これはニュースというわけではないが、Xでこんなやりとりを見かけた。
「昔は英語の授業でネイティブ発音すると馬鹿にされたけど今はどうなんだろう」というポストに対して、「今は逆、全然ネイティブ発音できてなくて馬鹿にされてる」との返答。それに続き、「英語の先生レベルだと鼻で笑ってしまいます」とのこと。(ちなみにこの方、JRのガイダンスの英語も大笑いするそうです)
この返答には「今の日本の英語教育の問題点」がギッシリ詰まっておる。一つ一つ、解説していこう。そして、それを「どうやったら解決に向かうのか」を探究課題として据えてみたら、きっといい探究学習になると思うぞ。
ここに出てくる「ネイティブ発音」ということば。これは、「生まれつき英語を母語とする者の発音」を意味する。
原理的に、というか、脳科学的に、英語が母語ではない日本人は「ネイティブ発音」をすることができない。言語習得の段階(大体未就学児期)で「日本語の発音法」を身に付けたら、それ以外の言語の「ネイティブ発音」はできないのじゃ。発音のシステムが完全に違うからな。
つまり、英語の発音が上手な日本人は、「ネイティブ発音」ができているのではない。「ネイティブの真似が上手」というだけなのじゃ。
それから、英語のネイティブ発音って何じゃろうな?おそらくじゃが、この方のおっしゃる「ネイティブ発音」というのは、日本の学校の教室という狭ーい環境で流れてくる、教科書用CDに収められた、きわめて限定的な人数の「ネイティブ」による画一的なアメリカ英語の発音を指しているのではないかな?と思われる。
しかし、この世界に数々の英語圏の国があり、それぞれに「ネイティブ発音」が存在する。英語が元々発祥したイギリスと、英語を世に知らしめたアメリカという2大英語圏だけ取っても、全く発音の癖が違う。同じ英語の単語を使った文を発音してもらっても、たぶん「全く違う言語」に聞こえるくらい違うよ。カナダの英語、インドの英語、南アフリカの英語、それぞれにネイティブがいて、それぞれ全部発音が違う。津軽弁や博多弁みたいな違いがあるわけじゃ。
つまり、英語の「正しいネイティブ発音」などというものは存在しないのじゃ。一応辞書には「標準的なアメリカ英語の発音」が発音記号として紹介されてはいるが、それはone of themでしかない。もし「ネイティブ発音」なるものができる日本人がいたらどんな発音の人なのか是非会ってみたいものじゃな。
もちろん、発音の「上手・下手」というのは存在する。正しい発音がバシッと決まっているわけではないにせよ、さすがに「相手にメッセージが伝わらない」発音では困る。
では、「上手な発音」とは何じゃろうな?それについては、前述のことを踏まえれば至極簡単じゃ。
上手な発音とは、言いたいことが伝わる発音じゃ。
わしは「英語の先生」なる職業をしているが、生徒に必ず紹介するのが、マララ・ユスフザイさんのノーベル平和賞授賞式のスピーチじゃ。もしご覧になったことがなければ是非一度見てみて欲しい。
彼女の英語は、決して、決して流暢なアメリカ風「ネイティブ発音」ではない。むしろ、ちょっと我々日本人にも聞き取りやすい若干の「カタカナ発音」に近い、独特な発音じゃ。英語の辞書に載っている発音記号とはかけ離れた発音だって出て来る。では、彼女の発音は「ヘタクソ」か?そんなわけはない。彼女の英語のジョークはちゃんと伝わり、会場全体が笑っているではないか。これが「上手」でなくて、何が上手だというのか。
これは日本語だって全く同じことがあてはまるのじゃが、「一言一言ゆっくり、丁寧に伝える」ことこそが、「上手い」発音なのじゃ。
したり顔でアメリカ英語ネイティブ「風」の発音でベラベラなんかしゃべってネイティブの人に「はぁ!?」と聞き返されているのを目にすることがある(当人は"Huh?"と普通に聞いているつもりじゃが語気が荒く聞こえることが多い)。で、カタカナ丸出しでゆっくり言ったら通じた、なんていうことだってある。
要するに、日本人は「ネイティブ」にはなれないわけじゃから、変に気負って早口(本人は上手にナチュラルスピードで話しているつもり)で話したら、肝心な「ゆっくり丁寧に伝える」ということすらできずに、伝わらない「下手な」英語になっちゃっているわけじゃ。目的は「上手な発音をすること」ではない。分をわきまえて「確実・ゆっくり・丁寧」に「伝えること」を目的に話すことが何より大切なのじゃ。
ちなみに、本物のネイティブなら、ゆっくり話すことを厭う人なんていないよ。ネイティブの人と話してて速いなーと思ったら遠慮なく"Speak slowly"とか"Slow down"とか、手振り付けて"Slow, slow"だけでも十分分かってくれる。だって、ネイティブの人は発音自慢をしたい人なんて一人もいなくて、単に会話をしたい、話を伝えて話を聞きたいと思ってるだけなんじゃからな。
