[1507] 自衛隊 彼の地にて、斯く戦えり /正式版 06
Name: とどく=たくさん◆20b68893
Date: 2008/04/02 14:26
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大陸諸国から帝国に集まった軍勢が、一夜にして姿を消した。
それは日本ならば新聞の一面トップ、あるいはバナー広告一行目にとりあげられるような出来事であろう。だがこの世界、この土地の民にとって、軍がどこに行こうとどうなっていようと関係のない話だった。戦争に負けたとしても、支配者が変わるだけ。人々の生活になんら変化を起こすものではないのだ。
これと言うのもは常にどこかの国と戦争をしているという状態が続いていたせいである。戦争に勝ったり負けたり、領地をとったり取られたり。領主がコロコロとかわり、仰ぐ旗がコロコロかわる。そんなことが続けば、我々の言うところの愛国心など育まれるはずがない。
自分の住んでいる土地とその周辺が戦場になるのではないかぎり、あるいは自分の家族が兵士として戦場に赴いているのでない限り、市井の民が国の動静に関心をはらうことはほとんど無いのだ。
それでも騎士や兵士達が移動して数日。人々の生活にも、影響が表れ始めていた。
それは、盗賊の跳梁である。
この世界の支配体制では、兵士や騎士の存在があったとしても、盗賊を抑える効果はそれほどない。なぜなら、貴族や騎士の主たる任務に治安の維持は含まれていないからである。
彼らの役割と関心は「支配する」ことにある。騎士や貴族や『税金』と称して奪う。盗賊らは名目がないけど奪う。どちらも無理矢理で、拒否したら暴力を振るう。本質は同じで、大した違いはないのだ。
もし、貴族や騎士が盗賊を退治したとしても、それは牧童が自分の羊を守るために、たまたま自分の視界に入った狼を追い払う程度のことでしかない。身も蓋もない言い方だが、民衆の安全に気を配ることは義務ではなく、奨励される善行のひとつに過ぎないのだ。
死にものぐるいになって刃向かってくる盗賊を追って命をおとすかもしれないとなれば、貴族や騎士達が熱意を持ってこれと戦うなどまずあり得ない。これは、とりわけ珍しいことではない。かつての日本でも同じで黒澤明監督の映画「七人の侍」の状況設定が成立するのもこのせいと言える。
とは言え、騎士や兵士が激減したという事実は、盗賊の喜ぶ状況だった。
これまでは、こそこそと行っていた野盗行為を堂々と行えるようになったのだから。
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獲物がいなくなったら困るので、根こそぎ狩ったり奪ったりしない…というのは智恵のある狩人の仕事である。それと類似するのが盗賊行為であるが、そもそも智恵のある人間が盗賊に身を落とす例は少ないので、盗賊の大部分は、陰惨を極める仕事の仕方をする。
例えば近くにドラゴンが出たために、とある村から逃げ出すことになった一家だ。
男は、農耕馬に馬車を引かせると、家財一切合切と妻32歳と娘15歳を乗せて村を出た。
こうした逃避行では、野生の草食動物がするように…例えば野牛やシマウマのように、キャラバンを組んで移動するのが常である。だが、そんな悠長なことをしているとドラゴンに襲われるかも知れないという恐怖が先にたった。
だから村人達が止めるのも聞かず、一家だけで村を出たのである。
運悪く盗賊が現れたのは、村を出て2日目の夕刻だった。
男は、農耕馬に鞭打って馬車を走らせたが、荷物満載の農耕馬車がそんなに速く走れるはずもない。抵抗らしい抵抗をすることも出来ず、一家は騎乗の盗賊達に取り囲まれてしまった。
男はあっさりと殺され。家財と、妻と娘を奪われたのだった。
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夕闇の中。十数名の盗賊達は、火を囲んで獲物を得た喜びに、一時の享楽を味わっていた。
獲物の中には金品ばかりでなく一家が当面の暮らしを保つための食料もあった。これで腹を満たす。母娘を犯すのは順番待ちだが、盗賊でも主立った立場にいる者は早々に獣欲を満たして、いい気分で酒を味わっていた。
「お頭、コダ村だそうですぜ」
炎龍の出現によって村中で逃げ出している。荷物満載で足が遅い。たいした脅威もない。これを襲ってはどうか?襲わない手はない。襲いましょう。奪いましょう。
配下の言葉に、頭目はニンマリとほくそ笑んだ。実に良いアイデアだ。そうしよう。彼はそう考えた。だが…。
「手が足りねぇぞ」
20人に満たない自分の配下では、村丸ごとのキャラバンは獲物が大きすぎる。
「それですよ。あちこちに、声をかけて人を集めるんでさぁ。そうすれば今まで出来なかったような大仕事が出来ますぜ」
これは手下を集める良いきっかけと言えた。
頭数をがそろえば、村や町を襲うことも出来る。うまくやれば、領主を追い出して自分が領主になることも出来るかも知れない。
野盗から領主へ…その日暮らしの盗賊家業から、支配者への成り上がりの夢。しばしの夢、刹那の夢に浸る。
名もない盗賊の頭目。彼にとって幸福を夢見た瞬間が、人生の終わりだったのは幸せだろうか。それとも不幸だろうか。
ゴロッと首の上から、頭が落ちて地に転がる。
ゴロゴロと大地を転がり、たき火の側で止まった。
ジュと髪が焦げ独特の臭いが立ち上がる。
生理学的には、人は首を切られても数秒は意識があると考えられている。とすれば、彼は自分の頭が大地を転がる瞬間を体験しただろう。そして、自分の身体であった物体が、首から血液を噴出させながらグラッと倒れる瞬間を眺めることが出来たかも知れない。
そして、暗くなっていく視野の向こうに、自分の赤い血を浴びる長い黒髪の死に神を見た。
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その少女を見た者は誰もが最初に「黒い」と思う。
抜けるような白い肌に漆黒の髪、黒い衣装。
そして、その瞳は底のない闇のごとく黒かった。
ビュンという風切り音とともに、盗賊の首が飛ぶ。
手にした武器は、重厚なハルバート。
重い鉄塊のごとき斧に長柄をつけた武器だ。断じて小柄な少女が振り回してよい武器ではない。フリルで飾った服をまとった少女が手にしてよいものではない。それを柳のような細い腕と、そして白魚のような細い指で振り回す。
どすっと重い鉄斧を肩に載せて、丸い息を「ほっ」吐く。
少女の周囲には野盗であった死体が累々と横たわっていた。
「クスクスクス………。おじさま方、今宵はどうもありがとう」
スカートをつまみ上げて、ちょこんと一礼。
年の頃は見た目では12歳前後。優美さと、気品のある所作からは育ちの良さが感じられた。
そのかんばせは笑顔をたたえている。だが、目だけが笑っていない。黒い瞳の中に浮かぶ闇ははどこまでも深い虚無だった。
「生命をもってのご喜捨を賜りホントにありがとう。神にかわってお礼を申し上げますわねぇ。神はあなた達の振るまいがたいそう気に入られて、おじさま方をお召しになるっておっしゃられてるの」
「………な、なんでぇ!てめえはっ!」
まだ、生きている野盗達の中に、はらわたに氷を詰められたようなぞっとする重さの中で、なんとか虚勢をはることができた者がいた。この際、声を出すことが出来ただけでも褒めてやるべきか。
「わたしぃ?」
くすりと愛らしくほほえむ。
「わたしはロゥリィ・マーキュリー。暗黒の神エムロイの使徒」
「エムロイ神殿の神官?……じ、十二使徒の一人。死神ロゥリィ?」
「あらぁ、ご存じなのぉ? クスクスクスクス…正解よぉ」
コロコロと嗤う少女を前にして、野盗達は一斉に逃げだした。荷物もなにもかもうち捨てて死にものぐるいになって走り出す。
じょ、冗談じゃねぇ。使徒なんかとまともにやり合えるかっ!!
魂の叫び、命の叫びをそれぞれにあげながら、懸命に死の顎から逃れようとする。
「だめよ。逃げてはいけないのよぉ」
ロゥリィが跳んだ。自分の体重ほどもあるような巨大な鉄塊を抱え、どう猛な肉食獣の身のこなしで、盗賊達に襲いかかる。
ハルバートが盗賊の頭をスイカのようにかち割ると、周囲にミンチ状の肉片がまき散らされた。
「ひぇ、あわっ…ひっ」
腰が抜けた男の前に、ゆらぁりと立つロゥリィ。重たいハルバートをよいしょと担ぐと、足下をちょっとふらつかせながらも、高々と掲げあげる。
彼女の白い肌は、返り血で真っ赤に染まっていた。
「うふふ……神様はおっしゃられたのよ。人は必ず死ぬのぉ。決して死から逃れることは出来ないのぉ」
振り下ろされる斧に続いて、断末魔の悲鳴が響くのだった。
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「はぁ、はぁ、はぁ…なんだって、エムロイ神殿の神官がこんなところに…」
男は我が身におきた不幸に不満をたれながら、走っていた。
遠くから仲間の絶叫が聞こえる。また一人、死神教団の使徒に命を刈り取られたようだ。
「くっ、くそっ」
夜の荒野だ。道などない。窪みがあり、岩が転がって、荊が群生し、立木が立ちふさがっている。男は、転び、のたうち回りながら、泥と汗とにまみれ、あちこちをすりむき、服を破きながら、あえぐように走った。
また、絶命の悲鳴がこだました。
ぬかるみにはまり込み、滑って転ぶ。身体を地面にうちつけて、男は拳で大地を打った。
「くそっ、くそっ、くそぉぉぉぉぉっ、なんで俺がこんな目にっ!!」
「あらぁ。十分楽しんだのではないのぅ?」
トンという足音。それに続く鈴を鳴らしたような声に、はっと見上げる。すると銀色の月を背景に、黒い少女が立っていた。
「あなた、イイ思いをしたのではなくてぇ?人を殺したのではないのぉ?」
男の開いた脚の間…股間すれすれにズトンと、大地を割らんばかりにハルバートが突き刺さった。
「ひ、ひっひ、ひ、お、俺はまだやってねぇ!!」
「あらぁ、ホントぉ?」
「ホントだよ!!仲間にしてもらって、これが初めての仕事だったんだよぉ!!女だって、俺は新米だから最後だって言われて、まだ指一本触れさせて貰ってねぇんだ!!」
「ふ~~ん?」
ロゥリィはのぞき込むようにして、男を値踏みした。
「他のおじさま達は、み~んな、エムロイの神に召されたわよぉ。あなた独りじゃ寂しいんじゃなくてぇ?」
男はぶるぶると首を振った。寂しくない、寂しくない。
「でもぉ、独りだけ仲間はずれなんて、いい気分じゃないわぁ」
「いや、是非仲間はずれにしてくださいっ!!!」
男は祈るように願った。
ロゥリィは、ロゾリとした刃物のような冷たい目で男を見下ろす。
「どうしよぅかなぁ~」
言いながら、とロゥリィはポンと掌を拳でうつ。「そうだわあ。良いこと考えたのぅ」
「まだ、何もしてないなら。今からでもすればいいのよぉ」
そう言って黒い少女が男の片足をむんずと掴みあげる。それは華奢な見た目からは信じられないほどの怪力だった。
「るるんらっ」と鼻歌を歌いながら、雑巾かモップでも引きずるような感じて男を引っ張る。
「いでで、やめっ!ごふっ!!あつっ」
石や砂利の転がる荒れ地だ。男の汗にまみれた身体は、自らの血でさらにまみれた。
「あなた、お母さんと、娘さんとどっちが好み?」
「いやだぁ!止めて!!ぐへっ、ごっぽっ……」
「遠慮なんかしてはいけないのぉ。これが最期なんだしぃ、お相手していただけるようにあたしが頼んであげるわよぉ」
ロゥリィは男の足をつかんだままぶんっと腕を振る。男は、うち捨てられた人形のように不格好に横たわる母娘のところでドサと転がった。
「さぁ、はじめるとよいのぉ。貴方の順番よぉ」
男は首をブルブルと振る。
一糸も纏わない母娘2人は、暴行を受けていた姿勢そのままに両足を広げ、両腕は万歳するかのように挙げていた。身動き1つせず横たわっていて、見ると呼吸も止めている。
「あら困ったわね。こちらの2人も、もう召されてしまったようだわ」
暴行をうけている間に、命に関わるような傷を負わされたのかも知れない。
「間に合わずにごめんなさいね」
ロゥリィは母娘に瞑目して頭を少し下げた。その上で男に微笑む。
「でも、折角だからぁ。やったらぁ?」
男の股間が濡れて、周囲に水たまりが広がっていった。
[1507] 自衛隊 彼の地にて、斯く戦えり /正式版 07
Name: とどく=たくさん◆20b68893 ID:7f4040fb
Date: 2008/04/02 14:27
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盗賊の青年は、涙を流しながら許しを請い続けた。
地に這いずり、手を組んで祈るように。
涙と鼻水を流しながら慈悲を請う。自分はまだ直接には罪を犯していない。まだ手を汚していない。生活苦のために、盗賊に身を落とすしかなかった。反省して、心を入れ替えて、これからは真面目に働く等々。
ロゥリィはその醜態に嘆息する。汚物から目を背けるかのように顔を背ける。
その見苦しさに、視線を向けたが最期、自らが汚されてしまうかのような気分になってしまったのだ。
まず大前提がある。それは、ロゥリィの考えでは、人を殺すことは罪ではないということなのだ。
大切なことは、何故、どのような目的で、そしてどのような態度でそれを為したかなのだ。
これこそロゥリィの仕える神の教えでもあった。
盗賊や野盗が、人のものを盗むことの何が悪いのだろう。
兵士や死刑執行人が、敵や死刑囚を殺すことの何が悪いのだろう。
そう言うことなのだ。
ロゥリィの仕える神は善悪を語らない。
あらゆる人の性を容認する。人が生きるために選んだ職業を尊ぶ。そして、その職業なりの道を尊ぶ。だから、盗賊ならば盗賊として堂々としていればよい。そのかわり盗賊であるが故に、兵士であるが故に、戦場でそして法によって裁かれること等で、自らの命もまた奪われることを覚悟すべきだと教えるのだ。
もし、この男が盗賊として胸を張ってロゥリィに相対したので有れば彼女はそれなりの尊敬を示したろう。神の使いの立場として、青年を愛したかも知れない。
だが、この男の態度たるやどうだろう。
まず、自ら手を汚していないという言い訳が許せない。実際に盗賊集団に参加し、『数を頼む暴力』の構成員となった以上、直接暴力を振るったかどうかは全く関係がないのだ。
そして、生活苦のために盗賊に身を落とすしかなかったという言い訳がまた許せない。食べていけないのなら、飢えて死ねばいい。
才覚に乏しく運に見放され食べていくことが出来ないが、誰も傷つけたくない。故に、物乞いや路上生活者として生きるということを選択した者も、ロゥリィは愛するのだ。
人として愚劣。男として低劣。まさに存在の価値なし、その見苦しさの余り漆黒の使徒はその美貌をゆがめた。
ロゥリィは、冷厳に命じる。
墓穴を掘るようにと。その数は三つ。
青年は、道具がないと応じたが、母親から頂いた両手が有るでしょう?とロゥリィに論駁されてしまう。
だから青年は荒野を引っ掻くようにして、穴を掘った。
ここは荒野だ、砂場や耕された畑に穴を掘るようには行かない。たちまち爪は剥がれた。皮膚はぼろぼろとなった。しかし、青年がその痛みに手を休めようとすると巨大なハルバートがつま先を削るようにして叩きつけられて、大地を抉る。
恐怖に駆られた青年は、一時の狂躁に苦痛を忘れ、砂礫と雑草の大地を削るようにして、必死で穴を穿つのだった。
やがて、一家の父親を埋葬した。
一家の母親を埋葬した。
そして一家の娘を埋葬する。
最早、感覚を失った掌で土を掬いあげて少女の墓に盛り終えた時、すでに太陽は昇り、あたりは朝となっていた。
男が仕事を続けたのは、これが、自らを見逃す条件であると思ったからだ。いや、そう思いたかった。思いこもうとした。そして男はお伺いをたてるかのように振り返る。
「こ、これでいいか?」
渇きと飢え、そして疲労と両手の激痛とで息も絶え絶えとなっていた男は、見た。
神の祈りを捧げる少女、ロゥリィの姿を。
片膝をついて、両手を組み一心に祈る。彼女は神秘的な陽光に包まれ気高く美しく、見る者の呼吸すら押し止める。
喪服にも似た漆黒のドレスと長い黒髪。
白磁の肌。
古くなった血液のような、赤黒の口紅がぞっとするような笑みの形を描く。
祈りを終えた少女はゆっくりと立ち上がり、ハルバートを掲げあげた。そして身じろぎも出来ずにいる男へと向かって、神の愛と自らの信仰の象徴を振り下ろすのだった。
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コアンの森在住のハイ・エルフ、ホドリュー・レイ・マルソーの長女テュカは、自分は今、夢を見ていると思っていた。
寒冷紗がかかったような朦朧たる視野。そのなかで『人間』達が行き交う。
何が起きているのか?感じ取り洞察しうる思考力が働かない。ただ、目に映る物、耳に入る音を受け容れるだけだった。
空に浮かぶ雲や目に映る風景が、時折流れるように動く。止まる。また、動き出す。それに伴って身体が揺すられる。
どうやら、荷車のようなものに載せられているようだった。
動いては止まる。また動いては止まる。
『荷車』の窓から見えるのは、荷物を背負い抱えた人間達が疲れた表情で、そして何かに追い立てられるかのような表情で歩いている姿だった。
荷物を満載した荷車がガラガラと音を立てながら進んでいく。
また動き出す。そしてしばらくして止まる。
暗かった壁が切り開かれて、そこから外の光が差し込んで来た。
眩しい……。
ふと、視界がぼんやりとした黒い人影で覆われた。
「Dou? Onnanoko no yousuha?」
視界の外にいる誰かと何か会話しているようだが、聞き取ることも理解することも出来なかった。
「クロちゃ~ん。どう?女の子の様子は?」
「伊丹二尉…意識は回復しつつありますわ。今も、うっすらと開眼しています」
そんな会話も、テュカにとっては無意味な音声でしかなかった。
高名な原型師が、最高の情念と萌え魂を込めて作り上げた、そんな造形の美貌と肌をもつ少女が、力無く横たわっている。流れる金糸のような髪をまとい、うっすらと開かれた瞼の向こうには、青い珠玉のような瞳が垣間見られる。
伊丹は少女のように見えるエルフ女性を眺め見て、ため息を1つついた。
熱は下がって安定。バイタル(心拍・呼吸数・血圧/標準値がどの程度のなのかは判らないが、上がるでもなく下がるでもなく、安定していることは悪いことではないと黒川は語った)も安定しているとは言え、気をつかわないわけには行かない状態だ。
「遅々として進まない避難民の列。次から次へと沸き起こる問題。増えていく一方の傷病者と落伍者。逃避行ってのは、なかなかに消耗するものだねぇ」
それは愚痴だった。「息抜きの間に人生をやる」がモットーの伊丹にとって、現状がいつまで続くか判らないことは苦痛以外の何者でもないのだ。
疲労。人々の悲壮な表情。餓えと渇き。赤ん坊の悲鳴にも似た鳴き声。余裕をなくして苛立つ大人達。事故によって流される血液。照りつける太陽。落とす間もなく靴やズボンにこびりついていく泥・泥・泥。
ぬかるみにはまって動けなくなってしまう馬車。その傍らで座り込んでしまう一家。しかし村人達には為す術がない。彼らには落伍者を無感動に見捨てていくことしか出来ないのだ。助けようにも精神的にも肉体的にも余力がなかった。「せめて我が子を…」と通りゆく荷馬車に向けて赤子を捧げる父親。
キャラバンからの落伍は死と同義だった。乏しい食料、水。野生の肉食動物。盗賊。そんな危険の中に身を曝して生き続けることは難しい。
見捨てるのが当たり前。見捨てられるのも当然。生と死はここで切り分けられてしまう。それが自然の掟だった。
誰か助けて。
その祈りに力はない。
誰か助けて。
神は救わない。手をさしのべない。ただ在るだけだった。
誰か……誰か誰か。
神は暴君のように命ずるだけ。死ねと。
だから、人を救うのは人だった。
動けなくなった馬車に緑色の衣服をまとった男達が群がった。ただ、脱輪しただけならば助けようはあると言う。
「それっ、押すぞ!!」
「力の限り押せ~、根性を見せて見ろっ!!」
号令に全員が力を込める。泥田のような泥濘から馬車が救われ、再び動けるようになると、男達は礼の言葉も受け取ろうともせず、馬を使わない不思議な荷車へと戻っていく。
村民達は思う。彼らはいったい何だ?
