[1507] 自衛隊 彼の地にて、斯く戦えり /正式版 29
Name: とどく=たくさん◆20b68893 E-MAIL ID:5eba37fb
Date: 2008/08/05 22:48
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残念なことに、世の中には理性の手綱を放してしまい、感情の暴走に酔うままに行動する人種がいる。
このところ頻発している『通り魔』もそうだし、『坊主が憎ければ袈裟まで憎い』とばかりに、殺人犯を憎むべきなのに、その家族にまで憎しみの矛先を向けたりする者も同じだ。
彼、ないし彼女らは感情を向けるべき対象を、完全に見誤っている。
全く関係のない他人については述べるまでもない。また犯人の親族を相手にするとしても、親の罪が子どもに、子どもの罪が親に波及してそれを償うべきだというのは、古代ローマにもなかった野蛮な風習である。2000年もの昔の古代人に精神的成熟度で劣るとは、実に情けない話である。
我が国だけではない。世界に視野を広げれば『このような例外的なはずの存在』が、常見される地域があるのだ。
例えば、某大陸や某半島。
彼らの逆恨みの対象はもっぱら国家としての日本であるはずなのに、その矛先を向けるのは自国で正常な経済活動を営んでいる日本人であり、日本人の経営する店舗だったりする。日本食レストランの窓ガラスが割られ、日本人観光客が罵声を浴びせられたり、日本人留学生が集団に取り囲まれて殴られる。日本の国鳥だからといって何の罪もない雉を殺したりもする。実に野蛮きわまりない行為で、精神的な未熟さを示す証左と言えるだろう。
理性のタガが外れやすいのは精神的成熟度が低かったり、国家・民族主義という麻薬を教育機関で投与された者の中毒症状なのだから仕方ないとも言える。
この手の薬物は用法用量を誤ると、興奮剤を投与された競走馬みたいに騎手(国家のコントロール)すら振り落として、下手すると観客席に飛び込みかねない危険性があるから注意が必要なのだが、ヒトラー以来国民の熱狂をかき立てて一つの方向に向かわせるのに便利なのであちこちで乱用されてきたのである。
翻って、我が国を見てみよう。
どこの国の住民であろうと、我が国の法や道徳に反さない限り安心して歩くことが出来るし、(湾岸戦争時、サダム・フセインがイラク在住の日本人を人間の楯として人質にしたが、日本はイラク人を強制収容したりしていない)悪くなったとは言っても世界的に見ればまだ高水準にある治安の良さと自由を享受することが出来る。あからさまに反日的言動をしようとも、反感を持った人から罵声を浴びせられる程度で済む。
ちゃんと国内で、政府や大勢に対して反対意見を口に出来る環境があるというのは、それだけ民衆が精神的に成熟していることを意味しているのだ。その言葉がいかに荒唐無稽で、失笑に耐えない内容だろうと、その意見を口にする自由だけは尊重したいものである。こちらとしては、耳を貸さない自由を行使すればいいだけなのだから。
さて、そんな我が国であるからロゥリィ、レレイ、テュカといった特地から訪れた3人を歓迎こそすれ、帝国の軍人でもなく、しかも日本国陸上自衛隊が『保護した』『難民』たる彼女たちに、理不尽な怒りを向けたり、八つ当たりしようとする者は皆無。いたとしてもごく僅かであると思いたいところである。
彼女らは、自衛隊が、彼女らに適切な保護を与えているかどうかを問うために、参考人として国権の最高機関たる国会に『招かれた』身である。国賓扱いこそされていないが、これを害しようとするなど我が国の威信を傷つける、国賊の振る舞いと言えるだろう。
また、政治的理由で公表されていないがピニャとボーゼスは、帝国との講和交渉の『仲介者』たる役割を果たすべくここに存在している。捕虜ではないし、攻め込んできた敵でもない。
戦国時代ですら軍使の安全は保障することが『徳』とされた。これに危害を加えるのは乱暴狼藉の類の悪行と見なされる。判りやすく歴史ゲーム的に言えば、民忠は徹底的に低下するし、配下部将の忠誠心は激烈に低下して知将の半数近くが離反する凶悪な蛮行なのである。戦記物や時代小説でも、敵軍の使者を斬ってしまうような王や部将は悪役だったり、滅びる運命として描かれる。
だが、居ないはずの人間が居てしまうのも現実である。
銀座の街を埋め尽くす大群衆の中に、逆恨みでしかない感情を彼女らにぶつけようとして紛れている者がいないとも限らない。
従って伊丹は、緩んだ表情をシリアスに引き締めると、富田と栗林の2人に告げたのだった。
「今日は止めよ。また梨紗の部屋にでも泊まろか?」
がっくりと来る2人。
嫌なことは避けて通るが信条の伊丹だ。困難が予想される現時点でこれから逃げるのは、当然の選択であった。
だが、「で、明日になって、どこぞの工作機関とかが待ち構えているのを強行突破するんですか?」と言われてしまうと「うっ」と返事に詰まってしまうのである。
梨紗が人を集めてくれたのも、アメリカとかの工作機関の待ち伏せからピニャとボーゼスを守るためである。この困難を避けるために今の状態を作り出したのに、これからまた逃げたら元の木阿弥ではないか。
「逃げた先にあるのはやっぱり戦場か(元ネタ/ベルセルク)」
市ヶ谷とか、各地の駐屯地に逃げ込むと言うアイデアはボツだ。
政府機関で2人を保護すれば、今度大統領から電話がかかってきたら、かわしきれなくなってしまうからだ。それでは何のために安中総理が辞意を表明したわからなくなってしまう。
自分達が、現時点で政府のコントロール下にいないからこそ「逃げられちゃいましたねぇ。残念でした」とお悔やみを言いながら、内心で舌を出すことが出来るのである。このあたりの事情は、太郎閣下からの状況説明で充分に理解している伊丹である。
「参ったなぁ……」
伊丹は髪を掻きむしりながら瞑目すると、大きくため息をついて2人に命じた。
もし、彼女達を害そうとする者があれば「撃て」と。これは『許可』ではなく『命令』である。
富田も栗林も志願して自衛官となった身である。そして職業自衛官として高度な訓練をうけた陸曹でもある。さらに実戦の洗礼を経ている。従って一度『命令』という形で指示を受けたなら自らのマインドセットを殺戮機械モードへと変えることも出来るのである。
故に、2人はそれぞれに手にした鹵獲武器の弾倉を確認するとともに、予備弾倉を栗林の荷物から拾い出してポケットやズボンのベルトに挟み込んだ。
その双眸からは冷たい兵士としての光を放つ。サングラスがあったらかけていただろう。BGMをつけるとすれば、ターミネーターのテーマ曲あたりが良いかもしれない。
もちろん、銃をあからさまに曝して周囲を威嚇するようなことはしない。ジャンパーにハーフコートにと銃を隠し、それぞれすぐに発砲できる状態にして、周囲を埋め尽くす大群衆を前にしてワゴン車を降り銀座のアスファルトを踏んだのである。
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栗林志乃は黒い革ジャンパーをまとっていた。
ストーンウォッシュされたデニム生地のミニスカートに黒のストッキングをはいている。靴は、ストレッチブーツ。ヒールが高い履き物を好むのは彼女のコンプレックスの現れだろうか?
チビ巨乳とあだ名される彼女の体躯は小さい。が、背の低い者によく見られる手足が短くて胴が長いというスタイルとは一線を画していて、引き締まった身体に鍛えられた筋肉を持つ者だけが許される、メリハリのある曲線の連続で、スラリとした肢体を形作っていた。
要するにバストを除いた全ての構成要素が、均整のとれた比率を維持したままに縮小されているのである。
革のジャンパーの前を完全に開いて、内に着ている白いセーターを覗かせる。
ここで立ち絵を入れるなら、そのポーズは左腕でジャンパーの左襟を押さえ、その内懐に右腕を突っ込んでいるように見せる姿だ。もしフルカラーが許されるなら、唇には深紅のルージュ、眉は切れのある線でくっきりとひいて、凛然とした表情で描きたいところである。
もちろん右手にはドイツのヘッケラー&コッホ社が制作したMP7が提げられている。
元来の巨乳故に、突き上げられているジャンパーの胸には生地の余裕が全く無く、ストックを縮めて全長34センチでしかない銃すら隠しきれず、革ジャンの裾からわずかに覗けてしまう。
そんな彼女が冷たい冬のビル風をまとって、精神的臨戦態勢を済ませているところなどを是非格好良く脳内イラストボードに描いて頂きたい。
さて、そんな彼女の隣に立つのは女性読者(いるのか?)向けに、富田であろう。
富田章はカシミア混のハーフコートをまとっている。
長身でワイルドな富田は、筋肉質だがボディビルダーのようなずんぐりとした印象はない。敏捷性に優れたアスリートを連想させる体格だ。日焼けして浅黒い肌に、精悍な顔つき。顎を覆う無常髭もイチロー風で格好がよく、見ていてなんだか腹が立ってくる程だ。
そして、猛禽のような眼光は、周囲を睥睨して射抜かんばかりである。
その内懐には、ベルギーのFN社が開発したPDWのFN90を隠している。
最後に、伊丹だが…。
その容姿はどこにでもいる、サラリーマン風の30代男。
着の身着のままのスーツはしわくちゃになりつつあり、一足2000円くらいの安売り革靴(合成皮革)は、既に汚れが目立ち始めていた。
この上に、冴えないデザインのくすんだロングコートをまとっていて、新宿駅西口から新宿ガート下へと続く『思い出横町(俗名/小便横町)』にて一杯引っかけててもおかしくなさそうである。もし、ラッシュアワーの駅のホームに立たせたら、あっと言う間に群衆に埋没して彼を見つけだすのは非常に困難な作業となるだろう。
それくらいの凡庸さで身を固めているのだが、そのコートの下には、一応のところマカロフ拳銃を隠し持っている。
こうして、3人の雰囲気が戦闘的に激変すると、梨紗は「ひっ」と小さな悲鳴を漏らした。
ついさっきまでのノンビリ、のほほんとした雰囲気を放っていた3人が、剥き身の日本刀のようなゾロリとした気配を放ったのだから。
それはヤクザやチンピラとか、吼えまくる闘犬のそれと異なって、野生の肉食獣が放つ静謐な獰猛さを感じさせた。不気味な恐怖感と言ってもよい。
とは言っても富田や栗林と違って、伊丹のそれは持続時間が短く瞬く間に普段のとぼけた印象に戻ってしまうのだが…。
「悪りぃな、梨紗。こっから先は連れていけない」
窓から中に顔を突っ込む伊丹に対して、独り置き去りにされようとしている梨紗は肩を竦めて見せた。
「しょうがないかなぁ。この車どうしたらいい?」
「適当なところに放置しておけばいいよ。それと借金、早く返せよ」
「こ、コ○ケが終わったら、ちゃんと振り込むから……それより、次はいつ頃来れるのかなぁ?」
「わかんないな、しばらくは無理だろう?また連絡するよ」
伊丹は、手を挙げると背中を向けようとした。しかし梨紗が呼び止める。
「あ、あのさ……先輩って、来ると言っても来ないことがあるでしょ。だから無理だとか言いつつも、来るかも知れないなぁ、なんて思って待ってたりするのは、だめ?」
「そんなこと言い出すくらいなら、何で離婚したんだ?」
「だって、その…養って貰うために結婚してそれに胡座かいてるのって、なんか、人間として駄目かなぁなんて思っちゃって」
伊丹は呆れたように「好きにすればいい」と告げると、今度こそ背中を向けた。
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「……このように、安中総理の緊急入院と、突然の辞意表明についての各界の反応は、唖然、呆然とも言うべき驚きに満ちたものでした」
スタジオには、安中総理大臣の巨大ポートレートを背景にして、各界の著名人がコメンテーターとして列んでいた。
ひげ面の大学教授が不満そうに「余りにも無責任すぎますよ」と吐き捨てる。
すると女性作家が「しかし総理という職は激務ですから、体調が思わしくないとなれば仕方ないかも知れませんよ」と弁護するようなことを言った。
「閣僚のスキャンダル続きで、マスコミや野党の追及にプッツンきちゃっただけですよ。野党は、総理の辞任で振り上げた拳の降ろしどころに困っているはずです」
元知事の肩書きで、政治評論家となっている男が国会の状況について解説を加える。
「いや、野党は困ってませんよ。次の総理が誰になるにせよ、民意を問うという形で衆院の解散総選挙を強く求めて来ることになります」
「今話題となりました、次の総理の問題ですが、早速永田町では与党の有力議員の動きが活発になっています」
