「私のことよりも対峙している彼女のほうを見なさい!」
┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈
「じゃあさ、頭と心臓が100点?ホーネットは何点とれるかな」
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「お忙しいところ申し訳ございません、わたくしも助けていただきたいのですが…」
┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈
「こういうもの?こういうものですって…!?いえ、違うわ。わたしのお友達はそんなことしないの!」
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「火力で勝負しかねぇな!ハチの巣にしてやるから覚悟しろ!」
体が動くままに数歩下がったあと足がもつれて背中から倒れる。地面に血が広がり、月明かりで軽く縁取られて光る。
第2試合
マチルダ&右舷・左舷 vs パスピエ&ホーネット
ステージ:研究所
ꕤꕤꕤꕤꕤꕤ
前回とはガラリと変わって月夜。チカチカと白熱灯が点滅する研究所の一室に3人の話し声が反響していた。
今回は初っ端から顔を対戦相手と顔を合わせている訳ではなく、お互いの居場所を探しながら移動することになるようだ。そんな不思議な試合なのもあり、もちろん研究所は入り組んだ作りとなっている。
観客席から直接見る...というのはもちろん不可能である。その点を考慮してか、観戦用のシアタールームが設けられた。大きなスクリーンは2ペアの姿がそれぞれ映し出された大きな画面が真ん中に2つ、その周りに細々と別角度や別の部屋という画面構成のようだ。
もちろん音響もバッチリで話している声もしっかりと聞こえてくる。
「これはハイカラ!それがし、こういうの初めて見たけど どうやってみんなが目の前に移動を〜?」
「カメラ、とか。やりようはあるよ。ここまで性能がいいのはみたことないけど」
「かめら?撮影機器なら静止して待ってなきゃいけないんじゃなかった?う〜む、これは3御座御座くらいの先端技術だわな〜」
「さんござ...?御座候ちゃんってよく分からない言葉使うことあるよね」
「んふふ、まあね?」
自分の言葉に対してなんでこんなに得意げな顔をするんだろう...と理解のできないユエは、カクマルが隣に座ったときに移動しなかったことを早速後悔していた。
「僕の時は肖像画だったなあ、かめらなんてもの作られてたんだね〜。いやあ、知らないことばかりで面白いなあ」
そう、元はと言えばユエは次回共闘することになるオブリヴィオンとさらにペア戦への理解を深めるため、一緒に見ようとしていた。隣同士で座っていたところに、カクマルが当たり前のようにユエの横へ座したのだ。だが、オブリヴィオンはそんなことは特に気にしていないようで、「(一応御座候ちゃんは敵なのに...)」とユエが1人居心地が悪くなっていた。
「ユエ、僕達が戦う城もこんな感じでスタートすると思う?もしそうなら、先に居場所がバレたら不利だよね」
横の横に敵がいるというのに話し始めてしまう始末だった。ユエは「そうだね...アンキっていうやつらしいし、」と歯切れの悪いことを言うしかできないまま「確かに〜!」と確実にこちらの情報を得ているカクマルをどうすることも出来ない。
「おや、君達は仲がいいね。では、私達も共に観覧といこうではないか...キアラ君」
「...」
心ここに在らずといった様子のキアラにオスカーが仰々しく手を差し出す。空いている席へと案内するつもりのようだ。
キアラは反射で手を重ねようとするが、ぐ...っと握り込み腕を下ろす。
「......」
無言の拒絶にオスカーは笑顔を浮かべたまま姿勢を正した。
「では代わりに今夜にでもダンスの方に誘わせて頂こう」
諦めの悪い彼にキアラも困ったように眉を下げる。試合を見た後の自分は踊るような気分になれるのだろうか。いや、考えるまでもなくそんな気分にはなれないだろう。
今のキアラは彼の思いを受け止めるかどうかだなんて考えられなかったし、それよりも試合で前回のように誰かが欠けることに対しての悲しみでいっぱいとなっていた。
試合の日以外であっても受け入れられるかと言われると、簡単には頷けないが...
階段で擦らないようにドレスの裾を軽く上げて下の段へ降りていくキアラの後ろ姿を見送ったオスカーは仮面の下で目を細めた。
「眩しいな」
それがスクリーンに投影されている光が反射してキアラを照らし、彼女を光で縁どっていたからなのか、それとも先日の彼女を思い出したからなのかは彼本人にしか分からない。
ザザッ...ザッ...
