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「でも、アタシは軽々使いこなせる!」
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「貴公にも失いたくないものがある、だろう?」
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「ま、そうくるよね?リカイしてた。ワカってた!」
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「話し合いましょう!まだ怪我も浅いもの、イズ様を説得できれば平和的に終われるかもしれないわ!」
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小さな音。普段ならさして気にならない程度のもの。だが、
第1試合
パージ&キアラ vs 鬼丸&シド
ステージ:闘技場
ꕤꕤꕤꕤꕤꕤ
「強制的にペアにされるとか意味わかんない。闘いじゃなかったら無視してたよ」
「なら、闘いでよかったわ!」
一緒にがんばりましょう!と、にこやかに返すキアラのベールをそよ風が揺らす。トーナメントの第1試合という場でなければ、花畑や星空の下でなされていた会話かもしれない。ここが花畑でない証拠に、足元では石畳の隙間に砂利混じりの砂が入り込んで、小さく音を鳴らしている。
パージは口角を吊り上げた笑顔を崩さないが、心の中では正直「こいつにやれるのか?」と不安を抱いていた。
目の前のお花畑...そう、『脳内が』そんな感じに見えるお花畑の女。この女は戦略会議をしても「本当は闘いたくないの。みんなで仲良く美味しいものを食べれないかしら」と平和ボケでありえないことをぬかした。足を引っ張られるのはボクだってのに。
だが、キアラにはその胸中は全くと言っていいほど伝わっていない。未だ闘うことに抵抗はあるようだが、パージと仲良くなれるのではないかと楽観的な希望も抱いていた。
ピリついた空気と和やかな空気がぶつかり合い、嵐の前のなんとも言えない居心地の悪い空気感が漂っているようにも感じる。
観客席からさらに建築されている2階席のような場所、ひさしの下見晴らしのいい場所でイズはルミエルと一緒に皆の様子を眺めていた。
「ふふ、喧嘩するほど仲がいい、ですね」
ルミエルは微笑ましそうにその様子を眺めている。
逆に、凸凹な2人にイズは「大丈夫なんでしょうか...」とこぼしながらどこからか取り出した6面体のサイコロを3つ振った。出目は__
「はあ...退屈しなさそうで何よりです」
嫌味ったらしくそう言ってサイコロを掴み後ろへ放り投げた。そうすると、イズが光の輪の中へ消えていったあの時のように小さな光がそれを飲み込む。何が出たかは神のみぞ...いや、天使のみぞ知る。この後の試合にはどう響いてくるのだろうか。
そんなイズとは真逆の声のトーンが闘技場内に響く。
「勝とうねー!というより、アタシ達なら勝てるよね!なんか、そんな気がする!」
「ああ、私と貴殿ならきっと圧倒できるだろう...!なんとなく、そんな気がするぞ」
やる気満々といった様子でそう話す2人は、戦略を小声で再度確認し、大きく頷く。そのテンションは絶対に勝つという確信めいたものを感じさせる。この日のためによく話し合って来たのだろう。初期と比べ絆も深まっているのが観客席にもよく伝わって来る。
実際、2人はお互いを信頼し、得意とする戦いを教え合い、自身の強みと相手の強みをいかに活かすかを擦り合わせて来ていた。
すぅ、と小さく息を吸ったイズの口元に、サークル状のオーディオスペクトラムを模した魔法陣のようなものが展開される。この世界では天使はマイクなんて必要がないらしい。
「1回戦、パージ&キアラ対鬼丸&シド。ステージ闘技場。時間は無制限。どちらかのペアが両方脱落するまで」
「はーい、キアラも殺したい」
突然手を挙げてそう主張するパージに、イズは本日何度目かわからない大きなため息をついた。
「勝利したとしても、ペアのキアラを殺した場合は次回の試合でペナルティを与えます。腕を2本とも無くして闘えるのならどうぞ?」
「ハァ?そんなことされたらソードブレイカー持って闘えないじゃん!ボクは足でも使えないことは...
