在日朝鮮人子女四世、五世の民族教育権の 保障のために ー京都民族教育の危 機打開策を考えるー 成 大盛

基本的人権のなかの最も重要なものの一つである在日朝鮮人子女の民族教育の正当 性は、日本政府当局を唯一の例外として、世界の誰もが認めていることである。

そうであるからこそ、日本政府当局の執拗な民族差別.同化帰化政策にもかかわら ず、内外の大多数の人々の支持と在日同胞たちの血のにじむような努力に よって、日本政府当局の弾圧をはね除け、ここ京都でも民族教育事業を発展させてきたのだ

1. 民族教育事業が困難な状況にあったのは、今 に始まったことではない

だが今日、現在の厳しい情勢の中で京都の民族教育は、校舎さえも全般的老朽化のた め改築時期にさしかかっており、とりわけ在籍学生数の減少傾向、教員給与 遅配の常態化など、困難な状況に直面している。その上さらに一部の無分別な醍醐土地の取得から始まった無責任極まる行為によって、この困難な事態はますま す深刻化させられている。この困難な状況を打開する方途はどこにあるのか、考えてみたい。

複雑に絡み合った諸要素の中でどれが基本的なもので、どれが至急に解決を要する 中心環なのかを一緒に考えてみたい。

それは、ウリハッキョ学生数の減少傾向に照応して現在のウリハッキョを統廃校し 京都民族教育網の縮小.再編成を計ることではない。焦眉の問題は、ウリ ハッキョ学生数の減少傾向を食い止め京都在住同胞子女の民族教育保障の方策を何としても立てることであろう。

京都ウリハッキョ学生数の減少傾向の原因は何であろうか?

その主たる原因は、数多くのウリハッキョ卒業生達の京都民族教育に対する不安 感、不信感を解消できなかったことにある。

三世、四世が主流をなす同胞社会での帰化者数の増加、国際結婚の激増、ニューカ マーの増加など多様化する同胞社会、そこでの小子化傾向、価値観の多様性 などは、確かに、ウリハッキョ学生数の減少傾向に影響を及ぼしている要因ではあろうが、その根本的な原因ではないと考えられる。

というのは、解放直後の熱気の中での「国語講習所」在籍朝鮮人子女数が京都でも 2,424名(1947年初頭)であったこと、1949年以降、京都のウ リハッキョ学生数のピークは1960年代であり(その頂点は1966年)、その後1970年代から減少傾向が続いていること。しかし京都市在住朝鮮人子女 総数の中でウリハッキョ学生数の割合(ウリハッキョ就学率)は、1960年から現在に至るまで14.0~15.0%であること、これらの事実は何を物語っ ているのだろうか

京都のウリハッキョ学生数は、8.15解放、第一次帰国船出航、千里馬で駆ける 社会主義建設ニュースなどで在日同胞たちの民族意識が高揚し朝鮮人として の自覚と誇りに満ち輝いていた時期に増え、祖国分断の長期化とともに減る傾向があると言えよう

また一方では、情勢の変転にかかわりなくウリハッキョへ自分の子どもを入れてい る同胞たちが一定数存在していることも、ウリハッキョ就学率がそれほど大 幅に変っていないことから推察できる。

京都でウリハッキョに子供を入れている同胞達について見ると、ウリハッキョ学生 数の増加傾向が見られた1960年代までのウリハッキョ学父母層は、帰国 希望家族と帰国運動を中心として同胞啓蒙や組織宣伝事業に積極的にかかわった活動家やその影響を受けた同胞達であった。引続き1970年代までそれほど大 きな変化はなかったが、ウリハッキョ学父母層の中にウリハッキョ卒業生が京都でも登場するようになり、しかも年代が下がるにつれその占める割合が大きく なっていった。そして1980年代後半期から京都のウリハッキョ学父母層構成が若干の日校卒業生である(朝銀、商工会などの)専任活動家と絶対多数のウリ ハッキョ卒業生達となったのだ。

2004学年度.京都のある初級学校の学父母層の場合、日校卒業出身のアボジ、 オモニは合計6名だけであった。他の88名はすべてウリハッキョ卒業生で あった。京都中高、他の初級学校などでも学父母の絶対多数がウリハッキョ卒業生であった。

