[1507] 自衛隊 彼の地にて、斯く戦えり /正式版 18
Name: とどく=たくさん◆20b68893 ID:09d036a9
Date: 2008/05/19 21:14
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UH-1Jの三機編隊が、門外の盗賊に対して銃撃を浴びせつつ上空を通過する。
通り過ぎる際には、お土産よろしく手榴弾を投げ落として行くと言う丁寧さは用意周到・頑迷固陋とまで言われる陸上自衛隊の性格を態度で表している。
攻撃は、多方向からの波状攻撃によってなされていた。
東から西へ、それが過ぎると今度は別の編隊が南東から北西へ向けて、さらに北東から南西へ、旋回して再び攻撃位置へ…次から次へと、左右から、前後から連続して停滞することない銃火に大地はムラ無く塗りつぶされ、動く標的は確実に殲滅されていった。
盗賊達は、蜘蛛の子を散らすように走った。懸命に走ったつもりだった。だが、走ろうが騎馬だろうが、逃れられる余地はない。
殺し、奪い、犯し、焼き払った盗賊が攻守を逆さまにし、銃弾を受けて大地にひれ伏していく。
ばらまかれる銃弾を受けて、次々とうち倒されていく。
気丈な者が、弓を引いて矢を射かける。だが、上空にむけて放った矢に力はない。届かずに落ちるか、届いたとしても小石ほどの威力もなかった。
機上の隊員の1人が小銃を構え、視野の周囲にぼんやりと見える照門の中央に照星を置き、これを盗賊の頭部に重ねた。ヘリの移動速度、盗賊の逃げる方向と足の速さ…。それらを加味してリードをとる。
「正しい見出し、正しい引きつけ、正しい頬付け。コトリと落ちるように…」と呟きつつ、重さを2.7キロで調節された引き金をひく。
三発の発射。
右の肩に発砲の衝撃を受け止めながら、薬莢を回収しないでよいという事実に不思議な感動を憶えていた。
いつもの貧乏性にも似た注意が薬莢の行き先にむかうが、ヘリの床を転がった薬莢はそのまま地上へと落下し、倒れた盗賊の傍らへポトポトと落ちる。
硝煙に燻された真鍮の筒は、飴色に曇って輝いてなどいなかった。
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戦士の躯を供犠として、燃え上がる炎。
イタリカの城門は紅蓮の炎に包まれ、地平線から昇る太陽によって周囲は輝きと熱とに照らされた。
完全武装の兵士が、ズタズタに引き裂かれていく。
死神の羽音。鳥などの生き物と違って、もっと猛々しく、荒々しいはじけるような音の連続。
鉛の豪雨が浴びせられ、大理石の壁は軽石のごとく穴だらけになっていった。
馬にまたがり、咽を涸らすほどに指揮の声を挙げていたピニャも、突然のことに声を失い、呆然とした面もちで惨劇をその目に焼き付けた。
回転する翼をもつ『鋼鉄の天馬』。それに人が乗って天空を我が物顔で往来していた。
天空を舞う兵士と言えば、竜騎兵が有名だ。だが、ピニャが目にしたものは生き物のそれとは違う。もっと禍々しい別の何かだった。竜騎兵の攻撃は、もっと優しいのだ。弓や槍や剣は互いに敵意を交わし合うものなのだ。だが、これは違う。絶対的で一方的な拒絶であり、徹底的なまでに凶暴だった。
『鋼鉄の天馬』が火を放つたびに、大地の何もかも、石も珠も問わず、あらゆる全てが破壊され、うち崩されていく。馬の頭部が爆発したかのようにはじけ、周囲の人を巻き込んで転倒する。
「Ho-jo to-ho! Ho-jo to-ho! Hei-a ha! Hei-a ha!」
死の交響曲。宮廷での生活で様々な音楽に接する機会があったが、ピニャはこれほどまでに、美しく荘厳な演奏を耳にしたことがなかった。ホルン、ファゴット、様々な管弦の音色と、歌手の大音声が戦場を満たし、死への伴奏を叩きつけていく。ベルリ○・フィルの名演奏をエンドレスに編集されたそれは、最も盛り上がる場面を繰り返し、繰り返しピニャの耳に流し込んでいた。
「Ho-jo to-ho! Ho-jo to-ho! Hei-a ha! Hei-a ha!」
ピニャは、氷の剣を背筋に突き立てられたような身震いを感じていた。あらゆるものが一瞬のうちに、人の手で逆らうことの許されない絶対的な暴力によって、叩き潰されていく。感動、負の方向への感動と、正の方向へと感動。その入り交じった交錯が、彼女の肉体と精神をはげしく揺さぶる。
「Ho-jo to-ho! Ho-jo to-ho! Hei-a ha! Hei-a ha!」
ピニャの魂魄が、左右からの鉄の連打を受けて打ちのめされる。
人とはなんと無価値で、無意味なのかと、絶対的な無力感を突きつけられていた。
「Hei-a ha!------- Hei-a ha!----」
これまで敵と言えば、等身大の存在であった。
だが、それは明らかに違った。
正視することの許されない、だが目をそらすことすら許されない何か。
「Ha!ha!ha!ha!ha!ha!ha!ha!ha!ha!ha!ha!ha!ha!!
Ha!ha!ha!ha!ha!ha!ha!ha!ha!ha!ha!ha!ha!ha!ha!ha!!」
ワルキューレの嘲笑と呼ばれる歌詞を歌い上げる女声に、ピニャは徹底的に打ちのめされた。誇りも名誉も彼女が価値あるものとして、頼ってきた全てのものが、一瞬のうちに否定された。
意味のわからない歌声が、彼女にはこう聞こえる。
なんと矮小な人間よ!
無力で惨めで、情けない人間よ!
お前の権力、権威など何ほどのものか。お前達が代を重ねて営々と築いてきたものなど、我らがその気になれば一瞬にして、こうだっ!!
