園田 太嘉雄
園田 太嘉雄
が発刊され、投稿した記事が掲載されました。
*FSCはフラワー・シニアクラブの略で100名を超す組合員が登録し、各種サークルを通じ活動しています。20240717
私は、市長タウンミーティング(第2回ミーティングのテーマ:高齢者)に参加しました。
市長タウンミーティングとは、市長が皆さまからのご意見や思いを伺う場所、即ち、「市長に想いを伝えたい」「市長と語りたい」ための場所です。
先ず、(A)市長の説明(主な高齢者施策)では、 ①高齢者のいきがいづくり ②困りごと、みまもりについて ③高齢者の居場所づくり ④団体への活動支援について話がありました。
次に、(B)市民からの意見や提案においては、①主な高齢者施策について ②その他。
ここでは、当日約300名参加者の内、発言希望者は135集と多く、抽選で20数名が発言しました。
◆会場で配られたアンケートに私は、以下のように記して提出しました。
(1)新市長の方針などを直に伺うことができた。
(2)農産物の安定的な生産に加え、景観や生物多様性を育むシステムが今なお江戸時代から継承されていることなどが評価され、「武蔵野の落葉堆肥農法」が平成29年3月に日本農業遺産に、令和5年7月に世界農業遣産に認定されました。
これを契機に「農と食」をテーマにした集会を開催して頂きたい。
園田太嘉雄(16-6)
2023.12.23(上)10:00~ 11:30
市役所8階大会議室
掲載:フラワー・シニア通信 Hey第245号 令和6年2月5日
20240225
国鉄・広尾線の思い出
2020年5月NHK 総合テレビで放送された「にっぽんの廃線100」は反響を呼び、8月にはBSプレミアムでアーカイブス 秘蔵映像でよみがえる「にっぽんの廃線100」として一部編集され再放送されました。
番組では廃線になった路線にまつわる思い出やエピソード、とっておきの映像・写真をアーカイブ特設サイトから応募してくださいと…
当方現役時代(北海道)に遺遇した資料があった筈とひたすら家探ししましたが見つからず、昨年は記憶のみを頼りに、昭和62年2月に廃線となった広尾線の思い出を NHK に投稿しました。
ところが、この度ひょんなことから件の資料が複数見つかったので、かねて「シニア通信」への出稿を勧めてくださった塩田理事に原稿・資料をお渡しした次第です。
以下昨年 NHK に投稿した記事原稿です。
昭和62年1月末繊維メーカーの札幌営業所に赴任して半年、初めて迎える北海道の冬、道東方面へ出張した週末の帰路、帯広駅にて下車しました(北海道では冬季、長年の交通手段は、車ではなく列車を利用した移動が一般的でした)。
当時札幌市内の駅舎に貼り出されていた”国鉄広尾線さよなら列車”のポスターを見ていたので迷わず予定の行動に…同年2月1日日曜日、運行された帯広発のさよなら列車に乗車しました。
豪雪地帯を走る広尾線(帯広一広尾 84km)列車のヘッドマークは、半分書に覆われていましたが、今日が最後の見納めと全車両満席。
終着駅=広尾駅に近づいて、巡回する車掌さんから”お礼と別れのご挨拶”が告げられると、一瞬車内に哀愁が漂い、「いちげんさん」の自分にも、長きにわたり歓びと悲しみを運んくれたであろう広尾線のドラマがそこはかとなく伝わってきたものでした。
後日談になりますが、その後別の会社(関西の小さな専門商社)に再就職しましたが、仕事で再び北海道を訪れたときは、レンタカーで廃線後の幸福駅に立ち寄り、売店で「愛国駅一幸福駅」の切符を買い求め、しばし”お守り”代わりに持ち歩いていました。
フラワー・シニア通信 発行日 令和3年8月5日 自治会の編集部が一部加筆エ
オレンジ色の車体、そしてその前後部にヘッドマークをつけた”お別れ広尾線「愛国・幸福号」”は、静かに帯広駅のプラットフォームを離れた。行き先の路線が強吹雪のため、出発を見合わせているとの車内放送のあと、定刻10時を約15分遅れての出発である。幸福駅、愛国駅の名で金国的に知られたあの広尾線(帯広一広尾間84キロ)は、去る2月1日、鉄道輸送58年の歴史に幕を閉じた。
北海道では、このところいわゆる赤字ローカル線が次々に姿を消していく。58年10月の白糠線を皮切りに、すでに第一次廃止対象路線は8線全線、二次線14線では国鉄最後の廃止線となった羽幌線を合む7線がそれぞれバスに転換された。
4月1日、「JR北海道」が新たにスタートしたが、その直前の3月には瀬棚線(16日)、湧網線(20日)、士幌線(23日)、羽幌線(30日)が相次いで廃止となった。
これほど矢継ぎ早では、とても全線乗りおさめるわけにはいかないが、昨年8月当地・札幌へ赴任して以来、10月の胆振線を振り出しに数木の”さよなら列車”に乗り合わすことができた。
地元の新聞では、「道内の鉄路がまた消える…」という書き出しによくお目にかかる。しかし、これでは哀切感だけが先立ってしまう。実際には、最後の“お別れ列車”に乗ってみると意外に明るい雰囲気につつまれている。