この国の兵士でもないようだし、無論住民でもない。ふらっとやってきて、村に近づく危機を知らせ、そしてこうして逃避行を手伝う。気前がよいと言うよりは、人の良すぎる不思議な笑みを顔に張り付かせている異国の人間達。そんな印象が村民の一部に残った。
馬車が荷物の重みに耐えかねて、壊れてしまった場合の彼らは冷酷だった。
荷物を前に呆然と立ちつくす村人の元に、緑色の男達の長と村長がやってくる。
そして村長から、背負えるだけの荷物を選ぶように説得される。荷物を棄てるなど村人達の考えてもしないことだった。荷物とは口を糊するための食料であり、財産だ。これらなくしてどうして暮らしていけると言うのか?だが、村長はそれでもと荷物を棄てるようにと告げる。嫌々ながら、緑色の服をまとった連中の言葉を伝えさせられているという態度だった。そして未練が残らないようにと火を放たせられた。そうなってしまえば、燃え上がる家財に背を向けて歩きだす。明日はどうするのか?あさっては?全く希望の見えない状況で、泣く泣く歩くしかないのだ。
今やキャラバンには荷車の列と、徒歩の列とが出来ていた。そして時間の経過とともに徒歩の列が増え、荷車の列は減りつつある。
黒川は伊丹に言った。
「どうして火をかけさせるのですか?」
「荷物を前に全く動こうとしないんだもの。それしかないでしょう?」
「車両の増援を貰うというわけにはいかないのでしょうか?」
自衛隊の輸送力なら、この程度の村民を家財ごと一気に運んでしまうことは簡単なのだ。
だが、伊丹は顔をしかめて後頭部を掻く。
「ここは一応、敵対勢力の後方に位置するんだよね。力ずくで突破すれば出来ないこともないよ。でも、僕たち程度の少数なら見逃しても、大規模な部隊が自分たちのテリトリーの奥に向かって移動を開始したら、敵さんもそれなりに動かざるを得ないと思うんだよね。偶発的な衝突。無計画な戦線の拡大。戦力の逐次投入。瞬く間に拡大する戦禍。巻き込まれる村民達。考えるだけでゾッとしちゃうってさ」
そんな伊丹の言葉に、黒川は苦笑をかえす。伊丹が一応は上に向かって『お伺いは立てた』のだと言うことが、その言葉から知れたからだ。
「だから、僕たちが手を貸す。それぐらいしか出来ないんだよ」
伊丹の言葉に黒川も頷かざるを得なかった。
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コダ村の避難民のキャラバンが『そこ』を通りかかったのは、太陽があと少しで最も高いところに昇るという頃合いになる。
キャラバンの先頭を行く第3偵察隊の高機動車(HMV)。しかし、その速度は歩くのとそう大差なかった。
なにしろ徒歩の村人と、驢馬や農耕馬の牽く荷車の列だ。歩くだけの速度でも出ていればまだマシと言えるかも知れない。
「しっかし…もうちょっと速く、移動できないものですかねぇ」
倉田三等陸曹が愚痴る。
「こんなに遅く走らせたのは、自動車教習所の第1段階の時以来っすよ」
迂闊にアクセルを踏み込むと、たちまちキャラバンを引き離してしまう。倉田はオートマのリープ現象を利用してアクセルはほとんど踏み込まず、両手もただハンドルを支えるだけにしていた。
バックミラーには、バックレストにしがみつくようにして前を見ている子供の姿が映っていた。すでに、高機動車の荷台には疲れて動けなくなった子供や、怪我人を載せている。すぐ後ろを走る73式トラックも、狭い荷台に怪我人や身重の産婦が乗せている。もちろん、危険な武器や弾薬・食料といったものは、軽装甲機動車に移した。
伊丹は航空写真から起こした地形図を見て、双眼鏡を右の地平線から左へと巡らせる。地形と現在位置を照らし合わせて、これまでの移動距離を積算して、残余の距離を目算する。道のりばかりでなく、高低差、川や植生と言った情報も重要だ。
「妙に、カラスが飛び交ってますよ」
倉田の言葉に「そうですねぇ」などと適当に答えながら再び前方に双眼鏡を向けると、カラスに囲まれるようにして少女が路頭に座り込んでいるのを見つけた。
「ゴスロリ少女?」
それは、ちょっとしたイベントとか繁華街…例えば原宿などで目にする機会の増えた服装である。その定義については諸説紛々であるが、伊丹はこの少女の服装を『黒ゴス』であると認識した。
年の頃12~14歳前後。見た目も麗しく、まさに美少女であった。
そんな少女が荒涼たる大地の路頭に座り込んでいる。黒曜石のような双眸がじっとこっちを見つめている。
「うわっ。等身大のSD(スーパードルフィー)人形?」
倉田も双眼鏡をのぞき込んで呻く。
その少女はそれほどまでに無機的な…そして隙のない造形をしていたのだ。
とは言え、倉田が求めるように車を駆け寄らせて少女を眺めるわけにもいかない。コダ村のキャラバンはコミケ入場口に向かう行列のごとく遅々たる動きであり。このまま高機動車が少女に近づくには時計の秒針が5回転するほどの時間を必要とする。
伊丹は、勝本や東といった隊員を徒歩で先行させて、話しかけさせた。
この近くの住民?もしかすると銀座事件の時に連れ去られた日本人?様々な可能性を考えながら対応を検討する。
だが勝本や東が話しかけても少女のコミュニケーションがうまくいっているようには見えなかった。座り込んだ少女に職務質問をする新人警察官。そして、それを無視する家出少女みたいな感じになってしまっていた。
キャラバンが少女のもとにたどり着くと少女は待ちくたびれたかのように立ち上がり、ポンポンとスカートの砂埃を払う。そして、やたらとでかい鉄の塊とおぼしき槍斧を抱えると高機動車(HMV)に並んで歩き始めた。
「ねぇ、あなた達はどちらからいらして、どちらへと行かれるのかしらぁ?」
少女が発したのは現地の言葉であった。
もちろん、言葉に不自由な伊丹達が答えられるわけもない。辞書代わりの単語帳をひらいたりしながらどうにか片言で通じる程度だ。東も勝本も肩をすくめ、とりあえず歩き出す。
コミュニケーションの空白を埋めたのは、高機動車の左右の空いたが広く取られているのを利用して、倉田と伊丹の間で前を見ていた7歳前後の男の子だった。
「コダ村からだよ、お姉ちゃん」
「ふ~ん?この変な格好の人たちは?」
「よく知らないけれど、助けてくれてるんだ。いい人達だよ」
少女は、歩行速度で進む高機動車の周囲を、一周する。
「嫌々連れて行かれているわけじゃないのねぇ?」
「うん。ドラゴンが出たんだ、みんなで逃げ出してきたんだ」
伊丹達は外人同士の会話をわかったような解らなさそうな表情で聞いている典型的な日本人の態度をとるしかなかった。
とりあえず東と勝本には列の後方で村人のケアをするように指示して、少女から情報をとるのは直接自分ですることに決めた。単語を確認して、話しかけるつもりで男の子と少女との会話が切れるのを待つ。
「コレ。どうやって動いてるのかしら?」
「僕が知りたいよ。この人達と言葉がうまく通じなくてさ…でも、馬車や荷車と比べたら乗り心地は凄く良いんだよっ!!」
「へぇ~、乗り心地が良いんだ?」
すると黒ゴス少女は、コラコラコラと制止する間もなく、ズカズカと伊丹の座る助手席側から高機動車に乗り込んで来てしまった。もちろん、伊丹の膝の上を跨ぎ越えていってだ。運転席や助手席のドアがなく、開け放たれていることが災いしたかも知れない。
高機動車は大人が10人は乗れる。
前席は正面を向き、後席は左右からに向かい合わせて座るように椅子が配置されている。その中央に装備などを置くスペースとるため十分な広さがあって、現状のように道交法を無視できるのであれば、子供だけなら無理無理に20人近くは乗せることが可能なのだ。
しかしそうだとしても、荷物もあったり、子供や老人とかで朝の通勤ラッシュに近い状態だ。そんな車内に「ちょっと詰めて」などと言いながら乗り込んでくる少女は、村人達からも歓迎されない。あからさまに苦情を言わないがみな迷惑だなぁという表情で迎えた。
「ちょ、ちょっと。狭いよおねぇちゃん」
「ん~ちょっと待ってて」
ただでさえ狭いのに、長物を持ち込もうとしている。
ハルバートは長い。そして重い。縦にも横にしようとするのにも、誰かの頭や顔やらをゴチゴチとぶつけることになってしまった。結局、みなが窮屈な思いをしながら身をちょっと寄せたり動かしたりして、車内の床に転がすように置くこととなった。
その上で、自分自身がどこに座ろうかということで腰の卸場所を探すのだが、どこにもない。仕方なく、黒ゴス少女が腰を下ろす場所として選んだのは、御者という訳ではなさそうなのに、なんだか一人だけ良い席に座っている男の膝だった。
「ちょっと待て」
乗り込んで来る段階から唖然として対応に困ったのは伊丹だ。
黒ゴス少女を制止しようとしたが、うかつに手を出して『危険な箇所を』触ったりしたらセクハラやらなんやらと言われて、えらいことになりそうな予感がしてつい手を引っ込めてしまった。しかも言葉も通じない。「ちょっと待てって!!」「あちこち触るな」「小銃に触るな、消火器に触るな」「とにかく降りろって」「わぁっ、危ないものを持ち込むな」と日本語で、いろいろと怒鳴ったり抗議したりするのだが、馬の耳に念仏というか、蛙の面になんとやらという感じで完璧に無視されてしまったのだ。
しかも少女が、ちょこんと腰を下ろしたのは自分の膝の上だ。
「ちょっと待て!」と言わないわけには行かない事態である。
押し退けようとしたり、せっかく確保した居場所を奪われまいとする低級な紛争が勃発する。
「●×△、□○○○!!!!!」
「△□×¥!○△□×××!!」
こうして、言葉を介さない苦情と抵抗と強引さのやりとりのあげく、伊丹がお尻の半分をずらして席の右半分を譲ることで、どうにか落ち着くこととなったのだ。
[1507] 自衛隊 彼の地にて、斯く戦えり /正式版 08
Name: とどく=たくさん◆20b68893 ID:1ef86ff7
Date: 2008/04/02 15:23
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自衛隊はその性格として、隊員の安全を重視している。その為に海外派遣などでは、まず現地で守りの強固な宿営地を築き、それを拠点とし、危険時には立てこもるようにして任務を遂行して来た。最近の例ではイラクでのサマワがその例と言える。
人命軽視の旧軍を反面教師にし、国内向けの政治的な配慮と、人命救助を主とする災害派遣の活動していくうちにそれが習い性となってしまった、とでも言うべきだろうか。特地派遣隊もまた、守備を重視している。
何よりも守るべきものは『門』の向こう側…本土だ。すなわち、この世界に置いて特地派遣隊の使命とは『門』を守ることにあった。『門』を含むアルヌス丘を占拠し、その周辺に安全地帯を、軍事的・政治的な方法によって確保することが、特地派遣隊に求められている。航空写真からの地図の作製、周辺地域に隊員を派遣しての調査も、すべてそのための手段なのだ。
そしてさらに、前世紀の遺物とされている要塞建築がこれに加わった。
土と鉄条網の野戦築城ではない。鉄とコンクリートによって造られる恒久的な防御施設である。
『門』周辺を確保してからおよそ2ヶ月。昼夜を問わない施設科の活躍によって、アルヌス丘は強固な防塞へと変貌していた。
その構造は、担当した幕僚の性格が現れるかのようで、几帳面なほどの六芒星構造であった。
この要塞の航空写真を見た『普通の人々』は、函館にある『五稜郭』みたいと口にする。
『普通の人々』の中でも、真面目な自衛隊幹部になると軍事史を紐解いて、この『稜堡式城郭』の利点とか欠点とかを論じたりしながら、守備や攻略の方法について検討を始めたりする。
だが、ホンのちょっと方向性の違うマニアックな人間だと、ニヤリとして『六芒郭』という単語を呟いたりした。
伊丹なんぞは「縁起悪ぅ。俺やだよ、泣きながら糧食配ってまわるの。龍が飛び回ったりするところなんて、アレとすっごく似てる。まぁ、こっちには対空火器が十分あるし、心配するようなことにはならんだろうけど…美人の皇女様が敵の司令官とかだったら燃えるのか?」とかなんとか、言ったそうである。何のことかわからない人間には、ホントに何のことかわからないネタであるが…。
いずれにしても、魔術とか魔法とか、神秘的なことに対して無縁な人間が、全くの悪気なしで、神秘の代表格とも言える『門とアルヌスの丘』の周辺に『六芒星』を、魔導関係者が、それを知ったら正気を失ってしまうほどの規模と正確さでこしらえてしまったのである。
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さて、場面変わって
高機動車が、73式トラックが、ライトアーマーが、エンジンの咆哮をあげさせ砂塵を巻き上げて疾駆している。
車内に収容されていた女、子ども、老人はその急ハンドルと加速に振り回され、あちこちに身体や頭をぶつけながらも、懸命に耐えていた。
車窓から見えるのは、逃げまどうコダ村の人々。そして、それを空から覆う黒い影。
炎龍である。
コダ村を脱出して3日、どうやら無事に炎龍の活動域を脱出できたと思えてきた矢先、唐突に現れた炎龍が、獲物を見つけたとばかりに避難民達に襲いかかってきたのだ。
炎龍がここまで進出してきたのにはそれなりの理由がある。
炎龍出現の知らせを聞いたコダ村とその付近の村落の住民達が一斉に避難し、炎龍は巣の周囲に餌となる人間やエルフを見つけることが出来なくなってしまったのだ。そのため、わずかな臭いを頼りに、人間がいるであろう地域まで遠出してきた。そして、避難に手間取ったあげく、多量の荷物を抱えていたが為に移動速度の遅くなっていたコダ村の村民が、炎龍に狙われる羽目に陥ったのである。
「怪獣と闘うのは、自衛隊の伝統だけどよっ!こんなとこでおっぱじめることになるとはねっ!」
桑原曹長が怒鳴る。「走れ、走れ」と倉田に向かって怒鳴る。アドレナリンに高揚しているのか、その声には喜色すら混ざって聞こえた。
炎龍が、うずくまった村人に狙いを定めて襲いかかろうとする。それを見て伊丹は併走していた軽装甲機動車に向けて怒鳴った。
「牽制しろ!!ライトアーマー!!キャリバーをたたき込めっ!」
軽装甲機動車上で50口径のレバーを笹川陸士長が渾身の力を込めて引き、工事現場の削岩機のような音が連続する。
極太の薬莢がカートキャッチャーからこぼれてまき散らされる。硝煙で汚れ、すすけた真鍮色をした薬莢がカラカラと、ボンネットを転がる。そして12.7ミリの銃弾が炎龍の背に当たり火花を散らした。
だが強靱な龍の鱗は重機関銃の銃弾を全く寄せ付けない。
「全然、効いてないっすよっ!!」
笹川の言葉に、伊丹は怒鳴り返す。
「かまうな!!当て続けろ!!撃て撃て撃て!」
空気銃のBB弾〈市販仕様において〉は、当たったから死ぬわけではないが、それでも弾を浴びせられるのは嫌なものである。銃弾が効かないほどの強固な装甲に覆われていても、生き物ならば感覚があるはず。伊丹は、部下達に絶え間ない射撃を命じた。
64小銃の筒先が炎龍を指向する。消炎制退器から、炎が花弁のように広がった。
浴びせられる銃弾に、さしもの炎龍も辟易した様子を見せる。獲物に襲いかかる勢いをそがれ、あたふたと走る農夫を取り逃がしてしまった。
忌々しそうに、頚をふる龍。つぶれた片目につき立っている矢が、その強面を引き立てて、見るからに恐ろしい。やくざの顔の傷みたいなものだ。
炎龍が火炎放射器のような炎を吹き放つが、周囲を走り回る車両を捕らえることは出来ない。
「ono! yuniryu!! ono!」
背後からの少女の声。振り返った伊丹の視界に、ぱっと金糸のような髪が広がっていた。
蒼白の表情をしたエルフ少女が、細い指で自らの碧眼を指し示して「ono!」と連呼する。
この瞬間、伊丹は言葉は通じてなくても不思議と意思が通じたような気がした。
「目を狙え!!」
隊員達は龍の頭顔面部を狙い始めた。
炎龍は明らかに厭がり、顔を背け動きが止まった。
「勝本!!パンツァーファウスト!!」
ライトアーマー内で取り出されたのは、110mm個人携帯対戦車弾。700mmもの鉄板を(70㎝もあるようなものを「板」と呼んで良いかどうかは別として)貫通する能力のある、個人携行する火器としては凶悪までの破壊力を有する武器である。
重機関銃を撃っていた笹川士長と入れ替わって勝本三曹が、上部ハッチから身を乗り出した。
だが、これは先っぽが重い上に執り回しがききにくい。しかも安全管理を重視する自衛隊では、構えてすぐ撃つような習慣はない。
「後方の安全確認」
馬鹿、とっとと撃てと誰もが呟いたが、日頃の訓練内容を思い出して「自衛隊だし…」と思ってしまう。
照準を執っている間に、炎龍は身をよじらせて中空に逃れようとする。
ライトアーマーの急加速に、勝本は振り回されて照準から目標を逃してしまった。
「ちっ!!揺らすな東!!」
「無茶、言わないでくださいっ!」
コンピューター制御されてるわけじゃないんだから、行進間射撃なんて無理だぁなどと思いつつ勝本は筒先を炎龍へ向けようとした。
車の急制動とガクビキ(引き金を引く際に力が入って、銃全体をゆすってしまうこと。当然あたらない)。引き金を引いた瞬間から、パンツァーファウストがはずれることは見えていた。
後方にカウンターマスを放出。前方に向けて弾頭が加速しながら突き進んでいく。
身をよじられた炎龍は、安定をとろうとして翼を広げる。飛来する弾頭を跳び避けるように後ずさるが、突然脚をもつれさせたかのように倒れ込んだ。
見るとハルバートが地に着き立っている。
高機動車の中から、黒ゴス少女が荷台の幌を切り裂いててハルバートを投げつけていた。その柄が地を行く動物ではない炎龍の脚を、わずかにもつれさせたのだった。そしてそれで十分だった。
外れていたはずの弾頭に向かって炎龍が倒れ込んでいく。
ノイマン効果によって発生したメタルジェットは、強固な龍の鱗をもってしてももはばむことは難しい。炎龍の装甲はユゴニオ弾性限界を超えたライナーによって浸食され、穴が穿たれる。
人間で言えば左肩に相当する部分が左腕ごとごっそりえぐり取られていた。
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空気を振るわせる悲鳴。
絶叫
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ドラゴンの咆哮は、その眼光とおなじく魂を揺さぶり、戦士の勇気を砕く。その場にいた者すべての魂が凍り付いた。
攻撃に、一瞬の間があいてしまった。
その隙に、中空に飛び上がる炎龍。
翼を広げ、よたよたとよろめくようにしながら、高度を上げていく。
自衛官達は、その後ろ姿を黙って見送るだけであった。
[1507] 自衛隊 彼の地にて、斯く戦えり /正式版 09
Name: とどく=たくさん◆20b68893 ID:be384455
Date: 2008/04/02 14:54
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『炎龍』が撃退された。
そんな話を聞くと、誰もが「嘘だろう?」と疑う。
単騎よく龍を征すドラゴンスレイヤーが登場するのは、おとぎ話の中だけというのが常識だからだ。
徒手で地熊を倒す。水牛を倒す。このくらいは鍛えようによってはあり得るかも知れない。だが翼獅子や剣虎、さらには毫象を『素手』で倒すというのはどうあっても無理と思える。これと同じくらいの理由で、古代龍と相対することは自殺行為と考えられていた。
魔法の甲冑と武器で身を固めた騎士の一団だろうと、さらには魔導師や神官、エルフ弓兵や精霊使いの支援を得ようとも、古代龍を倒すことは絶対不可能。それはこの世界の常識だった。だからこそ人々はその存在を災厄と同義として受け止めているのだ。
だが、「倒すことは出来なかったが、それでも撃退に成功した」という噂が、一カ所だけでなく様々な方面から伝わって来ると、人々はどうにか信じるようになった。信じても良いという気になった。ただし、噂には尾ひれ羽ひれがつく物だ。「もしかすると事実かも知れない。けど、炎龍と言うのは間違いではないか?」と考えたのである。
炎龍の活動期は50年程先と言われていたし、そもそも古代龍を倒せるような存在を想像することはどうにも難しかったのだ。だから現れたのは古代龍たる炎龍ではなく、それに劣る大型の亜龍(例えば無肢竜の類)ないし新生龍だったのではないか、と言う考えが説得力をもって迎えられた。
とは言え、亜龍であっても齢を重ねたものは、古代龍なみに大きくなるし、新生龍だって翼竜などよりは遙かに大きく危険なのだ。従ってそれを撃退したとなれば「龍殺し」に準じた戦功と言っていい。避難民の1/4が行方不明ないし死亡という事実も、「よくぞ、その程度で済んだものだ」と受け止められる。
この世界で「死」とはそう言うものなのだ。森の中に迷い込んでも死、川岸で遊んでいてうっかり落ちても死。これらは本人の不注意かあるいは運命とされる。欄干や手すりがなかったから誰の責任、安全管理がなされていなかったから、どこそこの責任と考えることは一種の物狂いとされるだろう。
平和も安全も当然ではない。だからこそ、人としての力量をもって追いすがる『死』…ドラゴンの形状をした『天災』を振り払った者の功績を人々は讃える。誰もが「で、その偉大なる勇者ってのは、誰なんだ?」と関心を抱くのだ。
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コダ村の村民の内、生き残った者の身の処し方は大きく分けて三つあった。
ひとつが、近隣に住まう知り合いや親戚を頼る者。これはかなりの幸運の持ち主と言える。知り合いや親戚の保証や支援を得て、住処を確保し、職を得る機会があるからだ。
ふたつ目が、親族や知る者もない土地で避難生活を送る者。これが大多数である。
身寄りもなく、誰からも助けを得られない場所で、住む場所と職をどうやって得るか。
考えるだけで難しい明日への不安はどれほどのものか。だが、生き残ることが出来ただけでも幸運と、不安を押し殺して皆、それぞれの幸運がさらに続くことを祈りつつ各地へと散っていったのだった。
彼らは去り際に伊丹ら自衛官達の手を握り、感謝の言葉をひたすら繰り返した。
避難民達にとって自衛官達は謎の存在だ。何の義理も恩もないのに、自分たちの避難を助け、こともあろうに炎龍と戦いすらした。
言葉が通じないことや見た目からも、国に属す騎士団や神官団でないことは確かだ。これが外国の軍隊なら、殺戮と略奪が当たり前だがそれもしない。無論、盗賊の類でもない。
一番理解しやすいのが、異郷の傭兵団が雇い主を求めて旅をしていると言う結論だった。ここ最近になって国や貴族達が兵士かき集めているという事実がこれを裏打ちした。
しかし、傭兵団だとすれば、何の利得もなく他人のために働くことなどあり得ない。となれば、いつ、どんな見返りを、自衛官達が求めて来るかと恐々としていたのである。
ところがである。最後の最後まで見返りの類を求めてこない。
それどころか、どこへ行っても自慢できるほどの功績をうち立てたと言うのに、まるで敗戦したかのごとく憔悴し肩を落とし、死者を埋葬し悼んでいる。(たまたま神官がいたので略式ながら葬祭も出来た)別れ際に手を握ると、感極まって涙を流す者すら居る始末。
立ち去る自分達が、見えなくなるまで手を振っている自衛官達の姿を見るとコダ村の村民達は、苦笑を押しとどめておくことが出来なかった。彼らの献身と無償の支援は確かにありがたい。ありがたいのだが、そんなことで「連中は果たしてやっていけるのだろうか?」そんな呆れた気持ちになるのだ。
「いくらなんでもお人好し過ぎだろう?…あんなことで、やってけるのかねぇ」
「他人の心配してる場合じゃないぞ。俺たちだって、これからどうしたらいいか…」
「そうだな」
「ま、いくら領主や貴族が馬鹿でも、あれほど腕の立ち連中をほっとくわけないさ。なんて言ったって、炎龍だぞ、炎龍。あれと互角に戦ったんだ」
「確かに。でもよ、あの連中のことだから、安く買いたたかれたりしないかねぇ」
いくらなんでも、そこまで間抜けじゃないだろう?と言いたくなったが、貴族共の阿漕なやり方をよく知る村人は、いささか心配になるのだ。
とりあえず、一風変わった衣装と価値観をもつ傭兵団(自衛官達)の一行が、良心的な雇い主に巡り会えますように感謝の気持ちを込めて、それぞれの神に祈ったのである。