しかし、ウリハッキョ卒業生達が皆子供をウリハッキョに入れている訳ではない。 日本学校に入れているウリハッキョ卒業生の方が多いのが実情である。

ウリハッキョ学父母となったウリハッキョ卒業生達に聞いてみると同期の卒業生た ちの中で子供をウリハッキョに入れているのは、三割以下で自分達は少数派 であると実感させられるというのだ。

たとえば、このトンムなら子供をウリハッキョに必ず入れるだろうと思って話して みても、

「自分は、朝鮮人としての自覚も誇りも持て、チングも出来たし、よかったと思っ ている。しかし子供には同じコセンをさせたくない。子供に朝鮮人としての 自覚.誇りを持たすことは家庭で何とかやってみる。だから子供はウリハッキョに入れない」と言う同窓生の方が多いというのだ。

このウリハッキョ学父母の実感は、京都民族教育事業発展のためウリハッキョに 一人でも多くの同胞子女を入れようと献身した数多くの活動家達の実感でも あった。

京都では1980年代以降、ウリハッキョに子供を入れる同胞も、入れない同胞も ウリッハッキョ卒業生であったと言っても過言ではない。ウリハッキョ卒業 生でない同胞の家庭訪問をしても門前払いが普通であった。よくて玄関戸口での立ち話程度しかできず、退散したのである。ウリハッキョ卒業生同胞とは話すこ とはできたが、その多くは、卒業後の社会生活体験(進学、就職、結婚、海外旅行等)から民族教育に対する確信が動揺し「日本社会で生活せざるを得ない子供 をウリハッキョに任せられない」と思い込んでいて、ウリハッキョへ子供を入れなかったのだ。

以上述べてきた京都のウリハッキョ学父母層の実態を直視すれば、ウリハッキョ学 生数の減少傾向に歯止めをかけるためには、何よりも先ずウリハッキョ卒業 生達の民族教育に対する不信の原因を除去しなければならないと結論できよう。

したがって京都民族教育の危機的状況を乗り越えるためには、ウリハッキョに子供 を入れていないウリハッキョ卒業生達の民族教育不信感を除去し、彼等を積 極的な民族教育支持者にすることが重要な方途となるであろう。

彼等は、ウリハッキョを卒業して「朝鮮人としての自覚.誇りとチングが持てて良 かった」と言っている。日本社会の壁にぶつかって生きる力の貧弱さを実感 させられて「子供に同じコセンをさせたくない」とウリハッキョに入れなかったのだ。だが日本学校に入れて万事よかったのか、そうではない、日本の影響をも ろに受けた子供が心配でたまらないという心情のようである。

彼等の民族教育不信は、日本社会の壁を乗り越える力の不足からきている。つまり 京都民族教育の質が低いことからきているのだ。

*「朝鮮人としての自覚.誇りとチングが持 てて良かった」がウリハッキョ に子供を入 れていないウリハッキョ卒業生達の「子供に同じコセンをさせ たくない」と言っている民族教育不信の原因とは、以下のように整理できよう。

(1)一方的な押し付けの思想教育

(2)進学、就職にあたって民族差別の壁を乗り切る時の苦労

(3)海外旅行の煩わしさ、不便さ

(4)遠距離通学、通学路安全

(5)日本社会の常識(日本語、日本歴史地理)習得の不完全さ

(6)日本学校以上の教育費負担(教育会費、交通費、給食費など)

今までの京都民族教育が、ウリハッキョ卒業生達に朝鮮人としての自覚.誇りを持 たせはしたが、日本社会の壁を乗り越えられるだけの力をつけるには極めて 不十分であったということだ。 また従来、10年ほど遅れで波及してきた日本学校での(いじめ、校内暴力、不登校等)問題の影響を民族教育の力で基本的 に克服してきたのだが、今、京都のウリハッキョでは、「いじめ」が深刻な問題として提起されている。 京都民族教育の質を高めることが切実に要求されてい るのだ。

