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第 六 章 農業省検閲指導グループ

1

試験場に何か得体が知れない落ち着かない雰囲気がかもし出されているとき、急に農業省蚕業局局長崔択民を責任者として大学教授 兼 中央蚕業取締所 長である韓樹民を副責任者とした検閲グループが試験場へやって来た。

彼等は、表面上は試験場新築状況と研究士達の科学研究状況を知るためだとしたが、それは単なる口実にすぎず、桂応祥が試験場に広めたメンデル・モルガン式『反動学説』の真相を明らかにするのが、目的であった。

李徳鎌副場長が、省指導グループが下りてきたと至急に龍骨山へ人をやり知らせたが、桂博士は、その連絡員に、どうしても手を放せないのでしばらくの間、山に留まらなければならないので彼等との仕事を受け持って処理して欲しい、と紙切れ一枚を寄越してきた。

普通の背丈に度数の高い眼鏡をかけて、厳格さをただよわせた崔択民は、反動学説の本拠地をいっぺんに撃滅掃蕩してしまう意気込みで、検閲作業に着手したのであった。

倭政(日帝)時代海外で共産党運動をしていて帰国し監獄暮らしも何年かした彼は、自分自身を最も徹底的な共産主義精髄分子だと自称していた。

彼は、桂応祥博士を除いた試験場全員を新築中の本庁舎の空き部屋に集めて検閲趣旨を発表した。

「ええ、せんだって副場長トンムが場員達にソ連で行われた農業科学院総会会議状況を知らせたと言うから、ことさら再び反復はしません。メンデル・モルガ ン主義は世界革命の敵であるフアッショ・ドイツや米日帝国主義者達が採用している学問なのです。新しい人民民主主義国家を建設しているわが国で、果たして こんな反動学説を受け入れられましょうか?ところが、中央蚕業試験場は発足したその日からメンデル・モルガン主義を一〇〇%採用している機関なのです。

ここには、自分でも知らずに巧妙に悪辣な反動学説を無条件に受け入れて科学の純粋な発展を妨げる思想に魅せられた人もいるだろうし、個別的人間の学的権 威に盲従盲動して過ちを犯した人もいます。しかし、我々は反動学説の毒素を根こそぎ取るのにはまだ遅くはないと考えています。」

崔択民は、そうではないかというように、横にいる白髪混じりの風采のよい韓樹民へ視線を向けた。

韓樹民は重々しくうなずいた。

崔択民は、ずり落ちもしていない眼鏡を押し上げ正して、もう少し厳しい声で言った。

「ええ、ある人達は、それでもこの試験場で新しい蚕品種を創りあげたではないかと言って首を傾げるかも知れません。しかし、この検定資料を見なさい。」

択民局長は、中央蚕業取締所で調査した資料を、立て板に水を流すようにすらすらと読み下した。

「---ヨーロッパ種と中国種との交雑によって育種できたというラッパ型白絹種は長鼓型との交雑一代で生産性が高いと認定されて、奨励品種として春蚕期飼育で五〇%も占めている。

ところが、『国蚕四十三』『国蚕四十七』を普及した江原道や黄南道蚕業農家で、ビールス病が発生して無収穫になった農家が少なくなかった。----上述 の発病資料に見られるように、この品種は生活力が弱いので品種的価値を失っている。主たる原因は品種育成方法にあると考えられるが、二つの品種がみなメン デルの遺伝法則をそのまま採用し、いわゆる交雑1代で雑種強化をねらった点であった。---」

いわゆる品種検定資料というものを読み下した択民局長が、厳しくとどめを刺した。

「だから、各自はこの機会に深刻に自己批判をして、よりひどい過ちのどん底に落ち込む前に過ちを正さなければなりません。」

しーんと静まりかえっていた場内では急にがやがや騒ぎだした。頭をこっくりしながら側の人と低く話を交わしている人もいた。前に副場長が『特集号』を声を出して読み聞かせた時でさえも、大部分の場員達はそれが試験場の仕事とは大きく関係しないと思っていたのであった。

何人かの研究士を除いては、唯物弁証法とは食い違う観念論とか形而上学とか難しい言葉をよく理解してもいなかった。

しかし、これらすべてが他でもない桂博士を念頭においてされている話だということだけは誰もが推察した。場員達の顔は、驚愕に近い疑惑の表情を濃厚にた だよわせていた。他の話は漠然としていて抽象的なものなので、理論家達が知ることだと任せたが、試験場で育種した国蚕四十三、四十七が有害な品種だと言う のにはじっとしていられなかった。

解放前に倭場長の雑夫仕事をしていて、誰にでもすぐに腰を屈めお辞儀して挨拶する癖があるので《お辞儀じじい》というあだ名までついた柳智晟爺さんですら大声で話した。

「そんなことってあるかい。何の話なのか全然分からないよ。」

というのは、国蚕四十三、四十七は試験場の人達の何よりの自慢の種だったからだ。

どんな農村に出張しても、国立中央試験場から来たとさえ言えば、誰もがみんな

「それではあの倭奴のものよりも優秀なよい蚕品種を創った、そこから来たというのかい?」

と言って感謝の意を表した。

そうすると彼等は、当然のごとく試験場の自慢である桂博士の話をして、将来には繭の大きさが鶏卵ほどの新しい家蚕品種は言うまでもなく、家で飼う蚕より ももっと繭が丈夫で堅い柞蚕品種、色とりどり混じった色の付いた繭まで創られるだろうと、自慢しないではいられなかったのだ。

人情が厚い時だったから、農村に行って来た場員達は、例外なく試験場で新しく育種される蚕の話や桂博士の話を聞かせて欲しいと村中の食事招待を受け、隣の村まで行き接待を受けて来たと言う人までいたのだ。

また、蚕飼育収入がこのようによかったので試験場場員の家でも一軒残らず蚕を飼っていたのだが、彼等は皆、国蚕四十三、四十七だけをもらって飼育していたのだ。

蚕を沢山飼ったことのある人々には飼育感というものがあるので、蚕の食い性がよいとか挙動が活発だとか身体が強健だとかいう、長い飼育過程で感得した感じだけで彼等は 蚕品種の良し悪しを正確に言い当てるのである。

ところで、試験場場員達は、ほとんど全部一生涯蚕を飼ってきた人々なのだ。それだけに蚕については無名の「博士」達なのだ。

柳智晟お爺さんもまた自称蚕飼育『博士』という人なのだ。彼の見解によれば、桂応祥は、新しく育種した二つの蚕品種だけでも、当然博士称号を授かる値打ちのある人なのだというのだ。

しかるに、こんな蚕品種にけちをつけるとは。体つきが小さくて額がすっかり禿げた柳智晟老人がさっと立ち上がった。

「ひとつお訊ねします。私は無学で他のことは知りませんが、国蚕四十三と四十七が病体で思想が悪い蚕だと言われるが、それは本当に分からない話です。」

すると、今まで口を閉じていた場員達の中で、がやがや騒ぎ立てる声が大きくなった。

「ええ、その点を言えば。」

堂々とゆったりとして座っていた韓樹民がゆっくりと説明した。

「有能な専門家達でつくられた検定グループで科学的に判定した結果がそうなのです。」

「そういう話か。」

集会が最初の意図とは違ってとんでもないところへ流れていくので、ぐっと神経がさわった崔択民は鋭い目つきで集まっていた人々をさっと見回した。

「ヨンガム(ご老人)!」

彼はすぐにぞんざいな言葉遣いで威嚇するように尋ねた。

「倭政時代何をしていたのか?」

顔が真っ青になった柳智晟の目から急に火花が飛び散った。しかし、唇をじっと噛んで座っていた。

「倭出張所長渋谷佐市さんの〈コヅカイ〉をやっていたんだ。」

額がすべすべしていて目が雀の目のようにくりくりさせる崔炳達が言い放った。

「そんなことだと思った。」

崔択民の唇が、下へだらりと垂れ下がった。

「やい、この怠け者め、私が渋谷めの〈コヅカイ〉をやったのが、どうしたというのだ。」

柳智晟老人は、さっと立ち上がって崔炳達を取って食おうとするかのごとくにらみつけた。 「ちぇっ、騒ぎ立てるのか。そうだ、ヨンガムは倭政時 代の癖を直せなくて、桂場長が現れれば一里も離れた遠くから、腰を屈めてお辞儀するとは何ということだ。日帝残滓が染みついたヨンガムが、何を怠け者だと 言うのか、そんなことってあるか。」

