[1507] 自衛隊 彼の地にて、斯く戦えり /正式版 48
Name: とどく=たくさん◆20b68893 E-MAIL ID:5eba37fb
Date: 2008/12/17 09:22
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戦争は始まったら最後、簡単には終わらない。どうやって終わらせるかを考えずに始めることは愚かであると言われる所以である。
誰も彼も戦争を始める時、我が方に正義ありと思って事を始める。それが悪逆であることを自覚して始める希有な例も無いとは言えないが、多くの場合はそうである。故に、殺して殺されるという戦争にあって、殺されたことばかりが敵の罪として喧伝されることとなり、恨みつらみと憎しみを積み重ねて、復讐の念に燃えた青年や、少年や、男や女が、家族や一族、そして民族、仲間の恨みをはらすためと信じて戦いへと没入していく。
現在、世界を覆い尽くしているテロ戦争がそうだ。
中近東で、いや全世界で多くの民衆を巻き込んでいるテロ戦争は、行き着くところ同じ神様をあがめているはずの、ユダヤ、イスラムとキリスト教徒同士の、言うなれば近親憎悪的争いに端を発している。
争いをなくすにはその原因をみつけなければならない。そしてその原因は、貧困であると言い出す人がいる。残念だがそれは嘘だ。貧困は戦争の理由とは成らない。貧困の原因を誰かの責任だと言い出した時に、争いが起こるのだ。
争いの原因に過去を持ち出す者もいる。
なるほど、確かに我こそは過去の被害者であると主張する国家、民族ほど、現在醜悪とも言える殺戮をしている例が多い。
例えば、ナチスによる被害を言い立てて、神話を楯にパレスティナの地に自国を持つ権利を主張するイスラエル人。建国する際に、平和に暮らしていたパレスティナ人を虐殺し、追いやり、土地を奪った。そして今なお、抑圧し殺し続けている。それはもう、質量共に昔アウシュビッツの地であったとされる出来事を遙かに越える虐殺となっているだろう。
チベットやウィグルで今、中国がやっていることもそうだ。
ならば、過去を理由にして現在殺す者は、明日殺されることになるということだ。なるほど、彼らは将来殺される側に回ることへの恐怖故に、今なお殺し続けるのかも知れない。
とにかく力の強い者が悪い、と言い出す者がいる。
アフガニスタンの現状が、さも全てアメリカを始めとする西側先進国の責任であるかのごとく言い立てる左側諸氏などがそうだ。
だがそんな主張を聞くと思うのである。そもそも『平和なアフガニスタン』をメチャメチャにしたのは、諸氏の大好きだった共産主義の大本山たるソビエト連邦であるという事実はどこにいったのだろうと。コミュニストが侵攻さえしなければ、アフガニスタンは今でも平和な国だったのだ。
ま、それを言っても始まらないだろう。
結局、理屈と膏薬はどこにでも張り付く。盗人にも三分の理。どんな悪行であっても、理屈を上手に操る者はそれを正義と喧伝するのだ。そして、声の大きい者が勝つ。勝った者が正義となる。
過去は遡れば、どこまでも遡れる。歴史の教科書は、殺して、殺されて、殺して、殺されてという殺伐な記述で一杯なのだから。結局の所、人類の起源にまで行き着いてしまう。旧約聖書に寄れば人殺しの起源は、アダムとイブの息子カインが、自分の兄を殺した時だという。聖書も、さしてページを捲らぬ内にそんな出来事が書いてあるぐらいなのだから、それはもう人間の本質と言うことだ。
戦争は、憎しみ、恨み、名誉、虚栄、生存競争などといった人間の根元的要素が絡み合っておこる殺し合いだ。戦うべき理由はどこにでもあり、そしてそれらは根絶不能だ。全知全能の唯一神とやらが、自らをあがめる信徒に向けて「我が命ずる。戦いを止めよ」と天啓を下さない限り、信徒達はその名を呼びながら戦うだろう。貧困が原因ならば、地上に住まう全ての人間に富をもたらす方法を見つけない限り戦いは無くならず、過去が原因なら、それと決別しない限り人々は自分の物でない恨みを晴らそうとし、自分の物でない恨みを自分の子に植え付けようとする。
故に、和平への道は険しい。
情緒と過去の連鎖を断ち切り、戦闘中の当事者同士が争いを止めるのは、始める以上の労苦が必要となってしまうのだ。
帝国と日本との講和交渉も、互いに矛を収めようと言う同じ目的に基づいて始められたものではあるが、どのように終わらせるかにあたっては互いの見解の相違が際だっものとなっていた。
帝国としては戦争の終結をするとしても、よりマシな形を選びたいと思っている。すなわち敗北ではない形である。実質的な敗北であっても、内にも外にも敗北という印象を抱かせない、そんな形を志向していた。
対するに、日本側としては戦争の終結に当たって、銀座の真ん中に門を開いて多数の死傷者を出した行為への謝罪と賠償は不可欠で、求められるのは明確な勝利だ。これなくして、日本国民は納得しない。
従って、そこで交わされる言葉は、姿形を変えてなされる戦争となった。
時に激しいやりとりが交わされ、知恵を絞り、術策権謀を張り巡らせた言葉の戦術が展開される。それは、武器を持ってする戦争のそれと違って、さしたる技術的格差も無いがために、進展したかと思えば後戻りをするという、徒労にも似た繰り返しが続いていたのである。
「現状のような軍事的圧力下において、講和の条件についての冷静な論議はとてもできない。我々はとりあえずニホン側に矛を収めることを求めたい。ここで我らは、いかにして恒久的な平和を確立するかという話し合いをしているのだから、仮初めにしても現状で戦を休む協約を結ぶことは、交渉の論旨にもかなうはずだ。実際のところ双方で戦いが行われなくなって久しい。自然に生じたそれを、形としてまとめるのに何を躊躇う必要があるだろうか?」
物事というのは、ホント、言いようである。
帝国側の論客キケロ卿の言葉は、状況を無視してその文言だけ取り上げてみれば、物事を一義的にしか捕らえない者には、まともなものとして聞こえてしまうという詐術が込められていた。
類似の理論展開は、我々の日常に置いて例えるに、死刑廃止論者などがよくするものとして散見される。曰く「死刑の是非についての現在論議中なのだから、結論が出るまで死刑の執行は停止されるべきだ」と言うもの。
なるほど、理に適っているかのように見える。だが、期限を切らないでなされる議論に結論は出ない。従ってこの論は、議論を永遠に続けることで民意も法律も無視して、実質的な死刑廃止を成立させるための罠と言えるのである。
この手の主張は死刑廃止派のみならず捕鯨など、各種の議論に置いて散見されるので新聞などを読む際は気に留めておくと面白い。
一方、日本側代表の白百合は、講和の条件について論じている最中、都合が悪くなるとこの話を蒸し返してくるキケロに、いささか辟易としていた。太く長い息を吐くと、少し演出過剰とも思えるほどに気怠そうに背もたれに身体を委ねて、低く抑えた声で以下のように答えた。
「私たちの忍耐力にも限度というものがあるのですよ、キケロ卿。残念ながら、講和交渉の始まりは平和の到来を約束しません。講和会議を始めて早10日。ここで無駄に費やされた一分一秒が、アルヌスで散華された帝国兵の貴重な人生を蕩尽して得られたものだということをしっかり認識して頂きたい。愚かしい時間稼ぎは、今後浪費されるであろう人命に対する冒涜以外の何物でもありません。勿論、命というものに対する見解の相違が、貴国と我が方との間には大きく横たわっていることは存じております。が、そのようなのんきな態度をとれるのも、きっと失われるのが他人の命と思っておられるからだと私は愚考いたします。ですから、矛を収めることは致しません。私たちは、必要と思ったら、いつでもどこでも攻撃する権利を保有し続けます。明日は我が身と思う緊張感こそが、この会議を実り多きものへとつなげると信じているからです」
「それは脅迫ですかな?」
「ええ、改めて確認されるまでもなくその通りです。この度の講和会議も、言うなれば勝者たる私たちより、敗者たる帝国の皆様につきつける脅迫なのです。もしかして、別のものだと思いたかったのでしょうか?ならば、今の内に心構えをどうぞご修正下さいませ」
「ほほう。我々が敗者だとおっしゃられるか?」
「ええ。私たちそのように認識しております」
「これは異な事を。我らは、まだ負けておらぬが」
「まだ……ですか?」
「そうだとも。確かに、我が国は門を失い、アルヌス周辺を占領されておる。夥しい数の将兵をも失った。これは認めよう。だが、戦いその物の決着はついておらぬ」
「これは困りましたわ。どのようにしたら敗北を受け容て下さるのでしょうか?」
「この首都を瓦礫の山にし、夥しい死者で大地を埋めるがよかろう。貴国には、それをする力はあるのだろうからな」
だがキケロの笑みは、言外に語っていた。それをする力はあっても、したくはないだろう?そもそも出来るのか?と。
「ニホンという国は、人道というものを尊ぶと聞く。では、帝都を破壊し、民を殺し尽くすことは果たして人道的なのであろうか。あまり強がるものではないぞ。ニホンの軍に出来ることは、精々、無人の建物を破壊するくらいだ。我々としては壊れた建物はまた造ればよいのだ。それに、この大陸の平和は我が帝国が維持している。帝国のない大陸に最早平和はない。それとも帝国亡き後、大陸全土を包む戦乱を納め、平和を維持するという面倒を、我らに代わってニホンが引き受けてくれるとでも申されるのか?」
キケロは、見事なまでに日本側交渉団の足下を見透かして来た。これには日本側も沈黙をもって応ぜざるを得なかった。技術、戦闘力のいずれにおいて桁外れに優位な日本であるが、戦争にかかるコストも桁外れなのである。現在の日本に、特地の大陸全土を安定させるだけの余裕はない。
「そこでだ。我らとしては、現状維持で戦を終わらせることを提案したいのだよ。双方勝ち負け無しの痛み分けと言うことでな。そのために、講和条件の第1項、責任者の処罰についての要求を撤回してもらいたい」
キケロ以下、帝国側代表団はそう言って迫った。
勿論、白百合以下、日本側も負けていない。菅原が白百合に視線で許可を求めた上で腰を上げた。通訳を介す必要のない菅原は流暢な帝国の言葉で、話し始める。
「帝国の皆様は、短い間に我が国をご研究なさった様子。感服いたします」
そう言って菅原は、帝国側通訳として控えるボーゼス達語学研修生へと視線を巡らせた。彼女たちが、アルヌスで集めた日本人についての報告が役に立っているのだろう。あるいはピニャの報告も。
「ご見識の通り、我が国がこれまで帝国への攻撃を手控えていたのは、帝国による平和が揺るぎ、この大陸の各国が互いに相争う戦乱の荒野となり果てないためでありました。いえ、別に感謝をして頂く必要はありませんよ。所詮は、我々の利己的な都合に従っただけなのですから」
菅原は、人の悪い笑みをキケロに、そしてカーゼル侯爵達へと向ける。
「ですが考えてみると、何もその役目は帝国でなければならぬという訳でもないんです。実は最近、我が国は帝国とは別の国と友誼を結ぶことに成功いたしましてね。個人的な考えなのですが、大陸の平和を守る覇権国家たる役目、その国に代わって貰ってはどうかと思っています。これを本国に提案しようかと思っているのですが、皆さんは、どう考えられますか?」
今度は、帝国側代表団が沈黙する番であった。
「我が国は、人道的であることを標榜している国家です。故に人々や都市に直接手をかけるようなことはしないかも知れません。ですが、帝国を取り囲む他の国はどうでしょうか?これまでの帝国の有り様を顧みて、それほどの恨みを買っている国はないとおっしゃるのでしたら、これまで通りにどうぞ。ですが、少しでもお心当たりがあるようでしたら、先ほど白百合が申しましたように、この場が、どのようなものであるかの認識を改められますよう、お勧めいたします」
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「へぇ、菅原って結構やり手なんだなぁ。ただのロリじゃなかったことか。帝国側は完黙だねぇ」
陸上自衛隊・帝都事務所の所長新田原三佐は、指揮所に据えられたスピーカーから漏れ聞こえる会議の様子にじっと耳を傾けながらそんな感想を漏らした。帝都事務所スタッフの一人、十条三等陸曹は無線機のスケルチ調節摘みをいじりながら、そんな新田原の呟きに応じた。
「これで、今日の話し合いも終わりって感じですね」
スピーカーも、会議終了後のざわざわとした喧騒を流していた。
新田原は「ああ。これで、帝国側が、態度を改めればいいけどな」と肩を竦めると、机の上に置いていた書類をまとめ始める。
