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第 五 章 ソ連科学雑誌『自然』特集号

一九四八年二月初めのある日、桂応祥は、北朝鮮臨時人民委員会で制定された規定により、新しい朝鮮で発給した博士証 第一号を授与される栄誉を受けた。これはまことに彼が心から願っていた長い宿望の実現であった。

彼にとってはこれが二番目となる博士称号であったが、祖国から初めて受ける博士称号であった。

授与式に出てこられた北朝鮮臨時人民委員会・金日成委員長は、桂応祥の首に博士メダルをお掛けになりながら彼と熱烈に抱擁された。そして金槌と鎌が刻まれている博士メダルをもう一度注意深く触ってみながら、お話しされた。

「《農林水産研究報告第一号》として出版された先生の著作特製本を有り難く受け取りました。序文で私に対して暖かい言葉を下さったのに対して、心から謝意を表します。」

桂応祥は、揺さぶられ高鳴る心のうちにも、光っている博士メダルを両手でぎゅっと握って厳粛な表情をした。

「私は、数日前、私に博士称号を授与するについての決定が『正路』(朝鮮労働党機関紙)一面に発表されたのを見て大きな衝動を受けました。わが祖国のため、骨がすり減るほど仕事をやりたい熱情だけがほとばしりました。将軍閣下、感謝します。」

「私も嬉しいです。これは先生の功績に対して当然な国の評価でもあるが、民族的気概を松竹のごとく守ってこられた先生の純真な良心に対る表彰だと思いま す。そして、これは、全国模範働き手会議で授与することになっていたが、多忙な先生の事業に支障をきたしてはと思ってこの場で一緒に差し上げます。」

金日成委員長は、新しい朝鮮の蚕品種改良で特出した功績を立てた業績で、桂応祥博士に自身の姓名が刻まれた《模範働き手一級》表彰状を授与し、上質紙で包装された贈り物を授けられるのであった。

授与式が終わると、将軍は休憩室で桂応祥博士に特別に会われた。

「これまで先生がたくさんの仕事をなされたと話を聞いています。私は先日平壌市三石区域に出掛けたのだが、蚕を飼っている農家に寄って《国蚕四十三、四 十七》がどんなものかと尋ねると、繭が丈夫で堅く大きさもほど好く病気に抵抗する力が強く、昔、先祖達が飼っていた蚕がもっとすぐれた蚕として生き返って 出てきたかのようだとさえ話していました。」

将軍は顔全体でさわやかに笑われた。

お会いするときごとに心身をゆさぶる将軍の謙虚であるが暖かい人情味が、応祥の心をどうすることもなく捕らえた。

「どうですか。仕事が無理ではないですか。」

将軍のお話には、いつも何かとは言い表しがたい大きな牽引力があった。桂応祥は、自分が考えていることが何であれ隠すことなく申し上げたいと思った。

「任された仕事を充分になし得るには持て余すほどですが、困難に思ったことはありません。今や蚕種維持体系も整然と整えられ、病毒検査体系も厳格に立て られました。将軍のお言葉の通り、試験場で育種して把握できたオモニ種子だけを原種場を通して農民達に普及する科学研究機関を中枢とする蚕種唯一普及体系 も整えられましたから、把握されない乱雑な雑種等が姿を隠し、勢いのよい一代雑種蚕だけが農民の手に入りはじめました。」

「それは本当によかったです。だから、博士先生が創られたわれわれの蚕が下までずっと下りて行く体系が整えられたということでしよう。」

将軍は生き生きとした表情をされた。

「そうです。ですから、前よりも数倍以上よい蚕品種を創らなければならないと大きな責任感を感じています。これまで私達は海外から入ってくる品種と国内 各地で収集した品種まで合わせて凡そ二百余種の蚕品種を準備して置いて純系に分離し維持して置いたのですが、これを元でにして春、秋蚕は繭がもっと大きく て糸が多く出る品種をたくさん創り、夏に堅い桑を食べても病気に罹らず生活力が高い蚕品種も創って、クヌギ類の葉を食べて繭を作る柞蚕品種も新しく育種す る準備をしています。」

