[1507] 自衛隊 彼の地にて、斯く戦えり /正式版 57
Name: とどく=たくさん◆20b68893 E-MAIL ID:5eba37fb
Date: 2009/02/17 21:12
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戦車とは、一頭乃至複数の馬で牽く戦闘用の馬車のこと。それが、この世界における概念だ。
快速をもって戦場を驀進し、御者とは別に同乗する戦闘員の操る弓や槍矛、あるいは馬その物の突進力をもって敵を蹴散らす。横一列に連なった戦車が突き進む姿は味方にとっては爽快、敵側の歩兵にとっては悪夢だろう。
対するに現代日本における戦車とは、敵の攻撃を跳ね返しつつ敵戦車を撃破し、履帯(キャタピラー)をもって戦場を蹂躙するものだ。機能的に見てみれば前者と、そう変わらないことがわかる。ただ、あらゆる面における性能が段違いに異なるだけだ。
どのような装甲をも打ち破る、強力な砲。
どのような攻撃をも跳ね返す、強靱な装甲。
どのような悪路も走破する、機動性。
実践初投入の第一次世界大戦以来、『矛盾』を絵に描いたような追求のなれの果てにたどり着いた姿は、巨大で、重くて、そして強靱さの象徴とも言えるもの。日進月歩の勢いで更新され続けているそれは科学・技術・産業の精髄だ。
74式戦車は、開発型の完成が1974年。兵器としては既に旧式に分類される。だが超大国ソビエト連邦の侵攻に抗すべく設計され、当時の第2世代主力戦車にも見劣りしない優れた性能を有していた。主砲として51口径105㎜砲を有し、日本の国土地形に合わせた38トンの軽量車体。待ち伏せに特化した低い車高。なによりも、命中精度の極めて高い射撃管制装置。まさに日本のお家芸たる小型にして高性能の、戦闘用精密機械だ。
有効な破壊手段を持たない軟目標にとって、その脅威はとてつもなく、ましてこれがずらっと列んで、砲口を揃えてこちらに向けていたとしたら近づきたいと思う者はまずいないはずだ。
だが、それもそれを兵器と知ってのこと。
その破壊力について、知識を持っていればのこと。
第一次大戦では、戦場に運ばれる戦車を『水タンク』と呼んでスパイの目を誤魔化した。以来戦車をしてタンクと呼ぶようになった由来であるが、それが通用したのも、それが何であるか誰も知らなかったから。人は、自分の常識の範囲内でしか推測の翼を拡げることは出来ないものなのだ。
従ってカラスタの目には、それは荷馬車に類する物が放置されているように映った。
「モルト軍の補給物資か。あるいは帝都から持ち去られた国庫の中身?」
だとしたら、後で確保しなければならないだろう。是非確保すべきだ。だがしかし、それも勝利してからのこと。今は、これらの物資を遺棄して逃げて行くモルト軍を追うことだけを考えなければならない。2度と立ち直れないように徹底的に叩いて、前皇帝を捕らえるのだ。
カラスタは物資を遺棄して逃げていく敵の背に追いつかんと勇躍する。馬に鞭を当てて叫びつづけた。
「進めっ!進めっ」
だから、轟音と共に目前に爆炎が広がり、耳と身体とを激しく叩く衝撃がまき散らされた瞬間、何が起きたのか判らなかった。
白い闇にも似た煙の中を突き抜けて視界が開けると、見えたのは榴弾の爆風と破片によって引きちぎれた馬と人体の破片が、どさどさと血雨と共に降って来る光景だった。
「な、何だ!?」
驚いて竿立ちになろうとする馬の首に手を当て、宥めたのも条件反射のなし得る技でしかない。驚愕し転倒する馬匹に巻き込まれる者多数。落馬する者多数という状況に、後に続いていた騎馬集団は避ける暇もなく突入してしまい、多くの者が踏みにじられてしまうという惨事がそこかしこで起こってしまった。
カラスタは、どうにか馬を御しきることに成功した内の一人であった。
馬を停めて状況を確かめたいところであるが、迂闊に止まれば自分も後からの味方にはじき飛ばされてしまう。それに、丘の稜線を越えて下り坂に入った今、ついた勢いはもう弛めようがないのだ。
そんな所へ2発目の斉射。再び鼻を鋭く刺激する爆煙に包まれると、カラスタは理解した。
これは兵器であると。何と言う名称で、どのような仕組みであるかは知らない。それでも殺意を持って自分達に向けられた凶暴な牙であることは身に染みた。自分達は謀られたのだ。誘い込まれたのだ。虎口に入り込んでしまったのだ。
「退け、退け!!」
カラスタ同様の結論に達した指揮官達が、あちこちで退却を命じる声を張り上げる。
騎兵達は、馬の首を返して元来た道を戻ろうとした。
だが、後ろから追随して来る無数の味方がそれを邪魔をした。引き返すことも、立ち止まることも出来なければ進むしかなく、そして進んだ先に待つのは、大きく顎を開いて襲いかかろうとする死の深淵だ。
仕方なく進路を左へと逸らす。左へと迂回して引き返そうと試みた。だが3度目の爆発によって、カラスタの視界は、天にのぼっていた。
強烈な爆風によって、彼の身体は上空に高々とはじき飛ばされたのだ。
その浮遊感と、蠢く味方を俯瞰する視野はこのような時でなければ、それなりに爽快なものであったかも知れない。
「はははっ、人間が地を這うウジ虫のごとく見える」
次いで襲って来る墜落感。迫る地面への恐怖を味わう暇もなく、彼のさして長くもない人生は、自分の肉体が地面に激突して破壊される感触の直後、終焉を迎えた。
『ゆず、小豆、桜、白。抹茶、紅花、黒に、黒。』
暗い、82式指揮通信車内。
加茂一等陸佐が「前へっ!」と号令をすると、暗号通信によって第1戦闘団に作戦開始が伝えられる。
指揮データリンクシステムの液晶ディスプレイに描かれた光点が、一斉に動き始めた。
「戦車隊より入電。『魔王がフェレットを拾った』繰り返す『魔王がフェレットを拾った』」
戦車隊より入った待ち伏せ成功を知らせる通信を、通信士が復唱する。
加茂は「どういう暗号文だろう?最近の若い連中のセンスがわからん」と思う。だが、トラトラトラだって、似たようなものかと思い直して、液晶モニタ画面に記される状況に集中した。
電子地図には攻撃中を示す、矢印の部隊符号が描き込まれていた。
戦車を示す菱形の図形が、じわじわと前進を始め、適宜ペンタブレットで部隊名や、注釈が記入されていく。
101Co 2Ptと記された符号の前進がやや遅れているが、それ以外はほぼ横一線と言って良い動きを見せている。
実に宜しい、訓練どおりである。
加茂は、指揮通信車の上部ハッチを開けると、上体を外界に出して双眼鏡で周囲をぐるりと見渡した。
外の風が加茂の顔を叩く。
空冷2ストロークV型10気筒の、ターボチャージド・ディーゼルが、轟音と共に排気煙を上げ、74式戦車57両のキャタピラーは、ザラの荒れた大地を深く抉っていた。
追随する73式装甲車が土砂を巻き上げながら、指揮通信車を追い抜いていく。
遠方では、87式自走対空機関砲が何かを撃っていた。見れば、上空の翼竜が無数の砲弾に撃ち抜かれて、次々と墜ちていた。
「通信士、各位に通達。『調子に乗って躓くな。足下を確認しつつ、確実に進め』」
暗い車内から通信士が「はい」と小気味よい返事をすると、マイクを掴んで加茂の指示を流し始めた。
ゾルザル陣営騎兵の戦意は、第一戦闘団の戦車隊による3度の斉射で、徹底的にうち砕かれた。騎兵達は己が兵士であることを忘れた。混乱と狼狽が混在した壊乱の状態に陥って、上官に従う秩序も、僚友と助け合う編成も失った。
誰も彼もが、目前から急速に遠ざかって行く命綱へとしがみつこうとした。
列んで順番待ちなどしていては、自分が生き残れない。死者に口はなく、生き残った者だけにしか自己を正当化する権利は与えられない。そんな極限状態に陥れば、逃げ道を塞ぐ誰かの背中は、障害でしかないのである。ならば押し退け、突き飛ばし、払いのける。それでも道が開かれなければ、叩き斬り、打ちのめす。
だが、他人を邪魔と思う時、我が身も他者の邪魔となっているものだ。それは則ち、背後の味方に殺されるという事を意味している。
背筋に氷の塊を押しつけたかの如き恐怖は、将棋倒しのごとく伝播して行く。これによって逃走が、暴走へと進化する。そして、暴走を狂走へと駆り立てる絶対零度の凍風は、各車長達が放つ12.7㎜重機関銃(キャリバー)からもたらされた。
この銃弾を受けると、拳銃とかライフル弾の類のように身体が蜂の巣になると言うことはない。頭部に当たれば、頭が丸ごと無くなって、上半身なら大穴があいてしまうからだ。そのあまりの惨たらしさから、兵器としての分類は、対物・対装甲・対空火器となっているほどだ。
耳元を空気を斬りながら通過する弾丸の音。