ちなみに、コダ村住民の『幸運』はこれで終わりではなかった。
彼らは行く先々で人々から証言を求められる事となる。すなわち「ドラゴンが撃退されたというのは本当か?」と。
「ホントに炎龍なんだって、俺はこの目で視たんだから。そんな可哀想な人間を見るような目で俺を視るなよ。……え、誰だって?緑色のまだらな服を着た連中だよ。もちろん人間だよ。エルフとかドワーフとかじゃない。多分、東方の民族だろう。言葉は通じないんだが、頭は悪くなさそうだった。一生懸命言葉を覚えようとしてたしな。気持ちの良い奴らで、俺たちが避難するのを助けてくれたんだぜ。無償でだぜ、無償!ホントだって」
彼らの言葉は、吟遊詩人のそれと違って語彙が少なく描写も下手くそ。だが自らの目で見た光景、その場での体験の前に英雄譚的脚色も不必要だった。
聞く者は想像力をかき立てられ、強烈な印象を受ける。見てきた事実だから、その時アレはどうだったんだ?の問いに、語り手は答えることも出来た。
そして、語り手がドラゴンが片腕を吹き飛ばされる瞬間を描写すると、固唾を呑んで聞いていた者はみな呻くのだ。
「そりゃ、すげぇ」
やがて、『謝礼を受け取ろうともせず』、ほがらかな笑顔で颯爽と立ち去って行く彼ら。
本人達が聞いたら「誰のこと?」と尋ねたくなるような、今時アニメにも出てこない英雄物語のキャラクターのような人物像が、人々の間を伝播していくこととなった。
避難民達は、酒場で、街角で「あんたコダ村から来たんだって?」と呼び止められては、その時の話を尋ねられる。口によって語る言葉が違い、目によって見たことの描写も異なる。それがまた不思議な立体感をもたらすのだ。
コダ村の村民達は語り部の仕事だけでも、帰村するまで食べるに困らなかったと言う。
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「騎士ノーマ。どう思われますか?」
宮廷の侍従武官である准騎士ハミルトン・ウノ・ローは、街のあちこちで耳にした噂について、先輩たる同僚に論評を求めた。
多くの客でにぎわう居酒屋の一角を、数人の騎士と従者達が占領している。店はそれなりに汚く、テーブルとテーブル間は狭い。怒鳴るようにして声を出さなければ隣に座る者にすら声が届かないような喧噪のなかで、侍従武官の騎士や従者達が肩をぶつけ合うほどに身を寄せて料理に手を伸ばし、酒杯を口に運んでいる。
見ると、コダ村から来たという臨時雇いの女給が、盆を手にあちこちに酒を運んでいる。彼女は注文を取り、料理を運んだ席で、求められるままに見てきたことを語り、なにがしかのチップを貰っていた。
ひげを清潔に切りそろえた騎士ノーマは、いまいましそうに苦い表情をした。本来なら清潔な宮廷で、貴族の令夫人や令嬢を相手に高級な料理を口にしている身である。皇女殿下の騎士団と言えば、宮廷の飾り物であり実戦と最も縁遠い軍隊だったはず。そんな侍従武官が、今や野卑な料理と濁った酒を口にしている。任務とは言え、自分にふさわしくないと受け容れがたく感じているのだ。
なんでまたこんな目に…ノーマは、自分の主を呪いたくなる不敬を押さえ込むので精一杯だった。皇帝陛下の直々のご命令とあらば、アルヌス方面の偵察という任務自体は仕方ないだろう。ただ、皇女殿下が動くのであれば、本来騎士団全軍を引き連れ、従卒に傅かれつつ優美に旅程を楽しめるはずだ。ところがわがまま娘が下した命令は、本隊をはるか後方に残して少数での偵察。自分たちも侍従武官4人と従者数名だけがこの皇女のお守りをしなければならない。おかげで身分を隠して、薄汚い身なりになって、食べるものと来たら……。
ノーマは女給に手を振り酒の追加を注文すると、この状況を苦とも思っていない様子の後輩を見て、小さく嘆息した。ハミルトンはノーマが返答するのを無邪気な顔をして待っている。
「………これだけ多くの避難民が言うのだから、嘘ではないだろう。皆で口裏を合わせていると考えるのも難しいしな。だが、炎龍というのはいささか信じがたい」
「わたしは、ここまで皆が口をそろえて言うんなら、信じても良いような気になって来ます」
女給は、ワインの瓶をテーブルにどんと置いて「ホントだよ、騎士さん達。炎龍だったよ~」と言う。
騎士ノーマ・コ・イグルは、古き伝統に従って「ははははー、冗談が好きだな。私はだまされないぞ~」と応じた。
この反応に、女給は口を尖らせる。
「まぁまぁ、気を悪くしないでよ。わたしは信じるから。よかったら話を聞かせてくれないかな」と、ハミルトンは女給にチップとして数枚のモルト銅貨を渡した。チップとしては破格である。女給は「ありがとう、若い騎士さん」とかわいげのある笑顔を見せた。身なりのせいか年増女に見えたがこの女給、意外と若いかも知れない。
「これだけして貰ったんだ、とっておきの話をしてやらなきゃいけないね」
女給はそう言うと、話し始めた。
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炎龍が現れたという話が伝わると、コダ村は蜂の巣をつついたような大騒ぎとなった。女給メリザの元に隣の鍛冶屋の奥さんがかけ込んできたのは、陽が中天に達する頃合い。メリザが洗濯仕事をしている最中だった。
「メリザ!!メリザッ!大変だよ」
日頃から、村のうわさ話に興じる仲である。家にいないと見ればどこにいるか直ぐにわかるので、井戸端までかけ込んできた。
メリザは、畑仕事に出ている農夫の夫に知らせるため、洗濯物を踏んづけていた息子を走らせる。そして自分は家に戻ると、とる物もとりあえず荷物をまとめ始めた。
夫が帰ってきたのはその後直ぐだった。
息せき切って帰ってきた夫が開口一番、「無事か?!」と叫ぶ。どう伝わったのか、村がすでにドラゴンに襲われてしまったと勘違いしていたようだ。
無傷の女房の姿に安堵したのか、その場で座り込んでしまう。だが無事でも危険が去ったわけでもなく、本番はこれからなのだということをメリザは夫に言い聞かせ、直ぐに荷造りをするように尻を叩いた。
農耕用の荷車に家に備えた食糧と水瓶を積む。さらに什器、わずかばかりの衣類や、爪に火を灯すような思いをして貯めたなけなしの蓄えを積み込むと、それだけで荷車はいっぱいとなってしまった。
農耕用の驢馬に荷車を牽かせ、息子と夫がそれを背後から押す。そんな状態で道を進み、村の中心に入ると、すでに多くの荷車や、村人達で道は渋滞していた。
荷物を積みすぎて荷車が壊れてしまい、道を塞いでしまったのだ。
時間が浪費されてしまった。どうにか村を出たが、その時には既に陽は西の空にさしかかっていた。
陽が暮れれば野宿し、陽が昇れば道を進む。だが避難民達の歩みは遅い者も速い者もいた。3日も過ぎると年寄りや子どもを連れた家は、どんどん遅れ始め、列は縦に伸びて先頭は見えなくなってしまう。泥濘に車輪を取られた荷馬車が動けなくなり道を塞ぐこともあった。早くどけろ、少しは手伝えといった怒号と罵声が飛び交い、人々の心はささくれ立っていく。
あちこちで喧嘩がおこり、荒れた道の凹みに車輪をとられた荷車が横転する。荷物が散乱。子どもが泣きわめき、途方に暮れた女がうなだれる。
だが、そんな自分たちを助けてくれる人達がいた。
「それが、まだらな緑色の服を着た連中さ。全部で12人。女が2人いたね」
女給の声は、騎士達だけでなくその外側にまで届いた。居酒屋は静かになっていたのだ。みな、彼女の話に聞き入っているようだった。
「女はどんな姿だった?」
ノーマの問いにメリザは鼻を鳴らした。
「男ってのはみんなそれだねぇ。まぁいいや…背の高い女がいたね。日中は兜を被っていてよく見えないんだけど、野宿の時にチラと見えた。
馬のしっぽみたいに束ねてるのを解いた時、あたいは女ながら見惚れたねぇ。カラスの濡れ羽色って言うのかい?艶の入った黒髪がとっても綺麗でさ。どうしたらあんな色艶になるのか、言葉が通じるんだったら教えて貰いたかったよ。体つきもほっそりとしていてね、異国風の美女っていうのはああいうのを言うんだろうね」
女の描写に、男達は色めきだった。
「ほぅ…で、もう一人は?」
「…ありゃあ、猫みたいな女だったね。小柄でさ。髪は栗色で男みたいに短くしてた。元気な娘で、面倒見もよくって子ども達はなついてたね。それと腕っ節が凄くて男連中は結構怖がってたね。ウチの亭主が、モルの旦那と喧嘩をおっぱじめた時、やってきて足をびゅんと目にもとまらない速さで振り回して、大の男2人をあっと言う間にのしちまったんだ…」
周囲の男達は、瞬く間に興味をなくしていく。ある種の白けた空気が場を支配してしまった。どうにも彼女の話は、とりわけ男共には人気がないのだ。ま、さらに言葉を続けると態度がコロと変わるのだが。
「体つきはすごかったね。さっき言ったように小柄なんだけど、胸が牛並みに突き出ていてね。あたいははっきり言って嫉妬したよ。そのくせ腰は細く締まってるってのが許せないね。顔は綺麗と言うよりは可愛いって感じさ」
「おおっ」
やっぱり…。男達の歓声にメリザは舌打ちした。客が喜ぶのはいいが、女としては面白くないのだ。
「ま、そう言うわけで、いろいろとあったけど、あたいらは何とか進んでいたのさ。だけどね、あいつがやってきたのさ」
村人達は水が不足し、食べ物を満足に食べることも出来ないでいた。それでもわずかでも進もうと気力だけで頑張ってきたが、それも最早限界に達した。
進める者は進むが、動けなくなった者は座ってしまう。
動けなくなった子どもや年寄りは緑色の服の連中が、馬がなくても動く荷車に乗せてくれた。だけど、全員を乗せられる訳じゃなかった。
「もうダメかも。せめて息子だけでも。あたいは本気で神に祈ったね。でもダメだった。神官連中が神様はいるって言うからいるんだろうけど、少なくとも助けてはくれないね。あたいは金輪際、神様の類に頼み事はしないことにしたよ」
それまで空は晴れていたのに急に日が陰った。雨でも降るのかと思って空を見て誰もが凍り付いた。
「赤い龍。足がついて、腕が付いて、コウモリの羽みたいな翼を広げた、巨大な奴さ。そけがが空を覆っていたんだ」
その龍が天空から舞い降りて、目の前にいたモルの旦那とその女房がいなくなった。
一瞬のことだった。地面には2人の下半身が転がっていた。
何が起こっているか、理解するよりも早く逃げ出した。子どもを抱えると荷物なんかもう捨てて、とにかく走った。
荷車が横転して、それに巻き込まれて死んだ村人も多い。
みんな逃げ出した。炎龍があたりを焼き払い、程良く焦げたところを龍に喰われていく。
蜘蛛の子を散らすように、ただ逃げるしかなかった。蟻の巣をつぶす子どもみたいに、龍は村人を踏みつぶし、食らいつくしていった。
そこへ、緑の人達がやってきた。
ものすごい速さだった。馬でも無理って言うほどの速さで荷車が走っていた。その荷車に乗っていた緑の人達は、手にしていた杖を構えると、魔法で龍を攻め始めた。
でも、炎龍は少しも堪えない。彼らの魔法でも鱗に傷一つつかない。だけど、緑の人達は諦めなかった。
周りを走り回り、村人達が少しでも逃げられるようにと、攻めるのを止めなかった。
そのおかけで、生き残っていた村人は逃げおおせることが出来た。
お返しとばかりに炎龍は緑の人達に襲いかかった。だけど、ものすごい速さで駆け抜ける荷車の前に、さすがの炎龍も飛びかかることが出来ない。一箇所に留まらない彼らを前に龍の炎も届かないが、ドラゴンのほうは少しずつ慣れていく。離れた所から魔法を浴びせるしかない彼らは、少しずつ不利になっていった。
「ところがさ…緑の人達の頭目が何かを叫んだんだ。そしてついにアレが出た」
「アレとは?」
「特大の魔法の杖さ。あたいらは勝手に『鉄の逸物』と呼ばせてもらっているよ。呪文もしっかり聞いたよ。コホウノ・アゼンカクニとか言ってた。とんでもない音と一緒に、炎龍の左腕が吹き飛んだんだ」
無敵を誇った炎龍が敗退する瞬間だった。
炎龍は傷を負い、大地を震わす大音声の悲鳴ととともに、その場を無様にも逃げ去っていったのだった。
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物語りが終わり、人々は余韻に沈黙する。
「て、鉄の逸物…?」
などと言う名称に、愕然としてしまった部分がないわけでもない。
少しの沈黙を経て、騎士達は感想を交わし始めた。居酒屋も元の喧噪を取り戻す。
「と、とにかく、立派な者達です。異郷の傭兵団のようですが、それほどの腕前と心映えならば、是非にでも味方に迎えたいと思いますよ。いかがでしょう姫様?」
朱色の髪の女騎士はいきなり話を振られ、囓りつこうとしていたマ・ヌガ肉を皿に置いた。マ・ヌガ肉とは、家畜の大腿骨を芯にして、周りにミンチした肉を巻き薫製にしたものである。我々の感覚で言うソーセージとかハムの一種だ。これをスライスせずに直火で焼いて、がぶっとかじりつくのが醍醐味である。
皇女ピニャ・コ・ラーダは、酒に手を伸ばしながら言った。
「妾は、無肢竜を撃退したという者共が使ったという武器に興味がある」
ゴダセン議員の「遠くにいる敵の歩兵がパパパという音をさせたら、味方が血を流して倒れていた」という言葉と、コダ村の避難民達の言葉との間に符合するものを感じるのだ。連合諸王国軍がアルヌス丘で壊滅したことも、その『魔導兵器』と関係があるのではないか。
ピニャは、女給を呼び止めると尋ねた。
「女。お前の見たという連中が所持していた武器は、どのような物だった?」
女給は首を傾げつつも、見たとおり感じたとおりを告げる。「女」という呼びつけ方がいささか癪にさわったが、チップをはずんでくれた若い騎士さんの顔を立てて素直に応じることにした。
「つまりは、その者共の使った武器は鉄のような物でできた杖である。それは、はじけるような音と共に、火を噴くと言うのだな?」
「あれは、あたいが見たところ魔法の武器だね」
「で、無肢竜を撃退した杖…『鉄のイチモツ』とやらも同じものだったか?何かに似た形状があるか?出来るだけ見たままに言え」
「無肢竜じゃなくて炎龍だって言ったろう?」女給はそこまで言って、ニヤッと嫌らしそうな笑みを浮かべた。そして、その場にいた男連中を見回す。
「あんたみたいなのをカマトトと言うのさ。逸物はイチモツに決まってるだろうさ…ま、良家のお嬢様には想像もつかないだろうけどねぇ。でもね、男を『知ってる』女に尋ねりゃ誰だって口をそろえてこう言うよ。ありぁ、男連中のナニにそっくりだってね。もっとも、小脇に抱えるほどでかくて、黒くて、ぶっといナニを持ってるような男は、ここらにゃあ居ないだろうけどね」
女給はキシシと粗野に笑いながら、注文をとりに次のテーブルへと去っていた。
何のことだかよくわかってないピニャの視線が、解説を求めてぐるりと男連中をめぐる。だが、その場にいた男には応じようもなく、気まずそうに目を背けるのだった。
男共に目を逸らされたピニャの視線は、最後にはハミルトンへとたどり着く。
「お前、婚約者がいたな…」
おはちが回ってくるとは思わなかったのだろう。准騎士ハミルトン・ウノ・ローは、口に含んでいたスープをブッと吹き出すと、慌てて短髪を振り乱して首を振り、手を振った。
「た、確かにいますけど…わたくしは乙女ですっ!『あんなもの』の話を口に出来るわけないじゃないですかっ!……あっ」
男達の視線が彼女に集中する。「ほう、『あんなもの』か」とピニャの胡乱な視線が彼女を貫く。ハミルトンは顔を真っ赤にして俯き小さくなるのだった。
[1507] 自衛隊 彼の地にて、斯く戦えり /正式版 10
Name: とどく=たくさん◆20b68893 ID:8f069f32
Date: 2008/04/02 14:34
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さて、避難民達の身の振り方三つの内、二つまでは述べた。
最後の1つがある。
それは、伊丹ら自衛官達に付いていくという選択肢だった。この方法を選んだのは、避難民達でも、ごく少数の23名である。
正体不明の武装集団に着いて行くという選択肢は、それこそ深淵に飛び込むに似た心境だったに違いない。下手をすると身ぐるみ剥がれた上で、奴隷に売り払われるという結末だってあり得る。だが、他に方法がなかったのだ。というのは彼らは炎龍の襲撃によって両親を亡くした年端もいかない子どもだったり、逆に子どもや孫を喪った年寄り、そして傷病者・病人であり、通常であれば緩慢な死が決定づけられた者達だったからだ。
もちろん、そうでない者もいる。例えば伊丹達自衛官に並々ならぬ興味を抱いた魔導師カトーとその弟子とか、エムロイ神殿の神官とか。だが、ほとんどの者が、「これからどこに行く?行きたいところへ送っていくよ」と尋ねられても困る者ばかりだったのだ。
伊丹は、残った23人をどこまで連れて行けばいいのかと村長に尋ねた。すると「神に委ねる」という意味の単語を並べられた。
伊丹は首を傾げつつ何度も問い返した。
こうしたことは言葉がうまく通じなくても、ニュアンスとして伝わってくるものがある。「責任を負う者はいない」「どこへでも行け」「好きなようにしろ」と翻訳できる言葉が述べられたことがわかると、伊丹は深々とため息をついたのだった。
村長は、自らの家族を乗せた馬車に乗り込むと、伊丹に対してこう言った。
「お前達が、義侠心と慈悲に富んだ者であることは、よく理解している。お前達から見れば儂等は薄情者と見えよう。だがな、儂らは自分とその家族を守るだけで精一杯なのじゃよ…理解してくれ、と思っては貪欲の罪で罰せられような」
去っていく村長。
伊丹を含めた自衛官達も、その無責任ぶりに呆然と見送り、残された者達もみな、自分たちは見捨てられたのだと理解した。
高機動車の後方に乗っている、親を亡くした子どもや、怪我人、エルフの少女…いくつもの瞳が伊丹に向けられた。伊丹がどのような決断を下すのかと、不安げな色に染まっている。言葉が通じないからこそ、その表情のわずかな変化をも読みとろうとしている。中には、黒ゴス少女の興味深そうな面白ずくな色に染まった瞳もあったが。
だが、伊丹は、皆が思っているほどの重責を感じてなかった。
「ま、いっか…。任しておきな」
伊丹の無邪気な笑みに、ホッとした空気が流れた。
伊丹の任務とは、この世界の住民について調査することである。交流し、親交を深め、この世界についての知識を得るために必要に資料や情報を収集してくることだ。拡大解釈すれば、自らの意思で付いてきてくれる住民を得ることは、大成功ってことではないだろうか?そう考えたのである。
お役人的発想によれば、これはホントは大問題である。この時点で「何が問題なんだ?」と思った諸兄等はお役人にはなれないし、なりたくもないだろうから安心して頂いて良いのであるが、お役人様達にとって、こういった拡大解釈をする人間は『困ったちゃん』として、嫌われるのである。
「き、き、君は……」
檜垣三等陸佐は、自分が何をしたかよく判っていない部下を前に頭をかかえた。
第52普通科連隊の幹部連中も蒼然として、窓の外で隊舎の前に止められた車に乗る避難民達が、周囲を珍しげに眺めているのを確認した。
「だ、誰が連れて来て良いと言った?」
「連れて来ちゃまずかったですかねぇ」
ポリポリと後ろ頭を掻く伊丹。檜垣はしばし逡巡した後に、「ついて来たまえ」と命じて、執務室を出た。
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「陸将…各方面に派遣した、偵察隊からの一次報告がまとまりました」
「おうっ!」
幕僚の呼びかけ気さくな返事をしたのは、狭間陸将である。
この人は東京大学の哲学科などという、普通では滅多に入れない学校を卒業したというのに、陸上自衛隊に二等陸士から入隊して内部で順調に昇進を重ね、ついには陸将になったという立志伝中の人である。栄達したいのなら、いくらでも早道があると言うのにわざわざ遠回りを好むのは変わり者と言える。極希にいる運転免許証の『種類』蘭を埋めてしまう人に近いかも知れない。座右の銘は『たたきあげ』だとか。
狭間は老眼鏡をはずすと、執務机の上に積み上げられた書類の束から、柳田二等陸尉へと視線を移した。
この柳田二等陸尉は防衛大学を優秀な成績で卒業したと言うことで、日頃の言動にエリート意識がとても鼻につく。しかし、この狭間に対してだけは頭が上がらない様子であった。その理由と言うのが、彼が東大を受けて落ちたからだとまことしやかに語られている。人は他人と自分を測るのに、いくつかの物差しを使う。学歴という物差し、キャリアという物差し、実務能力、そして自衛官ならば戦士としての力量…人は他人に対して、どれか勝っているところを探したくなるのだ。そして、その全てに置いて、かなわない相手を前にしたらどうするか。そんな時は、素直に無条件降伏して「この人すげぇ」と思えば良いのだが、柳田について言えば自尊心が高すぎた。おそらく、何か不幸な幼児体験からか、あるいは親からうけた教育がそういう種類のものだったのかも知れない。あらゆる分野で自分より優れた人物に、素直に感心することは出来ず、結果として、その存在を心の底で恨み憎んだのである。
「どうだ、何かわかったか?」
クルーカットのごま塩頭を軽くなで上げて、狭間は椅子の背もたれに上体を預けた。キィという音をたてて、安っぽい事務椅子が悲鳴を上げる。彼は、柳田が自分に対して、逆恨みを抱いているなど思いもしない。ただ「こいつ、ちょっと要注意だな」とゴーストがと囁くので(出展元ネタ/攻殻機動隊)、気をつけて扱っている。
「2~3貴重な報告が入ってますが、資料でしかありませんので、そのように性急に結論を急がれましても…」
「そうだろうな。堅実にやってくれ」
狭間にしても、ちょっと偵察した程度で何もかもが解るとは思っていない。ただ、感触とでも言うか、この土地に住む人々の傾向性のようなものがつかめることを期待しているのだ。
現地住民との関係性というものは、部隊の安全に始まって、この『特地』における日本の評価、政治的な影響へと深く結びついていく。民情を無視した行動を起こして反感を醸成し、抵抗運動など起こされてもたまらない。従って、この土地の住民が何を持って『正義』とし何を持って『悪』と感じるかという単純なことであるが、そうした規範意識への理解が案外に大切なのである。例えれば、イスラム文化圏では犬を嫌う、成人男性は髭を生やしていることが好まれる…などである。
「各隊共に言葉の点で、かなり苦労してるようですが、ほとんどが平穏な一次接触が出来たようです。この辺の住民は、見た目が『人間』タイプで、主な産業は農・林業といった一次産業でした。集落ひとつひとつの人口もそれほど多くないようですね。第6偵察隊の赴いた人口500人規模の集落では、どうにか商店めいたものがあったそうです。扱われていた品目は、衣料品や工具・農具類・それと家庭で使われる油を灯すランプと言った生活雑貨でした。…これが商店の取り扱い品目と価格のリストです。デジタル写真が添付されてます」と言いつつ、A4版の紙の束を机の上置いた。柳田は、こういう仕事についてはさすがに優秀で遺漏がない。
狭間がパラパラとめくって見ると、調査に赴いた隊員のコメントなども併せ、通販のカタログみたいになっていた。だが、これらの資料は、この土地における経済の実体を把握する上で極めて貴重と言えるだろう。こうした資料はただちに本土(門の向こう側)へと送られて、政府のシンクタンクが分析するための貴重な材料となる。
「あと、この土地の政治体制といったものが類推できるようなことは、まだ報告されてないですね。どこの集落でも『村長』とでも言うべき人物がいて、住民をまとめているようではあります」
「その村長が、どんな方法で決まっているのかだな」
それがわかれば、この世界の政治体制の主流が民主制か、あるいは寡頭制か、はたまた独裁制かを類推することができるかも知れない。
柳田は、わざとらしくため息をつきつつ呟いた。「住民を何人か、こちらに招けるといいんですが…」
「コミュニケーションが上手くできていない状態で、こちらに連れてくるのはまずいだろう?後々、拉致だとか言われても困るからなぁ」
「それでなんですが…」
柳田が、下地ができたとばかりに本題に入ろうとした。狭間も、話の流れから部下がこの話をしたかったようだと受け止める。
「都合の良いことに、伊丹の隊がコダ村からの避難民の護送をしてます」
