命を奪った感覚を覚えてる?久しぶりの新鮮な喪失感に「繰り返したくなかった」って思った?それとも、「もう放っておいて」とか?
どちらにせよ、大義名分の元に選ばれた事実には変わりない。
また地上に行くことになる。今度は新人類を誕生させるきっかけとして。地上での目的がある分、勝利後を見据えていなかったものたちに比べ幾分かマシだろうか。
ꕤꕤꕤ
鐘の音
花の香り
優しい光
身体の重み
息をする感覚
いつの間にか忘れていた『当たり前』の感覚。
人間の姿になって、困惑した頃を思い出す。上半身を起こすと自室に置かれた一輪の花と丁寧な字のメッセージカードが視界に入った。
花言葉をいつか“ユエ”が話していた気がする。確か勝利を意味するとか・・・そういう意味のもの。病気に打ち勝ってねって父親に選んだ花。
「・・・起きたら中庭へ」
花の下に置かれたメッセージカードに書かれた文章を読み上げれば、ユエは迷うように視線を迷わせた。
そんなところに行く気分では無いが、無視しても迎えに来てしまうのだろう。
「いけばいいんでしょ・・・」
丁寧にかけられていた羽毛布団をどける。少しひんやりした空気に足元を刺された。
こういうちょっとした感覚でさえ、今は特別なものになってしまった。みんなはもう感じられない。死んだ時悲しいからと距離を取り続けたあの子たち。
そこには確かに情があった。
だけどもう、喪ったものを数えたくなかった。
丁寧に脱がされていた靴を履く。
ベットに寝かせてくれたのは多分天使ちゃん。目玉の毛玉くんは多分できないし、天使くんはここまでやらなさそう。なんて思いながら。
立ち上がって扉を開けるとほの暗い廊下と冷えた空気があった。
指定された場所へと歩を進める。誰もいない廊下で時折毛玉くんが楽しそうに追いかけっこしていたり、くるくる回って技を披露しあっている。
「カメラの役割はもう要らないもんね・・・」
地上に行ったらこっそり見られたりするのかもしれないけど、と言葉を付け加えながら中庭に続く扉を押し開く。
少し力を入れて押せば、ギィ・・・と鈍い音を立てながら少しひんやりした分厚い木製の扉が開く。来た当初は少し心が惹かれたはずの細かい手彫りの装飾も、もう見慣れてしまった。
中庭は廊下とは打って変わって、ふんわりと暖かい空気に包まれている。心なしか芝生と花の香りもしていて、ユエにも見せてあげたいと思ってしまう。小さく深呼吸をすれば、ルミエルと目が合った。
「ユエさま、いらっしゃいました・・・・・・!」
ぱあっと表情を輝かせるルミエルに、ユエは目をそらす。
もう仲良くしないなんて縛りも必要がないはずなのに。
「こちらにお座りください」
それでもルミエルはうれしそうに白いガーデンチェアを引く。そこには紫のリボンが結ばれており、いかにもな飾り付けがされていた。
その席の正面ではイズがマイペースに紅茶を嗜んでいる。
「・・・・・・座ればいいんでしょ」
気が進まない様子ながらもユエがチェアに腰を落とすと、ルミエルもイズの近くの、同じく白いチェアへとちょこんと座った。
「あ、こちら、よかったら召し上がってくださいね」
ルミエルが差し出したのはまだ湯気が立つティーカップ。
廊下にもいた小さな天使たちがルミエルにユエが起きたことを伝えていたのだ。でないと、こんなにピッタリなタイミングで淹れるなんてできるはずがない。
「プリンセスライチです。ティーポットの中でお花が花開いて素敵なんですよ。お茶菓子も召し上がってくださいね」
おずおずとティーカップを手に取り、香りをかいでみる。
なるほど。名前の通り、ライチのみずみずしい香りがしてきた。ライチは楊貴妃が愛したという話を聞いたことがある。
「・・・いい香り」
「ふふ、わたしもお気に入りなんです。味もとてもおいしいですよ」
ルミエルに促され、ユエは紅茶に口をつけながらテーブルにも視線を向ける。王道のスコーンやオープンサンドに交じって湯圓や杏仁豆腐、和菓子まで置かれたテーブルはユエの知識量を表しているようだ。
思い出すのは“ユエ”のこと。
彼女と並んでお茶をできたら。
新しい友達に胸を躍らせられたら。
どんなに素敵だっただろう。
ꕤꕤ
“ユエ”は・・・月は、天真爛漫な女の子だった。優しい両親のもとで笑顔で育って、幸せそうに暮らしていた。
ゆえのことをかわいく飾ってくれた時も、とても楽しそうで、あの頃がきっと一番幸せだった。
飾り付けが得意で、勉強だけでなく運動までできてしまう。世界で一番の女の子。
だけど、野菜はちょっぴり苦手で、きっとこのオープンサンドだって最後まで手を付けない。甘いお菓子が好きだから、杏仁豆腐なんかから食べきってしまうかも。
そんな月にも、不幸はあった。
