副教授だけで良いのかも知れません。修士論文ごときは教授が聴くほどのことはないよと言うわけでしょうか。3年間一生懸命に研究をしてきた学生が気の毒に思えます。
卒業研究生の発表会は、そういえば教職に就いたばかりの人たち、日本で言うと助手の先生たちがすべてを采配しています。卒研生は助手が審査する。修士学生は副教授。そして、博士の学位は教授。なるほどねえ、中国はそういう階層社会です。
教授は博士の学位審査のために機能するのだから、卒研生の卒業論文を聴いたり、修士の発表論文を聴いたりするなんて教授の沽券に関わると言うことかもね。
東工大でぼくたちのいた頃の生命理工学部では、卒研生の発表会には学科のすべてのスタッフ・院生が参加し、だれもが学生の発表に質問できましたね。つまり発表を手がかりにその研究室の研究そのものが学部内に浸透し、それを批判できる仕組みになっていました。ほかの研究室の研究が赤裸々にほかの研究室の人たちの前にさらされるのですね。研究の意義も、研究方法も、過去も未来も批判という俎板に載せられて論じることが可能な仕組みになっていました。
ですから学科の中の研究室の壁を破る一番良い機会を、卒論発表会が提供していたわけです。お互いにほかの研究室の研究と考え方、技術に精通し、お互いに徹底的に知り合えるというだけでなく、お互いに学問の考え方・研究のやり方を遠慮なく批判しあえると言う素晴らしい機会です。
なお良いことに、発表する学生がいくら質問の矢に曝されても、そこの教授はその場では一言も弁明してはいけないというルールがありました。素晴らしいルールですね。
東京工業大学の教授たちは、東京大学の教授として声が掛かると嬉々として東大に飛んでいくという点で、実に情けないところがありましたが、こういう良い面もあったのですよ。
崔玉婷は15分の発表をしたあと審査に携わっている4人の副教授からいろいろと質問を受けました。GD1aがどのようにしてLPSによるCytokinesの生産刺激を阻害するかというのが崔玉婷の研究の眼目ですが、実験としては解決目前で時間切れなのですね。話がわかりやすかったと見えて、皆の質問はここに集中していました。
GD1aとLPSの構造はどう違うのか?同じ受容体に競合して結合するのではないかとか、GD1aがLPSに結合してその作用を阻害するのではないかとか。
競合して結合するかどうかはまだ答えが出ていませんが、GD1aがLPSに結合しないことは実験結果から分かります。崔玉婷はこの点をきちんと答えなかったみたいですけれど。
夏明玉副教授の質問の中にGD1aの阻害効果をもっと短い時間で、時間を追って調べたら良いんじゃない?というのがありました。なるほどね。気付いていませんでした。ありがたい指摘です。
こういう副教授が学部に多数いてくれれば、この大学の将来も楽しみにできますね。
カテゴリ:生命科学
さえ:
大連で開かれている国際学会Glyco22の二日目の今日、6月25日に、暁艶が登場して講演をしました。11時45分から15分という午前中最後なので、人が少なくなっているんじゃない?と言うことでしたが、大勢の人たちが聞きに来てくれたみたいです。
あとで電話をしたところ、大物の谷口先生始め、小川先生、古川先生などなど沢山のぼくたちの友人・知人の姿を見かけたと言うことです。気付いたと言うことは、暁艶は驚くほど落ち着いていたのでしょう。
講演時間もちょうどで、質問は二つあって一つは答えたと言っていました。
「ガングリオシドの受容体には誰もが興味を持っている。GD1aと反応する分子を捜していると言うことだが、Lipid Raftsを調べたら、そこに入っている可能性が高いのではないか」という質問だったそうです。
暁艶は「その通りだと思います。でも、Lipid Raftsを探すには特別の機器が必要ですね。つまりUltra Centrifugeが必要です。しかし、私たちの大学にはないので、この実験をするためには外国に行かないといけません」と返事して、満場が笑いに包まれたと言うことです。
実は正確な返事ではありません。
4階に日立のUltra Centrifugeが入っています。しかし、これを使うと1万G x 1時間に100元の使用料を払わないといけません。1回超遠心機をまわすだけで1000元を超える実験は、研究費がほとんどないぼくたちにはお呼びでないと言うことなのですよ。
暁艶の部屋にQQで連絡を取ったのですが、2年前に加藤晃一先生と一緒に訪ねてきた張英さんが同じように午前中の講演を終えて、昼の休憩時間に二人でほっと時間を過ごしていたところでした。と言うわけで詳しいことはまた後で聞きましょう。
確かに暁艶は落ち着いている人ですね。パニックになったところとか、他人と言い争いをしているところなど、見たことがありませんし、他人に対しても何時も穏やかで声を荒げたこともありません。ですから、国際学会に初めて、しかも一人で出て行っても、ごく平静にしていられるのでしょう。
英語は、ぼく並みにいい加減なとことがありますけれど、物怖じしないし、初対面から人に好印象を持たれるのではないかと思います。
何よりも良かったのは、自分がまるでものを知らないことが分かったことだ、とぼくに対して言えることです。自分の弱点を隠そうとしないのは、おおかたの中国人らしくないところですが、これを口に出来るということは、それを克服出来るということですね。
一人きりで送り出したのでいろいろと案じていますが、多分この学会に参加して、一回りも二回りも成長してくれることでしょう。
カテゴリ:日本の将来
さえ:
6月22日にアゴラ(言論プラットフォーム)に「非常勤講師という被差別民」というブログが載っていました。(資料1)
ネットで調べてみると、[アゴラを出しているアゴラ研究所は、オピニオンサイトである言論プラットフォーム『AGORA-web』の運営を中心として、個人の成長を支援する各種セミナー、電子書籍の発行、および各種研究を行なう機関]だと言うことです。
アゴラは古代ギリシアの都市国家ポリスにおいて不可欠な場所である広場を指すギリシア語で、ポリス市民の市場、フォルムとして機能したとWikipediaに載っていました。
何処がアゴラのスポンサーなのか分かりませんけれど、アゴラ代表の池田信夫氏の書いているものを読むと、骨のある発言をしています。
今回のブログによると、「契約社員は5年雇ったら正社員にしなければならない」という労働契約法の規定が出来たので、早稲田大学では今年度からの非常勤講師の契約の上限を4年11ヶ月と決めたのだそうです。非常勤講師は5年未満で職を切られてしまいますから死活問題ですね。大学は正規の教員にしたくないから非常勤にしているわけで、こういう法律があるなら、大学としては当然の処置でしょう。
池田さんも非常勤講師をしているそうです。『同じような仕事をしながら大学ほどひどい差別をしている職場はないだろう。授業が90分で、1コマ7000円だ。往復2時間の通勤や準備や試験監督なども考えると、時給はコンビニのアルバイトと大して変わらない。他方、准教授になれば無条件にテニュア(終身在職権)が与えられ、年収は1000万円以上になる。年間200コマとしても、1コマ5万円だ』と書いています。
日本のサラリーマンは企業の好みに合わなければ、配置転換されて厭でも辞めざるを得ないか、あるいは解雇されますが、『大学教師は「専門バカ」なので、配置転換という競争が機能しない。しかも准教授になったら全員がテニュアを得るので、授業のノルマさえこなしていれば研究する義務もなく、職階がないので出世競争もない。要するに競争原理がまったく働かないので、日本の大学が先進国で最低レベルになるのは当然だ』
池田さんのこのブログの終わりで『東大が世界と競争するなら、秋入学などより、非常勤も含めてすべての教員をテニュア審査してはどうだろうか』と述べていますが、これをたとえ法制化できたとしても、大学が自分たちの仲間をまともに審査をするとは思えませんね。人を批判すれば自分に返ってくるのに、誰が好きこのんでするものですか。
それで思いついたのは、これを私たちシニア組がやったどうだろう?ということです。退職して時間はあるし、幸い、年金にも恵まれています。ぼくたちって、怖いものがないでしょう?
つまり手弁当でたとえば「東大教授を評価する第三者委員会」を立ち上げて、東大教授の外部に発表した研究業績を評価するというのはどうでしょう。ぼくは生命科学しか評価できませんけれど、定年退職者は各部門にいるわけですから、すべての分野に広げることが十分可能ですね。
評価が公平であるように、出来れば二つの対等の委員会を作って同じ対象を独自に評価し、それを総合評価委員会で両者の意見を検討し、結論を出して(検討対象年度から遅くとも1年以内に)ネットで公表するなんて言うのはどうでしょう。考えていると、次々構想が出てきて、楽しめます。
大学が教授を求人するときにも、ここに打診するだけでなく、この「第三者委員会」の評価が最も信頼できると言われるようになったりしてね。
(資料1)
「非常勤講師という被差別民」池田 信夫 あごら 2013年06月22日
カテゴリ:日本の将来
さえ:
広西チワン族自治区では毎年夏至の日にイヌ肉を食べる習慣があるそうです。この風習を野蛮だという声は毎年あったと思いますが、今年ほど大きく取り扱われたことはありませんでした。今までは外国人が非難していたのが、今年は中国の国内からも大きな非難の声が出たみたいです。(資料1)
瀋陽でも、狗肉を食べさせる店が到るところにあり、もっぱら朝鮮人がそれを好んで食べるということです。この地方に多い満族は、始祖のヌルハチが敵に追われて傷ついて潜んでいる草原に火を掛けられ、あわやと言うときイヌに助けられたという伝説に基づき、狗肉を食べないそうです。
と言うことは朝鮮人のほかには漢族が食べてるのでしょうが、それに対して大騒ぎする人は、まだ見かけません。
ぼくの日本から来る友人・知人にはバンカラを気取って、狗肉大好きと公言して憚らない人がいますが、ぼくはそれに付き合ったことがありません。ぼくが子供の時から大好きで付き合っているイヌの仲間を殺して、それを喜んで食べるなんて気持ちは、ぼくには受け付けられません
人の友であるイヌを殺して食べてしまうなんて、まともな人とは思えません。野蛮な精神そのもの丸出しです。つまりそれがかれらの本性かと思います。
でもそれを思うと、捕鯨を巡る日本とシーシェパードと戦いに思いが繋がります。
日本では昔から鯨の肉を食べてきました。米国の船が鯨油を求めて世界の海を渡り歩き、その挙げ句に補給港として日本に開港を求めたことは良く知られた事実です。彼らは鯨が体内に大量に持っている油ほしさに鯨を殺し、油を搾り取った後はすべて海に捨てていました。
日本人が近海に迷い込んできた鯨を海の恵みと思い、小さな舟に漁村民総出で鯨にとりつき、鯨を殺した後は海の恵みに感謝しつつすべてを利用し尽くしていました。これは、小説ではC.W. ニコルの「勇魚(いさな)」に詳しいですね。
つまり、日本では鯨を捕まえて食べることは日本の文化の一つでした。日本はノールウエイに習って捕鯨砲で鯨を捕る技術を発達させましたが、今や、それまで鯨を殺していた各国も口を極めて日本を責め立てます。牛や豚を殺して食べているじゃないか、何処が違うのだと言っても、分かってもらえないのですね。
牛や豚は家畜だから良いという理屈なので、じゃ鯨を雄大な海洋牧場で飼育すれがいいじゃないかという発想が生まれますが、それをしても、きっと食用にするために鯨を殺すことが責められるでしょうね。恐らく、ぼくたちがイヌを殺して食用にすることに耐えられない気持ちと同じだと思います。
いま、オランダ・ハーグの国際司法裁判所(ICJ)で26日、南極海での日本の調査捕鯨の中止を求めてオーストラリアが起こした訴訟の口頭弁論が始まっています。(資料2)
『日本の調査捕鯨が国際捕鯨取締条約で認められた「科学的研究のための捕鯨」に合致しているかどうかが最大の争点』だそうですが、本質的には鯨を殺す日本人は野蛮だと言うのに尽きるでしょう。
話は飛びますが、日本人が嫌いな国は1978年に調査が始まって以来、ロシアが一番でした(その頃はソ連と言う名前でしたね)。第2次世界大戦終了間際に日ソ中立条約を一方的に破棄して日本軍を攻撃し、逃げ遅れた民間人に言語に尽くせない暴行をし、軍人も含めて60万人を超える日本人をシベリアに拉致して強制労働させ、なおかつ、北方領土を「不法占拠」しているロシア人へのぼくたちの評価は「残忍なる野蛮人」です。(資料 3)
