[1507] 自衛隊 彼の地にて、斯く戦えり /正式版 68
Name: とどく=たくさん◆20b68893 E-MAIL ID:5eba37fb
Date: 2009/05/05 20:19
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帝都からアルヌスに戻って来たピニャは、チヌークの窓から外界を見下ろした途端、呻き声をあげた。
「いったい、何があったと言うのだ」
機体前部、コクピットから漏れ聞こえるパイロット達の声も、緊急事態が起きていることを感じさせる慌ただしさの響きがあった。
「どうした?!」
「いくら呼び出しても、応答がありません」
「そんな馬鹿なことがあるかっ!返事があるまで呼び続けろ」
それでも着陸態勢に入っている機体は、ゆっくりと上空を旋回しながら高度が下げている。見えるのは見事なまでに六芒星の形状に構築された要害。だが、その各所から煙が上がり、丘の麓へと続く街は何かの大災害にあったかと見まごうほどに破壊され瓦礫の山と化していた。立ち上った黒い煙が、ヘリの視界すら遮ろうとする。
煙の滞留する層を破って充分に高度が下がると、そこかしこに死体が散らばっていることに気づくことができる。
その殆どが、何処の所属とも解らない鎧を纏った兵士達のものだった。アルヌス生活者協同組合の雇っていた警備兵とも思えるが、それにしてもいささか数が多い。
「殿下、これは盗賊でしょうか?」
ハミルトンの言葉に、ピニャは頷けなかった。
いくら撤収中で戦力が激減していたと言っても、自衛隊の守りは鉄の如き堅さがあった。それを盗賊風情に破られるとは到底思えなかったからだ。
だが、盗賊でないとしたら何者の仕業だろうか?それよりボーゼス達は無事か?帝国の使節団はどうなった?等々と、ピニャの頭脳は、心を配らなくてはならない事項のあまりの多さに、あっと言う間に飽和状態に陥ってしまった。
そんな彼女の頭も、突然の振動で激しく揺さぶられ強引に現実へと引き戻される。
「回避っ!!」
パイロットの怒声が轟いている。
上方へと突き上げられたかと思うと、突如として落下する感触で、我に返った。
ハミルトンが悲鳴あげながら椅子から投げ出されて床に座り込み、ピニャもシートにしがみつきながら、「どうした?!何事かっ!」と叫んだ。
「こ、攻撃を受けてますっ!」
ピニャの問いに答えようとしたわけではないのだろうが、副操縦士の声が響く。
機体の外板に何かがぶつかって弾けるような音が続く。
パイロットの二人は懸命に機体を操り、打ち上げられてくる砲火を避けようとしていた。幸い大口径の対空火器ではなく、小銃弾ばかりであったため致命的な損傷もない。すぐさま墜落するような事態にはならないようである。
それでも不意に受けた攻撃に、パイロット達は明らかに冷静さを欠いて怒鳴りあっていた。
「どこから撃ってきてた!」
「アルヌスですっ!」
「馬鹿なっ!何かの間違いだろう。誤射だっ!」
「違います。敵ですっ!」
機長が副操縦士に怒鳴りながらも、機体を急速に旋回させて、大きく左右に揺すりながら進むという不規則な飛行を始めた。
「何処の敵だ、くそっ!少し離れたところに降ろすぞ。とにかく状況を確認するんだ!」
「了解っ!!」
波濤に揉まれる小舟のごとく揺れる機内で、ピニャとハミルトンは窓にしがみつくようにして外の様子を窺っていた。雨降りの空を見上げた時のように、アルヌスの要害から火箭が自分達に向かって降り注いで来るのが見える。だが天から降り注ぐ水滴と違って、これら一粒一粒が殺傷の威力を有した銃弾だ。
「殿下。あれをご覧下さい」
急速にアルヌスの丘から離れていく中、ハミルトンが指さした方向、アルヌスの丘の頂きには何本もの旗が翩翻とひるがえっている。
そこには、いつもなら日章旗と自衛隊の隊旗がたなびいていたはずである。だが今は青地に白い線で何かの意匠が描かれた旗と、紅地に黄色い星だの、陰陽図をモチーフにした旗があった。さらに、ピニャの目を惹いたのが紺色の生地に銀糸で帝国の紋章が記されているディアボの紋章旗であった。
「ま、さか……」
他の旗のことは知らないが、ピニャにとってディアボの紋章旗だけは見間違えようがないものである。あの旗が、アルヌスの頂きに掲げられていると言うことは、この惨状にディアボが関わっていると言うことを意味してしまう。
「あ、兄様はいったい何をやっているっ!!」
ピニャはこの時ばかりは、淑女の嗜みも気品も忘れた。沸き上がって来る怒りにまかせて、床をその足で思い切り踏みつけたのである。
アルヌスの街から少し離れた森の中。
ハイエルフの娘テュカがこれまで守り育てて来たその場所に、街の住民達や帝国の使節団、そして自衛官達が避難していた。
見れば、被害を受けているのは殆どが街の住民と帝国の使節団、ピニャの部下たる騎士団の面々である。多くの者が倒れて、迷彩の戦闘服姿の自衛官達から手当を受けていた。
だが、寝具なども無い状態では直接地面に横たわらざるを得ず、雑草や下草を敷布代わりに、そして枕には衣類を丸めた物を用いていた。
身体を冷やさないためなのか、草などを身体に積み上げてすっぽりと覆われている者もあった。
あちこちから「衛生!こっちに来てくれ。様子がおかしい」と手当を求める声があがって、典型的な野戦病院の有様となっている。
ただ、手当などと言っても満足な医薬品が無いこともあって、喉を潤す水を僅かに与えられるの関の山という有様である。外傷なども隊員個人に配られている圧力包帯を用いて、あるいはシャツを破るなどして止血し、また傷口を覆うという簡便な応急処置しかできない。
「んっ、シャンディー?」
ピニャは、横たわっている者の中に、肢体にたおやかな曲線をもつ少女の姿を見つけると、駆け寄って片膝をついた。見れば、額や腕などに包帯が巻かれている。どういう呪術的な意味があるのか不明だが、首には黒赤黄色の縞模様のついた札が下げられていた。その清楚そうな額は怪我をしたのか、血と泥で汚れている。
「殿下。ご無事でしたか……」
その女性騎士は弱ってこそいるものの、どうやら命には別状はないようであった。
「何があった?」とピニャの求めを受けて、シャンディーは暫しの間を置いた。並べる言葉や記憶を整理しようと試みているのだろう。やがて、ゆっくりと語り始めた。
「何が何やら、突然のことで、気がついたらこうなっていたとしか。夜襲があったのです。しかし自衛隊の守りはしっかりとしておりましたので私たちも安穏としていたのです。それが、いきなり『がす』とか言われても、何のことかわからなくて、突如、眠りの風の魔法を受けたかのように、次々とみんなが倒れだして。私も急に視界が暗くなり、気がついたらここに倒れておりました」
「被害は?ボーゼスとパナシュはどうしている?」
「?……お姉さま達は、昨日の夕刻には街を離れられましたので、災禍には遭われなかったはずです。使節団と騎士団の被害は、申し訳ありませんが把握できていません」
「そうか。わかった、今は休むがよい」
ピニャは、腰を上げるとさらに事情のわかりそうな者を求めて歩き始めた。
周囲には負傷者を看護する自衛官達が大勢立ち働いている。だが、親しく言葉を交わしたことがある者もおらず、知った顔を探すために、しばしの間負傷者や患者達の間を歩く必要があった。
あちこちに横たわる騎士団や使節団の顔を見つけては声を掛けて無事を確かめ、また知っている者の消息を問うという繰り返しで、被害が少なくないことを思い知らされてしまった。ここに連れてきていた騎士団の団員で健在な者はほとんどおらず、隊としての被害は壊滅的である。
そんな中で、助けを求める声に応える「はいっ」という返事に、ピニャは聞き覚えがあった。
「うん?お前、確かクロカワと言ったな……」
長身黒髪の女性自衛官が、足早に通り過ぎようとするのを捕まえるようにして声を掛けた。
黒川もピニャの姿に目を丸くして立ち止まった。
「殿下。ご無事だったのですね?」
「帝都に行っておったのでな。今、ヘリで戻ったところだ。ところで、何があった?」
「ガス攻撃です。それより、健在なチヌークがあるのですか?」
「ああ。丘に降りられないのでこの森近くに降りた。それよりガスとは何だ?」
「詳しくは、奥でお尋ね下さい。健在な幹部達が集まって仮の指揮所を開設してますから。……それと、誰か手の空いてる者、すぐにチヌークの所へ行って掌握してください。確保後に報告をお願いします!急いでっ!」
黒川二等陸曹の命令を受けて、約一個班程度の隊員が走り出した。
「衛生っ!何をやってる、早く来てくれっ!こっちの娘が呼吸が止まりそうだ」
背後からの切迫した声に黒川は、ピニャに軽く頭を下げると「人工呼吸を初めてください!」と、叫びながら行ってしまった。見れば、やはり騎士団の団員で15才の少女だ。ピニャも駆け寄って何かできることはないかと思ったが、てきぱきと動く黒川以上のことができる知識も能力もなく、黙って見ていることしかできない。
「マウス・トゥ・マウスはガスの被害者相手にはダメです。ニールセン法でやって!」
ピニャは、「殿下、参りましょう」とハミルトンに促されると背を向けた。
黒川の指さした方角に行けば、何が起きたのか事情を知ることが出来るだろうと。
すると森の若干開けた場所に自衛官や、騎士団の隊員達、帝国の使節団、そして街の住民達などが集まっているのが見えて来た。
立ち止まってあたりを見渡してみると、合同記者会見で見かけたような、テレビカメラを抱えた報道班の姿もあった。ただ撮影などはしておらず、ふて腐れたように座っていたり、眠っていたりしているだけである。
さらにぐるりと見渡すと、健軍一等陸佐と用賀二等陸佐の二人が地図を囲んで話し合っているのを見つけることが出来た。その周囲には、幹部達が頭を寄せ合っている。
「用賀。状況はどうなっていると思う?」
「若干推測を含みますが、よろしいですか?」
「ああ。かまわん、やってくれ」
「まず、ガスはアルヌスの中腹から散布されました。警報は出ていましたので、隊員達は速やかに『門』に向かって避難したはずです。特殊武器防護の装備が充分に行き渡らない以上、持ち場を守れ等という無茶な命令が出るはずありません」
「つまり、特地に残っているのは我々だけと言うことだな」
「はい、間一髪と言ったところでした。デリラさんの通報が遅れていたら、とんでもない被害が出たはずです。『門』を守るドームは隔壁さえ閉めてしまえば対爆撃は勿論、生物化学兵器の防御も可能です」
