[1507] 自衛隊 彼の地にて、斯く戦えり /正式版 20
Name: とどく=たくさん◆20b68893 ID:667b4229
Date: 2008/06/03 20:13
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すでに夜半であったが、ピニャは床にも入らず執務室で独り思索していた。
このままではまんじりとせず、寝入ることもできないだろうから。
自分が、犯したことになってしまう失敗を糊塗する方法を定めない内は、安らぐことが出来ない。どうすればいい。どうすれば…、そんなことばかりを考えていた。
ピニャが執務に借りているこの部屋は、フォルマル伯爵家先代当主の書斎であったと言う。品の良い調度品が並び、重厚な一枚板からなる机と、座り心地の良い椅子が置かれている。そして羊皮紙とインクの香りが仄かにただよっていた。
先代の持ち物だろう?蟲獣の甲皮から削りだしてつくられた単眼鏡と、羽ペン、それとメイドを呼ぶための小鈴が文盆の上に無造作に載せられている。そして机の傍らには、分厚い表紙をもった納税報告の綴りと、土地管理台帳、そして関税の出納記録が置かれていた。
「…そうだ、後見をする以上、フォルマル伯家の実務を管理する代官を選任しなくてはならない」
これもピニャが考えなくてはならないことであった。
羽ペンを弄びながら、羊皮紙に切れ端にアイデアを書き込んでは乱線でかき消し、再び書いては消す。
羊皮紙の上には「協定違反行為を無かったことに出来ないか?」と記されていた。
しかし、伊丹の部下連中は逃げ失せてしまった。
中途で事故でも起こして全滅でもしない限り彼らはアルヌスに帰り着いて、何があったのか報告するだろう。報告をしない理由がない。
報告をさせないためには、捕らえるか殺すしかなかったのだ。
設問 今から後を追って、彼らを捕縛することは可能か?
答え 不可能。
そもそも炎龍すら撃退する連中を、現有戦力でどうやって殲滅する?
考えてみれば、自分らの隊長を見捨てて逃げ出すなど、なんと不甲斐ない連中なのだろうと思う。連中の能力なら、ピニャの騎士団など一瞬で殲滅できたはずなのだ。にもかかわらず、そうしなかった。そうしなかったのは何故だ…おかげで自分がこうして苦しむ羽目になる。いささか被害妄想気味だが、悪辣な奸計に嵌められたのではと思えて来たほどであった。
羊皮紙にボーゼスとバナシュの2人の似顔絵を描く。そしてバカとか阿呆といった罵詈雑言で2人を飾りあげていく。そして最後にはぐしゃぐしゃと羊皮紙を握りつぶしてピニャは思考を先に進めた。
協定違反行為が知れてしまうことは、最早防ぎようがない。時を巻き戻すことが出来ない以上、仕方ないと諦めるしかないのだ。
頭を抑えて「諦める…諦める…」と念じる。
ピニャの考えるべきは、実現不能な課題に悩むことではなく、この失点による損害を、どのように軽減するかなのだ。
戦争は外交の延長。外交はカードゲームに似ている。強力な鬼札を手にした敵と戦うには、3つの方法が考えられる。その鬼札を重要な局面で使わせない。あるいは無意味な局面で使わせる。そしてその鬼札に匹敵するカードを入手すること。
とは言え、テーブルの向こう側にどんな相手が座るか解らないうちに、こちらの出方をを決めるのは不可能だろう。今は、相手側を利する手札を極力減らすことが重要なのだ。
こちらの失点は二つある。そのうちの一つは、往来を保障するとした伊丹隊を襲ってしまったことだ。
もう一つが虜囚とした伊丹を、彼らの言うところのジンドウテキでない扱いをしてしまったこと。
前者については、アルドの言うとおり速やかに謝罪してしまうのも選択肢の一つだ。いや、一番良い方法かも知れない。
自衛隊はジンドウテキと称して、捕虜の扱いにすら気をつかう相手だ。「いい人」であることは間違いない。となれば、連絡の不行き届きであることを説明して頭を下げれば、交戦中の敵にだって容赦してくれるかも知れない。なにしろ実質的に損害は出ていないのだから。
だが、謝罪は逆に付け入る隙を与えることにもなるのだ。代償としてどのような要求がつきつけられるのか…それが恐怖であり不安の種となった。自衛隊の圧倒的な戦闘力、破壊力を直に目にしてしまえば、どのような要求をされても拒絶は出来そうもない。
敵は、圧倒的な戦闘力をピニャに見せつけた。そして交渉しようと言ってきた。
ピニャは、仲介役だ。帝国の外交担当者は敵の恐ろしさを理解しているのか?皇帝は?宰相は?
今この時点で、敵をいささかなりとも知っているのは、まさにピニャだけなのである。
帝国の強気で居丈高な外交交渉、武力を背景にした恫喝を、ピニャはこれまで頼もしく思っていた。若手の外交官僚達が巧みな弁舌で論戦を挑み、拒絶できない要求を積み重ねていき、敵が膝を屈して許しを請う姿を想像しては、悦に入っていたのである。
だか、今回それをやらかしたらどんなことになるか…。
「胃が痛くなってくる」
ピニャは引き出しから新しい羊皮紙を取り出すと、インクにペンを浸して皇帝宛の報告書を綴り始めた。いかに敵が強大で、恐るべき戦闘力を持っているか、見たままを記述していく。だが…中途まで書き連ねていくと次第にペン先が重くなってきた。最後にはガシガシと紙面を乱線で塗りつぶし、ペン軸そのものを折ってしまった。
「こんな内容、夢でも見たのか?と馬鹿にされるだけだ…」
自分でも信じられないのだから…。
報告の件は、後回しにすることにした。ハミルトンにも相談したい。
「まずは、イタミの件を何とかしよう」
伊丹は今この館で休んでいる。
彼さえ『口を噤んでくれれば』、失点を減らすことも出来るのだ。いや、上手くすればこちらの手札にすら出来るかも知れない。
問題は、どうやって伊丹を説得するか…。よくあるのが贈賄、あるいは伊丹が男であることを利用しての籠絡、そしてその両方。
問題は、誰にその任を与えるかだ。
もちろん、自分自身が…と考えた。だが、相手は十人程度の小隊の隊長程度に過ぎない。特別任務の小隊だとしても、イタミという男の地位は、帝国で言えば百人隊長程度だろう。そんな格下の相手に、自分自身というカードを切るわけにはいかないのだ。
となれば、誰がいいか。
ハミルトンならばいいかも知れない。男にも慣れている。だが彼女は現段階ではピニャにとって重要な参謀役であり、万が一の交渉役としても力をふるってもらいたかった。だから、除外する。
ここまで考えて、ふとボーゼスとパナシュの2人の名前が浮かんだ。
自分のしでかしたことは自分で責任をとれということで、罰にもなるから丁度良いように思えた。
それに、あの2人ならば適任である。なにしろその容姿はなかなかのものだ。ボーゼスは、金細工のような繊細な美しさと豪奢な金髪を誇る美形で、しかもパレスティー侯爵家の次女と家柄もよい。
パナシュはカルギー男爵家と家柄こそ、ボーゼスに劣るがその凛然たる眼差しと才気だった容貌で比類がない。あの2人に言い寄られて、墜ちない男などいないはずだ。
イタミ程度の男には惜しい限りだが、今回の役割の重要性からすれば、これぐらいのカードは切っても良い。
問題は、性格的にそういう任務が2人に遂行可能か…と、までは考えが及ばず、ピニャはこれが名案とばかりに早速実行に移すことにした。というより指示を下してしまわないといつまでも落ち着けなかったのだ。
机に置かれた鈴に手を伸ばして、鳴らす。
心を落ち着かせるために用意された、濃いめの香茶を口に運ぶ。すると、蝋燭の炎が風に揺らいだ。
視線をあげると、メイドの1人が姿を現す。エプロンドレスを両手で摘み、膝を軽く屈し頭を垂れるという作法に基づいた挨拶にピニャは頷いて応じた。
「お呼びでございましょうか?殿下」
「うん。ボーゼスとパナシュの2人を呼んでくれ」
「お二人とも、もうお休みかと存じますが」
「かまわない。起こしてくれ」
「かしこまりました」
メイドはそう言うと部屋を後にした。ピニャはベットから起きると、部下を迎えるために簡単に身支度を整えるのだった。
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倉田は、この世の春を謳歌していた。
ハイ・エルフの娘とか、無口無表情の知性派魔法少女とか、暗黒神官の少女的姐さんとか、どうにも伊丹の好むタイプばかり現れるのはなんでだっ!やり直しを要求するぅ!と、かねてから心の底でずうっと念じていたのである。
そして、ようやく自分好みのキャラが現れたのである。となれば、興奮を抑えることは難しい。いや、喜びは素直に表に出してこそ、喜びである。これを押しとどめることなどかえって害悪であると、声を大にして言いたい。
特に、猫耳メガネメイドのペルシアの存在は、ツボにはまった。
可愛い系ではなく、黒豹とかライオンみたいな肉食獣タイプのおねぇさんである。
それが、まん丸のメガネをかけているのだが、その双眸は当然のごとく猫目で冷たく切れそうな印象であった。長身でスポーティで、でるとこは出てひっこむところはひっこんでる体躯を、無理矢理メイド服というふんわりとした衣装でラッピングした感じがまたたまらない。
しかもアキバのメイド喫茶とかパチンコ屋にいるような露出型コスプレ店員と違って、裾も袖もぴっちり肌を覆っていて、これ見よがしなチラリズムなど全くの無縁。働くための制服としてのメイド服である。これぞ本物というところが味噌である。
そんな、猫耳メイドさんに傅かれている伊丹に「羨ましいぞ、コノヤロ。紹介してくれないと後ろ弾(後ろ弾/味方を後ろから撃つと言う凶悪な行為)だぞ」という念を込めて、声をかけた。すると伊丹は苦笑しつつ、かけ持ってくれた。
「おい、倉田…こちらのご婦人がペルシアさんだ。ベルシアさん、こいつは倉田だ。よろしくしてやってくれ」
伊丹に紹介されたのをゴーサインと受け取って、早速挨拶。
「じ、自分は、倉田武雄ともうします」と、ピシッと敬礼してしまう。だが、そのかちかちな姿は彼女の「はぁ?」という表情を「くすっ」と綻ばせることに成功した。
ペルシアからするとヒト種の男が、単なる憧憬心で向かってくるのは初めてのことであったのだ。
ペルシアとて雌。容姿にだってそれなりに自信があるし、なによりも潔癖性の子猫から一線を画した大人の雌豹だから、雄の視線を集めるのは嫌いじゃない。だが、ヒト種の雄というと大抵は、下世話な欲望にまみれた視線か、あるいは彼女の獣性に怯えているかなのである。
だが、倉田はちょっと違った。
「猫も女も、男が自分に好意を持つかどうか直感的に理解する」と、ある女性作家は語る。猫であり女であるペルシアは、このクラタと名乗った男がどういう心づもりで自分に対しているか理解できてしまった。
よっぽと捻くれてない限り純粋な好意には、純粋な好意が沸き上がってくるものであり、こうして倉田は猫耳メガネのメイドさんとの間に、良い雰囲気を醸し出すことに成功したのであった。
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倉田とペルシアの例を挙げたが、こんな感じで、フォルマル伯爵家のメイドさん達と、自衛官達は、なごやかにうち解けていた。