文化の発展は野蛮の反対の極だと思っている日本人としては、野蛮人だと言われるのは応えますね。ロシア人と同列に見られたら、適いません。
人々がどのような文化背景を持つにせよ、世界は狭くなり、お互いに我慢できないことをあげつらい非難します。日本でも長い食の文化の歴史があるにせよ、野蛮と言われるよりはましです。鯨を殺して食べなくても生きていける時代になったのですから、鯨を殺して食用にするのは止めませんか。
(資料1)
『犬1万頭を殺して食べる「犬肉祭」に非難殺到、広西チワン族自治区で毎年夏至の日に開催―中国』Record China 2013年6月20日
(資料2)
『捕鯨訴訟で口頭弁論=日豪が対決―国際司法裁』時事通信 6月26日
(資料3)
『“嫌いな国”で中国に抜かれたロシア』JBPress 2013年6月27日
カテゴリ:友だち
さえ:
とうとう学年歴も終わりに近づいてきて、博士も、修士も、そして卒研生も発表が終わってめでたく卒業という運びとなりました。それでこの時期に研究室恒例となっている歓送会を天潤海鮮食府で6月21日に開きました。
博士の陽暁艶さん、修士の崔玉婷さん、卒研生の侯滔くん、同じく李雯静さんがうちの研究室の卒業生です。
このほかに今年卒業する、宋紫微くん、劉通くん、そして郭貞明さんも招きました。郭さんは都合で参加できなかったのが残念です。彼女は昨年の卒研生の劉丹くんのGFです。3人とも生命科学部の学生で、宋くんが二年前の夏に研究室に来たのがきっかけで劉通くんも研究室を訪ねて来るようになり、長い付き合いをしてきました。
宋紫微くんは、BelfastのQueen's Collegeの大学院に先方から奨学金を貰いましたし、劉通くんはNebraskaのUniv. of Nebraska-Lincolnに中国政府の奨学金により支援されて、この夏にそれぞれ留学します。二人とも優秀な上にユニークな人柄の学生です。
最初のぼくの挨拶では、まず卒業を祝しました。卒業は中国語では「畢業」で日本と同じく業を終える意味ですが、英語ではCommencementですから、いよいよ始まりの意味ですね。大学での勉強を終えてこれでめでたしというのではなく、これからの人生を頑張れよと言うことですね。これからそれぞれの新しい人生が始まるわけです。
そして人生は常に新しく刺激に満ちたものであるはずで、人生を有意義に生きるためには、決して人生に慣れて、生きることを惰性にしてしまわないこと、それには自分の出合うことに何時も新鮮な気持ちで接することが必要でしょう、どうか自分の人生を、何時も前向きに生きて下さいと、ぼくが人生に対して持つ考えを話しました。
夕方出掛ける前にこんなことを話そうかと考えているとき、ふとSamuel Ullmanの「Youth」という詩を思い出したのですよ。これを印刷していって、一部を読み上げました。
歳をとるのは年齢を重ねるからではない。理想を失い、心が摩耗するからだ。
小児のように新しいことを見つける喜びに震える心を持ち続けること、これが人の心の若さを保つのだ。
そうすれば八十歳で死ぬときも、なお心は青年のままでいられるのだよ。
この詩の最後のところは、もう直ぐぼくの現実になりそうですね。
何時までも若くいたいと言うのではなく、何時もfreshな気持ちで生きていたい、と言うのがぼくの気持ちです。
ともかく常に新しい気持ちで自分の将来に立ち向かっていくのが、これからの君たちの人生だよというぼくの気持ちが、分かってもらえたでしょうか。
その後はけっこう美味しい食事を食べながら、それぞれが気持ちを込めて歌を歌ったり、スピーチをしたり、ダンスを披露したりしました。
ぼくが遠慮していると皆に影響するので率先して、まず「少年易老学難成」を日本語で吟じました。あまりにも自己流なのでこのような集まり以外では披露したことがありません。うちに5年間いた王麗が「もう二度と聞きたくないよお」と言ったのが懐かしく思い出されます。
最後には年長者の陽さんに敬意を表して「O sole mio」を思い切り歌いました。まだ声が出るのですよ。自分でも驚いています。日本に戻ったら、オペラ勝手連でも作って、また楽しくオペラアリアを歌うグループを立ち上げましょうか。
郭貞明さんはその翌日研究室にぼくを訪ねてきて送別会に出られなかったことを詫びたあと、The Phantom of the Operaから、歌の一節を歌ってくれました。一人の女性がぼく一人のために歌を歌ってくれたなんて、生まれて初めての経験でじゃないかな。。。
カテゴリ:生命科学
さえ:
6月26日の日曜日から金曜日まで大連で開かれた国際学会に、生まれて初めて、しかも一人で参加した暁艶が戻ってきました。
毎日彼女が大連にいる間は朝・昼・晩とQQを使ってお喋りをして、学会の様子、ぼくの沢山の友達に会った状況、そのほかの初対面で会った人たちともお喋りした様子、面白い発表の内容などを知らせてくれていたのですが、また直接彼女の口から話を聴いて、この学会に出たことが暁艶にとてもよかったことが分かりました。
学問的に暁艶はまだ発展途上ですし、Glycobiologyの基礎領域の知識では素人同然ですけれど、Scienceの考え方は少しは身につけているし、研究に自信も持つようになったので、臆せずに人の話を聴いて理解しようと努力することが出来るのでしょう。
それに学会では、日本人は日本人でAggulutinateしているし、中国人はGroupを作ってStick togetherしているし、(見た目で分かる)西洋人はそれなりに集まって群れが分かれているけれど、暁艶は英語がもう特別の言語ではないので誰とも喋るのが平気なのですよ。何しろここで7年使っていますものね。
この自信は大きいですね。ぼく自身英語で苦労してきているから、この壁を乗り越えるのがどんなに大変か身を以って知っています。
あらかじめ参加者のめぼしい人たち、昔からの知人たちに、ぼくは印を付けて彼女に渡しておきました。その人たちは講演が終わると、彼らの友人・知人、質問者に囲まれてしまいますけれど、暁艶は辛抱強く待って話をしてきたそうです。ぼくの名前を出せば多くの人はぼくを知っているのも助けになったと思いますけれど、がんのStem Cellsの話なども自分で勉強しているから、Prof. Fukudaともさまざまな話が出来たようです。あの、Burnhum Instititeの福田さんですよ。
Ten Feiziは相変わらずelegantだし、Jim Pawlsonも、Sandro Sonnino、Gary Hartもハンサムだし、Hakomoriも80歳を越えているはずなのに依然として端整な顔立ちだし、懐かしい人々の写真を見て心が躍りました。
古川先生はじめ多くの先生たちが初めて会った暁艶のためにポスドクの口はないですかとあちこちの知人に声を掛けてくれたそうです。まだ見つかっていませんけれど、そのうち見つかるでしょう。
彼女が一人だったにもかかわらず国際学会に参加したことの何よりも大きな収穫は、自分は見知らぬ参加者の誰とでも(そして自分から進んで)話が出来るという自信が出来たことですね。
二年前にここを訪ねてきた分子研の加藤先生が連れていた中国人の張英さんというポスドクがこの学会に参加していたので、その意味では暁艶は学会参加者のうち一人だけは知っていたわけです。加藤先生は不参加だったので張英さんは独りぼっちでした。でも一般的には、学生が先生と学会に参加すると何時もくっついて先生の陰にいるので、誰と会っても(そしてお喋りをしたつもりでも)先方は覚えてくれませんが、今回この二人はのびのびと自分を主張できたわけです。
それに話を聞いていると、どうも暁艶が張英さんにとっては加藤先生の代わりとなって彼女を人々に紹介してまわったみたいです。
おまけに暁艶は出掛ける直前に写真入りの名刺を用意しました。中国ではまだ自分の写真入り名刺を作ることは滅多にないので、自分を紹介するのに格好の道具になったでしょう。
さて、これでお祭りは終わり。今日からは、論文を書くにはまだ足りない実験をして、出来るだけ早く論文を出すことです。
カテゴリ:日本の将来
さえ:
この間、Yahooに載っていた「ゲンナリする男の口癖ワースト5」と言うタイトルの記事を眺めていました。「サーッと心が冷える「男性に幻滅した瞬間」108景」の一つなのだそうです。(資料1)
ガッカリする口癖ランキング
1位 ウツだぁ~ 94NG
2位 ~べき 93NG
3位 俺的には~ 85NG
4位 ~みたいな 82NG
5位 たまに語尾がヘン(食べてみそ、そうだよん、など)64NG
と言う具合に(恐らく若い女性から)嫌われる男の口癖五つが載っていました。
瀋陽で仕事をしていると日本語を使う環境にはいないですし、日本に行くときもテレビを見ることもないので、このような口癖を聞くことはないといって良いでしょう。日本で友達に会っても、このようなしゃべり方をする人はいないですしね。
数日前、薬科大学で教えている日本語教師のうち二人が今期限りで帰国することになって送別会が開かれました。
日本語を話し、それを教えるのが商売である日本語教師も、日本にいる時みたいな日本語のやりとりが日本語学習の初心者である学生との間で成立するはずがないためか、「日本に帰ると、『おまえの日本語少しおかしいよ』といわれたりする」とのことでした。
きっと思い出せる語彙が減ってきて、適切でない語句を使ってしまうのでしょう。ぼくもブログを書いていると、頭の中にもやもやと何か浮かんでくるのですが、ぴったりの表現が出てこないことが始終あります。これは日本語を使い慣れていないためなのか、始まっているに違いない老化のためなのか判断に苦しみますけれど、少なくともブログを書いていることは、老化を遅らせているだろうと信じて続けています。
女性が男の口癖を批判しているなら、男にとって適わない女性の口癖もあるかなと思い考えてみましたが、ぼくの思いつく女性は皆だれもがエレガントで、気になるしゃべり方が一つもなく、好ましい印象だけです。
きっとぼくの生活の中で、嫌な口癖やしゃべり方の女性を敬遠して来てしまったからでしょう。あえて考えてみると、直ぐに「私が〜」と直ぐにこちらの話を引き取って、自分のことだけを喋りまくる人が、一番受け入れ難いでしょうか。
この上記の女性に嫌われる男の口癖の大半は、乱れた日本語と言って良いと思います。ファミリーレストランの接客の言葉がおかしいと思いはじめて以来三十年くらい経ちましたが、日本の中でこのような日本語の乱れを乱れだと指摘して美しい日本語を使おうという運動が起こっても良いのではないかと思います。
以前、理事長が大金を私した漢検協会の不祥事がありました。(資料2)
長年行われていた漢字検定は日本で漢字の知識と使い方を検定して、漢字を正しく使える人を増やすのに効果があったと思うので、協会関係者がこれで大儲けした挙げ句、それを自分の懐を肥やすことだけに使ったのはとても残念なことです
こういうすでに力を持った組織が新しく生まれ変わって、美しい日本語を目指す運動を始めてくれると良いですね。財団法人から公益法人に変わり、理事長も替わったそうですが。
(資料1)『「俺的には」…ゲンナリする男の口癖ワースト5』( サーッと心が冷える「男性に幻滅した瞬間」108景【女性100人調査】【6】女子SPA!) 6月24日
(資料2)Wikipedia 漢検協会事件 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%BC%A2%E6%A4%9C%E5%8D%94%E4%BC%9A%E4%BA%8B%E4%BB%B6
カテゴリ:中国の学生
さえ:
十年前にぼくたちの来た頃に比べて、今の中国は高度成長を遂げて豊かになっていて、それは学生をみていても明らかですね。
もちろん学生が豊かになったのではなく、親が豊かになっているのですけれど。
十年前の女子学生は誰も(パンツ姿とは呼べない)ズボン姿で、パーマネントで髪にウエーブを掛けている学生は皆無と言って良かったと思います。今は誰もが東京の街で出合う若い女の子と同じに、無造作に着飾っています。おしゃれが当たり前になって、身についてきたのですね。
このごろでは、海外に留学したい学生はほとんどが親の金で留学しています。十年前には、留学したいという学生のために奨学金の出る大学院を探すのに骨折ったのが懐かしいくらいです。
これは農村出身の学生の比率が大きく減ったことを意味しています。つまり二極化が急速に進んで、貧しい農村の子供が明らかに大学に進学しにくくなっているようです。