大学入学共通テストが始まって、「発音問題」が全て廃止された。これまでずっと述べてきたとおり、発音が正しいかどうかなんて些末な問題でしかないからな。そんなくだらないものを気にして英語を使わなくなるのはナンセンスだということに、ようやく国の方も気付いたというわけじゃ。
余談じゃが、もちろん、ネイティブとどんどん話して話し慣れて、会話の速度が上がっていくことは大歓迎じゃよ。伝わっている限りにおいて、自分の言いたいことを効率的に伝えられるようになるのは、紛れもなく「上手」になっている証拠じゃからな。また、英語で相手に何かを伝えるために、できれば聞き取りやすい発音で発音したい、という発想において、「自分の憧れるネイティブに近い発音」を目指すのは何も悪いことではない。自分の信念に従って練習したらいい。
また、今話しているのは日本の「英語教育」の話じゃが、海外で実際に「暮らす」となると話は別じゃ。現地のスピードで話せないと、特にアジア人は鼻で笑われることもあろう。しかし、それでも現地で話し相手を見つけ、話し慣れてちゃんと通じるようにしていくという気概を持ち、なんとかしていくしかない。海外でやっていっている日本人はみんなそうしているんじゃないかな。
で、前述の方のコメントで最大の問題点がここじゃ。ネイティブ発音できなくて「馬鹿にされている」という部分。もし、この方の通われていた教室がそういう環境なのだとしたら、残念ながら教室全体の英語力は停滞か低下していったじゃろうな。
もしかしたら、そういう世界も存在するのかもしれないが、わしの住む世界はちょっと違う。できる・できないということについて、そこまで関心を持って「できる人間」「できない人間」を貶めようという人間は確実に減っているのじゃ。最初の問いの「英語らしい発音をするとおちょくられる」という時代は、授業中にトイレに行くのとか、家庭がひとり親だとか、そういうのもいじめの原因になるような時代じゃったが、今の時代はそういった全てが多様性として受け入れられている。特にそれで表だって笑うような生徒は、わしの世界では存在が認められないな。
SNSを使うようになって、近年さらに加速したと感じるのが、生徒たちの「嫌われアレルギー」。何か、周囲が許容しなさそうなことは極力せずに、平穏に過ごしていきたいという欲求がだいぶ高まっている気がする。多様性には寛容なのじゃが、誰かが気に入らず少しでも「あいつ何?」となると、ネットで攻撃が飛んでくる可能性がある。そうなると、実生活で誰も一言も発していなくても「周りに嫌われている、目が気になる」と気に病む生徒は格段に増えたと感じる。「嫌われる勇気」がだいぶ不足しておるのじゃな。
なので、最近の授業は割と「静か」じゃ。全員で発音練習をするときにネイティブの真似をしてかっこよく発音している生徒も、何かを問いかけたときに答えるという「目立つこと」は避ける傾向にある。
もし、ただでさえ控えめな態度に走りがちな性質であることに加えて「馬鹿にされる」というのが加わったら、それがどんな観点で馬鹿にしているのかは全く関係なく、その教室での発言は間違いなく減る。
言語はしゃべって間違えて訂正することで上達する。
教室内に、授業中の何かを馬鹿にするような馬鹿がいる限り、しゃべろうとする意欲は削がれ、言語の上達のチャンスが奪われていくのじゃ。
つまり、そういう輩のせいで日本の言語教育は確実に停滞・衰退しているのじゃ。原因の全てだとは言わないが、こういう輩がいなくなるだけでもだいぶ物は言いやすくなり、日本人の言語能力も向上していくチャンスができるであろう。
また、最初のポストにはこんなコメントもあった。
「おちょくられた本人です笑 ですが、それを逆手に取って通常会話でもいい発音で喋ったりして流行らせました。その後はみんな発音には気を付けるようになりましたよ」
この方は控えめに言って「神」じゃ。教室の中にこういう方がいると、みんな「ふざけて」上手な発音でしゃべろうとする。ここが大事なポイントで、上手だろうが下手だろうが、ふざけてでもいいから自分から何かをしゃべろうとする雰囲気が大事なのじゃよ。英語で何かを「しゃべろうとする」のが当たり前になれば、しゃべっているうちに、まずは「しゃべることへの抵抗」がなくなるからな。抵抗なくしゃべり続けていれば、上手になるチャンスが増えていくというわけじゃ。この方をクラスメートに持った人たちはラッキーじゃったな。
ここが「探究学習」のポイントでもある。どうやったら、気兼ねなく何でも話せる雰囲気になるんじゃろうな?どうやったらSNSやら何やらで特に根拠もない馬鹿な誹謗中傷に傷つくことなく、実生活でも勇気を持って生きることができるようになるんじゃろうな?「英語が上手になりたい」という観点から、「何でも話せる教室を作り上げること」を目指して探究学習をしてみるといい。実際自分のいる環境を対象にするわけじゃから、検証データも取りやすくてオススメじゃよ。