アナウンサーが報道し、コメンテーターが感想を述べていくなかで、司会者でもあるメインキャスターが次の話題『総裁選』へと転換していく。
「与党内で次の総理総裁候補と見られているのが、福下氏、麻田氏、谷巻氏の3名です」
三人の写真がモニターに大写しされていく。
「各派閥からの支援を受けて次期総裁候補ナンバーワンと見られているのは福下氏です。麻田氏は国民的な人気こそありますが、党内の力関係で行きますとまだまだ実力不足とみられています。次期総裁が派閥の代表者による協議で決まるか、それとも総裁選挙が行われるのか、注意深く見守っていきたいところです」
政治の話題をここで終って、キャスター達は仮面を取り替えるがごとくの早業で、表情を変えた。
「銀座が大変なことになっています」
ここでCM。
そして60秒間計4本…洗剤と自動車保険と、ラップフィルムと紙おむつのCMが終わると、次のパートは先日おこなわれた国会での参考人招致の映像から入った。
見た目にも印象的なさらさら金髪のエルフ、テュカが国会の赤絨毯に立って四方からフラッシュを浴びているシーン。その輝きを受けて、透けるような美しさを放っている。そのままシャンプーとかリンスのCMにも使えそうだった。
レレイの静謐な双眸。そして銀糸のような髪。
そして、黒ゴスをまとったロゥリィの鋭い毒舌と、悪戯っぽい小悪魔的表情。
「特地から、参考人として招致されたこのお3方が今や大ブレイク中です。なんと言ってもファンタジー世界の住民でしかないと思われていたエルフ娘が実在するということで、テュカ・ルナ・マルソーさんが一番人気です」
コメンテーターが、言う。「いや、ホントに綺麗ですよ。オタク心をくすぐるとでも言うんでしょうか?空想上の存在だとばかり思っていた相手が、ホントにいたんですから、一目でもいいから生エルフを見てみたいって思いますよ」
「私も国会中継見てましたが、びっくりしました。レレイさんでしたっけ?彼女なんかわずか数ヶ月で身につけたにしては日本語も上手だし。テュカさんの耳は、最初は特殊メイクか何かかと疑ったぐらいです」と若いタレント弁護士が述べた。
「ところで彼女たちのお歳、ホントなんですか?いや、年齢を云々するのは失礼とは思うんですが…1年が異常に短いとか」と言うのは女性作家だ。やはり気になるらしい。
「防衛省発表の特地の情報によると、向こうでの1年間は、389.3日と推測されるそうです。1日の時間が、こちらに比べると若干少ないのですが、その誤差を差し引いても、こちらに合わせると年齢は増えるだけなようです」
「でも、ロゥリィ・マーキュリーさんに至っては、900才を過ぎてるってのは、ちょっとねぇ。どう見ても中学生くらいでしょう?」
こだわる女性作家である。
「こちらの、テュカさんも160才過ぎと言うには若すぎませんか?」
さらにこだわる女性作家である。
某書の記述によると、女というものは、知性とか教養とか、品の良さとか、そういったものには全く嫉妬しないが、美しさとか財産といったものには、敏感に反応するそうである。50才に達しようとしているこのコメンテーターも、自分より遙かに年上と称する女性が、どう見ても10代の美しさを湛えていることに、複雑な思いを禁じ得ないようであった。
「国会でも、こちらの2人は『長命な種族』であるという説明があったようですが」
「男性としてはどうなんですか?見た目はこんなに若いけど、実際は100才過ぎてるっていわれて」
「ホントのところ、全く実感湧かないですね」とひげ面の大学教授。
「化粧とかで若作りしてるとか、整形で若く見せているとか言うなら、ちょっとアレかなって思いますけど、ナチュラルにこれだけ若いんなら、実際の年齢が100才だろうと500才だろうと気にならないと思いますよ」と言ったのは、若いタレント弁護士だ。
「このようにいろいろな話題に事欠かさない彼女達なのですが、本日銀座事件の慰霊碑に献花して、その後特地に帰られると言うことがわかり、彼女たちを一目見ようと集まったファンで銀座がごった返しているそうです」
メインキャスターの仕切で、路上にあふれかえる人の群れの映像が大写しとなった。
交通は麻痺し、自動車は渋滞している。警官が必死に警笛を吹きまくって人々の群れを整理しようとしているが思うに任せない有様が映し出された。その後、メインキャスターの顔がアップされる。
「今映し出されたように、銀座では午後1時頃から、各地から集まったファンで賑わっています。たまたま当局の取材スタッフが現地に居合わせましたので呼んでみましょう。栗林さ~ん」
画面が現場からの実況中継に変わった。
既に全国ネットに映っているというのに、栗林菜々美はそれと気付かずに周囲の状態を見渡したり、喋る練習をしていたりする。掌に『人』の字を書いて飲んだりする姿が妙にほほえましかった。
彼女の背後には、献花台と、その周囲に群れる人々の姿が映っている。
「栗林さ~ん」
その、人の群れだが、整理する者もいないのに何故か献花台へと至るまでの道筋が開かれていた。
その開かれた道筋を、花束を抱えた黒ゴス少女や金のサラサラ髪のエルフ娘、銀髪ショートの少女、豪奢な赤毛女性と金髪縦巻きロールの女性と、彼女たちの案内役なのか、ボディーガードなのか日本人男女と併せて7名が歩いて来るのが見える。
「音声の調子がおかしいようですね。栗林さ~ん」
実は、伊丹も画面に映っているのだが、彼の発する色合いが、主役達の華やかさとまったく違うため、ワンセットとして人々の目に入らなかったのである。
どちらかというとモブシーンの1キャラでしかないのに主人公の傍から離れない図々しい奴という印象になる。
「栗林さ~ん」
音声に指摘されて気付いたのか、栗林は慌てて外れていたイヤホンを耳に装着した。
「あ、はいっ、こ、こちらは銀座ですっ」
「今、そちらの様子が映っていますが、現場の様子は今どうなっているのですか?」
「はい。こちらでは、今、お三方が周囲の声援に手を振りながら、ゆっくりと献花台に近づいてきています。集まったファンの方々も、道路にはみ出して交通渋滞を起こしたりとはた迷惑な事ばかりしているわりに、彼女たちに対しては不思議と行儀が良く、誰が整理しているというわけでもないのにまるで何かに操られて居るみたいな感じで道をあけて彼女たちが前を通るのを待っています」
人垣の群れから、飛び出してくる青年が居た。富田がばっと身構えるが、それよりも早くロゥリィが、ハルバートの石突きをもってアスファルトをうち砕くほどの勢いで突き立てた。すると錫杖のような凛とした音が広がった。さらに彼女が妖しく微笑んでみせると、青年は毒気を抜かれたような表情で、後ずさりながら人垣の列へと戻っていった。
「……こちらの映像から見ると、お3方だけでなく、他にもおいでのようですね?」
「はい。見たところ7名の方がいます」
「他の4名も特地の方なのですか?」
「いえ。見たところ…見たところ……お姉ちゃん?」
「はい?栗林さん?」
「い、いえ。なぜか私の姉がいました」
「栗林さんのお姉さんですか?」
「はい。姉は自衛隊に勤めていて今、特地にいるはずなのですが、こちらに着ているとは聞いて無くて…ちょっと、おねぇちゃん、何やってるのよっ!!」
「あれ、菜々美ったら、こんなところで何やってるの?」
栗林姉は目の前に出てきた妹の姿を見て、道ばたで出会ったがごとくの気安さで返事した。
とは言いながらも、警戒の視線を周囲に油断なく向けている。彼女はSPではないのだから、これでも充分に頑張っていると言っても良いだろう。
「テレビの中継だけど…」
「もしかして、今映ってる?」
「全国ネットだけど」
「やっほ~お母さん、元気?」と、この瞬間だけはカメラ目線で左手を振った。
そのせいで全国ネットだと言うのに、銀座のど真ん中で『MP7』と言う名の銃を握る右手が、ちらちらと見えてしまった。
つっこみ所満載の行為だが、思考と注意力の70パーセント以上を警戒のために費やしていたが為に、正常な思考が働いてなかったのだと、好意的に解釈してあげたいところである。
栗林と富田と、伊丹が周囲を警戒する中、ロゥリィ達『特地』組5名が献花していく。この時、100台近いカメラのフラッシュが瞬いた。
献花を済ませると、ロゥリィは周囲を見渡して「鎮魂の鐘が必要ね」と呟く。そして、ハルバートを立てると、「誰かぁ、鐘を鳴らしてくれるかしらぁ?」と声をあげた。
その時、まるで彼女の求めに応じたかのように、銀座和○の時計塔がチャイムを鳴らし始める。
ロゥリィは「うん。ありがとぉ」と微笑むと、静かに瞑目を始め周囲は厳粛な雰囲気に包まれた。
テレビカメラも栗林姉妹を画像からはずして3名が哀悼の意を表している姿を、しばしの間、流した。
やがて、チャイムが鳴り終えるとロゥリィ達は献花台に背中を向けた。その背中をカメラは追い続けたが、音声は栗林姉妹の会話を拾っている。
「ねぇ、特地からの3人にインタビューできない?」
全国ネットで中継の真っ最中だというのに、喋りが一般人となり果てている栗林妹である。でも、番組プロデューサーは、スタジオの奥で「よっしゃ」と握り拳で栗林妹を誉めていた。彼女の評価はもう、堕ちるところまで堕ちていて下がる余地が無い分、これ以上は上がるだけだからだ。日本中が注目する特地三人娘に繋がるコネクションを持っているというのは、評価の対象だった。
「無理無理。献花が済んだら一刻も早く、特地に帰らないと」
「なんでよ?少しならいいじゃない?」
「一昨日から、狙われてるのよ」
「……狙われてるって?何に?」
「アメリカかなぁ、もしかして中国とかロシアかも。乗った電車はなんか知らないけど事故って停まるし、泊まってたホテルは放火されて火事になったりするし、他にもいろいろでさ。こうしてる今だって…」
さすがに不味いと言うことに気がついて、語尾を濁したが、ここまで口にしてしまえば、全部暴露したも同然である。何しろ、テレビのニュースや、新聞にきちんと目を通している者ならば、彼女の口にした出来事と符合する記事があったことに気付くからだ。
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「ガッデッムッ!」
アメリカ合衆国大統領 ディレルはホワイトハウスの執務室にてゴミ箱を蹴倒すと、中身もろとも怒りにまかせて踏みつぶした。
彼の前にあるテレビモニターは、東京は銀座からの中継画面を映し出していた。
この大群衆の中では、いかにCIA凄腕コマンドチームであっても『来賓』に近づくことなど不可能だった。挙げ句の果てに流れた音声には「アメリカとか中国とかロシアに狙われてる」という言葉が全国に流れたと言う。(日本語を話せる大統領補佐官の独りが傍らで通訳していた)
今、手を出したら当然の事ながら全国生中継だ。下手すると世界生中継である。そうなれば完全に悪役である。いかにアメリカでも…そして中・露も含めて、この状況で強硬手段に訴えれば、間違いなく窮地に陥ることになる。
このような状況を演出してくるとは、これまでの日本政府には考えられないほどの大胆さであり、悪辣さと言えた。
日本政府は、直接手を下さずにアメリカの手を封じた上に、はっきりと言わずしてアメリカや中国、ロシアによる非合法活動の存在を、大衆に向かって臭わせ、非難することに成功したのだ。
例えば、この女性自衛官の言葉を受けてホワイトハウスから「根も葉もないこと言うな」と日本国政府に不快感を表明したとする。別にクレムリン(露)とか、中南海(中)からでもいいが…。
当然の事ながら、日本は「日本政府としてはアメリカ(中国・ロシア)の非合法活動については、何も知らないので、何も述べることはない」と公式見解を発表して終わりなのである。
「全国中継で言ったぢゃないか」と避難したら、「いち自衛官の戯言を真に受ける人なんていないよ」「そんこと言ったら、おたくの宇宙飛行士によれば、アメリカ政府は宇宙人を隠しているそうじゃないか」とか言い返されること必定である。何をどう言おうと日本政府としては、「彼女は、その日休暇中だったから、酒にでも酔っていたのではないか?彼女が持っていた銃はおもちゃ。その証拠に日本はあの銃を配備していない」とか、シラを切り通せるのだ。
だが、この中継を見ていた大衆がどちらを信じるかは言わずもがなである。何気ない姉妹の会話であったからこそ、人々の耳に事実として響いたのだから。
ディレルは、中継の画面に安中総理の幻影を見た。その幻影は彼に向かってこう告げていた。
「うちのお客様に手を出さないでいただきたい。こちらにも相応の覚悟がありますよ」と。
「くそっつ、くそっ!!このヤスナカッの馬鹿野郎め。淫売の息子野郎!!」