ピニャは涙を流しながら確かに、女神からの蔑みを感じた。と、同時に自分を遙かに凌駕する偉大なるものの存在を知った。
強大なもの。
まぶしきもの。
彼女の心に沸き上がったのは尊敬であり、畏敬の念。
そして、それら尊崇すべき存在が、自分とは全くの無縁であることの絶望。お前は決してそれらのようにはなれないのだと突き放してくる宣告。
かつて、ピニャの将来を定めたと言える歌劇を見た時の憧れと感動が、この時ことごとく塗りつぶされしまった。
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「やばいっ!ロゥリイの奴、敵の真っ直中に出ていきやがった!」
伊丹のオタク的部分は、ロゥリィがとてつもなく強いと予測していた。
だが、現実的かつ常識的な部分が、あの見た目が華奢で小柄なロリ少女が、強いと思えるのはどうかしてると、盛んに訴えていたのも確かなのである。
そのためにどうしても心配になった。共に過ごした時間もそれなりにあるので情も湧いている。見捨てるとか放っておくという発想はどこを探しても出てこなかった。
伊丹は、トラックを降りると「つけ剣」と自ら号令して小銃に銃剣を装着した。
栗林も、富田も着剣している。銃剣の柄を掌底で2度叩いて装着を確認する。
互いに見合わせて安全装置を『ア』より『レ』へと捻る。「はなれるなよっ」と告げて、前進を始めた。
だが真っ先に、鉄砲玉みたいに突っ込んで行ったのは栗林だった。
伊丹と富田は「ちっ、あの馬鹿女」と呟きつつも、距離をあけないように人垣をかき分けて懸命に追う。
「突撃にぃ、前へ!!」
目標を定めて数歩進み、小銃を構えて短連射。
更に数歩走って、今度は腰だめに小銃を短連射。
訓練に訓練を重ねて身にしみこませた動作が、繰り返された。
盗賊の数人が、血しぶきをまき散らしながら倒れる。
見ると、ロゥリィは舞うようにハルバートを振り、叩きつけ、ぶん回して、楯もろともたたき割って敵を蹴散らしていた。危うげな様子は少しもなく、軽快なヒップポップのような軽やかさだった。その周囲にはすでに屍体の山が築かれている。
敵は楯を使って圧迫し、押し退けて突き飛ばそうとし、楯の上を越えて剣を突きだしている。楯の下縁りで脛を打とうとしてくる。だが、ロゥリィはふわっと身を退くと、大上段に構えたハルバートを叩きつける。
それはあたかも薪割りのようで、楯ごと敵を二つに引き裂いた。
背後に回り込もうとする敵には、鈍く尖った石突きが待っている。振り返りもせずに突き出されたハルバートの柄が深々と敵の腹部に突き刺さった。
四方八方から同時に突き出される槍を、まるで棒高跳びのようにハルバートを支えにして中空に舞ってかわす。
黒薔薇のように広がるロゥリィのスカート。徹底的に黒で固めたガータベルトとショーツ、そしてなめらかな曲線で描かれた美脚を冥土の土産と見せつけて、回転する勢いをそのままハルバートにのせて円を描く。
プロペラのような旋風が、盗賊達の首を高々と跳ね上げていた。噴水のごとく吹き出す血潮。
赤い雨粒をその頬に受けながら、風を斬り、鉄を斬り、肉を断つ。
恐怖と憎悪と殺意を寄り合わせた力任せの大剣が、ロゥリィの頭上に振り下ろされる。
だが、ロゥリィの清澄な眼差しが毛一筋ほど隙を見いだし、命を賭した渾身の一撃を空回りさせる。
ロゥリィはスカートの縁を左の指先で摘みつつ闘牛士のそれに似た身のこなしで、猛牛のごとき突進をかわした。
そこへ、これに栗林が加わった。
喊声を上げながら銃剣による直突!ロゥリイを背後から襲うとした敵を貫く。
発砲しながらの反動で、刺さった銃剣を引っこ抜いて、そのままの勢いで後ろの敵に斜めから斬撃。直突、直突、構えを入れ替えて銃床を使っての横打撃。直打撃、打撃、打撃!ぶっ倒れた敵の鼻先に銃口を突きつけて、引き金を一回引く。
斬り付けてきた敵の剣を小銃で受け停める。小銃の2脚が吹っ飛び銃身を覆う下部被筒が派手に凹むが、気にせず脛を掃蹴。派手に倒れた敵の鼻面を、兜の上から半長靴で踏みつぶす。
カラカラとちぎれた2脚が落ちて。「あちゃ~」と呻いて武器陸曹の顔を思い出す。だが、このために89ではなく64小銃を持ち込んでいるのだ。栗林は「消耗品、消耗品」と自ら言い聞かせながら、小銃を握り直した。
前時代的で野蛮な白兵戦。だが栗林は、それを特技としていた。
小柄ながらまるで猫のような俊敏さで、敵を寄せ付けず手を焼かせ、逆に圧倒していた。敵が距離を置いたかと思えば、小銃を短連射。弾が尽きて、手投げ弾を敵の頭上を越えるように投げ込む。
ラッシュ並の混雑だ。敵の肉体そのものが楯になってくれると判断する。実際、背中を突き飛ばすような爆発に狼狽したのは敵だ。混乱し戦意を喪失し、楯を列べて防ごうとする。
そこへ素早く拳銃を抜いて、問答無用の3発連射。所詮は木製の楯。9㎜拳銃の弾を受けて、一発目で板が割れ、2発目で砕け、3発目がその向こう側の敵兵に当たる。
切り開かれた突破口にロゥリィが突っ込み、抉り、傷口を拡大していく。その間に栗林は小銃の弾倉を交換。
伊丹と富田は、自分達が手綱をひかないとやばいと思って、彼女らの背中を守った。小銃と拳銃と銃剣とを駆使して敵を回り込ませないことにだけ集中する。
少し距離を置いて、頭を冷静にして見ると女性2人の戦いぶりは実に見事だった。特にロゥリィは無敵な強さを見せていた。脳内麻薬の作用か、それともそう言う性格なのか、実に2人とも爽快そうな笑みを見せている。いっちゃった表情である。そういう女性の顔はベットの上で見たいものである。
2人は即興の連携を見せた。
銃剣で突き、ハルバートを叩きつけ、銃撃し手榴弾を投げ、ハルバートの柄で払い、蹴りや鉄拳をもって敵を支え、圧迫し、突き放し、押し返す。
弾倉の交換ももどかしい。栗林の弾が切れたと見るや、伊丹は自分の銃を栗林に放り投げた。代わりにガラクタ寸前となった栗林の銃が帰ってくる。
敵味方入り乱れた乱戦の真っ最中だったイタリカの警備兵や民兵達も、敵の勢いが急激に萎んでいくことに気付いた。周囲を見渡す余裕が出来て、はじめて伊丹達の存在に気付く。
エムロイの使徒だ!『まだら緑の服を着た連中』が来てくれたぞ、の声と共に次第に秩序を取り戻し、構えた農具を連ね、互いを助け合う連携を取り戻し始める。爆音と、オーケストラの音に今更ながら気付く。
「Zu ort-linde's Stu-tr stell'
deintn Htngst mlt mtiner
Gran-en gras't gern deln Brannerl
Hei-a-ha! Heia-ha!
Die Stu-te stosst mir der Hengst!
Ha ha ha ha ha ha ha ha ha!
Ha ha ha ha ha ha ha ha ha!
Ha ha ha ha ha ha ha ha ha!」
すると、天を被っていた黒煙を切り裂くようにして戦闘ヘリが姿を見せた。
その威容に人々は圧倒された。天を見上げ、指をさして天空から舞い降りた鋼鉄の天馬に見入っていた。
AH-1コブラの20mm M197三砲身ガトリング砲の砲口がロゥリィ達に押しまくられて密集しつつある敵へと向けられる。
それを見て、伊丹と富田が互いに見合わせて頷いた。
伊丹がロゥリィを、富田が栗林の首根っこをとっつかまえると、背後から抱き上げて「下がれ下がれ!!」と怒鳴りつつ後ろへと後退。
伊丹等が下がるのを待ちかまえていたかのように、毎分680~750発もの発射速度で吐き出される直径20ミリの砲弾は、瞬く間に敵をミンチへと変えていった。
コブラが、弾をばらまきながら高度を下げてくる。それは最終的な破壊だった。
燃えさかる炎、全てを一瞬にして消し飛ばす集中豪雨であった。
程なくして、ガトリング砲の射撃が止んだ。オーケストラの演奏もようやく終わりを告げて、耳にはいるのはローター音。そして後に残るは煙の漂う火事場跡。
UH-1Jヘリが、次第に集まってきて上空にホバリングする。
綱が降ろされて、それをたどって次々と自衛官達が懸垂降下してくる。機敏な動作、統率のとれた振る舞いで、周囲を警戒し、敵味方の生存者を捜していく。
最早誰も『まだら緑の服を着た連中』などとは言わなかった。その数にしても実力にして、いずこかの兵士であることは間違いないからだ。尊崇の念を込めて、富田に対してどこの誰かと尋ねる者がいた。「自衛隊」と言う答えを得る。
ロゥリイは強力なローター風によって、吹きさらされる髪を気にしつつ、風で舞い上がりそうなスカートを押さえ込みながら周囲を見渡す。だが、少なくとも彼女の周囲に立っている敵はなかった。
ふと、気付く。
自分が誰かに抱え上げられていることに。
彼女が身を預ける左腕が脇の下から胸元に上がり、手袋に包まれた掌が彼女のささやかな右の乳房を押さえ込んでいることに、ロゥリィ・マーキュリーは気付く。そして、その桜色の唇をニィとゆがめて、その隙間から鋭い犬歯を覗かせるのだった。
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ピニャは、伊丹、ロゥリイ、テュカ、そしてレレイの4人を前にして、語りかけるべき言葉が見つからず窮していた。
昨日はこの4人を謁見して、高みから協力を命じる立場だった。
背もたれに身体を預け、典雅に茶など喫しながら、重要なはずの問題をまるで些細な雑用仕事でも扱うかのように臣下に結論から突きつける。それがピニャの、宮廷貴族の考える優雅な仕事の進め方なのである。
昨日は、ここまでとは言わなかったが、それに近い態度をとることが出来た。
だが、今日の自分の体たらくはどうだ。惨めな敗残者ではないか。
確かに盗賊は撃退できた。市民達は勝利と生き残ったことを素直に喜んでいる。
無論、失われた命を悼むこと、家族を亡くした悲しみを乗り越えるのにも時間が必要だろう。街や荒廃した集落の再建も難題だ。だが、身近な者が命を賭して得た勝利だからこそ、今は喜ぶべきなのだ。悲しむばかりでは彼らが頑張った甲斐がないではないか。
その意味では、ピニャも勝利者の側にいて勝利を喜ぶべきなのだ。なのだが、この惨めな気分によって徹底的に打ちのめされていた。
少しも勝ったとは思えない。
勝利したのはロゥリィや、伊丹達『ジエイタイ』を自称する軍勢だ。不当にも神聖なアルヌスを土足で占拠し続けるこの敵は、鋼鉄の天馬を駆使し、大地を焼き払う強大な魔導をもって、ピニャが手を焼いた盗賊らを瞬く間に滅却してしまった。
今、彼らがピニャに対してイタリカに対して牙を剥いたら、彼女にはどうすることも出来ないだろう。帝国の皇女とフォルマル伯爵公女ミュイは2人そろって虜囚となり、帝都を支えるの穀倉地帯は敵のものとなる。
住民達は、どうするだろうか?抵抗するだろうか?