門を覆う全天型ドームが作られたのは、『特地』に人類に害を及ぼすような細菌やウィルスが発見された時、その流入を防ぐためである。当然、ガスの類の侵入も防ぐことが可能な性能が与えられている。しかも内部の気圧は若干高めに設定されていて、少々穴があいたくらいではガスや細菌等は侵入できない。
「問題は街の住民達です。ガス発生と襲撃の混乱でちりぢりになってしまって……」
「今、ここにどれぐらい集まっている?」
この質問には、宇治一等陸尉という別の幹部が答えた。
「自衛官239名で全員が健在。若干軽傷者がありますが、行動に問題ありません。収容できたアルヌスの住民154名。帝国文官と騎士団の方々が113名ですが、半数近くがトリアージタッグでイエロー。ブラックは見捨てざるを得ませんでした」
本来救命最優先に設定されるレッド(生命に関わる重篤な状態で一刻も早い処置が必要で救命の可能性があるもの)はほとんど居ない状態である。手当をする薬剤が無く手の施しようがないために、ただちにブラック(死亡、もしくは救命に現況以上の救命資機材・人員を必要とし救命不可能なもの )に分類されてしまうためだ。イエローは、今すぐに生命に関わる重篤な状態ではないが、早期に処置が必要なものとされている。
「だが、それにしても街の住民が少なくないか?俺の知ってる限りでも、600人近くはいたはずだぞ?」
「おそらく逃げてしまったか、近くに潜伏しているのでしょう。それでも無事ならいいんです。ガスの被害を受けて動けなくなっていたら可哀想です。周囲の捜索と負傷者の収容を急がせましょう」
「うむ。それで隊員達の様子は?」
会議に参加している『おやっさん』こと桑原が手を挙げて答える。陸曹という現場の隊員と直接触れ合い指揮する者の代表者が最先任陸曹長なのだ。
「全員意気軒昂。負傷者救出の仕事に邁進してます。ですが、目標がない状態では中長期的には士気は低下するでしょう。補給、休養、糧食……早めに今後の方針を通達したいところです」
「敵の様子は?」
再び用賀が答えた。
「監視班の報告では、連中はアルヌスに入ってからずっと立て籠もったままです。斥候すら出して来る様子はないですね。数も、アメリカ、フランスが引き上げてましたから全部で120名前後。我が方の遺棄した64小銃等を鹵獲して武装しています。ですが、東京側とこちら側の内外から挟まれてます。連中も、守備を固めるので精一杯と見て良いでしょう」
「だが、特地の現地兵が1000くらい居ただろう。無視できない戦力だぞ」
用賀はこの質問には肩を竦めて見せた。
「それはどうですかね。連中、ガスに巻き込まれてバタバタ落馬したり、倒れたりしてましたから戦力になっているかどうか」
そこいらに転がっている死体も、街の住民達より襲撃してきた兵士の方が圧倒的に多いのだ。おそらく此処の守りの堅さも、ガスを用いる攻撃をすると言うことも教えてもらえず、ただ棄て駒としてかき集められ、実際に使い捨てられたのだろう。
「そう言えば、ガスの種類はなんだ?」
医官のひとりが答えた。
「呼吸困難、筋硬直等の患者の状態から見て、オピオイド系と思われます。サリンなどの神経ガスにしては、被害が少なすぎます」
「すると無力化ガスかな?」
「かも知れません。変なガスを使ったら、占領した側も汚染を逃れられませんから」
サリンなどの神経ガスは速やかに拡散分解されて無害になりやすいと言われているが、それでも危険性はゼロではない。事実、かつての地下鉄サリン事件の時は、救護に当たった医療関係者が被害者に付着していたガスに曝露してしまい健康被害を受けている。充分な徐染装備を持たない以上、致死性の高いガスは使えないのだ。もちろん、無力化ガスにも致死性はある。ただ、神経ガスよりは致死性が低い。
ピニャが姿を現したのはそんな会議の最中であった。周囲にいた騎士団や帝国の役人達が喜色に富んだ声で彼女の名前を呼び始める。
「おおっ殿下!?ご無事でしたか」
「ピニャ様」
だが、健軍や用賀が彼女に向ける視線は険しい。
「ピニャ殿下。ご無事で何よりと申し上げたいところですが、あの敵についてご存じのことがありましたらご説明を賜りたい」
健軍は言葉こそ慇懃だが、その声には非難の響きがあった。
多分、ディアボの紋章旗のことだろうとピニャは受け止めた。しかし彼女にも、知らないとしか答えようがなかった。ゾルザルの反乱の際、皇子ディアボは亡命するといって帝都から逃れた。それが、どう言う事かこんなことになってる。こっちの方が説明を受けたいくらいだと、逆切れに近い勢いでピニャは愚痴った。
健軍と、用賀は互いの顔を見合わせると、傍らに座り込んでいたデリラの方へと視線を向けた。
「え、あ、あたいが説明するの?」
「時系列的に、貴女から説明した方が解りやすそうです」
用賀二佐に言われて、デリラは「えっと……」と慌てた。
まず、雁字搦めに縛られて芋虫のごとく転がっている料理長を、引きずって前に放り出す。
「こいつが、敵と通じてやがったのさ」
デリラは、いかにも申し訳なさそうな態度で見聞きした内容の説明を始めた。
ガスの引き渡しの現場を見てしまったテューレが敵に捕まり、その現場を『たまたま目撃した』デリラが救出。しかし致命傷を受けていた彼女は助からず、いまわの際に残した言葉が「ディアボと敵が組んで、何かを企てている」というものだった。デリラはこれを自衛隊に通報したのだが、ディアボ率いる軍勢が警戒線に接触したのと、ほぼ同時になって混乱が生じてしまい非戦闘員にまでは警報が伝わらなかったのである。
自衛官はガスに対処する訓練を受けている。「状況ガスっ!」と叫びあって、装備を持つ物は防毒面を装着し、持たない物は指示に従って一斉に待避できた。だが、何が起きているのか解らない非戦闘員や、騎士団と使節団等は無警戒なままガスを浴びてしまったのである。
「あたいも、あの丸太がここまで危ない代物だと知ってたら、もうちょっと急ぎようがあったんだ……」
「仕方ないですよ。敵も露見を畏れて攻撃を早めたんでしょうから」
用賀に慰められたデリラだが、申し訳なさそうな様子は改まらなかった。やはり、もう少し急げば自衛隊の被害ばかりか、アルヌスの住民達も災禍から守れたという気持があったからだ。
幸いなことは鹵獲された武器が個人装備程度で、重火器の類は全て撤収済み、あるいは破壊が間に合ったことなどだろう。そのため敵も丘の頂上付近を占領して、守りを固めるくらいしかできない。
「でも、なぜこの男が?」
ピニャの問いによって、周囲の視線は縛られている料理長へと集まった。すると料理長は盛んに言い立てる。
「俺だって、こんな事が起こるなんて思っても見なかったんだよ!俺は、俺たちの生活を守りたかったから彼奴等に協力しただけなんだよっ。それの、何が悪いって言うんだっ!」
「その結果、みんなが犠牲になったニャ」
PXの猫耳娘メイヤと、食堂の狐耳娘ドーラの二人が料理長の頭に、その尖った爪をめり込ませた。
「だから、知らなかったんだっ!俺はよかれと思って」
咽を涸らして叫ぶ料理長の声は、金切り声にも似た響きがあった。
「その結果が、これかニャ?」
「なんだよっ、お前達だって不満に思ってたじゃないかっ!幹部連中に腹を立ててたじゃないか。なぁ、お前も言ってただろ?お前だって、お前も、そこのお前も不満を言ってただろっ!だから俺はっ」
「それで、敵の手引きをしたって言うのかよ!」
料理長を取り囲む皆から非難の大合唱が始まる。負けじと料理長も声を張り上げるが、多人数を相手に声量で敵うはずもなく、その声も皆の耳には入らない。なんとか近くにいた主立った者の耳に届くだけであった。
「だから、敵だなんて思わなかったんだ。信用できるって思ったんだよっ!」
用賀は醜態を見せる料理長の姿に、嘆息しつつこう論評する。
「後々になって愚作と非難される行為も、それを始める時の動機は立派なものだったとカエサルは言ったそうですが……誰を信じるか、誰を支持するか、それを決める時には、その結果起きることの責任も負わなくてはならないと言うことを、是非忘れないで欲しいものです。知らなかった、わからなかったという言い訳は通じません。だいたい人間、困っている時とかに支援してくれたり、耳心地の良いことを言う相手にすがったりするものですが、そんな相手には大抵は下心があるってこと、わかりそうなもんなんですけどね」
「そんなの当たり前のことニャ。泣いてたり困ったりしてる時に、ことさら優しく言い寄って来る男がいたら、注意するのは当たり前のことニャ。優しくしてくれたからって心を許してたら、酷い目にあうニャ」
メイヤの言い様は実に女性らしいものだったが、それだけにピニャには解りやすかった。
こうした真理が解らない者が、自分は知らなかった騙されただけなんだと言い訳しながら周囲を巻き込んで自滅していくのである。どうせ滅ぶなら、自分だけで滅んで欲しいところである。
そして、その理屈はディアボにも当てはまる。
ディアボは、皇位継承の争いで優位を得るために第三の勢力と結ぼうとしたのだろう。そして、その立場と名前をこの世界での軍事行動の名分として利用されたのだ。帝国を守るという意味でも、それははっきり言って大迷惑である。
「ケングン殿。まず、申し述べておきたいのは兄様のことを妾は全く知らなかったと言うことだ。この度の事態と、帝国は無関係である。これだけははっきりとさせておきたい」
「では、貴女の兄の個人的な振る舞いだということですね?」
「そうだ。その上で逆に訊ねたいのだが、貴公はこの後どうされる?」
「被災者の救助と収容。それが何よりも優先されます」
「妾が申しているのはその後だ」
「その後?」
「そうだ。妾の存念から述べさせて貰おう。断固として、アルヌスの丘を攻めて奪回すべきだ」
健軍は、ピニャのこの言葉に片眉を上げた。それは帝国内のお家騒動に自分達を巻き込もうとする気配を、迷惑に思っての態度だった。
「それは貴女の兄君を取り除けということですか?」
「それもある。だが最大の理由は部下の救命だ。先ほどから見て回ったが、医薬品も設備も充分にない様子。日本ならば治療が出来るのだろう?それに門を閉めるのにも邪魔だ。妾としては、門を閉めることを急ぎたい」
「何故です?」
「日本の選挙が近いからだ。選挙の結果如何では、門を開けたままにしておくという者が日本の政権をとるかもしれない。この世界の安寧のために、それだけは受け容れられない」
