Oct, 2026.
1.序論
第二次世界大戦の昭和18年(1943年)夏以降、ドイツ陸軍から日本陸軍へ1両の「Tiger戦車」の調達手続き(注文・引渡・代金決済)が進められた。一般には「太平洋戦線での米軍重装甲の戦車に対抗するため、日本軍はTiger戦車の購入を試みた。しかし海上輸送が叶わずそれはフランスの地に留まり、日本に届かなかった」といった文脈で語られることが多い。
しかし1943年の状況はすでに独ソ戦によってシベリア鉄道網は閉鎖、英国による海上封鎖、さらにMidway海戦後の米国の攻勢によって、日本とドイツの両国間の海上輸送はほぼ困難な状況であった。両国間は潜水艦による若干の物資や資料や人員がやり取りされる程度であり、大型の機械設備や大量の人員の輸送は不可能であった(出典 坂本雅純「経済安全保障の『温故知新』 ―日独協力に関するヴァーラーズ博士との意見交換―」)。
このような状況で、日本軍はTiger戦車の調達をいかなる判断で進めたのか、日本陸軍とドイツ陸軍の手続きはいかなる実態であったのかについて、一次史料と書籍・回想録など二次資料をもとにして明らかにしたい。
2.1942年-1943年5月 兵器技術調達の動向
Matt Dederick氏の調査によると「1942年中頃、南太平洋における戦局の逆転を受け、日本政府はアメリカと戦い本土を防衛するための戦力を再建すべく、新技術と兵器の必要性を認識した。在ベルリン日本大使の大島浩中将は、ドイツからの原材料および兵器技術の購入に向けた「要望リスト」を東京へ提出するよう指示された(出典 Matt Dederick, "READING BETWEEN THE LINES THE TIGER 1 TANK PURCHASED BY JAPAN",Sept 15, 2018.)。
1937年締結の日独防共協定が発展して1940年に成立した日独伊三国同盟によって、米英等の連合国に対抗する枢軸国の連帯という国際政治の構造が明確になった。独ソ戦や対米戦争も始まり戦線が拡大する中で、両国は軍用物資の供給や技術協力の充実を企図して、1943年1月20日に「日独経済協力協定」を締結した。協定の附属文書として「技術協力に関する日独取極」も作成され、特許の譲渡や機械装置等の供給、技術者・科学者の派遣や実習の促進、相手国への工業投資申請の厚遇などが両国間で合意された(出典 坂本雅純「経済安全保障の『温故知新』)。
このように1943年当時、連合軍による海上封鎖等により大型の兵器や機材の海上輸送が極めて困難となる中で、マイクロフィルムや設計図面といった「情報資源」は、ライセンスとして提供される価値が高まることになった。
1943年5月19日付
出典 NARA
OKH Wa Prüf 6 [ドイツ陸軍総司令部 兵器局第6課] からHenschelへ発出された、日本へのTiger戦車の技術資料提供の指示(NARA史料)によれば、本件は日独間の軍備規格統一化の一環として、日本がTigerの国内製造の可能性検討を企図するものと示している。陸軍総司令部(OKH)はHenschelを本プロジェクトの統括に指定し、KruppやMaybach社等の下請け業者が担当する構成ユニットも含め、Tiger戦車全体の完全な設計図面セットで2部を取りまとめるよう指示した。
1943年5月24日付
出典 NARA
KasselのHenschelの設計責任者 Erwin Aders から陸軍総司令部(OKH)陸軍兵器局第6課(Wa Prüf 6 (A))宛てに出された書留書簡(参照番号:Maschinenbau TBCS Ad/Sch.)の解読成果である。同書簡において、Henschelは提出すべき構造図面および部品目録( Stücklisten )が約10日後に準備完了する旨を報告している。Henschelは、図面の青写真( Lichtpausen )作成にあたり、輸送時の省スペース化および軽量化を図るため薄手用紙を採用することを提案した。また、陸軍兵器局から要求されていた「5セットの図面目録( Zeignungs-Verzeichnisse )」に関しては、Tigerの構成部品が数千枚に及ぶため、転写作業( Abschreib-Arbeit )の手間を回避し、かつ部品の組み立て構造の視認性を高める目的から、「部品目録( Stücklisten )そのものを図面目録とみなし、複写5部を添付すること」を提案している。