軽く画面の通信が乱れる。何事かと思った数人が画面へ目を向けるが、カメラの不調だったようですぐに戻った。今回使われているカメラはただのカメラでは無い。
たくさんの目玉がついた球体から羽が生えたのものが研究所内を浮遊しているのである。さっきの不調はカメラ同士がぶつかり「イタタ....」とふらついたのが原因だと思われた。
複数の羽と複数の目を持つその球体のような物体は人間が作り出した聖書に出てくる天使の姿と瓜二つであったが、その事に気がつけるのは居たとしても信心深いものくらいだろう。
そのうちの1人、マチルダはその目玉だらけの天使たちの事故をじっと見つめ「お疲れ様です...」と呟いたのち、視線をペアの右舷と左舷に戻した。
「わたくし、実はなかなかにテンションが上がっております」
「マチルダって実はそういう感じ?案外乗り気だったんだ」
「いえ、研究所だなんて来たことがないので観光というものをしているような気になり...」
観光という言葉に右舷が眉を顰める。「(観光?せめてもっと綺麗な場所のほうが...)」真面目に考えすぎてしまう節があるのか、彼は頭上にハテナを浮かべながら小首を傾げた。
「マチルダさん、観光とはこのような場所で行うことでした?」
「ま〜、逆に普段過ごしてる場所の方が観光地っぽくはあるよね」
「......確かにその通りです」
ふむ、とこちらも考え込むマチルダ。左舷はそんな2人の間に入ると腕を回し、勢いよく肩を組んだ。
「2人とも“また”入ってる!作戦会議の時も考え込んじゃったりしてさ〜、左舷ちゃん置いてけぼりにしてたよね〜?」
「“左舷ちゃん”、もうわかりましたので一旦離れてください」
右舷が左舷の頬をてのひらで軽く押す。あまり強く押しのけないあたり、右舷もそこまで拒絶はしていないのだろう。
「は〜い♪」
左舷は兄が冷めた態度をとっていても、自分のことを深く愛していることを知っている。だが、そのことをあまり理解していないマチルダだけは「頑張りましょう、“左舷ちゃん”」とひとり違う空気感を醸し出していた。
__一方、ホーネットとパスピエのペア
2人は銃火器コンビということもあり、近接戦に持ち込まれたくない…と思われたが、パスピエは発砲よりも傘を閉じて振り回す鈍器的闘い方を主とする。
近接遠隔両方に対応した闘い方ができるということもあって、特に焦ることも無く落ち着いて作戦会議をしていた。
「近づかれるまではオレが撃つ。遠距離攻撃で殲滅してやる」
「はい。わたしも、なさそうだけど〜、もしホーちゃんが敵に近づかれたら絶対絶対絶対絶対絶対絶対絶対絶対絶対絶対護りますぅ、ね♡」
今までと雰囲気が違うホーネットに「素敵!」と笑みを深くするパスピエは、いつも通りの様子で傘を胸元で抱きしめる。1回戦を経て心境の変化がないと言えば嘘になるが、表面上にはわかりやすい形では現れていないように感じた。
武器自体は重火器同士であっても、基本の戦い方、1回戦を経ての心境の変化、戦闘への姿勢など、2人は案外違うところがある。この違いがどのように混ざりあい反発し反応するのか。それは闘いが始まらなければわからない。
イズはそんな武器たちを眺めながら一等質のいい座席に腰掛け、ルミエルが淹れたとっておきの紅茶を口に含む。ルミエルいわく、「イズさまをイメージしてブレンドしてみました」とのことだったが、無駄に花の香りをさせているなという感想のほかは特に浮かばない。
「(イズのイメージ、ですか…)」
「いかが…でしょうか」
ごくりと生唾を飲む音が聞こえてきそうな表情に、イズは紅茶に目線を落とす。どう、と問われても絶賛するほどの好みの紅茶ではないし、吐き出すほどまずくもない。
「普通」
「普通、ですか...」
いいんです、普通でも…とわかりやすく落ち込むルミエルをよそに、紅茶を飲み干したイズはカップをルミエルの前に差し出す。
「…?」
「差し出してるんですからおかわりに決まっているでしょう」
「…!はい♪」
イズはわんこそばならぬわんこ紅茶になりそうな雰囲気を感じつつ、注がれていく紅茶を眺めた。
ꕤꕤꕤꕤꕤ
『2回戦、マチルダ&右舷・左舷 vs パスピエ&ホーネット。ステージ研究所。時間は無制限。どちらかのペアが両方脱落するまで』
研究所内をまるで館内放送のようにイズの声が反響しては消えていく。
今回の研究所は5階建てとなっており、過去に人間が複合施設のようなかたちで様々な研究を行えるようにと作られた『巨大研究所』を再現したものである。欲深き人間を体現したその施設は、イズにとっては新人類になりたがるものへの皮肉でもあった。
かつて、液体金属の活用や電気を使用した新製品開発など英知の結晶を生み出そうとしていた研究室から、不老不死や不老長寿、惚れ薬のようなおとぎ話を現実にしようとした下世話な研究室まで存在した場。
研究者はもちろんここにはいないが、薬品や研究のための器具はある程度残っている。
それらをどう使うかも今回の勝敗をわけるポイントとなるだろう。
戦闘開始地点がペアによって階が違うというのも、戦略を必要とするギミックのひとつとなっていた。開始地点もランダムに決まっており、前日にルミエルがダーツにて場所を決定させられていた。もちろん発案者はイズであり、理由は「ダーツをするルミエルはへっぴり腰で面白いので」というもの。
前回のシンプルなステージとは真逆の様々なイレギュラーが考えられるステージ。殺し合いでなければ、観戦者たちにとってもさぞ心が躍る状況であっただろう。
『それでは、試合開始』
「あら?天から声が聞こえてきたわぁ…?」
「1回戦の時みてぇに声を響かせてるんじゃねぇか」
不思議そうに天井を見つめていたパスピエが「なるほど~」と感心した声を上げる。1回戦前なら一緒に不思議だと笑いあっていたであろうホーネットは、パスピエの笑顔に少し目を伏せた。
「今はそれよりも、勝つことだけを考えるぞ」
「ええ!そうね…!」
この勝負は正々堂々闘えば勝てるなんて生易しいものではない。ある程度のルールはあれど、基本『敵のペアを殲滅さえすれば勝ち』のなんでもありの無法地帯。
相手が何を仕掛けてくるかわからない以上、警戒はすればするほどいい。
ホーネットは今日まで1回戦を脳内でひたすら反芻した。息の合った共闘と、お互いを食い合うような戦闘両方を学習できたのはなかなか大きかった。
彼の死を噛みしめ、眠れない夜を使って戦略を考えようとしたがあまりうまくはいかなかった。よく考えれば“あいぼー”も戦略を考え緻密に計算をしていたというよりも、ガトリングガンで敵を一気にハチの巣にしていた。
戦略を習う場がなかったのだ。しょうがないと言ってしまえばそれまで。
だが、諦めることは性に合わなかった。セオリーもわからず組み立てた歪な作戦。どこまで通じるかはわからないが、やるだけやってみる価値はあるだろう。
ガラガラガラッ
ドンッ
ガンッ
ガシャン!
