クマの被害に関するニュースは後を絶たないが、クマの駆除を担当する「猟友会」の報酬の低さが話題になっている。クマがよく出没する奈井江町でも町から報酬が出るのじゃがなんと日給8,500円。猟友会は駆除要請を断ったという。
8,500円なんて命をかけるにはあまりに安い賃金じゃ。サイトでは周辺の自治体の例も出ているが、そちらは大体警察官の給与を考えるとまぁ妥当かな、という気もする。ただし、警察官は公務員なので月額で給与をもらうのに対しハンターはあくまで要請があっての出動なので、「月額」で食っていくには頻繁に出かける必要がある。専業でやっていくには少々厳しいのではないかな。
まぁ自治体も裕福なところばかりではないし(特に北海道は貧富の差が激しいからのぅ)、「予算」に予想額を盛り込むことも難しいので、咄嗟に報酬が十分に払えないのも分からないではない。しかし、住民の命がかかっているとなれば、「猟友会以外の方にもいろいろな形で協力してもらっている」とかボランティア募集みたいなことを言っている場合ではない。なんとか自治体単位で予算を取って形を整えなければならない。
私たちの安全を守ってくれるハンターさんたちに、何か私たちができることはあるじゃろうか。
NHKのニュースだけでも、クマの被害はこんなに報告されている。クマは見かけてこちらに来たらもはや「身を守る」などということができないくらいの重量とパワーを持っている。RPGのクマ系モンスターを想像してはいかん。私たちとの実力差はその何倍もある。
聞くだけでゾッとするが、クマの攻撃はまず顔にヒットすることが多いそうな。目玉や顎がやられることが多いという。好んで食べているわけではないそうじゃが。
わしが昔20年ほど前に勤めていた地域では、毎日のように「公園でクマの目撃情報がありました」という防災放送が流れていたが、当時は人が襲われたという話はあまり聞いたことがなかった。クマは好き好んでヒトを襲うわけではない。クマもヒトが怖いんじゃ。銃で殺されるかもしれない、とかいうことではなく、単純に自分以外の種の生物は怖いものじゃよ。
では、なぜにクマはヒトを襲うようになったんじゃろうか。原因は次のどちらかじゃろうと思う。
・クマがヒトに慣れて怖くなくなった。
・危険を冒してでもエサを取らなければならない事情がある。
近年の異常気象により、山の環境は相当変わったと思う。高温っていうのはまぁ言うほどの影響はないと思うが、それより「日照り続き」「突然の大雨」というある意味「天変地異」と言ってよい気候の変化に加えて地震なんかも起こるから、人間の目に見えないところで山の環境が崩れているのではないかと推測する。実際、わしが毎朝通勤で通っていた峠が、夏の大雨の影響で法面崩壊して2年間も閉鎖になっておった。人類が作り出した硬いコンクリートやアスファルトが崩れるくらいじゃから、土や石が水で流されたとしても何もおかしくはない。森の木は地面の雨水を蓄えて地面が崩れないように踏ん張ってくれるが、その限界すら超えたのかもしれん。
クマ本人(本熊?)の住処が崩れた、というのもあるかもしれんが、もっと深刻なのはエサとなる動物たちも巣穴を流されたりすればみんないなくなってしまうということじゃ。雑食とはいえ、植物だけ採って生きるのは限界があるじゃろう。
山の上にいた生物が下へ下へと下ってくるのも道理じゃ。おまけに山というのは少し下りるとヒトがおいしい野菜やら果物やらを作ってくれてたりするからな。畑が「餌場」と認識されたならそこにクマが頻繁に出没しても全くおかしくないじゃろ。
実際、クマ以外の動物で言うと、わしが通っていた峠にサルも住んでおった。以前は山頂付近で見かけていたサルがだんだん下山しはじめ、大雨による閉鎖が解けた最近ついに人里に現れるようになった。もはや子ども連れでこの公園に行くのは怖くて無理じゃな。
少々工事車両が出入りしていたというのはあるかもしれんが(それが原因である可能性も否めないが)、基本的には閉鎖期間にヒトが通らない状況でサルが下りてきているわけじゃ。山の上の方がもはやエサが潤沢には手に入らなくなっている可能性はあるんじゃなかろうか。
クマも、きっと同じ状況なのではないかな。
以前は山と人里の間に「里山」というゾーンがあってそこで「自然」と「人里」を区切るバッファがあったからクマが人里に下りてこなかった、なんていう説もあるようじゃが、前述のサルの例なんかにはその説は通用しない。公園は前からあったし、山と公園の間の「里山」が開発でなくなったかといえばそうではない。
動物たちが「人里」に慣れてきている、というのは確かじゃ。
「自然」とは何か、ということを再定義しなければならないと考えておる。「自然」といえば、「人の手が入っておらず、緑が豊かで多様な生物が暮らす場所」というのが通常の考え方じゃと思う。じゃが、その自然の中でも常に緑が生い茂っているわけではない。冬になれば雪が降って草木が枯れるし、地震や嵐で崩れたり火山の噴火があったりというところまで「自然」だとするならば、必ずしも多様な生物が生きやすい環境とも言えない。砂漠だって人の手が入っていない自然と言えるわけじゃからな。
