出版社 科学技術弘報協会
刊行年 1948年
戦後の混乱期に生まれた科学誌。「科学技術に関するばん近の研究資料を紹介してわが国の科学技術の発達を図るを目的とする」(財)科学技術弘報協会により、「米英その他諸国の科学技術の研究資料をしゅう集すること。特にさかのぼってわが国に欠けたる思慮を整備すること」「前号の資料を註釈してこれを刊行頒布すること。これがため学会又は研究会と連絡してこれに協力すること」によって発行されました。
第1号にある発刊の辞には、「アメリカより戦争中からのあらゆる科学文献の寄贈を受け…出来る限り一般大衆の利用に供する方途を講ずるように指示された」とあり、そのためにこの協会を設立したことが記されています。
構想としては戦時中に既にあったようですが海外との交流もできないうちに終戦となり、企画者は公職追放となっており色々な方に委嘱してようやく刊行にこぎつけたようです。しかし用紙の調達や印刷も困難な中で2年半で独自発行は難しくなり、交通協力会の「交通技術」誌に併合されて1年半は頑張りましたが1952年にはついに科学技術弘報協会も解散との話がでるまでになりました。