前回「イグ・ノーベル賞」について述べたが、その記事を書いた数日後、2024年10月11日に日本原水爆被害者団体協議会(日本被団協)が本物(?)の「ノーベル平和賞」を受賞した。科学系の受賞に比べると国内の反応は穏やかなものじゃが、この受賞は非常に大きな意味を持つと思うぞ。
物理学や化学、医学といった「大学の研究」に贈られるイメージのあるノーベル賞じゃが、「ノーベル平和賞」はその中でも少し異質な感じがするかもしれんな。英語の教科書によく出てくるエピソードを紹介しておこう。
アルフレッド・ノーベルは、ダイナマイトを発明して、トンネルを安全に早く掘ったり、障害物の岩を吹き飛ばしたりすることができるようになり、道路インフラの開発を飛躍的に発展させた。とはいえ、爆発物を発明したという理由で、「人殺しの道具を作った」と評する人もいた(実際武器にも利用された)。
ある日、アルフレッド・ノーベルの兄であるルートヴィッヒ・ノーベルが亡くなった。それをアルフレッドの死と勘違いした新聞が「死の商人死す」と報じた(実際は少し違う見出しだったらしいがな)。まだ生きているアルフレッドがその記事を目にし、「ぬわんだとぉぉぉっ!!俺の発明は人殺しの道具じゃねぇぇぇぇっ!!!」と憤った。そこでダイナマイトで築いた巨万の富を使って、功労者にノーベル賞を与えることとし、特に「俺は平和の使者だ!!」とアピールするために、世界平和に貢献した人・団体に「ノーベル平和賞」を与えることにした…というのがよく知られた話じゃ。
さて、今回ノーベル平和賞を受賞した通称「日本被団協」とはどんな団体かというと、原爆・水爆の被害者で結成され、核兵器の恐ろしさや残酷さを訴え続けている団体じゃ。広島の平和公園に修学旅行で行くとガイドさんが原爆の体験を話してくれるが、そういった方々は「広島県被団協」の人たちじゃな。
国内外問わずこういった活動を含めて体験を広めることで、核兵器禁止条約にもつながっていった。
何より、広島・長崎以外では、まだ一発も「兵器として核が使われたことがない」という事実が、被団協の活動の大切さを物語っておる。核の保有を盾に大国同士が牽制し合っているから、という論理もあるかもしれないが、それとて、「使ったらどうなるか」を被団協の皆さんがちゃんと広めてきたからこそ、その威力をお互いに理解しているということじゃからな。
被団協が世界に与えてきた影響は計り知れない。ノーベル平和賞の受賞も納得じゃ。
広島に原爆が投下されたのが1945年。2024年-1945年=79年じゃから、単純計算しても、原爆投下された時に生まれた子ですらもう80歳くらいになっている。2024年現在、被団協の被爆者の平均年齢はなんと85歳を超えており、代表の箕牧智之さんは82歳、授賞式のスピーチ担当の田中熙巳さんは92歳。そう、高齢化が一番の問題点で、もはや「被爆者の生存者」が少なくなっているのが現状じゃ。生存者の中でも、80歳前後の方については物心つく前の体験となるわけだから、実体験よりは親の話を語り継いでいることも多い。
つまり、「実体験」を生の声として届けられる方がもう限られているのが現状なのじゃ。
2世、あるいは3世の人たちが、親や祖父母の話を語り継いでいくことが求められておる。しかし、もちろんそれをするかどうかは個人の自由じゃから、世代を重ねるごとに「語り部」が減るのは避けられない。
ところで、高校生の演劇部で日本一を何度も取っている「青森県立青森中央高等学校」の演劇部が、毎年7月28日に「7月28日を知っていますか?」というタイトルの劇を上演している。関連記事はこちら
上の動画は2019年のものじゃが、顧問の畑澤聖悟教諭の指導のもと基本となる脚本を生徒が書き、それに加えて毎年部員の生徒が実際に生存者の方や資料に当たって取材しながら演技に活かしている。一度作って終わりではなく、毎年演者が必ず取材に向かってから上演しているのじゃ。今年2024年の7月28日にも市内で上演した。
この取り組みは一つの「正解」じゃと思っておる。毎年上演される演劇を観て感じる人はたくさんいるじゃろうし、「メンバーの入れ替わり」が毎年「必ずある」高校の演劇部が「毎年」必ず「自ら取材をして」「上演」しているわけじゃから、「語り部」が「毎年必ず増える」わけじゃ。卒業した後に仕事として「語り部」を引き受けることはあまりないかもしれないが、何気ない会話に話題として出てくるだけでも確実に「空襲の記憶」が引き継がれていくわけじゃからな。
さらに、「7月28日を知っていますか?」の脚本は中高生向けに公開(販売)もされておる。この劇を他の学校でも演じることで、さらに戦争の記憶を広めていくことができるわけじゃ。尤も、取材に基づいたオリジナルの演技に近づけるのは至難の業じゃろうけどな。
こういう形で若い人たちが「観る側」だけではなく「伝える側」に立っていくことが今後求められていくのじゃ。ロシアやイスラエルの軍関係者にもこの演劇を一度観てもらいたいものじゃな。
「生の記憶」として原爆ドームや平和祈念資料館を維持していくのは大事なことじゃ。「はだしのゲン」「火垂るの墓」のように、有名なアニメで残していくこともまた一つの形じゃな。
ネットを活用した取り組みとして、バーチャル平和記念資料館とか、平和公園の3Dマップとか、VRゴーグルの貸し出しなども行っておる。
しかし、用意されたものを視聴者側が「視聴するだけ」では、なかなか戦争の悲惨さが熱量として伝わってこないのもまた事実ではなかろうか。演劇のように確かな熱量を持って伝えることが何より伝わる方法なのじゃと思う。
さて、こういった過去の悲劇を伝えていく何かいい方法はないものかの。もっと多様な方法で、その「伝え方」を考えていかなければならない時がもう来ているようじゃ。