北海道では、このところいわゆる赤字ローカル線が次々に姿を消していく。58年10月の白糠線を皮切りに、すでに第一次廃止対象路線は8線全線、二次線14線では国鉄最後の廃止線となった羽幌線を合む7線がそれぞれバスに転換された。
4月1日、「JR北海道」が新たにスタートしたが、その直前の3月には瀬棚線(16日)、湧網線(20日)、士幌線(23日)、羽幌線(30日)が相次いで廃止となった。
これほど矢継ぎ早では、とても全線乗りおさめるわけにはいかないが、昨年8月当地・札幌へ赴任して以来、10月の胆振線を振り出しに数木の”さよなら列車”に乗り合わすことができた。
地元の新聞では、「道内の鉄路がまた消える…」という書き出しによくお目にかかる。しかし、これでは哀切感だけが先立ってしまう。実際には、最後の“お別れ列車”に乗ってみると意外に明るい雰囲気につつまれている。
路線発止に至るまでの曲折を思い、これからのさまざまな困難と強みを察すると、乗容の一人として複雑な気持にさせられるが、せめて今日一日は、「OO線最後の旅を心ゆくまでお楽しみください」との車内アナウンスを素直に受け止めておきたい。
そんな思いで乗り合わせた“さよなら列車”で出会ったいくつかのエピソードを紹介してみよう。
列車内では、それぞれ趣向を凝らした記念乗車証明書や乗車記念の品が配られる。日付スタンプだけのお手軽なものもあるが、なかには専務車準の認め印入り証明書に、来客ひとりひとりの乗車区間をきいて手書きしてくれるものまである。乗車記念の方は、金属バッヂから簡易壁掛、各駅スタンプ入りの栞とこれまた多彩である。
車内で目につくのは、重装備の報道関係者とチビッ子たちである。隣席のオバちゃんグループの話にそれとなく耳を傾けていると、このご一行は村会員でお出かけの由。
冒頭の広尾線ではミス”愛国・幸福号”のお嬢さんが紅白のたすきを掛け、車掌と共に絵葉書や記念品の販売に一役買っていた。臨時列車のダイヤはおおむね余裕をもって組まれているせいか、有名駅での停車時間は長い。もっとも、どの駅でもホームは記念乗車券を買い求める人、スタンプ台に並ぶ人、列車や駅舎をバックに写真を撮る人などでごった返し、駅員もこの日ばかりは乗客から色紙にサインを頼まれたり、一緒に記念写真におさまったり大忙がしである。そして列車が終着駅に近づくころ、車内アナウンスで利用首への御礼と本日限りで全ての業務を終了するとの報告が行なわれる。心なしか惜別感がこもっていて、聞いているこちらの方も思わず「ご苦労さん」と一言かけたくなる。
これからも何処かでさよなら列車”運転の知らせを聞けば、にわか鉄道ファンよろしく、きっと馳せ参じることになるだろう。
(当時在した会社の)社内報に掲載された記事 ローカル線”さよなら列車” 1987年(昭和62年)・5月
「埼玉県民・所沢在住の園田です。市の登録団体=NPO農都会議 所沢支部を拠点に活動しています。
この度、NPOとして関東農政局へ情報提供した「武蔵野の落ち葉堆肥農法 世界農業遺産に認定」に関する記事が、関東食育推進ネットワーク(関東農政局)のメルマガに掲載されました。
メルマガの末尾に関東農政局の「食育ひろば」のURLがあります。ネットワーク会員の活動報告となっています。
地元でおきていること(本稿)と6年前「附小24」に投稿した記事「日本農業遺産認定」の続編としてお読みくだされば幸いです。」
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◆◇◆ 関東食育ネット通信(No.96) ◆◇◆2023.10.19発行
発行:関東食育推進ネットワーク事務局(関東農政局消費生活課)
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令和5年7月5日国連食糧農業機関(FAO)の専門家会議会で「武蔵野の落ち葉堆肥農法」が世界農業遺産に認定されました。
江戸時代の人口増加に伴い、「武蔵野地域」(三芳町所沢市、川越市、ふじみ野市、三芳町)は、屋敷地・畑地・平地林を含む細長い短冊形の地割によって開拓されました。平地林の落ち葉を使った伝統的な「落ち葉堆肥農法」により、栄養分が少ない土地を肥沃な畑地に変え、今日まで受け継がれています。
世界農業遺産推進連絡協議会 「武蔵野の落ち葉堆肥農法」が世界農業遺産に認定されました
(20231028)
6年前「附小24」に投稿した記事に「武蔵野の落ち葉堆肥農法 日本農業遺産に認定!」があります。
この度 同農法がさらに世界農業遺産に認定されましたので、NPO農都会議のメーリングリストに投稿した記事と地元所沢市の広報に掲載された関連記事を届けます。
前便の続報としてご覧いただければと存じます。
武蔵野の落ち葉堆肥農法 世界農業遺産に認定!