将軍は桂応祥の話を非常に興味深く聞いておられた。桂博士は、将軍の側で何か緊急の仕事のため副官がいらいらした表情で近寄ったのも見ないで話を続けた。

「私が、幾日か前、野生蚕収集車で海州へ出掛けて行って天蚕という珍しいヤママユ品種を求めてきました。糸が太くて染めがきれいに仕上がります。山奥の人々はこの天蚕の繭を採ってきて絹を織り、その名前を青紬と呼んだそうです。」

「蚕繭の原色が薄い草色をしたものではありませんか?」

「そうです。結婚式の日、新郎が着るチョッキ色をしたものです。」

将軍は厳しい表情をされて考えにふけりながら話された。

「我々が、山で日本の奴等と困難な闘いをしていた一九三七年の冬、長白県の祖国光復会会員達が私に分厚い絹チョッキをひとつ作ってきたのだが、それが本 当に暖かくてふわりとしていました。ところで、その絹チョッキが天蚕の繭を採って糸を紡ぎ絹を織った薄く青みがかったものでした。」

「将軍、それは明らかに青紬だったと思います。昔は、青紬で織った衣服は国の王だけが着たそうです。ところで、この天蚕は収穫性が少なく生活力が弱いの が大きな欠点なのです。それで、私の考えでは、神樹蚕と天蚕を交雑して天蚕の固有の性質を生かしながらも、収穫性が高く生活力が旺盛な、まだこの世にない 珍しい蚕品種を創る研究事業をしてみようと思っています。」

「それに成功すれば、わが人民は誰もが昔、王が着ていた絹の衣服を心のままに着られるようになるであろう。本当に立派な考えをされました。---私は、わが人民に絹の着物を着せる問題は先生に全面的に任します。」

将軍は、桂博士の手を力強く握られました。

急行車に乗って車輦洞蚕業試験場へ帰って行く間、桂博士は胸に将軍からもらった贈り物をかき抱いて目を閉じていた。

試験場の真ん中にある、日帝時代渋谷佐市所長が住んでいた家に帰ってきて、初めて、贈り物包みを開けてみた。

その中には、懐中時計と明るい灰色パターンに木蓮模様が萌え出た最高級緞子のチマチョゴリ生地が入っていた。桂応祥は、こんな重要な日に、妻が孫を見に行くと、載寧にいる長男の家へ行っているのが寂しかった。

懐中時計は、十余年前中国にいるとき買いもとめ使っていた腕時計が、寿命が来ていて進んだり遅れたりしていた状態であったので、まさにちょうどよかっ た。いつも身につけていて時計を見るときごとに将軍の恩を思い、一分一秒の時間も惜しんで研究事業に邁進しようと決心した。

しかし、懐中時計もそうなのだが、こまやかな情がこもっている、柔らかい最高級緞子のチマチョゴリ生地は見れば見るほど、目に涙がうるんでくるのだった。側近く座っていた末娘が両手をそろえて震え声で叫んだ。

「やあ!オモニがこの絹で衣服を誂えて着れば十年若く見えそうだ。将軍様はうちのオモニに立派なよそ行きが一着もないのをどうして知られたのでしようか?」

末娘のきれいな目に涙があふれんばかり、いっぱいたまっていた。

応祥の胸の中にも熱いものがこみ上がってきて、ほとばしるようだった。にわかに載寧へ出掛けようとして、妻が、つづらから衣服を取りだしてあれこれひっ かきまわし探して、うら悲しい表情をしていた光景がちらっと脳裡をかすめたのだ。ほんとうに博士の妻だからといって、装って出掛けようとすると木綿でこし らえたチマチョゴリすら見るに足るものが別になかった。それで、彼女は、人目が照れくさいと夜行列車に乗って息子の家へ行ったのであろう。

今になって振り返ってみれば、彼は一生涯絹糸繭を研究して博士までなったが、家の暮らしや子供達を任されて人知れない苦労をたくさんした妻に、今まで、見映えする絹服を一着たりとも、プレゼントしなかったと骨身にしみて感じ、後悔したのだ。

絹の布地を買う金を物惜しみして、そうなったわけでもなかった。嫁にきた最初の日から女達はただ堪えて堪えるのが美徳だと思って、夫が行って来るという 話もせずに家を出た後でも、死にたいと恨み言ひとこと言わなかったし、十年、二十年外国に出掛けていても黙々と子供達を育てて待ちに待っていたのだ。だか らといって、何時か一回でも、妻が何の事故もなく無事に家庭を守ってくれたおかげで、何の心配もせずに学問を研究し成功できたのだ、と暖かい言葉を一言で もかけたことがあったろうか。

