3.仮説立案
2年1学期
2年1学期
さて、探究課題が見えてきたら、いよいよその解決策=「仮説」を考えるときじゃ。
「仮説」と聞くとなんだか急に学術論文っぽい雰囲気に聞こえて尻込みしてしまうが、要は「解決策」のことじゃ。「解決すべき問題点」として「探究課題」を見つけ出したのだから、それに対する「解決策」も示すのが当然じゃろ。
解決策としての「仮説」なのじゃから、当然誰かが既にやっていることの繰り返しでは面白くない。「やってみないと分からない」ことを考え出し、このあとに控える「仮説の検証(実際にやってみた)」に進んでいくのじゃ。
この辺は探究学習にかける学校の熱量にもよる。共通理解を図った上で、子どもたちに次のどこまでのレベルを求めるか決めてもよいな。
<「仮説」のレベル>
松:誰もやったこともないような解決策を考え、同じことを他の人もやっていないか調べた上で(先行研究の調査)、自分たちの仮説として設定する。
竹:誰もやったことがないような解決策を考え、自分たちの仮説として設定する。
梅:誰かがやっている解決策を持ってきて、それを「本当に自分たちがやってもうまくいくか」検証するための仮説として設定する。
仮説の立案(設定)については、本来は「松」のレベルでやるべきじゃ。探究学習は「学術研究の前段階」という意味合いもある。研究の世界で他の人と同じ仮説(アイデア)を「自分のもの」として発表するのが御法度だということは分かるよな?特に大学進学をメインに考える学校なら、先行研究との「かぶり」がないかどうか調査するのは当然じゃ。
ただし、目指す進路や取れる時間数、そして教員の共通理解(熱量)によって、下のレベルに下げることも必要になってくる場合が多いと思う。その辺は実情に応じて臨機応変に対応しよう。
前回のプランでは1年生の最後に探究課題を決め、発表をした。まだ自分たちの課題を発見するのに「問い(リサーチクエスチョン)」を立て、情報収集して分析し、まとめ・表現・発表する、という流れには慣れていない段階なので、多くの場合において1年生最後の段階の探究課題はまだまだ詰めが甘く、稚拙じゃ。多くの場合、話が漠然としていて、壮大すぎる。
そして、春休みをはさむことで、何をやっていたか半分ほど忘れてしまう子も多いじゃろう。
まず、最初に、1年最後の発表やポスター展覧会をやったときに得た自分たちの評価を見せよう。ポスターの色使いがきれい、とか、字がきれい、とか、そういうのはまぁいいとして、課題の内容がちゃんと理解できるように話せたかどうか、チェックする。意見や質問があれば、それもリストアップさせる。それで、自分たちの設定した課題が本当にそれでいいか見直させる。これが2年生最初の授業。
そして、初期段階ではおそらく興味関心の共有をし、新しいコミュニティで遠慮しながら発言しあっていると思うので、踏み込んだデータが出てこないことが多い。ネットで調べていることも多いじゃろうし、同じ探究課題・同じデータが複数のグループから出ているのではないかと思う。
そこで、ここで今一度「自分たちが取り組もうとしている課題の中で、何が問題点で、どの程度それは深刻なのか?」というリサーチクエスチョンを立て、リサーチする。
学校の図書館でもいいし、やる気があれば自治体の図書館も借りて、自分の探究課題に関するテーマの「本」を1人1冊ずつ読ませる。ネットのレベルではなく、「書籍のレベルで」課題について深く読み、深く理解するのじゃ。そして、その本のタイトル・著者名・発行年など、参考文献としての情報を共有し、本の内容もグループのメンバーに説明することで共有する。文献メモ用紙を作ってみたので参考にしてほしい。
「本」を読むことは非常に重要じゃ。ネットの情報は速くていいが、発信に当たって原則誰のチェックを受ける必要もないし、いくらでも著者によって改変できるし、削除もできる。参考文献としての信頼性がない(このサイトも同じじゃよ)。それに対し、「本」は一度以上内容のチェックや校正を受けているし、出版した事実も動かぬ証拠として確実であるから、「○○さんが××年にこういうことを書いていた」とレポートで引用することができる。「参考文献」としてリストに加えることができるわけじゃな。最近はウェブサイトも参考文献リストに載せるが、「何月何日時点での情報か」を載せなければならない。そして、その文献はある日削除されていても不思議ではない。そうなったらもはやレポートの引用元としては正しくないことになってしまう。だからウェブより本を引用すべきなのじゃな。
本の内容を理解したところで、もう一度自分たちの探究課題を集めたデータも加えながら見直し、「何が問題点で、どの程度深刻なのか」をまとめる。ここまでが2年生の最初にやるべきことじゃ。
ちなみに、他のグループと課題がかぶることについては、この時点でも問題はない。「仮説」「検証」が違うものに発展すればそれでよい。
仮説の段階なのにまだ課題設定やらせるんかい、という声が聞こえてきそうじゃが、ここからが本番じゃ。課題設定というのはそれほどに大切なのじゃ。
課題についてより深く考えたところで、「論点」が少しずつ明確化されているはずじゃ。次のリサーチクエスチョンは、「課題の中で見えてきた問題点の中で、自分たちの論点は何か?」という問いじゃ。
たとえば、「青森県の短命を解決しよう!」という探究課題を設定したとする。何も考えずに解決策を考えさせると、9割の子どもは「塩分量を減らすレシピを考えます!」と言う。しかし、この発想は全く深いリサーチに基づいていないのは明白じゃ。
「塩分」を控えることで短命を克服できるなら、なぜ長寿県である長野県民(かつては1位じゃった)は青森県民より塩分摂取量が多いんじゃ?