「きさま、尊敬する人を尊敬したのが、どうしたというのか。」

「ヨンガム、桂博士がどんな人であるか知ってから、そうしなさい。反動思想が頭にいっぱい詰まったインテリなんだよ。」

崔択民が底力のある声でひとつひとつ刻みつけるように言うと、場内はひどい災難にあったかのごとく急に静かになった。

内密におどおどした話し声がした。

「桂場長が反動だなんて。」

崔択民は場内がしんと静まり返るのを待って作り声にもっと力をこめて話した。

「今回、上級機関から中央蚕業試験場事業を検閲しにきたのは、みな意図があってそうするのです。だから、この機会にメンデル・モルガン主義者達が試験場 にひろげた害毒性が何なのかをはっきり明らかにして、その根っこを取り除いてしまわなければならないのです。分かりましたか?」

言葉を返す人はいなかった。

2

指導グループは、完工段階に入った本庁舎に部屋を設けて人々からの聞き取りをはじめた。とがった顎にくぼんだ目をした崔炳達が、一番初めに指導グループ室を訪ねていった。

「座りなさい。」

崔択民は、椅子を勧めて向かい合って座った。

「トンムが、思想がぼやけている人と非妥協的に闘うのは非常によい。ところで、どうして人から怠け者なんて言われるのか?」

韓樹民は、依然としていかめしく仏像のごとく座っており、崔択民が尋ねた。

「実は、仕事をしないでぶらぶらしたいからそうしているのではありません。今、この試験場でどんなことが起こっているのか知っておられますか。人を簡単にばっさりと選り分け仕事をさせるのだが、倭政時期でもない今の時代に、どうしてこんなことが受け入れられますか?」

「興奮しないで順々に話しなさい。人を差別するとは、非常に重要な問題だ。彼が、どんな風にして人を差別したのか。」

「桂博士は、試験場へ新しい人が来れば巧妙な方法で試験をします。私が、配置状を持って訪ねてきて挨拶をすると、外へ出て花畑の草取りをせよと言いつけ るではありませんか。草取りをして再び訪ねていきました。(みんな取ったか?)(はい。)(そう、ところで君その花畑に何種類の花があったか?)(さあ、 数えませんでした。)(そう、その花畑にある百日草は見たのかね?)(見ました。)(その花の花びらは何枚だった?)(知りません。)こんな風にですよ。

ところで、今度は乱暴に書かれた原稿十幾枚かをくれると同時に、原稿用紙も数えてくれて、きれいに筆写してこいと言うのですよ。私は、もともと字をきれ いに書けません。それでも誠意をこめて書き提出しました。だが、原稿用紙を数えてみて、残った原稿用紙はどうしたのかと言うのですよ。インクをこぼし紙を 汚して、しわくちゃにし捨てたと言うと、頭を左右に振って行きなさいと言われたのですよ。そして、一緒に来た明吉東は試験部に配置されたが、私は庶務部員 に任命するではありませんか。そんなもので、どうして人の資格を評価するのですか。

それから、解剖室の人達に尋ねて見て下さい。桂博士は、人をロボットのように考えています。スイッチを押せば動くようになっている機械のごとく見なしているのです。」

「どのように人を機械のように働かすというのだ?詳しく話してみなさい。」

「はい、そんなことは数え切れなほどです。」

崔炳達は、場長の部屋から蚕解剖室まで線をのばして一人一人に番号が付けられていて、信号が押されるのに従って、だれそれを呼び出し報告を聞いているという事実を、憤慨し話しておいて、話を続けた。

「ある時、蚕室に初めて入ってきて蚕管理を任された原種部長の新妻が蚕管理経験がないから落ちている蚕をそれぞれの蚕箔に選別して入れられなかったので すよ。そうだからといって、何とか一緒に仕事しようとしている部長の新妻を、人情も事情も考慮しないでその場で即座に管理工職責から解任してしまったので すよ。」

「ところで、部長は何の意見も出せなかったというのかね?」

「ぐうの音も言うはずがありません。間違いなく桂場長は、その女の人が原種部長の新妻だということも全く知らないはずです。蚕しか知らないんだから。」

「分かる。どこか知らないが、彼の行動には、昔に奴僕を無制限にこき使った資本家の行動を連想させるものがある。」

崔択民がこっくりうなずいた。

「勿論、その点も問題になるでしよう。しかし、一番大事なことは、原種部と試験部で古典遺伝学でよく使われている有害な方法だけを使っている点にあると思います。」

韓樹民がゆっくりと付け加えた。彼は、応祥の事業に対して、いつもと違って冷淡でそっけない態度をとった。

「その通りだ。ところで、どうして原種部や試験部では一人も来ないのか?そうとう毒されているようだ。」

崔択民は、桂博士の下で彼の指示を受けて仕事をしていた研究士や研究助手を一人一人呼びだし聞き取りを始めた。

誰よりも原種部長と試験部長が崔択民にきつく問い質された。しかし、貫禄のある体格で気性が柔和な原種部長は、

「はい、はい、」と答えて、

「原種を純系分離しておくのが反動学説を受け入れたことになるのが分かるか?」と問い質されると、

「はい、この度になって分かりました。直します。」と真面目に答えた。

「どのように直すというのか。」

択民が重ねて尋ねると、この聞き取りが終わった後も純系分離した原種の維持体系をちょっとでも違うように動かせないことは知っていたが、

(はい、せよと言う通りにします。」と言った。

だから、気を確かに持って自覚性を高めて仕事をしなければならないと念をおされたが、それ以上問い質されることはなかった。

しかし、試験部長明吉東は、韓樹民の知っていてそ知らぬそぶりをした質問の真の意図をはかることができず、いちいち正直な返事をしたために、たまげるほど問い質され、あっぷあっぷした。

「四十七号と百十一号を交雑した一代は収益性が高いというのだね?」

「はい、それは事実です。」

「その次の代では?」

「不思議なことに、三対一のの比率に分かれました。」

「そう、他の品種の蚕などでもそんな規則的な比率が出たのか?」

「それは混合遺伝現象として説明することができます。」

「どのように?」

韓樹民の巧妙な罠にかかった、真っ正直な明吉東は、訳も知らずに古典遺伝学の典型的な実験結果を主張する失策をしでかした。

そのぐらい話が展開されると、崔択民が机を「たん」とうち下ろして吉東の急所を突いた。 「トンムこそは、桂応祥の麻薬に完全に中毒されている 嘆かわしい人だな。これではだめだ。下がって自分の仕事をもう一回しっかり検討してから来なさい。どうやらトンムは民主独裁の棍棒をしっかり味わなければ ならないようだ。」

純真で純朴な人柄で、桂博士の知識を絶対的な真理だと堅く信じて全的に彼の指示を法のように思って実験をしてきた明吉東は、晴天の霹靂のような打撃を受け魂が抜けたようになって帰っていった。

こんなように行われた聞き取り調査がおよそ一週間も続いた。

聞き取り調査を終えた崔択民と韓樹民は、戸を閉め切って総括報告書を作成していた。

その時、意外にも紺色大学制服を端正に着た崔弼浩が部屋へ入ってきた。

「先生、ご機嫌いかがですか。」

学生帽をとってこっくり挨拶する青年を注意深く見つめた韓樹民は非常に喜んだ。

「おお、君がどうして?」

「ここに来て、すでに半月過ぎました。」

「そう?君はどんなことで?」

「私も桂博士の研究事業を人知れず検討しているところです。」

どことなく皮肉っているようではあったが、蒼白の顔には厳しい表情が見られた。

「ほほう。」

韓樹民はあきれたように笑って、横に座っていた崔択民局長に崔弼浩が農大教務副学長の甥だと紹介して、大学にいたときに自分達を訪ねてきたことや彼に助言を与えたことなどの話をした。

「ところで、どうしたことで試験場まで訪ねてきたのか?」

崔択民が好奇心にかられて尋ねた。

「私は党員です。先生達も桂博士に試験場事業を了解するのだと言って彼の研究事業を検閲しているように、私も勉強しに来たと言って実は人知れず博士の研究過程を検討してみています。」

