[1507] 自衛隊 彼の地にて、斯く戦えり /正式版 16
Name: とどく=たくさん◆20b68893 ID:6aa13634
Date: 2008/05/05 21:07
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イタリカの街。その門前は物騒な気配に充ち溢れていた。
普段なら、荷車や馬車が行き交い、関税の手続やら行き交う商人の姿で賑わっている城門は無惨なまでに破壊されていた。代わりに木材や家具等、手当たり次第にかき集めてきたことがよくわかる適当な資材を山となるほどに積み上げて、来る者全てを拒む構えを見せている。
3階建てビルに相応する高さを持つ石造りの城壁上には、守備の兵士達がずらりと並んで、石弓、弩、弓矢を構えてこちらに向けている。
一度の発射で、何本もの矢を放つことが出来る機械式の連弩なども設置されていた。
投げ降ろすためだろう、瓦礫とか石とかも山積みにされていた。
また、通常なら武器とは考えることのない物まであったりする。例えば、火が焚かれてその上に大鍋が置かれ湯気をあげている。
これが河原とか、山のキャンプ場ということなら、芋煮会でもしてるのかなと思うところであるが、それが城壁の上でとなると、のんびりとした食事の支度などでないことが直感的に理解できてしまうのだ。
「熱湯を浴びせられるのだけは勘弁して欲しいところですねぇ…」
高機動車運転席の倉田のつぶやきを耳にして、伊丹は「聞いてないよ~」とか言いたくなってしまった。熱湯というのは、テレビの旧いバラエティ番組などでは捨て身ギャグ用小道具として扱われたこともあって軽視される傾向にあるが(実際には熱湯ではなかったとのこと)現実的には化学兵器並みに凶悪な代物なのだ。
もし、その熱さによるショックで死ねなければ、かなり長い時間苦しみ抜くことになる。 全身の火傷による漿液性炎症は果てのない体液の滲出を引き起こして、結局のところ体液の大量損失を招く。これによって死ねないとすれば、さらに皮膚を失ったが故の細菌感染がおこり、壊死組織の腐敗、敗血症と徹底的に苦しみ続けることになる。万が一回復するとしても、ケロイドや組織の引きつり等の不自由と苦痛を一生背負うことになるのだ。
実際に、あれが熱湯などではなく実は鉛を溶かしたものだと知ったら、伊丹は直ちに全力疾走で逃げるように号令してしまったかも知れない。と言うのも、伊丹は自殺の手段として、灯油をかぶって火をつけるという方法を選んだ者の姿を見たことがあり、その人物が生き残ってしまったが故に味わった苦痛の一部始終が彼の記憶の深奥に根太く刻み込まれていたからだ。
イタリカの守備兵が手にする武器は、伊丹らのものと違って見た目にも鋭さとか、熱そうとか、いかにも切れそうとか、『凶器』と呼ぶにふさわしい禍々しさがある。
テレビやドラマ、小説や漫画の中で『殺気』という言葉がよく出てくるが、現代社会に生きる伊丹はそんなものを感じ取ったことはない。ある種の武道の達人になれば察知したり、発することが出来るのかも知れないが、現実的にあるものと言えば、このように実際に目にしたものから連想される痛覚であり、痛いのは嫌だなぁ、熱いのも嫌だなぁというイヤ~な気分。そして警戒されてる、敵意をもたれているという気分の綯い交ぜになった感覚が、緊張を引き起こす殺気めいたものとして感じられるのである。
この気分に負けた後ろ向きな心境を『臆病風に吹かれる』と言っても良いのかも知れないが、伊丹はそんな状態だったので…
「何者か?!!敵でないなら、姿を見せろっ!」
などと頭上から鋭く響く誰何の声を聞き取れずとも、その真意を語調から理解して、がばっと振り返り「お呼びでないみたいだから、他の街にしない?」とレレイに告げたとしても仕方のない話かも知れない。
「見たところ、街の人も忙しそうだし、この様子じゃぁのんびり商談ってわけにはいかないと思うんだよね。何と戦っているのか知らないけど、巻き込まれるのはゴメンだし。ボクとしては、我が身と君たちの安全安心を何よりも優先したいなぁって常日頃から心に留めているのだけど、どうだろ?」
「確かに、熱烈な歓迎ぶりっすねぇ」
などと運転席の倉田はつぶやいて、桑原曹長は無線で「こちらからは手を出すな。敵対行動と見られるような挙動はするなよ」と緊張感を孕んだ口調で指示を下していた。2人とも、手にした小銃の筒先を油断無く外に向けている。
しかし、レレイは相変わらずの無表情と抑揚に欠けた発音で「その提案は却下する」と告げた。
「でもさ、現実的に見てもこの門の様子じゃ、俺たち中に入れないけど」
「入り口ならば他に存在する。イタリカの街は平地の城市。東西南北の全てに城門があり、他が健在なら出入りは可能となる」
実際に、城市の門が一つしかないというのは考えにくい話である。
「イタミ達は待っていて欲しい。私が、話をつけてくる」
レレイはそう言うと、腰を上げた。それを見て「ちょっと待って」とテュカが止めた。
テュカも伊丹同様に、なぜこの街にこだわる必要があるのかと尋ねた。伊丹のように臆病風に吹かれているわけではないが冷静に考えても、戦時下の街に入って利益があるとは思えないのだ。巻き込まれる恐れは十分…というより、街に入ったら完全に巻き込まれることになる。街側の人間として戦うことを強いられるだろう。
レレイは答えた。「入れるかどうかは問題ではない。この場で、私たちが敵ではないことだけは理解させておきたい。このまま立ち去れば、私たちが敵対勢力だと誤認される恐れがある。後日この街を訪れるにしても、他の街に行くにしても、そういった情報が流布すると、今後の活動に差し障る」
「でも、あたしたちの都合に、この人達を巻き込むことにならない?」
テュカはそう言って、伊丹や黒川達へと視線を巡らせた。
「この人達は、何も求めずにあたしたちを助けてくれているのよ。そんな人を危険なところに巻き込むわけにはいかないでしょう?」
「だからこそ行く。私たちはイタミ達に恩を受けている。私たちの都合でここまで来て、イタミ達が敵と思われたり、評判が落ちるのは私の求めるところではない」
「イタミ達のため?」
「そう。この特徴的な乗り物の主は、イタミ達をおいて他はない」
こう言われるしまうと、頷かざるを得ないテュカであった。
「大丈夫。商用で来たことを告げて、事情を確認するだけだから問題ない」
「わかったわ。でもそういう理由なら1人で行かせるわけにはいかないし、外に出るなら、矢除けの加護が必要よ」
テュカはそう告げると、精霊語による呪文を唱え始めた。
すると、ふと、風がそよいだような気がする。
そうしておいて、レレイ、テュカ、そてしロゥリイの3人が車外へと降り立ったのである。
「イタミ達は待ってて」
再度告げて、3人は、ゆっくりと城門へと歩み寄っていった。
守備兵達の構える弓矢やボウガンの尖端が、ゆっくりと動いて彼女たちを追尾している。
これを見守る伊丹としては、いくら「待ってて」と言われたにしても気分が良くない。なんとなく「大人として、男として、自衛官として、人としてどうよ」という文字が、彼の脳内スレッドに次々とageられていくのだ。