その時、悲惨なことが起こったと察するにたやすい音が下階から聞こえてきた。ホーネットとパスピエは顔を見合わせた後、確認するように頷きあう。音の正体はおそらく敵となる3人の誰かが施設を破壊した音。なぜそんなことをしたのかは不明ではあるが、向こうが移動してしまう前に向かい距離を詰められる前にガトリングガンを撃ち込んでしまえば先手は打てるであろう。
もしもの場合防御ができるようパスピエが前に出つつ、部屋から廊下へと移動する。少し見回すと直線状の廊下の先に『5F』の表記と階段。上に行く階段はないためここが最上階なのだろう。
「4階に降りたら廊下から研究室内を覗いて周るぞ。いなかったらまた下の階へ。罠の可能性もある、すぐ迎撃できるように準備だけはしておく」
「ええ!すぐに距離もとれるように体勢も気を付けましょ~」
軽く作戦をすり合わせ、軽く息を吸うとワックスが剝がれかけた廊下を駆けていく。ホーネットの瞳は「油断したものから死ぬ戦場を教えてやろう」とでも言いたげに爛々と輝いている。
そのころ、音の元凶はそんなことはいざ知らず、呑気に2階の穴の開いた天井から3階を見上げていた。いや、『穴の開いた3階の床』と言ったほうが正しいかもしれない。
「わたくしが重たいから…でしょうか。脚の分どうしてもみなさんの倍ほどにはなってしまいますし、昨日はお夜食も食してしまいましたし…」
そう言って、明らかに落ち込みうなだれるマチルダに左舷は笑いを堪えきれないといった様子で声をかける。
「い、いや、普通にさ、んふふ…崩れかけてたとかなんじゃない?崩れた床のあたりも変色してるから」
「カガクヤクヒン、というものの影響でしょうか…重さではなく…」
「マチルダさん、お怪我は?ほかの部屋でも同じことが起こる可能性があります。この後は床にも気を配りましょう」
「怪我はございません。ご心配ありがとうございます。落ちた先がロッカー室らしき場所で、物が少ないのが功を奏したようです」
「さすが~!じゃあ、あとは上がってくるだけだ」
左舷は覗き込んだ体勢のまま手を伸ばしてみたものの、高さを考えると引き上げるのは現実的ではないと思ったのか「そっちに行くのとこっちに来てもらうのどっちがいいと思う?」と首をかしげる。
『そっちに行く』とは穴から飛び降りるという意味であろうと気が付いたマチルダがヘルメットの下で少しばかり苦い顔になった。
「また大きな音が鳴ります。居場所を教えてしまうのは好ましくないためわたくしが移動します。おふたりはそのままお待ちくださ…、」
入口へ顔を向けたマチルダが目を隠しているパーツ、バイザーを持ち上げる。目を閉じ、聴覚に感覚を集中させて。
「……!おふたりとも穴から見えないように隠れてください」
右舷と左舷は同時に軽くうなずき、穴の死角となる物陰へそれぞれ隠れた。マチルダもしゃがみ込み、倒れたロッカー群の影へと身をひそめる。それと同時に入ってきたのは想定の通り重火器の2人組であった。
ガトリングガンがまず視界に入り、そのあとにホーネットと、傘を広げた状態で警戒態勢をとるパスピエの姿を認める。判断がもう少し遅ければ見つかってしまっていただろう。
「盛大にやったな」
ホーネットが天井を見上げるとパスピエもそれにつられて見上げ「あらぁ」と眉を下げた。
「このありさまじゃ、瓦礫が当たって怪我しちゃったりしてそうねぇ」
「怪我でもしていたら好都合。だが…この逃げ足、無事そうだな」
「残念なような、ほっとしたようなぁ~…複雑な気持ちだわ~」
ふと、ホーネットが足元に転がる瓶を手に取った。
「なんだこれは。フショク…液?」
瓶を揺らしまじまじと中身を見るが、あまりピンとは来ていない様子であった。
「ふしょくえき…腐食液…あ!覚えがありますよぅ!絵画の修復で油絵の具を溶かすために使われていると聞いたことがあるの。ご主人様がお話しされていたからまちがいないわ~」
パスピエが今は亡きご主人様を思い出し懐かし気にうっとりと目を閉じる。通常の腐食液でも頑丈そうな建物の一部がこんなにも崩れるのだろうか。いや、普通ならここまで悲惨なことにはならないだろう。
「絵具…どころじゃなさそうな効き目だけどな」
2人の会話に聞き耳をたてていた左舷が、悪だくみを思いついた子供と同じ目線を右舷に向ける。と、向けられた方はぶんぶんと首を横に振った。兄に絶対にダメだと必死に訴えられてはしょうがない。左舷はわざとらしく肩を落とす。
左舷がやろうとした悪だくみはザックリ言うと『この研究室内にある強力な腐食液を穴からホーネットとパスピエに投げつけてやろう』であった。
一見うまく奇襲になり得るが、失敗すればマチルダに当たる可能性がある上に、銃火器相手では上にいたとしても返りうちの危険性もはらんでいる。
非人道的だとか、そういう話ではなく『左舷が怪我をする可能性がある』という点で右舷は首を縦に振ることはできなかった。
「とりあえず別の部屋行くか。ここからは逃げちまったみたいだしな。この階見終わったらどんどん下に行ってみるぞ」
「そうしよっか~」
2人の世界に突然割って入ったホーネットの声に双子が同時にびくりと肩を跳ねさせる。なかなかに危ない状況ではあったが、何とかこの場はしのげたらしい。2人して軽く下階を覗き込むと、ホーネットが瓶を軽く放り投げキャッチするのを繰り返しながら出入口へと向かっていた。