崔弼浩の態度は非の打ち所がないほど落ち着いており沈着であった。二人はお互いに視線を合わしてひそかに微笑んだ。

「つまり、あの時、韓樹民先生の意見を聞いて完全に新しい出発をしたということだな。」

「そうだと言えます。知性の学的権威に対する幻想のベールを投げ捨てて、自分の目で冷徹に真実を確認してみようとしたのです。」

「とんでもない考えをしたものだ。それでは、夏休みが始まるとすぐにそのままここへ来たのか?」

「はい。」

「どんな方法で博士の研究事業を検討し始めたのか?」

「試験場で桂博士が一番重視しているのは蚕解剖生理室です。私が解剖室で実習をしたいと言うと、ショウジョウバエまで提供してくれました。」

「ここではショウジョウバエまでもっているのか?」

「そうです。」

「面白い。ショウジョウバエだ。あの《ソ連農業科学院総会》できつく批判されたショウジョウバエのことなのか?」

崔択民が生き生きと勢いづいた。

「そうだろう。実験遺伝学者達が、取り扱うショウジョウバエなんだから、 他のものではないだろう。」

「そして、その次にはどうしたのか?」

「蚕解剖室で五日間ショウジョウバエや小楢蚕解剖を少ししてみて、次いで原種部と試験部へ行ってみて、一部署に五日間づつ留まっていました。」

「そこで何を明らかにしたのか?」

「《おおよそ新しい科学理論の正当性は自然に向き合ってて検討されるときにだけ真のものと認証されるのである。》と言われた先生の論文の名句が、どんなに正しいのかを悟りました。」

「ほほう、そうであろう。ちょうどよいときに来た。どんな既存学説にもとらわれていない君の判断こそが、我々に大変貴重な資料となるであろう。トンムが人知れず検討した資料を、われわれに書面で提供してくれないかね?」

崔択民はますます興に乗って弼浩を見上げた。

「そうですか、私の意見が助けになりますか。しかし、要求されるならば喜んでそうします。書面でだけでなく口頭でもやります。しかし、もう少し検討してみたいと思っています。」

「何か?ためらわず言ってみなさい。」

「試験場で新しく育種した蚕品種も、現地に出掛けて了解してみようと思います。韓樹民先生が中央蚕業取扱所で点検されて作成された資料を、少し見せてもらえないでしようか?」

「ほほう、この者はただ者ではないな。よかろう、さあ見なさい。ところでトンムはいつまでに我々に書面報告を提出できるのか?」

崔択民が分厚い報告資料をさっと渡してくれた。

「我々は、それがすぐに必要なのだ。」

「残念なことですが、私はこの資料で挙げられている江原道安辺郡蚕業農家まで廻ってみて報告書を書くつもりなのですよ。」

「安辺郡蚕業農家まで?」

「はい、偶然に始めたことだけど、どうせ結末を付けようとすれば徹底的に調査研究しなければならないと思っています。」

「それでは、どうしょうもない。」

期待が外れたかのように崔択民は、名残惜しい表情をした。すると、

「そのように調査してどうするつもりなのか?」

と韓樹民が尋ねた。

「生意気な考えであるかも知りませんが、古典遺伝学に対する大学生の見解を示す小論文を書こうと思っています。」

韓樹民は眉間に皺を寄せたが、威厳をもってうなずいた。

「よいことだ。それでは成功を期待しよう。」

その日の午後、崔弼浩は、休暇期間が終わる前に安辺郡蚕業農家を見て回るために急いで出発した。

3

省指導グループ成員である崔択民と韓樹民は、ものものしい総括報告書を作成して桂応祥を待っていた。その総括報告書を見れば、国立蚕業試験場 は、最も悪辣で執拗にメンデルーモルガン主義を伝播している反動の巣窟であり、至急に対策を立てなければどんな事態が起こるか分からない危険な状態にあ る、と一見すれば充分わかる筈た。

「よし!」

総括報告書をもう一度読んでみた崔択民が、一方の膝をたっと叩いた。

「とても古くさい昔のインテリを精いっぱい大切にしてきたから、こんな状況にまでなったのだ。根本的に立て直さなければならない。」

彼は興奮して部屋の中を行ったり来たりした。崔択民は、唯一自分のような真っ当な革命家だけが、こんなびっくりするほどとんでもない事態を立て直すことができるのだと確信していた。

択民は部屋に入ってきた李徳鎌副場長に鋭い目つきを投げかけた。

「どうしたことなのか?うん。」

桂応祥博士をどうしていまだに山から引き下ろして来られないのかという叱責であった。 「あっ、そうだ。あそこでも今日柞蚕飼育実験についての何かの総括をするのだそうです。《豚砲》とか《ガス砲》とかいうものまで設置して騒ぎ立てているようです。」

「てんで話にならないテイジ(豚)ポ(砲)とはまた何のことなのか?」

副場長を険しくにらみつけた崔択民は、もう一度、

「よし。」

と言って壁に掛けていたコートを取り上げた。

「龍骨山」へ上って決着をつけてしまおう。」

崔択民と韓樹民は、副場長と一緒によろよろする日本製の古い乗用車に乗って龍骨山へ向かった。

4

この日、桂応祥は、空の一角が明けはじめる前に飼育工達をせきたてて柞蚕場へ上っていった。草木の生い茂った林の中を朝露をたっぷり含んだ茂みを掻き分 けていく彼等の下半身は、いつの間にか、川を渡ってきた人のように濡れてだらりとしていた。 柞蚕場が一目で見下ろせる尾根には、鳥どもを追い散らすた め、古木の筒で造られたガス砲が設置されていた。飼育工達は、カーバイトガスを爆発させるこのガス砲が豚の口の形に似ていると言って《豚砲》という名前を 付けたのだ。

桂応祥は、人の背丈ほど充分に育った小楢の木に見事にぶら下がる小楢蚕を満足げに見おろした。彼は、これまで山中の仮小屋に留まって執拗に観察した結 果、小楢蚕に最も大きな害を与えるニクバエ蛆の寄生経路を明らかにしたのだ。蚕を死滅させる山鳥被害防止対策も完成しかかっていた。 新し い着物にすっきり着替えたヤママユガ科の蛾が、まもなく繭を造り上げるだろう。その時になれば、この柞蚕場はわが国で初めて最も高い収穫を出す小楢蚕飼育 地となるであろう。

日がすっかり明け、雀の群が一番初めに柞蚕場に飛んできた。鳥どもも蚕が見事に成熟しているのを敏感に感じ取っている様子であった。飼育工の娘達は「うよーうよー」とあっちこっちで声を出して雀の群が下りるところへ走って行った。

しかし、狡猾で年を経た雀たちは石ころのように木の下に穴を掘って入り、根気よく蚕を食べてしまうのであった。

身体が丈夫で背が高くすらっとした飼育工の娘たちが、鳥打ち銃を肩にぴったりつけて雀を狙って撃った。どんなに悪賢くてひどい奴なのか、仲間が側で鉛玉 を食らって死んで落ちても、「ぽるるっ」と羽ばたいて横の木に移り座るだけで遠くへ逃げる算段をしないのであった。飼育工が肩に掛けている背負い袋がほと んどいっぱいになってきて初めて、雀たちのさざめきがとぎれがちになるのだ。

ところが、今度はカラスの群が低く飛んできて、前日の間に小楢に移ってきた蚕に、とびかかるのであった。

「博士先生、早く火をつけて下さい。」

かんかんと飼育工の娘の差し迫った叫び声が響いた。桂博士は時期を失しないように豚砲の口に水筒を傾けた。ちびれた口に青みがかった煙が這い出てきた。素早くそこに火をつけると「どかんーー」と山並みを揺るがす爆音が弾けた。

羽を束ねて柞蚕場へ矢のように下りてきたカラスの群が、急におじげづき向かいの山稜へ飛んで行った。しかし、後ろからついてきた年寄りのカラスどもは、逃げていくふりをして近くにある一抱えあまりもあるクヌギの木の上に下りるのだった。

動作が鈍くのろのろ飛んでいく年取ったカラスどもは、《豚砲》の音は騒がしいが何の危険もない空の大砲の音だと推察したようであった。

「どかんーー」

桂博士が《豚砲》にもう一度火をつけるのと同時に、身体のすんなりした飼育工の娘たちが、石ころをいっぱいにした背負い袋を振り回した。

「どかんーー」という音と一緒に、カラスがとまっているクヌギの木へ拳のような石ころが飛んで行った。そうしてやっと、カラスどもはふわりふわり、かなり遠くへ飛んで行くのであった。---

日がかんかんと照りつけていて、数十万のヤママユ科蚕が小楢の木の葉を食べる音だけが松林の中を吹き抜ける風のように親しく響いてくるのに、向こうの紅葉の木の下からは飼育工の娘が吹く笛の音がかすかに響いてきた。

桂応祥はひとり満足して微笑み山を下りた。彼の目の前には、遠からず全国の小楢林でヤママユ科蚕が鈴なりになっている、うっとりしてしまう素晴らしい光景が、鮮やかに思い浮かんだのであった。