使えないことは無いけど?でもペナルティデカすぎ!」
一瞬考えた後足で武器を扱えると言い張るも、声は少し小さくなっていた。
「パージったらまた怖いことを言って、私を驚かせようとしたのね...!」
ふふ、と微笑ましそうに笑うキアラは、それがパージにとって真面目な質問だとは思ってもみないようだった。
「そちらのペアは大丈夫か...?」
「う〜ん......よくわかんないけどさ、あの2人が上手く連携取れないんだったらお得なのかも」
今度は素早く顔をそちらに向け、何となく気の抜けた会話をする鬼丸とシドのペアにイズが注意し始める。
「そこも!今は雑談の時間じゃないので無駄な会話はしないように」
「すまない...」
「ごめん...」
だが、素直に謝れるとそれはそれで調子が狂うらしく、「反省しているならいいでしょう」とだけ言って終わる結果となった。
観客席からは「あら~♡仲良しで羨ましいわ~」「なんで楽しそうにできるの...意味わかんない...」「イズさんタンフェッパ!」という声が聞こえてくる。
「観客席もうるさいですよ。はぁ、では...気を取り直して。
1回戦、パージ&キアラ対鬼丸&シド。ステージ闘技場。時間は無制限。どちらかのペアが両方脱落するまで」
イズは大きなため息をつきつつ片腕を上げる。
「試合開始」
その言葉と共に振り下ろした。
そうして戦いの火蓋は切って落とされた。
ꕤꕤꕤꕤꕤ
「話し合いましょう!まだ怪我も浅いもの、イズ様を説得できれば平和的に終われるかもしれないわ!」
キアラは迫り来るショーテルの刃をパルチザンの槍先に引っ掛け退ける。先程から攻撃をあまり避けないパージを護るように前に立って、防戦一方の闘い方でその場を凌いでいた。
「弱虫、ジャマだから退いて?ボクはアイツらと闘いたいんだけど」
「嫌よ、貴方闘うって言っても避けないんだもの。怪我をしてしまうわ!」
パージからの不服が詰まった軽い刺突攻撃を背中に受けて腕にぐ、と力が入る。退いたらパージが前に出て、怪我をしながら闘う上に、連携も取れないから何かあっても護ってあげられない。
「(そんなの嫌。せっかくのお友達を失うなんて)」
だが、こうして前に出て盾になったところで目の前の2人と闘わなければいけない事実にかわりはない。
鬼丸の大振りを避けながら、キアラは咄嗟に隙となっていた彼女の脚を傷つける。ぱっくりとまではいかずとも、刃先を伝い血が滴る。
「あ、ご、ごめんなさい...!」
「なに謝ってんの。闘いだよタタカイ、わかる?」
後ろからの野次に「そうじゃなくてっ」と返したところで、ショーテルの刃がパージの腕を掠める。
「貴公の言うことは分かる。だが、...」
シドは軽く観客席に視線を移したかと思うとまた真っ直ぐに前を向いた。
「貴公にも失いたくないものがある、だろう?」
「それは今の生活よ...!貴方達に怪我をして欲しくない、死んで欲しくないの!」
そう叫ぶ彼女の髪を揺らしたのは割って入るように目の前に振り下ろされていた金砕棒だ。
「当たらなかった...。てかさ、キアラ何言ってるの?アタシたちは道具だよ。道具は使われないと意味無いでしょ?」
自分の発言を全くもって疑っていない目。その目にキアラの背筋をぞわりとなにかが走った。今まで見てきた鬼丸じゃないかのようなその発言に、自身が見てきた彼女はなんだったのかと考えてしまう。その間にも防御が間に合わず傷が増える。相手に傷を負わせて血を流させもした。
だが、キアラはそれらがなんだか遠くで起こっているような感覚に陥り始めていた。さっきまではあんなに近くに感じて、あんなにやめたかったのに。
自分の許容量を超えてしまったのかもしれない、なんて思いながらまた刃を受けてドレスを染める。
ドレスが染まるごとに「早くやめないと」「早く止めないと」という焦燥感と、「これでいい」と戦略を考える自分が乖離していく。静かな空間で革命を謳った絵画を眺めているような感覚に、自分自身にすら恐怖を覚えて。
こんなの私じゃないと拒絶してもごうごうと吹く風と、嫌味のように煌めく刃先が現実を見せてくる。パルチザンを振るう度に、赤いリボンが血しぶきに空見して額に汗が滲む感覚がする。
「はやく、...やめましょうこんなことっ」
願い、縋るように言ったその言葉はパルチザンと金砕棒のぶつかり合う音に溶けて消えた。
ꕤꕤꕤꕤ
幾分か経ち、純白の面影もないドレスは赤黒く染まり、ずっしりと重たそうな見た目になっていた。自身の血と対戦相手の血が混ざり合い、真っ白だった肌は傷の場所すら分からない有様だ。当の本人は顔を伏せ心ここにあらずといった様子。好機とばかりに鬼丸がキアラに向かって走り出す。金砕棒を振り上げ距離が詰まったところで、足がめり込みそうなほどの急ブレーキとその反動を利用しての振り下ろし。
まずは腕ごと狙って武器を手放させ、その後はもう一度細い腕、そして胴体を狙う。腕を潰せば武器は持てないし、胴体を潰せば生きることさえ難しくなるだろう。
鬼丸は数撃で確実に殺す気で攻撃を仕掛けた。自分が負けるとペアのシドも死ぬ。それは『闘うための道具』としてはあまりにも不完全で約立たずということになってしまうのだから。