「でも、皇帝は退位するってことで責任をとるつもりなんですよね?なんでまた、その事でゴネるんですかね?」
「そりゃ、条件交渉に決まってるだろ。こちらは、これを受け容れるんだから、そっちは、要求を引っ込めろ、あるいはもう少し楽なものに変えろ、とかのな」
「でも毎日毎日、よくやるよって感じですね。この後の午餐会では打って変わって和気藹々と話をするってんですから。面の皮が厚いというかなんていうか……、っと忘れてた」
言いながら、十条は思い出したように無線機のマイクを手に取ると、各所へ本日の会議が終了したことを告げた。
「CP(指揮所)より各位、状況終了、状況終了」
講和交渉団サポートチームの仕事も、今日の所はほぼ終了である。
周りに詰めていた外務省関係者とか、特殊作戦群から派遣された連絡員とか、二科(情報)担当なども、皆緊張から解き放たれような顔をしている。湯飲みに手を伸ばしたり、凝った肩を拳で叩いている者などもいた。
「おい十条、休憩中も交代でモニターは続けさせておけよ。まぁ、大丈夫だろうけど、お家に帰り着くまでが遠足だからな。それと特戦にも、後段引き続き待機を宜しくと伝えてくれ」
会談場所のここは、敵国の首都だ。どのようなことが起こるか判らないために、交渉団全員が、身体にマイクを取り付けていた。また危急の場合に備えて、特殊作戦群の一隊とヘリが常に帝都郊外で待機している。
「でも、これで10日目。いつまで続くんですかね?」
「そりゃ、決まるまでだよ」
「なんだか大変っすね。勝田二曹がシフト表前にしてウンウン唸ってましたよ」
「人手が足りないからなぁ」
新田原は頭をがしがしと掻きむしると、後を十条に任せて自分の執務室に戻った。
執務室と言っても建物の大部屋に、衝立を置いて仕切っただけだ。要するに指揮所の一角だ。だが、それでも自分の空間と思えるだけで気が休まる部分もあるのだ。
椅子によっこらせと座った。机の上には書類が山となってた。
最近、運動不足だ。そのせいかベルトの穴二つ分、太った。少し運動せねばと思うのだが此処では無理か思うとため息が出てしまう。この治安の悪い悪所なんぞでマラソンをしようものなら、物盗りか捕り物と勘違いされかねない。地元住民は、「水に落ちた犬は討て」という思考を持つ者ばかりだけに、勘違いして襲ってくるかも知れない。
すると、笹川陸士長が、慌てふためいて新田原の前へとやってきた。笹川は、黒川、古田と共に第三偵察隊から帝都事務所の増強要員として派遣されて来ている。
「どうした、笹川」
「三佐。大変です、リューが殺されました」
「なんだと?!」
新田原は折角座った椅子を蹴飛ばすようにした立ち上がった。
「『緑の人の詩』を歌って貰っている吟遊詩人が殺されたんです」
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伊丹、テュカ、ロゥリィ、レレイ、そしてヤオらが炎龍退治を成し遂げると、エルベ藩王国のデュランや、ダークエルフ達は、その評判を積極に宣伝した。その甲斐あって『緑の人』伝説はエルベ藩王国や帝国の南部地域では、瞬く間に広まったのだが、彼らがそうするには、実はそれだけの必要性があったからである。
例えば、エルベ藩王国のデュラン。彼は、緑の人の声望が高まれば高まるほど、その緑の人の故郷たる日本と結びついた自らの権威と人望を、確固たるものとするのに役立つと考えたのである。これで、王権を取り戻すのに外国の軍を引き入れたという悪評は『外国の軍』が『炎龍を打ち倒した緑の人の軍』に置き換わったことで霧散させることが出来たし、日本側に引き渡すこととなった地下資源の権益も、緑の人の功績に対する報償という形式をとったことで、貴族や人々に認められたのである。炎龍退治の功績とは、それほどのものであるという認識があったからだ。
またダークエルフが宣伝に積極的なのは、緑の人たる伊丹が自衛隊での立場を失わないようにする恩返しの一部だが、それとは別に、炎龍の害によって遠のいた交易商人に再来を促すための安全宣言の意味でもあった。これによって評判を聞きつけた商人がシュワルツの森へと再び足を向けるようになったのである。
だが、帝都までは遠い。積極的に宣伝したとしても、吟遊詩人が帝都で『緑の人』の功績を歌い始めるにはいささか早すぎる。いや、明らかに異常と言えた。やはり、その背景には人為的な要素が作用していたのである。
則ち、日本による宣伝活動である。
『緑の人の詩』は自然発生の噂と違って、『緑の人』の正体をあえて伝えないようにされていた。また、帝国では秘されているような話まで、人々の関心を惹くように織り込まれているのだ。例えば、緑の人に救われた黒髪の乙女の話だ。
こうして情報をわざと詳細不明にすることで、民衆が「緑の人って誰よ」、「黒髪の乙女って何の話?」と知りたがるようにし、その欲求が充分に高まるのを待ってから暴露するという宣伝戦略の手法を取り入れたのである。
この宣伝に求められる効果は、帝国が敗北を認めた際に、民衆が日本に対する敵愾心を持つことを極力抑えることであった。
「緑の人の国が相手じゃ、しょうがないだろう」……民衆が、そんな心境になってくれると考えるのは都合が良すぎるかも知れない。が、少なくとも、黒髪の乙女などの醜聞によって、帝国と自分との一体感を持ちにくくし、帝国が敗北したのは、炎龍を倒し人々を救った緑の人の国であるということから、あからさまな敵愾心を持たずにいてくれるのではないかという皮算用が、そこに含まれているのである。
だが、そのための吟遊詩人が殺されてしまった。
「一昨日がメディオ、昨日がトラウト、今日がリューです」
新田原は、笹川に詳しい説明を求める。笹川は、現在の状況説明を始めた。
「吟遊詩人メディオ(24才)は、一昨日帝都の商業地域にあるタブラン(居酒屋)で、こっちで言うところのライブをしていました。その後、ファンの女性客とともに店を出たところまでは、目撃者が居ます。翌朝、女性客と二人で路地で遺体となって発見されました。二人目の吟遊詩人トラウト(31才)は、昨夜貴族宅に招かれてその帰宅途中で、水路で死体となって発見。そして3人目です。リュー(28才)は、悪所の路上で刺されて死亡しています。その直前まで、街娼と一緒にいたことは証言があります」
自衛隊が、今回の宣撫活動のために手配した吟遊詩人は3名。この3名が、帝都内の各所で殺されてしまったのである。笹川の報告を耳に挟んだのか、事務所勤務の隊員達が続々と周囲に集まって来た。
新田原は疲れたように肩を落とすと、椅子に座り込んて額に手を当てた。
「まさかこんな事になるとはなぁ」
「どうしますか?また吟遊詩人を捜しますか?パラマウンテに紹介して貰えないか頼んでみますが」
十条三等陸曹が、仕切の向こうから顔だけ出して尋ねて来た。新田原は頷いた。
「ああ、頼む。そうしてくれ。ついでに、リューの死体を引き取ってもらってくれ。アルヌスに運んで一応検視してもらおう」
新田原は最初、金回りがよくなった吟遊詩人が、強盗あたりに狙われたのだろうと考えていたのである。が、立て続けに3人となれば、そのような問題ではないことは誰にだって予想が出来る。
「緑の人伝説計画の吟遊詩人が、3人とも殺された。2人までなら偶然と言っても良かったろう。だが3人となるといけない。これは、もう何者かによる攻撃と判ぜざるを得ないよ」
新田原の言葉に、笹川も頷いた。
「名寄三尉。ボウロの監視状況はどうなってる?」
笹川の後ろに立っていた痩身の幹部自衛官はその質問を予測していた。デリラによる紀子襲撃未遂事件以来、自衛隊は敵対する謀略組織を追跡していた。目指すは、フォルマル伯爵家の執事から伯爵家の通箋を入手し、デリラに偽指令を送った者である。こうして、ボウロという男をつきとめたのであるが、この男から先がどうにも手繰れなかった。
「動きは全くありません」
「確かに、中に居るんだろうな?」
「はい、1日に二度、奴の売春宿に、協力員に入って貰って確認をとってます。帳場で仕事をしているの見たそうです。それに何か動きがあれば、内部協力者からも連絡が入ることになっています」
「出入りしている人間の全員チェックってのは出来てないんだな」
「女の子20人の売春宿ですよ。1日100人以上が出入りします。現有戦力では、さすがに無理です」
「ボウロと接触する人間を絞り込めないか?」
「帳場を奴が仕切ってます。つまり客は全員、奴と接触するってことです」
「くそっ。講和会議が始まって、こっちに人手をとられているってのに、ゾルザルの監視に、ボウロとか言う豚犬の監視。人手がいくらあっても足らねぇ」
吟遊詩人が三人も殺されたとなれば、新しく手配した吟遊詩人も狙われるたろう。これを防ぐなら護衛をつける必要がある。確実を期すなら自衛官なのだが、こんなことに貴重な人材を使うわけにはいかない。かといって、誰でも良いというわけにもいかない。この悪所内では、信用できる人材を集めようにもやはり限りがあるのだ。
アルヌスには自衛官が山ほど居るが、言葉という点で特地人と意志疎通に問題がない者を探すと、殆どが使えない。これが偵察隊の隊員達が便利使いされる所以なのだ。そして偵察隊員は全員で72名。多少の入れ替えや、別の場面で言葉が使えるようになった者を含めても、全員で100名を越えるかどうかなのだ。
帝都事務所には事務所専属スタッフを除いて、常時2個隊24名を置いて貰っているが、ここ数日の会議の支援などでオーバーワーク気味だ。これ以上は無理である。
「とにかく、ボウロの監視を強化する。出入りする連中の追跡調査も全数でなくても良いから出来るだけやってくれ。ゾルザル派の軍人連中の監視を一時的に弛めよう。そっちの人手をまわす」
「良いんでしょうか?」
「ああ。こうなったら、仕方ない」
ボウロが謀略組織の重要人物であることは間違いないと思われる。
今回の吟遊詩人殺害も、ボウロが関係しているならば、どこかで動きがあるはず。監視の目を増やしてその動きを察知することに重点を置く。それが新田原の決断だった。
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コダ村からの避難民達は、口を糊するために各地の村や町に散らばって職を求めた。
村長の場合は帝都郊外にある荘園で臨時雇いの農夫として暮らしていた。
臨時雇いの身の上だが、荘園主が彼の友人と言っても良い程度の知人であったため、それほど悪い待遇でもなかったのである。
仕事の内容は、畑仕事をする奴隷の監督。
朝日が昇れば起き出して、夕方に仕事を終える。1日が終われば友人に誘われて、濁った安酒と、たわいもない下品なお喋りに興じてその後、寝藁を積んだ床に入る。
実入りなどはほとんど無い。貯蓄も出来ない。が、彼と彼の家族が食べて行くには困らないことを考えると、他の村民達に較べたらきっと良い方なのだろうと思っていた。
人の出入りがほとんど無い閉鎖的な農場のでの生活だ。他の雛民達がどのような生活をしているかの噂すら入ってこなかった。
それまでの生活から切り離された避難民達の生活は過酷であるだろう。過酷であるはずだ。何故なら、新しい環境で職を得て働くと言うことは、とても大変だからだ。コダ村の村民達の多くは、どこにでもいる農夫であり、どこにでもいる職人だ。特別な技術や才能を持つわけではないから、きっと捨て金のような賃金で、下手をすると奴隷よりも過酷な暮らしに耐えているのではないか。村長はそんな風に考えていた。
皆、うまくやっていればいいのだが、と心配はしている。だが、彼自身日々続く穏やかな毎日を維持することで精一杯の気持があった。だから、今の我が身の境遇に、せめて満足しようと思っていたのである。
そんな彼の下に、炎龍が退治されたという話が伝わったのはほとんど偶然であった。
荘園主が収穫の終えた作物を出荷するために、荷馬車を連ねて帝都へと赴く。
その際、酒の臭いに釣られて立ち寄ったタブラン(居酒屋)で、吟遊詩人の奏でる緑の人の詩を聞く。そして、それを村長に知らせたと言うわけである。
「それが本当なら村に帰れるな、よかったな」
肩を叩いて喜んでくれる荘園主の言葉を受けて村長も早速荷物をまとめた。
もちろん、今帰って元の生活がすぐに取り戻せるわけではない。畑は荒れ果てているだろうし、家だってどうなっているかわからないのである。が、危険が去ったというのなら、村長として、とにかく村の様子を確かめなくてはならないだろう。そして状況を見定めて今後の方針を立てるのだ。
幸い、荘園も農閑期に入った。村長がしなくてはならない仕事もないと言える。こうして家族を知人に預けた村長は、コダ村へと向かうために馬車に乗ったのである。