「ホーちゃん、危ないわよ~!」
足音が聞こえなくなってからもしばらく待ってから、自分が巻き込まれる作戦が展開されかけていたことを知らないマチルダがロッカーの陰から様子を伺いつつ出てくる。
「合流を急いだほうがよさそうですね。ホーネットさんとパスピエさんは北側の階段へ向かったようですのでわたくしたちは南側の階段を使いましょう」
「りょーか〜い」
「分かりました。合流は研究室の方が良いのかもしれませんが、できるだけ急ぎたいですね」
「じゃあ3階と2階の間の階段の踊り場あたりで合流しよう」
「そうしましょうか。合流後階段でそのまま階を変えましょう。廊下は障害物が少ないですし、その後の移動は研究室間を移動するかたちに致しましょう」
話がまとまると、マチルダは「ではご武運を」とフラグとも取れそうな言葉を残し小走りで研究室を後にした。
「マチルダ特攻でも行くみたいな発言してたね」
「特攻するなら止めはしないのですが、マチルダさんが死んでしまったら私達の扱いはどうなるのでしょうね」
無情な言葉を後に、双子も床に穴のあいた研究室を後にする。
先程の喧騒が嘘のように静まり返った研究室で、残された薬瓶や金属製の機器が月光で鈍く輝いた。
ꕤꕤꕤꕤ
「死者蘇生の研究......」
コピー用紙に印刷して乱雑にホッチキスで止めた資料や研究成果が多い中、動物の皮を鞣した装丁のいかにも『格好から入りました』なファイリングがされた資料が残された研究室に2人はいた。他の研究室と比較して片付いているが、オカルト趣味な魔法陣なんかもあり研究員の迷走も感じられる。悪魔を呼び出して願いをかなえてもらおうとでもしたのだろうか。
「まあ!ここってそんな研究までしていたのね〜。できるのなら素敵ね〜、素敵な方と死んでもずっと一緒に居られるのだもね〜...!」
パスピエが手を組みうっとりとそう話す。ホーネットはというと、食い入るように死者蘇生の文字を見てその文字列を指でなぞる。
「ホーちゃんはシドくんが大事なお友達だったものね〜、私もそういう1番のお友達が欲しいわ〜!ずっとずっとお互いが1番のお友達!」
「...ああ、そうだな」
パスピエの言葉に悪意は無い。そのことを知っているホーネットも噛み付く気はないらしく、生返事だけして表紙を開き、ページをめくる。
まずは理論の展開。そして動物実験から始まり、交通事故で亡くなった人間まで研究は進んでいる。脳波測定や筋肉の動きまで全て記録してあるあたり、案外真面目な研究だったのかもしれない。
ホーネットには詳しいことは分からなかったが、もしも本当に蘇らせられるとして、あの天使サマが許すことはないだろうと言うことには薄々気がついていた。そうでなければトーナメントの意味もなくなってしまう。
ガタン
閉じていたはずの建付けの悪いドアが音を鳴らして開いた。パスピエとホーネットが同時に音がした方へと目線を向けると入ってきた3人と目線がかち合う。
「あ...」
「あ、」
「あー...」
「あ!」
「あら」
真っ先に動き出したのは双子であった。刀の柄に手を当て姿勢を低くしてマチルダの左右を一直線に走り抜ける。パスピエに向かって同時に抜刀。首を狙って左右から切りかかった。
「きゃっ!ひ、酷い!」
パスピエは閉じたままの傘をバットのように振って刃を遠ざける。ドレスを着た優雅な見た目からは想像できない重い一撃に、右舷と左舷の手にピリピリと電気が走る。熱を帯びた手のひらに力を入れ直し一旦後ろへ。
「…パスピエ、力持ちだね」
「うーくん、さーくん…わたし悲しい。いきなり狙ってくるなんて…!」
「酷い?これはそういうものでしょう」
「こういうもの?こういうものですって…!?いえ、違うわ。わたしのお友達はそんなことしないの!」
パスピエのなかで何かがごうごうと燃え上がる。憧れ、羨望、絶望感全てが混ざりあった怒り。『裏切られた』という思い込みからくる感情がパスピエを突き動かす。
今度はパスピエの方から双子に近づき横に薙ぐ一撃。左舷はギリギリのところでなんとか運よく避けるが、軍服と銃口となっている傘の先がかすっていく摩擦に息をのんだ。
「がはっ…」
声がしたほうを向くと少量の胃液を吐き出す右舷。横腹に食らったようで息が乱れている。
「右げ…」
「私のことよりも対峙している彼女のほうを見なさい!」
右舷の声にハッとした左舷がパスピエに向き直る。普段の『兄』の右舷とはまた違う、軍人であった主を思い出すような覇気。
「(なんか…帰ってきたみたいな感覚!)」
使われていたあの頃のような緊張感と無敵感。
「(俺たち今、すごく、闘ってる!)」
「うーくんとさーくんの絆、とっても素敵で…わたし羨ましくて。でも、2人がかりで攻撃してくる屑だったのね」
「パスピエのその言葉、褒め言葉として受け取っとくよ」
3人は殺気に満ちた空気が場を支配しているのが直感的にわかった。
マチルダはその様子をちらりと見てパスピエと対面する双子に言葉をかける。
「パスピエさんはそのままお任せします」
そして、今まさにガトリングガンを構えたホーネットと向き合った。
「お久しぶりです。最近お見かけしませんでしたがご加減はいかがですか」