そうならないためにも隙を狙うのは当然であり必然。色々と話したり、知らなかったことを共に学んだ思い出はあれど、鬼丸にとって譲れない思いがあり、譲れない考えがあり、勝利を譲ろうという気持ちは1ミリもなかった。
特にキアラ相手となると、闘う理由が他と比べ少し多かった。
「(なにが不満なわけ?アタシからしたら理解できない悩みだよ)」
どこからか聞こえた息を飲む音、じゃりじゃりと鬼丸の足元で鳴る音、心臓の音。ちょっとした音は聞こえるのにごうごうとなる風の音も、声援も、なぜか聞こえない。静まり返っているはずがないのに、なぜか静かだった。皆が金砕棒に注目していることが唯一わかること。
きっとこの後数秒もしないうちに血が飛び散る。そのはずなのに、本能は油断するなと言う。
金砕棒がパルチザンに当たる______
と、思われたその時。立ち尽くしていただけだと思われた血濡れの花嫁が口を開く。
「Live, Love, laugh and be Happy.」
言葉が呟かれたかと思うと、キアラは顔を上げた。先程までの闘いを否定する悲しそうな表情は消えうせ、口角は見たことがないほど上がっている。
いつもの非力そうな繊細な動きはどこへやら。キアラがパルチザンを振り上げた瞬間目前まで迫っていた金砕棒は跳ね返されてしまった。だが、警戒していたおかげかキアラからの攻撃は上手く防ぐことが出来た。
「キアラ...!やっぱり簡単にはやられてくれないんだね」
鬼丸は勢いをそのままに一度シドのいる場所まで退る。
「大事無いか」
「うん、大丈夫。今のでは怪我してないからまだ戦えるよ」
「ならばよかった。......あの状態、どうすれば良いのか...。一斉に左右から叩いて一時的にでも動きを封じることが出来れば...。
いや、貴公が先程のように攻撃し、防御で出来た隙を私が攻撃する...今までと同じ方法の方がやはり成功率は高いか」
キアラから目を離さず小声で作戦会議をするが、決定的な対策はすぐには思いつかない。鬼丸がとにかく大振りの攻撃をし、出来た隙をシドが突くことになりそうだ。
「アハ...」
「やるじゃんキアラ、いい顔」
今まで見たことの無い雰囲気に変わったキアラに、ペアのパージは笑みを崩さぬまま様々な感情が入り乱れた様子でゴクリと唾を飲んだ。
血濡れの姿にたがわぬバーサク化。それは、『ペア戦なんてしたくはないけど、もしやるとしたらこんなヤツとがいい』そんな無邪気な思いでペアに求めていた姿だった。
「オモシロいとこあんじゃん!早く言えよ!!」
キアラの必殺技『fantasia brillante』は狂気状態となり攻撃を繰り返すだけの状態になる、実質的な状態異常。キアラはその姿を嫌ってかペアとなるパージにも詳細は教えていなかった。つまり、キアラ以外は全員が初めて知ったことになる。
普段の柔らかな笑顔からは想像もできないその姿は、旧人類が作り上げた恐怖像を写したかのようだった。
瞳をギョロつかせ、場にいる獲物を確認するように時々頭を動かす。パルチザンはさらに強く握られており、段違いに厄介な相手となったことを思い知らせる。
「アタシが隙を作る!で、いいんだよね?」
「ああ、良きところで私の武器を変形させよう。武器さえ奪えば素手で攻撃することになり、キアラの攻撃も威力が落ちるだろう」
「わかった!じゃあ一緒に、一気に距離詰めるよ。ズレたらこっちに隙ができちゃうから」
冷静に場を分析しながらの言葉にシドも頷く。会話しながらこのペアなら、こんな状況であっても阿吽の呼吸で乗り切れるような気がしていた。
「3、2、1っ!」
その言葉を合図に一斉に走り出し、鬼丸は再びキアラを標的に金砕棒を振るう。もちろん防御されるが、走ってきた分の重みも乗ってさすがの勢いにキアラも少しばかりぐらつく。そこを、今だとばかりにシドのショーテルが腹を狙う。防具もなく布1枚のみのさらけ出された肉体は格好の餌食だ。
刃は柔らかい肉を切り裂いたが、深く踏み込めなかったのもあり表面を傷つけただけだった。
「...」
内臓を傷つけるほどではない傷とはいえ、痛みも感じるであろう箇所をキアラは一瞥もせずに跳躍で後退する。
そして再び睨み合いの時間。お互い目を逸らさず、相手の動きを少しも見逃さない。目を逸らしたら途端襲ってくる。その確信が鬼丸とシドにはあった。
「すまない、浅かった」
「大丈夫。もう1回やろ。何度かやれば決定的な隙ができると思う!」
何度か、と言いながら鬼丸は金砕棒を強く握った。何度かとは何度なのだろう。今のところ力で少し押している気がするが、『決定的』な隙を生み出すにはまだ足りない気がする。
「(必殺技を使うなら今?でも、まだパージもいるよね)」
パージは防御をしない戦い方だと先程までの戦闘で鬼丸は理解していた。防御を捨てている分隙は多いが、力で押そうと思うと少々厄介な相手。
『今』だけを考えるのなら、身体強化できる必殺技を使い、キアラを倒すべきだろう。だが、その後はどうする?確実にキアラもパージも仕留めるならどんな手が有効なのか。
だが、連発できないと感覚でわかる必殺技を使って成果を得られない方が悪手だ。