今、多数のウリハッキョ卒業生が感じていた民族教育不信内容を解消する方向で新 しいカリキュラムの改編、新しい教科書の編纂などがここ数年間に完結し、 これを消化するための教員達の教育方法研究も活発に行われている。つまり、民族教育の本来の目的を達成するための従来の民族教育から汎民族教育への転換が 各地のウリハッキョで真剣に取り組まれている。もちろん京都のウリハッキョでも一生懸命取り組んでいるのである。その結果、多くのウリハッキョで貴重な実 践経験も少なからず蓄積されてきた。

ここで、あらためて民族教育の目的を確認してみよう

ウリハッキョの民族教育の目的は、朝鮮民族の血を受け継いだすべての在日朝鮮人 子女に正常な人格形成の場を提供して民族性を涵養し、彼(彼女)に朝鮮人 としての自覚と誇りを持たせ、アイデンテイテイ形成確立の土台を構築し、祖国、日本、世界で羽ばたく人材を養成することにある。

また、朝鮮人としての自覚.誇りを持ち、祖国、日本、世界で羽ばたく人材とは、 以下の三つの資質.能力を持った者であることを確認しておきたい。

(1) 朝鮮民族文化伝統ー民族性を身につけ朝鮮人としての自覚.誇りを持っていること。

(2) 民族差別の壁を乗り越え世界に羽ばたくための能力、具体的には朝鮮語と日本語のバイリンガルの完成と英語も駆使できるようにすること。

(3) 同時に社会と自然に関する学齢相当の知識を習得していること。

上記の民族教育に対する目的設定が、在日同胞子女四世、五世の実態(日本出生、 母語が日本語、日本定住)と未来を踏まえたものであることに異論はないで あろう。

このような民族教育目的が十二分に達成されていなかったのだ。

そのために、50年以上の民族教育実践が京都でもあったのだが、多数のウリハッ キョ卒業生達がウリハッキョに子供を入れないという民族教育不信を解消で きなかったのである。

2. 京都在住同胞子女の民族教育保障のためには、先ず京都ウリハッキョ民族教育の質を高める方策、学校運営の正常化方策、学校網再編成問題、日本学校在籍同胞子 女の民族教育保障問題などについて考察しなければならない。

1)方策第一.何よりも先ず、京都民族教育の質を高めなければならない。

そのためには、京都での従来の民族教育実践を、ウリハッキョ卒業生の不信を念頭 に置きその払拭を目指して、在日同胞子女四世、五世を対象とする民族教育 の方向性、内容を具体的に検討し一応の結論を出してみよう。

(1)民族教育の質を高めるためには、ウリ ハッキョ内の人間関係(教師と生徒、教師ど うし、生徒どうし)を朝鮮民族の美風良俗で充満する関係にすることが最も重要である。

ウリハッキョがあり、そこで朝鮮人教師が 同胞子女達を集めて同胞家庭と連携して教え れば、朝鮮人としての自覚.誇りが持てるように教育できるものと考えられていた。だが在日同胞家庭は、在日一世達が子供であった時期の家庭ではなくて民族 文化が希薄な家庭(在日二世)であったし、在日三世~五世の同胞家庭では日本文化が圧倒しているばかりか朝鮮蔑視.朝鮮パッシングがテレビ、新聞などに よって日常的に直撃している。 それでもウリハッキョでは、学校内すべての教育環境を優れた朝鮮民族文化一色にし、朝鮮人教師が同胞子女に全科目と朝鮮 民族の美風良俗を朝鮮語で教え導けば、民族性は自然に涵養され、朝鮮人としての自覚と誇りも自ずと体得されるとしたのであった。

事実大体のところは、この基本線に沿って達成されていたと思われていたのだが、その達成度は決して満足できるものではなかった。「朝鮮人としての自覚. 誇りとチングが持てて良かった」と言うウリハッキョ卒業生が「子供に同じコセンをさせたくない」と民族教育不信に陥っている低い水準なのだ。しかもこのよ うなウリハッキョ卒業生が多数を占めているのが現状なのだ。そしてまた、1980年代頃から京都のウリハッキョでは同胞子女に吹きすさぶ日本の悪影響を阻 止するのに莫大な労力を強いられた。それでも「いじめを根絶できなかった」と現場の教師達は自らの力不足を嘆いたのであった。