「将軍の細やかなご配慮があって、お前達のオモニが絹服をこしらえ着られるようになったなあ。急いでオモニに手紙でもして嬉しい消息を知らして上げなさい。」以前に見られななかった父の気配りした話に、末娘はきれいなまなざしをぴかっと光らせた。

車輦洞には、日帝時代、朝鮮総督府水原農事試験場蚕糸部傘下機関として、車輦洞蚕業出張所があった。渋谷佐市所長の下に五名の雇員がいたのだが、彼等は みな、日本の蚕糸専門卒業生であった。この蚕業出張所は、西鮮、西北鮮地方(平安南北道地方を指す)に桑の木の苗木と元原蚕種を生産して各道蚕種製造所に 供給する役割を遂行していた。

解放後、北朝鮮臨時人民委員会の処置によって車輦洞出張所が国立中央蚕業試験場へと改編されて、その下に定州柞蚕試験場、車輦柞蚕試験場が置かれて、本 場である国立中央蚕業試験場は中央蚕業研究機関としての役割を果たすべく大々的な改築工事が行われた。桂博士の設計により試験場正面に二階建ての研究室が 建てられ、赤煉瓦で建てられた蚕室後方の丘の上には新しい実験蚕室が二階建てで建てられた。

この蚕室は、蚕の生育条件を考慮して、蚕室を建物の真ん中にもってきて左右側に床を敷いた長い廊下をつくって、各部屋ごとに湿度や温度を調節できる通風口を空けて、蚕室床も外部の影響を防ぐために地下室を掘って空間を造成して地面と遮断させて置いた。

試験場へ入ってくる路の両側には、人の胸の高さほどのハリケヤキを二列にずっと植え、その後ろには朝鮮松を植えて、試験場構内にはニワウルシ、シダレヤ ナギ、ネズなどをぎっしり詰めて植え替えたりして植えた。ニワウルシは何本、シダレヤナギは何本と_受精は勿論、世代の数までいちいち押さえて指示をした ために、試験場の人々は桂場長が几帳面であるからそうなのだと思ったのだが、実は、それらの木はみな、蚕の天然飼料でなければ駆虫剤として使われるのだと 分かって、構内に植えられた木一本もおろそかにすることができなかった。

朝会が終わり、場員達が皆自分の部屋へ散らばると、背の高い木々がぎっしり植わっている庭園では玉を転がすような鳥の声だけが響いた。

「ポック、ポポック_」

前にはいなかった郭公まで飛んできて、しっとりしてうま味のある歌を歌った。朝霧が晴れた真っ昼間に、庭園の林の中から響く郭公の歌は際だった情緒をかもし出した。

郭公や郭公や仕事する人を急き立てるな

お前の歌がきれいなのを知らないわけではないが

我々場員たちはわき見する暇もないのだ

試験場には知恵のあるしっかりしたチョンガーが多く集まっていると話を聞いて、試験工として入ってきたきれいな娘が、蚕しか知らないチョンガーのために気を揉まされ仕方なく「パランセ」の曲調にあわせ歌ったという歌もこの頃に出てきたものだ。

二十歳で子供のアボジになったうえ原種部長になった鄭賢受洙は言うまでもなく、一年制車輦蚕業技術員養成所を一番で卒業して試験場へ訪ねてきて桂博士の 格別の信任を受け十九才で一躍試験部長になっ明吉東や、三月間泊まり込んで蚕解剖をする解剖室や財政部、庶務部など、どの部署でも、全国各地から集まった 試験場場員達が、昼は勿論、夜にも夜食を食べて試験場事業に没頭していた。