いや、かえって喜ぶ。きっと、彼らを歓呼の声で迎えるだろう。何しろ、住民達の勝利を決定づけたのはジエイタイなのだから。『まだら緑の服を着た連中』の廉潔なる様は、コダ村の住民達によって、口々に語られている。
政治を解さない民は単純だ。自分の利益、しかも一時的な利益に簡単に吊られて靡いてしまう。
もし、彼らが開城を要求して来たら……妾は彼らの前に膝をつき、取りすがって慈悲を請い、我とミュイ伯爵公女の安堵を願い出るしかないのかも知れない。
妾が、敵に慈悲を請う?誇り高き帝国の皇女ともあろう者が!?まるで、宿場の安淫売のように男の袖を引くと言うのか?
ピニャは、ギッと奥歯を噛みしめた。
今の自分なら、足の甲にキスしろと求められたら、してしまうかも知れない。どのような屈辱的な要求にだって、応じてしまう。そこまで自信と心とをへし折られていた。
ピニャは、伊丹等が要求を突きつけて来るのを、恐る恐る待っていた。
待っているつもりだった。だが…次第に視界が彩りを取り戻して、ピニャに現実の風景を示し始める。耳が周囲の音声をあつめて、ピニャの意識へと届け始めた。
「捕虜の権利はこちら側にあるものと心得て頂きたい」
レレイが、ピニャの傍らに立つハミルトンの言葉を健軍一等陸佐に通訳していた。語彙の関係上、伊丹だけでは通訳が難しいので、まだまだレレイの手伝いが必要なのである。
健軍は、直立不動の姿勢のまま頷く。
「イタリカの復興に労働力が必要という貴女の意見は了解した。それがこちらの習慣なのだろうが、せめて人道的に扱う確約を頂きたい。我々としては情報収集の為に、数名の身柄が得られればよいので確保されている捕虜の内、3~5名を選出して連れ帰ることを希望する。以上約束して頂きたい」
「『人道的』の意味がよく理解できぬが…」
苦労するのはレレイだ。無表情の彼女が額に汗して、意味を伝えようとしている。
曰く「友人、親戚、知り合う者に対するように、無碍に扱わないことと解される」と彼女なりの理解で説明するのだが、ハミルトンは眉を寄せるばかりだ。
「私の友人や親戚が、そもそも平和に暮らす街や集落を襲い、人々を殺め、略奪などするものか!」
声を荒げ怒鳴りかけたハミルトンを制するように、ピニャは声をかけた。
「良かろう。『求めて過酷に扱わぬ』という意味で受け止めることにしよう。此度の勝利にそなたらの貢献は、著しいのでな、妾もそなたらの意向も受け容れるに吝かではない」
ハミルトンも、これまでずうっと黙していたピニャが口を開いたことに安堵したようである。
レレイと健軍がぼそぼそと言葉を交わし、レレイが通訳した言葉を伝える。
「そのような意味で解していただければよい」
思わず口を挟んだが、ここはどこで、今自分は何をしているのか?
ピニャは自分の持っている知識、解釈力を総動員して現状の確認を急いだ。
そもそもこの男は誰だ?
ピニャの目前に立つのは、闘士型の体躯をもつ壮年の男だった。この男も『まだら緑の服』を来ているが、兵卒とは明らかに違う気配を有している。
物腰こそ軟らかいが、額に刻み込まれた皺と肉の厚みを感じさせる頬はいくつもの苦難困難を乗り越えてきた男のものである。この男の堂々たる態度を裏打ちするもの、それは自信なのだろう。積み上げてきたものと実証に裏打ちされた自信。ピニャを求めて得られないものである。
察するに『まだら緑の服』の軍の長であろう。
気が付くと、ピニャは伯爵家の領主代行として気怠そうに椅子に腰掛けている。隣にはフォルマル伯爵公女ミュイが執事とメイド長に挟まれて腰掛けていた。
喋っていたのはハミルトン。彼らと交渉し、意見を述べ、要求を聞き入れて物事を決定していたのは彼女のようであった。ピニャがボヤッとしている間、懸命に交渉の場を支えていたのだろう。
ピニャは、慎重に言葉を選びつつ状況を確かめようとした。この場で、いったい何の約束がされようとしているのか?
傍らに立っていたハミルトンを指先で招く。額や身体の各所に包帯を巻いたハミルトンが顔を寄せてきた。
「ああ、ピニャ様。お心が戻られましたか、ご心配いたしました」
「すまない…」
そして、この場で決しようとしている内容を、再度確認するようにと指図した。
「おほん。では、今一度条件を確認したい」
ハミルトンは朗々と歌い上げるようにして、条件を挙げていく。
「ひとつ。ジエイタイは、此度の戦いで得た捕虜から、任意で3名~5名を選んで連れ帰るものとする。この捕虜、および捕虜から得られる各種の権利一切は全てジエイタイ側にあるものとする。なお、フォルマル伯爵家と帝国は、所有することとなった捕虜を、過酷に扱わないことを約束する。
ふたつ。フォルマル伯爵家ならびに帝国皇女ピニャ・コ・ラーダは、ジエイタイの援軍に対する感謝の印として、ニホン国からの皇帝ならびに元老院に対する使節を仲介し、その滞在と往来における無事を保証する役務を負う。なお、使節の人数、滞在の諸経費等の負担は協議によって定めるが、100スワニ相当分までは無条件で伯爵家ならびに皇女が負担するものとする。
みっつ。ジエイタイの後見する『アルヌス協同生活組合』は今後フォルマル伯爵領内・イタリカ市内で行う交易において関税、所得、金銭の両替等に負荷される各種の租税一切を免除される。
よっつ。以上の協約発効後、ケングン団長率いるジエイタイは、協約で定めた捕虜の受け取り以外、伯爵家、および市民の財貨一切に手を着けず、可及的速やかにフォルマル伯爵領を退去するものとする。イタミ率いる小規模の隊、及び『アルヌス協同生活組合』については、フォルマル伯爵家との連絡役務を果たすため、今後も領内往来の自由を保障する。
いつつ。この協定は1年間有効。なれど双方異存申し立て無き時は、自動的に更新されるものとする。
以上 フォルマル伯爵公女ミュイ
後見役 帝国皇女 ピニャ・コ・ラーダの名において誓約する。
帝歴687年 霧月3日」
ハミルトンは、羊皮紙に書き込まれた文章を読み上げるとピニャの前に差し出した。
何度も読み直してみたが悪い話ではない。と言うより、どうなっているのだ?と思うほどの好条件である。ジエイタイは勝者がもつ権利のほとんどを求めていないのだ。
皇帝に対する仲介は煩雑だし、100スワニの出費は確かに痛いが、必要経費の範囲とも言える。これで済めば儲けものと言えよう。
ハミルトンが頑張ってくれたようだ。
ピニャは人の能力を見極めることについてはいささかの自信があった。だが、どうやら
ハミルトン・ウノ・ローの交渉能力については見極めを誤っていたようである。だがどうやったら圧倒的な戦闘力を有する敵に、勝者の権利を快く放棄させるような約束を取り結ぶことが出来るのだろうか?魔法でも使ったか?女の武器を使って交渉をとりまとめたか?