深夜なのにお茶まで出てくる。こういう貴族の館では、当主の気まぐれや我が儘に応えるため、夜だろうと軽食やお茶の支度がしてある。それを不意の来客のためにと、メイド達は流用して、それぞれにたどたどしいながらも会話を楽しんでいた。
武闘派の栗林は、ポーバルバニーのマミーナと、妙に気が合ったようである。バディ・ムービーの主人公達のように、はまった雰囲気をつくっていた。特に、マミーナは昨日の栗林の活躍を見ていたようで、賞賛の言葉が尽きない。
レレイは、シャンブロ○のアウレアに興味があるのか、まじまじ観察したり、ウニョウニョ蠢く触手にも似た緋色の髪を指先でつついたりしている。レレイが言うには、シ○ンブロウはその悲しき習性から虐待されることが多く、その数が減って今では絶滅危惧種らしい。レレイも文献でしかその存在を知らなかったと言う。
ロゥリィは、敬虔なエムロイ信徒らしい老メイド長に対して、どことなく辟易とした雰囲気を醸しながらも慇懃に応対し、神の御言葉を伝えていた。
テュカは、ヒト種メイドのモームに、その身にまとっているローライズのジーンスにシャツという日本のファッションについて尋ねられて、自分で購ってきたわけでないからと困りつつも、わかる範囲で着心地などについて答えている。彼女たちからすると、伸縮性のある生地は驚嘆以外の何物でもないのだ。おかげで体の線がくっきり現れすぎて、困っているとはテュカの弁である。
伊丹は、富田と勝本相手に、状況の説明を受けて今後の対応について相談しているという具合だった。せっぱ詰まった状況ではないと言うことも解って、無理に脱出する必要もないだろうという結論に達している。
こんな有様だったので、ピニャの密命を受けたボーゼス嬢が思い詰めた表情で伊丹の部屋をノックしたとしても誰も気付くことが出来なかった。
ボーゼス嬢が、緊張のあまりノックと言うより、戸を撫でる程度にしか叩かなかったというのも、大きな理由となるだろう。
ボーゼスは、暗闇に等しい廊下にたたずんでいた。
返事のないドアの前で待つこと暫し。
人目を気にしているのか、右を見て左を見る。大きく息を吸って、緊張を解きほぐすようにしながら息を吐く。そしてドアの取っ手に手をかけるが、どうしても押し開くことが出来ないのである。
「イタミを籠絡せよ」と言う命令は、彼女にとって死んでこいと言われるようなものだった。
家の利益や、政治的な目的から配偶者が決まるのは、貴族の家に生まれた者の運命として、とっくの昔に受け容れている。
政略的な目的を達するために内外の賓客を接待し、時に籠絡する手管も、貴族の娘としては当然の嗜みだ。
夢見がちな殿方には絶望的なことかも知れないが、帝国における貴族の娘に清楚な者など独りとしていない。どんなにあえかな外見をもっていようと、世事に疎く見えようとも、それは擬態であり、内面はしたたかであることこそが求められるのだ。それが、飢える者がいる一方で、何不自由のない生活を送ることを許された、高貴な者としての責務である。
だが、よりにもよってイタミである。
泥臭い異民族の戦闘装束をまとった、冴えない男というのがボーゼスのイタミに対する印象であった。百歩ゆずって…いや、万歩ゆずってそれもまだよい。
だが、出来ることなら、サロンで優雅な雰囲気をまとった貴公子然とした敵国の青年将校を相手に対等な立場で、洒脱で、智慧に富んだ言葉での戦いを楽しみたかった。
最高の武器(宝石)と戦闘服(ドレス)と香水で武装した自分を見せびらかし、恋愛遊戯という名の演習で磨き上げた技を実戦で試す。
甘美なる肢体で誘惑し、香粉の香りに酔わせ、これが欲しい?欲しいでしょう?与えてあげてもいいわよ。でも、欲しければ私に隷属なさい…と視線で語り、男の精神的な全面降伏との引き替えに、瀟洒な花壇を褥(しとね)とするのだ。
ところが、どうた。イタミとの出会いは戦場ですらない。剣を交えることもなく、感情のおもむくまに嬲って、罵倒して蹴倒して、踏みつけて…。後で真相を知って愕然としている有様。
最早戦いにすらならない。さらに今の我が身の無様さはどうだ。ありあわせの夜着。しどけなく垂らした髪。額の傷を隠すための厚く塗り重ねた白粉。まるで安宿の淫売のようではないか…。
精神的にも物理的にも最初から敗北している。どの面さげてイタミと相対しろと言うのか。このままこの部屋に入れば、ただの人身御供、懺悔し許しを請うための捧げものとして、我が身は男にむさぼられておしまいである。
男という生き物は、与えた後で「優しくしてくりゃれ?」と願っても、決して適えてくれない生き物なのだ。絶対に、与える前に「好意」という名の担保をとりつけなくてはいけない。だが何を引き替えに?
イタミを誘惑し制圧する役割は、おそらくパナシュのものとなるだろう。自分はそのための前座だ。自分が供犠となることで罪を帳消しにして貰う。罪という汚れを拭き取るために使った雑巾はたとえ絹であっても、それで用なしである。
くやしさの余り、涙が出てきそうになった。だが泣いてはいけない。泣いたら、瞼が腫れてしまう。そうなったら美貌が損なわれてしまう。世には、泣いている女が好きという男もいるが、そういう男の前で流す涙は決して悔し涙であってはならない。魅せるための真珠涙は、こんな心境ではけっして流れてはくれないのだから。
廊下は静かであった。厚い扉の向こうは寝室。寝室の扉というものは、中でちょっとやそっと声をあげた程度で廊下に音声が漏れだしては来ないように作られている。
いよいよ意を決して戸を開いてみる。期待したのは暗い部屋の奥に、イタミが寝台に横たわっていることである。
ボーゼスは音もなく歩み寄って、寝台に忍び入る。イタミが違和感に目を醒ます前に、官能を以てその口を塞がなくてはならない。
だが、扉を開いてみると部屋の中は和気藹々とした雰囲気であった。
贅沢なまでにふんだんに蝋燭を灯し、メイドや異世界の兵士達が、お茶など傾けている。
しかも、誰1人ボーゼスに気付かない。
「……………」
無視である。
「…………………………」
シカトである。
「………………………………………」
はっきり言って空気扱いであった。
「くっ…」
ようやく覚悟完了させたというのに、この扱いはどうだ?
パレスティー侯爵家の次女ボーゼスを無視である。
いい度胸である。
自分という存在は、雑巾にすらならないと言うのか?
誰もそう語ったわけではないし、ヒステリーとか被害妄想に類する発想だが、ボーゼスのこころの中では自分の置かれた状況がそのように解釈されてしまった。女とは、その存在を無視されることが絶対に許せない生き物だ(と聞く)。
腹の底から沸騰してくる怒りに、彼女の両手はわなないた。
擬音表現は漫画的だが、この際あえて使わせて貰いたい。この時の、彼女の振るまいは以下のようなものとなった。
つかつかつかつかつかつか、バシッ!!!
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右目の周りにアザと、今度は左の頬に真っ赤な手形紅葉。さらに、つかみかかられたので猫に引っ掻かれたような五本線の傷までほっぺたにある。
被害者の顔は、そのような状態であった。
「で、なんでこんなことに?」
明け方近くに屋敷中の眠りを破った大騒動の果てに、ピニャの前にそろったのは、伊丹ら自衛隊の面々であり、ピニャの送り込んだボーゼス嬢、そしてメイドさん達である。
帝国皇女たるピニャ・コ・ラーダ殿下は、焼けた石ころでも飲み込んだような、腹部の熱痛を感じながら、伊丹の顔面の損傷がどのような理由によるものかの説明を求めた。聞くのが恐ろしかったが、立場上尋ねざるをえない。
「べつにあたいらが引っ掻いたわけではないニャ」
「いや、わかってますよ。ペルシアさん」
倉田のフォローを受けて、ペルシア達メイドさんズは退場。
「右目まわりのアザは元々ついていたものよ。『今回の』騒動とは関係ないわ」
ロゥリィ・マーキュリーとレレイ、テュカは証言して、部屋の片隅へ下がる。
残されたのは、自衛官達に両脇から取り押さえられていた、ボーゼス嬢である。
彼女を残す形で、倉田や栗林達は後ろに下がった。
ボーゼスは、俯いたまま「わ、わたくしが、やりました」と蚊の鳴くような声で言った。
この時のピニャのため息は、とても深々としていて、広間中の誰の耳にも聞こえたほどと言う。こめかみがズキズキと痛くなって、頭を抑えてしまう。
「この始末、どうつけよう…」
「あのぉ、自分らは隊長を連れて帰りますので。それについてはどうぞそちらで決めて下さい。そろそろ明るくなってきてましたし…」
と言ったのは、富田である。ピニャが何に悩み苦しんでいるか知らないから、安易なものである。なにしろ彼にとっては、彼好みの美人がイタミをぶん殴った。それだけのことでしかないからだ。だがその言い方が、突き放すような最後通牒的響きを持って「そっちで勝手に決めて下さい」という意味に感じられた。
レレイが、いつものように抑揚に欠けた口調で通訳するとさらに効果倍増である。
「それは困るっ!」
ピニャは、このまま帰すわけには…と。引き留めるネタを探して、朝食を摂って行ってはどうか、とか、接待を受けて欲しいとか、様々なことを言って引き留めにかかった。
倉田は、とても申し訳なさそうな態度を示しながらも言い訳を続けた。
「実は、伊丹隊長は、国会から参考人招致がかかってまして、今日には帰らないとまずいんです」
この時、レレイの翻訳は、語彙の関係上次のようなものとなった。
「イタミ隊長は、元老院から報告を求められている。今日には戻らなければならない」
これを聞いたピニャの顔は、『ムンクの叫び』の如きものとなった。
帝国では、出世コースにのっているエリートを、名誉あるキャリアと呼んでいる。将来の指導者層となる人材と目されると、現段階での位階が低くても元老院での戦況報告や、皇帝に意見具申をしたりする機会が与えられるのである。
そんなこともあって、元老院から報告を求められているイタミを、名誉あるキャリアに立つ重要な人材であると勘違いしてしまった。
そんな重要人物になんてことを…、このまま行かせてはならない。なんとしても取り繕わなくては。
この時、ピニャ、決断の瞬間である。
拳を固めると立ち上がって決意表明した。
「では、妾も同道させて貰う!!」
[1507] 自衛隊 彼の地にて、斯く戦えり /正式版 21
Name: とどく=たくさん◆20b68893 ID:e12c095d
Date: 2008/06/10 19:24
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「国境の長いトンネルを越えると雪国だった」は川端康成の「雪国」の一節である。暗いトンネルから白銀の雪景色へと風景が一変する様相を見事に書き表し、それによって読者を作品世界へと一気に引き込んだ名作中の名文だと思う。
これにならって異世界を繋ぐ「門」を越えた時の印象を、劇的に書き表そうと試みたのだが、なかなかうまくいかない。
