取り込んだバスタオルからはおひさまのにおいがした。
太陽の光から本当にこのにおいがするのか、前田藤四郎は知らない。それでもこのにおいをおひさまのにおいだと感じるのは、ここにきてできた大きな友人がそう教えてくれたからだ。人に使えるはずのない大太刀、太郎太刀。彼の刀と前田は共に幕末から江戸の戦場を駆け抜けた由縁で、刀種も刀派も越えて親しく口をきく仲だ。その彼と、いつだったか共に洗濯当番をこなしたときに、干した洗濯物のにおいはおひさまのにおいだと教えてもらったのだった。
――陽に当てると、よいにおいがするものですね。
――日輪のにおいだそうです。
――にちりん……おひさまのにおい、ですか?
――ええ。こうして日輪の光に晒すとにおいがつくのだそうです。
――なるほど。おひさまとは、こんなによいにおいがするものなんですね。教えてくださってありがとうございます。
抱え込んだふかふかの布地に顔をうずめて、ふわりとよぎった思い出ごと、あたたかなにおいを吸いこむ。連日の夜戦で冷えた身体にひかりとぬくもりが染み渡っていく気がした。
「おーい、前田くん。そっちは片付いたかい?」
ふいに届いた声にびくりと肩を震わせる。慌てて顔をあげると、三つとなりの物干し竿の前で洗濯当番の相方――内番姿のにっかり青江が足元に置いた籠にたっぷりと取り込み済みの洗濯物を積み上げていた。己の足元の籠は、まだ半分強しか満たされていない。前田は急いで手元のバスタオルを籠の中に仕舞いこんだ。
「ああ、すみません!今やります!」
「急がなくったっていいさ。……取り込みのことだよ? こんなにたくさんあるんだ、じっくり励もうじゃないか」
青江はくつくつと喉で笑っている。そのさなかも手際よく洗濯物を取り込み、ざっとたたんでぽんぽん籠に放り込んでいく。手つきは荒いが雑ではない。見習わなければと、前田も目の前で泳ぐタオルの群れに手をかけた。はさみで留められ、そよ風になびくタオルを取ってたたんで籠に入れる。四十五人の男所帯で使うタオルの数となればもう数えるのも馬鹿らしくなるほどで、ずらりと並んで干されている様子はまるで林にでも迷い込んだようだ(なおここに鶴丸国永が来るとタオルに紛れて忍法白布隠れが完成する)。肌触りのよい生地にふれるたび、やすらぐような、ほほえみたくなるようなにおいがふわりとたちのぼる。おひさま、のにおいに包まれるようで、前田の頬がほんのりととける。
それからいくらもかからず、洗濯物を取り込み終えた。小山のように盛られた洗濯籠は、到底二人では運べるものではない。まして、短刀の前田と脇差の青江の組み合わせとならばなおさらだ。そういう場合のために、籠は台車で運ぶことになっていて、二人してえっちらおっちらと台車に籠を積み込んで、がたごとと押して行く。ちょうど鼻先を毛布が掠めて、前田はふわりと笑みをこぼした。
「ずいぶんとご機嫌だねえ。何かいいことでもあったのかい」
「いえ……はい。今日は洗濯物がとてもよく乾いていて、おひさまのにおいがよくかおるもので、つい気が弾んでしまいました」
「おひさまのにおい、ねえ」
くん、と青江が目の前のタオルに鼻を近づけた。二度三度鼻を鳴らしてにおいをかいでいるが、前田のように表情をほころばせはしない。気に入らないのだろうかと少し眉をひそめて、思いだした。青江が隊長の際、敵の本陣を見つけたときの謳い文句を。
「青江さんは、もしかして戦のにおいの方がお好きですか?」
「そうだねえ。おひさまのにおいよりは、あちらの方が馴染みがあるかな」
青江の口の端にうっそりした笑みが浮かんだ。目の利く青江を隊長において戦場を進むのは近頃の夜戦の常で、その高い偵察力から彼はよく敵の本陣を見つける。揚げるべき大将首を見つけた青江は、いつも高揚を抑えきれない声でつぶやくのだ。嗅ぎ慣れたにおい、血のにおい。戦のにおいだ、と。その声に滲む歓喜の色、金色の瞳に立ち昇る熱を、前田はもう何度も目にしてきた。両手両足では数え切れぬ、ひょっとしたら思い出せないほどに見てきたのだった。
青江も前田も刀だ。その本質は斬ることにあり、陽に憩うよりは血に親しむほうがあるべき姿なのだと、言われてしまえばそれまでだ。
それでも前田はおひさまのにおいを慕わしいと思うたちの刀だった。この慕わしさを、慕わしく思うことでひそやかに溢れる幸福を、できるならば誰かに味わってもらいたいと思う刀だった。ただそれを押し付けて、上っ面だけ好きだといわせたいわけでもなかった。
言葉を探す前田の眉が下がっていく。青江は軽く肩をすくめ、台車の取っ手を意味無くはじいた。
「別にこのにおいが嫌いってわけじゃないよ」
「……はい。そうだと、嬉しいです」
「においだけだと、どうにもそそられないんだよねえ。これがふかふかの布団にかけた敷布から漂ってくるなら話は別だけど」
「ふかふかの布団、ですか?」
「そう。飛び込んだらゆったりやさしく受け止めてくれるような、ね。そういうの、君は好きじゃないかい?」
青江の目がいたずらっぽく輝く。輝きは前田の目にも飛び火した。
「とても好きです!ぼふん、と飛び込むんですよね?」
「そう。……今から試さないかい?」
「はい!」
「じゃあ準備がいるよね。どうしようか、」
「僕が先に行って、布団を敷いて参ります!」
言うなり台車を押す力を強め、前田は走り始めた。負けじと青江も足を速める。
「抜け駆けは許さないよ」
「なら競争です!」
「望むところさ!」
籠を積んだ台車を押して、二人きりの徒競争が始まった。
本丸まで、あと1町弱。