「おう。あのドラゴンが出たとかっていうところだったな」
「ええ、そうです」
この時点で、狭間を初めとした幹部連中の認識は、熊か、鮫が出たといった程度でしかなかった。その程度のことで村人が村を捨てて逃げるというのも大げさだと感じるのであるが、危険な野生動物が出没することが希な現代日本では、こうした害獣災害は想像することしかできないので「こういう土地だし、そういうこともあるのか?」ぐらいに受け止めていた。
実際に、このアルヌス丘に攻め寄せてきた現地軍が騎乗していた飛龍が対空火器で対応できたことも、それほどの脅威として考えられない理由の1つだ。
「それでなんですが、コダ村の住民をここで受け容れると言うのはどうでしょう?これならば、必要な措置の範囲として内外に説明可能です。当人達も感謝こそすれ、拉致されたなどとは考えないでしょう?」
柳田は説明した。
このアルヌス丘近くに、難民キャンプをつくってそこへ住民を収容する。今回のコダ村の逃避行は、害獣出没によるものだから、期間を限定した一時的避難でしかない。その間のこととして期間を区切って考えるなら、各種の研究や調査に協力して貰うメリットの方が大きいのではないか。日常的にコミュニケーションを交えることで、言葉の問題もかなり解決するだろうし、彼らからこの『特地』政治や経済にかかわる情報は間違いなくとれるはずだ。
実は、市ヶ谷や官邸の方からも、「特地」の内情が理解できる情報の要求が激しい。矢のような催促をうけている。従って早めに成果を上げておきたい等々…。
狭間は、指先でトントンと机を叩きながら「戦闘時はどうする?敵性武装勢力の活動はほぼ停止していると言っても、ここは彼らの攻撃目標でもあるのだぞ」と、分かり切っていることをあえて尋ねた。「我々と接触した住民を、敵対勢力がどのように扱うかも心配しないわけにはいかないしな」
世界史を紐解いてみても、異教徒・異民族と親しくしたと言う理由で、自国民を虐殺した例にことかかさないのだ。
「敵の近接時には、こちらで収容して安全を確保しましょう。まぁ、敵が地元住民を虐待しようが虐殺しようが当方には関係ないことですが、さすがに見て見ぬ振りをするわけにもいかないでしょう」
狭間は眉を顰めつつも、地元民を収容するという考えには頷いた。自分自身も同じように考えていたから、この意見についての異議はないのだ。問題は、柳田の言いようである。
だが、人間一人で考えられることは限界があって、見落としや、間違いがついてまわる。住民を防塞に収容するとしても、様々なリスクや問題が起こりえる。例えば敵方の人間が、避難民に紛れて入り込んで来る等である。歴史的に見れば、そうした方法で陥落した城塞も少なくない。
しかし、リスクを避けるために住民を遠ざけていれば良いと言うわけでもない。東京の銀座に軍隊を送り込んできた敵性勢力を交渉のテーブルにつかせて、力ずくででも頭を下げさせる為には、是が非でも地域の実情を把握し、この土地、地域、そしてこの世界の政治がどのようになっているかを調べなくてはならないのもまた確かなのだ。
狭間は、戦闘時における避難民の扱いについて、もう一度検討するように指示しようとした。その時である。
「入ります」
常日頃から開放されているドアには「ノック不要。入室許可」と書かれた紙が貼り付けられているため、檜垣三等陸佐はとりあえず声をかけて執務室へと入り込んだ。
「ご報告いたします。第三偵察隊が戻りました。戻りましたのですが…実は、その、伊丹の奴が…」
こうして、なし崩しに避難民達の受け入れが決まってしまうのである。
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「よう、伊丹…」
声をかけられて伊丹は足を止めた。
上司連中からの嫌みやお説教を、とぼけた表情で馬耳東風と聞き流すこと小一時間、査問会にも似た会議はそれでもどうにか「連れてきてしまったものは、どうしょうもない」という言葉で幕引きが為された。
市ヶ谷(防衛省)には、避難民の中で自活しての生活が難しい傷病者・老人・子どもを保護したと報告することになる。いろいろと言われるかも知れないが、「人道的な配慮」の一言で強行突破するしかないと一同はため息をついた。
「そのかわり、お前が面倒をみろ」
別に伊丹が伊丹の財布で連中を養えと言っているのではない。避難民達を保護するにあたって、そこから派生する諸々の諸手続は一切お前がやれという意味である。それが、この件を問題としない代わりの条件ともなった。
伊丹は、とりあえず避難民の食事と寝床の手配をする算段を考えながら、暗い廊下から階段へと向かっていた。糧食斑に頼み込んで、食事を出してもらうことは出来る。(おそらく缶飯になるだろうが)問題は寝床だ。こちらでは寝起きする隊舎がまだ完成しておらず、隊員達ですらプレハブのような建物を利用しているのだ。天幕(テント)を借り出して来るしかないか…。書類を用意して、必要事項を記入して、捺印して…ああめんどくさい…そんなことを考えていたところだった。
かけられた声に振り返る。すると暗がりに置かれたベンチに座り込む男と、たばこの火が見えた。天井近くまで立ち上る紫煙。陰影の向こう側で口元だけを微妙にゆがめた陰湿そうな笑み。
柳田二尉であった。
「伊丹、お前さん。わざとだろ」
「何がです?」
年齢的には柳田二尉の方が若いが、昇進したばかりの伊丹からすれば柳田のほうが先任だ。階級が同じ場合、先任が上位者になる。さらに加えて、伊丹は柳田があまり好きではなかった。好きでない相手とは出来るだけ関わりにならないようにすることが伊丹の処世術である。礼儀正しくするのも、余計な摩擦を産まず作らず、相手の記憶からフェイドアウトしたいからだ。
「とぼけるなって。みんな判ってんだよ。それまでは定時連絡だけは欠かさなかったお前が、突然通信不良で連絡できなくなってましたって、誰が信じる。おおかた避難民をどっかに放り出せって言われると思ったんだろ」
「いやぁ、そんなことは…こっちはホラ、異世界だしぃ。電離層とか磁気嵐の都合とか、思うようにならんもんですなぁ。この世界の太陽黒点ってどーなってるのかなぁ…あははは」
伊丹は嗤いながらがりがりと後ろ頭を掻きむしった。どうにも苦しいが、別に信じてもらう必要もないのだ。誰も信じていないとしても、報告書には『通信不良のため指示を受けることが出来ず、やむを得ず現場の判断で避難民達を連れ帰った』と記される。そしてそれが公式の見解として記録されていくのだから。
「ふん、韜晦しやがって。ったく…」
柳田はたばこを口に運ぶ。大きく煙を吸ってから吐きだした物は煙だけでなくため息か。
「ま、遅かれ早かれ地元民との交流は深めなきゃならんかったからな、スケジュールが早まっただけで、問題にもならん。…上の連中はそう考えているが、裏方のコッチとしちゃあ、たまらんぜ。段取りが狂っちまったんだからよ」
柳田の言い様が妙に癇に障った。
それは人の負い目につけ込もうとする小ずるさの気配を帯びていたからだ。
「いずれ、精神的にお返ししますよ」
たばこを煙缶に押しつけてグリグリと捻りながら、柳田は肩をすくめた。
「足りないな。大いに足りない」
「あんた、せこいですなぁ。恩を着せて何をさせようと?」
柳田は、薄笑いのまま「ちょっと河岸変えて、話をしようか」と腰を上げた。
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陽はゆっくりと傾き、日の沈む方角であるが故に『西』と位置づけられた空がゆっくりと紅く染まり出す。
そんな空を見渡せる、西2号(仮)隊舎の物干場(注/「ぶっかんば」と読む)に2人の男が相対していた。
柳田はフェンスにもたれつつ、たばこに火をつける。そして話を始めた。
「これまで集めることが出来た情報から見ても、この世界は宝の山だと言うことがわかる。生物の遺伝子配列は、我々の物と非常に近似している。おそらく人間種同士なら交配も可能だろう。それがどういった理屈による物かを考えるのは学者連中に任せることにしても、この世界で我々が暮らすことは十分に可能だ。現に俺たちはこの世界の大地に立ち空気を吸っている。食い物は門の向こうから運んでいるがな…それにしたところで、我々の食い物を喰ったこの土地の生き物に健康に害がなければ、この世界の物を俺たちが喰ってみようという話もいずれ出てくる。
この世界には公害や環境汚染もない。土地も広く、植物相も多彩で豊かだ。そしてなによりも我々の世界で稀金属・希土類とされている地下資源もかなりの量が埋蔵されているだろうと予測されている。住民達の文明のレベルは我々から見れば、蟻と巨像ほどの格差があって、我が方に絶対的に有利だ。そんな世界との唯一の接点が偶然にも日本に開かれた。これは幸運だとも言えるし災厄とも言える。
ニューヨーク、ロンドン、上海の株式市場では日本と結びつきの深い資源開発系の企業は軒並みストップ高。原油、鉱物関係の相場はゆっくりと下落中。永田町の議員連中は経団連の重鎮と連日勉強会。アメリカを始めとしてEU先進諸国からの接触で外務省も大忙しだ。だがな、肝心の我が国の政府はこの件を扱いかねてる。中国やロシアといった国が他の資源輸出国と協調して、門のこちら側を国際共同で管理すべきだという意見をまとめ始めているからだ。鯨問題程度なら我が国の伝統的な食文化を守るためだ、全世界を敵に回そうとも大いに突っ張るべきだが、こと経済がかかわるとなると、世界の半分を敵に回して突っ張っていけるほど我が国は強くない。
なぁ伊丹、永田町の連中は知りたがっているんだ。
この世界は、世界の半分を敵に回しても、つっぱっていくだけの価値があるかどうか」
「それだけの価値があったら?」
「物を持つ側が強いのはお前も知っているだろう。人民解放軍がどれだけチベット人を殺そうと、毒入り餃子を売りつけて置いて自分たちのせいではございませんとシラを切っても、ロシア人が金だけ出させた上で天然ガス採掘の契約を一方的に破棄しようと、最終的には連中の思惑どおりになる。それは連中が、みんなが欲しがっている物をかかえてるからだ。極端な話、全世界から縁を切られようと、この世界から日本がやっていけるだけのものを十分に得られるなら、それなりに強気に振る舞うことが出来るんだ」
伊丹は肩をすくめた。
「柳田さん、あんたがどれだけ国のことを考えているかはよくわかった。実に愛国的だね。僕も見習いたいよ。だがね、人には役割ってものがあるでしょうよ。実際、今の国際情勢がどんなものであるか教えてもらっても、僕には全然ピンとこないんだ。実際に、今僕の頭のなかにあるのは、連れてきた子ども達の今夜の寝床と飯の事なんだからねぇ。国際情勢と僕の仕事がどう関係ある?」
「今言って聞かせたろ?この世界、この土地が価値あるものかどうかを一刻も早く知りたいと。いや、違うな。価値あるものがどこにあるか知りたいんだ。この世界が日本のものになるとしても、国連の共同管理になるにしても、どこに何があるという情報を握っている者が圧倒的に有利だ。お前、自分がその情報に最も近いところにいると自覚してるのか?他の偵察隊がしたことは、村でどんなものが売られているかをちょっとばかし調べて、わずかばかり単語帳の語彙を増やした程度でしかない。それに対してお前は、この土地の人間とラポール(信頼関係)を掴んできた。何がどこで作られて、どんな物がどこに埋蔵され、どのように流通しているか、その気になれば調べられる立場にいるんだぞ」
「ちょっと待ってよ柳田さん。その辺の子ども達つれてきて、金銀財宝はどこにありますか?石油はどこにありますか?って聞いて、教えてくれるとでも?恥をさらすようだが僕は地理の成績は劣悪だったぜ。学校に通ってる僕でさえそれだったんだ、教育制度のない世界の子どもが、自分の生活範囲の外にあるものを知るわけないだろう。断言しても良いが絶対に知らないね」
そう言いつつも、荷馬車に書籍を満載させたプラチナブロンドの少女とその師匠の老人はどうかなぁと思う伊丹である。言語学者をつれてきて彼らの書籍を翻訳させた方が早いのではないかと思ったりした。
「知っている人間を探して、情報を得ることが出来る。これは絶対的な要素だ」
その言葉に伊丹は二の句が告げられなかった。
「伊丹よ。近日中にあんたは、大幅な自由行動が許されることになる。その任務がどんな名目になるかは、官僚達の作文能力次第だからなんとも言えないが、どんな文言が命令書に列んでいようと、最終的な目的は一つだ」
「たまらんね、まったく」
伊丹は、盛大に舌打ちした。
「ふんっ。いままでは、税金でのんびりさせてもらったんだ、借りの多い稼業だけに、いざと成ったら嫌です出来ませんは通じないぞ。せいぜい働くことだ」
柳田はそう言うと、たばこを物干場から放り捨てた。
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先のことの見通しは立たないとしても、現実的に必要とされる諸々の事を、丁寧に片づけていくだけで物事というのは、次第に形になっていくものである。できあがった物は雑多で、無計画で、まとまりに欠いた物になるだろう。それでも、その中で生活する者にとっては、日常の場面として慣れ親しんでいくことになる。
とりあえず食事を手配する。
とりあえず寝床のためにテントを立てる。
とりあえず、怪我人病人を医官に見てもらう。
とりあえず衣服の手配をする。
子どもの面倒を避難民達のお年寄りや、年長の子ども達に見てもらうよう何とか意思疎通する。
こうして『とりあえず』『とりあえず』を積み重ねつつ数日、どうにか一息つくと、それを『暫くのあいだ』なんとか出来るような形にしないと行けない。
テント生活だって、長く続けることは難しいのだ。まして子どもや老人である。やはり屋根と壁のある家での生活が望ましい。
黒川と栗林の連名で、そんな意見具申を受けた伊丹は、アルヌスの丘から南に外れること約2キロ。その森の中にコダ村からの避難民である子ども達や老人達のキャンプを建設することにした。
利便性の問題から、当初は丘の麓にという話が出たが、戦闘に巻き込まれる危険が著しいので、地形や周辺の状況を見てこのような場所を選んだのである。
もちろん、実際に建設するのは施設科の隊員達である。だが、そのための書類の文面を考え、資材や、消耗品、予算について記した資料を用意するのは、伊丹の仕事である。書類事に詳しい仁科一等陸曹に文面その他いろいろについてアドバイスをもらい、点や丸のつけかたにすら嫌みな指摘事項をつける柳田の笑みに内心辟易としつつ、どうにか上のハンコをもらって提出を済ませた翌日は、丸一日寝込んだほどだった。
「こんな仕事、お役所の公務員だったら片手間仕事なんですけどね…」
仁科一曹の言葉に、つくづくお役所勤めを選ばなくて良かったと思う伊丹であった。
「うおぉ!特別職国家公務員万歳」
寝言の中で唸ったとか、吼えなかったとか…。
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仕事を始めるまでの準備には異常に手間がかかる。だが始めると早いというのが自衛隊の仕事であった。
瞬く間に森を切り開き重機をもって地をならして、簡易ではあるが屋根のある家が並べられていく。
そんな光景を、レレイはあんぐりと口を開けて見ていることしか出来なかった。
「………これで、ようやく荷車から荷物を下ろせるわい。儂はもう寝る」
ほとんどやけっぱちのような口調で言い捨て、テントの中へと消えていく師匠に、レレイも大いに同意したかった。
馬が引かないのに、馬よりも早く疾走する馬車。
炎龍すら撃退する魔法の杖。
アルヌスの丘に築かれた堅牢にして巨大な城塞。
けたたましい音を立てて空を飛ぶ、巨大な鉄のトンボ。
一本切り倒すのに、樵(きこり)が半日かかるほどの巨木を瞬く間に倒してしまう、のこぎり。
工夫百人分働いて地面を掘り返してしまう、巨大なスコップのついた鉄の車。
そして、瞬く間に家が建ててしまう技術力。
はっきり言って、いい加減驚き疲れていた。
知識のない子どもや老人達のほうが、素直に驚けている。素直に感心し、素直にそう言うモノなのだと納得して、その便利さを受け容れている。
なまじ、多くの知識を有しているが故に、理解の難しい非現実的な出来事にレレイの頭脳は最早オーバーヒート寸前であった。
「………こんな凄い光景を見過ごしたなんて知ったら、お父さんきっとがっかりするわね。あとで教えてあげなきゃ……」
体調の快復したハイ・エルフの娘が、こちらで貰った伸縮性のある軟らかい布で出来た上衣にズボンという出で立ちで(後で知ったが、ジーンズとTシャツと言うらしい)、唖然と作業を眺めていた。
実に羨ましい。レレイとしては見なかったことにして、ベットに潜り込みこころの平安を維持したいと思ってしまうのに。まぁ、森の守護者という立場も忘れて、ただ呆然と見ているしかない程の驚きというのも理解できるのだが…。
だが、賢者として生きることを選んだ以上理解できないことをそのまま放置しておくことなど誇りが許さない。世界の不思議を、知性でもって征服することこそ賢者としての野心なのだから。
圧倒され、くじけそうになる心を叱咤して前に進む。
動き回る鉄の車に近づこうとすると、作業をしている人達に恐い顔で睨まれてしまった。何かを怒鳴るようにして言って来るが、推察するに「危険だから」と言っているのではないかと思えた。これほどの巨大な車両が動き回っているのである。もしぶつかったり巻き込まれたら、自分などひとたまりもないだろう。その危険を防ぐためにレレイに近づくことを禁じ、警告しているのだ。
そこで、作業現場の片隅で炊煙の香りをあげている車に近づいてみる。そして、どのような構造になっているか観察することにした。
これは見ただけで理解できた。それにしても『移動させることが出来る竈』というのも凄い発想だと思える。軍隊や、交易などでキャラバンを組も長距離の旅をする商人達が喜ぶのではないかと思うのだ。野営するにしても、竈をしつらえる作業というのは結構手間がかかるものだからだ。
そんなことを考えながら、炊飯車の前に立っていると、作業をしていた男性が何かを言いながら微笑んだ。
「ちょっと待ってろよ。もうすぐ、できるからなぁ」
男性はそんなことを言ったのだが、現段階では彼が好意的に、レレイに対して何かを伝えようとしていることだけが理解できるだけだった。
レレイの見るところ、彼らはこちらの言葉を覚えようとしてる様子が見て取れる。積極的に話しかけて来ては、単語を繰り返している。その成果もあってたどたどしいながらも、多少の意思疎通もできるようになった。だが、彼らがこちらの言葉を覚えるのを待つのでは、何も学ぶことが出来ない。彼らが使う道具、技術、彼らの考えていることを理解しようと思うならば、彼らの言葉を学ぶしかない。レレイはそう決心して、男性へと話しかけることにした。
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古田陸士長は、自慢の包丁技をふるいながら微笑んで見せた。
元老舗料亭の板前だったというのは伊達ではないのだ。そんな彼が自衛隊に入ったのも、自分の店を持つための資金稼ぎだ。任期を勤め上げた時にもらえる退職金はそのための大事な資金となる。
女の子が、山積みになっている食材を指さして見せた。
「ん?」
「uma-seu seru?」
大根を指さして、さかんに何かを言っている。同じ単語の繰り返しに、いささか鬱陶しくなって、突っ慳貪な口調で「大根だよ。大根」と返した。言ってから「あっ、いけね。優しくしなきゃ」と、すぐに思い返す。
「Dai-kon?」
古田は大根を、どんどんかつらむきしていく。今日は、日本食の粋とも言える刺身を一品だけつけることになっていた。刺身のつまと言えばやはり大根だろう。
魚を生で食べる文化は、今では世界的な流行にあるが受け容れられるのにはとても時間が必要だった。欧米では魚を生で食べるなど野蛮なことだと考えられていたのだ。さて、この世界ではどうかな?そんなことを考えながら、古田はプラチナブロンドの少女に言葉を返していた。
「そう。だいこん」
「sou daikon」
「だ・い・こ・ん」
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レレイは首を傾げつつも推察した。daikonという単語の前につけられたsouという言葉は、きっと肯定を意味する単語ではないかと。
間違いない。この野菜の名称は「だいこん」なのだ。
「だ・い・こ・ん」
男性は微笑むと、「sou sonotouri」と言いながら大きく頷いた。頷きながら、楽しそうに大根と呼ばれる野菜を見事に削り、一枚の布…包帯のようにしていく。その見事の包丁技に、この世界の男性というのは、みんなこれほど料理達者なのだろうか?などという感想を抱いた。
こうして、賢者レレイ・ラ・レレーナはちょっとした誤解も含めながらも、天才と呼ばれる知性でもって猛烈な速度で日本語の習得を始めるのだった。
[1507] 自衛隊 彼の地にて、斯く戦えり /正式版 11
Name: とどく=たくさん◆20b68893 ID:8f069f32
Date: 2008/04/02 14:43
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3度に渡って行われた連合諸王国軍による、アルヌスの丘攻撃は、結果として戦闘とは呼べないものとなり果てていた。例えるなら前方が断崖絶壁であることに気付かないままに進んだ、集団自殺とでも言えよう。もちろんそうなった理由の最たるものは、敵についての情報を全く提供しなかった帝国にある。
当時、連合諸王国軍に軍旗を連ねた国は、諸侯国併せて21カ国。総兵力は約10万である。遠近東西、様々な国の兵士が一同に会する光景は、見事なまでの壮観であった。
裸馬同然の馬にまたがる軽装騎兵。
重厚な鉄の装甲で馬を覆った重装騎兵。
大空を舞う翼竜に騎乗する竜騎兵。
一歩一歩、歩む毎に地響きが聞こえそうな巨大な毫象を連ねる戦象部隊。
小柄ながら精強な印象の南国兵達。
方形の鉄楯を連ねる重装歩兵。
林のような長槍を並べる槍兵。
さらには弩、投石機、石弓等が所狭しと集められている。
帝国では軍馬同様の扱いを受けるオークやゴブリンにまで鎧を着せている国もあった。
それぞれが、出身の国毎に異なる軍装の煌びやかさを競っているかのようであった。
この大戦力を30万と号して大地と天、ことごとくを埋め尽くし進むのであるから勝利は当然。だれもがそう考えて疑わない。
そもそも、アルヌスの丘は聖地とはいいつつも、実際にあるのはなだらかな斜面をもった小高い丘でしかない。
見通しを妨げる林や険しい森があるわけでもなく、道を塞ぐ大河や、切り立った崖があるわけでもない。ただの荒涼たる大地が、やや盛り上がっている。それだけの土地であった。
頂上をおさえ斜面の上方に位置取ったとは行っても、地形による助けは極わずかと言っても良い。
さらには、現地にいる帝国軍の報告によると侵入した異世界の兵とやらは、何を考えているのか地面に穴や溝を掘り、見た目は斧の一振りでも断ち切れそうな、細い針金で作った柵で周囲を囲う程度のことしかしていないと言う。ドワーフが作るような地下城が建設されているならやっかいであるが、人の手でそれをするには時間がかかる。一ケ月や二ケ月で完成させることなど殊更無理だ。
こうなれば、勝つのは単純に戦力の多い方である。
エルベ藩王国の国王デュランは、この程度の敵に連合諸王国軍を呼集した皇帝モルト・ソル・アウグスタスの真意を測りかねていた。帝国の軍事力をもっていすれば、諸国の軍勢を集めることなどしなくとも、いとも簡単にねじ伏せることが出来るはずだからだ。
にもかかわらず、あえて連合諸王国軍を呼集した。とすればそれば軍事上のものでなく、何か政治的な意味を持つのかも知れない。
例えば諸王を集めることで、己の権威のほどを国の内外に知らしめるという目的はどうだろうか?だが、それが目的ならば、諸王を集めて会盟の儀式を行えば済む。無理に大戦力を呼び集める意味はないはずだ。10万もの戦力を集めるには、なにか理由があるはずなのだ。そうでなければ、10万人の食糧を負担する意味がない。
あり得るとすればこの戦力をもって、どこかの国を攻めるという可能性だが、連合諸王国軍をもってそれをする大義名分などあり得るだろうか?
