倉田です。今は毎週一回、若い人たちに混じって麻雀を楽しんでいます。
三菱電機を退職してゴルフ場通いが頻繁になった頃は、日産フェアレディを乗り回して、たびたびかっこいいと言われていました。
それから十有余年経って今はフェアレディを卒業し、愛称ポルシェ(スズキの電動椅子)を楽しく運転しています。
5月20日に受けた心臓手術の後一週間で退院して自宅に戻りましたが、体調不良を覚え、やがて食欲不振に陥り食べられない日が続いたので、7月18日に近くの柏市民病院の循環器科で診断を受けて即刻入院しました。
1ヶ月余の入院で体調が戻ってきたので退院することが決まった前日、入院中に作ったラップ落首を同期生の方々に披露したいと考え、このWebsiteにも収録しました。
20240821
近ごろ ちまたに 流行るもの
パワハラ コロナに ニセ電話
内部告発 したけれど
名前ばらされ 針の山
浮気不倫と 叩かれて
職を追われる 有名人
建前の壁 恐ろしや
柔軟性が いるよねえ
それはさておき このワシは
米寿になって しまったよ
幸い認知度 まだ少し
残って居ると 思ってる
とはいえ顔つき 振る舞いを
見た人多くは このワシを
ボケかもしれん と思うかも
仕方が無いか 寂しいな
やるせないけど 現実を
受け入れようぜ しっかりと
はてさて今の このワシは
市立病院 入院中
早くも丁度 二週間
外は猛暑で うだってる
それに比べて 病室は
居心地満点 避暑地です
悪友どもが 言ってくる
病気して 良かったねーと
けしからん それ程外は 酷いのか
僕が入院 した訳は
飯が食えなく なったため
友人山形 来てくれて
病院運んで くれました
人生観の 先生が
しっかり話しを 聞いてくれ
即刻入院 しなさいと
手続きとってくれました
入院手続き ヤヤコシヤ
ふらつく僕を 思いやり
山形さんが. 手続きの
殆ど全部を やってくれ
無事に入院 出来ました
感謝感謝だ 山形さん
食欲不振 その原因
味覚障害 その原因
先生なんとか. 探ろうと
血液検査に レントゲン
CT検査に 心電図
エコー検査と. さまざまな
検査検査の 二日間
検査結果で 診断は
内臓機能に 異常なし
飲用薬の 副作用
可能性大と 言われたよ
そこで先生 医科歯科大
新たに処方 された薬
食欲不振の. 恐れある
薬いくつか. 探し出し
投薬変更. してくれた
その間色々 患者との
相談乗って. くれました
親友山形 経緯聞き
柔軟性ある 良い先生
倉田よ 本当に良かったね
今度の入院 三不思議
その一「尿瓶」が. 使えない
何度もトライ. したけれど
オシッコ一度も. 出てくれない
不思議そのニは. テレビジョン
全く 観る気が 起こらない
家ではテレビに かじりつく
テレビおじさん 何故だろう
不思議その三 朝納豆
ある朝出て来た. 納豆が
吐き気をせずに 食べられた
他の食べ物 全部ダメ
なんでだろーなんでだろー
今度の入院. 驚いた
その一リハビリ 部門有り
まさかあるとは 知らなんだ
今の僕には 有り難い
ヨロヨロ歩きの 改善を
少しだけでも 出来るだろー
担当指導士 丁寧に
無理ない指導 してくれる
人から見れば 入院は
単純単調 だろうけど
意外に色々 ありますよ
お世話頂く 看護師さん
性格物腰 観察し
こちらが上手に 対応し
仲良くするのが 大切だ
世話するされる 関係は
感謝感謝だ 有り難う
入院生活 二週間
楽観主義者の この僕も
なんだか不安に なって来た
考え過ぎても 仕方ない
絶対治ると 信じろと
自分自身に 言い聞かせ
寝たり起きたり ぐうたらな
生活毎日 送ってる
以上ーー入院〜入院二週間迄ーー
一昨日隣に 来た患者
ズーズーガーガー ガタゴトと
異常な音を 良く出すよ
その上耳が 悪いのか
看護師さんが 大声で
うるさいけれど 仕方ない
やっぱりその夜 始まった
ズーズーガーガー ガタゴトが
耳栓はめても 効果小
しかしなんとか 眠ったよ
翌日昼間 看護師に
隣の騒音 話したら
四人部屋です ごめんなさい
我慢するのは この僕か
その夜消灯 時間来て
耳栓手っ取り 早く着け
寝ようとしたら 始まった
今夜の騒音 半端無し
音も大きく 休み無し
僕はいったい どうしたら
その1看護師 ボタン押す
しかし昨日 看護師は
病人だから 仕方ない
看護師呼んでも 意味がない
その2は僕が 起きだして
遠いベッドに 行って寝る
黙ってやったら どうなるか
あれやこれやと 眠れずに
イライラしながら 考えた
まずはイライラ 解消と
隣が音声 出した時
間髪入れず こちらから
大声出して 対抗だ
僕の対抗 音声は
「うーー」と単純 大声で
耳が悪いと 聞いたけど
僕の大声 聞こえてる
瞬間音声 止まったよ
一晩これの 繰り返し
しかし翌朝 看護師に
この事言ったら それは無い
隣の患者 耳元で