「アルヌスの奪回はもとより望むところです。治療薬も入手したいですし、被害者の後送もしたい。門の安定化計画も既に命令が出てますから、閉めることも吝かではないのですが……」
健軍の言葉は重い。用賀が健軍に代わって口を開いた。
「問題は、敵が国連旗を掲げていることです」
「あんなもの、偽物にきまってます!」と宇治一等陸尉が背後から叫んだ。
「それを我々が勝手に判断することは許されません。これは高度に政治的な問題です」
「だが、どうやって政府の判断を仰ぐんっすか?あそこを占領されてから、連絡は完全に遮断されてるんすよ」
幹部自衛官達が口々に言い始めた。その中で最も多かったかのがやられっぱなしにしておくのかと言う感情的なものである。
「連中は、俺たちの反撃を封じるために、勝手に国連旗を使ってるだけっすよ」
「常識で考えてみてください。連中はディアボとか言う奴の旗を掲げてる。なのにその隣にどうして国連旗が掲げられるんですか?変ですよ。連中をぶん殴って銀座への道をあけましょう。そうすれば、被災者を病院に運んでやれます」
健軍は震える拳で自分の膝を叩いた。
「そんなことは俺も解ってるんだ。だが、そうだとしてもダメだ。我々現場が勝手に判断することは許されない。それが文民統制と言うものなのだ。それは偽物だから、やっちまえって言う命令が来ない限り、俺たちは耐えなければならない」
そう言い切る健軍に自衛官達は詰め寄った。
「じゃぁ、折角助けたみんなが、手の施しようもなく死んで行くのを黙って見てろって言うんですか?せめて薬だけでもなんとかしないと」
「化学兵器なんぞ使う連中ですよ。やっちゃいましょう。正当防衛で通りますって」
だが、それは用賀が否定する。
今、まさに攻撃を受けている場面なら反撃のために銃を向け、戦うことは許されるだろう。だが、既に丘は落とされ我々はこの麓の森に避難している。丘を取り戻すために、戦うのは正当防衛とは言わない。殴られたからと言って、殴り返しに行くのはただの喧嘩だと用賀は言って聞かせた。
「くそっ」
自衛官達は土を蹴り、拳で樹木を殴りつけるなどして怒りと口惜しさをぶつけた。
「薬はなんとかなります」
その時、あたりを包む重々しい空気を黒川の声が払いのけた。
医官が「どういうことだ?麻薬拮抗剤あるのか?」と黒川に迫る。
「はい。帝都事務所では、住民宣撫事業で診療所を開いてました。その時、薬物中毒者が結構多かったので購入していたはずなんです」
悪所で娼婦をしていた翼人ミザリィなども薬物のキセルを常時くゆらせていたくらいである。阿片窟のような場所で過剰摂取を起こして運び込まれて来る者が何十名もあったため、麻薬拮抗剤が常備されていた。これは、麻薬由来の成分を用いた無力化ガス被曝の治療に、ある程度の効果が期待できるのだ。
「そうだったのか。で、それ今、どこにある?」
医官の問いに黒川は帝都と、帝都との中間地点の中継補給処、そしてアルヌスの診療施設の薬物倉庫の三カ所にあるはずだと答えた。
「診療施設か……忍び込んで取って来るか」
健軍達はそんなことを呟きながら、敵のものとなった要害へと視線を巡らせていた。
「ピニャ殿下、そう言うことです。我々は、丘の奪回をしている余裕がありません。本格的な行動を始めるには、本国との連絡が取れるまで待たなくてはならないでしょう。ただ、みなさんの治療は目処が立ちそうです。ご安心下さい」
結局のところ健軍からの回答は、ピニャの意に反したものとなった。
しかし、部下の救命を一番の理由とした以上、危険を伴う軍事行動を求め続けることも出来ず、ピニャとしては失望の表情を、偽りの笑みで隠し、健軍に感謝の言葉を述べることしか出来なかったのである。
自衛隊は動かない。
帝国も頼ることが出来なかった。
そして、子飼いの騎士団も壊滅状態で使えない。ピニャには、もう打つ手が無いかのように思われた。
だが、座して状況の好転を待つと言うことはピニャには出来なかった。時というものは、良いものを連れて来ることもあるが、悪いものを連れて来ることもあるからだ。頼るべきは、己の力量ただ1つである。
なんとか戦力をかき集めて、ディアボとそれと結んだ敵をアルヌスから排除して、門を閉じる。閉じなくてはならない。それだけが今の、ピニャの思考となっている。
どうやって行うか。どうしたらいいかとそればかりを考えている。疲労してやつれはてていると言うのに瞳だけは爛々と輝いている。何か、精神にある種の失調を来したとも思えてくる様相だ。
門の閉鎖にこだわり続けるピニャの姿に、つきあいの長いハミルトンも若干の戸惑いを感じていた。彼女らしい余裕というかたおやかさが失われ、鬼気迫る様子は、何かに取り憑かれているような気配すら感じてくるのだ。
だが、それも仕方のないことだと思う。
ピニャを突き動かす心の根底にあるもの、それは不安と恐怖に行き着く。
ピニャはこの門の向こう側から来た連中と関わってから、常に不安と恐怖の殴打を受け続けて来たのだ。
イタリカで、盗賊達を一気にたたきのめした殺戮の嵐を、目の当たりにした。
目の前に降臨した化け物とも言える軍団。
それと、どうにか交渉をまとめて、やっとお引き取り願ったと思ったら、全てをぶち壊しにするボーゼスの失態。物陰に身をひそめて、化け物をやり過ごしたと思ってホッと一息ついたら、いつの間にか背後に回り込まれていたと気づいた時のような恐怖だったことをハミルトンも憶えている。
あれは、相手がお人好しだったからやり過ごせたのである。そうでなければどうなっていたかと思う。それでもなんとか交渉に持ちこまなければと日本に渡り、その途轍もない技術と力を目の当たりにして、帝国の非力さを思い知る。そして帝国がどうなってしまうかという心配が始まった
その後の仲介工作。元老院議員達の頑迷さに、ほとほと疲れ果てて、それでもなんとか交渉にとりかかり、どうにかまとめようとしたところで、ゾルザルが拉致していた日本人を殺してしまうと言う暴挙を起こす。
この頃からだ。ピニャが、ほとんど眠れなくなったのは。
眠れたとしても極僅かであり、何かに魘されるようにして飛び起きていたのを秘書役を兼ねていたハミルトンは知っていた。
その果てに、行き着いたのがゾルザルの反乱と鎮圧。なんとか兄の命だけは救おうとしていたが結局は兄を失うに至って、ピニャは自分に向けて押し寄せて来る不安と恐怖の根源が『門』にあると見てしまったのだ。
「もう嫌だ。なんで妾ばっかりこんな思いをしなければならぬのか……誰か、助けてたもれ」
そんな泣き声がピニャの寝台から聞こえて来たことも何度となくあった。
もし、誰かがピニャを支えていたら。不安に駆られる彼女を抱き留める者がいたら、ピニャとてこのような妄執に囚われることはなかっただろう。だが「大丈夫。大丈夫だから、まかせて」と彼女の耳に囁いてくれるような者は、現れなかったのである。
不安と恐怖。眠れぬ日々。こんなことの積み重ねが、ピニャに門を閉じ、二度と開かさないことを決意させたのである。
もちろん、ピニャの真意を知る者はハミルトンを含めた側近のごく一部だけである。ピニャとて解っているのだ、自分が何をしようとしているのか。それでも、彼女にはそれ以外にとるべき道はなくなっていた。そして、その本心を押し隠して、「世界のために門を閉じよう」と、こだわるから周囲に疑念を抱かれることになる。
傍目にも憔悴しきっている皇女の姿は実に痛々しげだ。そんなピニャは突如何かを思いついたように顔を上げた。
「ハミルトン。こうなったら義勇の兵を集めよう。各地に檄文を送れ」
「殿下。義勇の兵など集まりません」
「何故だ?世界を守るためなのだぞ。門の危険を説いて、敵を討てと叫べば、心ある者はきっと集まってくれよう」
ハミルトンは首を振った。
「殿下のお名前では無理でしょう。いえ、これが、陛下でも無理でしょう。庶民に義勇の心を奮い立たせるのは地位ではなく声望と言われています。ましてや我が国は、連合諸王国軍を集めてそれを無為に敗亡させてしまいました」
「では、いったい誰なら集められる?」
「誰もが納得するような偉業なしとげた大英雄ならば、あるいは。しかしそのような者はどこにも……どこにも…………あれっ?」
「大英雄か?確か、どこかに居たような気がするが」
「……………ええ、そうなんですが思い出せません」
「誰もがその偉業を認める、だいえいゆう」
ピニャはその傷んだか紅髪を掻きむしりながら、後少しで出て来ると、うろうろ歩いた。そて、何周か歩いた果てに……。
「あっ」
「………アレですか?」
ハミルトンとピニャは互いに顔を見合った。
双方共に、同じ人物の顔を思い浮かべたと理解したからである。だがしかし、二人ともその人物の素顔を知っているだけに、果たしてあれを大英雄と言っていいかと戸惑ってしまったのである。
* *
その頃。
伊丹は、テュカとロゥリィの二人を連れて、アルヌスの周辺や街を歩いていた。レレイを探すためである。
焼け崩れた建物の下を覗き込み、穴や溝を見つければその底まで降りてみる。木の影、岩の間、ちょっとした死角に紛れていないかと何度も何度も繰り返して覗き込みつづけていた。
「レレイの事だから大丈夫だと思うが……」
伊丹がそんな事を呟いて「それ、もう○○回目よ」とテュカが言い、さらにロゥリィが「あの娘が死ぬわけないでしょ」と返すやりとりをもう何度も何度も繰り返している。
「そりゃ、ロゥリィが言うんだから大丈夫なんだろうが」
戦いで死んだ者の魂はロゥリィを通じてエムロイに召されると言う。
要するに戦場で誰が死んだかはロゥリィには判るのだ、と伊丹は解釈している。
そのロゥリィが言うのだから生きているのは確かなのだろうが、姿が見えないと言うのはやはり不安であって、今頃どこかで倒れていないかとか、怪我して難渋してないかとか、何かに巻き込まれていないかと居ても立っても居られなくなって、探し歩いてしまうのである。
ところが見つかるのは、アルヌスの住民や騎士団女性とかばかり。勿論、息があれば見捨てたりしないで、その都度伊丹が抱き上げたり背負ったりして森と往復するということを続けていたのである。
そして陽もゆっくりと傾きかけた頃、ふと気づけば、他の自衛官達の姿は周囲になくなっていた。疲れも少し強めに感じている。考えてみれば休みも取らず、食事も摂らずに夜半から動き通しだった。捜索に後ろ髪はひかれるが流石に食事くらいは摂ろうと言うことで、3人は森に戻ることにしたのである。
森に戻れば捜索と救助がてら回収した食糧等がある。