原種部では数千箇の蚕箔に各様各色の蚕を区別して置き、その性質を固定しようと蚕箔ごとにいわゆる蚕の『履歴書』のような飼育日誌をぶら下げて置いて蚕 を観察していたし、解剖室では桂博士が一番細心で観察力がある人だけを選抜して配置したのだが、桂博士は、彼等がやった柞蚕と家蚕解剖は世界的な意義があ る重要な事業だとした。蚕の目を取りだしてシャーレの上に載せて置いて、顕微鏡で数千箇に達する水晶体模様の蚕を一つ一つ描いておいて蚕が呼吸する穴の毛 を数え書くのが、どうして世界的な意義を持っているのかは知らないが、彼等は、解剖実験室で食べて寝て、鋏でお互いに長くのばした頭の髪を刈りあいながら 実験を継続していた。

その日の夕方も、解剖室の壁に取り付けられた鐘が鳴る音を聞いて、寧辺っ子の研究士は、夜十時になったことと同時に、一日中解剖観察し図面の上に描いたものを持って桂博士の部屋へ行って総括をしなければならない時間だと、気付くのであった。

彼はすでに一週間続けて蚕の目を観察し図面の上に描いていた。蚕の目は水晶の塊のようで、一箇の目が数千箇で成り立っていたのだ。

何日間か続けて同じ模様の目をのぞき見していたので、今や、どれがどれやらぼやっとして見分けられなくなっていた。

彼は桂博士の前に座って、描いて持ってきた解剖図を差し出して説明した。目を閉じて寧辺っ子の話を注意深く聴いていた桂博士は、静かに目を開けて尋ねた。

「それでは、各角の間にあるそれらも目なんだな。」

「はい。」

寧辺っ子は気おされてどぎまぎしたが、大きな声で返事した。

「ふむ、そう、しかしおまえさん、もういっぺん行って見なさい。それは目ではなくて各角の間に生えてきた突起なのだよ。」

「違います。それは間違いなく目でした。」

寧辺っ子は、ときたま、このように桂博士の前でも強情を張ることがあった。

  そのように意地を張ってみるだけの確実な根拠が、あってそうするのではなくて、いくらなんでも、桂博士が上になったり下になったり重なっている蚕の目の塊の中の間にさし込まれた一箇の目を見もしないで、どうしてそうではないと言えようかとの反発からであった。

ところで、この時、末娘が戸を用心深く開けて桂博士の部屋へ入ってきた。彼女の手には角張った一枚の紙が握られていた。

「アボジ」

末娘は、涙ぐんで言葉を詰まらせ、泣き声で呼んだ。

「静かに仕事を妨げるな。」

桂応祥は娘の顔をちらっと一度眺めては、寧辺っ子にさっと言った。

「ご苦労だが、もう一度行って見なさい。」

そして、続いて入ってきた原種部の新しい助手に座れと目配せして実験報告を聞いた。瞼が眠気で重くなっていた研究助手は報告を早くして出ようとすばやく話をした。

「二〇八号蚕箔には三百箇の黄金色の繭を_」

「どうしてその蚕箔の蚕が、三百匹しか居ないのか?」

桂博士は若い研究助手の話を中途でうやむやにしてしまい、問いただした。

「三匹はどこへ行ったのか?」

いつも頼りない若い助手は顔を赤らめてつぶやいた。

「三匹は他のものより劣っていたものだから--」

「だがしかし、百匹から一匹をつまんで放り出せば何パーセントが減ってしまう。その一匹が重要なのだ---」

このように一日中の実験結果の報告を受けていた桂博士を恨めしくじっと堪え眺めていた末娘は、「ふっ」と泣き出して

「アボジ!」

と言って泣き声で呼んだ。

彼女の手から角張った紙が床下に落ちた。若い助手がなにげなく紙をつまんで取り上げた。

「先生、奥さんが_」

「?!」

眼を怒らせて娘と研究助手を交互に見上げた桂応祥は、手に持っていたペン軸をのぞき見て酸化していないペン先に付いたインクを拭って筆箱に入れ、黙って研究助手が、差し出す四角形の紙を受け取った。一枚の紙を眼の間近に持ってきてのぞき見た桂博士の手がぶるぶる震えた。

「十七日、母、載寧で病死、長男。」

応祥は、突然耳の中がブーウンと響き、茫然として部屋の隅をじっと見つめて、身じろぎもしなかった。知らぬ間に目の前が真っ暗になり前が見えなかったが、彼は頭を横に振った。

