前回からだいぶ間が空いてしまってすまぬ。
毎年、5月5日の「こどもの日」にちなんで、こどもの数の統計が総務省統計局から出される。2025年の統計で、「こどもの数は44年連続で減少、こどもの割合は51年連続で減少」「1365万人となり1400万人を下回る」といった結果が出た。人口に占める子どもの割合は11.1%と先進国の中でも最低ラインで、10.9%の韓国よりはちょっとだけマシ、という程度。世界的に見ても日本の少子化はかなり危機的状況じゃ。わしもあまりそこには貢献できていないので立派なことは言えんがな。
わしの住む青森県はといえば子どもの数は4,000人減少し、11万4,000人と過去最低を更新した。子どもの割合も9.8%と全国平均より低く、10%を下回っている。46位だそうな(最下位はお隣の秋田県)。
学校もクラス減や統廃合などでどんどん少なくなっておる。義務教育の次の高校では入学者選抜が行われるが、そもそも高校の募集定員に子どもの数が追いついていないので、全ての学校が定員割れという自治体も多い。はて、どうしたものか。
まず、「少子高齢化問題」という言い方があるが、二つを一緒くたの問題にしてはいけない。「高齢化していること」については誰かに責任があるわけではない。頑張って長生きしている人が多いという話なのじゃから、「高齢化」が「問題」という発想は高齢者に失礼じゃと思わんか。問題じゃという割には平均寿命を競ったりしているしな。住まいや予算の問題などはあるが、高齢化の問題というのは、「長生きしている人にどんなケアをするか」という問題なのじゃな。
それに対し、「少子化問題」については、現役世代に「責任」がある。違う言い方をすれば、現役世代が「なんとかしようと思えばなんとかできる」、つまり「解決に向けて動く」ことができる問題なのじゃ。
「少子化」を改善していくためには、「女性に子どもを産んでもらう」ということ以外に解決する方法はない。では、女性に子どもを産んでもらうためのハードルにはどんなものがあるじゃろうか。少子化は日本全体の問題ではあるが、特に問題の深刻な「県」のレベルで限定して考えた方が具体的な方策を立てやすいと考えるので、ここでは「青森県の少子化」について考えてみよう。
女性が県内にいること。県外に人口が流出してしまう問題がある。県内では暮らしていけない、もしくは県外の方が暮らしやすいと考えている人に、県内でもちゃんと暮らしていけることをどのように納得してもらえるのかを考えるべきじゃな。
女性が県内で結婚すること。別に結婚せずに産んでもかまわないが、産んだ後に育てるということを考えれば生活基盤を整えることは大事なことじゃ。そのために、どうやったらちゃんと人を好きになって付き合い、良好な関係を築けるかについて考える、なんていうのはどうかな。
女性が県内で出産すること。出産に対する不安や恐怖というものから躊躇してしまうことはあるじゃろう。安心して出産するためにはどのような方策があるか、どのように病院と関わればいいかを学ぶ、ということを考えてもよいな。
家族が県内で子育てをすること。周辺の施設やお金に関することに対する不安があるじゃろう。仕事を続けていくということについても安心できる状態ではない。
こういったハードルを下げていくために、「高校生として」どんなことができるか、考えてみよう。
人口流出について、「人口流出を止めるために、地域の魅力を発信すればよい」という発想があるが、大抵の場合はうまくいかないな。
まず、ほとんどの場合において、それは「観光客を呼び込む」程度のアイデアでしかない。「魅力」=「観光地、特産品、祭」なんていうのは全然意味がない発想じゃ。それを知ったところで、そこに暮らし続けられるわけではないじゃろ。
「住み続けられる魅力」とは何じゃろうな。たとえば、そこに根付く「仕事」について広めていくという発想であれば、まだいいのかもしれないな。
たとえば、青森県内で「存在するのにやる人が不足、あるいはいない」仕事の代表は「農業」じゃ。県産品としては有名なのに作る人がだんだんいなくなっておるわけじゃからな。昨今米の価格が急騰しているが、そのお金を払わなくても自分で作ることができたらいいと思わんか。青森県産米の売れ行きも好調だと聞いておる。どの程度の売り上げで、どの程度の収入が得られるか調べたり、実際に米農家の手伝いをしてみるのもいいのではないかな。
