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第 三 章 金日成将軍との会見

メコルに住む小姑の家の一間に居ついた桂応祥の妻子達は、気兼ねし縮まって、今日か明日にも夫から消息が来ることだけをひたすら待っていたのだ。応祥の妻は、世の中がどのように動くのか全然分からず途方に暮れていた。

近所の人々が話してくれたことには、村では彼の家の土地を没収するに当たって意見が入り乱れて騒がしかったそうである。しかし、南に行って来た人が皆、桂応祥は米軍政傘下の水原農事試験場場長に出世して、そこに居座るらしいと言うのだった。

「試験場が持っている土地だけでも何十町歩なのか分からないほどだそうな。だから、大地主以上の土地を持っているのと同じだ。」

「米軍政直属機関の責任者になってタクシーを乗りまわしているので、普通の人は側にも寄れないそうな。」

入れ替わり立ち替わり人が訪ねてきて内密にだと話していくことは、正確なところ何なのか見極めがたかったのだが、村の人達は皆、彼が敵機関で働いていることだけは間違いないようだと思ったのだ。それで、桂応祥を親米分子として彼の土地を没収してしまった。

村の人達は稲刈りの仕上げをするのに忙しく立ち働いていた。

「うえんうえん_」

足踏み脱穀機の音が、家々ごとに順番に響きわたり、興趣を増した。

応祥の妻 徳女は、手拭いを姉さんかぶりして小姑の田に出て、刈り取った稲束をチゲ(荷物をのせる背負い子)で運んだ。

「くんちぇん くんちぇくん くんちぇん くんちぇくん_」

村の真ん中では、農楽の繰り返し飛びはね回る音が軽やかに響いてきた。

徳女は、軒下に立て掛けた格子に稲束を一握り掛けて置いて力をこめて穂をこいでいた。 気が抜けた人のように仕事していた彼女が、不意に稲束を格子に掛けて置いたまま、突き出たまなざしで遠い空の果てを見つめていた。

メコルの人達は皆、彼女の家のことが噂になると何と言ってよいのか当惑した。

そうこうするうちに、

「あの家では冬が間近にやってくるというのに、小姑の家にそのまま厄介になるのかしら。」

と一言心配するのがせいぜいのところであった。

夜のうちに淡い初霜が白く下りて、井戸端には初めて薄氷が張った。

いつも青青していた井戸端のしだれ柳も、夜中に元気なく打ちしおれた。太陽の光が広がると、家々では白菜を出して準備していた。

今年には例年になく白菜と大根が豊富によく育った。食糧が充分に蓄えられた農家では、キムジャン(越冬用の漬け物)のうま味をよくしょうとシオカラ漬け や調味料を買って置いて唐辛子薬味づくりで大変忙しかった。ふくよかで見栄えがするフクベを摘み取ろうと、屋根に上がっていた甥っ子が、額の上で手をかざ して大通りを見て、おじけた声を出した。

「叔母さん、わが家に見知らぬ洋服を着た男が来るよ。」

「通りすぎる旅人でしょう。早く針で突いてみて、堅いフクベから摘み取りもってきておくれ。」

徳女が気乗りしないで催促した。

「違うったら。真っ直ぐにうちの家の方へ、来るよ。」

甥っ子は、身体を縮ませて、カニ歩きで屋根から這って下りてきた。門の隙間から外を眺めた徳女と末娘や藁靴を引きずって部屋から走り出た小姑は、驚いて 顔が青くなった。黒色の洋服に栗色のスプリングコートを着た桂応祥が、真っ昼間に、大通りを堂々とこっちの方へ歩いてくるのであった。

家族達は息をひそめたまま、庭に走り出て迎え出ようともしなかった。桂応祥が戸をすっかり開けて土間に入ってきた後になって初めて、妹が目を大きく見開いてこっそり尋ねた。