そして、人の手が入っている場所だって、「生物が住みづらい場所」ではない事例が増えているということじゃ。クマやサルが人里に下りてきているということは、自分たちに餌場として都合がいい、過ごしやすい環境だという証じゃからな。
犬や猫は大昔から人間の友達じゃし、虫たちも、イナゴやスズメバチなど、人里に発生している事例はいくらでもある。都市の人工物の代表、コンクリートとアスファルト。しかし、コンクリートの下で天敵から狙われることなくぬくぬくと過ごす虫もいるし、涙の数だけ強くなってアスファルトを突き破って咲く花だってある。クマみたいな大きな生物は人類にとって危険なので人里に降りてきたら敵扱いされてしまうが、ちいさき者達はむしろ人工物の恩恵にあずかっているものも多いのではないかな。
改めて、「自然」とは何じゃろうな。もっともっと色々な考え方があっていいと思うぞ。ただ、SDGs「持続可能な開発目標」ということばを念頭に考えると、「人類の命を脅かすものには対策が必要」ということだけは言えるのではないかな。考えてみりゃ当たり前のことではあるが。
さて、そう考えると「自然との共存」というのもまた考え直すべき時が来ているのではないかな、と考えておる。
まず、「共存」とは何かの?辞書の定義を紹介しようと思ったが、京都府綾部市のホームページにこんなことが書いてあった。
「共存」を辞書で引くと、二つ以上のものが同時に生存することとある。一方、似た言葉に「共生」があるが、こちらは双方が互いに利益を受けつつ支えながら生活することと説かれる。即ち、共存はいずれかが欠けても存続できるのに比し、共生はどちらか一方が死滅した場合は他方も生き続けることはできず、例として"自然と人間との共生"が引かれる。
まぁ個人的には共存も共生も解釈次第でどっちでもいいかなー、とは思うが、上記の解釈では「共生」の方に「依存」関係が入っているのが面白いな。語感からすると「共存」の方がともに依存し合っている感じがするがな。
互いを傷つけず、争わず、両者とも穏やかに過ごせるのが共存だと思っておる(それは共生だと言うのであればそれでもよい、特にこだわりはない)。そして、この意味での共存を達成していくのに大事なのは「コミュニケーション」じゃ。
たとえばどこかの原住民族の村に行って、初対面の村民に敵対心を持たせず、敵対心を持たず、円満に過ごすことができる自信はあるじゃろうか。こちらを見た瞬間槍を突きつけられたらどうする?といったトラブルは、「コミュニケーション」を取れないことが原因で起こるのは分かるな。仕事で意見が合わず、一緒にいたくないっていうトラブルも、「コミュニケーション」が取れないから起こる話じゃ。どちらも「共存」に失敗しておる。
相手がクマの場合も同じじゃ。人里に出没するクマは、餌場として快適な場所を見つけたと喜んでおる。しかし、なぜか人類が攻撃してくる。クマだって死にたくはないから反撃する。そうやって、コミュニケーションを取れない二者間のトラブルが起きるわけじゃな。
「自然との共存」は、「緑の森を切り倒して開発しないこと」とか、「町に植樹」とか、そういう単純な話ではない。全体を見て、多様な生物が「互いを傷つけず、争わず、両者とも穏やかに」過ごせるようにしていくことが大事なのじゃ。動物や植物とコミュニケーションを取れるようにスキルを磨くという方法もあるかもしれないが(エサを使えばまぁまぁ言うことは聞くからの)、そもそもコミュニケーションが取れないという前提であるならば、コミュニケーションを取る必要がない場所に誘導する、というのが「共存」の一つの形なのではないかと思う。
たとえば、スズメバチは公園の木や民家の屋根に巣を作る。ハチさんは単に家を建てて住んでいるだけなのじゃが、なぜか下を通るでかい動物(人間)がこちらを狙っているような気がするから、やられる前にやってまれ、ということで攻撃してくるわけじゃ。そこで誰も近づかないような廃ビルの一角にスズメバチが寄ってくるように仕掛けを作って巣を作らせてはどうかな。近づく人間さえいなければ、上空を飛んでいるハチは自分のエサ以外は襲わんよ。
よくハクビシンとかテンとかの被害も聞くが、これらの動物も床下をねぐらにしていることが多いようなので、いっそどこかの廃ビルの一角に住まわせ、ビルの周りに野菜などの種を蒔いて食べ物に困らないようにしたらいいのではないかな。
クマやサルはどうじゃろうか。「駆除」以外の方法で、人里にわしらと共存する方法って何かあるかの?まぁ考えついたところで実践して検証するのはなかなか難しい問題ではあるがな。
そうでないなら、やはり人里より「山」の方に魅力を感じて戻ってもらえるように、山の自然をなんとかして回復していくことも考えなければならない。そのときも人の手を加えない「天然素材」に頑なにこだわるのではなく、小動物の住処が崩れないようにコンクリートの土管を活用する、とか、土壌の栄養を確保するために公園や町の樹木の落ち葉を山に運んで捨てる、とか、水路を作って水場を確保する、とか、「自然を不自然に作り出す工夫」を色々してみてもいいのではないじゃろうか。エサさえ充実すれば、クマだってわざわざ下山することがなくなるじゃろう。
まずは常識を疑うことじゃ。「自然」と「人工」を切り離して考えているうちは解決策は浮かばないと思うぞ。