ところが仮小屋の前には、来客がじっと立って彼を待っていた。

「桂先生!どうしても我々を避けるつもりなのですか?」

コートを肩の上に掛けた崔択民が、気に入らないと話かけた。応祥は、来客達に丸太台の椅子を勧めて自分も丸太台に座った。

「何時も忙しさに追われていて、そうなったのです。」

そして、言うことがあれば早く言いなさいと目を閉じて顎髭をなで下ろすのだった。

二人は呆れたように見つめ合い、感情を害して仕方なく微笑んだ。

今度は、韓樹民が、目頭を下げたまま押し黙って座っており、崔択民は、常日頃よりも特に重々しく感じられる作り声で話をきりだした。

「場長トンム!」

応祥は、眼を開けて崔択民の角張った顔を静かに眺めて、またもや目を閉じた。

「『自然』特集号を見られたでしょう。」

「さあ、一週間前だったか、書記トンムが要約翻訳したものを持ってきてくれたのだが、仕事が忙しくてまだ見ていません。」

「何だって?」

崔択民は、悲鳴に近い声を出し、韓樹民の目じりがますます尖った。

「どうしてそんなことがありえますか。それについてはすでに試験場場員達までみんな知っているものと思っているのですよ。」

「そうかね?」

桂応祥は目を開けてからまた閉じた。

崔択民は、桂博士のそのような態度に我慢できない侮辱を受けたかのように顔が赤くなった。

「遺憾であります。その『特刊号』には、桂先生の研究事業と直接的に関係する非常に切実な問題が含まれているのですよ。」

「そうかな?私は他国の科学界での会議文献がどうして私の研究事業と密接な連関があるのかは知らないが、貴方の意見に従って時間をつくりましょう。」

桂応祥は、目も開けないで顎髭何本かを左の薬指と親指でよじりながら応対した。

「暇を見つけて読むのではなく、今からでもすぐに見るとよいと思います。そこには、場長トンムが主張する学説が受け入れられない、非常に有害なものだとはっきりと明らかにされていますからね。」

択民が、鋭い目つきで桂応祥をじっと眺めた。

これでやっと井の中の蛙のようなこの者も驚かずにはいられないだろう、と。

桂応祥の目がしらがぶるぶる震えたが、彼の返事は大変冷酷であった。

「私が知るところによれば、ルイセンコを囲んで起こっている論争は大して目新しいことではないことだと思うのだが。」

「それはどだい、何という話し方なのですか。人を無視するのもほどがある。」

崔択民は語声を高めた。応祥は静かに返事した。

「貴方の側に座っている韓樹民教授もよく知っていると思うが、その国の学界で、二つの遺伝学が、論争を起こしはじめたのは二十年前からなのだ。」

「それでは、桂先生は越北するときから、そんなことがあるということを知っていたということなんですか?」

崔択民は、桂博士にというより韓樹民に尋ねるようにそっちへ視線を向けた。

韓樹民は黙ってうなずいた。

「ほう、そういうことなのか。それならば、何か持って回った言い方で話す必要もないのだ。率直に言って、この度、農業省では八月総会に関する文献を受け 取ってみて、わが国でも多かれ少なかれ差はあろうが事情は同じだろうと考えました。それで急にグループを組織して中央蚕業試験場事業から調査検閲しょうと 決めたのです。実際に来て実態を調査してみて、上部機関で憂慮していた問題が無駄ではなかったことを確認することができました。」

崔択民は、話を区切って相手を眺めた。彼は、どうしても重大な話をしているときにも目をきっと閉じている、こんな人に話を続けられない様子であった。

ところで今や、微動もせず目を閉じているのが、寝ているのかそのようなふりをしているのかとても見分けられないようであった。

韓樹民は、関わらないで早く話を続けよと目配せした。

偏屈で片意地なこの人は、元来そんな人間なのだから仕方がない。そして、私がつきあった経験によれば、そのように寝ているかの如く目をきっと閉じているときこそ、注意深く話を聞いている様子なのは間違いないのだ。

このように耳打ちするかのように、韓樹民は何度もうなずくのであった。

桂応祥は、無益なことに視力を使わず、澄みきった気持ちで注意を集中するため目を閉じているというのは正しい判断であった。しかし、この時、桂博士をじっくり観察したならば、彼の口もとや目じりに目立たないが痙攣が起きているのを見受けたことであろう。

丸太台に座ったとき、桂博士は、手の甲がちくっちくっと痛むのを感じてちらっと見下ろした。山から下りてくるときからそんな感触を感じていたのだが、松毛虫に刺されたのだなと思ってチョゴリの袖でこすってしまった。

ところで、初めて注意深く見てみれば、一匹のダニが手の甲に食らいついていたのだ。血を吸ってぶくぶく肥ったそれが、皮膚の中へ潜って入ったところがすでに赤くはれひどくなっていた。

これが、ひょっとして、去年若い研究者を死なせた、あの恐ろしい病菌の媒介者ではなかろうか。

何時の日か、ある医学雑誌でソ連のシベリヤ地方で脳炎を発生させるダニがいるという文章を見た記憶も思い浮かんだ。

いや、そんなことはない。トカゲが蚕を食べるのを観察したその日も、ダニにふくらはぎを噛まれたではないか。それがそんなにも殺人的な毒を持っている害虫ならば、病気はすでに始まっていなければならないではないか。

桂博士はダニをそのままにしておくようにした。それが、この病気を発生させる張本人であることを確認するためにも必要なことだとみなしたのであった。彼は、奥歯をぎゅっと噛んで目をじっと閉じていた。

しかし、崔択民は、桂博士のこのような態度こそが自分のグループに対する明白な反発と侮辱のしるしだと断定したのだ。彼は、判決文を読むように力をこめて話した。

「これまで我々が国立中央蚕業試験場事業を調査検閲したことによれば、ここでは公然とメンデル・モルガン主義を宣伝普及しているだけではなく、原種維持 から初めて品種育種、解剖生理にいたるまで徹底して古典遺伝学的方法を採用しています。毎週二度ずつ、試験場宣伝室では桂博士の主管で遺伝学に対するいわ ゆる通俗講義が行われているのだが、これは一種の夜間学校形式をとり、すでにおよそ一年あまりおこなわれています。そんなことがあったでしよう?」

微動もしないで目を閉じていた桂応祥がうなずいた。

「事実、その通りです。我々は試験場付属夜間専門のようなものを、運営してきたことになるでしよう。農業省に提起して、授業を終えた場員達に蚕糸技術員養成所卒業証のような資格証まで授けようとしました。」

「自分自身が認めるから大変よいです。こんなに場員全体を反動的メンデルーモルガン主義者に完全に武装させようとしただけでなく、研究事業は典型的な反動的、形式的、修辞学的方法で行われています。

《新遺伝学》では原種維持で純系を認めておりません。ところで試験場では品種内で自家受精を継続すれば品種の純粋性を保存できるとの美名下で、約三十名の労力を動員して数百種の品種を純粋の品種に分離する事業をねばり強く行っています。」

顎髭を音もなくなで下ろしていた桂応祥が、静かに眼を開けて低いが激憤にかられた声で尋ねた。

「お話の途中で失礼だが、一つお訊ねしたい。それでは、品種維持をどうしてやれというのかね?」

崔択民は眉間に皺を寄せた。しかし、桂応祥が自分の話に全く耳を傾けていないと思って腹を立てていた彼は、心の中で快哉を叫んだ。

(それはそうだろう。 そうだから、お客と話をしながら目を閉じていることは先例のない失礼なことなのだが、相手の話に注意を集中して聞くのにいかにも似つかわしい方法のようだ。)

「分かりました。今からメンデル・モルガン主義を掃き捨てる明白な方法についても言及するようにします。」

崔択民は、自分の特技である一見厳かな語調を立派に生かしながら、勢いよく話を続けていった。

「その文献を見ればよく分かると思うが、現時期、共産主義者達の前には、従来の客観的な科学を革命に積極的に奉仕する科学に創ることが要求されているの です。特に、民主建設の荘厳な行進が行われている躍動の時期に、ショウジョウバエを飼育してその繁殖過程を観察し図を描くのに十余日間も使い、その身体に ある数百箇の気管やその管ごとに生えている薄い細かい毛がしゃもじ形なのか針形なのかを明らかにするのに、五人の才能ある研究士が歳月を重ねていたとは何 と嘆かわしいことか。----」

桂博士は、横のポケットから懐中時計を取りだして見下ろした。崔択民が総括報告資料を読みはじめてすでに一時間過ぎたのだが、今からやっと実態資料分析 を終えていわゆる画期的な対策について話していた。朝早くから掴み所がなく頭の中を駆け回っていた面白い柞蚕交雑法は、遠くへ消えてしまい、耳にはうわん うわんという音だけが高くなった。

