[1507] 自衛隊 彼の地にて、斯く戦えり /正式版 41
Name: とどく=たくさん◆20b68893 E-MAIL ID:5eba37fb
Date: 2008/11/04 19:50
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「神よ。天地を支える、使徒よ。我が祈りをここに捧げる。この身を供犠として、我は祭祀の炎をくべる者なり……
戦いの神エムロイ
冥府の王ハーディ
真理の神デルドート
雲帝パラパン……」
デリラは祈りの言葉と共に、テーブルにしつらえた小さな祭壇に向かった。
神々を象徴する燭台に火を灯すと、片膝をついて頭を垂れる。その長い兎耳の尖端を床につけるほどに。
既にその身は、戦衣につつまれていた。
その美貌を隈取りで化粧し、その身は鎧で固め、手には煤で燻した抜き身の剣を掲げている。
「我を、あらゆる恐れ、慈悲、愛、迷いから守り給え。この身はこの時より、敵たる者の命を奪う一振りの剣と為らん。赤い血を受けてたた錆びゆく鋼となりしも、忠誠を誓いし我が魂魄は不滅不変なり」
それは、ポーパルバニーの祈りだった。
ポーパルバニーは、大陸の東北域の平原に小さな原始的な部族国家を築いていた。
その性質は剽悍にして残忍、激しやすく、そして淫乱であると年代記に語られているが、ヒト種の一方的な記述だけで彼女達とはこういう種族であると語ることは、不公正のそしりを受けることとなるだろう。が、そのような記述が残されるには、やはり残されるだけの理由があって、そこには彼女たちの生活していた地域では、部族間の争いが絶えることなく毎日のように戦争にあけくれていたこと、そして彼女たちが種を残すために、部族外の男と好んで交わったことが年代記作家達に強い印象を残したのだろうと考えられている。
その社会は、純血種たる女王が絶対的な権力をもって大勢のポーパルバニーを従えるというものだった。君臨する女王を支えるために、貴族に相当する階層も存在する。だが、それらはもっぱら地位や役割を示したものであり、家によって継承されていく性質のものではなかった。何故なら、彼女たちには家という概念がなかったからだ。その理由は家を形成するに必要な男という性が、極まれにしか産まれなかったことにある。ポーパルバニーは多産であるが、男はほとんど産まれてこない。故に稀少であり、稀少であるからこそ一族の男と交わって産まれて来る子供は純血種として女王候補とされていたのだ。
一族の男は稀少となれば、他の女達は他の種族の雄と交わってその精を得て、子をなすしかない。夫婦という概念がないから気に入った者と気に入った期間、つがいとなって閨を共にする。そして飽きれば別れてしまうのである。実にあっさりとしたものである。だから、あえて言うならば部族その物が家族として機能しているのだ。デリラは部族の女達を親として育てられ、部族によって教育されて成長したのである。
だが、その王国も女王の裏切りによって滅亡した。
帝国軍が攻めて来たのである。
それは軍事的な攻撃と言うよりは、狩猟に似ていた。そう、帝国軍の目的は領土や財貨ではなく彼女達そのものであったのだ。美貌に優れていると名高い彼女たちを捕らえ、陵辱し、奴隷として売り払うためだけに、仕掛けられた戦争であった。
彼女たちは果敢に抵抗した。個々の力量に置いてはポーパルバニー達は帝国兵士をはるかに凌駕していたから、帝国軍を苦しめ、翻弄した。だが、そこまでであった。
装備と数、そして戦力の組織的な運用において帝国軍は洗練されていた。
各所でポーパルバニーの反撃に翻弄され、戦線を食い破られながらも、全体としての攻勢はひるまず、面で押しつづけられた彼女達は、各所で勝ちながら最後に敗北してしまったのである。
最後まで刃向かった者は嬲るようにして殺され、力つきて抵抗を断念した者は兵士達に陵辱された後に、烙印変わりとして片耳を中途で切り落とされる。そして市場でセリにかけられたのである。奴隷として。
もちろん、全員が捕らえられたわけではない。一部で、なんとか逃げ落ちることの出来た者もいる。ただ、逃げた者を待ち受けていたのは奴隷となった者よりも、さらなる過酷な毎日であった。
帝国軍の追跡を逃れるために、住み慣れた故郷を捨て各地を流転し、1日1日の糧を得るだけで精一杯。襤褸をまとい一握りの穀物のために盗みに手を染め、イモの一つと引き替えに身体すら売る。こんな辛い日々が続くなら奴隷の方がましと、あえて自ら片耳を中途で切り落として、捕らわれようとする者も出た。
その決断を、止める者もいなかった。
誰も彼もが、一片の誇りに縋って酷い生き方を続けるより、楽な生き方の方が良いかも知れない、と揺れ動いていたからだ。
だから、最後まで残ったのは、誇りを捨てるなら死んでしまった方がマシという思いの強い者だけだった。そして、それを支えたのは自分達を裏切った女王に対する怨念だろう。この誇りと憎悪の二つだけが、彼女たちを生かし続けて来たのである。
そんな彼女たちに、希望の光がもたらされたのは程なくしてからである。
フォルマル伯爵家先代当主コルト。
それが彼の趣味だったのか、それとも開明的な思想に基づくものだったのかは、今となっては知るよしもない。彼をよく知る者ほど「趣味だろう」と評する。要するにヒト種の美女よりも、亜人の美女を好んだという説である。
実際、彼の寵愛を受けたというキャットウーマンや、メデュサの女性の名が後々まで残っている。が、彼女たちの殆ど全員が、問われても幸せそうな微苦笑をするだけで、彼については口を閉ざしているので真相は謎となっていた。
後年、当主として成長したミュイ一人だけが後継者の特権として、年老いた彼女たちから父親の思い出話というか愚痴話を聞くことができたらしい。ただ、そのミュイ自身も、吹き出しそうになるのを堪えて、父親の名誉のために決して語らなかったという事である。
そこから推測されることは、ただ一つ。彼が地位や権力を利用したり、彼女たちの弱みにつけ込んだりしたことはなかったと言うことだろう。それが、亜人趣味だったとしても、彼女たちの自由意思を尊重する開明的な趣味だった、と評して良いのかもしれない。
いずれにせよ、フォルマル伯爵家は、ポーパルバニーやキャットウーマン、ハピィ、メデュサ・ションブロウといった、大陸の各地で虐げられているような亜人部族を集めて領内で庇護し、不当に取り扱うことを禁じた。これによって多くの亜人達が彼の領内で最低限ながらも生活を続けることが出来たのである。
流れ着いたポーパルバニー達が伯爵に与えられたのは、作物も育たないような痩せた土地ばかりの山中だった。だが、そこは彼女達にとっては唯一無二の安住の地となった。小さな家をつくり、集落を作り、仲間を呼び集めて、そこを第2の故郷として生活を始めたのである。
しかも伯爵は、彼女たちを貧困から救うために、希望する者のなかで条件に適う者をハウスメイドとして雇い入れるということまでしてくれた。こうしたことで彼女たちの極貧生活は、わずかでも潤ったことは確かなのである。
この恩に報いるに身を捧げるに厭わない。それが彼女たちの総意である。
だから、伯爵家からの指図ならばなんでもする。
それがデリラの最終的な決断だった。
デリラは、考えることを止めた。あらゆる疑念と迷いを捨て、彼女に与えられた責務を果たすべく剣を握ったのである。
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伊丹等を見送った柳田は憤懣のやるかたない憮然とした表情を見せていたが、しばらくすると、肩を竦めて「ちっ、しょうがねぇなぁ」と頭を切り替えて日常の業務へと戻った。
アルヌスの街の人々もそれぞれに、それぞれが担うべき仕事へと戻っていく。PXの売り子はPXに、料理人や給仕達は食堂に、そして大工のドワーフ達は現場にと……。
柳田は、伊丹のせいで増えてしまった仕事を手際よく片づけていった。
苦虫を噛みつぶしたような表情をしている檜垣三等陸佐に、直属の部下がしでかしたことを説明して、表情の苦さをさらに増強させたあと書類の差し替え等を進言する。
「つまり、『現地住民から重要な地下資源情報を得た伊丹2等陸尉はその緊急性と重要性を鑑み、隊の指揮を桑原曹長に任せると、現地住民の協力を得て単身『特地』エルベ藩王国との国境方面へ調査に赴いた』と言うことになるわけだな…」
「そうです。以前より、伊丹にはこちらでのコネクションを利用して、戦略資源についての情報は優先的に集めるようにと言う訓令が出ています。今回の行動は、それにのっとったものであります」
「ま、地下資源が原油、ダイヤモンドとなればいたしかたないか」
「ええ。以前から『速く探せ、早く探せ、まだかまだか』と本省の連中にせっつかれておりました。こちらの言語に精通した各偵察隊の要員は、帝都での活動で手一杯でしたから、これまでは資源探査に手をつけることは出来ませんでしたが、これは極めて重要な任務と位置づけられております」