例えば、銀座のような都市のど真ん中にぽつねんと門が置かれていて、それをくぐったら突如牧歌的な風景の中に出た、と、なるのならその印象の移り変わりを劇的に描くことも描写力の範囲で可能になると思う。読者に対して「おおっ」という気分を感じさせることも出来るかも知れない。
だが、すでに門の『特地』側も銀座側同様に、地面はアスファルトでかためられている。しかもその周囲は前後左右、天に至るまでを堅牢なコンクリート製ドームで覆われ、ドームそのものへの立ち入りも厳しく管理されICダク付きの身分証・指紋・掌紋・皮静脈・網膜パターンと言った、何重ものチェックを経なければ近づくことすら適わない有様。
資材や物資を運び込む自衛隊のトラックすら、厳重な検疫とチェックを経て始めて通過を許されるのである。
そして、ようやくドームの外へ出るとコンクリートも乾ききって無いような真新しい建築物が何棟も立ち並んでいるし、さらにその建物群も六芒形の防塁と壕によって周囲を堅く守られている。
その外側つまりアルヌス丘の裾野は、野戦築城の教範そのままにお手本のような交通壕と各種掩体が掘られ、鉄条網や鹿砦(ろくさい)が偏執狂的にまで列べられ、近づく者を拒んでいる。
そして…丘の南側には森がある。
こちらにはレレイらコダ村からの避難民達が住まう難民キャンプがあるが、風景としてみれば森というのは、日本も『特地』もあまり大差がなくて、植物学者あたりが見なければその差異を指摘することは難しいものである。
丘の東側は滑走路と格納庫の建設作業が続く土木工事現場である。その一角では既に空自地区も設けられて、数機のF4ファントムの組み立て作業が平行して行われている。
こんな有様であるため『世界を渡る門』に期待される感動は、今ではすっかり失われていた。
強いて言えば大規模娯楽施設、例えばファンタジー世界を演じようとしているアメリカネズミーランドの出入りゲート並に成り下がったのかも知れない。
いや、娯楽性という意味に欠けているから、一般人にとっての駐屯地の営門と言い換えた方がより適切であろう。すなわち、この雰囲気に住み慣れた自衛官達にとっては日常と大差のない連続した風景の続きであり、一般人からするとほんのちょっと雰囲気の違う世界がそこにある。
『門』の手前と向こう。門を挟んだこの両者の風景は、今やその程度の落差でしかなくなっていた。
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従って、ピニャ・コ・ラーダと、ボーゼス・コ・パレスティーにとってのアルヌスの丘はすでに『異世界』であった。
今回の協定違反について、健軍あるいは、彼よりも上位の指揮官に、きちんと謝罪をしておきたいというピニャの申し出を、伊丹はしぶしぶながら受け容れると彼女の同行を許可した。
ただし、伊丹も時間がないため、騎馬の護衛だの側仕えの従者とかをゾロゾロ連れて行くわけにはいかない。だから、「高機動車に同乗できるピニャ1人と、あとひとりの合わせて2人まで」が、伊丹のつけた条件であった。ホンネで言えば、それでは同行できないと断ってくることを期待したのであるが…。
ところが、すっかり性根を据わらせていたピニャは、イタリカの治安についてはボーゼスとパナシュに、またフォルマル伯爵領の維持管理と代官選任をハミルトンに押しつけると、「単身で行く」と宣言して、同行の支度をはじめてしまった。
さすがに、殿下1人でいかせるわけにはいきませんっと、ボーゼスやパナシュが取りすがって同行を志願。ピニャはボーゼスを指名し、ぱぱっと荷物を整えると、無理矢理という感じで高機動車に乗り込んだのである。
そして、高機動車のあまりの速度に目を回しつつ、アルヌスへと到着した。
アルヌスの風景は、彼女の知るものとは一変していた。
ただの土が盛り上がっただけの丘だったはずが、今や城塞がそびえていた。
しかも、何をするつもりなのかその麓の土を掘り返して、整地している様子が遠景からもはっきりと見えたのだった。
ピニャ達を出迎えるかのように上空を訓練飛行中のヘリコプターが三機編隊でNOEして急旋回する。エンジンの力ずくで空中に制止し、大地を嵐にも似たローター風で掃き清めていく。
そんな中を、第三偵察隊の車列は砂利で整備された道路へとはいった。
OPL(前哨監視線)を越えると、いよいよ自衛隊の支配地域である。
ここからFEBA(戦闘陣地の前縁)までの広大な地域は、無人のうえに荒野が広がっているだけなので現在は演習・訓練場として使われている。ちなみに、翼竜の死骸もこのあたりに転がっているため、コダ村避難民の子ども達もこのあたりに出没して仕事場としている。
まず見えてきたのは、隊伍を組んだ自衛官達が、旗手を先頭にハイポート走をしている姿だった。前方からすれ違うように走ってくる。
「いちっ、いちっ、いちにっ!」
「そーれっ!」
「いちっ、いちっ、いちにっ!」
「そーれっ」
「連続呼唱ーっ、しょーっ、しょーっ、しょーっ、数えっ!」
…てな感じで、隊員達の練武の声が聞こえ、小さくなっていった。
その隊伍が後方へと消え去っていくのを見送ると、今度は路傍に骨組みしかない建物が見えて来た。
帝都へ進撃すれば市街戦の可能性もあるため、この場所ではカトー先生監修のもと、この世界における一般的な民家の構造を真似た街並みすら再現しようと試みられているのである。
そして民家を模した小屋やスケルトンハウスで、ゲリコマ対処の訓練をしているのだ。
最初、ピニャには自衛官達が何をしているのか理解できなかった。
この世界における戦闘とは、騎士や兵士達が武器を構えて「わぁぁぁ」と喊声をあげながら吶喊することだったからだ。
彼我(ひが)が接触すればあとは、個人の武技の出番である。目前に現れた敵を、剣や槍、楯を駆使して倒していくだけ。野蛮な辺境部族との違いは、そんな戦いであっても戦意に任せてやたらめったら戦うのではなく、隊列を維持し百人隊長の指揮の下システマチックに前列と後列が交代しながら進むことにある。敵は疲れた者から倒れる。こちらは、常に新鮮な体力と戦意を有する者が前に出て、疲れた者は後ろに下がって休むという仕組みをもっているのだ。
あとは、野っ原だろうと市街地だろうと本質的にかわらない。現場指揮官のすべきことは兵士の『戦意』を上手に統御して敵に嗾けることにあり、兵の為すべき訓練と言えば武技を磨くことなのだ。
ところが、ここでは違う。楯を装備しているわけでもないのに、あたかも亀甲隊形のように身を寄せ合っている。時に散らばって走り、立ち止まり、身をかがめ、指先でなにか合図しながら、静と動のメリハリのある機敏なふるまいで、動いていく。
さらには、四方八方に『杖先』を向けている。あたかもハリネズミのごとく。
いったい、何をしているのだろう?…と首を傾げざるを得ない。
「彼らの持っている杖は、イタミらの持つものと同じ物のようだが、ジエイタイとは全ての兵が魔導師ということなのか。もしそうならば、それが彼らの強さの秘密ということか」
「魔導師は稀少な存在ですわ。魔導とは特殊能力だからです。ですが、これを大量に養成する方法がジエイタイにはあるのかもしれませんわ」
ボーゼスは、ピニャの感想をうけてそう解釈して見せた。
あの杖が火を噴き、敵を倒す様子が想像できた。そしてこれが、どこに隠れているかわからない敵を警戒し、探し出し、殲滅するという目的で為されている訓練であることが理解できる。
物陰で待ち伏せて襲いかかろうとしても、二階の窓から矢を射かけようとしても、前後左右から挟み撃ちしようとしても…帝国の騎士も、兵士も、その槍先が剣が届くよりも先にあの火を噴く杖によってばたばたと倒されていくだろう。
「ちがう。あれは、『ジュウ』あるいは『ショウジュウ』と呼ばれる武器。魔導ではない」
ボーゼスの解釈を、傍らにいたレレイが否定した。
「あれこそが、ジエイタイが使う武器の根幹。彼らは、ジュウによる戦いを上手く進める方法を工夫して現在の姿に至っている」
「武器だと?あれが、剣や弓と同じく武器と言うのか?」
「そう。原理は至って簡単。鉛の塊を炸裂の魔法を封じた筒ではじき飛ばしている」
この地に転がる翼竜死骸をあさっていれば、嫌でも穴の空いた鱗や鉛の塊、破片を目にすることになる。レレイの知性は教えて貰わずとも、見て、聞いて、考えた末に鉄砲の原理を導き出していた。
ピニャは目が眩むような思いだった。魔導ではなく、武器と言うことか?もしそのようなものを作ることが可能なら、兵士全てに装備されることも可能ではないか?
「そう。そして彼らはそれをなした」
もし、そんなことになったら戦争の仕方ががらっと変わってしまう。これまでのような剣や槍をそなえた兵を多数そろえて敵にむかっていくような戦い方はまったくの無意味になってしまう。
「そう。故に、帝国軍は敗退した。連合諸王国軍は敗退した」
突如、96式装輪装甲車が驀進してきて停車した。後方のランプドアが開くと、なかから隊員が吐き出される。
飛び出してきた隊員達は、見事なまでの疾さで瞬く間に横一線に展開すると、仮想敵に銃を向けた。
この瞬間に、ばたばたとうち倒される騎兵や歩兵の姿が想像できて、ピニャは眉を寄せた。
「遅い!!もっと早く、速く、疾くだ。もう一度っ!!」
指揮者の罵声をうけて自衛官達が、ふたたび元の位置へと戻っていく。その姿を見ながらピニャは「根本的に戦い方が違う…」と思い知らされたのである。それは、イタリカにおいて魂に刻み込まれた得体の知れないものへの恐怖とは違う、理性的に敵を理解するが故の恐怖感とでも言うべきものであった。
高機動車の車内にいる伊丹、桑原、倉田…彼らの抱える「ジュウ」は魔導ではなく武器。武器…ならばピニャでも、ボーゼスでも手にしただけで使えるはずだ。
この武器について知ること、可能なら入手すること、それだけがこの戦いを少なくとも一方的な負け戦としないために必要なことだと思うピニャ達である。奪うか、あるいは職人の尻を蹴飛ばしてでも同じ物を作らせる必要がある。
そんなピニャ達の決意を表情から読みとったのか、レレイは告げた。
「それは無意味」
レレイは、反対側の車窓を指さした。
反対側の荒れ地では、暴れ狂う巨象にも比肩するほどの巨大な鉄の塊…74式戦車が轟音をあげて走っていくのが見えた。
「『ショウジュウ』の『ショウ』とは小さいを意味する言葉。ならは対義の『大きい』に相当するものがある」
74式戦車の鼻先から突き出ている105mmライフル砲が目に入った。
「あ、あれが火を噴くと言うのですか?」
ボーゼスが呻くように言ったが、ピニャには思い当たるところがある。コダ村の避難民達が、『鉄の逸物』と呼ぶ強力な武器があったはず。
「まだ、直接見たことはない。だけど想定の範囲」
同じような物を作れる職人は帝国にはいない。帝国どころか大陸中探してもどこにも居ないだろう。妖精界の地下城にいるというドワーフの匠精に尋ねたところで同じに違いない。これは、まさしく異世界の怪物である。炎龍を撃退したという話も今となれば信じられる。
鉄の天馬。鉄の象。あんなものを大量に作り上げるジエイタイとはいったい何者なのか。 何故、こんな相手が攻めてきたのか?
