ep8. Trust in the Lord, and do good.
ep8. Trust in the Lord, and do good.
⋆⋅⋅⋅⊱∘─────────∘⊰⋅⋅⋅⋆
【After Story】
ep8. Trust in the Lord, and do good.
⋆⋅⋅⋅⊱∘─────────∘⊰⋅⋅⋅⋆
「かっこいいね〜すごいなあ」
ガラスケースの中のわたくしを覗き込む、目をキラキラとさせた小さな子供。背後では、そんな子どもの様子を母親らしき女性が見守っています。
たくさんの人間がわたくしの前で足をとめました。呑気な顔でわたくしを見て、思い思いの感想を口にして、また去っていきました。
「ね、アタシこれほしい。強そうじゃん。これで世間威嚇してこ」
「あのトゲトゲした部分、刺さったら痛そうだねぇ……」
「こんなものが使われていたなんて物騒なことね。趣味が悪いわ」
『そうでしょう』
好き勝手に投げかけられる言葉の全てに、心のうちで頷きます。この頃のわたくしに人間の表情があったとしたら、微笑んでいたと思います。
堅牢なガラスケースにまもられて、誰もわたくしに触れることはできません。誰もわたくしを使うことができない。つまり、わたくしが誰かを傷つけることはないんです。人のよっては窮屈に思えるのかもしれないそれを、わたくしはとても心地よく思っていました。このゆったりとした時間が、ずっと続けばいいな、と。
ずっと、ずっと、ずっと…………
ꕥ ┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈ ꕥ
「マチルダさま、マチルダさまっ」
「…………はっ。
はい、マチルダです」
ルミエルの声で、はっと我にかえりました。向かいに座って談笑していたはずのルミエルが、今は隣にきてわたくしの顔を覗き込んでいます。昔のことが思い返されて、少しぼうっとしてしまっていたようです。ゆったり時間が流れる感覚が重なったのでしょうか。いけない、お茶会の最中でしたのに。
「もう、どうしちゃったんですか。ぼーっとして」
「あぁ、いえ、大丈夫です。話を続けましょう。ええと……わたくしがもっと惨たらしく死ねばよかったのに、という話でしたね」
「そんな話してないです!?」
おや、違いましたか。心の内がうっかり。なんて、そんなことを言ってはルミエルを悲しませてしまいます。「マチルダジョークです」なんて誤魔化しておきましょう。わたくしはこういった冗談や軽いノリが得意なほうではありません。ただ、わたくしの大切な人はどこか掴みどころがないような一面もある方でした。わたくしもそこからちょっぴり学んだのかもしれません。
「冗談、ですか〜……?なら……うーん、良いんですけれど……」
やや表情を曇らせながらも、ルミエルはもといた席へと戻っていきました。私の冗談に騙されてくださるようです。
「じゃあ、気を取り直して楽しいお茶会をしましょう!
その後、先にお伝えした“天使になる”か“永遠の眠りにつく”かの選択を教えてください。時間はたっぷりあります、好きなだけゆっくりしていってくださいね」
ぱちん、と切り替えるように手を叩いて、ルミエルが笑顔をみせます。そうですね、今は少しだけお茶会を楽しませていただくことにしましょう。
「では、失礼して……。改めてお茶でもいただきましょうか」
「はい。本日の紅茶はダージリンです。マチルダさまとは、今までもお茶会をする機会がありましたし、珍しい茶葉も楽しんできましたから。今回は初心にもどってみました」
確かに、ダージリンは珍しい茶葉というより、王道の紅茶です。カップを持ち上げると、フルーティーな香りが立ち上ってきます。口に含めば、慣れ親しんだ風味が広がりました。紅茶の熱で、体の内がじんわりと温まるのを感じます。用意されたお菓子も、どれも美味しいです。こういう、何でもない時間がわたくしは好きです。
幸せです。本当に。一方で、どうしようもなく心が痛いです。なぜでしょうか。分かっています。だって、わたくしには過ぎた幸せです。わたくしは幸せになって良い存在ではないんですから。
「……ルミエル。少し、わたくしの昔話を聞いていただけますか」
ꕥ ┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈ ꕥ
わたくしはかつて、教会の関係者や十字軍の人間に仕えておりました。そうして、沢山の人間を痛めつけました。
戦争で人を殺しました。
仕方のないことです。愚か者同士の争いは、話し合いで解決するものではありません。
“傷つけた者は同じだけ傷つけられなければならない”
きっと戦場にいるあなたは、沢山の人を傷つけてきたのでしょう?だから、あなたがわたくしに傷つけられるのも、それは道理というものです。
……罪のない母子を殺しました。
許されないことです。母の頭蓋は、まるで煎餅でもかち割るかのように砕けました。子の頼りない手脚は千切れ、目玉が飛び出ていました。
“傷つけた者は同じだけ傷つけられなければならない”
赦されないことをしたわたくしも、同じだけ傷付けられればなりません。相応の罰を受けなければなりません。
ꕥ ┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈ ꕥ
「なのに、わたくしはぐちゃぐちゃに死んでもいない。それどころか、今まで贖罪を後回しに、皆さんとの楽しい時間を享受してしまいました。大切な人までできて、本当に、過ぎた幸福を……」
目を閉じれば、キラキラとした思い出が蘇ってきます。覚えています、会話のひとつひとつまで。この思い出があれば、わたくしはどんな未来でも受け入れ、身を任せられます。だから、もう終わりにしましょう。この幸せ過ぎる時間とは、決別しましょう。
「わたくしは天使になることを選択します。
そうしてどうか、わたくしのことを動かなくなるまで使い続けて、乱雑に捨て置いてください。そのくらいしてやっと、わたくしの罪は軽くなると思うのです」
選択を聞いたルミエルは、少し困ったような、なんともいえない顔をしていました。きっと、迷惑に思ったか、わたくしの自己満足な選択に失望しているのでしょう。返事を求めて見つめてみますが、ルミエルは口を閉ざしたままでした。頷きを返してくれることもありません。こういうときは、大人しく引くのが正解です。そう、頭では分かっているのに、沈黙を破るように、わたくしは言葉を続けてしまいます。
「……贖罪のために天使になるわたくしを、神は咎めるでしょうか」
どうか、否定の言葉をいただけませんか。そんなことありませんよって。わたくしの贖罪は自己満足止まりでも迷惑でもなく、神もそれを望んでいるって。しかし、ルミエルがわたくしが望む通りの言葉を発することはありませんでした。ふわりとわたくしの隣へと飛んできて、そうしてやっと閉ざしていた口が開かれました。
「マチルダ様は……そうですね、ちょっぴり、真面目で優しすぎるのかもしれませんね。大丈夫、大丈夫ですよ」
すっと手が伸びてきて、わけも分からないまま頭を撫でられます。ルミエルは、ようやくその重い口をひらき、言葉を選ぶようにして話しはじめました。
「マチルダさまが考える、マチルダさまの罪は、過去に戻ってマチルダさまがどうにかできたことなのでしょうか。マチルダさまの悪しき心が招いたことなのでしょうか」
__でも、壊したのはわたくしです。わたくしがいなかったら、生まれなかった悲しみがあったのです。
「わたしは、武器という存在としての罪は……それがあるのだとしたら、武器に置いてきてもいいと思うんです」
__難しいことを言いますね。まるで、わたくしの魂には罪がないとでも言いたげです。なんて思ってしまうのは、わたくしが都合よく解釈しているのでしょうか。
「心優しいマチルダさまが、せっかく思うがままの体を手に入れたんです。贖罪のため使い捨てろといいますが、もうその体は、“使われる”ものではありませんよ」
最後に、とびきり大切なものをぎゅっとするように、ルミエルはわたしの自由な体を抱きしめました。耳元でひと時の別れをつげるおやすみの挨拶が囁かれ、わたくしの意識は薄れていきます。
今までは人間の謳うカミに従い使われることが“正しい行い“でした。そしてこれからは、贖罪として本物の神に従い使われることが“正しい行い”になる筈でした。けれど、もう使われるだけの身ではなく、わたくし自身が”正しい行い“を選んでいくこともできるようです。
……わたくしは、これからどう生きましょうか。
____fin
【執筆】
音戯。
【スチル】
音戯。
2024,12,01