「兄さん、真っ昼間にこのように訪ねてきても何ともないの?」

「ほほ、どうして、こんなに驚くのか。」

桂応祥は家族達を見回してからから笑った。

その時やっと多少安心した家族は、応祥を先頭に部屋へ入った。しかし、まだ彼がこのように現れたのが信じられないかのように。乾ききった唾をごくりと飲み込んで茫然と見つめていた。

「ここでは、貴方が南朝鮮で高官になって大いばりでジープ を乗り回していると噂がぱっと広がったのよ。」

妻がチョゴリのひもをきれいになでつけながら話をきりだした。

「それで、怖くてどうしたらいいのか分からないのだよ。」

妹が低い声でつけ加えた。

「実のところ、南で役人になったことはなった。だけど、北に入ってきてすでに半月ほど近く経っているよ。」

「なんとそれは。それではすっかり北に帰ってきたの?」

妹がせき込んで尋ねた。

「そうなった。私は今、平壌に家まで確保した。家内と末娘は、明日一緒に平壌へ行こう。」

「そんなに早く?」

「そうだ。」

応祥はうなずいた。

この時、この家の庭に沢山の人が集まってきてざわめいていた。その中に腕に「自衛隊」腕章をして九・九式歩兵銃を肩に掛けた若者も二、三名駆けつけてい た。村の入口で桂応祥をちらっと見た人の中の誰かが、あわてて自衛隊事務室へ走って行きソウルへ行っていた米国の手先が村に現れたとわめきたてたので、急 いで走ってきたのであった。

血気にはやった自衛隊員が門に近づいて家の中の動静を見極め、断固たる決心をして拳で戸をたたいた。

この時、頬骨のもりあがった顔が扁平な細胞委員長が息せき切ってこっちへ走って来た。

彼はかなり遠くから切羽詰まって叫んだ。

「静かに、そこにちょっと立ちどまれ。」

自衛隊員は勿論、後ろの中腰で立っていた人々も、どうしたのかと歩みをとめた。あえぎあえぎ息を切らしながら走ってきた細胞委員長が腕を振り回した。

「さっさと後ろへ、下がりなさい、下がりなさい。」

血気にはやる自衛隊員が一歩前に出た。

「委員長トンム、この家に_」

「分かっている。帰っておのおの自分の仕事をしなさい。」

細胞委員長はこのように言って、注意深く戸を開けて土間に入った。お互い疑問だらけで視線を合わした自衛隊員達は、怪訝な表情で戸の隙間に顔を向け、土間から聞こえてくる話し声に耳を傾けた。戸をたたく音を聞いて桂応祥は、部屋の戸を開け土間へ出た。

「桂応祥先生!」

「ああ、君か。これまでどうしていたのか?」

「今し方、道から来られた政権委員の話を聞きました。先生が北に帰ってこられてすでに幾日も経っていることも知りました。これは本当に済まないことをしてしまいました。」

細胞委員長は脱いだ帽子を手に持って、力なく話をきりだした。

「大きな事をやろうとすれば、そんなこともあり得ることでしょう。」

応祥はおおように返事した。

「そのように思って下さって有り難うございます。しかし、私達の考えが足りなかったのです。ただ噂に惑わされて_今からでも、奥さんと子供達が農業をするのであれば、もともと耕していた土地を---」

「いいのです。明日、妻と娘を連れて平壌へ行きます---」

土間で桂応祥とメコル細胞委員長がやりとりしている話をこっそり聞いた自衛隊員達は、それぞれ頭を掻いてぎこちなく笑って、こそこそ逃げ出した。しばら くしてムルコルでは、桂応祥博士が平壌に新しく設立される総合大学教授になり、妻子を連れに下りてきたと噂がぱっと広がった。