「……」
ホーネットは軽く目を閉じ深呼吸した後、ギラギラとした瞳にマチルダを映す。
「マチルダ…久しいな」
「…それはシドさんの真似でしょうか?」
マチルダの声がワントーン下がる。いつもの声色との差を感じ取ったホーネットは『作戦』を続ける。
「友であるのに戦うのはやめないか?」
「無駄です、あなたは心根から優しかったシドさんとは違う。重みが違います。わたくしには響きません。やめてください。あなたの 大切な人ではなかったのですか?なのに…死者を冒涜するその姿勢、とても不愉快です」
「(怒ると饒舌になるタイプか?わかりやすいやつだな)」
すでにある程度距離を詰められてるが、鎧に守られていない部分さえ撃ち抜くことができれば勝算はある。
「あァそうか。それならっ…」
ホーネットはマチルダを睨みつけるように見据える。ガトリングガンの銃口を標的に向けて笑った。
「火力で勝負しかねぇな!ハチの巣にしてやるから覚悟しろ!」
「いえ、そうはさせません…っ!」
マチルダは珍しく大きな声を出し、踏み込んだ勢いのままに右脚を思い切り上へと持ち上げた。蹴り挙げられたガトリングガンが、天井近くの壁からホーネットの真上までを軌道を描きながら撃ち抜く。
ヘルメットをかすっていった弾丸のせいでマチルダの耳にキーン…と脳に響く反響が届いた。天井の吸音材がぱらぱらと雨のように降り注ぐ。それに驚いたカメラ代わりの丸っこい天使たちが天井付近で右往左往している。
「足癖が悪ぃな!」
「武器よりこちらの方が早いですからっ」
「はっ、それはこっちも同じだ」
ホーネットはマチルダの鎧に守られていない腹のあたりにヒール部分で蹴りを入れる。ヘルメットで表情は見えないが、漏れ聞こえるマチルダの苦しげな声に笑みを深めた。
「げほっ…右舷さん、左舷さん、…あとはお願いいたします」
その言葉にパスピエがホーネットへ駆け寄る。閉じた傘を振り回すとホーネットにあたる可能性を考慮し、盾のように傘を開いた。
「ホーちゃんはわたしが護りきるんだから…!」
ぎゅ、っと目を閉じ衝撃に備える。
だが、いくら待っても斬撃は飛んでこなかった。傘をそっと外すと誰もいない研究室の景色が目の前に広がる。
「また逃げやがった…」
「…ごめんなさいねぇ。ルダちゃんの言葉は嘘だったと見抜けなかった」
「いや、いい。今度は偶然会う形じゃなく追い詰めてから始末を目指すぞ」
ホーネットの指令はさながら軍人のそれであった。頼りがいのあるペアにパスピエは嬉しそうに頷いた。
「ええ…!頑張りましょっ!」
「ああ。じゃあ作戦を話すぞ」
___
別の階へと移動した左舷は足を止めマチルダへと目線を向ける。それにつられ右舷もそちらを向いた。軽く息を整え、それぞれ深呼吸をひとつ。
「てかさ、マチルダが陽動作戦とか珍し〜」
「マチルダさんに呼ばれたので本当に攻撃しに行きそうでした」
「あはは!右舷しっかり走っていきそうな体勢だったかんね!そしたらマチルダが『今です、出ましょう』ってさ。やるね〜」
「いえ、元はと言えば右舷さんが作戦会議で話していた作戦を実行しただけですので…」
「ご謙遜を〜♪…いひゃいっ」
右舷の方をチラチラ見ながら上機嫌に話していた左舷の頬を、笑われている原因の彼がむにゅっとつまんだ。
「とにかく次は偶然出会う形は避け、計画を元にこちらから叩きにいきますよ」
「は、はい…その前に左舷さんを離してあげてください」
「ほぉだほぉだ!」
「戦闘中はこういう戯れも良くないですからね…」
左舷は開放された左頬を、実は別に痛くは無いが痛そうに軽く擦りながらいたずらっ子の笑みを浮かべる。
「俺さ、いい作戦思いついちゃったんだよね〜」
ꕤꕤꕤ
2階
月夜に照らされた廊下に一線。
たなびく髪がパスピエの視界にちらりと映った。
「ホーちゃん、今の...」
「ああ、右舷か左舷だ」
ホーネットは脳内で考えを巡らせる。双子は自分と同じで軍人の気質を兼ね備えている存在だからこそわかる。こんなに分かりやすく姿を現すということは、罠なのだろうと。
「行くぞ。部屋に入った瞬間にガトリングガンをぶっぱなしてやる」
だが、自ら袋のねずみになってくれるなら好都合でしかない。弾丸を一身に浴びたいと言うのなら、その願いを叶えてやろうではないか。入っていった部屋のドアに近づき、壁に背をピッタリとつける。ご丁寧に閉じられたドアの向こう側に確かにある人の気配。
「少なくとも2人以上はいるわね〜。死角や反撃はわたしが対処するから任せて」
「頼んだ」
こくりと頷いたパスピエを確認し、ホーネットはガトリングガンを、あとは引き金を引くだけの状態へ。機体の重量を確認するように支える手に力を込める。
「開けてくれパスピエ」
パスピエが勢いよくドアを開き、ホーネットがガトリングガンを構えた状態で突入する。暗闇の中部屋の隅に白い軍服が浮かんでいる。立っていたのは笑みを見せて余裕の表情の左舷だ。
「わかりやすい的だな!」
自身を狙う銃口を睨みつけるように笑いながら左舷は口を開いた。
「じゃあさ、頭と心臓が100点?ホーネットは何点とれるかな」
「満点に決まってるだろ」
ガトリングガンから射出された弾丸がなぜか右舷に当たらず跳ね返る。暗闇の中で一定の距離のところで音を鳴らす様は奇術ショーでも見ているかのようだ。