しばしの逡巡。
伊丹は憶病に徹してガタガタブルブルと震えていることもできないと言う意味では、ヘタレであった。要するに見栄とか、虚栄心とか、そういった類のものをちゃんと持ち合わせているのだ。
もちろん、一般の大人はそれを「見栄です」とは言わず、任務とか、義務とか言い換えて自分を騙そうとするのだが、伊丹自身はそういうところは素直なので、平気で「俺、恐ぇのは嫌なんだけど、みっともないのも嫌だよなぁ……」などと呟いてしまうのだ。
そして盛大な舌打ちの後に64小銃を車内に残し、とっても重たい防弾チョッキ2型の襟をしっかりと寄せつつ車外へと降り立つのであった。
ちなみに、彼らの個人装備はイラクPKOに準じている。彼の腿には拳銃が下がっているので武装してないわけではない。小銃を置いたのは、外見的に武器っぽく見えるものは持たない方がいいだろうなぁと思っただけである。
「僕も行ってくるわ。っていうか、行かないわけにはいかないでしょう。と言うか行かせてくれ」
「誰も行くななんて言ってません」
身も蓋もないセリフを口にしたのが誰かまではあえて言及しまい。ただ女声だったということだけは確かである。
しばし、スの入った数秒が過ぎた後に伊丹は「桑原曹長、あとは頼んだよ。なんかあったらすぐに助けに来てよ」などと告げて、レレイ達の後を小走りに追ったのだった。
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ピニャは決断を強いられていた。
確固たる判断材料がないままに、どうするべきかを決めなければならないのだ。それは賭博的要素の強い、決断であった。
「グレイ、どうすればいい?」
歴戦のグレイをしても、ピニャの質問に対して明確な答えを出すことが出来なかった。誰も結果の保証などしてくれない。そんな状況で、判断を下さなくてはならない重圧が背中に重くのしかかっていた。『指揮官の孤独』と呼ばれる状態である。
武器を構える兵士達は、皆ピニャの下す決断を待っている。
弓を引き絞る弓兵の手が小刻みに震えている。
農夫がフォークシャベルを抱えて待っている。
剣を手にした兵士、街の住民達、すべての運命がピニャの判断にかかっているのだ。
まず、エムロイの使徒たるロゥリィ・マーキュリーと、それに続くハイエルフ、魔導師は盗賊に与しているか否か?
答え……否。否としたい。
理由…もし当初から盗賊に与しているのなら、最初の攻撃から参加していたはず。そうしていればイタリカの街は今頃陥落していた。
しかし、ロゥリィ達が最初から盗賊に与していたとは限らない。戦いに加わらず日和見を決めていて、あと一押しと見て参加したかも知れない。初戦に参加していなかったという理由はロゥリィ達が盗賊側に与してないと考える理由としては乏しい。
そもそも盗賊でないとするなら、ロゥリィ達はこのイタリカの街に何の用で現れたのか?戦時下の街に尋ねてくる意味は何か?
いっそのこと、ロゥリィ達の入城を拒否してしまおうか。だが、入城を拒否したことで彼女らを敵側に押しやってしまう畏れもある。
それに、ロゥリィ達が敵でないのなら、ピニャとしては是非とも迎え入れたかった。
もし、ロゥリィ達を味方に引き入れることが出来れば、心強い援軍となってくれるだろう。なにしろエムロイの使徒と、ハイエルフと、魔導師だ。兵士も、街の住民達も必勝を確信して奮い立つはず。
自分が、兵士達に必勝を信じさせるようなカリスマに欠けていることは、ピニャは痛切に実感していた。
もし、勝てると思わせることが出来なければ、きっと脱走する住民が出てくる。1人でも逃げ出せば、その後はもう雪崩をうって我先に逃げ出そうとするはず。そして統制がとれなくなり、結局盗賊達の思惑通りとなってしまうのだ。
ロゥリィ達が何の用でここまで来たかは知らないが、彼女らを説き伏せることが出来れば住民達に「援軍が来た!!」と告げることが出来る。
いやいや、説き伏せている時間など無い。無理矢理、強引にでも味方にしてしまわなければならない。
あるいは、入城を拒絶するかのどちらかだ。
こうして、ぐるぐると思考が巡り決断のつかない状況の中で、ついに城門小脇の通用口の戸が外から叩かれた。
息が止まる。
そして、唾をグビと飲み込むと、ピニャは決断した。勢いだ。勢いで有無を言わせず、巻き込んでしまえ。巻き込むと決める。
3本ある閂を引き抜くと通用口を、力強く、勢いよく、大きく開く。
「よく来てくれたっ!!」
クワァバンッという鈍い音と妙な手応えに、ふと我に返って見る。するとロゥリィも、エルフの娘も、魔導師の少女も、通用口の前で仰向けに倒れている男へと視線を注いでいた。
男は、白目を剥いて意識を失っているようだ。
やがて彼女たちの、やや冷えた視線がゆっくりとピニャへと注がれる。
「……………もしかして、妾?妾なのか?」
白い魔導師の少女が、黒い神官少女が、そして金髪碧眼のエルフ娘が、そろって頷いた。
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事故であることは理解できるので、レレイも、ロゥリィも、ピニャを非難したり、怒ったりするよりも、まずは意識を失った伊丹を介抱すべく動いた。
大の男1人分プラス装備によってずしりと重い体を、加害者の女にも手伝わせ城内へと運び込む。そして通気をよくするために衣服をゆるめようと試みた。
まず兜らしき、かぶり物をとる。
次いで衣服をゆるめようと思うのだが、布製と思っていた上着は金属のような硬い板が仕込まれた鎧であった。外見的にもそうだが、紐だとか、箱だとか、用途の判らない色々なものが身体のあちこちに装着されていて、どう手をつけて良いのかわからないので、とにかく襟元だけをなんとか開く。
枕代わりにロゥリィが膝を貸し、テュカは伊丹の腰に手を回して、取り付けられていた水筒を引っこ抜いた。
守備の兵士達も街の住民達も、「なんだ、どうした?何があった?」と寄ってきた。すでに緊張感がふっとんで、誰も彼も野次馬モードである。
ピニャは「あわわ、はわわ」と動転しているだけで、何も出来ない。
レレイは、とりあえず学んだ範囲で伊丹の様子を診察していた。
瞼を開いて眼振の有無、口や鼻、耳を覗き込んで出血や損傷の有無、首や顔面、頭部等に触れてみて手で触れて判る範囲での外傷の有無である。これらに異常が無いことを確認して、初めてホッと息をついた。
そうしておいて、ようやくピニャへと非難の視線を向ける。
「貴女、何のつもり!?」
ところが、非難第一声はレレイではなくテュカのものだった。テュカは伊丹の頭に水筒の水をどぼどぼと浴びせながら、戸を開けるのにその前に人がいるかも知れないと、気を配るのは、ヒトであろうとエルフであろうとドワーフであろうと、ホビットだろうと知性を持つ者なら当たり前のこと。不注意に過ぎるとピニャを強く、とても強く非難した。
激昂のあまり「まるで、コブリン以下よっ!」とまで言い放ってしまうという無礼をしてしまうのだが、自分の不注意が原因であることはピニャも重々承知しているので、身分が云々を別にして恐縮するばかりであった。そりゃあもう、皇女殿下に似つかわしくないほどの謙虚さである。