目の前で、うち砕かれた果物のごとく破壊される頭部。
無数の馬蹄に踏みつけら、血袋と化した肉体。
このような凄惨な姿を、何の構えもなく次々と見せつれられては、正気を維持しつづけられるはずもない。まだ続いている歩兵同士の戦いも知ったことではなく、戦争などもう自分とは関係のない世界のことだ。
それぞれ自分の運命を託すと決めた方角に馬の首を向けると、誰も彼も必死になって鞭を振りつづけたである。
騎兵部隊の霧散消失は、ほどなくゾルザルにも知らされた。
目で視てもその事ははっきりと解る。
稜線の向こう側へと突撃していったはずの騎兵集団が、暫くするとまるで蜘蛛の子を散らすように戻って来て、そのまま立ち止まろうともせず四方八方へと逃げ散ってしまったからだ。
騎兵の一部が、逃げる中途で自らが兵士であったことを思い出したらしく、元の陣営に戻ると何が起こったのかを報告したのだが、その内容もほとんど支離滅裂で、普通には理解しがたいものとなっていた。
どうにかそれらを総合してみると、こう言う事になる。
巨大な象のような、亀のような物体がずらっと列んでおり、それが火を吐いたと思ったら、雷を何十本も束ねたような強烈な音と、火山の噴火のごとき炎で、味方がまとめて吹き飛ばされた。
「何という戯れ言を」
「いい加減にせよ。いったい何があったのか、有り体に申せ」
諸侯や、その側近達は、蒼白の表情をしている騎兵の言葉を戯言と決めつけて責めたてた。だが、命からがら逃げてきた騎兵にとっては見てきたままがそれなのだから、そうとしか言いようが無く、諸侯や将軍達の剣幕にただ恐縮して、ひれ伏すことしかできなかったのである。
だが、ゾルザルと、ヘルムの二人は笑うことは出来なかった。
彼らには、それが何であるかは別にしても、誰によるものであるかは察することが出来たからだ。そして、その予測を肯定するかのごとく、稜線の向こう側から姿を現した軍勢の先頭には、白地に赤丸を記した旗が翻っている。
旗印を確認したヘルムが報告する。
「ニホンです」
ミュドラは、少しばかり慌てた口調で尋ねた。「ゾルザル陛下。いかが致しましょう」と言外に逃げるなら早いほうがよいと告げる態度であった。
だがゾルザルは、ミュドラの進言を鼻先で笑った。
「言うまでもない。いずれは戦わなければならぬ相手だ。それが今日、この戦場となっただけのこと」
そう言うとゾルザルは伝令兵達を呼び寄せた。
「各将に告げよ。兵等には、相手が変わったことを伝えて動揺を鎮めよとな」
「はっ」
伝令達が、たちまち走り出す。
ゾルザルは眼を据えて、諸侯達に告げた。
「諸卿等に申し述べたきことがある。モルトの味方として、我らの前に現れたのはアルヌスを占拠している敵、ニホン軍である」
ゾルザルの前に列んだ諸侯達は、一斉にどよめいた。帝国の敵であり、アルヌスを占拠しているはずのニホンが、何故モルトに味方するのか、と。この疑問への回答は容易に導き出される。連合諸王国軍を呼集したはずのモルトが、実は敵と通じていたと言うことだ。ただ、敵のことを知らせなかったのではなく、最初から敵と通じていた。それは、事態の変遷を知らない者にとって、深刻な裏切りと見える。
「ヘルム。我らとて、何もせずにいたわけではないことを思い知らせてやれ。ミュドラも覚悟を決めよ。いいな」
「畏まりました」
冷や汗を流していたミュドラは、小刻みに頷きながらも身体に起こる震えを抑えることが出来ないでいる。だが、ヘルムに促されるようにしてゾルザル前から引き下がると、兵達の元へと走った。
部下を送り出したゾルザルは、諸侯達にむかって胸を張る。
「諸卿らにも伝える。今戦わなければ、帝国ばかりでなく、大陸の全てが敵に奪われてしまうであろう。すなわち、故国の興廃はこの乾坤一擲の戦で定まるのだ。例え、草むす屍となろうとも断固戦わなければならぬ時があるとすれば、今此処に置いて他ならぬ。力を貸してくれるな?」
「おうっ!!」
第1戦闘団は74式戦車を先頭に押し立てながらも、比較的ゆっくりとした速度でゾルザル陣営へと迫った。モルト陣営の帝国兵を置き去りにしないためである。
指揮幕僚の手元にある液晶ディスプレイ上では、ゾルザル陣営を示す赤い楕円形に、青色の各隊が、半包囲する形で迫って行く。
実際の光景では、74式戦車が車間を拡げて、ゆっくりと両翼に向けて包囲の輪を拡げつつある。戦車間に開きつつある間を埋めるのは、普通科の隊員8名を乗せた73式装甲車である。
そして、この後ろを、ピニャ指揮下のモルト陣営の兵士達が徒歩で続いていた。
隊旗を立て、その後ろを整然と隊伍を組んで進むモルト陣営帝国軍重装歩兵達。
あちこちに転がる無数の死体や、放れ駒が走り回るのを目にして敗亡の凄まじさを感じた彼らは、日本と講和をしなければならない理由を身に染みて理解していた。
「主戦論者の連中、こいつらとまともにやりあおうって言うのかね」
「俺だったら、武器を棄てて逃げ出すね」
自衛隊の戦闘車両の異様さと、その破壊力を前にして、自衛隊と戦おうとしている主戦論派の帝国兵に対して、大いなる同情の念を抱いたのである。
「可哀想な連中だぜ。何しろ、上がゾルザルだからな」
「それに較べたら、ウチの頭はピニャ様だからな」
自分達は、戦わずに済むという安堵は、自分達をこんな連中と戦わせないでくれる首脳部に対する感謝にも繋がり、兵士達は自分達の指揮者の方向へと振り返るのである。
隊伍の間を進む騎馬の群れ。
沢山の旗がひらめき、煌びやかな装備の騎馬はピニャ率いる騎士団だ。その殆どが若い女性であることもあってか、何とも派手でよく目立つ。
自衛隊の隊員達も、併走する彼女達に注目していた。
その理由には彼女たちの軍装の派手さがあったが、やはり剣と鎧で武装した女性にある種の憧憬を感じるからだろう。無骨な装備を纏っているのが、小柄だったり、凛々しかったり、可愛い感じだったり、お姉さま風の女性なのだから、無視しようとしたってなかなかに難しい。
しかも、可愛いだけのお飾り人形とは違う。会戦序盤で既に実戦の洗礼を受けて、皆、凛々しく引き締まった風貌をしていた。
そんな中から、数騎の女性が抜け出してきた。
先頭にいるのは、紅い髪をたなびかせた騎士団長ピニャ・コ・ラーダ皇女殿下その人である。続くのは、金髪の縦巻きロールの髪をたなびかせている、ボーゼス嬢。そして、ピニャの副官ハミルトン嬢。
この3騎は少しばかり馬を早駆けさせると、第1戦闘団長、加茂一等陸佐の乗る指揮車の傍らに馬を寄せて来た。
指揮車のハッチに加茂の姿を認めると、ピニャは馬上からながら、古式に則った作法で、礼の言葉を丁重に申し述べた。
加茂は、それを聞いて礼には及ばないと手を振るようなそぶりを示す。
彼の言い様は隣のハッチから顔を出した自衛隊側通訳、勝本三等陸曹が訳している。
「いいえ、我々は民間人を襲った盗賊とその指揮者を拘留するために参ったに過ぎません。ご通報とご協力を感謝しなければならないのはこちらの側です」
勝本三等陸曹は、第3偵察隊のメンバーである。
第3偵察隊は、隊長の伊丹が深部偵察として転属して以来、後任の幹部が補填されることもなく、暫定的に桑原曹長の指揮下に置かれている。しかも、要員の殆どが帝都事務所や、情報部門、その他における増強要員として便利使いされてるため、隊としての活動は現在なされていない。勝本も、今回は通訳要員として加茂の指揮下に入っていた。
ピニャは、勝本に見覚えがあった。伊丹の消息など、いろいろと尋ねてみたいところであったが、今はそう言う時でもなければ場所でもないので、勝本個人に対して軽く微笑む形で一揖(いちゆう)し、あとは今後の動きについての若干の打ち合わせをしただけで、自分の隊へと戻ることにしたのである。
「では、カモ殿。失礼いたします」
だが彼女の後に続いたのはハミルトンだけで、ボーゼスは残っていた。何か、勝本と話しているようであった。
「ボーゼスっ!どうした?」
ピニャの呼び声に答えて、慌てたようにして戻って来るボーゼス。
「おおかた、男の消息でも尋ねているのでは?」
と、ハミルトン達は言い、ピニャの幕僚達はくすくすと鈴を転がすように笑った。
「トミタだっけ?」
「シッ。本人は隠しているつもりなんだから」
「もう、すっかりバレバレなのにねぇ」
だが、戻ってきたボーゼスは何やら解らないことがあったようで、首を傾げつつ語学研修仲間の一人に尋ねた。
「日本語の辞書か単語帳持ってる?」
「どうされたのですか?」
「Junsyokuという単語の意味を知りたくて」
ボーゼスは、自分の単語帳を捲っても無い言葉をどう訳したものかと悩んでいると言う。
