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「マチルダさん。左舷がお先にお世話になったようですね」
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「右舷、俺を信じて」
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「わたくしは要らないものであるべき。そう考えておりました」
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互いに武器を構えて駆け寄る。闘うのなら、諦めず最期まで闘いたい。
第5試合
右舷・左舷 vs マチルダ
ステージ:孤島
ꕤꕤꕤꕤꕤꕤ
規律とは何を守るためにあるのか。
規律に守られなかった者を見てきた。
規律を逆手に取る者を見てきた。
規律は██████を守ってくれなかった。
_____
「・・・・・・」
キアラが感情の読めない瞳で、いつものスクリーンを見つめる。
彼女にとって、どちらが勝とうが関係ない。
勝ち上がってきた方を『救う』。それだけなのだから。
ゆっくりとまばたきをする。楽しそうに笑う彼女の声が頭の中で乱反射しているがごとく響く。
『次はどう戦うのかしらあ?誰と対戦になると思う?ふふ・・・楽しみね。キアラはまた頼ってくれるんでしょう?』
「・・・」
楽しみなんかではなかった。
自身が出場しない今日の試合と次回の試合も。
1回戦が始まる前の、皆の笑顔があふれ欠けが生まれるだなんて考えてもみなかったあの頃に逃避してしまいたい気持ちを、ぐっと抑える。
助けてだなんて、自分が言う権利はないのだろう。
1か月間まとわりついているぬるりとした感覚に、手を握りこんだ。1回戦の時は殺した感覚を実際に味わうことはなかった。気が付いたら終わっていて、命が失われていたのだから。
だが、1か月前は違った。自身の意思で、自身の手で救ったのだ。
戦う相手がいなければ、戦いによって苦しむ必要なんてない。
その苦しむ役目を自身が背負うことで、皆はハッピーエンドを迎えるのだ。
だから、正しいことであるはず。そうでなければならない。
だが・・・少し気になっていることがある。
左舷と右舷だ。
彼らはキアラが出場した第1試合と第4試合のあと、他の者たちよりもより一層落ち込んでいるように見えた。自分が苦しみの原因に関与していることは誰の目から見ても明らかだ。
「(同じようにショックを受けていたホーネットはすぐに彼と同じ場所へ行けていたけれど・・・いえ、彼女も私が送ってあげたかった。右舷左舷とマチルダに背負わせる前に)」
『キアラ。私、あなたのそんなところが気に入ってるわ。次戦う時が本当に楽しみね』
もう1人の声が同意を求めるように話す。
自分と全く同じ声。なのに、すべてが違った。
キアラは逃げるように自身以外唯一の観覧者たちに視線を移す。2人横並びの彼ら。押し黙っているため何を考えているかは分からない。とは言っても、この場で楽しげに話せる方が感性を疑うが。
『あの2人、戦えるのかしら?私がお手伝いしてあげられたら2人揃って地獄から救ってあげられるのにね?』
キアラに寄り添っているようで、そう見せかけているだけとわかる言葉にキアラは眉を歪めた。
「・・・こっち向いてひとりで難しい顔してる」
そんな彼女を怪訝そうに見ているのはユエだ。
1人で怪訝そうな顔になったり悲しそうな顔をしていたり。そんなキアラを「変な人」と一蹴してまたスクリーンの方へと座り直した。
「キアラもきっと、思うところがあるんだよ。ほら、1か月前もあれだったし」
オブリヴィオンは言葉を濁すように4回戦の惨劇に関して言及する。兄と慕ってくれていたパージがいなくなって早1か月。今までも目覚めたばかりの時と比べて静かになったとは思っていたが、パージが居なくなってからは特にそう感じる。
オブリヴィオンに自分から話しかけてくれる人なんて、今はもうユエくらいで、あとはみんな1人で過ごしたりたまにお茶しているのを見かけるだけ。