ところがその途中で、「騎士団の者はいるか?」「帝国の使節の者!」と声を張り上げながら、近づいてくる白馬にまたがる女性騎士を見つけた。
「ボーゼスさん?」
「あ、い、伊丹殿」
ボーゼスは馬から下りると慌てふためいていることを感じさせる勢いで、伊丹に駆け寄り「いったい何があったのですか?」と、しがみつくようにして訊ねて来たのである。
「ヤオ。どうだ?」
伊丹の指示でヤオは森に残って、被災者の看護を手伝っていた。
レレイが戻って来たら行き違いにならないように、誰かを残すと言う意味もある。だが、ヤオは首を横に振ってレレイの消息等の情報がないことを示した。
一瞬、4人の間に空気が沈んだが、「落ち込んでいても意味がない。まだ、探してないところはあちこちにあるからな、飯を食ったらそこへ行ってみよう。案外、向こうもこっちを探してるかも」と伊丹が飄々とした口調で言ったものだから、皆に再び笑顔が戻る。
だが、ボーゼスは自分の部下達の状態にショックを受けたようで呆然としていた。
「罰があたったのかも」などと呟いている。
「ボーゼスさん。どうしました?」
「いいや。なんでもない」
「じゃぁ、食事を取りに行きましょう。人間空腹だとろくな事は考えないですからね」
伊丹達は、ボーゼスと共に、食糧の配給を受けるために歩き始めた。ところが、その途上でピニャが待ち構えていたように寄ってきた。
「伊丹殿。探していたぞ。おおっ、それにボーゼス。戻ったか?で、首尾はどうだ?」
「は……」ボーゼスは一瞬視線を伊丹に向けて「はい。なんとか無事に……ですが」
続けようとしたボーゼスの言葉にピニャは被せるようにして「よろしい。よくやってくれた。妾は伊丹殿に話がある故、下がって休むがよい」と、少しばかり声を強めに告げた。
「で、ですが」
「下がって休め」
ピニャは繰り返した。ハミルトンがボーゼスを窘めるように「殿下のお言葉ですよ」と囁くと、ボーゼスは首を振りながら引き下がる。
満足げに頷いたピニャは改めて伊丹に向かった。
「伊丹殿。お会いしたかった」
「ピニャ殿下は、確か帝都に帰っておられたのでは?」
「昼過ぎに帰って来た。妾もこのような事態になって驚いている。それより、伊丹殿に相談があるのでちょっと来てくれないか?」
ピニャは伊丹に笑顔を向けた。だが、伊丹は違和感を憶えた。
満面の笑顔なのに、声の響きが笑っていなかったからだ。それは些細な不協和で普通なら見過ごしてしまいそうな程の微弱なものであったが、伊丹は強い違和感としてそれを感じた。人間がそのような不協和を発する時は、様々な意味を持つことを体験的に知っていたからだ。そしてその体験のほとんどがロクなものではなかった。
「相談ですか?出来れば後にしてもらえませんか。ちょっと用がありまして」
食事を済ませて、再度レレイの捜索に戻りたいという気持も強い。それになんだか、ピニャから逃げたいなぁという焦燥感にも似た気持が湧いて来るのだ。だが、ピニャの細い手が伊丹の手首を素早く捕らえていた。
意外なまでに強い握力に伊丹はちょっとばかり怖じ気が走った。ピニャの眼光も尋常とは言えないような気がした。
「相談が、あるんだ。話を聞いて、欲しい」
「わ、わかりました」
伊丹は振り返ると、ロゥリィ達に先に行って自分の分の食料も確保して置いてくれと頼んだ。ロゥリィとテュカはそれに頷くと行ってしまう。
「で、何のご用で?」
伊丹はピニャとハミルトンに誘われるままに、人気のない森の奥まで進んだ。
「実は名前を貸して欲しい」
「借金の類とかは嫌ですよ」
「そのような下らないものではないから安心して欲しい。ただ、イタミヨウジの名前で檄文を発するだけだ」
「檄文?何の?」
「義勇の兵を集める」
「どうして?」
「門を閉じるためだ」
「あ~話が見えないんですが」
「見えなくても良い。理解など不要だ。ただ承諾してくれればよいのだ。そして妾に協力をして欲しい」
「と言われても、困るんですけどね。任務もあるし」
「伊丹殿、単刀直入に言おう」
ピニャはそう言うと、伊丹の耳元に口を寄せこう告げたのである。
「レレイの身柄は預かってる。無事に返して欲しければ言うことを聞け」
[1507] 自衛隊 彼の地にて、斯く戦えり /正式版 69
Name: とどく=たくさん◆20b68893 E-MAIL ID:5eba37fb
Date: 2009/05/19 20:24
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「レレイの身柄は預かってる。無事に返して欲しければ言うことを聞け」
この言葉を聞いた瞬間、伊丹の脳は瞬間的に沸騰した。
気がついたら、ピニャの胸ぐらを左手で衝いて押し倒し、倒れたピニャに9㎜拳銃を突きつけるという動作を、一挙動として行っていた。
ピニャは「きゃ」という悲鳴を小さく上げて尻餅をついた。
だが、乱暴に押し倒され銃口を突きつけられても、伊丹の瞳をじっと見据えたままであった。そればかりか、いたずらに成功した子供のように相好を崩し、こう告げたのである。
「くすっ……冗談だ」
「へ?」
さしもの伊丹も、凍り付かざるを得なかった。
呆然と言うか唖然と言うべきか、言われたことを、すぐに理解し納得することがどうしても出来なかったのである。気を取り直して、再び問い直す。
「い、今、なんて言った?」
突きつけられた銃口にピニャも、今になって漸く自分の身に危険を感じ始めたようである。その双眸に少しずつ恐怖の色が混じり始めて、表情も硬く引きつって来る。
「だから……その、じ、冗談だと」
「何が?」
「だから、レレイを返して欲しくば、とかだ。あ、名前を借りたいと言ったのは嘘ではないぞ」
伊丹は両手で保持した拳銃をピニャの鼻先へと向ける。
銃口から僅かに漂う硝煙のツンッとした臭いと、拳銃の硬質な感触がピニャに否応もなく死を意識させた。
「不利になって言い逃れようとしてるだけじゃないのか?」
伊丹の半長靴のつま先が、ピニャが手を伸ばせば届くところにこぼれ落ちている彼女の剣を蹴り飛ばした。
まるで訓練された兵士のように、眼光鋭く伊丹はピニャの武装を解除していく。もちろん伊丹は訓練を受けた自衛官だから、最低限としてこのくらいのことは出来るのであるが、日頃の彼を知るピニャには普段とのギャップがとても著しく感じられるのだ。
「言い逃れではないっ!」
「どうして、そう言える?」
「だって伊丹殿なら別に、きちんと説明すれば判ってくれるであろう!伊丹殿も冥王ハーディの預言を直接賜った一人のはず。門を閉める必要性は妾と同じく理解しておられるはずではないか?義勇兵を集める意義も理解できるはず。脅迫など必要ないのだろう」
「じゃ、なんであんな事を?」
するとピニャは視線を右、左と向けた後に俯くと、おずおずと上目遣いでこう言った。
「伊丹殿があまりにもレレイのことばかり気にしているので、つい嫉妬してしまったのだ。伊丹殿の気を惹きたかったのだ」
途端に、沸騰した怒りが抜けていく。まるで蓋の開けられた蒸気釜のように圧が急激に下がり、脱力感だけが残ってしまった。
伊丹は、がっくりと膝を着くと、深々とため息をつきながら銃を収めた。
そして、両手を大地について急激に重く感じるようになった上体を支えた。それは尻餅をついて座り込むピニャの下半身に、丁度覆い被さる形になるのだが、そんなことに気を配っているどころではなかったのである。
「頼みますよ。冗談がきつすぎる」
額に手を当てて呻く伊丹。だが、ピニャには悪びれた風は一切無い。
そればかりか、ぞくっとするほどの婀娜っぽい瞳を向け、拗ねるような口ぷりで言い張る。
「これもそれも伊丹殿が悪い」
「なんで俺が?」
「だって、そうであろ。他の女のことばかり気にして、目の前にいる妾のことなど目もくれなかったではないか」
「でも、言って良いことと悪いことがあるでしょう。危うく撃つところでしたよ」
虚脱の後を埋めるようにして、先ほどとは違う種類の怒りが伊丹の胸中に湧いて来た。するとピニャは、その怒りの籠もった視線を躱すかのようにそっぽを向く。
「そう、怒らないで欲しい」
「無理ですね」
「レレイは羨ましいな、こうまでも想われている。貴公はあの者を娶るのか?」
「別にそんなこと関係なしに心配するものでしょう。普通ですよ普通」
ピニャは、手を伸ばすと伊丹の肩に触れた。
「そうであろうか?伊丹殿の瞳に沸き上がった炎の凄まじさに、妾の魂は焼き尽くされてしまいそうだった。見よ、未だに歯の根は合わず、身体はこんなに震えておるぞ」
実際、伊丹を触れたピニャの指先は小刻みに震えていた。が、伊丹はその手を煩わしく感じて、払うように身を捩らせた。
「おお怖いっ!か弱い妾の心は、伊丹殿の怒りで焼き尽くされてしまいそうだな」
「しばらくは、不機嫌ですからね」
「どうすれば、許してもらえる?」
「さあ……」
伊丹にも自分のこの憤懣がどうしたら晴れるかはわからなかった。ただ、ピニャの言葉が手ひどい悪戯だったと言うことは認める気になった。ピニャにレレイを監禁して、脅迫する必要はない。門の件であれば、きちんと話してくれれば最終的には賛同できることだからだ。義勇兵の件だって、自分に煩わしい仕事が回ってこないなら、別に構わないと思う。
「この気持、なんだかとても懐かしい。ちょっと前、妾は伊丹殿の寛恕を請おうとあの手この手を画策していた。ボーゼスが伊丹殿を捕虜にして来た件だ。その時は、どうしようかと思っていた。伊丹殿の枕頭に侍る者を選抜したこともあるのだぞ」
「そうなんですか?」
それはなんともゾッとする話である。そう言う理由で近づいてくる女の子と遊んでも嬉しくないと思うからだ。それは、伊丹の嫌いな金銭尽く力尽くの内、力ずくに類する行為だからで、かえって不快になったと思う。
「だが、そうしなくて正解だったと今では思っている。だからこそあの時の伊丹殿は寛容だったのだろうしな」
伊丹は、ピニャがいつまでも手を延ばし続けている意味に思い当たって、細い手首を握ると、自分が立ち上がると共に彼女の上体をも起こそうと引っ張った。ただその際、苛立ちを現すかのように少しばかり乱暴になってしまう。勢い余ったピニャは、伊丹の胸に飛び込んだ。
ピニャは瞬き数回分、伊丹の腕の中に滞在していたが、両手で「えいっ」と押しがたいものを退けるようにして体を離した。
「その胸の中に抱かれるのは居心地が良さそうだが、伊丹殿は妾を可愛いとは想っておらぬのであろ?」