「塩分」が原因で早死にする人が全体の何パーセントいるのかが分かっていないから、ただのイメージで「塩分を控えると血圧が下がって長生きする」と言ってしまうのじゃな。大体「高血圧=早死に」とも限らない。わしのじいちゃんは高血圧だが90歳以上生きたぞ。
さらに、「レシピを考える」「それを作ってみる」ことが「県民が塩分を控える」ことにつながるわけがない。その程度のことで塩分控えてたらとっくの昔に控えてるわ。
CureAppの記事でも書いたが、大事なのは医療や栄養の面で具体的に健康志向の方策を打つことなのではなく、「何を言っても乗ってこない人をどうするか」という「意識改革」の方じゃよ。それなら、たとえばクラスの人を対象に社会実験して検証することもできるじゃろ?
さらに、短命県青森の死因をちゃんと事細かに見ていけば、「高血圧」よりはるかに「ガン(悪性新生物)」の方が高く、「自殺」「事故」というのも上位に入っている。ここまで見れば、何も医療の見地からじゃなくたって「自殺を防ぐ」「交通事故を防ぐ」ということを自分たちで考えることだってできると思わんか。
さらにさらに言えば、1位との平均寿命の差は2~3歳程度。「青森県であと3年長生きしたいか」と言われて、みんなイエスと言うかな?と考えれば、「住みよい環境作り」だって短命県返上の方策に入ってくる。
このように、「短命県返上」を課題にしただけでも、「論点」はいくらでも作ることができる。そのたくさん出てきた論点の中で、「じゃぁ私たちはこの問題を解決してみよう」と「自分たちの論点」を見つけることじゃ。見つかるまで徹底的に話合うことじゃ。無駄話をしていてなかなか進捗していないように写るかもしれないが、「論点の発見」というゴールさえちゃんと据えてやれば子どもたちはそこに向かう。向かっていないのが明確な場合は「あとで発表で恥をかくのは君たちだから」とでも言ってやればよい。
ここからは割と話は早い。論点さえちゃんと決まれば、次は「解決策」つまり「仮説」を考えるのは楽じゃ。ここでのリサーチクエスチョンは「問題解決に向けたいいアイデアは何?」課題の絞り込んだ論点から論理的に解決策を導き出すのじゃ。
たとえば「短命県返上」というお題で、「事故を減らす」という論点に目を付ければ、たとえばさらに「歩きスマホの防止」なんていう論点に絞り込むことができる。そうすれば、「歩きスマホを防止する策」を考えればそれで終わりじゃ。
その時のチェック項目は、「探究課題の設定2-4」に示したとおり。「探究課題のチェック項目」をもう一度ここに載せておこう。
解決すべき課題であること。その課題(問題)で困っている人がいること。困り度合いをデータ(数値)で示せること。
自分たちが1年程度で解決に取り組める課題であること。話が壮大すぎないこと。「国」「自治体」「政治」レベルの課題はダメ。
既に解決策が確立している課題でないこと。解決に向かっている課題は、この先単なる解決策のコピペにしかならない。
解決策にお金がかかりすぎない課題であること。
条件1は確認程度でいいが、大事なのは2~4じゃ。自分たちにでもできる、まだ誰もやっていない、お金のかからない解決策を考えることが大事じゃ。特に、自分たちで試して検証できるようなこと(検証可能であること)を考えるのが大事じゃ。もちろん、どうしてそのような方策を考えたのか、「根拠」を示すことも忘れずに。
そして、3-1で述べたように、「まだ誰もやっていないこと」を考えるのがベストじゃ。軽くネットで調べるのでもかまわないから、先行研究との「かぶり」がないかを調べさせることをお薦めする。
ちなみに先行研究との「かぶり」がある場合、一度ちゃんとその先行研究について読ませてみるといい。自分たちの課題に対する知識も深まるし、必ず新たな知見が得られるからな。
仮説は、真面目に考えれば考えるほど、「誰かの真似」になることが多い。わしは探究学習についてはとにかく「まじめにふまじめ」で考えるように言っている。少々突拍子もないことの方が、誰かが既にやっている可能性も低くなるし、検証も発表も、やってる方も聴く方も絶対楽しめる。不真面目なアイデアを真面目に突き詰めていくのが探究学習の面白さだと思っている。「CO2を削減するためにちょっとみんなで息を止めてみてはどうだろう」みたいなことを真面目に突き詰めるわけじゃな。
