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第 七 章 学部長解任の教育省令

1

実験蚕室で秋蚕を棚の上に上げる日、太陽が頭の上に昇っても、どうしてなのか、桂博士が、事務室に現れなかった。どうしたのだろうと、彼の家を訪ねていった明吉東は、あっと驚いた。

寝床で寝ていた桂博士の身体から、熱気がぼうぼうと発散しており、往診に来た医者が、焦燥にかられ早く大きい病院へ運ばねばならないと言明した。症状から見て、前年に龍骨山で亡くなった若い研究士と全く同じ病にかかっていると言うのだ。

試験場成員達は、急いで駆け回り、桂博士を車に乗せ平壌病院へ運んだ。引き続いて車体に十字架標識をした車が急いでやって来て試験場成員達みんなを検診 し、脳炎予防注射をした。桂博士が、熱にうなされて救急車で運ばれながら残したメモを見た試験場成員達は、みな涙ぐんだ。

「龍骨山のダニは脳炎の媒介物である。山に登る成員達に至急に予防注射をするように。」

半月が過ぎて、病に回復のきざしが見えてきたのか、桂博士から手紙で研究事業に対する詳細な指示が、送られて来た。

そうなって初めて、試験場の人達は多少安心したのだ。事前に脳炎血清を打っていたおかげで、軽く病をしのげられたのだ。

ところで、この時、お見舞いにいくと平壌へ行ったが急に帰ってきた李徳鎌副場長が尋常でない話を持ってきた。公式的に発表されなかったが、試験場では直 ちに新しい祖国の農業科学の純潔性を固守するための新しい決定的な処置があるだろうとのことであった。検閲グループの彼等は、桂博士が山中で犠牲的に研究 事業をしていて病にかかったことについては、少しも考慮に入れなかった。彼等は、それを自分達が手をくだす前に、桂応祥を倒した当然の懲罰だとみなしてい るようだった。

「さあ、見てみろ。決着がつくだろう。」

超然として試験場を見まわった李徳鎌は、桂応祥の運命は終わったかのように脅した。

ところが意外にも、桂応祥が、病院から退院し試験場に現れた。血の気がすっかり消えてなくなり、青ざめた顔とふらつく歩き方や細かく震えるまつげなどは、身体が完全に治っていないことを示していた。

「先生、顔色がひどいですよ。お休みにならないと。」

みんなが心配してこう言うと、彼は寂しく微笑んで静かに言った。

「仕事にかかれば元気が出てくるさ。」

彼は退院した二日目から試験場の庭に出てきた。

庭には、選別をしようと採りだして置いた蚕繭が白く広げられていた。

彼は、少しの間も遅らせられないと、蚕箔の前に座り蚕繭を選別し始めた。すると彼の目に光彩がぴかっとひらめき、ひどく痩せ衰えた不便な身体なのだが、顔色がぱっと生き生きしてきた。  

蚕繭をてきぱき選んで管理工達が支え持った蚕箔に入れ置く彼の手先からは、火がおこっているかのようだった。どんなに手際よく動くのか、上がり下がりする手が見えなくて、胡麻塩のような蚕繭だけがちらちらしていた。

誰が見ても、彼は、何の考えもせず蚕繭を一途につまんで空の蚕箔に入れ置いているだけのようだった。一体全体、格好や大きさが似たり寄ったりな蚕繭から何を選別できるというのか。

しかし桂博士は、試験場を任されて管理しはじめた最初の年から、試験蚕室で繭を取りだせば数千個の蚕箔にいる数十万個の蚕繭を一つ一つ選んで、原種維持 や実験用には使えない蚕繭を売り物用に倉庫へ送り出すのであった。桂博士自身がやらないと、一年間の研究結果を総括する場で、誰がそのように必要な蚕繭だ けを選び出せたであろうか。こんな事実を誰よりもよく知っているから、桂応祥は前もって病院から飛び出してきたのであろう。

試験場構内では、雪のように白い蚕繭を入れた蚕箔で足の踏み場もなくいっぱいになっていた。本当にその光景は壮観そのものであった。

白い上っ張りを着た管理工の娘達が、蚕箔を持って機敏に出たり入ったりして、すっかり開け放された蚕室では二日続けて繭を山盛り入れた蚕箔を引き出して来たのだが、それでもまだ管理工達は、向こう脛で勢いよく風を切るように忙しく蚕箔を引き出してきた。

国立中央蚕業試験場と改編され二年しか経っていないが、その間、試験場ではどんなに仕事を意欲的に展開してきたことか。研究士達は墨壺と筆を持って桂応 祥の指示に従って選別が終わった蚕箔に該当する標識を書いたり、見まねがうまい研究士は桂博士に聞きながら一つ一つの繭をヒヨコの眠りを醒ます卵を選ぶか のように丁重に空の蚕箔に入れ置いたりしたのであった。桂応祥は休みなく繭を選びながら。研究士達が繭を選んだ蚕箔に視線を投げた。

彼は突然鼓型の繭をつまみ出した。

「この交雑で、我々が得ようとするのは、繭の大きさでなくて、殻を分厚くしようとすることだ。だから、こんな柔い繭は必要ないーそしてこの蚕箔には、鼓型ではなくて円錐形の繭を選び出そうとしたのではなかったかな。---」

研究士や助手が選んだ蚕箔をのぞいてみた桂応祥は、別に子細に見ずに蚕繭を選び出すのだが、注意深くのぞいてみれば、それらは間違いなく場長の言う通りだった。

重さを高めることを目指して育種した蚕繭から、心積もりではただのひとつの失敗もなしに繭を選び出そうとした、比較的経験のある中年の研究士は、桂博士 がどの蚕箔からよりももっと多くの欠陥繭を自分の蚕箔から選び出すのを見て、ひどく侮辱されたように感じた。彼は、そっと桂博士が選んだ蚕繭を持って自分 の部屋へ入り、天秤に載せ、量ってみた。瞬間彼は、「あっ」とうめき声を出した。不思議にも、それらは〇、〇一グラム程度重さが足りないか、それ以下のも のであった。

こんなことがあった次の日から試験場の人々は、現場で繭の重さを判定するとか、殻の比率あるいは雌雄を判別する必要ある時には、それを、計量室へ持って 行くよりも桂博士に持って行き、見せる方がましだと思った。確実に彼には、繭を区別する特別な神経が発達しているかのようであり、観察する目と一緒に手先 にも特殊な目があるように思えた。

この年には、どんな時よりももっと念を入れて、じっくり繭選別をし、新年に利用する繭や氷蔵に保管する繭も去年の何倍も選び出して置いたのだ。

従って、研究的価値を失って販売用にした蚕繭も倉庫天井に届くほど積まれており、庶務課の人達もみんな動員され、繭を等級別により分ける仕事にとりか かったため、故障した水道の蛇口のように少しの間も口を動かす崔炳達も、ぺたっと足をくずして座って無駄口をたたく暇がなかった。