さらに同書簡では、図面化されていない規格部品(転がり軸受、ボルト、割りピン等)について該当するDIN規格シート( DIN-Blätter )を2部調達して添えること、ならびに下請・協力企業である Krupp(砲塔など)、Maybach(エンジン、変速機など)、Ritscher(履帯)、Minimax(自動消火器)、Südd. Argus-Werke, K.G.(ブレーキ、操縦装置)、Rheinmetall-Borsig(砲塔駆動用シャフトなど)、Bosch(電装機器)、H. Windhoff(ラジエーター)、Mann & Hummel(エンジン用フィルター)、Agatz(ペリスコープ)、Continental-Werke(ゴムタイヤ)等の20数社)からの資料調達には長期を要するため、提出目的や送付先国の日本の下請企業に開示してよいかどうかの判断を求めている。
エンジン選定に関しては、初期250台に搭載されたMaybach HL210 エンジンおよび従来実績のあるクラッチ・冷却ファン装置の採用が適切であり、駆動系が複雑化した HL230 P45 エンジンは新製する場合であっても不適切であるとの技術的見解が示されていた。
3.1943年6月 レニングラード視察の検証
従来の文献などには、”1943年6月に大島浩 [Hiroshi Oshima] 大使がレニングラードの第502重戦車大隊[s.Pz.Abt.502] を視察した”という記述がされているものがある。ここでは新たな資料の調査により、日本陸軍によるTiger戦車の視察の実態を以下のように検証する。
(1) 日独出版協会が発行した雑誌『寫眞ドイツ』の「駐独日本武官の東部戦線視察」の記事、ならびにドイツのニュースリール『Die Deutsche Wochenschau Nr. 670』(1943年7月7日公開)を確認した。
その結果、日本軍の視察者は 小松光彦 [Mitsuhiko Komatsu] 少将と岡本清福 [Seifuku Okamoto] 少将と甲谷悦雄 [Etsuo Kouya] 中佐、遠藤悦 [Etsu Endo] 少佐であり、ドイツ軍側は クレフェル [Philipp Kleffel] 騎兵大将とシェルヴィッツ [Friedrich von Schellwitz] 少将、メレンチン [Horst von Mellenthin] 大佐が彼らを出迎えたことが判る。
視察に到着した小松光彦 [Mitsuhiko Komatsu] 少将(中央)、岡本清福 [Seifuku Okamoto] 少将(左)。
出典 Die Deutsche Wochenschau Nr. 670
(2) 小松光彦 [Mitsuhiko Komatsu] 少将は、第二次世界大戦後の昭和23年頃に回想録「滞欧回想」を執筆した※。そこには「昭和十八年 初夏 レニングラードを視乎の間に臨むるの機会をも得た独蘇戦線の視察」の本文と共に、「昭和十八年六月、独蘇戦線のレニングラード付近にて、マッキー師団長の説明」と題する写真「小松 [Komatsu]、岡本 [Okamoto]、甲谷 [Kouya]、遠藤 [Endo] が写る」が掲載されている。※『大戦中 在独陸軍関係者の回想』(靖国神社 偕行文庫所蔵)。
(3) Tiger im Focus(TIIF)等のアーカイブには、日本軍がドイツ軍の前線だけでなくTiger戦車を視察していた写真が残されている。
Tiger戦車の視察後に戦車の前面から降車する 小松光彦 [Mitsuhiko Komatsu] 少将。
出典 TIFF
Tiger戦車の砲塔上でドイツ軍将校と会話している日本軍将校は岡本清福 [Seifuku Okamoto] 少将であり、同砲搭上で背を向けて写っている将校は遠藤悦 [Etsu Endo] 少佐と特定できる。
出典 TIFF
日本軍はTiger戦車だけでなく突撃砲 [Sturmgeschütze] を視察していたと判る。
画像中央部の左から、岡本清福 [Seifuku Okamoto] 少将、小松光彦 [Mitsuhiko Komatsu] 少将、遠藤悦 [Etsu Endo] 少佐。
出典 TIFF
書籍 Egon Kleine and Volkmar Kühn "TIGER Die Geschichte einer legendären Waffe 1942-45"に掲載された写真に「Der japanische Botschafter, General Oshima, besichtigt bei Siewerskaja einen Tiger der 1./sPzAbt. 502. Rechts neben ihm Oblt. Diehls, Chef dieser Kp., der dem hohen Gast die technischen Details erklärt.」と説明されている。