「今度キアラも誘ってなにか気晴らしでもする?そうすればキアラの笑顔も見られるんじゃないかな」
「ゆえはあの子と一緒になにかする気分にはならないと思う。前から苦手だったの。だってゆえの話聞かないもん」
「今はもうそんな状況にならない気もするけど・・・ユエが嫌ならやめておこう」
「そうして。ゆえはゆえとリヴィがいればあとはどうでもいいし。信じらんないもん、他の子は」
オブリヴィオンはそれでもキアラに対してなにかしてあげたいものだと思考を巡らせる。花畑で嬉しそうに笑っていた彼女にはもう戻らないのだろうか。
あのころの彼女は誰かに似ていて、そのままでいてくれたらと思ってしまう。
闘うとなったら狂気状態に陥ってしまった方がやりやすくはあるのだが・・・
「さて、そろそろ良さそうですね」
イズの手のひらの上に乗った、目が沢山着いた球体の天使がこくこくと頷く。ルミエルはその天使の目玉を避けて優しく撫でた。
「本日もよろしくお願いします」
撫でられて嬉しかったのか球体の天使は「カメラ役は任せなさい」とでも言いたげにくるんと小さく旋回して消える。
見ることが役割ゆえに持つ能力なのか、イズのように自由自在に行き来できるようだ。
「それでは、はじめます」
いつも通りオーディオスペクトラムに似た形の陣が広がる。この開始の合図も、あと何回聞けるのだろう。
ꕤꕤꕤꕤꕤ
『5回戦、右舷、左舷 対 マチルダ。ステージ孤島。時間は無制限、どちらかが脱落するまで』
『開始』
左舷が空を見上げる。声が聞こえてくる仕組みは依然よく分からない。
「始まった。作戦は誘い込んでの挟み撃ち・・・だよね」
「ええ、数の有利を使わない手はありません」
右舷は潮の香りがする方へ目線を向け、小さく溜息をこぼす。今回は一緒に海岸へと送られたが、双子はわざと木々が生い茂っている方へと移動していた。
マチルダは着いてこなかったが、それも作戦だったのだろうか。
「できれば地面がしっかりあるこちらで決着をつけたいものですが・・・マチルダさんがどう動くかにもよりますね」
まだ日が昇っていないのもあり、朝方といっても夜の景色が広がる。
移動して来る前に見た海は真っ黒で、こちらに向けてぽっかりと口を開けているように見えた。
輝きも何もない、すべてを飲み込む暗闇。
だというのに、波の音だけは誘うようにこちらに呼び掛けてくるのだ。
「右舷、俺がマチルダを探して誘導するから右舷は隠れといて」
「2回戦と同じような作戦となってしまいますが・・・マチルダさんはかかってくださるでしょうか」
右舷が不安げに柄を握る。覚悟はある程度決まっているが、左舷が前のように怪我をするのは耐えられない。
唯一無二の兄弟というのはやはり一番大切な存在であり、自身はどうなってもいいが片割れは無傷で笑っていて欲しい。
それに、ここに来た時から揃っていなければ存在できないということもうっすらと勘づいていた。
《なぜそうなのか》ということは分からない。
だが、漠然とそう理解している。
「でも誘いに乗らないと始まらないからさ。乗ってくるでしょ」
「それでも・・・左舷が危険な役割であることには違いありませんし、やはり私が」
左舷は不安そうに眉を下げ、なかなか賛同してくれない右舷の両肩を掴む。子供にでも言い聞かせるかのように声をかける。
「右舷、俺を信じて」
「・・・・・・はい」
右舷は小さく頷く。もちろん左舷のことは信頼している。自分よりも沢山の戦闘経験を詰んできている上に、戦闘に大切な運も持っている。
この作戦において、右舷が出るのは最適解では無い。
頭ではわかっているものの、やはり不安は拭えない。
「左舷が囮役となることは認めますので、約束だけしてください」
「約束?」
「怪我をしないでください」
兄の心配がひしひしと伝わってくる。この想いを無下には出来ない。左舷は深く頷き、肩に置いていた手を下ろす。そのまま左手の小指を立てて右舷の方へ。
「わかった。約束する」
「破ったら針千本ですよ」
右舷はそこに自身の小指を絡め、小さく動かす。
主がたまにやっていたのを見様見真似に行っただけの約束。それでも、今の2人には大きな意味があった。
「2回戦を鑑みても、おふたりはおそらく数の有利で勝負してくるでしょう・・・」
