キャラクターの顔が二重にかぶさって見える。写植の文字はゲシュタルト崩壊を起こし、コマからコマへ、なぜ繋がるのか検討がつかない。
……根を詰めすぎた。ジャンヌオルタは目をしばたいて肩を回す。モニター隅の時刻表示を見るととうにてっぺんを越した午前3時、最後に休憩を取ったのは夕食を済ませた21時ごろだから、6時間はぶっ続けで漫画を描き続けていた計算だ。
「そりゃあサーヴァントだって疲労するわよね……」
首を回すついでに辺りも見回す。そう、確かマスターとマシュは1時間前から仮眠を取ると言って寝室のベッドに潜り込んでいたはずだ。牛若丸は資料集めと気分転換を兼ねて外泊、好き勝手に遊び歩いている茨木の行方は知る由もない。ロビンフッドはどうだったか、特に頼みごとをしていた記憶はないから残っていてもおかしくはない。
立ち上がって伸びを一つ。腰を捻って、屈伸を2,3度。関節が動くたびに柱が軋むような音が聞こえる。エーテルで編まれた身体であっても、バキバキになったりするものらしい。最期にひとつ頬をはたいて、ジャンヌオルタは作業部屋もといリビングルームを出た。ウェルカムホールを抜けてバスルームに入ると、予想通りロビンフッドがいて、ひとりコーヒーを淹れているところだった。
「食べるもの寄こしなさい」
「なんだ、休憩か?」
「そ。気分転換したいのよ。なんでもいいからカロリーがほしいの。生ものは却下よ」
「それなんでもいいって言わねえでしょうが」
あきれたふうな口調だが、声にはかすかにおもしろがるような色が滲んでいる。基本、頼まれたことは断らない男なのだ(頼まれる前に逃げ出すことはあるが)。それがこんなふうな、誰かを助けるようなことならなおさらだ。今だって、コーヒーを淹れる手をとめて、据え付けの冷蔵庫の中を探り始めている。ほどなくして取り出したのは、卵と牛乳パック、それとシュガーポットが浮き出したバナナ。何かしら調理ができた方が便利だからと、機材を買い込んでミニキッチンスペースに改造した一角で、ロビンフッドは包丁とまな板とボールを並べる。バナナの皮を剥いて身を潰し、卵を割り入れてざっくりかき混ぜる。さらに牛乳を加えてもう一混ぜすると、ドロドロした、ミルクセーキめいたものになる。
「生ものは却下って言ったはずですけど?」
「存じておりますよオルタちゃん。ま、もうちょい待ってな」
「オルタちゃんは!気持ち悪いってえの!」
「スンマセンね」
軽口を叩く間も、ロビンフッドは電熱器のスイッチを入れてフライパンを温めている。手をかざしてふわりと熱が伝わる頃合いになったらバターをひとかけら落とす。フライパンを回してバターを溶かすと、香ばしいにおいが薄く広がり出す。じゅう、と音を立ててミルクセーキもどきをフライパンに注ぐころには、ジャンヌオルタにも自分に供されるものの姿が想像できていた。少し待って固まった生地をひっくり返し、もう少しまつ。5分も経たないうちに薄いきつね色のパンケーキが仕上がり、ほかほかと湯気を立てるそれを皿に乗せて、コーヒー用に準備していたメイプルシロップを垂らしてシナモンを添えて、ロビンフッドはうやうやしく差し出した。
「お待ちどうさん。バナナのパンケーキ、シロップがけでございます」
「結構早かったじゃない」
「腹の音でマスターを起こされちゃたまらねえからな」
「燃やすわよ!?」
「へいへい悪うございましたね。ほらよ、フォーク」
「……フン。仕方ないわね、誤魔化されてあげます」
「ありがとさん。さ、冷めないうちに食べた食べた」
ジャンヌオルタが受け取ったパンケーキは、フォークで裂けるほどに柔らかかった。生地の切れ目から湯気と香気が立ちのぼるひとかけを口に運ぶ。粗熱が残るパンケーキはそれだけだと素朴な甘みがした。
「結構食べられる味ね」
「そりゃあ良かった。ああ、カフェオレ淹れたからここに置いとくぜ」
「腹立つくらいマメよね、アンタ……」
「褒めるならもうちょい素直になった方がいいですよオルタちゃん。誰とは言わないが、どこぞのマスターといい雰囲気になった時とか必要になるかもですし?」
「ホント跡形もなく燃やすわよ!?」
会話の間も、フォークをあやつるジャンヌオルタの手は止まらない。口に含んだ生地はしっとりして、舌で押すとそれだけで潰れてしまうほどだ。それが癖のあるメイプルシロップとからんで溶けて、温かいミルクセーキのようになる。シナモンを付けるとまた風味が変わり、エキゾチックな味がする。
気がつけば、手を広げたほどの大きさほどあったパンケーキは、シロップの跡を残して綺麗に消えていた。
「ご馳走さまでした……その、作ってくれてありがとう」
「お粗末様でした。まあいい漫画を描いてもらうためですし?俺が豚にならないためにも、これぐらいはさせてもらいますよ」
ロビンフッドは肩をすくめる。おさんどんまでこなすとは、全くいけすかないほど有能な編集者だ。あのドラゴン娘がマネージャーとよんで振り回すだけのことはある。ジャンヌオルタも肩をすくめてカフェオレを一口飲んだ。パンケーキに合わせた無糖のカフェオレ。牛乳をたっぷり入れてあるから胃に優しいし、少しは頭も冴えて作業を進められるだろう。全くこの男と来たら!
「たまにはボーナス出してもいいのかもね……」
ジャンヌオルタがぽつりとこぼした呟きを耳ざとく聞きつけ、ロビンフッドはと愉快そうに片眉を跳ねあげた。
「へえ、景気がいいねえ。貰えるもんはなんでも大歓迎だ、一体何をくれますんで?」
ニヤリと笑うロビンフッドに、ジャンヌオルタは澄まして答えた。
「次の新刊は一番最初にアンタに読ませてあげる。光栄に思いなさいな?」
「ハ!そりゃあ愉しみだわ」
「ええ、せいぜい首を洗って待ってることね。……じゃ、私はもうちょっとやってくる」
「根を詰めすぎんなよー。ちゃんと仮眠取れよ」
「わかってる。もう少ししたら寝に行くわ。アンタも休憩しなさいよ、ロビンフッド?」
「ほいほい。適当にやりますよ」
ヒラヒラ手を振るロビンフッドに手を振り返して、ジャンヌオルタはバスルームを後にする。気分転換はもう済んだ。頭もそこそこスッキリした。あと一踏ん張りして、キリのいいところまでは進めないと。
両手で頬を一打ち。気合いを入れて、ジャンヌオルタは作業道具に向き直った。