脳内で今回の試験を乗り越えられる動きを組み立てようとしていると、ふと燃えるようなオレンジが目の前に飛び込んでくる。
「ボクとも遊んでよ!ァハハ!」
彼はソードブレイカーを振って遠心力のままシドへとぶつけようとするが、鬼丸の反射神経の方が早かった。彼女の腕に押されシドは転けそうになりながらも数歩後ろへ後退する。その際鬼丸の頬をソードブレイカーが掠った。
刃はないとはいえ尖った先端が当たってしまったからか、一筋の傷から血が滲む。
スカッと空振りした感覚にパージは少しばかり目を細めた。
「仲良しごっこ!そんなので勝てる?勝てない!護りあってるつもりらしいけどさ、それって足でまといがいるだけ」
楽しそうに語ったかと思うとパージは軽く振り返り「きた!きた!」と、楽しそうにその場を離れる。
ちょこまかと動き回る姿に鬼丸はパージから潰すことも考えるが、作戦を組み立てる時間は与えられない。彼が視界から消えたかと思うと今度は血濡れの彼女が向かっていていた。
「連携は取れていないというのに、上手くお互いを利用している」
シドは敵であるというのに彼らを褒め、ショーテルを持ち直す。
今ここでやられたら、人間の姿になってから知った食べる楽しみも、他者と話す楽しさも手放してしまうこととなる。何より、シドは勝ち抜いて知りたいことがあった。
武器であった間は分からなかったことでも、人の姿を得た今ならきっと理解出来る。護りたいものという概念も理解出来たのだから。きっと...
「...やはり、使うなら今か」
『Between the devil and the deep blue sea』
絶対絶命の名を関する通り、窮地にたった時にだけ使用する技。本当を言うと使うことはあまり考えていなかった。ペアの鬼丸は信頼における存在であり、一緒に闘う相手として申し分ない存在だからだ。
必殺技を使うまでもなく勝てる__そんな風にどこかで考えていた。だが、現実はそうもいかないようだ。
ショーテルは流体になり刃の鋭さはそのままに、重みを逃がすように地面へと伸びた。液状金属の鞭のように扱えるようになるため、キアラから武器を奪い、そこを鬼丸に叩いて貰えるようになる。
流体の刃になることでパージのソードブレイカーにも対抗できる。これは大きなメリットだ。それなら...有利不利をひっくり返せるこのタイミングを逃す手はないだろう。
「貴殿は今まで通りやってくれ。隙をついてこのショーテルで攻撃をしよう。なに、この状態なら簡単には避けられないだろう」
「わかった!アタシもそれで攻撃しやすいように動く!」
「頼んだ!」
横腹に攻撃できた時のように鬼丸が金砕棒を振るう。それをパルチザンで受け止めるキアラの左腕に、バチンと音を立てて鞭状になったショーテルが当たり喰い込んだ。
そのまま力いっぱい引かれ、キアラは体制を崩す。その隙に素早く金砕棒を右腕に振り下ろそうとするが、そこにソードブレイカーが割って入った。
「させない。ボク、もっと遊びたいから」
鬼丸を止められはしないが、邪魔が入ったことでほんの少しではあるが失速がなされてしまったようだ。キアラは野生動物かと見紛う程の素早い動きで無理やりショーテルの拘束から抜けだしてしまった。
滴った血が地面の砂に吸われていく。既に地面はまだら模様のようになりつつあった。その衝撃でキアラのバルーン状に広がった袖はズタズタに切り裂かれ、その隙間から腕に負ったいくつもの傷が見える。
「右腕もあのようになれば武器を取り落とすだろう」
「うん、次こそは武器落とさせよう。上手く行きそうなら首とか頭狙うのもいいかも」
「頭......ああ、そうだな」
シドの目が冷たい海を映す。いくら武器でも人と同じような身体を持っている。狂人のようになっていたとしても、頭を潰せば彼女はもう動くことも無くなるのだろう。首なら、金属の装飾はあるが、そこを避けて斬ってしまえば出血死を狙える。
「確実に仕留めるとしよう」
だが、それを憂いていては勝つなんて夢のまた夢だ。闘いは存在意義であり、闘えることが誇り。シドが知っている闘いにおいて、勝敗が決まらない事柄はなかった。勝敗しかないのなら、勝つ道以外を選択するつもりはない。
「次は邪魔されぬよう上手くタイミングをはかろう」
「じゃあもう一度行くよ...今ならパージはキアラに狙われないように離れてるっぽいし。せーのっ」
キアラの目を引くように鬼丸がわざと大振りの体勢で正面へ走り抜ける。シドはそこから少し外れ、軽く回り込むようにしてキアラの懐へ。視界の端でパージがこちらへと駆けて来ていたが、攻撃はこちらの方が早く届く。
鬼丸に攻撃を仕掛けようとするキアラの首筋に鞭状の刃が向かう。布を切り裂きあと数ミリで首に刃が到達する。
花畑で柔らかな光に照らされながら花冠を作る彼女の笑顔が浮かんだ。
咄嗟にショーテルを操り、反動で花嫁の首から遠ざける。それは全くの無意識だった。
「シド!?」
鬼丸が見せた何をしているのか理解が追いつかないと言った様子の顔に、シドも思わず自身を嘲笑した。
「(私は甘いな...)」
「追いついた!追いついちゃったけどどうする!?」
それと同時にまた目の前に飛び込んでくるパージ。さっきからずっとこの流れの繰り返しだ。彼は決定的瞬間となるはずの時に飛び込んでくる。他人のケーキのイチゴが1番美味しいと笑う、小さな子供に似た笑みで。