「目的については良しとしよう。だが、問題は緊急性だな。帝都に赴く任務を放棄するほどのものか?」
「はい。現在日本をとりまく周辺状況は日増しに厳しくなっております。アメリカ、EU、中国、ロシア…世界の国々がこの特地に踏み込んで来るのも、そう先のことではありません。今のうちに資源の正確な位置情報を抑えておかなければ、我が国のアドバンテージは失われてしまいます。これは国家戦略上極めて重要な任務であり、可及的速やかになされなくてはなりません。伊丹は適切な判断を下したものと思われます」
「だが、単身での活動は危険ではないのか?ドラゴンも出ると聞いているぞ」
「奴も、覚悟の上でしょう」
「そうか。覚悟の上か……」
檜垣三等陸佐はそう言うと、書類を前にしばし瞑目して、判子に手を伸ばした。
「よし。そのように理解した」
朱肉もまだ乾いていない書類を受け取った柳田は、一礼して檜垣三佐の前から退出しようとした。そんな柳田の背中に檜垣の言葉が浴びせられた。
「俺は思うんだ。彼奴は何を考えてるんだろうか、と」
柳田は基本教練の教範通りに周れ右すると、破顔して言い放った。
「自分は以前から馬鹿であると理解しておりました。今日、その確信を深めたところです」
檜垣は視線を窓の外に向けると、独り言のように言う。
「なんで、あそこまで馬鹿をやれるんだ、あいつは」
柳田は檜垣の問いをあえて無視した。
「ルールや規則というのは、守るために存在します。ただ、それを遵守するだけなら、我々人間の存在は、いずれ世に出てくるであろう人工知能搭載した人間型のロボットに劣ることとなるでしょう」
「なんだ、それは?SFの話か?」
「いいえ。さして遠くない未来の話だと心得ています」
「そうか。だとしたら人間の価値はなんだ?何の意味がある?」
「人間の価値は、ルールや規則を逸脱できることにあります。いつ、何を理由として、ルールや規則を破るか。そして破ったか。そこに人間の価値は見いだされることでしょう」
檜垣は柳田にすら聞こえるほどに嘆息した。
「ヤオという娘が地面に頭をこすりつけて言ったんだ、自分の故郷を、一族を救ってくれってな。俺の足に縋るんだ。あの綺麗な娘が。そりゃもう、こっちの胸が苦しくなるような声で泣くんだぜ。あの時ほど迷ったことはない。だが俺は動かなかった。動けなかったんだ。俺にも養うべき家族が居る。部下にだって家族が居る。勝手が出来る立場ではない」
「三佐。それが普通です」
「お前の言い様なら奴だけが人間としての価値を示したことになる。奴が羨ましい」
檜垣はそう言うと椅子を回して柳田に背を向けた。
柳田はそれを見て告げる。
「三佐。貴方にとっての『その時』が今でないだけだと存じます」と。
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柳田の仕事は続く。
「はいはい、お次は、と」
走るようにしてやって来たのは、陸上自衛隊『特地』方面派遣部本部 作戦幕僚部の第2科。
2科長の今津1等陸佐は、特地内における『情報』を一手に取り扱う責任者である。
彼の部下は基本的に制服組自衛官だが、この『特地』に置いては背広組を含んだ情報本部の要員や、公安調査庁や、外務省、そして警察の公安からの出向者等も含まれて、寄り合い所帯の体を成している。ある意味、それぞれが本局の出先機関として第2科に陣借りしていると言っても良い。そして、それぞれが得意とする分野で『特地』における情報収集の糸を繰り、あるいは情報を分析、評価、方針の策定に携わっている。これを統制し統御することが、今津の任務と言える。
「今津科長。書類に判子をお願いします」
柳田の差し出した稟議書を、今津はちらりと眺め見た。これは伊丹の単独行動の合法性を裏付ける書類でもある。既に、檜垣の判が押されていて、残る空欄を埋めれば完成である。
今津は、さらさらと斜め読みすると印鑑を押した。
「柳田。天然資源関係の情報なんじゃけんど、もうちぃと急げないものかのぅ?ものすごい矢の催促なんだが…」
「今でも偵察隊の人員の殆どが、2科主導の帝都工作に取られてるじゃありませんか。これ以上は、なかなかままならないのが現状です」
「そこをなんとかならんかのう。カトー先生とか、レレイちゃんみたいな学者さんからもろうた情報と、空自の航空写真だけではどうもな。やっぱり現地に赴いての調査が必要なんだわ。講和交渉も大事だが、こっちはこっちでやっぱり大事やから、たのむわ」
実際、現地語に堪能で、調査・各種工作といった活動に従事できる人員は限られているのだ。講和交渉や帝都内での活動に、偵察隊のほとんどの手が取られているため、資源探査は遅々として進んでいないというのが現状である。
柳田はこうした関係各部署からの要望を調節して、実働部隊に任務を振り分けていく実務を担っているために、こうした要望が直接ぶつけられてしまう。だが現状は、抜本的な対応などとうてい見込めない。だからどうしても、その場しのぎや、場当たり的な対応、時間稼ぎなどで対応せざるを得なかったのである。
「ホイで思ったんじゃが、この伊丹っちゅう奴の今回の行動。これからも続けられんかのう?」
「どういうことです?」
「要するにや。幹部自衛官に、雇った現地人を3~4人つけて、あちこちに探検に行かせるっちゅうことや。さすれば人員も少なくて済むやろ?6個ある偵察隊それぞれから、一人か二人を引っこ抜ければ、資源探査のチームが少なくとも6個くらい作れるやないか。偵察隊だって一人か二人ぐらいなら、都合つくんやないか?」
確かにその通りである。
戦闘が目的ではないから、通常装備の隊員が一人乃至(ないし)二人居れば戦闘力としては充分だろう。ただ人員が少ないと危険が多いから、補う形で信用できる現地人を雇って連れて行けばいい。名目が必要なら案内人ということにすればいい。つまり、今回の伊丹のように、である。
ただ、何かあったらすぐさまサポートできる体制が必要となるかも知れない。これも、特戦や西普連が使えるなら、現実的なアイデアとなりえる
「頭に入ったようやな。別に今日明日までに何とかしろとは言わんから、しっかり頼むわ」
今津はそう言って、次の書類を手にした。
柳田は、資源探査チームの構想を練りながら2科を後にしたのである。
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国旗降納のラッパが鳴った。
すでに、陽も落ちようという頃合いだ。隊員達の多くは訓練や各種の仕事を終えようとしていた。
それぞれ隊舎前に集まって、課業終了の挨拶を中隊長にして、武器の手入れを始めたりして、武器庫に収める作業に取りかかっている。それが終われば、飯を食い、風呂に入り、洗濯や靴磨きなどを済ませ、居室の清掃と身辺の整理をして、余暇を過ごすこととなるだろう。
勿論、夕方や夜間に任務がある者はこの限りではない。付近の偵察や、警戒のためにこれから、武器に弾薬を装填し行動を始める者達もいるのだ。
柳田も、時間が来ても仕事を終えることの出来ない者の一人であった。
まだ、この特地における自衛隊で最も偉い人に、書類について説明を垂れて判子を貰うという大仕事が待っていたからである。
「そうか、原油埋蔵の可能性を示唆する情報を得た伊丹二等陸尉は、エルベ藩王国方面の国境地帯に、現地人協力者数名の案内を得て資源探査に赴いた、と言うことなんだな」
重々しい口調の狭間に、柳田は背筋を伸ばして直立不動のままに頷いた。
陸将室の厳粛な雰囲気は、柳田をして緊張させる重々しい雰囲気で満ちていた。何故なら、第1、第2、第4、第5、第6と、特地に配備されている全ての戦闘団の隊長達、そして空自から来ているパイロット4人も顔をそろえていたからだ。
特に、加茂一等陸佐(第1戦闘団長)、健軍一等陸佐(第4戦闘団長)の戦闘的かつ鋭い視線は、柳田の身体を貫いて、無言の重圧をぐいぐいとかけて来る。彼らにみなぎる怒気がひしひしと伝わってくるようだった。何か彼らを怒らせるようなことを俺はやったか?などとびくびくしつつ、緊張を高めていく。いくら、エリート意識に凝り固まった柳田であっても、この場では下っ端二尉でしかないのが現実なのである。
柳田は、奥歯を食いしばりながら狭間の問いに答えた。
「はい。その通りでありますっ!!」
「彼奴は何を考えている?」
「本省 訓令5-304号 『特地における戦略資源探査について』が、伊丹の行動の根拠となります」
「それは判っている。私が言っているのは表向きことではないことは判っているだろう?」
「わかりません。表も裏も、伊丹は資源探査に出かけただけであります」
柳田の迷彩服は、水でも浴びたかのようにその迷彩色をくすませていた。
「そうか。ならば良い」
狭間は、柳田から視線を逸らして書類に視線を向けると、椅子に深々と腰を下ろすとその場にそろったそうそうたる部隊長達に問いかけた。
「諸君。どうするかね?」
「陸将のお心のままに」と健軍は告げる。
「我々も、いつでも準備が出来ています」
空自の神子田2等空佐の言葉に続いて、久里浜2等空佐、西元2等空佐、瑞原3等空佐の四名は胸を張った。
