民族教育ノート

民族教育ノート

-ホームページ開設に当って民族教育について考える-

成 大盛

*これからの民族教育についての提言

-対象と目的について

-在日朝鮮人子女の実情を十分考慮しなければならない

1. 民族教育は在日朝鮮人子女の基本的人権

民族教育について考えるとき何よりも先ず、その対象である在日朝鮮人子女がどんな存在であるのかを明確にしなければならない。

在日朝鮮人子女の存在を決定づける要因は、事実あるがままに見れば以下の4点に要約できる。

[1] 両親または片親が朝鮮人であり朝鮮民族の血を引いている。

[2] 生まれた場所が祖国(南北朝鮮)ではなくて日本である。

[3] 祖国の分断、民族の分断によって日本での長期滞在、定住が既成事実化している。

[4] ところが、この日本社会は、朝鮮民族差別と同化帰化政策が明治維新以来現在まで引き継がれた、民族差別構造が深く根付いている閉鎖的な社会なのである。

[1]、[2]は在日朝鮮人子女という存在の内的要因であり、[3]、[4]はその外的要因であり、彼らの人格形成と運命開拓に決定的な影響を及ぼしている。

このように特徴づけられる在日朝鮮人子女が、人格形成し、自立した人間として生きていく普通の道はどれなのか?

1)最初に確認しておくことがある。在日朝鮮人子女を含めて人間の子供が人間となるのはどうしてなのか?

それは、この世に生まれたときに、親から人間となれる遺伝子を授かるからである。

ところが、この人間の遺伝子を授かったとしても、何らかの偶然で動物に育てられれば、人間として成長しないで、育ててくれた動物の習性を真似るのだそうだ。(勿論その動物の遺伝子を持っていないから、その動物にはならないが)

このことは、1920年10月インドの奥地で狼の洞穴から二人の子、カマラとアマラが救出されてシング牧師夫妻に愛情こめて養育され徐々に人間化していったことから推察される。(カマラが人間となれる遺伝子を持っていたからであろう。人間の遺伝子との違いが1.23%しかないチンパンジ-でさえ、いくら愛情こめて養育しても決して人間にならないのだから。)

また、人間の子供が生まれるとき、抽象的な人間ではなくて、必ず具体的な特定民族、特定社会の成員である親の子として生まれるということを確認しておきたい。日本人の子は日本人親の子として、朝鮮人の子は朝鮮人親の子として生まれるのだ。

2)次に重要なことは、狼に育てられたカマラの実例から分かるように、人間の子が、人間として成長するためには、人間社会の中で育てられなければならないということだ。ところが、人間社会も、抽象的な人間社会というものは、頭の中で考えられたものであって、具体的には、必ず朝鮮人の社会、日本人の社会、特定民族の社会なのである。

在日朝鮮人子女が人間社会(具体的には日本人社会)の中で育てられれば、勿論人間として成長することは間違いないだろう。ところが、在日朝鮮人子女は、日本人社会で日本人子女とは質的に異なった様々の問題に直面して、日本人子女とは違った人格形成を強いられるのである。

問題は、朝鮮民族の血を受け継いだ子供が、親の属する朝鮮社会ではなくて旧宗主国である日本社会での成長を余儀なくされているばかりか、その成長過程で獲得した彼ら個々人の能力を発揮する活動舞台(進学、就職、結婚

家庭など)も、とりあえず日本社会で求めざるを得ない状況になっていることにある。彼らは、日本社会で成長し活動舞台も日本社会だという点では、日本人の子供と同じ条件だと言えよう。

ところがそれは、彼らが朝鮮民族の血を受け継いでいることで、日本人の子供とは様相が全く異なってくるのだ。

なぜなら、日本社会は、日本人の子供の成長を保障し日本人成人の活動舞台を準備提供することによって日本社会の存続発展をはかるシステムなのである。このこと自体は当然のことであって、いかなる民族、国家も、それぞれの社会はそれぞれの存続発展をはかるシステムなのである。

この社会存続発展のシステムは、子供たちにその社会成員としての自覚を持たせ次世代成員として必要な精神的肉体的能力を育成するように組み込まれており、その社会で人間として成長していく子供たちの活動舞台を提供している。

