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大学院進学の目的
米山 翔真
アリストテレスは『ニコマコス倫理学』の中で、「最高善」とは、「幸福である」と説いている。
大学院へ入って一年が経過した。大学を卒業すると同時に朋友の多くは就職する中で、まだ学びを続けることに意味があるのだろうか。働くことで得られる2年分の収入と進学するために必要となる学費すなわち支出。これらを考えると私の選択は、大損をしているようにも思えるかもしれない。しかしながら、この選択をした現在、「幸福」であると実感している。大学院へ行く目的(善)は「専門的な知識や教師としての資質・能力を身につけるため」であり、その善は「良い教師になること」である。手段と目的は相互補完的であるが、その究極の目的(最高善)は「幸福」でる。「幸福」は目的であるが、手段にはなり得ない。
何を「幸福」とするかは人それぞれだろうが、私は上越教育大学大学院の修士課程へ入学し、社会科をはじめとし、教育学と真摯に向き合うことができていることに喜びを感じている。指導教官の中平先生に「幸せ?」と問いかけられ、返答に悩まされることが多々ある。私が疲弊しているタイミングを見抜いているかの如く、幸せに気づけなくなっている時にそのように尋ねられるから困る。しかし、その疲弊も、「幸福」になるための手段に起因するものであると考えれば、大学院生をしているこの時間は全て幸せなのである。これからは胸を張って「幸せです」と言えるようにしたい。