加賀谷 学(18期生)
~ 昇段審査を振り返って ~
報告が遅くなりましたが、昨年11月に剣道六段審査に合格いたしました。一昨年の11月に東京八王子で受審・不合格、翌2月に山梨で受審・不合格、5月に名古屋で受審・不合格。思い返しますと、3回続けて不合格となったことで、剣道のこと、自分に足りないものを考えるようになりました。名古屋で不合格になったあと、関根前OB会長からメッセージを頂きました。引用させていただきます。
「剣道高段位は修行するなかで大きな壁です。ここを抜けると一皮むけてまた一段と違う世界になります。挑戦する気持ちがある限り成長していきますので懲りずにやってください。」
当時の私には、涙が出るほどありがたいお言葉で、とても励まされました。どうもありがとうございました。
挑戦する気持ちがある限り成長できる!!!
攻めとは何か、相手を動かすとはどういうことか、未だによくわかりませんが、理解できる自分になれるように稽古を続けていきます。
最後に、
剣道部OBOGの皆さん、剣道をされている人も、剣道から遠ざかっている人も、越ヶ谷高校の剣道場に来てみませんか。懐かしい剣道を見に来ませんか。きっと、熱い気持ちになると思います。
(2023年3月13日)
小野原 寛(17期生)
さらなる精進へ 七段昇段審査を振り返って
実は、今年の9月の時点まで今回の七段昇段審査(11/19)を受けるかどうか迷っていました。それは、物理的に7月~11月の間、月に1~2回しか稽古できなかったからです。でも、東京(八王子)で近いし、経験の積み上げだし、落ちて元々だと考え、受けようと決めました。
そして、よかったのは審査3日前の地元白岡市剣道連盟の稽古で、90秒の模擬稽古をさせていただき、映像を撮ってもらい、それを自分で見ました。いつも加庭先生がおっしゃっていた「攻め 溜め 引き出す 打ち切る」などが、まずまず出来ているのでは・・・? と、自信を持って審査に臨むことができました。
審査当日、いつものように緊張はしていましたが、今回は何だか落ち着いていました。先に行われる2回の実技審査で、お相手の動きを落ち着いて観察でき、「初太刀一本」(返し銅)にもつながり、そこからはお相手とのいい理合が保てた気がします。お二人目も同様に落ち着いて出来たように思います。おかげさまで4回目にして何とかいただけたのは、本当に周りの先生方からの色々なアドバイスがあったからです。感謝の一言しかありません。「いつも ありがとうございます!」
同期の松村に先を越され正直、悔しかったですが、これで面目が立ちました(笑) 「松村、今度の稽古は容赦なくいくぞ!」(笑)
剣道は、ゴルフと同じで、どんなに上達しても「底が見えない深さ」があります。まだまだこの先、さらなる精進を重ねて頑張ります!! そして、OB会や現役の部員の方々に少しでも恩返しできたらと思っています。
なかなかOB会の定例稽古会に参加できず、ほんとすみません。
みなさん、お元気なうちに、やりたいことをどんどんやりましょう!