このように研究事業と関係がない無益なことに巻き込まれると、分と秒を計算して建てられた研究計画が、よじれ曲げられる惜しい思いが先立って、気持ちが焦り、精神的安定が完全にこわされてしまうのだった。

彼は、取りだした懐中時計を拳の中で持ち撫でながら、失った時間をどうして挽回すべきかという考えをしぶとくめぐらしてみたが、それは無駄なことであった。耳には鐘のようなしつこい雑音が響き始めたのだ。

彼が、最も我慢がならず憤らざるを得ないのは、黄金のような時間を無駄に過ごしてしまうことなのだ。

ところで、彼はすでに一時間半ほど、そんなひどい苦痛を堪えているのではないか。

彼は目をぱっと開けてさっと立ち上がった。

「もう、全部終わったのか?」

「どうしたのですか?」

崔択民が面食らって言った。

「どうしても誤って伝えられたものは正さなければなりません。」

「そのぐらいでもうよい。全部分かる。そうだから、あなた方の対策的意見というのは、解剖生理室も解散してしまい原種維持室も何人かで品種を区別して置き、よく育てればいいので、育種事業も管理に最優先させればよいということであろう?」

桂応祥は顎髭をぶるぶる振るわした。

「よくおっしゃいました。要点をちゃんと知っておられますね。」

崔択民が、皮肉っぽく応対して応援を頼むかのように韓樹民に視線を向けた。

しかし、韓樹民は、依然として組み合わせて太くなった両手を腹の上に置いたままあらゆることに無関心のようでもあり、深い関心を持っているようでもある慎重な態度でじっとうつむいて見ていた。

鋭い目つきで彼をにらみつけていた応祥は、崔択民へ視線を向けてきっぱりと言った。

「私は仕事をしなければならない。だから、失礼だが、どうかこの山から下りられるよう望みます。自分の手でただの一度の蚕交雑も実験もしたことがなく、他の国の学界の消息を持って騒動を起こすあなた方とは、論争をすることが出来ません。」

崔択民は敵意に燃えて応祥を眺めた。しかし、応祥は、これ以上彼等に視線を向けないで仮小屋の中へ入って机の前に行き座った。

いつのまにか、彼は、他の人が理解することも推察することも難しい複雑な図式の世界へ没頭してしまった。当然に、その深遠な図式の後ろには、彼だけが感 得できるある魅惑的な世界がきらびやかに繰り広げられているようであった。すでに彼の眼中には、応対していた〈来客〉達の存在が、はるかに遠い世界へ押し 流され去ってしまったかのようであった。

呆れて桂応祥をしばらくの間見ていた〈来客〉達は、調べた文章をあたふたとしまい込み山を下りた。彼等は、事態があまりにも嘆かわしく厳しいので、指導 グループの決心だけでは到底どうすることもできないため、上級機関の結論を得ようと副場長を連れて急いで平壌へ上って行った。

いわゆる《指導グループ》が試験場でやったことをかえりみた桂応祥は、崔択民もそうだが、韓樹民の態度に身の毛がよだつ思いがしたのだ。こん度も彼は、 うわべでは仕方なく引っ張られて来た態度をとっているが、現れた事実を見れば、彼が、後ろで前とは違って、冷静に行動したことが感じられるのであった。

彼が、いくらルイセンコ説に共鳴したとしても、古典遺伝学が実践に有用であることを知らない人間ではないのだ。反対に彼は、それについての充分な知識を持っているから、問題の本質を最もよく知っていたのだ。

然るに、どうして彼が、古典遺伝学による研究方法を抹殺するのにあんなにも積極的に加わっているのだろうか。

彼は、意図的に食ってかかってくる恐ろしい敵以上に執念深い。意図的であれ、そうでなくとも、そのようにして得られた結末をもって彼の行動の動機を分析してみれば、彼はどんな人間なのか?

まさかそんなことがあり得るだろうか?

今度という今度は友だとは言えないが、依然として友だと自称する樹民の存在方式について、応祥はじっと考え込んでしまった。

5

暗闇が翼を広げたような夜であったが、試験場構内ではそわそわした風音だけが起こっていた。真っ青に晴れた夜空には、星がはっきり冴えて光っていた。周囲はしんと静まり返っていた。

しかし、龍骨山から下りてきた桂応祥博士は、以前と変わらず、夜が更けても蚕解剖生理室からはじめて原種部試験部の研究士達を一人ずつ呼んで実験報告を きちょうめんに聞いていた。一番後に桂博士の部屋に入ってきた明吉東の顔色がどうしたのか真っ青になっていた。唇が腫れ上がっていて、目立って窪んだ眼窩 には濃い目の隈が出来ていた。

「君、どこか痛むのか?」桂博士が明吉東の丸くて平べったい顔を注意深く眺めた。

「な、何でもないです。ちょっと風邪をひきました。」吉東はわざとせき込んでみもした。

「そうか、製糸室の人々が、ヤママユから紡いだ糸で織った布地は受け取ったのか?」

「はい。これがまさしくその絹地なのです。」

明吉東は、手に携えてきた紙に包んだものを用心深く差し出した。

「どうだ?」

桂応祥は、薄くて柔らかな絹地を視線で軽く撫でるだけで、手にとって見ないで言った。

「持っていって試験部の人々にハンカチにでもしてはどうかと分けてあげなさい。さあ、行きなさい。」

明吉東は唖然として桂博士を見上げた。彼は取りだした絹地二枚を用心深く包んだ。昔の人々が故郷を出て遠いところへ行く人に絹で織ったハンカチを贈り物にやった、という話を思い出した。

生物体などで現れる強勢現象は血縁関係が遠ければ遠いほど、生活条件が異なれば異なるほど効果がはっきりと現れる。それで桂博士は、互いに種が異なる天 蚕と神樹蚕という小楢蚕を交雑して、天蚕が持っている珍しい性質は生かしながら、小楢蚕のように大々的に飼育できる性質を持つように創ろうと着想したので あった。

だが、このような種間交雑は、騾馬(雄ロバと雌馬との雑種)とケッテイ(雌ロバと雄馬との雑種)との交雑や

野生の鴨とアヒルとの交雑で、その後代を得ようとするのと同じように難しいことなのだ。桂博士は、今までの世界の研究業績を捜してみてもいまだに未知の問 題となっているのを我々が解決しようとするのだから、過ちをしないようにしっかり準備してかからねばならぬと何度も強調した。

しかるに彼は、このような着想こそ自分の間違った反動理論を正当化しようとする無益なことだと、人々から非難されているのを知っているのかどうか。明吉東は、肩をだらりと下げて外へ出て行った。

知らぬ間に窓は、カーボン紙を張ったようにどす黒くなった。試験場は重い暗闇の中へ深く埋もれていった。訪ねてくる人々の足取りが、とだえて久しい。桂 応祥は、びくっともせずその位置に座っていた。しばしば人は、桂博士が、兎のようにいつも決まった散歩路と蚕室への道以外には行き来せず、自分の部屋で熊 のようにこもって研究事業をすることのほかには無関心なようなので、試験場で起こっていることについて何にも知らない、と思っていた。しかし、これは、桂 博士についてあまりにも皮相的な見方である。彼は、偶然に試験場構内でばったり出会う場員達のぎこちない視線や、試験報告をしに入ってきて前とは違って丁 寧な態度をとる研究士達の礼儀正しい公式的な態度、そして、実験蚕室飼料調理室で勢いよく話し合っていた実験工達が彼を見ると話をさっと打ち切って悪いこ とをしたかのように頭を垂れる態度などに、彼等が理解しがたく訝しくて気がかりである錯雑な心理をあらわしていたのを推察していたのであった。

桂応祥には、鄭書記の言っていたあの『特集号』が試験場に飛び込んできたときから生じたものだとすぐ分かった。彼は、几帳面な鄭書記が分厚い学習帳に書いた翻訳資料をまじまじと見下ろした。

これまで目も鼻も開けられないほど忙しくはあったが、読む気さえあれば翻訳資料をいくらでも読むことができたのであろう。彼は誰が何と言っても、それを 一つの参考資料としてだけ以外のものとは見ない立場を取ろうとしていたのだ。しかし、今や、どちらにしてもこの『特集号』を直ちに慎重に読まざるを得なく なったとの思いがした。

耳慣れた足音が少しずつ近づいてきて戸が用心深く開けられた。

「お疲れでしよう。」

若い妻が、机の近くへ来てコップを置いて、やかんで沸かした牛乳を一杯少しずつあふれんばかり入れた。

「冷めないうちにどうぞ飲んで下さい。」

彼は、二か月前に新しい妻を迎えた。世知辛い生活に窮し、独り身で暮らして人知れずかなりつらい思いもしてきた教養のある女性であった。彼女もまた、夫の生活を誠意尽くして支えていた。