ここで次世代成員として育成する子供たちとは、その社会の成員の子女であり、他の社会の成員の子女ではない。

日本社会が次世代成員として育成する子供とは、もちろん日本社会の現世代日本人親から生まれた子供なのだ。その子供たちが社会の中で次世代成員として育成されるのだが、その効果的な手段が学校教育なのだ。

社会の存続発展システムの中核をなす学校教育は、子供たちに「能力」に応じて教育を受ける権利を「平等」にし、子供たちの努力の結果たる達成度によって社会的地位や職業が配分されるよう期待されている。

ところが、日本人社会で日本人子供たちのなかでも、子供が生まれた瞬間からその子供の成長条件は親の社会経済的地位〈身分、経済状態、学歴、親戚、人脈など〉によって、より有利なのか、普通なのか、より不利なのかが決まっているのだ。

子供たちの人生マラソンは、そのスタ-ト地点から親の地位によってそれぞれ異なる条件で出発し、その影響下で格闘しながらゴ-ルまで走っていくのだ。そのため、子供たちの成長期から、いや、精神の純粋なこの成長期にさまざまな問題が生じてくるのである。

いじめ、受験競争、校内暴力、学級崩壊、家庭内暴力、家庭崩壊、家出、青少年犯罪、自殺等々--いわゆる青少年問題が、毎日のように新聞、テレビをにぎわせているし、ますます深刻化している。(この関門を通って成人になるのだが、そこでも熾烈な生存競争が待ちかまえているのだ。) これが、日本社会で日本人子女が成長期に直面する普通の問題なのだ。

ところで日本人子女の中で日本経済の高度成長期、外国に勤務する親に連れられ海外滞在を余儀なくされ、幼少期〈6~12才〉にその国の学校生活を送り、帰国して学校に編入学した子供たちの登校拒否、自閉症などが大きくクロ-ズアップされたことがある。

彼らの悲鳴は、《日本語がまずい、自分の主張をはっきり言う、何か日本人らしくない等々》と日本社会で普通の日本人たちに異物視される「いじめ」と関連しているのであろう。帰国子女の親たちや多くの識者たちが指摘しているように、帰国子女問題の原因は、帰国子女をあるがままに受け入れようとしない日本社会のもつ閉鎖性、異物なるものへの非寛容性にあると言える。

帰国子女の親たちは日本社会の中上層階層に属している者が多いことから圧力をかけられて政府は、手厚い帰国子女対策(海外日本人学校経営の50%補助、帰国子女のための特別クラス、高校大学への編入学特別枠など)を講じている。それでも問題を根絶できないのだ。

帰国子女は日本人子女であり、しかも富裕層の子である。普通の日本人子女よりも良い条件なのに普通とは異なったものがあると日本社会の異物排除機能が働くのだ。

日本社会に限らず、どの国の社会でも異物排除性向はある。だが、日本社会のそれには特別なものがあるらしい。帰国子女たちの中で、海外現地校での「いじめ」と帰国してから編入学した学校での「いじめ」を体験しているのだが、海外でのそれは「からっとしている」が日本でのそれは「陰湿」だと言っている者が多い。

日本社会はどんな社会なのか?在日朝鮮人にとって、日本社会は、明治維新以来日本の支配層によって政策的に植え付けられた民族差別が構造的に根付いている社会だと言えよう。在日朝鮮人子女も日本人子女と同じように日本で生まれたが、人間としての人格形成をし、生きる力をつけ自分の能力を発揮して人生をまっとうするには、この日本社会ではその出発点から状況、条件が異なっている。在日朝鮮人子女は民族差別を受けて成長せざるを得なくされるのだ。そのため日本人子女の成長過程において生じた問題が民族差別のフアイルを通り屈折させられ、より一層深刻な問題として在日朝鮮人子女にふりかかってくるのだ。このプレッシャに耐えかねて在日朝鮮人子女は、普通、小学高学年から、特に中学高校期-自我確立期、遅くとも就職期に悲鳴を上げ、反抗、挫折をくりかえし、深刻なのにいたっては自殺にいたるものまで出てきたのである。