これらの現実を直視すれば、教育環境の朝鮮文化一色化、朝鮮人教師の熱心な指導だけでは同胞子女の正常な人格形成の場として不十分だったということだろ う。それでは何が不足していたのか。長い間その答えを見つけられないでいたのだが、最近ある県のウリハッキョでの教育実践報告を読んで思い知らされたこと がある。 それは、ウリハッキョ内部の人間関係を朝鮮民族の美風良俗で充満させるための目的意識的な取り組みが何よりも重要だという指摘だった。

そのウリハッキョが従来の民族教育から汎民族教育への転換のための教育改革をどのように進めていったのかを紹介したい。

このウリハッキョの教育実践で注目すべき第一点は、

(1段階)最初に、何よりも先ず民族教育の理念に照らしてウリハッキョでの実態(子供 と教員の関係、子供間の関係、学力、校風等)を正しくつかむことから始め、

(2段階)次にその実情から児童生徒観、教育観などの教員自身の意識改革が何よりも必要だとわかり、これを先行させながら、

(3段階)同時に具体的な教育目標を立てて教育実践をやり、その総括を正しく行って、またこの1、2、3段階を反復していったとのことである。

このウリハッキョの教育実践で注目すべき第二点は、ウリハッキョにおいて教える主体としての教員と学ぶ主体としての児童生徒の関係の考察であ る。

児童生徒の年齢的限界により教員の指導は不可欠ではあるが、児童生徒自身の能動的な意欲と思考活動なくして能力の習得、および人格の形成はなしえないので あるから、ウリハッキョの主人公はどこまでも児童生徒であるということから教育実践が行われていることだ。

この認識から学ぶ主体である児童生徒の特質を次のように措定している。

すべての児童生徒は、本能的に学ぶ意欲とその学ぶ能力を持っている。

従って児童生徒の学ぶ意欲の低下現象の原因と責任は、子供達にはないのであって、子供達が日常的に接している周りの大人にある、ウリハッキョ内では教員に ある。(子供の言動に対して、関心を示さず、無視したり、けなしたり、罰のみ与えることが問題なのだ)

児童生徒は、まだ人格が確立されていないが(形成課程にある)やはり人格を持った一人の人間である。

このような児童生徒の特質から教師の指導原則を次のように定めている。

児童生徒の人格をまるごと認め彼等を愛し、その人格の形成確立と知識能力向上のため教員自身の全人格をもって向き合うという姿勢が最重要である。 そう することによってのみ児童生徒との信頼関係が醸成でき、信頼され慕われる教師となりその指導が進んで受け入れられる。

全教員の志向と意志の一致による連携、協同作業が必要不可欠である。

教員の指導権は、どこまでも児童生徒が意欲を持って自らの頭をよく使うために行使すべきで、その他の場合は職権濫用なのだ。

児童生徒の学習と生活において、自覚を高め常に自主的に意欲を持って行わせる方向で指導がなされるべきだが、自覚性の不十分な段階では一定の規制が必要で ある。しかしその規制は、自覚性をたゆみなく延ばし規制を弱めていく方向性で行いたい。規制を強化し管理するという発想と方法論はとらない。

*児童生徒のおこす過ちや否定的な言動については、意識的なものかそうでないのか、よ く見定めることが大切だが、どちらの場合でもまず彼等の言い 分をよく聞き理解した後に、ゆっくり諭すことが大事である。

このウリハッキョの教育実践で注目すべき第三点は、民族教育の目的を達成するための方策として校風の確立の重要性を強調し、校風の確立を目指 して頑 張っていることである。その内容を見ると次のようである。

1. 子供どうし、その上下関係、あるいは教員との関係において平等と愛の原理が貫 く愛情に充ちたウリハッキョ生活の確立と、朝鮮民族文化を大切にし、それが発揚されるウリハッキョ生活の確立を目指して朝鮮語をはじめ朝鮮の生活習慣及び 音楽、美術、体育などに親しみ好み、学校生活の中で活かす努力をするよう指導する。