7月5日国連食糧農業機関(FAO)の専門家会議会で「武蔵野の落ち葉堆肥農法」が世界農業遺産に認定されました。
江戸時代から「落ち葉堆肥農法が行われてきた「武蔵野地域」(三芳町、所沢市、川越市、ふじみ野市)を開拓した先人達の思いを、大都市東京に隣接する地域に
もかかわらず、農業後継者が伝統的農法をしっかり守り継承してこられことが世界に評価されたと受け止められている。(世界農業遺産推進協議会会長)
特に同農法の社会的な意義 1地域資源を活用した土壌改良 健全な農地を次世代に 2 安心安全な生産物を生活者・消費者に提供 3 そのためには生産基盤
である農地の確立が前提 これらが注目される所以である。
協議会会長も強調されている「認定はゴールではなく、スタートライン」、関係者一同さらなる協力によりSDGsへの貢献も期待される。
平成28年度 武蔵野の落ち葉堆肥農法世界遺産推進連絡協議会設立
世界遺産と日本遺産の認定を目指す
平成29年3月 日本農業遺産に認定
平成30年度 世界農業遺産承認申請
令和2年7月 世界農業遺産承認申請
令和3年2月 国(農林水産省)より世界農業遺産認定申請に係る承認を得る
令和3年10月 国(農林水産省)から国連食糧農業機関(FAO)へ世界農業遺産認定申請書を提出
令和5年7月 世界農業遺産に認定
注 所沢市議会議員、三芳町町長(推進協議会会長)、谷津田イノベーション研究会よりほぼ同時にFacebookの記事が届いたのでそれらを参考に記事を構成した。因みに当方は協議会設立直後賛助会員に登録、本事業を応援しながら地元所沢市の実践農家さんとも交流を深めています。
(20230919)
*所沢市の広報ところざわ9月号
1 模式図(短冊状の屋敷地、耕地、雑木林(落葉平地林)で構成されている)
2 落ち葉はき
3 平地林と畑で熟成 2年後堆肥として畑に還元
ギンヤンマの写真 文中“帆掛け“のかたち 戸田市提供(ネットから取得)
小学校の同窓会で、かっての通学仲間(編集部注:2組の同級生だった能崎章輔さんのこと)から「昆虫少年の園田」と紹介され俄かに当時の記憶が蘇った。確かに夏休みの宿題といえば、昆虫採集の標本が私方の定番だったように思う。
当時住んでいたのは、都内世田谷区の深沢町、かって”玉電“と呼ばれる路面電車の「桜新町」駅にほど近い住宅地。戸外には桜並木がありその周囲に麦畑・雑木林が広がるみどり豊かな環境でした。
子どものころの遊び道具といえば、自然界に豊富に存在する昆虫や小動物。夏休みには早朝から日没まで戸外で遊び呆けていたものでした。
なかでも、記憶に残っているのがトンボ採り(“ギンヤンマ”)に夢中になったことかな…
日中は麦畑の上を旋回するギンヤンマのオスを狙った囮作戦、短い竹筒にテグス(釣り糸)とメスのギンヤンマを結びつけ、麦畑に身を潜め頭上にメスを放ち旋回させる。すぐさまオスがやってきて、いわゆる”帆かけ“や“尾繋がり“状態になろうとして絡むので、容易にオスをゲットできる。二匹が発する激しい羽音と捕まえたときの感触は今でも鮮明に思い出す。
昆虫少年だった子どものころの感激を年を重ねても忘れていない。その記憶を次世代に繋げ、子どもたちに科学の目や観察する力をつけるきっかけになればと思っている。
所属団体・NPO新現役ネット(シニアの交流団体)の編集部から会員向け通信(冊子)の特集「それぞれの夏休み」への出稿依頼があり、応募したところコンパクトな記事として掲載されました。(20230918)
都内のオーガニック展示会に出展
2020年10月15~17日、 東京都港区の東京都立産業貿易センター浜松町館で開催されます。
さいたま市の見沼田んぼで無農薬・自然栽培で野菜を生産している「こばやし農園」が出展。今年のテーマ展示となる「新規就農者応援ゾーン」の一画で、見沼野菜の展示販売とともに、パネル展示で、見沼田んぼの概要を写真とマップで紹介します。
昨年本展示会に出展した株式会社嶋商(鳩山町 地域資源を活用した土壌改良材=フルボ酸バーク堆肥のメーカーと地元NPO 農都会議(所沢市)がともに出展に協力しています。
会期中は午前10時~午後5時。新型コロナウイルス対策を兼ねて、公式サイトから事前登録すると(https://ofj.or.jp/app01.html)、入場無料となります。