白い家の、赤い絨毯上でゴミ箱の破片が踏みつけられて細かく砕かれ、さらにめり込んでいく。
クレムリン宮殿ではラスプーチン大統領が、ウォッカの入ったグラス片手に、「日本人もなかなかやるじゃないか」と呟き、中南海の奥では薹徳愁国家主席が静かに舌打ちしながら現場担当者に撤収を命じたという。
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こうして伊丹達は、なんとか無事に…ではなくて心身共に疲労してしまう散々な休暇を味わって銀座の『門』へとたどり着いた。
大群衆がテュカの名を呼び、レレイの名を連呼し、ロゥリィの名を叫ぶ。
群衆を熱狂させるアイドルという存在を知らない彼女たちは、どことなくドン引きした感じの笑顔で、これに応えて手を振った。そして、逃げるようにして足早に『門』をくぐったのであった。
『門』を越える時は警衛所で、空港の手荷物検査級の点検がある。車両やトラックに至っては、荷台やボンネットを全部開けて、徹底的に調べるという力の入れようである。特に、人員については徹底的な点検を受ける。
すり替わりなどがないように、指紋、掌紋、網膜パターン、皮静脈パターン等の検査を受けてはじめて、門を覆うコンクリート製のドームから出られるのである。
次が、荷物だ。ところが、…
「これ全部、東京で買ったんですか?」
「何か問題が?」
しらじらしい態度の伊丹に、警衛所の係官は大きくため息をついた。
彼女らの荷物は、ロゥリィが購入した黒ゴスしかもパンク系(鋲とかチェーンとかの金属でじゃらじゃら)の服とか、下着とか、衣類の筈なのに金属反応のするものも少なくない。それに加えて日用雑貨品…例えばレレイのパソコンや、テュカのアーチェリーとか、各種雑貨が山となっていて、係官はとても閉口していた。
「これ全部点検するのかよ」
女物の点検にはいろいろと問題があるのだ。
下着類は、女性自衛官にチェックしてもらうとしても、日用品などいちいち箱を開けていたらキリがないほどであった。もうざっと見るだけでいいんじゃないかと思ってしまう。とは言っても、手を抜くわけにも行かず…レレイや、テュカ、ロゥリィ、そしてピニャやボーゼス、栗林らのボディチェック等には婦人自衛官が動員された。
そして、「これなんですか?」と、ついに、ピニャとボーゼスの隠し持っていた拳銃が見つかってしまった。
「おや」
思わず呟く富田。
「やるわねぇ」
と、抜け目ない態度に感心してしまう栗林。彼女は、咄嗟に「あ、それ護身用に彼女らに預けて置いたヤツなんです」と説明した。そして、ドサッと重そうなバックを係官の前に置く。
「何です?」
と、開けて見るや、バックから出てくる出てくる鹵獲武器の山。
「まさか捨ててくるわけにもいかないでしょう?だから持ってきたんですが、こちらで管理します?」
実は、自衛隊には鹵獲武器の取り扱いについての規則がないのだ。
演習場などで米軍の武器弾薬等を拾うことはある。そう言う時は、まず入手した物品の目録を作成して、それを関係各所に書類をあげて、返還したり処分したりするという手順になるのだ。ただ、必ず問題となるのが入手の経路だった。
演習場など、通常の自衛隊や米軍が活動している場所なら問題がない。しかし、一般人も宿泊する旅館の敷地内で、しかも某国非合法活動員の遺体から入手したなんて、公式の文書に残せるはずがないのだ。
「どうします?」
したがって、これらの鹵獲武器は、存在しているだけでも厄介事なのである。そして、厄介事は引き受けたくないと思うのが組織人である。ちなみに、新田次郎の「八甲田山死の彷徨」では、弘前歩兵第31連隊が山中で回収した歩兵銃の扱いに困って(何故銃を回収できたか?遭難者を発見したから。では、発見していながら何故救助しなかった?と非難されてしまうから…)、井戸の底に葬るシーンが描かれている。
伊丹から入手経路等について説明を受けた警衛長は、顔を逸らすと『見なかった』『聞かなかった』と宣った。
「こいつは、あんた等が鹵獲したんだな。ならば諸々の手続はそっちの責任だ。とりあえず、これだけの武器がここを通ったということは『別に記録』しておく。だがそっちで掌握しておけ。いいな」
『別に記録』しておくというのは、後日問題になりそうになったら、ちゃんと通過した記録が引き出しの底から出て来るが、そうでない限りは通常の書類等には載ってない、ということを意味している。場合によっては(例えば上からの指示で)『別の記録』はシュレッダーにかけられることもある。
こうして鹵獲武器の数々は、員数外の武器弾薬として、第三偵察隊の武器庫に収まることになったのである。
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レレイ、ロゥリィ、テュカの三人は、富田の運転する高機動車で、アルヌス丘麓の難民キャンプへと送られた。
「お疲れさま」
「また、明日…」
などと挨拶をかわして、互いに別れていった。
既に陽は落ちて暗くなろうとしている。
テュカは、プレハブ長屋の間を抜けて自分に割り当てられた部屋の戸を開けると「ただいまぁ!!」と明るい声で帰宅を告げた。
「門の向こうって凄かったわ、お土産も沢山」と言いつつ薄暗い部屋の中でテーブルに荷物を置いていった。だが、何の反応もないことに首を傾げた。
「あれ?居ないのかな?」
部屋のあちこちを探して、「父さんたら、また、あちこちうろついてぇ」と嘆息する。
「目を離すとすぐにこれなんだからぁ」
と呟きつつ、夕食の支度を始めるのだった。
[1507] 自衛隊 彼の地にて、斯く戦えり /正式版 30
Name: とどく=たくさん◆20b68893 E-MAIL ID:5eba37fb
Date: 2008/08/12 21:13
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ピニャ・コ・ラーダが目を醒す。
すでに執務室内は明るくなっていた。開かれた鎧戸からは、太陽の陽射しが差し込んで閉じた瞼にも眩しいほどだった。
帝都は、碧海と呼ばれる海から内陸に徒歩で2日行程ほどのところにある。陽射しこそ強いが、その暑さを北の氷雪山脈から流れてくる涼やかな風がやわらげてくれるので、非常に過ごしやすい。
皇宮は、帝都5つの丘のうち最も東寄りの丘サデラ中腹にある。そのさらに東麓の緑苑が彼女の居館として割り当てられていた。ここは風通しに優れていて、東の森からは清々しい糸杉の香りが運ばれてくる。この香りは頭がすきっとするので、ピニャは大好きだった。
「姫殿下。ベットでお休みにならなかったのですね」
執務室の鎧戸をつぎつぎと開いていく、書記のハミルトンはため息混じりにお小言を告げた。
言われてみれば、「トュニガ」と呼ばれる婦人版正装(トーガの女性用のようなもの)をまとったまま、机に突っ伏している。
机の上には、各種の書類が山と積まれていた。それとあちこちから送られてきた手紙類だ。その殆どが羊皮紙だが、最近アルヌス生活者協同組合から購入するようにした、『コピィシ』と呼ばれる『紙』が便利なので愛用している。
「しまった」
枕にしてた羊皮紙がくしゃくしゃになり果てていた。内容は『イタリカ財務状況』と書かれた報告書だ。目を通している内に眠ってしまったのだろう。
見れば手が、羊皮紙から移ったインクで汚れている。服や顔まで汚れていないかも気になるところだ。服もしわくちゃである。
「姫殿下。食事の前に、沐浴をなさったほうが宜しいようですね」
「すまん。そうする」
部下の進言を受けて、ピニャは降参とばかりに諸手をあげた。
「本日の予定ですが大きな物としては、午餐を元老院のキケロ卿と一緒にとるお約束になっています。晩餐はデュシー侯爵家令嬢の誕生お祝いのパーティーです。午餐と晩餐の間に時間がありますので、白薔薇隊の人事案件について、シャンディーとの会談を入れておきました」
「パナシュとシャンディーは姉妹銘を交わした仲だったろ?ならば、白薔薇隊の隊長はシャンディー・ガフで決まりじゃ駄目なのか」
「彼女としては白薔薇隊の隊長に就任するよりは、パナシュと一緒にアルヌスに行きたいというところではないですか?」
それを聞いたピニャは、理解できないとばかりに切れ長の美しい眉を寄せた。いずれにせよ会ってみれば判るだろうと後にまわすことにする。
「キケロ卿に、スガワラ殿をお引き合わせしなければならなかったのだな。それと、デュシー家のパーティー。うんうん」
「デュシー家のパーティーには、捕虜の第一陣返還希望リストの親族が集まります。親族を代表してリストは侯爵よりスガワラ様にお渡ししていただきます。第一次返還希望者草案にはお目を通しいただけましたか?」
「ああ、昨晩確認した。それでなんだが15名定員のところに、14名しかなかったのはなぜだったかな?1名分あけておいた理由が思い出せない…」
ピニャは、机の上に積まれた書類束から目的の紙の束を探し出すと引き抜いた。途端、書類の山がドサドサと土砂崩れを起こして、床に散らばっていく。
「あ」
急ぎ拾い集めようとするピニャをハミルトンは制して、書類を整理しつつ拾い始めた。
「殿下……一名分は、キケロ卿用です。キケロ卿ご自身には、捕虜となられたご親族はおられませんが傍流の甥御が捕虜名簿に乗っていました。本日の会見でご希望が出れば、今回の名簿に載せます」
ピニャは、頭をかかえるようにしてハミルトンの言葉を反芻していた。容量が一杯なのか、それともまだ回転数が上がらないかのどちらかだろう。
「大丈夫ですか?お疲れのようですが」
「大丈夫じゃないと言ったら、代わってくれるか?」
「無理ですね」
「ならば、妾が頑張るしかないだろう」
ピニャは名簿をハミルトンに押しつけると、沐浴するために執務室を後にした。
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沐浴をして、紅い髪を結いあげて、薄い化粧をし、衣類をまとう。これだけの身支度を済ませたピニャが食卓に姿を現すには、ハミルトンに起こされてから1時間ほどの時を必要とした。
菅原浩治は並べられた朝食を口に運びながら、ピニャが姿を現すのをぼんやりと待っていた。メニューは小麦粥に火であぶった干し肉を入れたもの、そして柑橘系の果物だった。
ピニャの邸宅には、召使い…所謂メイドさん達が大勢居て、彼に不自由がないようにしてくれている。こちらの正装であるトーガの着付けもしてくれる。だから困ることは一切ない。ただ、彼女が居ないと菅原は現段階では全く仕事を始められないのだ。
外交とは相手と会うことで始まる。この帝都で知る者のない彼にとって、誰と会うにしてもピニャの紹介が必要なのだ。外務省から特地問題対策委員会に出向している菅原の仕事は、この帝都における人脈を拡げることにあった。人の縁を結び、後からやってくる本格的な交渉団が活動するための下準備として語学を磨き、帝都の統治機構における人間関係の機微を把握するのだ。
「おはようございます。殿下」
「おはよう、スガワラ殿。そなたは相変わらず早いな」
あんたが遅いんだよ。という言葉を飲み込んだ菅原は、職業的な笑みを浮かべながらピニャの美しさについて一言つけくわえた。これは彼がフランスに留学している時に身につけた習慣だが、こちらでも反応が悪くないので婦人に対する挨拶に付け加えている。
ピニャは、食卓の前に座ると、出された小麦粥をほんの一口と、果物のみを食べるだけだった。見る限りでも胃の負担の軽い朝食を、さらに少量に抑えておく理由も、後に続いた呟きが語っていた。
「今日は、キケロ卿のところで午餐、晩餐はデュシー家。はっきり言って、胃袋がいくつあっても足りない」
接待の労苦は、どこにいっても同じだ。菅原も似たような経験を積んでここまで来ているので大いに同意できることである。
「我が国にも腹も身のうちって言葉がありますよ。腹を庇ってばかりいられないのがこの仕事だと解ってはいるのですが、結構きついんですよねぇ」
「ああ」
菅原は、いろいろと気にしている様子のピニャに、我が国には良い胃薬がありますよと告げた。よかったら取り寄せましょうか?と付け加えて。
「それは、是非ありがたい。本当にありがたい」
帝国では『宴席』ですることは、話すことの他、食べることと飲むことに集約されのだ。他に娯楽はないのかと思う向きも多いが、我が国だって、パーティに料理と酒は不可欠だから、他人のことは言えないのである。ただ、この『特地』では出されたものはひととおりは手をつけることが礼儀とされていて、それがきついのである。
そして、キケロ邸の午餐は、豪華な食事が並べられた。