「宜しい。大変宜しい」
狭間は腰を上げた。
「今の中国についてはさておき、古代中国には尊敬すべきも人物も、我々が参考とすべき出来事も多い。申包胥(しんぽうしょ)と言う者の逸話がそうだ。彼は中国戦国時代における楚国の臣だった。楚が呉の軍によって滅びようとしている時に、彼は援軍を求めて秦に走った。だが秦王は『楚が滅びようとしているのは、身から出たさびである。なぜ、我が秦の兵を危険な目に合わせなければならないのか』と言って断ったという。すると申包胥は秦宮の広場で7日間昼夜を問わず号泣して援軍を求めつづけ、これに心動かされた秦王は援軍を約束したという。…どう思うかね?」
これに答えたのは空自の神子田2佐だった。
「余所の国の戦争に引っ張り出されて、命を落とした秦兵からすれば、たまったもんじゃないねぇ。馬鹿のやることですな」
「そうだ。だが、我々の中にも馬鹿が居たようだ」
久里浜2佐がため息と共に言った。
「馬鹿とは言え、日本国民です。こいつを見殺しにはできませんね」
「というわけだ、諸君。馬鹿を死なせるな。加茂一等陸佐っ!」
「はいっ!!」
加茂を伸ばしていた背筋をさらに伸ばした。
「第1戦闘団に待機を命じる。適切な戦力を抽出して、伊丹二尉の資源探査支援の準備をせよっ!!次に神子田2佐っ!」
「はっ!!」
「航空支援を要請する。あらかじめ予想することの出来ない万が一の不測の事態、例えば特地甲種害獣との遭遇に備えて頂きたい」
「了解ですっ!!」
それぞれの隊長達が散開して、陸将室から出ていった。
何が起こっているのか理解できず、あっけにとられていた柳田は、おそるおそる狭間に尋ねた。
「あの、エルベ藩王国との国境を越えられないからこそ、我々は手をこまねいて見ているしかなかったのでは、ないでしょうか?」
柳田が、伊丹をたきつけたのもそれが前提条件だった。こうもあっさりと、部隊を派遣できるならテュカを狂わせるような、悪どい手段をヤオに唆さずに済んだのである。
狭間は、柳田を見据えた。
「今となっては何も言うまい。奴が行動を起こさなければ、彼の人物も自ら名乗り出ることはなかったのだからな。柳田、お前こっちの言葉は結構使えるようになっていたな」
「ええ。日常会話くらいなら、なんとか」
「これから診療施設に行って来てくれ。会って貰いたい人物がいる。お前の任務は、その方の要望を聞いて、こちらの要望を伝えることだ」
「了解しました。ですが、その方はどんな方でありましょうか?」
狭間は、柳田の問いにため息をひとつついたのだった。
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「エルベ藩王国の国王が、ここの診療施設に入院してる?」
狭間の話に柳田は驚きを隠せなかった。
こんな重要人物が身近にいたとは。もし本当なら、今回の件についてもそうだが、藩王国との国交も日本にとって有利に展開することが出来そうである。
「で、本物なんですか?」
「ああ。先ほど、ボーゼス嬢から連絡を受けた。語学研修生の一人でスィッセスという娘さんが、本人と話をしたことがあったと言うことで、間違いないらしい。彼女たちも大いに驚いていたよ」
狭間も抜け目なく、語学研修生達に国王が本物かどうか確認させたようであった。帝国の貴族なら、帝国の諸侯国の君主と、面識があるかも知れないと考えたのが何気に的を射ることとなったのである。
こうして、柳田は診療施設の病室へと赴いたのであるが…。
柳田の見た光景はベットに座った隻腕隻眼の男性が、晩飯をがつがつ口に運んでいるところだった。病み上がりとも思えない、なかなかな健啖ぶりである。
「おおっ、来たか。待っておったぞ……儂の留守中、政務は継嗣の王太子がとっておるはずじゃが、儂からの手紙が届いても奴は喜びはするまい。おそらく黙殺するじゃろう」
デュランは、柳田の顔を見るなり、脈絡の判らない状況の説明を始めた。自己紹介も、前ふりも無しだった。
柳田が、状況を把握できるまで何の反応もしないと見るや、デュランは「ふむ」と再度料理に挑み始める。どうやら話の主導権を取ってなし崩しに要求を畳みかけて来るつもりだったようだ。
柳田は、タフな交渉になると気を引き締めた。何しろ相手は小なりと言えども一国一軍を一身で率いた男だ。甘く見て良い相手ではないのである。デュランは、料理をつつきながらここでの食事について論評した。
「儂としては、酒が付かんことが常々不満じゃった。じゃが医者と看護人が煩いでな、ずっと我慢しておったのじゃよ。が、今宵からは晩飯だけは下の食堂からまわして貰うことにしたわい。このアルヌスの庶民達は、随分と良いものを食べているようじゃな。まつりごとが上手く行っており、民が豊かな証左じゃよ」
見れば、トレイに乗せられていたのは肉や野菜を炒めたものだった。
何を食べているのかと思えば、街の食堂で出される普通の定職である。特地の新鮮な食材に、日本の調味料という組み合わせだから、確かに美味い。だが、陛下などと敬称づけて呼ばれる立場の人が、お気に召すほどに凄いとも思えない、ごく普通の食事なのである。
ただ、病院の食事は不味いというのが定番である。どれくらい入院していたかは知るよしもないが相当長い期間、味気ない病院食を食べていたのかも知れない。そのせいで、まともな味付けの食事が数倍美味く感じるのだろうと柳田は推察した。
「まぁ、下の街は我が国の影響下にありますからね。当然と言えば当然です」
柳田はそんなふうに日本と言う国を誇ってみせながら、国に残っている王子が自分からの手紙を喜ばないだろうと言う理由を尋ねた。
「ああ。あ奴はの、日頃から儂を疎ましく思っておったのじゃよ。だから儂がいなくて今頃清々しとるはずじゃ。使者など送ってもいい顔はするまいて」
「そうでしたか」
国境を越えての軍事活動について、国王個人の承諾を得たとしてもエルベ藩王国が彼に従ってないのであれば意味がないのである。エルベ藩王国政府に、国境を騒がせる旨をきちんと知らせておかなければ、軍事侵攻と受け取られかねない。
「そこでな、この手紙をクレムズン公爵と、ワット伯爵に送ってくれ。この二人は儂に味方してくれる。場所も地図に示して置いた」
デュランは柳田に、2通の信書と手描きの略地図を差し出した。
「この二人を通じて、国内の有力な貴族をまとめて貰うつもりじゃ」
柳田は、これを素直に受け取らなかった。両手を振って「とんでもない」と断った。
「お家騒動は嫌ですよ。我が国には関わりのないことです」
「何を言う。藩王国は本来儂の物じゃ。それを取り戻すのにちょっとぐらい協力せい」
柳田は、デュランの要請に対して眉根を寄せながら「そう言う話は、宗主国の帝国にご依頼下さい」と突き放した。
するとデュランは「帝国はもう嫌じゃ」と憮然とした表情を見せる。相当の恨みを帝国に対して抱いている様子だった。
「しかし陛下にご助力して、我が国に何の利益がありますか?」
「炎龍退治のために国境を越えることを許可する。それでどうじゃ」
柳田は首を振った。そして非常に狡賢そうな表情をするとこう言い放った。
「陛下の首を塩漬けにして王子様にお送りしても、ご許可が頂けそうですな」
デュランは「ちっ」と舌打ちした。
「なんとまぁ、喰えない奴。儂の首を塩漬けにすると言うか?人のために命がけで、炎龍退治に出かけるようなお人好しもおれば、お前のような嫌らしい奴もおる。どっちがニホン人なんじゃ?」
柳田はどちらが本物と言われても、どちらも日本人であるとしか言い様がないのだと嘯いた。日本人にもそれぞれ個性があり、一人を見て全員を規定するのは間違いなのだと。
この陰険漫才は、それぞれの国益をかけた舌戦である。
本来ならば外務の官僚がするべき事であるが、彼らの担当だからと言って、今此処にいる柳田があやふやな対応すれば、それをきっかけにズルズルと利益だけ取られて、こちらは何も得られないという状況になりかねない。実際、日本政府はこの手のことで、利益を得ることが苦手で、いつも気前よく損ばかりしている。だが柳田は日頃の仕事の関係か、それとも元々の性格か、得られる可能性が少しでもある物については狡賢く立ち回って、根こそぎ掻き集めることに馴れていた。
狭間が、あえて自分をここに差し向けたのも、デュランとの交渉を有利に進めるためだと柳田は理解していた。
「で、何が欲しいんじゃ?」
ようやく、デュランは韜晦を止めて単刀直入に要求聞くという態度を見せた。デュラン個人には取引の材料がないことを素直に認めたのである。
柳田は、遠慮無く欲しいものは欲しいと素直に告げることにした。
「地下資源の採掘権。税の免除」
「金山と銅山は、我が国の富の源泉じゃ」
「ことごとく寄越せとは申しません」
「しかしなぁ……」
「では、金と銅については半分。そして金銀銅以外で、有望な資源があったら、それらについては全てと言うことで」
「ちょっと待て。今、ある金鉱も半分か?」
「では、新規に開発する金、銅の鉱山については半分と、金銀銅以外の未開発の地下資源については全てと言うことで」
「容易に答えられぬなぁ」