*授業と課外授業、クラブ活動に全員が参加し、その習熟に励み校内外でのいろいろな催 しに積極的に参加させる。

*また課外授業では朝鮮の踊りや遊戯、食文化にふれさせ優れた民族文化に好感をもち誇りとするようにした。

2. 全員による自覚的な学風と発信能力の向上の場としてのウリハッキョ生活の確立を目指して

*児童生徒に対する直接的指示は少なくし、可能な限り決定と選択は自主的にさせ て、何事にも意欲的にまた自覚的に行動できるよう指導した。

*自分の考えをしっかり持つようにし、子供らの発言.表現がどのようであっても誠実に対処して発信を嫌わず好むように指導した。

以上のように、このウリハッキョが目指している校風の内容を見ると、朝鮮民族文化と朝鮮民族の美風良俗で充満した朝鮮人社会を具体的に構築することを意 味していると考えられる。

3. 特に印象的なのは、ウリハッキョの校風を確立させるのに校内の人間関係の目的意識的な構築が重要な鍵の一つとなるという指摘である。

子供と教師との信頼関係を醸成するととも に学校内に朝鮮民族の美風良俗関係が醸成さ れるように(幼稚班年少、年中、年長組)、(初級部1、2、3学年)、(初級部4、5、6学年)、(中級部1、2、3)の各々3年間を一個の単位として、 子供どうし各単位でトンムを真心から愛しお互い助け合うように指導したことである。このウリハッキョでは、幼稚班から初級低学年、高学年、中級部と段階的 に水準を高めながらこの3学年単位の縦割り集団生活を3年間継続実践した結果、児童生徒達は自ずとお互い思いやりと信頼の感情を持って交わり、またウリ学 級、ウリハッキョに対する愛情と自負心を持つようになったのだ。朝鮮民族の美風良俗を児童生徒自ら自然に体得していったのである。

要するにウリハッキョが朝鮮人に育てる揺籃として機能し、外の日本社会での生活との対比の中で児童生徒が、ウリハッキョ生活を送ることによって朝鮮人と しての自覚と誇りを持つようになったのだ。ここに「いじめ」など入り込む隙は無くなったのである。

上記の教育実践を参考にして京都民族教育の発展のためには、在日同胞子女四世、五世を朝鮮人に育てる揺籃としてのウリハッキョの機能を高めるための目的 意識的な研究と対策、実践をし、より効果的な方法を創出することが要請されている。

(2)民族教育の質を高めるために次に重要 なことは、幼稚班、初級部の6~9年間でウ リハッキョ学生に朝鮮語、日本語の語彙3.000~3.500を習得させ朝鮮語.日本語のバイリンガルを完成させることである。

京都のウリハッキョでは、 朝鮮語を何とか自由自在に駆使できるようにとの考えからもっぱら朝鮮語習得のための研究と対策に専念してきたのが従来の民族 教育であった。そのためウリハッキョでは日本語習得が軽視された。それでも日本社会で生活しているから日本語を使わねばならずウリハッキョ内でも児童生徒 の日常会話が日本語となる傾向があり、この弊害を克服するため「ウリマルを使う運動」をウリハッキョと同朋家庭で強力に展開したのだ。その結果ウリハッ キョ卒業生達はバイリンガル(二言語使用)となったが、その水準は低く朝鮮語習得も日本語習得も中途半端なものとなる者が少なからず出てきた。

バイリンガル(二言語使用)の水準が高いとウリハッキョ卒業生のメリットとなる。(事実バイリンガルを活かして成功しているウリハッキョ卒業生も数多く いる)だがウリハッキョ卒業生のバイリンガル水準は全般的に低い。この原因は、在日同胞子女(日本出生、母語が日本語、日本社会定住)の現実を無視し、朝 鮮語.日本語のバイリンガルを民族教育の目的と明確に設定しなかったことにあると考えられる。朝鮮語.日本語のバイリンガルは、幼い在日同胞子女の頭を混 乱させ負担をかけるだけで朝鮮語習得とその駆使の妨げになると思い、バイリンガルにさせるための目的意識的な取り組みをしなかった状況がある。

ところが従来の民族教育でも、ウリハッキョ学生数確保の担保として始められた付属幼稚班に配置された教員達が、民族教育の一環としての幼稚班教育を模索 し試行錯誤していくなかで、朝鮮のオリニ保育の重要目標を朝鮮語日常会話習得と朝鮮民族文化体得に置き教育実践を蓄積してきた。