「さてデュラン殿、どのように攻めましょうかの?」
通常ならば、リィグゥ公王のこの言葉も軍議の場にて真剣に検討されるべき課題である。だが、「これほどの大兵力を擁しては区々たる戦術は、あまり意味を為さない。鎧袖一触、岩に卵を投げつけるがごとくの結果となるだろう」と言う理由で、真剣に論じられていなかった。
実際、リィグゥ公王の問いかけには、無用の心配をするデュランを揶揄する響きを有していた。
「リィグゥ殿。貴公も少しは真剣に考えてくだされ」
「とは言われてものう。我が軍だけで攻めよと言われれば、陣立てや戦術を考える必要もあろうかと思うが、物見によれば敵は精々1万を少し超える程度と言うではないか。それに対して我らは30万と号しておる、一斉に攻め立てれば労することもなく戦も終わるであろう?敵の様子だのは丘で敵と相対している帝国軍と合流してから調べればよいのだ」
「それならば、良いのだが」
「貴公も神経の細い男よのう」
リィグゥの嘲笑も、思考の袋小路にはまっていたデュランには気にならなかった。
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大軍の移動は時間がかかる。街道が十分に整備されていない事も理由となるが、何よりも規模そのものが足かせとなった。何しろ、最前列の部隊が出立してから、最後尾の部隊が動き出すのに半日近くかかるのだから。
宿営地の建設にしても時間がかかるため、通常で10日かかる行程を20日も必要としたほどだ。
それでも、どうにかアルヌスの丘を視野に収めた連合諸王国軍は、予定通り丘の全周囲の包囲をしようと、敵から適切な距離をとっての布陣を開始した。
この時の『適切な距離』を彼らは彼らの経験から割り出そうとした。つまり、魔法の支援を受けた弓矢、石弓、投石機…こうした投射武器の届かない距離を『適切』と判断してしまったのである。しかも、丘の中腹に張り巡らされた塹壕や小銃掩体は巧みに偽装されており、それと注意して見ない限り気が付くこともない。
そのため、前衛として隊列の最前列にあったアルグナ王国軍の王は、無造作に麾下の兵4000を丘の麓へと近づけてしまった。
丘の近辺にいるはずの帝国軍の姿がなかったことも理由となるだろう。もしかして、既に帝国軍は敗退してしまったのかも知れない。だとしたら、生き残った将兵の救出も必要だ。そう考えてしまった。
アルグナ国はこれと言った特徴のない小国だ。産業も農・牧畜が中心。これといった特徴もないからこそ魅力に欠け、帝国や周辺の諸国から併呑されずに済んだとも言える。従って矢玉よけに錆斧をもたせたオークやゴブリン、主力は重装歩兵、そして弓兵、少数の騎兵、魔導師という至極一般的な編成の部隊であった。
彼らは、通常次のような展開で戦闘を行う。
散開した弓兵が矢を放ちながら、剽悍なオークやゴブリンを嗾けて敵陣に突入させこれを混乱させる。
魔導師の数に余裕があるなら、この段階で魔法の撃ち合いもある。
肩を接するほどに密集した重装歩兵達が方形の楯を連ねて城壁とし、足並みをそろえて前進し主力同士の戦闘を開始する。そして、最後に歩兵が切り開いた道を騎兵が馬首を並べて突入して勝利を決定づける。
だから、彼らはその時自分に起こったことに全く気付くことは出来なかった。
彼らを襲ったのは、陸上自衛隊 特科部隊の曲芸でも言うべき一斉射撃だった。
陸上自衛隊の特科部隊は爆煙を連ね並べて、中空に富士山を描いてみせるほどの精巧な技術をもつ。
その砲撃技術の粋をつくして打ち出された榴弾が、面の広さをもって、ほぼ同時に着弾をしたのである。
従って、その有様を一言で言えばこうなる。「一瞬で叩き潰された」と。
被害者は連合諸王国軍の前衛集団アルグナ王国軍、それの後に続いていたモゥドワン王国軍、併せて約1万人。
待ちかまえて、標的がキルゾーンに入るのを確かめての砲撃だ。だから最初から威力斉射だった。そして、その一斉射で第一回の戦闘は終わった。
「隊列の中段にいてそれを見た私は、最初アルヌスの丘が噴火でもしたのかと思った。姫は、火山というものをご覧に成られたことがおありか?私の故郷は山岳地帯で、幼き頃に一度見たことがあるのだ。それこそ、山が吹き飛ぶような爆発でな。それと見紛うほどの大変な爆発だった。前触れの地震もなく、ただ空気を切り裂くような音がしたかと思ったら、どんでもない大爆発が起きた。あまりのことに心の臓が口から飛び出すかと思ったほどだ。そしてそれはたったの一度きりのことだった。
何が起こったのか…それを確かめようと我らは歩みを止めて前方へと目を凝らした。だが、遙か前は煙に覆われていた。
煙が晴れるまでにどのくらいの時間がかかったのか、長かったように思えたし、それほど長くはなかったかも知れない。
やがて煙が晴れた。そして我らの目に入ったのは、大地がかなり広い範囲で耕されたようになっている様子だった。掘り返された土砂にはアルグナとモゥドワン両国兵の死体が混ざっておった。丁度、この粗末なパエリアの米粒と具のようにな…」
病床のデュランは、その時の光景を思い返すかのように瞑目した。その傍らには、看護の修道女が付き添って、デュランの口にパエリアを運んでいた。だが彼は食べようともせず、顔を背ける。
「両国の王はどうなされたのですか?」
ピニャの問いにデュランは、首を振った。
「なんと言うことか…」
戦闘後の連合諸王国軍を探してアルヌス周辺の村落をめぐること数日。あちこちの聞き込みの結果、ピニャは連合諸王国軍の将兵が統率を失って故郷へと引き上げて行かざるをえなかったことを確認した。
引き上げると言っても敗残の兵である。健在な将兵など殆どいなかったとも言う。敵の追撃がないからこそ、生きているというだけでしかない。そんな状態での長い道中である。おそらく戦場で戦う以上の苦難が彼らを待ち受けているだろう。事実、落伍した兵の死体があちこちで地元の農民達によって埋葬されていた。
やがて、ピニャはホボロゥの神を祀る修道院の一つに、高貴な身分を持つ者が収容されているという噂を耳にした。早速駆けつけてみると、それがエルベ藩王国の王であることがわかったのである。
身分をあかし案内をされたピニャの目に入ったのは、左腕と左下肢を失い病床に横たわるデュランの姿だった。
この状態での長旅は不可能。生き残った供回りの兵も逃げ散ってしまった。わずかに残った忠実な者を国元に帰して危急を知らせることとし、自身はこの修道院で体力の回復を待つ事にしていたと言うことであった。だが、地方の小さな修道院のこと。医者が居るわけでもなく、食事も十分と呼ぶにはいささか足りない。体力の回復を待つどころか、じわじわと消耗していくばかりだった。
実際、失われた下肢の断端から膿の腐臭がする。顔も土色に曇り、血の気がない。瞼の下は隈で黒く染まっていた。このままでは余命もそう長くないだろう。
「見ての通りこの様だ…三度目の総攻撃でな、麾下の兵と共に丘の中腹までなんとか進んだのだが、鉄で出来た荊が我らの道を阻んでいてな。これにひっかかって進み倦ねているうちに、光が雨のごとく降り注いできた。そして、あっと言う間に吹き飛ばされた」
「デュラン陛下、早速帝都に知らせを走らせます。そして医師と馬車の手配を…。とりあえず帝都に身をお寄せいただき体力の回復をはかってください」
覇権国家たる帝国の皇女とは言え、宮廷儀礼上は一国の王たるデュランが目上になる。ピニャは膝をつくと、無事な右手をとりデュランに頭を下げた。
だがデュランは首を振った。
「姫には申し訳ないが、帝国の世話になろうとは思わぬ。第一、もうそんなに長くはないであろう」
「何故ですか?」
「私はずうっと考えていた。何故、皇帝は連合諸王国軍を、この戦いに呼び集めたのか…こうなってみて初めてわかった。皇帝はこうなることを知っていたのだ。おそらく帝国の兵も、敗亡し帝国軍は大損害を負っていたはず…健在な我らは目障りであったのだろう。つまりは、皇帝は我らの始末を敵に押しつけたのだ」
敬称をつけずに、ただ「皇帝」と呼ぶ声にデュランの怒りが込められていた。どうせ死んでいく身だ。ならば、言いたいことを言わせて貰う。そんな気持ちが込められていた。
「姫。知らなかったとは言わせませぬぞ。姫とて帝国の軍に身を置かれる立場。帝国軍がアルヌスの敵と戦いどうなったのか…ご存じであられたはず」
「はい。確かに帝国の軍が以前、敗れ去ったことは存じておりました。しかし、しかしです。どのような敵が待ち受けているのかも知らせずに、ただ諸侯をアルヌスに差し向けたなど、全く存じませんでした…」
「行かれよ姫。不実の鎧を纏い、欺瞞の剣を片手に我らの背後に立たないでいただきたい。連合諸王国軍は、この大陸を守るために最後の最期まで戦い抜きました。だが、我らが民族最大の敵は、我らが後ろにおった。帝国こそが我らの敵だったのだ。姫、重ねて言う。早く行かれよ」
「陛下。最早、お怒りをお鎮め下さいと申しても無理でありましょう。なれどせめて教えてください。我らの敵はどのような者なのですか?どのような魔導兵器を、そしてどのような戦術を用いるのですか?貴重な戦訓をお示し下さい」
「教えてやらぬ。我らはそれを知るに身を犠牲にした。ならば、御身もそれを知りたくば自らアルヌスの丘に赴かれるが良かろう。汝が将兵の血肉を代価とすれば敵が教えてくれる」
ピニャは必死だった。皇帝は敵を侮っている。戦闘力の差は、戦略や権謀によって補えると信じて疑っていないのだ。だが、ビニャは敵と我との間には根本的な力量の差があると感じていた。このまま敵の詳細を知らせなければ帝国は決定的な敗亡をしてしまう。そんな予感に囚われていた。
歯のギッと噛み合わせる音と共にピニャは目を座らせた。
「そうは参りません。なんとしても教えて頂く。もし、お話しいただけないと言われるのであれば、エルベ藩王国を質とさせていただく。陛下が何も言われずに黄泉の川を渡られたら、妾は兵を率いてエルベ藩王国に攻め入り焦土といたしますぞ」
これにはデュランも驚いたようだった。
「な、なんと。兵を奪い、家臣を奪い、我が命までも奪おうとしておきながら、さらに国土と家族すらも奪うと言われるか…皇帝が皇帝なら、その娘も娘と言う訳か…良いでしょう。好きなようになさるがいい。どうせ我が身は滅ぶのだ。故国が帝国に併呑され属州となりはてるのも、遅いか早いかでしかない。死神の足音を聞く私には、最早関係のないことだ。黄泉で我が家族が来るのを待つことにする。そして後からやってこられる皇帝とあなたたちを嗤ってやることにしましょう」
「死に瀕して、自棄に成られたか…帝国は絶対に負けません」
ピニャは立ち上がると、死にかけの王を見下した。
「強ければ、力があれば何をやっても許される、それはもう仕方のないことだ。そのまま居直られればよい。しかし、我らとて意地がある。誇りもある。それを踏みにじられれば、この程度の意趣返しはして当然されて当然と心得られよ。アルヌスの敵は、脅威の軍隊。神のごとき武器と、神のごとき戦術をもって、我らを赤子のごとくひねりつぶした。敵を呼び込んだ帝国も同じ運命たどるであろう。強ければ何をやっても許される。ならば、アルヌスの敵はさらに強いぞ。帝国軍など累卵も同様。その事実に気付き、真に悔い改め助けを求めても、最早誰も応じることなどないのだ。その時のザマを見るがよいっ!」
デュランは力を振り絞ってそれだけのことを言い放つと、はあはあと息を荒くしながら病床に身を埋めた。
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ピニャは、もう言葉もなかった。
権力や腕力をもってしても、人の内心の城壁を攻め崩すことは難しい。出来なくはないが、それをすればこの王は死ぬだろう。
だからこの王から情報をとることは無理として諦めたのだった。心に残るのは、頑ななデュランに対する怒りであり、諸侯をここまで離反させた皇帝への憤懣である。
「姫様…頼みますから、騎士団でアルヌスに突撃するなんて言い出さないでくださいよ」
デュランの部屋を後にしたピニャに背後から投げかけられた言葉に、ピニャは大きなため息をついた。
「ハミルトン。お前、妾を馬鹿だと思っているのか?」
「いいえ。違いますけど、今にも『妾に続け』とか言って駆け出しそうな雰囲気でしたから」
もし駆け出すとしても、それはアルヌスに向けてではなく帝都に向けてだろうと思う。思うが、それを口にするわけにもいかない。
一見すると美貌の貴公子としか思えない男装の女騎士ハミルトンを前にして、ふとホントにこいつ男ではないかと確かめたくなった。だからピニャは彼女の薄めの胸板を手の甲で軽く叩いてみた。すると一応、柔らかな手応えがあった。
「突撃するかどうかは別にしても、一度はアルヌスへ行かねばならない。敵をこの目でみておかねばな」
「あ~姫。この人数でですか?危険ではないでしょうか?」
「はっきり言って危険だ。だからお前、守ってくれよな」
ピニャはそんなことを言いつつ、修道院を後にするのだった。
[1507] 自衛隊 彼の地にて、斯く戦えり /正式版 12
Name: とどく=たくさん◆20b68893 ID:dccf2926
Date: 2008/04/12 12:00
-12-
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-中華人民共和国 北京-
共産党国家戦略企画局
「劉局長。これが第二二四次 極東宣撫工作の活動報告です」
劉は、部下の差し出した報告書に視線を降ろした。
それは横書きの簡体字で充ちた書類の束。かなり厚みがあり、ずっしりとした手応えをもっていた。
劉が党本部戦略企画局の局長の地位を占めて、すでに4年になる。その間に、この部下から受け取った報告書は20冊だった。
その内容も、回を重ねるごとに濃密になってきている。予算の規模も次第に拡大し、偉大なる中華人民共和国が、確固たる覇権を掌握するためには無くては成らない部門となった。銃砲火器でする戦争はすでに時代遅れだ。これからは国内外の大衆操作・世論誘導こそが、国家戦略の根幹となると言うのが劉の信念だった。
国内の大衆操作の要点は、教育と情報統制にある。
教育は、中華人民共和国と漢民族の偉大さを強調することにある。共産党がこれを導くことによって中国は世界で最強の国家となることが約束されていると教えるのだ。そして、人民の心の内に醸成された、矛盾や貧富の差に対する嫉妬心・怒りは、民族的な恨みという口実を与えた上で外国、例えば『日本』に向けさせればよい。
日本は海外に対して軍事力を行使することはないと言うことを宣言している平和国家であり、どれほど侮辱しようが、貶しおとしめようが国境をまたいだこちら側にいる限り安心していることができる。その意味では、とても都合の良いスケープゴートだった。
日本をスケープゴートにするのは簡単だ。実際には無かった出来事を「あった」と言い、実際に起きた都合の悪い出来事はなかったことにしてしまうのがよい。事実を指摘して反論する人間に対しては、より大きな声で時間をかけて、これをうち消してしまえばいい。理屈に対しては情を、情に対してはより同情を得やすい情をもって。そして相手の情が過激化したのなら、理性を求めるのだ。人民とは声の大きな方を信じるものである。同時に、自分が信じたい嘘を信じるものなのだ。嘘も百回繰り返せば、やがて本当のこととして扱われるようになる。
それに加えて、嘘のない『事実』であっても、それを目的に従って切り取り、一つの印象を与えるように並べ立てる。それもまた十分に効果がある。緩急織り交ぜた、戦術を積み重ねることで、その効果はさらに倍増する。
偉大なる漢民族、偉大なる中国の一員であるという民族意識は、自分たちに都合の良い情報を好み、自分に都合の悪い情報を拒絶するという自意識ができあがる。そして、さらに統制された情報によって常に自意識、民族の優越感や、中華思想をくすぐっておけば、民衆は国家を信頼し安心するのだ。
思想教育によってエゴを肥大させ、情報という麻薬によってそのエゴを満たす。そうすればやがて自分のエゴを満たしてくれる薬(情報)だけが欲しくなる。その麻薬を供給するのが、我ら共産党なのだ。人民統治の要諦に古くはパンとサーカスという言葉があったが、現在は『金(経済)』と『情報』である。
国外向けの活動の第一は、相手国の『平和運動』を支援することにあり、その手段がやはり情報の操作である。こちらはより巧妙に行わなくてはならない。
平和運動とは、詰まるところ「戸締まりをやめよう」という運動である。
国のレベルではもっともに聞こえても、次元を個人におとしてみると平和運動の本質が理解できる。反戦平和運動のスローガンとは、翻訳すると「誰も泥棒に入ったりしない。だから戸締まりなんて止めよう」となる。
平和運動を推進する人間に限って、それぞれの家庭の戸締まりはしっかりやっていたりする。こんな立場にいてこんな事を思うのも何なのだが、劉はそれが不思議だった。個人的な他者は信用できないのに、どうして国家としての他国が信用できるのか、理解できない。個人レベルでは周囲に警察もいてその助けを期待できるが、国際社会には警察も居なければ公平な裁判所もない(警察気取りの国家は存在するが、そんな彼らも自らの利益の為だけに行動する)。国際社会において、国家は自ら守らない限り誰も助けてくれないのである。
よくよく考えれば、他人の戸締まりを気にするのは泥棒だけである。
盗みに入ろうと思うから、その家の戸締まりが気に入らないのであり、全く泥棒などする気が無いのなら、偏執的な戸締まりをしていても「大変だね」と思ってそれで済むはずだ。
ロシアが東ヨーロッパに配備されようとしているミサイル防衛システムに神経を尖らせているのもそのせいだ。攻撃兵器が配備されるというのなら、神経をとがらせるのもわかるが、あくまでも防衛兵器である防衛システムが気に入らない理由は、もう単純でわかりやすい。つまりは攻撃したいからでしかない。ミサイルで人を殺し、建物を破壊したいからなのだ。そしてその恐怖をちらつかせることで他国を自分の言いなりにさせたいのだ。
ところが、解っているのか解ってないのか、平和運動家達はミサイル防衛システムの配備にも反対する。それは「争いになるから、戸締まりをするな。泥棒が来ても抵抗するな。こちらが身構えるから、泥棒が強盗に変わるのだ」と言う主張だ。それが実は、もっとも泥棒を喜ばせることなのだと言うことを知らずに…。あるいは知っていてわざと。
真の平和運動とは言葉としての『平和』を叫ぶことではない。悲鳴を上げて叫ぶことでもない。自分たちと意見を異にする人間を、『戦争をしたい人間』とののしり排斥することではない。そんなものは、ただの自己満足だ。平和を得る現実的な手段とは、相手に攻撃する隙を与えないこと。攻撃して得るものより、失うものの方が多いのだということを、相手に感じさせることなのだ。それは泥棒をして得るモノより、刑罰や賠償責任等によって失うモノが多いと感じさせる思想と結局の所同じなのだ。
だから中華人民共和国は、国内に反戦平和運動など許さない。だが、他国で他国の民衆がそれをするのは嬉しい。自国を取り囲む外国が弱くなるのなら万々歳だ。よって、平和運動家に様々な次元での援助を行うのである。必要なら、海外に移民した自国の出身者を尖兵として利用する。チベット国旗が列ぶよりも多くの中国国旗を並べさせる。映画監督、女優、俳優…ありとあらゆる人材を投入する。
中国経済の豊かさや、貿易による結びつきの強さを強調して、互いに関係を絶つことも難しいほどに深いのだと、強調する。
対立点があれば、小異を捨てて大同をとることが大人の振る舞いだとアピールする記事を新聞に書かせ、それで失う利益もそれほどたいしたことはないのだと論じさせる。
政治、人権問題とオリンピックは関係ないと主張させる。そのために、様々なメディアや言論界に、自国への同調者をつくり、あるいは養成する。国家戦略企画局はその活躍を行っていた。
劉は報告書のページをめくりあげた。そこには日本、韓国、台湾のマスメディアにおける『好意的同調者』の活動…具体的には新聞、雑誌の記事、テレビの報道特集やドキュメンタリーの制作についての概要がまとめられていた。
報告書は、細緻な内容であった。執筆者の苦労は並大抵のものではなかったろうと思う。だが、それも必要なことであった。と言うのも、この報告書は最終的には国家主席にまで上がっていく重要な書類だからである。
劉は、書類の中の日本の項目に目を向けた。
「ふむ。NHKでの活動はなかなかいい。だが民間放送局での扱いが、まだまだ不十分だ。もう少しなんとかならないだろうか?」
メディア対策担課長の李は、これを受けて盛大にため息をついた。
「NHKの『同調者』達は、『その時、歴史のページがめくられた』を、はじめとした各種のドキュメンタリーの制作担当者となりましたので、活発な活動ができています。ですが、民間放送局では番組制作における下請け体質が問題となって、我々の意図した色彩になかなか染まらないのが現状です。
報道部門に関して言えば『旭』と『毎朝』系はおさえてありますが、ドラマやバラエティなどの制作責任者までは手が回っていません」
「そうか、やむを得まい。だが、手は抜くなよ。同調者が放送局内で昇進するのを待つのもいいが、出来ることなら現在の制作責任者を勧誘するんだ。金でなびく奴は金、女でなびく奴は女、名誉でなびく奴は名誉で。ありとあらゆる手を使え」
「はい。ですが、予算的に厳しくなります。人員も不足してます」
「安心しろ。すでに予算の増額が決定されている。工作員の数も増やせることとなった」
これを聞くと李は、安心したのか大きく頷いた。劉は再び書類に目を落とした。
「ほほぅ。明治時代に民衆が地方反乱を起こした事件を英雄的に描いたドキュメンタリーは非常に秀逸だったな。民衆の身近な問題で不安をあおり、それに対する反感を政府に向けさせる。実際に暴動やデモが起きればいいんだが、日本人って言うのはおとなしいというか、我慢強いというか。この点についてだけは我が国の国民にも見習わせたいところだな。ま、そのかわり投票という形で現れたわけだからよしとしよう。実際、民衆の潜在意識に政府に対する反感を刷り込んで、行動の指針を与えた。この方法は法が最も効果的だったようだ。選挙前と言うタイミングも良い。担当者には特等の報奨金を贈っておくように。それと今後の活動費も出してやれ。地方の反乱、市民革命、そういった題材をどんどん取り上げさせろ」
「はい」
「次の歴史ドキュメント。明時代の海上貿易を描いた特集は殊勲賞モノだな。明が圧倒的な軍事力を有していた時代、亜細亜は平和であり、人々は明との朝貢貿易によって豊かさを享受していたという部分を強調できたようだ…うん。これは二等級の報奨金を出すように」
「はい。こちらの番組制作の担当者から、次の企画についての協力要請が来ています。中国の公害問題について取り上げたいと」
「大いに協力してやりなさい。そして日本の省エネ技術の無償供与が必要だという論調でまとめさせるのだ。ふむ、日本から無償で得た省エネ技術を第三国に有償でわたせば我が国の利益になるしな。
取材チームには可能な限り便宜を図るべきだ。権威付けになるなら教授連中を出演させるのもいい。そうだ、日本に送り込んだ大学教授連中はどうしている?彼奴等の尻をたたけ。もっと多くの記事や論文の発表をさせるべきだ。テレビにも出演させろ。毒まんじゅうの件で、旭新聞に投稿させた大学教授や学童の記事、あれはどうなった?」
「あれは…二四頁をご覧下さい」
劉は、言われるままに報告書を捲った。そこには記事の内容とそれを読者がどう受けとめたのかについての評価が記されていた。
「あれは、あからさまに過ぎました。かなり反感を買ったようです」
劉は、新聞に掲載された記事の中国語訳をさっと斜め読みする。
「いささか陳腐だが、悪くない内容だと思うが?」
「日本人は、『まるで他人事のように言っている』『所詮は中国人の身内庇い』と感じているという報告です。日本で報道されている毒まんじゅう事件についての情報は、どうにも加工のしようがない事実ばかりなので、状況証拠などから我が国の内部で起きた事件として、日本人に認識されています。と言うか、これだけ状況証拠があってどうして日本国内で毒物が混入されたと考えられるのかと不思議がられてます。我々に都合のいい情報しか流さない我が国のメディアの有様がクローズアップされて、かなり印象が悪化しています。さらには、『自意識を満たすのに都合のいい情報しか見ないし、見えない』我が人民の姿が各種メディアで報じられてしまい人民の偏向性も知られつつあります。もう何もしない方が良いのでは?我々の活動自体、一部で感づかれていますし」
「いや、そういうわけにはいかん。また別の手を考えよう。それと、インターネット担当者に申し送りをしておけ。何かにつけて陰謀と結びつけて考える人間のことを侮蔑した言葉…なんだったか…そういった表現で我々の活動を指摘する人間の評価を、徹底的に低下させておけば問題にはならん。そんなことよりアニメだ。どうにかならんか?日本のアニメは世界中に影響力がある。これを、利用出来れば大きな力になるのだが」
「はぁ。日本のアニメーションは、土台となる原作が作家による個人作業なので、我々の工作の入る余地が無いに等しいのです。実験的に数名の新人作家を選んで、工作をしてみましたが、そうした者の作品は日本の市場ではあまり評価されません」
「これまで力を入れて支援してきた小説家やテレビドラマの脚本家達はどうなった?ノーベル文学賞を受けたり、名作として評価は高いのだろう?」
「彼らの作品がアニメーションの原作となる事などあり得ません。精々映画やドラマがいいところで…とにかくアニメーションに関しては我が国の作家が育つのを待つしかありません。漫画については出版社の編集担当者に同調者が育ちつつありますが、それもまだまだです。編集者の漫画家に対する影響力を利用して、南京大虐殺を事実として描くよう指導させているところです」
劉は頭を抱えた。
「今や、我が国の青少年が日本のアニメを見て、逆影響を受けている始末だ。国内の宣撫工作担当から苦情が来ている。今は、海外産アニメのゴールデンタイムの放送を禁止して、国産のものを中心にするように指導しているが…」
「パクリやご都合主義ばかりで、はっきり言って面白くないですからな。それにいくら禁じてもインターネットで見たい放題です。あははははは」
李は笑った。それを劉は白い目で見据えた。
「笑い事ではないぞ。小説、映画、ドラマ、報道、アニメ…こうした情報は全て麻薬だ。人民は、我らが供給する麻薬だけを喜ぶようにならねばならんのだ。それを日本製のアニメなどに。日本製の子ども向けコンテンツは、完全な悪などない。完全な善などいないという内容が多い。そんなものを青少年に見せて冷静で中立的な視点などもたれたら我が国の矛盾にも目を向けられてしまう。とにかく急がねばならん。学生連中が育つのを待つのは仕方ないが、出版社や漫画編集者に同調者を育てる件は、ねばり強くかつ迅速に続けたまえ。いいね」
「はい、了解しました。次は、韓国の件です…」
李は続けて韓国や台湾における同調者の活動を報告した。
その最中、王淑珍が局長室に入室してきた。劉は、王に対してそのまま待つように告げ、李の報告を聞き続けた。
李は報告しながらも、この席に王が何故呼ばれたのかと気になっていた。王という男は、たしか解放軍の参謀本部に所属していたはず。それがなんでここに…。そう思いながらも自分のすべき報告を全て済ませ、指示を受け終えると退室しようとした。ところが、劉に呼び止められる。
「紹介しよう、こちらは王淑珍だ。解放軍情報参謀本部から来て頂いた」
李は、頷いた。「存じています。大学では同期でした」と。
「そうか、それなら話が早い。君にはこの王淑珍としばらく働いて貰いたい」
「合同ということですか?」
「そうだ。君の部門で管理している日本のメディア内同調者へのパイプを利用して、行って貰いたい作戦がある」
「それは何でしょうか?」
「それは、『門』に関わるモノだ」
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ある時期を境に、テレビや新聞の論調に微妙な変化が起きた。
テレビのドキュメンタリーは、植民地化時代のオーストラリアの原住民のアボリジニーやタスマニア人が、植民して来たイギリス人流刑者によって殺されたり民族そのものが滅ぼされた歴史を取り上げた。
あるいは日本国内の文明衝突という描き方で、大和朝廷とアイヌとの戦いが描かれ、大和朝廷によって圧迫を受けたアイヌの、そして明治新政府以降まで続いた彼らの苦難に充ちた生活についてを取り上げた。
スペイン人に滅ぼされたインカ帝国。
ローマに滅ぼされたカルタゴ。
それらは事実を一つの目的に従って切り抜き強調し、印象づけるように作られていた。テレビで、ドラマで、クイズ番組で、週刊誌で、新聞で、様々な形で受け手の意識に昇らないよう、それとなく傾向づけられたメッセージがメディアを通じて流れ出した。
圧倒的に有利な立場な文明が、弱い立場の民族を圧迫して滅ぼしていく。滅びていく民族の悲惨な姿を強調して描き、印象づけようとする。
視聴者は、弱者に同情する。同情するように誘導された。
そして強者は理性的でなければならない、抑制しないとならないと考える。抑制しないといけないと考えるように誘導された。
飢餓に襲われたアフリカで次々と死んでいく子ども達の映像が、人々の無意識に刷り込まれる。
ふと、振り返る。振り返ることを誘導させられる。
我が身が加害者になりつつないか?と。
『門』その向こう側で、自衛隊は何をしているのか?確か、敵と交戦しているはず。
『門』の向こうでの戦闘は、以前より多くの人々の関心を惹いていた。だが、さしたる状況の進展はなく、『門』を確保して敵の来襲を撃退したと伝えられるだけであった。自衛官に被害者が出ていないため気付かなかったが、交戦による敵側の損害は?門の向こう側における民衆の被害は?