冨田先輩、近々ゴルフレッスンしますね(笑)
(2022年11月24日)
酒井 正(5期生)
私の越高剣道部時代 ~思いつくままに~
私が越ヶ谷高校に入学したのは、今から55年前の1967(昭和42)年でした。入学と同時に剣道部にも入部しました。同期には、塩田君(加須昭和中学校剣道部でも同期)、早川君、市野川君、真中君、大塚君、須賀君等、剣道経験者も多く、充実した活動が実践できました。当時の創部3年目の剣道部に練習場はなく、教室の机を片付けて、半分ほどのスペースで稽古を行っていました。1年が過ぎたころ、体育館隣の木造の建物が稽古に使えるようになって、机の片付けからは解放されましたが、広さは教室と同じくらいでした。
練習で記憶にあるのは、葛西用水(逆川)の赤水門までのランニング、肩車での土手の上り下り、うさぎ跳び等のトレーニングをよくしました。夏休み中に越谷市に来ていた岩手医科大学剣道部の合宿に参加させていただき、宿泊での練習を初めて体験しました。大学生の剣道に大きな刺激を受けるとともに、豊田先生、鋪野先生はじめ越谷市剣道連盟の諸先生方からのご指導は、貴重な経験となりました。居合道、剣道、杖道の三道範士の長本先生(3期生・長本先輩の御父上)には、居合の抜刀、納刀などの基本を教えていただきました。厳しくても楽しい練習の日々のことが今でも思い出されます。大会では、私が1年生の時に1学年上の鈴木清美先輩がインターハイ県大会女子個人戦優勝、2年生の時、関東大会に男子団体戦初出場(県大会3位)を果たしたこと等を覚えています。
今は、故・片庭要三先生のご縁から志多見少年剣友会(加須市)の会長として長年活動に携わっております。新たな経験や刺激を大きく受けた越高剣道部時代のことは、少年剣道の指導にも、とても役立っています。
初代顧問の中野實先生の下で、素晴らしい先輩・同期・後輩の皆様と越ヶ谷高校で3年間を過ごすことができたことに感謝しております。もう少しで創部60年になりますが、1年1年の活動が歴史を刻んでいきます。現役剣道部員の皆さんの今、現在が充実した時間となることをご祈念申し上げます。
「剣の道は人生に通ず」
✻懐かしい写真をご紹介します✻
1992(平成4)年9月6日、剣道部の1期生~5期生が恩師・中野實先生の長寿のお祝いに戸室先輩のお店(うなぎ・懐石料理「藤白家」)に集合しました。OB会を作ろうとの話も出たように思いますが、皆40代で仕事が忙しく果たせませんでした。この日から22年後に冨田、長本両先輩が会長・副会長となってOB会が誕生したのは、創部50周年の前年、2014(平成26)年5月になります。
後列左から 長本③、市野川⑤、塩田⑤、田中③、早川⑤、飯野①、深井②、戸室①、大澤③
女性:鈴木清美④
前列左から 酒井⑤、山口①、岩本①、中野先生、橋本①、冨田①、鈴木昭④
敬称は省略しました。〇数字は、剣道部〇期生となります。
(2022年7月9日)
剣道、母校、仲間に対する「思い」を育もう
越ヶ谷高等学校剣道部OB会
会長 佐々木 清
(第12期生・1977年卒業)
令和4年度の総会で越ヶ谷高等学校剣道部OB会の会長に選任いただきました。
私は、縁あって初代会長の富田さん(当時は創部50周年行事の発起人)と出会い、設立から50年の足跡を記念誌としてまとめることになりました。このときに先輩たちの苦労に接し、また、越高魂というか、転んでもただでは起き上がらないマインドを感じとりました。この伝統をOB会の運営にも引き継いでいきたいと思います。
現在、我が母校では剣道部の入る生徒が減っているというのが現状です。厳しい稽古を重ね、勝ちにこだわる時代から転換期を迎えているのだなという実感をもちました。
大学卒業後、ほとんど竹刀を握ることがない私が、今さらながら思うのですが、剣道を通じて、仲間とともによい思い出を作ることが出来たし、厳しい稽古を乗り切ったことや剣道の教えが心の支えになることもありました。ですから、当時の仲間や先輩後輩と再び会えることに喜びを感じ、現役の生徒には剣道を持続できるような環境をつくるための支援を続けることが、今のOB会の役割なのだと思います。