一人っ子で甘やかされて育った学生は、親からクレジットカードを持たされていて、何でもそれで支払いを済ませます。払った分は親が銀行に払っているので、本人はカードを使うのに躊躇することはありません。
給料を貰っているぼくたちでも滅多に行けないところを、彼らが良く知っている秘密はこれだったのです。
でも彼らの泣き所は、カードは自由に使えても、自由になる現金がないことですね。それで、ぼくたちの頼みを聞いてネットで操作して代わりにネットで買い物をしてくれてるのですよ。その金はぼくたちが彼らに払い、彼らは現金を手にし、そのカードから引かれた金額は後で親が補充するわけです。
ここでの買い物でカードが使えないぼくは、面倒なことを頼んでと恐縮しているのですけれど、実はとんだ人助けをしているというわけなのです。
夏に二十日間近く日本で休暇を取りたいと思って、全日空のサイトを検索しました。日本で開けるサイトですと、出発地は日本の何処か限定ですが、ここで買う以上出発地として瀋陽を入れますよね。それで、全日空でも日本からアクセスするのとは異なるサイトですが、日本語で操作できます。入力すると、諸経費を入れて6,097元と出てきました。
マイレッジの会員なのでそのまま作業を続けて、ぼくのクレジットで買っても良いのですけれど、ここは人助け、と思って学生に代わりに購入してくれるよう頼みました。
直接、全日空のサイトで買うよりも安い航空券があるかなと思ったのも事実ですが、そう旨くは問屋が卸さず、結局同じものを学生がネットで購入してくれました。
直ぐにeチケットの番号が送られてきたので、彼女に6,097元を現金で払いました。もちろんお礼の言葉と共にですよ。「面倒を掛けたけれど、ありがとうね」
でも、もちろん彼女は使える現金が沢山手に入ってにこにこ顔が抑えきれません。「いえ、いえ、またどうぞ」と、満面喜色(これは中国式の表現で、日本ですと、喜色満面です)。
このカードの仕組みでは、彼女の親は彼女がどんな用途で使おうと、その分を銀行に補填しないといけないわけです。
彼女は大喜びで助けてくれますけれど、親の立場になってみると、何ともやるせない気分になりますね。
カテゴリ:薬科大学
さえ:
薬学日語三年の学生に日本語で分子生物学を教えていて、試験シーズンがやってきました。
○×式などの選択ですと採点は楽ですが、学生は大して考えることもなく答を選んでしまいます。それでは、ためにならないから、ぼくの出す問題はほとんどが説明を求める設問です。
5年くらい前に「ある細菌のゲノムが初めて読まれた。10の9乗個のDNA配列の中でタンパク質の配列をきめるDNA配列である遺伝子が何処にあるかをどうやって推定したらよいか」という問題を出しました。
細菌などの原核生物では、RNAの転写の多くはTATAを多く含むPribnow Boxが目印となってここにRNA Polymeraseがくっついて転写が始まります。
翻訳を考えると、細菌などの原核生物のmRNAにはShine-Dalgano配列というのがあって、これが30S Ribosome の16SrRNAにあるAnti-Shine-Dalgano配列と結合するので最初のAUGが決まります。
どれも、それぞれのところで教えていますが、5年前にこの問題を出したときは、教わったこれらの知識を総合して、この問題に結びつけて解が得られるかどうか、言ってみれば試したのです。日本の学生なら、これだけの知識があれば、答を導き出せます。
すると90人中、3人の学生が正解を書きました。そのうちの一人がうちの研究室の修士の学生になった朱さんですよ。今は日本の岡崎にある分子研の博士課程に在学中です。
その後は毎年学生の学力が落ちてきているみたいなので、それからはこの問題を出すどころか、転写のところでは、Pribnow boxが遺伝子の始まりの目印になるのだよと教え、翻訳のところでは、その先のAUGから翻訳が始まるよう、mRNAにあるShine-Dalgano配列もDNAに書かれているわけで、これも遺伝子の目印になるのだよと、丁寧に教えてきたのですよ。
ですから今年は、理解力を試すのではなく、どれだけちゃんと講義を理解して覚えているかを調べる問題として、同じ問題を出しました。ちゃんと勉強していれば、お茶の子さいさいの問題ですよね。
Pribnow boxとか、Shine-Dalgano配列を頼りに探せばそれが遺伝子だと書いたのは二人だけ。62人中、たった二人ですよ。
「ほかの似た種類の細菌で分かっている遺伝子の情報を元にして調べる(いわゆるホモロジー検索ですね)」と書いてくれたって良いのに、これもなし。
こちらの求める答でなくても何か工夫していれば、たとえば、「DNAを切ってベクターに入れて発現させて、タンパク質を作っていたら、そのDNAを解読すれば遺伝子が分かる」と書いていた人には、そんな面倒なこと出来ないよなあ、と呟きつつ4点、
「mRNAを作らせて翻訳されればそれが遺伝子」と書いていれば、どうやってmRNAやタンパク質を作らせるんだい、DNAが長いままじゃ困るんだよなあ、だけど、ま、いっか、と3点、
「イントロンとエクソンが、、、」と書いている人には、細菌じゃそういうことはないんだけどなあ、それに大体、真核生物だってGU・・・・・AGの配列なんて至る所にあるんだよね、でも、ま、いっか、と2点、
という具合に大盤振る舞いをしましたが、この問題の平均点は5点満点で1.4点でした。
私たちのような真核生物のmRNAには、5'末端にキャップ構造、3'末端にはPolyA tailが付いていますよね。真核生物のmRNAの特徴を話すときには、それじゃ、RNAの中で1%くらいしかないmRNAを集めるためにはどうした良いか、と質問して、先ず学生に考えさせた上で答を話しているのです。
DNAあるいはRNA配列の相補性が分子生物学の原理のすべてなのだというのがぼくの口癖ですが、学生が何時も直ぐに考えられるように、こうやって刺激をしているのですよ。
ところがこの設問に答えられたのは62人中、たったの7人。5点満点で平均点は1.7点。
ほかの問題すべてを含めて、平均点は48点。ぼくは採点途中から、すっかり気力を失ってしまいました。
それで相棒の王老師に、もう来期は講義をしないと宣言したのですよ。学生に理解させられない教師は失格です。学力が落ちてきたと感じられたのでこの二三年ずいぶん工夫を凝らしてきたけれど、効果なしですもの。
でも、強く慰留されてみると、いきなり辞められたら困る事情もあるでしょう、100点満点で92点を取った学生もいるんだし、今回出来なかったのは、分からなかった学生のせいにして、来学期は焦点をうんと絞って、そこは噛んで含めるようにゆっくりと話すことにして、続けてみることにしました。
カテゴリ:瀋陽の生活
さえ:
二週間前くらいのニュースで、フランスの大学統一試験のとき、娘のために母親が変装して受験場に現れたけれど、ばれて捕まったというのがありました。十代の娘の格好をしていたとは、何とも滑稽で気の毒な母親です。(資料1)
この中国では大学の替え玉受験が珍しくなく、始終報道されています。ですから、受験時に身分証明書の写真と本人とを厳重に照合しているようですが、それだけでなくこの頃では、合格後の成績も追跡して、受験時と大きな差がないかどうかまで調べるそうです。
中国国内だけのことではなく今では中国人が大挙して英米の大学を受験します。英国では替え玉受験が見つかったそうですし、米国では成績証明書の偽造などに困り抜いているみたいですね。推薦書もまるで信用ならないとも言われています。
大学院は推薦書として、その学生の所属する学部長などの肩書きのある人による推薦を要求するので、本人を知らない学部長や学長が紋切り型の美辞麗句の推薦書を送るからですね。知らない人を推薦しようと思ったら、定型を用意して学生の名前を変えるだけのことになります。まるで無意味な推薦書を要求する方が悪いんじゃないかな。
ぼくが推薦書を書くのは、うちの研究室で修士課程を終える人に対してだけです。卒研生でも半年の付き合いでは責任を持てない、だから推薦書は書かない、というのがぼくの立場です。先方に対して責任が持てませんものね。それだけに推薦書を書くときは本気で、真剣に対峙します。
ところで毎年ぼくたちはこの国でビザの申請をしていますね。今年はぼくがもう高齢者なので健康診断が要求されているとのことで、近くの病院へ行きました。この国の人が外国に行くためのパスポートを申請するときに必要な健康診断を受ける公的病院です。
もちろんぼくだけでは用を足せないので研究室の院生の崔さんが付き添ってくれました。受付で申し込むと、受診科目の書いた紙をくれて会計へ。そこで683元払いました。大金ですね。そのまま計算すると日本円で9千円くらいですが、貨幣価値の感覚で言うと、日本で2-5万円払う感覚です。いや、大金ですよ。
最初の採血の部屋にドアを押し開けて入ると、窓口から並んだ人がドアの開け閉めが邪魔になるくらい、ざっと十人くらいぎっしりと窓口の前に詰まって並んでいました。ぼくの次の人が入ってきたのを機会に、列の途中で折れて並ぼうよと提案して、部屋の開いたスペースに順番を待つ人がゆったりと並べるようになりましたが、採血担当者は一人だけで、あまり手際が良くないのですね。採血の終わる人より並ぶ人の数の方が多いのです。
でも担当の採血者はかなり真面目な顔つきなので、もし逆らって彼女の機嫌を損じたら、血管への針の指し損じなどされかなと緊張した気持ちで順番を待っていました。
ぼくの二人前の人が座ると、彼女が書類を見てからこの男に何か怒鳴るのですよ。するとその男は書類を掴んで素早く立ち去りました。崔さんに尋ねると、書類の写真と本人と違うと指摘された、ということでした。つまり血液検査の替え玉ですね。
おや、おや、どうして?と崔さんに尋ねると、健康診断でもけっこう替え玉があるのだそうです。HIVでも患っている人の代わりなのかな。外国に行くときにばれたらまずいですものね。
その後ますますきつい顔になった採血の女性の前にかしこまって坐って、ぼくは左手でなく右で採血してもらえますかと尋ねました。左手はかぶれてたからです。「没問題」といって彼女は右手に針を刺しましたが、終わって外に出たあと血が肘から垂れ続けて、廊下に座っていた男性から教えられるという珍事が起きました。でも、これは左手を置くようになっていた場所に、ぼくが角度を変えずにそのまま右手を載せたのがいけなかったのでしょう。
それにしても、ぼくが肘から血を垂らしているのを見つけた人は、直ぐに声を出してぼくたちを呼び止めて教えてくれました。こういうところは、中国人は決して見て見ぬ振りをしないのですね。好い人たちが多いところだなあと、中国人が好きになる瞬間です。
(資料1)
「仏バカロレア、52歳母親が高校生娘の身代わり受験」AFP=時事 6月21日(配信
カテゴリ:友だち
さえ:
以前ぼくたちがお世話になっていた研究所の国谷さんが、6月後半の一週間、隣の池島研究室を訪ねてきました。
帝京大学を定年になった林利彦教授が、二年前にこの薬科大学の教授になって来たでしょ。国谷さんは、彼が東大で教えていた頃の卒業生なのだそうです。
林さんは薬科大学に来て、池島研に所属しているのですよ。池島研究室の何人かの学生の研究指導をしているみたいです。
林さんは卒業以来コラーゲン一筋に研究をして来てその筋では著名ですが、さて研究室で学生の研究指導をするとなると、現役の研究者を必要としたのでしょうね。
国谷さんは、林さんのところで大学院を終えたのかと思っていましたら、卒業研究をしただけなのだそうです。それでも、林さんにその研究所への就職の世話をしてもらったという弱みがあるためか、「一寸来て助けてよ」といわれて「はいはい」と従っているみたいです。羨ましい師弟ですね。
昨年から数えて半年ごとに瀋陽に来て、これで三度目の瀋陽訪問と思います。
元々、国谷さんとぼくたちは仲がよかったですよね。ぼくたちが中国に来てからも、日本に戻ったときに何度も東京都心で会って食事を一緒にしていますよね。ですから、彼女が瀋陽に来るなら一緒に会う時間が欲しいと林さんに今までも言ったのですが、今まではずっと無視、まったく無視、されていました。
ここに来れば実験指導で忙しいのかも知れないと思っていましたけれど、ただの顔見知りじゃないのだから、会ってお喋りをしたり食事をしたりする機会を作ってくれても良いのにね、とぼくは大分不満でした。
今回は薬科大学に着いたからと挨拶に部屋に来てくれたとき林さんも一緒だったので、忙しいでしょうがと、また頼んでおきました。