「ええ。確かに」
「そんな時に甘えて見せても、鬱陶しく思われるだけだ。だからもう少し関係が改善してからにする。怒りが晴れたら言ってくれ。その時はたっぷりと甘えさせて貰うからな」
「はいはい。そうして下さい」
どうせそんな時は来ないのだからと、伊丹は軽く言った。
「時に、先ほどの話はどうだろう?」
「はい?」
「檄文を伊丹殿の名で発することだ。必要性は理解してくれたのだろう?」
「そうは言っても、俺にはするべきことがありますからね」
「なぁに、伊丹殿に負担はかけぬよ。全部こちらでやるから安心されよ」
「なら良いんですけどね。でも、俺の名前なんかで効果があるんですか?」
これを承諾と受け取ったピニャは、答える必要性を感じないとばかりに服に付いた泥をパンパンと叩いて払い、帯剣を拾って鞘に収めた。
「緑の人の声望を知らぬは、本人ばかりとはな」などと呟きながら離れて行く。
そんなピニャの紅い髪が覆う背中に向けて「あ、そうだ」と伊丹は声を掛ける。
まるで予測していたのか、それとも声がかかるのを待っていたか、ピニャは立ち止まると、ゆっくりと振り返った。
「何か?」
「殿下。レレイの居場所を知っているなんてことは、ないですよね?」
ピニャは「ふふっ」と軽く微笑むと「先ほど、冗談だと言ったはずだが?」とその瞳を邪な歓びで輝かせたのである。
一方、日本ではアルヌス失陥が、大きく報道されていた。
その内容は、自衛隊の油断と政府の対応のまずさを大きく非難するものであり、選挙とからめて政府与党にとっては痛い失点として追求するものである。だが、実際の世論はマスコミの目論見通りには踊らなかった。
以前からその徴候はあったのである。
かつて、マスコミは大衆を踊らせる力をもっていた。センセーショナルに書き立て、大きく報道することで時の政権すら揺るがすことの出来る勢いを持っていた。だが最近の人々はテレビを見なくなった。新聞も信頼しなくなった。
笛や太鼓を派手に鳴らして、大衆が踊る姿を見て己の力を誇り悦に入っていたマスコミも、人々が次第に自分達の演奏に耳を傾けなくなり、踊りの輪から離れて行く様子に焦ったのである。
人々の関心をいかに惹き寄せるか。いかに人々を踊らせるか、ばかり考え、つまらない現実を過度に脚色し、時にそれを度を超す誇張を行った。だが、それをしてもなお人々の関心は離れていく。最後には、存在しない現実を作り上げ、やらせと捏造に手を染めてしまうようになってしまった。
それは売れなくなったアイドルが少しずつ色物として、そしてスキャンダル、最後にはヌードといった方法で生き残りを企てた古き時代のそれに酷似しているかも知れない。
何しろ、彼らからしてみれば生活がかかっているのだから、仕方のないことなのだ。人々の目を惹こうとしてキャスター、そしてコメンテーターはより攻撃的な言葉を用い、より声高に、より激しくヒステリックに揶揄し、詰り、罵った。だが、そうすればするほどに、人々の耳目は離れて行く。
人々には、理解できないのである。
酒に酩酊したアイドルが、破廉恥なことをしてしまった。逮捕は当然、謹慎も当然。とは言えそれを連日報道する必要性はあるのか、と。
もちろん報じられれば見てしまう。見てしまうが、だんだんと流される情報に意味など無いことに気づいてしまうのだ。
もう既に時代は変わりつつある。いや、すでに変わっていたのだ。
情報とはお茶の間にあるテレビから垂れ流されるのを、受動的に受け取るものではなくなっているのだ。人々は操作されるのを嫌い、自ら判断して行動したがる。だから、人々は単なるポータルサイトとしてマスコミを利用する。
つまり、「こんな出来事があった」という見出しである。興味のある出来事があれば、それをネットで検索して、様々な情報を多角的に受け容れることが出来るのだから。必要なら足を運び、資料を紐解くことが出来るのである。
マスコミに限らず、報じられる情報は常に加工されている。だが、様々な視点から書かれた複数の情報は、加工されていても一片の事実を浮き上がらせるのだ。誰かに操作されるのではなく、自分から事実を検証し、確かめていくことが出来る。
従って、事実の検証に役に立つ情報が尊ばれるようになった。
新聞紙面を通さない、記者からの生の情報としてのブログ。脚色がされてないダイレクトな情報。例えば「今のところ、これとこれとこれがソースです。判断はそちらにお任せします」と言う態度の情報提供こそが、喜ばれている。
こうなると殺人事件が起き容疑者が逮捕されても、人々は即断的な反応を示さなくなった。裁判員制度が始まったこともあるが、客観的な情報が出そろうまで「こいつを罰せ」的な反応は、児戯的なものとして忌避されるようになってしまったのである。
例えると、新聞やテレビはこのように情報を流す。
「某日未明 サラリーマンの男性が、刺されて死亡。警察はサラリーマンと口論していた若い男を容疑者として手配した」
しかし、未加工情報は次のようになる。
「某日未明 サラリーマンの男性が路上で刺されて死亡。目撃者Aの証言。サラリーマンが酒に酔った若い男性と口論をしている姿を見た。目撃者Bの証言。現場から不審な男が逃げ去った。以上の情報から、警察は若い男性を容疑者として、手配している」
この情報を見て、様々な人がネット上で論評するのだ。
「現段階では、目撃証言Aの若い男性と、Bの不審な男が同一人物だという証拠はない」
「いや。目撃証言AとBが同一人物であることは推測できる」
「でもさぁ、面通ししてみないと、判らないじゃない?」
「同じ人物だという思いこみが、目撃者に誤認させる畏れがある」
等々、と。
勿論、恣意的に発信者に都合の良い情報のみが開示され、都合の悪い情報は隠蔽されるということもある。だが、それは以前とて同じであった。故に、受け手はすでに織り込み済みである。しかも、情報の発信は誰でも出来る。隠蔽されようとする情報の内部告発や、これを地道に調査し掘り出す記者の専門性が、より一層重要視されるようになる。そして情報が様々な形で輻輳するが故に、両者の言い分が揃い、整理される裁判の傍聴記録はさらに重視されるようになるのだ。
こうして、事件はマスコミが関心を失い新聞が書かなくなったら終わる、という時代は過去のものとなったのである。
特地の問題では、マスコミがいくら無視しようとも、時間単位で次々に更新されていく『のりこ』のブログなどが未加工情報の供給源となった。
これからすればアルヌス失陥寸前に、ガス警報が発され、防護の装備を持たない隊員に、各種の症状が出たこと。ゾルザル軍と呼称する者の実態からすれば、大規模な被害を防いで速やかに退却できたことの方が奇跡的であること。取り残された自衛官達の安否が気遣われること、などが判る。
人々は、マスコミが声高に自衛隊を非難すればするほど、自分の感じ方とマスコミとの温度差に首を傾げるようになった。そして同じような疑問の視線を、マスコミに迎合して同じような論調で政府を非難する候補者へと向けるようになったのである。
そんな情勢の中で、与党でも野党でもない第3の勢力が台頭を始めた。
関西や九州において知事職を担い、圧倒的な力量で自治体の財政を立て直した実力と、知名度、そして支持率を背景に存在感を高めつつある彼らの主張は、言うなれば内政改革、外交保守とでも言うべき内容である。
歴史的に見れば類似した状況が存在する。
黒船来寇以来、勤王攘夷、開国佐幕という2派の国論で分けられ閉塞した状況が、勤王開国(天皇中心の政治に戻しつつも、国は開いて海外の進んだ技術を取り入れてこれを守る)とも言うべき第3の論によって打破され、全世界からチート扱いされる明治維新が成し遂げられたように、腐敗した体制を打破しつつも、日本という国の主張すべきところは断固として主張するという彼らの訴えは少しずつ人々に受け容れられ始めたのである。
日本政府は、今回の事件に対しては交渉の場を国連安全保障理事会へと移して、ディアボ軍を自称する武装集団による、アルヌスの不法占拠と毒ガス兵器使用を非難した。もちろんその指先は、武装集団の背後にいる国々を指しているのであり、両政府に武力行使の速やかなる中止と釈明を求め、特に化学兵器らしきものが用いられたことに対する強硬な抗議を行った。
だが、両国政府の回答は、「我が国の関知するところではない」と言うものであった。
「特地で起きているという出来事について我が政府は一切関わっていない。これは、帝国の皇位継承の争いでしかないように見受けられる。もし武装集団が日本政府に対する攻撃したとすれば、それは皇位の正統争いに不当に関与し、特地支配を強化しようとする日本に対する、特地人民の抵抗運動であろう。たまたま居合わせた我が国の青年達がこれに参加したのも、侵略と植民地支配の危機に瀕している現地人を見て義憤に耐えず、その義挙に共感したからと理解できる。また、化学兵器を使用したという非難については、日本政府の厳重な管理下にある特地に、我々がそのような物を持ちこめるはずがない。特地には魔法があると聞く。きっとそれによる攻撃と混同しているのではないか?」
まさに強弁であった。だが、これが通ってしまう……というよりも通されてしまうのが、国際外交なのだから開いた口が塞がらない。
国連大使からの報告を受けた内閣総理大臣麻田は、失望のため息と共に、安全保障理事国の首脳達に直接電話による交渉を続けた。だが、各国とも常識はずれの強弁であることは認めても、だからどうと言うアクションをとる様子はない。
これが現実である。国際社会における『発言』は、軍事にしろ、経済にしろ、様々な『力』を背景に行うものである。そして、その力がこちらの要求や発言を相手に受け容れさせるのだ。正しいとか、合理的とか、常識と言ったものは国民向けの副次的な物でしかない。何しろ「これが正しい」という価値観は星の数程あるのだから。
こうした事実は、外交問題にきちんと目を向けていれば自ずと見えて来る。そして理解できるはずである。「自分の考える正しさ」を実現させるには、それを裏打ちする力が常に必要なのだと。
当然ながら、麻田もこのことは重々承知していた。
経済以外の力を持ち得ない日本にとっては、外交だけが唯一の戦いであり、負け続けているかのように見える中、どこかで利益を拾っているという状況を作るしかないのである。
その1つが、「武装勢力と我が国とは関係がない」という言質を、捜索隊と自称する工作員集団を派遣した両国からとりつけることにあった。これによって武装集団は単なるテロリストと言う扱いが出来る。