試験場の人々は、密源植物の満開季節を迎えた密蜂のように忙しく跳んで往来した。-----

桂博士が極めて強引に仕事をやっていくので、試験場内のこそこそ内密にあっちこっちでささやかれた話もしばらくの間途絶え、静かになったように思われた。

ひゅうー、

一筋のひんやりした初秋の東風が通りすぎると、暗く赤みがかった落葉が、散らばって敷きつめられた。応祥はカワハジカミの側に置いてある小さな椅子に 座って、足の下のある一点を熱心に見下ろしていた。事務室近くの窓で、両手を背中で合わせて桂応祥場長を哀れむように見下ろしていた李徳鎌副場長は、さっ と身体を回した。断固とした表情をして部屋の戸を力強く開け廊下へ出た彼は、真っ直ぐに桂応祥に向かって歩いて行った。彼は、昨夜場長の部屋へ入って、彼 の事務机の上に大学へ行き講義する講義案がどっさり積まれているのを見たのであった。それらを見て、桂博士が今年も試験場事業を一段落させて、元山農大に 行き蚕学部事業を指導し講義をする時期になったことにはじめて気付いた。ところで、この時期すでに古典遺伝学が反動学説と確定されたような情況下で、どう して大学へ行き遺伝学講義ができるというのか。桂博士は、李徳鎌が自分の前に近寄って来たのも感じず深い思索に耽っていた。

「場長先生!」徳鎌がしわがれた声で呼んだ。応祥は静かに目を開けた。

「今年も出掛けられますか?」

「出掛けなくては。」応祥は副場長を見もしないで返事した。

「この度は行かれない方がよいのではありませんか?」

「それは何故?」

場長の穏やかな目に突然怒りの光がひらめいた。

「私が農業省に行ったとき聞いた話があるので、そう思うのです。」

「どんな話をしていたのか?」

応祥は、こんな質問を口に出すのもうんざりするかのように、上向きに開けた眼の縁に皺が寄った。

「おそらく教育省で、先生が講義する一部科目を課程案から省いたようです。」

徳鎌が冷たく言ってのけた。

桂応祥は胸の中に手を入れ、封を切った手紙一通をとりだし徳鎌に見せた。副場長は、少々面食らって、それを受け取って中身を取りだして見た。

「桂応祥先生、事情により今年の冬から先生の講義を受けられなくなりましたので、よろしく処置されるよう願います。

元山農業大学 学長***」

手紙から視線を外した副場長は、目を凝らして桂応祥の広い額の下で静かに光っているまなざしを眺めた。

(ここまで来れば事態はあまりにも明白だ。こうなっていても、強いて大学へ出掛けるというのは、飛んで火に入る夏の虫の類と同じような軽挙妄動ではないか。)

白い霜が混ざりはじめた顎髭を静かになでおろしていた、桂応祥の細くて長い手がぶるぶる震えた。

だが、彼は、あごを若干突き上げて悠然とした態度で、一つ一つはっきり力をこめて言った。

「大学に行って講義をするのは、私が最も満足に思っていることでもある、それは、何よりも先ず金日成将軍から直接任された仕事なのだ。だから、敢えて誰が私の講義を妨害できようか!」

桂応祥は鋭く言って立ち上がり、後ろを振り返りもせず事務室へゆっくり歩いて行った。彼は、元来試験場や家の中で自分の生活や感情について話したことは なかった。まして、どうしてこの職責で仕事するようになったのかについては誰にも話したことがなかった。今さっきも、彼が激した気持ちに堪えられず、胸の 奥深くひそませていた一言をぱっと吐き出してしまったが、それ以上は話さなかった。尊敬する将軍の厚い信任に万人が認める大きい功績で報いもしていないの に、そんな大事な話を軽率に言いたくなかったのであろうか。それとも、自分が直接将軍にお会いし信任された者だということは、将軍が期待され喜ばれる傑出 した科学的成果をあげたときにのみ、話したいということであろうか-----

応祥は、事務室へ入って机の前に座った後も、しばらくの間、じっと分厚く積まれた講義案だけを見下ろしていた。組み合わせた両手を机の上に置いて窓の向こうの真っ青に晴れた空を見上げる彼の広い額に、急に小皺が出来た。

夜中激しく吹きつけた北風は、明け方明るくなってきても衰えることを知らなかった。桂応祥は妻と一緒に、いつもとは違って早く家を出た。彼の一方の手には古い革鞄があった。朝出勤してきた試験場の人々は、場長にはやばやと挨拶した。

軽い足取りで、しずしずと歩いてきた柳智晟老人は、後ろからついてくる崔炳達に見えるように頭を深く下げて「博士先生。昨夜はよくお休みになれましたか?」と挨拶した。応祥は丁重に頭を下げて挨拶を受けた。

桂応祥は、木綿のパジチョゴリに灰色のトウルマギを着て、茶色のポソンに白いコムシンを履いていた。彼が、近年、正月に新年の拝礼を受けるときにのみ家の中で着ていたものであった。

彼の際だった身なりや飄々とした態度には、何か運命的な決戦へ出掛ける人のような悲壮なものさえ感じとられた。彼の後ろには、頭の上に大きな木綿風呂敷 包みを被って、手に柳の網篭を持った妻が、人々の視線を避けるようにうつむいたまま黙って駆け足でついて行くのであった。

試験場玄関前で応祥の後ろ姿を嫌みたらしく眺めていた李徳鎌は、側に事務員達何人かが立っているのも考慮しないで言った。

「本当に痛ましいことだ。大学では桂場長を学部長職責から解任させたことも知らないで、あたふたと出掛けるとは---」

副場長をちらっと見上げた明吉東は身震いした。彼は、ひっそりと向こうの家の角を曲がって消えていく桂博士をやるせなく見送っていた。

旅客列車は、日が暮れて薄暗くなってきた頃、徳源駅に到着した。列車から降りた応祥は、妻を私宅に送っておき、真っ直ぐに大学へ向かった。正門で座って いた若い教員は、校門へ真っ直ぐ歩いてくる応祥教授を見つけて、目を大きく見開いた。彼は急いで走り、応祥を立ちどまらせ汲々として仕えた。

「先生、今、学長先生は省から来られた指導グループの先生達と話し合っておられるようです。」

「それで?」

「不便でしょうが、宿直室にしばらく入られて身体を休まれてはと思います。」

桂応祥は、不快な気分を隠さず宿直室へ入った。ある男子学生が急いで外へ走って出た。しばらくして、どっしりして大きい体躯で暖かい人柄に見える学長が入ってきた。学長は平べったい顔に慌てた気配をそのまま出して、応祥の手をむんずと掴んだ。

