探究学習は「身の回りの困りごと(課題)を発見し、みんなで仲良く解決しようとすることで、よりよい社会をつくっていこうとする姿勢を養い、自分の生き方により深みを与えていくこと」なのだと書いた。
困りごとを解決に導くということは、微力ながらも「世界を救う」ということじゃ。わしは探究学習を「世界の救い方を学ぶ学問」だと思っておる。
しかし、導入部分で「解決したい困りごと」をいきなり見つけようとしても難しいものじゃ。あまりに大きな話で自分たちでは到底解決できないような課題を持ってきてしまったり、逆に解決しようとしたはいいが実は誰も困っていなかったり…
そこで、探究課題を探す上での「観点」となるのがSDGsじゃ。
SDGsとは、国連が2015年に制定した、Sustainable Development Goals、「持続可能な開発目標」のことじゃ。もうおなじみかもしれないがSDGsポスターを貼っておく。
2030年までに達成しなければならない17の目標が示されておる。この17個が「地球の困りごと」なわけじゃな。人類の世界が今後も「持続可能」であるために達成すべき17の目標。言い換えれば、これらを達成できないと人類の世界は「持続できない」つまり「潰れる」ということじゃ。
これらの目標は「他人事」ではない。「自分事」として捉えたならば、「自分の身の回りでSDGs達成に結びつくことがないか」という問いを立て、課題を見つけるヒントになるのじゃ。
SDGsは、「環境保護のための目標」だと思っている人が結構いるが、それは大きな間違いじゃ。日本語では「持続可能な開発目標」、つまりこれからも「人間が地球や社会を潰さずに開発(発展)を続けていくために必要な達成目標」なのじゃな。
つまり、SDGsは「環境のため」ではないし、「自然保護のため」でもない。「人類が」これからも発展し続けていくために達成すべき目標なのじゃ。人類が「自分たちのために」やるべきことを明言しているというわけじゃな。「自然のため」「環境のため」というややウソくさい目標を立てるより「オレたちがこれからも開発を続けていくために」と言い切っているのが潔いと思わんかね。わしは気に入ったぞ。
探究課題を見つけようとするときは、誰かのためではなく、「私が困るから」「私がこれを続けたいから」という理由で課題を解決に導くという姿勢が大事じゃ。SDGsの考え方と見事に一致するのじゃな。だから、探究課題を見つけ出すときのヒントとしてSDGsはとても役に立つのじゃ。
「持続可能」というとなんだか難しいことを言っているようで尻込みしてしまう人もいるのではないかな。でも、この考え方も探究学習にはとても重要じゃ。
何か課題の解決策としての「持続可能」とはどんなことじゃろうかの。「持続可能」ということばは、「ずっと続けていける」ということを意味する。解決策を続けていけなかったらまた課題の状態に逆戻りするわけじゃからな。
では、どんなことなら「持続可能」かのう。それって、「小さなこと」とか「簡単なこと」じゃなかろうか。誰にでもできることなら、大きな効果が見込めなくてもずっと続けていけるじゃろう。
身の回りの課題を解決に導こうと思ったとき、すぐ「市が援助すればいい」「国が補助すればいい」「企業とコラボして」みたいな大きなことを言いがちで、それは夢のあることでもあるのじゃが、現実問題としてそんな大きなお金をいきなり動かすことができるわけがない。そのような考えには全く持続可能性がないのじゃな。(そうやって適当に税金で作った施設を維持するのに今各地で財政が圧迫され、問題にもなっておる)
それより「1日1個○○を捨てる」「1日1回○○をする」みたいな「自分でも持続できる簡単で小さなこと」を考え出して、「みんなでやってみよう」ということの方が探究学習としては健全じゃ。それなら、どの程度の効果があったかがちゃんとデータとして出て検証できるし、実感もできる。「小さなこと」だから課題を完全解決できるわけではないが、習慣化して持続することで何かを少しずつ変えていくことが大事。
そして、それをみんなに発表・提案して、世界中の人が同じことをやってくれたなら、少しは世界が変わり、救われるんじゃないかな。元気玉の精神じゃ。
SDGsをヒントに、「世界を1mmだけ救ってみる」。素敵なことだと思わんかね。
よーし、課題を解決してSDGsを達成してやるぞ!と大上段に構えるのもいいのじゃが、少し考えてみればSDGsというのは達成するにはあまりに漠然としていて適当だということに気付くのではないかな。
SDGsのいいところがそこにある。はっきりと具体的な目標に絞らないことで、それぞれの目標に関連する課題や解決法がいくらでも出てくるのじゃ。柔軟に考える余地がいくらでもあるということなのじゃな。
また、漠然としているがために、何か1つの課題を解決しようとすると、複数のSDGsに関わっているということが珍しくない。たとえばフードロスを減らしていこうとすれば、食べ物を無駄なく分配することで「飢餓をゼロに」を達成できるだけではなく、生ゴミの処理が軽減されるなら「気候変動に具体的な対策を」「エネルギーをみんなにそしてクリーンに」も達成される。
つまり、何かいいことをしたら大抵のことは何らかの「SDGs達成」につながっているということなのじゃな。いいことをして、「これとこれとこのSDGsの達成につながった!」と言えれば、なんかいいことしたような感じもするし、気分もええじゃろ。なんせこれが「世界の課題」につながっているわけじゃからな。探究のやる気も出るというものじゃ。
だから、「SDGsを達成するんだっ!」と意気込むよりも、一応のジャンル・目安として、つまり身近な課題に目を向けるヒントとしてSDGsを使い、探究を進めていく過程で「あ、自分SDGsに貢献してるわ」と自信を持てるようになるのがいいのではないかな。SDGsを自分で都合よく解釈して利用したらいいということなのじゃ。
これまでのところをとってもかみ砕いて一言で言うと、SDGsと探究学習を組み合わせて、
「一日一善、いいことしようぜ!」
ということじゃ。