「カツモトって日本人にしては不親切ですわ。他の人なら、解りやすいように、いろいろと言葉を変えて説明してくれるのに、不調法にJunsyokuした、としか言ってくれなくて……」
もし、彼女がその言葉の意味を解していたら、いつ、どこで、どのように?と尋ねただろう。いや、そもそも『誰が』と、何度も確認したかも知れない。
だからこそ、勝本は不親切だったのかも知れない。
結局、誰から単語帳を借りてもJunsyokuという言葉は載っていなかったため、ボーゼスはその意味に戸惑って、ため息をつくことしか出来なかったのである。
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栗林菜々美は、テレビ局の取材スタッフと共に、自衛隊第1戦闘団の戦いに同行取材を行っていた。
今は戦線から響いてくる爆音や轟音や銃撃音、戦車が作った無数の轍が刻まれた大地、そして、戦死した帝国兵の遺体を背景に中継画像を送っていた。しかし、取材チームのリーダーでもあるディレクターは本局から最前線の絵を撮ってこいと再三再四せっつかれているようで、無線機相手にペコペコ頭を下げている。
特地取材に送り込まれた彼女らにとっては、視聴者の目を捕まえて離さない画像を得ることが使命なのである。だが、特地における移動、通信といった全ての部分で、自衛隊の設備を利用させて貰うしかない現状では、それも思うに任せないのである。
カメラは、互いに折り重なるように倒れている人馬の遺体や、墜落した竜騎兵などを写しだした。
「現在、第1戦闘団は、住民虐殺事件の主犯を拘禁すべく、前進を続けています。戦闘地域は、鼻を突く火薬の臭いと、戦車の排気臭と、そして鉄の錆びたような臭いとがまじった、異様な空気で包まれています」
「よし、次行くぞ。次」
菜々美がマイクに叫びおえると、ディレクターの指示でカメラや撮影スタッフが、素早く73式トラックに乗り込む。運転席には倉田三等陸曹と、助手席には菜々美の姉と栗林志乃二等陸曹が座っていた。
「じゃ、お願いします」
菜々美の言葉に、倉田は返事もせずにエンジンをかけて、トラックを走らせた。
整地されていない地面の起伏に、車体は大きく揺れて、菜々美や取材スタッフ達はあちこちに身体をぶつけた。
「あのですね、倉田さん。我々としては、もう少し臨場感のある絵を撮りたいんで、もっと前に出てもらいたいんだけど。こう金魚の糞みたいに一番後ろにくっついてるばかりじゃ、何というか迫力に欠けるというか、視聴者の見たいような絵が撮れないって言うか……」
ディレクターの言葉に、倉田は振り返りもせず「あなた方の安全の為です。どうぞ、ご理解下さい」と冷たいお役人的な対応を繰り返すばかりであった。
「………菜々美ちゃん。なんだか、この人達雰囲気悪いよね」
ディレクターやカメラマン、音声と言ったスタッフが顔を寄せ合っての言葉に、菜々美は「そりゃ、そうでしょ」と口中で呟いて肩を竦めた。
「助手席の女の人、菜々美ちゃんのお姉さんなんでしょ。なんとか頼み込めないかなぁ」
「でも姉は、富田さんの同僚でもあったんですよ」
「富田さんの件って、あれは不可抗力でしょ。俺たちは報道の自由に従って取材しているだけだし、富田さんは確かに残念なことだけど、我々を守るのが彼の仕事だったわけだし……彼の犠牲を無駄にしないためにも、我々は報道の義務を遂行しなければならないと思う訳なんだよ」
そんな理屈をディレクターはこねくり回した。
セガランという村に取材に出た時にそれは起きた。他の街や村と同様に帝国兵に女子供を人質に取られた村人達が、農具を振りかざして襲ってきたのである。
類似の事件が頻発していたこともある。だから、取材は取りやめるべきだという警告は自衛隊からも出ていたのだ。だが、テレビ局のクルーは取材を強行した。
取材スタッフや同僚を守るために、随伴していた富田や倉田、勝本は奮戦し、どうにか村を脱出することに成功するかと思われた。しかし鍬や鋤と言った農具を手にして襲ってくる農民と、それに銃を向ける自衛官という構図は、取材スタッフにとっては垂涎のものであったのだ。
危ないから早く装甲車内に入れという富田の指示に、従わなかったカメラマンが農民達に危うく取り囲まれてしまいそうになったのである。これを救うために飛び出した富田が身代わりとなって、農民達に取り囲まれてしまったのである。
しかも、そうまでして守った取材スタッフの撮った画像は、自衛官が村民達を銃撃するシーンばかりが放映され、農民達が農具を手に襲ってくる場面はことごとくカットされていた。富田が銃床で、鍬をもって襲ってくる農民を殴り倒すシーンは繰り返し繰り返し使われていた。
この画像の迫力は非常に強烈であり、視聴者はまるで自衛隊が住民虐殺をしているかのごとく印象を抱いてしまった。もちろん、アナウンスは、きちんと住民が襲ってきたと告げて見せているが、所詮見ている人間は、視覚から入った印象を重視するものだ。
流石の菜々美も言わざるを得なかった。「これで怒らなきゃ、どうかしてます」と。
ディレクターは、「しょうがないじゃないか、編集の方針は上の決定だからねぇ」などと唇を尖らせる。俺たち現場の下っ端にどうしろって言うのさ、と。
「何がしょうがないんですか?命がけで助けてくれた人を、まるで悪いことしている人みたいな流し方をすることですか?真実を伝えてこその、報道の自由だと思います」
カメラマンが自責の表情を見せた。自分の撮った絵が、自分を救ってくれたはずの富田を貶める映像として使われていることに忸怩たる思いを、一応感じているようである。
「いいか?あのさ、これって商売なんだよね。見ている人が、直接俺たちにお金を出してくれるんならいいんだけどさ、実際は違うだろ。そこのところが解ってないとさ、おまんま食い上げになっちゃうんだよね。菜々美ちゃんも、また廊下掃除や雑用の毎日に戻りたい?嫌でしょ?」
「スポンサーのご機嫌って奴ですか?」
「違うよ、スポンサーはお金出すだけ。確かにスポンサーに電凸されたらすげぇきついけど、実際には、お金を運んできてくれるのは局とスポンサーの間にいる広告代理店だろ」
「そうですか。そんな風になってるんですね。でも、そんな扱い方をしておいて、親切にしてくれって言っても無理だと思いませんか?」
「解ってるさ。だから、我慢してるんだろ」
ディレクターは、そう言うと忌々しそうに運転席の倉田と、助手席の栗林へと視線を向けたのである。
自衛隊が迫るのに対して、ゾルザル陣営にも反応が現れた。
亀甲隊形を作った歩兵部隊が数十個、姿を現したのである。
亀甲隊形というのは楯を前後左右、そして頭上へと隙間無く並べ、矢や投石、投げ槍等を防御しつつ前進して、近接戦へと持ちこもうという体勢である。自衛隊の銃撃から少しでも身を守ろうというのだろう。
だが、人が手で保持できる程度の楯では、キャリバーの銃弾は愚か、64小銃の7.62㎜弾すら防げない。浅間山荘事件の時、犯人検挙のために突入した機動隊は、ジュラルミン楯を二枚重ねして使用したが、それですら籠城犯の放つ猟銃弾を完全には防ぎきれなかったのである。木製か、あるいは木材に薄い鉄板を張った程度の楯では、無いも同然であった。
近接しようする亀甲隊形のゾルザル陣営に対して、自衛隊はキャリバーの銃弾を浴びせた。
たちまち、大量の負傷者が出て兵士がバタバタと倒れると思いきや、楯に穴があいても動じることなく亀甲隊形がそのまま進んで来る。
これはおかしいと首を傾げつつ銃撃を加えていると、亀甲隊形その物は健在なのに、そのまま動かなくなってしまうものもあった。
中隊長等は、戦車の105㎜砲を持ってこれを粉砕することにし、射撃を命じる。
すると、亀甲隊形はひとたまりもなく吹き飛んだ。それらを構成していた楯も、まるでまき散らした紙切れのごとくあたりに散らばった。だが、そこには予想されたようなものとは少しばかり違う光景があった。
なんと楯を支えていたのは、木で作った骨組みだったのである。そして、それを支えていた数名ばかりの兵士がわずかに犠牲となっただけだ。重装歩兵の集団と思われたそれは、木で作った骨組みに楯をはめ込んだだけの、いわゆる張りぼてだったのだ。
そんな光景に唖然としていた虚を突かれたのだろう。気がついた時には、地面と同じ色の布を被って伏せていた兵士達が、一斉に立ち上がると74式戦車へと肉迫しようと駆け出していた。
「て、敵だ」
「撃て、撃てっ」