「そう、それならば、そうであろう。幼いとき着るものがなくて、七歳になっても筒周衣を着て鼻水を垂らして書堂に通っていた人が、どうして金持ち連中側になれようか。」

「そうだ、人は自分が生まれた根本を忘れられないのだ。」

次の日、桂応祥は妻と娘を急き立てて、着ていた着物など風呂敷に包ませ、定州駅へ行き汽車に乗って急いで平壌へ出発した。

一行が平壌駅で降りると、北朝鮮臨時人民委員会・農林局副局長が駅ホームに出てきていた。背が高く肩が張っている副局長は、桂応祥を丁重に迎えて言った。

「待っていました。重要な国事について相談することがあって、北朝鮮共産党組織委員会で呼んでおられます。ご家族はわが指導員が家までご案内しますので、先生は急いで出掛けましょう。」

副局長はどうしたのか大変興奮していた。

駅前には黒い乗用車二台が並んで待機していた。副局長はひっきりなしに腕時計を見ては桂博士を前の席に乗せて先に出発し、徳女と末娘は他の乗用車に乗っ て指導員の案内で東平壌新里方面へ渡って行った。乗用車は人の多い、賑わっているところを抜け出て、プラタナスが道の両側にりりしく立ち並んでいる静かな 道に沿ってしばらく走って行って、レンガ塀で格好よくめぐらせた正門前に止まった。

「さあ、下りなさい。この家が桂応祥博士先生の私宅です。」

すらりとした体つきの指導員が教えてくれる言葉を聞いて、ようやく徳女は慌てて車から下りた。指導員は、徳女が引き留める間もなく風呂敷包みを両手で 持って、ゆっくり先に正門を開けて庭園に入って行った。新しい落葉が一面に敷かれたような庭園の一方の中ほどに、トタン葺きの屋根を急勾配に葺いた単層洋 館が一軒建てられていた。

徳女は夢を見ているようで目をぱちぱちさせて、たじろぎながら歩みを前へ進めた。外の正門から家の玄関まで、歩道に敷かれた石畳が真っ直ぐにのびていた。

引き戸を開けると長い廊下が横に出ていて、その前には畳を敷いた居間が六室もあった。廊下の突き当たりに台所へ出る戸があり、広い台所には地下室がついており、風呂場まで側についていた。

末娘は好奇心に燃えた視線で身軽にしずしずと歩き、あの部屋この部屋を見て回った。彼女は母の手を引っ張って、喜びのあまり低く叫んだ。

「オモニ、あれを少し見ましょう。どのかめにもお米がいっぱい入っており、石鹸も篭にうずたかく積んであるよ。そして、あの押入の中をちょっと見て。」

母と娘が視線を向けている押入には、雪のように白い綿がふんわりといっぱいになっていた。

「さわらないで。」

徳女は前へ行こうとする娘の袖をつかんだ。つま先歩きでゆっくり後ろについてきた指導員が、にこにこ笑って言った。

「さあ、さわってみなさい。あのお米や綿も金日成将軍が先生のお宅へお送りになったものです。」

後になって分かったことだが、このような配慮は桂応祥博士だけではなく金日成将軍が新しい祖国建設に参与した学者と作家、芸術家たちみんなになされたことなのであった。

しかし、母と娘はどうしても窓が数十個もついているこの大きい家が自分達の家で、かめや押入に、いっぱいある米と味噌や綿など、ぴかぴかした家具などがみんな自分達のものだとは到底信じられず、言い交わす話し声すら低めた。

「お前、これが本当に我が家に間違いないのだろうか。ひょっとしてあの人がよく知らないで---」

徳女は人の家に承諾もなしに入って座っているかのように、一日中気後れする気持ちをぬぐいきれなかった。

日が沈み薄暗くなってきた。その時、急にりんりんと鐘の音が強く響いてきた。母と娘は目を光らせて両手を合わせてお互いに見つめ合った。娘がそっと立ち 上がり、静かに戸を開け廊下を眺めた。廊下の壁についていた銀色の鉄筒から鐘の音が響いていた。鐘の音が止み、家の中は静かになった。次いで履物の音がす ると、引き戸がガラガラと開いて、載寧に住んでいる長男がにゅっと家に入ってきた。