問題は、諸外国からの介入をどう防ぐかであった。
『門』周辺を武装勢力に抑えられた今、内部と完全に連絡を断たれて何が起きているのか全く判らない。そして武装勢力は、内部には残された自衛官達を人質に取っていると称しており、これを害されたくなければ不当な介入を止めよと言って来ているのだ。言わば立て籠もり籠城犯なのである。
日本政府には、この真偽を確かめる術がない。人質の様子は?健康状態は?食糧等の差し入れは?と手を尽くして交渉の糸口を探っているのだが、彼らは何かを待ってるかのように、交渉を一切拒絶して詳細を全く知らそうとしないのだから。
戦車を先頭に押し立てて突入すれば、軽火器しか装備のない武装集団など排除するのは至極簡単である。だが、あと半月で選挙という時期に、強硬手段をとりたくはない。何しろ、成功して当たり前。人質に大損害が出れば、徹底的に非難されて、選挙でも大敗してしまう可能性が高いからだ。
この苦境に付け入るかのように、親切ごかしに「この武装勢力との仲介役を引き受けようか」などと言って来ている国もある。もちろん平和維持軍派遣の理由とするためだ。そしてそれを足がかりに、特地への介入ルートを確立しようという意図があることは明白なのである。さらにディアボを独立した勢力として維持させることで、帝国に対する影響力を拡げていくと言う意図も見えている。日本としては、これを許すわけにはいかない。
従って、あくまでもこれは日本の問題。他国の干渉は一切受け容れないという、一点だけは守らなくてはならなかった。
連日に渡る会議と水面下での駆け引きの果てに、国連安全保障理事会は日本国政府に対して帝国との講和条約が正式に発効するまで、事態の急変を引き起こしかねない門の閉鎖などを含めた武力行使を控えることを要求する議長声明を発表した。
講和条約が発効すれば、アルヌス周辺は日本の領土となるのだから、そうなれば武装勢力を排除する大義名分を得られる。その前に手を出そうとすると、帝国の権力争いに干渉する形になるから、それまでは待つこと。
これは、安全保障理事会に議席を持つ国々の様々な思惑の入り混ざったなかで、日本に好意的な国が落とし所として提示したものであった。日本も不承不承これを受け容れると言う形を取った。これによって外国からの不介入をなんとか勝ち取ったものの、選挙が終わり国会で講和条約の批准がなされるまでは、一切の手出しをすることが出来ないと言う状態が出来てしまったのである。
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伊丹は、テュカやロゥリィと共に、レレイの捜索を続けている。アルヌス周辺ばかりでなく、少し離れた荒野までも範囲を拡げていた。だが、アルヌス失陥から3日、4日と過ぎ、時日が流れていくと、どうにも捜索に身が入らなくなっていた。
災害被災者の救出は48時間を過ぎると生存率が極端に下がると言う。実際、周辺を探していて見つかるガスの被災者は奇跡的に生きている者もいたが、ほとんどが既に事切れていた。一人、また一人と犠牲者を弔うたびに、どうしたって不安や焦燥感が掻き立てられてしまう。
戦いで死んだ者は、ロゥリィを通じてエムロイに召される。故にロゥリィには判るという考え方は、戦いで死んだわけではない者は判らない、と言う意味に受け止めることも出来るのだから。
ところが、こうなって来るとピニャの言葉が意味を持って来る。
もちろん彼女は冗談だとそれを否定した。だが、別れ際に見せた、何かを仄めかすような笑みは、深読みすれば嘘の否定とも受け取れる。
そしてピニャに拉致監禁されているかも知れないという可能性は、逆に希望ともなって来るのだ。
皮肉なことだが、もしピニャが何らかの方法でレレイを監禁しているなら、これだけ探して見つからないのも当然であるし、監禁されているなら、彼女が生きている可能性も非常に高くなる。いや生きていること確実だ。それは時間が経過すると共に低下する生存確率に反比例する形で高まる希望となる。
だけどそんな疑念は容易に口には出せない。それは根拠ある推論ではなく、願望でしかないからだ。ロゥリィやテュカの二人に「レレイはピニャに監禁されているかも」と言ったりしたら、その瞬間ピニャの首は胴体から切り離されてしまいかねない。
さらに現実として、ピニャにレレイを監禁する理由がない。必要性がない。
門を閉める必要性については伊丹自身もよく承知している。義勇軍を集めるのに名前が必要だというのなら、自分に厄介がふりかかって来ない限りはどうぞという立場なのだ。わざわざ人質をとって脅かすなど、友好的な関係を破壊するばかりで意味など無いのである。
だからこそ、ピニャの嘘だという告白を、質の悪い冗談だと叱責しつつも受け容れたわけなのだが……今となっては、「ピニャに監禁されていて欲しい」という気持が出てきてしまったのである。
何気なくピニャが口にする、「そうか、レレイはまだ見つからないのか?無事でいてくれればいいのだがな」という言葉にすら、裏が感じられてしまう。さらにタイミング良く「どこかで保護されているかも知れないぞ」などと付け加えて意味深に笑うのだ。
そんな心理状態であるから、彼女の顔色ばかり伺っている始末だ。
「伊丹殿、義勇兵が随分と集まってきたぞ。多忙とは思うが顔を出して、皆に声を掛けて欲しい」と頼まれれば、当然のこととして「あ、はい。行きます」と応じる。
だが、それも彼女の機嫌を損ねないようにする迎合的なものか、自分でも判別できなくなっている。それは、人質を取られて脅迫されているのよりも厄介な状態と言える。
伊丹自身、不味いと思っている。でも、悪徳商法にひっかかっているかのような気分を味わいつつも、自分ではどうすることも出来ないのだ。
そんな現状を嘆きながら、ピニャに連れられて森を出る。すると荒野に様々な種族、部族の民が武装を纏って集まっていた。
「随分と集まったのねぇ」
その数の多さにテュカが感嘆の声をあげた。
ヒト種は勿論、山奥や森の奥に隠れて滅多に姿を現さないと言う六肢族、半人半馬のケイロン族もいた。もちろん、おなじみのドワーフ、キャットウーマンなどの亜人達もいる。
アルヌス丘の麓で無数の焚き火が起こされて、それぞれに種族や部族ごとに20名~30名が輪を作って集まっている様子は、確かに壮観だ。
「皆の者。紹介しよう!この者こそ『緑の人』伊丹卿だ!」
ピニャの声に皆の視線が集まり、一斉に歓声が上がった。
「どうだ伊丹殿。これが緑の人の呼びかけに応えて集まってきた者達だ。これでも近在の部族の者だけなのだ。もう少しすれば、まだまだ集まって来るぞ」
「あっ、エルフだ!」
テュカは、義勇兵達の群れの中にエルフ族の姿を見つけて、手を振った。
すると向こうも、テュカの名を呼んで応えて来た。
人の口には戸は立てられない。ゾルザルが吟遊詩人を殺し、コダ村の住民達を虐殺してまで広まるのを妨げようとした緑の人の伝説は、結局のところ人々の口から口へと伝えられて帝国はおろか大陸中に広まったのだ。そしてその物語の中には、ハイエルフの少女の名も当然のように含まれていた。
「あっ」
テュカは、その中に懐かしい顔を見つけて、吸い寄せられるように走り出す。
「生きてたのぉっ!?」
それは炎龍に滅ぼされたテュカの村の、生き残りだった。もう誰も残っていないかのように思われたのだが、生き延びて別のエルフの村に避難していたようだ。テュカは、今は無き故郷の幼なじみと再会して抱き合って喜んだ。それを囲むエルフ達も、それを祝福していた。
ロゥリィはロゥリィで、戦いの神の使徒として、集まった皆に祝福を求められ、それに応じていた。
そんな様子を眺めながら、伊丹はピニャの隣に立って少しでも情報を得るために会話に集中していた。
「伊丹殿。怒りはおさまられただろうか?」
「いや、もう怒ってませんから……」
「嬉しい」
そう言ってピニャが伊丹の腕を抱く。
これが計算ずくなのか、素の状態なのか。
判断に迷うから邪険にも出来ず、そのままにさせるが、ロゥリィとテュカの二人が訝しげな視線を向けて来た。するとピニャは誇らしげに見せつけ、明らかに二人が不機嫌になるという有り難くない状態となってしまった。
伊丹は、鋭く突き刺さる二組の視線を無視して集まってくれた人々に手を振りながら、傍らのピニャに話しかけた。
「しかし考えてみると、ディアボ軍とか言うのを排除しても、レレイの行方が判らないと門を閉められないですよね。門の再開通のために彼女しかわからない手続とかありそうですし」
門を閉めるにあたって、レレイの存在がいかに必要であるかを語ってみる。ピニャは門を閉めことに拘っているから、レレイが居ないとそれが出来ないと言ったら、何か反応を見せるのではないかと思ったのだ。
「そうでもないぞ。目印になる物を門の向こうと、こちらに分けて置けばよいと聞いている。門を閉めるだけなら、丘の中腹に据えられた6芒星の魔法陣を崩してしまえば良い。あれを壊すのは、ちと手間だがな」
「誰から聞きました?」
「テュカだ。日本が用意することとなっていると言うが、どのような事態になるか判らぬ故、こちらでも目印に使えそうなものを用意して欲しいと頼まれた」
伊丹は内心で舌打ちした。いや、気の回るテュカは悪くない。本来なら、感謝すべきところである。とは言え、ピニャにはったりをかけて動揺を誘う手口はこれで難しくなりそうだ。
「ですが、レレイが見つからないと、門の再開通は出来ませんよ」
「あの者の遺体は見つかっておらぬのだろう?ならば生きている。信じるがよい」
ピニャは自信たっぷりに言った。まるで全てを承知しているかのごとくだ。
「ですがね……」
「伊丹殿の心痛はよくわかる。だが、貴公が信じなくてどうする?探してさえおれば、いずれ必ず見付けることが出来よう」
「ですが、門を閉める時、俺は部隊と共に日本に帰らないと」
「……なんだと?!伊丹殿はレレイを見捨てて帰ってしまうと言うのか?ロゥリィ聖下は、テュカはどうなる?」
ピニャは驚いたように伊丹を見ると、眉間に皺を寄せた。
「もし、そうだと言うのなら見損なったぞ。あの3人は、所詮現地妻か?用が無くなればさようならか?」
「そんな言い方されましても、俺にも立場というのがありまして。それに現地妻もなにも、何にもしてないし……」
