「本線、これ、内地の在来たちから預かってきたんですが……」
不機嫌と面倒くさいと義務感を等分に混ぜたような声。机の上に広げた書類から目線を上げると、段ボール箱を抱えた上官が立っていた。今日東京勤務から帰ってくると聞いていたし、帰ってきたなら挨拶に来るのがこいつのならいだ。そろそろ来るかと思っていたタイミングだから、ここにやってくること自体は予想通り。予想通りだが何だその段ボール箱は。
「内地の?ってことは東海道か?」
「東海道本線を含めた首都圏在来から、と聞きました」
「そりゃ何でまた」
「開業百四十周年記念のお祝いだそうです」
「は?」
開業百四十周年。確かに今年俺は官営幌内鉄道時代を含めて開業百四十周年を迎える。厄介なご時勢とはいえ、いくつか記念イベントが企画されているし、目の前の上官は個人的にも祝う気らしくこそこそ動いている気配がある。東海道からもわざわざ祝いの品が届くというのは……あいつの性格からしてわざわざそんなことするとは思いがたいが……まあ百歩譲ってありとしよう。しかし首都圏在来となると範囲が広すぎる。俺はあっちの在来とは祝いの品を贈られるような付き合いをしていないんだが。
はてなと首を捻ると、若干後ろめたいような表情を上官が作った。
「その、今東京駅で東海道本線の開業祝いをしていまして……」
いわく。現在東京駅で開催している東海道本線の開業百四十何年だかの記念イベントを見かけ、うちの本線だって今年は開業百四十周年なんですよ!と向こうで張り合ったらしい。馬鹿だ。そうしたら帰るときに東海道からこの段ボール箱を渡されたと。
「つまりお前が無茶言って脅し取って来たと」
「脅してはいません!自慢してきただけです!人聞きの悪いこと言わないでくださいよ!」
「実質脅したようなもんだろ」
肩をすくめてから、机を指で叩く。まだ言い訳を垂れ流していらっしゃる上官は、それでも俺の意を汲んで机の上に箱を置いた。向こうの出入りの食品業者と思しきロゴが入った段ボール箱は明らかに伝票が剥がされた跡が残っている。使いまわしかよ。祝いってならもうちょっと祝いらしくしようと思わなかったのかよ。いやまあどうでもいいか。
べりり、と音を立ててガムテープをひっぺがす。箱の中には雑多に物が詰め込まれていた。
「タオル、キーホルダー、ティッシュ……ってこれ俺への祝いっていう建前で売れない商品を押しつけてきたんじゃないのか」
「確かに在庫整理みたいなラインナップですねえ。あ、でも東京ば〇なも入ってますよ」
「賞味期限切れてないかそれ」
「ええと、はい、大丈夫です。そんなに長くはないですから早く食べた方がよさそうですね」
箱を覗き込んできた上官と二人して中身を取り出していく。まともに祝いの品と判断できそうなものは東京ば〇なぐらいで、ボールペンなどの文具や謎の試供品などが大半を占めている。さほど親しくもないやつへの祝いを持ちかけられて、持て余していたものをとりあえず寄こしてきたんじゃないだろうな。俺ならそうする。
そして、箱の中を一通りあさり終えようとしたときにそれを見つけた。
てのひらに収まるほどの小さな紙の箱。すっぽり覆いかぶせるタイプのふたを開くと、ぺかぺか輝く黒い石が二つ、スポンジに埋まっている。ように見えた。その石のいびつな角度には、断面の凹凸には見覚えがある。
ふたから紙ペラをつまみあげた上官が目をすがめた。
「石炭の……うん、ピアスですね」
「ピアス?」
「石炭の欠片を使っていて、同じ形のものが存在しないって書いてありますよ」
「ふうん」
子どもの指先ほどの欠片を摘まんで引き抜く。見えていた石炭の裏側には細っこい針のようなものがくっついた。ピアス、ということは、この針を耳に刺してくっつけるのか。石炭の部分をつついてみる。皮膚へのあたりが柔らかく、妙にてかって見えるのは石炭にガラスみたいなものをかけているからだった。そりゃあのまんま使って飾りにはできないよな。汚れるし。
「なあ、ピンあるか?」
「ピンですか?……いやちょっと待ってください本線」
「お前これの穴開けたことは……無さそうだな」
「ありませんよ!ていうかやっぱり!」
ぎくり、と口の端をゆがませた上官に笑いかける。察しのいいやつは好きだぞ。
「ちょっくら借りてくるわ」
「穴開ける気じゃないですかあああ!待ってくださいそんなにそのピアスが気に入ったんですか?!誰が入れたかもわからないのに?!」
「別に誰からのでもいいだろ」
「よくありませんよ?!本線が初めて付けるピアスなんて、そんな、そんな、僕が贈りたかった……!」
「穴開けるのは任せてやるぞ」
「えっ本気で僕にさせる気ですか」
「耳なんて見づらいんだから他人にさせるに越したことはないだろう」
「信頼が憎い」
「信頼かこれ?まあ何でもいいや、頼む」