慌てた車長達は、機銃を撃ちまくったが、四方八方から押し寄せる無数の敵兵の全てを打ち倒せるわけもなく、倒れても倒れてもさらに突撃してくる敵の肉迫を許してしまうこととなった。だが、このような状況は、映画などでよく描かれる光景である。また、兵器や技術の格差を埋めてしまうほどの巧緻な戦術は歴史的にも実在した。銃と大砲で武装した英国軍が、槍と楯のズールー王国との戦いで1700名中1400名を失ったイサンドルワナの戦いも他山の石として、研究されていおり、対処法はすでに考案され訓練されていた。
『各位に告げる。慌てるな。訓練どうりに対処せよ』
無線での指示を受けると車長達は、敵兵を群がるに任せ、自らは車内に入るとハッチを厳重に封鎖した。
74式戦車に取り付くことに成功したゾルザル陣営の帝国兵は、動く城とも言える戦車を落城させようと蟻のごとく群がると、剣を突き立てたり、車長の逃げ込んだ穴を塞ぐ蓋をこじ開けようとがんばった。砲にまたがったり、履帯を引きはがそうと引っ張ったりする者もいる。
だが、叩きつけた剣は折れ、突き立てた切っ先は砕けてしまう。
38トンもの鉄の塊が、人の力でどうこうできるはずもなく、取り付けたはいいが、取り付く以外のことは何も出来なかったのである。それどころか、戦車の後方に追従している73式装甲車からの銃撃を受けて犠牲者が続発する。
しかし、ゾルザル陣営からの攻撃もこれで終わりではなかった。まるで怒濤のごとき勢いで人海を続々投入し、撃ち倒れされた人数をはるか超える量の兵士を戦場へと投入して来たのである。
「よし。火車を押し出せっ!!」
戦車の周囲に、自軍の兵士の姿であふれかえったことで、戦車が動けなくなったと見るや、ゾルザルは次の手を命じた。
火車である。
食糧などを運搬するための荷馬車などから荷を降ろし、そこに攻城槌として大木を据え、さらに柴や藁などの燃草を満載して、油などをかけて火を放ったものだ。これを戦車にぶつけようと言うのである。
人馬の力で勢いをつけて叩きつければ、鉄の板で覆った車だろうと、ひとたまりもあるまいと踏んだのだ。例え、車体は保ってたとしても、炎によって鉄板は焼かれて中の兵員は蒸し焼きになるはず。
実際、戦車に凄まじい勢いで火車がぶつけられると、強烈な衝突音と共に、周囲に燃える木材の破片や火の粉が散った。
その様子は、一見派手であり凄まじい破壊力を示したようにも思われた。
「やっだぜ!」
「よしっ!!」
ゾルザルの兵士達は歓声を上げた。
これがもしトラックなどの軟目標に対するものであったり、あるいは第2次大戦中の、日本の戦車に対してなされた攻撃であったなら、それなりの効果があったかも知れない。
しかし、現実はゾルザルの想像を遙かに超えていた。
「嘘だろ……」
「なんてこった」
戦車はびくともしなかった。
身体にとりついた虫を払うかのように、戦車が砲撃を放ち、その凄まじい爆煙と衝撃波に兵士達は一斉に尻餅をついた。この砲弾の爆発は、人海の波濤を瞬く間にうち消してしまった。
さらに、戦車に追従する73式装甲車の後方ハッチから普通科部隊が降車、展開して横に広がる体勢をとると、ゾルザルの兵に対して射撃を開始する。
満ちた潮は退くものである。
波は寄せては、返すものだ。
ゾルザル陣営の兵士達に残された道は、騎兵と同様に逃げ出すしかなかったのである。
ゾルザルの陣営から戦意を失った兵士達が次々と逃げ出していく。
その様子をゾルザルは呆然としながら見つめていた。
「逃げるな、戦えっ!」
将校や百人隊長等が逃げる兵士を捕まえて、前へ出るようにと強制するが、手から水がこぼれ落ちるように、兵士達は次々と逃げ去ってしまったのである。
諸侯達の軍に至っては、隊伍を組んだままゾルザルの元を去っていく。
「陛下。ご武運無きことは残念でした。この戦いも、最早これまでと存じます、私は国に戻らせていただきます」
そう堂々と言上して去って行く者までいた。
帝国が滅亡すれば、列国の間で帝国の版図の奪い合いが始まる。諸侯達としては、生き残りを賭けた自分達の戦いをしなければならなくなるのだ。
次々と去っていく諸侯達を見て、ゾルザルの周囲に居た兵士も不安に駆られたのだろう。その内の一人が、突然剣と楯を投げ捨てたと思うと、あっと言う間に逃げてしまった。それをきっかけに、彼の周囲にいた兵士もたちまち逃げ出した。
15万を超えた彼の軍は、こうして瞬くに霧散してしまったのである。
「何故、俺が負けなければならぬのか。帝国軍は無敵だったのではないか?」
誰もいない陣営の中で、ゾルザルは一人自問する。
立派な幕舎も、並べられた兵士達の天幕も、旗も、武器もそのままだと言うのに、誰もいないのである。
「陛下、まだここにお出でだったのですか。今は、お退き下さい」
馬を寄せてきたヘルムが、帝都に逃げるようにゾルザルに進言した。
残念ながら、軍事的には勝てなかった。だが政治的、外交などの手段でこの敗北を帝国の滅亡へと繋げないように努力するべきだと言う。
それは、モルトやピニャが講和派の議員達がこれまでして来た事であった。
「今更、講和など出来るかっ!!」
「陛下!陛下は、この帝国の皇帝なのです。皇帝であらば、最後までこの国を領導するのが勤めでありましょう。不利になったからといって、上手く行かなかったからと言って兵棋盤をひっくり返して、もう一度やり直し、という訳には参らないのです。こちらが何もしなければ、相手はどんどん駒をすすめて参ります」
「くっ、時を遡れるならば、まだやり直しようがあると言うのに」
「人生は一度です。他者に成り代わることも、時を逆戻しすることも出来ません。絵空ごとにに逃げ込むのはお止め下さいっ!」
屈辱に打ち震えるゾルザルは、声を震わせてヘルムに問いかけた。
「何故だぁっ!俺が、間違いだったと言うのか。俺は帝国のためにっ!……」
戦車の轟音がいよいよ迫ってきた。
陣営の柵が圧し破られて、静かになっていた陣営が敵の足音によって再び賑わってきたのである。
「さあ、急いでください」
へルムは、ゾルザルは馬に乗せると、その尻を叩いて走らせた。
こうして、ゾルザルはザラの地を後にしたのである。
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ゾルザルの敗亡は、彼が帝都に戻るよりも早く伝わっていた。
彼が玉座に戻った時には、彼を支える主戦論派の貴族・元老院議員も、彼の廷臣等も誰一人として残っていなかった。
皆、モルト派の報復を恐れて逃げ去ってしまったのである。
無人の宮廷。
ゾルザルは独り、汚れた軍装そのままに玉座に座っていた。
「誰かある、水を持てっ!」
野太い声が謁見の間に響くが、返事はない。
「皆、逃げてしまったか。帝国の皇帝が、この様とはな……」
水一杯ですら、自分で汲みに行かなければ得られないのである。だが、どれほど空腹に駆られても、乾きに耐えかねても、自分から腰を上げることは出来なかった。
自分から玉座を降りることは、自分が皇帝となったことが誤りであったと認める行為にも思えたからである。それは絶対に認めることは出来ないことであった。誰かがやってきて、力尽くででもいいから自分を追い散らしてくれれば、何処にでも行くことは出来ただろう。その者の責任に出来るから。だが、それをする者もいない。
自分から求めて座った筈のこの玉座が、今や自分を捕らえた檻のごとくなってしまっていた。
「へっ、ふへへ」
独り自嘲するかのように笑うゾルザル。気怠そうに、天井を仰いで今更ながら謁見の間の天井に描かれた絵画の存在に気づいた。その絵は、神々や使徒達の姿絵であった。
「ほう。天井にこのような絵が記されておったのか」
そのまま、天井を眺める姿勢のまま目を閉じる。
どれほどの時間をそうしていただろうか。暫くしたところで、謁見の間の扉が開かれた。
静寂な中でのその音は、普段以上に大きく響いた。
誰とも知れない1つの足音がゾルザルの元まで進み、止まる。
「遂に、死神が俺の元にやって来たか。どうれ、どんな姿をしているのか見てやろうか」
大儀そうに身体を起こして目前の者に目を向ければ、それはテューレであった。
盆に杯を乗せて、ゾルザルへと差し出す彼女の姿は、俯いて慇懃で、冷淡なまでの無表情さで貫かれていた。
「おおっ、テューレか。お前がおったか……」
ゾルザルはテューレの差し出した杯に手を伸ばすと、なみなみと注がれた水を、喉を鳴らしながら飲み干した。
乾きを潤すとゾルザルは口を拭って言う。
「気の利かない奴め。どうせならば酒を持って参ればよいものを」
「水を所望される声が聞こえましたので」
「ふんっ」
「ゾルザル様、いかがでしょうか。滅び行く気分は?」
「ふむ、なかなかに悪くない」
「なんて強がりを」
「いや、強がりではない。俺は、この椅子に座ることを夢見ていた。俺はそれを実現した。その上で滅びていくのだから、何の悔いがあろう」
