福岡国際空港はもともと「旧陸軍席田(むしろだ)飛行場」として終戦間際の1945年5月に完成しました。戦後、米軍に接収されアメリカ空軍板付基地になります。その家族住宅は、福岡市東区西戸崎の雁ノ巣空軍施設(BRADY AIR BASE住宅)および、福岡市の衛星都市である春日市・大野城市にまたがる春日原住宅地区(ITAZUKE ADMINISTRATION ANNEX)として存在していました。
とりわけ春日市では、市域面積の実に7割が米軍の基地住宅等として接収されていました。その後、雁ノ巣は国営公園などに、春日原は大学・高校・中学校・小学校・住宅アパート・公園などへと再開発され、現在に至っています。
「板付」は福岡国際空港 滑走路南端から南2〜3kmに位置する、現在の「博多区板付」近辺を指し、戦後も長らく田園地帯が広がる閑散とした場所でした。戦時中に建設された「日本陸軍席田(むしろだ)飛行場」が、戦後「アメリカ空軍板付基地」〜「福岡国際空港」へと転用されましたが、「席田」という地名は現在、「福岡市立席田小学校」「福岡市立席田中学校」に名を留めるのみで、福岡市の正式な地名や地番としては、すでに存在しません。
現在の「福岡国際空港」は、福岡市博多区 大字 上臼井・下臼井・青木・東平尾・雀居・下月隈・堅粕にまたがっており、小字は存在しません。したがって、かつての「席田」も「板付」も、現在の福岡国際空港敷地の地名には存在しておらず、なぜ米軍が「板付基地」という名称としたのか、その由来は定かではありません。
同様の例として「横田基地」も挙げられます。米軍は正式な住所を「西多摩郡瑞穂町石畑」としていますが、その広大な基地敷地は、立川市・昭島市・福生市・武蔵村山市・羽村市・瑞穂町の5市1町にまたがっています。「横田」という名称は、横田基地の東4km、武蔵村山市本町3丁目横田の小字名「横田」から取られたという説や、「ふっさ(福生)」よりも米国人にとって発音しやすかったから、という説など、諸説あるようです。
横田も板付も、アメリカ陸軍航空軍のB29による偵察写真や、米軍側が使用した地図・地名資料との間に齟齬があったことが、名称のズレの一因ではないかとも推察されます。
なお、1968年6月2日には、「板付基地」への着陸時に RF-4Cファントム偵察機が、建設中の九州大学電算センター棟屋上に墜落するという事故が発生しました。奇跡的に死傷者は出ませんでしたが、この事故を契機に当時の学生運動とも連動するかたちで板付空軍基地の廃止運動が活発化しました。1968年1月アメリカ海軍 空母エンタープライズ佐世保寄港反対闘争と共に、市民からも強い基地廃止の声が広がり、遂に4年後1972年、米軍板付基地は日本に返還され、九州大学も2005年から福岡市西区伊都キャンパスに移転して、ここに板付基地問題も一応の解決をみた次第です。
※本稿は、博多の いづみ氏より資料と情報のご提供を受け、WEBページ用に編集・掲載したものです。
【参考資料】
総務局総務部基地対策課『板付基地 ITAZUKE AIR BASE』(福岡市役所、1972年)
川名晋史, "< 論説> 68 年基地問題と再編計画の始動." 近畿大學法學 61.2・3 (2013): 263-299.
山村智子. "大野城市近現代史 (1) 板付基地春日原住宅地区と米軍ハウス." 西日本文化/西日本文化協会 編 507 (2023): 23-27.
山村智子. "大野城市近現代史 (2) 白木原ベース通りの記憶." 西日本文化= Cultural story of Nishinihon/西日本文化協会 編 509 (2024): 44-48.