山羊を丸ごと焼いたものとか、魚と野菜を鍋に溢れるほど積みこんで煮込だスープとか、鳥、魚、肉、野菜がふんだんに使われている。果物は氷雪山脈からとってきた雪に混ぜて冷え冷えとして、確かに美味しそうだ。しかし種類と量が凄かった。食べきることが礼儀なら、客を迎える側は、客が食べきれないくらいの料理でもてなすことが歓待の証とされているのだ。
思わずため息が出てしまう菅原であった。
とは言っても、これらの歓待ぶりも皇女ピニャが仲介に立っていたからだ。もし、菅原が1人でのこのこやってきたら、水をぶっかけられておしまいだったろう。
元老院議員のキケロ卿は帝国開闢以来の名門マルトゥス家の流れを汲む名士の1人である。貴族の家系としてみれば傍流の男爵でしかないが、優れた弁舌と政治力をもつ元老院議員の重鎮と見られていた。
今回の戦争について彼が属するのは、主戦論・皇帝派である。則ち「現在は非常事態である。従って皇帝陛下に大権を集め、帝国の総力を結集して可及的速やかに軍事力を再建すべし。そして、アルヌスを占拠する蛮族を武力でもって追い出すべし」という意見の持ち主なのである。
これに相対するものが講和論・元老院派と呼ばれている。こちらは「今回の無謀な戦争は皇帝の指導下で始まったのだから、皇帝の権力を弱めて元老院の集団指導の元、軍事力を再建する。また、アルヌスを占拠する敵に対して、門の向こうにお引き取り願うにしても、軍事力とは別の選択肢、例えば講和などの方法をも探るべきだ」とする意見である。
そのキケロを交渉の相手として選んだのは、彼が主戦論者の中では、比較的話が通じるタイプだと見られたからである。
こう言っては失礼だが、講和論者は何も言わなくても講和に乗って来るものだ。だが、いかんせん数が少ない。皇帝の意思決定に影響を及ぼすには、やはり大勢を動かして行かなくてはならない。従って主戦論者を切り崩して講和論の勢いを増すことこそが、講和交渉を進める上で必要となる。
菅原はそんな説明のもとで、誰かを紹介してくれないかとピニャに求め、彼女は先ほどの理由でキケロという人物を選び出したのである。
「キケロ卿。こちらをご紹介したい。ニホン国の外交を担当するスガワラ閣下だ」
いろいろな都合で、スガワラの身分に下駄を履かせるピニャである。スガワラもピニャの心遣いだとわかるので『大使』扱いされても、あえて訂正せずそのままに聞き流した。
「はじめまして」
と互いに挨拶をかわす。キケロは「失礼ながらニホンという国について、あまり存じ申し上げていない。どのような国であったかな?」と尊大な態度で語りかけた。
帝国は強大な国だ。周辺の諸侯だけでも十数カ国。外国や属国や、辺境の諸部族といった国の体を成していないものも含めると100余りの地域と外交関係がある。元老院議員であっても、外務の官僚でもなければ、知らない国があってもおかしくはないのだ。
「そうですね。四季があって森や水の綺麗なところです」
これを聞いたキケロは小さく嗤った。彼の細君も、馬鹿にするような視線で肩を竦める。
文明の遅れた蛮地からの使者がどんな国だと問われて、森や水の美しい国と答えるようでは、他には何もありませんと言っているようなものだ。パッと見では切れ者のようだが、実は山出しの田舎者。語学力も帝都の貴族を相手に弁舌を振るうにはまだまだ。キケロは菅原をそう評した。いや、彼の属する国が遅れているのであって、彼個人は悪くない。常に公正でありたいと自戒しているキケロは、軽率に突き落とした菅原の評価を、少しばかり持ち上げることでバランスを取った…つもりである。
これを横で見ているピニャは、キケロの胸中が透けて見えるようだった。
思わずため息が出てしまう。「注意めされよ。もうやられていますぞ」と囁きたくなるのだ。だが彼女は仲介者である。外交の当事者ではない。だから口を挟まないようにしていた。
「我が国の産物を手みやげとして持って参りました。ご笑納いただければ幸いです」
このあたりかなり手の込んだ演出であるが、彼が指を鳴らずと、従者役件護衛として随伴している陸自の直江二等陸曹が、ピニャの従者達の手を借りて、手みやげの入った箱を運び込んで来た。
冷笑していたキケロ夫妻の表情が、だんだんと変遷していく様子は、ピニャをして思わず、頬を綻ろばせてしまうほどだ。
キケロの前に積み上げられる友禅染の見事な絹布、金糸銀糸で彩られた京都西陣織の反物、黒や朱の美しい金沢の漆器類、螺鈿の細工物、錦絵の鮮やかな扇子、薩摩切り子のガラス杯。職人が時の天皇陛下に対して「世界中の婦人の首を、コレで絞めあげてみせましょう」と豪語したと言う志摩の養殖真珠。関の刀工が打った日本刀。そして和紙、洋紙、ペン等一度使ったら手放せない便利な文房具に、金銀鮮やかなカラトリー。陶器、磁器。
物作り日本を代表する工芸・実用の逸品である。
ピニャは、ここ数日のスガワラのやり方を見て、謙遜から入る彼のやり方を鮮やかな物だと思っていた。侮らせ、そして隙を見せた途端に切り込んでくるやり口にやられない者はいなかった。
帝都でも入手不能の美しい品々を見せられれば、誰だろうとニホンとはどんな国だと思う。思わない訳にはいかないのだ。贅沢に慣れた貴族だからこそ、目の前に積まれた物が、どれほどの手間と技術によって作られたかがわかるから。
キケロの細君は、色鮮やかな西陣や友禅染に関心が奪われ、キケロは日本刀の鮮やかな刀身に魅入られたように見つめていた。やはり男である。こちらに目がいくようであった。
「素晴らしい。これらはニホンから?」
「全て、我が国の職人の手によるものです」
「ニホンとは、どれほどに優れた国であろうか?いや、失礼した。侮っておりました」
キケロは、ここで態度を改めた。尊大な態度もなりをひそめて相応の敬意を示す。優れた文物を見抜く鑑識眼と、文化に対して敬意を表すことができる素直な姿勢は尊敬に値すると言えるだろう。
「とは言え、スガワラ閣下もお人が悪い。森や水の美しい国などと言われては、自慢するものがそれしかないのかと思ってしまいますぞ。さあ、教えて下され。ニホンとはどのような国でしょう?」
ピニャは思わず額を抑えた。また、やられてる。
ここで、胸襟を開いて心の防備を解いた解いた途端…。
「我が日本は、帝国とただいま戦争中です。場所は『門』の向こうでございます」
キケロは、口を開いたまま閉じることが出来なかった。
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後の交渉が、菅原のペースで進んだのは言うまでもない。
キケロとしては、主戦論・皇帝派という自らの説を固持し、突っ張るだけで精一杯となっていた。そして、敵の使者をここに連れてきたピニャの行為を、売国とまでは言わないが、それに近い行為だと詰った。
それどころか、精神的劣勢を覆すために『門』を越えてニホンを征服すると、威勢のいいことを口にしたほどだ。軍の再建も着々と進んでいて、あと数ヶ月で完了するだろうとか、新たに徴募した兵が10万になるとか、余計なことまで言ってしまったくらいである。
だが、それはキケロがニホンという国の存在を認め、そこに住む者が侮りがたい敵であることは認めてしまったことを意味する。
菅原としてはキケロに、こちらを対等な交渉相手と認めさせることが出来ただけで成果充分と言える。これで、今後彼が1人でやってきても門前払いされる恐れはない。あとは何かにつけて、少しずつ現実を知らしめていけばいいのだ。
ここで、菅原が差し出した一枚の紙が、ピニャを非難するキケロを黙らせる。そこには、帝国の文字でキケロの細君の妹の息子…つまり甥の名前が記されていた。
「うかがった話では、キケロ殿の甥御になられるとか?この方は、ただいま我が国で捕虜となっております」
「なんと、生きているのか?」
「まぁ!!」傍らで聞いていたキケロの妻が、その嬉しい知らせに、感極まって倒れてしまう。メイド達があわてて彼女を宴席から運び出す。
「実は、ピニャ殿下にこの度の仲介を労を担って頂くことの引き替えとして、殿下からご要望を頂いた数名に限って、無条件で解放する約束を取り結んでおります」
「無条件だと?」
「はい。無条件です」
「身代金の類は必要ないと?」
「強いて言えば、殿下のお骨折りが身代金に相応することとなりましょう。あくまでも殿下のお口添えのある、ごく数名と限らせて頂いておりますが…」
この一言は、ピニャの立場がなくなるような言動はするな、という意味をもってキケロの耳に届いた。
ピニャは、捕虜の命を人質に、『仲介者』として働かされているのだ。そう考える方がキケロとしては受け容れやすくもあった。ならば仕方ないことである。売国行為と詰ったのは間違いだ。彼女は、貴族の子弟を守るために、我が身と名誉を犠牲にして働いているのだから。
これが「捕虜を返して欲しくば、講和に応じろ」、とか「負けを認めろ」というような話だったら、キケロも大いに拒絶しただろう。だが、相手がピニャに求めたのは交渉の仲介でしかない。どのような相手だろうと、どのような状況だろうと、交渉すること自体は悪いことではないのだから、受け容れてもいいと考えた。
仲介者たる彼女の活動を邪魔すれば、捕虜が帰って来れなくなる。また、返還される『ごく数名』の枠も、ピニャと日本との交渉次第で、大きくなったり少なくなったりするのだろう。とすれば、いかに主戦論者たる身でも彼女の邪魔は出来なかった。しかも、自分の甥が帰ってくるかどうかはピニャが決めるのだ。
キケロとしては、ピニャの袖にすがってでも頼みたいところである。だから、彼は何も言わずに彼女の手を取った。ピニャも、表情を穏やかにして頷く。
「実は、今宵デュシー侯爵家令嬢の誕生お祝いのパーティーがあります。後刻、こちらにの招待の知らせが届きましょう」
「失礼だが、何を言われているかわかりませんが?デュシー侯のご令嬢とは面識もありませんが…」
「実は、デュシー家には悲しい出来事がありました。その憂いを払おうということで、侯爵はご令嬢の誕生祝いを盛大になさることにされたのです。妾は、そこに良き知らせを届けたいと思っています。ご相席なさりませんか?」
これでピンときた。
おそらくデュシー家の者が『門』の向こうに出征したのだ。ならば、良い知らせとは当然『彼の存命と帰還のこと』だ。相席する以上、キケロの甥のことも期待して良いだろう。と言うより、相席するかどうかが意思表示になるのだ。
キケロは恭しく頭を下げると、ピニャの手甲に接吻をする。
「是非とも『良き知らせ』が届くその瞬間に、私もお相席させていただきたいと思いますよ。殿下」
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『帝都』で、外務省の菅原がその活動に本腰を入れ始めた頃、アルヌスの難民キャンプたる仮設住宅の群れも、数ヶ月という短い期間にもかかわらず大きく様変わりしていた。
まずは、そのあたりの経緯(いきさつ)について触れておきたい。
それは、帝国皇女ピニャ・コ・ラーダから語学研修生として派遣されてきた騎士団の隊員とその従者達(その全員が女性だが…)の滞在場所として選ばれたことに始まった。
当初、彼女達はピニャが夢見心地の表情で熱く語った、摩天楼と芸術で溢れた都市での研修を希望していた。
だが、その国の言葉を片言も話せないのに海外留学することが無謀であるように、いきなり東京で受け入れるのも乱暴な話である。まして警護にはじまる諸々の事情もある。そこで日常会話くらいはこなせるようになるよう、日本政府はアルヌスの難民キャンプでの教育を施すことにしたのである。
こうすれば、日本側も受け入れの準備にも時間をかけることが出来る。
それに、ここには『特地語』←→『日本語』通訳の権威となりつつある賢者や、それに追随する勢いで日本語を修得している子ども達も多く住んでいる。日本語を学ぶだけなら、東京より最適かも知れないのだ。
日本側の人材としても、伊丹を始めとした陸上自衛隊各偵察隊の面々が『特地』の言葉をある程度解せるようになってるし、さらに外務省の官僚もここで『特地』の言葉を学ぶ予定なので、いろいろと都合が良いのである。
だが、倍以上に増える人口を支えるには、どう見ても棟数が足りない。
いくら露営の訓練も受けているとは言え、騎士団に属するような高貴な女性達にとっては、狭い部屋に相部屋というのもストレスの大きいことだ。それを正面からぶつけられる従者達のストレスはもっと大きいということで、インフラの充実がとても強く叫ばれたのである。それに外務省の官僚だって、難民が仮設で暮らしてて自分達がテント暮らしはまっぴらゴメンと言いだした。そこで臨時の予算が組まれ、仮設住宅よりはちょっとマシな造りの建物が並べられることになった。