国会で、質問に立つ野党女性議員。その質問に防衛省の政務次官が答える。
「三次にわたる戦闘で、敵側の死者はおよそ6万となります。交戦による非戦闘員の被害はありません」
絶句する野党議員達。
要は、敵が防備の強力な我が方に対して無謀な攻撃を繰り返した、強いて言えば日露戦争時における『二〇三高地』の逆の例でしかない。敵が馬鹿なだけだ。
従って国民の大多数は、彼らが絶句した理由を理解できなかった。戦争で死者が出るのは当然のこと。負ければ味方が多く死に、勝てば敵が多く死ぬ。それだけである。銀座事件における被害によって怒りに駆られる国民の多くは、それを当然のこととして受け容れていた。だが、自分は理性的で、一般大衆とは一線を画していると思っている人間や、自分は他人に対して同情的な心を持っていると信じたい、『いわゆる善良でありたい』人々にとって、それは耐えることの出来る数ではなかった。
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『陸上自衛隊の失態!?民間人被害者130名!?』
『政務次官の答弁に虚偽の疑い!!』
『誰も知らない特別地域での戦い。膨大な敵側戦死者の中に本当に非戦闘員は居ないのか?』
こういった記事が毎朝新聞と旭新聞のトップを飾ったのは、それから程なくしてだった。
テレビや新聞社の記者達が、防衛省や官邸に押し掛けて、マイクとカメラの放列を総理大臣と防衛大臣へと向ける。
任期満了に伴い、総理大臣職を退いた今泉元総理の跡を継いだ安田総理に対して記者達の辛辣な質問がぶつけられた。
閣僚や防衛省政務次官の汚職の発覚が相次ぎ、任命権者としての責任を追及されることが続いていた総理は、自然と回答が慎重になった。その姿がまた「返答に窮している」「言葉が重い」などという表現で報道されて、それがさらなる支持率の低下に繋がる。
国会でも、野党による追及が始まった。
予算委員会の席は閣僚や省庁の次官達と向かい合う形で、与野党の議員達が座っている。
質問席に、野党の議院が立って質問を発する。その都度、担当部署の次官や大臣が前に出てきては質問に応じるのだ。
「今回報道された被害者とされる民間の被害者は、特別地域の武装勢力との戦闘によって生じたものではなく、災害によって発生したものです」
防衛省政務次官の回答に対して、野党議員が尋ねる。
「災害とはなんですか?その災害と自衛隊との関わりは?」
「災害については、危険な猛獣によるものという報告です。ゴジ○あるいはキ○グギド○級の危険な生命体であるという内容です。その怪獣の攻撃を受けていた民間人を自衛隊特地派遣隊の偵察隊が救助するために、これと交戦するに至ったものです」
「ちょっと待ってください。ゴ○ラですか?そんな生命体が『特別地域』には生息しているということですか?」
「もちろん○ジラではありません。それに近い存在です。特地甲種害獣、通称ドラゴンと呼称しています。よろしければ、この場では怪獣と称させて頂きますが、その怪獣の身体の一部がサンプルとして、送られてきています」
「何とも信じがたい話ですがそれを信じるとして、つまり今回の事件は、自衛隊とその『通称怪獣』との交戦に非戦闘員が巻き込まれたと言うことですか?」
「違います。『通称怪獣』による襲撃を受けていた非戦闘員を自衛官が防衛・救助するために、武器を使用したものであり、その被害の全ては怪獣によるものです」
「政務次官、あなたは以前質問した時に、非戦闘員の被害はないとおっしゃった。しかし、こうした事件が発生し、これほど多くの被害者が出ているのに、全く発表されなかったのは何故ですか?」
「前回の質問の主旨は、門を確保した我が自衛隊に対する、敵武装勢力による攻撃。それに伴う、非戦闘員被害の有無についての質問であると、考えたからです」
「死亡者についてはわかりました。これほど多くの被害者が出た災害です。今後同様の事件があればその都度発表して頂きたい。それと、自衛隊が救出した人々はどうなっていますか?」
「近隣の村や町に避難したという報告です。もともと怪獣の出現により、それまで住んでいた村落を放棄して、避難する途上で怪獣に襲われたということです」
「なるほど。それで、生存者は全員が避難できたのですね。その後の避難生活について把握していますか?」
「いいえ、そこまでは。我々はまだ門の周辺をわずかに確保しただけですので、避難民達の避難後については確認できません。ただ、怪我人やお年寄り、それと身寄りのない子どもは自活しての生活が難しいという現場指揮官の判断があり、自衛隊の方で保護しています」
「なるほど、当事者がいるのですね?では委員長…」と野党議員は矛先を変えた。
「実際のところ、当事者から話を聞かないことには、報告された内容が真実かどうか確認しようがありません。『門』の向こうは危険だという理由で報道関係者や我々議員も立ち入ることも許されない有様です。それでいて、政府の一方的な報告をそのまま鵜呑みにしろと言われても、我々としては躊躇わざるをえません。そこで、当事者たる自衛官や、被災者の方を参考人として招致したいと考えるのですが…」
実際に事件に関わった自衛官と、保護されている現地人から直に話を聞きたい。政府当局に疚しいことがないのであれば、拒絶する理由もないし、応じられるはず。このような論調で野党側は要求を繰り返した。
野党やマスコミの追求に辟易としていた官邸および与党も、それで真実が伝わり、その攻撃をかわすことが出来るならば…ってな理由で、『現場指揮官』と『現地人代表数名』を、門のこちら側へ呼び寄せることに、なっちゃったのである。
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[1507] 自衛隊 彼の地にて、斯く戦えり /正式版 13
Name: とどく=たくさん◆20b68893 ID:ee5a729a
Date: 2008/04/12 12:38
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さて、その現場指揮官である。
伊丹は、朝っぱらから運用訓練幹部の斜め前の席に座り、彼の冷ややかな視線を無視しながら携帯でお気に入りのサイトでネット小説を読んでいた。
『門』のこちら側で携帯が利用できるようになったのもつい先日のことである。アンテナが設置されるまでは、休暇の度にわざわざ門を超えて銀座に出なければならなかったのだ。それが携帯用の共同アンテナが設置されたことで、門の向こう側と個人的なやりとりもしやすくなった。ありがたい話である。
「しばらく見ないうちに随分と更新が進んでる。おっ、これは後で保存せねば…」
Web小説は、本屋に列ぶ小説と違ってオリジナルあり、二次作品ありと様々なジャンルを楽しむことが出来る。その数も膨大であり、全てを読むことなど不可能と言って良い。だからこそ、良い作品に出会えた時はラッキーと思う。数行読んでみてついていけないと思うと、すぐに諦めて他の作品をあさる。
掲示板等で良作と知って伊丹が読もうとた時には、ネット上から消えている作品も少なくない。もう一度読みたいと思った時には消失している場合もある。すると、伊丹は悲しくなる。
「グランマよ、どこに行ったのだ!!」
ちなみに現在(この時期)の伊丹のお気に入りは、GS、型月もの、ネギ、なのは、ゼロものである。クロスものも好んでよく読む。ちなみに上記が、なんのことだか解らない人はいないとは思うが、解らない場合は無視してよろしい。
「あ~二尉、聞いてます?」
伊丹は、斜め後ろからかけられる声を聞き流そうと努力した。通りのよい女声であるのだが、耳に入らない。今は休憩中につき、仕事に関わることはあんまり耳にしたくないという意思表示のつもりだった。
だが、「うほん、おほん」という運用訓練幹部(中隊参謀みたいなものだと思えばよい)の咳払いが、伊丹を小説に没頭させてくれない。こんな時は、出来れば個人の執務室が欲しいなと思う。
「二尉」
「ぐおっ!」
それは、響きとしても音量としても普通の声であった。だが、伊丹の下腿に激痛を発生させていた。音声が他人を害することが出来るのか?この世界では音声に攻撃能力が与えられるのか?
そんな風に思いつつ振り返ると、栗林と黒川が胡乱な目で伊丹を見ていた。漫画的表現で言うジト目という奴である。ちなみに、伊丹の下腿に激痛を発生させたのは栗林の半長靴のつま先だった。
武道有段者の拳やつま先は凶器も同然である。まして栗林は格闘徽章持ちだ。それを無抵抗な人間に対して振り回すなどはたして許されるのか。こんな悪逆非道を許してもいいのかと思いつつ、目撃者であるはずの運用訓練幹部に視線を送ると、彼は視線を窓の外に向けてくつろぐ。伊丹の味方はどこにもいないようだった。
「話を聞いてくださいませんか?」
「俺にぃ?」
黒川の言葉に、伊丹は携帯電話をパタンとたたんで机の引き出しに放り込むと椅子ごと振り返った。
伊丹は自己を呼ぶ際「僕」と「俺」の両方を気まぐれに使う。本人はそう思っている。だが実際に「俺」を使うのは、身構えていない時、調子に乗ってる時、気の乗らない時が多い。気怠そうな口調で「俺なんかに相談してもしょうがなかろうに」と呟く姿に、今の彼の心情がとてもよく表れていた。
「で、なによ?」
伊丹が背もたれに体重をかけると、事務用椅子がキィと音を立てる。
「テュカのことです」
伊丹達が保護している避難民の一人で、金髪碧眼のエルフ娘、テュカ・ルナ・マルソーのことだった。
「彼女がどうかしたのか?」
「実は…」
黒川によると、「彼女はおかしい」という。
どうおかしいのか、具体的には食事をかならず2人分要求する。支給品類も衣服など必ず2人分要求する。居室も2人用を一人で使用している。最初はそういう文化なのではないかと思ったので黙ってみていた。だが、どうもそうではないのではないか?
「個人的に欲張りなだけとかじゃないの?エルフが食欲魔神っていう設定だとか?」
「違います。食事だって2人分っていうのは、2人分の量ということではなく、つまり食器を2セットの2人分を要求するということなんです」
栗林が記録を捲りながら言う。
「うん?誰かに、食べさせてるとか?ペットを隠れて飼っているとかはどうだ?」
「1セット分は、手をつけずに必ず廃棄してます。衣服類だって、彼女が余分に請求するのは必ず男物です。」
これには、伊丹のカンに障るものがあった。チクとした頭痛と共に、深いところに鎮めたはずの記憶が呼び起こされそうになる。
「ふ~ん。で、理由を尋ねてみたか?」
「言葉がうまく通じてないので、よくわからないのですが、一番言葉のわかるレレイちゃんに同席して貰って尋ねてみました。どうして食事を残すの?って」
「そしたら?」
「彼女にも『わからない』『食事時に』『いない』という答えでした」
沈黙の時間が流れる。その間に、『誰か』と同居しているつもりなのでは?という考えが浮かんだ。
「もしかして、脳内彼氏でも飼ってるとか?」
伊丹は茶化すように言った。だが、黒川や栗林は、伊丹が期待したような反応は示さなかった。脳内彼氏、あるいはそれに類似する存在を彼女らも疑っていたのだ。しかも、彼女の場合は保護された経緯が経緯だ、深刻な事態が予想される。
「はっきり言って、それならば良いのですが」
黒川が心配そうに呟いた。
「医官には相談したか?」
「精神科医はこちらに来ておりません。それに、『亡くなった家族を一定期間、生きているかのように扱う』という文化の存在も否定できませんわ。なにが正常で、何が異常か、わたくしたちだけで勝手に判断するわけにも参りません」
「それならレレイの師匠……カトー先生に尋ねてみてはどうだ?あの爺さんなら詳しそうだ」
「尋ねてみました。わたくしたちとほぼ同じような見解を抱いているようでしたわ。カトー先生によると、彼女は『エルフ』という種族の中でも、さらに稀少な存在だそうです。『珍しい』『知らない』という答えでした」
現段階でも意味の判明している語彙は多くないので、微妙な言い回しが難しいのだ。『理解ができない』『情報がない』『自分には推測できない』…など各種の単語がみんな「知らない」という単語になってしまうのだ。このあたりはもっとコミュニケーションを進めて理解を深める必要があった。
「やっぱし、ハイ・エルフだったかぁ」などと、つい興味が先に立ってしまう。だが、そんなことはどうでもいい。「彼女と、よく話してみろ。彼女がいないはずの誰かを居ると思いこんでいるのか、それとも居ないのは承知してるが、あえてそう振る舞っているのか…」
「もちろん、そう致します。でも、わたくしとしては正直言って判断に困っています。あまり、うち解けてくれないので」
これには、伊丹も首を傾げた。第3偵の凸凹WAC。そのなかでも黒川は避難民の子ども達には絶大な人気を誇っていた。結構、勝手な振る舞いで周りを困らせる黒い神官少女(レレイによると「子ども、違う。年上、年上の年上、もっと年上」だと言う)ですら、黒川の言葉には割と素直に従うのだ。
視線を栗林に向ける。
「わ、わたしには、そんな感じは無いです。だいいち、わたしにはカウンセリングとか出来ません。こころのこととかよく判らなくて…」
確かに、このちびっ娘爆乳脳筋女は拳で語り合った方が早いタイプだ。『こころ』などという繊細な問題をこいつに扱わせるのは、脳外科手術をのこぎりでやるようなもんだと理解した伊丹は頷く。
「わかった。後で俺も話してみる。ったって、俺だってうまく意思疎通できるかわからんけどな」
「最近は、子ども達のほうが日本語を憶えてきています。きっと、わたくし達がこちらの言葉を覚えるよりも早いと思いますわ」
伊丹は、テュカは子どもではないだろうが…と指摘しようとしたが、会話がここまで進んだところで、廊下から桑原曹長の声が聞こえてきた。
「二尉、そろそろ時間です。黒川、栗林、お前等も早く来い」
「あ、はい」
いそいそと栗林らは廊下へと出ていった。
「武器搬出!!」の号令と共に、522中隊の隊員達が、小隊毎に列を作って武器庫へと入っていく。整然と銃架に列んだ小銃と銃剣、拳銃を抜き取っていく。第3偵の面々もこの行列の後に続いて、銃を取り出していった。
建物を出て『舎前』で彼らは64小銃の消炎制退器を一回転させて締め直す。座金がのびないようにするため、銃架にしまう際にゆるめてあるからだ。これによってゆるゆるだった二脚や剣止めもしっかり固定されることになる。
さらに、黒ビニールテープを持ち出して、部品が脱落しないように要所要所へと巻き付けていく。実戦である。乱暴な扱い…例えば銃剣格闘もありえるので、わりと念入りにしないといけない。
二脚を立てて隊毎に銃を並べ置き、銃剣を腰に下げる。銃剣は、すでに実戦仕様として刃がつけられていた。グラインダーで削りあげただけの刃だが、ザラッとしていてかえって良く切れそうだった。
隊員達が集まって座り込み、配布された弾を弾倉へと込めていく。弾倉は各位6個。20発×6個で一人あたり携行は、120発。手榴弾も配られる。
ミニミを預けられている古田陸士長が、金属製ベルトリンクで繋がれた5.56ミリ弾を箱弾倉に折り畳むようにして丁寧に入れている。
勝本が自分の小銃の他に、受領してきたパンツァーファウストⅢを3個、軽装甲機動車(LAV)に積みこんでいた。これでないと特地甲種害獣、通称ドラゴンに効果的な攻撃が出来なかったことから、携行数を増やすことになったのだ。
軽装甲機動車(LAV)搭載の12.7ミリ銃機関銃を笹川が「通・徹・通・徹・曳・通・徹…」等とぶつぶつ言いながら操作している。弾の帯には黒く塗装された徹甲弾の割合が非常に多くなっている。
そして、予備の弾や各種物資の積み込み作業を終えて全員それぞれが武器を携行すると、隊形の確認を行う。
桑原曹長の号令で、横に、縦に、方陣に隊形を素早く組む練習だ。間隔を広げたり、密集したりを素早く行う動作も確認する。それぞれが連携し、警戒を担当する方角の確認も徹底する。一人が欠けたら、誰がそれをカバーするのか、どう対処するのかも個々人は十分に理解しているはずだが、それでもなお繰り返して確認する。
このあたりが、新旧・テレビ版等の戦国自衛隊を見て研究した成果なのかも知れない。強力な火器を有した自衛官達が次々と倒れていくのは、ほとんどが味方からはぐれて孤立し、無数の敵に取り囲まれてしまうことが理由として描かれていたのだ。結局の所、協同連携、相互支援が鉄則ということになる。
こうして準備を終えた伊丹達は、整列し伊丹の号令で小銃に弾倉を取り付けた。装弾、装填、閉鎖を確認し、最後に安全装置が『ア』に位置にあることを確認する。
「海自では『合戦用~意!』とか言うらしいんだが…」
凛とした雰囲気の中、伊丹の気の抜けたような言葉に一同脱力する。
「どっちかって言うと、元ネタはアニメでしょうに?」
と、出所不明(但し女声)のつぶやきが妙に響いた。
「とにかく、営門を出たら危険地帯ってことになってる。それなりに気を張ってくれ」
こうして、彼らはアルヌスの丘を出て仮設住宅のならぶ難民キャンプへと向かうのである。
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難民キャンプの住民は現在の所25名である。コダ村出身者は23名。エルフの村落出身者が1名。それと途中から紛れ込んできた神官少女1名である。
建物そのものは所謂プレハブ建物であるが、後の増加の可能性も考慮して4人家族用、10世帯分が用意されていた。とは言ってもそれぞれの家に住む彼らに家族・親族という関係はない。だが同じ村落出身が理由なのか大人が子どもを、年長者が年下の面倒をみるという形で共同生活が成立している。
電気もガスも水道もないが、この世界ではもともとそう言うライフラインなど存在しないのが当たり前なので、誰一人として困っていない。水は、近くの泉まで子ども達が水瓶を抱えて汲みに行き、下水排水関係は、キャンプの片隅に穴を掘って処理している。衛生の問題があるので汚物等はさらし粉等で処理し、飲み水は伊丹達がペットボトルを運んでいた。
糧食関係は、一日3食のうち、昼と夕食の2回を伊丹達が供給している。
朝食については食材を届けておくと彼らが自分たちで調理する。実際は、それでは不足するので子ども達や老人達が森の中に入って野草などの食材を探してきて食べている。昼食はもっぱら戦闘糧食Ⅱ型である。夕食はキャンプ内にしつらえた竈で、古田ら隊員達と子ども達がわいわい言い合いながら作っている。
やろうと思えば、毎食を供給することも出来るのだが、彼らの自立心を損なう可能性があるので自衛隊側からの支援は、自助努力を支援するという方針でなされていた。これはイラク派遣以来の自衛隊支援活動の根幹となる精神でもある。彼らの共同生活の運営が良好なら、食事も三食自炊を目指す。さらに何か職業を得て、衣食については自弁できるようになることが理想だ。
とは言っても、住民の構成はお年寄り女性2人、男性1名。
怪我をしていた中年代の女性2人、男性1名。ちなみに3人とも骨折を含むので、年少の子ども達の面倒をみることは出来ても、労働は難しい。現在療養中。
あとの19人は、子ども達であった。否、外見から子ども達と思われていた。
ところが比較的意思疎通が早くできるようになったレレイという少女からの聞き取りによると、まず黒い神官少女とエルフの少女、レレイが子どもではないらしい。だから、16人が子どもになる。
では、それぞれの年齢なのだが黒い神官少女については恐くて聞けない。レレイによると「子ども、違う。年上、年上の年上、もっと年上」と言うことである。具体的に数字を尋ねようとして通訳を求めたら無表情のレレイがわずかに顔を引きつらせて、プルプルと首を振って嫌がったくらいなのである。
ちなみにレレイ自身は『15』と言うことであった。この世界では大人と分類されるようだ。
エルフが長命種であるというのはファンタジーによくある設定なので、理解しやすい。テュカは『165』という数字を示した。
こうしてみると数字についての理解がスムーズに出来たように思われるが、これも結構手間がかかってしまった。
レレイの場合、彼女は親指の先と人差し指の先をくっつけ中指を一本だけ立てた。OKサインの薬指小指をたたんだサインである。その後、親指を立てて拳を作るサムズアップサインが示した。
これが15を意味するのだが、当然の事ながら日本のそれと所作が異なるため、結局小石を並べて、1個が人差し指1本、5個だと親指を立てる、10だと親指と人差し指で丸を作る…といった法則を確認する必要があったのである。
こうした方法を組み合わせることで、実に片手だけで69まで数えることが出来るという仕組みだった。ホントはもっと数えることが出来るようであるが、指が攣ってしまったのと同時に実用性に欠けるので、確認が後回しになっている。実際、レレイが日本語で数を数えることが出来るようになるのと、アラビア数字の表記法を憶える方が早かった。
伊丹達が、キャンプに到着すると、レレイや子ども達が迎えてくれる。とは言っても黒川が出ていくと、小さな子ども達はみんな彼女のほうに行ってしまうのだが。
隊員達が、飲料水、食材、医薬品、戦闘糧食、日用品等を降ろす。
そのかわり年かさの男の子が白い帆布製の、枕ほどのサイズの袋を2つ、高機動車に積みこんだ。結構重そうだ。そして、その少年にレレイとテュカの2人が声をかけつつ、高機動車に乗り込む。
レレイは貫頭衣姿。浅茶色の生地にインディオ風の模様が入っていた。それと革製のサンダルという服装。手にしたくすんだ色の杖を立てている。
それに対しテュカは細い体躯を緑のTシャツにストレッチジーンズに、バスケットシューズという出で立ちで包んでいた。尖った耳さえなければ、アメリカ西海岸あたりの女子高生と言っても通じそうな印象だ。そんな格好でアーチェリーと矢を抱えている。
荷物運びをした男の子はそのままキャンプへと戻った。彼の行く先では、年かさの少年や少女達が集まって働いていた。
アルヌスの丘の麓には、高射特科によって撃墜された翼竜の死体が無数にころがっている。カトー先生によるとその竜の爪やら鱗やらはその強靱さから高級武具の材料となる。そのために大変な貴重品らしい。それなりの価格で取り引きされるというので、子ども達に勧めて、朽ちかけた死体から鱗や爪を剥ぎ取らせて集め、肉や汚れを綺麗に落として乾燥させている。これが継続的な収入に繋がるなら事業として成り立つかも知れない。そうなれば彼らの自立を助長することもできるはずだ。
これを今回初めて、レレイとテュカが街へ売りに行くのだ。ロゥリィという名の神官少女も何が目的かはわからないが、乗り込んでくる。ロゥリィは相変わらず漆黒のゴスロリドレスで、手には見た目も重そうなハルバートを抱えていた。
伊丹達は商取引の様子や街の住民達の反応を観察できるし情報収集のチャンスなので、足の提供ついでに彼女たちに随行する。さらに、地元の商人が何に興味を示すかを見るためと称して柳田からいくつかの『商品サンプル』を持たされている。
ちなみに、戦死した連合諸王国軍の兵士達、あるいはそれ以前に攻撃してきた帝国軍将兵の鎧や持っていた武具、財布などは、自衛隊によって彼らごと土中に埋葬されている。
これをもし集めたら膨大な財産…金融機関のない世界で兵士は受け取った俸給を身につけて歩くものだし、身分の高い騎士やら貴族やらもいる…となるはずだが、倫理的にいろいろあるので自衛隊としては手をつけていない。実は、この配慮が流通貨幣の大量消失という形で帝国と周辺諸国に、ちょっとした経済的打撃を与えるのだが、それがわかるのも後々のことであった。
また主を失ってあちこちうろうろしていた馬も、集められる限り集めてある。これも動物愛護団体からのクレームを恐れてのことだが、膨大な数の馬の飼い葉をどうするかが深刻な問題となりつつあった。敵方の遺棄物資に馬用の飼料があったためにこれを与えているが、無くなるのは時間の問題。アルヌス周辺は荒野、少し離れて森なので馬に食べさせる牧草がどこにもないのだ。
こうした馬の引き取り手を捜すことも、伊丹の任務の一つとしてさりげなく付け加えられていた。
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[1507] 自衛隊 彼の地にて、斯く戦えり /正式版 14
Name: とどく=たくさん◆20b68893 ID:0221b82f
Date: 2008/04/19 18:55
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少年少女達が数日ほど働いて翼竜2頭の屍体からあつめた『竜の鱗』は、200枚程になった。『竜の爪』は3本である。
これでも欠けたり、折れたり、傷ついたり、あるいはサイズが小さかったりで使い物にならなさそうなものを取り除いたのである。それでもこの数になった。
アルヌスの丘に散在する翼竜の屍体全てをあさったら、どれほどの鱗が収穫できるかと考えると、カトー老師を始めとした避難民達は、大人も子どもも目眩がしそうになって皆、額をおさえてしまった。
最初は「自活しろ」というような意味のことを言われて、避難民達は悩みで頭を抱えた。