私は、OB会を通じて先輩や後輩たちにお会いし、さまざまな発見がありました。仲間との絆の再発見、剣道の良さを再発見など。そして、改めて思うのです。剣道、母校、そして仲間、それぞれに対する「思い」を育むことが当会の意義であり、また、活動の原動力になるのだと思います。その思いは、剣道を続けているか否かにかかわるものではありません。どうぞ、それぞれの立場を生かし、OB会の運営にご協力いただきますようお願いします。
(2022年6月4日)
稲葉 勇夫(6期生)
杉谷君を偲んで
昨年末(2021年末)、杉谷君の奥様から喪中のはがきを頂きました。そこには、彼が3月に亡くなったこと、本人の生前の意思で家族以外には知らせなかったことが書かれていました。闘病中であることを知っていた同期の仲間達に、黙って人生の幕引きをしたのです。いかにも彼らしい私たちとの別れでした。
高校時代の彼は、何事にも「正直で一途な人」でした。彼の剣道は、正面からひたすら前へ前への一途でした。稽古で、前に並んだ先輩が空いていると積極的に向かっていきました。引いたりかわしたりで、手抜きをしよう、さぼろうとする私とは正反対でした。剣道以外の学校生活も真正面から向き合い、例え年上の人であってもおかしいと思えばきちんと指摘しました。私は、そんな彼を密かに今の流行言葉でいう「リスペクト」していました。
彼は、社会人になっても仕事に、恋愛に、結婚に、子育てに「正直で一途」だったに違いありません。同期の島村君が、彼の息子さんの剣道の様子を見る機会があり、大変強くきれいな剣道だったと感心したそうです。彼の「正直で一途さ」が受け継がれている証でしょう。
何年か前から、同期の仲間4人で時々ゴルフを楽しんでいます。始めたきっかけの一つに、闘病中の彼を含めて数人で久しぶりの会があります。元気になったら一緒にゴルフをしようと別れましたが、この時が彼と会った最後でした。ゴルフをしている時、彼はそこにいませんが、話の中によく出ます。彼はその様子を天国から見ながらつぶやいていることでしょう。「胡散臭い連中が勝手なことばかり言いやがって」と。
合掌
(2022年1月17日)
岸 宏昭(18期生)
六段審査を振り返って
新年あけましておめでとうございます。18期生の岸と申します。さいたま市の中学校に勤務しています。昨年8月22日、新潟県立武道館にて、六段審査にようやく合格することができました。六段に挑戦し始めてから約10年、受けた回数も同じくらいで、長くかかってしまいましたが、受け続けてよかったと今は思います。
当日の立ち会いは、会心の出来とは決していえず、何より打ち切った面が2人の相手に対して1本も決まらず、発表を待つ間も、気持ちを切り替えてまた11月に東京で受けよう、と思っていました。ただ2回の立ち会いとも、相手が技を出してくる機会はこれまでよりもよくわかり、またある程度相手の打ちを引き出すこともできて、出小手や返し胴は思ったように決まったのですが、肝心の面は、良くて相打ちで、きれいには決まらずに終わり、それは今でも反省点として残ります。それだけに発表で自分の番号を見つけた時は、信じられない思いでしたが、嬉しさの反面、もっと出来のよかった立ち会いも過去にはあったのに、という思いも残ります。まぁ審査とはそういうものなのだと思いますが・・・。
五段を同じ年に取った同じ年齢の剣友は既に七段にも合格し、たまに稽古に行く道場でも、年下で六段に受かる人も増え、正直あせる気持ちもありました。また下の息子の行っていた高校剣道部の保護者に経験者が多く、六七段の人も何人もいて、休日にはともに稽古に参加する機会があったので、息子の卒業までには何とか受かりたいと思っていました。残念ながら卒業には間に合わず、昨年春無事に大学生になりましたが、息子は息子で大学でも剣道を続けてくれています。
では次は七段、と今まだ気持ちが切り替わりませんが、これからも稽古をしていく中で、少しずつでも成長し七段に近づいていければと思います。自分は大学では続けませんでしたが、卒業後に勤務校が近隣という縁があって、部活の生徒ともどもよく指導を受けた埼玉大学の塩入先生から「剣道は何歳になっても上達できるものだ」とよく言われました。その言葉を体現できるように、今後も精進していきたいと思います。今後も御指導の程、よろしくお願い致します。