もし、この写真の説明通りの視察の場所が Siewerskaja なのであれば、この日本人将校は上記の調査の通り 大島浩 [Hiroshi Ohshima] 大使とは別の人物であることは明白である。筆者は写真の人物を「飾緒の有無」、「階級章」、「顔立ちの対比」から、おそらく甲谷悦雄 [Etsuo Kouya] 中佐 であると考えている。
以上の確認から、東部戦線のレニングラード地区 Siewerskaja における第502重戦車大隊の視察の主体は、大島浩 [Hiroshi Ohshima] 大使ではなく、小松光彦 少将および岡本清福 少将を主とする独駐在武官による視察であったと結論付けられる。
4.日本軍のTiger戦車への関心
Matt Dederick氏の調査によると、「1943年7月27日、大島浩大使と随員はHenschel社のKassel組み立て工場を見学し、続いてSchloß Wilhelmsthal 近郊の試験場にてTiger戦車のデモンストレーションを見学した。同夜、Kasselの南方約25kmのFalkenbergにあるHenschel家の邸宅「Henschel Haus」で開催された夜間レセプションにおいて、大島大使はTiger戦車を調達し、フランスのボルドーから潜水艦により部品状態で日本へ輸送したいという希望を表明した。この要望はベルリンの陸軍兵器局へ付託された」(出典 Matt Dederick, "READING BETWEEN THE LINES THE TIGER 1 TANK PURCHASED BY JAPAN",Sept 15, 2018.)。
日本陸軍の独国駐在官であった石毛省三 大佐(当時)が、1943年中と考えられる期間に、ドイツ国内の装甲兵教育機関および演習場を詳細に視察した記録(『大戦中在独陸軍関係者の回想』所収「滞欧回顧」)が残されている。石毛大佐は視察と共に、戦車の購入も行ったと記録している。
以下の「」内は、石毛省三 大佐の回顧録による4ヶ所の視察先である。
「伯林郊外の戦車隊士官学校」
ベルリン南郊のWünsdorf第1戦車学校(Panzertruppenschule I Wünsdorf)と思われる。下士官から選抜された士官候補生(Fahnenjunker)に対し、1年間の教育で小隊長・中隊長代理の実兵指揮教育を行う運用実態を視察している。
「ニュールンベルグ市外のパンター戦車学校」
1943年4月に設立されたNürnberg北郊のErlangenに所在し、Panther戦車の構造、整備、乗員教育に特化した Panther戦車講習所(Panzerlehrgänge Erlangen)と思われる。
「ルール地方のテイガー戦車学校」
Paderborn およびSennelager に所在し、Tiger重戦車の整備および部隊訓練を行う、第500重戦車補充・訓練大隊(Panzer-Ersatz- und Ausbildungs-Abt. 500 / 通称:Tiger-Schule)と思われる。
「ハンブルグ市附近にある戦車実施学校」
バルト海沿岸のPutlosに所在し、広大な敷地を有する戦車射撃学校及び演習場(Panzerschießschule Putlos) と思われる。
石毛大佐は「前線でのガソリン節約のため演習場内訓練車両に木炭ガス発生炉( Holzgas generator )を装着して運用していた実態」を回顧録に記録していた。これは、PaderbornもしくはPutlosに配備された訓練用Tiger戦車を指していると思われる。
以下は、上記の東部戦線視察とは別に、訓練用Tiger戦車(055号車)の視察に関連する画像である。撮影時期および写っている将校の氏名は、現時点では確認できていない。
キューポラに立つ将校については、人物の特徴や、Sennelagerなどでの視察記録との関連から、石毛省三 大佐の可能性も考えられる。ただし、本人と特定できるだけの根拠は得られておらず、現段階では未確認である。
Tiger1.infoによると、車体番号250055のTiger戦車はSennelagerで訓練用に使用されていた車両であり、写真資料からはPaderborn兵営に所在した第500戦車補充大隊の訓練用戦車と確認されている。