「何故ですか?」
「お前さんが、金銀銅以外は全て寄越せと口にする理由じゃ。妙に気になる。金銀銅以外で価値のあるものが、我が国に埋まっておることを知っておるのではないか?」
「それを知っていて、教えて差し上げなければならない理由がありますか?」
デュランは、「欲をかいては損をするぞ」と場の緊張を解きほぐすように笑った。
柳田は、損をするのは陛下の方だとそっぽを向いて呟く。
「知らないのですから、ないのと同じでしょう。これからも知らずに居てください。それとも、やはり塩の用意が必要ですかねぇ?」
「わかった、わかった。金銀銅など貨幣に用いる鉱物以外の、地下資源一切でどうか?」
柳田は立ち上がると、デュランの差しのばした手を取りつつ念を押した。「免税特権をお忘れなく」と。これを忘れると、油田や鉱山の利益に莫大な税金をかけてくる畏れがある。
「ちっ、抜け目無い奴。致し方あるまい」
「では、引き替えとして我ら自衛隊が、陛下のご帰還を護衛いたします。ドラゴン退治のついでです。さして手間もかかりません」
「よしよし。これより、我が国はニホンと同盟関係じゃ」
「それにいてはお約束いたしかねます。残念ながら自分は下っ端なんで、外務担当者が後日、城に戻られた陛下の元を尋ねることでしょう。その際に、お話し合い下さい」
「なんじゃ、宛にならん奴だのう」
帝国から距離を置いて自立しようと考えるデュランとしては、この条件を認める見返りとして、日本の庇護を受けたかったのだろう。
デュランは不満そうに鼻を鳴らした。だから柳田は付け加えてやることにした。
「陛下が、地下資源についての約定をお守り下さる限り、お国と、日本は好意的な外交関係を結ぶことが出来ましょう」と。
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アルヌスにおける、医療施設をわざわざ『診療施設』と呼んでいるのには、実はそれなりの理由がある。
日本では、医療機関について定義が医療法によって明確に定められている。
ベットが19床以下の医療機関を『医院』または『診療所』と呼び、ベット数が20以上場合は『病院』と呼ぶ……と言うようにである。
アルヌスの診療施設はベット数で言えば百を超える収容能力を持つ。その意味では都内の大病院に匹敵する。だが、今のところ稼働ベット数はわずかに5。
法に従うなら、施設基準とか人員の配置基準の都合上『医院』としておきたいところである。が、しかし一度医院として届け出てしまうと、万が一の場合、20人を超えた患者は受け容れることが出来なくなってしまう。戦闘地域という性質上いつ何時大量の負傷者が出るかわからないのだから、これは不味いということになる。
だから、法律上の医療施設としては届け出ず、どちらともつかない『診療施設』などと言う言い方をして誤魔化しているというわけである。どれほど立派な建物を持っていても、災害被災地などにテントで作った臨時の診療施設と同じ扱いなのだ。
とは言っても、そんな診療施設も外見的には立派な病院だった。
そんな診療施設の玄関口にはベンチがおかれて、一人の女性が座り込んでいた。
紀子だ。
空には無数の星が瞬く頃合い。
消灯時刻を過ぎた病院では、病室はもとより喫煙場所と定められた廊下などでも煙草を吸えなくなる。だから玄関先やその周辺でパジャマを着た患者達が屯して煙草を吹かしている光景が、大きな病院などに行くと見ることができる。
余り褒められたことではない。だが元気だけは余っている整形外科系の(骨折とか…)の患者がストレスを溜め込むのも、(看護師の)メンタルヘルス的によくないので、医師や看護師も本人の体調が許す限り黙認しているのである。
だが、ここの診療施設では入院中の患者は全部で5人しかいない上に、喫煙者は紀子一人だけ。
普段はこの時刻に、デュランとかいう義足義手の爺さんがやって来て、紀子が鬱陶しく思うほど話しかけて来るが、そんな彼も今夜に限っては来ないので、紀子は一人静かに煙草の煙をくゆらせていた。
ありがたかった。今夜に限っては、独りであることがありがたかった。
今日、医師立ち会いの元、精神保健福祉士から告げられた言葉があった。
それは、「貴女のご家族は全員、銀座事件以来連絡が取れません。おそらく皆さん、お亡くなりになったものと思われます」というものだった。
「うそでしょ」
「……………」
当然のように発した紀子の懐疑に、医師は首をふるだけである。そして携帯電話が与えられた。
「なんだ、電話使えるんじゃない。嘘つき」
当然のように、紀子は実家に電話した。だが電話は通じてなかった。兄妹の携帯電話にもかけたが、別の人が出た。
「変よ。電話、故障してるんでしょ」
次に、電話をかけようとしたのは大学の友達だった。
だが、親しい友人の電話番号は無くしてしまった携帯電話のメモリーの中だ。使わない記憶は頭の中にはほとんどを残っておらず、親しい友達に電話をかけることも出来なかったのである。
幸いなことに知り合い程度友人に、たまたま末尾四桁が1111と、とても記憶しやすい番号を持つ友人がいたのを思い出したので、震える指を押さえつけるようにして、ボタンを押した。
するとその友人は、紀子からの電話に驚き、続いて紀子の無事を喜んでくれた。
そして、紀子が行方不明になってから家族に起こったらしい出来事をかいつまんで教えてくれたのである。こうして彼女を通じ、紀子の友人に無事が伝えられて多くの友達と連絡が取れたのであるが、皆一様に、紀子の家族と連絡が取れないこと。それどころか彼女の家が火事で焼けてしまい失われてしまったことなどを教えてくれた。数ヶ月間帰る者のなかった家だけに、家電製品が加熱したらしいと言う。
人は、あまりにも激しい精神的な衝撃をうけると、ブレーカーが落ちるように何も感じなくなってしまうものらしい。
脱力感と倦怠感だけが紀子の中に残った。
悲しくなっても良さそうなのに、全く持って全然悲しくないのである。
こう言う時は、普通は打ち拉がれていないと行けない。テレビや映画にあるように、号泣して枕を涙でぬらすとか、わめいたりとかしないといけない。
そんな考えから、今の自分の状況にふさわしい行動をとることにして、悲しんだような表情をしてみた。
だが、妙にしっくりこなかった。まるで他人のようで、自分のことでは無いような感じだったのである。お陰で、なんだかおかしくなって、笑ってしまったほどだ。
何をしても、自然な感じがしない。手を叩いてみれば痛いのだが、それは自分とは関係ないところで起きた出来事のようにも感じる。痛みとしての実感が湧かないのである。自分が自分でない感じとでも言うべきか。ふわふわと浮いているような感触だった。
どこに居ても身の落ち着け所がない。ベットに横になっても、座っていても、本を読んでも、壁を叩いてみても、自分の頭を叩いてみても、落ち着かない。
さすがの紀子も気づいた。「どうも、自分は変みたい」と。
考えてみれば当たり前だ。恋人と一緒に拉致されて、彼はどうなったか判らずじまい。自分は思い出したくもない毎日が続いて、助けられたと思ったら、実は家族全員が死んでいて、しかも帰る家も無くなっていたと言うのだから。変にならない方がおかしい。
紀子の頭脳はそう結論づける。
そう、変なのが普通なのだ。紀子はそう考えて、気持ちを落ち着かせるべく玄関先にまで来て、煙草をふかしていたのである。
ため息と共に煙草の煙を吐いて、ふと思う。
「いっそのこと、死んじゃうおうか」
そんな言葉を口にしてみた。普通なら、何考えてるんだ自分は…と思ったり、死に方を連想してゾッとししたりするのだが、それもない。
ただ、「そっか、あんた死にたかったんだ?よかったぁ」という安堵の響きの籠もった女声が耳に届いただけであった。
拉致されてから、虜囚生活の中で生き残るために特地の言葉を会話程度ならこなせるまでに必死で学び取ったのが幸いして、紀子はその声の主と会話をすることが出来た。
「誰?」
「そう言うあんたは、ノリコでいいかな?人違いだったら困るからね」
紀子の前に立ったのはポーパルバニーの女だった。怖そうな隈取りと、女性的な身体のラインが妙に合っていて妖艶な感じだった。
「あたいも、死ぬのは嫌だって奴を殺すのは気が引けてたんだけどね、死にたいんなら、いいよね。手伝ってあげるだけってことで…」
「私を殺したかったの?」
「うん。ちょっと訳ありでね」
「そっか。私、殺されるんだ」
紀子は死の影をまとった女が前に立っても、心が動かなかった。恐いとも、嫌だとも、逆に嬉しいとも思わない。ただ、そうなのか…と思うだけだった。
だから、紀子は真っ直ぐ女に目線を向けた。これから自分に何が起こるのかを黙って見つめる。
ポーパルバニーの女は煤で燻された剣を腰から引き抜くと、ビリヤードのキューを構えるかのように、紀子の喉元に切っ先を当てた。
「ゴメンよ。ホントにゴメンよ。ちょっと痛いけど我慢してな。なるだけ痛くないようにするからさ」
「どっちなの?痛いのは嫌なんなだけど……」
すると喉元に感じていた剣先の力がすっと抜ける。