ピニャの愚問とも言える呟きに、レレイは嘯くように応じた。
「帝国は、翼獅子の尾を踏んだ」
「あ、あなたたち、他人事のように言いますわね。帝国が危機に瀕しているというのに、その物言いはなんなのですか?!」
ボーゼスの怒りを、レレイは肩をすくめてやり過ごすと言った。
「私はルルドの一族。帝国とは関係がない」
ルルドとは定住地を持たない漂泊流浪の民である。現在でこそ定住を強いられているが、もともとの彼らには国という概念はなかったと言う。
聞き耳をたてるつもりがなくとも聞こえるところにいたテュカも、手を挙げた。
「はい、あたしはハイ・エルフです」
「………」
ロゥリイは、あえて言うまでもないと薄く笑うだけ。
帝国とは、諸国の王を服属させ、数多の民族を統べる存在。
皇帝は、武威を以て畏れられることをよしとし、愛されることや親しまれることを民に期待しなかった。
力ずくの征服、抑圧、暴力による支配。その結果がこれである。いかに帝国が支配していると言っても、地方の諸部族や亜人達が心から服しているわけではないのだ。
今更ながら、国のあり方というものを思い知らされるピニャであった。
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ピニャは、アルヌスの丘頂上近くに建設された特地方面派遣部隊本部の看板が掲げられた建物に案内された。
ここで、伊丹達と別れる。
ピニャとボーゼスの2人は制服で身を固めた婦人自衛官に誘われ、階段を上り建物の奥へと迎えられた。
そして応接室で、待つこと暫し。
応接間は殺風景と言いたくなるほどに小ざっぱりとして、飾り気に欠けていたが、長椅子(ソファー)の座り心地は最高。置かれているテーブルもよく見ればしっかりとした造りをしていて、名高い名工の手による者だろうと思われる。
そんな室内のもの珍しさに慣れて退屈しようとし始める頃、戸がノックされた。
ピニャとボーゼスの2人は、跳ね起きるようにして立ち上がった。
見ると初老に域に達しようとしている男が入って来る。
黒に白を混ぜたがために灰色に見える髪をもつ。その髪を精悍なまでに短く刈り上げているが、健軍と違って穏和な笑顔が、芯にある堅苦しさを包み込んで印象的だった。
ピニャの感性からすると着ている緑の制服の飾り気はとても少ない。
胸に若干の彩りの略章が列んでいるだけ。これが一軍の指揮者のものとはとても思えなかった。軍の高位に立つ者なら、胸と言わず肩と言わず、体中を絢爛煌びやかな徽章、宝飾そして、金の刺繍で彩っている。それにくらべて、この貧相さは一兵卒のそれにも劣るように思えるのだ。
だが、ここに来るまでにこの軍が、飾り気を廃し実を重視していることが理解できたために、そう戸惑うこともなかった。
おそらくこの男がこの軍の最高位かあるいはそれに準ずる地位に立つ者だろうと理解した。
後から入ってきた健軍が傍らに立ち、彼に耳打ちするかのように何かを囁いているし、闊達とした振る舞いに、貫禄めいたものも感じられたからだ。
健軍に続いて、陰湿そうな笑みの男や、女の兵士達(婦人自衛官)も入ってくる。皆外で見かけたそれと違う、緑色の制服をまとっていた。おそらく戦闘用のまだら緑と、礼典の際に着るものとを分けているのだろうとピニャは推察した。
最後に、レレイが招かれたように入ってきて、初老の男の隣に立った。
初老の男が、笑顔でレレイを労うかのように何かを告げた。
レレイは首を振って、それからピニャの方へと向き直ると、初老の男について「こちらはジエイタイの将軍、ハザマ閣下」と紹介した。そうしておいて、ハザマに向けて、ピニャのことを紹介している。言葉そのものは理解できないが、固有名詞はそのままなので自分の名前が紹介されたことは解るのである。
「こちらは…帝国皇女ピニャ・コ・ラーダ……ニホン語での尊称がわからない」
「『殿下』がよいと思うよ。こちらの言葉で、皇族に着ける尊称はどのようなものがあるのかね?」
「男女の使い分けがあり、女性にたいしては『francea』が適切」
レレイに言葉をならった狭間は、ピニャに対して腰掛けるよう勧めた。
「どうぞおかけ下さい、フランセィア(殿下)そして、ボーゼスさん」
その後、狭間達もそれぞれに腰掛けると、レレイの通訳を経た会話が始まった。
「協定を結んで早々に、しかも殿下自らお越しに成られたのは、どういったご理由からでしょうか?」
「我が方にいささか不手際がありましたので、そのお詫びに参った次第です。それと、若干お願いしたいことがございまして」
「報告は伺っています。現場で何か行き違いがあったとか?」
「はい。汗顔の至りです」
「そうですか?ま、帝国政府との仲介の労をとって頂ける殿下のお心を患わせるのも、自分としては本意ではありませんからな…必要なら協定そのものの扱いも考え直す必要もありましょう」
日本人は交渉相手の些細なミスには、寛容さで応じてしまうところがある。故に外交下手と言われるのであるが、協定の存在がイタリカとフォルマル伯爵領を守っていると解釈しているピニャにとって、協定の否定は自衛隊によって侵攻されることを意味していた。従って、狭間のこの言葉は「協定が守れないなら、侵攻するよ」と聞こえた。「仲介の労をとってくれる殿下の云々(うんぬん)」の下りは、その意味で解せば強烈な嫌みでしかない。
「いや、それは…」
すると、傍らに座っていた陰湿そうな笑みの男が、口元をニンマリとゆがめると、口を開いた。
「イタミから聞きましたよ。なんでもこちらのご婦人に手ひどくあしらわれたそうですね」
これがレレイに通訳された途端、ピニャとボーゼスの背筋は冷たい汗が吹き出し始めた。
結局、伊丹の口を封じることはできなかったのだ。二人っきりで話したいと何度か『誘った』のに、あの朴念仁は全く受け容れてくれなかったのである。まぁ、伊丹としては自分を理不尽にもぶん殴った女性やその親分に、2人きりで話したいと艶っぽく微笑まれても「おまえ、ちょっと顔カセや」と凄まれているようにしか思えなかっただけである。
「あのアザとひっかき傷。見た途端、笑っちゃいましたよ。イタミは公傷扱いにしてくれって言ってましたが、どう見ても痴話喧嘩の痕にしか見えませんよね。あの男が、そちらのご婦人に何か失礼なことを言ったんじゃないですか?」
ニヤニヤ笑いながら「……イタミが暴力を誘発するような言動をしたか?」と手厳しいことを言うこの男に、ピニャは蛇みたいで嫌な奴という印象を強く抱いた。
こちらの隙や落ち度を見逃さないばかりか、「何で彼に暴行をしたかのか?」「暴行されなければいけない理由とは何だ?」と、しつこく、抉るように追求してくる。
彼は、何もしてないのだ。何もしてないのに暴行を受けたのだ。この男の言葉は、その理不尽さ、凶悪さを際だたせ、ピニャらの罪を弾劾する言葉として聞こえた。
「………」
ピニャが答えに窮していると、レレイが何かを『陰湿そうな笑みの男』に告げた。すると男は、陰湿そうな笑みを皮肉そうな笑みに切り替えて、名を告げた。
「これは失敬。自己紹介が遅れました。自分は、柳田と申します。どうぞ、お見知り置き下さい」
ピニャには、「私の名前は、ヤナギダと言う。よく憶えておけよ」という意味に聞こえたのであった。
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「さ~て、飯を食って寝るぞぉ」
残った弾薬を弾薬交付所に返納して、銃を整備して武器庫に収め(栗林の小銃は、この度廃銃となった。剣を受け停めたときの損傷が銃身そのものまで及んでいることが確認されたからだ)、車両の泥を落として…などとやっていたら食事をする時間もなく、既に陽は落ちて夜になっていた。
さらに報告書とかも書いて、提出して、明日の参考人招致と、それを終わったあと行動についての指示を受けたりして…さすがに疲れた伊丹である。
とりあえず、どっかりとデスク前に座って引き出しに図嚢から取り出した書類などを片っ端から放り込んでいると、机の中に入れて置いた携帯がチカチカと点滅して、メールが届いていることを知らせていた。
誰だ?と思って開いてみたら、梨紗と、太郎閣下であった。
この両者は、いずれも伊丹のオタク仲間である。名前ももちろんハンドルネームだ。太郎の場合は、彼自信が名乗ったハンドルネームに周囲がとある理由で勝手に『閣下』をつけて呼ぶようになり、それが用いられるようになったのである。
梨紗は、近況報告に類することと、単刀直入に「金を貸して(ハート)」と書いていた。二通目や三通目になると、「至急援軍を請う」とか「我、メシなし、ガスなし、携帯代なし」と悲痛な叫びへと変わっていた。わずか1日~2日でこの内容に至るとは、どうなっているのかと思うところである。
この女は公務員としての安定収入をもつ伊丹を、カードローン代わりに使うことが度々あった。どうせどこかのドルパで異様に高価なアイテムを衝動買いして、生活費に影響しはじめたのだろう。どちらにしても放っておく訳にもいかないので、助けてやらねばならない。
太郎からのメールには伊丹が、近日戻ることを知ってか一度顔を出すようにと書いてあった。
季節がずれているので忘れてしまうが、門の向こうはもう冬である。年末も近いし、そろそろ休暇を申請しておこうと思う。悲劇の夏○ミ中止から半年、冬コ○はその分盛況になることが期待された。太郎閣下からの呼び出しも、気軽に人の多いところに出られない彼にかわってゲットするアイテムについての依頼だろう。
参考人招致で本土に戻ったら、まずは「カタログ」を入手しなければならない。
そんなことを考えていると、窓の外から消灯ラッパが聞こえ出す。あちこちの隊舎から灯りが消えていく。
もう、そんな時間であった。いくらなんでも糧食斑も食堂を閉じている。
仕方なく机の中に隠匿して置いた缶メシ(戦闘糧食1型/とり飯/たくあん漬/ます野菜煮)をデスクの上に置いて、缶切りをあてた。
すると、廊下のほうから戸を叩く音が聞こえた。
思わず幽霊でも出たかと思って振り返ると、暗い廊下にレレイがたたずんでいた。
「こんな時間に、どうした?」
レレイは各種資料の翻訳のためということで、特例措置として臨時雇いの『技官』の身分が与えられている(もちろん働いた分の給料も出る。ただし日本円)。そのためにかなり自由に歩き回ることが出来るのである。巡察や不寝番に誰何された時のために、首から身分証を入れたパスケースも提げている。
「イタミ。キャンプまで送って……疲れた」
そう言って、杖を投げ出すと女の子座りでしゃがみ込んでしまった。
レレイは感情などを顔に出さない上にかなり我慢強い。それだけに「疲れた」などと弱音を吐き出す時は、真剣に疲れ切っていると見るべきだった。ピニャと狭間とのあいだで通訳として働き、相当に神経をすり減らしたのだろう。
「メシは喰ったのか?」
最早言葉を発するのも辛いのか、ウンウンと二回ほど頷く。彼女の伊丹を見る目は、捨てられた子犬のようでもあった。
「あー、もう車を出すのもなんだし、ここで寝ていったらどうだ?空いてる部屋は結構あるんだぜ」
彼女の住むキャンプまで、道のりも結構ある。
しかも、1人じゃまずいから偵察隊の誰かを叩き起こさないといけないし、一応武装しなくちゃ営外に出てはいけないことになっている。また書類を出して、車を出して…面倒くさいことこのうえない。だったら、空き部屋のベットにレレイの寝床をしつらえてやった方が楽なのである。
レレイはイタミに任せるとばかりに、ウンウンと二回ほど頷くと眠りの世界へと旅立ってしまった。
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さて、ベットである。
隊員にはベットにマットレス一つ、枕一つ、毛布5枚(飾り毛布1枚)、枕カバー1枚、シーツ2枚、掛け布団1枚が与えられる。(今は新ベットが導入されつつありこの限りではない)。
これを用いて、定められた形にベットを作らなくてはならない。
まず、毛布を三枚敷く。大抵の毛布は横幅がベット幅二つ分のサイズなので、たたんで重ねることになる。(この時のたたみ方が、寝心地と形という、ベットの全てを制することになる)
その上に2枚のフラットシーツをかける。この際、角に三角形の折り込みがきちんと出来ていることが大切になる。一枚が敷き布団側、一枚が掛け布団側で眠る時は、その間に潜り込む形になる。