出典 TIFF
5.ドイツ軍によるTiger戦車の準備
Matt Dederick氏の調査によると「1943年9月中旬、11月1日付で発効予定の重戦車大隊編制表(KStN 1150e)による本部中隊の改編を見越し、マクデブルク陸軍兵器廠(Heereszeugamt Magdeburg)に保管されていた21両の指揮戦車(Sd.Kfz. 267 および Sd.Kfz. 268)のうち、18両が余剰と指定された。10月中旬に、これらの余剰指揮戦車の戦闘戦車への再改修が開始され、その再改修戦車の第1号車こそが日本政府へ調達手続が行われた車体番号”250455”であった」(出典 Matt Dederick, "READING BETWEEN THE LINES THE TIGER 1 TANK PURCHASED BY JAPAN",Sept 15, 2018.)。
6.日本陸軍の発注
日本側の調達手続の主体は 昭和通商株式会社(Showa Tsusho Kaisha, Ltd.)であった。纐纈厚氏「戦前期日本の武器生産問題と武器輸出商社」(『国際武器移転史』2019年)によると、「昭和通商は1939年4月に陸軍省軍事課長 岩畔豪雄大佐の主導で設立された陸軍直轄の「軍命商社」である。人事権および業務指揮監督権の全てを陸軍省が握っており、日本陸軍の統制下で兵器・特殊原材料の輸出入を独占的に行っていた。」ことが判る。
1943年9月10日
昭和通商 ベルリン事務所(代表:T.前田、所在地:Giesebrechtstr. 14)からHenschel宛てに出された書留極秘書簡(参照番号:BE 141)
出典 NARA
駐独ベルリン日本陸軍武官(※書簡に武官の情報は未記載である)からの委任、ならびにOKWの承認(参照番号:Az 3 1 39 IVb Nr. 7207/43)に基づき、相応の弾薬および鉄道輸送用追加履帯を伴うTiger戦車1台の即時納入の正式発注がなされた。ここで、海上輸送準備に必要な重量・寸法データの提示を請求している。
7.1943年10月 Tigerの引渡し準備と見積り
Matt Dederick氏の調査によると「1943年9月19日、Henschel社はドイツ陸軍兵器輸出共同体(AGK)から、OKHからの「Tiger戦車1両が陸軍在庫から日本へ引き渡される」と通知を受けた」。そして、Guderianによる補給報告書( Zuführung )によれば、当初の計画発送日は「10月19日」とされていたが、実際には「10月16日」に前倒しで出荷された。途中で鉄道車両の幅制限(車両限界)や輸送障害により数日間の遅延が発生し、1943年10月27日にボルドーへ到着した」(出典 Matt Dederick, "READING BETWEEN THE LINES THE TIGER 1 TANK PURCHASED BY JAPAN",Sept 15, 2018.)。
1943年9月29日
Henschel 機械工学営業部(口述参照番号:Dir. Mü/vH)作成の社内極秘覚書。
出典 NARA
Henschel社は、現地での再組み立ての困難さから大規模な分解を推奨しなかったが、車体重量が梱包前で約53トンに達すること、および海上輸送用の耐航性木箱(亜鉛板内張り)で車体を梱包すると、ドイツ鉄道の積載限界(車両限界: Bahnprofil )をオーバーして工場からの鉄道輸送が不可能となる という物理的障壁に直面した。このため、Henschel社は以下の段階的な分解・輸送案を検討した。
35トン案 :車体(内部構成部品および走行装置を含む)のみとし、最も重量のある砲塔(主砲込み約11トン)および履帯(戦闘用6トン/輸送用5トン)を完全に取り外して別送・梱包する。
29トン案 :35トン案の状態から、さらに車体側面から走行装置(転輪サスペンション等、約7トン)および起動輪アセンブリ(約1トン)を取り外し、車体重量を29トンまで低減させる。
砲塔・主砲の分離 :砲塔(約11トン)からさらに主砲を取り外して分離梱包する。
車体の梱包制限 :車体本体は車両限界を超えないよう、耐航木箱による密閉を行わず限界サイズ内に収める特殊仕様で輸送する。
1943年10月14日
ケーニヒスボルン=マクデブルク陸軍装甲兵器廠(第3管区)作成の極秘公文書「引き渡し協議書( Übergabe-Verhandlung )」による。
出典 NARA