言わなきゃ 何も 聞こえない
貴方の大声 聞こえてない
それでもやるぞ 真夜中の
大声決闘 やめないぞ
お爺さん、爺さんそれから お爺ちゃん
爺ちゃん爺(ジジイ) ボケ爺(ジジイ)
色んな呼び方 有りますね
お爺さんから ボケ爺(ジジイ)
同じじゃないかと 言う人も
居るけど僕は 違います
初めて会話を する人は
初めは敬語を 使っても
耳が悪くて もう少し
大きな声で お願いと
言ったらすぐに 扱いが
ボケ爺(ジジイ)相手に 変わります
いつの間にかに タメ口に
言葉使いが 変わる人
結構大勢 いらっしゃる
耳が悪いと 聞いただけ
そうなるんだなと 思うけど
決して 嬉しく有りません
コンチクショウと 思っても
そこは怒らず 我慢して
話し続ける しか無いと
これがジジイの 生きる道
びっくりしたよ 驚いた
柏病院 驚いた
長年 お世話になってるが
顔まで 剃ってくれるとは
しかも丁寧 腕前も
町床屋にも 負けぬ腕
すっかり気持ち 良くなった
猛暑厳しい この夏に
柏市高原 病院に
避暑静養に 来ています
三食 介護 昼寝付き
背中洗いに 顔剃りも
看護師さんが やってくれ
CT エコーに レントゲン
血液検査に 心電図
健康検査 全てやり
医療保険で 援助され
リハビリルームで 足腰を
歩く訓練 されて居る
さてさて こんな良いところ
病気で無ければ 天国だ
吐き気無ければ 天国だ
食欲有ったら 天国だ
日々痩せていく 我が身体
手足は細く 棒の様
情け無いなと 思っても
病気の原因 分からない
色々原因 考えた
体調検査 全てやり
食欲不振の 原因に
なるとこ一つも 出てこない
そうなら残るは 副作用
これしか無いと なるけれど
僕には他に もう一つ
有るかもしれない 原因が
うっすら頭に 浮かびます
それはネガティヴ 自己暗示
以前入院 医科歯科大
病院飯の 貧弱さ
こんなの食えと 出すのかよ
俺は人間 豚じゃない
小腸異常で 退院を
先送りされ 薄お粥
なおさら思う 不満足
病院飯は 俺は駄目
すっかり頭に 染み付いた
俺は食えない 病院食
このネガティヴな 自己暗示
食欲不振の 原因の
一つと言える かもしれぬ
それを思った もう一つ
食べられる物 何がある
それまで出てきた 献立で
抵抗感無く 食えたのは
どういう訳か 納豆くん
市販と同じパッケージ
病院飯とは 言えません
今まで僕の 好物が
納豆だった 訳じゃない
そこで色々 考えた
色んな食べ物 夢想して
食べられるかなと 聞いたけど
その殆どか 食べられる
病院食も 夢想した
勿論吐き気で 食べられぬ
このネガティヴな 自己暗示
解消する手 有るのかと
AIチャットで 調べたよ
思っていたより 難しい
時間も相当 掛かりそう
このまま入院 したままで
解消するのは 先ず無理だ
そこで一つの 方法は
病院を出て 帰宅する
あるいは娘の 家に行く
一週間の 仮退院
それが駄目なら 本退院
病院食から 別れます
それでも吐き気 続くのか
試してみる価値 有る筈だ
思い出したよ 入院時
山形さんに 連れられて
あれやこれやで ベッドイン
入院理由は 拒食症
飯が食えなく なった為
身体衰弱 ふらふらに
なってしまった 為でした
日誌によれば 食欲が
無くて食えない 始まりは
ろくにいさん(6月23日)の 昼ご飯
それから入院 する日迄
だんだん食えない 日が増えて
吐き気が出る日も 増えて来た
入院当初は 食欲が
全く無くて 動けけない
色々食べ物 夢想して
口に入るか 試したが
天ぷらすき焼 鰻丼も
全て口には 入らない
それが今 山形さんにお願いし
外の食べ物 おかずにし
そこそこの量 食べている
現状先生と 話し合い
退院してみて どうなるか
やつてみようと なりました
一週間後に 診断し
どうなってるか 話し合う
ことにしようと なりました
いよいよ明日は 退院だ
やってみなけりゃ わからない
心配あるけど 乗り越えて
進んでいくのが 人生だ
20240821
を先日、東京医科歯科大学病院で受けました。5月17日に入院、20日に手術、6月1日に退院。術後の退屈な時間を過ごしている時、そうだ、これを記録に残そうと思いたちました。その時たまたま頭に浮かんだ「此頃都ニハヤル物 夜討 強盗 ニセ綸旨」で始まる二条河原の落書を模して書き始めたところ、五七調で調子よくラップ調の戯れ歌(シニア入院手術顛末の唄)が一日で出来上がりました。
これまでちょっと歩くと息が上がって10mと歩くことはできなかったのですが、今それは解決したように思います。
それで今は自宅で、弱りきった足腰をそろそろと鍛えようとしています。嬉しいです。この秋に開かれるという第4回童喜会に出席できるのではないかと思っています。
左の写真は無事退院して自宅でくつろいでいる時の写真です。20240607
I.