その頃、マチルダは砂浜で海と木々のある場所を交互に見て自身の作戦を反芻していた。
彼らの作戦で有り得るものは挟み撃ち。それと、おとり作戦。
マチルダは伊達に2回戦を生き抜いていない。双子への傾向と対策はこの1ヶ月でしっかり考えていた。
戦場で使用されていたのもあり、戦略に関しても詳しい方であると自負している。前回とは違って今回はこちら側は単独。できる作戦も限られてくるが、2人の動きさえ読めれば問題ないだろう。
「・・・」
あたりを見回す。ここは砂浜で、足元には粒子の小さい砂。足を取られやすい場ではあるが、見晴らしがいいため奇襲はしづらいはず。また、ここには崖などもないため隠れ場所もない。
現状足音も特になく、波の音だけが響いている。双子はマチルダの居場所をまだ見つけられていないようだ。
姿が見えないということはマチルダからも認識できておらず、有利とも不利とも取れないと言えるが・・・・・・
とはいえ対峙する彼らは遠距離武器でもない。少なくとも近くにいない今は安心していいだろう。
「ですが、待つだけというのも・・・」
思い出すのは時間無制限という言葉。もしも、お互いに動くのを待っている状況なのだとしたら、体力を浪費するだけとなってしまう。
それはさすがに避けたい状況であった。
右舷左舷両名ともに、マチルダよりも少し素早い。弱っている状況下でもそうであれば、こちらの負けが目に見えている。
それならば、パワーで押し切れる今決着をつけたい。
ふと、視界の端に極彩色が映る。それは自然界ではなかなか見かけることの無い赤色。
「来ましたか」
明らかな罠。だが、これにわざとかかった方が勝機があるような気がする。それに、変に奇襲されでもしたらそちらの方が対処が大変だろう。
「左舷さん、お待ちしておりました・・・!」
マチルダがそう声をかければ、左舷は待ってましたとばかりに森と呼んでもいいであろう場所の入口にある転々と生えた木々を避けながら走り出す。
追いつきそうな速度。だがこれも、マチルダを引き離してしまわないための作戦だろう。
敵を有利だと感じさせ油断させる。嫌味を感じるくらいに初歩的な作戦。
マチルダは踏みしめる土の感触が変わり、植物の香りに包まれたのを感じながら、絶対に負けないと気合いを入れ直した。
「上手く行くといいのですが・・・」
右舷は背の高い雑草が多い場所へ身を潜め、左舷がマチルダを連れて来るのを待っていた。
何時でも斬れるように柄に右手を添え、鞘を左手で押さえるように握る。
この刃を抜いた時が本当の開戦。もう後戻りはできない。
傷つけた過去が消えないことは武器の頃から知っている。現に、自身もあの者たちを許していないのだから。
「ああならないように今回は・・・今回こそは・・・」
右手に力が入る。カチャカチャと小さく金属音が鳴っていることでやっと手の震えを自覚した。
海のせいかもしれない。思い出したくない記憶が溢れてくる。マチルダとは多少仲良くはすれど、線引きはしていたから闘うこと自体はそこまで嫌ではない。
むしろ、歪むことなく闘えたことは嬉しい。
ただ・・・まさかこんな場所で戦うことになるとは思っていなかった。ステージを知らされた時に可能性があるだろうと覚悟はしていたが、実際に来ると最悪の組み合わせだと嫌という程思い知らされている。
「今マチルダさんが来るとまずいですね」
深呼吸をして震えを抑える。
「ふぅ・・・・・・よし、落ち着いてきました。・・・にしても、来ませんね」
嫌な予感がする。
自分で言うことでもないが、運の無さには自信がある。やはり、自分が囮になった方が良かったのだろうか・・・・・・
ꕤꕤꕤꕤ
マチルダが鬱蒼とした草木の生い茂る森の奥深くに続くみちで立ち止まる。
足音と鎧の音が聞こえなくなったことに気がついた左舷が振り返ると、マチルダはメイスを構えていた。
「・・・!?ま、待った!」
「待ったはなしです」
左舷が後ろに下がるとマチルダも大きく距離を詰める。奇襲されやすい場所に入ってしまう前に仕留めてしまいたい。木の上には右舷はいない。となれば今この場でやるしかない。2人同時に相手するよりも確実な今!