(20201011)
シンポジウム「農のあり方を考える~世界の潮流『小規模・家族農業』と日本」の開催のお知らせ
埼玉新聞の記事 2020.10.6付 県央・県東面
【開催日時】
2019年8月2日(金)~3日(土)10:00~17:00
【会場】
新宿NSビル NSイベントホール
〒163-0813 東京都新宿区西新宿2丁目4番1号
本展示会、第1回 開催より関わっていますが、今年は“生産者と資材メーカーのコラボ出展”に 地元NPO(農都会議)として協力しました。
以下写真とキャプションをもってレポートします。
一日目(8/2) 写真-1 オープンセレモニー(新宿NSビル 地下特設会場)
-8 嶋商 嶋田社長 土壌改良資材について熱心な説明
-6 毛呂山のネギ専門農家 神田夫妻
「フルボ酸堆肥で作った有機ネギ」の看板が登場
嶋商 嶋田社長とツーショット
(20190901)
堀越農園(東松山市)のトマト
埼玉高速鉄道の東川口駅で6月28〜30の3日間、東松山市で人気の有機農家・堀越農園のトマトが販売される。
毎月沿線の駅で実施されている「駅ナカ産直」の番外編。同農園は自然界で長い年月をかけて作り出される
同農園は化学肥料を使わず有機栽培で野菜を育てている。昨年9月、都内で開催された展示会オーガニックライフスタイルEXPOにも出展。同農園のナスやカボチャ、コマツナなどの野菜は初日に完売、食べた人はリピーターになること請け合い。
2 ポスター前に並べられた完熟トマトなど
3 園主の堀越又男さんも店頭に
4 乗降客(埼玉高速鉄道とJR武蔵野線)が次々立ち寄り店は活況 大玉トマトが残り少ない。完熟トマトが250円は安いと…
有機農業の堀越農園(埼玉県東松山市)
オープニングセレモニー
主催者(一社)オーガニックフォーラムジャパン 来賓(農林水産省 他)によるテープカット
園田太嘉雄は園主とツーショットを頼んだのに撮れてなくて残念
「フルボ酸バーク堆肥」(資材)への質問にも応える
出展者ブース
左 園主 堀越又男氏
右 資材メーカー 代表
有機農業の堀越農園(埼玉県東松山市)
第3回オーガニックライフスタイルEXPOに出展
会 期 9月22日・23日
会 場 東京国際フォーラム
展示場所 新規就農者支援ブース
表題の展示会が開催され、当方NPOとして生産者の出展に協力。
展示した野菜(小松菜、さつま芋、かぼちゃ、ナス)は一日目で完売。二日目のテーブルは値札を下げディスプレーとしてのみ…
一般来場者が、前日ここで買ったさつま芋が、美味しかったのでまた来たときき、「フルボ酸バーク堆肥農法」の普及に携わる関係者として改めて意を強くしました。
写真の右側は会場に園田を訪ねた山形達也
(20180925)
6月2日〜3日に開催された「森里海会議 in 南三陸ツアー」に参加しました。
(20180619)
全国初の”有機の里”として知られる埼玉県小川町で、昨2017年11月、「漁師が山に木を植える理由」と題した講演会が開かれました。講師はNPO法人「森は海の恋人」の畠山信氏でした。
その記事が環境農業新聞に載りましたので紹介します。
(20180619)
現在、世界の食料の8割が小規模・家族農業によって生産されていますが、急速な市場のグローバル化の進展で、小規模・家族農業は危機的状況に置かれています。 しかし、小規模・家族農業が、持続可能な農業の実現には、実は最も効率的だという評価がなされるようになり、国連食糧農業機関(FAO)は、「家族農業以外に持続可能な食料生産のパラダイムに近い存在はない」との認識の下、家族農業を中心とした計画の実行に取り組んでいます。 2017年12月には、国連総会で「家族農業の10年 2019-2028」が採択されました。その日本でのサポーター組織「小規模・家族農業ネットワーク・ジャパン」(SFFNJ)を立ち上げた、愛知学院大学 経済学部准教授 関根 佳恵氏にご講演いただきます。
開催日:2018年3月11日(日)14:00~16:00 (13:30開場)
会場:國學院大學渋谷キャンパス 2号館 2102教室