父とは違って寛容で闊達な長男は、家の内外を一回りして騒々しく話をきりだした。

「アボジが、平壌に来られて家まで決めてあるとおっしゃったので、そうかなあと思ったのに大きくて素晴らしい家だな。このぐらいの官舎を使って暮らすとすれば、平壌駐屯憲兵隊長ほどであろう。」

「そうなのだよ。どうしたものか、トケビ(鬼)にたぶらかされているようで全く信じられない。」

徳女は世の中にこんな家があることも想像できなかったのだ。土地を買った後も、お金がなくて前に住んでいた藁葺きの家をどうすることも出来ず、解放を迎えた彼女なのであった。

「ところで、この家にいることをどうして知って捜してきたの?」

「北朝鮮臨時人民委員会農林局へ行ったら、蚕業処の人が教えてくれたのです。そんな機関があるのです。アボジは、平壌へ来られた次の日に総合大学教授に 任命され、兼ねて北朝鮮国立蚕業試験場場長の仕事まで任されたそうです。これは並大抵でない大きな事業でしょう。しかし、農林局の人が話されるには、今し 方アボジは、金日成将軍の招きを受けて解放山の麓にある北朝鮮共産党組織委員会へ行かれたそうです。」

「金日成将軍が?どんなことであの方がお前のアボジを呼ばれたの?」

「そうだね。」

長男も厳粛な表情をしただけで、それ以上何の返事も出来なかった。

徳女は、日が沈む頃から夕御飯を炊いて夫が帰るのを待った。息子娘達に先に御飯をあげておいて食事が終わり台所の後かたづけまでしてしまったが、依然と して外には人の気配はなかった。彼女は御飯を釜の中へ入れておき部屋に入って座っていたが、また台所に出て竈に火をつけ釜の縁に水が吹き流れるのを見て、 また部屋に帰った。夜風が吹くごと、庭園にある木の枝がざわざわ揺れる音が途切れ途切れに響いてきた。徳女は声を出さずに息を吐き出した。

彼女の生活は、どんなに長い間いらいらして待つことの中で流れていったことか。夫がソウルや九州に行っている時には、待つことがいくら心安らかではな かったとしても、必ず帰ってくるとの希望を持っていたので最後まで待ち続けられた。しかし、夫が海や大陸を隔てて遙か遠くの南中国へ出掛けた後、数年が過 ぎても一通の手紙すら送ってこないので、気遣わしい期待は冷ややかな幻滅となって消えてしまった。その時には、夜ごと数奇な自分の運命についてどれほど辛 い涙をたくさん流したことか。しかし、彼女は最後まで待ち続けたのであった。

だが、今夜は、どうしてこれほどまで、胸騒ぎしながら夫を待っているのであろうか。

桂応祥は、真夜中近くなって乗用車に乗って家へ帰ってきた。膝をチマ裾で覆いかぶせてそのまま一瞬うたたねしてしまった徳女は、ふっと部屋に入る夫をちらっと見て、慌てて起き台所へ行った。夫が戸を開けて言った。

「食事の準備はしないように。友達の家で済ませてきたよ。」

「これまでお元気でしたか?」

二階の部屋にいた長男が、下りてきて父に挨拶した。

「お前も元気なのかい。お前の支場ではみんな落ち着いて仕事をしているのかい?」

応祥は、長男が支場責任者として仕事している蚕業試験場載寧支場のことから尋ねた。

「仕事をしていますよ。載寧支場責任者であった岸原が荷物をこしらえて逃げながら、もうこれで北朝鮮の蚕業も終わりだと言ったが、我々は変わりなく仕事 をしていっています。最初は、日本人が皆逃げたのでカンジョウ(給料)は誰がくれるのかと顔をしかめて渋る人もいましたが。」

