ep1. 海底のレクイエム
ep1. 海底のレクイエム
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【After Story】
ep1. 海底のレクイエム
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どこまでも深い海に沈んでいた。
身体が落ちれば落ちるほど、日の光が届かなくなっていく。地上の喧騒が遠くなっていく。
暗く、静かで、どこか物寂しい。
しかし、そこには確かに安寧があった。
__きっと彼は、この仄暗い闇に包まれて、今も静かに眠っているのだろう。僥倖だ。ここが彼にとって心を苛まれる場ではないことが分かったのだから。
ぼんやりと思考を漂わせつつ、暫し境界の曖昧な世界に浸っていたさなか、不意に上から光が射した。
「……………ま、……シ…さま」
冷ややかな身体にじわりと温度が戻り、急激に意識が浮上する。寄せては返す、波の感覚が伝わってくる。
「……シドさま…!」
ぱちり。目が開く。
広がった視界には、私が目を覚ましたのを見て、安堵したように微笑む天使がいた。波の感覚だと思っていたものは、ルミエルに揺すられていた感覚だったようだ。
見上げた奥には晴れやかな空が広がり、どこからか桃色の花びらがはらはらと舞い降りている。体を起こすと、そこは海ではなく、淡い色合いの花が咲き乱れる花畑であることが分かった。
近くには丸いガーデンテーブルが置かれ、微かにではあるが、甘い香りが漂ってくる。茶会の用意がされているようだ。
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「いやはや、まさか死んだ後にも甘味が味わえるとは……」
茶会のテーブル。焼き菓子を中心に、各国のお菓子が所狭しと並べられている。中には、カクマルや左舷が教えてくれた“和菓子”もあった。
目が惹かれるままに手にとっては口に運ぶ。やはり人間の体は良い。武器の体と比べれば脆くはあるが、ものを食べたり、誰かと話したり、沢山の楽しみがあるのだから。
もぐもぐ。美味しい。
もぐもぐ。もぐもぐ。これも美味しい。
折角用意されたものだからと、色々と手をつけていたら、向かいに座るルミエルにくすりと笑われてしまった。
「もう、鎧がきつくなっても知りませんよ」
「今更だろう。私は敗北してしまったのだから」
「…………。」
「おや、そんな顔をさせたいわけではないんだ。すまないね」
まさに天国と形容できそうな不思議な空間に、天使の少女と2人ぼっち。そういうことだろうと思って口に出したが、ルミエルの反応を見る限り、予想は当たっているようだ。
そうか……。鬼丸には悪いことをしたな。
私が先に倒れてしまって、彼女は1人で2人を相手取ることになった筈だ。私の分まで、なんて背負わせてしまっていたら、申し訳ない。
あとは、対戦相手だった2人も。戦いの傷は大丈夫だろうか。脱落してしまった今となっては、様子を見ることも叶わない。気にかけてもどうしようもないことではあるが。
「……さて、これから私はどうなるんだ?新人類になれないモノに用はないものと思っていたが」
こうして再び目覚めさせられたからには、何か用があるのだろう。問いかけると、しゅん……としていた天使が慌てたように顔を上げた。
「そ、そうでした。説明が遅くなり申し訳ありませんっ。ええと……これから、シド様には2つの選択肢があります」
“ふたつ”と、手でぶいの形を作りながら、ルミエルが説明をはじめる。聞くところによると、それぞれの選択肢はこうだ。
ひとつめ。天使になる。
イズやルミエルのような天使になり、天使としてこれからの未来を生きる。私にも真っ白な翼が生えることになるのだろうか。
ふたつめ。永遠の眠りにつく。
人の“死”とお揃いだ。肉体は眠りにつき、魂は、その魂がひかれる場所へと送り届けられるらしい。
「魂がひかれる場所……。それは、私の場合は海のようなところになるだろうか?ここで起こされる前、私の意識は海の深くへと沈んでいっていたんだ」