住所: 東京都渋谷区東4-10-28 地図は参考webサイト参照
参加費:1,000円
主催:NPO法人日本有機農業研究会、NPO法人農都会議
問い合わせ先・NPO法人農都会議 食・農・環境G
(担当:園田 090-3474-9656)
参考webサイト:
http://kokucheese.com/event/index/507268/
プログラム
【第1部 講演】「国連「家族農業の10年」と農政パラダイムの転換 ~小規模・家族農業の可能性~」
講師: 関根 佳恵 氏 愛知学院大学 経済学部 准教授
【第2部 質疑応答・議論】
コーディネーター:久保田 裕子 氏 國學院大學 経済学部 教授
終了後、交流会を予定しています。詳しくは会場でご案内します。
参加申込先「小規模・家族農業」シンポジウム 申込み送付先:
【・お名前、・ご所属、・ご役職、・E-mail】をご記入いただき、NPO法人農都会議 食・農・環境Gへ。
(20180306)
~農水省の補助事業として実施~ 「有機農業の日」(12月8日に制定されています)の関連企画ときき、11月18日に参加しました。
現地(山梨県北杜市)では気温3度、あいにくの天気になりましたが、井上農場さんのはからいで、”かぶ”は取り放題、参加者一同納得のいく農業収穫体験となりました。
車内で配られたオーガニックご当地弁当 料理家 真藤 舞衣子氏のプロデュース
井上農場にて 井上場長のお話しをきく
”あやめ雪かぶ”(品種)の畑
鮮やかな紫から白へのグラデーションが特長
冷たい雨中での収穫作業
たくさんとれて重たそう
腸内細菌叢(そう)研究の第一人者、辨野義己博士のお話を聴きます ------------------------------ NPO農都会議食・農・環境グループが主催するイベントです。 日時:2017年9月5日(火) 18:00~20:00会場:港区神明いきいきプラザ 問合せ:NPO法人農都会議事務局noutokaigi@gmail.com詳細⇒ http://a05.hm-f.jp/cc.php?t=M583897&c=685&d=6011関東食育局 食育ひろば:http://www.maff.go.jp/kanto/syo_an/seikatsu/shokuiku/index.html申し込み:https://docs.google.com/forms/d/e/1FAIpQLSfywI7DyYPQAp97tdeBfP2v5F1BVDMh-z-JkKtUVKNWieYvlQ/viewform
(20170831)
NPO(農都会議)として応援している富田農園ブースも終始賑わい園主の冨田さんも喜んでくれました。
会場での写真添付をもって概要報告といたします。
富田農園ブースにてー冨田ファミリーと応援団ー 看板下のポスターパネルに“ 日本農業遺産 武蔵野の「落ち葉堆肥農法」認定地域からの出展” とPRしています
冨田農園ブースで来場者との会話
Organic Lifestyle EXPOに、私が後援している冨田農園が出店しました
この度、冨田農園のホームページが公開されました。http://www.tomita-farm.com/
2017年5月20日、所沢市内の戸建団地=フラワーヒル内で、タブレットとIT機器を
使った初の催しが開催されました。(事務局発表 参加者40名超)
第2部の”うたごえ喫茶”は、生演奏なきバーチャルな演出でしたが、会場に集まった全員で字幕(歌詞)を見ながら合唱し、しばし楽しい時間を共有しました。
掲示板のポスター
主に”うたごえ喫茶”を受け持つ
(20170620)
はじめに
古来、”食と農”にまつわる多くの言葉が生まれ伝承されてきました。食の分野では、「医食同源」をはじめ、「身土(しんど)不二(ふじ)(地産地消)」が知られ、一方、農の世界では、根幹に「農業は国の大元なり」があります。
(筆者・中国・農業研修団 来日記録写真から) 我々人類は、地球生態系の一部であり、微生物や動植物がいなければ生きていけないという事実があります。微生物が自然界にある有機物を分解し、それを植物が吸収して育ち、光合成で栄養(澱粉)を作る。我々人間を始めとする動物はそれを食べて生きている。土の中でも、水の中でも地球上の生命はすべて食物連鎖でつながっています。