「困ったなぁ。あたい、痛くないように刺す方法なんて知らないんだ。どうすればいいんだろう。出来るだけ、早く死ぬようにするって事でいいかな?」
「早くってどのくらい?」
「参ったなぁ。どうしょう…」
ポーパルバニーの女は本気で困っているようだった。
「死にたくないと抵抗したり逃げようとする人間を殺すとい覚悟は決めてきたけど、死にたいって言うのを手伝ってやるなんて、思っても見なかったんだよ」
などと言いつつ、困ったように長い耳の後ろを掻きむしる。
そんな所作が、知り合いのポーパルバニーと妙に似ていたので紀子は笑った。
「くすっ。今の貴女って、なんだかテューレさんみたい」
紀子が何気なく漏らした名前に、女は凍り付く。
「……………今、誰だって言った?」
喉元に突きつけられた剣が突き出されるのを、今か今かと待ってた紀子は、「どうしたの?」と改めて目の前にいる女性を見直す。その時である。
「そこで何をしているかっ!」
デュランとの打ち合わせを終えて出てきた柳田は、ベンチの女性に対して剣を突きつけているポーパルバニーを見て、即座に9㎜拳銃を抜く。
ポーパルバニーも反射的に動いた。
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柳田は9㎜拳銃をポーパルバニーに向けると、躊躇い無く引き金を3回引いた。だが、バニーの身のこなしは、柳田の予想を遙かに超えていた。
中空に跳躍して柳田の放った銃弾をかわすと、そのままの勢いで正面から剣を振り下ろしてきたのである。
これを避けることが出来たのはおそらく単なる偶然だったろう。
跳躍した目標を視線で追うために顎をあげてしまい、バランスを崩したのである。半歩の後退が柳田を救った。
鋭い切っ先がわずかに額をかすって柳田の足先にバニーの剣が食い込む。柳田は自分の腹の高さまで伏せられていたバニーの頭部めがけて、前蹴りを放つ。半長靴の固いつま先は充分な凶器となる。だが、これをバニーは後転跳躍で避けると、そのままに距離を置いて剣を構えた。
すかさず、柳田は銃口をバニーに向けようとしたが、バニーは銃口の延長線上を見えない槍か剣でもあるかのように避けて狙わせてくれなかった。発射された銃弾はよけられないが、銃口を相手に向けるのはあくまでも人間。撃剣に馴れた者なら充分に可能な芸当と言える。
「ちっ」
当たらないのは承知でも柳田は続けて引き金をひく。
銃声が巡察の注意を惹いて、駆けつけて来ることを期待してのことである。実際、遠方が騒がしくなってきた。
銃口を避けるために地に伏せたバニーは、そのままに柳田に向けて突進してきた。腰溜めに剣先を向けて。
下から下半身に向けて突っ込まれると柳田には対応できなかった。
無様に身を捩ってかわすのが精一杯。おかけで脇腹に焼けた火箸でも突き立てたような感触がある。
「あちっ!!」
その衝撃で引き金に握りこんでしまうが、銃口の前にはバニーの背中があったので、弾が尽きるまで引き金を引いて、弾が尽きても引き金を引き続けたのである。
「くそっ、くそっ、くそっくそくそくそっ!!」
意識がある限り。
[1507] 自衛隊 彼の地にて、斯く戦えり /正式版 42
Name: とどく=たくさん◆20b68893 E-MAIL ID:5eba37fb
Date: 2008/11/11 19:29
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42
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暗い地下倉庫を照らすのは、わずかな数の燭台の灯火。
湿気を含んだ空気は重くぬめり、冷たい石の壁はあらゆる温もりを奪い去る。
光と音の双方において、外界から途絶されたそこは地獄のような暗さで満ちていた。
そんな場所に、唯一とも言える調度品があった。
朽ちかけた椅子だ。
長年の酷使によって継ぎ目も緩み、全体がきしむようになった上に、しばらく放置されていたのだろう。埃が厚く積もっていた。
フォルマル伯爵家の老執事は、そんな危なっかしい椅子に座らせられ、額から脂汗をながしながら肩で息をしていた。
その視線は虚空の闇を睨むような、それでいて怯えるような弱々しさが感じられる。
「わ、私は知らないっ!」
喘ぐような返事は、誰に返したものか。
闇の中に複数の人影が浮かんで、その中の一つが老執事の頬を平手で打つ。
「あうっ」
鈍い音と共に、執事の呻き声が地下室内に響いた。口角の唇が切れて、赤い血が流れ出す。
「バーソロミュー。貴方が当家の信箋を横流ししたことは、わかっているのですよ」
黙々と執事の襟首を掴みあげて、ぎりぎりと締め上げていくのは猫耳メガネメイドのペルシア。その背後に立つ老メイド長は、苦痛に歪む老執事の表情を無機的に見つめながら尋問を続けていた。
「し、知らない。私ではない。断じてない。信じてくれっ!!」
「本当のことをおっしゃいなさい。今ならまだ間に合いましてよ」
数度にわたる殴打が続く。だが、老執事は強情なまでに口を割らなかった。
「本当に違うんだ、私は知らない!だいたい何を証拠に私を疑う。私は此処にいる誰よりも長く当家に仕えている身なのだぞ。私よりも疑わしい者は大勢いるではないか。お館様の書斎に立ち入ることなど、誰にだって出来るのだからな!!」
「しかし伯爵家の公印だけは、貴方が管理しています。違いますか?」
老メイドの視線を合図に、ペルシアは再度の打撃を老執事へと加えた。致命傷を避け、いたぶるように苦痛を味わうように、痛めつけていく。
だが、老執事は頑として口を割らなかった。
「イッソノコト、ココロヨム」
メデュサ・シャンブロウのアウレアが前に出ようとした。メデュサ種の彼女の髪は、犠牲者の『精』を吸う際に、それとともにその思考や記憶を深層表層を問わず読みとることができる。ただし吸われる精の量によっては、犠牲者は死ぬが。
だが老メイド長は、それを止めた。
「お待ちなさい。貴女が心を読んでも証拠になりません。自分の口から話させなければ…」
老メイド長は地下倉庫の隅で、この場を監督するかのよう立っている人影へと視線を向けた。
この尋問も、フォルマル伯爵家と、後見人たるピニャにかけられた疑いを晴らすためのものだ。少なくとも、この場に立ち会う者を納得させるものではなければならない。アウレアがいくら「心を読んだ、真相はこうだった」と主張しても、証拠能力に欠ける。まして、他人を信じさせることなど不可能なのだ。
同じように部屋の片隅で、身体を震わせていたマミーナが怒気を含んだ声で言った。
「ペルシア、変われ!!私がやるっ!」
ポーパルバニーのマミーナが、怒気を孕んだ勢いで割って入り、執事に拳を振り下ろした。デリラとは同族でもあり、それなりに交流もあったから、彼女が暴挙を起こした責任がこの老執事にあると思うと、どうしても怒りを堪えることが出来なかったのである。
「お止めなさいっ!我々は疑われている身なのですよっ。怒りにまかせて打って、死なせでもしたらどうしますっ!口封じとしか思われませんよっ!!」
老メイドの言葉にマミーナの拳が止まった。
老執事は椅子ごと床に倒れて伏して、呻いている。
マミーナは口惜しそうに舌打ちすると、肩と耳を振るわせながら後ずさり壁に身体を預けた。
デリラの起こした事件は、アルヌスの街を震撼させた。発展しつつあるとは言え小さな街だ。警務隊が従業員宿舎のデリラの部屋を調べはじめたことは、瞬く間に知れ渡った。
そして、「どうやらデリラが何かしでかしたらしい」という推測に、入院中のドワーフの弟子から「ポーパルバニーと柳田が血だらけで担ぎ込まれた」という別角度からの情報が合わさって、「デリラが柳田を刺した」という正確な推測として、皆に広まったのである。
料理長は、あらかじめデリラに通告した通り、警務隊の菊地が職務質問にやって来ると「ええ。以前から、彼女は何か探るような振る舞いがありました」と正直に答えた。
「これで、あっしらは街から追放ですかね?」
料理人やPXの娘達はうなだれていた。仲間がしでかした不祥事の累が自分達に及ぶかも知れないと考えていたからだ。だが……
警務隊の菊地は「なんで?」と首を傾げる。
「お前達は関係ないだろう。それとも関係有るのか?」
この言葉で、アルヌスの住民達は安堵のため息と共に、肩をなで下ろしたのである。
だが、フォルマル伯爵家は、そのようにはいかない。
デリラの部屋から、彼女に暗殺を指示する文書が発見されたからだ。
それは、この伯爵家の信箋に書かれており、伯爵家の公印まで捺された状態で、ノリコという女性の暗殺を命じていた。
その荒唐無稽な話には、笑うしかない。
今のフォルマル伯爵家は、帝国と日本の間の中立地帯として安定し、繁栄している。だから日本との関係を損ねるようなことは、自分の家を支える柱を切るようなものなのだ。
また、万が一にも、それをしなければならない事情があったとしても、誰の仕業ともわからないように実行させる。わざわざ、暗殺を命じた証拠を残させるなど、馬鹿のすることとしか言い様がない。