「……ッ!十分、いえ十五分待ってください、準備してきますから!!」
踵を返して駆けだした上官の背中に向かって手を振る。社内でこけるなよ。一応うちのトップなんだから、みっともないところは見せるんじゃないぞ。今更かもしれないけど。
おおむね二十分後、上官殿が戻ってきた。
「遅かったな」
「これでも全力疾走してきたんですよ……」
ゼイゼイと肩で息をしながらポケットの中から四角い箱を取り出す。いや、ケースじゃないな。上の棒だけが太いコの字のようなプラスチックに、金属製の針が付いた器具。包装には「簡単」「初心者におすすめ」等の文字が踊っている。穴を開けるための道具らしい。
「ピンじゃないのか?」
「調べてみたんですけど、こういう専門器具の方が安全に開けられるみたいです」
「へえ。じゃあさっさとやってくれよ」
「……失礼します」
深呼吸をひとつ。呼吸を落ち着けた上官が俺の後ろに立つ。ぐしゃりと包装を剥がす音がして、左の耳殻に指が触れる。耳たぶを何度か挟んで確かめているらしい手つきの慎重さが、熱さがおかしくて、喉奥だけで笑う。さすがに声を挙げたら悪いしな。なだめるように叩かれた肩を一つ揺らして笑いを引っ込め、おとなしく待つ。何か冷たいもので耳たぶを丁寧に拭われたあと、細くとがったものがあてがわれた感覚がした。パチン、と軽い音が響くのと同時にわずかに走る痛み。
「痛くないですか?」
「このぐらいじゃ痛いに入らないな」
「なら続けますね」
「おー」
軽く頷く。同じ手順を経て右の耳たぶに同様に痛みが走る。見えてはいないが、まあいい感じに穴が開いたんだろ。多分。手をやって触ってみると、何かが既に付けられている感触があった。
「何かくっついてるのか、これ」
「この器具を使うと、開けた穴を安定するために針をそのままピアスとして刺したままにしておくそうです。いやあ本線にファーストピアスを贈ってしまいましたね!結果オーライ!」
「人間じゃあるまいし安定させる必要ないだろ」
「いえ、でも、傷口の化膿を防ぐためにも、ファーストピアスは一ヵ月ぐらいは付けたままにしておいた方がいいそうなんですが」
「さっさと外してピアスを付けてくれ」
「三分保たなかった……」
ピアスの箱を指でつつく。ぐずついた失礼します、の声とともに肩越しにぬっと出てきた手がピアスを摘まんで引き上げていった。何となく、目を閉じてみる。耳たぶに触れる熱い指、カチカチささやく金属音。不意に頬を撫でた手がくすぐったい。こうして待つのは存外悪くない。
「……はい、終わりましたよ。どうです?」
「見えないからわからんなあ」
「鏡を持ってきましょうか?」
「いや、いいわ」
耳たぶに触れてみると、確かにひっかかりがあって先ほどのピアスが付けられているのがわかる。トンネル以外の穴を開けることになるとは思わなかったが、まあいいだろ。時代は変わるんだし。
目の前に移動してきた上官が唇をひん曲げてお似合いです、とうめいた。わやくちゃ拗ねている。あからさま過ぎるだろ。ピアスにそそがれたジト目の視線の元をたどり、くすんだ紫の瞳に辿り着いてふと思いつく。
「なあ、その目の色ってすぐ外せるのか?」
「目の色?ああ、コンタクトのことですか」
ちょっと待ってください、と言いながら目玉の表面を摘まんでみせる上官。うん、なかなかにグロテスクな光景だ。そうして現れたひとみは黒かった。かつての制服の色。初めて走った汽車の色。運び続けた石炭の色。新天地を目指して仰ぎ見た夜空の色。
「お前の素の目って石炭みたいな色してるよな」
「ええ……?まあ、そうですけど。でもそれ大多数に当てはまりますよね」
髪と同じ、白色に染めたまつ毛をはたりと瞬かせて上官がつぶやく。
「……もしかして、昔の僕の方が良かったですか」
「わざわざ俺に似せて色を変える必要はなかったと思ってるぞ」
「前も言いましたけど本線リスペクトが高じての行為ですから感動すべきところですよね」
「感動はねえよ。マジでない。ないけどまあ、」
俺がかつて走った道は石炭が築いた道だったが。
石炭の輝きを雪の白で覆いかくし、朝焼け色のの瞳でお先真っ暗な未来を見据えてひた走る星が後を継ぐというならば。
「それが今のお前の見得だってなら、悪くはないのかもな」
「ほ、本線んんんんん」
「泣くな気持ち悪い。……ああ、そうだ。忘れてた」
滂沱の涙を流す上官と目を合わせる。
「おかえり、上官」
「ただいま戻りました、本線」
上官が破顔した。ああ、そうやって笑ってろ。
開業を、百四十年走り続けてきたことを祝って贈られるもの。
本当にほしいものは金であり生き延びる未来だが、今日のところは、後を継いで走る後輩がいるということでよしとしよう。
「つーわけで目の色は戻していいぞ」
「これ使い捨てなんで、一度外したらもう捨てるしかないんですよ」
「マジでか」