左舷が走り出そうと前を向いた瞬間、マチルダも走り出すが、追いつけそうにない。このまま走っても追いつけるかは微妙だ。
それなら__
メイスを投げる。もしこれで当たらず、さらにお返しとばかりに向かってきたら足で止めるしかなくなる。
だが、今やるならこれしかない。
メイスを上から下へと振り下ろす最中に手を離す。メイスは投げ斧のように回転しながら左舷の方へと飛んでいく。
マチルダを引き離すという一心でまっすぐ逃げる左舷。あとはメイスの軌道さえズレなければ。
グチャリと水音のような嫌な音が響く。
メイスの棘の着いた部分が左舷の上腕に当たったのだ。
「ぅ゙あ゙っ・・・!!」
左舷の驚きと痛みが入り交じった声。悲鳴のような呻き声の後、一瞬動きが固まるがすぐに木々をすり抜け姿を隠した。間を縫っていくように駆けて行ってしまったため、マチルダは追うのを諦める。今からメイスを拾って追いかけるのは無理があるだろう。
血のついたメイスへ近づき、辺りを見回して双子のどちらもいないのを念入りに確認してから拾う。
「・・・海がある方へ戻りましょう。視界が悪い場所に居続ける理由はありません」
マチルダは足早に砂浜へと戻る。その背を追うものは居なかった。
背を追うはずだった左舷は幹の太い木に背を預け、マチルダから身を隠していた。
こんなはずではなかった。それに、右舷との約束も破ってしまった。
頭の中で様々な感情がめちゃくちゃに混ざる。だが、その中でも一際強い感情が喉の奥から湧き出てくる。
「よりにもよって・・・!よりにもよって左腕!」
傷口が熱を持ち、ドクンドクンと脈打つように痛みが襲い来る。少しの凹みを感じるのは肉が抉れてしまったと言うことだろうか。
冷静に傷口を確認しようにも、恐怖心がそれを邪魔する。武器の頃にはなかった感覚をまざまざと知らしめられる。傷口を押さえていれば少しはマシだが、闘うのならずっと押えてもいれない。どっちにしろ応急手当が必要だろう。
「右舷・・・いや、右舷には見せらんない」
木に背を預けたままズルズルと腰を沈める。マントの端を咥えて右手で引きちぎり、少し手こずりながらも傷口にあてて口と右手で縛った。
雑にはなってしまうが、何もしないよりは痛みもマシだ。
脂汗を袖で雑に拭う。2回戦の経験から言っても気を失いそうになるほどの怪我では無さそうだ。このまま、また闘ったとしても、死にかけることもないだろう。
右手で柄を握って鞘から軍刀を取り出す。慣れていないせいか、カクついた動きになりながらも軽く構えてみる。
左手の時のように上手く力を入れられない。振るおうとすると自身の方が遠心力に負けてしまいそうだ。
「刺すことなら何とか・・・先端さえ刺されば体重をかけて押し込める、か?」
闘えないなんて嫌だ。何としても絶対に、絶対に武器を振るうのを諦めない。
「右舷、泣かないといいけど」
わかり切った答え。こんな問い、笑えない冗談だ。自傷にも似た笑みを浮かべて、傷口を抑えながら左舷は右舷がいる方へと走り出した。
ꕤꕤꕤ
海に足をつける。寄せて引いていく波がとても面白い。
「血に染っていない海は初めて見ました。とても美しいです」
いつも死体が浮いている海ばかり見てきた。最初は紛いなりにも平和を願っていたはずなのに、自身は護身用だっただけなのに。どうしてこんなにも醜く争うための道具となってしまったのか。
いつもそう思いながら赤い海を見ていた。だが、今日初めてそんなことを思わずに見ることができた。
「カクマルさんや、シドさんとも見てみたかったですね・・・」
「・・・せっかくですから、お2人も近くで見ませんか?」
