1950年朝鮮戦争が勃発した際、兵員増強のため民間に米軍ハウスの建設が求められました。入間市のジョンソン基地の周辺でこれに応えたのが磯野商会で、24戸の米軍ハウスを建設。その設計施工は、吉沢建設創設者である吉沢誠次が個人で請け負いました。ジョンソン基地内に日本政府が建てた米軍ハウスを見様見真似で作ったのだといいます。当時、軍に借り上げてもらうための条件として、水洗トイレ・集中暖房・給排水設備・部屋数などの基準があり、どれだけ基準を満たしているかによって賃貸料が決められたといいます。 電化製品、瞬間湯沸かし器、水洗トイレなどを完備した住宅は、敗戦後の当時の日本人にとっては全てが驚きでした。
しかしそうした米軍ハウスも1978年にジョンソン基地が返還されて自衛隊入間基地になり、日本人向けに賃貸されるようになった後は徐々に荒廃が進むようになりました。1996年に磯野商会の磯野達雄社長がこの地区の管理を引き継いだ頃には家屋も老朽化し、2004年には家賃月2万円にまで落ち込んだそうです。そこで磯野は渡辺治建築都市設計事務所に協力を依頼、この「文化遺産」を改修、保全し、「平成ハウス」を加えた街並みを創造しようとする「ジョンソンタウン再生」が10年にわたって展開され、2015年には都市景観大賞を受賞するまでになりました。
"ジョンソンタウンにある米軍ハウス(通称ハウス)は、1954年(昭和29)前後に米軍属家族向けに建設された住宅で、今でも23棟が残っています。
同じ頃、入間周辺でも600~700棟ものハウスが建てられ賑わいましたが、ジョンソン基地が返還されてからは、時代とともに取り壊されていきました。今では、ジョンソンタウンのように、これだけ密集してハウスが残っているエリアはほとんどありません。
ジョンソンタウンの米軍ハウスも、約20年前までは老朽化が激しく、建て替えの検討も行われましたが、オーナーが「歴史的建造物」と位置づけ、未来に残すことを決断。以降、空いたタイミングで構造も含めた根本的改修をしてきました。
米軍ハウスの特徴である下見板にペンキ仕上げの外壁やセメント瓦の屋根、オリジナルのフロアなど、当時の面影や質感はそのままに、断熱材や水回り、内装は一新。また外観にもこだわり、左右対称の窓やデッキやテラスを設けるなど、まち全体の統一感やコミュニティも意識したつくりになっています。"
(ジョンソン・タウンホームページより)
ジョンソン・タウン 商標登録もされたジョンソン・タウンの運営会社が作成しているホームページです。これまでの経緯など詳細に掲載されています。
Johnson Air Base dedication 1946
Johnson Air Base 1952-1954 Japan
Memories of Johnson Air Base
A day trip to Johnson Town, Saitama JAPAN | Fujifilm | 埼玉県入間市 ジョンソンタウンの散策