いずれにせよ、外務局あたりに知れたら、ただちにスカウトがくること間違いなしである。騎士団としてもこの交渉能力は貴重だ。
ピニャはそんなことを考えつつ、羊皮紙の末尾にサインをして、封蝋に指輪印を押捺した。
隣席に、お行儀よく腰掛けているミュイ伯爵公女にもサインと捺印が求められた。
ハミルトンが健軍の前に出て、羊皮紙を差し出す。
これをレレイとテュカが確認して頷いたのを見て、健軍は漢字で署名を書き込む。
ロゥリイは何故かそっぽを向いて不機嫌な様子で関わろうとしない。伊丹は何故か、右目周りに黒々としたアザをつくって、ぼやっと突っ立っていた。
協約書は2通作成する。
2通目の作成中に、ピニャの手元に一通目が戻ってきた。
改めて書面を確認して見ると、健軍の署名が目に入る。そこに書かれている文字を見て、
なんともカクカクとしているなと感じるのだった。
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協約は直ちに発効され、401中隊は飛び去っていく。
戦いの後始末に忙しい住民達も、一時手を休め彼らが空の向こうに見えなくなるまで、帽子や手を振っていた。
レレイやテュカ、ロゥリイは商人リュドー氏の元へ向かって、商談を済ませた。
取引に関わる税がかからない特権商人は儲けが大きいので、どんな商人だってお近づきになりたがる。しかもカトー先生の紹介となれば、粗末に扱えるはずもなく、交渉は至極簡単に進んだのだった。
竜の鱗200枚を、デナリ銀貨4000枚+シンク金貨200枚で、取引をまとめることに成功した。
ただし、銀貨4000枚を現金で決済することはやっぱり不可能だった。リュドー氏も頑張ってくれたのだが、フォルマル伯爵領内を盗賊達が荒らしたために、イタリカでは交易が停滞していた。さらに帝国とその周辺で貨幣が不足気味になっていたことも理由となってデナリ銀貨1000枚をかき集めるのが精一杯だったのである。
結局、残る3000枚のうち、2000枚については為替で受け取ることとなった。
残りの銀貨1000枚分は割り引くことにした。割り引く代わりにレレイはリュドー氏に一風変わった仕事を依頼したのである。
それは各地の市場における相場情報の収集であった。出来る限り多品目で手の届く限り詳細に、事細かく価格を調べて欲しいと求めたのだった。
この申し入れにはリュドー氏も鼻で笑った。
一般市民に小売りするのと違って、商人間では何がいくらで売れる等という情報は、価格交渉の為の重要な武器であり手の内だった。これを単刀直入に尋ねる商人も、教える商人もいない。
だが、レレイは商人としては素人であるため、何がいくらで取り引きされているかを知らない。知らないからこそ情報を集めようと思ったのである。ただし、より広く、より大規模に。そして代価を支払って。
「銀貨1000枚ねぇ」
これまで、情報なんてものにこんな大金を支払う者などいたためしはない(小口の相談なら、これまでもあった)が、値が付いたのであれば、それはもう商売である。賢者カトーの愛弟子が求めるのだから重要な意味があるのかも知れない。また、商品の品質はよりよいものがモットーでもある。
こうして、リュドー氏は八方手を尽くして情報の収集に力を入れることを約束したのであった。
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作中歌詞 Die Walkure/Wilhelm Richard Wagner, 1813年5月22日 - 1883年2月13日
[1507] 自衛隊 彼の地にて、斯く戦えり /正式版 19
Name: とどく=たくさん◆20b68893 ID:00a6177b
Date: 2008/05/26 21:10
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西へと向かう街道を、イタリカへと急ぐ騎兵集団があった。
赤、黄、白の3色の薔薇で彩られた旌旗をたなびかせ、馬蹄の音を轟かせている。
金銀に輝く胸甲と装飾鮮やかな武装。バナーのひるがえる騎槍の林が怒濤のごとく突き進んでいた。
特に先頭をいく騎士。
金色の長髪を風になびかせて、壮麗な武装で身を固めた女騎士が鞭で黒馬を激しく攻め立てている。彼女の愛馬は、その責め苦を軽く受け止め、躍動する筋肉は力強く大地を蹴っていた。
彼女の見る風景は流れるように過ぎていた。だがまだ遅い、まだ足りない。そんな思いで握る手綱に力がこもる。鞭撃つ手にも力が入ってしまう。
「ボーゼス!!急ぎすぎだ」
女声ながら落ち着いた重みのある響きが、先頭の騎兵にかけられる。
背後を駆ける短栗髪の女騎士。馬は白馬。彼女らから大きく引き離される形で、騎兵集団が続いている。
ボーゼスと呼ばれた女騎士は、振り返ると鈴のような声色で言い返した。
「これでも遅いくらいよっ!パナシュ」
「たが、君の馬が保たない。兵もどんどん落伍している。これでは現地にたどり着いても戦えないぞ」
「いいのよっ。落伍しようと最終的にイタリカへたどり着けばいい。今は時間が敵よっ!」
「しかしっ!」
「最終的に少数しかたどり着け無ければ、少数での戦い方をすればいい。今は少しでも早くたどり着くこと。それが第一よ」
こうも言い切られれば、パナシュとて引き留めようがない。ボーゼスの後を追いつつ、例えそうであっても少し速度をゆるめるようにと言い聞かせるのがやっとであった。
ボーゼスは不承不承ながらわずかに手綱を引く。馬も走る速度をゆるめ、わずかに後続との距離が近づいた。
「パナシュ…わたくしたち、間に合うかしら?」
「大丈夫。姫様はきっと保たせるさ」
「でも…」
ボーゼスは、苛立つ気持ちを抑え込むので精一杯のようであった。遠く地平線の先へと伸びる街道。その遙か先、イタリカの方角一点のみを見つめていた。
だから、最初にそれに気付いたのはパナシュであった。
「ん?」
前方から何か近づいてくる。
帝国の幹線街道とは言え、古代に作られたものを荒れるに任せているため道幅は狭く、向かい合った荷馬車がすれ違えるほどしかない。騎馬隊がこのまま全力で進めば、前方から近づく何かと激突することは必至だった。
しかもその前方の何かは、意外なほどの速さでこちらに近づいてくる。箱形で、遠目ではよくわからないが、荷車のようにも見える。
「ボーゼスっ!!」
「判ってるわ」
「わかってないっ!前を見ろ」
パナシュに指摘されてようやく気付いたのか、ボーゼスは舌打ちしつつ身を起こし、馬の手綱を引いた。
パナシュは左腕を挙げて後方に停止を知らせつつ、手綱をひく。
続いていた騎馬隊の騎士達は安堵したかのように、息を切らせいきり立った馬をなだめながら速度を落とした。馬も人も誰も彼もが、ぜいぜいと肩で息をしており、汗でびっしょりとなっている。
「ええいっ邪魔くさい。道をあけさせなさいっ!」
後方の兵に排除を命じるが、それをパナシュが「待てっ」と、停める。
「あれは、イタリカの方角から来る。臨検してみよう、何かを知ってるかもしれないだろ?」とボーゼスをなだめつつ、ゆっくりと先へと進むのだった。
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「なんて事をしてくれたんだっ!!」
烈火のごとく怒り、手にしていた銀製酒杯を投げつけるピニャ。
意気揚々と捕虜を引見し、自らの功績を誇ろうとしたボーゼスは、突然のことに何が起きたのか理解できなかった。額の激痛とピニャの怒気にすくみ上がってしまう。顔に落ちてくる暖かな感触に手を触れ、その手をぬらした血液を見て、初めて右眉の上が深々と割れているという事態に気付いたのである。
美しい顔(かんばせ)をつたい落ちる血液が、顎の先からポツポッ、ポタポタと絨毯に落ちてシミを広げる。
「ひ、姫様。どうしたと言うのですか!?我々が何をしたと言うのです?」
ショックに座り込むボーゼスの額に手巾をあてながら、懸命に寛恕を求めるパナシュ。だが、ピニャも、傍らに立つハミルトンも怒ると言うよりは最早、あきれ果てたという様子で2人を見下ろすのだった。