そして、その上から毛布を身体側と枕側の双方に被せるように包み込むが、やはり角の折り込みはきちんと三角形が描けてなければならない。あたかもプレゼントの包装紙のごとくである。皺もたるみもなく、角はぴしっと。その上で枕側に掛け布団を置く。この状態を延べ床と言う。
どちらかと言うと温暖なこの世界では掛け布団は使わないので省かれていた。
こうしてベットを作ると伊丹は、床に転がして置いたレレイを抱え上げて、ベットへと放り込んだ。
真っ白な髪。真っ白な肌は陶器のようである。
その整った造形は、まるでスーパードルフィーの等身大(あるかどうか知らないが)ではと勘違いしそうである。
その方面の趣味は伊丹にはないが、彼女をベットに載せて毛布とシーツで包みあげていると、そういうことに喜びを見いだす人々の気持ちに、わずかに共感しそうになってしまう今日この頃である。
思わず、ブルブルと首を振って「違う!」と呟いて。そう、俺の歳になれば、このぐらいの娘がいても可笑しくないし…。と、心理学的防衛規制のひとつである、合理化をはかった。まぁ、高校卒業した年の10月に子どもを出産した同級生女子がいたから、ありえないとも言えない。
レレイは15歳だと言うが、日本で15歳と言えばもう少し体つきに凹凸があってもよい年頃だ。だが、レレイはその年齢に比すれば幼い上に、小さく細くて軽い。まぁ、年齢に比べて外見が圧倒的に若い実例が、他に2人もいるが。
ふと、気づくとレレイを見守る形で朦朧としていた。
どうやら睡魔に捕らわれたようである。
いけない。こんなところ人に見られたら絶対に誤解されてしまう。すぐに部屋に戻って寝なければ、と思った。
ただでさえ、倉田あたりから「二尉は、ツルペタ系が好みでしょ」と揶揄されてるのである。
確かに『いかにも女』というタイプは苦手だ。しかし、ツルペタ系が好みというのも誤解なのである。はっきり言って胸はあった方がよいし、腰はくびれているほうが良いと心の底から思っている。
その意味では、レレイには食指が動かないのである。とは言え、レレイが眠っている傍らに不必要に滞在していたら、あとでどんな噂を立てられるかが心配である。直ちに立ち去らなくてはならなかった。
だが、その頃には身体がじっとりと重くなっていた。
考えてみれば徹夜で戦闘、帰還途中で捕虜になって、小突かれて走らされて、そのまま夜もゆっくり休めないという不眠不休が続いていた。蓄積した疲労から来る睡魔も、相当に強烈である。
こうして、伊丹の意識は途切れる。結局の所、その意に反してレレイのお腹を枕にして眠ることとなってしまった。
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翌日。午前11時、中央ドーム前。
伊丹は、虚ろな表情でぼやっと突っ立っていた。
服装は日本側の気候に合わせて91式の冬服なのだが、温暖なこちら側では暑くてしょうがない。だから上着は袖を通さずに抱えている。ワイシャツの袖はまくっている。
その姿がなんともだらしなく見えて、通りかかった位の高い人達は大抵眉をしかめるのであるが、彼の抱えているのが冬服であることに気付くと、一転して気の毒そうに笑って通り過ぎていく。
こちらにいるのなら夏服ですむのだが、冬の日本へ行くとなれば冬服を着るしかない。季節のずれがもたらす小さな喜劇である。
「遅い…」
時間という概念にいささかルーズなのが、この世界の人の特徴かも知れない。時計というものが普及していないから、時間に合わせて行動するという習慣がないのである。
待つこと暫し。額に流れる汗を二回ほどふき取って、ようやく待ち人達が現れた。
「栗林ぃ~、富田ぁ~遅いぞぉ」
「済みません二尉。支度に手間取っちゃって」
制服姿の伊丹に対して、現れた栗林や富田『達』は私服であった。
「この暑さなのに、なんで厚着が必要なのよ…」
と、ぼやいてるテュカとか、「………………」と何も言わずに、意味深げにじっと伊丹を見るレレイとか、いつもの黒ゴスのロゥリィとかもいる。
ロゥリィはいつも持っている巨大ハルバートを帆布で包装しているが、それが気に入らないのか、なにやらブツブツ言っていた。
「しょうがないでしょ。そんなものむき出しで持ち歩いてたら、銃砲刀剣類等取締法違反とか、凶器準備集合罪とか、各種の法令条例で捕まっちゃうのよ。ただでさえ、最近は冗談じゃ済まないんだから。ホントなら置いて行かせたいくらいよ」
「神意の『徴(しるし)』を手放せるわけないでしょう?」
「だったら、我慢してよね」
ロゥリィには、門の向こうに行かないと言う選択肢はないようである。
実際の所、参考人招致で呼ばれているのは、炎龍との交戦時に置いて、現場の指揮官であった伊丹と避難民数名である。
そこで「避難民数名を、どうするか」なのだが、こうなると言葉の通じるレレイははずせない。最近便利使いされて彼女に負担がかかっているが、現状では我慢して貰うしかない。今回の参考人招致では終わったあと、慰労も兼ねて彼女をゆっくりとさせるようにと狭間陸将直々の指示が出ている。
テュカを選んだのは、こちらに住むのはヒトという種だけではないと言うよい例になるからである。見た目で解る程度の違いをもつ彼女の存在は、メディアに対して、強力な説得力をもつだろう。
ロゥリィの場合は見た目はヒトと同じ。しかも外見は子どもだし、着ている神官服と合わせたらどこのコスプレ少女を連れてきた?と言われかねない。
亜神たる証拠の奇跡を示せなどとは畏れ多くて言えないし(その手のことを口にして滅ぼされたものの数は神話を紐解いてみると少なくないことがよくわかる)、その強さを国会で証明されても困る。だから、あんまりメリットがないのである。
それでも行くことになったのは、彼女の「そんな面白いことにわたしぃを仲間はずれにするつもりぃ?」の一言であった。
栗林と倉田は、彼女らのエスコートである。
「おーし、そろったな。そろそろ、行くぞぉ」
伊丹がそう言いかけた時、公用車が伊丹の前に滑り込んできた。
助手席から、柳田が手を挙げながら降りてきた。
「悪い悪い、手続に手間取っちまった…」
思わず何の?と尋ねたくなるほどの気安さであるが、柳田はそういうと後部座席のドアを開いて客人を降ろした。
「ピニャ・コ・ラーダ殿下と、ボーゼス・コ・パレスティー侯爵公女閣下のお二方が、お忍びで同行されることになった。よろしくしてくれ」
ピニャとボーゼスの2人は降り立つと、伊丹等の前に進み出た。
「おい、柳田。聞いてない」
「あ?言ってなかったか?まぁ、いいだろ?市ヶ谷園(防衛省共済組合直営のホテル)の方には、宿泊客追加の連絡はしといた。それと伊豆の方にも連絡済みだ。2泊3日の臨時休暇だ。しっかり楽しんでこい」
「あのな。このお姫様達に俺がどんな目にあったと思ってる」
「ああ?誤解だろ?笑って水に流せよ」
「笑えねぇよ」
「いちいち気にするな。なにしろピニャ・コ・ラーダ殿下には、帝国との交渉を仲介をしてもらわないとならんからな。その為には我が国のことも少しは学んでおきたいという、ご要望も当然と言えば当然だ」
「それが、なんで俺たちと一緒なんだよ」
「しょうがねぇだろ。案内しようにも、通訳出来そうな人材がまだ育ってないんだから」
…そこまで言って柳田は伊丹に近づくと、声をひそめる。そして一通の白封筒を伊丹のポケットへと押し込んだ。
「狭間陸将からだ。娘っ子達の慰労に使えとさ」
[1507] 自衛隊 彼の地にて、斯く戦えり /正式版 22
Name: とどく=たくさん◆20b68893 ID:24cd6e59
Date: 2008/07/01 20:39
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22
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帝国皇女 ピニャ・コ・ラーダは、その日の日記にこう書いている。
「世界の境たる『門』をくぐりぬけると、そこは摩天楼だった。かつてこの地を踏みしめた帝国の将兵は何を思ったのだろうか…。自らの運命を予測し得ただろうか?私は、今この巨大な建物の谷間にあって、自らの矮小さを味わっている。これほどの建造物群を作り上げる国家を相手に戦争をしている帝国の将来を憂いている」
いくらなんでも銀座程度で摩天楼はないだろう。と思うのは、日常的に新宿などの高層ビル群や、テレビなどの映像でニューヨークのような高層ビルの大集団を知るからだ。
巨大な建物と言えば帝都の宮殿とか、元老院議事堂、あとは軍事用の城塞しか知らないピニャとボーゼスにとって、銀座の街並みでも十分に摩天楼なのである。
巨大な建造物は、そうでない建物の中でひときわ目立つ。
だから周囲を睥睨する存在感をもって風景の中心軸として鎮座している、というのがピニャの常識である。だが、ここは違う。都市を構成する全ての建物が巨大であった。
一本の巨木の存在は、拠り所となって見る人々の心を安らかにさせる。だが、巨木の大集団たる樹海は人々の心を圧倒して飲み込んでしまうのだ。
この街並みも、ピニャとボーゼスの心を打ちのめした。
もちろん、2人だけではない。レレイやテュカ、そしてロゥリィすら、目を丸くして呆然と立ちつくしていた。冬の銀座の真っ直中で、寒さも忘れてずうっとたたずんでいた。
「ま、おとなしくて丁度良いか」
そんな5人を後目に、警衛所で営外へと出る手続を終えた伊丹に声をかける者がいた。
見た目には、『いかにも』という黒服の集団である。その代表者らしい男は、どこにでもいそうな中年っぽいオヤジ風の男だった。
「伊丹二尉ですね」
「はい。そうですが…」
「情報本部から参りました、駒門です。今回のご案内役とエスコートを仰せつかっています」
満面の笑みを浮かべているように見せつつも、眼光のみ鋭く目が笑ってない。それはレンジャー教育を終えたばかりの隊員が発する、迫力のある雰囲気に似ているが、自衛官の場合剥き身の蛮刀に似るものだ。
この男の場合は、隠されたカミソリっぽい雰囲気があった。それが、生粋の自衛官のものとは違うように感じられた。もしかしたら警察官…特に公安畑の出身者とか、情報関係の職種の人ではないかと思った。自衛隊は、警察との人材交流(つまり自衛官が一定期間警察で警察官として働く。警察官が自衛官として、自衛隊で一定期間働く)が盛んであることの成果かも知れない。
「おたく、ホントに自衛隊?」
「やっぱり、わかりますか?」
「空気が違う感じがするからね。もし生粋の自衛官でそんな雰囲気を身にまとえるような職場があったら、今時情報漏洩とか起きないだろうし」
駒門は、口元をニヤリとゆがめた。
「あんた、やっぱりタダ者じゃないねぇ。流石は二重橋で名をはせたお人だわ。実は、あんたの経歴を調べさせて貰ったんだよ」
「何にもなかったでしょ?」
「そうでもないな、結構楽しませてもらったよ。平凡な大学を平凡な成績で卒業。一般幹部候補生過程を経てビリから二番目の成績で三尉に任官。その時のビリの学生だって、途中で怪我をしたからで、そいつがいなけりゃあんたがビリだった。ああ、ちがうか。(メモの頁を捲る)あんたが合格するのに、そいつが不合格になるんじゃ理不尽だという意見が出たんだ。…その後実部隊配備。勤務成績は、可もなく不可もなく…じゃなくして、不可にならない程度に可。業を煮やした上官から、幹部レンジャーに放り込まれて、何度か脱落しかけながらも尻尾にぶら下がるようにして修了…あんたその時のバディから蛇蝎のごとく嫌われてるよ…その後で何でか解らないけど、習志野へ移動。万年三尉のはずが、例の事件のおかげで昇進した…と」
黒革の手帳をめくりながら、駒門は伊丹の概略を読み上げた。
「隊内での評価は……『オタク』、『ホントの意味での月給泥ぼー』、『反戦自衛官の方が主張したいことが解るだけマシ』…くっくっくっ、こてんぱんだねぇ」
伊丹はカリカリと頭を掻いた。
「そんなあんたが、なんで『S』なんぞに?」
あちゃ~と思いつつ伊丹は肩を竦めた。その質問をされると痛いのである。
「ちょっと前にね、こんな論文が発表されたそうです。働き蟻のうち1~2割は、怠け者ってね。その2割を取り除くとどうなったと思います」
「?」
「それまで働き者だった蟻のうち2割が怠け者になったそうです」
「なるほど。つまり優秀で働き者な蟻が、優秀なままでいるためには、同じ集団の中で怠け者が存在することが必要だという訳か」