誰かが強く怒っていると周囲の人間は一緒に興奮するか、逆に冷静すぎるまでに鎮静するかのどちらかである。この場合のレレイは冷静になった。そして、自分たちがイタリカの街の中に入り込んでしまっていることに気付いた。
見ると、通用口は閉じられてしっかりと閂も降りている。
見渡すと、守備の兵士とか街の住民とかが周囲をぐるりと取り巻いている。
思わずロゥリィと視線を合わせる…が、黒い神官少女は面白げに微笑むだけであった。
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伊丹が意識を回復したのは程なくしてからである。
いたたと、痛打した顎をさすりながら、目を上げると黒い神官少女ロゥリイの顔が逆さまとなって視野一杯に伊丹を覗き込んでいた。
彼女の黒髪の尖端が伊丹の顔あたりまで降りてきていて、チクチクと痛い。
この神官娘は容姿こそ幼いくせに、遊び慣れた大人の女性のような『話の解る悪戯っぽさ』をもっていて冗談とも本気ともつかない際どさを楽しんでいる様子が見受けられた。彼女の手が伊丹の頭を抑えるように、それでいて抱えるような感じで彼女の膝の上に載せられているのだ。そして、その瞳の奥にどういうわけか妖艶な女を感じさせられてしまう。
「あらぁ、気が付いたようねぇ」
それは、この世界の言葉であったが、単語も覚えていたし状況からの推察も比較的しやすい。何よりも鈴の音のようなロゥリィの声が、とても聞き取りやすいのだ。
「ちゃんと、憶えてるかしらぁ?」
伊丹は頷いた。
目前で突如迫ってくる通用口の戸。顔面から顎にかけてを痛打して揺すられる頭。直後に真っ暗になる視界。どうやらしばしの間、意識を失っていたようだった。
視野一杯に広がっている、ロゥリイの顔の外側…つまり周囲は、たくさんのヒトがいて伊丹を注視している。レレイの心配そうな表情も目に入った。
ふと、テュカが誰かを口汚く罵っている…らしい声も聞き取れた。
外国語と言うのは勉強に没入しているとある日突然、周囲のヒトの言葉が翻訳しなくても理解できてしまう時が来るらしい。脳の言語野で回路が形成されることでこういう現象が起こるのだが、どうやら顎を痛打して脳を揺さぶられたことがきっかけになったようだ。
重たい防弾チョッキ2型を着込んでいるので、伊丹は少しばかり苦労しながら身体を起こす。
なんでだか上半身はびしょびしょになっていた。
誰かを怒鳴りつけていたテュカも、伊丹の様子に気付いたようで、興奮をおさめ「ちょっと、大丈夫?」と声をかけてきた。
「ああ、みっともないところを見られちゃったなぁ」
伊丹は上衣のファスナーを挙げ、防弾チョッキのボタンを留めた。
そして、レレイから鉄帽を受け取って被る。乱れた装備を装着しなおしていく。
桑原曹長からの呼び出しが小隊指揮系無線機を通じて聞こえていたので、伊丹は胸元のプレストークスイッチを押して返答した。
『二尉、ご無事でしたか?心配しました』
「どうにかね。ちょっくら意識を失ってたみたいだ」
『もうちょっと返事が遅ければ、隊員を突入させるとこでしたよ』
する必要もない戦闘を回避できたのは幸運とも言えるかも知れない。こんなロクでもない事故で、死傷者を発生させて要らぬ恨みを残すのは損以外のなにものでもない。桑原もそう考えていたからこそ、今まで待ったのだろう。捕虜となった味方の救出と、不必要な戦闘の回避。どちらを取るべきか、決断の強いられるところである。
「現況を確認して連絡するから、今少し待機していてくれ」
『了解』
「で、誰が状況を説明してくれるのかな?」
伊丹は周囲の人々へと向かって告げた。
ロゥリィは、テュカへと視線を巡らせ、テュカはレレイへと視線を巡らせる。レレイはピニャへと視線を巡らせて、ピニャは助けを求めるように周囲へと視線を巡らせる。最後に周囲の皆が、視線をささっと逸らせてピニャが取り残されたような、情けなさそうな表情になる。
なんとなく温いというか、ほのぼのと言うか、…あえて言うならば、間抜けな雰囲気が漂っていた。
[1507] 自衛隊 彼の地にて、斯く戦えり /正式版 17
Name: とどく=たくさん◆20b68893 ID:ce206d2c
Date: 2008/05/15 20:22
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陸上自衛隊特地方面派遣部隊本部では、幹部自衛官…佐官級の部隊長達が集まって怒号にも似た激論が交わされていた。きっかけさえあれば、今にも掴み合いが始まりそうな勢いである。
そんな部下達の様子を眺め見る狭間は、よっぽど溜まってたんだろうなぁと、しみじみと思う。
陸上自衛隊特地方面派遣部隊では、多くの隊員が鬱屈していた。何しろ『門』のこちら側に来たとしても、することがないのだから。
今、やっていることと言えば、拠点防御。そして少数の偵察隊を派遣しての情報収集・情報の整理・そして集められた情報に基づく運用方針、部隊行動基準の手直し等々と、幹部の机仕事ばかりである。
拠点防御と言っても、実際の戦闘は大小併せても数回程で、今では敵対勢力の動きは全く見られない。と言うよりも無人の野になってしまったかのごとく、敵の姿そのものが見られなくなってしまったのだ。
だから周辺の警戒警備と陣地の構築・補修整備が活動の中心になる。
これにしたところで、陣地防御を担当する第5戦闘団が行うから、打撃部隊である第1と第4の戦闘団は、陣地内とその周囲で、地味な訓練ばかりの毎日を送っていた。
ちなみに第2と第3は門のこちら側に来ていない。第6以降の戦闘団に至ってはまだ編成すら終了していない有様である。
別に遅れているわけではない。防衛省の都合で『ゆっくりと』やっているのである。攻勢に入るわけでもないのに、今すぐ定員一杯動員する必要はないだろうと言う、背広組の考えだ。その背景には「お金の事情」があると言われてしまうと、文句も言えないのだ。
そんな鬱屈している隊員達の耳に、「ドラゴンが出た」「ドラゴンと戦って、住民を救った」などという某偵察隊の活躍は、ある種の羨望のタネとして響いてしまった。
本土にいて平和を満喫しているのなら、無為にも似た毎日を過ごそうとも、まだ耐えられる。だが、門のこちら側は戦場のはず。第5戦闘団に属する、特科や高射特科の隊員達は戦果を自慢し、普通科の隊員達は銃撃前の緊張と、引き金を引いた際の手応えについて熱く語る。施設科の隊員達は、野戦築城、滑走路の敷設等々と、作業服を泥だらけにしている毎日だ。
任務を与えられ、活躍している連中が目の前にいると言うのに、それに比べて自分は…。その忸怩たる思いが、日々続く無為が、彼らを静かに、しかし確実に腐らせていた。そして、そんな隊員達と向かい合う幹部達にも、汚濁にも似た鬱屈は感染しつつあったのである。
そこへ降って湧いたのが伊丹からの援軍要請だ。
これを小耳に挟んだ幹部達は色めき立った。そりゃもう、大騒ぎとなってしまった。
伊丹からの援軍要請の要点は以下のようなものだった。