これは、日本人子女の問題状況とは別に朝鮮人差別が原因となっておこっていることで、仮に在日朝鮮人子女が、親の帰属社会である朝鮮人社会で成長することができたならば、もちろん日本人社会での帰国子女のような問題は起る可能性はあるが、民族差別が原因となる問題はなくなるのだ。

3)どの民族、どの国の社会も次世代成員は、親の帰属する社会で成長するのが普通であって、次世代成員は、何らかの理由で他の社会で生まれたとしても、親の帰属する社会で成長するのと同じ条件で成長できるよう保障されなければならないのだ。

このことは、世界人権宣言及び国際人権規約、その後成立した外国人の人権宣言と子供の権利条約などで、必ず保障されなければならないものとして明確に規定されている子供の人権に関する問題なのである。

それらは日本国憲法も保障しているもので、これまでの日本政府の対応は著しい人権侵害だと司法判断して日本弁護士連合会は、政府に勧告書と調査報告書を提出しているほどである(1998年2月20日)。

*調査報告書の筆者たちは、その核心部分について以下のように述べている。

「人間の尊厳にとって、誰でも自分の文化を、言い換えれば自分の国、自己の属している民族や集団が受け継いできた文化を維持承継することは不可欠の要件であって、この自己の民族の文化を維持承継する権利は、何人も侵してはならない神聖不可侵の権利であること」

「この自己の民族の文化を維持承継することにどのような不利益も与えてはならないということ」

「民族自決にいう民族とは、それぞれが承継してきた文化的な単位であって、固有の文化を取り去って民族の存在は考えられない。人々一人一人の人格も、その属している文化をもって初めて確立できるものであり、文化を奪われ、他人の文化を押しつけられたところには人格の確立もなく、そこには偏狭の支配と隷属しか残らず、人間としての尊厳はありえない」

「従って、この権利は自国内に限らず、この地上の何処にいても、すべての人々に保障されなければならない普遍的な権利であること」

「日本国は日本国に滞在するすべての外国人に対して、自国乃至自己の民族の文化による教育を授受することよって如何なる不利益も与えてはならないし、また特に植民地的支配をした国乃至地域の外国人が自国乃至自己の文化を維持承継する教育をすることについて助成振興に尽力するべきである」

このように保障されている在日朝鮮子女の人権《自己の民族ないし自国の文化を維持承継し発展させる権利として自己の文化による教育を受ける権利》を朝鮮人差別社会であるこの日本社会で如何にして行使するか、という問題が提出されているのだ。

在日朝鮮人子女が個人の尊厳を維持し幸福を追求する権利の問題なのだ。

現状はどうか、在日朝鮮人子女の人権は、日本社会で保障されるどころか、日本政府の朝鮮人同化帰化政策によって解放後も引き続き著しく侵害されており、在日朝鮮人子女が人間としての尊厳を確立できなくさせられている。このことが問題なのである。これが本来の意味での在日朝鮮人子女問題なのである。

2.在日朝鮮人の運命開拓は朝鮮民族の運命と直結している

1)最近の一部《在日》論者たちは、世界で普遍的に認められている人権保障を要請するのではなくて、日本社会もアメリカ社会と同じように実質的には沖縄人、アイヌ人を含む多民族社会なのだから朝鮮系日本人として在日朝鮮人を日本社会の成員として認めさせることが定住している在日朝鮮人の諸権利を擁護することになると主張しているようだ。

しかし、この主張は荒唐無稽である。日本社会は、古代から単一民族社会として生成発展してきたし、特に明治維新以来、天皇制イデオロギーのもとアイヌ人や沖縄人に対しても同質化を強要してきた単一民族社会であり異質を徹底的に排除する社会なのである。

日本の植民地時期、朝鮮人は、皇国臣民の誓詞「私ハ大日本帝国ノ臣民デアリマス」制定(1934)、誓詞の暗記、神社参拝の強要(1937)、朝鮮語.民族服の禁止(1938),創氏改名令(1939)など、凄まじいまでの同化政策を体験させられたし、解放後においては、祖国の分断によって日本定住を余儀なくされた在日朝鮮人が、主権国家の海外公民としての諸権利を獲得すべく在日朝鮮人運動を積極的に展開し、必要十分ではないが成果も少なからず得たことは確かだが、日本社会が本質的には何にも変わっていないこと、依然として異物排除の同質化社会、朝鮮人差別社会であることを痛感せざるを得なかったのである。