引渡しの概要 :OKH極秘命令(1943年10月1日付 OKH/Ch H Rüst u BdE In 6 Nr. 11648/43 g)に基づき、1943年10月14日、車台番号「250455」のTiger戦車 1台が、列車運行番号「6 291 730」、目的駅「ボルドー(Bordeaux)」として発送手続きされた。受任代理人であるベルリンのシェンカー社(Schenker & Co.)のシェーファー(Schäfer)氏へ異議なく手渡された(陸軍側責任者:アッテンドルフ軍事技師)。
完全装備の内訳 :8.8cm Kw.K. L/56砲 1門(付録1)、MG34車載機関銃 2丁(付録2)、MP40短機関銃 1丁(付録3)、Fu 5 無線機 1台(付録4)、T.Z.F. 9b 照準眼鏡 1台(付録5、6)、陣地構築用工具(斧、ワイヤーカッター、シャベル、スコップ)、応急救急箱、標準工具・付属品一式(付録7)、および同梱予備部品一式(付録8)。
車両の状態 :燃料タンクには530リットルの燃料が給油済みであり、冬季用装備( Winterausrüstung )が車体に組み込まれ、滑り止めスタッド( Mittelstollen )1セットが添付されていた。輸送は国防軍乗車券( Wehrmachtfahrschein )にて手配された。
8.請求額 64万5000 RM(ライヒスマルク)の内訳
1944年9月9日
Henschel社 Kellner博士の帳簿メモ(Aktenvermerk)、ならびに1944年9月12日付けHenschel社からOKH 第1経済局 宛て極秘書簡の収支記録
出典 NARA
図はNARA史料を元に著者が作成
1943年11月20日
Henschel社ベルリン事務所 Heffter博士からHenschel(Kassel本社)のMueller専務宛て極秘テレタイプ(Fs. 337)
出典 NARA
イリス商会(C. Illies & Co.)のフォン・デル・ハイデ(v.d. Heide)とHenschel社ベルリン事務所とは、以下の通りの日本側に対する「分割・後出し請求方針」を密かに合意していたことが判る。
本体代金の先行請求 :車両本体価格(645,000 RM)については、内訳単価・明細を一切記載せず、まずは本体のみの請求書を先行提出して日本側との手続き・清算を通過させる。
予備部品代金の別送請求 :Henschel(Kassel本社)に予備部品の納入資料が現存しないため、予備部品代金については後日「特別請求書(別送請求書)」として改めて送付する(最初の請求書には追記・予告を行わない)。
1943年11月23日
Henschel社は、昭和通商宛てに車両本体代金645,000 RMの請求書(No. 10047)を発行。
出典 NARA
1944年2月18日
昭和通商は書簡にて送金を通知。
出典 NARA
1944年2月24日
Henschel社の口座に645,000 RMが全額完納。
出典 NARA
9.1944年1月 第101SS重戦車大隊への配備
Matt Dederick氏の調査によると「1943年10月22日から23日にかけての英空軍によるKassel大空襲により、Henschel社およびWegmann社の工場が深刻な被害を受け、3ヶ月にわたり重戦車の生産が激減した。重戦車不足に直面した陸軍は、1944年1月14日、ボルドーに留置されていた日本所有のTiger戦車をベルギーのMons-Maisières 訓練場にて新編中であった 第101SS重戦車大隊(s.SS-Pz.Abt. 101)本部および第3中隊 向けの配属車両に含める決定を下した(OKH-AHA-AgK In-6による認可)。Guderianの月間補給記録(Zuführung)において、タイピングされていた「Japan」の文字の上に鉛筆で抹消線が引かれ、 手書きで「SS-101」と追記と修正が加えられた。Dederick氏は、Tigerは1944年6月以降のノルマンディーの戦いまたはセーヌ川撤退時に喪失したと推定している」(出典 Matt Dederick, "READING BETWEEN THE LINES THE TIGER 1 TANK PURCHASED BY JAPAN",Sept 15, 2018.)。
1944年9月の米空軍によるKasselのHenschel工場への空襲