(2022年1月9日)
高木良文(22期生)
青木茂夫先生の思い出
2020(令和2)年11月21日、青木茂夫先生が急逝されてから早いもので1年になります。先生の思い出を書いて欲しいとのありがたいご依頼をいただいてから、だいぶ遅くなってしまいましたが、一文をしたためました。
私たち越高剣道部22期生(1987年卒業)の仲間の中には、卒業後も先生と交流を持っていた方が多くいます。高校生時代、私には青木先生に、しかられた経験しか、覚えてないのです。でも、大人になると怒る人や文句を言う人はいても叱ってくれる人はいませんね。今さらながら、ありがたいことだったのだと思います。あれは確か、修学旅行前に、私がパーマをかけて登校したら、青木先生が部室にいらして、こっぴどく叱られました。なおしに行くよう言われ、なおしに行ったことをよく覚えています。部室の近くのプールで夏は、みんなとよく遊びました。色々な思い出がよみがえります。
青木先生が、越高在職中の1983(昭和58)年度~1989(平成元)年度の7年間、剣道部顧問として教えた越高剣道部員は、58人‼(剣道場に名札がかかっている19期生~25期生です。) にもなるそうです。58人中18人がOB会の会員です。 私たちの22期生の会員は7人です。私が言うまでもなく、青木先生の功績は本当にすごいですね。それだけ、剣道を愛するお気持ちと部活動への思い入れがおありだったのでしょう。手前みそではありますけれども、年末の剣道部同期忘年会の幹事をつとめたこともございました。同期の神山さん・小林君・岩崎君のおかげでいまだに同期近辺の関係は続いています。この素晴らしい繋がりを作って下さったのも、青木先生で、ありがたいことだと思っております。
岩崎君が送ってくれた青木先生の64歳時の遺影の画像を印刷しました。たまに見ては思い出しております。73歳の誕生日に亡くなられたということで、本当はもっと長生きして頂きたかったです。せめてもの救いが創部50周年祝賀会(2014年10月)で青木先生にお会いできたことです。だからというわけではございませんが、OB会のイベントにはできるだけ参加したいと思っています。青木先生、ありがとうございました。
(2021年11月10日)
今出来ること、やるべきことを一生懸命に!
OB会に入りましたので、よろしくお願いします。
本日は、卒業祝いをいただきありがとうございました。在学中は、お世話になりました。ご用意された質問への回答という形ですが、ホームページへの投稿とさせていただきます。これからOB会の時には、よろしくお願いします。
✻ご卒業、志望大学への進学、おめでとうございます。大学生生活はいかがですか。
昨年度は中止だった入学式は行われました。コロナの緊急事態宣言があり、まだ1週間程しか登校できていませんが、お友達も出来たのでこれからの学校生活が楽しみです。
✻コロナの影響があって高校生活も大変だったと思いますが、部活動以外の思い出について、教えてください。
修学旅行(沖縄県)にも私達は行くことができました。一番は、1・2年生の時に参加した臨海実習です。色んな学年の人と仲良くなれたり、身近にいない生物と触れ合ったりと、とても新鮮で楽しい思い出になりました。
✻剣道を始めたきっかけは何ですか。また、剣道を続けてきて良かったことは何ですか。
兄の試合を見て興味が湧き、中学で剣道部に入ろうと思いました。実は、運動が苦手なのですが、良かったことは、人並みに活動できる競技ができたことです。また、剣道を通して色んな人との繋がりを持てたことです。
✻顧問の渡邉先生について、ご自由にお話しください。
部活のことはもちろん、進路についても沢山お世話になり感謝しています。会って間もない頃は、怖くて仕方ありませんでしたが、3年生の頃には私たち生徒に冗談を言っている時、素敵な笑顔が輝く、楽しい先生だなぁと思っていました。