*植民地時期、(内鮮一体)のプロパガンダを信じて日本帝国に忠誠を尽くした《親日派》人物たちや(日本人に生まれなかった)と嘆いて(日本人よりも日本人になろう)と切磋琢磨して《特等日本人》という称号までもらった人たち、

*8.15光復以後、一部の在日同胞のなかで〈親は朝鮮人だが日本で生まれ、日本文化の中で成長し、将来も日本に住むのだから、民族.国籍など関係ない〉と日本国に帰化した人たち、

これらの人々が、果たして人間としての尊厳を確立し自らの幸福を追求し得たであろうか?

個人の運命は親につながる民族の運命.その民族国家の運命と深く関連しているのだ。人類の歴史は、諸個人の自分史の総合ではなくて諸民族の歴史,諸国家の興亡の歴史である。一個人の運命開拓は、その個人の属する民族史の中でどんな役割を担うことができるかにかかっているのであって、民族を無視してどんなにあがいてもどうにもならないのだ。19世紀末から現代に至るおよそ一世紀間〈植民地民族への転落から解放独立.分断民族〉の朝鮮民族の経験が、この事実を確認している。

2)1945年の民族解放は、祖国光復を渇望していた同胞たちだけでなく《親日派》、《特等日本人》、日本国に帰化した人たちにも、もちろん在日朝鮮人にも根本的な影響を及ぼし、解放民族としての地位を確保させたである。

8.15祖国光復を契機に朝鮮民族に属する個々人の運命が根本的に変わったことを、朝鮮人一人一人が、実感したし、生活上でも根本的な変化を体験したのである。朝鮮民族にとっての8.15を何時どの程度の深度で認識し立ち向かったかによって、個々の朝鮮人の運命開拓の様相はさまざまであったが、すべての朝鮮人一人一人に根本的な影響を与えたのである。

植民地時期に圧迫され抑圧されていた朝鮮の個性が、米帝国主義勢力をはじめとする内外反動勢力の攻撃の中でも、現代朝鮮民族史の中で光り輝き始めたのである。

科学分野に限って見ても、植民地時期に学位を取得した朝鮮人科学者たちも彼らの研究成果を現実に開花させえたのは8.15以後であったことが、確認できよう。

〈例1〉李升基博士が学位を取得し研究を重ねてきた合成1号を完成したのも1939年であった。しかし博士は、軍需研究を拒みサボタ-ジュしていると1944年7月大阪憲兵隊に拘留され、8.15光復と同時に出獄された。

新たな希望を胸に故国の土を踏んだ(1945年11月)博士を待っていたのは米軍政下の惨状であった。それでも京城帝大を京城大学へと自主再建し博士自身も工業化学科を受け持ったが、米帝主導の「国大案」反対運動に積極的に参加した教員、学生が次々と投獄されるなかで博士も解職された。 博士は、研究を中断して故郷.潭陽に帰り失意の日々を送っていた。その後、朝鮮戦争でソウルが解放された数日後、主席の招請を受けて家族と共に越北してビナロン工業化研究に従事し、遂に年産二万トン規模ビナロン工場完工竣工式を迎えたのが1960年5月6日のことであった。

〈例2〉1946年総合大学教授就任の招請を受けて越北して、朝鮮の遺伝学研究を世界的水準に引き上げ、世界で最も優秀な一代雑種の家蚕新品種を育種し、また何よりも原産地が熱帯地方のトウゴマ蚕をわが国の柞蚕と交雑させる種間交雑に成功し温帯地方に適応したトウゴマ蚕をつくり出してわが国の養蚕業を飛躍的に発展させた桂応祥博士も、植民地時期、苦学に苦学を重ね九州大学大学院を修了したが行く所がなく南中国広東の中山大学教授として10年勤め中国養蚕業の発展にも少なからず寄与していた。しかし、日本侵略軍の南京攻略のため帰国したがソウル駅で逮捕され、平北警察予審監房に移送監禁される始末であった。釈放後、水原八達山麓に一軒家を構え独自に研究事業をやり朝鮮の風土に適応した新しい蚕品種《国蚕43号》を育種したが朝鮮総督府管轄の水原農事試験場の妨害にあって廃種の憂き目にあった。1943年に九州帝国大学から農学博士の学位を授与されても事態は変わらなかったのであった。

