「アクタベさん、コーヒー入りましたよ」
「・・・・・・わかった。もらう」
「どうぞ」
今日も今日とて芥辺探偵事務所には血飛沫・臓物が飛び散っている。無論人のものではない。呼び出された悪魔の、哀れな残骸だ。相変わらずさくまにくだらないセクハラをしかけてきたアザゼルに下された暴力的な裁きの結果がこれである。いつものことすぎて、さくまもあとで掃除が大変だと嘆かわしく思うばかりで同情などかけらもわかない。裁いた張本人アクタベは手にしたチェーンソーを床に置き、特に疲れた様子も見せずソファに腰を下ろした。
机の前にさくまがカップを置く。ふわりと香ばしい香りが漂う。かすかに目をほそめてカップを手にしたアクタベだったが、ふいに視線を動かした。その先ではさくまが自分用に準備したカップから湯気が立ち上っている。
「どうかしました?」
「あれ、どうしたんだ」
「あれって・・・・・・ああ、これのことですか」
アクタベの視線を受け、さくまは自分のカップを手に取った。湯気と共にふわりと立ち上る、さわやかな甘い香り。およそこの事務所にはにつかわしくない。その元になっているのはいつものコーヒーではなく華やかな紅色の紅茶だ。
「もらいものだからって、友達がくれたんです。なんでもすごく高いフレーバーティーらしくて、えーと確か、イチゴとキャラメルのお茶だったかな」
「そうか」
「はい。ですから経費で落として買ったわけではないので安心してくださいね」
「・・・・・・別にそういうつもりじゃないんだが」
アクタベはカップの中身をじっと見ているままだ。さくまもちいさなさざなみをつくる紅茶に視線を落とす。ついで、気づいた。
「アクタベさん、もしかしてこれ、飲みたいんですか?」
「何かおかしいか」
「ああいえ、そういうわけじゃなくてですね!えーと、アクタベさんってブラックコーヒーしか飲んでるところ見たところ無かったから意外というかなんというか・・・・・・。
と、とにかく、良かったらアクタベさんの分も淹れてきます。ちょっと待っててください」
「それはいい」
言うと同時に、アクタベはさくまの手ごとカップを掴んだ。
「へっ」
アクタベの動きには微塵のためらいも迷いもない。悪魔たちを握りつぶす握力の持ち主なのだから多少は手加減しているのだろうが、それでも戸惑うさくまの手ごと強引にカップを口元に運ぶ。
カップのふちに、アクタベが口をつける。
ごくり、と喉が鳴り、紅い液体が一口分、アクタベの中へ消えていく。
その様子を、さくまはただ呆気にとられて眺めていた。
「甘い」
「・・・・・・はあ」
興味は失せたとばかりにアクタベが手を離す。惚けているさくまはカップを差し出した体勢のままだ。ひたすらにまばたきをくりかえすさくまを見据え、アクタベは言った。
「さくまさん、もういい」
まばたきがとまり、アクタベとばっちり目が合う。見つめ合う。何の感情もうかがえない瞳に映った自分の間抜け面を認め、さくまはようやく我に返った。
「へ・・・・・・ああああわかりましたもういいですねでは失礼します!」
勢いよく手を引く。カップの中身をこぼさなかったのは奇跡に近い。顔の筋肉が引きつって、中途半端な笑いの形で止まっている。は、ははは、などと何かをごまかすように呟きながらさくまは半ば無意識にカップを口元へ運んだ。ところがなにかぬちゃっとした音がしたせいで何の気なしに振り向いた。
「ギェフエッ」
見下ろすと、ほぼ再生し終わったが、まだ血がとれきれていないアザゼルがソファに座ろうとしていたところだった。汚れる。掃除しなくちゃいけない。面倒くさい。速やかに連想がすすみ、さくまはためらいなくアザゼルを床に踏み戻した。
「なんだアザゼルさんか」
「なんだとはなんやねんこのクソアマがぁぁ!こちとら悪魔様やぞ!?もっと気ぃつこてうやまわんかい!とりあえずははよ足どけんかい!!」
「別にいいですけど早く再生してくれます?掃除する場所増えるじゃないですか」
「なんやのその冷たい反応!?もういややわー初めてあったころの優しいさくちゃん返してぇなあ」
「はいはい。アザゼルさんもこの紅茶飲んでみます?」
カップを近づけてやると、アザゼルはいやらしく目を細めすりよってきた。
「えぇー、おいちゃん赤いのんやったらさくのお股から出てくる汁のほうが絶対ええわゴフグッッ」
至近距離で、突如何か黒いものが降りてきて、アザゼルが圧縮された。よくよく見ればそれは黒いスーツに包まれた脚、よくよく考えなくても見上げればそこにアクタベが立っていた。
めり、と音を立て、アザゼルがさらに沈み込む。アクタベはさらにかかとを使ってぐりぐりとすりつぶす。慣れた展開であるので、さくまも特に何も感じずそれを眺めていた。一センチ厚のペースト状にまで押しつぶしてからやっとアクタベはソファに戻った。カップを手に取り、ぐいと飲み干す。ソーサーにカップを戻しつつ、ぼそりとアクタベは言った。
「さくまさん。それ、自分で飲んだほうがいい。もったいない」
「それもそうですね」
わざわざ友達からもらったものをアザゼルさんにあげる必要なんかなかったのだ。納得して、さくまも紅茶に口をつけた。紅茶特有の酸味と苦味、それが気にならなくなるほどの深い甘みが舌の上に広がる。おいしい。意識しなくても口元が緩む。
打って変わって上機嫌のさくまを眺めるアクタベの目つきは、なぜか少し苦々しげだった。それに気づき、すこしびびりつつさくまは首をかしげてみせた。
「あのぅ、アクタベさん、どうしました?」
「・・・・・・なんでもない。さくまさん、それ飲み終わったらコーヒーお代わり」
「はい」
わけのわからぬままに紅茶を飲み干し、さくまはカップ二つを手にして炊事場へと向かった。
アクタベの視線がさくまのカップに注がれていたことには、なぜか、気づかぬままに。