SDGsは2015年の国連サミットで採択された「2030年までに世界が達成すべき17の持続可能な開発目標(Sustainable Development Goals)」じゃ。現在2024年じゃが、もうすぐ設定期間の3分の2が経ち、残りは5年ほどになる。
さて、去る2024年6月にSDGsの達成度ランキングが発表された(国連の公式ページはこちら)。ランキングによると、日本のSDGs達成度は世界18位。なかなか頑張っていると思わんかね。ちなみにお隣の韓国は33位で中国は68位、大国アメリカは46位と日本よりはだいぶ低く、アジアでは圧倒的に日本が高い。あの自然豊かで人の手が入っていなさそうなアイスランドより上っていうのが個人的には驚きじゃな。
しかし、日本国内ではSDGsはかなり忘れられているという印象を持っておる。テレビでも「SDGsに取り組んでいます!」的なことを大きく取り上げなくなっておるし(ただわしがテレビを見ていないだけという可能性は十分にある)、学校教育現場でも取り上げられなくなっている気がする(ただわしの学校がそうじゃというだけかもしれん)。
もし仮に「SDGsを声高に掲げることもなく達成度が上がっている」のだとしたら、それはこれまでの取り組みが「持続している」ということの証であるから、SDGsとしてはとても的を射た取り組みをしてきたと言えるのではないかな。
では、日本はSDGsの「何を」達成し、「何が」達成されていないのじゃろうか。これも載っておる。
SDGs9の「産業と技術革新の基盤をつくろう」は、「緑色」。十分に達成されているという状況じゃ。緑色は、この一つ。
逆に、5「ジェンダー平等を実現しよう」、12「つくる責任つかう責任」、13「気候変動に具体的な対策を」、14「海の豊かさを守ろう」、15「陸の豊かさも守ろう」の5つは「赤色」。最低評価のヤバいやつ、ということじゃ。
日本のSDGs達成度は79.9。トップのスウェーデンとのポイント差は約6ポイント。
どう思う?約80点も取っておきながら、「十分」のポイントは一つしかないのじゃ。まず一つ言えるのは、トップのスウェーデンも含め、実は世界的に「あまりSDGsって達成されていないのでは?」ということじゃ。実際、2020年以降は達成度は停滞しており、トップのスウェーデンも昨年から0.4ポイント下がっている。世界的に「SDGsを達成しようという意識」が薄まっている可能性はあるな。
だから、日本は反省して目標達成をちょっと頑張るだけでSDGsに関しては世界一を取れる可能性は十分にある。スウェーデンがトップにあぐらをかいている間にな。
SDGsを達成することが本当にそんなに大切なことなのか、という疑問はあるが、とりあえず達成することが何らかの「成長」につながる「いいこと」なのだと仮定しよう。
日本人の悪いところは、分析してターゲットを絞るのが苦手だということじゃ。「SDGsに取り組んでいます」「意識してます」という姿勢さえ見せればOKなのだと思っておるのじゃな。「SDGsを手がかりに探究課題を設定しよう」と問いかけると、現在の達成状況も知らずに「減塩に取り組んで『すべての人に健康と福祉を』を実現します」と言う人が多いのじゃが、はっきり言って日本は世界一の長寿国であり、短命県と言われ続けている青森県ですら短命に苦しんではいない。無意味とまでは言わないがほぼ効果はないのじゃ。
まずは、「あと一歩で緑(十分達成)」の6つの目標を見てみよう。
・1「貧困をなくそう」
・7「エネルギーをみんなに、そしてクリーンに」
・8「働きがいも経済成長も」
・10「人や国の不平等をなくそう」
・11「住み続けられるまちづくりを」
・17「パートナーシップで目標を達成しよう」
わしらが簡単にできそうなことは、7番とか11番ではないかな。7番について、パッと思いつくことを言ってみよう。現在「暑くなったら積極的にエアコンを使いましょう」と国から公式に言われることが多くてエアコンの使用に全く罪悪感を持たなくなっているが、秋の「エアコンのやめ時」をどうやって早めるかを考えて実践できれば、エネルギー消費を抑えることもできるし、現在赤マークの付いている気象変動についての具体的対策ということにもつながってくるのではないかな。
前述した「赤マークのヤバい5つの目標」を「オレンジ(ややヤバい)」に押し上げることを考えるのもいい。何度も言うが、「持続可能」なのは「やっていてキツくないこと」じゃ。「少しの我慢」「少しの努力」で「少しだけ改善」できるようなことがあれば、それを推進していくのがSDGs達成のコツと言っていいじゃろう。
探究学習で大切なのはPDCAサイクルじゃとどこかに書いた。計画(目標)を立てて実践したなら、「検証」して「次のアクション」を考えなければならない。
日本人の大半は、今でもP(目標設定)とD(実践)までならできるがC(検証)をしない。「取り組んでいる」ということには敬意を表するが、その取り組みに「効果があったか」は考えないのじゃな。
元来の教育においてずーっと言われ続けてきた「大事なのは点数じゃなくて頑張ること」という意識が根強く残っているのじゃな。頑張った成果が出なくても、「頑張ったんだからOK」と言われることに慣れすぎているのじゃ。そのうち、「点数はどうでもいい」という意識に変わり、「成果」をチェックすることすらしなくなった。無駄に時間だけかけりゃ「努力した」ことを評価されると思っておるのじゃな。運動会で順位を決めない、なんていう馬鹿な発想もそこから来ておる。
「成果」の「検証」をしなければ、何かを実践することに意味がない。何かを改善しようと思うなら、「成果が出るように」頑張らないと、頑張ったことが無駄になってしまう。頑張りを無駄にしないためにも、探究学習で「検証」のプロセスを必ず入れていくべきじゃ。
もっと大変なことに、SDGsの場合はその大義名分が「持続可能な開発目標」であるわけじゃから、「達成できない」=「持続不可能」だということじゃよ。つまり、目標を達成できなければ2030年までに「世界が持続できない=滅びる可能性がある」ということなのじゃ。頑張ったの頑張ってないのという低レベルな話をしている場合ではないと思わんか?もっと強く、成果を出していく意識を育む必要があると思わんか?
2030年まであと5年ちょっとしかない。探究学習でも是非SDGsという観点を取り入れて、世界が滅びないようにみんなで頑張って行くのがいいと思うがどうじゃろうな。探究課題を一度見直して世界を救ってやってくれんかの。