近頃シニアに 流行るもの
難聴 息切れ 膝痛い
手足はは震え 関節痛
耳は聞こえず 目は見えず
白内・緑内・認知症
道を歩けば 追い越され
こんちくしょうと 思っても
どうにも足が 動かない
米寿に近づく このワシも
流行りに乗って 過ごしてた
定期検査で カテーテル
担当医師に 言われたぜ
貴方の心臓 弁不調
このままだったら あと数年
手術をすれば 持ちますよ
手術怖いな 心臓は
ピンコロしたいと 思ってる
そしたら先生 こう言った
苦しみますよ その時は
オペするしないは 人生観
人生観が 出てきたぜ
我が子より
若い先生に 言われたぜ
はてさてワシの 人生観
苦しみながら 死にたくない
苦しみ最期を 先送り
家族と友にも 聞いてみた
消化器女医にも 聞いてみた
皆んなオペやれ 背中押す
こうなりゃ オペをするしかない
先生お願い 致します
紹介状は 医科歯科大
親友本間の 居たところ
ここなら信頼 できるよね
息切れハーハー 御茶ノ水
会った先生 助教さん
人生観の お医者とは
昔馴染みと 言われたよ
親切丁寧 驚いた
上から目線 まるで無し
データ見ました 紹介状
貴方の弁は 良、中、悪
分類すると 悪の上
お見かけしたら お元気で
頭もしっかり なさってる
勿体無いです 倉田さん
先ずは検査の 入院を
恥ずかしながら 聞いてみた
失敗あの世の 確率は
すると先生 笑み浮かべ
飛行機事故死と ほぼ同じ
そんなに安全 知らなんだ
数割あの世と 思ってた
こうなりゃ即答 検査して
下さい入院 致します
信頼できる 先生と
信頼できる 病院に
全てお任せ 致します
僕はほんとに ラッキーだ
検査入院 した結果
これなら手術 出来ますと
はっきりしっかり 言われたよ
検査入院3・15
本入院は5・17
オペレーションは5・20
右上へ↗️
本入院の その前に
美味いものを 食いつくす
山形さん
あちこち連れて 行って呉れ
うなぎ・天ぷら・蕎麦・お寿司
もう未練なしと 本入院
心にまだ有る 恐怖心
山形さんが 別れ際
しっかりハグを して呉れた
入院の手続き説明 厄介だ
娘がしっかり やって呉れ
僕一人では ても無理
いよいよこれから 執刀医
オペ説明の 席座る
4・50代の男前
頭は低く 話しは上手
この医師もまた 紹介状
医師と昔の 顔馴染み
事前に見てきた ご年齢
体力心配 してました
お元気そうで よかったと
私を褒めて 呉れました
この手術
途中で何かが 起こっても
チームプレーて 対処する
体制しっかり 作ります
信頼益々 高まった
II.