すると、三日目くらいかな、池島先生がぼくのところにやってきて、「国谷さんと知り合いだそうですね、今夜どうぞ一緒に食事に行って下さい」
「池島先生はいらっしゃらないのですか?」
「いえいえ、構わずに出掛けて下さい」と言うことでした。
お目付役の林さんも一緒でしたが、近くの例のぼくのご贔屓の《「の」の連続》唐萱閣に行ってご馳走しました。
昔の知人に会って共通の話題というと、どうしても昔話になりがちですね。
でも、さえも知っての通り、あの人が今どうとかこうとかの噂話よりも、ぼくは今ここにいる人と、研究の話(だって、同じ生命科学の研究者だもの)、いまの世界の話、中国の未来の話を語り合うのが好きです。
しかも、ぼくは国谷さんと二人で会いたかったのに邪魔されている。。。
うーん。そうだ、この夏日本に行ったら、二人きりのデートに誘いましょう。林さんに、ぼくたち二人が仲が良いなんて言う必要ないしね。
おさえちゃんも、ぼくが国谷さんと会うのならにっこりして喜んでくれるでしょう。
カテゴリ:日本語について
さえ:
先日「日本語の乱れが気になる」というブログを書きましたが、実は長い間ずっと、読めない字句があるのですよ。
最近、岐阜県在住のお年寄りから「NHKで放送されている言葉にカタカナ語が多すぎて、これはそれを分からない人々を疎外している」という訴えがあったそうです。
言ってみればこれと同じようなもので、ぼくには理解できない言葉が、日本語に出てきたってことなのです。誰に訴え出ればいいのでしょうね。
『中国政府は中国企業の海外技術の吸収と技術革新の促進を目的に、外国企業が中国市場に進出する際には技術譲渡や中国での研究所設立などを求めているが、専門家は逆効果ではないかと分析している。外国企業は最先端の研究業務をすぐに中国に移行することはなく、中国の思惑とは真逆の結果となっている』
(資料1)
『21世紀の中国は、世界中がその一挙手一投足に注目する超大国だ。本来であれば、中国人は世界のどこに行っても大事にされるはずなのだが、残念ながら、各国でその真逆の反応が起きている。アフリカでは米国人に手を出すと厄介だが、中国人の1人や2人、殺しても平気だと思われているらしい』(資料2)
昔から「まさか」と言う言葉があって、漢字で書くと、この「真逆」になりますが、滅多に漢字では書きません。「え、ホント?」「信じがたいけれど」「いくらなんでも」という意味で使われてきました。
上に挙げた文章では「まさか」と読んでも、どうもしっくり来ません。まさか、「まさか」のはずがない、どう言うことだろう、と思っていました。どれもRecord Chinaで見た文章ですが、2012年後半からは、この使用頻度は一挙に増えて、さまざまなニュース、記事、ブログでも見かけるようになりました。
意味から言うと、正反対の意で、真に逆と言うことらしい、「まさか」と読むのか、「まぎゃく」と読むのか、「しんぎゃく」と読むのか、それにしても妙な言葉だなあ。
思いついてネットで「真逆」と入れて調べてみました。Yahoo 知恵袋の2008年の投稿に、『「真逆(まぎゃく)」って使いますか? 真逆(まぎゃく)という言葉をよく聞きますが、私には抵抗があります』と言うのがありました。
さらに、『「まぎゃく」は2004年新語・流行語大賞で60語にノミネートされ、2002年には新聞記事にも登場。ネット辞書には「新語」として「真逆(まぎゃく):正反対」と出ているほか、新語辞典にも掲載されている』ということです。
つまり、そのくらい市民権を得ている言葉なのですね。テレビと無縁の生活なので、気付くのが遅かったのでしょう。
日本語の乱れという視点からは気になりますけれど、言葉は生き物というくらいで、新しい意味を新しい言葉に込めて使うようになるのですね。誤用ですら新鮮な感じがするとそれが流行って定着するわけです。そしてそれを初めから聞いた人にとってはそれがごく当たり前になってしまうのですね。
思うに、日本語は使われている地域が狭いし、使う人口も1億人少々です。新鮮な響きを持つ言葉が使われると、たちまち津々浦々まで行き渡るのに時間が掛かりません。おまけに、日本人はおしなべて白痴文化のテレビ大好き人間ですものね。
英語は使う人口が圧倒的に多く世界規模で使われている言語なので、ローカルには新語が始終生み出され、映画で使われれば世界的に広まりますね。でも、英語全体の危機となるほどには乱れてはいないのではないかな。
論文では、回りくどいと言い方はだんだん好まれなくなりましたし(つまり一寸頭をひねる文章では、理解できる人が減ったと言うことでしょう)、記述も受け身よりも能動文が主体になってきています。つまり少しずつですが、時代とともに変わってきています。それでも新しい字句が使われるようになるのには相当時間が掛かるでしょうね。
ぼくも新語を造ってみたいなあ。
昔、うちの長女が小学校の時、「ちくしょう」という言葉を覚えて連発するので、うちではそれを禁止し、その代わりに「ふんぎゃあ」と言うように教えましたね。彼女は大まじめに、これに従って、「ふんぎゃあ、ふんぎゃあ」と言っているうちに馬鹿らしくなり、ついにどちらも言わなくなりましたっけ。あの頃、彼女は可愛かったなあ。
こんな具合に、何か作って密かに流行らせたら、楽しいでしょうね。
(資料1)
Record China 2011年9月7日(水)8時1分配信
中国の技術革新政策は逆効果、インド見習え=海外技術吸収を優先し過ぎ―米紙
(資料2)
<レコチャ広場>中国人よ、ばかにされるくらいなら日本人や韓国人のふりをしよう―中国
Record China 2012年6月28日(木)20時29分配信
カテゴリ:健康問題
さえ:
「年寄りの冷や水」って言葉がありますね。老人が自分の年齢も顧みずに、向こう見ずなことをしようとするときに、言います。『そりゃ「年寄りの冷や水」だね』とか『「年寄りの冷や水」にならないように』って。
つまり、老人が若いつもりで(あるいは若いことを自慢したくて)冷や水を身体に被って、心臓麻痺を起こすとか言う状況が原義なのでしょう。
実は3年前からぼくは腰を鍛えるために自己流のストレッチングをしているのですよ。さえが入院したって言う知らせでぼくは日本の病院に駆けつけ、毎日さえのベッドの横の丸椅子に座っていたでしょ。あれで腰を痛めてしまって、マッサージのお世話になったのですが、それ以来自分の腰を強化することにつとめたのですよ。
その一つが自己流の、言ってみれば真向法もどきもその一つです。正座して姿勢良く数分座り続けて、それから身体を前に倒して頭を床に付けて力を抜く、次は、正座したまま真後ろに身体を倒して力を抜く、です。
二週間くらい前に、友人の石川に自分のやっていることを伝えるために、調べて、本当の真向法をネットで見つけて、ぼくのそれがそれとは違うものであることを知りました。
本物の真向法では、正座でなく楽座というか、おしりを落とした女子座り(というらしい)が基本なのですね。
それでそれをやってみたら、おしりを落とした女子座りをすることすら、膝と脚が痛んで大変なのです。後ろに倒すのも、大変なことです。脚の筋肉がけいれんします。
ま、そんなわけで時間を掛けて少しずつやっていたはずなのですが、前の晩に少しやり過ぎたのでしょうね。膝がどうしても浮き気味になるのを反対の脚で押さえつけたのがいけなかったのかな。月曜日の朝起きようとしたのですが、腰が痛くて身体がまったく動かせないのですよ。
あ、身体が硬くなっていると思って、仰向けのまま下肢を引きつける姿勢をとろうとしたら、手が届かないのです。痛くって下肢が曲げられないし、痛むので起き上がることも出来ない。これはパニックです。これじゃトイレもいけない。
このまま出掛けられない、仕事にも出掛けられない、部屋も片付けられない、これって、この先、一人で生活が出来ないってことじゃない。
幸い携帯電話をベッドの横に置いていたので、陽暁艶に「腰痛、難立難走」とメイルを打ちました。再びベッドに寝転がったまま、腰は身体の一番大事な要なので、腰という字が出来たという以前聞いたはなしを思い出して、ストレッチをやり過ぎたことを後悔していました。
1時間以上ベッドの上で悶々と、というか文字通り少しずつ身体を動かしていたのですが、やっと起きてバスルームに行きシャワー浴びて、出掛けることにして杖を探していると、陽暁艶から電話が掛かってきました。「どうなの?病院に行きましょう、じゃなければ、マッサージの手配をしてそこに行って貰うから」と言うことでしたが、今、大学の西門めがけて出掛けるから、出来たら迎えに来て欲しいと頼みました。
何しろ一人きりの生活になって以来、食事はうちでしないで研究室と決めているので、大学に出掛けないとうちには何一つ食べるものがないのですよ。
陽暁艶、林音知、そして張雪城に迎えられて、支えられながらそろそろと歩いて、階段もそろそろと上って、やっと研究室にたどり着きました。座ってみると、座ったままもつらいし、立ち上がることも痛いし、多分横になっているのが一番なんでしょうね。
月曜日は昼まで研究室にいて、うちに帰り横になりました。寝ているのが一番楽というか、起き上がろうとすると激しく痛みます。
三十代の頃風呂の湯をかき混ぜようとして腰に激痛が走り、三日間横を向いて横たわったままだったのを思い出しました。「魔女の一撃」というやつでしたね。
昨日の火曜日は休みました。陽暁艶と林音知が朝晩来てくれて食事の世話をしてくれただけでなく、うちのあまりの汚さに呆れながら綺麗にしてくれました。さえが最後に瀋陽に来て綺麗にしていってくれてからちょうど三年です。
そして今日。身体を動かす加減で腰に痛みが走りますが、あの激しい痛みは去りました。何だったのでしょうね。椎間板ヘルニアにしてはすごく軽かったし。
二日休んだだけで研究室に戻って来たので、うちの学生は「打不死的小強」(叩かれても死なないゴキブリ野郎)と言ってぼくをからかっていますが、これからは何かするとき、心の中で「年寄り、としより」と唱えることにしましょう。
カテゴリ:日本の将来
さえ:
今度の日曜日、7月21日が第23回参議院議員通常選挙の投票日です。
ぼくはまだ帰国しないので棄権することになり、投票しない以上何も言う資格はありませんが、世間の評判では自民党が圧勝するらしいです。状況からして自民党の圧勝は仕方ないにしても、改憲が可能な3分の2以上になったら大変なことになってしまいます。
2009年の衆議院総選挙では、日本人は自民党に代えて民主党を選びました。
古い体質の自民党はもう沢山、それに代わる新鮮な民主党という期待を込めて選んだのに、彼らは政治にまったく無能力で、国民の期待を大きく裏切りました。
日本の将来の方向に何一つ指針を示せないだけでなく、周囲の国からはつけ込まれ、将来の日本の存在が危ういものと誰の目にも映るようになりました。
のほほんと「平和日本いつまでも」とそれまでは呟いていた普通の人たちが、このままでは日本の存続が危ういという危機感を持つに到ったのは、逆説的には、3年続いた民主党政権のお蔭だったでしょう。これが民主党政権の唯一の、最大の功績だったのではないかと思います。
昨年の2012年の総選挙では、ほかに選択肢もないのが明らかとなって、自民党が政権に返り咲きました。
日本の国を守ろうという主張は当然のこととして支持しますけれど、前にこのブログに書いたように、憲法を変えて、国民主権を弱め、基本的人権を抑制し、言ってみれば日本が大敗した第二次世界大戦前の日本の社会に戻そうというのが自民党の改憲案です。
これをやりやすくするために憲法の改定規定を先ず変えて、後は多数派である自分たちの政権で憲法を都合良く変えようと自民党はもくろんでいます。
戦前の社会を知るものの一人として、今は無条件で保証されている基本的人権を抑制し、政権に都合の良い社会を作ろうという自民党の憲法改定案を飲むことは出来ません。
自民党が絶対多数派になって、自民党案のように憲法を改定してしまったら、このような自由な批判が罪になってしまうのですよ。
今ではぼくも護憲派の「うとましいほどの無邪気さ」に辟易していて、ぼくは自衛権を憲法に明記するのは必須と思っています。でも、自民党を支持したら恐ろしい社会の再現です。
自民党が憲法を変える積もりだと訴えているのに対し、護憲派を名乗るのは共産党などの少数派だけになりました。自民党が考えている改憲案に反対する政治家が少ないのが実に心配です。
いっそうのこと、ぼくたちが政治家になれればよいのに。