夕刻。
騎士団を引き連れてイタリカに到着し、街が無事であったことに安堵したボーゼスとパナシュは、ピニャに対して到着を報告するとともに戦闘に間に合わなかったことを詫びた。これについてピニャは責めるようなことは言わず、逆に予定よりも早くの到着を誉めたのである。
これに気をよくしたボーゼス達は、ピニャの初陣と戦勝を祝賀する言葉を述べ、さらにここに来る途中で遭遇した異国の者、おそらくアルヌスを占拠する敵の斥候であろうと思われる…を捕虜としたので、ご引見下さいと連れて来させた途端にこの仕打ちがなされた。
2人は自分らが何故に責められるのか、詰問され、酒杯を投げつけられねばならないのか理解できなかった。
「こともあろうに、その日の内の協定破り。しかも、よりによって彼とは」
ハミルトンは、謁見の間となった広間の隅へ連れ込まれた捕虜へと歩み寄った。
床に力無く座り込んでいるのは伊丹であった。
その肩に手を置いて「イタミ殿、イタミ殿」と揺すりながら声をかけてみる。だが伊丹は、全身ドロまみれの擦り傷だらけ、さらには、あちこちを打撲したのか身体の各所にアザをつくっており、体力気力も尽き果てているという姿で、まともな返事も出来ない。
ここに来るまでにどれだけの酷い目にあったかが、想像できる有様であった。
「ハミルトン、どうだ?イタミ殿の様子は」
「相当に、消耗されているご様子です。すぐにでも休ませませんと」
ピニャは、フォルマル家の老メイド長に振り返ると「済まないが、頼む」と告げた。老メイドと執事は「かしこまりました」と、壁の華となっていたメイド達をかき集め伊丹を取り囲むようにして、運んでいった。
それを見送った後で、振り返るピニャ。
その時の彼女の表情はまさに般若そのものであった。自分よりやや背の高いパナシュの頬に対して平手というより、掌底でぶん殴って尋問するかのごとく詰め寄った。
「貴様等、イタミ殿に何をしたっ?!」
「わ、私たちは、ごく当たり前の捕虜として扱ったまでです」
ごく当たり前、とは…帝国では捕虜を虐待することであった。例えば連行途上、ひたすら馬で追い立てて走らせる。疲れ果てて座り込むなどすれば、槍先でつついたり、刀の峯や鞭で打ったりして無理矢理立たせる。それでも立たなければ殴る蹴るなどの暴力でいたぶると言う具合である。こうして抵抗する気力、逃亡する体力をそぎ落とすことが、奴隷として売る際に素直に従わせる上で必要なことだと考えられていたのである。
ピニャは「なんて事を、なんて事を…」とつぶやきながら体中を駆けめぐる怒気を、わななく拳を握りしめながら耐えていた。
理性的に考えてみれば、ボーゼスやパナシュのした行為を非難することは出来ない。なにしろ彼女たちは、アルヌスを占拠する者を敵とは思っても、そんな相手とピニャが協定を結ぶなど想像すら出来なかったのだから。
だが現実は、理不尽なまでに理屈を超越する。実際に、協定は結ばれ自衛隊はその協定に基づいてイタリカを退去した。故に知らなかった、通知が遅れていたの類の言い訳は一切通用しない。何しろ、協約の即時発効はピニャが求めたものなのだから。そして伊丹が捕らえられたのは協約発効の後、しかもその往来の自由を保障するとしたフォルマル伯領内である。
これは協約やぶり以外の何物でもない。
協約違反を口実に戦争をしかけ、有無を言わさず敵を滅ぼすという手口は、実は帝国がよく用いる手法だった。通信網の整ってないこの世界では、連絡の不行き届きで和平協定締結後も末端の部隊間で戦闘が行われてしまうと言うことは、よくあるのだ。
自分達が愛用した手口であるが故に、相手がそれをすると思ってしまう。
ピニャは、背筋がゾッとした。
天空を覆った楽曲の音が、ワルキューレの嘲笑が彼女の耳にこびり付いて離れないのだ。彼女の騎士団が、イタリカが、そして帝国のあらゆる全てが業火に焼かれて滅んでいく様が目に浮かぶようであった。
ハミルトンから、ピニャと自衛隊の間で協約を結ばれたことを説明されたボーゼスとパナシュも、自分達が何をしたか、そして伊丹等が「話せばわかる」などと言いながら、何故抵抗せずに捕らえられたのかを理解した。
「い、イタミ殿の部下がいたであろう。その者らはどうした?」
「あの者等は、逃げおおせました」
自分達の隊長が捕らえられたというのに、取り返そうともせず脱兎のごとく逃げ出した伊丹の部下を、彼女達はさんざん嘲笑したのである。だが、彼らからすれば反撃すら許されない状況では、逃げ去るしか選択肢がなかったと言うことを、また知るのである。
もし、全員を捕らえることが出来ていれば、全員を始末して行方不明になってしまったとしらを切る方法もあるのだが、逃げられてしまったとなってはその手は使えない。そもそも使徒ロゥリィ・マーキュリーが相手方にはいるのだ。考えるだけ意味のない選択肢であった。
「姫様、幸いなことに此度は死人が出ておりません。ここは策を弄されるよりも、素直に謝罪をされてはいかがかと、小官は愚考するところであります」
広間の隅でことの次第を聞いていただけの、グレイ・アルドが口を開いた。
「だがしかし、あ奴らは盗賊にすら『ジンドウテキ』などと称して、過酷に扱うなと言いだす連中。イタミ殿の受けた仕打ちを知れば、烈火のごとく怒り狂って攻めて来るのではないか?」
「そこも含めて、謝罪するしかないのではありませんか?」
「妾に頭を下げろと言うのか?謝罪せよと?…だが、関係者の引き渡しや処刑を求められたら応ぜざるを得なくなるぞ」
「では戦いますか?あの鋼鉄の天馬と、大地を焼き払う魔導、そして死神ロゥリイ・マーキュリーを相手に…。小官としては、それだけはゴメンこうむりますぞ」
グレイのような歴戦の兵士にすら、あの光景は恐怖という名の楔を撃ち込んだのである。ピニャも、どれほど屈辱的なことでもしてしまうと覚悟したほどだ。それを考えれば、謝罪など大したことではない。
とは言え、ここにいる誰もピニャにそれを強いることは出来ない。関係者たるボーゼスやパナシュも、罪を認めれば自らが窮地に立たされることとなるためにそれは避けたいのである。
冷酷で重苦しい空気がその場を支配した。
しばしの沈黙の後、グレイは緊張した雰囲気を解きほぐすように、おどけた口調で語った。
「ま、そのあたりはイタミ殿のご機嫌次第なのでしょうがね」
それは、暗にこの場に居合わせているご婦人方に、伊丹のご機嫌とりを頑張って下さいと、告げたものだった。
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我が国には、宝塚歌劇団(たからづかかげきだん)というものがある。
女性のみで編成され歌と踊り、そして演劇を楽しませてくれる、戦前から存在する伝統のある由緒正しい劇団だ。オタクたる伊丹にはいささか敷居の高い世界だが、もし『銀英伝』を演目に加えてくれたら、見に行っても良いかもしれない。
ちなみに阪急電鉄の経営で、彼女たちが我々の知らないどこかで悪の秘密結社と戦っていると言う話は、寡聞にして聞いたことがない。誰か真実を知っていたら世間に知らしめて欲しい。
さて、イタリカからアルヌスへの帰還途中、目前に現れた騎兵集団を見た瞬間、伊丹は宝塚が『ベ○ばら』の野外公演でもしているのかな?と思ってしまった。
ものの見事に女性ばっかり。しかもみんな美人・麗人・佳人・かわいい娘。
もしかしたら正真正銘の男性もいるかも知れないが、約半分が男装の麗人で、残りの半数は女性っぽい女性と来ては、どうしても女性のみの集団と認識せざるを得ないのである。
さらに、徹底的なまでに華美に彩られた武装だの旗だの、華奢な飾りでピカピカしている馬鎧。金糸銀糸の刺繍のはいった軍装等などを見ると、やっぱり『ベル○ら』っぽく見えてしまう。
手を挙げてこちらに停止を命じながら、馬を寄せてくる女性…。
白馬にまたがりショートの髪は栗色。白を基調として銀糸の刺繍や飾りをつけた衣装に銀の胸甲をつけ、黒い裏地の白のマント姿。腰にはサーベルというか、レイピアというか装飾のついた細身の剣を下げているが、これがまたピカピカに磨かれていて曇り一つ無い。