「海、ですか……。そう感じていたのなら、その可能性は高いかもしれませんね」
「そうか。……それなら、私は眠りにつくわけにはいかないな」
きょとん、とルミエルが瞳を瞬かせる。どちらの選択を選んでもきっと悪いようにはしません、と続ける彼女に、私はゆるくかぶりをふった。
「海の底には、私のかつての相棒がいるんだ。あのまま沈んで、底に落ちてしまったら、彼と再会してしまうかもしれない」
私にとっては悪いようにはならなくても、それは、相棒にとって悪いことだ。
「相棒というのは、シド様が武器だった頃のですか?」
「あぁ。無口で無愛想だが、心優しい人間だった。そうだな、良ければちょっとした思い出話を聞いてくれるか?」
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私の持ち主は殺し屋の男だった。
男は私を使って沢山の人を殺した。彼の手に握られて人の命を刈り取ること、彼の役にたてることは、私の武器としての誇りであった。
戦いの日々の中で、何人もの血を浴びた。それが当たり前の日々であったし、嫌な感じはしなかった。加えて、男は私が血で汚れるたびに私を綺麗に手入れしてくれるのだ。
私は、戦いに挑む男の覚悟が感じられる横顔も、2人きりの部屋で労わるように私に触れる優しい手も、とても好ましく思っていた。
毎日が充実していたと思う。
それなのに。
ある日、男は何の前触れもなく消息を絶った。
一介の武器であった私は、消えてしまった男を迎えに行くこともできず、ただいい子にして待っていた。しかし、彼が戻ってくることはなかった。何週間かして、風の噂で男が最期に目撃された場所は海だと聞いた。
どうしてあの幸せな日々を手放してしまったのか。解らない。解らなかった。
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「今なら解るよ。彼が何に心を痛めていたのか。私自身も命の奪い合いをして、痛いほどに解った」
__否、本当は最初からわかっていた。
私と彼とを繋ぐものを、否定したくなかっただけで。
「だから、私は彼と会うわけにはいかないんだ。心優しい彼の傍には、私のような人を傷つけるしか脳のない武器は似合わないだろう?」
私は彼といれて幸せだった。
しかし、私の存在は彼を不幸にした。
もしも彼に来世というものがあるのなら、今度は自分のような武器とは巡り会わずに、穏やかで幸せな一生を過ごせますように。私は彼と共に在ってはいけないのだ。
「……それに、私は私で、この体で素晴らしい時間を過ごしてしまったからな」
アッサムのキャンブリックティーです、と紹介された紅茶を一口飲む。コクのある紅茶の中に、蜂蜜の風味が感じられて、蜂蜜色の瞳をもつ彼女の顔が浮かんだ。
一緒に昼寝をして、自分が先に起きたときは、そっと彼女の髪でも撫でながらあどけない彼女を見守る。そんな何でもない時間を心地よく思っていた。
他にも、色々な人と一緒にお菓子を食べたり、言葉を交わしたり。人間にとっては当たり前のことなのかもしれないが、武器であった私にとってはひとつひとつが特別なものだった。
もっと色々な話がしたい。
もっと色々なものを食べてみたい。
一度知ってしまった、武器ではみられなかった世界を、もっともっと見てみたい。
「昔話に付き合ってくれたこと、感謝する。そして、決めた。私を貴殿らの仲間に入れてほしい」
「それは、天使としての未来を歩むということで間違いないですか?」
「あぁ、私は天使になる」
武器としての思い出は大事に秘めて、今度は人を傷つける武器ではなく、人を助けられる天使として。新たな未来に舵をきろう。
「歓迎します、シド。次は天使のあなたとして会いましょう。迎え入れる準備が整うまで、少し待っていてくださいね」
返答を聞いたルミエルがふわりと微笑む。
彼女の優しい声をさいごに、私の意識は再び穏やかに溶けていった。
____fin
【執筆】
音戯。
【スチル】
音戯。
2024,06,23