ネタ研究に贈られる「イグ・ノーベル賞」は、「日本人枠」があるのではないかと言われるくらい、日本人が毎回受賞している。日本人は世界的に見てもそういうセンスがあるのじゃ。わしの野望は、「総合的な探究の時間発のイグ・ノーベル賞」が出ること。子どもたちの若い柔らかアタマで面白い仮説を考えて欲しいものじゃ。
もう一つ、「仮説」を立てたら、仮説を実際にやったときの「予測」を立てること。ふまじめに考えた仮説であっても、大真面目にやったらどんな結果が出るか、現時点での予測は必ず立てるべきじゃ。検証したときに予測通りの結果になるかどうか、のちほどの発表のストーリーにもつながってくるのでな。探究学習の一つのポイントは、机上の空論ではなくて「自分たちの手で真実の姿を見きわめる」、文字通りの探究を行うことにある。常に現実のイメージを描きながら話を進めるようにすることがコツじゃ。
仮説のアイデアが出たら、「課題~仮説」をまた1枚のポスターにまとめて発表する。発表材料の用意は2~3時間程度。前回の発表から3~4ヶ月しか空いていないので、全クラスでの共有、全体発表まではしなくていいのではないかな。クラスに向けて、「私たちは課題の解決のために○○します!」という宣言をするのじゃ。
1年生最後の課題設定の時より課題についての理解も深まっているはずじゃ。深めていった結果「路線変更した」っていうこともクラスに共有してもいいよな。課題の深い分析・理解あっての「論点の絞り込み」、そこから導き出される「仮説」とその「予測」までを一つのストーリーとしてまとめ・表現して発表するのじゃ。大抵の場合、1年生より発表も上手になる。
下に今回の発表用のミニポスターの様式を示す。実際に授業で使ったものじゃよ。
そして、出来上がったのが次のようなミニポスターじゃ。手書きの班もあったが、徐々にICTを活用してスライド1枚にまとめて発表材料を用意するグループも増えた。(手書きは手書きで挿絵やレイアウトに味があっていいものじゃ。ここは子どもたちの好きに任せても問題はない)
発表については、「課題」の部分は前からの流れを汲むものになると思うので、「課題」を確認程度に紹介し、「仮説」と「予測」をメインにやっていくのがよいじゃろう。質疑応答の時間をたっぷり取って、仮説に対して「ここをもっとこうしたらいい」的なアドバイスやつっこみを「子どもたちの側から」やっていけるようになるのが理想じゃ。原稿棒読みの形式張った発表会より、聴衆の目を見ながら対話式でやれるようになれば、のちほど実施する「ポスターセッション」の時にも役に立つぞ。
上の例では、「1.課題」に仮説の内容が混ざってしまっているが、「仮説」でちゃんと「食えない部分を調理して食べる」となっているので問題はない。ただ、「調理法」についてはこの時点でははっきりとは決まっていなかった。しかし、質疑応答でざっくばらんに話し合ったことをもとに、このグループは「揚げたり焼いたりしてパリパリのチップスにすれば可食部以外も食べられる」という仮説に発展した。
クラスの中で「フードロスからの生ゴミ」をトピックに挙げたグループが10グループ中7つあって、「課題」としての認識はどのグループも共有していたが(むしろ複数のグループで共有したことにより理解が深まったところもある)、その仮説=解決法は7つのグループ全てで違うものに発展した。全て検証方法も、検証結果も違う形で出てきて、とても有意義な探究学習になった(なんとかして生ゴミにせずに食おうというグループ、食事の提供方法を変えれば生ゴミを減らせるか検証したグループ、味付けや食材の組み合わせで好き嫌いを減らそうとしたグループなど)。「課題」はある程度「かぶり」があってもかまわないのじゃ。
発表と質疑応答で得た知見を生かして、この後「仮説の検証」に入っていく。ここからが探究学習の一番面白いところなので、乞うご期待。