マチルダは振り返って襲撃者の方を見る。忌々しそうな顔でこちらを見ている2人は一緒に水遊びしてくれそうにはなかった。
「マチルダさん。左舷がお先にお世話になったようですね」
砂浜特有の歩き心地に眉をしかめる。右舷にとって・・・いや、左舷にとってもだが、ここは出来れば着たくない場所だった。
だが、そうは言ってられない。
弟の利き腕に怪我をさせられた右舷は怒り心頭といった様子でマチルダを睨みつけた。
「開始時からひしひしと感じておりましたが、わたくしを殺める気満々のようですね」
「左舷を護るのが兄の役目ですから」
マチルダはヘルメットの下でほんの少し口角を上げる。
「その考え、大変好ましいです。規律に従い大切なものを護る。わたくしも同じ考えです」
メイスを持ち上げ2人の方へ先端を向けた。月の弱い光を反射して、血の付いたメイスの尖りが鈍く光る。
左舷が痛みを思い出したのか眉間に皺を寄せた。右舷はそのことに気が付いてか一歩前へと出て、左舷を庇いやすい体制をとる。
「それでは、負けていただけるのでしょうか?」
「いえ、わたくしも・・・この身になってからとはいえ大切にされた経験を無下にするわけにはいきません」
胸元に左手を当てる。鎧越しでも、自身の鼓動が伝わってくるような気がした。今までになく緊張している。
心臓が早鐘を打つように脈動する。
「自身の身を護るため、全力で戦わせていただきます」
マチルダは砂に足を取られつつ走り出す。
左舷は突き刺すことができるように、ぎこちなく構え、右舷は左舷まで攻撃が届かないようにさらに前へ。
2人の元に到達したマチルダがまずは右舷の頭を狙う。右舷は頬を切り裂かれながらも、鎧に守られていないマチルダの腹へ攻撃を仕掛ける。刃は腹を掠って行く。右舷の攻撃を避け、バランスを崩したマチルダの脇腹を左舷がなれない手つきで突く。
「・・・・・・っ!」
マチルダは咄嗟に左手で刃をつかみ引き抜く。運良く深く突き刺さる前に抜けた。出血も見たところ、そこまで酷くは無い。
メイスを握り直し、左舷へと振るう。
右舷がそれに気が付き、横から左舷を押し倒すようにして無理矢理攻撃を避けさせた。右舷が左舷を強く抱きしめる。
右舷とマチルダが睨み合う。
「May God bless you・・・・・・」
足を上げたマチルダは右舷と左舷まとめて踏みつけようと、そのまま重力のまま下ろす。
右舷は危機一髪で転がってそれを避けた。地面の深くまで沈んだ足を、メイスを杖のように支えにして抜く。
「避けられてしまいました。取っておきでしたのに・・・」
ふと、マチルダが1歩下がった。
「一旦、立て直しましょうか」
双子は顔を見合わせ、訝しみながらも砂まみれのまま立ち上がる。
ꕤꕤ
規律とは何を守るためにあるのか。
規律に守られなかった者を見てきた。
規律を逆手に取る者を見てきた。
規律は罪のない母子を守ってくれなかった。
いつまでも焼き付いて離れない物乞いの母子。
なにも悪くなかった。生きようとしているだけだった。
なのに、持ち主はストレスが溜まっているからという救いようのない理由で殴打した。メイスは装甲を身に着けた相手や盾で防御している相手に攻撃をする武器だ。
それを生身で受けたらどうなるか…
嫌というほどわかり切った結果。
母親が目が飛び出し脳が溢れた。次に目の前の状況すら理解できていない幼い子の身体が目も当てられない状態になった。
なにも理解できない。したくない。
マチルダは神に祈ったが、その神に傾倒しているはずの持ち主がこの状態では救いはないだろうと察することができた。
「(数百年後に百年戦争の歴史的資料として博物館という場所に飾られていたあのころ。きっと、その時が一番平和で皆が幸せだったのでしょう…)」