住む場所を手に入れるにしても、食べるために畑を耕すにしても、木を切るにしても、狩猟をするにも、年寄りと怪我人と子どもとばかりでは無理だからだ。レレイやテュカあたりは、本気で身を売るしかないと思ったくらいだ。(ロゥリィは、のほほんとしていたが…)ところが、「手助けはする」と言われて、食材は届けられるし、家は建ててもらえるし、何か仕事になりそうなことはあるかという話をしているうちに、価値があるモノなら好きにして良いと、アルヌスの丘に散在する翼竜から鱗を集める権利を与えられてしまったのである。(彼らはそう認識した)
それはもう、財宝の山を前に「好きなだけつかみ取りしてよい」と言われたようなものだった。「いいの?ホントにいいの?」である。
でも、悲しいことに小市民である。両手、ポケット、懐に収まる範囲までなら、これでアレを手に入れて、服を新調して…等々と使い道を考えられるが、もっと取れ、全部残さず取れ…などと言われると、これまで慎ましい自給自足な生活を送ってきた村人や子ども達にとって、想像できる範囲を超えてしまう。
竜、あるいは龍の鱗とはそれほどのものなのである。
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竜の鱗にはいくつかの種類がある。市場で取り引きされる際にはその種類や状態でグレードの分類がなされていた。
最上級とされるのはやはり古代『龍』の鱗であり、美品であればその一枚で、スワニ金貨10枚ほどの値が付くと言われている。もし赤い炎龍の鱗で出来た鎧などがあれば、(加工も、とても難しいため)それは神話級の宝具として国が買える価格で取り引きされることになる。「あれば」の話だが。
それに次ぐのが新生龍のものである。だがこれらの二種は市場で出回ることは「ほとんど」あり得ない。かつて説明したように、人の手で『龍』が狩られることはないからだ。もし人の手に入ったとすれば、それは古代龍や新生龍が脱皮したことによってうち捨てられた鱗を集めたものである。実際、いくつかの英雄譚や神話には炎龍の鱗から作られたと言う鎧が登場し、現物が戦神の神殿に祀られている。
さて、翼竜の場合は、兵科として竜騎兵を採用している国では安定的に入手できることに加えて、一枚一枚のサイズも比較的に小いために、ぐっと値が下がって現実的な価格で取り引きされている。鱗一枚の相場がデナリ銀貨30~70枚といったところだ。
デナリ銀貨1枚とは、慎ましく暮らせばヒト一人5日は食べられる額である。従って、今回の200枚を取り引きしただけでも、レレイ達は結構な金持ちになれる予定であった。
もちろんこれだけの品物を売るためにはそれなりの相手を選ばないといけない。
とにかく安全に現金で決済したいので、レレイとしては大店(おおだな)を取引相手として選びたかった。しかし大店の店主が突然やってきた小娘を、はたして相手にしてくれるかが心配…かといって小規模の店では支払う金が無いと、掛け売り(代金後日払いのこと)を求められてしまうだろう。手形や為替の類は、いくら賢者と言えどもわからないというのが、レレイの正直な心情だった。
幸い、老師カトーの旧い友人に商人がいるということで、少しばかり遠いがその人のところまで赴くことにした。往復路についてはすこぶる頼りになるジエイカン達がついてくれるだろうし…と、レレイは伊丹達の顔を見る。
「ん?何かな?」
視線のあった伊丹に問われ、レレイは無表情のまま「別に」と言う意味のことを答えた。
「で、そのリュドーという人は、どこにお店を構えているの?」
付き添ってくれるハイ・エルフのテュカがロゥリィとともに問いかけてくる。レレイは要点のみを過不足無く伝えた。
「イタリカの街。テッサリア街道を西、ロマリア山麓」
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「テッサリア街道、ロマリア山、それからイタリカの街…っと」
桑原曹長が航空写真から起こした地形図に、名称の判明した地物について書き込みをしている。今回の行動では、レレイから様々な地名を聞き取ることが出来、アルヌス周辺の地形図について言えば、ほぼ完成と言って良い状態になりつつあった。
「なるほど、アッピア街道に、ロマ川、クレパス平原、デュマ山脈か…」
レレイも近辺の地形を詳細に描き出している地形図に興味津々と言った様子だった。レレイの知る地図とは、山や川や湖を描いて、だいたいの位置関係が合っていれば上等とされる品物のようだった。それが、非常に細密に描かれた地図があるのだから興味を持つなと言っても無理だろう。レレイは自分の知っている場所が地図上にあることがわかると、次々と指さして名前を教えてくれた。そして、さらに彼女が興味を示したのが方位磁石である。
桑原が地図と実際に自分たちの向かっている方角を過たずに一致させる秘密が、ここにあるらしいとレレイは感づいたようだった。
御歳50歳の桑原は、「この世界の北極と磁北極のずれはどの程度なんだろう?」などと思いつつ、レレイを我が娘をみるような気分で磁石の取り扱い方を教えていた。まぁ、実際には走行している高機動車の中でのこと、方角は小刻みに変わり、磁針そのものも揺れ動いて、正確に扱うことなど出来ないのであるが…。
「鬼の隊付曹長が、可愛い女の子相手には相好を崩しちゃってまぁ」
バックミラーに映る桑原の姿をチラと見て、倉田はボソッと呟いた。
一般陸曹候補学生の前期課程で、『死ぬまでハイポート』(小銃を「控えつつ」したまま走ることと思って貰えばよい。似た体験をしてみたければ、4キロの鉄アレイでも抱えてマラソンすることをお勧めする。ただし『抱えて』である。ぶら下げて、ではない)をさせられた経験が、なんとも言えない恨み辛みとして倉田の心中には積もっていた。それが、孫娘を愛でる爺さまのような姿を見せられて、なんとも霧散してしまうのだ。
ロゥリイは、テュカとなにやら話をしていた。
だが現地語で、しかも早口だから伊丹達には到底理解できない。ただ、なんとなくテュカがロゥリィにからかわれているのは理解できた。最後には、テュカがぶすっと頬をふくらませて黙り込んでしまった。それを見たロゥリイが、いたずらっぽい笑みを浮かべて、黒川に視線を送る。そして、何か言おうとするのだが、その途端にテュカは顔と細長い耳を真っ赤にして止めさせようとするのだ。
見ているこちらとしては「何だろね?」という気分だ。
テュカの慌てる様が楽しいらしく、ロゥリィはなんとも楽しそうにほくそ笑んでいた。レレイに「年上の年上の年上」と言われるだけあって、165歳のテュカであっても、子ども扱いされてしまう格の違いがそこはかとなく感じられた。
「伊丹隊長、右前方で煙が上がってます」
運転している倉田が、右前を指さした。
ほぼ同様の報告が無線を通じて、先頭を走る車両からも入ってくる。
伊丹は、双眼鏡で煙の発生源あたりを観察してみるが、まだ距離があって確認するのが難しい状態だった。車列を止めさせて倉田に尋ねる。
「倉田、この道、煙の発生源の近くを通るかな?」
「というより煙の発生源に向かってませんか?」
「いやだよぉ。前方に立ち上る煙って二回目だろ?どうにも嫌な予感がするんだよねぇ」
次いで、伊丹は桑原に意見を求めた。
桑原は地形図を参照して、煙の発生源あたりに、カタカナで『イタリカ』と記入された街が存在していることを示した。テッサリア街道を進む車列は、当然のことながらイタリカへと向かっている。
次に、伊丹はレレイに双眼鏡を渡して意見を求めた。
レレイは、双眼鏡を前後逆さまにに構えてしまい眉を顰めたが、直ぐに間違いに気付き双眼鏡を正しく構えると前方へ向けた。
「あれは、煙」
レレイは、日本語でそう答えてきた。
「煙の理由は?」
聡いレレイは、伊丹の質問意図に直ちに理解した。
「畑、焼く、煙でない。季節、違う。人のした、何か。鍵?でも、大きすぎ。あなたを犯人です?」
「『鍵』ではなくて、『火事』だ。それと最後のはよくわかんねぇ…」
単語の過ちを訂正しておいて、伊丹は思索し、指示を下す。
「周囲への警戒を厳にして、街へ近づくぞ。特に対空警戒は怠るなよっ」
桑原と黒川が銃を引き寄せた。それぞれ左右に目を配り出す。テュカは黒川に列び、レレイは桑原と列んで一緒に周囲を警戒する。そして車列は再び進み始めた。
ロゥリイは、伊丹と倉田の間に身を乗り出してきて、「血の臭い」と呟きながら、なんとも言えない妖艶な笑みを浮かべるのだった。
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イタリカの街は、200年ほど昔に当時の領主が居城を建設し、その周辺に商人を呼び集めて、城壁を巡らして作り上げた城塞都市である。
当時は政治上、そしてテッサリア街道とアッピア街道の交点という交通上の要衝として大きく発展したのだが、帝国が発展するに連れて政治的な重要性が薄れ、現在は中くらいの地方商市といった程度におちついている。これといった特産品などもないが、周辺で収穫された農作物、家畜類、あるいは織物等の手工業品を帝都へと送り出すための集積基地としての役割を担っている。
現在は、帝国貴族のフォルマル伯爵家の領地である。
フォルマル伯の当主コルトには3人の娘があった。アイリ、ルイ、ミュイである。末娘のミュイをのぞいた2人は、既に他家に嫁いでいた。コルトとしては、末娘のミュイが成長したら婿を取らせて跡継ぎにしようと考えていたようである。
ところがミュイがいまだ独身のままコルトとその妻が事故死してしまったことから、街の不幸が始まった。
長女アイリはローウェン伯家、次女ルイはミズーナ伯家とそれぞれに嫁いだ家がある。従って相続についての権利は、ミュイに劣る。それが帝国の法であって争いなど生じる余地はない。しかし、末妹のミュイがいまだ11歳であったことから、どちらが彼女を後見するか…則ち実権を握るかで争いが生じてしまったのである。
長女と次女の間での冷静な話し合いが次第に熱を帯びてきて、ついに醜い罵り合いとなった。末妹は間に挟まれておろおろするばかり。2人の罵りあいは、爪を立てての引っ掻き合い、髪の掴み合いに発展し、これを鎮めようとしたそれぞれの夫を巻き込む大騒動となった上に、挙げ句の果てにはローウェン伯家とミズーナ伯家の兵が争うという、小規模紛争となってしまったのである。
それでも双方の諍いは無制限に拡大することはなかった。それぞれの兵力がさして多くなかったこともあるし、それぞれの夫が妻ほど頭に血が上っていなかったことも理由としてあげられる。
領内の治安はフォルマル伯家の遺臣と、ローウェン伯家とミズーナ伯家の兵によって厳正に保たれ、商人の往来は保護され、領民達の生活も脅かされることもなかった。
イタリカの価値は交易にあり、これを荒廃させてしまえば、利益を得るどころではなくなってしまうということを誰もがよくわきまえていたからである。
こうして事態は膠着化する。姉妹の争いは帝都の法廷へと移り、やがて皇帝の仲裁によってミュイの後見人が決するであろうと誰もが予想していた。
しかし、帝国による異世界出兵が事態をさらに悪化させた。
ローウェン伯家とミズーナ伯家、それぞれの当主がそろって出征先で戦死してしまったのである。これによっアイリもルイも、フォルマル伯爵領に関わっている余裕が全く無くなってしまった。ローウェン伯家もミズーナ伯家も兵を退いてしまい、あとに残されたのはミュイとフォルマル伯家の遺臣だけである。
幼いミュイに家臣を束ねていく力などあるはずもなく、領地の運営も惰性でなされるようになった。心ある家臣が存在する以上の確率で、私欲に素直な家臣が存在し、気が付けば横領と汚職が横行し、不正と無法がはびこっていた。
民心はゆれ動き、治安は急激に悪化する。
各地で盗賊化した落伍兵やならず者が、領内を旅する商人を度々襲うようになり、これによって交易は停止しイタリカの物流は停滞してしまう。
さらに盗賊やならず者達は徒党を組んで、大胆且つ大規模に村落を襲撃するようになった。数人の盗賊が、十数人の盗賊集団となり、現在では数百の規模となった。そしていよいよイタリカの街そのものへが盗賊達に襲撃されたのである。
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街の城門上に陣取って、弓弦を鳴らしていたピニャは、退却していく盗賊達の背に向けて数本の矢を放ったあと、大きなため息をついて弓矢を降ろした。
周囲には傷ついた兵が、のろのろと立ち上がり、あるいは倒れた兵士が血を流している。石壁には矢が突き刺さり、周囲では煙が立ち上っていた。見渡すと、農具や棒をもった市民達も多い。
城門の外には、盗賊達の死体や馬などが倒れている。
「ノーマ!ハミルトン!怪我はないか?」
破られた門扉の内側にある柵を守っていたノーマは、大地に突き立てた剣を杖のようにして身体を支え、肩で息をしつつ、わずかに手を挙げて無事を示した。それでも、鎧のあちこちには矢が刺さっていたり、剣で斬り付けられたような跡が付いている。
彼の周囲は激戦であったことを示すかのように、攻撃側の盗賊と、守備側の兵士の遺体転がっていた。
ハミルトンに至っては既に座り込んでいた。
両足おっ広げて、なんとか後ろ手で身体をささえているが、今にも仰向けに倒れ込みたいという様子。剣も、放り出していた。
「ぜいぜい、とりあえず、はあはあ、何とか、はあはあ、生きてます」
「姫様。小官の名がないとは、あまりにも薄情と申すモノ」
「グレイっ!貴様は無事に決まってるだろう。だからあえて問わなかったまでだ」
「それは喜んで宜しいのでしょうか?はたまた悲しんだほうが良いのでしょうかな?」
堅太りの体格で、いかにもタフそうな40男が少しも疲れた様子も見せず、剣を肩に載せていた。
見ると返り血すら浴びていない。剣が血に染まっていなければ、どこかに隠れていたのではと思いたくなるほど、体力気力共にまだまだ大丈夫という様子だった。グレイ・アルド騎士補である。一兵士からのたたき上げで、戦場往来歴戦の戦人であった。
ピニャの騎士団は、構成する騎士の大部分が貴族出身である。しかも騎士団としての実戦経験が無いため、こうしたたたき上げの兵士を昇進させ実戦上の中核としていた。
帝国では兵士が騎士(士官)になる道は著しく狭い。だが、一端通ってしまうと士官としての待遇に差別はなかった。これには、自分たちは戦功著しい優秀な古参兵と、同等の能力を有しているのだという貴族側の自負心がある。能力で昇進してきた者を、出身を理由に粗略に扱うような者は、自分の能力に自信がなく、家柄にしか頼るものがないだけであると評価されてしまうのだ。
「姫様、何でわたしたち、こんなところで盗賊相手にしてるんですか?」
ハミルトンは責めるような口調で苦情を言い放った。いささか無礼ではあるが、言わずにいられない気分だった。
「仕方ないだろう!異世界の軍がイタリカ攻略を企てていると思ったんだからっ!お前達も賛同したではないか?」
アルヌス周辺の調査を終えて、いよいよアルヌスの丘そのものに乗り込もうとしたところ、ピニャらの耳にひとつの噂話が入った。
それは「フォルマル伯爵領に、大規模な武装集団がいる。そしてイタリカが襲われそうだ」というものだった。
それを聞いたピニャは、アルヌスを占拠する異世界の軍がいよいよファルマート大陸侵略を開始したと考えたのである。「分遣隊を派遣して、周辺の領地を制圧しようという魂胆か?」…と考えた。
ならばこちらとしても考えがある。ピニャとしては、やはり初陣は地味な偵察行より、華々しい野戦がいい。丘の攻略戦では大敗を喫したが、野戦ならばという思いもあった。だからアルヌス偵察は後に回し、麾下の騎士団にイタリカへの移動を命じつつ、自分たちは先行したのである。
どのような戦法をとるにしても、敵の規模や戦力を知らなければならない。もし、敵の戦力が少なければイタリカを守備しつつ、その後背を騎士団につかせて挟撃することも出来るとも考えていた。
ところが、実際にイタリカに到着してみれば、イタリカの街を襲っていたのは大規模な盗賊集団だった。しかもその構成員の過半が、『元』連合諸王国軍とも言うべき、敗残兵達であったのだ。
これに対して、イタリカを守るべきフォルマル伯爵家の現当主(仮)はミュイ11歳。
彼女に指揮がとれるはずもなく、兵達の士気は最低を極めていた。かなりの人数が脱走し、残った兵力も極わずか。
ピニャとしては落胆するしかなかったのだが、黙って見ていると言うわけにもいかない。伯爵家に乗り込むと身分を明かし、有無を言わさず伯爵家の兵を掌握するとイタリカ防戦の指揮を執ったのである。
「とりあえず3日守りきれば、妾の騎士団が到着する」
実際は、もう少しかかるかも知れないとは言えない。
ピニャのその言葉を信じた街の住民や伯爵家の兵達は力戦奮闘した。だが敵も落ちぶれたとは言え元正規兵であり、攻城戦に長けていた。
街の攻囲こそされないものの堅牢なはずの城門が破られ、一時は街内へと乱入されかかったのである。とりあえず、街の住民達が民兵として農具をかざして力戦したからこそ、第1日目をなんとか戦い抜けたのだが、正直、後少しで負けるところであった。
物心共に被害も甚大だ。
少なかった兵はますます少なくなり、民兵も勇敢な者から死んでしまった。残された者は傷つき、疲れている。こうしてわずか一日にして、兵や住民達の士気は下がりきってしまった。そして、ピニャには彼らの士気をあげる術が、どうにも思いつかない。
これが、彼女の初陣の顛末であった。
[1507] 自衛隊 彼の地にて、斯く戦えり /正式版 15
Name: とどく=たくさん◆20b68893 ID:c4038667
Date: 2008/07/29 21:28
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ピニャ・コ・ラーダは、皇帝モルト・ソル・アウグスタスとその側室…いわゆる『お妾』であるネール伯爵夫人との間に生まれた。
モルト皇帝の公認の子供は8人いる。その中では彼女は5番目の子で、女子としては3人目であった。ちなみに、非公認の隠し子も含めると彼女の兄弟姉妹は12~15人前後に増えるのではないかと言われている。
皇帝から実娘として公認されているため、ピニャには皇位継承権がある。しかし、順位としては10番目(皇帝の弟達が彼女より上位にいる)になるため、皇位継承者としての彼女の存在が意識されることは、ほとんどなかった。適当な年齢に達すれば外国の王室か、国内の有力貴族に持参金を抱えて嫁に入り、目立たないが優雅で気楽なサロン生活が送れる身分なのだ。
彼女の存在が宮廷のサロンで目立つのは、政治的な意味合いよりも彼女の個性に発する部分が大きかった。幼少の頃は、常に何かに苛立っており、落ち着きに欠け、過激な言動といたずらをしては周囲を困らせることが多かったのだ。
それがどうにか落ち着きだしたのは12歳頃、貴族の子女らばかりを集めた、『騎士団ごっこ』をはじめてからである。
まことしやかに流布している風説によると、女優ばかりが出演する歌劇を見て、その華やかさに影響されたからだと言われている。もちろん真偽のほどは確かではないが、この時期に何かきっかけとなる出来事があったことだけは確かなようである。
帝都郊外にある古びた、しかし堅牢な建物を勝手に占拠すると、子分とも言える貴族の子女を集めて集団生活を始め、彼女なりの軍事教練らしきものを始めたのである。そこは貴族の子弟、しかも14~11歳の子ども達のすることだ。おままごとのような集団生活と軍隊ごっこであって、衣食住の全てに置いて散々な失敗の繰り返しだった。それでも、そうした失敗も含めた何もかもが新鮮で、楽しいものとして子ども達は感じていたようである。
子ども達を心配して様子を見に来た大人達は、彼らの楽しげな様子を見て安堵しつつも、やがて飽きて、親が恋しくなって帰ってくるだろうと温かく見守ることにしたのだった。
実際に、子ども達も2日ほどたつと笑顔で帰ってきて、親たちは「楽しかったかい?」と温かく出迎えたのである。
ピニャの、天賦の才能はこの時期に開花を始めた。それは自己を含めて、仲間の力量を過不足無く見極めることが出来るということにあった。
彼女には、仲間達が2日程度で飽きてしまい、3日を過ぎたあたりで帰りたがると言うことが見えていたようである。そこで彼女は仲間を全員一度帰宅させた。これならば「楽しかったねぇ」という気分のまま帰ることも出来る。そして、それは第2回騎士団ごっこへと繋がる。
1週間ほどあけて、第2回騎士団ごっこが開かれた。
兵舎として使われたのは、前回と同じ建物であったが、今度は料理人や小間使いを巻き込んでのごっこ遊びで、衣食住の環境は確実に改善されていた。これを見た子ども達の親も、そして子ども達自身も内心安堵したことだろう。
こうして、彼らの騎士団ごっこは、遊びとして周囲から温かい目で見守られつつ始まったのである。
「ごっこ遊び」とは言っても一応軍事教練らしきことをする。
例え、遊びから来たものであろうと「子どもの言動がきびきびしてきたように見える」「体力がついて元気になってきた」「食べ物の好き嫌いがなくなった」「規律正しくなってきた」「社交的になって、よい友人を持つようになった」等の変化が現れると、皇女様の騎士団ごっこは子ども達によい影響を与えていると好意的に見られはじめた。回を重ねるたびに寄付や、施設の提供を申し出る貴族などが現れて、貴族社会で子ども達に参加を奨励しようとする雰囲気が出来てきたのである。
この時期に集まったピニャとその仲間達は、第一期生と呼ばれている。この第一期生によって、戒律や規約が作られ、団員の誓いだとか、各種の儀式、階級といった制度が制定され、彼らの日常生活における規範となっていくのである。
騎士団創設から2年、ピニャが14歳になると騎士団の『訓練』と呼ばれる合宿生活は、2~3ヶ月の長期に渡って行われることが多くなった。学業などはこうした訓練の一環として何人もの宮廷学者が『兵舎』招ねかれて授業するために疎かになることもなく、親たちはこのあたりから「ごっこ遊び」と言うよりは一種の『少年教育機関』的な意味合いでこの騎士団活動を見るようになっていた。
ピニャの始めた騎士団活動は、このあたりで発展を止めたとしても、有意義なものとして帝国の教育史に残ったと思われる。子ども達の自立心を高め、規律正しい生活を身につけ、年長者を敬愛し、若年者を愛護する。それは、あたかも兄弟姉妹のごとく。(実際、義理の兄弟姉妹関係を結ぶ相手を選び出し、とある儀式のもとその関係性を続けていくのである)こうした騎士団の気風は、好ましいものとして大人達に見られていたからであった。
類似の少年団組織が、あちこちで発足し始めたのもこのころである。これらの少年団は現在も、このころの騎士団の気風を受け継いだ集団として継続している。
ところが、ピニャはあくまでも軍事組織として発展を志向していた。
ピニャ15歳の頃。彼女は自分たちの行う軍事教練によって体力がつき、剣術や弓、乗馬等の基礎的な訓練に慣れて来たと見るや、外部から教官を招聘することにしたのである。
この時、騎士団に出向せよという命令を受けた軍将校、下士官がどのような気分になったかを知る術はない。だが、退役間近な将校や下士官ならまだしも、将来を嘱望された若手将校や下士官にとっては、『皇女様のごっこ遊び』につき合わされるのは、落胆と失望感を感じさせるのに十分と思われる。
その為だろうか「いつまでもこんなことにつき合ってられるか」という思いを込めて、騎士団の団員達に対して本格的…ではなく本物の軍事教練が施されたのである。そして、それこそがピニャの求めていたものであった。
将校達は、騎士団の子ども達が、もうこんなことは嫌だと降参することを期待していたようである。しかしピニャは、仲間の過半はこの訓練を乗り越えていけると見極めていた。
こうして、騎士団の軍事組織的な性格が明確になっていく。座学、実地訓練等、その内容は軍に所属する兵士や、士官達の学ぶそれに勝るとも劣るところはなく、彼らの素質もあってか騎士団の団員達は優秀な軍人として成長していくことになる。
ピニャ16歳の頃、騎士団ではその方向性を決定づける重要な出来事が発生した。
男性騎士団員達の卒業である。
門閥に属さない貴族の子弟にとって、その将来を賭ける道は軍人になるか、官僚になるかである。尚武の気風をもった騎士団に属していた青年達が、軍人を志さない理由はなく、またそれを止める術も権利も彼女にはなかった。
「元騎士団員として、恥ずかしくない軍人となってほしい」という言葉を贈り、彼女は青年となった1期生の卒業を見送ったのである。
こうして、騎士団を構成する中核団員の多くは『女性』ばかりとなった。もちろん、そろそろ花嫁修業を、という親の願いから女性団員も次々と騎士団を離れていく。それでも残る者がいて、新規に入って来る者もいる。
この時期の騎士団がもっていた幼年士官学校的雰囲気から貴族の子ども達の入団希望者は以前よりも増えつつあり、その規模は拡大傾向を示していたのである。
それから3年。この間に騎士団出身の男性軍人の多くが若手将校として現場で活躍を始めると、彼らの優秀さが高級将校の目にとまるようになった。
騎士団の卒業の時期…薔薇の咲く頃…が近づくと各軍の指揮官達が、自分の部下にとわざわざスカウトにやって来るほどとなった。だが彼らの目当てはあくまでも男性団員であり、軍が女性に活躍の場を与えることはなかった。
そのために…あるいはこれこそが彼女の真の目的として、ピニャは多くの女性団員と少数の男性団員(立身出世の必要がない門閥貴族出身の子弟+ピニャのスカウトしてきた実戦経験豊富な熟練兵)、そして補助兵によって構成された『薔薇騎士団』を設立したのである。