凛とした表情も突き刺すような視線も、妙にキメポーズっぽく見えてしまう。『男役の女優さんっ』という雰囲気で、こういうのが好きな女子高生あたりが見たら、さぞかし黄色い悲鳴をあげて喜ぶんだろうなぁと思ったりする。
倉田は『ぽかん』とした表情で、「俺、縦巻きロールの実物なんて初めて見ましたよ」と感慨深く呟いていた。
倉田の視線の方角…白い女性の背後から、少し敵意っぽいものの混ざったような視線をこちらに突きつけている女性が居た。黒馬にまたがり、豪奢な金色巻き毛は腰まで伸びている。なるほど、いわゆる縦巻きロールと言われる髪型であった。それに物理的機能があるの?と尋ねたくなるほどに巨大なリボンがくっついている。
見た目からしても、お嬢様タイプの美女で、ツンッと高みから見下してくる(実際、馬上から見下してきている)視線は「私の脚をお舐め、豚野郎」とか、いかにも言ってくれそうである。
伊丹はこの女性騎馬集団の旗印になっている三色の薔薇から、前述のショートヘアの女性を白薔薇様、こちらの金髪お嬢様を黄薔薇様と、脳内であだ名付けた。
桑原曹長が無線で注意喚起を命じ、隊員達は一様に銃を引き寄せて警戒のレベルを高めるが、伊丹としては厳に発砲を戒めた。協定違反に成りかねないからだ。この時点で、ロゥリィやレレイ達は、昨夜からの徹夜が堪えたのか後席でぐっすり眠っていた。
伊丹等の第三偵の現時点での車列は、先頭が73式トラック、次が高機動車、しんがりが軽装甲機動車なので、この女性騎士軍団は最初に接触した73式トラックへと近づいた。
白薔薇が馬を歩み寄らせ、富田に声をかける。
富田は、27歳の二等陸曹。ちなみにレンジャー徽章持ち。
『こちらの世界』の言葉は、単語ノートを片手になんとか意思疎通できるという程度である。そんな状態であったから、なんとか片言で白薔薇の誰何に応じようとしていた。
白薔薇曰く、「どこから来た?」
富田曰く、「我々、イタリカから帰る」
言葉が不自由ながらなんとか片言でも応えようとしてる富田に対して、白薔薇は彼に解るように、できるだけ言葉を短く句切りながら話しかけようとした。これに対して、黄薔薇は言葉の不自由な富田を、馬鹿にしたように鼻を鳴らし、3台の車両へ胡乱そうな眼差しを向けるのだった。
白薔薇曰く、「どこへ?」
富田が単語帳をぺらぺらっと捲りながら告げる。「アルヌス・ウルゥ」と。
これを聞いた白薔薇は「なんだとっ!」と声を荒げた。
正体不明の敵に占領されている場所に、いかにも異邦人とおぼしき連中が帰るなどと言っている。
しかも馬が牽くわけでもないのに動く荷馬車に乗り、見慣れない武器らしきものを抱えている。この集団を見て、怪しく思わない方がどうかしている。
その場にいた女性騎馬軍団はこの一言で殺気立った。「何!すると敵かっ!」天に向けられていた騎槍がさっと降ろされ、その切っ先が伊丹達を指向する。
素早く、騎馬の列が整えられていく。このあたりの統率は見事にとれており、彼女たちが歌劇団の類ではなく、きっちりとした戦闘訓練を受けた兵士の集団であることを伊丹等に知らしめた。なにしろ馬の足並みすらそろっているのだから。
見ると伊丹の部下連中も小銃を構え、笹川に至っては、軽装甲機動車(LAV)搭載のキャリバーを手にして、重い金属音をたてて槓桿をひいた。
黄薔薇が、冷たい眼差しをして黒馬から下りて、つかつかつかと歩み寄って富田の襟首を掴みあげ、「もう一度、言ってごらんなさい」と、お上品に凄む。
白薔薇は、この異邦人が言葉を間違っていると思って、再度繰り返してもう一度、『貴様等はどこから来て、どこへ行こうとしている?』と尋ねた。
黄薔薇に襟首を掴みあげられた富田は、息が苦しいのかあるいは別の理由か、その顔を紅くしつつ、「イタリカから来て、アルヌス・ウルゥへ向かう」を意味する単語を列べたのである。
富田が苦労しているのを見て、さすがにほっておくわけにもいかず、伊丹は桑原曹長に、「おやっさん、絶対にこっちから手を出させないでよ」と告げながら、小銃や拳銃、銃剣といった武器っぽく見えるものも外して、車を降りた。
そして白薔薇・黄薔薇の2人の注意を惹くように声をかける。
「えっと、失礼。部下が何かいたしましたかね?」
だが、ヒステリックになった女性の前に、伊丹のノンビリとした声かけは、いささか癇に障ったようである。
身に覚えのない罪で攻め立てられるような気分を味わいつつ、伊丹は「おちついて、話せばわかる」という言葉を繰り返すしかなかった。
だが、女性達は聞く耳を持たない。
彼女たちからすれば、これが初陣だ。しかも慌てていたが故に精神的な余裕もない。こう言う時に頼りになる歴戦の下士官連中は歩兵であったり、騎士であっても歩兵部隊を率いる立場なので、後方はるか彼方。
言葉もうまく通じない。そんな状態で何をもって疑わしく、何をもって安全と判断するのかの基準が与えられてないのだ。あらゆるものが怪しく感じられた。疑念が疑念を産んで増殖していき、剣を抜くしかなくなってしまうのは、ある意味必然であった。
のこのこと出てきた代表格らしい男に対して、白薔薇ことパナシュは、剣を突きつけて降伏するように命じた。
ここにいる怪しい連中全員を捕縛し、武装を解除しなければ安全と安心を得ることが出来ないと思いこんでしまったのだ。
ここにいる敵は何をしでかすか解らないから、油断は決して出来ない。少しでも怪しい素振りを見せたら攻撃するしかない。
そのように気を張った状態の彼女たちにとって、訥々と「話せばわかる」を繰り返す男は苛立たしく、邪魔なだけである。
黄薔薇は「ええぃっ!お黙りなさいっ」と激昂して、伊丹を平手で殴りつけてしまった
これを見て殺気立つ自衛官。だが桑原が「待てっ!!」と命じ、伊丹が「今は逃げろ、逃げろっ、行けっ!!」と叫んだ。
途端、エンジンの轟音があがり、第三偵察隊の車両が土煙をあげる。
突然のことで騎馬隊は驚いた馬を抑えるので精一杯となってしまった。そして、ようやく後を追おうとした時には、土埃を巻き上げて走り去っていく自衛隊の車両は、もうはるか彼方へと消え去ろうとしていた。
数騎の騎兵が慌てて後を追ったが、追いつくことは出来ない。
こうして、伊丹は独り取り残されたのである。
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「いててて」
首の痛み、背中の痛み、足の痛み、頬の痛み、右目の周りの痛み……痛くない所なんてないほど、体中が痛みを訴えていた。
意識を取り戻すというか、苦痛で目が醒めてしまった伊丹の視界は、妙に薄暗かった。
夜なのか、それとも雨戸を閉め切った部屋なのか…。とにかく薄暗い。
これまで味わったことのないような、軟らかい羽毛と絹による掛け布団の感触に違和感を憶えつつ、自分が寝ている場所を知ろうとして周囲を見渡す。首が痛いために痛みをこらえつつ、そろそろと身を起こそうとした。
だが、軟らかく制しようとする手がそれを停めた。
その手は伊丹を再びベットに横たわらせ、掛け布団をきちんとかけなおす。
そして、部屋の隅から燭台が招き寄せられ、柔らかな灯りが伊丹の周囲に広がった。
その灯りに浮かび上がったのは、「お目覚めになられましたか?ご主人様」と微笑む、いわゆる、メイドさん達であった。
「こ、ここ、ここは?!」
ついうっかり日本語で話しかけて、彼女たちの困ったような表情を見せられてしまう。伊丹は秋葉原に来た覚えなどないし、メイド喫茶ならぬメイドホテルなんぞにチェックインした記憶もない。
伊丹は、「ここはどこ?」と現地の言葉で話し直した。
「こちらは、フォルマル伯爵家のお屋敷です」
伊丹は、そうか…と頷くと、脳内で状況の整理を始めた。
周囲を見たところ、ここは監獄に類する施設では無いようである。
伊丹はイタリカに向けて走らされたから、おそらくここはイタリカの街だろう。ならば傅いてくれているメイドはフォルマル伯爵家のメイドではないか?