①イタリカという街を含む地域全体が、ここ1ヶ月近く『敵武装勢力』の指揮系統からはずれた集団によって、略奪、暴行、放火、無差別殺害等の被害を受けている。伝聞情報ながら複数の集落が被害を受け犠牲者は多数に及ぶ模様。
現在、3Rcn(第三偵察隊)が訪問した市街地が襲われつつあるという状況にある。現地の警備担当者、市民が懸命な防戦に当たっているが、被害甚大。大規模な二次攻勢も間近である。
市代表ピニャ・コ・ラーダ氏より当方に治安維持の協力依頼を受けた。為に支援を要請するものである。
②敵武装勢力の指揮系統からはずれた集団、通称『盗賊』は、『特地』におけるものとしては高度な装備を有し、騎馬、歩兵、弓兵等の兵種が確認され、数も600を超える。魔導師と称される特殊能力者については不明。
③『盗賊』を取り締まることが可能な官憲組織が現地にはない。当該地域の行政機関代表フォルマル伯爵家の某(なにがし)が、上位機関に対して援軍を要請しているが、現地到着には最低でも3日を要するとのこと。
これはすなわち、無辜の民を救うためにという大義名分の元、スカッと叩きのめすことの許されるとっても美味しい悪漢が現れたのである。ここはすなわち、欲求不満の解消もとい、経験値を上げるチャンス!!
こうして狭間陸将の元へと、佐官連中が半長靴の音を響かせながら、怒濤のごとき勢いで集まったのである。
最早、議論にらちが明かないと見たのか、「是非、自分にやらせてください!」と狭間に決断を求めて来たのは、加茂1等陸佐/第1戦闘団長であった。
第1戦闘団は打撃部隊として、普通科の一個連隊を基幹として特科、高射特科、戦車、施設、通信、衛生、武器、補給等の各職域を集めた連合部隊である。戦闘団と言うのは聞き慣れないかも知れないが、普段は訓練と管理しやすいという理由で職域(兵科)別に編成されている部隊を、実戦に即した形に組み直したものと考えていただければよい。
「自分の、第101中隊が増強普通科中隊として、すでに編成完了しています。呼集もかけましたっ!直ぐにでも出られます」
加茂1佐の後ろから柘植2等陸佐が、はた迷惑なことを言い放ちながら、一歩進み出た。どこの誰に何がはた迷惑かというと、実際に出ることになるかどうかわからないと言うのに呼集をかけられた隊員達にとって、である。今頃、完全武装をして営庭に整列するべく走り回っていることだろう。
「いいや、ダメだ。地面をチンタラ移動してたら、現地への到着に時間がかかりすぎる。その点オレの所なら、すぐにたどり着ける。隊長、是非私の第4戦闘団を使ってください」
健軍(けんぐん)1等陸佐が、一歩進み出た。第4戦闘団は、ヘリによる空中機動作戦を旨とした戦闘集団…米軍で言うところの空中騎兵部隊たることを求めて編成された。
「ちゃんと大音量スピーカーと、コンポと、ワーグナーのCDを用意してあります」などとほざいたのは401中隊の用賀2佐である。「パーフェクトだ用賀2佐」などと健軍が誉め讃えている。健軍も同行する気満々のようだ。
「…………」
狭間は右手の親指と人差し指で眉間を摘むとマッサージした。
いったいどうしちゃったんだろう、こいつらは…キルゴア中佐の霊にでも取り憑かれたのだろうか、などと思ったりする。脳みそまで腐ったんだろうか。
とは言っても、速やかに援軍を送らないといけないのも確かなのだ。となれば、足の速い第4戦闘団が適している。
決して、キルゴア中佐の霊に取り憑かれたわけではない。それが現実的な理由だからと必要もないのに説明した上で、狭間は、健軍へと命令を下した。
加茂1佐や柘植2佐を含めた他の佐官達は、この世の終わりとばかりに呆然と立ちつくす。喜色を隠さなかったのはもちろん、健軍と用賀だ。
「音源は、どこの演奏だ?」
「もちろん、ベ○リン・フィルです」
そんなことを言いながら去っていく2人を見送りながらも、数時間後に何が起こるのか、実際に目にしなくても、思い浮かべることが出来る狭間であった。
AH-1コブラ、UH-1Jヘリの大編隊がNOE(低空飛行)しつつ、大音響スピーカーがハイヤ・ハー!ホヨトヨー!(Ho-jo to-ho!)とワーグナーの旋律を天空に響かせる。
右往左往する盗賊集団。
大空に現れたのは、死の翼だった。
対空ミサイルが飛んで来るわけでもないのに、ヘリはフレアを撒きちらし、放たれた光弾は重力に牽かれて放物線を描く。それに続く数十条の軌跡はあたかも天使の翼のごとく白い。
地元民はそれを見て、天使の降臨よ、戦女神の降臨よと畏れるだろう。
AH-1コブラからロケット弾が発射され、大地を炎が舐める。
天空から降り注ぐ銃火が、盗賊集団をなぎ倒していく。
俯瞰する彼らの前に死角はない。隊員達は、大地に降り立つこともなく、機上から銃撃をもって盗賊集団の掃討を終わらせてしまうことだろう。
それを目撃した現地の住民達は、その光景を黙示録として語るのだ。あたかも地獄のようであったと…。
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さて、後々に地獄のような黙示録を語らされることになる、イタリカの住民達は城壁や防塁の修理工事に精を出していた。
エムロイの使徒、ハイエルフの精霊使い、魔導師ばかりでなく、噂に聞いていた『まだら緑の服を着た連中』が援軍として来たと知り、街の人々は勇気百倍。兵士達の士気も一気に盛り返したのである。
「炎龍を撃退した」と噂されるほどの実力をもってすれば、盗賊化した敗残兵共などどれほどのものだろう。もちろん『まだら緑の服を着た連中』は併せても12名でしかないから、自分達も戦う必要はあるだろう。だが、苦しくなってもホンのちょっと我慢していれば、『鉄のイチモツ』を抱えた彼らが駆けつけてくれて、盗賊連中を追い払ってくれるのだ。それは安心感を与えてくれる。
これまでの暗い絶望的な雰囲気は一掃され、人々の表情は希望と明るさに充ちていた。誰だって住み慣れた土地や家を捨てて逃げたくはない。守れるものなら、住み慣れた街を守りたいのだ。そして、伊丹達の存在は、そんな彼らの希望となる。
住民達の眩しげな視線が、夕陽を背景に立つ伊丹達の背中へと注がれていた。
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ところが、伊丹がピニャに求められたのは南門の防衛である。
彼女の説明によると、この南門は一度門扉を破られているという。
前回は、内側にしつらえた土塁と柵で乱入を防いだのだが、乱戦となってしまい多数の被害が出た。現在住民達を動員して、この柵を修復し土塁の増強工事をしている。
伊丹としては、城壁・城門の一次防衛ラインを固守するために、そちらに戦力を集中して対応すれば良いのではと考えるのだが、ピニャは、門と城壁で一度防ぎ、これを破られたら、内側の柵で防ぐという方法に固執していた。
どうにも彼女は、城門が破られることを前提に戦術を構築しているかのように見えるのだ。
援軍が来るまで持てば良いと考えている伊丹と、今しばらくの援軍が期待できないピニャとの立場の違いがそうさせるのか、あるいはもっと違う何かか?