だが、この事実を知らされた時、老メイド長は反射的に伯爵家も、もうお終いだと思った。
我々の世界においても、かつてそうであったように、この『特地』でも要人暗殺の現場に、その家の紋章の入った剣が落ちていた…とか、国王を呪った符が出てきたと言うだけで、幾ら身に覚えが無くとも証拠とされてしまった例が数え切れないほど有るのだ。
しかも、デリラがフォルマル家の密偵だったことは事実だ。
しかし、間違っても日本人女性の暗殺を命じたことなどない。これだけは確かである。紀子などと言う女性が存在していること自体知らなかったからだ。とすれば、誰かが嘘の命令をデリラに送ったとしか考えられないのである。
老メイド長は、証拠の文書を携えて「この文書はおたくから出たものですか?」と、第4戦闘団の401中隊を率いてやって来た用賀2等陸佐の審問に「直ちに真相を調べるから待って欲しい」と告げて、家内の取り調べを始めたのである。
やがて疑わしい者の名前が挙がった。
伯爵家の執事、バーソロミュー・ノートである。
理由は彼が、伯爵家の公印を管理していたからだ。
もちろん、老執事が自身でこのような命令書を出したとは言わない。彼とて伯爵家の一員であり、伯爵家が危機に陥れば災厄をその身に被る者の一人だからだ。だが、公印を捺した信箋を、そのような用途に使われるとは思わずに横流ししたとしたらどうだろう。
ペルシアが老執事の身体を痣で綺麗に染め上げ、もう色づける場所が無くなった頃、部屋の片隅で監視していた男達が、いよいよ動き出した。
「もう、結構です」
用賀2等陸佐と、通訳として付き添う第1偵察隊の陸曹だ。
二人とも無表情そのもので突き放したような態度だ。その冷淡さが、日本の伯爵家に対する感情を表しているように見えて、老メイド長も、マミーナもペルシアも、不安であった。
「いえ。いけません、事を明らかにしなくては」
老メイド長は必死だった。なんとしても真相を、真犯人を明らかにしなくてはと言う思いで用賀に訴えかける。真犯人を明らかにすることで誤解が解ける。そのことに一縷の望みを繋ごうとしていた。
「しかし、この男は喋らないでしょう」
「いいえ、必ず喋らせて見せます」
「婦長さん。時間の無駄です」
無駄の一言が、伯爵家に対する死刑宣告のように感じられた。
「そんなっ!!」
そんなやりとりをしている最中、地下倉庫の戸を叩く音があった。
「2佐。お呼びですか?」
「おぅっ。待ってたぞ。入ってくれ…」
「なんです、ここ。暗いですね…」
場の空気を読まずに不躾な感想を告げたのは、医官の2等陸尉だった。だがせっぱ詰まった雰囲気が彼のお陰で霧散する。老メイド長も、メイド達も用賀が何をするつもりなのかと見る気になった。
「悪いが、打ち合わせたように頼む」
医官は、小さなため息をひとつつくと「了解です」と頷いて、鞄から注射器を取り出した。アンプルを取り出してその首を切ると、シリンダを引いて注射器へと薬液を移していく。
「さてと」
用賀は、ペルシア達メイドに下がるように伝えさせ、執事の顔を覗き込むようにして言った。
「我々は、叩いたり殴ったりしない」
この言葉に、執事は縋るように言った。
「そ、そうか。ならば聞いてくれ。私は、本当に知らないんだ」
通訳のタイムラグの間、用賀は図嚢から一枚の紙を取り出した。デリラの元に送られた文書そのものではないが、それをコピーしたものだ。しかも、文字ばかりでなく触った者の指紋もしっかりと浮かび上がった状態での写しだ。
「では、デリラの元に送られたこの文書も知らないと言うことで良いな?」
「当然だ。私は見たこともない」
「そうか?思い出すなら、今のうちだぞ。ここを、よく見ろ」
健軍は、文書の文字ではなく指紋を指さした。
「この文様は、爪印なんかで使われるから、お前にも判るな。指の痕だ。この指の痕が残っているということは、この指示書の実物に触ったことがあると言う証拠だ」
老執事は、通訳の言葉を聞いてその顔色を青ざめさた。小刻みに震えてもいる。
「赤い丸で囲ってるのは、デリラの指。そして彼女の物でない指紋が、あと2種類あった。さて、残された2種類のうち1つがあんたの物でなければいいな」
そう言うと、用賀は老執事の手を、ぎゅと握った。通訳の偵察隊員が朱肉と紙を取り出す。
老執事は、体中を硬直させて抵抗した。
「どうした?何で嫌がる。はっきりさせるのに丁度良いじゃないか。この指紋がお前の物でなければ、疑いも晴れるんだぞ…」
老執事は、歯を食いしばって手を握って、絶対に指を開かないという態度だった。
「諸君、手伝ってもらえるか?」
用賀の言葉に、ペルシアもマミーナも嬉々として手を伸ばした。老執事の手をねじり上げ掴みあげると、こじ開けるようにして指を開かせて、その10指の指紋をべっとりと採採取したのである。
「私じゃない。私じゃない。私じゃない……私じゃないんだっ!!」
全身を振るわせて懸命に言い訳する老執事の前で、用賀は朱色の指紋と、コピー紙の指紋とを照らし合わせた。とは言っても、薄暗い地下室でそんな照合作業が出来るはずもない。なんとなく見比べただけであった。しかし、照合作業などするまでもないことは、指紋を採取する際の態度で明白と言えるだろう。
「う~む、残念ですな。少なくとも貴方は嘘をつかれた。その訳を伺いたい」
全身を震えさせる老執事は、この期に及んで尚、頑なであった。痙攣なのか拒絶なのか見分けの付かない、引きつったような首の振り方で口を噤んだ。
「何か言えない理由があるのかも知れませんね」
通訳をしている陸曹の言葉を受けて、用賀は医官を振り返った。医官は老執事の腕をとるとゴム管を巻いて、その二の腕を酒精綿で消毒を始めた。
何をされるのかと、老執事は驚いたような目で腕を見つめる。
ペルシアやマミーナは、もう何であっても協力するという姿勢で、老執事の両脇からその腕を動かないように固定していた。老メイド長も用賀のやり方の方が事の真相に迫れるかも知れないと感じて黙って見ている。
ゴム管で静脈を浮かせて置いて、トンボ針(点滴用の針)を刺す。そのチューブの先には注射器が取り付けられていた。これなら多少暴れても、針が抜けるような恐れはないので精神科病院などで混乱して暴れる患者を、薬物で抑制する際に用いられる手法だ。
医官は底意地が悪そうに告げた。
「これは、アミタールという薬です。この薬液があなたの体内にはいると、考えることも出来なくなって、問われたことを貴方の意志とは関係なく、喋ってしまいます。いいですね。貴方の意志とは関係なく、無理矢理、喋らされてしまうんです。ですから貴方は(誰かと交わした)約束を破ることにはならないのです」
映画や小説に出てくるような自白剤という薬の存在は、一種の都市伝説である。
実際には、問われたことをべらべら喋るような薬はない。しかし、このアミタール面接、あるいはバルビタール面接と呼ばれる技法は、現実に存在し精神分析臨床の現場では結構行われて来た枯れた技術の1つと言える。
勿論『自白剤』などと言うほどの効果はない。しかし、証拠を突きつけた上で「自分の意志に寄らずしかたなくしゃべってしまう」と薬を打つ前に言い聞かせた言葉が、老執事の中での抵抗を和らげる言い訳となるのだ。
医官はゆっくりと注射器のシリンダを押し込んでいく。
ゴム管を弛めると、静脈血の流れに従って老執事の体内に薬液が流れていく。
老執事の意識はゆっくりと霞がかかってくる。やがて、朦朧となった。
医官は、ゆっくりとシリンダを押していた。アミタールは催眠鎮静薬だ。一度に沢山の薬液を入れてしまうと本格的に眠ってしまう。眠るか眠らないかの丁度良い加減を調整することが、難しいのである。
「どうぞ」
医官の合図で、用賀は質問を開始した。
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陸上自衛隊『特地』方面派遣部隊
作戦幕僚の第2科
今津1等陸佐は、用賀から送られてきた報告に眉を寄せた。
そこには、日本と帝国の講和を妨害しようとする勢力の存在が示唆されていたからだ。
今回の事件を概括すれば、何者かが、フォルマル伯爵家の秘密工作員に嘘の命令を送りつけて、事件を引き起こしたものである。
老執事に対する尋問の結果、『信箋』の流出先は判明した。だが、イタリカにある『その者』の投宿先はすでに引き払われてもぬけの殻となっていた。痕跡をたどろうにも、その糸は途切れてしまったのである。
惚れ惚れとして来るほどの手際の良さである。
素人の仕業とは思えない。今津は、これまでの一般的な情報収集とは性格の異なる、積極的な諜報・工作活動の必要性を強く感じていた。
事件の発生を防げなかった段階で、初手は敵に取られた。デリラによる紀子暗殺を防げたのは、偶然の産物……たまたま柳田が居合わせただけ、だからだ。
しかし、敵がそこに存在すると判ったなら、巻き返しの方法は幾らでもある。
「問題は、敵の正体やな」
折角集まった選りすぐりのスタッフ達である。防衛、警察、外務、総理、公安…それぞれ本局との情報交換だけさせておくのも詰まらない話だ。今津は、彼らを集めて意見を問うた。