「そうですか?」
テューレは立ち上がると、ゾルザルへと近づいた。ゾルザルは、そんなテューレに手を伸ばすと、まるで抱き潰すかのように引き寄せる。
「うっ……」
「痛いでしょう」
テューレは、ゾルザルの抱かれたままその耳元で囁いた。
彼女の手にした短剣が、ゾルザルの脇腹に深々と突き刺さり、赤いシミが大きく広がりつつある。
「…………ああ、焼けつくようだ。だが、お陰で俺は皇帝として死んでいく事が出来そうだ。これで俺の望みは完成される。礼を言うぞ」
「なんて強がりを」
「いや。そうでもないぞ。ホントに感謝しているんだ。俺は、お前を………」
そう言いながらゾルザルは大きく空気を吸うと、ため息をつくかのごとく太い息を吐きながら静かに瞼を閉じるのだった。
自らを抱きすくめる太い腕から力が失われたことで、ゾルザルの絶命を知ったテューレは、一歩、二歩と下がると短剣を投げ捨てた。手に付いた血を服で拭い、両手を見つめる。
「………やった」
「……………やった」
「………………皇帝を殺してやったわ!」
この手で帝国の皇帝を殺した。そう言って、テューレは暫し喜んだ。笑った。ゾルザルを罵倒して、悪口を叫び、殺した喜びを、誰も成し遂げた者の居ない、帝国を滅ぼすという偉業を達成した喜びに歓喜の声を振るわせた。
「わたしが皇帝をこの手で殺したのよ」
だが、そんな声も謁見の間の広大な空間が全て吸い取ってしまったかのように静けさに包まれる。
「あ~あ。終わった」
テューレはそんな事を言うと、謁見の間を後にした。
どこをどう歩いたのか、気づくと誰もいない宮廷の廊下を幽鬼のように歩く。
広い宮廷は少しばかり歩いたところで、行き止まることもない。だからテューレは足の向くままに歩き続けた。
「おや、そんなところにおいででございましたか?」
探しましたと言う声は、ボウロであった。4~5人ほどの配下を連れている。ならず者らしい彼の配下は、手に武器と、宮廷の財宝や調度品など金目になりそうな物を抱えていた。
テューレはボウロの姿に安心したかのように微笑んだ。
「今まで、どうしていたのです?連絡が無くて心配しました」
「何者かに監視されでいたでございまする。皇宮に近づくことも出来なかったのでございまするよ。それもこの混乱でどうにか誤魔化すことが適いましたが」
「そうでしたか」
「玉座の間を、拝見しました。どうやら本懐を遂げられたようでございまするな?」
「ええ。ようやく」
「つまり終わったと言うことでするな?」
「そうです。これまでの、貴方の忠勤には感謝しなければなりませんね」
「いいえ、良いのでございまするよ。今度は、テューレ様が、私のために働いて頂く番でごさいまするので。いひひひひ」
ボウロの言葉に、彼の配下の二人がテューレを両脇から挟むように立った。
その威圧感に、テューレ怖じ気づく。
「何だというのです?」
「宮廷というから金目の物が山積みになっているかと思ったのに、何も無いのでする。こうなっては赤字。でも、テューレ様は見目麗しいお体をお持ちなのですから、色々と役に立ってもらえまする」
「ちょ、ちょっと。待ちなさい、わたしに何をさせようと……」
「ウチは売春宿ですから、後は言わずともお判りでしょう。いひひひひひ」
「ち、ちょっと待って、いやぁっ!!」
テューレは腰を落として懸命に抵抗しようとした。だが、屈強な男達に囲まれて、ずりずりと引きずられてしまう。
「何でも望みのものを与えるというお約束でする。それを適えて頂くだけですよ、いひひひひ」
だがそこはボーパルバニー。手足をばたつかせて抵抗するテューレに男二人がかりでも手を焼いてしまった。余りの抵抗するので、鬱陶しくなったボウロは配下の男達に手足を縛るように命じた。
男達は袋や荷物を降ろすと、テューレに群がって押さえつけにかかった。
そこに突然の炸裂音が連続して鳴り響いた。男達は驚いたかのように身を捩らせるが、あっと言う間に倒れ伏していく。
テューレと、ボウロが音のした方向へと目を向けると、迷彩服とボディアーマーに身を包み、64小銃を構えた自衛官が立っていた。
「ふ、フルタ?」
古田は弾倉を交換すると、まだ息をしているボウロへ警戒の銃口を向けながら、テューレに近づいた。ナイフを抜いて、彼女の手足の戒めを切断する。
「き、貴しゃまは……」
ボウロの問いかけに、古田は応じた。
「自衛官さ。と、言っても判らないだろうな。一時は、緑の人と言われて有名だったんだぜ。吟遊詩人が歌ったぐらい」
「えっ」
テューレは驚いたように瞬かせた。
ボウロは「くそっ」と唾棄するかのようにして口から血を吐くと、そのまま起こしていた頭を床に落とした。
古田はテューレの手を取ると彼女を立たせる。
「ゾルザルとの契約も終わりましたし、内偵の仕事も終わった見たいなんで、俺は帰ります。時に、テューレさんはどうします?」
「どうするって……」
「一応助けに来たつもりなんですけどね」
「誰を?」
「テューレさんですけど……」
これを聞いた瞬間、テューレは世界が歪むのを感じた。
自分を救いに来る者などあり得ないと思っていたからだ。思わず拒絶するかのようにまだ古田に掴まれている手を引きはがそうとしたが、古田の手は彼女の手首を握って離さない。
「とりあえず、行くところがなければ安全な場所へつれていってあげますよ」
古田は無理矢理にテューレの手を引いて皇宮の廊下をずんずん進んだ。
建物から外に出ると、古田は周囲を警戒しながら、広場の一角に発煙筒を投げる。すると、白い煙が立ち上がって、空へと大きく立ち上った。
銃を構えて周囲を警戒しつつ、何かを待っているようである。暫く、すると上空から空気を叩くような音が近づいてきた。
「来ました。あれでアルヌスに行きますよ」
古田が振り返るとテューレは自分の腕を噛み、声を押し殺しながら涙を流していたのだった。
[1507] 自衛隊 彼の地にて、斯く戦えり /正式版 58
Name: とどく=たくさん◆20b68893 E-MAIL ID:5eba37fb
Date: 2009/03/03 19:24
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58
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皇宮、地下霊廟。
薄暗い祭殿に男の遺骸が安置されていた。『第1皇子』ゾルザルである。
皇帝ならば本来盛大な国葬をもって葬送されるはずであるが、講和派ばかりとなった元老院の決議によって、反逆の罪をもって彼は存在しなかった扱いとされる記録抹消刑に処された。為に、彼の葬儀もピニャを含めた僅かな近親者のみの密葬である。
薄暗く静かな空間に、祭司の祈りが低く響く。
弔いの炎に投じられる香の紫煙が、死臭を隠すかのように霊廟を満たしていた。
厳粛な静寂を破る衣擦れの音とともに、帝国皇女ピニャ・コ・ラーダが進み出る。ゾルザルの横たわる台(うてな)の傍らに花を捧げると、片膝を着いて死者の冥福を祈った。
「どうしてこのようなことに……」
ピニャは虚空に問いかける。
何故、どうして、と。
兄が進もうとした道に立ち塞がったのは確かに自分だ。だが、ピニャとしては、そうするしか他に採るべき手だてがなかった。皇帝たる父と、この帝国とを救うためには、そうするしかないと信じてのことだった。
もちろん武をもって対峙する以上、兄を死なせてしまう可能性が高いことも充分に弁えていた。だが、そのような最悪の事態を避けようと、無理を承知で和解の道を探りもした。その為には、ゾルザルが頼りとした武力を徹底的にうち破り、選択肢を奪い、講和しか残された道が無くなるように、と……。
その、結果がこれだ。こうなってしまった。
目前に横たわる冷たい骸と化した長兄。
その顔に浮かぶ表情は、薄い笑みを浮かべたどこか満足げなものであることが、ピニャにとっては意外でもあり、救いでもあった。
もし、怒りと憎悪に満ちた表情であったなら、苦悶と絶望に満ちたものであったなら……平静でいつづけることは、今ほど容易くはなかったろうから。
ゾルザルを滅ぼしてしまったのだ。誰でもない、ピニャ自身がである。そればかりか彼の存在したという証拠は公式には全て抹消されてしまう。彼に賛同した主戦論議員や貴族達の資産は全て没収され、軍人はその職を追われることとなった。そう、何もかも奪ってしまうこととなったのだ。
ピニャは自分の行為の結末に恐れおののいていたのだ。
いったい、何故、何故、どうしてこうなってしまったのか。
「兄様が、無体なことをしなければ、平穏に父から禅譲を受られたはず」