「Vital installations at the large Henschel works at Kassel, Germany, manufacturers of nearly all Germany's Tiger tanks, plus locomotives and panther tanks, were dealt severe blows by attack of U.S. 8th Air Force heavy bombers during the month of Sept. (U.S. Air Force Number 54291AC)」
出典 NARA
10.Tiger戦車ライセンス生産の可能性検討
Tiger戦車は日本本土への輸送は不可能な状況下のまま、ボルドーでの留置を経て、ドイツ軍部隊へ転用された。ここで日本陸軍は「ライセンス生産の可能性検討」という技術獲得の手続きへ軸足を移していた。
著者は、これは1944年3月2日の日本とドイツ間の「製造権原料の相互提供に関する日独取極」の軍事技術協力の制度的背景の一つであった可能性があると考える。理由は、前述の通り1943年当時は、連合軍による海上封鎖等で大型兵器の現物輸送が極めて困難となる中、マイクロフィルムや設計図面といった『情報資源』のライセンス提供が重要性を増していた点に注目したからである。
坂本雅純「経済安全保障の『温故知新』によると、「日本はドイツに対してライセンス契約支払を行う予算を十分に確保できていなかった。例えば日本陸軍と海軍からは既に1944年2月下旬の時点で、1943年度初めの4月から支出済もしくは今後支出予定のあるライセンス契約料が当時の額で合計1億円(推計:現在の日本円換算で1,000億~2,000億円)となる見積もりが示されており、戦時下ということもあって資力に余裕がなかった。そこでドイツ政府から、ライセンス契約の価格の正式決定や支払い決済は戦後に回すことでどうかという提案が日本に伝達された。協議の結果、双方国の支払債務総額もとい債務相殺による帳尻額がどの程度かを『戦勝』後に明確化するという方針になった。(中略)課題を整理・妥協した結果、1944年3月2日に「製造権原料の相互提供に関する日独取極」が締結された」とある。
この1944年3月の「対価支払いを戦後へ繰り延べ、個別具体の知財協定を結ぶ」という日独の国家間の枠組みが成立したことが、同年の夏に実行された小松光彦少将のライセンス生産知財誓約書の署名の重要な前提条件となったと考える。
日本陸軍はTiger戦車の実車が手元から離れた状況下であったが、国家間の1944年3月の「製造権原料の相互提供に関する日独取極」(戦勝後の決済処理)の枠組み下で、無形の技術資料受領と将来のライセンス生産検討の権利を保全するための手続であったと考えられるだろう。なお、本ライセンス生産知財誓約書において、日本陸軍は以下の知財条件を承諾したが、この時点でライセンス契約の締結には至っていない。
1944年7月5日付
駐独日本陸軍武官 小松光彦 陸軍少将が署名したライセンス生産知財誓約書公式誓約書「Erklärung」
出典 NARA
目的制限:引き渡された完全装備のTiger戦車 1台および技術文書一式は、日本国内でのライセンス生産の可否および妥当性を検討・調査する目的( Nachbau )にのみ使用し、複製を禁止する。
権利の保持:ドイツの開発企業(Henschel等)は、引き渡し資料および対象物に関する全ての著作権・発明者権(優先権を含む)を保持する。
使用範囲の制限:伝達されたノウハウ(経験財:Erfahrungsgut)の使用は日本軍向け兵器ライセンス生産の枠内に限定し、民生品生産および輸出を行わない。
秘密保持:資料および技術を秘密として取り扱い、国内外での使用権主張や特許出願に使用しない。
第三者権利の免責:日本でのライセンス生産により第三者の知的財産権が侵害された場合、ドイツ開発企業を賠償請求から免責する。
使用権の取得:引き渡し資料に含まれる発明に対する並行発明に関し日本国内で特許出願がなされた場合、ドイツ側の権利者は資料の提供をもって使用権を取得する。
11.予備部品追加請求の発生
1944年8月から12月における、Tiger戦車の予備部品代金の追加請求に関する調査である。
1944年8月12日 Henschelからの予備部品追加請求書の送付
出典 NARA
Henschel社は、1943年10月に現品と同包出荷済みであった予備部品の追加代金113,507.05 RM(113,507ライヒスマルク5ライヒスフェニヒ)の請求書(No. 13 149)をイリス商会経由で日本陸軍へ送付した。