最初に紹介した方は、「ネイティブ発音できていない」子について「英語の先生レベルだと鼻で笑ってしまいます」なのだそうじゃ。わしは英語の先生とやらをしているが、この方に会ったこともなければ、自分の発音を聞いてもらったこともない。しかし、自分のことかどうかはともかく、一般論として「英語の先生レベル」とのたまっておるわけじゃから、「英語の先生は英語のネイティブ発音が鼻で笑うレベルでできていない」ということなのじゃろうな。
わしは中学校から英語の授業がスタートしたが、歴代習った英語の先生はALTとのやりとりもそれなりにできているし、鼻で笑うレベルの人はいなかったと記憶しておるがの。もしかしたらわしの周辺に手練れの先生が集まって、「その方」は鼻で笑うレベルの先生にしか習ったことがないだけなのじゃろうか。
こういった見ず知らずのレベルも意識も高い方の有り難い誹謗中傷は、「真に受けない」というのが定説。しかし、「真に受けなくてもいい」からといって「いくらでも言っていい」というものなのじゃろうか。残業の上限もなく労働基準法の例外として毎日頑張っても、こういった輩の言葉を見かけてやる気をなくすのは不自然じゃろうか。
テレビでも、どこの馬の骨ともしれぬ、所謂意識も見識も高い「コメンテーター」なる高尚な職業の方が、ことばの端々に「だから日本の英語教育はダメなんですよ」とか言っているのを耳にすると、「あんたたちがそうやって誹謗中傷しなければ頑張れるんだけどな」と思う。
改善策も何もなく「日本はダメ」という意識で発言するの、もうやめにしませんか。悪いところを一切見ずに盲目的に「海外の方がいい」っていう発想、もうやめにしませんか。もし日本を潰さずにおきたいという気持ちが少しでもあるなら、頑張っている日本人をもっと認めて伸ばしていったらどうかな。
ちなみに、見ようとしていないだけで、英語教育は改善しとるよ。というより、子どもたちに十分な選択肢を示すことは日々している。変な輩は「英語そのもの」が目的じゃと思っているようじゃが、教育の目的は「英語を使って将来の選択肢を増やすこと」。ネイティブ発音とかいうくだらん価値観は捨てて、研究にしても職業にしても「英語」が自分の選択肢の武器になる、もしくは障壁にならないようにしていくことが大事なのじゃ。
英語の授業は、小中学校から「話すこと」をメインにするようになっておる。ペアやグループを組んでやりとりをする、ということはもはや当たり前になっている。わしらが中高生の頃とはそういう点での子どもたちの意識が全然違う。また、海外の語学研修や済州国際青少年フォーラムへの参加、「トビタテ留学JAPAN」プロジェクトに申し込むような、積極的な姿勢を持つ子もずいぶん増えた。
今まで、英語の授業や指導を通していろいろな進路へ導いてきた。英語の授業を通して科学の分野に興味を持ち、大学に入った子もいた。総合的な探究の時間に食物・栄養の分野に興味を持ち、英語の小論文を鍛えて進路を実現した子もいた。国際経済の分野に行きたい、ということで英検準1級まで取得して進んだ子は、1学期~夏休みにかけてみっちり英作文と面接の指導をした。東大の指導もしたし、それよりもっと専門的で難解な東北大学医学科のAO入試の指導だってした。
多様化する進路の希望に対して英語の持つ役割は大きい。「英語の先生」は、「英語」をツールとして、文系から理系・医系まで、さまざまな知識経験を習得し、子どもたちのさまざまな選択肢に対応していけるように努力している。そして実現へと導いている。
人の仕事を簡単に根拠もなく誹謗中傷するのは簡単なことじゃ。実情も何も見ずに30年前の価値観をそのまま持ってきて、「だからダメなんだよ」って適当に言えばいいだけじゃからな。しかし、そういう輩のせいで日々の努力の全てが否定されることは、業界全ての停滞につながる。そういう輩がどんなハイレベルな仕事をなさってるかは知らんが、少なくともレベルの高い人はそういう根拠のない誹謗中傷をするわけがない。じゃから無視をすればいいんじゃ。しかし、看過できない場合も多々ある。それで努力する勇気を削がないように、こういう輩はそっと去って欲しい。誰も困らないから。
上で紹介した輩は、「英語の先生」だけじゃなく、JRのガイダンス(車内アナウンスのことじゃろうな)担当の努力も「大笑い」することで全否定した。罪は非常に重いと思う。
こういう頭のおかしな誹謗中傷は、どうやったらなくなるんじゃろうな。安易に「無視すればいい」「取り合わなければいい」というのではなく、もっと発展的に、みんなが向上していく形に持って行くにはどうしたらいいんじゃろうかな。日本人の、自分たちを馬鹿にするというアホな国民性さえ改善すればもっと日本はよくなると思うのじゃがな。