大都市がどうなっているかは分からんが、2024年現在、地方の「街」は壊滅しつつある。電車で街に買い物に行っても、シャッターが閉まっている店がほとんどで、大きな店以外はほとんど何も買えない状態じゃ。開いている店が一人勝ち…かと思えば、そうでもない。そもそも買い物に来る人があまりいないから、お店を開けるコストの方が高く付いてしまうのじゃ。人が来ないから、飲食店すら土日に開いていないことが多い。店が開いていないからもっと人が来なくなる…という負のスパイラルに陥っておる。人が来ないから、大きな店だって、規模縮小して営業せざるを得ないところが多くなっておる。
「賑わい」を創出するために、街のエリアごとに役割分担をして、「居住地」と「賑わい創出エリア」を結ぶ電車・路面電車(LRT)・バスをたくさん出してみんなに来てもらう、というコンパクトシティ構想を各地でやっているが(それだけではないのじゃがな)、うまくいっているのはやっぱりある程度以上の規模の都市しかない。成功例としてよく出てくるのは「富山」「熊本」「花巻」といったところじゃが、富山と熊本は県庁所在地レベル、花巻は主に医療に関する成功例ということで、コンパクトシティで商業が潤っているという例はほとんどないんじゃないかな。調べてはいないけど。
コンパクトシティの問題点の1つは、クルマという文明の利器を知ってしまった人間がそれより不便な公共交通機関に戻る可能性の低さじゃ。特に日本のクルマは、電動技術を取り入れるようになってガソリン1リッターあたり20km走るのが当たり前になっているので、移動1回あたりのコストは交通機関を使うより半額とか、何分の1とかしかかからない。わしのクルマは1リッターあたり30km近く走る。そうなったら、クルマで30km先に行くのに現状180円くらいしかかからないが、JRで移動したら500円以上かかってしまう。電車で街に買い物に行くより、電車の来ない郊外にクルマで行った方がいいよな。
それ以前に、一般庶民がそもそも「コンパクトシティ」という構想を知らないのも問題じゃ。「電車で街に行くと便利らしい」ということを知らないなら、普通はクルマで買い物に行くよな。当たり前のことではあるが、いかにかっこいい理想的な考え方であっても、住民の理解を得ずして成功はないということじゃ。
ということで、駐車場を探すのに苦労する街に買い物に行く人はいなくなり、街のお店は持続できなくなっておるという話じゃ。
当たり前のことじゃが、「店」という形の商売は、「店舗」「経営者」「商品」「客」の4つが全て揃わないと成り立たない。前者3つは経営者の努力でなんとかなるだろうが、「客」という「人」が、「店舗」という「場所」にわざわざ足を運ぶというハードルがめちゃくちゃ高いのじゃ。
人気店なのに閉めてしまうケースも意外と多い。店舗のコストが高すぎるのが主な原因じゃろうが、それにしても「その店めあてで来てくれる客」「常連」だけでは「店」という商売は持続できないということなのじゃな。
店舗のコストを抑えつつも「その店めあての客」に加えて「ふらっと立ち寄る客」まで必要なのだとしたら、そのお店1つの努力だけでは持続するのは難しい。そもそもその近辺のエリア一帯にぶらぶら歩いている人がいないと始まらんというのであれば、そこに人を集める努力を行政側からもしないといけないからな。「街ぶら人口」が減るにつれて、「店」が閉まっていくのは道理なのかもしれんな。
ところで、どんなに不景気でも、どんなに小さな街でも、「本屋だけはつぶれていない」というケースがある。もう何十年も前から「Amazonがあれば本屋は要らない」と言われ続けているのに、なぜか本屋はつぶれないんじゃよな。
もっと言うと、「全国チェーン」の本屋はつぶれる。というより商売が成立しなくなったら撤退する。青森県にも「ジュンク堂」が鳴り物入りで来たが、今年2024年4月いっぱいをもって撤退した。全国区の本屋については、電器屋などと同じ論理で商売をしているのじゃな。
そういうのではない、「地方の本屋」の中には、「たとえ本が売れていなくても生き残り続ける」ところが各地にあるのではないかな。
わしの母親もかつて本屋に勤めていたことがある。商店街にある割と大きな本屋じゃったが、維持できなくなって他の店舗に移転し、最終的にはその店舗も閉めた。しかし、店舗を閉めてもその本屋はつぶれなかった。その本屋の会社自体は今でも、ちゃんと「本屋として」持続しておる。まるで、肉体が滅んでも魂が生き続けているように。
さて、ここにはどんなマジックがあるのかわかるかな?
ヒントは、「地域に根ざす」ということじゃ。本屋だけではなく、「地域に根ざす」ことで持続している商売はあるはずじゃ。そういう地域に根ざしたお店がないか、探してみるといい。
先程来述べているように、「商売」で生き残っていくには、「店舗」だけでは難しいのじゃ。というより、「商売」にとってはもはや「店舗」は障害ですらあるのかもしれない。もしかしたら「○○屋さんを開きたい」という人もいるかもしれないけど、これから「店」を持つには、その店が売れる以外に、商売を持続していくための発想の転換が「必ず」必要じゃ。
コンパクトシティでお店を一極集中させるのは、わしも賛成じゃ。特に駅前に色々楽しいお店を持ってきてもらいたい。鉄ヲタとしては、駅前で何も買えない・何も食べられないというのが一番寂しいのじゃ。「並んだお店がちゃんと開いている」そんな賑わっている街の光景をわしももう一度目にしたいと思っておる。
しかし、その集めた「お店」つまり「商店街」を維持していこうと思ったら、「お店は氷山の一角」と心得て、それ以外のところでちゃんと地域に根ざしていく工夫をしなければならない。そのために商工会議所と自治体が組んで手を尽くしていくことも必要じゃ。「客を呼ぶ工夫をして賑わいを創出する」のではない。「(お店が儲かってなくても)商売を持続していく工夫」をすることで、「お店を開ける」ことができ、それが「賑わいを創出」するのじゃ。順番が逆なのじゃな。
さて、商店が「地域に根ざし」「商売を持続可能にする」ためには、どんな工夫をしていったらよいかの。まずは、地域の「つぶれない本屋」について調べながら、それを考えてみよう。
そして、そのために「学生として何か協力・貢献できること」は何かあるだろうか。自分でやってみたいことを考えて、「こうやったらいいんじゃない?」と仮説を立て、実際にやって検証してみよう。
ここではあえて触れていない観点もたくさんあるから、自由な発想で、市長にでもなった気分でまちづくりに思いを馳せてみたらいい。「自分だったらこうしてみたい」というイメージが一番大事じゃよ。