〈例3〉禹長春博士は、三浦梧楼の閔妃暗殺実行隊に参加し1895年日本に亡命した禹範善の長男(母は日本人.酒井ナカ)として1898年広島県呉で生まれ、1903年に父が暗殺された後で一時東京の喜運寺へ預けられたが、弟が生まれた後母の手許で育てられた。1910年からは朝鮮総督府から養育費も支給されるようになり呉一中卒業後、総督府の指示で東京帝国大学農科大学実科へ進学、実科を卒業して農林省西ヶ原農事試験場に奉職した。1924年に小春と結婚するとき、須永元春の勧めもあって須永家へ夫婦養子までして戸籍上も完全に日本人にしたが、それでも学位取得(1936年)後も技師に昇格できないことを知ってタキイ農場へ転職した。8.15光復後、南朝鮮で禹長春博士呼び寄せ運動が起こり、その招請を受けて1950年3月釜山に渡った博士は、韓国農業研究所所長に就任して蔬菜種子の改良と自給自足体制の整備、みかんの大生産地育成、韓国に適したジャガイモ品種の育種など韓国農業発展に多大な貢献をした。

〈例4〉植民地時期、また8.15光復後も、少なからぬ同胞青年(そのほとんどが富裕階級出身)が日本に留学しており、在日朝鮮人青年たちの大学進学率も高まり、彼等の中で明治以来の徹底した朝鮮蔑視、朝鮮差別社会で苦学し幾多の困難な状況を克服し研究活動を継続して遂に博士学位を取得する者も決して少なくはなかったのである。

京都大学での博士学位取得者数の中で同胞学位取得者数をその取得時期別と専攻別に見れば、(一大学だけの資料ではあるが、)そこに朝鮮民族の運命が反映されていることを垣間見ることができよう。

*植民地時期(~1945)までの同胞学位取得者の圧倒的多数は医学博士で

あって(64名中61名、それも〈1933ー1945〉に54名)と著しく片寄っていること。

*8.15光復以後においても1960年までは同じような傾向が続き同胞学位取得者は10年間(1946ー1956)で12名、すべて医学博士である。しかも、その うち7名までは1949年までに学位取得していること。

これらの事実は、日帝が、中国大陸に対する侵略を遂行するため植民地朝鮮を「堅固な後方」「兵站基地」にしようと、朝鮮の民族解放運動にフアッショ的弾圧を強化し、内鮮一体,一視同仁のスローガンのもと朝鮮人に「皇国臣民」になることを強要するとともに地主、隷属資本家、民族改良主義者たちを買収して親日派に転落させ皇国臣民化運動の先頭に立たせた1930年代以降の植民地朝鮮の状況に照応していると思われる。

*朝鮮戦争時期を含む9年間(1950~1953、1955、1957~1960)京都大学での同胞学位取得者は一人もいなかったが、1961年以降順調に増え続けており、10年単位で見ると急増している。

1961~1970 26名

1971~1980 45名

1981~1990 94名

1991~2000 215名

また、急増している同胞学位取得者数を専攻別に見れば文化系の同胞博士も出てきており、文化系と理科系との比率、理科系のなかでの医学博士の比率なども日本人の場合とほぼ同様であること。(ただ同胞の場合、工学博士、農学博士が突出している傾向があったこと。)

この事実は、分断されたが朝鮮民族の変わらぬ統一志向と、紆余曲折しているが南北朝鮮それぞれの発展に照応していると言えよう。

〈例5〉日本の支配勢力の朝鮮人同化帰化政策が明治維新以来戦後も引き続き執ってきたこともあって、日本社会は依然として朝鮮人蔑視、朝鮮人差別の根深い社会ではある。しかし、この日本社会の中に同胞たちがそこに依拠しながら日本社会で生活できるようにした在日朝鮮人同胞社会が築かれたこと。 これは、8.15光復後、日帝から解放されたが分断祖国を持った在日朝鮮人同胞の最重要な獲得物である。日本社会には依然としていろんな重圧、制約があるにも拘わらず在日朝鮮人の個性が、今やスポーツ、芸能だけでなく経済、文化学術など、あらゆる分野で活躍している。植民地時期には日本社会に押しつぶされて想像すらできなかったことである。