「そっちへ行きましょう。」

彼は応祥の手を握って導いた。

外へ出た学長は、暗闇が濃く淀んだ校庭へ足を運んだ。ネムノキなどがぎっしり植わっている図書館前に着くや、彼は立ちどまって尋ねた。

「私の手紙は受け取られたでしょう?」

「受け取りました。」

こっくりうなずいた学長が、沈痛に言った。

「数日前、教育省から裴雲權副相を責任者とする検閲グループが大学へ下りてきました。先生に何を遠回しに言いましょうか。実は、桂先生がされた講義内容を政治的に問題視しています。」

「彼等はどこにいますか。私が直接彼等に会ってみます。」

桂応祥は、火照った顔をぱっと光らせて体を回した。

「桂応祥先生。」

学長は応祥の袖をつかんで引き留めた。

「どうか、お願いします。今や、到底どうすることもできないほど情勢が悪くなっています。先生もよく知っておられましょうが----私もまた生化学を専 攻した者として、その理論に疑問に思うことが少なくないのです。それでちょっと話してみたのですが、話にならないのですよ。」

李ウオンソル学長は、堂々とした身体をすくめて大きな頭を振った。彼は、敬愛する金日成将軍の教示を受けて解放直後から大学創立のため積極的に活動してきた人であった。大学を設立する事業に本腰を入れて携わってみると、引っかかる問題が一つや二つではなかった。

庁舎は言うまでもなく、数万種類に達する教具備品なども、零から始めなければならなかった。だが、それも資金だけあればすべて解決できることであったが、教員を整えることはたやすいことではなかった。名望のある博士教授がいない大学をどうして大学だと言えようか。

数学部とか化学部、歴史学部のようなところはそれでも少し事情がよい方であったが、農学部などはただ一人の教授も招聘する方法がなく、どうしようもなかった。

そうこうするうちに、敬愛する金日成将軍の教示を受けて全国的版図から人材を捜して、桂応祥博士にも総合大学教授として招聘するとの委嘱状を送ったのであった。

しばらくした後で、桂応祥博士が越北して海州に留まっているとの消息が大学準備委員会に伝えられた。耳をぐっとそば立てた彼は、その日に夜汽車に乗って海州に行き桂応祥博士と会った。

しかし、上には上があって、そこにはすでに北朝鮮臨時人民委員会農林局蚕業処長が出てきていた。知ってみると、彼は三十八度線まで行き桂博士を迎えてお 連れし海州臨時人民委員会で歓迎宴を催し、国立中央蚕業試験場場長として仕事をするとの確約までもらっていたのだ。李ウオンソルが桂博士を連れに来たとの 話を聞いた蚕業処長は、

「ほほう、ちょっと遅かったですね。桂応祥博士先生は、我々の中央試験場事業を指導されるとおっしゃいましたよ。」というのであった。ウオンソルは、将 軍の名前で桂博士に伝達した委嘱状私本を差し示した。すると、蚕業処長もまた桂応祥博士に伝達した委嘱状私本を取りだすのであった。二人は訳が分からずお 互いに見つめあうだけであった。---

数日後、大学創立準備委員会へ出てこられた金日成同志にお会いした席で、李ウオンソルがこのような事実を話して、桂博士がいないと農学部は言うまでもなく彼に直接任せる蚕学講座の運営も困難だと報告した。

「いくら人材が足りないとしても、桂応祥博士だけは、大学に留任するよう釘をさして下さればと思います。」

「桂応祥博士は、わが国最初の蚕業研究機関である中央蚕業試験場でもいなくてはならない科学者なのです。」

このように話された金日成同志は、静かに話を続けられた。

「私の考えでは、桂応祥博士に二つの仕事を任せましよう。春、秋には、試験場で研究事業をされ大学生達の実習も指導してもらい、冬には、大学に出て教授事業をされるようにしてはどうですか。」

金日成同志の言葉を聞いてみると、その案こそ思いも寄らない妙案だと思えた。そうなれば桂博士はご苦労ではあるが、研究事業は研究事業でやりながら、教 育事業もそれはそれで実践と密接に結合させながらやれる新しい道が開かれたのであった。このようになって、それぞれ自分のことだけを考えて桂博士を自分の ところの人にしようとしていた二つの機関では、それが、両方の利害関係にも大きくふれず、むしろ大変有益なことであると満足して合意をみることとなった。 その後、李ウオンソルは、総合大学で農学部が独立した農業大学へ昇格分離して、わが国最初の農業大学の学長となった。その 時にも一部の教育者の中で桂博士を総合大学生物学部長につかせようとするきざしが見えたので、ウオンソルはさっさと新しい農業大学に蚕学部を設けて桂博士 をその学部長にと提起した。

「桂博士こそは、わが国の最初の農業博士であり唯一の蚕業科学者であるからに、蚕学部がある農大に留任するのが当然なことだと思います。」

と言って、桂応祥を元山農大蚕学学部 学部長として連れて来たのだ。しかし総合大学生物学部で遺伝学講義に桂博士を招聘する時には、喜んで保障するとの 約束をせざるを得なかった。とにかく、李学長は、このような大学者を自分の大学に連れてくるのはたいへんなこの上もない名誉と思っていたのであった。

学長は、冬の時期だけ大学に出ている桂応祥に、大学近くにある上品な別荘を、私宅として使うようにして、試験場に行っている春、夏にも家事管理人を置き 世話をするようにした。そうして、彼が大学に出る頃には、あらかじめ部屋も暖めて家の内外をこざっぱりと手入れさせたのであった。 また、彼に は何時も学生達の注意が散漫になりがちな第一時間目の講義をさけ、午前二回目の講義か午後一回目の講義をするようにした。雪が降り道の滑りやすい時には家 から講義室まで遠くでもなかったが、学生達を送って自宅で講義するようにした。このような学長が、桂応祥に講義をしに出てくるなとの手紙を出すまでには、 どんなに大きな心痛をしたであろうか、事実はこうだった。

教育省・裴副相は、李学長の教育指導であらわれた厳重な欠陥を鋭く批判した。

「---今、学長トンムは、自分が何をかばっているのか分かっているのか?桂応祥博士は、日本へ行き大学で学び、資本主義世界でも指折りのメンデル・モ ルガン主義者である田中義麿と一緒に多年間研究事業をやり、あげくのはて解放直後米軍政に属していた水原農事試験場で場長として服務したことさえある人な のだ。我々は、事実、彼が沢山の蚕原種を持って我々を訪ねてきた人だから、それらすべてを無視してきたのだが---」

「分かります。」

李学長は、彼の話を我慢強く聞こうとしたが、たまらなくなって激した語調で言った。

「メンデルが僧職に就いていたのが、彼の科学研究結果と無関係であるように、桂応祥博士が、日本や南で研究事業をしたのがそのまま彼の思想を物語るものではないでしよう。彼は、民族的志操が強くて良心的であり、幅広い知識をもつ学者なのです。」