旅の途中村長は、村や街を見かければ必要が無くても立ちよった。
コダ村からの避難民達を探すためだ。村を再建する際に、村人達を集めるために消息を確かめて置かなくてはならないのだ。
だが、程なくして彼は愕然とすることとなる。
村人に声をかけ、街の住民に尋ねると、確かにここに避難民達はいたと言う。
緑の人の炎龍撃退の語り部をして、村長も内心穏やかでいられなくなるほどの、余裕のある生活を送っていたらしい。なのにここ数日、コダ村からの避難民の姿が消えた。ただ居なくなったというのならコダ村に帰ったとか、別の街に移ったと考えることも出来るが……ここで、みな周囲に目配りをして声低くした……「コダ村からの避難民は、殺されたりしてるって噂があるよ」と囁いたのである。
次の村でも、さらに次の街でもそうだった。
村長は得体の知れない何かが背後から迫る気配を感じて恐怖した。
このまま、コダ村へと向かうべきか、それとも荘園に引き返すべきか。そんな風に悩みつつ、馬車に乗り込むと馬の手綱をとる。
すると、路地から転がるように出てきた少女と男の子が、村長の元に駆け寄ってきた。
「村長さんっ!村長さんっ!」
「お前さん達。ドガタンところの」
汚れた顔で、ボロを纏っては居ても二人はコダ村の住民。村長にも見覚えのある子供であった。
「探していたんだよ、みんなはどうしたんだね?無事なのかね?」
「お父さんと、お母さんがっ!!」
悲痛な響きをともなった声は、多くを語らずとも雄弁に事情を伝えた。村長は素早く決断する。
「早く乗りなさい。逃げよう」
子供達を荷車に乗せた村長は、兎にも角にもここから逃げ出すことにしたのである。
慌ただしく村を出て、街道を進む。
何処に進めばいいのかわからない。わからないが、とにかくここではないどこかに逃れたい一心で、彼は農耕馬を急き立てた。
力はあっても、速く走ることの向いてない彼の馬は、かるくいなないて不満の態度を示した。だが村長の鬼気迫る思いを感じたのか、全力疾走ではないが、普段歩くよりは速い速度で進むことを受け容れたのである。
だが、しばらくすると後方より馬蹄の響きが、聞こえてきた。
少しずつ、少しずつ、それは大きくなってきた。
村長は、その気配に急き立てるように馬に鞭を当てる。
荷台の子供達も、怯えて互いに抱き合って泣き始める。
子供の泣き声というのは、癇に障るものだ。特に大人自身、追い詰められている時はなおさらそうだ。村長は子供達に向かって怒鳴った。
「大丈夫、儂に任せておきなさいっ!」
怒鳴ったのは、荷馬車の騒音が凄くなっており、普通に喋っても聞こえないからだ。
引きつる表情を強引に笑みの形にしている村長に、子供達はどうにかべそをかくのをやめる。
「儂はな、これでも若い頃は戦にも行ったことがあるんじゃよ」
荷車の前から三枚目の床板を剥がして見るように、村長は言う。
子供達は、言われたままに荷車の床板を調べた。すると、前から3枚目が簡単にはずせるようになっていた。そしてその下には、一振りの剣が隠されていたのである。
村長は子供達から剣を受け取ると、頼もしく見えるように、痩せた腕で力こぶを作ってみせる。
柄に口づけると「戦いの神エムロイ様。儂なんぞどうでもいいから、この子達だけでも守り給え」と祈った。
迫りくる気配は、すぐ後ろまで近づいていた。
村長は振り返る。すると、街道の後方に、騎馬の隊列が見えた。壮麗な装備、整った2列の隊形を作る一小隊10騎は、盗賊などではない帝国正規軍のそれであった。
故に、一瞬、助けが来たのかと思った。だが、帝国軍が放つ禍々しい殺気は村長達へと向けられていたのである。
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馬は、もうダメだろう。
全身から血のような汗を流し、既に舌を出しかけている。いつ倒れてもおかしくない状態だった。
「頑張るんじゃ。頼む、頑張ってくれっ!!」
死ぬまで頑張れと鞭打つとは、考えてみればとてつもない虐待であろう。もし馬が口をきけたなら長年の酷使の末に、これはないんではないかと恨み言の一つや二つも、罵られるはず。だが、この農耕馬にかけられた3人の命、いやせめて子供2人の命と引き替えならば、許されるのではないかと村長は手綱を握り、激しく鞭打つ。
荷馬車ももう、持たない。
この使い古された荷馬車も寿命が来ているのを騙し騙し使っていたのだ。車軸のギシギシと音を立て、振動は強く激しく増していくばかりであった。
帝国軍の騎兵達は沈黙を守ったまま、村長の荷車を後ろから押し包むように取り囲んでいた。
「止まれ」と命じてくるか、矢を放って来るといった解りやすい獰猛さを示してくれるならば、何が起きているか納得できるのである。だが、彼らは何も語らない。感情めいたものを少しも示さないまま、ただ村長の荷馬車に追いすがるのである。それだけだった。
もしかしたら、自分が勝手に怖がってるだけではないか。そんな疑念すら湧いてくる。
今止まったら、彼らも止まって「何をそんなに走ってるんだ?」などと、平和に語りかけて来るかも知れない。そんな錯覚すら憶えるほどなのだ。
しかし、馬を鞭打つ手を止めることは、出来なかった。
そして、限界が訪れる。
馬が転倒した。勢いそのままに、荷馬車も馬の転倒に巻き込まれて車軸が折れて、盛大に横転し、砂煙をあげ村長と子供達が大地に叩きつけられた。
全身土まみれ、泥まみれとなった村長は、身体のそこかしこの激しい痛みを無視して子供達を背に庇うと、震えながらも壊れた荷馬車を取り囲む騎兵達の前に立った。
「エムロイ様、儂の馬がよう最期まで頑張ってくれました。看取ってやってくだされ。次は、儂の番です。この老骨が最期まで戦い抜けますように、祝福してくだされ」
老人は祈りながら、赤さびの浮いた剣を抜いた。
「良いわよぉ。祝福してあげるぅ!」
騎兵の一人の首が飛んだのは、村長の祈りに答えるような声がした瞬間であった。
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うららかな陽射しの特地。
見渡す限り広がる地平線の一点に向かって、高機動車は砂埃を巻き上げながら平原をひた走っていた。
助手席の伊丹は、出発前に上司の檜垣より渡された給料明細を、何度も繰り返して眺めてはため息をついた。減給によって減った数字は、その度に冷酷な現実を彼に突きつけるのだ。
2週間の停職。停職期間は当然のことながら給料は出ない。その上での1ヶ月の減給だから、今月の給料は実に半額以下に減ってしまったのである。
こうなると、流石に伊丹も落ち込まざるを得ない。
確かに、ダークエルフからの報償は受け取った。
人の頭サイズの金剛石、すなわちダイヤモンドの原石だ。
ところが、これを銀座の高級宝石商に持ち込んで鑑定して貰ったところ、余りにも高品質・巨大すぎて、いくらの値段をつけたらいいか検討つかないと言われてしまったのである。
細かく砕けば、確かに売れる。だが、そんなこと恐ろしくてとても出来ないと言う。この大きさだからこその価値というものもある。それを所有者の都合で無闇に細かく砕くなど、宝石に対する冒涜であるとまで言われてしまった。
だがしかし、これだけ大きいとつく値段も半端ではない。表現としては『天文学的』という言葉があるが、これを遙かに越える『電波天文学的』な数字がついてもおかしくないと言う。
「断言しても宜しいのですが、支払い能力があるような個人は国内にはいません。買い手はきっとアラブの王族とか、ユダヤ系の財閥とか、ビルゲイツとか、そんな方になってしまうでしょう。流石に、私どもにもそのようなコネクションはございませんので、軽々にお引き受けすることはできないということでございます。ダイヤモンドのシンジケートを通じて、お問い合わせはしてみますが、果たしてどんな返事が来るか、いつになるか皆目見当が付きません」
宝石商はそんなことを良いながら、震える手で原石を伊丹に押し返したのである。
だがあくまでも庶民な伊丹にとって、幾らの値が付くかわからない石っころより、今日明日の預金通帳の残高の方が、切実な現実であった。
「はぁ……」
「いつまで、落ち込んでるのよ!過ぎたことをクヨクヨしないっ!!」
何度目かわからないため息をついた伊丹の肩を、テュカはそう言って叩いた。
彼女は、無蓋の高機動車の中央に立ち上がって、両手を大きく拡げていた。
流れていく風を全身で受け止めると、飛んでいるようにも思えてとても気持ちが良いという。たなびく彼女の髪は光を受けてキラキラと金色に輝いていた。
服装は、翼竜の鱗を編み上げた鎧を纏っている。その色は見事なまでの若草色。
商品にするには小さすぎる鱗を掻き集めてアルヌスの子供達が手ずから編んだものである。実は、炎龍退治の出発の際に贈られたものなのだが、折角の箱を開けなかったためにその存在に誰も気づかなかった餞別であった。
そんなテュカの後ろで荷物をごそごそとやってるのはロゥリィ。
テュカ同様に翼竜の鱗を加工した鎧を纏っているがその色は漆黒。その下にこれまでの神官服を纏っているが、鱗の突き出た雰囲気を気に入ってか、アクセサリーの類を増やしていた。黒い革のチョカー。ブレスレット。長かったスカートは、弱冠短いにして、全体として、パンクな雰囲気が増強している。勿論、ハルバートについては従来通りだ。
彼女は興味本位に、荷台に積みこんだ荷物を覗き込んだり、引っ張り出したりしていた。先の炎龍退治の際に子供達から餞別として贈られた鎧に気づいていれば、もう少し楽な戦いが出来た。少なくとも痛い思いをしないで済んだと愚痴をこぼしていたから、それに懲りてのことらしい。
「なにぃ、これぇ?」
「それは、指向性散弾」
「これは何に使うのぉ?」
「照明弾。夜に打ち上げて少しの間明るく照らすんだ」
「ふ~ん。こっちの箱は食糧ぅ、これは弾薬ぅ。こっちの箱は薬かなぁ?……これぇ、なぁにぃ?」
「そ、それは!なんで、んなもん入ってるんだ?」
伊丹は、ロゥリィが取り出した箱に絶句した。
「聖下。薬箱に入ってるんだから、医薬品ではないのですか?」
ヤオの言葉に、伊丹は、「それは、その、あの……」と窮してしまった。確かに、薬局で売っているしろものではある。
ロゥリィは早速開けてみましょうとばかりに、セロファンの包装はがすと、紙の箱を開いた。すると中から出てきたのは、円盤状に丸めあげた状態で真空包装された、ゴム製品1ダースであった。
「伊丹殿。顔色を察するに、これが何に使うものがご存じであろう。宜しければ教えてくれないか?」
そう言って迫るヤオの鎧は、彼女の肌に合わせたような褐色に塗装されていた。
ヤオの瞳に笑みの色が浮かんでいる。どうも、答えにくいものであることを承知で尋ねている、そんな雰囲気だった。
これはまずい。
もし、用途を説明すれば、何故ここにそのようなものがあるのかという話になる可能性大であった。
誰かが勝手に入れたという真実は、ここにいる女性陣に通じるだろうか。
下手をすると、何故このような物が必要なのか、必要な時がある予定なのか?それは誰と?……と、ずるずると追い詰められてしまう虞(おそれ)がある。だから、ここは決して答えてはいけないのである。
窮地に陥った伊丹を救ったのは、運転席でハンドルを握っていたレレイであった。
伊丹は、人目がないことを良いことにレレイ達に運転を教えて、交代でハンドルを握らせていたのだ。
「左10時の方向」
レレイの言葉を受けて、伊丹は話を逸らすようにして双眼鏡を彼女が指さした方角に向けた。ヤオとテュカはしつこく伊丹に問いかけてきたが、ロゥリィは切り替えも早く伊丹と同じ方向へと視線を向ける。
「馬車が追われている?盗賊か?」
「祈りの声が聞こえたぁわぁ」
気の早いロゥリィは、ハルバートの刃を覆う革の鞘を取り払って、運転席の後ろ、つまり高機動車の右側に立った。ロールバーにハルバートを立てかけると、黒い革手袋をはめる。掌だけを覆う指のない手袋だ。
「レレイ、進路を砂煙が上がっている方向に」
「了解」
ハンドルを軽くきって、アクセルを踏み込むレレイ。
高機動車はさらなる加速を始め、流れていく風は暴風にも似る。
レレイは、魔導師のローブを纏っていた。その下には、翼竜の鱗を編んだ胴鎧で身を固めているのが、たなびく裾の合間から垣間見える。彼女の容姿にも、弱冠の変更が加わっている。少し髪が伸びて、ピアスを附け始めたことである。瞳と同じ色のグリーンの翡翠が、彼女の耳朶を飾っていた。
「襲われているのは荷馬車ね。襲っているのは帝国軍?!」
テュカの鋭い視力が目標の様子を捕らえた。
「なんだって、どういうことだ?」
「襲われているのは、年寄りと子供よ。お父さん」