さらには井戸を掘って浄水設備をおき、排水路を敷設し浄化槽等の下水を完備し、これらを動かす為のソーラーパネルも設置。こうして小ぶりながらも、日本的な生活ができる環境が整えられた。
ついでに、これまでの生活必需品の無償配給も終了することにした。翼竜の鱗が避難民達の収入源として確保されたから誰からも文句は出ない。
ただ、遠く離れた町まで買い出しに行かないといけないと言うのも不便である。そこで小型ながらも各種の消耗品等を扱う商店(購買部)が設けられることとなった。もちろん、その運営はアルヌス生活者協同組合への委託である。
ところがである。難民のお年寄りや、子ども達がのんびりと店番をしている風景は数日と保たなかった。と言うのもこの商店が『PX(駐屯地購買部)』と呼称されて、出入りの都度に煩雑な手続きが必要な銀座よりも、便利に立ち寄れる店として見られてしまったからである。
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彼女らは、店を大きくしようという気はなかった。
アルヌス生活者協同組合を大きくするつもりもなかった。全ては、自分達の必要を賄えれば良いと思っていただけである。
鱗の販売事業とて、自分達が消費するのに必要な食糧や衣服を買い、いずれコダ村に帰村した時の再建費用として、幾ばくかの蓄えを作り、あとの残りは事業の元手を快く出してくれた(防毒面とか、防護服、各種の消耗品などなどの一切)自衛隊に渡せば良いと考えていたのである。
だが、PXの買い物客は増えた。
騎士団に所属する貴族の令嬢がやってくる。そのお付きのメイドもやってくる。彼女たちには、『門』の向こうから運ばれて来る日用雑貨、衣類、茶などの嗜好品、菓子類等が飛ぶように売れた。
語学研修の外務官僚がやってくる。そして、アルヌスの丘にいる万にも及ぶ自衛官達がやってくる。彼らには東京から送られてくる日用品だけでなく、イタリカで仕入れた、ありふれた民芸品が土産としてこれまた売れた。
店が客であふれかえる。スペースが足りなくなった。
店舗の増築。要望を受けて品数が増える。販売数が増える。仕入れに手が足りない。販売に手が足りない。荷出しに手が足りない。
こうして、子どもや老人がてんてこ舞いしているところを見かねたのか、貴族のお嬢様の従者たる女性数名が手伝いを申し出てくれた。(この背景には、『門』の向こうで売られている珍しい商品のカタログ…主に婦人用の下着等とかを見ることが出来、自分が欲しいものを発注できるというメリットがあった)
これがまた、若き男性たる自衛官達を引き寄せることになってしまう。客がさらに増えて、ますます手が足りなくなると言う悪(?)循環。手伝いの女性達も本業を疎かにするわけにもいかず…わずか数日で、専従のスタッフを雇う必要が出来てしまったのである。
特地では、人の雇い方はコネクションが主流だ。ハローワークもないし、人材紹介サービスもないからだ。だから「誰か気の利いた人はいない?」と有力者に頼むことになる。すると、その人伝で人材が紹介されて来る。紹介する方もされる方も、信用がかかっているから変なところに紹介できないし、変な人材を送れない。
アルヌス生活者協同組合は、商取引で関係を深めつつあるイタリカのフォルマル伯爵家を通じて人を紹介して貰った。そしてやって来たのは猫耳の女性達だった。フォルマル伯爵家では貧困対策として、彼女達のような亜人をハウスメイドとして雇用しているくらいだから当たり前と言えば当たり前かも知れない。こうして悪(?)循環が加速する。
さらに悪い(?)ことは重なる。
竜の鱗は扱いの単価が非常に高くて利幅も大きい。そのために、各地の行商人を招き寄せる魅力があった。竜の鱗を仕入れようと、商人達が次々とアルヌスを訪れる。そこで彼らが見た物は、『門』の向こうから取り寄せられた珍しくも貴重で便利な品々。
例えば、『紙』だの『鉛筆』だの、伸縮性のある生地で作られた衣服等々…そういったものに商人達が飛びつかないはずがない。飛びつかないようなら商人たる資格はない。こうして、これらの品を大量に仕入れたいという粘着質な要望に(泥棒する奴も出た)、お年寄りと子どもの集団であるアルヌス生活者協同組合も、断り切れなくなってしまったのである。
レレイは、ため息をつきながらも日本語で注文書を書いて伊丹に託し、伊丹が東京の問屋とか企業に送りつける。売っては仕入れ、また売るという繰り返し。いっそのこと、電話回線を引いてFAXを置こう、という話も出ている。一部外務官僚からは光回線を引いてくれという希望も出ていて、前向きに検討中である。
こうして気がついてみると、その経済活動の規模はとっても大きくなっちゃったのである。
利益が大きくなっちゃえば、また商人が集まってくる。だが、あんまりやって来られても迷惑なのだ。何しろ、宿もなければ食事を出す店もないのだから。集まった商人達は、難民キャンプの外で危険な野宿と野営である。当然悪事を考える奴も出てくる。そのために、警務隊が交代で常駐する羽目になった。
商人達に来ないようにしてもらうには、商品をこちらから運ぶしかない。その為には人を雇わないといけなくなって、隊商を送るなら護衛も必要になる。流石にそこまでは自衛隊に頼めないので、傭兵を雇うことになる。そうすると彼らが寝起きする場所も必要で、また建物を増やす必要が出てきた。
ここまで来ると「また、仮設住宅を建てて」とお強請りもできないので、自分達で大工や職人を手配して、建物を建てることとなった。こうして集まったドワーフの職人とか大工、それと組合で雇った行商人、ちょっと荒くれた感じの傭兵達…彼らに食事を提供する場所が必要になって、屋台村みたいな食堂をつくって料理人を雇う。料理人が色気を出して酒を出したりすることを始めて、また客が増えたりして、店が夜間も稼働し始めると自衛官達も客として来たりする。酒を出す店としての従業員が必要になって、またまたフォルマル伯爵家を通じて人材を紹介して貰う。すると来たのは、やっぱりウサ耳姉妹達とか狐耳とか、犬耳とか…獣系の娘達だったりする。
そんな感じで、アルヌスの難民キャンプは、いろいろな種族が流れ込んで来る上げ潮的な気配があって、しかも『特地』と日本文化が混ざり合ってアナーキーに発展中。
こうしてここは、『アルヌスの街』と呼ばれるようになったのである。
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アルヌスの街は賑やかになった。そして更に賑やかに成りつつあった。数ヶ月前は人口30名に満たない難民キャンプだったと誰が信じるだろう。
日中は、槌音とノコギリの音が響いて、親方が弟子を叱咤する声が時折轟いたりするし、荷物を満載した商人の荷車とか、それを護衛する傭兵達が金属音とか足音を響かせてたりしながら外へ行き、また帰って来る。
新しくやって来た行商人が、路肩に勝手に露店を開いている。見れば民芸品とか、どこで拾ってきたのかわからないのような宝石貴石の原石を並べてて、戦闘服の自衛官とか、メイドさんとかに「ちょっと見てかない?」とか言って声をかけている。あまり売れ行きは良くなさそうだが。
陽が沈む頃合いになれば、ちょっとした屋台村みたいな店のまわりに薪が焚かれて闇の中で明るく浮かび上がる。
オープンカフェばりに20くらいのテーブルが並べられて、そこに太ったドワーフとか、ホビットとか、PX勤務の猫耳娘とか、お嬢様付きのメイドさんとか、組合で雇ったヒト種の商人とか護衛兵とか、職を求めてやってきた傭兵(多分、連合諸王国軍の敗残兵だろう)とか、外来の行商人とかが、自衛官とかが肩を寄せ合うほどの狭さの中で泡立つビールジョッキを手にして、乾杯している。
奥の方では、筋肉質の白髪のおっさんが、料理をして威勢のいい声で注文をうけてたりする。
もちろん、それぞれのテーブルもにぎやかだ。その一つに目を向けてみると…。
元兵士っぽい男が、腰から剣を外しながら、木製の席にどっかりと腰を下ろして、ため息というかホッとした感じの息を吐いて一緒にテーブルの上に剣を、どちゃっと載せた。
「おいっ、面接どうだった?」
「おいよ。なんとか護衛の仕事にありつけた。イタリカと帝都間の交易路の護衛だとよ」
正面に座っていた髭男が、ジョッキ片手に身を寄せてきたので元兵士っぽい男は破顔して、面接結果を述べた。
喉を潤すために、まずは一杯とばかりに「おいっ、エール!!」と注文。すると、店のウサ耳姉ちゃんに「ここじゃあ、エールなんてもん扱ってないよ。ビールならあるけどねっ!!」と言われてしまった。
「ビール?」
「美味いぞ。ここでしか飲めねぇしろものだ。騙されたと思って飲んで見ろ」
と言われて不承不承注文する。出てきた冷えた泡麦酒を口にして一言。
「美味いっ!」
「イタリカ往復の隊商護衛は今のところ全部で8隊ある。俺と一緒ならいいな」
「もし一緒だったらよろしく」と、2人の男は握手。髭男は、辺りを見渡してから声をひそめた。
「前は何してた?」
「折角仕事にありつけたってのに、んなこと言えるかよ。イタリカを襲った連中の末路を聞いて、俺は身が竦んだぜ」
「で、真面目に職探しってか?へっへっ」
「心を入れ替えて真面目に生きるのが一番だぜ」「そだ、そだ」
などという会話が交わされていたりする。
「はいよっ、お待ちぃ」
ウサ耳の姐さんって雰囲気の鉄火肌の女性が、大皿に盛りつけた肉とか野菜を、彼らの頭越しに「ほら、とっとと喰え」とでも言わんばかりにテーブルにデンと置いた。粗野な感じの髭傭兵が、魅力的な曲線を描く彼女のおしりに手を這わせて、回し蹴りをくらって吹っ飛んでいったりする。
一撃で伸された傭兵を見て、間抜けな奴とみんなが笑って、ウサ耳の姐さんが「おとつい来やがれってのっ!!」と、拳骨を振るわせた。
切ったタンカが、「あたいの尻はね、安くないよっ!!」である。
そんな中、「よお、デリラ。いくら払えば触らせてくれるんだい?」などと不埒なセクハラ発言をかましながら伊丹がやってくる。ロゥリィとか、黒川とか、桑原曹長を連れていた。
するとデリラという名のウサ耳姐さんは、顔を真っ赤にして「イ、イタミのだんな。嫌だぁ、もぅっ!!」と両手で顔を覆うと店の奥へと逃げ去ってしまった。
「イタミの旦那!!奥の貴賓席が空いてますぜっ!!」と料理長の白髪おっさんが声をかけてくる。
「いいよ。ここがいいんだ」
屋台村とは言いながらも、一応奥には屋根と壁で囲まれた食堂スペースがある。と言うより、本来の食堂はそっちだったのである。だが利用者の急増によって、客が入りきれなくなって、食堂の外にテーブルを置くようになったのだ。
現在は、貴賓席と呼ばれて元から居た難民とか、外務省派遣の官僚連中とか、騎士団のお嬢様方とか、自衛隊の幹部連中専用の場所という扱いになっている。要するにお上品に食べたり飲んだりするするためのスペースだ。
伊丹も、二尉で幹部なのだから貴賓席を理由する資格があったが、個人的にはこうした粗野な喧噪が好きなのでこちらを利用するようにしている。
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「で、話ってのは?」
伊丹が座り、その向かいに黒川が腰を下ろす。ロゥリィは伊丹の隣で、桑原のおやっさんは黒川の隣だ。このメンバーでは、第三偵察隊とその関係者の人事や人間関係について話しあわれることが多い。
ロィリィがとりあえずということで、全員分の生ビール大ジョッキを注文する。店の奥に逃げ込んで出てこないデリラに代わって、ドーラという狐耳ふわふわしっぽ娘が注文をとって去っていった。
届いた大ジョッキを、一口あおってから黒川は低めの声で言い放った。
「もちろん、テュカのことですわ。いつまで放っておく、おつもりでしょうか?」
ふと、黒川の背後に視線を向けると話題のテュカが小走りに駆け寄って、店の様子を見渡している。見るからに『誰か』を捜している様子である。
「テュカぁ!なにをしているのぉ?」
ロゥリィが声をかけた。
「う、うん。ちょっとねぇ」
「誰か人捜しぃかなぁ?」
「えっ?」
「もしかしてぇ、男だったりぃ?」
テュカは「違う違う」と手を振ると、苦笑しつつ屋台村から去っていった。
それを見送った黒川は「ああして、毎日これくらいの時間になると居るはずのない人を捜して歩いている」と告げた。そして、伊丹にどうするつもりなのかと重ねて尋ねた。
隣では、桑原が目の前の黒ゴス少女がジョッキを口に運んでいるのを眺めて、ため息をついていた。外見少女の彼女が生ビールをあおっていると言うのは、良識派の桑原にとって非常に抵抗感ある風景なのだ。だが、かつてそのことを指摘したところ、ロゥリィからこっぴどく『坊や』扱いされてしまった。そりゃ900才過ぎを前にしては、いかに50才でも子どもだろう。とは言え酷く屈辱的だったのも確かで、それと同じように、彼女も感じている事に気付いて胸中複雑である。