彼女は、桂応祥が牛乳を好むことを知って、二日に一度邑から十五里ほど離れた三峰里乳牛牧場へ訪ねていき牛乳をもらってきて、一日三度食間に蜂蜜一匙入れ、ほかほかに沸かしてあげていた。

「有り難う。」

彼は、妻にやさしく言って資料包みを広げた。だが、妻は退かずその場に立っていた。

「十二時が過ぎましたよ。」

応祥は、懐中時計を取りだしてのぞいてみた。十二時十分前であった。

「分かった。先に入って休みなさい。私は、今やっている仕事をし終わってから行くよ。」

妻は、黙ってうなずいた。しかし、どうしてか涙がこぼれそうになって、音を立てずにため息をついて入ってきたときと同じように目立たないように外に出て、自宅である下の棟へ下りて行った。

彼女の後ろ姿を黙って眺めた桂応祥の顔に、一筋の暗い影がちらっと映って消えた。

彼は、事務机から白い布カバーで覆ってある安楽椅子へ移って座った。視力がよい彼は、電灯の明かりがやや斜めから照らす電灯の明かりで安楽椅子に座って も、読みやすく書かれた鄭書記の字はいうまでもなく、胡麻粒のように小さい活字の外国語辞書をのぞき見る時でも別に支障をきたしはしなかった。

彼は、つかれた身体を安楽椅子に載せて翻訳資料を読んでいった。

6

---ソ連農業科学院総会は一九四八年七月三十一日から始まり八月七日まで行われた。一番初めに農業科学院院長であるテ・デ・ルイセンコが、最初に登壇し て、『生物科学の現状態』という基調報告をした。彼は、自分の報告でメンデル・モルガン遺伝学の無益性を峻烈に批判して、こんな学説が出てきた根底には間 違った哲学スコラ派の哲学があるのだと指摘した。

彼は、唯物論哲学の立場を守る進歩的な生物学者達は遺伝性の可変性を確信しまたこの変異は人間が希望する方向へ向けられると見るのだが、ミチューリンは このような見解が正しいことを確証してくれた、と強調した。しかるに、メンデル・モルガン主義者達は突然変異が無方向的なことから生物の変異は予測できな いとしていた。これは生物学界の目的論(世界のすべてのものは神によって創造されたと見る観念論的学説)であり形而上学である。

遺伝現象を環境から分離して説明するメンデル遺伝学は、遺伝的変異の無方向性を頑固に主張している進化論から離脱しており、農業の指導原理としても大変有害なものである。

彼は、体細胞を通じて遺伝性が変わる獲得形質の遺伝の正当性を力強く強調して、ミチューリンの名言『自然から恵みを待つのではなくそれを獲得するのが我々の課題だ。』を引用してミチューリン学説の積極性を強調していた。---

遺伝を生きた生物体から分離して考察するメンデル・モルガン学派の学者達は、単に自分の学説の退歩をもたらしただけでなく、ミチューリン主義の発展を阻 害する結果を招来したのだ。彼等は、祖国の運命が耕作にかかっていた非常に厳しい戦争時期でさえ、何の役にも立たない学問研究に没頭していて例えば、ドビ ニンは、ドイツ軍が占領したウオロネジュ市付近で野生ショウジョウバエ染色体変異のいろんな形がどのように分布しているのかを調査していたのだ。

ショウジョウバエのある形は年の入れ替わりに従い増加し、あるものは減少するのがあるのだが、この発見によって科学を実り豊かなものにしたというのだ。 まさにこんなことが、メンデル・モルガン主義者達が戦争時期科学に貢献したことなのだ、とルイセンコが話すと、会議場ではわあと騒ぎ立てる声が起こった。 ---

桂応祥は、椅子の背にもたれかかっていた姿勢を正して、考えたよりもずっと緊張した。二十世紀の偉大な発見の中の一つである遺伝の秘密が明らかにされた 業績は、モルガンがショウジョウバエの目から初めて染色体を発見して、その染色体に遺伝子が一列に配列しているのを明らかにしたことを契機にして決定的な 前進が遂げられたのだ。

この時から、世界各国の遺伝学者達は、我先にとショウジョウバエを出発材料としてさまざまな実験を行ったのだが、ドビニンのショウジョウバエ野外実験 は、自然の種の差異は突然変異の出現頻度の差異が地方個体群別に生ずることを証明した。これは疑いもなく遺伝学を深化させるのに貢献した重要な研究業績の 一つであった。桂応祥は、どうしてドビニンの研究業績が、非難の対象になるのか分からなかった。彼は、テ・デ・ルイセンコが起こしている騒動に驚かざるを 得なく、深い疑惑に包まれて会議録を続けて読み進んだ。

ルイセンコに続いてオルシャンスキ、エイピルドイサエブ、---ヤクシュキンたちが討論に参加した。ヤクシュキン院士は討論で次のように話した。

「我々が、メンデル・モルガン主義遺伝学者達を非難する理由は何なのか。それは、第一番目に人間の生活と連結しない生物を実験材料に選択しているのが挙げられる。---

戦時に生産を増やし、国を守ったのは、ショウジョウバエ飼育者達ではなく、ミチューリン遺伝学陣営の人々であった。---

ソ連人民が全力を尽くして自分の自由のため闘い輝く戦果を得ているときに、一部の人々は戦争がハエに及ぼす影響を調査していたのだ。---ヤクシュキン院士がこのように話すと、会議場では《ハエ飼育者》という声が響き渡った。

第二日目の会議の午前、八番目の討論が終わった後で、議長が司会者側から送ってきた意見書を朗読した。

「なぜメンデルの遺伝学者達は登壇しないのか?彼等が、それを希望しないのか、それとも議長が、彼等にそんな機会を与えていないのか。」

議長は、これに答えて反対派はまだ申請がないけれど、彼等が、討論に参加するように対策をたてると話した。

二日目の会議は昼に引き続いて夜にも継続されたのだが、この夜、四番目に古典遺伝学者ラポポルトが登壇した。

彼は、古典遺伝学と『新遺伝学』を統一しようとすれば二つの学説が対立するのは当然のことで、このような対立は科学の将来の発展のため必要だと討論した。

そして、この場で観念的な産物として排斥しているゲンとは、数万箇の分子構造を持つ微細単位なのだ。これが染色体と関係があることは、長い間の苦心に満 ちた研究の結果によって探求されたものなのだ。微細単位の存在を否定することは科学発展の低い段階ではあり得ることだ。現在は、ビールスに入り込む細菌を 顕微鏡で捕捉する時代が来ているではないか。

ゲンは勿論微細な単位体だ。それゆえに、このような突然変異に作用する自然淘汰を完全に理解しないことにはダーウイン説を発展させることは出来ない。---

ミチューリンも古典遺伝学を排撃しなかったし、スターリンも外国の科学業績を正当に受け入れなければならないとした。偏狭な排他思想は科学を前進させるものではない。だから、私は伝統遺伝学をソ連から追放しようとする態度に決定的に反対する。 ---

この時、会議場から一人が質問した。

「貴方は獲得性遺伝問題に対してどんな態度をとるのか?(これがルイセンコ説の要点なのだ。)」

ラポポルトは、その質問に答えないでいくつか付け加えて言った。

「今、各国の生物学者達は、一つのゲン対一つの酵素が対応しているとの段階までこの学問を発展させている。」

引き続いてルイセンコ派のババヤンが演壇に登壇した。彼は、ラポポルトの討論がワイスマンやヨハンセンのような反ダーウイン主義者達の学説を擁護する以外の何ものでもないと断罪した。

「 わが国のメンデル・モルガン主義者達も、外国の同じ派に属する学者達と同じように人間の生活には役に立たないショウジョウバエのような材料を利用している。

ことに、彼等がハエに人為的な突然変異を起こしたのを見れば、大部分このハエに有害なもので、ときたま重要な性質のものもあるにはあるのだが、それは我々には無用のものであるショウジョウバエに関する問題なのだ。」

ラポポルト、「しかし、それは、少なくともショウジョウバエに対しては、有用な実験であり真実でもあるのに、君は、何故この事実に対して目をふさぐのか?」

ババヤン、「第一番目に、それが我々の生活に関係がない動物に関するものだという理由で。」

ラポポルト、「我々は結核を治療したし、また、その他の寄与もした。」

ババヤン、「ラポポルトは自分の学説が実践に寄与できると言うのだが、君自身の学説は、その本質的な誤謬のため実践に適用しても無駄なのだ。君の学説 は、応用に入れば中性なのだ。あなた方は、二十年間、ミチューリン・ルイセンコ学説の発展を妨害してきた。メンデル主義者達は、今までの生物科学発展に有 害であったばかりか、未来の発展に対する潜在的な敵なのだ。」---