長男は、支場の話になると、生き生きとして話し出した。

「結構なことだ。南朝鮮は今話にならない。日本の奴等にかわって米軍の奴等が、新しく主人になった。ぺこぺこすれば暮らせるが、自分の主張を言い張れば 不純分子と記録される。忠州地方へ赴任していたお前の弟も、どうなったのか分からない。あの子も性格が強情でコチコチの性格だから、此奴等に従順に振舞わ ないようだ!---出発する前にあの子に後に付いて来いと手紙を送ったのだが、何の消息もない!」

三男の話がでると、徳女の目に涙がこぼれた。彼女は、そっと後ろ向きに座ってチョゴリの紐で目の縁をぬぐった。こんな様子を黙って眺めた応祥が、さっと 立ち上がった。書斎に使う向かいの部屋へ行こうというのだった。徳女はもちろん、長男や末娘もうらめしい気配で応祥を見上げた。応祥の長めの顔には以前に は見られなかった興奮している様子がうかがわれた。しかし、どうしたことなのか、彼はそれを話そうとしなかった。

ついに長男が父に尋ねた。

「行かれた仕事はどうなりましたか? 農林局に行ってみると、アボジは北朝鮮共産党組織委員会へ行かれたと言っていましたよ。」

「行って来た。私の部屋へちょっと行こう。お前に聞かしたい話がある。」

応祥は長男だけをつれて書斎へ行った。彼は、この時だけではなく以後もよく将軍にお会いしたが、特別な場合を除いては家に帰って話さなかった。

将軍の前で重大な国事について討議したことを家に帰って家族に話すことほど、つつしみのない愚かな態度はないと思っていたのであろう。

長男が畳にひざまずいて座り、桂応祥は本を読むとか研究資料を調べるときにいつもそうするようにひざまずき真顔になって言った。

「今日、金日成将軍にお会いした。---」

---桂応祥は木の階段を注意深く踏んで二階へ上がった。彼が着いたとの報告を受けられた金日成将軍は、待機室に出て待っておられた。

「桂応祥先生でいらっしゃいますか?忙しかろうに、遠くからお呼び立てして失礼しました。」

闊達な動作で大股で歩いてこられた将軍は、桂応祥の手を包んで力強く握られた。

応祥は、しばらくの間、自分の目を疑った。りりしい身体に背がすんなりと高くて、さわやかな額の下で光っているまなざし。彼は金日成将軍がこんなにも若 い方だとは思ってもみなかった。うろたえた彼は、まだ挨拶もしていなかった。執務室へ入られた将軍は、桂応祥を応接卓に案内されて椅子を差し向けられて親 切におっしゃられた。

「さあ、お座りなさい。」

「有り難うございます。」

桂応祥は、心苦しくどうしてよいのか分からず、遅くなって深く頭を下げて挨拶をした。

応祥は、どっしりした栗色の応接卓をはさんで将軍と向かい合って座った。

「北半部に入ってこられるのに苦労が多かったと思います。入ってこられるとき、海外で金の粒のように集めてこられた百五十余種の珍しい蚕種子まで持ち帰られたという話を聞きました。本当に大きな事をされました。」

将軍は満足して笑われた。完全の潔癖さと素直で温順な天性を自ずと示す、限りなく魅惑的なそんな笑いであった。特に、さわやかなまなざしが印象的であっ た。すっと人の心を引きつける、この方の明快な人柄に魅せられた応祥は我知らず微笑んだ。しかし、彼はすぐ真顔になって話した。

「私は、一生、蚕を取り扱う学者です。蚕種子を離れては、私の科学事業はやれません。だから身につけてきただけです。」

「謙遜な言葉です。その昔、わが先祖達は、文益傳が中国へ使者として渡って行き、帰るときに筆の中に木綿の種を何粒か隠し持って来て普及させたことを大 きな愛国的な行いとみなして、代を次いで高く褒め称えています。ところで、先生はおおよそ百五十余種に達する絹糸蚕種を持って祖国に帰って来られたのでは ありませんか?」