「でも、無理矢理現実を認識させる必要、あるのかしらぁ?」
嘯くように言うロゥリィに、看護師でもある黒川は強く言い放った。
「あるに決まってます」
「そうかしらぁ。現実を受け容れることが出来ないからこそぉ、父親が生きていると必死になって思いこんでいるのではないのぉ?」
「それは逃げですわ」
「逃げてはいけないのぉ?」
「いけないに決まってますわ。人は、現実をしっかりと見つめて、受け止めてこそ、明日を目指して生きて行くことが出来るのですわ。現実の否定で、『今』を誤魔化すことは出来ても、明日は来ません。いえ、誤魔化せば誤魔化した分、『明日』は過酷なものとなるでしょう。テュカのお父様はここにはいないのです。多分…おそらくあの焼け跡から見ても…もう亡くなられたことでしょう。そのことをしっかりと受け止めなければ、彼女が、それを認めなければ、現実と妄想の狭間で、『今』という時を消費するだけの毎日になってしまいますわ」
ロゥリィは、肩を落として疲れたような息を吐くと、手にしたジョッキの中身を飲み干した。彼女の背中は、正論と理屈を並べる子どもを前に「人生はそれだけじゃないんだよ」と、どう言い聞かせたらいいだろうと思い悩んでいるかのようにも見えた。
黒川が考えているようなことはロゥリィも考えていたことがある。いや、正しいと今でも思っている。だが、それは『正しい』と言うだけなのだ。
正しさでは人は救えない。
黒川の今立っている場所は自分も通ってきた道だった。そして、誰に言われてもそれと気付くことが出来ずに、結局のところ自分で悟るしかなかったのだ。痛い思いと共に…。それを我が身で知るからこそ、どう語ればよいのかと、悩むのである。
伊丹が、口を開いた。
「なあ、黒川。俺たちが、よってたかってテュカを取り囲んで、みんなで『お前の父親は死んだんだ』と言い聞かせて、現実を認めさせたとしよう。そうしたらどうなる?」
「どうなる?『喪の仕事』と呼ばれる悲しみの期間を過ごして、やがて父親が亡くなったことを受け入れて生きていきますわ。彼女の人生は私たちのものより長いのです。永遠に近い時を、ただ死者を思い描いて生きるだけでは寂しすぎます」
「それはぁ、確かにそうなんでしょうけどねぇ」
ロゥリィは頭の後ろで手を組むと、星の瞬く天を仰ぎ見た。960年かぁ。長かったって言えば、長いし、短かったと言えば短かったしぃ…と呟く。960年の間に出会ってきた親しい者達。そして必ず訪れるそれらとの別離。自分は乗り越えることが出来た。だからといって、他人にも出来ると思うのは傲慢と思う。と、同時に他人には出来ないと決めてかかるのは不遜ではないかとも思っていた。答えは未だに出ていない。きっと出ないだろう。
「黒川、お前の言うようにしたとしよう。テュカは、悲しみを受け止めきれると思うか?今は、現実と妄想の狭間で生きているが、現実を突きつけることで、決定的に現実から目をそらして、いよいよ『あっち』の方向に行ってしまわないとどうして言えるんだ?」
その言葉にロゥリィは驚いた。伊丹からそんな言葉が出てくるとは思わなかったのだ。
『正しさ』は劇薬に似ている。誰もを黙らせる力があり、よく効くからこそ頼りたくなる。だがそれ故に、人を絶体絶命の窮地に追いやることもあるのだ。伊丹のような、最も現実に背を向けている男が、どうしてそのことを知っているのかと思うとロゥリィは思わず苦笑してしまった。伊丹という男、以前から興味深くはあったが、ますます興味を感じる。
「そ、それは……」
「大丈夫だと言い切れるほど、お前はテュカのことを知っているのか?俺たちは、そしてお前には彼女を支える力があるのか?俺たちは臨床心理士でもなければ精神保健福祉士でもないんだぞ。テュカの『こころ』に寄り添い続けてやれる立場じゃないんだ。今日真実を突きつけて、明日撤退命令が出たらどうする?」
「……………つまり、このままにしておけとおっしゃるのですね?!」
「ああ。悪いことは言わない。最後まで責任を持てないなら何もするな。余計に拗れるだけだ」
伊丹は、冷たく黒川に言い放つのだった。
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第三偵察隊は、帝都に滞在している外務官僚(菅原)への連絡任務のために、明日出発することになっている。その支度があると称して、黒川が腹立ち混じりの表情で中座し、隊舎まで送ると言うことで桑原が付き添っていった。
残された伊丹とロゥリィは、差し向かいで飲みつづけていた。
「呑みなさいよぉ。お馬鹿さぁん」
ロゥリィが、伊丹にもっと呑めと、ジョッキを突きだした。伊丹は、苦笑しつつ自分のジョッキをコツンと合わせる。
「あんな言い方する必要なかったんじゃなぁい?随分と冷たい感じぃ。クロカワからの評価は、断崖絶壁急転落ねぇ」
「誰にも彼にも優しくできるほど、懐が広くないんでね。仕方ないさ」
「ふ~ん、その懐の定員は少ないのねぇ」
そう言いつつも、ロゥリィは内心では「嘘つきぃ」と呟いていた。
この男、わざと冷たく振る舞ったのだ。黒川の好きなようにやらせてみて、最悪の結果が出ても「上手く行かなくて残念だったな」で、終わらせることも出来るのだから。
「1人か2人が精一杯かな」
「1人にしておきなさぁい。または、1人だけだと思わせなさぁい」
「どうして?」
「女にモテるからよぉ」
「優しくないとモテないんじゃないのか?」
「逆よぉ。女から見て、誰にも彼にも優しくする男ってぇ…そうねぇ、男から見たらぁ…誰にでも股を開く女に似てるかもぉ」
「はぁ?」
「優しさに飢えている時はてっとり早くて都合がいいけれどぉ、伴侶にしたいかって言うとぉ、ちょっとねぇ。優しくしてもらえるのが1人だけならぁ、その1人だけの座が欲しいって思うのが女なのよぉ」
「ふぅん。そんなもんかねぇ………ロゥリィは優しいな。死と断罪の神様エムロイだっけ?その使徒の1柱で『死神』なんておっかないアダ名がついてる癖に」
「あらぁ?誤解があるわねぇ。死を司るということは、生を司ることを意味するの。死とは生の終演、どのように死ぬかは、どのように生きたかを意味するわ。最良の死を迎えるには、生きることを尊ばなければならない。どうでも良いような人生の果てにある死は、どうでも良い死になり果てるのよぉ」
「そうなのか」
ロゥリィは「そうよ」と微笑むとジョッキの中身を飲み干した。「おかわりっ!!」
「おいおい、そのへんにしておけよ。酔っ払っても知らないぞ」
「いやぁよぉ。優しくしてよぉ」
「じゃ、とりあえずは、寝床までは運んでやります」
「けちぃ」
ロゥリィのつま先が伊丹の脛を蹴った。
「痛てっぇなぁ、もう!」
脛を撫でる伊丹を指さして、ロゥリィは鈴を転がすように笑う。
そんな2人やりとりに、ハスキーな女声が割り込んだ。
「なんだここは?ガキに酒を呑ますのか。それと、そこの男、幼気な少女を酔わせて何を目論んでいる?まさかとは思うが卑劣なことを考えているのではあるまいな?!」
突然、その場が打ったように静まりかえった。
喧噪が途絶え、灯火の薪がはぜる音だけが、響いている。
荒くれの傭兵連中も、無骨なドワーフも、顔面を蒼白にして黙り込み、少なくとも、このアルヌスでは、絶対に口にしてはいけないとされている言葉を吐いた強者の姿を盗み見ようと、ゆっくりと視線をめぐらせた。
くすんだ白のターバンを巻いた痩身の男…いや、女か。
褐色の肌に、銀髪。そして長穂耳。
それはこの世界にて、ダーク・エルフと呼ばれる種族の女だった。
[1507] 自衛隊 彼の地にて、斯く戦えり /正式版 31
Name: とどく=たくさん◆20b68893 E-MAIL ID:5eba37fb
Date: 2008/08/19 20:32
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「なんだここは?ガキに酒を呑ますのか。それと、そこの男、幼気な少女を酔わせて何を目論んでいる?まさかとは思うが卑劣なことを考えているのではあるまいな?!」
その女声が響くまで、ロゥリィはこの上ないほどにご機嫌だった。
伊丹 耀司との逢瀬が、楽しかったからだ。
雰囲気もまずまずだし、ビールも美味しい。このままヨウジを際どい冗句でからかい続け、酔っ払って眠りこけたフリをして見せれば、ベットまで運ばせることに成功するだろう、いや成功したはずだった……。
……眠っているロゥリィを、伊丹は壊れ物でも扱うかのように慎重に運ぶ。
彼女の身体を優しくベットに横たえ、その頭を柔らかな枕にそっと載せる。
長い黒髪が絡んだりしないようにという配慮で、指先で上手に梳(くしけず)るようにしながら捌き置いて、神官服には皺をつくらないように、その裾を丁寧に整える。そしてブーツだけは脱がす。
伊丹はロゥリィの左足首からふくらはぎをそっと撫でるようにして包み持つと、右手で彼女の膝裏の辺りを支えて、『く』の字に曲げさせた。当然、フリルスカートの裾が乱れて、彼女の腿…その付け根近くまでが顕わになった。
だが、伊丹は気付かない。あるいは気付いていても黙殺する。
左手で靴紐の先を摘み持って、あたかもプレゼントの箱を開くような面もちでツツッと引き解いた。
十分に靴ひもをゆるめたら、ふくらはぎとブーツの狭い隙間に、伊丹の指先がいよいよ分け入った。
「…あっ…ん」
その感触は足裏マッサージのそれに近くて、思わずため息が漏れてしまうかも。
こうして、靴とロゥリィの素肌との間に充分な空間が開いたら、伊丹はブーツの踵を掴んで「いくぞ。いいな」と声をかけた。
目を閉じたままのロゥリィは、頬を紅色に染めつつも頷いたか、頷かないか程度の小さな反応を見せだけだった。
だが、伊丹にはそれで充分だった。いや、反応がなくとも伊丹は待たなかっただろう。意を決した伊丹はもう後戻りしない。やや強引なまでに、彼女の左足からブーツを引き抜いていった。こうして、それまで漆黒の革靴で隠されていた、白いレースの生地に包まれた足が顕れる。
「いたぃっ……………お願い………乱暴にしないでぇ」
ロゥリィは小さな声で懇願した。だが、冷酷な伊丹はロゥリィの声を無視していよいよ右足のブーツへと手をかけた。
…………事を終えた伊丹は、彼女の部屋から出ていこうとする。寝台の横には、彼女のブーツがきちんとそろえて置かれていた。
でも、彼女の手は、伊丹の袖を硬く掴んで離さない。
「しょうのない奴だ」
とかなんとか言いながら、伊丹はロゥリイの指を優しく解きほぐそうとするかも知れない。と言うか、是非して欲しい。そうしたら両手を伸ばして伊丹の頭をがばっと抱きかかえ、ベットへと引きずり込んで寝技へと持ち込む。
後は、いろいろとムフフな展開を朝まで……と思っていたのだ。
すなわち、相手を酔わせていろいろ目論んでいたのはロゥリィなのであった。卑劣かどうかは別にして…。
なのに、なのにそれなのに。邪魔したあげく、このロゥリィ・マーキュリーをガキ扱い。
ロゥリィは、唇をとがらせ、震える拳を隠しながら声の主へと振り返った。
見ればダークエルフの女だった。
300歳前後だろう。人間で言えば20代後半から30代前半の外見である。
南方の部族なのか、旅塵を避けるために頭にターバンを巻いて、身体はマントンで覆っていた。
マントンは魔導師のローブにも似ているが、それよりももっと雑な構造をしている。ただの布きれに身体に巻いただけなのだ。ある程度の意匠をこらすこともあるが、この女の場合はすり切れそうな無地の生地をそのまま纏っていた。だからだろうか、布の隙間から彼女の肢体が微妙に垣間見えるのだが、それがまた気にくわない。
見た感じ、いかにも肉感的で男好きのしそうな身体なのだ。しかも、ダークエルフ特有のボンテージ鎧を纏っている。
ボンテージ鎧とは俗称で、防具としての分類は『革鎧』に該当する。鞣(なめ)した革に鋲や金具をとりつけてデザイン性と若干の防御力強化をはかっている。身体にぴったりとした扇情的とも思えるデザインも、戦闘時の動作の邪魔をしないためで敏捷性への負荷が極力少なくすることが目的のはずである。
南方のダークエルフの部族は、軽快かつ俊敏な戦闘術を伝承していると伝え聞く。そのために、このような防具が発達したのだろう。
そんな女が、ロゥリィと伊丹の2人を前に仁王立ちしていた。
彼女の右手はサーベルの柄にかかっていて、すぐにも伊丹に斬りかりそうな剣呑な気配を放っていた。
「あなたは、誰ぇ?何しにここにぃ?」
