福島 正明
前書き
11世紀ペルシャの詩人ハイヤームは短い4行の詩に人生の蹉跌や苦悶、望みや憧れを表出しました。
小生はイランの首都テヘランに3年弱、1985 年から1988年迄、駐在していました。そのせいでしょうか、ルパイヤートは何かの折にページを捲る本となっています。
コロナで世界が動揺している最中、詩集の中から(岩波文庫では143篇)以下2篇をご紹介して皆さんのお目汚しにしたいと思います。
第35篇
若き日の絵巻は早も閉じてしまった、
命の春はいつのまにか暮れてしまった。
青春という命の季節は、いつ来て
いつ去るともなしに、過ぎてしまった。
第106篇
ないものにも掌(て)の中の風があり、
あるものには崩壊と不足しかない。
ないかと思えば、すべてのものがあり、
あるかと見れば、すべてのものがない。
2020年はコロナの年として人類史上に記憶されることでしょう。
(完)
FORUM-2に収録
20200824
111 音合わせはA音、つまりラ音、で合わせる。ピアノは調律師が行うが、素人のギタリストは様々な方法で、第5弦をA音にする。そして残りの5つの弦を合わせて行くのだが、微妙に音がずれる。素人だから仕方がないのだが、それにしても音の調整は微妙で難しいと感じる。
222 僕は、絵画展や書道展を観賞する際、部屋の真ん中に立って、一つ回転し、何となく呼び掛ける絵や書が有ればそこに近づいて、該当の作品を鑑賞し、又次の部屋に行く。呼び掛ける作品が無ければ次の部屋に行く。
333 今はゴルフはやめているが、盛んにやっていた時は、ボールがどうスイングするか僕に教えてくれる気がしていた。7番で打てとか4番ウッドで打てとかボールが教えてくれる感じがしたのだ。ゴルフのルールは2つだ。テイーアップからホールアウト迄、ボールを動かしてはいけない、もう一つはマナーというか礼儀正しくする、一緒の仲間だけでなくキャディさんにも食堂の従業員にも、ということだ。結婚と同じで、結婚相手を其の儘在るが儘に愛すること、あれこれ自分好みに改造しないこと、そして死ぬまで相手への敬意を持ち続け、優しい態度で接することである。
444 僕は料理が好きで時々台所に立つ。先ず色彩で、赤(人参やトマト)そして緑(胡瓜、葉物、オクラ など) 最後に黄色(パプリカ レモン など)、油は基本的に国産の菜種油を大匙1杯。調味料は生姜を主体に酒、醤油、砂糖(茶色)とブランデー。中華は中国の十三香というスパイスを使う。他には豆板醬、大蒜。蛋白質は手許のあるもの何でも、大体は冷凍してあるベーコンを使うことが多い。
僕は今自律神経失調症の傾向にある。漢方の代表的な150種類の処方の内、100処方は生姜が含まれている。だからるなるべく何にでも生姜を入れるようにしている。
どんな料理を作るかも、ある材料に聞いて、彼らのやって欲しい料理を作る。
555 目があまり良くないのでーー右目の網膜の黄斑部に変形ありーー
あまりテレビは見ない。読書もぼつぼつである。最近のヒットは「Poetry Pharmacy 」で自分の気分に合わせ該当のページの詩を読むのである。BBCが取り上げていたので買って見たが面白い。時々読む。
ご参考までに、ペルシアの詩人、ハーフェイスの英訳の詩。
I am in love with every church
And mosque
And temple
And any kind of shrine
Because I know it is there
That people say the different names
Of the One God.
因みに、この詩が効くのは
Condition: Living with Difference そして isolation, mistrust of others, prejudice にも効くと。
結言
それなりの生き方を一人一人それなりに生きるしかない。それは自分の感覚をある程度迄信用して生きることで、そして時々反省して又回路を組み替えることだろう。
FORUM-1 に収録
(20180727)
Forum 読みました。何時も学ぼうとする心構え、立派です。以下は小生の雑感です。
(1)新入社員だった頃、大先輩から、人生に必要なのは、哲学、歴史、そして心理学、だと教わりました。人間とは、人間関係であり、その為にも心理学が必要だ、という事でしょう。
(2)小生が現役で仕事をしている時、大事にした事は、自分の立ち位置でした。それも状況を芝居と考えてのことでした。
(3)脚本は誰が書くのか、演出は誰か、主役は誰か、脇役は、そして劇場はどこで観客はどのくらいいるのか。という事を考えました。
(4)仕事は大体チームワークなので、主役ばかりやりたがるのは問題です。全体を見て進行させる管理者が必要で、其れが時には、その管理者が一番危険を見分ける事が出来るので、その時は立場を離れ、火消しの人間として、現場に飛び込まねばなりません。
(5)一度豪州で800万豪ドル(約 32億円) 引っ掛かりが起きました。課長の小生は原因がすぐ分かったので、「32億円の引っ掛かりあり、兎に角現場にに行く」と言う稟議書1枚書いて、課長の仕事を置いて、一月シドニーに滞在し、訴訟して、何とか解決しました。
(6)課長や 部長であっても、課員に適任者がいたら、その人に現場を渡さなくてはいけません。面子に拘っては駄目です。
(7)結論的に言えば、学ぶ舞台は現場が一番です。小生は、日々老いを感じています。言うなれば、今日が一番若いのです。明日は間違いなく、今日よりは一日だけ老人になっているからです。
(8)学ぶのも大切ですが、瞑想し、静かな生活をすることも重要です。祈れる人は祈るのが良いと思います。