以上、これらの諸事実が示唆しているごとく在日朝鮮人ひとりひとりの運命が朝鮮民族の運命と深く関連しているのである。

3.在日朝鮮人子女の民族教育を保障しなければならない

人間は、普通、自分の親の属する民族社会で生まれその民族文化の中で成長し人間としての尊厳を確立して、自分の獲得した能力で人生をまっとうするのだが、在日朝鮮人子女の場合は異なるのである。

在日朝鮮人子女が、自分の親の属する民族社会ではなくて日本社会で生まれ日本文化の中で成長するのは、自分の親の属する民族社会で生まれその民族文化の中で成長するのとは全く異なっていて、在日朝鮮人子女の人格形成に深刻な影響を及ぼすのである。特に、異質を排除する単一民族社会であり朝鮮人蔑視、朝鮮人差別の根強い日本社会の中で日本文化の絶大なる影響下で成長せざるを得ない在日朝鮮人子女にとって、自分を生んでくれた親を誇りに思い、自分の親が属する民族を誇りに思うことなど考えられないことであった。

*植民地時期には、一部ではあるが「日本人以上の日本人になる」ことによって民族差別を乗り越えようとした者まで出てくる始末であった。

*8.15光復後、大部分の在日朝鮮人二世は、解放の喜びに包まれた一世の親変化から解放を実感したのだ。しかし、引き続き日本社会で民族侮蔑、民族差別を受けることによって民族を痛切に意識し、「どうして朝鮮人に生まれたのか?」「せめて日本ではなくて自分の国で生まれたかった!」と、親を誇りに思うどころか反発し、民族コンプレックスに苦しみ、またその反面、これをバネとして生活を切り開いていったのであった。朝鮮戦争後、千里馬で駆ける復興.社会主義建設のニュースと在日朝鮮人運動の路線転換.帰国運動は、二世たちにも民族を肯定的に覚醒させた。在日朝鮮人運動は高揚期を迎え、自前の初.中.高.大の教育施設を中心とした朝鮮人同胞社会をこの朝鮮人差別の日本社会の中に重層的に築くまでになった。

ところが分断朝鮮の長期化と日本当局の朝鮮人差別政策.同化帰化策動がきわめて巧妙に強化される中で、同胞たちは通名で生活しており、三、四世たる同胞子女の多くは日本の学校に在学、卒業していて、彼らの中で民族意識は希薄になってきた。彼らは、外人登録の指紋押捺や常時携帯、戸籍謄本提出、下宿探し、就職、結婚などの諸契機でのあらわな民族差別に突然直面してショックを受け、「何故なんだ?日本で生まれ日本文化の中で成長したのに何故差別されなければならないのか!人権侵害だ!」「日本は単一民族社会ではない。アイヌ人も沖縄人もいる、我々は朝鮮系日本人なのだ!」「いや日本人でもない、朝鮮半島に生きる朝鮮人と同じでもない、新しい種類の人間、たとえて言えば日本語人なのだ。」等々、自分自身のアイデンテイテイ確立に苦闘している。彼らの意識状況は植民地時期と本質的には大して変わっていないようである。

しかし、彼らの意識がどうであれ、朝鮮の統一が現実のものとなれば、朝鮮半島で生活している人々だけではなくて日本を含めた世界各地に住む朝鮮民族の一人一人の運命開拓に根本的な影響を与えることは確実である。