ロゥリィは、怒るよりも前に、いや既に充分に怒っているのだが、その事を表明する前に、女についての情報を得ることにした。いくら900才を越えていてもこの見てくれだ。間違えることは仕方ないと思う。だから、ぶん殴ったり、斬りかかったりするような理不尽なことをするつもりはなかった。だけど、意地悪くらいはしてやりたい。
ダークエルフの女は、怯えで身体を振るわせている(ように見える)少女を、安心させようとしてか、その質問に丁寧に応えた。
「我が名はヤオ。ダークエルフ、シュワルツの森部族デュッシ氏族。デハンの娘 ヤオ・ハ・デュッシ。こちらに『緑の人』の一党が駐留されていると聞き、用件ありて参った次第」
途端、ロゥリィはその瞳を輝かせた。彼女はヤオと名乗ったダークエルフの女に、救いを求める無力な少女のように駆け寄ると、その背中に隠れて言い放つ。
「お願いっ助けてっ!この男、もう呑めません、許してくださいって頼んでいるのに、俺の酒が呑めないのかとしつっこいんですっ!!」
………もとより静まりかえっていたが、場は更に静まりかえった。誰かの唾を飲み込む音すら聞こえるほどである。
伊丹は「えっ?オレ」と自らを指さして周囲に救いを求めるように視線を巡らせる。だが、誰も助けてはくれない。伊丹を残して他の客達は、数人がかりで料理の載ったテーブルを持ち上げると、えっちらおっちらと避難を始め、伊丹独りがポツンと残される。
「やはり、そうであったか」
「この男、あたしを酔い潰して、その後で手込めにするつもりだったんですっ!あともう少し呑まされていたら、わたしぃは前後不覚に酔っ払って、あれやこれやとても口では言えないようなことをされたあげく、ボロくずみたいに捨てられていたんだわぁ!!」
よよよ、と両手で顔を覆って崩れ落ちて見せるロゥリィ・マーキュリー。ヤオはその痛ましく見える姿に「可哀想に、恐かったであろう?」と慰めた。その声色は、悪人三昧の男に対する正義の怒りで震えていた。
伊丹の目には、顔を覆う両手の隙間から、ペロリと舌を出しているロゥリィの素顔が見えた。その瞳は伊丹に「ゴメンね」と語っていて思わず天を仰ぎたくなる。
ある種の女性は時として、親しい仲の男に対してこういう振る舞いに及ぶことがある。例えば車の運転中に、いきなり目隠しをしてきたり(ホントに危険である)して、叱りつけると「怒っちゃ嫌」と泣く。こうした理不尽な振る舞い(女性からすると無邪気な悪戯だそうである)に耐えることもまた、男の甲斐性の内に含まれているようなのである。聞いた話に寄れば、女性がこうした振る舞いに及ぶのは、女性側の無言の期待に男が応えない時、とも言うから是非気をつけておきたい。
「己の薄汚い獣欲を充たさんと、幼気な少女に酒を無理強いするなど不埒千万。断じて、許せぬ」
ヤオは伊丹との距離を詰めつつ、ゆっくりとサーベルを引き抜いた。
彼女の右手には見るからに斬れそうな刀身が、篝火の光を受けて輝いている。
「安心するがいい。今すぐこの不埒者を成敗し、おまえの安逸を取り戻してやる」
ヤオはロゥリィを安心させようと微笑みながら語りかけた。
そして、再び目標へと視線を向けたのだが、その時には座る者の居ない椅子と、ビールのジョッキが転がっているだけだった。
「は、はやっ」
「ダンナ、見事なもんだねぇ」
一部始終を見ていた観客達を代表して料理長とデリラが呟いた。
「あばよ~とっつぁん。飲み代はツケといてくれ」
『とっつぁん』とはこの場合料理長のことである。銭形警部ではない。
見れば、夜の闇に向こうへと伊丹の背中が消えていく。ちょっと振り返って手を振っているところなぞ、小気味の良さを感じさせるほどであった。
あまりの逃げっぷりに一同、しばし身動きが出来なかったが、しばらくすると何事もなかったかのように酒盛りと食事を再開した。
料理長は、カウンターの柱に画鋲で留められている何枚かのカードから、伊丹のカードを取り出すと、鉛筆でツケに入れる今回の代金を書き込んでいた。
抜いた剣の降ろし場所を失って、呆然としていたダークエルフのヤオも、我に返ると「コホン」と咳払いをして「よし、悪は逃げ去った」とまとめる。
サーベルを鞘に戻して、「もう大丈夫だぞ…」と少女に声をかけようとしたところ、もう少女の姿も見あたらない。
ついさっきまで自分の腰にしがみついて震えていたはずなのに、まるで幻であったかのように、黒ゴス神官服の少女の姿が見えなくなっていた。別に礼をして欲しかったわけではないが、一言あってしかるべきだろうとも思えて、つい「随分と礼儀を知らないガキだ。服装からすればエムロイを祀る巫女見習いだろうが、どこの神殿の所属だろうか?躾が成ってないな」とひとり愚痴をこぼす。
「ほら、注文するならさっさと座りな。それともただの冷やかしかい?冷やかしなら出ていっておくれっ。邪魔だから」
デリラに声をかけられて、もともと食事をするつもりであったことを思い出したヤオは「ああ、すまん」と招かれるままに、カウンター席に腰を下ろした。
包丁をふるっていた料理長が、ヤオに尋ねた。
「お客さん。何にする?」
「晩の食事がまだだ。肉と野菜の焼いたものを適当に見繕って欲しい。それと飲み物は軽いものにしてくれ」
「酒精は入っていていいのか?」
「ああ」
「デリラ。こちらダークエルフのお姐さんにビールだ」
「はいよっ!!」
隣の席のドワーフが、相当酔っていることのわかる赤鼻顔で「よっ、ダークエルフの女。お前、緑の人を訪ねてきたんだって?なんでだ?」と語りかけてきた。
ヤオを挟んで反対側の猫耳の娘も「わざわざ、緑の人を訪ねてこんなところまで来るニャんて、訳ありだニャ?」と気安く肩を叩いてくる。
自分という存在が、酔っぱらい共の酒のつまみとなっていることに気付かないヤオは、その気安い態度を好意的に誤解した。
「ふむ、垣根が低くて良い人達のようだ。丁度良い、話を聞いて貰いたい。緑の人を探してここまで来たのは、頼みたいことがあるのだ。諸君は、緑の人がどこにおられるか知っているか?」
「頼み?」
「そうだ。是が非でも、彼の者達の力を借りなければならないのだ」
……なるほど。それでロゥリィはあんな芝居をやらかしたと。死神ロゥリィの復讐がこのように為されたことを理解した一同は、無言で「あんたは、その緑の人にサーベル抜いたんだよ。ご愁傷様」とヤオを悼むのだった。
誤解にしろ何にしろ、自分に向けて剣を抜くような人物の頼み事を、快く引き受ける人は少ないだろう。彼女が目的を達成するには、誤解を解いて謝罪をして、さらに機嫌を取ってと、最初から高いハードルがさらに高くなってしまったのだ。
ドワーフの男は、思わずヤオから目を背けると呟いた。
「もしかすると、無理かも知れんなぁ」
猫耳娘も、ヤオから目を背ける。
「そうだニャァ。非常に難しいと思うニャ」
「何故だ?緑の人は高潔な者達と聞き及んでいる。ならば困っている者を見捨てることはないと思うのだが…………諸君がそのように言うには、何か訳があるのか?」
そこまで語ったところで、デリラが「はい、お待ちっ!!」とヤオの前にジョッキを置く。泡立つ黄金の液体を前に、ヤオは「これがビールか」と呟いて、まず一口含んだ。
「うむ。美味い」
そこに料理長の料理が、ヤオの前にならべられていく。
ヤオはそれらに舌鼓を打ちながら「無論、無料でものを頼もうとは思っておらぬ。報酬も、族長よりこれこのとおり、預かってきている」とテーブルの上に、ドンと、人の頭サイズの革袋を置いた。ちなみに盗難除けに冥王ハーディの護符も括り付けられている。正当な所有者以外が手にすると、呪いをかけるというものである。
「金剛石の原石だ」
これには、傭兵達が騒いだ。ちょっとした一財産どころではないからだ。これだけあれば爵位と領地だって買える。しかもダークエルフ謹製ハーディの護符つきだ。これ単体でも相当な高値がつくはず。
「それに、もしこれでも足らないということであれば、我が身を捧げることも厭わぬつもりだ。すでに覚悟は完了している。親類縁者とも、別離は済ませてきた」
「おおおおおっ!」
今度は、傭兵のみならず男達と一部の女が騒ぎだした。
ヤオの肢体はそれほどに魅力的だった。これを好きなように出来ると聞いて心動かない男は居ないだろう。
傭兵の1人が、俺では駄目かと言い出し、他の傭兵達も「オレも、オレも」と後に続く。ヤオは大人の女としての余裕からか「困った男達だ」という感じで小さく微笑んだ。その上で、「申し訳ないが、おそらく諸君では役者が不足するだろう」と告げたのだった。
「ま、それだけのお宝に加えて、我が身すら差しだそうってんだから、頼み事って言うのも簡単なことではないってことだろうな」
「そうだ」
「で、頼み事というのはどんな内容なんだ?」
周囲の視線が集まる中、ヤオはジョッキのビールをさらに一口含んで喉を潤してから重々しく語った。
「手負い炎龍の、退治だ」
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シュワルツの森に炎龍が飛来したのは、数ヶ月ほど前だった。
それは突然だった。ただ集落に住まうダークエルフ達の殆どが、たまたまの祭祀で村から出払っていたために、留守を守っていた少数の男女が犠牲になるだけで済んだのである。
だが、その程度で炎龍が満ち足りることもなく、空腹になる度に飛来する炎龍によって、多くの同胞が犠牲となっていった。
このままでは部族が滅んでしまう。
ダークエルフ達は、炎龍の狩り場となり果てたシュワルツの森を捨てて、周辺の荒野や渓谷、山岳地帯へと分散して隠れ住むことにした。
炎龍の襲撃から逃げまわる生活が始まった。
毎日毎夜、空を警戒し飛ぶものなら小鳥にすら怯え、空襲を警告する角笛が響けば、地に掘った穴にモグラのごとく逃げ込んでは恐怖に身を震わせる。
ほんの僅かな油断に炎龍は襲いかかった。
穴ごと焼き払われ、ほじくり出され、時に踏みつぶさる。
朝挨拶を交わした同胞が、夕刻には炎龍の鋭い牙に噛み砕かれ、咀嚼され、嚥下される。
耳にこびり付く悲鳴、断末魔の絶叫に背を向けて両手で耳をふさいで、友の犠牲が生み出した貴重な時間を使って、より険しい山へ、より深い谷底へと彼らは隠れ家を移していったのである。
しかし、逃げ隠れしているだけでは生きて行くことは出来ない。
毎日の糧を得るには、狩猟なり採集なりしなければならないのだから。だが、エルフにとっての狩り場とは、炎龍にとっても狩り場であった。
狙われながら狙い、獲物を捕った瞬間に自らが獲物となる。こうした危険を避けつつ、得られる糧など、量質共にたかが知れた。
木の皮を削り薄皮を蒸して食べ、泥水をすする。そんな毎日が続く。
集落から持ち出した蓄えは次第に乏しくなっていく。次第に軽くなっていく麦櫃や果籠に不安を抱き、悲壮な覚悟で弓を手に狩り場へと出ていく若者達。
犠牲者が毎日のように出る。
両親を失った子供のすすり泣きや、娘や息子を失った親が炎龍を呪詛する声が止む日は、1日とてなかった。
復讐の怒りから剣を取り、弓を持って絶望的な戦いに挑む者もいた。
だが、累卵をいくら束ねても巨岩を阻むことが適わないように、彼らの挑戦もまた、犠牲を増やすだけに終わった。
精霊の加護も、神銀の鏃も、強靱な鎧にも似た炎龍の鱗を貫くことは出来ない。
魔法の剣にわずかな可能性が見いだされたが、その切っ先の届く間合いに入れなければ、全くの無力である。炎龍の巣に無数に転がっている魔法の剣。その中に、新たなる1本が加わることとなった。
絶望と虚無がダークエルフ達の心を捕らえていく。
冥王ハーディへの信仰が、彼岸への憧れへとすり替わり、処刑台の笑いにも似た絶望微笑が不治の疫病のごとく部族中へと蔓延していく。生きることに希望を失い、自暴自棄の振る舞いに及ぶ者も絶えない。
このままではいけない。こころある1人が、言った。
「あの炎龍にだって弱点はある。あの片目につきたっている矢がその証拠だ」
炎龍の片目に一矢報いたであろう神業のエルフの存在が、彼らを勇気をわずかながら呼び覚ました。
「炎龍だろうと、必ず倒す術がある。あのもぎ取られた左肩がその証拠だ」
時を同じくして風とともに流れてきた『緑の人』の噂。
『鉄の逸物』と名付けられた魔杖は炎龍の左肩すらうち砕き、滅びに瀕したヒト種の村を絶体絶命の窮地からすくい上げたと言う。その噂は、滅びに瀕したダークエルフにとって最後の希望となった。
そして、部族の総意を託す遣いが立てられることとなる。
遣いの者に託された任は重い。
炎龍の魔爪から逃れ、噂だけを頼りに緑の人の元へとたどり着かねばならないのだから。強靱な精神力と責任感、そして優れた生存力が求められる。
遣いの者に託された任は想い。