「『特殊な防弾ガラス』ってやつらしいよ。実験で作ったのか知らないけど別の部屋に置いてあったんだよね。ご丁寧にスタンド付きでさ」
「ホーちゃんっっ!」
パスピエが傘を開き跳弾を防ぐ。ホーネットは舌打ちを一つして銃口の先に瓶を投げた。
超強力腐食液
拾って持ち歩いていた、床さえも破壊してみせたそれを銃弾に浴びせる。銃弾も多少は脆くなるかもしれないが、防弾ガラスを壊せればそれでいい。
パキ…
勝ち誇った笑みの左舷を裏切るように跳ね返る音に混じってひびが入る音。その音を皮切りにひびが広がり穴が開いたような形でガラスの一部分が次々と破壊されていく。
だが、通常のガラスのように崩れるわけではなく破壊された部分以外は未だ跳弾を続けている。パスピエはホーネットを傘で護り続けるが、傘の性質上視界がほとんど塞がってしまう。
「この調子で100点とれるかなぁ~?」
腕や顔を弾が掠っていく中、左舷は煽るような笑みをやめない。
「壊れるまで撃てばいい!…と言わせたいんだろうけどなぁ、こんな場面で弾数無限は使わねえ」
「へえ、残念」
ガチャンッ
ガトリングガンの銃弾を撃ち尽くす。最後の空の薬莢も飛び出した。ここからはリロードまでの時間稼ぎが必要となる。
「本当に残念です。貴女にはここからは破滅しかないらしいですね」
待ってましたとばかりに物陰から右舷が飛び出してくる。
「またそうやってうーくんはこういう時を狙ってくるのねっ...」
防御に使える武器でよかった。そう思った瞬間に聞こえてくる左舷の声。
「マチルダ!“今だ”!」
「あなたに、神の御加護があらんことを...」
迫ってくる質量爆弾。
上を見たことで気がつく。この部屋は最初に訪れた大きな音がした部屋であることに。
「(直に攻撃を受けたらホーちゃんが骨折しちゃうじゃない)」
前から来る右舷か、上からくるマチルダか。どちらかしか防げない。究極の選択を迫られて、ホーネットはある程度の近接はできると話していたことを思い出す。
と、なると…
「ホーちゃんはうーくんの相手お願い!ルダちゃんはわたしが防ぐわ」
「ああ...!」
パスピエは傘を上向きにしてマチルダの攻撃の衝撃を少しでも和らげることを選んだ。
1秒もしないうちに衝撃が襲う。ミシミシと鳴る傘の枠と腕にかかる相当の重量。しかし、耐えられない程のものではなかった。
足に力を入れて倒れないように体制を直す。
「ルダちゃん...どいて」
傘を後ろへ倒せば上に乗ったマチルダも体勢を崩しそのまま後ろ向きへ倒れた。頭をぶつける前に地面に手を付き、後ろ回りの容量でくるんと一回転する形で足を地面につける。パスピエもマチルダに合わせて、ホーネットに背中を向ける形に体の向きを変えた。
「左舷さんに仕込まれましたが…無駄になりませんでした」
マチルダは立ち上がり武器を1度振る。
「ものは少し違いますが...鈍器対決でしょうか?」
「そうね…ルダちゃんはわたしが徹底的に潰すわ。お友達だと思っていたのに裏切るなんて粛清が必要みたいだから。せいぜい苦しみながら消えて」
ꕤꕤ
ホーネットはガトリングガンを持つ手を後ろへ引き、間合いに飛び込んできた右舷が斬りかかって来る前にその顔面を蹴りあげる。綺麗な顔に敗北を刻んでやれば、きっとこの気分も幾分かマシになる。
だが、蹴り上げられた右舷の反応は良い意味で予想外であった。
普段は見せない秘められた瞳に月の光を反射させながら、野生動物のように獲物から視線を外さずこちらを見ている。
痛みも衝撃もまるで気にしていない様子で。
重心が後ろへ動きさすがにふらつくが、それでも視線は外さない。右舷は口内が切れたのか少量の血を吐き出して、白い手袋の手のひら側で雑に拭う。いつもの彼からは想像できない姿に、ホーネットは思わず小さく笑い声をこぼした。
笑みとも賞賛とも悲しみとも苦しみともとれない複雑な表情で、全力で闘いに身を投じている彼を見る。
「(なにかが隠れてるとは思ってたけどよ...)」
だが、そんなことを全く気にしていない右舷はホーネットの表情など気にもとめていない様子だ。少しでも滑るのを防止したいのだろうか、血を拭った手袋の留め具を外し、中指部分を咥えて外すとそのまま適当に捨てた。
「......シドさんに会いたくないのですか?」
「なんで今シドの話が出てくんだよ」
「随分傷心なさっていましたので。ここで死ねば会えるかもしれませんよ」
「ハッ、冗談。オマエこそ随分悲しそうな顔してたじゃねえか」
「おや、あの取り乱した状態でも周りを観察できるものなんですね」
2人が再び睨み合う。
ホーネットはもう一度ガトリングガンを構える。リロード完了にはもう少し時間がかかる…が、リロードの必要が無い闘い方がまだ残っていた。
先程から姿を隠した左舷が気になるが、おおよその隠れ場所は想像がついている。弾数無限の時間内に隠れ場所になりそうな所を撃ってやればいい。
それに、闘って気がついた。こいつらは1人ではまともに致命傷を与えてこない。いや、与えられない。
だからこそ、片割れを潰せば無力同然!
右舷を何とかすればあとはパスピエ1人でも充分やれる相手だ。彼女の戦いぶりからその点は信頼できた。
だからこそここで出し切る!