また、農業は季節労働という点があるから、やろうと思えば他の仕事と兼業できる。これも灯火が弱くなっている「伝統工芸」について調べ、手伝いを申し出てみるのもよいのではないかな。
「少子高齢化」を逆手にとって「介護」の仕事をもっともっと積極的にやるのも一つの手ではないかな。県外からも高齢者を受け入れる…なんていうことが実現すれば、仕事には困らんような気がせんか。平均寿命も延びるじゃろうしな。仕事の体験をしてみるといいかもしれん。
こんな具合で、実際に県内で人手の足りない仕事を探し、徹底的に調べて体験してみるのも立派な探究学習じゃと思うぞ。一つ気をつけるべきは、解決策=仮説をどう設定し、どうなったら課題解決とするかを考えることじゃ。
教育という現場にいると、どうも最近は「人を恐れる」子がものすごく増えたという気がしている。わしらが高校生の頃は恋愛も学校生活の一大テーマで、付き合う付き合わないの話が絶えなかった。しかし、コロナ禍もあって人との距離がだいぶ離れ、性の多様性という話題もあって、ずいぶん「付き合い」の話題が減ったな、という実感がある。「男子」と「女子」の間の壁が以前より高くなっているようにも感じる。
それどころか、「人を恐れる」あまり病む子というのもずいぶん増えたと思う。かつてはそれは喧嘩と仲直りという形で解消したりもしたが、最近はそういった不満を言い出せずに「ストレス」とかいうものに変換して勝手に解決したことにしてしまうということが多いと思う。関わるのが怖いんじゃな。それでその場を去ってしまうこともある。そういうのが積み重なると、言い知れぬ殺伐とした空気が教室内に漂ってしまうことにもなり、さらに事態を悪化させてしまうことにもなる。
結婚して家族を築く、ということからどんどん真逆の方向に遠ざかっているのではないか?という気がしている。経済とか子育て支援とか、そんなこと以前に「人との出会い」「人との付き合い」が大分希薄になっていることが実は大きな問題なのではないか、と思うのじゃがどうじゃろう。
「恋をしようよ」なんていうのをわしから提案するのは憚られるような気もするが、「教室で男子と女子が気兼ねなく話せるようになるには」どんなことをしたらいいか考えることは、立派な「少子化対策」の第一歩として探究の題材になると思うぞ。統計的なデータとともに、アンケートを取って意識調査をしながら変化を見てみたらいいのではないかな。
子育てについては、いつ何があるか分からないという不安がある。そして、子どもが何を目指し、どういう進路を取っていくかということも、何にどれだけのお金がかかるのかということも、「育ててみないと分からない」という不安がある。
そういう長期的な点だけではなく、「風邪を引いて欠席する」「授業や部活で怪我をする」「悪いことをして呼び出される」という突発的なことも保護者が対応しなければならない。仕事を急に休まなければならないし、一日だけではなく何日も連続で休まなければならないとなると、仕事によっては続けられなくなる可能性すら考えられる。仕事を休んで迷惑をかけるということが精神的なストレスになる例も少なくない。家族がそういったことで共倒れになったら、収入がなくなってしまうことすら考えられる。
コロナ禍を経て「休ませる」「学校に行かない」ことが「悪いことではない」という意識が定着したように思う。しかし、子どもが「毎日ちゃんと元気に学校に行く」っていうのは、家族が健全に育っていくためにものすごく大切なことなのじゃ。「学校に安心して任せられる」ということが分かれば、子育てのハードルがグンと低くなることは間違いない。
高校生の立場で、「毎日来たいと思える教室」を作ることはできないかな?「毎日来たい」に必要な条件って何じゃろうな?「楽しくワイワイ」だけではノリについていけない子が行きたくなくなるよな?担任と連携しながら、「自分たちが来たいと思える方策」を仮説とし、試してみて意識の変化や欠席者数の変化をデータとして取ってみたら面白いと思わんか?何より毎日変化が見られるわけじゃから、探究テーマとしては最高じゃと思わんか?しかも、最高の親孝行にもなるぞ。
そして、それを学校の伝統としていくことができたら、その地域の「子育てハードル」が一つ解消するかもしれんじゃろ。少子化対策の一つとして、なかなかいいと思うぞ。
少子化対策を役所レベルで考えるというのもいいのじゃが、「高校生目線」でできることを考えて実践していくことができたら素敵なことじゃ。是非一度取り組んでみてはいかがかな。