伊丹達は城門上に集まると、夕焼けによって茜色に染まりつつある中世ヨーロッパの都市を思わせる石造りの美しい街並みを俯瞰した。
地方都市とは言えイタリカは人口5000人を越える。テッサリア街道とアッピア街道の交差点を中心にして、街道に沿う形で商店や宿場が軒を連ねて東西南北に列ぶ。そしてその背後に各種の倉庫街、馬小屋、商家などの使用人の住宅などが列んでいるのである。
北側の森には、ひときわ大きなフォルマル伯爵家の城館があり、その周辺には豪商の邸宅があって、いわゆる高級住宅街を形作っている。
これらの街並みと若干の森を取り囲む形で、東西南を石造りの城壁が取り囲んでいた。北面の守りは切り立った崖が自然の城壁代わりだ。街道の延びる谷間にだけ城壁が設けられている。
そのままぐるりと振り返って、外側へと視線を向ける。地平線まで伸びていく街道。農耕地や、牧草の生えた休耕地、灌木、林、そして掘っ建て小屋のような家が数軒。そして、その向こう…。
伊丹の双眼鏡には、既に盗賊側の斥候が捉えられていた。騎馬の敵が数騎…ゆっくりと移動している。守備側の備えの確認をしようと言うのだろう。
さらにその遠方、地平線近くには、盗賊本隊の姿も見えていた。
「敵の攻勢を、真正面から受けることになりますねぇ」
桑原曹長の言葉に伊丹は頷く。確かにその可能性もある。
包囲攻撃という選択肢は、盗賊側にはない。
この街を600弱程度で包囲するには絶対的に数が足りないし、攻め落とすのに時間がかかってしまう。これでは盗賊行為には不向きである。同じ理由で穴を掘っての侵入とか、平行壕を掘りつつ近接すると言う戦術もとれない。
とすれば盗賊の攻撃は、攻め口を決めての強襲しかない。ただ、強襲は数を頼んでの力攻めではなく、攻める側の有利を利用したものとなるだろう。
攻める側の有利とは、いつ、どこを攻め口とするかを自由に決められることにある。この自由を利用して、陽動をかけて一箇所に防備に集中させ、手薄になったところを襲うと言う手が一般的である。
その際の攻撃目標は、陽動にしろ、主攻にしろ脆弱な場所が対象とされるはず。
「なるほど、南門の守りをことさら少な目にして二次防衛にこだわるのは…」
長い防衛線のなかで守りの脆弱な部分をつくることで、敵の攻撃箇所を限定したいのかも知れない。
そうして考えれば彼女の作戦も理解できる。
前回の戦いも、守りの薄い場所をわざと作り容易に突破できると錯覚させて、敵が全面攻勢に入ったら一歩引いて守りの堅い二次防衛ラインで消耗戦に持ち込むというものだったのだろう。実際に、敵側も容易に城門が破れたために主力を突入させたら、実は内部の守りの方が硬くて、消耗を強いられ退却せざるを得なかったようだ。
守る街の大きさに比べて、攻める側も守る側も戦力が少ないから、どうしてもこういう戦い方になってしまうのだろう。
脆弱な南門にことさら伊丹達を配するのも、少人数の伊丹達を囮として敵前にぶら下げ、ここを決戦場とするつもりなのだ。それに気が付けば、城門の内側の柵と土塁の補強に彼女が熱心なのも理解できると言うものだ。
「とは言っても、敵が二度もその手に乗ってくれるかな?」
である。
敵だって、一度失敗すれば考える。ことさら守りの薄い場所を素直に攻めるだろうか?