いや。そんなことはあり得ない。

汽車に乗り末娘と一緒に載寧に行くときも、桂応祥は、妻の死亡を信じなかった。不幸であった人が思いがけない幸運を授かると悪運の鬼神にとりつかれると言うが、これは、こんな場合を指して言う言葉なのか。

載寧の長男の家に入った桂応祥は、あんまりなことで胸が張り裂けるようで、どうしょうもなく流れ落ちる涙を黙って噛みしめ呑み込んだ。

部屋の中はきつい消毒薬の匂いがしていて、医者は、死体が横たわっている棺の側に近づくのもさえぎろうとした。桂博士が《出世》して《重要な官職の地 位》についているという噂を聞いた故郷の人々は、行きしな帰りしな、応祥の家に寄って泊まっていくのであった。それで、桂博士が日常生活をする離れ部屋を 除いては、広い空き部屋は、親戚と故郷の人達が泊まっていく旅館のようになっていた。

仕事に忙しい桂博士は、食事時を除いては彼等と会うときもなかったが、妻は、同じ村で暮らしたおかみさん達と一つ所で寝て、過ぎ去ったことを昔話のように話しもして、市場にもよく出入りした。

ところが、その中に発疹チブスに罹っていた女の人が、病菌に汚染された菌を家のなかに蔓延させていたようだった。息子の家に行っていた妻は、病菌が身体に入ってきて発病し、四日目に、まだ、何の手だてもしないうちに息を引き取ってしまったのであった。

「オモニ!これは何故なのですか。」

末娘は、将軍が贈り物として送られた絹布地を死体の上に置いてわっと泣き出した。

「眼を開けてこの生地をちょっと見て下さい。将軍が、オモニに絹布地を贈って下さったのですよ!どうしても逝かれるのなら、一度だけでもこの布地を見られて目をつぶって下さい。」

五臓六腑がねじれるような末娘の哀切な泣き声に、故人と別れのあいさつをしようと来た人々の中から、むせび泣く声が急に大きくなった。

「アボジー」

末娘は、包んできた着物の風呂敷包みを解いて置いて鬱憤晴らしするのだった。

「オモニに着せてみようと、つづら全部くまなく捜して見ましたが、これだけしかなかったのですよ。」

末娘が、麻や木綿で縫ったチマチョゴリ四、五枚を床下に広げると、家族全部が、急に大きくなる泣き声を抑えられず、涙をざあざあ流していた。

隣の部屋に置いてあった棺を、出棺する前に息子娘達が、それぞれ棺をかき抱いて大声で悲しく泣いた。

「お兄さんー!」末娘は、南の地のどこにいるのか分からぬ三番目の兄を泣き声で呼んだ。

「オンマが亡くなられたのに、兄さんはどうして来られないの。え?」

むせび泣く声が家の中に充満した。応祥は、子供達が皆退いた後で、独り隣の部屋に入って行った。あらゆる心配を忘れたように静かに横たわっている妻の死体を見下ろして、彼の目の精気が白みがかってかすんだ。

「お前!これはどうなっているのか。ん?」

寝ている妻を起こすように低く言う彼の目から、二筋の涙がつるつる流れ落ちた。急に大きくなるむせび泣きを噛みしめて呑み込み唇を噛んだが、肩は容赦なく揺れた。

五十代を過ぎた今頃になって初めて、彼は妻がこの上ない貴重な存在だと心から深く感じていた。彼の後ろに、このように献身的に子供達を育て、切ないと愚 痴一つこぼさず夫の成功のため一生をそっくり捧げた妻がいなかったとしたら、どうして彼が学士、博士となれたであろうか。

そのために、彼は、この頃になって、若くて与えられなかった愛情まで合わせて妻のことを思っていたのだった。それで、妻の死がより一層胸をほじくりだす ように痛く感じていた。苦労のあと楽ありと一生をうら悲しく暮らしてきた妻が、遂に皺を伸ばして人並みに余生をおくれるようになったのに、何と、旅先での 死という悪い運に会わねばならなかったのか!