我々人類が末永く健康に生き延びようと願えば、“生物多様性”と“持続可能な農業”の意義を踏まえ、微生物や動植物の生存環境(汚染のない水・大気・土など)を考えないわけにはいきません。
今日”食の安心・安全性”がしきりに叫ばれています。どちらかと言えば人間の都合で生み出され、環境に負荷を与える化学資材(化学農薬・化成肥料、環境ホルモンなど)や遺伝子組み換え技術に依存しないで、オーガニック農産物を作り、流通させることが、結果として人間や動植物などすべての生命にとって、健全な自然環境・社会環境が実現することに繋がるという主張です。
農業は、「生態系を制御して、生態系を活用して農産物を生産して国民に食料を提供する産業である。」(農林水産省 農業環境技術研究所)これは、我が国のみならず世界に共通する見方と思われます。
中国・農業研究団の受け入れ
今でこそ国交が障害となり民間交流が途絶えている中国ですが、かっては*NPO日中交流促進会(以下 JCE)を通じて、主に中国内陸部の河南省農業研修団一行が毎年来日していました。
(研修会場にてミニレクチャー: 左は筆者、右は、通訳の林 欣さん )*定款に記載された目的には、日中両国の国民に対して、経済、技術、文化、人材、教育などの交流を促進する事業を行い、以下云々とあります。
平成21年末に始まり、ピークは22~23年頃、最後は25年3月まで、延20数回に及びました。一行は、20名前後の団体(団長は男性、女性相半ば)で、メンバーは農業に関わる役人で構成。そもそものきっかけは、NPOの活動でお付き合いのあったJCEの代表 林 欣さんから、“日本の農林業”について講義してほしいとオファーがり、本テーマのミニレクチャーとフィールドワーク(案内役)を引き受けることにしました。林業は専門外ゆえ、知り合いの林野庁OBに声をかけ手伝ってもらうことにしました。
(贈物を抱え記念写真: 中国大使館別館にて) 会場は恵比寿の中国大使館別館をはじめ都内の区民会館、ホテルなどを利用して行われましたが、講義は午前中、午後は首都圏の農業体験農場などへバスで移動、現地見学、現地研修が定番のコースでした。
(贈物を抱え記念写真: 中国大使館別館にて) 日本も中国も化学資材=農薬や化学肥料を大量に使用するいわゆる“慣行農法”が主流となっているので、あえて農薬も化学肥料も使わないオーガニックな農業技術を軸に、講義を組み立てました。また、NHKの番組(プロフェッショナル 仕事の流儀)で放送された“奇跡のりんご”(青森県のりんご農家 木村秋則さん)や“命の農場で土に生きる”(埼玉家小川町の有機農家 金子美登さん)の録画を研修団の皆さんと一緒に視聴し、そのあと意見交換を行いましたが、活発なやるとりがあり互いに刺激を受ける研修の場になりました。尤も自分は中国語を喋ることができないので、通訳は、林 欣さんが務めてくれることもありますが、通常は中国人の女性通訳が担ってくれました。
日本有機農業のルーツと理念
(20170101)
おやじ互楽大学(※)の公開講座=自分史づくりに参加した有志メンバーでつくった冊子(「若者達へ伝えたいストーリー」)を地元(所沢市)の図書館に寄贈したところ図らずも資料室に収蔵されました。
(図書館の三階で閲覧可)
※ 港区の男女平等参画センター(愛称;リーブラ)で開催した「定年退職後の男の生き方」の参加者によって誕生。セカンドライフの充実と地域への貢献を目指す団体です。
(フィールドワーク: 練馬の農業体験農場=白石農園にて、園主の白石さんから説明を聞く研修生) 講義の中で、強調したのは、有機農業の思想(日本有機農業研究会を立ち上げた一楽照雄氏の思想でもある)とその具体的な取り組みでした。日本でもまだ普及していない次世代農業技術も紹介しましたが、強い関心が示されたことを覚えています。 今日オーガニックが注目されるのは、有機農業(生産)を普及し、有機農産物の消費を拡大するだけではなく、人々の関心が、“オーガニックライフスタイル”への転換“に向かっていることも一因かもしれません。 国際的な規模で有機農業推進活動を行っているIFOAM(アイフォーム)(国際有機農業運動連盟)が存在するのもこうした背景によるものと理解できます。