そもそも、平和な時代に武器は無用の長物。自身の思いからすれば自身の存在意義そのものが要らないもの。
「わたくしは要らないものであるべき。そう考えておりました」
マチルダがヘルメットを外す。
ちょうど日が昇り始め、金色の髪を縁取るように照らしていく。顔にはヘルメットのおかげで返り血はなく、首から上だけ挿げ替えた風にも見えるだろう。
「でも・・・生まれた意味がありました。こうしておふたりと出会い、話せたのですから。この後どちらが命尽きたとしても、またいつか・・・お逢いいたしましょう」
外したヘルメットを砂浜へと落とせば、少し湿った砂とぶつかる音。重みで徐々に沈んでいく。
そして、顔に傷ひとつないマチルダの口の端から赤色の一線。
突かれた際内臓へと到達していた傷を庇い、隠し通すのも、限界が来たらしい。
「また出会う機会があったらね」
「その時はまたお茶でもしましょう」
互いに武器を構えて駆け寄る。闘うのなら、諦めず最期まで闘いたい。
マチルダのその思いを汲んだのか、元から双子もそう考えていたのか。お互い一気に距離を詰めて武器を振るう。
ꕤ
次の瞬間にスクリーンに映っていたのは脇腹に軍刀が刺さったマチルダだった。
マチルダの一撃は右舷の左肩の肉を抉りとった。だがそれだけ。
左舷は右手で軍刀を上手く扱えなかったのか、マチルダの顔を掠った一撃で済んだ。だが、右舷のマチルダの脇腹への一撃が致命的な傷となった。
腎臓を貫いた刃に、マチルダは痛みで声も出せずに呻く。メイスを取り落とし、軍刀を抜かれた瞬間膝を着く。
そのままうつ伏せに倒れ、砂に少し沈む。
力なく瞬きして海を眺めた後、その瞳には何も映らなくなった。
浮かべた涙は痛みなのか、美しい日の出を見た感動からだったのか。
少なくとも、観戦者にはマチルダの表情は満足気に見えた。
「終了!」
観戦者の後ろからイズの声が響く。ということは、マチルダはもう死んだと言うことになるのだろう。
「次回の対戦はユエとオブリヴィオン。よろしくお願いします。ルミエル、どうぞ」
「ありがとうございます・・・・・・!」
イズが慣れた手つきでルミエルを孤島へと送る。スクリーンの向こう側にピンクの髪が割入ってきた。
「・・・死んじゃったんだ。じゃあ、もう次考えなきゃいけないんだ」
ユエが小さな声で呟く。いっその事今回の試合が終わらなければと思ってしまっていたのは残酷な願いだったのだろうか。
「・・・・・・」
キアラはマチルダの死体とお互いの傷を心配する双子が映ったスクリーンから目を逸らし、そのまま席から立ち上がる。
オブリヴィオンは声をかけようと同じように立ち上がるが、手を伸ばした後言葉を飲み込んだ。
かける声は無いし、次回のことを考えるとひとの心配をする余裕もない。
今なにか話したところで、余裕のなさが露呈するだけだろう。
もう一度スクリーンを見つめる。
マチルダとは仲良くお茶を飲むこともないまま縁が切れてしまった。せめて、死後の世界なんてものがあれば・・・そこで救われてくれたなら。
きっと、いまそう願っている自分自身も少しは救われるのだろう。
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【Anonymous Embryo】
第5話:届かぬ祈り、いつまでも
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【執筆】
なえを。
【スチル協力】
あざく(右舷)
胞子(左舷)
鮫々(マチルダ)
2024,11,02