✻OB会の中澤理事が出身中学校の校長でしたね。どんな感じでしたか。
誰よりも剣道着とスーツの似合う凛々しい先生でした。道場にいらっしゃると、全身からオーラが出ている感じで、賑やかな部員が緊張していたのをよく覚えています。
✻剣道を続けていきますか。また、将来の目標について、よろしければお聞かせください。
剣道は、好きです。大学の授業とアルバイトに慣れてから、できる環境があれば続けていきたいです。将来の目標は、薬剤師を目指しています。
✻最後に現役生の後輩部員の皆さんへ、先輩としてアドバイスがあればお願いします。
今出来ること、やるべきことを一生懸命やって下さい。部員が少ない中で活動していて、私がいつも考えていたことです。応援しています。
先輩方からメッセージをいただきましたので掲載します
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齋藤 万莉(56期生)
続けることを大切にしてきました
(2021.5.8)
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松村 哲延(17期生)
令和3(2021)年2月20日、七段昇段審査会(長野)を受審しました。会場は長野冬季オリンピックで建てられたホワイトリング(長野市真島総合スポーツアリーナ)でした。実は、昨年11月の東京の審査会で合格をいただきたかったのですが、自分の未熟さゆえ、形審査で大失敗してしまい、再受審を受けさせていただくことになりました。
東京での審査までは、土日の稽古はほとんど欠かさず行いましたが、やはりコロナの関係で稽古量は昨年度より少なく、おおよそ前年比75%くらいの回数しか行えませんでした。その代わり、一回の稽古の半分以上は基本稽古に費やし、特に切り返しはかなりの数行うようにしていました。また、YouTubeで八段審査の動画を見て、その気分を持って七段審査に向かうためのイメージトレーニングをしたり、同時に、本を読みました。特に参考になったのは、東京の波多野登志夫八段の著者、「おとなの剣道上達講座」でした。これは、とても分かりやすく勉強になりました。
再受審になってからは、忙しい時期が続き、実際に形を打つ稽古が全く出来ず、本番に臨むことになってしまいました。しかし、幸運な事に長野の審査では、本番前に1時間以上、しかも本番の相手の方と、さらにどちらが打大刀で仕太刀かも分かった状態で練習することができました。ペアになった福岡県の今年73歳になったというベテラン剣士と会場係になっていた昔からの知り合いの先生に付きっきりでコーチを受けて、本番に挑むことができました。そのおかげで受かりました。それが無かったら、きっと落ちていたと思います。ありがたいことです。まさに、出会いの運と繋がりの運に恵まれた、幸運の「へっぽこ」七段なのです。これから次の目標はもちろん、八段チャレンジができるところまで精進するということです。
後輩の皆さんへのアドバイスなんて大したものは無いのですが、続けることを大切に。細くてもよいから、長く続けることが最も大切なのかなと思います。
現在、公立中学校管理職という仕事柄、結構大きなプレッシャーやストレスを感じてしまう時がありますが、剣道をする時間と剣道を共に行う仲間の存在で、ずいぶん助けられてきました。また、シビアなやり取りをする際も、胆が揺るがないで、しかも押し引きの呼吸については、勘が働くのも剣道のおかげだと思います。仕事がダメダメな時は、剣道が支えてくれて、仕事が上手く行っている時は、剣道にも自信が出ていた気がします。別に仕事のために剣道しているわけではないのですが、仕事と剣道は学生における学業と剣道の関係に似ているのかなと思います。
文武不岐、文武両道、事理一致ですよね。という事で、受審レポートでした。
(2021.3.7)
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榎本 裕介(36期生)
この逆境を全てを見直す機会に
新型コロナの影響が社会を一変させてから半年以上が過ぎ、「少しの間我慢すれば・・・」とただ待つのではなく、攻めの気持ちで何か新しい道を探し挑戦せねばならないと、誰もが認識したころだと思います。