「どっちに味方するのだ?」
「当然、荷馬車ょぉ」
テュカは自分の荷物から、弓を取り出した。東京で購入してきた機械式のアーチェリーだ。
「ヤオ、弓は使える?」
「とうぜんだ」
テュカは、機械式の弓を矢と共にヤオに渡した。自分は、古くから使われている通常の弓矢を引っ張り出す。
「レレイ。連中の左側を、駆け抜けてよねぇ」
ロゥリィはそう言うと、ハルバートをバットのように振りかぶる。
「荷馬車が転倒したわ、レレイ、急いでっ!!」
テュカの言葉に、レレイはさらにアクセルを踏み込んだ。倒れた馬。そしてそれに巻き込まれたように壊れている荷馬車。取り囲む帝国兵達。全てが、凄まじい勢いで近づいてくる。
ロゥリィが、ハルバートを振りおろしながら怒鳴った。
「良いわよぉ。祝福してあげるぅ!!!」
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本日は、職場より投下します。
舞さんには、とても感謝しています。
[1507] 自衛隊 彼の地にて、斯く戦えり /正式版 49
Name: とどく=たくさん◆20b68893 E-MAIL ID:5eba37fb
Date: 2008/12/24 10:33
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49
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帝都南宮
次期皇帝として立太子を宣下されたゾルザルは、皇太子府を正式に開府した。
その目的は現皇帝からの譲位がなされたら、速やかに帝国の全権を掌握し政務に遺漏無く取りかかれるよう、次期閣僚に予定する者に現閣僚からの引継を受けさせることにある。
だが、ゾルザルには受動的に帝位が与えられるのを座して待つつもりはないようである。それは、皇太子府に集まった閣僚達の意気込み溢れた姿からも、窺い知ることが出来る。
野心に溢れた少壮の文官と将校が、金糸銀糸で縫われた壮麗な出で立ちに身を包んで立ち並ぶ皇太子府の見事な様は、豪華さという一点で現皇帝の閣僚を凌駕していた。見る者は、さながら絵画のようだと語る。
皇太子ゾルザルの入来が告げられ、広間の扉が大きく開かれた。
広間に集まった閣僚、文官、そして軍務に携われる気鋭の将校達からの視線が集まり、ゾルザルはその間に開かれた道を威風堂々と進む。
少し遅れてテューレが付き従う。彼女の位置づけは、あくまでも皇太子の所有物である。が、そうであるが故に皇太子の所有物にとしての礼遇が皇太子府において与えられていた。
「殿下、ニホンとの講和交渉の件、どのように取りはからいましょうか?」
ゾルザル政権において、閣僚の首班兼内務相の内示を受けているムサベ男爵は、早速前へと進み出て慇懃に頭を垂れながら指示を請うた。
現在の実権は現内務相マルクス伯爵にあり、公式にはムサベ男爵には何の職権もない。
だが、終わりの近い現政権と、次期権力者の双方が並び立った時、下に立つ者はどちらに従うだろうか。現権力者には逆らえない。だが、次期権力者に逆らっても睨まれればそう遠くない将来、自己の立場が危うくなってしまうのだ。そんな心理から保身が働いて、二重権力の状態が起こりうる。
ムサベはそんな現状を利用して、現在進んでいる講和交渉にどんな影響力を行使するかを問うているのだった。
「今しばらくは、好きなようにさせておけ。俺が全権を掌握するまで、もう少し時間が必要だからな」
だが、ゾルザルの決断は放置であった。
それはある意味、どのような結果が出ても、それに自分は捕らわれないと宣言しているのと同義でもあったから、場に居合わせた将校や文官達は声低くどよめいた。
皆、講和会議の行方に国の将来を案じて憂慮していたのだ。講和会議に携わる閣僚や議員を売国奴だと罵ってすらいた。それだけに、ゾルザルの強気の姿勢には誰しも頼もしさが感じられたのだ。
ゾルザルは颯爽とマントを脱ぐと、傍らに控えるテューレへと押しつける。そして皇太子府の主座たる席へ腰を下ろした。
テューレは仮面のような無表情さでマントを受け取ると、役目に従ってこれを抱えたまま傅いた。
「ヘムル、ミュドラ、カラスタ」
3人の将校の名前が呼ばれる。
将校達の最前列に立っていた彼らは、前に出るとゾルザルの前で膝をついた。
中央にヘルム子爵。右にミュドラ勲爵士、左にカラスタ侯爵公子。
ヘルム子爵は、ピニャ率いる騎士団の第一期卒業生でもある。
帝国軍に正式に所属してから頭角を現し、地方反乱や、蛮族の討伐などで著しい功績を納めているが、敵を根絶やしにして、敵の根拠地を焦土とするような苛烈な戦いぶりで知られている。その積極的な戦いぶりで兵士の信頼も高く、実力名声共に兼ね備えた軍人と評されていた。
ミュドラ勲爵士は、上流商人の三男として産まれ、軍に置いても物資の手配や輸送と言った事務部門で堅実な力量を示してきた。その仕事の進め方が、一部で高く評されているが、横流しや商人との癒着という噂もたえない。だが、実務に置いては問題を起こしたことはなく、必要な物資が必要な場所にあるという仕事ぶりは、それらの悪評をうち消すに充分であった。これらの功績から勲爵士の称号が与えられている。
カラスタ侯爵公子は、先の二人が実務派ならば門閥を代表する軍人の一人と言える。侯爵家の長子として権門に産まれた彼は、ある意味手柄を必要としなかった。それだけに危険な戦場に勇んで進むこともなければ、他人を蹴落とすこともなかったのである。一部ではたまたま手にした功績を他人に譲ってしまったという噂もあったほどだ。
その為なのか、あるいは温厚とも言える人となりの為か、周囲にいる過剰すぎる自負心を持つ同僚や、野心家、性格のきつい連中とつき合っても角を立てず、彼らを納得させるという不思議な才能を有している。気性の荒い上司の下にあれば、苦情を引き受けて、角が立たないようにこれを伝え、幕僚が二派に割れて対立するような時は、間に立って仲裁する。そんな調整役とも言える役割を果たして来たのである。
この3名が、ゾルザルを軍事面において支えることとなる。
「ニホン国の使者は、我が方の休戦の申し出を断ったそうだ。つまり、今なお戦争は継続しているということになる。さて卿らに問う、何か打つ手はないか?」
ゾルザルからの問いを受けて、ヘルムは頷いた。
「まともに戦ってはかなわない相手です。となれば、いささか常道に反した方法を採らざるを得ません。邪道あるいは、卑怯とされる行為ですが、宜しいでしょうか?」
「かまわん」
「かしこまりました。ならば、敵を充分に引っかき回してご覧に入れましょう」
「ほう、どのようにする?」
「ニホンという敵は、民衆を愛すると聞き及びます。ならば、盗賊に身をやつし、アルヌス周辺の街や村、隊商を襲います。畑を焼き、家畜を殺し、井戸には毒を入れましょう。こうして東、西、北へ、南へと、駆けめぐり徹底的に荒らして回ります」
「焦土戦術だな。だが、敵の侵攻を誘発せぬか?」
「いいえ。あくまでも、これをするのは盗賊で帝国軍ではございません。故に帝国は知らぬ存ぜぬ……」
「なるほど。だが、そうなればニホン軍は躍起になって追うであろう。どうする、戦うのか?」
「戦うなど滅相もない。フォルマル伯爵領へ一目散で逃げることにします。あるいは隊商に変装して敵でないフリをいたしましょう。鎧を脱いで村人の間に隠れましょう。あるいは国境を越えて隣国へと逃れましょう」
ゾルザルもこれには虚をつかれた。彼ですら、そのようなことしていいのか?という思いで、目前の部下を見直してしまった。敵と出会っても戦わず逃げ、さらには隣国へと逃げ込む。挙げ句の果てに、鎧を脱いで服を変えて商人や農民のに身を窶して隠れるなど、これまでの軍人にはない発想であった。
「フォルマル伯爵家は、ピニャ殿下の庇護の元ニホンと帝国の間に立つ中立地帯です。ニホン側としては、簡単に戦力を入れるというわけにも参りますまい。無理に押して入れば協定違反となり、双方の間は険悪なものとなりましょう。他国に関しても同じ事」
「だが、あの地にはピニャの騎士団が駐屯しておるぞ。それはどうする?」
「そちらには、帝国軍である旨、堂々と名乗ってみせればよいだけのことです。また、私にとってはかつての古巣でもあります故に、多少の融通が利きましょう……」
「う~む」
こんなこと、帝国ではまともな軍人の考えることではい。だが、たしかに有効と思われた。ニホンは、盗賊を追って東へ西へと奔命に疲れるだろう。
民の間に隠れて襲えば、疑心暗鬼から間違って民衆を攻撃する可能性だってある。そうなれば民衆はニホンを敵視するようになるだろう。フォルマル伯爵家との関係にも、楔を打ち込むことが可能になる。そうなればピニャも仲介役だからと講和の席で黙って座っているわけにも行かなくなって来る。
「いっそのこと、敵の装いを模して、集落を襲ってはいかがでしょう?」
ミュドラの言葉に、ゾルザルは膝を打った。
「うむ、それはいい手だ。汚名は敵に着せよ。いっそのこと、都市の一個も焼き払わせよ。さすれば敵は民衆と帝国の二つを相手せねばならぬ。今のような傲慢な振る舞いも、続けることは出来まい」
ゾルザルは、腰を上げる。
「ヘルム。早速、麾下の兵を率いて帝都を出立せよ」
ヘムル、ミュドラ、カスタの3人は、一礼するとゾルザルの前から退出していく。軍人達の半数近くが3人に続いていった。
「次に、ボグダム次期法務次官。先に指示した件の進行具合はどうか?」
文官の列から白髪の青年が「はい」と進み出た。
「リュニース特別法の件でございましたら、既に現法務官より、流言の認定をとりつけました。コダ村の住民を浄化するための兵も、先日各地へと進発してございます。数日後には任務の完了をご報告できることでしょう」
ゾルザルは満足げに「よし」と頷くと、傍らのテューレへと視線を向ける。
テューレは感情をすっかりと閉ざした表情で、床へと視線をおろしていた。その姿は、ゾルザルの恐ろしさに緊張している。あるいは、希望がうち砕かれていく様に恐怖しているようにも見て取れた。それが彼を大いに満足させたのだった。
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疾駆する高機動車。後に続くのは、巻き上がる砂塵。
まるで大きな篩いに乗せられて、揺さぶられているような荷台で、コダ村村長と子供達は、転がり回ることを抱き合うようにして耐えていた。波形にプレスされた、金属の床面は膝を着くとゴリゴリと妙に痛くて子供達は涙目だ。
「れ、レレイ、少し揺れが凄すぎるんじゃが……」
「我慢して」
村長の申し出を無碍なまでに一蹴したレレイは、前方一点を注視する。
ハンドルを握り、素早くアクセルとブレーキを踏み換える。
絶妙なまでのアクセルワーク……とは言い難く、高機動車の車輪は路面を捕らえきれなくなり、後輪が慣性に従って大きく滑り出す。
「どわぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!滑ってるっ、滑ってるっ!」
助手席の伊丹が叫く。ほぼ同時に、世界が横に回転を始めた。
荷物の間を転げ回る黒いフリルの塊ロゥリィ。巻き込まれて「きゃ~~!」という叫びと共に転倒するテュカとヤオ。荷台にも座席はあるが、とても座っていられない。
「はぁひぃ~、せ、世界が回るぅ~」
仲間の苦情もなんのその。レレイはハンドルをがっちり握り締めて、視野の旋回が止まめると同時に、再びアクセルを踏み込んで速度をあげた。
その加速で、伊丹の身体が椅子にぎゅっと押しつけられる。
「れ、レレイ。もっと速度を落とせっ!!無茶だっ無茶だってっ、てかあぁぁぁぁぁぁぁああ~、ごほっ、とほっ、がはっ!」
急な減速、そして再加速。路面の凸凹で車体が激しく跳ね上がり、衝撃で尻や背中を打ち、舌を噛み損なう。
伊丹の心からの叫びに、レレイはチラと視線を向けるだけだ。
「急げば、ジェリコで間に合うかも知れない」
「だからって、事故ったらどうすんだっ!?」
レレイは、焦る気持ちを抑えられないのか、ひたすらアクセルを踏み込んだ。
加速して、加速して、ひたすら加速する。そして急な減速と共にカーブへ強引に突っ込んでいくのだ。そしてコーナーリングに失敗しては、何度もスピンして停止する。車体が横転しないのが不思議なくらいであった。
「地面の状態と車輪の摩擦の関係、曲路侵入時の速度と車体の安定の関係は把握済み。転倒するようなミスはない。もう少しで路面を滑りながら曲路を進む方法を開発できる」
伊丹は、背筋が寒くなると同時にレレイにハンドルを預けたことを大いに後悔した。要するに、ハンドルを握って僅か数日の姫ドライバーが、ラリードライバー並みのドリフト走行を身につけると宣言しているのだから。