こうして待遇が改善されたところを見ると、ピニャには協定を破る意図はないのだろうと思える。とすれば、無事に帰れる可能性もある。無理に逃亡をはかる必要もないかも知れない。
「水を、もらえないか?」
メイドは、暖かな微笑みを見せると、「かしこまりました」とちょこんとお辞儀をして、去っていった。代わりに、別のメガネをかけた長身のメイドさんが伊丹の側に進み出て跪いて控える。
伊丹は、この娘の顔をみて眼を擦った。
「どうされましたかニャ?」
「いや、なんでもない」と言いつつ、こういう世界だしこういうこともあるのだろうと無理矢理納得しようとした。というのも、メガネのメイドさんの頭に猫耳がはえていたからだ。しかも、ピクッピクッと微妙に動いていて作り物とは思えない。
「状況は?」
「はい?」
「いや、街の様子とか、お屋敷とか、それと僕の取り扱いとか、いろいろ…」
猫耳メガネのメイドさんは、困ったような表情をした。
すると、脇から「ただいま、夜半過ぎでございます。街の者は寝入り、すっかりと静かになった頃合いでございます」と、老メイド長が現れて話し始めた。
老メイド長の話によれば、街は平穏を取り戻しつつあると言う。明後日、犠牲者を合同で弔う予定。ただ、周辺の村落の被害がどれほどなのかまだわかっていない。領内が元の活気を取り戻せるまで、どれほどの時間がかかるか想像も出来ない。
ピニャ率いる騎士団の本隊や、落伍していた騎兵、歩兵が五月雨式に到着しつつある。ほぼ8割近くが終結を済ませたので、ピニャは領内の各所へ出動を命じ、治安確保のために働き始めている。
「それとイタミ様におかれましては、ピニャ様は、賓客としての礼遇を命ぜられました。そしてこの度の無礼を働かれました騎士団の隊長様は…」
白・黄2人の隊長はピニャに烈火のごとく怒鳴られ、黄薔薇ことボーゼスは女性なのに額に銀杯をぶつけられて、深い傷を負った。傷が残るかも知れず、騎士団の女性からは同情を集めていると言う。
非常に丁寧且つ詳細な説明を終えると、老メイド長は伊丹に対して、腰をおとして頭を垂れた。
「この度は、この街をお救い下さり、真に有り難うございました」
この席にいた、メイド達5~6人もメイド長に習って深々と頭を下げた。猫耳だけでなく、ウサ耳らしきものも見える。
「このイタリカをお救い下さったのはイタミ様とその御一党であることは我らフォルマル家の郎党、街の者も全てが承知申し上げていることでございます。そのイタミ様に対して、このような仕打ちをするなど、許されることではございません。もし、イタミ様のお怒りが収まらず、この街を攻め滅ぼすと申されるようでしたら、我ら一同みなイタミ様にご協力申し上げる所存。ただ、ただ、フォルマル家のミュイ様に対してはだけはそのお怒りの矛先を向けられることなきよう、伏してお願い申し上げます」
さらに深々と頭を下げられると、伊丹としても心配するなと告げるしかなかった。と同時に、この家の者が帝国の皇女だの、帝国だのに忠誠心を抱いているわけでは無いことを知った。ここにいるメイド達の忠誠心は、あくまでもミュイに対するものであり、主人に対して不利益であると判断すればピニャを背中から刺すことだってあり得るのだ。そして、それは伊丹とて例外ではないだろう。
メイド長やメイド達が伊丹に頭を垂れるのは、あくまでもフォルマル伯家の利益を図るためなのだ。それを知らずに調子に乗れば、えらい目にあうだろう。
伊丹が水を頼んだメイドが、コップを伊丹へと差し出した。
寝たままでは飲みづらいので、伊丹が身体を起こそうとすると、猫耳メガネのメイドが手を出して身体を起こすのを手伝ってくれる。全身が打撲と筋肉痛で辛いので、とても助かった。
「イタミ様。モーム、アウレア、ペルシア、マミーナの4名をイタミ様専属と致します。どうぞ心やすく、何事であってもご命じ下さい」
水を運んでくれたメイド…これはヒトのようだ。そして長身の猫耳メガネのメイド、そしてその後ろのウサ耳と、外見的にはヒトっぽく見えるが緋色の長い髪が妙に太くて無数の蛇みたいになっている少女…と言う2人と併せて4名が伊丹に跪いて、頭を垂れた。
「ご主人様、宜しくお願い申し上げます」
愛らしい少女・女性達に声をそろえて言われると、なんとも言えない気分になってしまう。調子に乗ったらまずいだろうと思いつつも、ちょっとは調子に乗ってもいいんじゃないかなぁ、と思わずにいられない伊丹であった。
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さて、少し時間を巻き戻して、夕刻のイタリカ。
その城市の外に、隊長を捕虜とされた第三偵察隊の面々が、大地に伏せ隠蔽し、暗くなるのをじっと待ちかまえていた。
「隊長、今頃死んでるんじゃない?」
双眼鏡で街の様子を監視しつつ、栗林がぼやいた。捕虜になった伊丹が女性騎士連中にこづかれ、追い立てられ、走らされていたのを遠くから見ていたのだ。彼女の口振りにはどこか願望めいた響きもあった。
栗林はよく知りもしない癖に「オタク傾向あり」と言うだけで「キモオタ死ね」と、脊椎反射反応を示すタイプである。もちろん、ホントに死んで欲しいと願っての「死ね」ではない。目の前で伊丹が殺されそうになれば、きっと助けるし積極的に後ろから頭に照準を合わせようとも思わない。ただ、深く考えることなくそう言っているだけなのだ。伊丹に「脳筋爆乳馬鹿女」と言われる所以だ。
そのことをわかってる富田二曹は「あの程度なら、大丈夫だろ?」と、顔にドーランを塗りつつ答えた。
傍らで時が来るのを待っているレレイやテュカも、ロゥリイでさえも、頬や鼻筋、額と言った光があたったときに反射する部位に、栗林の手によって緑や茶色の化粧が施されていた。まぁ、着ている衣装はいつもと替わらないが。
「あれでもレンジャー持ちだぜ」
「誰が?」
「だから伊丹二尉」
「うそ」
「いや、本当」
「冗談?」
「マジ」
「そのマジ、ありえない~勘弁してよ~」
レンジャー徽章にあこがれをもっている栗林は、この瞬間、自分の気持ちがなんだか汚されたような気がした。
日本語による会話がまだ十分に理解できていないテュカとロゥリイはきょとんと聞いているだけであったが、かなりのレベルで理解できるようになっているレレイは持ち前の好奇心を発露して栗林に、イタミがレンジャーとやらを持っていてはいけないのかと、質問した。
困る栗林。苦笑しつつ「伊丹隊長の、キャラじゃないのよねぇ」と呟くのだった。そして、鋼にも比肩されるほどの強靱な精神、過酷な環境にも耐え抜いて任務を遂行するという美化率240パーセントのレンジャー像を語って聞かせた。
これには、無表情冷静キャラのレレイもわずかに頬をほころばせる。どっちかというとスライム並に軟らかい(故に、砕くことも断ち切ることも不可能)精神と、過酷な環境は可能な限り避けまくり、なんとなく任務を済ませてお茶を濁すという、美化すれば『余裕のある』、普通に評すれば『不真面目』な人物像を、伊丹に対して抱いていたからだ。