率直に言って、応祥は蚕卵を自分の運命のように可愛く慈しんではきたが、それを故国へ持ち帰ったことを美挙だと思ったことは、ただの一度をなかった。だ が、将軍は一科学者が自分の本分をしただけの小さな事を、後世に長く伝える愛国的な行いだと高く評価して下さったのではないか。応祥の胸は次第に火照って きた。

「それで、もう、生活は落ち着きましたか?」

将軍は慈愛深いまなざしで尋ねられた。

「はい、身にあまるほどです---」

応祥はありのまま話した。将軍はうなずかれ、注意深く慎重なまなざしをされた。

「 大変お忙しいでしようが国の蚕業発展問題について先生の高見を聞きたいと、このようにお呼びした次第です。どうすればわが国の蚕業を世界的な水準に引き上げられますか?」

将軍に最初にお会いしたときは、とるにたらない学者を度が過ぎるほど丁重にされるので身の処し方が分からなかったが、執務室へ入ってから自ら椅子まで勧 められてざっくばらんにこんな重大な国事問題についての意見を聞こうとなされる、この方のお話を伺ってみて考えが深まった。この方は高い知性と深い理解力 を持っておられる方だと感じたし、同時にこの方とならどんなことであれ胸襟を開いてお話しできると思えたのだった。応祥は知らないうちにこの方の崇高な世 界へ深く引き込まれ、多感な感情にひたってしまうのをどうしょうもなく、ゆっくり話をきりだした。

「そうですね。どんな風にお話しすればいいのでしょうか。一言で言えば、日帝統治三十六年間に朝鮮固有の蚕業は痕跡を隠してしまい、全部日本のものばか りになってしまいました。元来、わが先祖達が代々飼ってきた蚕は季節に関係なくよく育つ生活力が強い品種でした。しかるに、此奴等は収益性を高めるのだと 朝鮮の気候風土に適合しない日本の蚕だけを押しつけたがために、先祖伝来続いてきたわが国の蚕品種は滅種してしまいました。数千年の歴史を持っている朝鮮 の蚕が、このように滅んでしまってはならないと思います。今からでも南北四方に散らばっている土産種の蚕をすべて捜し出して、それらに隠れている良い性質 をひとつ所に集めて現代的な蚕品種と結合させれば、先進国家の蚕品種に決して劣らない我が蚕品種を持つことができると思います。」

桂応祥の声はだんだん熱気をかもし出した。

「日本の奴等は、蚕業機関を総督府直属機関にして、試験場場長から雇員に至るまで全部日本人達だけを配置して運営してきました。そのために我々がこの蚕業機関を管理し運営しょうとすれば、緊急必要なことは技術要員を育てることだと思います。」

両手をがっちり絡み合わせて、桂応祥の話を慎重にじっと耳を澄まして聞かれた将軍の黒みがかった青く淀んでいた顔に、明るい光がぱっと広がった。

「そうですとも。」

将軍は目を光らせて力強く言われた。

「今、ある人は、蚕業部門が無人状態のようになっているから他の国の力を借りなければならないと言うのだが、そんなことはないと思います。私は蚕業部門 も国の主人になったわが人民自身の力でいくらでも運営していけると確信します。さすれば、先ず人材を早く育てなければなりません。新しい朝鮮を建設するの に先生に全力を尽くしてもらわなければなりません。」

桂応祥は熱くなったまなざしで将軍を仰ぎ見た。国の蚕業をわが人民自身の力でやらねばならないと力をこめて強調される将軍の言葉が、応祥の胸を容赦なく揺り動かしたのだ。

応祥は一途に涙が出るほど嬉しかった。将軍が国の主人となったわが人民自身の力でと言われた、この言葉の中に、彼の畢生の願いが込められているのではな かろうか。彼が、何のために裸一貫で家を出てソウルへ急ぎ行ったのか。何のために大変痩せさらばえても必死に勉強して先人を追い越さざるを得なかったの か。ああ、不遇な植民地のインテリよ!どうして自分の国を近くに置いて海を越えて遠い異国の土地まで訪ねて行き教師となって科学研究をしないわけにはいか なかったのか。言ってみよ、一身の富貴栄華を願ってのことだったのか。しからば、他人に踏みにじられては堪えられないという抑えられない人間本来の欲望を 充足させるためであったのか。