ハンドルを握ると性格が変わる奴というのは、よくいる。が、レレイがそうだったとは思わなかった。これまでの彼女に対するイメージは、怒ったり感情を高ぶらせることの少ない冷静な娘と言うものだった。魔導師・賢者といった理知的な印象の職業に就いていることも、それを助長している。
が、どうやら、内面はものごっつ熱い女のようであった。
いや、以前からもしかしたらという予感めいたものはあったのだ。ちょっとした言動の端々に妙な違和感が感じられていたから。が、きょうこの時ほどはっきり思い知らされたことはない。そう、確認した。理解した。明瞭に把握した。この女の乏しい表情と冷たげな肌の下には、熱いマグマみたいな真っ赤な血潮がどくどくと脈打っているのだ。しかも、今に至っては大噴火寸前のマグマのようだ。
もちろん、レレイがこんな風になったのは何もハンドルを握ったからと言うだけではない。それなりの理由がある。
トリスタ、ペタ、カスタ……村長達を拾った付近の街や村では、既に手遅れであったのだ。駆けつけた時にはコダ村避難民の姿は、消えていた。
捕らえた帝国兵を尋問すると、何組もの騎兵が放たれたらしい。こうしている今も、避難民達は捕らえられ殺されているかもしれない。その思いが、レレイを激しく急き立てている。
問えば、彼らの行動は帝国法務官による正式な命令に従っただけと言う。
「くっ……流言を流布する者を捕らえて、浄化せよと言うご命令だ」
剣を突きつけられた帝国兵が語った罪状は、流言の流布であった。
流言の流布罪。
提唱者の名を冠して、リュニース特別法と呼ばれている。
あきらかに事実ではない出来事をもって、民心を動揺させる行為を禁ずるとともに、これに対する峻厳な処罰を定めた法律である。だが、その法律は帝国の司法関係者すら、忘却の彼方に置き忘れたような代物でもあった。
今を去ること100年ほど前、数多の神々がおわすこの特地でも、かつて唯一絶対の神などという架空の存在を語り、他の神々を邪として否定する信仰を唱える者があらわれた。
人は何のために生きているのか。何をしてよいのか。何をしてはいけないのか。死後の幸福は約束されているのか。これまでの神々は、これらに明確な答えを与えなかった。いや、明確な答えなど無いと告げるかの如き振る舞いしかしないのだ。
人々は神々の意志を推し量ることに飽き、亜神方の気まぐれにも似た振る舞いにつき合うことに疲れてしまったのかも知れない。人間に対しても明確な戒律をつきつける絶対者のような存在を求めたのである。
これに応えるようにして現れた絶対神は、人々に明確な戒律を示した。奪ってはならない、殺しては成らない、犯しては成らない……16条にわたる戒律に従わなければ世界に終末が訪れると囁き、正しい信仰に目覚めない者は、終末の後に罰を受けるなどといった不安をあおる方法で、帰依を誘ったのである。
民衆は、わかりやすいものに従う。
自らの人生に不安を持たない者などいない。死と、死後の暗黒に恐怖を抱かない者などない。これから逃れたい一心で、死後の楽園を説く教えに帰依したのだった。
だが信徒には信仰の証として様々な義務が課せられた。献金、労役、そして布教活動。そのために過激なほどの勧誘活動がおこり、他の神々に対する信仰を激しく攻撃するようになった。こうして、大陸の各地で激しい宗教対立が起こった。
帝国元老院は、この教団の存在を問題視すると流言の罪を制定した。
自分達の信仰を聖として、そうでないものは邪悪とする一方的な態度と、彼らの布教方法が反社会的であると断じたのである。特に信徒達が、16ケ条の戒律は、同じ教えに従う者に対するものであり、そうでない者に対しては、奪っても良い、殺しても良い、犯しても良いと判断し、そのように振る舞ったことも大きい。
これによって世界の終わりと、その後の審判を主体とする唯一絶対の神ーの信仰は禁じられ、神殿や神像が破却、信徒は棄教が命じられた。そして、これに応じない者は、老若男女を問わずことごとくが浄化という名の処刑がなされることとなったのである。
こうして、唯一絶対神は、信じる者とともに人々の間から消えた。
リュニース特別法を記した法典もその役目を終え、帝国図書館の奥で年月によって降り積もった埃に埋もれることとなった。だが、それを今更掘り起こした者がいる。あまつさえその者は法務官に、コダ村の人々が語る緑の人の話を、流言と認定させたのだ。
4つのタイヤを、次第に制御下に置きつつあるレレイ。
彼女は、高機動車を横滑りさせながら、とうとう道なりにヘアピンカーブを曲がりきった。慣性ドリフトの成功である。
「く、車って、横にも走るのね」
テュカが、打ち付けた頭を撫でながら言った。
水の枯れた川。灌木の間。そして、小山の麓。
道無き道を踏破するのは高機動車ならではの走破性能と、摩擦、慣性といった現象を把握し終えたレレイの驚くべきテクニックの連合、その結果だ。一度ドリフトを成功させると、見る者が驚くほどの速さで応用を展開し、悪路を次々と駆け抜けていく。
伊丹は地図を見ながら、レレイに告げた。
「このペースなら、日暮れ時にはジェリコに着けるぞ!」
「それでは間に合わないかも知れない」
「レレイっ、右!!」
後ろからベッドレスト越しに、青い顔をしたテュカが顔を着きだして右側を指さす。
右側、遠方。地平線近くに、小規模の騎兵集団が見えた。
「ど、どうするぅ?」
レレイはバックミラー越しに仲間の顔を見渡した。
いささか振り回し過ぎたようでみんな青い顔している。ロゥリィなんぞは、転がり回り過ぎて目をぐるぐると回しているくらいだ。健気にもハルバートを掲げあげようとしてるが、この状態では何処に振り下ろすかわかったもんじゃない。戦うのは無理だろう。
「今は、ジェリコに向かう」
あの一隊をなんとか始末しても、別の一隊が進むかも知れない。ならば、今は先回りしてコダ村の住民を救わなければならない。
レレイは、路面状況を見極めると、さらにアクセルを踏み込んだ。
水冷直列4気筒OHV4バルブターボディーゼルエンジンの咆哮が、さらに高鳴る。高機動車は、騎馬隊を軽く追い抜くと、遙か後方へと蹴落としたのだった。
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ジェリコの街に到着するとレレイは、街の中心街まで高機動車を直接乗り入れた。
耳目を避ける為にこれまで控えてきた行為だが、急いでいる今そんな悠長なことやっていられない。街の人々の、驚いたような視線が集中して浴びせられる。
馬が牽かないのに自走する荷車。しかも、けたたましい音をあげてかなり速い。そんなもの誰も見たことがない。だが、話には聞いたことがあって誰もが思い当たった。
「緑の人だ!」
人々が周囲に集まって来る。
ところが、彼らが見たものは期待したような颯爽とした英雄然とした騎士などではなく、車内で青い顔して呻いているヒト種の男とか、伸びているエルフ、目を回している神官服の少女、そして老人や子供達であった。
レレイはそんな人々の間を抜けるとジェリコの街をざっと見渡した。
立ち並ぶ木造の家。軒を連ねる厩舎、そして鍛冶や、各種の露店。商店。そして行き交う荷馬車。
そんな雑踏の中から、人の集まりそうな場所に見当をつけると慌ただしく走り出す。
「…………ヤオ、悪りいけどレレイについてってくれ」
伊丹の指図に、ヤオの反応は早かった。
皆と同様に青い顔をしていてもダメージは比較的軽かったようで、彼女は「わかりました」と頷いてレレイの後を追った。
「頭が朦朧とする」
伊丹は呻きつつ助手席から降りると、苦痛を訴える臀部の凝りをほぐしながら荷台へと頭を突っ込む。
「みんな、生きてるか?」
「何とか生きてるわぁ」
「父さん、父さん、まだ世界が動いてるわ。世界がぐるぐるって……」
村長は、呻きながら這うようにして高機動車から降りると、ふらふらと危ない足取りながらレレイの向かった方向へと歩きはじめた。
一方レレイは、街の人に尋ねながら一軒の居酒屋を見つけると飛び込んだ。
店から出ようとしていた適当な人に「コダ村から避難してきている人はいますか?」と問いかけると指さされた方向で、女給が鼻歌なんぞ歌いながら床を掃除していた。
おばさん然とした女給。恰幅がよく見えるが、別に太っているわけでもなくて、体格が良いのだ。そんな女給は、威勢のいい早口で言い放った。
「気の早い奴だねぇ。まだ、準備中だよっ!……ってあんた、レレイじゃないかっ!?」
女給は、メリザであった。
レレイは、メリザの顔を見ると「間に合った」と歩み寄って手を取る。
「久しぶりだね。元気にしてたかい?カトー先生は相変わらずかい?」
メリザの問いに頷いて答えつつも、すぐに自分の用件を切り出すレレイ。
「今すぐ、逃げ出す支度を」
メリザは、苦笑すると手を振る。掃除の手を休めることもなく、掃き寄せるゴミを見ながら言った。
「何を言ってるんだい?いつもながら愛想も説明も足りない子だね。あたしらはあんたみたいにおつむの出来がよくないんだ、ちゃんと説明してくれなきゃ、わかんないよっ!それとも、今度はこの街に炎龍がやって来るとでも言うのかい?」
「違う、帝国軍」
「帝国軍?なら良いじゃないか。客が増えて、今日も商売繁盛さ」
レレイは上手に声が出ないことに今更ながら気づく。余りの疲労で咽が乾いているのだ。絞るようにしてどうにか「帝国軍が捕らえに来る」と告げることに成功した。
「誰を?」
「あなた達を」
メリザはそれを聞いて手を止める。だが彼女は「なんで?」と肩を竦めた。メリザはこれまで人様に後ろ指をささせるようなことはしたことがないと言って、掃除を再開する。
「お前さんの言うことだから、嘘だとは思わないけどね。きっと何かの間違いさ。話せば解ることだよ。こう言う時は、慌てて逃げ出すと、かえって良くないことになるもんさね」
レレイには、もう告げる言葉が見つからなかった。
危機の到来を予告しても、聞く側が真剣に受け止めないかぎり、どうすることも出来ないのだ。レレイはそのもどかしさに途方に暮れる。
だが、「メリザ。レレイの言うように支度をするんじゃ」という村長の声が入ると事情が一変した。
「儂も、危ういところだった。ドガタンを憶えているか。子供達を残して両親は帝国の奴らに殺されてしまったそうじゃ。連中は聞く耳持っておらん。もう時期に追っ手が来る。今すぐにでも此処を立ち退ねばどうなるかわからんぞ」
その言葉に、メリザもようやく事態が深刻であることを悟った。
血相を変えて箒をその場に棄てると、この街に借た自分の家へと走り出す。
「待つんじゃメリザ。この街に、他の者はどのくらいおる?!」
村長も、メリザに続いて街へと出ていった。
彼女からこの街にいるコダ村の者の消息を聞いて、手分けして知らせに走ろうというつもりのようである。
残されたレレイは、崩れるように座り込んだ。
気が抜けた瞬間、今更のように疲れが追いついて来たのである。
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結果からすれば、レレイの懸命な疾走は、コダ村の避難民の多くを救うこととなった。
帝国兵がジェリコに到達した時には、既にコダ村避難民達は村を脱出することが出来たからである。
帝国兵はジェリコの住民に彼らがどこに逃げ去ったのかを尋ねた。
だが、緑の人を噂する者は殺されるということを知った住民が、正直に答えるはずもない。さらに足跡などの痕跡を追ったとしても追いついた際に、「違うだよ、儂等はベヘラン村の者じゃよ」など言って、それを証明する書類を提示されてしまうと、咎めようがなかった。
もちろん、戸籍制度のない世界だ。正式に身分を証明する書類などはない。彼らが提示したのは、ドゥガティにあるエムロイ神殿へ信徒が旅する際に持ち歩く巡礼札であった。これは旅の途中あちこちにある神殿や修道院で保護を受けたり、泊めて貰うことが出来ように依頼する、神官発行の書面である。通常は居住する地域にある神殿で発行して貰うために、身分証的な効力を持つものとして扱われていた。
羊皮紙と思えない薄手の用紙に書かれたそれは、書式はちゃんと整っていた。しかも記されているのは使徒ロゥリィ・マーキュリィの爪印であって、疑義を挟む余地がなかった。
あえて言うならば巡礼の旅をしているには紙が新しすぎるように見える。ベヘランの村なんて名前、聞いたこともなければ場所も知らない。が、帝国兵が国内全ての村や集落名を記憶しているわけではないし、紙が新しいことが、疑いの理由となるにはいささか弱すぎるのだ。しかも、この爪印を確認した上で無碍に扱ったとなれば、どのようなことになるか、考えるだに恐ろしい。そちらの恐怖の方が大きかった。