それに、この戦術には重大な問題が孕んでいるのだ。
「古田!機関銃、ここ」「東、小銃はここだ」
桑原曹長が、隊員達の配置と担当範囲を次々と決めていく。
隊員達は石造りの鋸壁の谷間に、2脚を起こした64小銃を置いた。
概ね3階建ての建物の高さから、見下ろすようにして撃ちまくることになる。近づかれてしまえば敵側から放たれた矢がこのあたりにも降り注ぐだろうから、矢の射程外にFPL(突撃破砕線)をひくことにして、それぞれに何か目印となる地物を探させる。
陽が完全に没するまであとわずか。栗林が、隊員達に個人用暗視装置を配って歩いている。黒川は車両・装備の留守番だ。
農具や棒などを手に集まった市民達は、伊丹達からの指示を不安そうに待っていた。そこへ仁科一曹が歩み寄ると、単語帳片手にたどたどしい言葉と、両手を開いたり、土を掘るまねをしたりの身振り手振りで麻袋に、土を入れて運んで来るように指示していた。
他には燃え草となる木製の物や、篝火などの設備についても片づけさせている。住民達は夜になろうとしているのに、「灯りはいらないのか」と首を傾げつつも作業に取りかかった。
こうして、自衛官達が準備を進めていくのをレレイやテュカと共に眺めていたロゥリイは、伊丹が鉄帽に個人用暗視装置の取り付け作業をしている背中に向かって尋ねた。
「ねぇ?敵のはずの帝国に、どうして味方しようとしているのかしらぁ?」
「街の人を守るため」
するとロゥリィは破顔した。
「本気で言ってるのぉ?」
「そう言うことになっている筈だけど」
伊丹のおどけたような言い方に、ロゥリイは「お為ごかしはもう結構」と肩をすくめた。
帝国は、伊丹達にとって敵なのである。
敵の敵は味方という考え方からすれば、ここは盗賊の味方をしてもおかしくないところだ。なのに伊丹達はそれをしない。
ピニャは帝国の皇女として、フォルマル伯爵家を守っている。その為にイタリカを守ると、それに協力しろと伊丹らに交渉と言う名の命令をしてきたのである。
その場にはロゥリィも同席していたが、あんまり気に入らない態度だったので、出て行ってやろうかと思ったほどだ。
だが伊丹は「イタリカの住民を守る」ことには同意した。形の上でイタリカを守るという目的が一致する。だから共闘することとなったのである。
だが、敵国の皇女たるピニャの指揮を受け容れる意味がわからない。現に、苛烈な攻撃を受けることが予想される南門で捨て駒にされている。
伊丹は不器用なのか、暗視装置がうまく鉄帽に固定できないようであった。「気になる?」と問いつつロゥリイに鉄帽を保持してもらって、両手で装着していく。
背丈の差があるため、それは遠目にはロゥリイに祈りを捧げるために、伊丹が頭を垂れているかのように見えなくもない。
「エムロイは戦いの神。人を殺めることを否定しないわぁ。でも、それだけに動機をとても重視されるの。偽りや欺きは魂を汚すことになるわよぉ」
作業を終えた鉄帽を、伊丹がロゥリィから受け取ろうとする。だが、ロゥリィは伊丹に手渡さずに、自らの両手をさしのべて伊丹の頭に載せようとした。
伊丹は首をくぐめてロゥリイに鉄帽を載せて貰う。ロゥリィの疑問に対しては、唇をゆがめる。どうやら笑ったようだ。それがロゥリイにはことさら意味ありげに見えた。
「ここの住民を守るため。それは嘘じゃぁない」
「ホントぉ?」
「もちろん。ただ、もう一つ理由がある…」
ロゥリィは、真実を見極めようとしてか伊丹の目を覗き込んだ。
「俺たちと喧嘩するより、仲良くした方が得かもと、あのお姫様に理解して貰うためさ」
ロゥリィは邪悪そうに微笑んだ。伊丹の言葉を彼女流に理解したのである。
「気に入った、気に入ったわ。それ」
お姫様の魂魄に恐怖と言うもの刻み込む。わたしたちの戦いぶりを余すことになく見せつける。「自分は、こんなのを敵に回しているのだ」と身体が震え出すぐらいに。そうすれば、喧嘩するより仲良くしたいと思うことだろう。
「そう言うことなら、是非協力したいわぁ。わたしも久々に、狂えそうで楽しみぃ」
ダンスの相手に挨拶するかのごとく、ロゥリイは黒いスカートを摘んで優雅な振る舞いで頭を下げるのだった。
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戦闘は、夜中過ぎから始まった。
それは日の出まであと数刻という頃合いを見計らって攻撃だった。
深淵のような暗闇の向こう側から、盗賊側弓兵による火矢が『東門』に降り注ぐ。
東門の防衛を任されていたのは、正騎士ノーマ・コ・イグル。
ノーマの指揮にて、警備兵や民兵による反撃の弓射が行われる。民兵と言っても、矢が弾ければいいと言う理由で動員された、これまで弓を手にしたこのもないような農夫や若者だ。当たることなど最初から期待されてない。だが、そんな彼らの矢も敵を牽制するには有効だったし、ごく希に当たることもある。
しばらくの弓射戦が続く。
互いに兵士が、農夫が、そして盗賊に身を落とした兵士達がうめき声を上げながら倒れていく。
すると弓兵の間隙を縫うようにして、堅牢な楯を並べ鎧で身を固めた歩兵が城壁ににじり寄ってきた。様々な国の軍装を纏い、楯の大きさも形も、円形あり方形あり。その出身の多国籍さを感じさせる盗賊達である。
これに対して、腕まくりした商家のおばさんや、年長の子ども達が石を投げ岩を落とし、溶けた鉛や熱湯をふりまいた。当たるかどうか解らない矢よりも、これらの方がはるかに効果的で、破壊力があった。
壁の下では、頭上に掲げあげた楯で壁をつくった盗賊達が、降り注ぐ雨のようなこれらを避けつつ城門へとたどり着く。寄せ手は矢に傷つき、岩に押しつぶされ、石礫を頭部に受けて昏倒し、そして熱湯にのたうち回るが、それでも退くことがない。
まるで、アルヌスを落とせなかった恨みをここではらそうとするかのごとく執念を見せて、城門に取りいた。巨木を攻城槌として、城門を叩き始める。
盗賊達…彼らにとってアルヌスで戦いは『戦争』ではなかった。敵の姿も見えず、何が起こっているか理解できない内に、一方的に味方だけが倒れていくという理不尽さに歯噛みし、自分達が相対するのはこんな敵だと教えてくれなかった帝国を憎悪し、自分達を無駄な死へと追いやるだけだった無能な将帥を罵倒しつつ、泥水をすすり、しがみつくようにして生き残ったのである。
指揮官を失い、僚友を失い、所属する軍を失って補給もなく、食糧もなく、荒野を彷徨した彼らは、盗賊と呼ばれる身に落ち故郷を失った。やがて同様な境遇の者が集まって、数を増し、ここまでに至ったのである。