「『なんでお前はそうも怠け者なんだ』と叱られた時に、思わずそういう屁理屈を口走りましてね。それがどういう訳か変なところに伝わって、優秀な人間ばかり集めると2割が怠け者になってしまうなら、最初から怠け者を混ぜておけば少なくとも優秀な人間が堕落せずに済むだろう…という話になりまして。西普連結成時に自殺者が頻発したということもあって、自殺予防とか心理学的な理由からも、その提案が真剣に取り上げられちまって…」
「くっくっくっ…それで、あんたが特殊作戦群へ行くことになったと?ま、あんたみたいなのがのんびりやってれば、壁にぶち当たって伸び悩んでる奴だって、自分を追い込むほど焦ったりしないだろうからなぁ」
駒門の言葉に、とても深いため息が出てくる伊丹である。
その時…。
「ひぃぃぃぃぃぃぃぃ」
恋人に、別れの言葉を突きつけられた少女のような、切なく悲しい悲鳴が傍らから聞こえた。
見ると、栗林であった。
顔面を蒼白にして、冗談でもネタでもなく、本気でこころがちぎれそうな表情をしていた。彼女にして見れば、伊丹がレンジャーというだけでも許せないのに、こともあろうに特殊作戦群。このオタクが、怠け者が、憧れの特殊作戦群の一員と聞いてどう思うか。それは絶望であった。この世の全てを呪い、敵とするほどの怒りと悲しみであったのだぁ。
「いやぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!!!」
脱兎のごとく走り去っていった。と言っても、門を中心にして周囲を取り囲む自衛隊管理区域のフェンスまでであるが。
富田が後を追いかけて、しゃがみ込み泣いている性犯罪の犠牲者を慰めるかのように、背中を優しく叩いてはなだめている。
それを見て駒門は腹を抱えて笑った。どうにか笑いを堪えようとしてるが、それでも抑えきれずに笑っていた。それも時間を経ることでどうにか収まってきて正常な呼吸が出来るようになると、駒門は伊丹の前で背筋を整え、ピシッと実に色気のある敬礼をして次のように言い放った。
「あんたやっぱりタダ者じゃないよ。優秀な働き蟻の中で、怠け者を演じてられるその神経が、凄い。俺は冗談じゃなくあんたを尊敬する」
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「うそよ、誰か嘘だと言って…そうよ、きっと夢なんだわっ。これは夢」
顔を両手で覆って、現実逃避している栗林。そんな彼女の発するどよっとした重暗い空気を避けるには、情報本部差し回しのマイクロバスという乗り物は大変重宝であった。
なんと言っても、車内が広い。
栗林を最後尾に座らせて、伊丹らは運転席側に詰めてしまえば、彼女の発する雰囲気に汚染されずに済む。ロゥリィや、ピニャ達も、栗林が嫌いではない。どちらかという好感が持てるのだが、今の彼女からは距離を置きたがった。
このように栗林が前後不覚の状態にあるため、若干の問題が発生した。
「伊丹二尉、どこに行きましょう」
情報本部が着けてくれた黒服の運転士が、伊丹に振り返った。
「まずは、服だな。仕立ててる暇もないし、適当に吊しのスーツを売ってる店へ。あの娘達の服装をなんとかしないと…」
国会に向かう前に、ロゥリィやレレイ、テュカそれぞれの服装を整える必要があった。何しろ公式の場に出るのだ。それ相応の格好というものがある。
特に、テュカの着ているジーンズにセーターという服装は、日本製であるが故に国会の参考人招致という場ではふさわしくない。
本来なら、こういった配慮は栗林が担当するはずだった。だが、今のところ彼女は機能停止中であったため、こういう事に最もセンスのない伊丹が決定を下すこととなってしまったのである。黒川あたりがいたらきっと止めただろう。
運転の黒服が、無線であちこちに行き先を連絡して、マイクロバスが動き出す。
銀座の『門』周辺につくられた、自衛隊の管理区域を出ると、いよいよ銀座の街中へと進み始めた。すると幼稚園児か小学校低学年の子どもがするように、女性達は車窓にかぶりつきになってしまう。
それも仕方のない話である。何しろ、復興の始まっている銀座のデパート街は、クリスマス商戦のためか煌びやかなイルミネーションと飾り付けで客を集めようとしているし、ショーウィンドウに飾られたマネキンが着飾るブランド物のコート、アクセサリーなど等、女性にとっては目を惹くものばっかりなのだから。
銀座の街は、夏に酷い事件があったと思えないほどに、たくさんの自動車が行き交い、多くの買い物客で賑わっていた。
もちろん、シャッターが降りて再開の目処の立たない店舗もある。店主が亡くなってしまったからだ。
運営そのものが立ち行かなくなってしまった会社もある。社員の殆どがいなくなってしまったからだ。
それでも、多くの人が銀座を復活させ、客を呼び戻そうとしている。これが、日本人の逞しさなのかも知れない。
「随分とたくさんの人間で賑わっているな。ここが市場なのか?」
「あ、あのドレス…」
ピニャとボーゼスの会話は微妙に噛み合っていなかった。
そんな中でマイクロバスは、紳士服などを取り扱っている量販店の前に停まった。
店の女性スタッフに「こいつにちゃんとした服装一式、今すぐ着せてください。できれば一番安いのをお願いします。あと領収書下さい」と言ってテュカを押しつける。特に「安い」を強調したため、店側は品数があるリクルートスーツを取り扱うフロアへとテュカを連れて行った。
「ロゥリィやレレイはどうする?」
ロゥリィは店に列んでいる、女性用スーツや紳士服を見て歩いたが、「いいわ」と断ってきた。「見た感じ、趣味に合いそうなものないから。それにこれは使徒としての正装よ」
レレイは一言「不要」と答えてくるだけだった。彼女も興味はあっても、自分が着るとなれば趣味ではないと言う態度である。
まぁ、レレイのポンチョに似たローブは民族衣装で押し通せるだろう。問題はロゥリィの黒ゴスだが、彼女が正装だと言う以上、無理に変えろとも言いがたい。これもゴスロリに非常によく似ている民族衣装です…で押し通すしかない。
一方、ピニャとボーゼスの2人は、店内の男物や女物を問わず物色して、スーツの生地や縫製について目を見張っていた。
今の彼女達の服装は、帝国の貴族社会ではセミフォーマルとして位置づけられる服装であった。
非常に高級な生地と仕立てのパンツルックで、例えば園遊会とかで馬に乗ったり遊んだりする際に着るような活動的なデザインである。ある意味、昔の乗馬服に似てるとも言えた。
本当なら、これに腰に剣をつるすのが、騎士団としての略装である。だが、武装を持ち込むことは、柳田から堅く断られていたので、今日の彼女たちの腰は軽い。
問題は生地が薄いため、冬着としてはいささか心許ないことだが、移動は暖房の効いたマイクロバスであるし、店の中は温かいので困っていない。だから、店の中を見て歩いているのは純然たる興味であった。
「これほどの仕立てと生地。帝国で手に入れようとしたら、相当に高価なものになる」
これらの商品を無数に、所狭しと列べている店の主は、さぞ大商人なのだろうなぁと感心していた。
「二尉…次の予定は?」
運転手の言葉に、伊丹は「どっかで、飯を食って。それから国会に行きましょう。参考人質疑は3時からだから、余裕を見て2時に入ればいいでしょう」と応じた。
「食事はどうしますか?」
伊丹は、苦笑して店の名前を指定した。
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「で、どうして牛丼なんすか?」
富田が唸った。折角こっちに来たんだから、もうちょっと良いものを食べたいというのが人のこころとして正直なところであろう。
だが伊丹は、銀座から国会議事堂に出るのに、ちょっとばかり新橋へと足を延ばして牛丼屋に入った。牛丼セットの並チケットを8人分買って(半券が領収書となっている)、全員でカウンターに席を取る。
「今日は、参考人招致までは出張扱いになってる。だから交通費と食糧費は公費でまかなわれるんだが、残念なことに一食500円までしか出ない」
「ご、五百円?」
「で、ここらはちょっとした喫茶店でもコーヒーの一杯で五百円以上とられる土地だよ。そんなところで昼飯を食べようと思ったら、立ち食い蕎麦か、牛丼以外ないでしょ。まさか立ち食いさせるわけにもいかないし、牛丼しかないと思うわけだ。…ま、みんな幸せそうに喰ってるからよしとしようよ」
レレイ達も、不満はないようで牛丼を掻き込んでいた。ちなみに彼女らは、箸の使い方を難民キャンプで憶えている。戦闘糧食を食べ慣れているレレイ達にとって、牛丼の味は意外としっくりと来るようである。
「でも、良いんですか?お姫様達に牛丼なんて喰わせて」
「こちらの、庶民の生活というのも知って貰うのも勉強になるんじゃない?」
高貴な出自のお姫様達も、スプーンを出して貰い牛丼の並盛りに卵をかけて食べていた。『丼もの』という初めてのジャンルにも物怖じしないのは、やはり騎士団のような軍営生活で雑な食事に慣れているからだろう。それどころか、結構美味しいという評価を下していた。
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食事を済ませると、一行は一路、国会議事堂へと向かう。
伊丹、レレイ、ロゥリィそしてテュカの4人は議事堂の係員に案内され、控え室へと案内されていった。
ここでピニャとボーゼスの2人は伊丹等と別れる。
栗林と富田の2人と共に、国会の正門前からマイクロバスで都内某所の高級ホテルへと向かうのである。
彼女らは公式の使節ではないから、公的な施設に迎え入れるわけにはいかないのである。それどころか外務省も、総理官邸も、表向きは彼女たちが日本にいることは知らないことになっている。防衛省も、文書的には彼女らを『招致された参考人に不都合があった時の補欠要員』として扱っている。
現段階での彼女らが存在するという事実には、不都合なことが多いからだ。
交渉の窓口を得たとなれば、軍事行動よりも交渉を優先させるべきだという意見が出てくることは間違いない。
外交交渉というものは、特にこういった武力紛争の後始末は、軍事力そのものを背景にしなければうまく行かないのである。それを知らない、あるいは知っていても無視してしまう、頭のおめでたい連中が我が国には多すぎるのである。日本政府は現在の段階で、自衛隊の活動に制限を加えられたくなかったし、外国からの雑音も避けたかった。故に彼女らの存在を、公式には無視することとしたのである。
とは言っても、やはりVIPである。また帝国との秘密交渉において、仲介役を得たことは国益にも適うことであるから、裏では他の名目で予算と人員が出て、このような対応がなされたというわけである。
ホテルのスウィートルームに案内されると2人を、ひと組の男女が待ちかまえていた。
「歓迎申し上げます、殿下、そして閣下」
今次内閣において首相補佐官に任命された白百合玲子議員と、外務省から出向している事務担当秘書官の菅原浩治である。
ここで、栗林と富田の2人も自衛隊の制服を纏ってあらわれる。レレイや伊丹には及ばないが、2人が通訳役であった。
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ピニャもボーゼスも、緊迫の一時を過ごしていた。迂闊な言動が、国を損ないかねないからだ。
ピニャは、ここに講和をするために来た訳ではない。交渉の『仲介』を引き受けただけである。『講和』をするよう国に勧めるのと、『交渉を仲介する』のは根本的に違う。現段階、すなわち圧倒的な軍事的敗北の状況で、講和を勧めるとは降伏を勧めることに他ならないのである。
だから仲介役に徹するのである。とは言ってもするべきことは多く、かなり突っ込んだ話も出てその度に額に汗した。
ピニャは、「外交とは言葉による戦争だ」と思うに至った。こんなことならハミルトンにも来てもらえばよかったと思う。
苦労しているのは栗林や富田も、である。
レレイほどの解釈力・推測力や語彙もないし、伊丹ほどちゃらんぽらんではないので、どうしても細かい表現に気をつかって時間がかかってしまうのである。だが、それでも単語帳をめくりながら、時に両者の協力を得て意味の疎通はかりつつ、会談の通訳を行っていた。
帝国政府首脳。特にキーパーソンとなりうる人材は誰か。その人の帝国政権内の地位や立場はどのようなものか?