次世代へのメッセージ
「自然は我々の先祖から譲り受けたものではなく、我々の子孫から借り受けたものである」。
これは、古くから伝わるアメリカインディアンの教訓です。
どんなに時代が変わっても、技術が進んでも、我々大人は、次の世代に、「食と農と環境」、「食と農と健康」の関係性をしっかりと伝えていく責任があります。私たちの暮らしであれ、農林漁業であれ、汚染のない元気な土壌環境がすべての根源であり、これをきちんと確立し、次世代に手渡していく、そのことがその時代を生きる者に課せられた最重要使命と思っています。
(おやじ互楽大学の「若者達へ伝えたいストーリー」に寄稿した原稿が元になっています)
表紙
裏表紙
目次
所沢市郷土資料の棚(冊子にNoが貼られ収められている)
能崎さんの「昆虫少年」を契機に、大須さんが「高尾山の昆虫採集」を投稿してくださって、うれしかったです。
自分の中では、「昆虫少年」の時代があり、今日の“生物多様性”を基本に“農業”から“食”と“環境”にウイングが広がり、今回のイベント=「オーガニックライフスタイル」にも繋がっていると感じています。
本ホームページでお知らせしたオーガニックEXPOは盛況裡に終了しました。
筆者の近影: 2016年12月28日館内で撮影(20170101)
(地上広場・生産者マルシェのエリアに点在するテント)
第1回オーガニックライフスタイルEXPO公式来場者数(事務局公表) ■ 総合来場者数 11月18日(金)晴れ 10,202名、19日(土)雨のち曇 9,588名、合計19,790名 ■ 開催全体規模 193社.団体.生産者、180小間
些か間延びした報告になりますが、以下写真と説明文をもって概要報告とします。 このEXPOへの出展は、法人組織が要件なので、私どもが地元で応援している *冨田農園さんの出展に協力しました。(NPO農都会議名義で出展) *小生(所沢市在住)の隣町 三芳町で有機農業を営む なお、私・園田は地元紙=埼玉新聞社のタウン記者を務めていますので、同社編集局へ EXPOの開催と三芳町・富田農園の出展の記事を出稿したところ、 10/31付本紙地域欄に掲載。
左の見出し「三芳の冨田農園都内催しに出展 来月18、19日」。 この記事をみて、当日埼玉県農林部(有機・安全生産担当)の職員と県議会議員さんが 冨田ブースに立ち寄ってくれました。
オープニングセレモニー(メイン会場・B2F展示ホール前)
会場MAP&出展者一覧
出展者IDパス
冨田農園のブース 新たに設立された団体「堆肥を使ったおいしい野 菜づくりの会」の名称も…
冨田農園 園主 冨田伸二氏と私のツーショット
新鮮野菜を買い求める客で賑わう冨田ショップテント脇のハイスタンド ディスプレーとしてダブル受賞の賞状と名刺受
出展者レセプションパーティー会場にて 自民党 小泉農林部会長の来賓挨拶
(20161128)
「オーガニックEXPO」 https://ofj.or.jp/
園田が所属するNPO農都会議
(農村と都会にまたがる課題解決と草の根から政策提言を行っている団体です)
が応援している冨田農園が出展します
来る11月18日(金)19日(土)、有楽町・東京国際フォーラムにて第1回「オーガニックライフスタイルEXPO」が開催されます。
このEXPOは、国内のオーガニックを基本としたライフスタイルの健全な発展と啓蒙普及をめざし、出展カテゴリーは有機農産物・食品にとどまらずナチュラル化粧品や天然素材の繊維製品、環境に配慮した幅広い製品群が出展されます。
会場の「地上広場・生産者マルシェ」には、有機農業の冨田農園(埼玉県三芳町)が出展します。(ブースNO M-006)
園主の冨田伸二氏は、東京農大のご出身で、長年、昔ながらの堆肥栽培(有機農業)を研究し、おいしい野菜づくりに取り組まれ,その成果(病害虫防除、連作障害解消など)が認められ、平成22年東久邇宮文化褒賞、平成26年同記念賞を受賞されています。
会場(生産者マルシェ)に、お時間のある方はお立ち寄りください。
来場者事前登録が始まりました。 https://ofj.or.jp/(事前登録により入場無料となります)