「何もしてないとは異な事を。女に惚れさせるだけのことをしてきたではないか。ならば、何もしていないなどと言う言い訳は通用せぬ。それに、貴公に心寄せる女が難儀している時に、大事なのは我が身の立場か?随分と情けない話ではないか?!」
「ですけどね、命令が出てしまえば自分としては……」
「伊丹殿。妾には貴公の立場も理解できる。しかし、なお言わせて貰おう。こちらに残られよ。皆もそれを期待してるぞ。貴公には、愛のために何もかも棄てるといった男気を見せて欲しいと願っておる」
「ですけど、俺も病気の母親を一人残しておりまして」
「確かに肉親は大切だな。いずれかを選べと言うのも過酷な話かも知れぬな。だが伊丹殿は忘れている。門の再開通も所詮賭だ。上手く行かなければ、今生の別れとなるのだ。親は所詮、子より先に逝く者だ。また子の幸せを願うのが親だ。伊丹殿のご母堂に尋ねれば、きっと幸せになれる方をとれと言われるのではなかろうか?」
「お、俺は……」
「今、返事しろとは言わぬ。だが、門を閉めるまでに答えを出すがよい。妾が思うに、レレイは待っていると思うぞ……いや、待てよ。もしかすると、レレイが姿を消したのは、伊丹殿をこちらに引き留めるためかも知れぬなあ」
そう言うと、ピニャは邪悪そうな笑みを浮かべた。
これを聞いた瞬間、伊丹は思わず頭を抱えて「うわぁああ」と叫いた。
心当たりがいっぱいだったからだ。
レレイはかつて口にした「伊丹のいるところに居る」と。だが門の再開通を図るには、レレイは特地側にいなくてはならない。とすれば、伊丹をこちら側に引き留めようとするのはレレイの宣言からして当然のことなのだ。そして、さらに、ピニャとレレイが、何某かの取引をして組んでいたとしたら……。
「殿下、もしやレレイの居所をご存じですか?」
「まだ伊丹殿は疑っておるのか?前にも、冗談だと言ったではないか。妾がレレイを誘拐することなどあるはずない……。うむ誘拐など、妾は決してしておらぬ」
そりゃ、誘拐はしてないでしょうね。被害者が共謀してるものは誘拐とは言わないですから。
こうなって来ると、ロゥリィやテュカすら怪しく思えて来た。
3人が、いやピニャを含めた4人が共謀しているという可能性も、あり得るのだ。そして、伊丹がどちらを選ぶか試しているのかも知れない。レレイが見つからないのに、行ってしまうか、それとも心配してこちらに居残るのかを。
こうして伊丹は、今まで目を背けていた問題。自分が3人にどのような気持を抱いているかを、否応なく考えさせられることとなったのである。
アルヌスの頂からも、麓に続々と人間が集まって来ているのは見える。まして、あたりを埋め尽くすほどの夜の篝火や、焚き火の炎ともなれば夜空に瞬く星よりも明るく見えるだろう。
そしてそれが自分達に攻撃を仕掛けるための義勇兵だと知れば、ディアボ軍を自称する武装勢力もそれなりの脅威を感じたと思われる。
翌朝、ディアボ軍から交渉使者が丘を降りてきた。
交渉の使節は甲冑姿の男2人で、それに介添えとしてアジア系の男2人が付き添っていた。
甲冑を纏った二人について言えば、どう見ても使い走り程度の印象しか抱けない軽輩である。実際、真の使者はその後ろに立つアジア系の男二人なのだろう。しかし、武装勢力がティアボが率いていると言う形式を整えるには、使者たる任を担うのはこの特地の人間でなければならないと考えたのかも知れない。
彼らは、陸上自衛隊の指揮官と面談したいと申し出た。
そして現れた健軍に対して、国連の安全保障理事会が出した議長声明を理由に、自衛隊に武力行使を控えるように一方的に通告してきたのである。
だが健軍は、本国と連絡が武装勢力によって遮断されている以上そのような声明も、我らの知るところではないから、必要とあればいつでも攻撃を開始すると答えた。さらに付け加えると、丘の麓に集まりつつある集団は自衛隊の指揮下にない帝国の義勇軍であるから、武力行使を控えて欲しいのなら、直接その代表者と交渉してみるようにと伝えたのである。
こうしてディアボ軍からの使者は役所の窓口をたらい回しされるがごとく、今度はピニャの陣営に向かったのであるが、ここで彼らはさらに手厳しい拒絶を受けることとなった。
ピニャは、はっきりと告げた。
自分は皇帝の名代として、このアルヌスに来て日本との講和条約の調印に携わっていた。帝国の使節団には元老院の代表もいたのである。これを攻撃するなど、例え兄の名を冠していようとも正当化することは出来ず、帝国に対する反逆である事。
さらに、門の閉鎖は冥王ハーディの警句に基づいて為されるものであり、これを妨げて世界の安全を脅かそうとする行為は、この世界を治める神々に対する大罪とも言えるため、決して許されないであろうと。
「講和条約が未だ発効しない今、ここはまだ帝国の領内である。ゆえに帝国の法で汝等を裁くこととなる。妾は皇帝の名代としてここに判決を下す。主立った者は車裂きの刑。兵士は鋸引きの刑だ。ここには『じゅねーぶ条約』など無い野蛮の地にて、捕虜への残虐な処遇は当たり前に行われておる。そなた達も覚悟しておくが良い」
この言葉には、ピニャの側近であるボーゼスやハミルトンまでも顔色を変えた。車裂きとは荷馬車などの車輪に四肢を固定して、これを轢き砕く極めて残虐な刑である。鋸引きに至っては、生きながら首だけを出して埋め、通行人に首に据えた鋸を引かせると言うこれまた、残虐さでは車裂きに勝るとも劣らない刑罰であり、帝国でもとうの昔に廃れて、行われなくなったものだ。
最近になって言うこともやることも極端になって来たピニャの精神は、ここまで平衡を欠いてしまったかと、ボーゼスは身体を震わせた。
ハミルトンも顔色を蒼くしたが、こちらは脅しが目的であり、本気ではないだろうと思い込むことで、どうにか心を落ち着けていた。
だが、ピニャの人となりを知らない使者にとっては、それは衝撃的な宣告であった。特に甲冑姿の二人は、自分達の末路が決められてしまったのだから慌てる。
弾かれたように地にひれ伏し「俺たちは雇われただけです。ただの傭兵なんです」と慈悲を求めたのである。
「ディアボ殿下に仰せに従っただけなんです。どうかお許しを」
だが、ピニャは冷たい態度のまま「ならぬ」の一言で一蹴した。
「使者殿。兄様の元に戻り復命されるがよかろう」と背を向けるだけである。
「貴公等に一片なりとも正義があると言うのであれば、神々がきっと貴公等を救うであろう。救われなくば、それは正義がなかったと言うことだ。従容として神の裁定を待つがよい」
随伴していたアジア系の男二人は、自分達が何を言われたのか判らず呆然と立ちつくしていた。ただ、彼らは剣や槍先で追い払われ、丘の上に逃げ登っていくしかなかったのである。
「なるほど。相手が日本なら『こくれん』とやらの声明で動きを制することが出来たかもしれんな。だが、この妾を相手にそんなもの、何の役にも立たぬ」
ピニャは、義勇兵に丘の中腹あたりの巡回を密にして、逃亡兵を一人として逃さないよう命じた。最早、武装勢力に生き残れる道があるとすれば、それは門の封鎖を解いて日本に降伏することだけとなったのである。
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ディアボの使者がピニャから死刑の宣告を受けていた頃、伊丹は、ロゥリィとテュカの二人にレレイ捜索の一時中断を告げた。
「これから少し、門の事に集中しようと思う」
するとロィリィは「そうねぇ、それが良いかもねぇ」と答えた。テュカも「お父さんがそう決めたのなら、それでいいと思う」と頷いた。
レレイを見捨てるつもり?と言って詰られるかと思っていただけに、すんなりと受け容れられたことが意外であった。だが、二人がレレイの無事を確信しているならば、これも不思議なことではない。
やはり、この二人はレレイと共謀している。そう言う疑念が強くなった。
だが、二人が口を噤んでいる以上、レレイの件について伊丹から問い詰めようとは思わない。レレイが身を隠したのが伊丹に決断を促すためだと言うのであれば、二人に訊ねても答えてくれるはずが無いと思えるからだ。
伊丹に出来ることは、特地に残るか、日本に帰るかを態度で示すことだけだ。
もちろん、伊丹は自分がどうするかもう決めていた。だが、これはマルチエンドのノベルゲームで言えば、ルートの分岐に関わる重大な設問と言える。例えロゥリィやテュカに対しても、安易に教えてやるつもりはない。ここまで芝居がかったことをしてくれた以上、もう少しヤキモキさせてやらなくては気が済まないという思いもあるのだ。
伊丹は、森の内部につくられた仮指揮所の健軍一等陸佐の元に赴くと、指揮下から離脱する旨を申し出た。義勇軍に参加して、門を抑える敵を排除する戦いに参加すると。
傍らで聞いていた用賀二佐は呆れ果てたように言う。
「君。これで何度目だ?」
「はあ。もう、数え切れません」
「はっきり言う、止めておけ」
健軍は伊丹に向けて、真剣さを感じさせない口調で言った。伊丹も、健軍の言葉が、立場上のものであることを感じることが出来たから、きちんと自分の考えを告げた。
「だが、断る……と言わせて頂きます。義勇軍は俺の呼びかけで集まった人々です。呼びかけだけして、知らない顔ってわけにはいかないんですよ」
健軍は、頭を掻く伊丹の言い様に、「もうダメだ、こいつ」と言いたげに肩を竦めた。
「実を言うとな、お前がそう言い出して来るんじゃないかとは、思ってた」
「そうでしたか」
「だが、自衛隊としては、お前には行くなと命じるしかない。全く、何も助けてやれない。いろいろとややこしい政治的な問題を引き起こすことになるからな」
「判っております。謹んで、ご命令に従いません」
「ん、ならば良い。でだ、どんな段取りでアルヌスを攻めるつもりだ?」
健軍がそう言うと、用賀を含めた周囲の幹部達は一斉に身を乗り出して、地図に向かった。皆、政治的な理由で手出しを控えなくてはならないことに歯噛みしていたから、職を辞して攻撃に参加する伊丹には羨望の気持がある。
伊丹はアルヌスの地図に指さすと、「無闇に突撃して203高地みたいになるのは不味いですから、前進壕、平行壕を使って近づくつもりです」と答えた。
敵に重火器がないという状況では古典的であるが、これが最も堅実な戦法と言える。他にも手がないわけではないが、それを可能とするには、義勇兵達に訓練を施す必要がある。現状では人材的、時間的な余裕がない。対するに、義勇軍には穴を掘るのに優れた能力を発揮する亜人達がいる。ドワーフ達の作業能力はパワーショベル並であることが、街の建設の際に明らかとなっている。伊丹はこれを武器とするつもりなのである。