応祥は、妻の死体が横たわっている棺を上から抱きかかえるかのようにして肩を振るわせた。

明くる年の初秋の頃、桂応祥博士は塩州、龍骨山中腹に草葺きの仮小屋を建てて、ヤママユ科蚕研究事業に没頭していた。わが国の大部分の山が皆そうであるように、龍骨山にも野生の蚕がよく食べる木楢、クヌギ、ハシバミ、犬山椒のようないろんな雑木が生い茂っていた。

特に山の麓から中腹に至る広い面積にはヤママユ科蚕を飼うことができる子楢の林が、数百町歩も広がっていた。初歩的に見積もってみても、共和国北半部でヤママユ科蚕を飼える面積だけでもおよそ数十万町歩に達した。

この無尽蔵な天然の自然飼料を利用して柞蚕業を大々的に展開すれば、国の蚕業がどんなに大きく繁栄することか。

わが国でヤママユ科蚕を飼った歴史は家蚕に比べて短いし、害虫や病菌被害が莫大で、たまにヤママユ科蚕に手を着けていた人も、みんなやめてしまっていだ。それで、ヤママユ科蚕飼育は解放前にすでに姿を隠して、あとかたすら残っていなかった。

桂応祥博士は、ヤママユ科蚕の自然飼料をいつまでもこのように腐らせ放っておくことはできないと思った。彼は、試験場での研究事業が軌道にのるやいな や、何日間も続けて、龍骨山草葺きの仮小屋に泊まりこみ、ヤママユ科蚕に害を与えるいろんな害虫を調査して、大蠅科の大型の蠅による病虫害の原因を究明す るのに熱中した。文献を調べてみても、わが国でヤママユ科蚕を材料として研究した前例は全くなかった。

これはヤママユ科蚕を淘汰育種するのに変異の可能性が多いことを示唆してくれるものであったが、未知の《荒蕪地》を開拓する事業は血と汗を捧げずには不可能であった。

前年に選抜隊として先に送った若い研究士が、原因の分からない高熱と頭痛で苦しみ、急に草葺きの仮小屋で息を引き取った。山の麓の東城部落に下りていき村の老人達に聞いてみると、このあたりでは、毎年春秋にこのような死亡者が一、二名ずつ出ていたとのことであった。

桂応祥は、ふと、南中国にいたとき野生の蚕を収集しに山へ登ったとき、一行のなかで何人かが急性脳炎に罹り命を失ったことがあったのを思い出していた。 後に判明したことによれば、この人達は、夜に草葺き仮小屋で寝ているとき、殺人的な毒針を持つ蚊に刺されたのが、発病原因となったとのことであった。

ひょっとして、龍骨山にも未知の毒虫が寄生していて人を殺害したのではないか。

訳はどうあろうとも、先祖達が数世紀にわたって払いのけられなかった災いは、難攻不落の要塞のようなもので、犠牲なしには占領できないことのように思わ れた。草むらの中にコプラのような恐ろしい《敵》が潜伏していることだけははっきりした。しかし、必ず解決しなければならない課題を目前にして、退却する ことはできなかった。騒動を起こすことが嫌いな応祥は、万が一の場合を考えて、ヤママユ科蚕試験に参加する成員達みんなに脳炎血清の注射を打ってもらうよ うにして、直接龍骨山の草葺き仮小屋へ上って行った。---

桂博士は、すでに二時間以上、小楢の木の後ろに身体を隠して、木の枝に杏のように鈴なりになってぶら下がっている三回目の眠りを済ませた蚕をのぞき見ていた。

「サルル サルル。」

積み重なった落葉の上を、何かが軽やかに滑っていく音が耳元をかすった。不意に桂博士の目つきが鋭く光った。息までさっと止めて緊張して周囲を注意してみた彼は、こっくりうなずいた。

小指ほどのトカゲが、犬山椒の種のような目玉をくりくりさせて、小楢の木から落ちて他の木へ這い上がろうとするヤママユ科蚕を見つけると、矢のように 滑って行き、自分の身体よりも大きい蚕を一瞬のうちにぱっくり呑み込んだのであった。そうして見ると、獣の中で蚕を食べないものが果たして何があろうか。

カラス、サギ、雀などは言うまでもなく、狸、リス、キジ、イナゴまでもヤママユ科蚕を食べるのを観察したが、トカゲが蚕を食べるのは生まれて初めて見 た。自分を守る手段としては保護色をしている身体の色しかない蚕を、どうしたら害虫などから保護することができようか。---