「そもそも、日本との戦争が無ければ」
「そもそも、門が開かれなければ……」
逆恨みと知りつつも、原因の原因の、そのまた原因へと、どこまでも遡っていく思考は、恨みやすいものを手繰るよせる。人は、憎み易いものを憎む。憎んでも、自らを傷つけないものを選びたがる。それが時として、運命だったり、神だったり、政府だった、国家だったりするのだ。ピニャは、自分にゾルザルを滅ぼさせた『何か』の存在を求めていた。
「何故『門』などと言うものがあるのですか?『門』など無ければ、こんなことにならなかったでありましょう」
ピニャの問いに答えるように、祭司は聖典の一節を諳んじた。
神話に曰く、世界は前後左右上下限りなく広がる『宇』と、過去から未来へと絶えることなく向かう時の流れ『宙』の二つの組合わさったもの。これをして『宇宙』と呼ぶ。この宇宙も、より高きところから見れば、山の頂からすそ野へと流れる、川の如きものである。数多の川の流れがあり、ささやかな流れ、急流、大河、渓流、この数は尽きること無し。その性、蛇行する蛇の如く蠢く。これらは時として互いに交わり、時として別れて進みゆく。世界流と世界流が接することを『衝』と言い、別れることを『離』と呼ぶ。衝すれば門は開き、離すれば門は閉じる。
祭司はピニャに向き直ると告げた。
「殿下、我々もまた、『門』の向こうよりやって来た者なのですよ」
最初、この世界を支配していたのは龍種でありました。
だが、何かが原因でその数が激減すると、『門』が開いてエルフがやって来た。そして、しばしの間エルフが大地の支配者となった。
やがて、ドワーフや、コボルトが。『門』が開らかれるたびに、数多の種がこの世界へと参入し、世界は雑多となっていった。
様々な種が、主役の座を奪い合って争い、勝った者が隆盛を誇り、負けた者は隅に追いやられる。その連綿と続く繰り返しの最中に、ヒト種がこの世界へと足を踏み入れた。
ヒトという種は、この世界に参入するや否や、瞬く間にエルフやドワーフを越える繁殖力と、コボルトやゴブリン、オークを越える知性の力でこの世界の主役となったのである。
「『門』がなければ全ては始まらなかったでありましょう。この世のあらゆる災難も、ですが、あらゆる幸福ももたらされなかったでありましょう。『門』無くして、我々はここに存在し得なかったのです」
「しかし、『門』を越えてやって来る者が、次の支配者となるならば、我々は駆逐される運命なのでしょうか?もし、そうならば『門』とは災厄でしかない」
「我々が嘗てそうしたように、『門』を越えてやって来る新しき者によって、今度は我々が淘汰されるかもしれない。その虞と恐怖こそが、モルト陛下に先制攻撃を決意させたと言っても過言はないと存じます」
ピニャは、ここで初めて祭司へと視線を向けた。
帝国が、『門』を越えてまで兵を派した理由が、初めて語られたように思えたからだ。
これまでは、新たなる領土への野心であるとか、有力貴族を衰えさせるためであるといった様々な理由がまことしやかに語られていた。だが、どこか承伏できないところがあったのだ。ところが、今、祭司の語った理由ならば、納得できてしまう。
「祭司様。ですが、結局の所それが仇となってしまいました。国を損ね、多くの人命を失い、あまつさえ兄すらこの手で……」
「嗚呼、殿下。結果が最初から解っていれば、物事を選び定めることが、どれほど容易く楽なことでありましょうか?殿下もまた、身に染みてそれを理解されているのではないのですか?」
「う………」
決断の結果が最初からわかっているならば、戦争に敗れる者もなく、商いに失敗する者もなく、恋に破れる若者もない。歴史から、最大の失敗、悪行と評される行為も、それが始められた時の動機は、立派なものなのである。物事の殆どは、結果が保証されていない。あらゆる可能性を検討し、確実性を高めてもなお、上手く行くかどうかはやってみなければわからないものなのだ。
長兄を死なせてしまったと悔やむピニャには、それが痛いほどよく理解できた。
それに、と祭司は続ける。
「帝国は行き詰まっておりました。いいえ、ヒトという種そのものが行き詰まっていると申してもよろしいでしょう。ヒト種は、停滞と退廃のなかにあって、種としての勢いも失いつつありました。そんなところに『門』が開らかれたのです。心ある者は、畏れました。新しくやって来る者によって我々は、押しのけれられ、隅に追いやられてしまう。その不安と恐怖、そして嫉妬こそが、戦争の原因だったと申せましょう。帝国は攻め込まないでいることは出来なかったのです」
「そして妾達は敗れた。『門』を越えてやって来たのは、日本人だった。彼の者達もヒト種だった。だから妾達を隅に押しやって、淘汰しようとはしないであろう。だが、彼の者達と知り合ったことで、我らは変化を余儀なくされる。彼の者のもたらす進んだ文物、新しい考え方、新しい生き方は、魅力的で妾達を徹底的に変えてしまうあろう。結局の所、旧き者は駆逐されて、新しい彼の者に飲み込まれてしまう」
「それが、時の流れなのではありませんか?」
これを聞いた途端、ピニャは立ち上がって祭司に向き直った。
「祭司殿。ついに貴方はその言葉を口にされてしまった。妾は、その言葉だけは聞きたくなかった。妾は自分が自分の責任で為したこと、迷いに迷って下した決断が、あたかも無為であったと言われたにも等しく思う」
祭司はピニャに対して、まるで怒れる少女を宥めるかのごとき態度で語った。
「殿下の言われている意味はわかります。ですが、それが真理です」
「では、兄様の生涯はなんだったと言うのですか?時の濁流に翻弄されただけ……まるで道化ではありませんか?」
「いいえ、逆です。ゾルザル殿下は道化たることを拒絶されたのです。唯々諾々と与えられた道を行くのではなく、自らの道を切り開こうと堂々と逆らった。そして、たまたま破れたに過ぎません」
祭司は「ごらんなさい」とピニャに促した。
「でなくて、どうしてこれほど安らいだ顔で逝くことができましょうか?」
ピニャは落胆したように嘆息した。
何かがズレているからだ。
多分、祭司はヒトという種を越えて、世界の視点に立って見ているのだろう。神の側に立っているとも言える。神から見れば、ヒト種が行き詰まったなら新しい種を導入して、世界を揺り動かして変えていけばいいのだろうから。
だが、自分達はどうする。どうすればいいと言うのか。ただ滅びろと言うのか。
祭司とピニャとの間に交わされているこの会話が、根本的なところで、噛み合っていないかのごとく感じる理由は、そんなところにある。
いずれにせよ、会話を重ねれば重ねるだけ、ピニャの不満は高まっていく。
「殿下は、ご自身のなさったことに後悔しておられるのですね?」
「妾が後悔していると?」
言葉こそ疑問形であったが、それは反論の色を含んでいた。
自分が後悔しているなどあり得ないと、続けようとした。だが言葉が出なかった。出すことが出来なかったのである。
このまま会話を続けてしまえば、見たくないものまで見てしまう、言いたくないことを言ってしまう虞がある。会話の道筋を曲がった途端に、陥穽に落ち込む。そんな予感が、ピニャの苛立ちをかき立てるのだ。
「殿下……」
ピニャが声を荒げる寸前に、割ってはいるハミルトンの声。
霊廟の静けさは彼女の遠慮がちな声でも、大きく響いた。
他人の会話に割ってはいるなど、本来なら無礼な行為であろう。だが、ピニャにとってそれは救いとなった。会話を中断する理由となってくれたから。
「どうしたハミルトン」
「…………ロゥリィ聖下が参られました」
久しぶりに耳にした名に、急に気分が切り替わるのを感じるピニャ。ロゥリィ、伊丹、テュカ、レレイ達と、東京へ行ったり、温泉に入った記憶は楽しい思い出である。
だがピニャは、ハミルトンが妙に緊張していることに気づいた。そう言えば、ロゥリィが来たとしか言わなかったことに思い至る
「まさか、聖下はお独りで参られたのではあるまいな?」
ロゥリィ・マーキュリーという亜神は、死神の二つ名を持つことで知られている。
戦いと、断罪、そして狂気を司るエムロイの使徒として、彼女はただそこにあると言うだけで周囲に過激なまでの緊張感を強いる存在なのだ。彼女の視界の及ぶ範囲では、水が凍るとまで言われるほどに畏怖されているのだ。
もちろん、ピニャはそんなロゥリィの姿は知らない。ピニャの知るロゥリィは親しみやすい雰囲気を持ち、結構情の深い女性である。でなければ、どうして一緒に温泉を楽しんだりできるだろうか。