1944年11月6日 日本陸軍 中村中佐の釈明要求
出典 NARA
10ヶ月も経過してからの突然の請求に対し、日本陸軍武官室の中村中佐は「なぜこれほど遅れて請求がなされるのか」と書面釈明を要求し、支払いを拒否する姿勢を示した。
イリス商会は11月6日付け書簡において、Henschel社に対し、1943年10月の「引き渡し協議書(Übergabe-Verhandlung)」に予備部品明細が添付されていたものの、総額 645,000 RMのほかに別送請求がある旨の注記がなかったため日本側が察知できなかった事情を説明した。さらに「戦車本体は数ヶ月前にドイツ軍へ貸与(Leihgabe)され手元に存在しない以上、本予備部品代金はOKW Feld-Wirtschafts-StabのFalkenhausen騎兵大尉とHenschel社間で直接相殺・精算すべきだ」とHenschelへ提案した。
1944年11月20日 OKWによる相殺処理案の却下
出典 NARA
11月20日付けHenschel社内連絡によれば、OKWの担当官であるLengner海軍少佐(Korvettenkapitän Lengner)は、イリス商会が提示したOKWとの相殺処理案を却下し、「日本側に対してこのまま厳格に最後まで請求手続きをやり遂げよ。日本側が支払いを拒否した場合にのみOKWへ提起せよ」と指示した。
1944年11月2日〜12月7日 遅延理由に関するOKHとHenschel社間の往復書簡
出典 NARA
Henschel社およびOKH(11月2日付書簡、11月14日付野戦兵器監部請求明細書 Az.76 g 66)は、遅延の理由として「価格検査機関(Preis Prüf)等による公定価格決定に数ヶ月を要したこと」、ならびに「OKHやベルリン事務所に保管されていた価格明細書類が空襲(Feindeinwirkung)によって消失し、再作成を余儀なくされたこと」を挙げ、12月7日 イリス商会を通じて昭和通商へ、Kasselの口座への直接送金を要求し続けた。
12.「貸与(Leihgabe)」対「自国転用(Abgabe)」日独間の認識相違
日独両軍間に、Tiger戦車の帰属条件について決定的な認識のギャップがあったことが判る。つまり、日本陸軍側が「代替返還権を有する貸与」と信じていたのに対し、ドイツ軍側は「引き渡し不成立による自国転用と国庫還流の完了」として会計処理を終えていた。
日本陸軍およびイリス商会側の認識(貸与: Leihgabe )
出典 NARA
1944年11月6日付イリス商会書簡に明記されている通り、日本側は「購入し所有権を得た車両を、ドイツ側の希望に応じ一時的に『貸与(Leihgabe)』したに過ぎず、将来安全な海上輸送ルートが確保された段階で、国防軍から同等性能の戦車1台が無償返還される権利を有している」と解釈していた。
ドイツ陸軍総司令部(OKH)側の認識(自国転用: Abgabe )
出典 NARA
OKH内部の命令文書(1944年9月21日付命令 Nr. 11646/44 g)の記録では、本車両は「物理的輸送不能により引き渡し未了のまま自国部隊のために転用使用(Abgabe)された」と処理されていた。この処理に基づき、Henschel社が受領した645,000 RMのうち、製造・代行報酬等を除く549,467.20 RMは、1944年9月23日に帝国銀行のOKH国庫口座へ送金・納付(国庫還流)させて完結していた。
13.終章
ドイツの敗戦が濃厚な状況下で、Tiger戦車の日本への輸送の望みはほぼ完全に絶たれていた1945年3月に於いても、日本陸軍は手続き上の義務として、予備部品代金を満額決済(または支払準備完了)しようとしていたことが判る。
NARAで確認できる手続きの情報は、現状はここまでで、その後は判明できていない。
1945年3月3日付
イリス商会ベルリン支店からHenschel(Kassel本社)への書簡
出典 NARA
「ここ数日の日本陸軍武官室と昭和通商との交渉において、日本陸軍側のすべての未払い金の清算が完了したか、あるいは支払いの準備が進められていることが判明した。これに伴い、予備部品代金113,507.05 RMの支払いが、Henschel社のKassel本社口座へ直接行われたかどうか至急確認されたい。」
14.考察
本稿で確認した史料によれば、日本陸軍によるTiger戦車の調達は、完成車両の購入だけでなく、技術資料の提供準備、ライセンス生産の検討、車両の転用に伴う会計処理、予備部品代金の追加請求など、複数の手続きを伴っていた。