昼食を食べようと、草葺き仮小屋に下りてきた桂博士は、谷川のほとりで歩みを止めた。鄭書記が、汗をたらたら流しながら上ってくるのだった。

「どうしたのか、 うん?」

「先生!」

息をはずませてこのように言った中年の書記が、急いで伝えた。

「試験場で尋常でないことが起こっています。これをちょっと見て下さい。ここにはソ連で、正統遺伝学が、最終的に打倒されたと大書特筆されています。」

鄭書記が、震える手で露文雑誌《自然》一九四八年八月特集号を差し出した。

桂博士は、意外な視線を釣り合いがとれて端正な書記の面差しに投げかけ、雑誌を受け取った。しかし、この時、桂博士が、何気なく広げたそれが、彼の運命にそんなに大きい衝撃を与えることになるとはどうして想像できようか。

目を閉じてしばらく深く考えていた桂応祥は、静かに言った。

「分かった、おいおい見るとしよう。今日計画した研究日程を後に延ばすわけにはいかないのだ。」

桂博士の沈着な態度には、学界でどんな暴風雨が起こってもびくともしないで自分の信念どうりやるのだという変わらぬ決心が、はっきり現れていた。 鄭書記は、落ち着かない心情を和らげられず、試験場で起こっている一部始終を話した。---

桂博士が龍骨山へ上った次の日、《自然》特集号が試験場に配布された。

試験場で、鄭書記の次に露語に堪能な副場長兼科学書記である李徳鎌が、その単行本を翻訳した。

「問題が明白になった!」

李徳鎌は、虎を捕らえた猟師のように騒ぎ立てて試験場を走り回った。

「みんな仕事を中止して民主宣伝室に集まれ。」試験場成員達は何なのかと宣伝室へ集まってきた。

「真っ昼間に急に集まってもらったのは、トンム達にいち早く知らせなくてはならない非常に重大な消息があるからなのです。」

いつも大げさに騒ぎ立てる李徳鎌が、すっかり厳粛な表情をして翻訳資料を読んでいった。彼は、声を高く上げて特集号の翻訳資料を読んでいった。

彼が非常に興奮して特集号の翻訳資料を全部読み終わるや、そこにいた誰かが急に尋ねた。

「それで、それが我々の仕事とどんな関係があるというのか?」

「そのように質問すること自体が大きな問題なのだ。だから、このように集まってもらったのだよ。この特集号で糾弾している正統遺伝学とは、他でもないわが試験場の一部科学者達の中でもそのまま現れている現象なのだということだ。これがどんなに嘆かわしいことか。」

李徳鎌が厳しく大声で話すと室内には息が詰まるような静寂がただよった。

「それ見ろ。桂博士の研究のやり方が全く気に入らなかったのだが、やはり何かあったのだな。」

「博士も博士だ。蚕解剖室に鐘をぶら下げて置いてお気に入りを呼ぶときには「チンチン」と二度鳴らし、そうでないときには「チンチンチン」と三度鳴らす---いったい何ということだ、人を呼ぶというのに---」

誰よりも、試験部長と一緒に同期で蚕業技術員養成所を卒業し試験場へ配置されたが、桂博士の信任を受けられず、にらまれて庶務部や倉庫などへ配置され仕事している崔炳達、 尹致昊達が、それ見たことかと騒ぎ立てた。

「人を差別しても程度があろう。これは日本の奴の時よりももっとひどい。それがみな古典遺伝学の支援を受けた優生学者達がしたことと違うところが何なのかと言っています。」---

鄭書記の話を最後まですっかり聞きおえた桂応祥は、横のポケットから懐中時計を取りだしてのぞき見た。休みなく位置を移す秒針をしばらくじっと見下ろし ていた桂応祥の顔に、沈鬱な表情が浮かび上がった。声を出さずにため息をついた彼は、鄭書記が翻訳して持ってきた特集号翻訳の束を、一方のポケットに差し 込んで草葺き仮小屋へ下りて行った。

しかし、彼は、鄭書記が帰った後一週間が過ぎても、『自然』特集号翻訳文を見ることが出来なかった。

昼は、ヤママユ科蚕交雑試験や病害虫寄生原因を明らかにする研究事業で少しも時間を割けず、夜には夜で、カンテラの火の下で今すぐ必要な文献などを調査するのに時間を割かねばならなかったのだ。