「敵の正体を掴み、逆撃を喰らわす方法について討論してや」
「最初に言えることは、敵は『紀子』と言う女性の存在と、容姿を正確に掴みうる立場にあると言うことです」
「そうだ。彼女は女優でもなければ、有名人でもない。この地に知る者のほとんどいない異邦人だ。日本と帝国に関係に置いて、彼女の重要性を知る者は、限られている。まして容姿を知る者など、面識のある者以外あり得ない」
「皇太子ゾルザル。ここまでは普通に考えることだな」
「たしかに。『そう思わせる』ように作られているシナリオとも考えられるからな。奴ばかりでなく、その周辺にいる者も考えておく必要がある。奴の人間関係について、望月紀子さんに問い合わせて、しっかり裏付けしておく必要があります」
今津は頷くと、部下の一人に早速手配させた。
「その中で、帝国と日本の講和を快く思わない者」
「なんだか、ゾルザルが一番怪しく思えてきた」
「ああ。奴が怪しい」
ゾルザルが主戦論者であり、日本との講和を快く思わないことは、菅原達帝都の外交官達が、貴族とのつきあいから得てくる一般情報からでも充分に読みとることが出来るからだ。
男達は、敵の思惑に嵌った会話をあえてすることで諧謔的に笑いあった。
「もう一つあるぞ。フォルマル伯爵家が、このアルヌスに諜報員を潜り込ませていることを知る立場にある者だ」
「それは、執事のバーソロミューじゃないのか?」
「バーソロミューは今回の件では捨て駒として利用されただけだ。事件について詳細に調べていけば、疑いがかかってくることは誰にでも判る。逆説的に言えば奴が消えていなかったことが無実の証と言える」
「つまり、別の誰かが伯爵家に居る」
用賀からの報告書に寄れば、執事バーソロミューには、女性に対する素行の悪さと借金という弱みがあったらしい。行商人から、伯爵家の公印の入った白紙の信箋を高く買うと持ちかけられて、思わずその誘いに乗ってしまったということだ。その上に美人局に類する方法で弱みを握られて脅迫されたらしい。従って敵は、彼の借金と女癖の悪さを知りうる立場にあった。
「伯爵家内を探せば、敵と繋がりを持つ者を見いだすことが出来るだろう。切れたと思った糸が繋がったな」
「伯爵家ばかりじゃない。このアルヌスにも居るかも知れない」
「ところで、イタリカから帝都までの情報伝達速度はどのくらいだ?」
「不味いな、資料がない。距離から見れば馬で12~13日ってところかな」
「夜通し走らせるわけではないからな。そのくらいだろう」
「敵の工作員は、デリラが事件を引き起こしたことを今日知った。ただ、まだ事件の結果を知らない。敵は今頃、事の結果を探ろうと必死だろう」
「ああ」
「敵の工作員に特別な情報伝達能力がない限り、事件の報告は10~13日前後で帝都に届くことになる」
今津もここまで聞いて、大まかな方針を得ることが出来たが、自分一人で決めようとせず、「どうすれば、良いか?」と尋ねて2科全体の方針とすることにした。
背広組の科員が総括して答えを出した。
「伯爵家には諜報員の存在を伏せるか、ごく少数に限って知らせておく。そして伯爵家に欺瞞情報を流し、その伝達ルートをたどって、糸が何処まで伸びているか手繰るという手法が古典的ではありますが、効果的です」
「欺瞞の必要はないかも知れません。暗殺の失敗。それと、講和交渉団がいよいよ入ってくる。イタリカで第一次捕虜返還と、講和交渉が行われるって情報を流しましょう。第一次捕虜返還も、白百合補佐官がやって来るのも予定通りですが、まだ帝都には伝えてませんので使えると思います」
「講和をぶち壊したい敵さんとしては血相を変えるだろう。この講和交渉の妨害をしてくる可能性もあるな」
「提案。皇太子ゾルザル周辺にも探りを入れておくべきです。中途で『糸』を見失っても、その欺瞞情報を受けて、誰が反応を示すかを見ることも出来ます。内部に入れ込みそうな人材がたしか、いたはず…」
言いながら、テーブルの上に置かれた資料から、現在帝都にいる人材についてのリストを引っ張り出す。
「そうだ。こいつも役に立つぞ」
科員の一人が、背後の事務机に積み上がった書類の山からひと束の報告書を発掘した。
「悪所で特殊な職業をしている女性達から提供されたものだが、これには帝都の貴族の子弟とか、令嬢とか、議員の皆様、それと家々のメイドさんとかの下ネタとか醜聞に類する情報がたっぷり書かれている。ゴシップに関わるものだから、今までうっちゃっていたんだが、コレを使って我々側の協力者になって頂くのはどうだろう?」
男達は、互いに顔を見合わせると悪戯をたくらむ子供のような表情で笑った。
今津が腰を上げると会議を総括する。
「デリラは悪い娘じゃぁなかった。食堂の華の一人だった」
皆頷いた。此処にいる誰もが、街の食堂で彼女と親しく言葉を交わしたことがあるのだ。
「諸官。彼女を騙してあんな真似をさせ、我々の仲間の血を流させた奴に落とし前をつけさせてやってくれ。確かに敵には地の利があって我々は不利や。だが、こっちには敵さんを上回るスピードがある、少なく見積もって10日。それを生かすんや。いいな!!」
こうして2科主導による、カウンターテロの戦いが静かに始まった。
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「このブランデーという酒はいいねぇ。評判が上々だよ。誰かが献上品にしたみたいで、最近貴族様の需要が増えている。有ればあるだけ買うっておおせだよ。俺も試してみたが確かに美味い。舌が肥えた連中はもう止められないさ」
アルヌス生活者協同組合 帝都支店。
ここには帝都中の商人が商品の仕入れにやってくる。
ネコ耳やイヌ耳の娘さん達にまざって店の仕事を手伝っていた倉田は、商人達と親しく雑談を交わしながら、それとなく皇太子周辺のことに誘導していた。
「でも、貴族様よりは宮廷でしょ。例えば、皇太子殿下のまわりに売り込めるような話はないかな。皇太子殿下御用達ってなれば、売値も上がるだろう?」
「皇太子殿下か。難しいぞ。やんごとなきお方達は御用商人ががっちり固めて、入り込む隙なんてどこにも無いからな」
「やっぱり無理かね」
倉田は嘆息した。いつも、帝室関係者は御用商人ががっちり固めていて、近づくことさえ難しいと言う話で、終わってしまうのである。
すると突然商人は声をひそめた。
「おいおい、簡単に諦めるなよ。話はこれからなんだから……」
「っていうと?」
「実はな、最近殿下はいろいろな貴族のお屋敷を借りたりして宴席を頻繁に催しているんだ。要するに非公式って奴さ。だから俺みたいな小さな商会でも商いの機会が廻ってくるってわけだ。後は言わなくても判るだろ?」
「なるほど……やっぱり、注文で『特別な便宜』を図るってのでいいかな?」
「ああ、それで良い。あんたんとこの商品なら儲けは確実だからな」
二人はがっちりと固い握手を交わした。
「お宅の注文品は、優先的にそろえさせるよ。で…それっていつ頃?場所は?お前さんのコネで、料理人とか送り込めるかな」
「なんだそれ?かわった商売のやり方だな」
「ほら。酒や、料理の材料を売り込んでも、その上手な使い方ってやつがわからなけりゃ、商品の真価は伝わらないだろ?腕のいい料理人を送り込んで、舌の肥えた連中を病みつきにさせるのさ。それで儲け倍増!」
「商魂逞しくて、実に頼もしい。それなら、俺もおこぼれに預かれそうだし、良いぜ、引き受けた」
二人は再度固い握手を交わした。
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「フルタさん、このマ・ヌガ肉評判良いね。後で、作り方教えてよ」
厨房で燃え上がる炎を前にしてフライパンを振る。
臨時の料理人として厨房に紛れ込んだ古田は、厨房と宴席をせわしなく行き来するメイドさんの一人に声をかけられた。
「いいよ。その代わり、客について教えてくれないかな。舌の肥えた人だったら、それなりの味付けをしたいからね。女性が多ければ、甘いものが喜ばれるだろうし……出来るだけ詳しく、何処の誰とかも」
「え~っ!今日は、軍人さんとかが多いけど……そのくらいじゃ駄目」
「もうちょっと詳しく知りたいな。若い軍人さんなら塩味が強い方が良いし、年寄りのお偉い人なら、塩と油分を抑えて香辛料を増やした味付けをしたいからね。できれば名前とかも知りたいなぁ」
「うん、わかった。そう言うことなら、ちょっと聞いてくるね」
メイドはそう告げると、古田の焼いた肉を皿に盛って宴席へと向かった。
すると、しばらくしてゾルザル自身が厨房にずかずかとやって来た。
「このマ・ヌガ肉を焼いたのは誰だっ!?」
怒声とも罵声ともつかない大音声に、古田は一瞬どきっとした。やはり潜入しているという後ろ暗さがあるだけに、バレたら不味いという心理があって脅かされると心臓が強く反応する。
しかもゾルザルは、厨房の料理人達の視線が集まった古田を発見して、凄い勢いで近づいて来た。
(やばいっ。怪しまれたか、正体が露見したかっ!!)