調達対象の実車は日本に到着せず、1944年にはドイツ軍側への転用が進められた。一方、同年7月には小松光彦少将が知的財産に関する誓約書(Erklärung)に署名し、1945年3月にも予備部品代金の支払いに関する照会が行われていた。これらの経過からは、実車の輸送・転用と、技術情報や代金をめぐる手続きとが、必ずしも同時に決着しなかったことが判る。
① 実車の調達と技術情報の取得
実車の調達と技術情報の取得は、分けて検討する必要がある。1943年5月には図面や部品目録の提供準備が進められ、1944年7月には知的財産に関する誓約書への署名が行われた。これらは、完成車両の購入とは別に、技術資料の提供や国内生産の可能性が検討されていたことを示している。
ただし、技術資料の取得が当初から実車の調達と並行して計画されていたのか、輸送上の問題が生じた後に比重を増したのかは、現時点の史料だけでは確定できない。
② 車両の転用と日独間の認識
車両の転用をめぐる日本側とドイツ側の認識には、相違があった可能性がある。1944年11月のイリス商会の書簡では、日本側が車両を一時的な「貸与」(Leihgabe)と理解し、将来の返還を期待していたことが伺える。一方、ドイツ陸軍総司令部(OKH)の内部書類では、車両はドイツ軍側への転用に伴う「引き渡し」(Abgabe)として扱われていた。
この相違は、車両の帰属や返還をめぐる日独双方の理解を検討するうえで重要である。ただし、日本側の返還に関する認識が正式な合意に基づく権利であったのか、それとも将来の返還への期待であったのかについては、契約書や関連書簡など、追加の史料による確認が必要である。
③ 予備部品代金の精算
予備部品代金を巡る手続きも、調達の経過を理解する上で重要である。113,507.05 RM の追加請求に対して、日本側は請求の遅延理由を問い、相殺処理を提案していた。
1945年3月3日付のイリス商会の書簡は、戦争末期にも支払いの有無が確認事項となっていたことを示している。ただし、この書簡だけでは、最終的に代金が支払われたかどうかは確定できない。実車が日本に到着しなかった後も、関連する金銭処理が継続していた点は、本調達の経過を示す特徴の一つである。
15.結び
日本陸軍によるTiger戦車の調達は、実車の国内導入には至らなかった。しかし、その過程では、技術資料の提供準備、ライセンス生産の検討、車両転用後の帰属をめぐる認識、予備部品代金の精算など、複数の問題が生じていた。
本事例は、戦時下の日独間の兵器調達が、車両の購入と輸送だけで完結するものではなく、技術情報、契約上の認識、会計処理を含む過程であったことを示している。今後は、日本側の調達命令や関係者の報告、ドイツ側の転用・会計記録を照合し、調達の目的、技術資料の提供範囲、車両の帰属、および最終的な精算状況をさらに確認する必要がある。
本調査にあたりご協力いただいた専門研究者の方々に、厚く御礼を申し上げます。
ステークホルダー図:著者作成
参考文献
Tiger Im Focus (TIIF)
Die Deutsche Wochenschau Nr. 670, 7 Juli 1943
Egon Kleine and Volkmar Kühn, "TIGER: Die Geschichte einer legendären Waffe 1942-45"
米国国立公文書館 National Archives and Records Administration(NARA)
『寫眞ドイツ』(日独出版協会)
陸軍省「技術協力ニ關スル日本國「ドイツ」國間取極」(昭和十八年一月二十日、アジア歴史資料センター所蔵)
外山操 編『陸海軍将官人事総覧 陸軍篇』(芙蓉書房出版、一九九三年十一月)
Matt Dederick, “READING BETWEEN THE LINES THE TIGER 1 TANK PURCHASED BY JAPAN”(September 15, 2018),
石毛省三 編『大戦中在独陸軍関係者の回想』(伯林会、昭和五十六年十二月、靖國偕行文庫所蔵
纐纈厚「戦前期日本の武器生産問題と武器輸出商社」(『国際武器移転史』第八号、二〇一九年)
坂本雅純「経済安全保障の『温故知新』 ―日独協力に関するヴァーラーズ博士との意見交換―」(独立行政法人経済産業研究所 RIETI Special Report、二〇二五年十二月一日掲載)
以上