いや、実際政治家になるためのハードルが低かったら、是非やってみたいですね。
老人がすべて退場して、若者が日本の舵取りをするようになれば日本は良くなるという説もありますけれど、地位にも、名誉にも、金にも何の執着もなく、ただ日本のために役立ちたいと思う気持ちを昇華させて、それをまとめることが出来れば、日本も少しはましになるのではないかなあ。
カテゴリ:日本語について
さえ:
昨日の参議院選挙では自民党が圧勝して、いわゆる両院のねじれ現象がなくなったと言うことです。自民党の独裁政権が誕生したわけで、戦前の暗い翼賛政治の社会を思い出します。
元気が出ないので、馬鹿話を一つ。
瀋陽のアパートのバスルームの一画はカーテンで仕切られていて、そこでシャワーが浴びられるようになっているでしょ。瀋陽の湿度は低いですけれど、何時も湿っているので黒カビが生えて白いタイルが黒ずんできます。
さえは時々薬を擦りこんでカビを落としていましたね。ぼくは、カビが生えるのも当たり前くらいに思って協力しませんでしたが、さすがに一人で暮らすようになると、ぼくがやらない限りうちは決して片付かないし、綺麗にならないわけです。
先週腰を痛めるまでは、時々タイルの継ぎ目に薬をすり込んでブラシで擦っていました。今は夏ですから、シャワーを浴びた後身体を拭いて、そのまま裸で作業をするのに好適です。そうやって壁をブラシで擦ると、そのとき、ぼくの身体の小さな一部も激しく踊るのですね。
それでフリチンという、子供の頃なじんだ言葉を懐かしく思い出しました。昔こんな言葉があったなあ。と、同時に、フルチンという言葉も頭に浮かんできました。
「振りチン」と「振るチン」と、どっちが正しいんだろう。ま、しかし、こういうことには、正しいと言うことはないでしょう。でも、どっちを多く使っているんだろう、語源は?という興味です。
例によってこういう時はググるに限るというわけで、ネットで検索しました。『フルチンとフリチン、どっちが正しいの?』によると、書いている人は自分の周りは圧倒的にフルチンという言葉が多かった。「振る」というイメージから、という解釈です。(資料1)
しかし、すっぽんぽんだとナニがフリーなので、そのフリーから「フリチン」と呼ばれているのも納得できると書いてありました。
源氏鶏太の三等重役の中(1951-52年サンデー毎日連載)に『奈良さんも自分のフリチンに気がついて』という文章があるそうです。フリチンと言っていたというぼくの昔の記憶と一致していますね。
フリチンもフルチンも江戸時代には使われていた形跡があって歴史のある言葉だそうです。最近、フルボッコという言葉を見るでしょ。
まったく新しい言葉ですけれど、使われている内容を見ると、「フルにボッコボコにされる」という意味であることが自然に分かります。
ネットによると『「フルボッコ」とは全力で相手の事を殴る、罵倒する、一方的に完膚なきまでに打ちのめす行為や感情を指す行為を意味する。「フル」は「フルパワー」、「ボッコ」は「ボコボコ」を強めた表現の「ボッコボコ」から来ており、フルパワーでボッコボコにする」を略した言葉となっている』
この使い方からすると、ナニを丸出しにして、つまりフルに出しているからフルチンでも良いですよね。「振る」は「フル」でもよいという、古い言葉の新しい解釈ですね。こうなるとこちらの方が優勢に今では使われるというのも理解できます。言葉は新しい語感が好まれますもの。
前回「真逆」というどう読んで良いか分からない字句に遭遇した話を書きましたが、幸いカタカナのためもあり、「フルボッコ」は直ちに意味が分かります。旨い表現ですよね。その時、ぼくも新しい言葉を作りたいなんて書きましたよね。
トップレスをフルパイと言うとか、フルコースの何をフルッチとか、どうです?
「トップレスで良いじゃん、定着しているもの。おまけに、まるで品がない?」「大体、全部せっくすがらみじゃないか」って?
つまり、「おまえの低俗な頭の中身を丸出ししているんじゃない?」だって?
この丸出しってことは、フルチン?
いや、どうも、実は粗チンで。。。お粗末さま。。。
(資料1)http://www.excite.co.jp/News/bit/00091205079206.html
『フルチンとフリチン、どっちが正しいの?』Excite Bit コネタ 2008年3月10日
カテゴリ:中国の将来
さえ:
「ビザの更新のために北陵の公安局に出掛けます」と、国際交流処の徐寧さんから連絡があったのは7月はじめでした。指定の日の8時半に交流処に行くと、ほかに林さん、日本語の春日さんも一緒でした。交流処の車を出して貰って、青年大街を北上しました。
青年大街を車で通るのは一年振りになりますが、市政府広場に着くまでの道に沿った両側の建物が強制取り壊しになって、長い間工事中だったところもかなり建物が建ってきました。と言うか、偉容を示しはじめています。つまり、この青年大街がこの瀋陽の中心の目抜き通りになることが、明確に認識できます。
初めて瀋陽を訪ねた2000年には、この街には信号のある交差点が三カ所しかないと聞いた覚えがありますが、今や広い道はどこも車の洪水。以前は車で20分で着いた公安局に55分掛かって到着でした。
瀋陽市の人口は周辺地区も含めて700万人ですが、日本から来るぼくたちの友人は瀋陽にくると一様にびっくりしますね、瀋陽って、こんな大都会なの? 思いもしなかったって。東京都心など比べようもないくらい、道は広いし、高層の建物の林立です。
その瀋陽は、現在さらに瀋陽市から50Km以内のところの7都市を含めた地域を大都市圏として開発中です。
つまり、瀋陽市と周囲の7つの衛星都市(鉄嶺、撫順、本渓、遼陽、鞍山、営口、阜新)との間に連結帯新都市9ヶ所(10万人~20万人)、連結帯新市鎮8ヶ所(5万人~10万人)を建設し、瀋陽から各衛星都市へとつながる7本の数珠状の産業ベルトを形成し、瀋陽市を中心とした大都市化が進行中です。
これは、東北振興政策のひとつの「遼寧省沿海経済ベルト開発計画」、とくに瀋陽経済区計画の一部で、石油化学、機械、冶金、電子の4大基幹産業に加えて、2大基地(プラント製造業基地と原材料基地)、3大産業(ハイテク、農産物加工、現代サービス業)」を建設目標としているという話です。
この十年の間に瀋陽には次々とビルが建ち、特に高層のマンションがあちこちに立ち並んでいます。
青年大街沿いのマンションでは、一平方メートル当たり2万5千元くらいだそうです。100平方メートルのマンションだと250万元。日本円にすると4,000万円ですから、ほとんど日本並みですね。
それでも、一人当たりのGDPが日本の約10分の一、給料もざっと10分の一ですから、一般の人には住宅を買うのは至難の業です。
そうは言っても次々に建つマンションは売れに売れているのですから、大金持ちが結構な数いるというわけです。誰がどうやって儲けているのか知らないけれど、そういう具合に活気に満ちている国です。
でも、ジニ係数が日本は0.329であるのに対して、2010年の中国の世帯のジニ係数は0.61となって、世界平均の0.44を大きく越えているそうです。
ジニ係数は、社会における所得分配の不平等さを測る指標ですよね。『最終ジニ係数が0.6という異常値は、10人の標本で9人が100万の所得のケースでなら最後の一人に1600万の所得が集中していて』、所得格差が(貧富の差が)非常に大きい社会と言うことですね。(資料1)
貧しい人たちをつくらない共産主義の国として出発したはずなのに、どうしてこういうことになっているのでしょうか。
東北三省地の振興政策は立派なものですけれど、この国のエネルギー効率は日本に比べてかなり低いという話ですから、石炭の煤煙による大気汚染がこれからも進むでしょうし、水の汚染もかなり重度に進んでいます。
瀋陽の衛星都市が計画通りに完成し、高層ビルの林立する美しい街が出来ても、人々が幸せを実感して生きていけるようになるには、国造りとしてまだまだやることが山積みではないかと思います。
(資料1)「中国のジニ係数がとんでもない異常値な件」Blogos:木走正水 2012年12月11日
カテゴリ:瀋陽の生活
さえ:
中国に来たときに開いた銀行の口座の暗証番号が違っていると言われたのが、確か去年のこと。
それまで使っていた番号がどうして駄目になったのか分かりませんけれど(今でも腑に落ちません)、ともかく暗証番号を新しくしたいという手続きをはじめました。
銀行に行ってパスポートを見せたところ、この銀行口座は以前のパスポートで開いたものだからその時のパスポートを持っていなければ駄目だ、ということです。
でもね、古いパスポートが必要って言われてもね、普通は持っていないでしょ。
2008年にパスポートの期限が来て瀋陽の領事館で更新手続きをして新しいパスポートを受領しましたが、無効になったパスポートは国に渡すか、あるいは記念として「無効であることが明らかな状態にして」本人が貰っても良いことになっていますね。
それで記念品として前のポスポートを貰いましたが、たまたまこちらは出先で手続きをしていたので、瀋陽で前のパスポートも持っていたわけです。横浜で更新していたら、今、持っているわけはないですよ。
これって、たまたま、幸運にも(二重の幸運で)、要求された以前のパスポートを持っていたわけです。もし持っていなかったらどうなんだろうと思いますが、話がややこしくなるからその議論はしませんでした。
ともかく新旧二つのパスポートを持って行ってパスワードの変更を願い出て、じゃ、パスワードを変えても良いという許可を貰いました。
しかし、直ぐに変えられないのです。1週間先なのですね。でもそんなに都合良く銀行に出掛けられないし、出掛けたときは先方が(急に)休みだったり、今日は忙しいからその手続きは出来ないと言って断られたり、延びに延びた手続きがやっと昨日できました。
まず、あれこれ書類にサインをしてから、通帳のパスワードを変更しました。次いで窓口孃の要求するままに書類にサインをし続けて、キャッシュカードのパスワードを変更しました。つまり、それぞれが独立しているみたいです。
やっと出来た、と思ったら、窓口嬢が言うには、この口座だと新旧両方のパスポートが必要だから、新しい口座にしないかというのです。ぼくは、飲み込むのに一瞬時間が必要で、次には「認証のたびに、古い無効なパスポートが必要というシステムの方が悪い、新しいパスポートに変わったのだから銀行の記録の方に新しいパスポートだけで認証すると銘記(明記かな)すりゃいいじゃないか、そんなこと何処の国だって当たりまえでしょ。と英語でわめいていました。
この窓口嬢はとても見上げた人で、ぼくがわめいてもちっとも逆上しないで、笑顔を絶やさずにぼくに話ををするのですよ。もちろん、何時ものように、暁艶がぼくと一緒で助けてくれていますけれど。
その少し前には(だって、それまでに1時間も掛かっているのですよ)、ぼくはあまりの手続きの煩わしさに、もうパスワードの更新が出来ないなら、このまま口座を解約する、現金にして全部持って帰る、と口走っていたのですよ。でも、当然のこと、パスワードが更新できない限り、ぼくがこの口座を解約できる本人かどうか保証がないわけですから、手続きは進めなくてはいけないわけですね。
ともかく、今の口座と縁が切れれば、お互いこの苦労を繰り返さなくて良いのは明らかですから、新し口座を開いてそれに全額を移す手続きをしました。
すると、通帳がいるのか、キャッシュカードがいるのかと聞かれたのです。ぼくは、両方使うのが当たりまでだと思っていますから、理解できずに「両方いるに決まっているでしょ」と叫ぶところでした。
落ち着いて話を良く聞くと、今では(2010年からは)、口座を持ってもカードを持たずに通帳だけを持ってそのたびに銀行に来るか、あるいはカードだけにして通帳は持たないかの二つに一つなのだそうです。へーーえ。そうなんだ。知らなかった。
というわけで、やっと手続きが完了し、新しい口座からお金をおろして、これで出入りの業者に何万元という借りが払えることになりました。
窓口に1時間40分立っていたことになります。ところ変われば品変わる、をこうやって10年経っても味わっているところです。やれやれです。暁艶も、そして窓口嬢も、おつかれさま。
カテゴリ:薬科大学
さえ:
瀋陽日報という新聞に、載っていた記事が目を惹きました。(資料1)
沈阳日报
本报讯(记者封葑)6月26日,来自沈阳药科大学的消息,截至2013年5月1日ESI数据库公布的最新数据显示,沈阳药科大学入选ESI全球前1%的药理学与毒理学、化学、植物学与动物学三个学科排名明显提升。其中,药理学与毒理学进入世界前100名。
