細田 眞司
令和元年、大晦日より、正月五日まで、京都、奈良を、一人旅した。妻を亡くしてから、年末は毎年、海外旅行実行。
台湾、ポルトガル、メキシコ、本年はナイル川クルーズを予定していたが、身体の調子が思わしくなく、キャンセルし、国内旅行とした。大晦日、東京を出発、京都のホテルで年越しそばを頂き、周囲の住民と共に、除夜の鐘をつく、始めての貴重な体験ができた。
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元日は,円山神社、公園、北野天神、
二日は上賀茂、下賀茂神社,早明ラグビー全国大学選手権、TV観戦、
三日は、京七福神巡り、万福寺,東寺等タクシーで訪問。奈良ホテル泊。
四日は興福寺、東大寺、国立博物館。
「仏像を観る」冊子を頂戴する。仏像理解のための私には最適、最高の資料である。
五日はタクシーで法隆寺、唐招提寺にお詣りし、京都より帰京した。
タクシーは二日間、一時間五千円、良き縁に恵まれて、高山章運転手である。
唐招提寺にふたつの句、歌碑がある。
芭蕉の「笈の小文」に「招提寺鑑真和尚,来朝の時,船中七〇余度の難をしのぎたまひ、御目のうち、塩風吹き入れて,終に御目しさせ給ふ尊像を拝して」と記している。
「若葉して御目の雫ぬくはばや」 芭蕉
「おおてらのまろきはしらのつきかげを つちにふみつつものをこそおもへ」 会津八一
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芭蕉の句は正に私の感懐に一致した。法隆寺お参りも直後、緑したたたる唐招提寺内である。
東山魁夷氏の「唐招提寺への道」新潮選書に会津八一氏のの歌碑について「一晩のうちに、同じ月の下で、法隆寺で萌した感興ではあっても唐招提寺にいたつて,始めてそれが高調し、渾熟して、一首の歌として纏め上げられている」と会津八一氏が述べていると記している。
敢えて,誤りを恐れず言うと私と同様に芭蕉も会津八一も法隆寺参詣の直後の実体験である。
鈴木大拙の日本的霊性」岩波書店刊を再再読していた。そして「初めての大拙」大熊玄著 DISCOVERを偶然手にし、購入した。大拙の一〇八の文章を軽く纏めてあり、楽しく、短時間で読み通せた。そして、私の心に正に打たれる、二つの文章を見いだした。
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日本人の心の強みは最深の心理を直観的につかみ、表象を借りてこれをまざまざと現実的に表現することにある。
この目的のために俳句は最も妥当な道具である。日本語以外のものをもってしては、俳句は発達できなかったであろう。
それゆえ、日本人を知ることは俳句を理解することは禅宗の「悟り」体験と接蝕することになる。 「禅と日本文化」
「やがて死ぬ気色(けしき)も見えず蝉の声」という芭蕉の句があるですね。
蝉というものは、ジュージュと何も惜しまずあとに残さない。力を半分出すことなんてはない。ちいさな蝉の全部がジューになって出るですな。
蝉はやがて死ぬのだが今日死のうが明日死のうが、そういうことには蝉は頓着しない。持っておる全部を吐き出してジューやるところに、言われぬ妙がある。それを芭蕉が見たに相違ないのです」。「新編東洋的な見方」
大拙師が言われる様に、俳句が「悟り」体験と接触することが出来るといわれている。「悟り」を得るための座禅は厳に戒められるが、私の独断と偏見で、多くの俳句を逍遥していこう。
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良寛が「正法眼蔵」を拝覧したことはその詩偈の「読永平録」に示され、俳句は108首ある。「定本良寛全集」中公
「世の中は桜の花になりにけり」
今真盛りの桜であるが、散るを考える。日本人の生死の手本である。
正岡子規の句は如何であろうか。
「秋の蠅叩き殺せと命じにけり」
死期の近ずいた病人が「叩き殺せと命じるところ。
「俳句の世界」小西甚一講談社学術文庫
日経の朝刊の小説欄に「ミチクサ先生」が掲載されている。本日二月八日、子規が大陸から帰国の船中での喀血の様子が記されている。子規と漱石との親交はご存知のとうり、
常に厚く、多くの書簡がある。「漱石書簡集三好行雄編編
「まきを割るかはた祖を割るか秋の空」
書簡集の最終に掲載されている。解説者は「漱石晩年の理想と見做される「則天去私」と通じる言葉と記している。
しかし私は漱石の最晩年の而も「禅について」の副題があり「祖を割るか」の「祖」に注目したい。
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俳句の作句者は多くの先輩、友人おり、師事できる人とは卓を囲んだが、吟じる機会を逸した。
今友人に紹介され、一番心打たれて時折、吟じる句は
「寒いねと話しかければ寒いねと答える人のいる暖かさ」俵真智
多くの境遇の仲間は皆感動し、メモをとる。多くの私の精神を揺るがす、句を探していこう。また死蔵している大拙師の多くの著書「禅学入門」を始め読み直そう。
令和二年二月八日
良寛師の俳句
師の俳句は「世の中は桜の花になりにけり」を紹介したが、師が病篤の際、口ずまされといわれる
「うらを見せおもてを見せて散るもみじ」を最初に入れるべきであろうか。
紅葉のように私も喜びと悲しみ、長所、短所など、様々な裏と表の人生をさらけ出しながら、死んでいくこと。
更に師の句で私が好きな佳句と思えるのは
「散桜残る桜も散る桜」
桜の花びらが散っている。まだ木の枝にはまだかなりの花が付いているしかし、やがては散る。誠にはかない。
「ゆく秋のあはれを誰に語らまし」
秋の季節が過ぎ去ろうとしているこのものがしい思いをこころから、聴いてくれる人が欲しい
有名な句「盗人に取り残し夜の月」
「新池や蛙とびこむ音もなし」
新しい池には蛙一匹飛び込む音もしない。芭蕉に続く人物
はいないこと。
定本 良寛全集第三巻 句集 中央公論新社刊
漱石の俳句
「まきを割るかはた祖を割るか秋の空」
解説者は漱石晩年の理想とみなされる「則天去私」と通じる言葉と記している。
身を天然自然にゆだねて生きていくこと「即天」は天地自然の法則や普遍的な妥当性に従うこと。「去私」は私心を捨て去ること。漱石の晩年の理想。
「はた」は「それとも」。「あるいは」。「右せんか左せんか」。
「父を殺し、母を殺し、友人を殺せば仏の前に懺悔する。仏を殺し、祖師を殺せばいったいどこで懺悔するのか」
懺悔は神仏に告白し、その許しを乞う儀式。自分以外に許しを乞う相手はいない。悪行の主体である自己そのものを問う禅の根源的な課題。父母や、友人、神仏よりもさらにその奥にいる、自分自身が問題。自己との徹底虚心の対話の必要。
禅宗の悟りとは平気で死ぬること思っていたが間違いで如何なる場合にも平気で生きていけること。 子規
Essay 紀行文 に収録
(20200311)