実際に話してみれば、他人から伝え聞いていたような、殺伐とした圭角(けいかく)は全く感じなかったのだ。ただ、もしそれが、とある男が介在していたからだと言うのなら、ロゥリィが独りかどうかという問題は結構深刻である。人食いの猛獣と同じ檻に入るにあたって、調教師の介添え無しと言うことは誰しも遠慮したいと思うだろう。
ハミルトンは、ロゥリィが独りかという問いに対して、微妙な面持ちで首を振った。
「レレイ様とお二人です。ただ、レレイ様がお加減が悪いようなので、紫殿(むらさきでん)の方にお通しいたしました」
「レレイだけ?イタミは居ないのか?」
「はい……誠に残念な事ながら」
「………………それで、そんなに顔を引きつらせているのだな?」
ハミルトンは返事代わりに、両手で顔を覆うと表情筋の緊張を和らげるかのように、コシコシと擦った。
ピニャは俄に沸き上がる緊張感によって、祭司との会話もすっかり忘れてしまった。
紫殿は、皇族が私的な来賓をもてなす際に用いられる部屋である。格としては中の上程度と言えるだろう。
調度品も、豪華さよりは居心地の良さ、使い勝手の良さに重点が置かれているので、高級品であっても超が付く程のものではなかった。そんなところから、『金になりそうな物は片っ端から売り払う』というピニャの経済的焦土戦術の犠牲にもならずに済んだのである。
ピニャは、装いを喪服から賓客を迎えるにふさわしいものへと変えると、その部屋を訪れた。
通常ならば「お久しぶりでございます」などと言って、最上級の礼をもって、亜神であるロゥリィとの再会を慶んだりすべきところだ。だが第一声から、「どうされたのですか?」になってしまった。
と言うのも、レレイが長椅子に横たわらされており、宮廷医師が彼女を診察していると言う光景が目に入ったからだった。そうなればわき目もふらずそれに意識を集中するしかない。傍らに存在する、鋭い刃物を押しつけたようなピリピリチクチクする気配を放つ『何か』に、意識や視線を向けることだけは避けたかった。
「具合が悪いとは聞いていたが、ここまでとは……」
元々白いレレイの顔色は、最早蒼いと言っても良いまでになっていた。呼吸も細く、肌からは多量の汗をかいていた。何時伸ばしたのか、流れるような銀髪が腰まで届くほどに伸びていた。
「おお、殿下がおいで下さりましたか!このお嬢さんは、非常に消耗されておいでですが、ご病気や怪我の類ではございません。安静になされ、食事をきちんととられれば、きっとご快復されるでありましょう」
診察を終えたらしい医師はピニャに救いを求めるかのように手を伸ばすと、診断した内容を告げた。その額には、何故か汗を多量に噴出させている。指先などは小刻みに震えていた。
ピニャも医師の手を取ると語りかけた。
「そ、そうか。では、早速食事の支度をさせよう。余り重くないものが良いのであろう?」
ピニャの言葉に、医師は「はい、そのとおりです」と頷き、傍らにいたハミルトンなどは「山羊の乳で作った麦粥などが宜しいでしょう。それに果物などがよいですな」などと、妙に具体的な献立を口にして、それらを手配すると称して、まるで逃げるようにして部屋から出ていってしまった。医師も、「余り甘くしてはいけませんぞ」と言いながら、いそいそとその後を追っていく。
「………………で、いったい何があったのだ?」
結果として独り残されたピニャは、当の病人であるレレイに尋ねた。
レレイも答えようとした。だが、レレイよりも早く返事をしたのが、禍々しい空気を四方八方に振りまいているロゥリィ・マーキュリーその人であった。
「ベルナーゴへ行ってぇ、あちこち巡り歩いてきただけよぉ」
話しかけられてしまった。
ついに話しかけられてしまった。
こうなることを避けるために、懸命に目をそらしていたと言うのに。直接話しかけられてしまっては振り返らざるを得なかった。
観念したピニャは、おそるおそるロゥリィへと視線を向けた。
案の定、そこに立っていたのは死神と狂気の使徒として、刺々しさ満載の黒い亜神であった。どす黒いオーラを湛え、その微笑は、冷ややかな妖気を周囲に満たしていた。
視線を合わせたら死ぬ。生き返らされて、また殺される。それを4~5回くらい繰り返されそうな恐怖で、全身に鳥肌が沸き立つのをピニャは感じていた。
「ベルナーゴ?ベルナーコ神殿にまで参られたのですか?」
「……そうよぉ」
口調からして、不機嫌な響きで充ち満ちている。ふて腐れているのだ。
誰か助けてくれ、そんな悲鳴を心中で上げつつも、ピニャは泣く泣く機嫌をとるように話題を振った。
「しかし、それだけでレレイがこのようになってしまわれたのですか?」
「あちこちに行ったと言ったでしょぉ。その間、ずうっとレレイに負担がかかっちゃってぇたのよぉ。それでこの有様。耀司達は先を急ぐのに、レレイは休ませないといけないってことになってぇ」
伊丹から、「ロゥリィ、レレイを頼む」と言われてしまったと言う。なにしろ、仲間でもあるレレイのことだし、伊丹から両手を合わせて頼まれればロゥリィとしては嫌な顔も出来なかったと言うのだ。
「お陰で、置いてきぼりぃ」
なんて事をしてくれたのだイタミ殿ぉ、と言う心の叫びをあげつつも、雰囲気を明るくすべくピニャは必死になって話題を紡いだ。
「で、い、いったいどんなところまで行って来られたのですか?」
「トワイル、クナップナイ、ヒョムラ……」
「他の街は寡聞にして知りませんが、クナップナイは聞いたことがあります。随分と遠いところのはずですが……」
「そうよぉ。」
「観光ですか?確か風光明媚なところだそうで……」
「違うわぁ。この世の終わりが近づいていることを確認するためよぉ」
ダメだこりゃ、とピニャは肩を落とした。
話題が、明るくなるどころか、どんどん悪いへ方向へと落ちていく。しかも、事も有ろうに「この世の終わり」とは……神経をすり減らしながらも、なんとか維持して来た緊張も息が詰まって限界に達しそうであった。
「お、穏やかでありませんね。何かの間違いでは?」
「ハーディの予言よ。そして、わたしぃが認めたわぁ。それ以上に証拠が必要?」
「ベナーゴ神殿で?」
「そして、その兆しを各地で見たわぁ。地面が歪みの中に飲み込まれていた。そして、それはゆっくりとだけど広がりつつあったわぁ」
どうやらロゥリィの放つ禍々しさは、伊丹に置いてきぼりにされたことだけが理由ではないようである。
とは言っても「世界が終わる」となると事態が大きすぎてかえって事の深刻さが身体に染み入って来ない。
それでも、当然の話の流れとして原因について尋ねることは出来た。
「いったい何故なのですか?」と。
ロゥリィは小さく嘆息した後に、こう告げた。
「門が開きっぱなしになっているから、よぉ」
「嫌です!!門が無くなったら、このアルヌスの街はどうなるんですか?生活者協同組合はどうなるんですか?!」
「そうだ、そうだっ!」と、反対の声が集まった従業員達の間でたちまち広がって行った。
アルヌス生活者協同組合で働く、何百人もの従業員達。彼らは、現実をきちんと認識していた。『門』から入ってくる日本の産物と、自衛隊の存在によって、自分達の生活は維持されているのだと言うことを。
この、理想郷のごとき街で暮らしが続くか否かは、門の存在にかかっている。そう思えば、門を閉めるという話に反対するのも当然と言えるだろう。街を無くす、組合を廃止すると言っているのと同義なのだから。
テュカは予想した通りの反応に、気持が怯むのを感じながらも、自分が見てきたものを語って聞かせた。
大地が、暗黒の歪みへと飲み込まれ崩れていく恐ろしい様は、それこそ言葉での描写では足りないぐらいであった。本当に理解しようとするなら、実際に行ってみるしかないだろう。だが、これまでも起きたことのない地揺れもあったし、空の歪みならば、ここからでも観測できる。それら1つ1つを手がかりにして、門を閉じないといけないのだと説明し、わかって欲しいと告げたのである。
だがしかし、PXの猫耳娘が叫ぶ。
「嫌だニャ」と。
彼女らは口々に言った。今すぐどうこうと言うことでないのなら、今すぐ門を閉じる必要はないと。もっとせっぱ詰まってから閉めればいい、と。
PXの猫娘は悲鳴のような声で言った。
「ここから出て何処へ行けと言うニャ?また前みたいな惨めな暮らしに戻れというかニャ?侮辱されたり、酷い扱いをされても黙って我慢しなきゃいけない生活に戻れと言うかニャ?」
「前の暮らしに戻れと言うぐらいなら、世界なんて滅びればいいんだ」
「あんたは、ハイエルフだから、俺たちの気持ちが判らないんだ」
そんな言葉すら飛んだ。
だから、テュカは告げた。
「門を閉じるなら、早いほうが良いのよ。そうすれば、また開く時に手間がかからなくなる」
また開く?門を?