朗らかな父親が早くに亡くなり、しっかり者の母との2人の暮らしが始まったのだ。
だけど、それだけでは終わらなかった。
10歳のころに父親と同じ病気になってしまった。月が何をしたの?そう叫びたかったが、カッターナイフのゆえにできることは静かに定位置にいることだけ。
病気になっても月は、それこそ月のように優しい子だった。
母親が高額な医療費のために激務にさらされ、心労で疲弊しているときも、聡い月は病院でもいつも通りいることで母親を支えようとしていたのかもしれない。
そして迎えた12歳の誕生日。
月は家に帰った。
久しぶりの家。それだけでも十分幸せな誕生日だったが、さらにプレゼントまで用意されていた。シンプルでかわいげのない入院着とは真逆の、とてもかわいらしい洋服。
ずっとほしかった洋服をもらえて、洋服ごと少しやせた母親を抱きしめた。
骨ばっている気がしたが、口には出さなかった。
母親は3人で暮らしていたときをなぞるように、昔とは違うぼろぼろに荒れて、切れた手でおいしい料理を作った。もちろん月の好物ばかり。
薬が入っているなんて考えもしなかった。
いつもからは想像できないほど食べて、おいしいって笑って。
眠ってしまった。
今でも思い出す。震える母親の手。
握られたゆえは「なんでそんなことするの」「やめてよ」って訴えかけたけど、聞こえるはずもなくて。わざわざ、月にかわいくしてもらったゆえでやる必要もないはずなのに。なんてどうでもいいことも浮かんで。
もらったばかりのかわいいお洋服を着て眠るかわいい月。
あなたはゆえに殺されてしまった。
だからゆえは“月”になる。
あなたのかわりになってあなたが生きているようにみんなに見せるの。
姿もあなたそっくりに、でも死なずに少し成長した風に。
闘っているあいだはそこまで気が回らなかったけど、地上へ行ったらきっと月のように。
「ふぅ・・・そろそろ始めますよ。お茶は十分味わったでしょう」
今まで黙って紅茶を飲み、お茶菓子を小さく切り分けて口へ運んでいたイズが口を開く。
「す、すみません。イズさま。お時間いただいてしまって・・・
はい、もう始めていただいて大丈夫です」
慌てて謝るルミエルにはっとして、ユエも小さくうなずいた。
「ユエ、あなたは人類がどうして滅びていったかは見ていないんでしたっけ」
「ゆえはそのほかの人なんて気にしてなかったし、見ようとも思わなかったから・・・」
イズは「なるほど」と言って小さくため息をつく。閉じられた目の長いまつげが少し持ち上がった気がした。
「おおよそ気が付いているかもしれませんが、核戦争です。ありきたりな結末。
大きな国が戦争を起こし、小国もじわじわと巻き込まれる。
そうやって広がっていったんです」
「でも世界も人類も滅ぶレベルって、そんなことあるの?」
「何発も撃ってれば、いくらしぶとい人間でも後遺症やらで簡単に数が減りますよ。子供を育てる暇や環境なんかもありませんしね」
イズは話し続ける。赤子が生きていけるような環境もなくなった結果、生き残った者たちも老衰して緩やかに数を減らすしかなかったこと。
植物も枯れていき、食べ物も備蓄されていたものしかなかったこと。
「自分たちの手で恵まれた環境を破壊していったんです。
あなたたち・・・いえ、ユエのように武器として作成されたわけではないものもいますが。武器たちは人間の勝手が元となって作られている」
ユエが居心地悪そうに紅茶をすする。
「だからその分、人間の残酷さを知っていて、同じようなことは繰り返さないと神は考えたんです」
「その・・・神様は、人間をどう思っているの」
「イズが聞いたのは一言だけです。『失敗作だった』と」
「そう・・・月はそんなことなかったけどね」
「素敵な方ですもんね。しっかり調べられていませんが、きっと天国にいらっしゃいますよ」
イズの言動をフォローするようにルミエルが割って入る。だけど、言っていることはとっさに出た言葉ではなく本心のように見えた。
「天国とかは今どうでもいいので続けますね。
地上はまだ放射能が残り、普通の人間なら簡単に死んでしまいます。
ですが、武器をもとに人型にしたあなたなら、過酷な環境にも耐えられる」
イズが言うには、体のつくりが根本から違うらしい。
「そして、もしオスカーが生き残れば、記憶はそのままに核戦争を始める前の世界を再構成し、旧人類にやり直すチャンスを与える予定でした。
まあ、負けてしまいましたがね」
「人間を作った時とは違う方法をとってあなたたちの身体を作っていますからね」
「天使くんが作ったの」
「最初の人間とあなたたちはそうです。そういう業務ですので。
勝手に増えた分は違いますが」