「準備に5日といったところか」
「ですが、敵の反撃も苛烈になりますよ。突撃発起位置まで、弾の嵐の下をくぐらないといけなくなります」
用賀はそう言うと、地図上に記されているコンクリートで構築された壕を指さした。
稜堡式の構造は伊達ではない。死角は一切無く、あちこちに張られた鉄条網などの障害や、壕に足を取られている間に、攻撃側は徹底的にその数を撃ち減らされることになってしまうだろう。
待っていましたとばかりに幹部達が攻略方法について論じ始めた。
「地下から穴を掘って近づくって言うのは、どうですかね?」
「総選挙当日までが期限だとすると、時間的に微妙だぞ」
「チヌークは……」
「さすがにヘリは不味いだろう。あからさまに自衛隊が手を出したことになっちまう」
「せめて迫撃砲があればな……」
「あるぜ」
背後からの声に振り返ると、デリラに身体を支えられた柳田がそこに立っていた。左腕にロフストランドクラッチという腕に装着するタイプの杖をつけている。デリラは右側に立っている。
「よお、伊丹。相変わらず馬鹿なことを言ってるみたいだな」
ガチャガチャと金具のぶつかる音をたてながら、右足を引きずり歩く。デリラに右下腹部を刺され際、右の腸骨動脈と大腿神経を傷つけてしまい、それによって右の下肢麻痺が残ってしまったのだ。
「柳田。お前、生きてたのか?」
柳田は診療施設に入院していた。無力化ガスの治療薬を盗み出すために忍び込んだ連中に発見されるまで、そこに隠れていたのだ。
「生きてちゃ悪いかよ。ちっ、この足のせいで逃げ損なっちまったんだ」
「ゴメンよ。ダンナ」
すると、デリラが謝る。どうもデリラは、柳田が足のことを口にする度に反射的に、謝り続けているようであった。柳田もデリラに対しては邪険な態度をあからさまにしているため、妙に雰囲気が痛ましい。
柳田は「ふんっ」と憎まれ口を叩くと、地図の一部分を叩くように指さした。
「書類上破棄、消耗扱いになっている武器、弾薬は全部ここに収まってるはずだ。アルヌス放棄の際には爆薬で吹っ飛ばす予定だった」
81㎜迫撃砲。小銃、各種弾薬と柳田はその細目を暗唱していく。
伊丹は「柳田。お前、入院してても仕事してたんか?」と、感謝の意を込めてその手を握ろうとした。
だが、柳田は「触るな」と手を引いた。
「俺は知らんぞ。俺は何も言ってない」そう言いつつ、身を離した。そして、「おい、デリラ。お前が介助したいって言うから、介助させてやってんだ。もう少し気を使え」など、不平不満を周囲に聞こえるように言いながら、仮指揮所を後にしたのである。
「柳田って、ツンデレ?」
「みたいだな」
伊丹の呟きに答えたのは、健軍であった。
義勇軍の宿営地に行くため、伊丹はヤオに荷物をまとめるように指示した。
大した荷物があるわけではないが、ダイヤの原石は棄てていくわけにはいかない。場合によっては、これを使うしかないかも知れないからだ。
ロゥリィと、テュカも支度を済ませ「良いわよ」とやって来て、さぁ四人で行こうかと一歩踏み出したところで桑原曹長、仁科一曹、栗林二等陸曹、黒川二等陸曹、倉田三等陸曹、勝本三等陸曹、戸津陸士長、東陸士長、古田陸士長、笹川陸士長、そして栗林妹達報道取材班が姿を現した。
「隊長。俺たちを置いていくの、これで二度目ですよね。ちょっと冷たくないですか?」
倉田の言葉に伊丹は、「まぁ、前回もそうだったが個人的な理由だからな。お前達を巻き込むわけには行かないだろう」と応じた。
「おやっさん、仁科、あんたら家族持ちでしょう」
「胸を張って帰りたいからな」
「隊長。ここで家族の話させんなって。死亡フラグが立っちゃうでしょう!」
桑原と仁科のセリフに、みんな笑った。
そんな光景をテレビ局のカメラが撮していた。
「あの、そちらのテレビの人は?」
古田の問いに、菜々美が代表して答えた。
「私たちは、何が起きているのか、真実を伝えるのが役割ですから」
「ふ~ん。真実ねぇ」
「ええ、ありのままを。そのままに」
「そっか……じゃ」
伊丹はそう言うと、襟から階級章を引きはがして棄てた。
それに続いて皆が襟から、あるいは腕から階級章を引きはがす。
「たった今、俺たち自衛隊の指揮下から離れた。その事をちゃんと伝えてくれよ」
そう言って伊丹達は、自衛隊の宿営地を後にしたのである。
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「それは、いったいどういうことです?」
ボーゼスの言い様には、伊丹は間抜けにも口を閉じることが出来なかった。
かつての第3偵察隊の部下達と共に、義勇軍の宿営地に移った伊丹達は皆から諸手で迎えられた。早速、倉田達は、廃棄予定の弾薬と武器の回収に向かい、伊丹はアルヌス攻略についてピニャと打ち合わせた。
どうやら彼女としては麓から人海戦術で丘の頂上まで駆け上がるつもりだったらしい。倒れる者がいればそれを踏み越え、さらに前進していくという、戦術何それ?という作戦を考えていた。攻略対象の要害に近づくために、前進壕を掘るという発想がなかったようなのだ。実際、この世界の戦闘では、まだ銃は登場していないので、それでも良かったのかもしれない。
だが、武装勢力相手でそれでは、どれほどの被害が出るかわからないために、突撃発起位置まで壕を掘ることを勧めたのである。
ピニャも敵が装備している銃には頭を痛めていたので、さっそく伊丹の提案を受け容れ、その段取りを始めた。
こうして、つるはしと円匙を抱えたドワーフや様々な亜人達が働きだした。
それを見守っていた伊丹は、用足しのためにピニャ達から離れたのであるが、その時、背中に声を掛けられたのである。
ボーゼスであった。
「何です?」
「伊丹様にお話が……」
そう言って、うち明けられたのがピニャの企てであった。
「ですから、殿下は門を閉じたら、二度と開かないおつもりなのです。その為に、レレイ様を害されるおつもりです」
レレイが居なくなれば、意図的に日本との『門』を開く術を持つ者はいなくなる。
「ちょっと待って。レレイはピニャと共謀して身を隠してるんじゃないんですか?」
「確かにその通りです。レレイ様を、とある場所に匿っております。伊丹様はレレイ様や聖下、テュカ様からああも直截な態度を示されているのに、ご自身だけは、その気持ちを伏せて全く示されてませんでした。世慣れた聖下やテュカ様ならまだしも、今年で16才のあの方がそれに不安を感じ、伊丹様のお心を知りたいと思ったとしても無理ないと思いませんか。それに、テュカ様が伊丹様は日本に戻られるべきだと強く主張されてました。そのためにお三方は、レレイ様がいないと言う状況で、伊丹様の選択に任せるということを決められたのです。ですが、その裏で殿下はあの方さえいなければ、二度と門を開かずに済むと申されて、部下に密命を……」
連絡1つで、レレイに凶刃が突き立てられることになると言う。
伊丹は、信じられない気持で一杯だった。
「なんでそんなことを。殿下は門の安定化に賛成だったのでは?」
「殿下はもう疲れ果ててらっしゃるのです。国は乱れて、兄たるゾルザル殿下を死なせ、今度はディアボ様がピニャ様の邪魔をなさっております。こうした全ての苦しみの元凶は全て『門』であると、感じられているのです」
「わかりました。……わかりました。で、どうしてボーゼスさんは、それを俺に教えてくれるんですか?ピニャ殿下の部下でしょ?」
「はい、私は殿下の忠実な部下です。これは明らかに裏切りとなりましょう。ですが私はもう時期、母となります」
ボーゼスはそう涙ぐみながら、若干ふくらみ始めた下腹部を押さえた。
「この子に、あの方の故郷を見せてあげたい。あの方のご両親に、この子を抱かせてあげたい。この子に、自分の父がどれほどに優れた人だったか、教えて誇りを与えてあげたいと思うのは、いけないことなのでしょうか?」
その為には、門が開いていなければ、困るのだとはっきり言った。
これを聞いて伊丹は、女と母は全く別の存在であるという話を思い出した。
この二つは似ているが、実は全く異なる行動原理で動くと言って良いのだそうだ。漢字の話だが、娘、姉、妹、姑、姐……女性を示す言葉には『女』という字が含まれているのに、『母』という単語にだけはそれが存在しないのは、そのことを古代の人は知っていたからだと言う。
ボーゼスは今、母として行動しているのだ。だが、この選択がボーゼスにとっては苦渋のものであったことは、その姿を見るだけで判る。なんとも悲しそうな、苦しそうな様であった。
「そのお腹の子は、富田の野郎の子ですね?」
ボーゼスは顔を真っ赤に染めて、伊丹の視線から逃れるように横を向いて頷いた。
「わかりました。彼奴の両親には俺から手紙を書きましょう」
望外の言葉にボーゼスは憂い顔をばっと綻ばせた。
「有り難うございます。それと、ずうずうしい願いですが、このことは殿下には出来れば内密に……」
「判ってます。貴女の立場が無くなるようなことはしません。殿下の企てなんて知らないような顔をしていましょう。ロゥリィやテュカにも黙っておきましょう。ですから貴女も、こんなことは言わなかったと思って普段通りにしてください。いいですね……」
実際、自分の企てが知られたとわかったら、行動開始を早めかねない。ピニャには、まだこちらが彼女の底意に気づいてないと見せなければならないのだ。
「ですが、それではどうやって……」
「大丈夫。気にしないで」
伊丹はそう言うとボーゼスの背中を軽く押した。
「さ、早く戻らないと怪しまれますよ」
ボーゼスは「はい。有り難うございます」と、辺りをきょろきょろと見ながら、ピニャの元へと戻っていった。
その背中が見えなくなってから、伊丹は呟いた。
「聞いたな、ヤオ」
いつの間にか、ダークエルフの女が傅いていた。
「此の身が行くのが良いのであろう?」
「頼む。危険な任務だが、お前にしか頼めない」
ヤオは「ふっ」と苦笑を漏らした。
「お前にしか頼めない。その言葉を御身に口にしてもらえる日を心待ちにしていた。嬉しくて身体が打ち震えている」
「頼むから気をつけろよ。お前は俺の所有物なのだろう?俺に損をさせるなよ」
「確かに主に損をさせるなど、従者には許されない行為だ。了解した」
ヤオはそう言うと、音もなく静かに姿を消した。
伊丹は、怒りを込め「くそったれめっ」と怒鳴り、足下の石を蹴飛ばしたのだった。
>>>
やっっっっっと、ここまで来た