「しかし、メンデル・モルガン主義が形式的数学的観念論と烙印された今日においては、彼が、僧職に就いていたことも問題視されるのだよ。これを見なさい。」

副相は、桂応祥の講義録のある一ページを指でぐっとめくった。

「生物界で存在するこの遺伝因子は環境の変化には本質的に依存せず、先祖から後代へ不変の形態で伝達される。---これは、結局、何の話なのだ。ここに どんな絹風呂敷をひろげてみても、これは、不滅の霊魂を主張する神学学説の生物学的変種以外の何ものでもないことを、如実に物語っているではないか。高等 人種は、永遠に弱小民族を治める使命を持ってこの世に出てきたと言うのだろう。考えてみなさい。それで我々が、悪辣な日帝の奴等に少し民族的蔑視を受けた と言うのかい?此奴らの足下で呻吟した三十六年間が、短かったと考えられると言うのかね。」

李学長は気勢をそがれて言い返せなかった。それは、彼の力では解けないあまりにもものものしい問題だったのだ。そう言えば、あの大国で、学者達数百名が 大論争を展開した結果、最終的に結末をつけた問題ではないか。限られた彼の知識を持ってしては、どうしてそんな問題に反旗を翻すことができようか。

だが、李学長にはどうしても桂応祥を日帝に追従した科学者とは思えなかった。桂博士は、それこそ精錬と潔白の象徴だと言える純潔な人なのだ。まだ弁解が 何たるやを知らない幼年期の子供だけに見受けられる、そんな正直な性格を晩年になった今日までもそっくりそのまま持っている、非常にまれな性格の持主なの だ。ところがどうして彼を?!

3

夜中に雪がどっさり降った。道には膝が抜けるほど雪がうんと降り積もっていた。応祥は、ポソンを履いたコムシンを雪道に黙々と浸けて大学正門へ入った。 彼は本館二階にある蚕学部教員室に上がって行った。若い教員達は前とは違って特別に丁寧に立って挨拶をして、本棚ですら音を立てないように取り扱い、息を ひそめているのだった。応祥は気難しい表情をして、誰にともなく尋ねた。

「蚕解剖生理学は誰が講義をするのか?」

「しません。」

「家蚕学は?」

「---」

「遺伝学は?」

「---」

教員達は、お互いに見つめ合ってため息をつくのだった。応祥は外へ出た。廊下を音も立てずに歩いた。がやがやしており、最初の時間から自習をしている教 室が少なくなかった。彼が担当していた蚕学部で主要科目だと言える科目がことごとく抜け落ちたので、蚕学の将来を担わねばならぬこの人達の運命はどうなる ことか。桂応祥の目からは閃光のようなものがぴかっと光った。彼は、急いで教員室へ立ち返り、トウルマギを脱いで服掛けに引っかけて決然と廊下を歩いて 行った。教員達の中で騒ぎ立てる音が起こった。彼の背後で、忙しく走る音が聞こえた。彼は、下級学年教室前を過ぎ上級学年学生達が入っている最後の教室へ にゅっと入って行った。教室は騒がしかった。鼻が尖った学生が教卓の前に出てなにやら笑い話をしていた。しっしっと言う声で学生達はあわただしく席を整頓 し、教卓の前の鼻トンガリも首をすくめて自分の席へ走っていった。応祥は、これらすべてを見なかった如く教卓の前に歩いていった。学生達は、注意深く応祥 の挙動だけを探っていた。耳ががんがんするかのように静まりかえった。応祥は、白墨をとり黒板に題目を大きく書いた。

「蚕繭色の遺伝について。」

そして、演壇の両角をぐっと握って教室を見回した。ところが、驚いたことに、ノートを開いて講義題目を書く学生が一人も目に付かなかった。 「どうしたことか?」

「---」

応祥は、最後列に座っている学級長崔弼浩に尋ねた。

「本当のことを言ってみなさい。」

「先生!」

席から立った崔弼浩がこのように話しかけたが、すぐに次の言葉を続けられなかった。前列に座っていた鼻が尖った多血質の青年が、唇をしきりに噛みながら桂博士を真っ向からじっと見ていて、急に立ち上がって言った。

「実は先生の講義が間違っているとして、すでに書き記したノートまで、始末せよとの指示がありました。それに、その後、先生の講義に対する訂正講義までありました。」

桂応祥の顔色が真っ青になった。彼は、込み上がってくる激憤を抑えられず、学生達を見回した。人の息をする音だけが張りつまった教室の空気を揺り動かしていた。

応祥は沈痛な声で話した。

「講義はやめておきます。しかし、名実ともに真理を体得するためにここに集まった学生達は、はっきり知らねばならない。

水は上から下へ流れていきます。人間が人工的な力を加えないかぎり---これはどうすることもでき ない自然の法則なのです。豆を植えたところには豆が芽を出し、小豆は芽を出さないのです。---」

彼は、激した気持ちで熱弁を振るいだしたが、すぐそうするのをやめて教室を出た。

「先生。」背中の方から震えた声が響いてきた。

後ろについて教室を出た崔弼浩学生が、涙ぐんで言った。

「私が休みに蚕業試験場へ行ったのは---」

「みんな分かっている。桂博士の研究事業が真実か嘘かを人知れず確認しようとした。こうなのだろう!」

桂応祥が先に言った。

崔弼浩は、顔をさっと赤らめて話を続けようとしたが、桂博士が腕を上げて止めた。

「私は気を悪くしていない。真理を探究する青年達の中でしばしばありうることだ。どうか、これからも私の講義内容を仇の如く無慈悲に検討して鞭撻してもらいたい。」

話を終えた桂応祥はさっと振り返った。

「先生!」崔弼浩はまたもや誠意を尽くした語調で呼んだ。「私は江原道内蚕業農家も回って来ました。」

「それで」

「中央蚕業取締所で先生の研究方法が有害な結果をもたらしていると例証したそれは、完全に虚偽だということを明らかにしました。」

興奮し激した崔弼浩は、激情に駆られ話した。

「君が?驚いたなあ。しかし、一度の現地調査で早急に結論を下すのは真の科学者の態度ではないのだ。そうすることが私を助けることではない。十度二十度 反復実験をやって得られた結果だとしても、それに反対の見解を持っている人々も認定せざるを得ない、そんな完全無欠な結果を得る前には、むやみに結論を下 ろさないのが科学研究事業というものだ。」

話を終えた桂応祥はこれ以上後ろを振り向かず、長い廊下の真ん中をゆっくり歩いて行った。崔弼浩は、深く感動した熱い視線で老教授の後ろ姿をずっと眺めていた。

桂応祥は、真っ直ぐ学長室へ行ったのだが、そこで学長と一緒に、省指導グループが入っていた向かいの部屋へ行った。

裴雲權と向かい合った桂応祥が鋭く問いつめた。

「貴方は、厳然たる自然の理知を大学生達に教えられなくした。こんな前例のない暴挙に対して、時代と歴史の前で責任をとれますか?こうすることによって 春雨にあった新芽のように真新しく芽を出した新朝鮮の農業科学を残酷に踏みつぶしてしまうのを知っているというのですか。-----

私は、絶対に、新民主朝鮮の農業科学の首を絞め殺そうとするあなた方の野蛮な行動を許さない。平壌へ行って敬愛する金日成同志に、この事実を話します。将軍の結論が出される前には、私の講義を中断させられないということです。」

火を吐くような桂応祥の熱弁にグループ成員達は慌ててしまって、どうすることもできなかった。 「詭弁を弄することをやめよ?」

教育省副相が急に席を立って、べらぼうに大きい声を出した。彼は『自然』特集号を片手でもって応祥の鼻先につきつけ、やたらに振り回した。

「貴方もこれを見たでしよう?いくら桂博士が傲岸不遜だとしても、このすべてを全面拒否できようか?貴方の論拠の通りするならば、そこではみな馬鹿者だけが集まって科学院総会をやったと思っているのか?