据介绍,沈阳药科大学入选ESI全球前1%的学科数在东三省的医药类院校中排名第一。其中,药理学与毒理学进入了世界前100名,排名第81位(北京大学排第61位),位列ESI全球前0.16%,相比去年前移了76位;化学排名第753位,位列ESI全球前0.7%,相比去年前移了79位;植物学与动物学排名第924位,位列ESI全球前0.89%,相比去年前移了56位。
ESI为美国汤森路透科技与医疗集团的“基础科学指标”英文缩写,是当今普遍用以评价大学和科研机构国际学术水平及影响的重要指标。
SCI (Science Citation Index)という科学論文の評価システムを出しているのがThomson-Reuterという通信社ですね。出版した科学論文がその後何度引用されるかという数値を論文の評価に据えていて、これが今や研究者の評価の大きな基準です。SCIが、今や研究者のいのちを握っているとまで言えそうです。
このSCIの方式に基づけば、その論文の相対的評価だけでなく、ジャーナルの評価、個人研究者の評価、その研究者の属している研究部門の評価、その大学の評価が可能です。
この記事は『Thomson-Reuterによると』
『2013年5月1日のESIに基づくと、薬理学および毒物学、化学、植物学および動物学の三部門において瀋陽薬科大学はその世界の評価で1%以内に入った。その中で薬理学および毒物学は世界の100位以内に入っている』
『世界の1%に入っている学科は中国の東北三省の中で第一位である。薬理学および毒物学は世界で81位であり(全世界の0.16%で、ちなみに北京大学は61位)、化学は世界の753位で(全世界の0.7%)、植物学および動物学は全世界の924位で0.89%内に入っている』
これは大きな驚きです。
中国は大学の序列を発表するのが大好きで、毎年「全国著名100大学」みたいな発表があります。この薬科大学はもちろん入ることはありません。
この評価は、大学の規模の大きさが反映する仕組みになっていて、学生数が多くないと点が上がらない仕組みです。教授の数の多さが大事であり、教授のかき集めている研究費の総額も大事ですけれど、教授数で割った一人当たり獲得研究費という計算は何処にも出てきません。
論文もSCIで評価されますが、この総数だけが問題になっていて、一人当たりのSCIで比べたら何処の大学が多いか、などという評価は見たことがありません。
というわけで人数の少ないこの薬科大学は、中国の統計ではお呼びではないわけですが、部門で見ると、薬理学と毒物学は(恐らく発表論文数とそのSCIで見ると)世界の1%に入るというわけですね。
これは素直に喜びましょう。
上記の発表のつづきを見ると、瀋陽薬科大学の最近十年間の発表論文の総引用回数は、世界の上位1%以内の5099校の研究機関の中に入り、順位で言うと第1549位なのだそうです。先ほどの数値で概算すると、対象は約10万校ですから上位1.5%に入りますね。
でも、薬理学および毒物学は瀋陽薬科大学の専門中の専門ですから、世界で81位くらいには入って貰わないと困りますよね。北京大学に負けているようでは情けない話です。
中国の東北地方には薬科大学はこの本校しかないわけですから、第1位になるのも当たり前で、そんなことを喜んじゃいけませんよね。
研究者一人当たりのSCIは年次を重ねれば増えますし、研究機関がその教員の質を誇るならSCIの総数で比べるのも良いですが、それぞれの教員単位でProductivity(生産性)も比べたいですね。
そのためにはThomson-Reuterの発表しているデータを縦横に計算して使いこなさないといけません。それをやりたいと思って、Thomson-ReuterのESIに登録しました。登録番号を送ってくるのですが、そこから先に進めません。
今は持ち時間が限られていますから、いずれ引退して時間が出来たら楽しんでみましょうね。
(資料1)http://roll.sohu.com/20130627/n379984019.shtml;
http://www.syphu.edu.cn/news/View.aspx?id=31f2d3f6a07efb31ec07cb807e6a88
カテゴリ:中国の将来
さえ:
サーチナで『第三次移民ラッシュ勃発で21世紀は中華世紀の到来か?』という記事がありました。水野隆張という人が書いています。(資料1)
『1949年中華人民共和国建国以来、移民ラッシュは二回あった』そうです。
第一次は『1980年初頭の海外留学による移民ラッシュで、二回目は1990年代に始まった技術者の移民ラッシュ』とされていて、今回の記事では『中産階級の優秀な企業家達までも、祖国を捨てて国外に移住している』ことを報じています。
不法に財産を蓄えた政府高官が家族を海外にやって財産も海外に移し、自分一人いつでも逃げられるようにしている状態を「裸官」というそうですが(資料2)、今や『中国人富裕層は「違法に蓄えた私有財産が国から没収されるのでは」と心配し、個人資産保護制度が整った国家に自己資産を移す傾向が高く、「より高い生活水準」「より多くの子供」「より低い税率」を求めて移住を検討している』とのことです。
中国では、官職で違法に蓄財をするだけではなく、官と組んで(土地の払い下げなど)大儲けする人たちがいるようですが、このままの社会が続くはずがないと見限ってこの国から逃げ出すのかも知れません。
もしも、以前の文化大革命みたいなことが起きたら、今まで蓄財している人たちのほとんどは不正な方法で財をなした人たちしょうし、たちまち十黒のなかの最高悪になって袋だたきにあるのが分かるからでしょう。70年前の日本軍の悪事をあれだけ執拗に記憶しているのですから、40年間に吹き荒れた文化大革命(誰も口にしたがらない出来事ですけれど)は記憶に鮮明に刻まれているはずです。
この記事は、さらに『中国からの移住者の大半はアメリカを移住先に選んでいる』続いて、『21世紀は中華世紀の到来か?』で結んでいます。
『台湾がこの頃では中国大陸との交流を認めているので、中国と台湾との経済交流が活発化し、香港と台湾と広州を中心とする華南地方沿岸部の発展は著しく、この3つの地域を中心とした大経済圏に発展している。今後も中国からの潜在的な海外移民希望者は後を絶たないといわれており、21世紀は中華世紀の到来といえるかもしれない』
この最後のところは、ちょっと焦点のはっきりしない感じですね。いろいろなことを端折ってしまったのでしょうが、中国人がこの勢いで国を捨てて他の国に行くと、アメリカが内から中国化される可能性が数字の上ではありますね。
同じように、オーストリアやカナダだって中国化されてしまうでしょう。それこそ、『21世紀は中華世紀』で、世界帝国が労せずして出来てしまうかも知れませんね。
実際「普通の」階級の若者でも、出来るだけ早い機会に中国から出て行きたいと考えているひとの数は明らかに増えていると思います。
(資料1)『第三次移民ラッシュ勃発で21世紀は中華世紀の到来か?』サーチナ 2013年07月24日
(資料2)『中国政府の悩みの種は「裸官」官僚=汚職で海外に資産と家族、残るのは裸一貫の本人だけ』Record China 2012年6月13日
「蛇足」
この記事の中で言葉の誤用がありました。『中国は今や世界最大の移民排出国に』という中見出しです。「排出」は不要、あるいは有害なものを捨てると言う意味ですから、恐らく「輩出」と書きたかったのでしょう。でも、「輩出」は優れた人物が沢山出ることを意味しますから、それは完全に間違いですね。『中国は今や世界最大の移民「続出」(あるいは供給)国に』くらいが適当なところでしょう。
従軍慰安婦というありもしない話をでっち上げて日本人を貶め、しかも誤報を訂正もしていないと言うことでぼくは朝日新聞に決別しましたが、実はずっと長く朝日新聞派でしたね。
数十年前に、名古屋にしばらく住んでいる頃、「名古屋におりゃさあするきゃあ、中日新聞読んでちょう」という新聞屋さんの勧誘に負けて中日新聞を購読したことがありましたが、一日分の記事に目を通している間に四つ五つの誤字誤用がありましたね。毎日新聞でも似たようなものでした。朝日新聞で間違いを見つけたのは今まで何十年の間にただの数回しかありません。その意味では、朝日新聞には未だに感服しています。
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さえ:
日本の学校では4月が入学の季節で、3月が別れの季節ですが、ここでは9月が入学時期で6月末が別離の季節です。
大学は毎年新しい人を迎えて新鮮なサイクルが毎年繰り返されるという良さがありますが、6月にそれまで一緒だった仲間を送り出し別れを告げるというシステムと必ず組み合わさっています。
卒業生を送り出すと、もう会えないかも知れないという感傷よりは、彼らの切り開いていく新しい人生を楽しむんだよと激励する気持ちが強いので、悲しくなることはほとんどありません。
卒業生は、何しろ日本の26倍も広い国の中に散らばるのですもの、親しかった仲間とはもう会えないかも知れないと思うし、自分の青春を過ごした4年間に別れを告げる感傷的な気分と相まって、涙滂沱として頬を伝う人も見かけます。
これは一般的な現象と思っていたのですけれど、この二三年うちの研究室の卒業生がぼくに対しても涙をにじませて別れを告げるようになりました。
学生の気質が変わってきたのかなあと思っていましたが、先日、はたと気付いたのですよ。彼らはここで別れると、生きているぼくにはもう二度と会えないと思って泣いているのだろうと。
二十年以上前のことになりますが学会で外国に出張して戻ってきて、旅行の話を持って一緒にさえの実家を訪ねました。その前に義父は水虫がひどくなって足の癌になり、それが肺に転移していてもう寿命が長くないとさえから聞いていましたよね。
義父は医者をやりながら戦中戦後の厳しい時代に一男三女を育て、人が大好き、酒が大好き、しかも人と一緒に飲むのが大好きで、飲むほどに歌も始まり、家族が揃うと何時も大合唱になる楽しい家族の中心でしたね。学生時代に父を失ったぼくは、彼の上に父の像を重ねていました。
その時もシャルル・ド・ゴール国際空港で買ってきたブランディを一緒に飲み、酔ってくるほどにこの素敵な人を失うのかという思いに胸が迫っていつの間にかぼろぼろ涙を流しながら義父と向かい合っていました。隣にいたさえから後になって激しく叱責されましたが、取り乱してはいけないという自制の気持ちが酒で取り払われてしまったのでしょうね。
大事な人を愛しむ気持ちは誰でも持っているものですけれど、「生者必滅、会者定離」がこの世の唯一の真理ですね。
さえと愛し合って、結婚して生活を共にしようと思ったときには、二人のどちらかが必ず先に死ぬなんてことは考えもしなかった。二人一緒の生活をはじめて、たまたまさえが先に逝って、残されたぼくは悲しみに暮れています。
ただし、やもめになった男の平均余命は二年ですが、夫を失った女の平均余命は20年で、しかも夫が生きている女より平均余命が長いそうです。ぼくのママだってぼくの父に死なれてから60年生きたのですものね。一人残されて悲しみに暮れるのは、残ったのが男の場合みたいです。
結婚すると誰でも哲学者になると言いますが、人生を生きることは哲学者になるといってもいいかなあ。哲学者の定義にもよりますが、人生を生きると言うことは智慧をためていくことでもありますね。
その一つが「一期一会」でしょう。これは禅の言葉から発しているそうですけれど、今のこの国では通じません。説明しても、それならその刹那を楽しんで生きていこうよというように受け取られるみたいです。幸い、暁艶は「一瞬一瞬を二度と巡ってこないものと思い、大事にして生きていこう」と分かってくれて、この言葉が気に入っています。
ぼくは今の人生を、一期一会と思って生きています。一瞬一瞬の時を、会う人を、自分の気持ちを、大事にして生きていきましょう。
カテゴリ:薬科大学
さえ:
二週間前から夕方になると隣の研究室の学生さん達に誘われて、バレーボールの輪に入れて貰ったり、体育館でのバドミントンの試合に入ったりしているんですよ。
バドミントンは中学を出て高校に入るまでの二週間くらいの短い時期に、同じ卒業生仲間と熱中したことがありますけれど、それ以来ですから、数えるのに延々と時間が掛かるくらい久しぶりです。バレーボールに触るのだって30年振りですよね。