こうして帝国兵達は、彼らを放置して次の町へと向かうことになる。そして、もう何処へ行っても既にコダ村の住民達がいないことを知るのである。
「うぅ、腕がぁ。腕が痛いのぉ」
高機動車の荷台に机代わりとした弾薬箱。その前で、ペンを握った右腕を、左手で庇うロゥリィ。周りには何枚もの巡礼札が散らばっていた。
「おお、ご苦労様」
ロゥリィの腕や肩は、短時間で大量の巡礼札を書くという、馴れない労働で著しく固くなっていた。伊丹はそんな凝りを優しく揉みほぐす。ロゥリィの表情は、なにげに気持ちよさそうだ。
時々「あんっ、もっと下ぁ。そ、そこっ。そこいいわぁ。もっと強くぅ、お願いぃ、もっとぉ、もっとぉ……」などと言って、結局体中のマッサージを要求している。
「巡礼札の偽造なんてして大丈夫なの?」
そんなことを尋ねながらも、インスタントのお茶が入ったホーローのカップを差し出すテュカ。ロゥリィはそれを受け取ると口に運びつつ答えた。
「大丈夫よぉ、偽造じゃないからぁ。ほとぼりが冷めるまでみんなには巡礼してもらうしぃ。それにぃ、コダ村も今日からベヘランって名前に変わったのよぉ。だから本物の巡礼札よぉ」
「詭弁……」
「と言うより、詐欺の一種ではないか」
等と言いながらも札を掻き集めて、村長に手渡すレレイとヤオ。村長はそれを恭しく受け取ると笑みを浮かべた。
「いや。こういう事になっては、もうコダ村は名乗れません。ですから丁度良いです。聖下の御命名を頂いたと言うことで巡礼が終わったら、ベヘランという名前で村を再建することにします」
村長はそう言って自分の家族の分となる巡礼札を受け取ると、ドガタンの子供達を連れて家族の待つ荘園へと向かうのであった。
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数日後、次期法務次官ボグダムは、震えながらゾルザルに報告した。
「で、殿下、ご報告申し上げます」
文官の列から進み出た白髪の青年をゾルザルは一瞥する。ボグダムの顔色は悪く、何やら具合が悪そうに周囲には見えた。
「じ、実はリュニース特別法の件でございますが……不逞な流言を流すコダ村の者は、もう、居なくなりました」
告げてからボクダムは罵声を浴びせられると思って身を堅くした。
コダ村の者達を浄化しようにも、中途で居なくなってしまったためにゾルザルの命令を完遂することが出来なかったのである。勿論、彼の責任とは言い難いが、これを報告する身としては痩せる思いである。
だが、意外なことにゾルザルから帰ってきたのは満足げに頷く「そうか。よし」という言葉であった。
ボグダムは、すぐに気づいた。
これは報告する者と、これを受ける者との間で、理解の解離が見られる典型例だと。「コダ村の者は、もう居ない」という言葉を、ゾルザルは浄化が終了したと理解したのだ。
だが、今更これを訂正することは、ボグダムには出来なかった。ゾルザルの満足げな笑みががかえって恐ろしくなったのだ。喜ばせた上で、機嫌を損ねるようなことを告げたら、ただ叱責されるだけでは済まないように思われるのだ。
「どうした?」
「あ、いや。何でもありません」
「ならばご苦労。下がって良いぞ」
ボグダムは恐る恐る後ずさる。その震える様を見て、ゾルザルは「具合が良くないのか?医師にかかって診て貰っておけ。お前には、今後も引き続き働いて貰わなければならんからな」等と、いたわりの声すらかける。
周囲の官僚達は、ゾルザルの最初の命令を見事完遂して目をかけられることとなったボグダムに嫉視の眼差しを向けた。
「は、…はい」
こうして白髪の青年は命令の遂行を満足に行うことも出来ず、誤った理解を放置するという二重の間違いを犯してしまったのである。
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東京
栗林菜々美は、アナウンサーの仕事を干されていた。
生中継本番中にやらかしたミスから、お前ちょっと担当はずれろと言われて、今ではしがない雑用係の身の上である。あの日あの時、あの瞬間に戻れるものならばやり直したい。仕事を忘れて、ついうっかり自衛官の姉貴との私的なお喋りを全国生中継してしまったのだ。しかも姉貴が漏らした内容が、報道局の偉い人のカンに触ったらしい。外国の偉い人と仲がよいらしく苦情を言われたとか、言われなかったとか。
おかげで、原稿の校正、コピー、お茶くみ、局に届く葉書の整理、タレント宛の小包を調べて開封する係。(カミソリが入っていたり、汚物が入っていたり、時に爆発する虞もあるのだ)、裁判の整理券取り、下調べ、ついでにアナ室の掃除等々の毎日だ。
女と見れば、つまみ食いすることしか考えないプロデューサーなどは、出番のない彼女を見つけると不躾なまでの視線を胸に向けつつ「オレと、一晩つき合えよ。次の企画にクイズ番組があってさ、アシスタント役を探してるんだよね」等と仕事を臭わせて誘って来る。が、正直それだけはゴメンなのだ。
いや、本当ならこの手の誘いもチャンスなのかも知れない。
この世界では、欲望まみれの男を手玉にとってこそ成功の道も開けるのだろう。実際、力のある男のキン○マ握って、番組を好きにしている局アナとかもいると聞く。だけど、栗林家の者は身持ちが堅いのだ。身体的な特徴とかざっくばらんな性格のせいで、思春期を迎えた頃から姉共々遊んでいると思われて来たが、内実は正反対。二人とも、至って古風な考え方をしている。神棚に向かって手を合わせ家訓を唱和して曰く、「目指せ良妻賢母。貞淑たれ。正々堂々と」なのである。
だから、変に色目使って媚びたり、自分の身体を餌に仕事を回して貰うというのはちょっと違うと思っていた。不器用かも知れないが今は伏して、チャンスを待つ。我慢我慢、やせ我慢である。
そんなこともあって、今日もバケツをぶら下げ、モップを抱えて階段を上がっていく。足取り軽く、さわやかに「おはようございます」と挨拶を交わしながら。
そんな彼女の前方、右斜め上。つまり階段の上から報道局のディレクターとプロデューサーが列んで降りてきた。
菜々美は、さっと階段の隅に寄って道をあけた。
「おはようございます」
テレビ局の挨拶は、朝も昼も夜も夜中も「おはようございます」だ。だけどディレクターとプロデューサーの二人は彼女に目も向けない。会話に夢中で通り過ぎて行く。
「いよいよ、特地に入れることになった、と言っても誰を送るんですか?一応、戦地ですよ」
「絵的には女がいいんだけどなぁ。誰か居ない?」
「ちょっとねぇ……国連監視団と一緒でしょ。聞いた話じゃ、相当危ないところにも行くってことですよね。下手すると傷物に成りかねませんからね、なかなか手を挙げる娘はいませんって」
ロシアの南オセチア侵攻の際は、女性アナウンサーが、ロシア軍から銃撃されて倒れるシーンが全世界に流れた。ロシア兵が乱射しながらカメラに迫ってくるシーンには戦慄を憶えたメディア関係者が多い。そんな記憶もまだ鮮明なところに加えて、銀座事件では民間人が標的となって多大な犠牲者が出た。
いろいろと差し障りがあるため映像は流してないが、そこには悪魔が饗宴をした跡としか思えない戦慄の光景が広がっていたのだ。一部の映像はアングラに流出してしまい、問題になりかけたほどだ。そういった意味では報道関係者にとって特地の帝国軍は、何をしでかすかわからないという恐怖を感じさせる存在なのだ。
「カメラは活きの良い奴が立候補してくれたぜ。女子アナにはそういうのいねぇのかよ」
「わたしなんかどうでしょ?」
傍らからの声に、ディレクターとプロデューサーの二人は足を止めて、視線をあげる。
二人の目の前に立って、右手を挙げているのはいるのは、モップとバケツをさげた巨乳の女子アナであった。
「あんたが、行く?」
「はい。行け、と言って頂けるなら」
栗林菜々美は、そう言って朗らかに笑った。
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本日も職場より、おはようございます
[1507] 自衛隊 彼の地にて、斯く戦えり /正式版 50
Name: とどく=たくさん◆20b68893 E-MAIL ID:5eba37fb
Date: 2008/12/30 16:39
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50
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音楽の神ルナリューは楽聖と評されたエルフが、昇神した者であると神話に残されている。
そんな存在を自らの守神とするくらいだから、テュカも音楽を非常に愛していた。
コワンの村に居た時はリュートに似た月琴という弦楽器を、常に傍らに置いていた程である。なのに彼女はそれを特技であると誇らない。
何故ならば、彼女にとってはそれは普通のこと、だったからだ。
例えば、呼吸をすること、体を動かすこと。これらを特技と主張しようとする者はどれだけ居るだろう。それが出来ること自体は自慢にならないだろう。楽器を扱うことや芸事の類は、エルフにとってはその程度の扱いなのだ。さらに彼女らは、他者との比較をしない傾向がある。全くしないとは言わないが重きを置かず、尊ばない。
理由としては、やはり長命だからである。
しゃかりきにならなくても、楽器なんてものは時々取り出して弄くっていればいずれ上達するくらいに考えている。
今、充分な力量に達しないのは、始めるのが遅かったからぐらいに見ている。今優れているのは、充分に時間をかけて習得したからだ。故に、今、優れてるか劣っているかで評価しても無意味と見なす。
だから、たまたま立ち寄った街の雑貨商で、埃を被った月琴を見つけたテュカが懐中の銀貨数枚を取り出してそれを求め、高機動車の荷台で演奏を始めたのは、自分の手慰みで音楽を楽しむ為だった。それが好きだからでしかない。ついでにヤオが、テュカに合わせるようにして葦笛を取り出して吹き鳴らすのも、レレイと伊丹が調査の仕事をしたり、ロゥリィが信者の礼拝を受けている間の、暇つぶしの為であった。
それが、街を行く人々の足を止めさせて、聞き惚れた者が周囲に人だかりをつくったあげく、喝采を叫ぶほどのものであったとしても、彼女たちは賞賛を求めていたわけではないが故に、さして嬉しいとは感じないのだ。もちろん人々に、音楽を楽しんでもらえたこと、喜んでもらえたことについては嬉しいと思うが、我が技量を誇ったりはしない。
ヒト種の名演奏家がわき目もふらずに10年あるいは20年かけて身につけた技術、技法をエルフは、片手間の手慰みで100年とか200年くらいの歳月をかけてゆっくりと習得する。そして、ヒト種が寿命の全てを尽くしても絶対に到達できない境地に、数百年の歳月をかけていずれたどり着いてしまうのだ。
これに対抗できるとすれば、天才と呼ばれる者だけだろう。そして、エルフのなかで天才が現れれば、もうヒト種には抗することは不可能と思われる。唯一の救いは、エルフが芸事にかかわらず、学問、武芸等諸事全てに、さして熱中しないということだ。
だからこそなのだ。一芸に秀でるために日々努力を重ねるヒト種からは、エルフは鼻持ちならない高慢知己な奴と酷評されてしまうことになる。
そんな訳だから、学芸の都ロンデルでは、テュカとヤオの二人はあまり歓迎されないだろう。良くて居心地が悪く、最悪で不快な思いをする可能性もある。
想像してみればいいのである。
講義を受けるだけで殆どの内容を簡単に理解し、余暇を楽しみながら試験になれば上位の成績を維持し、難関の最高学府入学を果たしてしまう。そんな奴を、必死になって成績をあげようと努力しているガリ勉がどう見るか。もちろん、エルフがそんな知能を有しているわけではない。学習能力について言えば、ヒト種とそう大差はないのだから。だが彼ら、彼女らの長大な寿命が、学ぶことに時間をかけることを許すため、凡俗たるヒト種は劣等感に近い感覚を覚えてしまうのだ。
「そんなのあたし達の責任じゃないわ」
テュカは月琴を爪弾きながら、歌うように嘯いた。
伊丹の運転はレレイのそれに較べればはるかに優しく、流れていく風は穏やかだ。テュカは、そんな風が気に入ったようで非常に上機嫌であった。そんなこともあってか彼女の歌声は、胸の奥がむずむずしてくるほどに美しく響く。
まさに他人がどう思うか知るもんかという超然とした態度。
「そう言うところが反感を買うのかも知れないね……」
伊丹は、レレイの懸念を聞いてさもありなんと頷いた。が、口に出しては言わなかった。ま、一時的な滞在であるし自分がいれば、多少の災難ならはね除けられるとも思っているからだ。