貴方の講義を中断させたことについては、私が、すべて責任をとります。そして、あらかじめ言っておくが、明日直ちに学生達から貴方の講義を受けたノート を全部回収します。その代わり貴方は、数百名の学生達の前で、いや、党と国家の信任を利用して農林水産局学報を通じて公然と遺伝学理論を宣伝し数多くの科 学徒をもてあそんだことについて、全面的に責任をとらねばなるまい。」

教育副相裴雲權が、ぴんぴん響く声でとがめ立てた。しばらくの間部屋の中は空白状態になって、グループ成員達も桂応祥も身じろぎもせずじっとしていた。 時が過ぎ、静まり返ってしまい、人の呼吸する音すら聞こえるほどになったとき、教育副相が、一枚の紙を桂応祥の前へ差し出した。

「折り悪しき席ではあるが、真実を貴重に思われる先生なのだから、明らかにしなくてはなるまい。貴方は、学部長の職責から解任されましたよ。」

桂応祥は、裴副相が差し出した紙をつまんだ。それは教育省令で発給された解任通知書であった。

側に座っていた李学長が、長い手を伸ばしてかすめ取るようにその解任状をつまんで、大きな体躯を振って話した。

「桂応祥博士先生は、金日成同志が自ら南半部へ人を派遣されてわが大学教授に、国立中央蚕業試験場場長に任命された人であるから、金日成同志以外には、誰一人彼を解任する権限がないと思う。私はこの解任状を認めることは出来ません。」

李学長は解任状をばりばり破いて、グループ責任者の前へ投げ捨てた。

大きな体躯の李学長が、命がけで向かうと、部屋の雰囲気は険悪になった。

「敢えて誰の前で、拳を突き出しているのか?うん?」

丈夫な体躯で、目じりがはっきりしない裴雲權のやや長い目が、ますます細くなった。

桂応祥が立ち上がった。李ウオンソル学長も次いで身体を起こした。

外に出た桂応祥は、李学長と黙礼を交わして、とぼとぼ校庭を経て大学正門を抜け出て行った。

4

桂応祥が自分の私宅へ帰ると、意外にも、彼の書斎には韓樹民教授が一足先に来て待っていた。

部屋の中は煙草の煙が白く満ちており、韓樹民の手には、自然に燃える煙草が煙を吐き出していた。

彼は、どんな考えに没頭していたのか、桂応祥が部屋に入ったのもさっぱり気付かなかったほどだ。毛皮の外套に毛皮の帽子のまま部屋の床に座り込んで、肩 をだらりと下げ焦点の合わない視線を床へ落としていた韓樹民は、息を深く吸い込んで「ふうー」と吐き出した。 窓際に立っている 応祥をちらっと見て、分かっているのかどうか頭を振るだけであった。

樹民は灰皿を前に置いて畳の上で座っており、応祥は机の下にあった椅子を引き出して普段と変わらぬ姿勢で座っていた。

息が詰まるような重い沈黙が長い間こもっていた。

「これを見て欲しい。」

韓樹民が外套のポケットから、くるくる巻いたノートを一冊取りだして置いた。

「君のためにわざわざ手間を掛けて、図書館で入手した外国雑誌などから、選び出し整理したものだよ。」

応祥は、韓樹民が自分の方に差し出したノートをまじまじと見下ろした。

「そこへ置きなさい。おいおい見ましょう。」

「友達の最後の頼みになるかも分からないから、今見て欲しい。」

「友達?」

「そうだよ。他の人達はみんな、君を到底どうすることもできない梃子でも動かぬ意地っ張りとみなして突き放してしまったよ。この前も私が君を訪ねてみる と言うと、ある人が何と言ったのか分かるかい。〈無益なことをやめなさい。いくら言っても馬の耳に念仏の類よ。そんな人は死ぬまで自分の見解を放棄しない のだ。〉と言うのだ。すると、その側に座っていた他の人が〈茨の藪は切っても無くならず、蘭の花は植えても増えず---〉という詩句を吟じるではないか。

今や、君を、我々とは違う道を行く人だと見る人さえいるのだ。

しかし私は君をそんな風に見ることは出来ない。いや、有益で効用がある仕事がいくらでもできると思っているのだ。」

韓樹民は、深刻な表情をするときは何時もするように、眼差しをさっと伏し目にして懺悔僧のような態度で応祥の返答を待っているのだった。

「それならば君は無駄足を踏んでいるね。卵で岩を割ろうというようなものだ。それほど私は、どうしょうもない人間なのだから。」

桂応祥は鋭く返事した。

彼は家まで来て自分が苦しめられるなんて、まさか思いもしなかったのであろう。

「そうだと思った。何やかやと、生物学界で二十余年一緒に仕事してきて、私も君がどんな人間であるかはよく知っているつもりだ。しかし、私は最後に君に 心からお願いする。いや、私の言うとおりすることを強く要求する。君がこのままやっていくと完全に滅びてしまう。おしまいになってしまう。うん。事態がと てつもなくものものしくなっていることを、少し分からねばなるまい。---」

韓樹民は、本当に涙を流して哀切に訴えた。

「本当にどうしようもない強情っ張りだ。君は乾いた枯れ枝のような、足で踏めばぽきんと音を出して折れるしかない、そんな人間なのだ。しかし、柳の枝を見れば---」

「やめよ。」

「いや、私は絶対にやめない。今日は君に降参してもらうまで帰らないつもりだ。これを見よ。これはどんなに恐ろしいことか、うん。」

彼はこれ以上堪えられず、差し出したノートをかすめ取るようにつまみ取り、ぱらぱらっと音が出るように表紙をめくった。

「今や、世界生物学界は、ソ連が出版した『農業科学院総会会議録』を持って耳が痛くなるほどやかましく騒ぎ立てている。特に、西方世界では有名な科学者達さえ面目を失い、反ソ宣伝に熱を上げているようだ。君もそれに荷担しようというのか?!」