シドはパージのソードブレイカーに刃を巻き付けて振り払おうと、ショーテルを振るった。
「ま、そうくるよね?リカイしてた。ワカってた!」
ショーテルの柔軟な刃を避けるかのように腕を引く。もちろん逃げたわけじゃなかった。
「やっと使える。ボクのとっておき」
『The PURGE』は櫛状の部分を使うのではなく、刃先を使った強力な刺突による破壊行為。
彼らしい必殺技である。そして、この状況でパージも必殺技を使用することで、場はさらにかき乱される。
全員が敵対した相手の命を全力で狙っている。
パージは今までにない興奮状態だった。自分で武器を振るい、思うままに闘うのはこんなに楽しいのかと感動すら覚えた。
軽く踏み込み息を大きく吸う。そして、思い切りソードブレイカーを前へと押し出す。
その激情を乗せた刃先が護りにはいったシドのショーテルの刃ごと突いた。幸い弾かれるようにショーテルはすり抜け、武器が壊れることは無かった。
___だが
パキ___
小さな音。普段ならさして気にならない程度のもの。だが、その音を鳴らしているのはシドの腹部の鎧。当の本人もその音に冷や汗を流し固まってしまっていて、逃げる様子がない。
「あぶっ...ない!」
鬼丸がキアラの攻撃を避けつつシドの肩当を掴み放り投げるように後ろへと退避させる。
「...す、すまない。頭が真っ白になった」
「またジャマしてきた。ねえ、それやめろよ」
そのまま行けばシドの身体ごと貫いていたであろう刺突を止められたパージはニヤついた顔のままながら、怒りが滲んだ目線を鬼丸に向けていた。
だが、その怒りをぶつけようにもThe PURGEはそう何度も発動できるものでもない。
せっかくいい所だったのに止められてしまい、気に入らないと言った様子ながら、キアラが自身に狙いを定めたことを殺気で気がついたようで彼女から目を離さないようにしつつ素早く離れて行った。
「シド立って!その体勢でキアラが攻撃しにきたら避けられない!」
「う、うむ。すまない」
シドは言われるがまま砂だらけのまま立ち上がり、意識を武器に向けていない瞬間があったからか元に戻ったショーテルを構えつつ距離をとろうと重心を動かした。
いや、そうしようとした。
キアラは、鬼丸がシドと共にまた距離を置こうと後ろへ踏み込んだ瞬間にシドの腹部目掛けてパルチザンを突き立てたのだ。
「...!」
気がついた鬼丸がシドを助けようとしたところにソードブレイカーの大振りが邪魔をする。
「今度はとめさせない、アハハ!何度も助けられると思わない方がいいよ!」
金属同士が擦れ合う不快な音が、その笑い声と共鳴するように大きくなる。金砕棒はソードブレイカーでは壊せない。だが、だからといって簡単にねじ伏せることは出来ない。
鬼丸は自身の立ち位置を確認するように地面を踏みしめた。若干の力が拮抗した時間。そして睨み合い。彼女は奥歯を噛み締めながら腕にさらに、徐々に腕に力を入れ、野球のバットを振り切るようにソードブレイカーを押し返す。
パージの方はと言うと、力の差で押し負け少しふらついた所を鬼丸の蹴りでダメ押しされ地面に尻を着いた。その隙に鬼丸はシドの方へ振り向く。まだ必殺技も残っている。キアラを引きはがせる。
__だが、その瞳に映ったのは膝を着くシドだった。
ꕤꕤꕤ
ほんの少し前
シドはパルチザンの柄を掴みキアラと睨み合いをしていた。彼女の細い腕からは考えられない程の力強さ。これも必殺技の影響なのだろうか。
「だが...負ける訳にはいかない」
片腕で掴んでいたパルチザンを両手で掴み直す。手から落ちたショーテルがカシャン、と音を鳴らした。だが、今はそれに構っていられない。
自分自身と同義の武器を掴むよりも命を手放さない方が大切だと無意識に考え身体を動かしていた。
「私には護る約束や、待っている友。明日以降の約束をしている者がいる。...いや、貴殿にも居るか。私だけのはずがない。皆にいるのだ。皆にいるから、負けられない。...私はもちろん、鬼丸を勝たせてやりたい」
キアラは我関せずといった様子で笑みを深めた。シドの足が血を吸って少し膨れた砂を掻き分けながら後ろへと下がる。
力強く地面を踏みしめているはずなのに動かされる。シドは感じたくもない恐怖をキアラに感じていた。
じわりじわりと近づく刃先はついに肉へと沈む。つぷり、と針が刺さったように丸く血が出る。だがその程度では止まらない。キアラは一層力を強め、肉を切り裂き貫こうと一歩前へ出ようとする。そうさせまいと腕に力を入れているのに、柄に着いた血のせいでズルズルと握る手も滑る。
「...ッ」
ぐさり、ずぶ、ぐしゃ
そんな音たちが混ざり会いながらシドの体内を蹂躙していく。金属の冷たさを感じないくらいに臓器が熱い。内側をここまでに痛いと感じることが今までにあっただろうか。
「まだ、だ」
それでも諦めずに引き抜こうとするが、腕の力は勝手に抜けて。足の力まで抜けてしまいそうになり前のめりになった瞬間にさらに刺さる。
目の前が霞む。
こつん、と背に何かがあたる。パルチザンが背の防具まで到達した?