応祥は、ふと、煩悩と苦悶いっぱいで身震いした日々をかえりみて、会心の微笑をせずにはいられなかった。

椅子から立ち上がられた将軍は、ゆっくり部屋の中を歩かれた。

「桂応祥先生!我々は白頭山で日本軍と戦った時こんな考えをしていました。

『失った国権を取り戻し祖国へ凱旋すれば、三千里錦繍江山(わが麗しい国土)に全世界の人々がうらやむような理想的な社会を建設しょう。』それで遂に、我 々が血を流して闘ったおかげで祖国を取り戻したのです。我々は、昔からわが先祖達が願ってきたとおり、この地に瓦葺きの家を建てて白御飯に肉汁を食べ絹の 服を着て暮らす、そんな人民の国をどうにかして建設しようとしています。私は、先生がこの聖なる事業に我々と一緒に協力されることを堅く信じます。」

将軍の目に厳粛な光がぴかっと光った。応祥は胸がぱっと熱くなった。この方の眼光は、笑われるときだけ特別な光彩を出すのではなく、このように慎重に事を運ばれるときにもその深さを測られない深遠な世界が燦然とこもっているのだった。

将軍は、正門の外までついて出てこられ、桂応祥を送りながら言われた。

「今後困ったことがあれば、いつでもためらわずに私を訪ねて来て下さい。」

彼は、大学へ帰る乗用車に深く身体をしずめて、穏やかなまなざしで夕日が斜めに射し込んでくる窓の外を眺めた。ふいに頭が軽快になり心身が飛ぶかのよう に軽やかになるのを感じた。平壌へ到着するやいなや教授職に任命され、北朝鮮中央蚕業試験場場長の責任まで兼任することになって、高官達が暮らす大層な家 を割り当てられたときも言うに言われぬ不安と危惧が彼の頭から離れなかったのだ。しかし、今や、彼の頭を重く抑えつけていたすべての束縛感が一皮二皮剥け ていくのがはっきり分かった。西方世界で共産主義について吐かれたいろんな中傷はみな、どんなに偏狭で卑劣なものであったろうか。

彼は目を閉じて顎髭をなで下ろしながら、長男にこんな事実をひとつひとつ話して静かにつけ加えた。

「若いが謙遜で老熟した偉人に会うのは難しいことなのだ。なぜならば、謙遜とは波瀾に富んだ歳月だけが培わせるもので、円熟した態度は頭の上に白い霜が 降りた人だけに期待できる価値高いものなのだからだ。しかるに、このように若い金日成将軍が、生まれつき持つ人にだけ見られる賢明な眼識をもっておられ、 千鈞の重みをもつ鉄石のような覚悟をしておられるのを知って、私の心臓がどうなったと思う?私が海外で多年間の研究を積み重ねて遂に蚕から新しい遺伝因子 を発見した感激が幾ら大きかったとしても、新しい朝鮮の国事を朝鮮人自身の力でやり遂げなければならないと断固として言明された金将軍の言葉を聞いたとき の深い感動にくらべられるものはなかった。そして、将軍がとるにたらない一科学者にこの国の蚕業の将来を任せるとおっしゃって、協力して一緒に仕事しよう と激励して下さったとき、私は一生の間必死にさまよい探し求めていた貴人(人品と徳望の高い尊貴な人)に会ったような心情であった---」