帝国に対する意趣返し、そんな逆恨みにも似た暴力的な思いだけが彼らを駆り立てていた。要するに、八つ当たりであった。
これが戦争。剣で敵を切り、矢を撃ち合い、火をつけ、そして馬蹄で蹂躙する。
これこそが、戦い。犯して、奪って、殺して、殺される。
これこそが戦争。血湧き肉躍る戦争を味わおう。
そう、既に彼らは戦争そのものが目的となっていた。自分たちの戦争。自分たちの満足のいく戦争。わかりやすい殺戮と、わかりやすい自分の死。死んでいった戦友達が味わうことの許されなかった贅沢な手応え。刺し、斬り、刺されて倒れると言う肉の感触に充ちた戦争。敵の温かい血を浴びて、冷たい大地を抱擁しながら息絶える。それを味わうためだけに、彼らは前に進んでいた。これが無ければ、彼らの戦争は終わらないのだ。
何本もの梯子が城壁にかけられる。
これを、楯を構えた盗賊達がわらわらと昇る。飛んでくる矢を避けるために、楯をハリネズミのようにしながら兵士がいよいよ城壁上へとたどり着く。
勇敢な農夫が、矢を受けながらも斧を振るって梯子をたたき折る。兵士達は、その農夫の勇気を賞賛の思いで弓撃った。「おみごとっ!」と喝采しながら農夫を殺す。
支えを失った梯子が、兵士達と共に地面へと倒れていき、激しい衝撃で人の形をしたものが、ゴミのようにまき散らされた。農夫もそれを追うようにして大地へと、抱きついていく。
大地を叩く衝撃とともに、歓声が上がった。
それはあたかも祭りのごとき陽盛な狂乱。剣で楯を叩いて、兵士達がそれぞれの言葉で歓呼の声をあげた。
これこそ、戦いの神エムロイへの賛歌。戦いの熱狂こそエムロイに捧げる供物。戦いの篝火は、死んでいく戦士達の霊魂を燃料として燃え上がる。
火矢の炎は城壁の鐘楼を包み、闇を背景に周囲を赤々と照らしていた。
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使徒、ロゥリイ・マーキュリーはしばし耐えていた。両の腕で自らを抱きしめて耐えた。
額に汗を流して耐えていた。
「な、なんで?」
周囲に漂う戦いの魔気が、彼女の肉に染みる。精神を犯す。
「ここに攻めてくるんじゃなかったのぉ?」
戦の炎が心を焦がし、腹中の底から沸き上がる甘美な衝動が、脊柱を突き抜くように駆け上がる。
これに耐えかねて腕が、脚が勝手に動きだす。魔薬に酔った巫娼のように猛り舞う。
「あっ、くぅ」
内からあふれ出る快感に狂い絶頂が彼女を貫いた。闇を背景に黒い亜神が身を捩った。それはあたかも舞い踊るかの様にも見える。
「大丈夫なのか?」
ロゥリイの狂態に驚いて伊丹が駆け寄ろうとしたが、レレイとテュカに止められる。
「彼女は使徒だから…」
よく解らないが、それがロゥリイが煩悶に苦しむ理由らしい。
レレイは告げる。
戦場から離れていてもこれだ。離れているからこそこれで済む。だが、もし彼女が戦場の真っ直中にいたらどうなるか。
敵と見なした者を、衝動的に殺戮して回る。そうしないわけには行かなくなる。これを押しとどめることは誰にも、彼女自身にすら不可能なのだ。
レレイの説明に、慄然とする伊丹であった。
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「盗賊なら農村あたりを襲ってればいいんだ!城市を陥そうとするとは、生意気な!!」
騎士ノーマはそう怒鳴りつつも気付いた。こちら側の矢が当たってない。いくら、こちらが素人ばかりにしても、飛んでいく矢の軌道が微妙に目標からそれるというのもおかしな話なのだ。まるで風の守りを受けているとしか思えない。
「まさか、敵側に精霊使いが?」
ノーマは剣を抜いて城壁上へとたどり着いた盗賊、南方兵を一刀のもとに斬り伏せた。斬られた兵士が、壁から転落して大地へと叩きつけられる。
だが、すぐ後に北方の斧を手にした髭面の盗賊がノーマへと斬りかかってくる。
これを剣で受けると、その後ろから槍を抱えた盗賊が、その後ろから棍棒を抱えた敵が、モーニングスターを抱えた敵が、双剣を手にした敵が、半月刀を手にした敵が次々と守備の兵士や民兵達に襲いかかった。それは、洪水を手で防ごうとするようなものだった。ノーマは瞬く間に敵の群れに飲み込まれてしまった。
次から次へと溢れ出てくる盗賊達。その勢いにイタリカの住民達は押しまくられ、後ずさり、留まることが出来なかった。
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ピニャの作戦は、当初より微妙な齟齬を見せていた。
一次防衛線である城門が破られることは織り込み済みだった。でも、崩れ始めるのが早すぎるのである。すでに、城壁上が戦場となって、警備兵や民兵が駆逐されつつある。
「味方がもろすぎる。士気は上がっていたはずなのに」
敵はこちらの計略を警戒して、もっと慎重に攻めて来るはずだった。
だが、ふたを開いてみれば、敵に慎重さなど影も形もなかった。
戦術も計略も関係ないとばかりに、ただただ攻め寄せてくる。いかにも戦慣れした敵兵が、勢いに任せてひたすら突き進んでくる。
そして、これを受ける民兵も警備兵も、最初から腰が引けていた。そのせいか、ピニャが期待したほど敵を拘束できず、消耗させることも出来ていない。
だが、全体的な状態としては、まだ作戦どおりと言えなくもない。
『現実は、頭で考えることとは違う』…この言葉を、言葉として知っているだけのピニャにとって、現実と予定が解離することはあって当然と位置づけられていた。だから、何故、自分が計画していたことと異なって行くのかという事に考えを巡らせることが出来なかったのである。
なんとなくの違和感、奥歯に物の挟まったような感触を感じながらも、ピニャは敵の主目標が東門であるとみなし、予定通り主戦力を東門内側に作り上げた防塁へと移動させることにしたのだった。
東門も、南北と西の門と同じく、内側に防塁と柵を並べて二重の守りが形成されている。
二重の守りと言えば聞こえがよいが、最初の守りは突破されることを前提にした、いわば捨て駒の消耗品扱いと言うことだ。
最初の戦いでは、市民達はそのことを理解できなかった。だが、今となってみればわかる。城門の守りにまわされた市民や兵士は最初から見捨てられているのだ。そのことに気付いて頑張り続けられる人間がどれほどいるだろう。
城門の後ろに作り上げた土塁と柵。そこにどんどん味方が集まって来るのに、彼らはそれ以上前に出て来てくれない。今ここで苦しい思いをしている自分達が、ここで殺されるのを見ているだけ。それを見て絶望しない者がどれだけいるだろうか?