それで一昨日は夜の9時過ぎになって流れる汗を拭きながら部屋に戻ってくると、教授室のドアが開いているのですよ。もちろんまだ実験室にはうちの学生がいるので、誰かが来ているのでしょう。
部屋に入ると、沢山の人が群がって隅にある監視カメラのモニターを覗いているので「あ、事件があったな」と思いました。その中に隣の研究室の顔見知りの女子学生がいて、その彼女が言うには、女子トイレに男がいたので、今カメラの映像で探しているというのですよ。
うちの学生二人が記録を見る助けをしていて、ほかに、大学の武装警察、建物の夜間守衛などがいます。
ぼくがまだ汗の引くのを待っているうちに、その男の映像の映っている箇所を見つけたみたいでしたが、ちょうど廊下のそこのところの天井灯が4つとも故障していたために暗すぎて、姿形は分かっても顔まで分からなかったみたいでした。
うちの研究室には女子学生が多いので、ぼくたちは何時もとても心配していましたよね。2011年には防犯カメラを付けるよう大学に要望しても、何の音沙汰もなく半年過ぎたので、夏になって教授室のドアと二つの実験室のドアが見張れるところに防犯カメラをぼくの私費で設置しました。
その時、近隣の研究室にもあと二つカメラが付けられるますからどうですかと誘ったのですけれど、参加者はその時はいなかったのです。
でも、1年もしないうちに別のフロアで盗難騒ぎがあって、隣の二つの研究室が自分たちでカメラをそれぞれ一つずつ負担して、このフロアの南半分が不完全ながらも監視カメラの対象区域になりました。
上のフロアに泥棒が入ったからとか言うことでこのフロアのカメラの記録が二度くらい役だったことがありますから、今や監視カメラは必須のアイテムではないかと思います。
数日前にはうちの学生から、この建物の6階で男が前をはだけて見せていたという話を聞きましたが、その男のことを通報したのか、その男が捕まったのかは話が判然とせず、つまりは学生が話している噂話のレベルでした。
この大学の中でも噂に聞くだけですけれど、いままでも性犯罪は時々起こっていますが、大学がどのように対処しているのか、実は全くわかりません。それに関して監視カメラの設置を要望しても無視されたままですし、大学は危険を防ぐためには何かしているようにも見えません。
大学の本部の建物に行くと廊下のあちこちに監視カメラがありますから、大学の財産を守るためには真剣でも、学生の安全を守るためには費用を惜しんでいるように思えます。
気になって、中国の大学で性犯罪がどのくらい起きているか、ネットで検索してみましたが、なにも引っかからないのですね。こういうことは禁句になっているのでしょうか。
性犯罪を本質的に撲滅することは難しいでしょうけれど、大学の中の性犯罪のほとんどは、建物の出入り口にそこを通り抜ける人の顔と姿が完全に分かる高解像度のカメラを付けてそれを記録し、監視カメラが活動中であることを建物の中に来る人々に徹底して知らせるだけで、ほぼ根絶出来ることだと思います。
今度改めて、大学の上層部の人たちに「犯罪防止のための監視カメラの設置と大学内の安全をはかるための方針」を考えるよう申し出てみましょう。
カテゴリ:生命科学
さえ:
7月にBLOGOSで読んだ記事の中に、江上不二夫先生の言葉が出てきました。東北大学の大隅典子さんが、日本では基礎研究がないがしろにされるようになったことを嘆いている文章の中です。(資料1)
『このタイミングでちょうどご献本頂いたのが「科学者の卵たちに贈る言葉 江上不二夫が伝えたかったこと」(笠井献一著、岩波科学ライブラリー)です(資料2)。時代が違うといえば、確かにそうなのですが(著者が1939年生まれ)、競争が激しくなった今の時代だからこそ、江上先生のピュアな言葉がとても心に響きます』
『誰もがまだ気がついてないところから重要な研究課題を見つけだしなさい。他人に大事だと言ってもらえないと大事だと思えないような自信のなさではいけない。自分の選択に自信をもって、それを育てなさい。(「4 つまらない研究なんてない」より)』
『確実に結果が予想できるような実験なんて、やってもあまり意味がないじゃない。どんな結果になるかわからない実験こそ価値があるのよ。そうして、もしも予想もしなかった結果になったら、そこにはまだ誰も知らない何かが隠れているということなんだ。世界をあっと言わせる大発見になるかもしれないんだから、君は大喜びしなければいけないよ。(「6 実験が失敗したらよろこぶ」より)』
感激ですね、笠井さんが、江上語録の本を書いたのですよ。日本に戻ったときにこの本を探さなくちゃと思っていましたら、中国にいるぼくに笠井さんから本が贈られてきました。
本と一緒に手紙が添えられていました。印刷されている手紙なので、この本を贈るときに多くの友人たちに添えたのでしょう。ここに引用しても差し支えないと思います。
『このたび「江上語録」を書物の形で残したいというかねてからの念願をようやく実現できました。多くの自然科学者に大きな影響を与えた江上不二夫先生の言葉が、時と共に忘れ去れてしまうのは、単に残念だという以上に、人類にとっての損失なので何とかしたいと思っておりました』
『今回の企てに当たって痛感したことは、あれほど偉大だった江上先生でも、今日の日本では忘れられた存在になってしまったこと、企画を持ちかけられた出版社の反応も、概して、ノーベル賞もとっていない科学者の本など出しても商売にならない、という心外な現実でした』
『幸いにして岩波書店で妥協点を見つけてくれて、これから科学者を目指す若者に向けて、ある種のノウハウとして伝えるスタイルをとるということで出版できることになりました』
『もっと広い範囲の人たちに伝えられたらという願望はまだ大きく、書きたいこともまだ沢山残っていますが、とりあえず一歩踏み出せたことをうれしく思っています。これで先生からの借りを1パーセントくらい返せたかなという心境です』
江上先生は、実験室にいるぼくたちのところに毎日午前と午後決まって訪ねてきて「どうですか?どうですか?」と尋ねるのが習慣でした。でも、数時間置きに訊かれたって、大きな変化はないですよね。
それでもぼくたちは何か言わないといけないと思い、もごもごと何かを口にするのですが、江上先生はその片言隻句をつかまえてたちまち江上先生の意見がほとばしり出たものでした。
それはいくつかのパターンに集約される研究における知恵の集積であり、しかも江上先生は同じことを繰り返すことをまったく気にしない先生でしたから、それはぼくたちの心に深く刷り込まれ、江上語録として長くぼくたちの心にとどまりました。
実際、ぼくたちは学生に向かって始終江上語録を述べていますよね。
実験が失敗したという学生には「実験に失敗したからって落ち込んじゃいけないよ。実験っていうのはその時に自分の頭で考えた作業仮説でしょ、それが外れるのは大きな自然から見たら当たり前のことじゃない。実験の失敗は自然がちらりと正体を見せている訳よ。それを見抜こうと思って、頑張らなくっちゃ。落ち込んでいる場合じゃないでしょ」と励ましていますよね。
考えてみるとぼくは科学の進歩に大した貢献はしてこなかったけれど、それでもぼくにしか出来なかったことをちょっとは見つけてきたし、江上先生の教えを振りかざしながら何人もの研究者の卵たちを育てていますね。まあ、1パーセントくらいは江上先生の恩を社会に向かって返せたでしょうか。
確かにノーベル賞を貰った先生ではないですが、江上不二夫先生の言葉を若い人たちに知って欲しいですね。
(資料1)
『トップダウンvsボトムアップ:その1(研究費の場合)』大隅典子 BLOGOS 2013年07月14日
(資料2)
「科学者の卵たちに贈る言葉 江上不二夫が伝えたかったこと」(笠井献一著、岩波科学ライブラリー、岩波書店)定価1200円+税
カテゴリ:日本語について
さえ:
「海外における日本語の普及促進に関する有識者懇談会」(座長・木村孟元東工大学長)という岸田文雄外相の私的懇談会があって、『7月31日午前、東南アジアなどで日本語教師や教材が「絶対的に不足している」とし、体系的な教員養成などを求める政策提言を岸田氏に提出した』そうです。(資料1)
毎日新聞では「体系的な教員養成を」提言、とまとめ、
読売新聞は「ニホンゴ学べる専用サイト開設」、
時事通信は「日本語教育のIT化推進を柱とする」、
NHKは「日本語を学びビジネスなどで成功した外国人を「普及大使」に任命し日本語学習の魅力を学校で講演してもらう」を提言の中心と据えています。
メディアによってかくもまとめがまちまちなのは、見出しに困るほど提言自体の中身が広く薄かったからでしょう。
関係が悪化している中でも中国の日本語学習者の数は2009年の82.7万人から106.4万人と急増し(延びは26%)、インドネシアでは71.6万人から87.2万人にと、ここは22%の延びです。このほかの国で数値が載っている韓国、オーストラリア、台湾、米国、タイ、ベトナム、マレーシア、フィリッピンの10カ国の中で、日本語学ぶ人の数で減ったのは韓国だけ(12.4万人減、マイナス13%)です。(資料2)
今の時代ですから、インターネットに好きなときに向かえば日本語が音になって聞こえるように、IT化推進をすることも大いに大事だと思います。
最近教わったのですけれど、Google Translateを使うと、コピーした日本語をそのまま喋ってくれる機能があります。
何処の国の言語を入れても発音可能ですし、左に日本語で「まんじゅう」と入れると右に「包子」と現れて、「バオズ」と発音してくれるのですよ。
中国語は四声が決まっているので、この方式で間違いのない発音が出てきますが、日本語ですと、字の組み合わせでアクセント位置が変わるので、必ずしも正しい発音ではないことがあります。
ですから日本人の日本語教師も、大いに海外の語学学習に役立って欲しいですね。
中国以外の日本語教師の質は知りませんが、中国は日本とあまり関係が良くないためか、この頃は日本人が教師として来たがらないみたいです。そのためなのか、無資格の日本人が日本語を教えるケースをよく見かけます。
実際、今の瀋陽には日本語を教える日本人教師の集まりがありますが、中国に来るまでは会社員だった人が今は代表になっていますし、副代表をしている三人は、日本で会社員だった人が二人と中国の大学で長年の学生生活を送った人です。
たしかに日本人なら問題なく日本語を話しますけれど、初心者に対する効果的な教え方を勉強していないわけですし、学生が可哀想です。教授法を学んだ人の方が遙かに効果的に教えられるのではないかと思います。教授法を勉強していない日本人は、日本語が使えるようになった外国人の日本語の練習台になるなら良いでしょうね。
それなのに、無資格の日本語教師が増えていて、それでも教師がここで務まるというのは中国の学校の日本語教育が、その程度に扱われているからでもあるでしょう。学生にとってどうかと言うより、その方が安く雇えるという視点が優先しているのでしょう。でも、これは日本語を初めて勉強する学生のためにはなりません。
「海外における日本語の普及促進に関する有識者懇談会」が日本語学習者のためを考えていろいろと提言するのは大変けっこうなことですが、世界で日本語を勉強したい人たちのために、良質な有資格の日本語教師を送り出すことと、各国が良質な日本語教師を雇うように強く主張することも真剣に考えて欲しいことです。
(資料1)「日本語普及促進へ体系的な教員養成を。外相に政策提言」毎日新聞 7月31日
(資料2)マイナビニュース「関係悪化でも日本に関心? 海外の日本語学習者、中国が105万人で初のトップ」7月9日
カテゴリ:中国の生活
さえ:
中国の就職率はだんだん悪くなっています。毎年の卒業生700万のうち100万人は就職できないそうです。いや、中国の統計は嘘が多いから本当は450万人くらいも職が見つからないのだという話も聞きます。
それでも職の見つかった人たちが、どうやって職を見つけたかという調査結果がありました。
自分の力で探したという人が47.5%。両親、親戚、その友人のコネに頼ったというのが23.7%。親の伝手で親の企業に入ったというのが9.4%。金を払って買ったというのが5%、その他が14.4%。
金を払って買った人たちが5%と知って、そんな人がいるのかと驚くか、5%しかいないのかと驚くかは、中国にいる年数によるんじゃないかなあ。今のぼくは、へエー、たったの5%なの、という口です。