もちろん、レレイ達に関わるようになった第三偵察隊が、コダ村の避難民達を救い、炎龍を撃退し、避難民の住処をつくり、イタリカに襲った盗賊を撃退しているのもその眼で見ている。だが、それはあくまでも第三偵察隊全体、あるいは自衛隊の行ったことだ。
事実、レレイが通訳して聞かせたことで、ロゥリィもテュカも、ころころと笑った。栗林の語るような精強なイメージは、桑原や富田、女性としては栗林にこそふさわしく、暇さえあれば…暇がなければ無理矢理つくって本(実際には漫画)を読み入っているのが、伊丹には似つかわしいのだ。
実際に、アルヌスはずれの森につくられた難民キャンプの、木陰のベンチで昼寝をしつつ本(実際にはコミケでなければ入手できないような同人誌)を読んでいる伊丹の姿を、彼女たちは何度も目撃している。
「さて、そろそろ行こうか?」
こんな風に、楽しく会話をしているうちに、あたりは夕闇に包まれていた。
「また徹夜かぁ…これって、絶対お肌によくなぃ」
とかなんとか言いながらも、昨晩の立ち回りで腰回りが大いに充実した感じになって、しかも肌がいい感じに艶々になっているのは、栗林とロゥリィの2人である。
こうして昨夜の激戦に引き続き、今宵は潜入救出ミッションとなったのである。
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…と、言ってもイタリカの警戒はザルを通り越して無警戒であった。
古くから居る警備兵は実戦の直後で気は抜けてるし、疲れてもいる。
その上、威張りくさった『騎士団』のお嬢様の集団が到着して「案内しろ」とか「宿舎はどこだ?」とか頭越しに指図する。厩舎に馬を運べ、飼い葉はこうしろああしろ…と実にやかましい。さらには顔も知らない歩兵達が、あとからあとからと到着して来るから、いちいち誰何するのも馬鹿らしくなってしまうのだ。
騎士団の兵士達も、知らない顔は地元の警備兵とか住民ぐらいにしか思わないから、見ず知らずの人間がふらっと入り込んでも、誰も気にしないと言う状態だった。
そんなわけで、ロゥリィやらテュカやらレレイは、堂々と開いていた城門をくぐり抜けることに成功してしまったのである。この3人なら、万が一見とがめられても、あれ?まだ街を出ていなかったのかな?…ぐらいにしか思われない。
「顔にペイントを施す必要なんてなかったわねぇ」
などとテュカは呟きつつも、城壁を上がって見張りの兵隊の耳に、精霊魔法『眠りの精の歌声』を注ぎ込んで、朝までぐっすりと眠らせる。
で、外に合図をすると栗林や富田、倉田、勝本といった面々が昇ってくると言う算段であった。
夜の街は静かになっていて人の気配もなく、富田達は誰に見とがめられることもなく、あっけないほどにフォルマル伯爵邸へと到着した。
さすがに、ここは警戒の兵が立っていたが、富田達にとってはどうということもない。 個人用暗視装置を使えば、暗闇の中でも誰かが居ることはすぐにわかる。巡回警備が通り過ぎてから、静かに野分け草分け進めばよいのだ。
こうして建物までたどり着くと、富田は鎧戸(幅の狭い薄板〈しころ板と言う〉を一定の間隔で平行に取りつけた扉)のおりた窓の一つを選んで、しころ板の一枚をそっと破壊した。
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「ご主人様、宜しくお願い申し上げます」
と、下げられた4つの頭。その一つから伸びるウサ耳がピクッと立った。
その耳の挙動たるやまさしく、警戒する兎のごとしである。ついで、メガネ少女のネコ耳も小刻みに動いている。
「マミーナ、どうしました?」
老メイド長の冷厳に視線に、マミーナと呼ばれたウサ耳娘が告げる。
「階下にてしころ板の折れる音がいたしました。どうやら、何者かが鎧戸をこじあけようとしています」
ウサ耳メイドといっても、彼女の発する雰囲気は暗殺者のそれであった。猫耳メガネメイドの瞳も、剣呑に輝きはじめ愛玩猫というよりは、豹のような雰囲気になる。
「この街の者であれば、お屋敷に不法に立ち入ってどのようなことになるか知らぬはずもなく、ピニャ様の騎士団の者であれば正面玄関から入ればよく、あえて不調法なことをする必要もない。盗賊は滅したばかり……おそらくイタミ様の手の者であろう」
老メイド長はそう断じると、「ペルシア、マミーナ。2人でイタミ様のご配下をこちらまで案内してきなさい」と指示した。
「もし、他の者であったら?」
「いつもの通りです」
「かしこまりました」
ネコ耳娘とウサ耳娘が立ち上がった。その敏捷な挙動は、野生の肉食動物を思わせるが、ふたりは音もなく部屋から出ていた。
伊丹はオタク的好奇心から、老メイド長に尋ねることにした。
「あの2人は、どういうメイドさんですか?種族とか…」
「マミーナは、ボーパルバニー(首刎ウサギ)、ペルシアはキャットピーブルでございます。こちらに控えるアウレアはシャ○ブロウ。モームはヒトです」
「はぁ、随分とたくさんの種族がいるのですね。こうして多種族が一緒の職場で働くということは当たり前なのですか?」
「いいえ、滅多にないことでございます。先代のお屋形様は開明的な方で、種族間におこる摩擦の殆どは貧困によるという信念を抱いておいででした。その為にヒト以外の者を積極的に雇い入れるようにされていたのです…まぁ、…………『ご趣味』と言うこともおありでしたが」
「なかなか親しみの持てそうな方ですね」
「イタミさま、センダイさまにニたニオイ、アル」
アウレアが、伊丹に向けてウニョウニョと長い緋色の髪を伸ばそうとするのを、モームが横からピシャ!と、つっこみを入れるかのごとくはたき落とした。
「アイタタ」
「ご主人様への、失礼は許しませんよ」
「ハイ」
アウレアが、餌を取り上げられた子猫のような表情をしたために、哀れみを誘うが、老メイド長から、シャン○ロウは吸精種でこの髪で他者の『精気』を吸い取る。十分に躾はしてあるが、時に本能に負けそうになるので「ご注意を」と言われてしまった。
ほどなくして、部屋の戸が開く。
すると、マミーナとペルシアに案内された、栗林や富田、倉田、勝本、ロゥリィ、レレイ、テュカらが姿を現した。
ロゥリィの姿を見るや、老メイド長やメイド達は「まぁ!聖下御自ら脚をお運びいただけるとは…」と彼女の周囲に集まった。
敬虔な信徒達が跪礼して祝福を求めると、ロゥリィも軟らかな表情になって静かに掌を向けた。イメージとしては掌から温かい気だか光線だかが出て、信徒達がそれを浴びて喜んでいるという雰囲気だろうか?
とは言っても、死と断罪と狂気、そして戦いの神、エムロイの信者ってどんなものなんだろうとも思ってしまう伊丹である。まあ、世にはサリン殺人インチキ死刑囚への信仰を後生大事にしている連中もいるのだから、それにくらべたらはるかにマシなのかも知れない。
厳粛な雰囲気の漂うなか、倉田は場を壊さないように静かに伊丹のベットの傍らまで来ると、「随分と羨ましい待遇のようですね、二尉」などとひそひそ語る。
倉田がケモナーでもあることを知る伊丹としては「どうだ、羨ましいか?」である。まぁ、伊丹自身にはケモノ属性もメイド属性もないので、そういうのが趣味の奴を喜ばせてやるほうが楽しい。
「よし、あとでお前に紹介してやろう」
そう告げる伊丹であった。