対するにロゥリィは「お前が言うか」という思いを乗せた視線をレレイへと向けている。
凡人が20年30年の歳月をかけても得られるかどうか解らない導師の称号を、若干15才にして得ようとしているのだ。テュカやヤオ同様に、いや二人以上に白眼視されること請け合いであろう。
小さなため息をついているレレイ。彼女は、自分がテュカとヤオに向けるのと同じような眼差しをロゥリィから受けていることに気づかないようである。
そんな互いに心配し合う微妙な雰囲気が、伊丹には微笑ましく思えた。
ここは1つ、気の利いたことを言って場を和ませたいところだ。だが、そこで何かを言おうとして、ふと我に返った。
「上手い言葉がない……」
そうである。伊丹には、女性と軽妙な会話を楽しむセンスと言うものが不足していた。しかも、この特地ではネタ話をしようにも、根底になる共通の知識がないから通じない。
例えば、レストランで出されたスープに蠅が浮かんでいたらどうするか、というジョークがある。「中国人はこれを蠅ごと飲み込み、アメリカ人は他の料理を完食して置いてそれを理由に料金を踏み倒し、日本人はどうしたらいいか本社にメールで問い合わせ、韓国人は日本人のせいだと言って日の丸を焼く」のだそうだ。
これらのネタは、この話を聞く人間が中国人とかアメリカ人とか、日本人とか韓国人について一般的な知識を持っているからニヤリと出来る。ところが、アメリカ人とか、中国人を知らない人は、こんな冗句を聞いてもわからない。当然笑えない。
ちなみにネタ話のネタ元が、古典文学や詩だと高尚な教養人と言われ、シーロックホームズシリーズからの引用だと、シャーロキアンと呼ばれ、マンガやライトノベルズだと、オタクと言われる。時に、源氏物語とか古典文学を題材にしたアニメやラノベを引用したら、これは高尚な教養人と言われるのだろうか、それともオタクだろうか?一度、瀬戸内寂静さんあたりに尋ねてみたいところだ。
さて、そんな伊丹の無言の葛藤は、空気が読める女性達には大いに伝わったようで4人分の「どしたの?」という物問いたげな視線が浴びせられた。
「いや、こう言う時は何か上手いことを言って、気分を盛り上げたりしたいんだが、気の利いたセリフがなくてな」
「あらぁ、残念ねぇ、じゃ……」
何か言い続けようとしたロゥリィを押し退けるようにして、テュカが「じゃあ、こんなのはどう?」とばかりに、「音楽のしらべは、流れる風のごとく。健やかなる乙女の息吹。耳朶をくすぐるは恋心の詩…」など、やっつけ仕事な感じで月琴を爪弾きながら歌う。
ヤオとロゥリィが苦笑の視線をテュカへと向けた。
「やめてよぉ。誰の心も打てなかったって自殺するような詩人を引用するのはぁ」
「高尚すぎで俺にはわからんが、今のは笑うところなのか?」
「イタミ殿。今のは、場を盛り上げようとして、かえって凍り付かせたお寒い詩人ボウマンを題材にしたネタ話だ。自爆ネタに近い」
ヤオの解説を受けて、伊丹はようやくテュカに揶揄されたのだと気づいた。
「なるほどねぇ」
「時に、問いたいのだが、御身が盛り上げたかったのは、誰の気分だったのかな?」
「え?みんなだけど……」
「惜しい。ここは、嘘でも『お前だ』と言っておくべきところだな」
「そうよぉ。そうすればぁ、それぞれが『お前とは、自分のことねぇ』と好意的に誤解するからぁ。一度に複数の女を喜ばす秘訣はぁ、多数を相手しているのにぃ、その実は自分に心が向かっていると誤解させることよぉ」
ロゥリィの言葉に伊丹は幻想を見た。それは、籠の下につっかい棒をして、その下にマ・ヌガ肉を置くような、あからさまな罠だった。だが、場を盛り上げるならここは乗ってみせるところだろう、と伊丹は早速態度を改めた。
「気分を盛り上げたかったのは、『お前』だよ」
すると四人の女性は意地悪そうに笑うと次のように問いつめてきた。
「へぇ。『お前』ってぇ、だぁれぇ?」
「『お前』って、誰のことかしら?」
「誰のことを指して『お前』と言ってるのか、教えてもらえるだろうか?」
「『お前』って誰?」
ま、当然だろう。ここまでは予定調和だ。ここで、どう答えるかが器量が問われるところだ。今の伊丹としては、ここはあえて外す。伊丹は前方を指さして誤魔化すように言った。
「あっ、街が見えてきたぞお。あれがロンデルかなあ?あはははは」
丘の稜線を越えて、突然見えてくる都市。家や建物がまだ小さく見えるから、まだ距離としては遠いのだろうが、それらが密集する都市は視界いっぱいに広がっていた。
しばしの沈黙。その空気の重さは、自殺したとか言う伝説の詩人ボウマンが作り出した寒さに匹敵するかも知れない。これをネタに暫し伊丹を嬲ってやろという気配が、ロゥリィとテュカから漂ってくる。が、レレイの裏切りによって二人の目論見はあえなく瓦解する。
「そ。あれがロンデル」
近づくとその都市の大きさがさらに実感されてくる。なかなかに大きな都市だ。
「ロンデルは、歴史のある古い街……」
レレイの解説に寄れば、ロンデルが建設されたのは、今よりもおよそ3000年ほどの昔になるらしい。帝都よりも深い歴史を持つその街は、周囲を取り巻く国の名前が次々と移り変わる中にあっても常に変わることがなく学問の中枢でありつづけた。数多の賢者と数多の魔導師が世界中からまり、学問と研究に明け暮れている。そしてそれを学ぶ学徒が、やはり世界中から集まって勉学に励むのだ。
「リンドン派の『リンドン』とは、ロンデル発祥のという意味」
なるほどそんな由来があったのかと伊丹や感心しつつも、街に入った。
するとたちまちの内に、大通りをごったが返す人の群れで立ち往生してしまった。
買い物客で賑わう商店街に自動車を乗り入れた、そんな状態になってしまったのだ。周りを見れば、商品を山と積んだ馬車とか、馬に乗っている人なんかも同様な境遇に置かれている。交通整理などされていないから人の流れに法則性なんてない。こうなると図体のでかいものほど容易に進むことが出来ないのだ。
人々は、右に左にと車の前を平気で行き交う。そして通り過ぎざまに視線を浴びせかけていく。その視線には苦情めいたものと、好奇心に満ちたものとの二種類があるように思えた。どんな乗り物だろうと、好奇心を向けてくるのはレレイが普段纏っているようなローブを着ている者に多い。対するに労務者だったり、普通の買い物客だったりそんな感じの人は、無関心か邪魔くさいと言う態度だった。
こうなってしまうと焦っても無駄だ。伊丹はハンドルに凭れて、「ラッシュに出くわすなんてなぁ」などと言ってぼやきつつも、交通渋滞モードに頭を切り換えた。
「この先の四つ辻を右に。少し行くと、宿が列んでる」
助手席のレレイがナビゲーターがわりに、どこへ行くべきかの指示を出した。ずいぶんと前だが、来たことがあるということで、伊丹は彼女の土地勘に全面的に頼ることにする。
こうして、高機動車は宿の前に到達した。
時間としては、テュカの演奏10曲分程かかった。それほど長いと思わなかったのは、やはりテュカの演奏がそれだけ優れていたからだろう。
宿は、4階建てで下二階が石造り、上二階が木造でなかなかに瀟洒な雰囲気である。
玄関口からは宿付きの馬丁が、折角の客を逃がすまいと飛び出してきた。
彼は、牽くべき馬が居ないことにちょっと首を傾げたが、この乗り物が牽く物が無くとも自走する乗り物であると素早く理解したようで、「こちらへどうぞ」と案内して来る。
見れば宿の停車場には行商人などの馬車、荷車などがずらっと列んで止まっている。そして厩舎には長旅をしてきただろう馬や驢馬などが、飼い葉を食んでいた。さらに奥には毛牛とか、トロールとか、なにやら種類の判らないモンスターめいた生き物もいたりして言っては悪いが怪異の博覧会みたいになっている。このあたりが馬丁の驚かなかった理由かも知れない。さすが魔導師の集まる学都と言うべきか……。
「どうしますか?屋根付き車庫に入れます、露天に置きます?」
馬丁が言うには、車庫なら鍵のついた扉があると言う。それなりの料金はかかるが商用の荷物などを積んでいる行商人などが用いるらしい。これに対して露天の停車場に荷車を置くと料金こそかからないが、雨が降れば荷物は濡れるし荷物を盗まれる虞もあるという。
そう言うことならばと伊丹は、車庫へと案内して貰った。
火器や弾薬の類をいちいち部屋に運ぶのも面倒だからだ。とりあえず、全員で身の回りの品と、護身用の武器を抱えると、車庫の扉を閉じた。すると錠や扉にレレイと、テュカとロゥリィが三人がかりで何やら細工をはじめる。
何をしてるんだ?と思って近づいてみる。するとヤオの呟きが聞こえた。
「魔法と精霊魔法と、聖下の呪詛の多重掛けか……迂闊にあけようとしたらどんなことになるか、考えるだに恐ろしい」
伊丹も、それ以上は近づかないことにした。
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「ご宿泊ですな。こちらにご記名を……お姿からすると、学徒でらっしゃるようですが?」
カウンターを挟んで差し出された宿帳に名を記している最中、宿の主人が発した問いに、レレイは頷きで答えた。
宿の主人は、レレイの頭の先から足の先まで舐めるように視線を巡らせると微笑む。
宿屋の仕事は人を見る仕事だ。下手な客を泊まらせて、料金を踏み倒されたり、泥棒だったりしたら後で大変なことになるからだ。その点からすると、この客は安全且つ、上客に入ると思われた。
少女が纏っているローブは、賢者が身につける平凡なものに見える。が、生地も仕立ても上質な物だ。しかも、長旅をして来たにはさして汚れてもいないから、これまでの旅程の全てで、宿に泊まったのかも知れない。
少女の背後にいるエルフとか神官は、おそらく護衛だろう。
なるほど、この組み合わせならその辺の護衛を雇うよりよっぽど安心だ。エムロイの高位神官と、ハイエルフとダークエルフ。凡百の盗賊には手も足も出まい。しかも、3人とも装備品は、超高級品の翼龍の鎧だ。これほどの装備を整えることができるのだから、腕前も超一流だろう。
結論としてはどこかの大富豪か、上級貴族のご令嬢。それが宿の主人が推測したレレイの身の上であった。
一人だけいる男は……緑と茶の斑な服装は、仕立てはよいがセンスがよいとは言えない。道化めいたデザインはおそらく汚れを目立たせないためのものだろう。きっと、少女の実家で働いている下男と言ったところ。
そうなると部屋は女性4人に大部屋が良いだろう。下男用には小部屋を1つ。初顔の客だが、多少はサービスしても贔屓にして貰ったほうが後々の得と考えて、とっておきの部屋を使うことにした。
選んだのは大通りに面して、陽当たりが良い部屋だ。若干、外の喧騒が耳障りだが、風通しも良いからすごしやすい。また、下男用には廊下を挟んだ向かい側の小部屋。裏側だから厩舎に面している。こちらは静かだが、わずかに臭いが流れてくるという欠点もある。
主人は、雑用の小僧達を呼びつけた。少年達の目は、同年代のレレイか、同年代っぽく見えるテュカへと集まった。
「うわ、可愛い娘だなぁ」
「こらっ!お客様だぞ、粗相の無いようにしろ。四階南2号に寝台を1つ追加だ。急げ」
小僧達は、3人部屋にもう1つ寝台を入れるために走っていった。その間、宿の主人はお喋りで間を持たせることにする。
「お嬢様は、御入門でらっしゃいますか?」
御入門とは、要は入学式のことだ。
一般的にこの学都ロンデルは、地方に住まう賢者の私塾で基礎を学び、その中で将来が嘱望される者が、さらに高度な知識を深めることを目的に送り出されて来る。そして、その多くがレレイの年代であるので、宿の主人がそう考えたのも無理はないのだ。
レレイは主人の誤解に気づいていたが、あえて訂正しようとはせず頷いた。
実質的にはその逆で卒業にあたるのだが、学問の道は導師号を受けて終わりではなく、そこからがまた出発でもあるから、ある意味では御入門とも言えるのだ。
「それはおめでとうございます。そのような佳日(かじつ)に当宿をご利用頂き有り難うございます。ご祝儀がわりとは申しては何ですが、一番良い部屋をとらせていただきました。どうぞ、おくつろぎ下さい」
少女は礼代わりに頭を小さく下げて、護衛の女性達と共に部屋へと上がっていった。
雑用の小僧達が「お荷物をお運びしますよ」と群がっていったが、どうも歯牙にもかけられてない様子であった。
しばらくして戻ってきた小僧達に主人は「どうだった」と尋ねる。チップの払いの良し悪しもお客の懐具合を測るよい手がかりだ。
「モルト銅貨ですよ」
「本当か?」
ここはこの街では上級の下にあたる宿。それでも小僧へのチップなんかは、薄っぺらいビタ銅貨数枚がいいところなのが相場だ。それが銅貨とは言え重厚なモルトとは、なかなかに気っ風が良い。