いや、違う。
パルチザンの尖りが背骨に当たっていた。
相当の勢いと切れ味がないと背骨をへし折ることはできない。言葉の通り神経を直接触られているともとれる不快感。一気に力が抜ける。
ふと、海に漂うような感覚を覚え、存在なんてしない波に身を任せるように後ろへとふらついたところでパルチザンが抜ける。大量の血が流れるが、血を失った脳はそこまで気にする余裕すら残っていない。
「.........」
焦点の合わない瞳で地面を見つめるように膝を着いたまま動かないシドに興味を失ったのか、キアラはこの場で唯一立っていた鬼丸の方へと駆けていった。
「シド...っ!」
鬼丸が庇いにいこうとした瞬間に勢いに任せたパルチザンの攻撃が降り注ぐ。そのタイミングを見計らってシドに駆け寄ったのはパージだった。もちろん救護なんて生易しいことをするためではない。
「トドメ、刺してほしいよね?」
その確認はもちろん嫌味でしかなく、どう答えようと...答えなくてもとる行動は同じだった。シドの鎧を破壊した時のようにソードブレイカーの先の部分、尖りをまずは頭に。王冠にあたり金属のかち合う音が響く。
簡単に仰向けに倒れたところを見てパージは笑いが止まらなかった。
一方、シドの方はと言うと意識はあるのに動かない身体に困惑していた。動けとなんども思っているのに指1本動かせない。
「(もしあの時躊躇わなければ...)」
そう思うも、後悔先に立たず。終わったことは覆せないことはよくわかっていた。絶対に勝とうと息巻いて話したペアの鬼丸に申し訳が立たない。暗闇が怖いと泣くホーネットとの一緒に寝てやるという約束も果たせないのかと思うと、感じたことがない感情が湧いてきた。
「バイバイ、デカおじさん?」
パージは防具のない頭を中心になんどもソードブレイカーの尖りを振り下ろす。皮膚を割き、目玉が抉られ、どんどんと面影が消えていくシドにさらに力を強める。
「(痛みがもうない、死んだのか?いや、だがまだ考えられる)」
顔が熱く、燃えているような感覚はあるものの痛みも分からなくなっている状態は、せめてもの救いだったのかもしれない。
そして先程から止まない海に漂うような感覚。
おそらくパルチザンにより神経が傷つき感覚が麻痺しているせいなのだが、シドにはそんな知識もないため原因には気がついていなかった。
「(海、うみ...そうだ。彼も最期は海であった)」
どうして海に身を任せてしまったのかとずっと疑問だった。だが、今ならわかる気がする。人を傷つけるだなんて簡単に出来ることではなかったのだ。
知りたいと思っていたことを知った途端、納得が行くと同時に気が付きたくなかったような気もして。
きっと人間は、彼は、自分よりもさらに複雑に入り組んだ感情を持ち、それに耐えられなくなったのだろうと合点がいく。
そのまま、自身も海に沈んでいく感覚に身を任せ意識を手放した。
ꕤꕤ
「止ま、れー!」
キアラの顎に金砕棒を当て、一時的に脳震盪を起こさせて抜け出してきた鬼丸が、今度はパージの頭部へと振るう。踏み込む脚が、金砕棒を持つ腕が、金砕棒を振るう筋肉が、どんどん強化される。金砕棒の重みが増してスピードが出る。
鬼丸の必殺技である『鬼に金撮棒成べし』は筋肉の増強と武器の質量増加がされるものであった。
鬼に金撮棒成べしという言葉の記述があった鴉鷺合戦物語では、恋したサギの娘の夫になろうとしたカラスがサギに跳ね除けられるだけでなく辱めをうけ、その結果カラスが立腹し戦を仕掛けるが負けた。
だが、鬼丸は恋なんていうもののために動くなんてしない。
シドのために金砕棒を振るう。
………違う、自分のために。
そう、闘うのもシドを勝たせることが出来たら武器としての自分を肯定できるから。手伝いだってそうだ。使われたくてやっているだけで、相手が喜ぶか喜ばないかなんて正直自分が満足した結果にたまたま着いてくるだけ。
自分のために今この瞬間金砕棒を振るう。
パージの頭を卵みたいに潰して、この技が発動している間にキアラも潰す。そしてシドを蘇生してもらい勝たせて最高の道具に。そんな筋書きが脳裏に浮かぶ。
「(人間は脆くて弱いから『鬼丸』を使いこなせなかった)」
思い浮かぶのは狭い部屋。
「でも、アタシは軽々使いこなせる!」
人間はすぐ諦めた。金砕棒に自分を合わせる努力をしなかった。
だが持ち上げて振るうことさえ出来ればこんなに強い。キアラを足止めだってできる。
「ぐっ...」