イズのずいぶんな言いようにユエは少しむっとしつつ、一口紅茶を飲む。地上に行ったら紅茶のような嗜好品はしばらくは飲めないだろう。味わうように口内にとどめた後、飲み込んだ。
「・・・環境に耐えられるとして、ご飯は?」
「送り出すときにしばらく食べなくても生きていけるようにします。これから人型になるものたちも同様に」
「娯楽なさそうだね・・・」
「注文が多いですね、あなたは」
「本やボードゲームを持っていきますか?そのくらいならいいですよね・・・?イズさま」
大きくため息をつくイズに、ルミエルは慌ててそう提案する。
「変に思想が偏りそうなもの以外は持って行ってもらってかまいませんが・・・」
「よかったですね、ユエさま」
「・・・・・・」
そういうことじゃないんだけど、と思いつつユエは頷く。
別に本当に娯楽が欲しいわけじゃない。いきなり過酷すぎるんじゃないかと言いたいのを天使たちに遠回しに言ったのだが、通じていないようだ。
「まだ不満そうですね」
「別に・・・・・・
月は生き返らせられないの」
「だめに決まっているでしょう」
「っイズさま、ユエさま、こちらのタルトもぜひ」
喧嘩でも始まりそうな空気にルミエルが2人にイチゴのタルトを差し出す。甘さ控えめのカスタードと瑞々しいイチゴ、さっくりとしたタルト生地が最高のバランスを作り出す逸品だ。
「先ほど頂いたのですが、とても美味しいですよ・・・・・・!」
断ろうとするユエをよそに、どうぞ遠慮なさらずとイチゴタルトは半分無理やり目の前に置かれた。だが、言われてみればとても美味しそうな見た目で、気が付けばフォークで一口分切り取っていた。
口へ運ぶと新鮮なイチゴの甘い香りと香ばしいタルト生地が混ざり合い、どんどん食べ進めたくなってしまう仕上がりになっていた。砂糖の甘味はあまりないのに甘さが足りないとは感じない。
きっと月も気に入るだろう。
「そういえば、地上に送るタイミングですが」
「今すぐって言う?」
「いえ、しばらくは待ちますよ。1週間くらいなら。
来週にはなにがなんでも下りてもらいます」
それまでに覚悟を決めろ。そう受け取ったユエが「わかった・・・」と目を伏せる。
今度こそ月のようにふるまいたい。
月を生き返らせたいけど、無理ならやっぱり自分が月になって月がやりたかったことを全部してあげるんだ。
ほかのカッターナイフがどんな人格で、どんな見た目かはわからない。
それでも、自己満足だとしても、月のために__
ꕤ
数日後、ユエは天使に連れられ高さ5mはあろうかと言うほどの大きな門の前にいた。
「ここから落りれば地上へ行けます」
「ユエさま、地上に行っても見守っていますからね」
「天使くんのワープみたいなのじゃないんだ・・・」
「いろいろ決まりがあるんですよ。天界にも」
重苦しい音と共に扉がゆっくりと開く。
扉の先には綿菓子のような雲が浮かぶ空と舗装された道。奥に下りの階段。ずいぶんとアナログな方法で下りるようだ。
「安心してください、そんなに長くないですよ」
「それならよかった・・・」
「また時が来たら迎えに行きます」
「けがや病気に気を付けてくださいね、治療しに行けませんから・・・」
「うん、またね」
ユエは少しの荷物をもって扉をくぐり、階段のほうへ。
階段の手前で振り返ると、ルミエルが一生懸命手を振り、目玉の天使たちが勢いよくぐるぐる回りながら飛び別れを告げている。よく見ればイズも小さく手を振っていた。
ユエはぺこりと小さく頭を下げてから階段に足を踏み入れた。
少し下りると背中側から門が閉じる音がする。
これからは、地上での新人類たちとの生活が始まる。
門が閉まって手を振るのをやめたイズがふと、上を向く。
否、『こちら』を見た。
「この世界の観察は良い暇つぶしになりましたか?
“旧人類”のみなさん」
遥か遠くの未来
私達が誰かの記憶からも消え去って、完全に居なくなったあと
本来は名も持たない子供たちが目を覚ます
世界は続いていく
「ゆえは“ユエ”だよ。みんな、いきなり姿が変わってびっくりしたよね」
大勢が一斉に目を覚まし困惑する中、紫髪の少女が光を受けて立っていた
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確かに聞こえる、名も無き“子”達の胎動
確かに聞こえる、名も無き“子”達の胎動
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【Anonymous Embryo】
ED:匿名の胎児
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【執筆】
なえを。
2025,03,30