思わず懐中の9㎜拳銃に手が伸びる。
が、どうやら心配する必要なかったようで、ゾルザルには古田を見るとその肩をバンバンと叩いた。
「お前がこれを焼いたか?」
「は、は、はいっ。そうですっ!!」
「探したぞ。前にピニャの宴席でも料理を采配したであろう。いや、わかっている。俺はあの味を忘れておらん」
「え、あ、はい、確かにピニャ殿下のお仕事を、い、いたしましたっ」
思わず直立不動になって胸を張ってしまった。
「やはりそうか、この味は他にはなかったものだからな。実は、お前に申しつける仕事がある。明日宮殿に来い。いいな」
「有無を言わせない」という言葉があるが、これはもう最初から断られることなどあり得ないと思っている尊大さであった。そして、手元にあった焼き上がったマ・ヌガ肉を抱えられるだけ抱えると、用件は終わったとばかりに背を向けてしまう。
緊張で身体の固くなったフルタは、そんなゾルザルの背中を見送るので精一杯であった。
そしてそんなフルタに対して、ゾルザルにぶら下がるようにしていたポーパルバニーの女性が、まるで値踏みするような視線を向けていた。
「なんだ、あれ?」
戻ってきた、メイドが肩を竦めた。
「あのポーパルバニー?知らなぁい。でも、殿下のお気に入りの愛玩奴隷でしょ。いつも連れて歩いてるわ。でもあの目、生意気よね。殿下のお気に入りかなんだか知らないけど、ポーパルバニーの癖に」
メイドが言うには、あの女があのような視線を向けるのは、別に古田に対してだけではないと言うことであった。
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『特地』の空を白銀の翼を翻して二機のファントムが征く。
雲上の空。
天空の蒼を背景に、眩しい太陽が輝いていた。その光をさえぎるものはなにもなく、照りつけるような陽射しが、ファントムの機体を熱いまでに照らしていた。
「現在、高度11000フィート」
2機の編隊は、小揺るぎもせず安定した速度と高度を保って飛行していた。
コ・パイの久里浜が、キャノンピーを画板代わりに地図に線を掻き込んでいた。燃料消費量と照らし合わせながら航路の変更を書き込んでいく。
パイロットの神子田はまるで機械の仕掛けのように、顔を視線を周辺へと留まることなく廻らせて警戒していた。斜め後方に位置する僚機のパイロットと担当する方角を手分けしてのものだ。
「神子田。国境地帯まであと、10分。速度280kt(ノット)。進路190°ターンヘディング(進路変更)……ナウッ」
「おうっ」
『了解』
見事に右後方を追従してくる僚機。
「コンプリート」
コンピューターとすら評される精緻な管制を行う久里浜の指示は繊細だ。並の神経の持ち主には煩わしさしか感じられないだろう。だが、それに従っている限り機体は進路を失うことも、迷子になることもない。そして機体が持つ性能を最大に引き出すための前提条件を作り上げてくれるという安心感が神子田にあった。
これまで誰も飛んだことのなかった特地の空。
ここにはGPSも、航空管制網もない。実際の地形と地図、そして計器だけを頼りに現在位置を見いだし、進路を定め、気象条件と燃料消費量を勘案しながら航路を決めていかなくてはならないのである。まして戦闘機動をするならば…だが、それらの作業も久里浜なら任せて確実だ。
だからこそのファントムでもある。
だからこその神子田達でもあった。
「今日で3日目…いい加減見つけたいねぇ」
「カレを見つけてもいきなり攻撃するなよ。今回の目的は、カレの戦力評価なんだからな」
「わかってるって…」
『そう言っても、いざとなると神子田さんは手綱離した猟犬並みの勢いでぶっとんでくからなぁ』
僚機の瑞原の声がレシーバを通じて入ってきた。
『もう、おっさん言われる歳なんだから、ちっとは自重しろ』
そんな冗談が西元から飛んだ瞬間、計器が小さな電子音をあげた。
「レーダーに感。127゜高度3250。コンバットマニュバ、ゴッ」
「おうっ」
神子田はまるでスイッチを入れたかのごとき勢いで、スロットルをあげると機体を傾けた。
エンジンが唸り、力尽くで速度が上がっていく。
水平であるべき大地があたかも壁に立てかけたように視界に広がった。そう、まるで巨大な壁だ。強いGが二人の身体を締め上げる。雲の隙間を抜けて大地へ向かって突っ込む。
「くっ、ふぅ…目標進路188°高度そのまま。距離…近い。やっぱり生き物だ、電波の反射率はえらく低い。こんなに近づくまで『感』がないとはステルス並だ」
「ふんっ、要は、有視界の近接戦闘ってことだろっ。ギッ、基本どうり後方からアプローチするぞ」
腹筋を使った呼吸でGを堪えながら、あっと言う間に打ち合わせを済ませる。
僚機は高度を上げて観戦である。万が一の支援と、彼我の動きを余すところ無く調べ上げることが任務だからだ。
空気を切り裂き、エンジンは咆哮をあげる。
ヘッドアップデイスプレイ(HUD)の中心付近に、ドラゴンの赤い鱗で覆われた身体が入る。その悠然と空を滑空する姿は、美しくすらあった。
「あれだ」
「目標。特地甲種害獣、通称ドラゴンと確認。間違いない」
この地にはこの地における弱肉強食の摂理がある。
ある意味、カレは本能のままに餌を補食しているに過ぎない。その行為を害と決めつけるのは人間のエゴである。ドラゴンはこの世界に置いて、補食ピラミッドの頂点にいただけなのだ。
だが人間であるが故に、これを狩る。人が殺されているのを黙って見過ごすことは出来ない。それがヒトの条理だ。
「撃ってば当たりそうなんだけど」
「当たっても落ちない。20㎜じゃ豆鉄砲。無駄な攻撃をして、こちらの武器情報をカレに与える必要なし」
「あいよ」
予定通り、神子田は機体のパワーを全開にさせるとドラゴンの背後から、その近くを掠めるようにして追い抜いた。要は、挑発である。
激しい乱気流に巻き込まれ、驚いたようにドラゴンの飛行は乱れた。
神子田は、機体を旋回させるとドラゴンの周囲を廻るような進路をとった。犬だって頭を叩けば噛みついてくる。ドラゴンは羽ばたくと、彼の誇りを痛く傷つけたファントムの後を追おうとした。
「へっ、怒ってやがるぜ」
高度15000フィートで、神子田とドラゴンの接触を見守っていた瑞原は西元に言った。
「旋回半径が、めちゃくちゃ小さいですね」
「身体が自由に曲がるからな。巴戦は駄目だな」
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「次、上昇性能」
神子田はわざとパワーを抑えめにして、ゆっくりと上昇を始めた。
ドラゴンが後に続くが、追いつけそうで追いつけない。神子田は少しずつパワーを上げて、引き離していきドラゴンの限界を見極める。
「高度3600、3700、3800…羽ばたいてる癖に以外と推進力があるな」
「次、急降下」
上昇転じて機首を下に向けての急降下。
重力に引かれて自由落下が始まる。ドラゴンも羽ばたくの止めると、翼をすぼめるようにしてこれに付いてきた。
「まずいっ、神子田。パワーアップ」
これは翼をすぼめて空気抵抗を自在に調節できるドラゴンの方が優勢のようであった。
瞬く間に距離が詰められてくる。
「高度1000、700、500」
コクピットにロックオンされたときのような警告音はないが、それを受けた時に匹敵するほどの緊張感が二人の背中を襲った。
神子田はドラゴンを引き離すために、地面を掠めるようにして機首をあげて、高度を上げた。
ドラゴンもこれに追従しようとしたが、上昇性能でついて来ることが出来ないことは理解していたようで、中途で翼を拡げ中空に停止した。
「ホバリング能力あり」
「V・STOLで格闘戦にも秀でている」
「機動力から見れば、戦闘ヘリ並ってことだな。それに、おつむも悪くない…」
神子田は機体を安定させると、高度2000フィートでゆっくりと旋回させた。
「久里浜、そっちのテストは終わりか?」
「ああ、だいたい判った」
「んじゃ、今度はこっちの番だな」
「そう言うだろうと思った」
久里浜はそう言うと、しっかりと顎を引き締めた。神子田はこんな時、性能限界ぎりぎりまでぶん回してくる。
「戦闘ってのは、機体の性能だけじゃなくて、スピリットのぶつけ合いでもある。ドラゴンの野郎がどの程度根性座っているか。こいつを確認しないと片手落ちだろ?」
神子田はそう呟いて、機体をドラゴンの正面に向けた。
ファントムとドラゴンは、互いに向かい合って急速に接近していく。
HUDの中心にドラゴンの顔が見えた。
「衝突コースに乗った……こいつ、片目だぜ」
ドラゴンの身体が、視界の中で点に始まって急激に拡大していく。
「そいつは良い情報だ」久里浜が言った。近接するための死角として利用できるかも知れない。
バワーマキシマム。アフタバーナーオン。
音速を突破し、衝撃波が轟いた。
まさに、チキンラン。
ドラゴンも、悠然と翼を拡げるとそのままに身じろぐ出もなく、慌てふためくこともなく真っ直ぐ突き進んでくる。
それは、空の王者としての誇りをかけた意地の張り合いであった。
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「で、これか?」
整備班長に睨まれて、後ずさる神子田と久里浜。
「もう、部品のストックは少ないんだぞ。しかも、耐用年数もギリギリいっぱいと来てる」
「それはもう、重々」
神子田と久里浜の機体は機首が見事なまでに、こんがりと焦げていた。相当の高熱だったようで正面のキャノンピーも白濁している。
外見的には判らないが、レーダーなどの電装品も熱で損傷を受けたようであった。
整備員達は覗き込んで、非常に危ないところであったことを確認しあっている。燃料系統のパイプが高熱に晒された形跡があったからだ。
その強靱な爪による一撃を避け得ただけでも幸運と言えたかも知れない。
神子田は握り拳で訴えた。
「あの野郎、武器を使わないはずのガチンコ勝負で、火を噴いたんですよ。火を。男らしくないと思いませんか?!」
「馬鹿野郎っ!!でかいトカゲ野郎に、んなこと判るか!!メスかもしれんだろうがっ!!」
こうして、整備班長の罵声が飛ぶのであった。