その人材に、まず「日本という国と交渉をしてはどうか?」と持ちかけるのはピニャである。ピニゃにそういった者とのパイプがなければ、仲介役そのものを果たすことができない。その意味で、これが確認されるのは当然と言えた。
第一次交渉団の人数はどのくらいが適切か。
交渉といっても、たった1人で乗り込んで、講和条件について話し合うわけではない。時間をかけて、それこそ様々な形で面談を積み重ね、互いの腹を読み、妥協できる条件を探り合って落とし所をみつけるという果てしない作業の積み重ねなのである。交渉のための要員が複数人になるのは当然のことである。
滞在中の宿泊場所の手配、費用の支払い方法等々…。
当然の事ながら、外交交渉というのは1日や2日ではまとまらない。
数ヶ月、下手をすると年の単位が必要となることだってあり得るのだ。「会議は踊る、されど決まらず」という言葉があるが、利害の調整というのはかくも手間取るものなのだ。ちなみに上述の言葉は、ウイーン会議のことを言い表したものであるが、この会議において妥協が成立したのはナポレオンがエルバ島を脱出したという報が届いたからである。要するに、危機的事態になるまでウイーン会議は何も決めることが出来なかったのである。この例から見ても、今回の交渉には時間が必要となる。従って、交渉中の宿泊場所から宴会の費用まで、現実的な問題を解決して置かなくてはならない。
さらには、交渉を仲介するために、贈賄をどうするかという話も出てきた。贈賄と聞いて眉を寄せているようではまだまだガキ。こういった交渉に置いては必要経費と思わなければならない。
あからさまに、どのような立場の者に幾らくらい必要かという話すら出た。だが、これについては金銭についての価値観が一致してないことがわかったので、必要性の確認というところで話は止められている。
要人の相互訪問の必要性も確認された。それと、ピニャからは何人かの人材にニホン語を習得をさせたいという希望が出て、菅原秘書官から検討するとの解答を得た。対等に、外交交渉をするのであれば当然のことである。
そして、最後にあがったのが捕虜の取り扱いであった。
日本には、侵攻した帝国軍将兵の生存者、約6000名が犯罪者として逮捕されていた。人数もそうだが、取り扱いの大変さもあって監置場所に困った政府は急遽瀬戸内の無人島を整備して、そこに集めていた。
この連中の食費が馬鹿にならない。負け戦は下っ端から死ぬから、生き残って捕虜となるのは高位の者が多いのである。そんなこともあって、気位ばかり高くて扱いに困っていた。得られる情報も、軍属ばかりで程度が知れている。そんなこともあって正直言えば、熨斗つけてでも引き渡したかったのである。ただ、あからさまにそれを口にするわけにも行かない。あくまでも、捕虜を解放するのは人道上の理由であり、そして帝国側の求めに応じてという形でなければならないのだ。
ちなみに、6000という数字の中にはトロルやオークといった亜人…こちら側の感覚からするとゴリラ同然の連中も入っている。人間でない亜人という種族の意味がわからなかったし、一応言葉らしきものもあるようなので、後で人権問題になっても困るとヒト同様の扱いをしていたのである。…ちなみに、その中のごく少数が、『国連による調査』という名目でアメリカに連れて行かれている。
「我が国としては、犯罪者として取り扱っていますので、そちらからの求め応じて引き渡すという形を取りたいと思っています」
ピニャは6000人という数に呆然としながら…「み、身代金はいかほどに考えておられますか…」と彼女の常識に従って尋ねた。膨大な金額になるはずと、額に汗する。
すると白百合玲子補佐官はころころと笑いながら、「現代の、我が国には身代金という習慣はありません。奴隷として売買されることもありません。ですから金銭以外による交換条件、通常ならお互いの捕虜を交換するという形が良いのですが、…今回の場合は『何らかの譲歩』という形で代償が得られることを期待してます」と、続けた。その上で補佐官は呟いた。
「仲介なさっていただけるピニャ様を後押しするために、ピニャ様が指定される若干名ならば、無条件での即時引き渡しが可能です。この条件はお役目を果たされるために上手くご利用下さい」
こうしてピニャは、ニホンという国が捕虜というものをどう取り扱おうとしているかを学ぶとともに、元老院や貴族達に交渉を仲介するための武器を得たのである。
「私の掴んだ情報によると、貴方の息子は生きているらしい。ご子息を取り戻すために、彼の国の者と話し合ってみてはどうか?必要なら会談の場をとりもってもよい」
そう言われて心の動かない親が、果たして居るだろうか?
するとボーゼスが口を挟んだ。
「今回は無理かも知れませんが、一度『捕虜』にお会いしたいと思いますわ。お許し頂けますか?あと名簿も必要になります」
実は彼女の親友が、夫を戦地(銀座)に送り出していた。
先の出征で戦死したと思っていたのが、生きているかも知れないと言う希望がもてたのである。ただ、あからさまに「誰それは生きてますか?」と聞くわけにはいかないので、このような物言いになったのだ。内心では、今すぐにでも帝都に戻って「貴女の夫が、生きてるかも知れないわっ!」と知らせてやりたかった。
菅原秘書官が、「次にお越しの際には、捕虜の収容施設までご案内できるようにしておきましょう。それと名簿については、お帰りの際にはお渡しできるように手配しておきます」
こうして、歴史に記されることのない、秘密の会談第一回目が終了したのである。
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さて、NHKの全国放送で視聴率が低く、人々の関心も薄いけど、公共放送という意味合いからも義務的に垂れ流されている番組と言えば、やはり選挙における立候補者の演説と、国会中継の二つが挙げられるたろう。
だが、「有権者諸君っ!…」の第一声で名高い自称革命家の登場以来、選挙演説の視聴率が、国会中継をほんの少しばかり上回っている今日この頃である。
かつて国会中継の視聴率が跳ね上がった証人喚問は今では中継そのものがないし(音声のみ)、疑獄事件とか、官僚汚職、偽装事件も、参考人招致程度では嘘をついても罰せられないことから、招かれた参考人がしれっとした態度をとることが多くて、面白味に欠けるのだ。
だが、この日の中継だけは違った。
ネットの巨大掲示板に、国会中継に「特地の美形エルフが出とる」という書き込みがなされる否や、瞬く間に視聴率曲線は急勾配で上昇することになったのである。
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参議院予算委員会の議場は、レレイ、テュカ、ロゥリィの3人が現れると一斉にどよめいた。
伊丹もいるのだが、彼は外見的にはインパクトに欠けているので、なんとなく無視されている感じである。
やはり、短めの銀髪でポンチョにも似たローブをまとっているレレイとか、金髪碧眼笹穂長耳のテュカ、そしてなにやら長くて大きな包みを抱えた、黒ゴス少女のロゥリィ達は、よく目立つ。議員の皆様や、中継のカメラ、そして傍聴席からの視線を集めていた。
最初の質問に立ったのは、国民社会主義日本労働者党、略して社会主義者党の女性党首、福岡みずの議員である。
考えてみれば100の事業のうち99を上手くこなしても、1失敗しただけで非難される責任者と違って、100批判して1でも的を射ていれば鬼の首でも取ったように誇れる無責任野党党首という職業は、気楽なものである。人の粗を探し、人の身では実現できるはずのない理想を喋っていればいいのだから、これほど楽なものはないだろう。
特に、他人を非難するのは元弁護士にはお手の物と言える。
福岡みずの議員は、意気揚々と、若干のカメラ写りを気にしつつ大きなボードを片手に質問を開始した。
「伊丹参考人に、単刀直入におたずねします。特地甲種害獣、通称ドラゴンによって。コダ村避難民の1/4、約150名が犠牲になったのは何故でしょうか?」
福岡議員の手にしているボードには、「民間人犠牲者150名!!」と民間人を強調するかのように描かれていた。130人だったはずがいつの間にか増えている。
「伊丹 耀司 参考人」
委員長に名前を呼ばれ、前に出る伊丹。
制服をぴしっと着こなすと、さすがの伊丹もなんとなく、いや、どことなく…もしかしたら凛々しく見えるかも知れない…ような気がする今日この頃である。
「えー、それはドラゴンが強かったからじゃないですかねぇ」
のっけからのこの回答に、福岡議員も絶句した。
「自分達に力が足りなかったからです」とか、日本人のよくする、真面目で自己批判的答弁を期待し、それを元に質問を展開していくつもりだったからでもある。二重橋濠の防衛戦で名をはせた伊丹という男は、そういう真面目な男だとマスコミで喧伝されていたこともある。だが、どうも、違ったようである。
「そ、それは、力量不足を転嫁しているだけなのではないでしょうか?150名が亡くなっているんですよ。それについて責任は感じないのですか?」
バンバンと150人と書かれたボードを叩きながらわめく。
「伊丹 耀司 参考人」
委員長に名前を呼ばれ、再び前に出る伊丹。
「えー、何の力量でしょう?それと、ドラゴンが現れた責任が自分に有るとおっしゃられるのでしょうか?」
「私が言っているのは、あなたの指揮官としての能力とか、上官の能力とかっ、自衛隊の指揮運営方針とかっっ、政府の対応にっっ、問題はないのかと尋ねているのですっ!それと、ドラゴンの出現が貴方のせいだとは言ってません。ただ、現場で関わった者として、犠牲者が出たことをどう受け止めているのですか?と尋ねているのですっ!」
はあはあっと息を荒くしている女性議員を前に、伊丹は後ろ頭をガリカリと掻きながら「力量不足といえば、銃の威力不足は感じましたよ。はっきり言って豆鉄砲でした。もっと威力のある武器をよこせって思いましたね。プラズマ粒子砲とか、レーザーキャノンとか実用化しないんですかねぇ。パワードスーツは実用化一歩手前じゃないですか。速く導入して欲しいところです。サイバー○イン社も、基礎研究は税金でやったんだから、介護用とか更生福祉用なんてこだわらず、祖国の国防目的に特許開放してくれたっていいと思うんですがねぇ。軍事は悪だ…なんてどこの発想なんだろう。自衛隊じゃなくったって警察や消防が導入したらどれだけの人が助かるか考えないんですかねぇ。あと大勢の人が亡くなったことは残念に思いますよ」などと愚痴混じりに答えた。
伊丹の混ぜっ返すような態度に与党側からは苦笑が、野党側からは不謹慎だとかのヤジが飛んだ。
「本省の方から補足したいのですが宜しいでしょうか?」
そういって防衛省事務次官は、内心の笑いを巧みに誤魔化しながら手を挙げた。
「ええ、伊丹二等陸尉から提出された、通称ドラゴンのサンプルを解析した結果、鱗の強度はなんとタングステン並の強度を有するということがわかりました。モース硬度ではダイヤモンドの『10』に次ぐ『9』。それでいて重さはなんと約1/7です」
そんな鱗をもつドラゴンとは、いわば空飛ぶ戦車です。こんなものと戦って犠牲者0で勝てと言う方がどうかしているというニュアンスのことを告げた。
福岡議員は、ため息をつくと伊丹に対する質問を早々にうち切り、その対象を変えた。
まずは、レレイである。
さすがに福岡議員も、見た目中学生程度のレレイに大上段から質問しようとは思わず、当たり障りのないところから始めた。まずは挨拶がてら「えー参考人は、日本語はわかりますか?」と尋ねた
「はい、少し」
はっきりとした答えに安心したように頷くと、レレイに自己紹介を求めた。そして彼女から、レレイ・ラ・レレーナという名前を得た後、今はどのように生活しているかと尋ねた。
「今は、難民キャンプで共同生活している」
「不自由はありませんか?」
「不自由の定義が理解不能。自由でないという意味か?それは当たり前のこと。ヒトは生まれながらにして自由ではないはず…」
迂闊な質問をして出てきた高尚かつ哲学的な解答に、あわてふためいて「生活する上で不足しているもの、こちらから出来る配慮等はないですか?」と尋ね直す。
「衣・食・住・職・霊の全てに置いて、必要は満たされている。質を求めはじめるとキリがない」
レレイの答えは福岡議員にとって、不満の残るものであった。だからでもないだろうが伊丹に対するものよりもさらに直裁に、150名の人が亡くなった原因として、自衛隊側の対応に問題はなかったか?と尋ねた。
レレイは、驚いたように目を白黒させて暫し呆然とする。その上で、ポツリ「…………ない」とだけ答えた。
次に呼ばれたのはテュカである。
「私は、ハイエルフ、ロドの森部族マルソー氏族。ホドリュー・レイの娘、テュカ・ルナ・マルソー」
名前を尋ねられて、テュカは胸を張って答えた。
今日の服装は、リクルートスーツのような濃紺の上下をまとっている。紳士服店で女性店員に無難な吊るしものをと任せた結果がこれである。そのせいか、いつもは高校生ぐらいに見えるテュカも、リクルート活動中の大学生くらいには見えた。