ウリ幼稚班教員達は、ウリオリニ達にウリノレ、ウリマルを教えるのに年長よりも年中、年中よりも年少オリニの飲み込みが速いこと、日本語.朝鮮語が混乱 せず状況に合して使うこと、学ぼうとする意欲が旺盛であることを実感していたのであった。このウリ幼稚班教員達の実感は、科学的に証明されているし、子供 を育てたオモニ達も知っていることである。

人間の子供は、生後七、八ヶ月頃からオモニの言葉を理解しはじめ、その模倣した喃語発声から始まり一才五、六ヶ月から急激な語彙の増加期に入り三才にそ の頂点に達する(3000~4000個の語彙習得)。二才頃になれば状況に合った言葉を適切に話すようになる。ウリ民族教育にとって、言葉を習得するのに 貪欲で好奇心旺盛な三、四、五才のオリニを対象とするウリ幼稚班保育教育の重要性をいくら強調しても強調し過ぎることはない。

在日同胞子女四世、五世の現実条件からバイリンガルを目指さなければならぬウリ民族教育にとってウリ幼稚班保育教育は、ウリハッキョ学生数確保の担保で ある前に、ウリ民族教育の必要不可欠の出発点なのだとの認識が必要である。

京都民族教育の発展のためには、ウリ幼稚班保育教育時期こそ民族性を涵養し、朝鮮語.日本語のバイリンガルの基礎土台を創り初級部で完成させるための研 究を強力に進めて、バイリンガル教育を本格的に目的意識的に実施すべきであろう。 更に進んで二十一世紀の世界に羽ばたく人材養成のためには、朝鮮語.日 本語のバイリンガルに加えて英語までも駆使できるようにするための研究も同時に進めることが望まれている。

(3)民族教育の質を高めるために第三に重 要なことは、ウリハッキョ学生達が学齢相当 の日本学校学生と同等の学力を持つように教育することである。

完結をみた新しいカリキュラムによる新しい教科書は日本学校学生と同等の学力を持つように教科内容が精選されている。

ウリハッキョ教員達が授業研究と教育方法研究を十分にやり、ウリ学生達の学習意欲をたかめ勉強に励むように如何に指導するかにかかっているのだ。ウリハッ キョ学父母達は、ウリ学生達がウリハッキョで生き生きと勉学に運動に学校生活を送っており、また日本語や理数科目知識の習得度が日本学校学生と比べて同等 か、より優れているときに初めて満足し、ウリハッキョを信頼するものなのである。

(4) 民族教育の質を高めるために第四に重要な ことは、在日同胞社会を確固と築き、ウリハッキョ高級部卒業生の進学指導、就職斡旋に責任を持って取り組むことが必要である。

進学指導においては、ウリハッキョ卒業班学生の希望に基づいて本人のより一層の努 力を喚起すような学校的対策も講じられることが必要である(朝大、日大、専門学校別に特別指導)。

従来どちらかと言えば、最終的には卒業班学生家庭に委せていた消極性を克服して求職を同胞企業、日本企業のなかで広く開拓して、ウリハッキョ 卒業班学 生の希望に基づく就職斡旋指導を積極的に責任を持って取り組まねばならない。

以上述べてきた四点を目的意識的に取り組めば、京都ウリハッキョ民族教育の質は高まり、まず学父母の信頼がより確固たるものとなって在籍学生数の減少傾 向を防ぐのに良い影響を及ぼすであろう。

2)方策第ニ.京都ウリハッキョ教職員達が安心して教育事業に専念できるようにし なければならない。

京都ウリハッキョ民族教育の質を高め、ウリハッキョ学父母達の支持が今程必要な 時はない。そのためには教職員達の精力的で献身的な教育活動が不可欠なの である。ところが現在、京都では教員給与遅配が常態化している。この事態を何としても至急に解決することが当面、最重要問題だといえる。

この学校運営問題を解決するためには、学区 別にウリハッキョを守る会を組織して、

ウリハッキョ卒業生、同胞、日本人など多くの人々に民族教育が同胞子女の基本的 人権であることを認識させ、一口1,000~3,000円運動に参加するよう働きかけることが必要である。