両親、親戚、その友人のコネに頼った23.7%。親の企業に入ったという9.4%を合わせると、33.1%ですね。一族知り合いで固めるのが企業なら、誠にごもっともなことで、それでやっていけるなら、何が悪いか、利益を他人に分ける必要があるかというところでしょう。中国はまだまだ身内しか信用しない風土の国ですね。
身内なら悪いことをしないと信用しているのではなく、身内なら一緒に悪いことが出来るから、身内なら「恐れながら」といってどこかに訴えることもないからということなんでしょうね。
そのように身内が幅をきかせている中で、自分の力で探したという人が47.5%もいることが驚きです。そんなにいるの?という感じです。大したものじゃない。この国もみんなそれぞれが、頑張っているんだね。
うちの暁艶が先日、就職の面接を受けに遠くの街まで行ってきました。ある遠方の大学の研究施設が博士号を持っている助手を募集しているので応募書類を送ったら部門の責任者から電話が掛かってきて、いろいろと話した結果、面接に来いということになったのです。
面白いのはその部門が求人を出したとき、応募者が複数名いないと競争的選考と認められず、募集そのものがキャンセルされてしまうそうです。つまり、かなりフェアな人事をしているのですね。私の見聞きしている某大学の人事から見ると、まるで別世界のようです。
そこは大学の中に出来た新しい研究所で、外国に留学している人たちを呼び戻してPI (Principal Investigator、それぞれの研究単位の責任者、大学で言えば教授に当たると言って良いでしょう)に据え、大いに生産的な研究を行って大学の名を挙げようという目論見のようです。
話を聞くと大学から院生は来るものの、一人のPIが採用できる人事は准教授か助教のどちらか一人なのだそうです。このほかに研究助手(あるいはTechnician)がいると良いのに、それは研究費が取れたらの話なのでしょうか。
たとえば米国に長くいても、そして英語が自由でも、SCIの高い論文を共著で幾つか出したかも知れないけれど、そのPI自身の研究能力がどのていどのものなのか、さらには研究室のボスとして人々を率いていく能力はがどうなのか、実は始まってみないと分からないことが沢山あるので、就職する方は冒険を犯すことになります。
PIから観れば、どんな人を自分の研究室に採用するかでおおかたの将来が決まってしまうからこれも冒険ですね。
暁艶は、先方のPIと会って話をし、先方の様子もよく見てすべての条件を勘案して自分で決めると言って出掛けていきました。
行ってみると風光明媚な海岸沿いに海に面してキャンパスがあって、研究環境も申し分ないみたいですが、海に面しているというのが2011年の東北大震災の折の津波を思い出させたらしく、彼女は元々新疆の砂漠育ちなので、津波を想像してその恐怖にすくんでしまったそうです。
今どき就職するのが至難の業という時代に、1000年に一度、起こるかどうかの確率を気にするよりは就職でしょと思いますが、本人してみれば起こり得る災害に目を瞑って生きなきゃいけない謂われはないと言うことなのでしょう。
先方の大学からは、第一次面接を通ったから、大学の面接を受けに来るよう追って連絡がありましたが、暁艶は先方のPIに丁寧に断っていました。
就職の厳しい時代に、まだこうやって公開された求人のあることは奇跡みたいなものでしょう。誰もが津波の恐怖に震えるとは思えませんから、ほかにも敬遠される理由があるのでしょうか。
コメント:
Re:暁艶が就職面接を受けに行って(08/12) 安東堀割南 さん
もったいないのではありませんかね~。
私は丹東生まれの長春育ちの老人です。
私のブログにもお越しください。
http://plaza.rakuten.co.jp/ikedaasahi/ です。 (2013.09.17 12:04:37)
カテゴリ:日本の将来
さえ:
日本に戻ってきたら沢山の郵便物が溜まっていて、その中に「淡青」というパンフレットがありました。見ると寄付金の要望です。
考えてみると今まで何度言われても出身大学に寄付金を出したことがなく、功成り名を遂げたわけではないけれど、この歳になってみればうかうかすると、後進のために少しでも役立つ機会を失ってしまうかもと思って、ホームページにアクセスしました。
ホームページを開いてみると、
世界に羽ばたく若手研究者の育成に力を とか
体力的にもタフな大学生を育成しよう とか
すべての学生にグローバルな体験を とか
惹き句がいっぱい並んでいます。
おい、おい、でもね、それは国がやることじゃないないかよ、と思うことばかりです。そのために税金を払っているでしょ。東北震災の復興という名目で、一体いくらの無駄金を使ったんだ?といいたくなります。
ぶつくさ言いつつも、ホームページをたぐっていると、大学基金という名前だけれど、実はそれぞれプロジェクトがあって、そのプロジェクトに賛同なら寄付をしてくれと言うみたいです。
だいたい国に税金を払っても、訳の分からないことに消えることに腹が立っています。税金を納めるときも使途を指定できると良いですね。
ふるさと基金というのがありますが、何処かの街に指定して税金を入れてそこで使えるようにするだけではなく、たとえば育英資金に使えとか、東北の復興費にのみ使えとか、「いずも」の3番鑑を造るのに使ってくれとか、いう風に指定できれば税金を払う楽しみも増えると常日頃考えているのですよ。
というわけで、このプロジェクトに寄付金を出すという考え方が気に入ってみていると、「マリン・フロンティア・サイエンス・プロジェクト」というのがありました。三崎臨海実験所を助けるプロジェクトなのですね。
『東京大学三崎臨海実験所は、1886年(明治19年)に現在の三崎の町に我が国最初の、世界でも最も歴史の古い臨海実験所の一つとして設立されました。1897年(明治30年)より、生物相の豊かな油壺に移転し、2012年で創立126周年を迎えました。設立以来、多数の国内外の研究者・学生に利用され、その数は年間延べ3万人にもなります。我が国における生物学の発展に大いに貢献をしており、世界的にも、ウッズホール海洋生物学研究所(米)・ナポリ臨海実験所(伊)・プリマス臨海実験所(英)と共に海産動物研究の歴史に大きな足跡を残しています』
学部学生の時、そして大学院の時に、動物学科の利根川泰遠と語らって研究題目を作っては何度も実験所に出掛けました。
団勝麿先生、岡崎嘉代先生に出会ったのもその頃でした。そしてその縁で赤坂さんにも出会ったっけ、なんて思いながら見ていると、赤坂さんの顔写真が出ていて、実験所所長として挨拶を述べているではありませんか。
『三崎は「宝の海」です。相模湾の深海と黒潮に乗った生物が多く生息し、そこへ東京湾のプランクトンを豊富に含んだ海流が流れ込みます。東大の初代動物学教授として就任していたモースも注目した、世界一生物相の豊かな海なのです』
『そして、この海には大きな可能性を秘めた研究課題も眠っています。海洋生物の基礎研究をバイオや医学に推し進めることで、産業を創出することが可能です。三崎から「メイド・イン・ジャパン」の新しい技術が生まれる…。ちょっとワクワクしてきませんか』
彼の言葉に乗ったわけではありませんけれど、顕微鏡を通してウニの受精卵の分裂が目の下で進むのを見た興奮を思い出し、ついわくわくして、それじゃ寄付しようという気になってしまいました。
じゃあーん。○○万円という大金を寄付したのです。ま、利根川の分もです。52歳で夭折してしまいましたが、生きていればきっと率先して寄付したでしょう。そして、「おまえも、けちなことを言うなよな、死ぬときに金を残して死ぬ気かよ。あれだけ世話になったんだから、当たりめえだろ」と言ったに違いありません。
カテゴリ:ぼくの将来
さえ:
夏休みを取って日本に戻ってきました。瀋陽にいた方が涼しいから能率が上がりますけれど、年中仕事だけじゃ良くないので、たまには気分を変えなくちゃと思ったのです。おまけに研究室の院生だってぼくが居続けたら気が抜けないし。
戻ってきて直ぐ、浜松にいる石川に会ってきました。大分前に奥さんを亡くしたあと、娘の子供たちの面倒を見ることになって気が紛れていたのが、その役目が終わった途端にうつ(鬱)になり、アルコール中毒になって入退院を繰り返したそうです。
妻との思い出の籠もった広いうちに一人切りになって、気分が落ち込むだけなのがうつの原因ですね。とうとうこの春、家を畳んで老人ホームに入りました。その彼に会いに行きました。
老人ホームは入居者の8割が女性で、しかも彼の言葉では女性のすべてが「元女性」で、誰もが元気がよい。平気で人のこともいろいろと構うので、気が紛れて、うつの出番がなくなった、やはり老人ホームに入って良かったと言うことでした。
ぼくは瀋陽で仕事を続けているからその時は立ち直れますけれど、日本のうちに帰って、一人きりで、さえと暮らした家にいるとさえのことばかり考えて、どんどん気分が落ち込みます。
2011年の夏は瀋陽に留まったままで帰国しなかったし、その後も休暇で日本に来て滞在するのはごく短時間です。
ということは瀋陽を辞めたら、第一の選択は今のうちを整理して、老人ホームに入ることですね。
石川が入っている老人ホームは浜名湖にあるので、都会生活に慣れたぼくとしては元気なうちは恐らくまだそこには入りたくありません。
それで都会にあって便利な老人ホームを探しました。あるにはあるけれどずっと一時金が高くなるし、自由度はあるとは言っても、ちゃんと面倒を見てくれると言うことは不便もあるのですよ。たとえば女の子(何とまあ)とちょっとうちで一緒に住もうよというわけにはいかないのです。名古屋にいる孫の一人が東京の大学に入っても、じゃ一緒に住もうというわけにも行きません。
そうなると第二の選択としては、やはりここのうちは畳んで、何処かに生活に便利な小さなマンションを借りて暮らし、そして自分で決めあられるうちに最後の時を迎えるための老人ホームを選ぶ、ということでしょう。
経営者が参議院選挙に打って出て自民党から当選したというので今話題の(あるいは「ブラック企業で有名な」というのかも知れませんが)ワタミの有料老人ホームにぼくのママが93歳で入って(入居一時金を95歳という計算にしてちょっと割り引きしてくれましたね)、しかし105歳で入院が必要になった途端に追い出されました。
老人ホームを選ぶときは、最後まで看取ってくれるところを選ぶ必要がありますね。
カテゴリ:日本で生活
さえ:
東大の赤門の脇に学士会館の分館があったでしょ。ちょっとした会合に使えたし、食事も安くてしかもまともだったので、よく利用しましたね。
この春日本に来たとき東大薬学部の大学院に入ったうちの学部卒業生と、赤門で待ちあわせにしたのですよ。久しぶりなので構内を歩いて、昔の化学教室の建物がそのまま残されているのを見て、この入り口でさえに会ったのだと昔のことをを思い起こしました。
その後、これも久しぶりに学士会館分館に寄ろうと思ったら、その建物はなく「あれ、このあたりだったよね」と思いつつ歩いているうちに見つからないまま、そして、腑に落ちないまま、通り過ぎました。
今度分かったのですが、その場所に今は伊藤国際学術研究センターというのが建てられています。しゃれた建物で、威圧感がなく、中に入って見て分かったのですが、主要な施設は地中深くに造られていたのでした。話によるとイトーヨーカドーの伊藤さんが寄付したそうです。凄いですね。
その地下1階のフロアにに卒業生なら誰でも利用できる場所が作られていました。アラムナイラウンジと呼ばれていて、Aテーブル/12名、Bテーブル/8名が利用出来るようになっています。無線LANも出来るようになっています。
今回は初めてそこで大学の若い友人に会って、2時間近く研究の話をしました。静かで実によい雰囲気で、学問の討議に身が入りました。
なせ、こんなことを書いているかというと、受付で利用者の名前を書くのですが、利用状況が余り芳しくないのです。
この伊藤国際学術研究センターのホームページを見ると、次のように書かれています。
『伊藤国際学術研究センター内に、卒業生向けラウンジスペース「アラムナイラウンジ」がオープンしました。「キャンパス内に卒業生活動の拠点が欲しい」という皆様のリクエストにお応えしました』
『当面9月末まで下記運用によりオープンいたします。10月以降の活用につきましては、半年間の利用状況を踏まえて決定いたします』
今の利用状況だと、このアラムナイラウンジは生き延びられないのではないかと危惧します。卒業生とその関係者にもっと使って貰って、ここがこの先も、気軽に利用出来るようであって欲しいですね。