「不躾な質問をするのであらかじめ謝罪しておきますね。その耳はホンモノですか?」
レレイが通訳するとて、テュカは「は?」という表情をした。そして訝しそうに、「それはどういう質問か?」と尋ねる。
レレイが、外見の相違に対する好奇心から出た質問と思われると解説した。
「はい、自前ですよ。触ってみますか?」
テュカは、洒落っぽく微笑むと長い髪を細い指先でたくし上げてその耳を顕わにし、ピクピク動かして見せた。
その一連の動きと、はにかんだ表情が小動物系ぼくって妙に可愛く見えた。それが原因かどうかはわからないが、一部議員と、傍聴席・マスコミ席からどよめきの声があがる。さらには、目を開けていられないほどのフラッシュが集中して瞬いた。
さすがに、福岡議員も「そ、それは結構です」と断って、難民キャンプでの生活などについて質問し、不足はないという答えを得た後、レレイにしたのと同じ質問「150名の人が亡くなった原因として、自衛隊側の対応に問題はなかったか?」をした。
かえってきたのは、表情を氷のように閉ざし俯いた姿である。テュカの答えは「よくわからない」であった。理由を尋ねると、「その時、意識がなかったから」とのことである。
最後に登場したのがロゥリィである。
今日もロゥリィは黒ゴスをまとっている。ただ、いつもは後ろに流してるベールを今日は前に降ろして顔を隠していた。まさに喪服をまとった小貴婦人の如し。
もちろん、薄い紗でできているベールだけに、その顔(かんばせ)を完全に隠せるものではない。が、幼さと気品が入り交じった独特の雰囲気を発していた。わずかに見えるオトガイの線は幼い少女のふくよかなものとちがって、透き通るように細く滑らかだった。そんなところから、体躯は小さいが大人の女を感じさせる。そのアンバランスさが妖艶さとなって、ロリ・ペドの気がない者にも十分な魅力として感じられた。
手にしている帆布に包まれた重量感のある物体を片手に、ロゥリィは正面に立った。
ロゥリィの黒ゴスを、喪服の一種と解釈した福岡議員はこの少女からなら、政府を攻撃するのによい材料を得られるのではないかと期待した。喪服を着ているのは、家族か誰かを亡くしたのに違いないから…。
だから、悲しんでいる少女の心に寄り添うかのように、優しく、親しげに話しかけようと試みた。
「お名前を聞かせてもらえる?」
「ロゥリィ・マーキュリー」
「難民キャンプでは、どんな生活をしている?」
「エムロイに仕える使徒として、信仰に従った生活よぉ」
「どのような?」
「わりと単純よぉ。朝、目を醒ましたら生きる。祈る。そして、命を頂くぅ。祈る。夜になったら眠るぅ。まだ、肉の身体を持つ身だから、それ以外の過ごし方をすることもあるけれどぉ」
「い、命を頂く?」
「そう。例えば、食べること。生き物を殺すこと。エムロイの供犠とか…他にもいろいろねぇ」
最初に「食べること」を持ってきたがために福岡議員を始め、他の議員達も、彼女の言う「命を頂く」という言葉を、食事をする行為に付随するものと受け取った。実際食事をするとはそういうことなのだから。おかげで、「殺す」という言葉を文字通りに解釈せずにスルー出来たことは、議事堂にいた者の精神衛生にとって幸運なことかも知れない。
こうして、一通りの質問を済ませると、福岡は「あなたのご家族が亡くなった原因に、自衛隊の対応は問題がなかった?」と尋ねた。
これには首を傾げたレレイである。なんと翻訳しようと迷ってしまった。なぜなら、ロゥリィは使徒であり、もし彼女に家族がいたとしてもそれは遙か彼方、大昔に亡くなっているはずだからだ。少なくとも今回の出来事と関係はない。
しばし質疑が中断され委員長から「どうしました?」という声が飛んだ。
そこでレレイは、この質問の主旨は、ロゥリィ・マーキュリーの家族ことか?コダ村の避難民の件か?と尋ねた。
どちらも同じ事だろうと思っている福岡議員は、自衛隊や政府にとって不都合なことを隠すため、翻訳過程で悪質な操作がなされているのではないかと邪推した。その為、強い口調でもう一度尋ねた。
「レレイさん、こちらの質問通りに尋ねてください。ロゥリィさんの家族が亡くなられた理由に、自衛隊の対応は問題がなかったか…と」
仕方なく、レレイは福岡議員の言葉通りに質問を翻訳した。
しばし、沈黙するロゥリィ。福岡みずのは「しめたっ!」と思った。彼女の琴線に触れた。某かの情緒的反応が望める。
だがロゥリイが発したのは「貴女馬鹿ぁ?」という日本語だった。
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しんと静まりかえる議場。
「し、失礼。今何といったの?」
国民社会主義日本労働者党、党首福岡みずのは、戸惑いながらも問い返した。
「あなたはお馬鹿さんですかぁ?と尋ねたのよぉ、お嬢ちゃん」
ロゥリィはレレイを介さず、日本語で話していた。
「おじょ…失礼ですね。馬鹿とは何ですか馬鹿とは?」
「馬鹿みたいな質問をするからよぉ」
そう言いながらベールをたくし上げるロゥリイの眼は、馬鹿を見下す蔑視の視線であった。
「さっきから黙って聞いてると、まるでイタミ達が頑張らなかったと責めたいみたい。
炎龍相手に戦って生き残ったことを誉めるべきでしょうにぃ。1/4が亡くなった?違う、それは違う。3/4を救ったのよぉ。それが解らないなんて、それでも元老院議員?ここにいるのが、みんなそんななら、この国の兵士もさぞかし苦労してるでしょうねぇ」
はい、その通りですとは、中継を見ていた某自衛官の心の叫びである。
「参考人は言葉を慎んでください」
委員長から、窘めの言葉が飛ぶ。ロゥリィは、これを受けると余裕の笑顔で肩を竦めた。
これに腹が立ったのか、福岡は目を座らせると「お嬢ちゃん。こういった場は初めてだから解らないかも知れないけれど、悪い言葉を使ってはいけませんよ。それに、大人に対して生意気な態度をとってはいけません」と、幼子を躾るかのように窘めた。
それは、年齢の高い者が『唯一それだけを頼りどころとして』、年若い者をねじ伏せようとする時の言動であった。
「お嬢ちゃん?それってもしかしてあたしぃのこと?」
ロゥリィは胸に手を当てて尋ねた。
「貴女以外の誰でもありません。まったく、なんて娘かしら?年長者に対する礼儀がなっていませんね」
「これは驚いたわねぇ。たかが…」
この時、やばいと思った伊丹は自ら手を挙げた。議員の先生方は、姿が同じならこちらの常識が通じると思っているのだ。彼女らが、こちらの常識外に生息する存在であることを示すには、もっとも効果的なこと…。
「委員長!!」
「伊丹参考人、指名するまで発言を控えてください」
「福岡議員は、重大な勘違いをなさっておられるようなので、申し上げておかなければと…」
ロゥリィと福岡の間が剣呑な気配を有しているのは確かである。委員長は、伊丹が発言することでそれが霧散することを期待した。
「伊丹参考人」
ロゥリィが唇をゆがめて、伊丹を睨みつけつつ席に戻った。彼女の目線は「邪魔をしやがって…コノヤロ」と語っていた。
「えー、福岡議員、そして皆様。僕たちは、若い人に年齢を武器にして物を言うことがありますが、時としてそれが我が身に返ってくることがあると思うのです」
「参考人は、簡潔に説明してください」
「…あ、申し訳ありません。つまり、その……ぶっちゃけで言えば、ロゥリィ・マーキュリーさんはここにいる誰よりも年長でありまして…」
「それは、儂よりもか?」
大臣経験もある保守党の重鎮…御歳87歳…が一番後ろから不正規発言した。
「……………はい」
馬鹿なことを…という気配が議場内に満ちた。
参考人の歳を聞いて見ろというヤジが飛んだりする。
ロゥリィは「女に年を尋ねるものではないわよぉ」と席にいながら応じるが、福岡としては尋ねないわけにもいかないことである。
「おいくつですか?」
「961歳になるわ」
静まる議場…唖然とする女性議員。不老不死…?という声が漏れた。
女声による他の参考人の年齢も聞いてみて、というヤジが出たりした。
「165歳」というテュカの答えに、ゾッとする男性議員と、ぐびっと唾を飲み込む女性議員。雪の結晶のような天然の美しさと永遠の若さ。テュカが圧倒的な存在感をもって放射するそれは女性達が追い求めるものであったからだ。それを体現したものが目の前にいる。
ま、まさか…という思いを込めてレレイへと質問が及び、彼女が「15歳」と答えた時、議場にいた男性議員の間にはホッとした雰囲気すら流れたほどである。美しさ=若さという等式が成立しているオールドタイプの男心というのは、斯くのごとく複雑なのである。
ここで、レレイの解説が入った。
レレイは、門の向こうにおいて「ヒト種」と呼ばれる種族であり、その寿命は60~70歳前後である。向こうに住むものの多くはヒトである。
それは、まさしく門のこちら側における人間と同じであり、議員連中をホッとさせ、同時にがっかりさせた。
テュカは、不老長命のエルフ。しかもハイ・エルフと呼ばれる妖精種であり、その寿命はエルフを遙かに越えて永遠に近いという説もある。
ロゥリィもヒトではなく、亜神である。肉の身体を持つ神である。やはり不老だが元来はヒトで、亜神へと昇神した時の年齢で外見が固定されている。通常1000年ほどで肉の身体を捨てて霊体の使徒に、そして真なる神となる。従って、寿命という概念はない。
福岡みずのは、内心で頭を抱えた。
先ほどの自身の言からすると、年長者に対する礼儀を示さなければならないのは福岡の側となってしまうからだ。だが日頃から政府に対して、高齢者に対する礼儀や、思いやりが欠けていると主張しているその口は、言葉を失っていた。
こう言う時は、忘れてしまう。それが社会主義とか共産主義を標榜する者のメンタリティーである。
都合の悪いことは忘れる。無視する。あるいは捏造する。白を黒と言い抜ける屁理屈論述能力と、それをして平気な面の皮がなければコミュニストとか、ソーシャリストなどやってられないのである。なにしろ革命なった暁には、共産党員という貴族階級となって、人民を『指導する』という名目で特権を享受し、栄耀栄華な生活を送りたいのが本音なのだから。実際、これまで地上に登場した共産主義国家の共産党員は、搾取する富そのものが存在しないという希有な例を除いて、常にそのような特権階級として生活をしていた。そして現在も中国や北朝鮮の党員はそのように生活している。これらの事実が証左となるだろう。
「質問を終わります」
ホントに終わったのかよという不完全感が漂うが、質問者が終わったと言えば終わりである。福岡みずのは使用する予定だったボードの殆どを使わずじまいのまま小脇に抱えて自分の席へと戻っていった。
つづいて与野党から何人かが質問に立ったが、これ以降は、門の向こうの生活や、それぞれの文化についての質問ばかりで、ロゥリィやテュカがへそを曲げるようなものはなかった。
要するに炎龍撃退は、誉めこそしても非難するようなことではない。自衛隊は案外うまくやっている。彼女たちには不満はない。そういうことであった。
最後の最後に、民生党の窓過議員が立ち上がって、特にロゥリィを指さし「あなたのようないかがわしい存在を神とあがめるような世界は、人間性を破壊する」と発言して、門を閉鎖するべきだと主張したりしたが、ロゥリィ参考人は次のように答えている。
「自分に理解できないとか、合わないとか、気に入らないという理由で異なる文化を廃絶する姿勢は、結局差別に行き着く。『健全』とか『人間性』といった名目で文化を健全と退廃に分別することを大義名分にしたとしても、その一方を抑圧し廃絶しようとするなら、どこで線を引くかが必ず問題になる。今日、中間で線を引いたつもりでも、一方が廃絶された明日には、それは端っことなる。また、その中間に線を引きたくなるだろう。また端っこになる。…やがて人の魂を抑圧する考え方に行き着くことになる。行きすぎた清潔主義、健康主義は必ず極端化して、害悪に転じる」
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伊丹等が、国会において参考人招致を終えた頃。
マイクロバスは、伊丹達を迎えに国会議事堂へと向かっていた。その前と後ろに、情報本部からの差し回された車がきっちりガードしているが、夕刻の首都だけに道路が混んで来れば、割り込んでくる車がいたりするのは、どうしても防ぎきれなかった。
信号で、停まり再び走り出す。
周囲の車が、追い抜いたり、あるいはマイクロバスの後ろに入る。その車が妙に遅くて、マイクロバスの後ろで、警護に就いていた駒門の日産車は、マイクロバスから少しずつ引き離されつつあった。
「う~ん、妙だな」
呟く駒門。苛立つ運転手。
「ったく、足が遅い癖に割り込んでくるんじゃないよ」
運転手が、ウインカーを出して前の車を追い抜こうとするが、追い越し車線にいる車が妙に遅くて、なかなか車線変更の機会が得られなかった。
そうこうしてるうちに前方の信号が赤になって、ついにマイクロバスは先へと行ってしまった。
次第に見えなくなっていくマイクロバスの後部を見つめながら、駒門はマイクを片手に呟くように言った。
「指揮車より全車、敵さんがお出でなすった…気を緩めるな」