韓樹民は、西方の生物学者達の中で、桂応祥がよく知っていると思われる学者達がルイセンコ学説を非難した内容だけを選んで読んでいった。

「我先にと競って行われたこの非難戦は一つの戦争を彷彿させた。この極めてひどい熱戦の先頭には、君が紙上を通じてよく知っているトブジャンスキ教授、 ミュルロ教授、細胞学者ジャス、集団遺伝学の権威ライト教授たちが含まれている。この学者達はひとかけらの理解も示さないで、我先に反ルイセンコの旗をな びかせている。また米国で反ルイセンコ宣伝がどんなに敵意に満ちたものなのかは、米国遺伝学界の機関誌『遺伝学雑誌』主筆クックの文章を見ればよく分かる だろう。苦しいことであろうが、事実を大切に思う君には無益なことではないと思う。」

韓樹民は声を低くしたが、迫力があり深くしみわたる落ち着いた声で資料を読んでいった。

桂応祥はごわごわした顎髭をなで下ろしながら目を閉じていた。

---クックは、一九四八年夏、ソ連の農業科学院総会を《妖魔の集会》だと非難した。この会合はルイセンコにとって栄誉が授けられた日であった。

総会でした彼の演説と結論が会議の全部をなしている。

---韓樹民は瞬き一つしないで、クックの述べた 毒針の刺さった敵意のこもった内容を最後まで伝えて続けた。

「次は英国での反響を聞いてみよう。英国で一九四七年出版されたオーストラリアのヤシュビのソ連の科学についての本は、ヨーロッパの反ルイセンコ主義者達がよく引用するから、彼の話を聞くことも必要だと思う。」

目じりを下にさっと下げた韓樹民は、執拗なまで根気強く西方の声を読み下していくのだった。

何のために、樹民は、西の生物学雑誌に掲載されているこれらの文章をきちょうめんに選び出して彼の頭の中へ入れようとしているのか。

彼は、応祥の反ルイセンコ的立場が西の批評家達のそれと同じだということをこんな方法で強調することによって、これ以上無謀な強情っ張りをやめよと警告 しているのだろうか。いや、自分の微妙な立場をこんな巧妙な看板の裏に隠して、ソ連生物学界で起こっている非正常的な事態を所謂《第三者》の立場で神秘の オブラートに包んで強調することによって、他の側面ではあるが先の警告と一脈相通ずる危険を感じて、世渡りの身の処し方をうまくやれと教え悟らせようとい うのだろうか?

そうでなければ、わが国の学界で起こっているこんな粗暴な波動もまた、世界生物学界で吹き荒れている暴風雨の余波なのだと、そう見れば、桂応祥の問題はその巨大なうねりに押された砂粒のように取るに足らないことなのを耳打ちしてくれているのかも?

ともかく、桂応祥の心は朦朧としていて錯綜とした晴れることのない霧の中に沈潜してしまった。

彼は、自分が貧乏な農家出身であるからそうなのかも知れないが、共産主義者達が労働者、農民、知識人達のための公正な社会を建設するため犠牲的闘争を行っていることについては、常に同情心を持って対してきた。

そんなことで、世界の最初の社会主義国家であるソ連に対しても、何時も好意を持って対してきた。

ところが、問題のその『会議録』を見れば、確実にソ連生物学界で一部の科学者達が過ちを犯していることは間違いない。

農業生物学をルイセンコのような狂人の手に委ねれば、将来挽回できない大きな損失をもたらすのではないか。応祥は、この点が、何よりも先に心配でならなかった。

ところで、新生ソ連の前進途上で一つの弱点が現れたといって、この時だと歓声を上げて反ソ宣伝に熱を上げるのは悪漢達だけがやる行動ではないか。

発展の一路を辿る新しい制度の淀まない気勢と威力に怖れて腹が痛くなるような奴等だけが、その一つをもって我先に《ソ連で科学の滅亡》(米国ペンシルバ ニア大学のジャックリが書いた本)、《モスクワが時間を逆に回した。》(英国の科学者デイビスが書いた本)と叫び立て、この機会に反共宣伝に熱を上げてい るのではないか。

それでも、彼が、嫌悪感を抱かせる韓樹民のねばり強い話に耳を傾けるのは何のためか。

ひそやかではあるが、氷のように冷ややかで骨の髄までしみこむような韓樹民の話は、限りなく続いた。

応祥は、樹民のねばり強い話に身震いしながらもそのままそれに耳を傾けるのは、彼が非常に知りたいルイセンコに対するそれなりの分析がなされているからなのか、いや、他の何らかの理由のためなのか、彼自身も訳が分からなかった。

応祥は、嫌気がさしてもう聞くのをやめたが、韓樹民は、BBC放送(英国放送協会)が新遺伝学を批評した資料まで詳しく話し聞かせて付け加えた。「率直に言って、私もまたメンデルの法則を全面的に有害なものとは見ていない。

しかし、君を納得させるためには、敵の言葉も必要だと思って、このように手を尽くして集めてきたのだよ。今、君の運命は風前の灯なのだよ。お前さん。」

樹民は応祥の手首をつかんで、声を低めてお願いするようにささやいた。

「どうか私の話を聞いて欲しい。私は、これ以上君を放っておけなくて訪ねてきたのだ。今からでも頭を下げるふりをしてみては。生き残る者が、勝者ということだ。」

応祥は、湿っぽい樹民の手を振りほどいて、ぱっと立ち上がって大声で言った。

「卑劣な人だ。さっさと引き下がれ。出て行け。」

樹民は、唖然として目を見開いた。

真心を込めて長い間説伏させようと話して、とどのつまり、こんな仕打ちを受けるとは、とても思いも寄らなかったかの如く、

彼は、突然身体を起こして腕を振り回した。

「さあ、壁を戸と思って押し出せ。走っている機関車の前に身体を放り出してみよ。あー」

樹民は震え声でうめくようにくどくど言って、よろよろと外へ出ていった。

戸を閉める音がして部屋の中が静まり返って初めて、応祥は、ほっと安心するのだった。

樹民は、彼の運命に対して誰よりも深くおもんぱかってきたと自称してきた人だ。

それなりにそれは真心からのことであったことは疑いのない事実であろう。

しかし、それはどうしてなのか、あからさまな敵よりもそれ以上致命的な打撃を与え、彼を苦しめる結果にしかならないのであった。

樹民は絶交を宣布するかの如くして彼の側を離れていったが、少しも惜しいとの思いはしなかった。

そうなってみれば、彼等は長い間一緒に仕事してきたが、心はすでに以前からきっぱりと切れていたようなものであったのだろう。応祥は、妻が夕食を取れと何度も言いに来たが、両手で頭を抱え込んだまま動こうとしなかった。

彼の頭には、知らぬ間に、水原農事試験場の安相吉と韓樹民が交互に思い浮かぶのだった。 安相吉は、心のうちをさらけだして桂応祥を裏切った醜悪な人間 であった。しかし韓樹民は、応祥の立場を深く理解して同情を示しもして、必要ならば私心のない援助も惜しまない友達であった。