時間はすでに夜明け二時が過ぎた。桂応祥の事務室は、試験場でいつも最後に灯が消える部屋ではあるが、いつの日も二時が過ぎてしまえば灯がついているこ とはなかった。しかし、この夜だけは、夜明けの鶏の鳴き声が聞こえてくるまで桂応祥の部屋では灯が消えなかった。生物学界の雑誌と著書などを通じてよく 知っている遺伝学者達が討論に参加していたからであった。

特に、ルイセンコをはじめ少なくない会議参加者達が非難の対象としているドビニン、ナワシンたちは、世界的な遺伝学者としてこれからの彼等の研究成果を 注目する必要があると見ていたのであった。ところが、彼等の研究事業が、危険に直面していることを感じると、応祥は、不安な心情に駆られざるを得なかっ た。

彼は、時空間を忘れた。自分自身がその会議場に座って激烈に行われた論争に耳を傾けて憤慨もして激情が湧き起こって拳を握りしめたり、痛快で独り言で 「そうだ、そうでなくては。」とつぶやいたりしたのだった。しかし、すぐにいらいらする気持ちを隠せず、引き続いて会議録を読んでいった。

---ザワトフスキは、自分はこの会議の通知を受けなかったが自ら進んで訪ねてきたと言いながら、ルイセンコ達の主張が、あまりにも性急すぎるとなじ り、自分の理論だけを絶対視して第三の立場を認めようとしないのはよいことではないとした。彼は、正統遺伝学者達の仕事を正当に評価しなければならないと 言いながら、ナワシンが創りあげたゴムタンポポの染色体倍加植物はよいものだと指摘した。

勿論、正統遺伝学者達の理論的不備点は突かねばならないが、そうだからといってルイセンコの価値を誇示するため、彼等があげた研究成果をめちゃめちゃにしてもよいことではない。

ルイセンコは、ミチューリンが土壌に栄養が過度にある時には決してよい植物を育てられないと教えたのを無視しているので、彼の学説は、ミチューリンの旗 を掲げはしたが、真正の意味のミチューリン学説ではないと言った。ザワトフスキの演説は、決められた討論時間が過ぎると、七分間の時間をもらって大変な熱 弁を振るった。

四十二番目の討論者として、モスクワ大学の教員アルリハニンが演卓の前に出てきた。彼は大学教員の身分でこんな激烈な論争の舞台に出るのは非常に困難ではあるが、ひとこと言わずにいられないと前置きして話した。

「---倍数性植物を創るためにコルヒチン溶液を使うのがなぜ悪いのか、私には分かりません。ソ連で創った蕎麦の四倍体新品種や細胞学者ナワシンが創っ たゴムタンポポ四倍体は実際ソ連各地で広く栽培されています。トウモロコシ、クワカイコ、コムギの新しい品種育種において正統遺伝学者達がこれまで上げて きた成果などは、実用面から見ても無視することは出来ない---」

ポルリャコフ(ウクライナ科学院のポルリャコフは遺伝学と統計学を専攻した学者)が、自然での変異は不確定的なことで、自然淘汰が作用することで合目的な変異が起こるのだと話すと、主席団に座っていたルイセンコが、討論を中途でうやむやにしてしまい鋭く質した。

「生物の変化に対する予測は、可能なのか不可能なのか?」

ポルリャコフ、「ミチューリンがその疑問を提起した。---」

ルイセンコ、「予測が可能なのか、不可能なのか?」

ポルリャコフ、「話を中断させては困る。」

ルイセンコ、「間違った話は聞きたくない。それを予測できるのかできないのか?例を挙げて言えば、一匹の乳牛をよりよい環境におけば、その乳牛の乳房が大きくなるのかならないのか?」

ポルリャコフ、「私は変異の確定性を再三強調した。しかし、変異に対するルイセンコと私の理解方式には差異がある。---」

ジュコフスキ。---メンデルに言及して、このすぐれた生物学者の墓の前で膝をかがめることがなぜ悪いのか。我々が誇りとする生理学者パブロフは、自分 の研究所の側にメンデルの碑を建てた。しかも、ミチューリンも正統遺伝学で注視する雑種勾配を重視したと論理整然と展開して、ルイセンコに、だから帝王以 上の帝王かぶりで威張り賜うなと言うと、場内から小数の拍手が起こった。

続いて、「ルイセンコは麦のある品種が持っている性質を訓練により他のものに転化させたのだが、私はそれを突然変異によって起こる変異の利用でしかないと考える。」と話すと、場内から複雑な意味合いの笑いが起こった。ジュコフスキは話を続けた。

「私はルイセンコに頼みたい。貴方は責任者として助手も沢山いるだろうから、その中から誰かを熱帯に送ってバナナに種子が生ずるように訓練してはどうだろうか?君たちはみんな、バナナを好むのではないか。ところがバナナは、種子がないのを好まないのだ。」

ルイセンコ、「私は科学院院長として農業省の指示は受けるが、院士の指示は受けない。」

ジュコフスキ、「自然界には、突然変異が、あらゆるところに存在する。何が突然変異を起こすのかと言えば、それは外因、即ち環境だ。変異の原因が外部的 要因にあるという点だけ、貴方と私は一致する。この時の変異を訓練の結果だとするのだが、それはそうだとしよう。しかし貴方は、この変異が、染色体と関係 があるということを否定する。これが我々の見解の分岐点なのだ。突然変異とか染色体という言葉が出てくれば、それだけで多くの人々が怖れるようなのだが、 私はある夫人が食卓にたくましい鶏の丸焼き料理を見て顔を赤らめたという笑い話が思い出された。」と話すと、場内が活気づきみんな爆笑した。彼は話し続け た。

「私は貴方に忠告する。いや権威ある貴下はあまりにも地位が高いので、貴方の部下に忠告するのだが、知識とは光明であり無識は暗黒なることを学ばれてはどうかと思う。」

ルイセンコ、「それは、自分自身に適用してはどうか?」

ジュコフスキ、「私はいつも勉強している。」

ルイセンコ、「貴方は熱心に勉強していない。」

ジュコフスキ、「私の生活を知れば、私が、猛烈に勉強しているのが分かるだろう。」

このように辛辣な論争をしたジュコフスキは、本論に入って、ゲン(遺伝因子)は、近い将来に肉眼でも見ることが出きるようになると言いながら、ビールス もつい最近時期まで見られなかったが、今日においては見られるようになったし、ビールスと同じようなタンパク質の分子やその分子の構造を明らかにする研究 が着々と行われていると力強く話して、最近少なからずの生物学者達が、ルイセンコにへつらい気味であることを嘲笑って、みんながあまりにも適応的なのはよ くない。特に適応により得られた性質は遺伝することを信じる場合にはますますよくない、と言って聴衆達を笑わせた。

彼は、またもやルイセンコを相手にして「私は貴方に個人的に頼むのだが、植物をどんなにして訓練すれば変化させられるのか、ということを分かりやすく書 くように貴方の部下に指示してくれないか。ちょっと教えて欲しい、我々も知りたい。そして、貴方の方法が確実に効果的ならば、私も認めるにやぶさかでな い。我々は一致を希望する。私は貴方の部下と同じ人間だ。私は貴方の息子に今年講義をしたのだが、その講義が彼に害を及ぼしたのか尋ねて欲しい。」と言っ た。

ルイセンコ、「家庭的問題に入る必要はない。家事は私の義務問題に過ぎない。もっと本質的なことを話しなさい---」

ジュコフスキの活気のある講演が終わると、場内からは拍手の音が起こった。

ネムチノフ(ジミヤゼフ農業アカデミヤ所長である彼は遺伝学者ではなく統計学者である)が四十六番目に討論に参加した。

彼は、メンデル遺伝学は、統計学の立場からもその真実性が説明できると論じた。彼の研究所にはジェフラックをはじめ正統遺伝学者達が多かった。ソ連学者 達の意見一致が要望されている時に自分達の研究所では意見の不一致はないと話すと、会議場からはいろんな笑い声が起こった。

会議場から響いてきた声、「貴方は生物学者ではないのに、どうしてそのように判断したのか?」

ネムチノフ、「私は、この学問の真実性を、私がやっている統計学の立場から判断した。これは私のいろんな考えとも一致しているのだが、それはこの問題ではないので言及しないでおく。」