「全カー斉攻撃指令!」
『全カー斉攻撃指令!』は自身に反動の大ダメージと行動不能を付与する代わりに一瞬弾数無限の殲滅体勢に入ることが出来る技。
傷付いてでも護り、手に入れたいものが捨て身の選択をさせる。
いや、今の彼女にとっては捨て身ではないのかもしれない。『コイツには任せられる』と思えるペアに勝敗を託しているのだから。
本当に捨て身なら、もっと早く撃ち込んでいた。
右舷に降り注ぐ弾丸の雨。素早く姿勢を低くして横に避けようとするが間に合わない。ホーネットも動きを合わせて銃口を右舷にしっかり向けている。
「右舷!」
『跳弾で混乱させたあとは左舷は隙を見て右舷と合流し闘う形にしよう』という作戦通りに隠れていた左舷が思わず右舷を庇いに飛び出でる。抱き寄せるために出した左舷の右手に銃弾はズタズタに引き裂かんばかりに穴を開け、庇いきれなかった右舷の右手の上腕の肉を抉っていく。
「よし!!腕を潰してやった!」
歓喜の声を上げるホーネットにはこころなしか無邪気な雰囲気が少し戻ってきていた。
「あはははっ…」
殲滅状態が終わると同時に、ガトリングガンの重みに引きずられるようにホーネットが崩れ落ちる。浅い呼吸を繰り返し、息を整える余裕すら無い様子だ。
「左舷…左舷、私を庇うなんて作戦になかったでしょう」
「もう銃弾掠ってるから今更おんなじだって……っ!」
左舷は右腕の痛みに眉間にしわを寄せた。先ほどからかなり食らっている。そろそろ蓄積されたダメージが動きに影響を及ぼすだろう。
「右舷こそ利き腕…。ごめん、庇いきれると思ってたんだけど」
「持つことくらいなら何とかできますし、左手でカバーさえできれば闘えます。それよりも左舷の怪我です」
「お忙しいところ申し訳ございません、わたくしも助けていただきたいのですが…」
2人の世界に割って入るようにマチルダが声をかける。合成樹脂が張られた床を足底で削りながら勢いよく下がってきたのを見るに、パスピエの重たい一撃を受けて、地を踏みしめたままの体勢で後ろへ押されたのだろう。
「ホーちゃん…!?倒れて…」
周りを見る余裕ができたパスピエがホーネットに気が付き顔を青ざめさせる。上下する胸元で息をしていることがわかり一安心するものの、この状況ではいつとどめを刺されてもおかしくない。
「(いつでもとどめを刺せるぞってわたしを脅すつもりなのね…きっとそうだわ。そうに違いないわ)」
思い込みはさらに加速し、パスピエは憤りを爆発させる。
絆を利用して破滅させるつもりに決まっている。そんなことさせない!絶対に!
「そういうやり方でわたしとホーちゃんを引き裂くのね…酷い!許さない!消えて、死んで、償って!……裏切者には粛清を。meurs o tu dois」
『meurs o tu dois』
然るべき時に死ね。まさに今を表す必殺技。
決まった順序で持ち手を捻れば傘の先から銃弾が射出される。故に、連射を前提にされておらずペアのホーネットとは真逆の技である。
そして、その技の真価は弾丸の神経毒にある。その神経毒は特別製。直ぐには効かず、じわじわと苦しみを感じさせるのである。パスピエは、毒が効いてきて悶え苦しむ姿を見るのが存外好きであった。
「…!」
マチルダが自身の鉄製の脚に当てようと前に出て脚を上げるが、普段から銃に触れていないものが弾道を読み切ることは不可能に近い。位置がずれ、右の太腿の肉に食い込む。ヘルメットの下でマチルダの額からあせがふきだす。
痛みからなのか、焦りからなのかはわからない。
足を地面についた瞬間その衝撃で傷の鋭い痛みと、患部を中心に広がる熱をいやというほど自覚させられる。
弾丸を受けたまま静止したマチルダに、パスピエは険しい表情を少しばかり崩す。
「静謐一閃」
「不知火一穿」
そこでできた隙を、彼らは見逃さなかった。
『静謐一閃』
懐に入り居合を行う斬撃攻撃。
『不知火一穿』
懐に入り刺突を行う貫通攻撃。
静かに忍び寄る斬撃と蜃気楼のように惑わせる刺突はどちらか片方ならいざ知らず、同時に受けるとなると脅威である。避けようにも両側から迫られてはどうしようもない。後ろに退こうにもすでに懐に入られていては格好の的だ。攻撃の位置さえ間違わなければ大きなダメージを狙える。
マチルダの左右から飛び出し、パスピエの腹への刺突と喉への斬撃。
「ぁ゛…」
咄嗟に喉を押さえるがその程度で血は止まらない。喉からは心臓の動きに合わせて間欠泉のように血が噴き出し、口からも鼻からも逆流してきた血が垂れ、どんどんドレスを赤黒く汚していった。
左舷が勢いよく刃を抜くと、小さな穴が開いた腹からもじわじわと血の汚れが広がる。
脳内に浮かぶのは愛を求めた愛しきご主人様。想い人に裏切られたかわいそうなあなた。
パスピエは愛を求めた生き方と粛清に関して否定する気は全くなかった。
むしろ、賛同している。【裏切り者には死を】これは当たり前の考えだ。粛清後には、恋をしていたころのように雨の中でも踊るようなステップでわたしと一緒に帰ったあなた。とても素敵な思い出。
だから、この体を手に入れたときにあなたのように生きることにしたの。
でも…うまくいかなかったみたい。
体が動くままに数歩下がったあと足がもつれて背中から倒れる。地面に血が広がり、月明かりで軽く縁取られて光る。
左舷も膝をつき、左手で右腕を押さえる。額から脂汗が流れ鼻筋を伝って床へ落ちた。右舷はというと、辛うじて立ってはいるが腕の痛みは限界に近かった。先ほどの居合でなんとかつながっていた筋肉が引きちぎれるような痛みを感じており、利き手で武器を持つことさえ危うい。
その様子を見ていたマチルダがふらつきながら立ち上がり、右足を引きずってホーネットへ近づく。