(20161030)
:昆虫少年の今:「みどりのフォトコンテスト」で「みどりのパートナー賞」を受賞
地元(所沢市)自治会の回覧で、みどりをテーマにした作品募集を知り庭木のアベリアとジャコウアゲハを撮影した写真を応募したところ入賞作品に選ばれました。
昆虫少年だった子どものころの感激は年を重ねても忘れていません。その記憶を次世代につなげ、子供たちに生き物を観察する目を養うきっかけにしてほしいとの思いもあり本コンテスト応募しました。<ー 自治会の回覧(入賞作品発表)
先の附小同期会で、2組の能崎さんが、”昆虫少年の園田”と紹介してくださったので、園田の近況として投稿しました。 <ー 展示会場にて( 作品に講評も添えられている)
能崎さんとは、当時、付属小学校から玉電(路面電車)の三軒茶屋駅までの通学路をともにしました。<ー 展示会場にて(自治会の役員らと…)(20161030)
山形 達也
学童疎開から東京に戻ってきたのは1945年の11月頃だったと思う。疎開のあと直ぐには戻ってこない生徒があって生徒数が減少し、ぼくたち3年2組は男女一緒のクラスとなって担任は広田先生だった。
4年生になると疎開から戻ってきた人も増えたし、新しく入ってきた人達もいて元通り学年は3組編成になってぼくたちは加藤先生の4年2組になった。
世の中の食糧事情は最悪だったが、世界は戦争中とはすっかり変わってしまった。何よりも新しい遊びが入ってきた。野球である。
ぼくたちが野球のルールを良く知っていたとは思えないが、それでもみなが家にあるものを持ち寄って、粗悪な印刷の野球ルールブックを片手に、野球遊びが始まった。ボールは軟式テニスのボールだった。ぼくは叔父のグラブをもらってきたが、左利きの叔父だったので、右手にはめるグラブを左手にはめて、とても使い難かった。
それでも、こんなお古でもあれば良い方で、必要な数の半分ぐらいしかなかったと思う。でもその中で、園田が一人だけ新品のダークグレイのグラブを持ってきた。羨ましく思いながら、いいグローブだねと褒めたものだ。
実際に野球をやろうということになってぼくはピッチャーを買って出た。それまでは何時も、何かと場を仕切っていたから当然のことだった。
でも、いくら投げてもストライクが入らない。「4球ボールなら一塁に行っていいんだろ」と、誰かがが抗議したが、ぼくは受け付けずに、「これでいいのだ、ボールは数えないんだ」と投げ続けた。やがてみんなが口々に抗議をして、ついにぼくはマウンドから引きずり降ろされた。
まったく運動神経のないことが友だちの前で如実に示されて、それまでのガキ大将の面目と自信が完全に潰えたという、人生最初の深刻な挫折を味わった瞬間だった。
でも、これだけでは済まなかった。深く傷ついた自尊心を自分でも扱いかねて、それを救うための代償を求めたに違いない。
なんと、新品のグラブを持っている園田のいじめに加わったのだった。4年生のときに入ってきて、たちまち辺りを席巻した悪ガキのヤント(山本修)が園田の新しいグラブを、「何だ、こんなに硬いグラブは。これじゃ硬すぎてボールが取れないね」とけなしたのである。
園田が野球少年の片鱗でも見せていたら、みなから一目置かれただろうけれど、昆虫少年だった園田の運動神経はぼく並みだったから、ヤントから見れば言い易かったに違いない。新しいグラブが羨ましくて、だからこそケチを付けたのだろうが、これはいじめである。ぼくはその尻馬に乗って、いじめに加わるという卑劣な人間となって、自分の心の痛みを補償しようとしたのであった。
しかし、この明らかに正義に悖る行為はぼくを惨めにし、それを恥じる気持ちは深くぼくの心の底に沈殿した。ぼくは園田に対する忸怩たる気持ちを抱いたまま、その後の自分の人生を生きてきた。だからその後は一切いじめにかかわらなかった。良くも悪くも人の尻馬に乗るという行為も、厳に戒めてきた。何時も、その時の良心の咎めが蘇ったからである。
先日(2016年)の同期会で久しぶりに会った園田に、やっと事の顛末の一部始終を話して、謝った。
70年ぶりに胸のつかえが降りた。お互い、生きてて、良かった。
essay-あの頃 に収録
(20170101)