『緑の人』を援軍に請い願い、いかなる手段を用いようとも助勢を引き出さなければならない。失敗は部族の、同胞や友人の滅びを意味する。
これだけの責務、到底、凡夫では成し遂げられない。
相応の武芸、知性の双方に恵まれて、さらには中途で使命を投げ出したりしない、使命感と忠誠心に篤い者でなければならない。
部族中から若者が集められ、篩(ふる)いにかけられていく。
そして2名の者が残った。その片方が、ヤオ・ハ・デュッシである。
剣の腕と知性に優れ、精霊を使役する技にも精通する。
その不器用なまでの生真面目さは、部族中に知れ渡り知らない者はいないほどだ。彼女ならば使命を途中で投げ出すことはないだろう。
候補者は2人。だが技量、才幹、そして人柄。全てに置いて同じ水準ならば、女性であるヤオが有利であった。なぜなら彼女の魅力的な容姿は、異性を交渉相手とする際に、重要な武器となり得るからだ。『緑の人』の指揮官は男だというし。
しかし、事は簡単ではなかった。部族の長老達はヤオの顔を見るなり、「う~ん」と唸ってしまったのである。
と言うのも、彼女には『運が悪い』という重大な欠点があったからである。
猟に出れば、誰かの仕掛けたワナを踏み、木を切れば彼女の居るところへ倒れてくる。
遊びに出れば雨が降り、買い物に町に出れば店が閉まっている。
親友とも言える女性に彼氏を寝取られ、幼なじみの男性と紆余曲折の果てに結婚することになってみれば、婚礼前夜に夫(予定)が急死するという有様である。
その後喪の明ける頃に、未婚の未亡人に愛を囁く男が現れたが、その男も狩猟中に崖から転落して死亡。こうして、彼女に近づく男はいなくなってしまった。
さらには、普段クジ運などまったく無いのに、友人の婚礼の宴会をヤオが仕切った時に限って、余興のくじ引きで一等賞を引き当ててしまうと言う間の悪さ。
正直言えば、女性であることのメリットも消し飛んでしまうように思われた。だが、運は悪いけど、その運の悪さを乗り越えて、強く正しく逞しく生きてきた事を見てくれと、彼女は自己アピールする。
それは誰もが認めるところであったから、長老達も『運が悪い』という理由で彼女を落選させることも出来なかった。
そこで、長老達は女性を遣いとして選ぶ意味を切々と説いた。そして、必要となれば自分自身すら報酬として相手に売り渡すような覚悟があるかどうかを問うたのである。その言い様たるや、必要以上にしつこくて、もしかして嫌がらせかと思うほどである。実のところ、辞退させたかったのではないだろうか、とヤオは思っている。
だが、ヤオはそれを諾とした。どうせ、男運無いし。相手が求めるなら、奴隷だろうと、愛人だろうと、娼婦だろうと、メイドだろうと言われるままにやってやる。ただし、絶対に安売りはしない。炎龍一頭が代価なら、本懐であると胸を張った。
長老達は一抹の不安を抱えつつも、ヤオを遣いとして選んだ。
部族の未来は生か滅びかの二つに一つだ。ならば報酬を吝嗇っても意味がない。ということで、部族の保有する最高の財宝が宝物庫から引き出されて彼女に託された。
こうして旅に出たヤオは、数ヶ月の流浪の果てに、アルヌスの丘へとたどり着いたのである。
・
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* *
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ヤオの眠りは、耳を劈(つんざ)く轟音によってうち破られた。
何事かと飛び起きて、周りを見渡してみれば、そこは木漏れ日の美しい森であった。
折角街に着いたのに、宿屋が無いということにがっかりしつつも「夜も遅くなった、全ては明日」と言うことで野宿の寝床として選んだアルヌス麓の森。
このあたりを仕切っているというハイエルフの手が入っているせいか、そこは緑と水と、風の精霊の恵みが豊かで非常に快適であった。
そんな森の上空を、轟音と共に二本の剣が飛んでいた。
大空を切り裂くように、天をめがけて駆け上がっていく翼は、F4ファントム。
退役間近な白銀の翼は、規制のうるさい国内と違って離陸した途端管制塔より通知された言葉『他に飛んでるのは鳥ぐらいだ。墜落しなければ、好き勝手に飛んで良し』に象徴される自由を、大いに楽しんでいた。
彼らはファントムのパイロットとしては超ベテランで飛行時間も万の単位を越える。だがF15やF2への機種転換訓練を受けるには歳を取りすぎていると自ら判断し、ファントムの退役と共に教育隊か、陸へと腰を落ち着けることを選んだ40代の古強者だった。分解されてこの『特地』に運び込まれたファントムも、もう向こう側に持ち帰られる予定はない。
彼らが、最後に与えられた空は、常に道を譲らないといけない旅客機も、米軍機もいない自分達だけの空であった。それは、全ての空自パイロットが涎を垂らして羨ましがる大厚遇である。
離陸して、脚を引っ込めた瞬間からアフターバーナーを全開にして高度1万メートルまで駆け上つてインメルマンターン。
180°ロールして大地と天を逆様に、背面飛行から大地に向かって突き刺さるように加速して次第に機首をあげるスプリットS。
中途で音速を突破させ、衝撃波を響かせても苦情の煩い市民団体もない。とは言っても、駐屯地の陸自や、アルヌスの街に住まう住民に対しては一定の配慮はして、頭の上で雷みたいな音を響かせないようにはしているが…。それにしたってみんな仲間だ。スロットル全開で、空中の模擬戦に遠慮は要らない。横転をかけて姿勢を戻し、振り回されないように両の膝でステックをぐいっと挟んで、がつんと叩くようにして、機首を引き起こす。
急旋回のGは、身体を締め上げる。その瞬間に呼吸など出来るはずもない。「ふんっ」と腹筋に力を込めて満身の力を込めて、身体を支えた。
Gが止んだ瞬間に、ぜいぜいと呼吸をして酸素を取り込む。戦闘機動はこの連続が果てしなく続く。
後席が叫ぶ。「後方を取られた」
「こなくそっ!!」
急制動に、シザー。後方に食らいついた仮想敵を振り払おうと、あらゆる機動を駆使する。大地が周り、世界が転がる。敵を引きはがしたら、逆に後ろを取りに回る。
ナイフエッジ、横転コルク抜き…今なら、ラプターだってロックオンしてみせる。空自の空戦技術は世界的に見ても非常に高い水準にある。かつて、F104という旧型機で、米軍のF15から撃墜判定をもぎ取った名パイロットがいたほどなのだ。
あらゆる枷から解き放たれた無頼達は、自由な空で、無邪気にはしゃぐ子どものようであった。
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空を飛び回る、銀色の剣。
その風景は、剣が鬼ごっこを楽しんでいるかのようにも見えた。
呆然と見上げていたヤオは、すぐにこれが人が操る物であることに気付いた。エルフの優れた視力が、彼女の視界をフライパスしていく巨大な剣に騎乗する者の姿を捕らえたからだ。
そして、笑みがこぼれた。笑いながらも涙が流れた。
「噂は、本当だったのね」
天を我が者のように飛び回り、大地に生活するあらゆる生き物を喰らいつくす炎龍。
だが、大空の支配者は最早、炎龍ではない。速さ、鋭さ、すべてにおいて炎龍を凌駕する、空飛ぶ剣。こんなものがあるのなら、炎龍の腕を喰いちぎったという鉄の逸物もあるだろう。当然だ。
唯一の希望としてすがる気持ちこそ持っていたが、正直言えば半信半疑でもあった。噂とは人々の願望を受けて、膨れあがるものだからだ。そして、絶望によって心がうち砕かれることを防ぐために始終、噂が間違いであった時のことを考えていたのである。
噂を疑いつつも、半分信じ、希望を託して旅してきたヤオにとって、大空を自在に舞う剣の存在は、自分の旅が無駄でなかったことの証明であり、希望の保証となった。
こうなれば、彼女の使命はほとんど果たされたも同然である。ヤオはそう感じていた。
このままあのアルヌスの街へ戻り、緑の人の代表者に会いさえすればいいのだ。
援軍を請い願い、説得することの困難さなど、これまでの労苦に比したら些細なことのように思われた。これで、故郷の仲間は、一族は救われる。それがもう約束された既定事項のように思えていた。
ヤオは、「よしっ」と心を決めると、街へと向かって歩き始めた。
草を分け、歩く足取りは軽くて、次第に早足になる。まるで、待ちきれないかのように、つい小走りになってしまう。そして最後には、風を切って走り出していた。
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アルヌスでは、伊丹率いる第3偵察隊が完全武装を済ませて、整列待機していた。
傍らでは、柳田がクリップボード片手に、3台のリヤカーに積み上げられた荷物の最終点検をしている。
「反物、漆器、陶器、磁器、真珠、おおっ!日本酒なんてものまであるぞ。しかも、寒中梅の特級と来てやがる。一本ぐらい、ちょっぱったろうかなぁ」
「止めてくださいよ、柳田さん。これらは俺たちにとっての武器弾薬なんですから」
傍にいたスーツ姿の外務省官僚、藤堂が冗句と理解しつつも、真面目に応じた。
「本当か?自分達で消費してるんじゃないだろうな?」
「その辺は、信じて貰うしかないですね」
リストを見ればデパートで開かれる全国名産品展でもあるかのような品揃えだ。これらは贈答用(贈賄)として用いることになる。
壊れ物が多いのできちんと梱包してあり、さらに量が多いために、ちょっとした引っ越し級の大荷物となってしまった。
「それと、金貨、銀貨、銅貨の詰まった箱。それぞれ中身もずっしりです」
帝都における各種の活動資金も必要で、これらも木箱に詰められて積み上げられていた。活動資金の使い道は、帝都における活動拠点として借りた家屋の家賃、情報収集のために雇った人間への給金、それと各種の工作活動、交際費等々で、常に不足気味だ。
「抱かせ、喰わせ、呑ます。このあたりは、商社の接待と似たようなもんです。あとは、没落した貴族とか、体制に恨みを抱いている連中をみつけだして、そいつらを使って各種の噂を流したり、足を引っ張ったりとかの工作をしたりと、基本通りです」
語学研修中とは言え、特地にいる以上は働かされている若手官僚の1人が、金貨の詰まった箱をポンと叩きながら語った。
日本政府はこれらの貨幣を、アルヌス生活者協同組合から『購入』して賄っている。
アルヌス生活者協同組合は、これらの貨幣を売った代金の『円』で、さまざまなものを輸入しているわけである。このあたりの詳細については別に述べる機会があるので、その時にしたい。
「発展途上国の役人なんて露骨ですよ~。あからさまに賄賂を要求してきますから。中国の外交官なんて、春暁の交渉の時に『軍艦を出すぞ。それでも良いのか?』とあからさまに恫喝してきましたよ。何度羨ましいなぁって思ったことか。一度でもいいから『やれるもんならやってみな。どっちが強いか試してみようじゃないか』って言ってみたいですよ」
「言えばいいじゃん?ここで」
「そう言うわけにはいかないのが、外交ってものです。植民地時代じゃないですからねぇ。まして、この『特地』の政体は残して、それと親密な関係を維持するという方針に定まる可能性も無い訳じゃありませんから、後々に禍根を残すようなことは出来ません。今は、講和派を増やすことに専念しますよ…」
さて、そんな会話がされている内に、CH-47 JAチヌークが降下してきた。
ローター風に地面の砂塵が巻き上げられていく。
降着するころになると、周囲が立ちこめた砂塵で見えなくなってしまうほどだ。
後部ハッチが開かれると、第3偵察隊は桑原曹長の号令で、チヌークに向かって一斉に進み出す。柳田も、外務省の官僚達とリヤカーを押し出した。
荷物を積み込み、機体が動揺しても内部で転がり回らないように固定する。それが済むと、機内側面に畳まれた布製シートを降ろして各位腰掛けていった。
外務省の連中が座るのを確認して、柳田は伊丹に言った。
「んじゃ、後は頼むわ。無事に送り届けてやってくれ」
伊丹は親指を立てて頷く。
ローターの回転が強くなり、再び砂塵が舞う。柳田が、降りると同時に後部ハッチが上がっていき、チヌークも離陸。こうして彼らは帝都へと向かって飛び立っていった。
アルヌスと帝都の距離は馬で10日行程だが、チヌークならばわずか半日だ。とは言っても都市の近くに降ろしては目立って仕方ないので、帝都から徒歩で1日行程ほどの山中に降りて、そこから帝都に入る予定だ。
ヤオは、アルヌスの街手前で、自分の頭上を飛んでいく箱船に思わず首を竦めてしまった。
空を舞う剣、鉄の逸物、そして空を飛ぶ箱船…ここまでくると、緑の人達には何でもありだなと感心しつつ、彼女は街へと入った。