しかし、彼等二人の差異はそれだけであって、応祥に自分の志操を投げ捨てよと要求する面では、その仕打ちもその心情も大して変わらず、どっちもどっちではないか。

むしろ安相吉は姿を現して敵方に荷担して桂応祥を攻撃したので、そんなに恐ろしい敵だとは思えなかった。

しかし、韓樹民は、友達のように振る舞いながら心のうちに入り込み少しずつ浸食して彼の志操を全部ひっくり返そうとしたという点で、もっと《狡猾で》危険な敵ではなかったのか。破廉恥な奴と利口な奴は、暴力という黒い腹の中から出てきた双子なのだ。

5

桂応祥を解任した日の夕方、大学では意外な一つの事件が発生した。

教育省指導グループは、各学級に桂応祥教授から受けた遺伝学講義ノートを回収して来いとの指示を下ろしたのだが、蚕学科二学年では、学級長崔弼浩がこれを断固として拒否したというのだ。

教務副学長は、指導グループ責任者裴雲權ノ電話を受けて初めてこのような事実があったことを知った。

受話器を下ろした彼は、すっかり眉間に皺を寄せた。昨日、市場の日だと、彼の家には弼浩の父即ち彼自身の兄が、大学で勉強している息子とも会って元山見物も兼ね訪ねてきていたのだ。

しかるに、一体これは何という様なのだ。

大学に入学して、三つの願い、学びたい海を見たい、都会見物したい、全部出来たとあんなにも喜んでいた甥ではないか。

それはそれとして、代々焼畑農業しか知らなかった家から、最初の大学生が出たと千里の道も遠いとせずに訪ねてきた兄に、何と話をすればよいのか?

彼は、どうなってこんな事態が起こったのか分からないと頭を振った。

明くる日の午後三時頃であった。

大学総合講義室では、学部教職員学生全員が参加した中で研究討論会がもたれた。

名称は研究討論会とつけられたが、内容は深刻な思想闘争であった。主席団には裴副相を初めとする教育省指導グループ成員達がずらりと座っており、李学長も深刻な表情をして片側に座っていた。

最初に、主席団真ん中に座った裴副相が、最近二年間農学部で『反動学説』をおおっぴらに講義した内容を具体的な資料を上げて指摘し、その後遺症として、学生達の中に現れた不純な傾向を暴露した。

その代表的な実例として挙げられた人物が、他でもない崔弼浩だった。最初の討論者として弼浩学生が指名された。

後ろの席から立って演壇の前に歩いてきた彼は、意外にも決意堅く、覚悟を決めた気勢であった。

場内は、がやがやする声が起こった。

しかし、本当に演壇の前に出て総合講義室にいっぱい集まった教職員学生達を見下ろした弼浩は、ことがうまく運ばなくなったと感じたように急に立ちすくんだが、すぐに頭を高く上げた。

彼は、大学学報に発表された『二つの遺伝学についての論議』を読んだときから、自分が受けた遺伝学講義に深刻な問題があることが分かって驚いた、という話から始めた。

「とんでもなく無謀な行動と思われるかも知らないが、私は、この時から私なりに桂応祥博士先生の学問をこっそり検討してみようと決心したのです。

それで、誰よりも意識的に彼の講義を沢山聴き、彼が組織する実習にも熱心に参加しました。---

しかし、いくら鋭い目つきで桂応祥先生の実験教授過程を調べてみても、有害なことを探してみたが探し出せませんでした。---」

場内から騒がしい声がだんだん高くなった。

「議長先生!」

一人の学生がにゅっと手を挙げた。

会議を仕切っている指導グループ成員が彼に発言権を与えると、席からさっと立った骨格が太く背が高い大学生が、太くて深みのある声で言った。

「崔弼浩学生はまだ正気になっていなくて、うわごとを言っています。一体、この会議をどこへ引っ張っていこうとするのですか。討論会の趣旨をはっきり知って発言することを要求します。」

「そうだ。」

「立場をはっきり明らかにせよ。」

「発言を中止させないで、最後まで聞こう。」

血気盛んな大学生達が、各自ひとことずつ大声で話すので、場内が騒々しくなった。

光った眼差しで講堂の一方の壁をじっとにらみつけた崔弼浩は、場内が急に静まり返るや、洋服の前の裾をはだけて内衣をさっとかき揚げた。

「さあ、見よ。」

真っ赤な彼の胸には、新しく裂いた傷跡が気味悪く現れていた。

弼浩は震え声で叫んだ。

「私は、土地改革の時、反動の奴等と闘って血も流したし、死線も一度や二度も経てきた者だ。」

「弼浩学生。」

指導グループ責任者が鋭く叱った。

「ここはトンムの昔の業績を自慢する場所ではないのだ。」

しかし崔弼浩は、主席団の方へは視線も向けないで堂々と言い放った。

「分かっています。わたしも一文の値打ちもないわたしの昔の生活をもって、今日の過ちを贖罪させようとこの席に出てきたのではありません。

ただ、私は、鼓動する心臓がどきどき打つまま、真実だけを吐き出したいとこうしているのです。」

少し話を切ったが、弼浩は力をこめて続けた。

「夏休みになると、トンム達がみんな選挙宣伝隊として故郷へ出掛ける時、私もみんなについて行きたかった。だけれど、私はどうしても国立中央蚕業試験場 でやっている事業を私の目で確認してみたかったのです。(いや、絶対にそうではないはずだ。 講義室でとか小さな実験室では、桂応祥先生が我々をだませて も、共和国を代表する全国家的な蚕業研究機関では絶対にそんなことは出来ないだろう。今度こそは私は、何にも汚染されていない民主朝鮮大学生の清新な目 で、その危険な朝鮮のメンデル・モルガン主義巣窟の正体を暴き立てよう。)こんな決心をして、車輦洞試験場を訪ねました。私が最初に入ったところは蚕解剖 生理室でありました。」

いつの間にか、場内は、春の朝方の湖畔のように静かになった。一つの小さな石が小川の流れを巻き返すように、思いがけなく討論会の雰囲気が変わってい た。人が笑うと言ってつられて笑い、また笑って腰が抜ける位になってはじめて、どうして笑ったのかを考え出すという嘆かわしい寓話の主人公のようにはなら なくて、弼浩学生のように自分の目で真理を明らかにするのが当然なことだと感じたのであろう。

事実はそうではないのか。ここには、桂応祥博士の講義を受けなかった学生はただの一人もいないと言っても言いすぎではないのだ。しかし、彼等は誰も皆、 同じく彼の実際の仕事を持って論議するよりも前に、誰かが桂博士の理論が『反動学説』だとした話だけを聞いて、そうなのかなあと、とにかくわあわあと騒ぎ 立ててきたのであった。