声、「なぜそれが問題ではないのか?」

ネムチノフ、「よろしい。それを問題としよう。しかし最初にはっきり言っておくが、染色体説は遺伝とは無関係だとするやからには同調しない。」

声、「染色体説は遺伝一般に関する重要概念ではない。」

ネムチノフ、「あなた方は無関係だと言うが、染色体、特にメンデル遺伝学の法則は目的論的で反動学説だとするやからには与しないのだ。---これが私の考えの要点なのだが、大して興味のあるものではない。」

声、「いや、大いに興味ある意見だ。」

ネムチノフ、「私は自分の意見を隠さない。これは私の意見であり同時に専門家ではない第三者の意見だ。」

質問、「---貴方はミチューリン主義が遺伝学の基本路線だと思うのか?」

ネムチノフ、「私は、ルイセンコの《発育段階説》が遺伝学の基本問題と関連しているということでそれを尊重する。また一方、染色体説も同じように遺伝学の重要な基本問題であるから学生達に教えなければならないと主張する。」

---会議議長をしたロマノフ院士は、演壇に立ってソ連の農業方針は、統一されねばならないと主張した。ずっと前からルイセンコと一体となり歩んできた 生物哲学者プレジェントは、この会議を通じてメンデル・モルガン派とミチューリン派との分劃点が明確になった、また、この両者が手を握って和解できる線を 発見できないこともはっきりしてきたと主張した。

そして、万が一和解したければ、メンデル・モルガン派の人々が遺伝現象を生理現象からきり離して出発した基点であるゲンの概念を捨てる道しかないと言った。

「ミチューリン主義の科学は、他の学説と和解するような玩具ではなく、それは反動的なモルガン主義に色づけをしてミチューリン主義をたぶらかす者達に よってだまされてはならない。わが国では、現在、極端なモルガン主義者は、すでに非常に少なくなったが、そんな者が存在すると言えばドビニン一人であろ う。そして、万が一、ミチューリン説の進歩に誰が一番危険なのかと言えば、それはドビニンやジェブラクまたは彼の同僚ではなくて、むしろ今日危険なのはミ チューリン説を曲解してミチューリン主義の名前を掲げて反動的なワイスマン・モルガン主義を密輸入する徒輩なのだ。」

最後に、ルイセンコが発言した。

彼は、この会議を通じてミチューリン主義の実力と潜在力はすでに動かし難いものだと明白になったし、これは各地から来たいろんな人達によって証明された と言及して、「この会議はミチューリン主義の完全な勝利となった。そしてこれは生物学発展の歴史的な里程標となるだろう。」と言った。彼のこの言葉は拍手 喝采を受けた。

会議では、正統遺伝学者達が演壇に出て堂々と自分の主張を討論したが、ルイセンコは行政的な権限を発動して古典遺伝学者達の見解を完全に一蹴してしまい、ミチューリン主義が決定的勝利を得たと早急に結論した。

ルイセンコと彼の支持者達によって古典遺伝学的方法が完全に除去され、教育分野でも古典遺伝学についての講義が禁止され、ミチューリン主義だけが教えられた。---

翻訳資料を最後まで全部読んだ桂応祥は、顔に形容しがたい錯雑な気配をただよわした。要約された資料だけを見ても、その会議が、どんなに激烈で深刻なものであったかを推測してあまりあった。

彼は、どうしても理解できなかった。どうしてルイセンコは、遺伝学の複雑な事実はさておいて第一代雑種の規則性、分離の数学的法則、有事分裂時染色体の 行動に関する簡単な事実すら受け入れようとしないのか。翻訳されたルイセンコの叙述と演説などは、彼が細胞学や遺伝学について全く何にも知っていないとみ なしたとしても、決して言い過ぎではない。

全世界で生物学を学ぶ数万名の学生達が、毎年繰り返している細胞学や遺伝学の実習過程で確実に見ていることを、彼が、自分の目で見ようとしないのは、我を張るとか無知の表現中のどちらか一つではなかろうか。

そして、ルイセンコが、攻撃している生物学は一九〇〇ー一九一〇年代の生物学なのだ。彼が猛烈に攻撃している《不滅の遺伝基礎物質》の概念は、ソ連の著 名な遺伝学者達が主張しているように、今日のゲンに対する概念と同じものではないのだ。ソ連の正統遺伝学者達が正当に言っているように、今日の遺伝学は、 従前の生物体とは質的に異なる一代雑種の優秀なトウモロコシ、桑蚕、小麦を初めとする新しい種を育種する段階にはいっているのだ。今までの生物学の発展過 程は、チャールス・ダウインの自然的な進化過程を大きく抜け出せなかった、と言っていいだろう。

ソ連の著名な遺伝学者シュマルハウゼンが『進化の要因』で強調していたように、現在我々が利用している動植物は、野生状態であったときの大きな潜在的要 素を全部採りだして、今日のような多彩な優良品種になったので、これからの段階からは、その潜在的要素がだんだんと底が浅くなってきているので、これから 選び取りを繰り返してもそれ以上のものを得るのが、難しくなると予測した。ルイセンコは、この考えがワイスマン・モルガン的思考の産物だとして、有用動植 物の今日の品種は、人間が自然に作用して創造したのを忘れてしまった論議だとした。だが、現時期、世界生物学界は、古典遺伝学の成果を利用して人類が願う 新しい生物体を創り出す奇跡の入口に入っているのではないか。

しかるに、どうして生物学の画期的な進歩が約束されているこの学問に対して、ルイセンコ主義者達は形而上学、俗流唯物論、資本主義、観念論、フアッシズ ム、非生物学主義、ワイスマン主義、メンデル・モルガン主義などの異端的な学説だと糾弾しているのか。はたして、このあらゆる旋風をひき起こしているルイ センコやプレジェントとはどんな人間なのか?

衝撃はあまりにも大きかった。過去の学問は、中世紀以来宮廷の保護を受けて発達してきたために、サロン的な雰囲気に包まれていたと言っても言いすぎではない。

ところで、ソ連科学者達の集まりでは、さし迫った現実の要求に応えようとする志向が強烈に匂っていた。これは、全人民の福利を志向し、科学が労働者、農民のものとなった国では充分あり得ることだと思われた。

しかし、何よりも桂応祥博士を驚かせたのは、ソ連の人々自身が今般モスクワであった農業科学院総会の進行情況を、単行本『自然』特刊号を通じて全世界に公開している事実であった。

彼等は、ソ連生物学界で深刻な闘争が起こっていることを少しも隠していなかった。すべからくこれは、生活は闘争であるという真理が生物学界でも例外ではないことを示しているのであろう。

また、彼等が建設している科学は、絶対的で完成したものではなくて、前進途上でいろいろな紆余曲折をしており、矛盾と闘争の中で発展しているのを示唆し ているのではなかろうか?尊敬に値するこんな率直性は、ソ連の人達の固有の性格や大胆性から出てきたというよりも、彼等が不滅の学説としている唯物弁証法 的方法論からもたされたものなのだ。

そうであれば、我々も、自分の頭がある以上、彼等がしたことを参考にはしても、それをそっくりそのまま受け入れるような見識のない行動は慎むのが当然の姿勢であろう。

ところが、ソ連で夕立が降るといって我々も無条件雨傘を用いなければならぬと無理強いに押しつける人がいるから、どんなに嘆かわしいことか---

一夜をまるっきり一睡もせず夜明かしして、明け方安楽椅子に身体を沈めたままうたた寝した桂応祥は、人の気配を感じてはっと目を覚ました。妻が入口に 立っていた。その時やっと光が窓を通って入ってくるのを見て、急いで懐中時計を見た。重い頭を上げて妻を見上げた応祥は眉間に皺を寄せた。少女の目のよう に澄んだ大きい妻の目の縁が薄赤くなっていた。「どんなことがあったのか?」厚ぼったい唇を振るわせた妻の眉間のしわがゆるみ、彼女の大きな目に涙がこぼ れそうになりたまっていた。

「何故、そうなの?」

彼は一夜を徹夜した自身のことは棚に上げて、疑わしげに若い妻を眺めた。唇をしこしこ噛んでいた妻はこれ以上我慢できないと言った。

「どんなことなのか私も知ってはいけないの?人々が_」

「人が何と言っていたのか?」

「貴方の学問が_」

「ほほう、私の学問が?」

妻をぼんやりした視線で眺めていた桂応祥は、本気で話した。

「噂話に惑わされず心配しないように。ひとつ尋ねてみよう。蚕繭は人が暮らしていくのに必要であろうか?」

「---」

「返事をしないのを見ると必要ないと思うようだね。だが、それは我々の生活に絶対になくてはならないものなのだよ。事実はこうなのだ。」

桂応祥はいつもとは違って、おおように話した。妻は、しょんぼりとうなだれて外へ出た。