今、閉めるという話をしていたものを、再びあけると言いだしたことに誰も彼もが疑問を持った。そして、テュカから追加の説明を待って黙るのである。
皺1つ無い制服で身を包み、直立不動の姿勢をとる伊丹耀司。
首相官邸にあって彼は、内閣総理大臣、官房長官、事務秘書官、そして自衛隊制服組の錚々たるメンバーを前に、意見具申していた。誰も彼もが、伊丹に余計なこと言いやがってと言う、厳しい視線を向けて罵声を浴びせていた。
「何を言うんだ貴様はっ!!」
「たかが、一自衛官の分際で国政に意見しようとは、何事だっ!」
「総理。個人的な知人とは言え、こんな奴の言葉に耳を貸されてはなりません」
だが、傍らに感情を高ぶらせる人間が居るとかえって冷静になるもので、首相の椅子に座っていた麻田は、伊丹をジロリと見るとこう告げた。
「伊丹よぉ。お前さんだって、わかってるだろ。とんでもない規模の油田が見つかって、資源の類も期待できる。アメリカやら、中国、EUも分け前を期待して嘴をあけてる状態だ。もう、門の向こうで開発を始めるってことで、多額の金と人が動いてるんだ。そんなところに来て今更『門を閉じます』なんて言ってみろ、どうなる?」
「まぁ、ただじゃあ、すまないでしょうねぇ」
相変わらず空とぼけた表情で後ろ髪を掻く伊丹。そんな彼の態度が周囲をますます激昂させる。
「流石の俺の首もぶっ飛ぶぜ。いや、俺の首だけならまだ良いけどよぉ、日本その物がやっかいなことになっちまう」
「ま、そうかも知れませんが、このまま放っておきますともっと酷いことになるってことでして……」
「世界が終わるってか?如実には信じがたい話だ」
「自分もそう思います」
「で、なんでまた、そう言うことになるんだ?」
あらかじめそう問われることを予想していた伊丹は、用意して置いた長さ3メートル程度の黒と白、二本のゴムひもをポケットから取り出して説明を始めた。
「失礼ですが、こちらの端を持って頂けますか?」
そう告げて、黒白それぞれの断端を麻田に持たせ、さらにその反対側は官房長官に預けた。こうして黒白二本のゴムひもが二本、数学的に言う『ねじれの位置』で列んだ状態をつくる。
「この二本のゴムひもが、我々の世界と、特地側の世界です。実際は、ねじくれたり、螺旋を描いていたり、曲がりくねっていたりするそうですが、ここでは便宜的にゴムひもで直線として現します。白を我々、黒を特地としましょう。このようにねじれの位置にあると互いに交わることがありません。官房長官側を過去として、総理の側を未来として、私が指さしている場所が『現在』になり、我々はこのゴムひも上を時の流れに従って流れているのだそうです」
伊丹は官房長官側から、ゴムひもをゆっくりたどって歩いた。時間が進む毎に、伊丹の指先が総理に近づいていく。
伊丹は、事務秘書官と、首相補佐官にも参加して貰い、2本のゴムひもが真ん中あたりて交差する関係を作らせた。二本のゴムひもが交点で作る角度は広い。
この二本の接点を伊丹は指さす。
「このように、黒白二本のゴムひもがくっついた瞬間に現れるのが『門』だそうです。我々は、このゴムひも上を時間の経過と共に流れていますので、『門』は一瞬目の前に現れて、一瞬で消えてしまうように見えるようです。『門』が、一定時間長期に渡って開いているには、暫くの間互いに密接に長く接している必要があります、このように……」
伊丹は事務秘書官を総理に、首相補佐官を官房長官側に立たせて、黒白の二本が端から端までくっついているように並べさせた。
「これですと、二つの世界の間では『門』は終始安定して開いています。でも、実際にはこんな並び方をしている世界は滅多になくて、実際はこういった形になるそうです……」
麻田と事務秘書官、首相補佐官と官房長官の間を少し開らかせて、黒白二本のゴムひもがつくる交差が鋭くなるようにゴムひもを並べた。
「こんな感じです。数学的には交点はあくまでも点ですが、二つの世界が非常に近い位置関係にある状況なら、特地側にある神秘的で、我々にはまだ確認されていない方法で働きかけると『門』はひらくそうです。これなら、暫くの時間二つの世界はくっつけておくことが可能になると言うわけです。往来も可能です……」
伊丹は、両手の指先で、二本のゴムひもを束ねるように摘んだ。伊丹の左右の手の間の部分は、黒と白の双方が束ねられてくっつく。
「ですが、二つを無理にくっつけていると言うことは、この二本のゴム紐が引っ張られているように、無理な力がかかるわけです。普通なら、一定の負荷がかかると自然と門は消失してしまうのですが、現在『あるもの』によって、『門』が強固に維持されている状態だそうです。その為に、世界その物に無理な力がかかっていて、このまま引っ張り続けると……プチッと……」
伊丹が、ゴムひもを無理に引っ張ったために、白いゴムひもがプチッと切れ、弾けた断端が何かのコントのごとく官房長官の手を打った。
「いてっ…」
何するんだ君は、痛いじゃないか、と怒る官房長官を無視したたまま伊丹は「以上です」と麻田へと向き直った。
麻田は大きな舌打ちをすると、「それを防ぐにはどうしたらいいんだ?そもそも門を閉じるって言うが、どうしたら閉じることが出来るんだ?」と尋ねた。
「総理、こんな与太話を信じるんですか!?」
官房長官や事務秘書官達は言い募ったが、麻田が最後まで聞く姿勢を見せているので伊丹は答える。
「とにかく、『門』を閉じれば二つの世界にかかった無理は解消されるそうです。そしてその為には、アルヌスの門の周囲に作られた六芒星の構造体を破壊することが必要となるだとか」
臨席していた制服組自衛官達は、「アルヌス駐屯地の防御陣地か…」と呻いた。
「随分な与太話だな」
「ええ、まあ。自分も正直言って半信半疑です。ですが、『門』そのものが今の科学では説明が無理な代物ですから、頭から否定するってことも出来ません」
「そうだな。だが例えそうだとしても、物事には信じるに至った経緯ってもんがある。お前さんが、それを信じた時の話を聞かせてもらおうじゃねぇか。それでこれからどうするかを決めようと思う」
「はい」
伊丹は頷いた。そして自分が見たもの、聞いたことについて報告を始めた。
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照明を落として真っ暗になった舞台に、天井に開かれた天窓から一筋の光が注いでいる。
そんな情景描写が似合いそうなベルナーゴ神殿の深奥では、幻想的な情景が繰り広げられていた。
冥王ハーディの降臨である。
上から光の砂が振ってきたかと思うと、まるでそれが中空で漂い、やがて女性の姿を形作った。
伊丹は映画の特殊効果かホログラムの類を疑って、背後に映写機がないか振り返って確かめてみた。だが、映画館の映写室などに見られる、スクリーンへと伸びる光の筋はみられなかったし、また神殿の床や天井にも、見て解るような細工はなかった。
皆の前に姿を現したハーディは銀髪を腰まで伸ばした20代前半女性の容姿をしていた。静謐なる表情はまるでガラス細工のごとく繊細な美しさを湛えていて、細いたおやかな肢体は女性的な曲線を、慎ましやかながらも滑らかに描いていた。
向こう側がかすかに透けて見えるそんな存在が、こちら側に向けてその一歩を踏み出す。その瞬間、見とれるかのごとく注視していた伊丹の視線が、ハーディの緑瞳と合わさった。
彼女は、軽く微笑むとおろしていた右手の先を、僅かにもたげて挨拶を送ってきた。まるで舞台上の有名人が、客席に知り合いを見つけたかのごとき振る舞いで、伊丹は思わずドギマギしてしまった。
炎龍の件もあってハーディには余り良い印象を持っていなかった伊丹であるが、美しい女性に微笑みを向けられれば悪い気はしない。それに、神々しくも厳かに現れた神様だったから、高飛車で高慢なタイプかと思ったら結構気さくな感じだったし。
ただ、ロゥリィから聞いた話によれば、昇神すれば容姿は思いのままだと言う。だから生前からハーディがこの姿であったとは限らない。
やっぱり整形美女なのかな?
整いすぎるほどに整った容姿を見て、伊丹はそんな失礼なことを考えてしまった。すると、ハーディは急に心外そうな傷ついた表情になり、ロゥリィの袖を引いて何かを切々と訴え始めた。
だが残念なことにそれは伊丹達には聞こえない。まるで、音声の途切れたテレビ映像のようである。いや、伊丹だけではなく、テュカやレレイ、ヤオにも聞こえていないようで、ただただ唖然としているばかりであった。
神殿の神官連中はと言うと、ハーデイの姿を見ること事態畏れ多いとひれ伏しているだけであった。だから、この場でハーディの声を聞き、受け答えできるのはロゥリィだけなのである。
涙目のハーディは何やら必死になって、伊丹を指さしロゥリィに詰め寄る。
ロゥリィは、ただただ面白そうな表情のまま黙っているのでなんだが急にハーディが可哀想に思われてきた。意地悪なロゥリィが、彼女を無視しているという構図だからだ。
気の毒に思った伊丹は尋ねることにした。
「この人、何を言ってるんだ?」
ロゥリィはやれやれと言った感じで「『整形じゃない』って伝えてくれって言ってるのよぉ」と説明した。
伊丹も流石に不味かったと思って「これは失礼しましたっ」と頭を下げた。そして気づく。「て、もしかして『心』読んでます?」
わかってくれて有り難う、とパッと花開いたような表情に変わったハーディは、伊丹の思念に返事するかのように首肯する。
美女を前にして、こころの中が駄々漏れとわかり、疚しさを覚えない男がどれだけ居るだろうか。相手が美人で艶めかしいほど、いろいろと不味い筈である。まぁ、不味くない人はそれでも良いのだが、伊丹は思わず「迂闊なこと考えらんねぇ……」と呻いてしまった。実に正直な男である。
ハーディはそんな伊丹の思考までも読んだのか、苦笑して何かを言った。だが、ロゥリィが憮然とした態度のままで通訳しなかったため、何を言ってるのかはやっぱり理解できない。
ロゥリィの意地悪に業を煮やしたのか、ハーディは何かを探すように周囲を見渡した。そして、「あっ」と見つけるとそれに向かって走り出す。
「あ、待ちなさいっ!!」
ロゥリィは引き留めようとしたが間に合わない。
ハーディはその場にいたレレイの中へとすっと飛び込んでいた。
レレイは実体のある何かに正面からぶつかられたかのごとく、神殿の床に倒れて光に包まれていた。
「何ってことぉ……」
ロゥリィは交通事故を目撃してしまった少女のように、口を手で覆い呆然としていた。神官達も唖然としている。
そんな中で、髪が腰まで伸びたレレイがすっくと立ち上がると言った。
「遠路はるばる、よくおいで下さいました。私がハーディです」と。
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