彼の学説が『反動的』だということが間違いなく確かなことならば、ザルの中の錐のようにいくら隠しても隠し通せず、必ずどこかで凶相をあらわにしてしまうのではないか。

このように、彼等は、虚空に浮かぶ既成観念からぴたっと離れて、現実的に思考しはじめたのであろう。

各自の頭脳が猛烈に活動を開始した。

このように思考方向を向けるや、彼等はすぐさま驚くべき事実を発見した。すでに二年間、桂応祥博士の所謂『反動学説』の講義を受けた大学生達も、いくら頭を絞って考えてみても、害毒的なものを捜し出せないのだった。

桂応祥博士の思想をメンデル・モルガンの学説と同一視してきたのだが、講義内容を体系的に整理してみると、最初から最後まで彼自身が一生の間扱ってきた蚕から採りだした理論であった。

しかるに、どうしてその理論をとにかく反動学説だときめつけるのか。彼の講義を年中受けてきた大学生達も反動になったのではなくて、将来その興味ある理 論や実験方法を活用すれば必ず意義ある生物体を育種できるだろうとの信念が堅くなって行くだけであった。崔弼浩の討論から、このような深い意味を感じ取っ たというよりも心臓で体得した大部分の大学生達は、心を正して耳を傾けた。

主席団の真ん中に座って討論会参加者達を見下ろしていた省指導グループ責任者裴副相も、討論会雰囲気が急変したことを気づかざるを得なかった。

「静かに」広げた両手で自重せよと素振りをして見せた彼は、重みのある声で話した。

「今、世界生物学界では、新遺伝学と旧遺伝学との間で熾烈な闘争が行われています。

その闘争がどんな幅と深度を持って深刻に行われているのかは、去る8月発表された『自然』雑誌特刊号に掲載された会議録一つだけを持ってしても、充分に 理解できてあまりあります。今日、我々がここで行っている討論会も、その幅広い闘争の一環だということをはっきり知らねばなりません。---」

裴副相が適時に会議の流れを目的通りの方向へ戻そうとしたが、いったん方向を変えた川の流れを、どうすることもできなかった。

激動して興奮した崔弼浩は、熱を上げて試験場で自分が見て感じたことを隠すことなく話した。

「私は、総合大学創立一周年記念大会の年である一昨年の秋、英明な金日成将軍がわが大学生達に、トンム達は他でもない朝鮮の農業をもっとよくやり朝鮮の 工業をより一層発展させるため自分の手で富強なるわが祖国を建設しなければならないとされた言葉が、実際的に具現されている現実を、そこで見ました。 ---」

崔弼浩は、試験場原種部で桂応祥博士が海外から持ってきた百数十種の蚕品種と一緒に、南北朝鮮至る所で収集した百余種の蚕品種を純粋の品種に分離している素晴らしい光景を、生き生きと話して続けて言った。

「蚕繭色彩別、模様別、卵の色と蚕の身体の色は勿論、生活習性別に分けられて、原種の特性をそっくりそのまま保存するようにした、桂応祥先生が着眼し た、わが国だけがやっている独特な交雑法を見るや、私は彼の研究方法を検討しなければならないとの考えをすっかり忘れて、むしろそれに心酔してしまったの であります。---しかし、これは始まりに過ぎなかったのです。

完全に純種に分離された蚕でもって数百数千の交雑を行い、各様各色に分離されて出てくる蚕を、二階建ての新しく立てられた蚕室の数十個の部屋に棚をこしらえ数万個の蚕箔ごとに別々に育てているのを見て、ますますそれに魅入られてしまいました。

---私は、トンム達も、わが学部長先生が運営されている国立蚕業試験場に行ってみて、桂応祥博士先生が反動なのか、愛国者なのかを論じてもらいたいのです。---」

このようになって、指導グループ成員達はあっけにとられたが、どうすることもできなかった。騒がしかった場内から大学生達がにゅっと次々、立ち上がった。

「私は桂応祥学部長先生に『家蚕学』と『蚕解剖生理学』を二年にわたって学んだがそれがどうして有害なのかをさっぱり分かりません。」

「私も同感です。一言でいうと桂応祥教授先生の学問は絹繭を科学的に創ることだと言っても誤りではないと思うのです。

これこそは唯物弁証法の見地から見ても唯物論であり唯心論ではないと思います。」

一方で大学生達が、先を争って立ちこのように立て続けに発言するや、他の輩の大学生達が、激憤して震え声で叫び立てた。

「あなた達は、到底責任をとれない無責任な発言をしているのだ。これこそが、人民のための新しい民族幹部を養成する大学で到底受け入れられない詭弁なのだ。」

しかし、討論会は目的したこととは違って意外な事態を引き起こして完全に破綻したのと同じようになってしまった。討論会が終わるや、教務副学長は崔弼浩を主席団休憩室の片隅に呼び出した。

彼は非常に怒って、指導グループ責任者が側に近づいたのも知らないで、弼浩をごく近くに直立させた。

「お前が、どんなことをしでかしたのか分かるのか。お前は、上級機関で組織した重大な討論会を破綻させた張本人なのだということだ。」

「討論をせよと言ったから、私は事実を話しただけです。そう自己批判をやれと言われて、ない罪をつくって自白をすれば正しいのですか?」

崔弼浩は頭を上げて堂々と応えた。この時突然、教育省副相が彼等の対話に割り込んだ。

「自分がどんな不純な学説に汚染されているのかさえ識別できない人をどうして党員大学生だとできよう?

学長トンム!

重要な政治集会を破綻させたこんな人を我々は寛大に受け入れられない。直ちに退学させなさい。」

崔弼浩の丸い顔が真っ青になった。

教務副学長は奥歯をぐっと噛んで一言半句も言わなかった。

次の日、大学正門掲示板には省指導グループ名義で崔弼浩学生を退学させるとの公示が張られた。

薄暗い徳源駅構内には、冷たい風が吹いていた。

「けっ_」

旅客列車が怒った音を出して停車場へ入ってきていた。

全身がこちこちに凍えた学長は応祥の手を両手で握りしめて震え声で話した。

「あんまり心配されないよう。

そうだから、研究事業でもっと大きな成果を上げて下さい。私も近い内に平壌へ行き将軍にお会いして、ここの事情をありのままお話してみます。」

「必ずそうして下さい。」

李ウオンスル学長の大きな手をしっかり握って離さない桂応祥のやや長めの顔には心配でたまらぬ必死の思いが見受けられた。

続けさまに裂かれた音を出した機関車が「ちっちっぽっぽっ」気勢よく駅構内を抜け出ていた。

桂博士は車窓の側に石像のように身動きもしないで座っていた。ときたま懐中時計を見下ろして、息が切れるような蒸気機関車の呼吸音に耳を澄ませて聞く彼の頬は、痙攣が起きたように震えていた。

思いがけない災変のために中止された講義や不当に退学された崔弼浩のことなど、どうにかして追い払おうとしても、しつこくつきまとう錯雑な思いで心のうちは火が燃えているようだった。

予期しない時期に、失ってしまった時間が惜しかった。