探究学習とは「身の回りの困りごと(課題)を発見し、みんなで仲良く解決しようとすることで、よりよい社会をつくっていこうとする姿勢を養い、自分の生き方により深みを与えていくこと」なのだと書いた。では、どんな手順でやっていったらよいか、ここで示していこうと思う。
探究学習を進めていくやりかたの例は、次のようなものじゃ。他にもあると思うが、わしはこのやり方が一番スムーズじゃと思う。
1.分野・グループの設定…自分が興味のある分野を設定し、同じ興味の人とグループを組む。
2.課題設定…興味ある分野の中で「困りごと・問題点=探究課題」を見つけ出す。
3.仮説立案…見つけた課題に対して、根拠を持って「解決策の案=仮説」を設定する。
4.仮説の検証…仮説を実際に試すなどしてデータを取り、仮説がうまくいくかどうかを検証する。
5.今後の展望…検証結果を整理・分析し、仮説が成功かどうかを考察する。仮説がうまくいったなら、「新たな課題」を見つけたり、「よりよい結果を生み出す仮説」を設定したりする。うまくいかなかったら、何がダメだったかを分析し、「仮説」を設定し直す。
探究学習の基本は「PDCAサイクル」じゃ。課題までの初期設定が済んだら、「仮説(Plan)」「実践(Do)」「検証(Check)」「展望(Action)」のサイクルを、できれば複数回繰り返しながら「よりよい結果」を目指していくのが理想じゃ。
上記のプロセスについて、今後もっと詳しく、どの程度の時間をかけて取り組むべきかを書いていこうと思っておる。
学習指導要領の「課題を立て,情報を集め,整理・分析して,まとめ・表現できるようにする」という部分が「探究のサイクル」の核だと考えている人がいるが、そうではないのではないかな。そもそも、「まとめ・表現」がサイクルとして次に「課題」につながることは考えにくい。「課題」につなげるならサイクルの最後は「検証・展望」であるべきではないかな。
この中に出てくる最初の「課題を立て」は、表現として間違っていると思う。本来「問いを立て」と言うべきじゃ(教材で見かける「リサーチクエスチョン」というのがこれに当たるのじゃと考えておる)。「問い」から「課題(探究課題)」が見つかるというイメージじゃ。興味のある分野の中で、「これはどうなっているんだろう」という「問い」を立て、それに関する情報を集めて整理分析し、真の姿を見きわめることで「ここに課題アリ!」と探究課題が見いだされるのじゃ。
問い・情報収集・整理分析・まとめ表現という活動は、「探究のサイクル」ではなく、「探究活動におけるルーティーン」じゃ。つまり、上で述べた「課題設定」「仮説立案」「仮説検証」「今後の展望」という探究のサイクルにおいて、各プロセスの中に入ってくる活動なのじゃ。プロセスによって、やるべきルーティーンも変わってくる。イメージとしてはこんな感じじゃ(アルファベットはPDCAサイクルにおけるプロセスを示す)。
・問い
・情報収集
・整理・分析
・まとめ・表現
・問い
・情報収集
・整理・分析
・まとめ・表現
・情報(データ)収集
・整理・分析
・まとめ・表現
・問い
PDCAサイクルが探究学習ではAから始まっている。「課題設定」のプロセスでは「自分たちがやったこと」が基本的に含まれない。探究課題とは、興味のある分野で情報を収集するうちに「現状(D)をよく検証(C)した上で見つかる今後の展望(A)」のことじゃ。最初の「課題設定」のプロセスの中でD→C→Aとたどり着いて得られるのが「探究課題」なのじゃ。
よく探究学習のプロセスに「考察」というのを入れているのを見るが、それは間違いじゃ。「考察=整理・分析」だと思ってほしい。探究プロセスに1回だけ「考察」が入るなどということはあり得ない。課題を設定するときも、仮説を立てるときも、検証して展望を述べるときも、情報を収集するたびに「整理・分析」という「考察」をするのが当たり前であり、普段から息をするように考察を重ねるのが探究学習なのじゃ。「考察」を特別扱いしてはいけないのじゃな。
あと絶対に勘違いしてはいけないのが「情報収集」の部分。インターネットだけで小手先の情報を得る、誰かが書いた本や資料を読む、それだけでは「調べ学習」の域を出ない。ここで言う「情報」は、自分の脚を使い、自分の目で得た「真の姿」を映し出すものでなければならないのじゃ。本を読むことも大事なことではあるんじゃが、それで終始してはいけないのが探究学習なのじゃ。
「協働的」であること、「互いのよさを生か」すことが指導要領に謳われていることを忘れてはならない。探究学習の基礎はグループ活動じゃ。探究学習で「一人一探究」を掲げ、グループ活動をさせないようにするケースを見かけるが、それは基本的には間違いだと考えておる。
総合的な探究の時間では、探究活動を通して「自己の在り方生き方」を追究していくことになっているが、自分の力で自分の人生を切り拓く力だけではなく、他者との関わりの中で見えてくる自分の「役割」を自覚することもまた「自己の在り方生き方」じゃ。
職場や大学が「自分には合わない」と言って辞める若者が多い。そういう人の中には、他者と関わる経験が不足していて、自分の役割を見いだせない人が相当数いるのではないかな。合わないんじゃなくて、合わせられないのかもしれない。多少の我慢をしながらも他者と関わって自分の役割を見いだし、「協働」できるように持って行くこともまた、探究学習を通して行う大切な「教育」なのだと思う。
前述のように、特に大学進学を目指す学校では、「探究学習」は「学術研究の前段階」という意味合いもある。学術研究の世界でも、得られる知見・成果から見ても「グループ研究」という形態が当たり前じゃ。医療の世界だって、「グループ医療」が当たり前。
社会に出ようが、研究の道に進もうが、グループを作って他者と関わる、つまり「協働する」ことが必要不可欠じゃ。探究学習は「協働力」を育むにはうってつけじゃよ。コミュ障だから、他人と関わるとパニックを起こすから…ということで個人の探究学習とすることもあるが、諦めずにグループ活動に持って行った方が得られるものは大きいと思う。