すっかり安心しきった父の厳粛な姿から、長男はこれ以上どんなことがあっても揺り動かせない悲壮な覚悟と信念を垣間見たのであった。

この日は、桂応祥の人生行路で忘れられない一番意義深い日であったし、心からこの制度と一緒に永遠に運命を共にすることを堅く決心した新しい出発の最初の日であった。

数日後、北朝鮮臨時人民委員会 農林局農林研究部で仕事しているある若者が桂応祥を訪ねてきた。

彼が丁重に挨拶して話したことは、この度金日成委員長の指示により農林水産局で研究論文を単行本にして出版する事業を始めることになったのだが、農林水産研究論文第一号に、まだ発表されていない桂応祥先生の博士論文を収録したいとのことであった。

書斎に座って大学農学部学生達にする最初の講義案を書いていた桂応祥は、机の上から視線をはずして眼鏡をかけた若者の丸い顔をじっと眺めた。彼は、机の 上の古いトランクを降ろして、黄ばんだ原稿紙を取りだして黙々と読み下した。彼が博士学位を取得してすでに六年、自分の国がないために完成した原稿を発表 できなくてそのままにしておいた間に、他の遺伝学者達の著書などで、彼が執筆した論文で確証した問題を新しい探求の結実のように持ち出してくるのを見ると き、彼はいらいらする思いをせざるを得なかった。

しかし、年が経つにつれて、彼自身も昔のその原稿の束を、濡れ衣を着せられ生き埋めにされた息子のようにやるせなく見下ろしているだけであった。しかる に、敬慕する将軍は一科学者の古いトランクの中に入っている不幸な原稿の運命まで思い量られ、それが光を受けられるように細心の心遣いまでして下さったの ではないか。

次の日の朝、またもや、訪ねてきた研究部の若者に、彼は徹夜して新しく検討し加筆した原稿を渡した。しかし、苦労をたくさんした息子が、成長して堂々と した働き手になったのを見ると父母の心情も更に感懐が深いように、彼もまた思いが深かったのだろう。ただ原稿だけ渡して送るには、何かしら心のうちが寂し く落ち着けなかった。

それで、彼は、研究部の若者を呼び座らせて置いて、机に向かい、自分の著作の最初のページに書かないでは辛抱できなくて所信をひとつひとつはっきりと書いていった。

それが、後日、北朝鮮人民委員会農林研究部農林水産研究論文第一号、解放後わが国農学部門の最初の科学論文として出版された、『家蚕の遺伝に関する研究』に掲載された「本研究論文を発表して」であった。

彼はその文章でこのように書いた。

---この家蚕研究についての実験を初めてもはや十三年、原稿を脱稿して六年を経過した今、著者はとりわけ感慨無量である。昔、日帝の魔手に追われ研究材料を肩に担いで国外を流浪し、亡国の悲哀にどんなにむせび泣いたことか---

我が偉大なる領導者金日成委員長が科学技術人に全般的な優待と直接的な激励をして下さるので、わが科学人は民主国家の理想的な環境の中で奮闘することをどうして光栄だと思わずにいられようか---

「蚕業部門も国の主人になった我が人民自身の力でいくらでも運営していけると確信します。」と言われた英明なる金日成委員長の言葉は、今後朝鮮の蚕業発展に余生を尽くそうとする私に大きな力をつけ高めてくれた。---

もし読者のなかで解放直後出版されたわが国の科学者の最初の論文であるこの単行本を見る機会があれば、その第一ページに桂応祥博士が鄭重に引用された金 日成将軍の教示に注意を払って欲しい。その文章は、生命のない紙の上に書かれる前に桂博士の心臓に深く刻まれていた座右の銘なのであった。

その頃、桂応祥博士は、金日成総合大学から農学部が別に分かれて元山農業大学と改編されると、その大学で新しく組織された蚕学部学部長の重責を任されて いた。それで、彼は、車輦洞と元山にそれぞれ住居を構えて、春から晩秋までは車輦洞で中央蚕業試験場事業を指導し、冬には元山に出掛けて蚕学部事業を委さ れ見ることとなった。