自棄になって無闇に剣を振るう者もいたが、そんな力は続くものではなく、たちまち切り刻まれて倒れてしまう。
「まだら緑の服を着た連中は?援護は?」
彼らが来るはずがない。だって、彼らも捨て駒として南門に配されたのだから。
こうして、最後の1人が倒れるまで市民達は城門の殺戮を眺めることとなった。
東門を占拠した盗賊達は、そのまま内部へと乱入してくると思いきや、そうは振る舞わなかった。剣で槍で天を突き上げ、数回の歓呼を上げる。それは、読んで字のごとくの『血祭り』であった。そして、ゆっくりと城門が開かれて、外から騎馬の兵が招き入れられる。
馬蹄の音と共に現れた騎馬兵は、城壁から落下した民兵や守備兵の遺体を引きずっていた。彼らは、城門内へ向かって市民の遺体を投げ込み始める。
石を投げていた子どもや、おばさんの遺体が放り込まれる。
農夫や職人の頭が投げ込まれる。切り刻まれた身体の一部が投げ込まれる。
敵が勢いに任せて攻め込んでくるのを待っている市民達の前に、彼らの友人や親戚、親や子の死体が山積みにされていった。
柵を挟んで対峙する市民達は、歯噛みして泣き、わめき、絶望する友人を支えた。そんな彼らを盗賊達は嘲笑する。
罵声を浴びせる。
柵に籠もって出てくることの出来ない臆病者と罵った。
死体を人形遊びの道具のように弄んだ。
ただの農夫・商人に武器を持たせただけの民兵が、これを見てどうして耐えられるだろう。
「こんちくしょうっ!!」
血気盛んな若者がフォークシャベル片手に柵を飛び出していき、それを留めようとした者、一緒に駆け出す者が防塁から飛び出してしまった。後は、誰も彼もが勢いにつられて飛び出していく。
こうして城門内の戦いはピニャの意に反して始まり、彼女の作戦は破綻したのである。
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嬌声あげるロゥリィの苦悶は、次第にその度合いを上げているようであった。
息を切らせ髪を振りみだし、身体を弓のように反らせる。頭を掻きむしるようにして抱え、悩ましげに啼泣する。両の脚で床を踏み蹴る。
熱に魘されたように喘ぎ、爪を立て表情をゆがめて、呪いに絡め取られ、舞うことを強いられた操り人形のごとく、身体を震えさせ、痙攣させ、そして手足を振るう。
自らの意思で止めることが、停めることが出来ないのだ。呪いの舞い。狂気の舞い。だが、同時に美しく、麗しいダンスのようでもあった。
レレイの説明によると、戦場で倒れていく兵士の魂魄が彼女の肉体を通してエムロイの元へと召されていく。その魂魄の性質、戦いの気質にもよるが、それは亜神にして神官たる彼女にとって魔薬にも似た作用をもたらすらしい。
いっそのこと狂いきってしまえば楽になる。狂乱に身を任せてしまえばよい。だが、狂いたいのに狂いきれない、狂うことが許されない。今ひとつ突き抜けることの出来ないもどかしさが、彼女を責め苛み、苦しませている。
「ダメょ、駄目、ダメなの。このままじゃおかしくなっちゃう!!」
咽の奥からの絶叫。彼女の声を背中で聞いていた戸津が、「やべーよ、勃っちまった」と呟いた。
「言うな、俺もだ」
ペドフィリアの気など全くない彼らに何を連想させたかは言うまでもないことである。律動的に身を震わせるロゥリィの声は、それほどに艶めいていた。
さすがに、女性として思うところもあってか栗林が伊丹に「まずくないですか?」と声をかけてきた。テュカも、赤らんだ頬を掌で押さえている。レレイはよくわかってないのか、きょとんと冷静な様子。
伊丹は、深々としたため息をもって答えとする。
ここは敵味方からすでに忘れ去られたかのようである。敵の姿はまったく見えないし、味方からの連絡もない。故に東門の状況を把握することもできない。
アルヌスからの援軍が到着するのもそろそろのはず。攻撃誘導もしなければならないから、誰かを送り込む必要はあるのだ。
「栗林っ!」
栗林が「はいっ」と返事して一歩進み出た。
「済まないが、ロゥリイに付いてやってくれ。男だと色々まずそうだ。あと、富田二等陸曹と俺。この四人で東門へいく。桑原曹長、後は頼む」
「ロゥリイ、いくよっ!少しの間、辛抱して!」
栗林のかけた声に、ロゥリィはハッシとしがみつく事で応えた。だが、最早ロゥリィは待っていることが出来なかった。
ロゥリィはビル三階ほどの城壁から軽々と飛び降りると、東に向かって脱兎のごとく走り出す。
伊丹達は、城壁を駆け下りると手近なところにあった73式トラックに乗り込んだ。富田がエンジンをかける。エンジンの咆哮とともに彼らはロゥリィの後を追うのだった。
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薄暮に覆われた空を、AH-1コブラの三機編隊を先頭にして、UH-1J等のヘリコプターの集団が飛んでいた。
空気を切り裂くローター音。
薄闇に覆われた大地が、下方を流れるように過ぎ去っていく。かなりの高速で移動しているのがわかった。
「健軍1佐!あと5分で現地到着です」
コ・パイからの報告を、健軍は頷いて受けた。
用賀2佐が、「3Rcnからの報告によると、すでに東門の内部で戦闘になっとるそうです。段取りとしては、東側から接近して城門と、門の外側の目標を掃討していこうと思っちょります」と報告する。
健軍は、これも頷いて受け、一言「2佐に任せる」とだけ伝えた。
機内の隊員達も、小銃に弾倉を装着していた。
「あと、2分!!」
用賀は、そう言いながらコンポのスイッチを入れた。
ボリュームを最大に調節し、再生のボタンを押す。
管弦の音色が流れ始めた。
木管の軽快なリズムの盛り上がりは天馬の疾駆、主題となるメロディが続いて、軽快なラッパが高らかに鳴り響く。
それは、8騎の戦女神をイメージしたものだった。
小銃の支度を終えた隊員の1人が、お約束に従って被っていた鉄帽を腰の下におく。それを見た同僚が尋ねた。
「何やってんだ?」
「タマをまもるのさ!!」
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剣を叩きつけられて、血しぶきが飛び肉片が舞う。
人体の頭部が、浜辺のスイカのようにたたき割られ、撃剣の音が、建設工事の現場のごとく響いた。
絶命の叫び。苦痛に呻く泣き声。
怒りの怒号。裂帛の気合い。
ラッシュアワーの駅のごとく、人の群れがぶつかり合う。
誰も彼もが、周囲の出来事に気を払うことが出来なくなり、ただ敵が視野に入れば、剣を槍を振るう。腰砕け、地を這いながら敵の居ないところへと隠れ、逃れようとする者もいる。だが、騎馬の馬蹄に踏みつけられ、つぶされていく。
そこかしこに散らばる死体、遺体、遺骸、屍体。石畳の地面は赤黒い血をもって塗装され、敵も味方も区別啼くその身に血を滴らせていた。
だから遠くで、空気を叩く音が響き始めたことに気付かない。
どこからともなく、ホルンの音と共に、女声による歌声が天空を駆けめぐっていることなど誰も気にも留めなかった。
ところが、時が停まった。
土塁を、柵を飛び越えて彼女が降り立ったその瞬間に。
人馬を蹴倒して、敵も味方も問わず彼女の周囲からはじき飛ばされ、周囲にぽっかりと穴が空いたかのごとく、疎なる空間が産まれた。
その瞬間に全てが停まった。
その破壊力と、衝撃に音が止み、戦いの喧噪が途絶える。空間を支配するのはオーケストラの調べ。
「Ho-jo to-ho! Ho-jo to-ho! Ho-jo to-ho!」
突如現れた真っ黒な何かに、衆目が集中する。
「Ho-jo to-ho! Ho-jo to-ho! Ho-jo to-ho!」
それはフリルにフリルを重ねた漆黒の神官服を纏った少女。
「Ho-jo to-ho! Ho-jo to-ho! Ho-jo to-ho!」
彼女は、両膝を地に着けていた。
彼女は、左手を大地においた。
彼女は、後ろ手に回した右腕に、鉄塊の如きハルバートを握っていた。
彼女は、伏せていた顔をあげる。神々しいまでの狂気を湛えた双眸を正面へと向ける。その黒髪は、凶々しいまでの神聖さで白銀のように輝いていた。
その瞬間、ファンファーレを背景とした女神の嘲笑と共に、城門は爆発し炎上した。