(完)
FORUM-1 に収録
(20170224)
先日、エアコンが壊れて、寒い日々を過ごした。修理屋さんが来て部品を交換したのだが、その部品が不良品だったので、又交換ということで10日も掛かったのだ。
(1)芳沢光雄先生の「中学数学」という本を今年通読する機会があって、久し振りで「三平方の定理」のユークリッドの「原論」に載っている証明法を勉強した。
一旦、本を離れ、自力で最初から証明をやってみると、意外に時間が掛かり、数日を消費した。自力で証明出来た時の快感は忘れられない。便利とか簡単とかでは得られない物が世の中には沢山あるものだ。又、伝聞だけで物事を判断する愚かさも感じた。
(2)先日、バスの中で94歳の男性とお話をする機会があった。偶々バスを待つ順番を譲ったのでそれが有難いとされ、話が車中で弾んだ。内田先生という医学博士だった。世の人の役に立ちたいと医者になったが徴兵でレイテ島に派遣され、生きるか死ぬかと言う中で何とか生き延びてこられたそうだ。息子さんもお医者さんだそうだ。順番を譲るというそれだけで、このような貴重な巡り合いがあった。
(3)2011年の被災地の豆腐屋さんで、釜を熱するのに薪を使っている方がおられる。もう二度と電気やガスに頼らないというもので、一つの見識であろう。
(4)44年も経つ弊屋の物置には当時から木炭と七輪が置いてある。小生もあまり文明というものを信用していない。文明が進めば進むほど、一旦、それが不調になると、取り返しがつかなくなる。何事にも実感を大切にする日々の生活態度が大切だと思う。
(5)百合の花が好きだ。百合は開花の際、大量の水を吸い上げるので油断をすると花が萎れてしまう。そう言う時、ぬるま湯をたっぷり花器に注ぐと一日で回復する。要は愛情の問題である。
愛情と言い、謙譲と言い、日常生活の尊重と言い、自分の手でやるという実感の尊重、等々は、安易に便利さを追求する文明社会の現状とは合い入れないようだ。
(完)
FORUM-1 に収録
(20170220)
2016年も終わろうとするこの頃、幾つか考えていることを書いてみよう。
(1)昭和20年9月半ば、疎開から帰京した小生は両親と共に、早朝、 東横線渋谷駅のホームに居た。目の前の一面の焼け野原を、一台の自動車が代官山方面から原宿の方へ疾走して消えた。それがジープを見た最初の瞬間だった。それから、何も無かったが、平和が一杯の幸せな年月が数年過ぎて行った。
(2)所謂、BGMが気になっていた時。BBCのホームページにRoger Scruton (イギリスの哲学者、音楽家)がBGM無しの静かな番組 作りが出来ないものか、と言っていたので、我が意を得たりであった。その後何かの折に、電子音楽で作られたBGMのアーカイブがあるようだいうことをしらされた(未確認だが)。不必要な電子音楽によるBGMは不快である。しかし、現代人は無を恐れるようだ。ぼんやりすることを恐れる。電車に乗れば無数の広告の空間があり、車内放送があり、乗客たちの飲食から化粧に至る、そして、スマホの自由奔放の世界が広がる。
(3) 中華鍋と野菜と菜種油と少量の調味料でそれなりの野菜炒めが出来る。数枚の白紙と鉛筆と定規で数時間、数学を楽しむことが出来る。三畳の畳の上で天井を見ながら俳句を作ろうとすると、言葉がどこからか滲み出て来る。Alex Bellos の幾つかの本を(翻訳あり)を読むと数学や物理学の進歩にとり人間の自由な発想がとても重要だと いうことを知らされる。今科学はお金の消費額に頼っている感じ。
(4) 人と会う時、先入観を先ず捨てることが大切である。世の中の事象を見る時、一歩、二歩、引いてみる事が重要である。唐突だが、 不幸 とは、物に頼る人生、幸せとは物に頼らない人生と言って良いかもしれない。
(完)
FORUM-1 に収録
(20161220)
奥沢の八幡小学校四年生の末、音楽の大和淳二先生が附小を受けたらどうかと言って来た 。その後体操の鏑木先生が家に来て、「福島君は優しい人だから、附小のような頭の良い子ばかりで厳しい学校は向かない。私学で大学まで行ける穏やかな学校 の方が良い」と言う。
結局附小に転校したが五年生の半分は肋膜炎で休学していたので附小には一年間丈在学した。鏑木先生の云われた通り成績は下がった。ホームページの教室風景の奥の方で小生は手を上げているが「やらせ」である。皆の知的水準には追い付いて行けない。病床でも通学再開で もぼやっと夢を見ていた。内容はグリム童話か真田十勇士などのルビ付きの少年講談の数々だ。 感性はもしかすると知性よりも大切かもしれない。感性が育つには脳が未分化の状態が長いほど良いように思う。料理でも頭で作ったそれと感性(心)で作ったそれとは味が違う。附小は少し頭の育成に偏っていたようだった。
(完)
Essay-あの頃 収録
(20161121)
(1)小学校教育が小生にどのような影響を与えたのか、曖昧である。小生の精神的成長においては中学校生活と高校生活の占める割合が高い。
(2)一般的な区切りとしては、20歳前後までの勉強期、その後40年間の職業生活、そして残り20年の引退生活、計80年の人生というのが標準設計であろう。小生は遂に80歳を超えたので、これからは未知の世界に入り込みつつある。
(3)世の中と擦れ違っている感覚が強くなっている。昭和から平成になり、世の中の(たが)が緩んで来たように思える。約束も守られない。
こぼれ萩たがの緩みしワイン樽
実柘榴や約束事は破られる
(4)洋間に何時もオリエンタル種の百合(白、黄色、赤、ピンクなど)を二本飾り浮世を忘れているこの頃である。雑感まで。
(完)
FORUM-1 に収録
(20161027)