また、京都の各界各層日本人の中に『在日朝鮮人子女の人権保障に関する日弁連総第99号勧告書』を支持賛同する世論を喚起して京都府、市に第 1条校 に準ずる補助金と私立学校なみの寄付金取り扱いを要請する運動を展開しなければならない。

(幼稚班、初級部、中級部)義務教育の無料教育を展望しながら、当面、低所得層の同胞家庭子女に対する奨学制度(就職後に返還義務付与)を立 ち上げ る必要があろう。

*京都第2初級学校では、新学年度から幼稚 班無料教育を計画し、検討しているそうであ る。これを突破口として真剣に考える必要があろう。

3)方策第三. 当面の京都民族教育網の再編成問題は、京都同胞居住地域の分布状 態とウリハッキョへの通学距離、同時に京都同胞の力量関係を十二分に考慮 して構想されるべきである。

(再編成私案)京都市内東に初中級学校(幼)、西にも初中級学校(幼)、そして中 高現在地に、高級学校。

(その根拠)

汎民族教育の一貫した取り組みと幼児.低学年児童のためのバス運行を考慮して、初 級学校(幼)よりも初中級学校(幼)が東西にあるのが望ましい。

高級学校は、京都民族教育の一応の仕上げ段階である位置の重要性を認識すれば、日本中学からの編入生を積極的に受け入れると同時に、通信制の 中級、高 級課程も設置して京都民族教育を補完する必要からも単設校が望ましい。

しかし、再編成にあたっては以下の原則が堅持されなければならない。

(1)公開性、透明性を徹底的に守ること。

(2)再編成統合に必要な資金は懸案の抵当処理、廃校処分で捻出し、厳しい状況のなか当面は既存の校舎を出来る限りリフオームするようにして、本格的な新 校舎建設は5~10年後の長期計画にすることが望ましい。

(3)同時に再編成統合された学校運営の正常化を保障する基金も確保すること。

(4)廃校処分にあたっては、同胞集中居住地域に託児所、土曜児童教室などを設置して地域同胞社会の拠点としての役割を果たせるようにすること。

4)方策第四. 最後に京都で在日同胞子女四世、五世の大多数が在学している日本 学校における民族教育保障について考えてみたい。

京都での民族学級の開設は、1949年の朝鮮人学校閉鎖など民族教育弾圧のとき 同胞達が身を挺して京都市当局に要請し確保されたものであった。開設当初 は養正小、紫竹小、柏野小、嵯峨野小、陶化小、南大内小の6校で、1965年までに待鳳小、山王小、朱雀第四小、府下の小倉小も加えて10校にまでなっ た。しかも民族学級の形態が、朝鮮人児童の在籍数の多寡によって朝鮮人児童だけの特別学級形態と特定の時間だけ朝鮮人児童のみを集めて授業する抽出形態と があったのである。

ところが1965年韓日条約締結後出された朝鮮人学校否認し同化教育押しつけの 文部次官通達(1965.12.28)の意を受けて京都市当局は、 1966年5月待鳳小の民族学級を閉鎖し南大内小、朱雀第四小の民族学級講師2名を1名に減らすとともに、すべての民族学級の形態を抽出制にするとの一方 的な決定をした。その後も京都市当局は、毎年4月の民族学級朝鮮人講師辞令交付を遅らせ正常な授業を妨害するとか、何とかして口実を設けて民族学級を縮小 閉鎖しょうと策動したのであった。

その結果現在京都では、すべて(抽出制)民族学級があるが、山王小(2学級)、 陶化小(2学級)、養正小(1学級)、市立小学校三校に合計5学級あり、朝鮮人 講師5人が非常勤として勤務している。

こんな状況をそのまま放置してはならない。当局に日本学校在籍同胞子女の民族教 育権の積極的な保障を以下のごとく要請すべきである。

(1)朝鮮人児童が在籍しているすべての小 学校、中学校に民族学級を設置して朝鮮人講 師による民族教育を実施すること。

(2)日本高校に朝鮮語科目を加えること。同時に課外サークルに朝鮮文化研究会を設置するよう指導すること。

(科協京都支部 常任顧問)

ウリハッキョ:我々の学校、朝鮮学校を指す。

コセン:苦しい生活、苦労

チング:友達、親友

トンム:友達