いよいよこれから 手術室
大きな立派な 手術室
手術台 真ん中高く 聳え立つ
その周りには オペ要員
10人以上が お待ちかね
ファラオの墓に 描かれた
ミイラ作りの 絵の感じ
これからファラオに なってやれ
麻酔かけられ オペレーション
先ずは足首 穴を開け
人造弁を カテーテル
太い血管 中通し
心臓に迄 持って行く
その間起こる 様々な
障害色々 予測して
対処要員 揃えている
目が覚めた
終わったんだと わかったぜ
身体真っ直ぐ 動かない
棺桶の中 横たわる
遺体の様な 体勢だ
執刀先生 現れて
上手くいったと 言われたよ
俺生きて居る ありがたや
成功したんだ ありがとう
喉口こわはばり 声が出ず
後で聞いたが 口からも
管が入って 居たそうだ
暫くしてから 起こされて
車椅子に乗り 病棟へ
倉田さんが ステージで
掴んだマイクを 口元に
ステップ踏み踏み 照れもせず
歌い出したは あのラップ
命を懸けて 入院し
初体験の 心手術
全身麻酔の 掛かるとき
全てを任せた 先生の
おかげで目覚めた ICU
新たな生を 取り戻し
これから二度目の 青春を
生きる喜び 歌にして
歌って踊る 倉田さん
人生生きる 喜びを
いついつまでも 続けよう
これはLINE童喜会サブグループG1に、
倉田さんの書いた唄が載ったので、
その返歌としてLINEに載せました。
倉田さんによると2度目の青春じゃないよ、
4度目か5度目の青春だよとのことです。
山形達也 20240604
つい数日前の2024年2月28日、日本の国立競技場で女子サッカーのパリ五輪・アジア最終予選のプレーオフ第2戦が行われ、なでしこジャパンは北朝鮮に対して2-1で勝利し、6回目のオリンピック大会出場を決めた。
北朝鮮はラフプレーで名高く、荒れた戦いになるのではないかと心配していたが、今回はラフプレーを禁じたとのことで目に余るフィジカルの攻撃なしでなでしこジャパンに匹敵するボール捌きを見せ、テレビで手に汗を握ってハラハラしながら観戦することとなった。
中でも前半終了間際、北朝鮮FWのキックがゴールを襲い、右横へ横っ飛びに飛んでボールをギリギリで掻き出したGKの山下の絶妙の守備がなければ、それがきっかけで日本は負ける羽目になったかもしれない。それほどGKの働きは見事だった。危機に見事な働きを見せるGKはまさにチームの守護神だ。
もちろん1点目の得点をした高橋も、2点目の藤野もその働きがあればこそ勝利したわけだが、ゴールを死守するGKの山下の神がかりの動きも大いに賞賛されるべきで、これが私の思い出の中の密かな自慢話につながるのだ。
思えば70年近く時間が経ってしまったが、その頃の私は慶応大学に在学中はハンドボール部のGKだった。今の姿からは想像しにくいだろうが、私は長身で格好良くモテモテ男だったのだ。
当時のハンドボールは室外競技だったので、今と違ってゴールは現在のサッカーのゴールと同じサイズだった(大きさが添付の写真でわかりますね。ゴールは横幅7.32m高さ2.44mだったが、現在は横幅3m x 高さ2mとなってずっと小さい)。したがって、ゴールを守るのは現在の競技よりもはるかにきつい仕事だったことを、まずは書いておきたい。
1958年9月22日国立競技場で、第6回早慶ハンドボール定期戦が初めてナイターとして行われた(伝統の早慶戦は何も野球だけではないのだ!それにしても、世間で慶早戦と言わないのが許し難い)。その時ゴールを守っていたのは私・倉田尚だった。その試合の間、早稲田チームにペナルティで合計3本のスローの権利が与えられた。私は相手のスローを阻止してナンボの世界に生きている。
当時のフリースローはゴール前の10m地点から行われた(現在は7m)。レフェリーが笛を吹くと5秒以内にスローしなくてはならないが、サッカー競技を見ている人たちがよく知っているように、シューターが投げて(ボールが蹴られて)からそれを見てキーパーが動いては間に合わない。だから、ゴールキーパーはシューターが投げる瞬間には、ボールの来る方向を予想してもう動いているのだ。右にボールが来ると見切った時は、左に動きそうな誘いをわずかに見せて、ボールが投げられる瞬間には右に体を投げ出してボールを止める。シュートの1回目は予想通り右に来たので、見事キャッチできた。
2回目のフリースローでは、私は左に動きそうな様子に続いて右に動くフェイントをわずかに噛ませてボールが投げられた時には体を左に飛ばして、左に来たボールを受け止めていた。心理戦の勝利である。
3回目のペナルティースローの直前、私は体を小刻みに動かしながら、次のボールがどこにくるか考えた。レフェリーの笛が鳴った時、右に体を動かすか左に体を動かすか相手が迷うように体をかすかに揺すって、ボールが真っ正面に来ることに賭けようとした。ボールが予想通り真っ正面にきた時、レフェリーの笛が再度鋭く鳴り、それはシューターが10mラインの白線を踏んで投げるという違反を犯したことを告げていた。つまり、私はペナルティーの早稲田の3投を全て見事に防ぎ切って、味方に10対7の勝利をもたらしたのだった。
終了後の双方一緒の懇親会で、早稲田の選手が「倉田さんが守っている試合で一度は勝ちたかった」と言ってくれた時は実に嬉しかった。試合ではいつも得点を挙げた選手がちやほやされる。だが、敵の得点を阻むゴールキーパーも同様に大事な存在で、それこそチームの守護神だ。私は慶應大学に在学中、ハンドボール部の守り神であったことを誇りを持って思い出している。
20240302
前列右から三人目が倉田さん