問題は、在日朝鮮人子女たちが、親の属する朝鮮民族の成員の一人としての自覚を持ち自分の人生を歩むように準備できるかにかかっている。

そのためには、三、四世の在日朝鮮人子女に親の属する朝鮮文化を継承できる民族教育を保障するために力を尽くさなければならない。

△これからの民族教育についての提言。

1)民族教育の対象と目的

*対象--自主学校と日本学校に在学しているすべての在日朝鮮人子女

*目的--両親を尊敬し、朝鮮民族を誇りに思う朝鮮民族の人材育成。但し、日本で生まれ日本で教育を受けざるを得ないことを最大限に活用した朝鮮民族の人材を育成すること。このような目的を達成するため在日朝鮮人子女に期待される資質は次の3点に要約できよう。

1.健康を保持すると共に両親を尊敬し、朝鮮民族の伝統、文化を知り朝鮮民族の未来に責任を分ち合うと同時に国際親善の精神を持つこと。

2.朝鮮語と日本語、英語を自由に駆使できること。

3.社会と自然に関する学齢相当の基本的知識を取得していること。

2)このような民族教育の目的を達成するためには在日朝鮮人子女の実状を十分考慮して民族教育事業を展開する必要があろう。

(1)大多数の在日朝鮮人同胞家庭で日本語が常用されており、朝鮮文化はキムチとチェサ程度であること。従って多くの在日朝鮮人子女の母語が日本語であること、日本文化にどっぷり浸かって育てられていることを直視する必要がある。--この現実から在日朝鮮人子女の民族性の涵養には、特に好奇心旺盛で(3才前後を頂点とする)言語習得期である幼児期から民族教育を実施して朝鮮語での日常会話習得と朝鮮文化を自然に吸収できる環境を整える必要があろう。このことの認識がほとんどなかった。幼児期の民族教育を保障する対策が緊要である。これまでの民族教育事業では、教育は学校教育からとする既成教育制度の観念で初級学校からとされ、幼稚班は学生数確保の手段として考えられた傾向が強かった。

(2)在日朝鮮人子女は日本で生まれたことによって将来自分の生活する場所(または自分の能力を発揮する場所)を、祖国朝鮮で生まれた同胞子女とは違って遙かに流動的に、〈祖国朝鮮、日本、その他外国のどれか)に選択できる状況であること。この状況下で在日朝鮮人子女の人生を決定するのは彼らが民族教育を受けてどれほど朝鮮民族の有能な人材に育っているかにかかっていると言える。

*在日朝鮮人子女の人権保障に関する日弁連総第99号勧告書に支持賛同しその実現を要求する運動を日本人たちの中で幅広く展開すると共に、我々自身は、何よりもまず、自主的な民族教育の質を高め民族教育の目的を達成するため全力を尽くなければならない。

幼稚班教育を民族教育の出発点として位置づけ日常会話を朝鮮語で自由に駆使できるようにして、初級学校から二重言語教育を本格的に実施する必要がある。

*同時に、在日朝鮮人子女の大多数が幼児期から日本学校で教育を受けている現実は、日本学校に在学している在日朝鮮人子女に対する民族教育の保障(民族学級の設置と朝鮮人教員による朝鮮語と朝鮮文化の学習など)を日本当局に要請する運動を強力に押し進める必要がある。同時に在日同胞社会でも地域ごとに日本学校在学中の幼児、児童、学生に対する民族教育保障対策を立てる必要がある(土曜学校、午後夜間学校、朝鮮高校や朝鮮大学での定時制、通信制など)。

(3)在日朝鮮人子女の民族教育を保障するための財源確保を目的とする運動をもっと積極的に、集中的に推進すべきである。

*日本政府と地方自治体に自主学校に対する学校教育法第1条校に準ずる民族教育補助金と私立学校なみの寄付金取り扱いを要請する運動を大々的に集中的に押し進めねばならない。

*同時に在日朝鮮人同胞社会の中で民族教育の財源を確保するための一大カンパニアを展開し、同胞たちが一人残らず教育資金1000~3000円募金運動に参加するようしなければならない。

*(幼稚班、初級、中級)義務教育の無料教育を展望しながら、低所得層の同胞家庭子女に対する奨学制度(就職後に返還義務)を整備し充実させる必要がある。

(4)在日朝鮮人同胞社会を確固と築き、同胞子女の進学指導、就職斡旋を全同胞社会的に保障しなければならない。

この論文は社協京都会報-第5号-(46ページ)に掲載した論文に加筆した文です。