金砕棒がソードブレイカーに当たり吹っ飛ばされると、パージはビリビリと痺れる手のひらに眉を顰めた後に嬉しそうな表情となる。
「アハハ!オマエも今の方が面白い!」
その隙に、胴体を金砕棒の重みが襲う。
内臓が潰されそうな感覚と肋が凹む感覚。両方に襲われるが、幸い後ろに飛んでいたこともあり助骨を粉々にされることは無かった。
「...っ」
登ってきた何かを吐き出すと、びちゃびちゃと水音を鳴らしながら今朝キアラに口に突っ込まれた朝食と胃液が地面に落ちた。
「ザンネン、内臓は傷ついてないみたい?」
胃液で濡れた唇は弧を描き、鬼丸を煽る。
だが、武器がないのはさすがに分が悪いと思ったのか、追撃されないように姿勢を低くしてソードブレイカーの方へ向かった。
「やっと来れた。シド、大丈...」
ここまでくるだけで必死だったのもあり、確認できていなかったシドの怪我の状態。それは想像よりも何十倍も酷かった。生きているとは思えない程の頭部の破壊具合に言葉を失う。
「でも、アタシが勝てば治してもらえるよね...?そしたら、シドも喜んでくれるはず」
逆転勝利で勝たせるだなんてなんて使える道具なんだろう。きっと、元通りになればシドも喜び今までのように大喜びでご飯を食べるに違いない。
パージが戻ってくる前にキアラを叩こうとシドから目を離す。が、倒れているはずのキアラが居ない。
壁の方から何かが近づいてくる音。振り向くとキアラは地面を蹴って壁まで飛び、勢いのままに壁を走って近づいて来ていた。そして飛びかかるように鬼丸に攻撃を仕掛け...
「思ってたより起きるの早いんだね、人間は」
鬼丸はギリギリ攻撃を避け軽く転がるように距離をとると、さっと立ち上がり金砕棒を持ち直す。
その瞬間、足に重たい衝撃。
「イヒヒ、当たった」
パージがソードブレイカーを投げていた。
「(結局投げてる。自分から手放した?)」
だが、それに当たったくらいで膝をつく鬼丸ではない。
肉体が強化されているのもあり、とくに動じずそのまま攻撃へと移る。パルチザンを避けながらソードブレイカーを蹴りでいなす。もちろん捌ききれるかと言えばそれは不可能で、主に足を攻撃してくるパージの執拗な攻撃を何度か食らっていた。
筋肉に護られている状態なのもあり、骨折はしてないが、転々と青黒い打撲痕が花開いている。そろそろうざったくなってきたパージを一旦沈めようと金砕棒を振り上げた瞬間、槍先が首元を掠め冷や汗が滲む。
咄嗟に避けたことで身体が斜めになり、重心が揺らいだところにソードブレイカーのフルスイングが目の前まで迫る。
「(避けられない...?)」
いや、避けられないで終わらせない。
右足に力を入れ直し、重心を安定させる。
「(避ける!)」
バク転の容量で後ろへ避けたついでにソードブレイカーを蹴りあげようと
した。
先程まで殴り続けられ蓄積したダメージのせいか、軽く曲げているだけのはずの膝の関節がバランスを崩す。ガクンと重力に従って身体を沈めたところにソードブレイカーが襲う。
当たった瞬間、その衝撃に脳が揺れる。身体が勝手に、ひゅ、と小さく息を吸った。
眼前は暗転していく。
「(シド...ごめん、役に立てなかった)」
まるでしまわれていたあの空間のような。
その中にキラリと光るもの。
「(もちろんやれるだけやるけど)」
槍先は目玉を突き眼窩へ。脳へ。
「(アタシ、どこまで怪我しても動けるのかな。試しておけばよかった)」
鬼丸の身体がびくりと動いたかと思うと、地面に金砕棒が落ちる。ドスン、と重たい音の後に静寂。
少し経ってからパルチザンを引き抜かれた身体が力なく地面へ崩れ落ちた。
「終了!」
息を飲んで、声も出せない観客席とは真逆の、拡声された大きな声が場内に響いた。だが、イズの声を無視してキアラはパージを攻撃しようとパルチザンを振り上げる。
「ボクもまだやりたいけど終わりだって。わかる?」
天使に逆らうと面倒なことになると学習したパージが虫でも振り払うかのように、ソードブレイカーの櫛状の部分に迫り来るパルチザンの柄の部分を引っ掛ける。
そのまま、てこの原理でキアラから奪うと数秒固まった後すこしぽかんとした表情の、いつも通りの雰囲気にもどった。
自身のドレスと場の惨状にみるみるうちに顔色を悪くし、手を震わせる。
そんな様子に、パージは「(戻さない方が楽だった?)」なんて思いつつ「勝ったけどカンセイは?」と観客席にピースをして見せる。だが、どこからも黄色い声は飛んでこなかった。
ꕤ