「わたくししか…動けないらしいです。このような…方法で…申し訳、ございません」
息も絶え絶えに左足をホーネットの左胸に乗せる。
「せめて…早く逝けるよう、尽力…いたします。あなたのために祈らせてください。あなたの旅路に…、神のご加護があらんことを…」
『May God bless you』脚のメイス部分の重量を増大させるだけのシンプルな技。だが、踏みつけられているだけでなく、行動不能状態のせいでろくに抵抗もできないホーネットには十二分に効く。
祈りの言葉とともに重量を増す左足。ホーネットは肺の中に残っていた空気を吐き出す。
「オ、マエっ、その技…」
目を見開き、バイザーの隙間で光るマチルダのオレンジの瞳に目線を向ける。
「あの時は祈りの言葉を…口にしただけ。です」
ごぽり、マチルダの口から溢れた血が輪郭を伝ってヘルメットの下から流れ出る。自身の服とホーネットの服を染めていく。
ミシミシミシ
骨がきしむ音がホーネットの体内で響く。
パキ…
続いて重みに耐えられずひびが入っていく音。ホーネットの中で先ほど破壊した防弾ガラスの末路が思い浮かぶ。この体もああやって壊れていくのか。
息を吸えず、頭に酸素が回らない。ぼーっとしてきた思考の中、今日までの生活が走馬灯のように浮かんでは消える。
あいぼーが居ない場所で寂しかったけど、あいぼーと同じくらい大好きな人や、武器のままならできなかった友達ができた。
それに、死ぬのだって1人じゃない。パスピエがいる。だから...だから、寂しくない。
寂しくないんだ。
そう自分に言い聞かせるように反芻する。
ぐちゃ
内臓が破裂する音、肉が潰れる音、ゆかが凹む音。全てが混ざりあった音がマチルダの足元で鳴る。
ホーネットが笑みとも苦しみとも取れる表情で笑ったかと思うと、蜂蜜色の瞳は光を失った。一筋の涙が流れたあとは、力の抜けた口角が下がるのみだった。
『試合終了!』
食い気味に流れた館内放送に3人は軽く肩を跳ねさせた。
「終わり…ましたね…」
麻痺が広がったのか立っていられなくなったマチルダが頭から倒れそうになったのを、右舷と左舷がギリギリのところで支える。
「いっっっっった〜〜〜!!!!!思わず走ったけど腕痛い!死ぬやつだよこれ!」
「左舷…死ぬなんて言わないでください」
右舷はメンタル的にも相当くらった様子で、いつもなら軽くあしらうような左舷の言葉に眉を下げる。
「...ぉえ゙っ」
それに挟まれたマチルダが咳と同時にまた血を吐き、口元の穴から血が流れる。
「ダメだマチルダの方が先に死ぬ!!」
「殺さないで…ください……ぅ…意識が…」
『今からすぐに治しに行きますので少々お待ちください〜...!イズさまお願いします...!』
『はいはい...』
珍しく焦った様子のルミエルの声が放送され、3人の目の前に初日にイズがくぐった光の輪と同じものが出現した。数秒もしないうちに中からルミエルが飛び出してくる。
「安心してください。全身全霊全力で絶対に3人とも完治させますからね」
満身創痍の3人の手を取ろうとするルミエルに、光の輪からの後光が重なり、揃って「これが天使…」と思ったとか思わなかったとか
ꕤ
「ま、まちるだどのぉ~~!!??ここを通してくりゃんせ~!」
必死にスクリーンにしがみつくカクマルにユエが冷たい目線を向ける。
「そこは映像が映ってるだけで空間の入り口じゃないから…」
「......」
その喧騒を気にもとめず、絵画のように涙をぽろぽろとこぼすキアラは涙を拭うと立ち上がり、シアタールームから出ようと階段を登り始める。
「おい、負けイヌたちにまた花持ってくの?」
声をかけたのは前回共に戦ったパージだ。キアラはビクリと肩を跳ねさせるが、特に言葉を返すことなく足早に去ってしまった。
「つまんないの〜」
パージは前の座席に足を乗せてご機嫌ななめの様子でスクリーンを睨んだ。
「右くん手、ぼろぼろだったね…」
「右舷も確かにボロボロだったけど、ユエが思い浮かべてるのは左舷の方じゃないかなぁ」
次回の戦闘を控えたユエとオブリヴィオンはスクリーンを見上げながら感想をぽつぽつと話している。
「……本当だ。赤いから左舷の方」
「3人とも心配だし、ホーネットとパスピエが居なくなったのが悲しいね。ホーネットには何となく縁を感じていたし、パスピエとは仲良くしたかったから…」
「女王ちゃんはまだいいと思うけど、あの子は…」パスピエの豹変ぶりを思い出したユエが少し顔を歪める。「仲良くしなくて正解だと思うけど」
「皆、パスピエ君とホーネット君の素晴らしい闘いぶりには触れないんだね」
2人の背中から声をかけたのはオスカーだ。2人がこちらを見れば、軽くお辞儀をする。
「あなた...いきなり来たね」
「次回はついに私達だろう?せっかくだし挨拶もしておこうかと思ってね」
「宣戦布告ということかな?お互い頑張ろうね。僕らの方も負ける気はないからね」
にっこりと笑顔を返すオブリヴィオンに対し、オスカーは喉を鳴らすように笑う。
「随分と殺気の漏れた笑顔だ。次回が楽しみだよ。私だけでなく、きっと、カクマルくんもね」
「この後ろ側とか…向こう側に続いていたり…!!マチルダ殿〜!返事を〜!」
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【Anonymous Embryo】
第2話:相聞歌のカルテット
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【執筆】
なえを。
【スチル協力】
りゆ(左舷)
スカポン(マチルダ)
鮫々(右舷)
稲穂(ホーネット)
あざく(パスピエ)
2024,07,06