その誕生は、貴族社会からも宮廷からも祝福されたものであったが、あくまでも実戦を経験することのない儀仗兵、女性要人の警護、儀式典礼祭祀等の参加、そして軍楽隊的役割を求められてのことという暗黙の了解が、そこにあった。
しかし事態がここに至ると薔薇騎士団とは言え、後方に引っ込んでいるわけにはいかない。あくまでも実戦をと希求する団長ピニャの指令を受けた彼女たちは、赤・白・黄色それぞれ薔薇を紋章とした軍旗を先頭に、アッピア街道を進んでいた。
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盗賊の攻撃を受けた、イタリカの街は見るも無惨な姿となっていた。
城門は攻城槌によって破られて、内側に倒れている。城壁の内外側に立つ木製の櫓や鐘楼などは、そのほとんどが火矢を受けて黒煙を空高くあげていた。
外から降り注いだ矢が、城壁を越えて城壁に面した家にまで届き、家々の屋根に無数の矢が突き立ってる。そして、城壁を挟んでその内外に、盗賊側、イタリカ側双方の死体が散らばって、地面の各所には赤黒い流血の血だまりができあがっていた。
まだ体力のある者は、城壁の内側で起きた火災を鎮火させるべく走り回っている。小さな火には水をかけ、火の手の強い建物は破壊する。
女達は、中程度や重傷の者を手当てし、子ども達は、あたり散らばり落ちている武器や、矢の回収作業をしていた。
負傷の程度の軽い者は、スコップを手に死者を埋葬するために穴を城外で掘っている。本来なら簡易にしても葬祭を行わなければならないところである。しかし、その数が多すぎるため、葬祭を省いての埋葬となってしまった。盗賊の遺体に関しては、大きな穴を一個掘って、全員丸ごと放り込むのが精一杯であった。
こうして、兵士も、商人も、酒場の女給も、男も女も老いも若きも関係なく街の人間は1人残らず駆り出されて、働いていた。払暁から昼過ぎまで続いた戦闘に続いて、休む暇もなく作業に追い立てられ、誰もが疲労していた。
「姫様……あの、少し、少しでよいのです。休ませてもらえませんか?」
作業の監督をしていたピニャの元に、住民代表の老人がおずおずと話しかけてくる。
皆が疲れ切っていることは見れば判るし気持ちも理解できる。だが、今は少しでも早く死者を葬り、燃える民家や鐘楼の火を消し、城門や柵の修理を済ませて、武器の手入れを終えなくてはならないのだ。
その重要性を知るピニャは、休みたいと訴えかけてくる老人に対して、むっすりといかにも不機嫌そうな表情を見せことで、苦情を言いにくくすることしかできなかった。
「盗賊共はまだ諦めてない。体制を立て直したら、すぐに攻め寄せて来よう。その時に壊れた城門と、崩れた柵で防げるというのなら、休んでもよいぞ………」
「し、しかし…」
この老人から見れば、ピニャは理不尽なことを強いてくる暴君にしか見えないだろう。立っている場所が違うために、見えているものが違うのだ。彼らに理解をしてくれと求めることは甘えなのかも知れない。ならば仕方のない。
「私は相談しているのではない」(出展元ネタ/風の谷のナウシカ)と、頭ごなしに命じるのみである。
「グレイ、城門の具合はどうだ、直せそうか?」
門扉の具合を見ていたグレイがピニャを振り返った。
「姫様、小官の見立てたところ直すのは無理ですな。蝶番の根本から完全にひしゃげております」
「ならばどうすればいい?」
「いっそのこと塞いでしまってはいかが?」
ちょっとした作業で出入りする程度なら城門脇の小口が使えるし、この事態にあって商取引で馬車や荷車などを出入りさせることもない。門扉を開いて内側から撃って出るといったことも考えられないから、防戦という目的に置いては城門など塞いでしまっても問題はないのだ。
「悪くない。そうしてくれ」
グレイは市民に指図すると、木材、堅牢な家具などをあつめてきて、門扉のあった場所に積み上げる作業をはじめさせた。
「そんなものばかりでは燃えるだろう。まずくないか?」
ピニャの言葉にグレイは肩をすくめて、火がついたなら燃え草をどんどん放り込んでやりましょうと応じた。
確かにとピニャは頷く。燃えさかる炎ほど強固な防壁はないかも知れないと理解したのだ。
ピニャは振り返ると、城壁の上へと顔を上げた。
「ノーマ!!そっちは、どうだ?」
城壁の上では、ボウガンや弓を手にした兵士達が、外へと警戒の目を光らせていた。ノーマは振り返ると、声を投げ降ろしてきた。
「今のところ、敵影なしです」
「そのまま、警戒を怠るな。敵がいつ再び攻め寄せてくるかわからんぞ」
ノーマは、この指示に頷くと、額からにじむ血を拭こうともせずに部下の兵士に監視を命じるのだった。
「さぁさぁ、お腹がすいたのではないですか?食事の用意をしてまいりましたよ」
そこに、そんな声が聞こえたかと思うと大鍋を載せた荷車がやってきた。運んでいるのは伯爵家のメイド達である。出てきたのは大麦を牛乳で煮詰めたドロッとした粥と黒パンである。どちらもあまり美味いものではないのだが、空腹は最高の調味料とも言う。
ピニャも、食事の臭いに空腹感が刺激された。すきっ腹を抱えたまま突貫工事を続けても効率も落ちるばかりと考え、交替で食事をとりつつ作業を続けるように命じる。そうしておいて、自分も食事をとるべく空腹と疲労で重くなった身体を引きずるようにしながらフォルマル伯爵家の館へと向かうのだった。
警備の兵士などの男手は、ほとんどが城壁守備に出向いているため、伯爵家の城館は門から玄関に至るまで人の姿はない。彼女を出迎える者もなかった。
かといって人がいないわけではない。屋敷の中庭では大鍋がいくつも置かれ、大麦の粥が煮立てられ、黒パンが焼かれていた。炊き出しのために城館のメイド達は全員駆り出されて、忙しく立ち働いているのだ。
どうにかピニャを認めて出迎えたのは、伯爵家の老執事とメイド頭の老女だけである。
「皇女殿下、お帰りなさいませ」
「ああ。すまないが食べ物と、何か飲み物を…」
老メイドにそう伝えて、ピニャは自分の屋敷でもあるかのようにソファーへと、どっかり座り込んだ。
傍らに立つ白髪の執事が、ピニャに葡萄酒の入った銀のコップを差し出した。
「皇女殿下、どうやら守りきることが出来たようですな」
「まだだ。どうせすぐに襲ってくる」
「連中と戦わずに済ますことはできないのでしょうか?話し合いでなんとか…」
「ふむ、なるほど。城門を開け放って、街の住民も財貨も食べ物も何もかも、連中の手に委ねることを条件とすれば、争いは避けうることが出来るだろう」
執事はほっとしたような表情をする。
「そのかわり全てを奪われ、男は殺されるだろう。若い娘は奴隷だろうが、その前にたぶんきっと、いや必ず陵辱される。妾などは見ての通り佳い女なのでな、野盗共が寄ってたかって群がってくる。1人や2人ならなんとかなるかも知れないか、50人100人を相手にして正気を保つ自信はないぞ。時に、ミュイ伯爵令嬢はどうかな?」
「み、ミュイ様はまだ11歳ですぞ」
「そういう幼い少女が好きという変態がいるかも知れないぞ…いや、きっといる。必ずいるな……でも居ないことを神に祈って、敵に対して城門を開け放ってみるか?ミュイ殿は何人まで耐えられるかの?」
執事は額の汗をぬぐいつつ、呻くように言った。
「で、殿下。あまり、虐めないでくださいませ」
「ならば、戦うしかあるまい?平和を求めて、相手の言いなりになるのも道の一つだが、それは結局の所、滅びの道だ。戦(いくさ)は忌むべきものだが、それを避けることのみ考えると結局の所全てを失うのだ。ならば、歯を食いしばって戦うしかない」
ピニャは差し出されたワインを一気に飲み干した。
「ふぅっ」と、ひと心地つけたのか口元をぬぐって大きなため息をつく。そして、老メイドが運んできた大麦粥とパンに手をつけた。だが一口で眉を寄せた。
「味にしても、量にしても物足りない」
老メイドは、毅然とした首を振った。
「いけません。疲労の強い時は、胃も疲れているものです。味の濃いもので腹を満たしてはかえって健康を損ねます」
ピニャは、老メイドの言葉に理があることを素直に認めた。考えてみれば、城館のメイド達はこの事態に至っても動揺が少なく、黙々と炊き出しなどの作業に従事している。そもそも彼女は炊き出しなどの作業を命じた記憶もない。とすれば誰の指図か?執事は今の会話のように、恐れおののいているばかりで何も出来ない臆病者だ。となれば、この老メイドではないか?
そう考えてピニャは老メイドに尋ねた。
「お前は、このような事態の経験があるのか?」
「かつて、ロサの街に住んでおりました」
ロサの街は、30年ほど前に帝国の侵略を受けた街で、どうにか帝国軍を撃退したものの政治的な敗北から帝国に併合されて、現在は廃墟となっている。
その戦いの際、この老メイドはロサにいたのだろう。戦いとは、なにも弓や剣や魔法を撃ち合うばかりではない。攻められる街にあって兵士を励まし、武器を手入れし、食糧を管理しつつ食事の手配を遺漏無く整えることもまた戦いなのだ。
その意味で、この老メイドは実戦証明済みの存在だった。
伯爵家の当主が幼く、全く頼りにならないという状況下で、メイド達に動揺がないのも、この老メイドが彼女たちの上に君臨しているからであろう。
ピニャは、老メイドの言を受け容れ、食事を腹八分目で止めることにして、フキンで口元をぬぐった。
「では、客間にて休ませて貰う。もし、緊急を知らせる伝令が来たら、そのまま部屋にまで通すよう…」
そう老メイドに伝えて、ふと沸き上がった悪戯心から次のように尋ねてみた。
「もし、妾が起きることを拒んだらなんとする?」
すると、老メイドは「水を頭からブッかけて叩き起こして差し上げますとも」と凄みのある笑顔をみせるのだった。
ピニャはコロコロと高らかに笑った。そしてベットで水浴びしないですむようにしようと言いながら、客室へと向かうのだった。
ところがである。結局のところ彼女を叩き起こしたのは水の冷たい感触だった。
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顔を布でぬぐいながら、濡れた衣服に鎧を手早く身につけつつ、ピニャは怒鳴った。
「何があった!敵か?」
濡れそぼった朱髪を振り乱すピニャの姿になんとも言えない艶気を感じつつも、事態の急変を知らせに来たグレイは、そんな気分は隠して報告した。
「はたして、敵なのか味方なのか、見たところ判りかねますな。とにもかくにもおいで下され」
城門にたどり着いて見ると、戦闘準備を整えた兵士と市民達が、城壁の鋸壁から、あるいはバリケードの隙間など門前の様子を盗み見ていた。
「姫様。こちらからよく見えます」
フォークシャベルを手にした農夫の1人が、積み上げたバリケードの隙間を譲ってくれた。
覗いてみると狭い視界の向こう側に、四輪の荷車が三台停まっている。…ただしこれを牽く馬や牛の姿を見ることが出来ないものだった。
ピニャは、動力となる馬や水牛、そして兵員を大きな箱の中に収容して城壁に近づく『木甲車』という攻城兵器の存在を知っている。だから、門前に停まる三台のそれを『木甲車』に類する物ではないかと考えた。
よく観察すると、3台中2台の天蓋は布あるいは皮革製に見える。
これでは矢玉や熱湯、溶けた鉛を避けることは出来ても、岩程度の質量のあるものを投げ落とせば潰れてしまうだろう。するとやっかいなのは、後ろの一台だ。この一台は木製どころか、鉄で全面を覆っているかのように見えるのだ。
その『鉄』甲車内には、やはり人間がいるようだ。天蓋には『長弩』らしき武器を備えていて、なるほど、矢や石礫を避けつつ城壁に近づき攻撃も可能とする工夫のようだった。
だが、いかに優れた兵器とは言っても、それだけで城市は落ちない。
矢を放ち、雲霞のごとく城壁に攻め上る兵がいてこそ、これらの攻城兵器は生きてくるのだ。だが、見渡す限り他に敵の姿はいない。また、門のあったところに築かれたバリケードを破壊するとか何らかの敵対行動を起こす様子もなかった。
兵器の存在を見せつけ守備側の戦意を低下させようとする意図ならば、それなりの示威行動を示すものだが、それもしないとなると何が目的でここにいるのかがわからなくなる。
「ノーマ!?」
「他に敵は居ません」
尋ねたいことがわかったようで、直ぐに答えがあった。
『木甲車』内にいるのは、斑…深緑を基調として茶色や、薄緑を混ぜた配色の衣装を纏い、同じ斑なデザインの布で覆われた兜を被った兵士達だ。
手には、武器?なのか杖なのか判別の難しいものをかかえている。その険しい表情や鋭い視線などから、この者達が油断の鳴らない力量を有した存在であることはわかる。
「何者か?!!敵でないなら、姿を見せろっ!」
ノーマによる誰何の声が、頭上の城壁から厳しく響いた。
どんな反応が起こるのかと、ピニャもイタリカの兵士も、住民達も皆、息を呑んで見守っていた。
待つこと、しばし。
ふと、木甲車の後の扉が開いた。
そこから、1人の少女が降り立つ。
年の頃13~15ぐらいだろうか?身に纏っているローブや、手にしている杖などから魔導師であることは一目でわかった。
杖を見るとオーク材のくすんだ長杖…すなわちリンドン派の正魔導師であることは明確だ。となれば、いかに年若く見えようとも、攻撃魔法も魔法戦闘もこなすはず。
…先ほどの襲撃では、盗賊側に魔導師は確認されていなかった。だからこそ守り切れたと言っても過言ではない。だが、もし盗賊側に魔導師が加わったとなると、かなり難しい戦いを強いられることになる。
その困難さを考えると、ピニャは舌打ちしてしまった。
続いて降りてきたのは、見たことのない衣装を纏った16歳前後の娘だった。
その衣装は上下ともに肌にぴたっとしていて、ほっそりとした身体のラインがあからさまになっていた。さらに丈が短くて腹部や背中あたりの白い肌がチラチラと見えてしまうのは、男性連中には目の毒だろう。
ピニャはこの衣装が、それが目的のデザインなのだということを、女として直感的に理解していた。
問題は、この娘が笹穂状の耳をもっていることだった。すなわちエルフだ。しかも金髪碧眼持ち。
まずい…向こうには魔導師ばかりかハイエルフまでいる。…ハイエルフは例外なく優秀な精霊使いと聞く。
リンドン派の魔導師と、エルフの精霊使いの組み合わせ。騎士団を率いていたとしても、戦場で出会いたくない相手である。
ならば、油断している今、2人を同時に倒してしまわなければならないか?ボゥガンで狙撃を。そんな風に2人を倒す方法を考えていると、その後に出てきた娘を見て、ピニャは、濡れそぼった衣服が急激に冷えていくことを感じた。
フリルにフリルを重ね、絹糸の刺繍に彩られた漆黒の神官服。
黒髪に黒い紗布のついたヘットドレスで纏う、いとけない少女。
「あ、あれはロゥリィ…マーキュリー」
それは死と断罪と狂気、そして戦いの神エムロイの十二使徒内の一柱だった。
皇帝は国家最高神祀官を兼ねるため、国事祭典に使徒を招聘して会談を持つこともある。従ってエムロイの使徒との謁見する機会もあった。だからピニャは、彼女を見知っていたのだ。
「あれが噂の死神ロゥリィですか?初めて見ますが、見た感じじゃここのお屋敷のご令嬢ほどでしかありませんね…」
魔導師の少女や、エルフ少女と比べても、ロゥリィは小さく幼そうに見える。
が、自分の体重ほどもありそうなハルバートを、細枝のような腕で軽々と扱って、ズンと大地に突き立てる腕力が凄まじい。
「見た目に騙されるな。あれで、齢900を越える化け物だぞ」
帝国などこの世に影も形もなかった時から延々と生き続ける不老不死の『亜神』、それが使徒である。これでもロゥリィは、十二使徒の中でも2番目に若い。最古の使徒に至っては、人類創世以前から在ったのではないかと言われている。
使徒・魔導師・エルフの精霊使い…この3人の組み合わせがもし本当に敵ならば、ピニャはさっさと抵抗を諦めて、逃げ出す方法を考えようと思ってしまった。
「だけど、エムロイの使徒が盗賊なんぞに与(くみ)しますかねぇ?」
ピニャは首を振った。「あの方達なら考えられなくもないのだ」
使徒に人間の物差しは通じない。
彼そして彼女らは、皇帝や元老院の権威や法、あるいは正義といったものに全くの無関心なのだ。
いや、逆に軽蔑している言っても過言ではない。
ピニャは惨憺たる想いでそう語ると、過去の実例を挙げた。
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俯瞰視して我々の営みを考えると、『他のものを奪う』という行為は別に珍しくもなんともない。牧童は乳牛の乳を奪い、養蜂業者は、蜜蜂の集めた蜜を奪い、木こりは樹木の命を奪って建材とする。猟師は動物の命を奪って、農夫は小麦や米など植物の種を奪う。
私たちは、それを不思議と思わない。なぜなら、それをしなければ生きていけないからである。
我々が生きるということは、そうしたものであり、生きていくには他の生命から分け前をいただくしかないのだ。
農夫や商人から収穫物や利益の一部を税金や貢ぎ物と称して奪う。…こういった行為に法律やらなにかの屁理屈をつけて『正しい』と称して行うのが、貴族だの騎士だので、正しいもへったくれもないと開き直った存在が『盗賊』である。
ゆえに亜神たる使徒は、盗賊行為そのものを忌むべきものとして見ない。
『法』が禁じているからと言う理由は、使徒等からすれば嘲笑の対象と言えた。自分が日常的に行っていることを他人に強いて禁じるなど、どの面下げて?と笑う。
亜神の前では、人爵を元にした権威とか法といったものは、無意味に等しいのだ。
こんな実例があった。
8代ほど前の皇帝が、白馬と白鯨という種を勲爵士に叙し、殺してはならない食してはならないという布令を発した。
特定の生物種だけを選んで、それだけを神聖なものであると保護しようとする発想。その根底にあるものとして第一に考えられるのは、まずは宗教のそれだ。
たが、この大陸は多神教が主流であり、唯一絶対の神などといった教えは、嘲笑の対象だ。他の神が存在することそのものが、唯一絶対でない証拠と見なされていた。だから、人々は誰がどのような神を信じ、その教えに従った生き方をしようとも、それはその人の範囲に収まるのであれば、自由であると考える。それが普通だった。従って、国家的に特定の種のみ保護し食べてはならないとする考えは、宗教のそれではなかった。
それは強いて言うなれば、信条だった。もちろん、どのような信条を持とうとも、その信条を持たない者に、それを押しつけようとしない限り、それで心の平安、魂の健康、そして健全なる霊性を維持できるのであれば、それでよいのである。
しかし、この時の皇帝は自らの権威をもって『法』を定めた。自らの信条を民一般に押しつけようとしたのである。
なぜ、その白馬や白鯨のみを聖なるとするのか?あるいはそれを食するのを忌むべき行為と蔑むのか?
その問いは無意味だった。皇帝にとってそれが正義であり、正義の実行こそ皇帝の意思であるとされたからだ。理由はあとからついてくる。理屈などいくらでも製造できる。
こうして人々は法に従うことを強いられた。いかな内容であろうと、法であるという理由、皇帝の命令であるという理由が正義となり、人々は疑問を差し挟むことなく盲従することだけが求められたのである。
しかし、使徒達はこれを嘲笑した。
使徒第6位、ペラン・ワイリーは、宮廷の前でまるで皇帝を小馬鹿にするかのように布令を破り、見せつけながら白鯨と白馬を殺し、その肉を切り取って盛大に焼いて食べたと言う。
ペランは、宮廷の門前で鯨肉を喰らいながら唄った。
「命は、水牛を喰らい、毛羊を喰らい、土豚を喰らい、白馬を喰らい、鶏鳥を喰らい、海魚を喰らい、山鹿を喰らう。風土によって袋鼠を喰らい、大熊を喰らい、水蛇を喰らい、黄猿を喰らい、肥犬を喰らう…どれも等しき命。神爵においては皆同じ、神爵は種に尊卑をおかぬから。ならば白鯨を喰らおうと、氷アザラシを喰らおうとそれもまた命の営み。王侯将相いずくんぞ種たらんや。農工商奴いずくんぞ種たらんや。みなヒトなり。されど白馬や白鯨らはヒトにあらず。汝等なにをもってこれらを人爵に置いて尊きとするや如何?」
廷臣の一人が進み出て、『白鯨』はヒトに次いで賢い。『白馬』はヒトに貢献するが故に友であり尊いのだと論じる。
だがペランは、「賢愚はヒトの物差しなり。ヒトに貢献するか否かをもって尊卑を定めんとするは、はまさしく傲慢の極み」と斬ってすてた。
特定の生き物のみ「食べるために獲る」ことを禁じる皇帝の心は「命の選別」をしていると断罪した。しかもその基準は、自分勝手な物差しだ。
「優れた命」と「優れていない命」の選別は優生思想である。「美しい命」の選別はすなわち「美しくない命」とを分けることになる。それは、人を肌の色、瞳の色、髪の色で尊卑の選別をするのと根底で同じの増長慢な発想であると断罪した。
そして、神爵の前に、ヒトも白鯨も白馬も水牛も土豚も、土中の虫ですら同じであると宣じたのだった。
万物の霊長としての憤りなのか、それとも単なる反発心からか、ならば「人すら、他の動物と同じか?同様に喰らうことを認めるのか?」と問う者がいた。
これに対してペランは答える。「認める」と。
ただし、自分自身については人を食べたいと思わない。故に食べるためには殺さないと答えたのだった。
ペランは続けた。私がもし食べない種があるとすれば、それは「食べ慣れない」あるいは「食べたいと思わない」からでしかない。
もし、食べたいものがあれば私は誰が何と言おうと食べるだろう。雪山で遭難し、他に食べるものがないのであれば、人肉をも喰らう。喰らった者がいたとしても、これを許すだろう。
(筆者注/人肉をヒトが食した例としては、1972年雪のアンデス山中でおきた飛行機墜落事故がある。人の価値観などというものは、時と場所、状況によっていくらでも変わるし、変わるべき物であるという一つの実例と言える)
そうでない平時において、食べるためであっても獲ることを控えるべき理由があるとするなら、ただ一点。それはその種が絶えてしまう。その理由だけではないか?と主張した。獲物が絶えないように調整しながら獲るのは賢狼、大熊、翼獅子、竜など狩猟種にそなわった智恵のはず。我はヒトにも知恵深きあることを期待する、と言いながら悠然と白鯨の肉に食らいついて見せた。
すると、腹を立てた皇帝の意を受けた廷臣の一人が、「皇帝陛下は権威を持って白鯨・白馬を守ることを法として定められた。臣下として法の施行こそ我らの正義」と、鯨を狩るためのハープーン(銛)をもって、ペランに突き立てようとしたのである。
しかしペランは大剣を一閃させ、ハープーンもろともその廷臣を両断された肉塊へと変えたのだった。
「所詮は流刑囚の子孫か…」
そのつぶやきは……今でこそ帝室・貴族、高貴な血族などと言っていても、元をたどれば……史書にない事実を知る使徒だからの言葉であろう。
法の執行を行おうとした廷吏を殺めることは、法に照らし合わせると罪である。従って兵士達はこの犯人を捕らえるべくペランの前に進み出た。次々と進み出た。法に従うならば、進み出ざるを得ない。
こうして宮廷前は屍山血河となり果てたのである。法に従おうとする者がいなくなるまで。
当時の皇帝は、数日後に謎の死を迎えた。そしてその皇帝と布令は、廃止でも撤廃でもなく、『そのような名の者も、そのような布令も存在しなかった』として扱われている。あらゆる記録から名前を削り取られ、肖像も、彫像も全てが破壊され焼きはらわれた。
人々はこれをして『神槌の覿面』と呼んでいる。
法学者達は、この出来事に代表される様々な出来事から『神』の行動原理を読みとろうとした。すなわち神槌がどのようなときに発動されるのかを推し量ろうとしたのである。だが、諸説紛々で答えは出ていない。
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「結局の所『神』という存在は正しく生きようが、悪徳に生きようが関係なく祟る時は祟るし、悪しきことを起こしてくる。善良に生きても病にかかるし、暴虐の限りを尽くす暴君が長命だったりする。誰が祀ろうとも、何を祈ろうとも、それはあまり関係ない。
神という存在はヒトには理解できない存在なのだろう。あるいは、ヒトには理解できない価値感があるのかも知れないがな……ただの気まぐれだと言い張る者もいる」
ピニャの感想を受けて、グレイは呻きながら額に流れる汗をぬぐった。
「神官連中の耳に入ったら大変なことになりますぞ」
「何しろ、連中は神の御心の代言者として神殿にいるのだからな。その神の御心がなんだか理解できない、でたらめに近いものだなどと言ったら、神官連中の存在意義に関わる。そりゃあ反発されるだろう」
多神教の世界では信仰の対象に正邪の別はない。異端審問の類もない。特定の神が嫌いになれば他の神に帰依すればいいのだ。だが、神官団という宗教組織が、政治と結びついて様々な力を有していることもまた確かである。いたずらに神を貶せば、それを理由に攻撃されたり嫌がらせをされることも起こり得る。
結局の所、それは人のすることなのだが、信仰と結びついているから『それが神槌である』と詐称される場面も少なくないのだ。
「し、小官は、聞きませんでした」
結構信心深いグレイは、ぶるぶると首を振って背中を向けて両手をあげてしまうのである。そんなグレイの背中をピニャは面白そうに笑うと、バリケードの隙間から外へと視線を向けた。
「おっ…来たな」
再び目を門前に向けると、こちらに歩み寄ってくる魔導師の少女の姿があった。