観客席は重たい沈黙を破るように、数人がぽつぽつと話し始めた。それを皮切りに皆が言葉を口々に発する。
「鬼丸...たくさん頼ってもらう前に別れが来るなんて」
試合お疲れ様会とかこつけてを料理を振る舞うつもりでいたオブリヴィオンは目を伏せる。まつ毛に縁どられた目から涙が伝う。たくさん助けてもらった。頼みも聞いてもらった。なのに、その喜びや感謝を満足いくまで返す前にその相手を失ってしまったのだ。
明日からどう返して行けばいいのだろう。
「シド!!シド...オマエは今日も一緒に寝てくれるって、約束...なのに、」
先程まで理解が追いつかないといった様子で静止していたホーネットが、柵まで駆け寄り乗り出してシドの死体に手を伸ばす。だが、当然届く訳もなく手は何度も空を掴んでいる。
希望が居なくなって気がつく空虚。絶対に彼以外で埋められないもの。だが淡さも気恥しさも微塵もなかった。
彼女は忘れていた。安寧なんてものはなく、闘いこそが存在意義。しかも、闘うなら犠牲は付き物であることを。
「オマエが死ぬなんて...考えてなかった」
「...シドさん。あなたは頑張りました。とても...」
ヘルメットのバイザーを上げてそう呟いたのはマチルダだった。眉は下がり、眉間にすこしシワが寄っている。淡くだが珍しく、哀しみが表情に現れていた。
「優しいあなたに神の御加護があらんことを......」
そんなマチルダの背にカクマルが手を当てる。大丈夫だとでも言いたげにとんとんと軽く叩くが、そんな彼女もマチルダと相違ない表情をしていた。
「それがし、1回戦の後に鬼丸殿にあげるお疲れ様のお菓子...用意してたんだけどね」
『御手伝い』という名目で鬼丸に日々餌付けして、美味しいものを食べてくれる様を楽しんでいたカクマルは今朝までは「今日もいい感じの理由を手に入れたな〜」と考えていた。
同じ國の出身として親近感を感じていたのもあり、すぐには受け入れ難い話であった。いっそのこと、噺であればと願わずにはいられなかったのだ。
どちらが勝つか分からないし、負けた方は死ぬ。
当たり前の話なのに、みんなが何となく目を背けていた。もしかしたら実は死なないんじゃないか...なんて思っていたものもいたかもしれない。
闘っている様子を見ていても、当の本人たち以外は「本当に死にかけたらそこで勝敗を決するのではないか」「実は死というものはなくて、ルミエルが生き返らせてくれるのではないか」なんていう、甘い考えがあっただろう。
そう、元は武器であっても平和を望むものや、戦闘をよく思わないものもいる。その代表とも言える血濡れの花嫁は、目の前の惨状に肩を揺らして涙を流していた。
「ああ...そんな...そんな。貴方には待っている方がいて。貴女には教えたいことがあって、なのに、私が」
本来は喜ぶべき勝者であるキアラだ。
真っ赤になったウエディングドレスのせいで、青白い顔がさらに際立っている。外気に当たり固まった返り血がひび割れぽろぽろと剥がれる様は、彼女の心情を表しているようだった。
どす黒い感情に支配されていた瞳はすっかりと元の輝きを取り戻し、レッドダイヤモンドを思わせる。
「壊したこと後悔してる?でもオモシロかったし、いいんじゃない?」
それを覗き込む彼の瞳も影の中で煌々と輝いていた。
「(どうして...)」
どうしてそんなに楽しそうにしていられるのか、どうして美しい瞳だと少しでも思ってしまったのか、まだ幼い人間性に振り回されているキアラには分からなかった。
皆、まだ分からないことが多すぎた。
そして後から後悔する。
イズはそれに気がつきながら「上の言うことだから仕方がない」と選別の指示に従う。まだ純真無垢なルミエルだけは、自分のようにそれに気がつかぬようにと注視しながら。
「次回はマチルダ&右舷左舷 対 パスピエ&ホーネット。逃げても無駄ですので、時間になったら指定された場所にしっかり来るように」
「...イズさまと共にお待ちしております」
イズの言葉に続いてぺこりと頭をさげるルミエルを、誰も責める気にはならなかった。
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【Anonymous Embryo】
第1話:三思後行
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【執筆】
なえを。
【スチル協力】
ゆふ(鬼丸・シド)
スカポン(キアラ)
胞子(パージ)
2024,06,01