小僧達の話題も、しばし彼女たちのことで占められていた。
「きっと、すっごい大店のお嬢様なんでしようね。みんな美人だし」
「銀髪緑眼の娘、いいなあ」
「俺は、金髪のエルフの娘だな」
「おいおい。エルフだから、きっととんでもない年上だぞ」
「そう言うお前は誰がいいんだよ」
「エムロイの神官娘がいいな」
などとわいわい言いあって煩い。
宿の主人としては、やはりダークエルフがいいと思ったりする。実年齢は問題ではない。大切なのは、大人な雰囲気の妖艶さなのだ。このあたりが判らないのは、やはり小僧連中がガキだからだろう、などと思う。
その後、何組かの宿泊客が入り、何組かの宿泊客が出発していった頃、再び少女が仲間と共に姿を現した。
その姿を見て、宿の主人と小僧達は自分がとんでもない考え違いをしていたことを思い知る。
「これから出かけてきます。晩の食事は外で摂って来ますので用意しないでください」
そう告げる下男は、先ほどの緑斑とは違う服装をしていて、それなりに見られる姿になっていた。宿の主人は知るよしもないが、陸上自衛隊の制服である。
そしてその男を中心に、学徒の少女、神官少女、金銀のエルフが取り囲むように立っている。まるで男の取り巻きであるかのようだ。
また学徒の少女は、純白の法服に肩から胸に白い索縄を下げていた。そして手には杖を提げている。この学都に住まう者なら誰もが判り、判るが故に彼女を避けて歩く出で立ちである。
「こ、これは驚きました。いや、失礼。そのお歳で、導師号に挑まれるのですか?」
導師号と言う最終試練に挑む者は、滞在中はこの姿でいることが習慣となっている。
学会という場で、周囲にその実力を充分に認めさせることが出来れば、この少女はこの姿を寸毫も汚すことなく出て来ることができるだろう。その代わり、少女の肩から下がる索縄は『お墨付き』の代名詞ともなる黒で染められることになる。
しかし、もし立ち並ぶ先達が、少女をその水準に達してないとみなせば、投げつけられる油だのインク壺によって、惨めな姿を曝す羽目になる。そして街にいる間中、恥を衆目に晒すのだ。
それなりに実績と経験を積んだ練達の博士達が、上がりまくったあげくに、論述をトチり、魔法の実践を失敗し、四方から浴びせられる底意地の悪い質問と、顰蹙、そして嘲笑によって精神的な安定を欠いたあげくに涙を流しながら逃げだすと言うから、その精神的な負荷が予想できようと言うものだ。
勿論、失敗しても命を取られるわけではない。満場の観衆に嘲笑されることと、恥に耐え得るなら何度挑戦しても良いのだ。だが、それが出来るのは、羞恥心が欠落しているかよっぽど神経が太いかのどちらかであろう。
主人の見たところ、目の前にたたずむ少女はそのどちらでもなかった。
その可憐なまでの線の細さに、下手をすれば再起不能になってしまうのではないかと心配になってしまう。
どこの誰だ、こんな無謀な挑戦を認めた導師は。詰問の思いで主人は尋ねた。
「失礼ですが、貴方の師匠はどちらで?」
「カトー。カトー・エル・アルテスタン」
宿の主人はその名を知っていた。というより、この街に住まう者なら誰でも知っている。知っていなければならないほどの有名人だ。
老賢者カトー。魔導師の中の魔導師と言われた男である。そうか、この娘はあの人の弟子か。
宿の主人は、改めて少女を見直すのだった。
・
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・
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レレイが伊丹達を連れて訪問したのは、宿からそう遠くないところにある集合住宅のような建物が列ぶ地区だった。建物の多くは木造で、壁面の塗装は禿げていささかみすぼらしい。
その周囲に蠢く青年や女性達の群れを見ての感想を、伊丹は「要するに、大学のキャンパスだな」とまとめた。
汚らしいロープを纏った青年達が何やら激しく問答を繰り広げ、地面に何かを大書している者がいたり、講師らしき男を学生達が取り囲んで話を聞いている。
そんな風景をそこかしこで見ることが出来た。
レレイは、その中でもすこぶる小さな建物を見つけて玄関をくぐった。
すれ違うことすら苦労するほどに狭くて急な階段は、体重をかけるとギシギシと音がして今にも崩れそうな感じで怖い。これを上って小さな木の扉の前に立つ。踊り場は、レレイとテュカが立てばもう満員。ロゥリィやヤオや伊丹は、階段で待たされることになった。
レレイはノッカー代わりに杖で扉を叩いた。
「誰ですか?借金取りなら、無駄ですよ。お金、余ってませんから」
数度叩いて、中からぼそぼそと聞こえた誰何の声は、嗄れたお年寄りの女声であった。
「レレイです」
レレイが名乗るや否や、ドアがバッと開かれる。
出てきたのは70代後半ぐらいだろうか、可愛らしいおばあさんだった。50年ほど昔は、きっと美人だったに違いない。灰色の髪をあげてシニヨンを作っている容貌は、充実した人生を送った女性のものだった。着ている服装はレレイが普段着ているポンチョのようなローブだ。
「まぁ!まぁ!まぁ!まぁ!まぁ!貴女なのリリイ」
「いえ、レレイです」
老婦人は軽く右手を額に当てて、「そうね。そうも言ったわね」などと言いつつレレイの頭を撫でる。背丈はレレイと同じくらいだ。
「わざわざこんなところまで尋ねてきてくれてありがとう。さあさあ、皆さん、入ってちょうだい」
案内されたのは、羊皮紙や書籍が堆(うずたか)く積まれた部屋だった。
壁はことごとくが書棚。机やテーブルの類は、例外なく書類が山積みになっており、その周辺の床には机からこぼれ落ちた書面の類が散らばっていて足の踏み場もない。自然と伊丹達は、その隙間に密集して立つことになる。何故か知らないが、ロゥリィは伊丹の後ろに隠れるように立った。
見渡せば部屋の主が使っているだろう机も、どうにか仕事をするのに必要なスペースがあけられているだけだ。
「その格好を見ると、貴女、導師号に挑むつもりのようだけど少し早くないかしら?カトーの奴、呆けたのかしら」
老婦人がレレイを見て言う。レレイは返事代わりに懐から羊皮紙の手紙を取り出すと老婦人に手渡した。
老婦人は封蝋を剥がすと、「どれどれ」と手紙を読み始めた。
「ふむふむ、なるほど、あらあら、そうなの~、へぇ、おやおや」などと読みながら相づちをうち、ひとしきり読み終えてからレレイを見る瞳は、なんとも言えない笑みで満ちていた。
「貴女、すばらしい業績をあげたわね。確かに導師号への挑戦は当然ね。カトーが手放しで褒めているわよ。アルペジオがきっと、焼き餅を妬くでしょう」
「姉は元気でしょうか?」
「相変わらずよ。いま、買い物に出ているの。少ししたら帰って来るでしょう……あら、いけない。お客様達を待ちぼうけさせてしまったわね。レレイ、ちょっと手伝って、お客様に椅子をお勧めしないと……」
そんなこと言って、テーブルやその周囲に置かれた椅子を見るが、どれにも箱やら書籍やら、羊皮紙なんかが積まれていた。老婦人が迂闊にも手を伸ばしたテーブル上の書類。これが雪崩をうって崩落し、その連鎖反応で、椅子に壁際に置かれた書類までもが崩落を始めて床に散らばっていく。周囲には埃が舞い上がった。
「ああっ!何やってるんですかっ先生っ!あれほど弄らないでくださいって言ったじゃないですかっ!」
この女性がレレイの姉だろうか。
買い物籠を床に置くと「もうっ」と唸りながら、栗色の髪の女性が飛び込んできて老婦人や、レレイを押し退けて書類を拾い始める。
レレイの姉とおぼしき女性は、長いちょっと癖のある髪を後ろで無造作にまとめていた。さらには、化粧気も色気もどっかに放置して投げ捨てているとしか思えない格好をしていた。にもかかわわらずボディの凹凸はメリハリがよくて、薄汚れたローブの外側から、そのラインが動作の中でくっきり浮かぶ。それはもう目に毒なほどに艶やかさであった。
「えっ、これの次が、これで……ああっ、4ページめがないっ」
どうも、こちらの女性も整理整頓についての才能が致命的なまでに欠如しているようだ。
「これかしら」
手伝おうとしてか、テーブルの上に手を伸ばす老婦人。すると、テーブル上の書類が再びドサドサと落ちる。
静寂の時がしばし流れる。
女性は胡乱な視線を老婦人に向けて言った。
「せんせい。はっきり申し上げて邪魔になりますので、しばらく外へ行ってらしい下さい」
「そ、そうね……そろそろ夕食時だからマリナの店にでも行ってるわ。貴女も終わったらいらっしゃい、折角レレイが訪ねて来てくれたんだもの、積もる話もあるでしょう」
「ええ。これが終わったらすぐに参りますとも。未だに博士号でうろうろしている姉を飛び越して導師号に挑もうとしている妹とか、男っ気が無くてイライラしている姉を差し置いて、ピアスなんかして色気づいている妹とか、金が無くてピーピーいってる姉を横目に金回りの良さそうな臭いをさせている妹とか、エルフなんかと連んでる妹とか、たっぷりとこの世の条理というものを言い聞かせてやろうと思いますから」
この時、伊丹は見た。
レレイの額から頬にかけて、汗のしずくがツツっと落ちるのを。
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マリナの店というのは、老婦人の書斎を出て少しばかり歩いたところにある小さな店だった。テーブル3つにカウンター席。店内にいた2~3人の客もみんなご婦人である。ちなみにみんな学生、もとい学徒のようであり、書籍を読んだり何やら必死に書きとめていたりと勉学に打ち込んでいた。
雰囲気としては、大学住にあるちょっとしゃれた喫茶店。そんなところだろうが、家庭的な印象で女性に好まれるようだ。
「いらっしゃいミモザ先生、今日は大勢ですね」
店の主人らしき男が、笑顔で老婦人を迎える。老婦人は常連客のようで主人よりミモザの名で呼ばれてた。
「ええ。アルペジオの妹が訪ねて来てくれたのよ」
「ナニ、アルベさんの妹だって。そいつは腕を振るわなきゃ」
店主はそう言って奥へと駆け戻っていった。
席について料理が出てくるまでの暫しの時間、レレイは老婦人を伊丹達へと紹介する。
レレイによれば老婦人は、ミモザ・ラ・メールという名前でカトー先生と同門、つまり同じ師匠の元で学んだ仲らしい。そんな縁で、レレイの姉アメペジオはミモザ先生に弟子入りしたと言うことである。
次は、伊丹達の番だ。レレイはテュカ、ヤオと紹介した。ミモザ先生は、「まぁ、ハイ・エルフとダークエルフのお二方が一同に会するなんて、希なことね」と目を輝かせた。
レレイは次にロゥリィの紹介をしようとしたが、ミモザは「久しぶりね、ロゥリィ。元気してた?」と語りかけて、紹介が不要であることを示す。
「もう、50年くらい前になるかしら。ロゥリィとは一緒に旅をしたこともあるのよ」
「ミモザはぁ、老けたわねぇ」
「ええ。もう、すっかりおばあちゃんよ」そう言ってミモザは、自分の皺だらけの手を仰ぎ見る。「だけど、貴女は相変わらずそうね……」
ミモザは、ロゥリィから意味深げに伊丹へと視線を向けた。
「確かに戦場で死ぬのはゴメンだって逃げ出してきそうな感じね」
「うん」
「お眼鏡に適う人がようやく見つかったのね。後何年?」
「39年よぉ。1年は前後するらしいけどぉ」
「39年かあ。流石に貴女が昇神するのは看取れそうもないわね。ま、こちらの殿方なら大丈夫そうだけど」
伊丹は、自分の話をされているらしいのに、その意味するところが理解できないことに居心地の悪さを味わっていた。それを解消すべく、「それは、どういうことでしょう?」と質問をしたのだが、ミモザとロゥリィは視線を合わせて「うふふ内緒」と笑うだけである。
「さぁ、レレイ。こちらの殿方を紹介して頂戴」
何となく憮然とした感じのレレイが、伊丹について紹介を始めた。
異世界からの来訪者で、一応軍人であり、そして最後に自分と既に『3日夜』を済ませた仲である旨を厳かに宣ったそれは、ミモザとロゥリィとの間で交わされたやりとりが、伊丹を既にロゥリィの所有物であるかのごとく扱っていたことに対する、レレイなりの対抗心から発せられたものだろう。おそらく。
瞬間、マリナの店の中に、ガタンと椅子が倒れるような激しい音が響く。
何事かと皆が振り返ると、そこにレレイの姉アルペジオ・エル・レレーナが、見る者の背筋を寒がらせるような、とっても良い表情で立っていたのである。
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みなさま、今年は本当に、ありがとうございました。
良い新年をお迎え下さい。