私は越高卒業から20年、OB会には設立当初から関わらせていただき、今は東京都の広尾学園中学校・高等学校という私学で理科・情報の教員をやっています。他の業務の都合で剣道部顧問からしばらく遠ざかっていましたが、2020年度に再び顧問となりました。しかし顧問再就任が決まった後にコロナの猛威が押し寄せ、しばらく防具をつけることはありませんでした。8月からは下記の小野原先輩からも紹介があるとおりマスク&シールド装着で稽古ができています(最初は苦しかったですが、すぐ慣れます。不織布マスクは特に苦しいのでおすすめしません。スポーツ用のものを使いましょう)。とはいえ、年に1度か2度しか竹刀を持たない期間が約20年も続いたので、地稽古を数本やるだけで1週間も筋肉痛になっています。それでもこれだけのブランクがあってもしっかり動けて楽しめるというのは剣道の特長の一つだと思います。同校の顧問には七段の先生がおり、清々しいほどボコボコにやられます。大人になってから、そうして全然敵わない相手に挑戦者として挑むことは、普段の生活ではなかなか味わえない楽しさがあります。コロナとの付き合い方も固まってきて出稽古が可能になれば、是非、現勤務校の広尾学園の生徒たちを連れて越高の剣道場で稽古をしたいと思っています。
または、今の仕事としてそこそこIT教育関連で私の仕事が社会から注目してもらっているので(記事1、記事2)、越高のIT教育のサポートのためにお邪魔することがあるかもしれません。その際にはついでに防具持っていきます。今も仕事でこうした挑戦的な取り組みができる根底には、剣道で培った精神があると思っています。現役生は想像しにくいかもしれませんが、剣道で学べることは本当にとても多いのです。騙されたと思って没頭してみてください。後悔はしないです。
さて、長文の最後に事務連絡みたいになっちゃいますが、このサイト、かなり前に私がGoogleサイトを利用して作ったもので、そろそろサポートが切れてしまいます。何より、令和になった今となってはこのデザインは少々ダサいですよね。近いうちにリニューアルします。しばらくお待ちください。
(2020. 9. 20)
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小野原 寛(17期生)
新たなスタートへ!
皆さん、新型コロナで悶々とされていると思いますが、いかがお過ごしでしょうか? 自分は現在、ゴルフのティーチングの仕事を、業務受託したスポーツクラブやゴルフ練習施設で行っております。ご存じのように練習施設は、休業要請の対象になっていたために、4月・5月の丸2ヶ月間失業状態でした。濃厚接触に当たるレッスンはやりたくなかったのも本音ですが…、やっと6月1日から再開した次第です。
皆さんも、飛沫飛ばしまくりの剣道の稽古は、当然全くできていませんよね。私も、4月5月は毎日、木刀と竹刀の素振りを繰り返していました。地元の農道をウオーキングもしていたのですが、何だかつまらないので、5月頭にロードバイクを購入しました!そして、毎日のように長距離を走って楽しみながら身体を鍛えていました。 自転車がこんなに楽しいものだとは!今は完全にハマってしまいました。
さて、全日本剣道連盟から再開のガイドライン(全剣連ホームページにリンクします)が出て、何とか再開できそうですが6月10日現在、私の地元の稽古会も再開に向けて準備段階です。面下に手ぬぐいマスクとシールド装着ですから、そうとう慎重にやらないと今度は熱中症が心配ですよね。世界中がこんなことになるとは、ほんとに想像もできないことが起きるのですね。今までの当たり前だった普通は、もう普通ではありません。稽古の再開ではなく、“新たなスタート!”と、とらえて全員で前を向いて一歩ずつ進んでいきましょう!
母校の道場での皆さんとの再会を楽しみにしております。皆さん、コロナには十分ご注意ください。
(2020.6.10)
島村 明浩(14期生)
剣道は、30年以上ブランクがあっても楽しむことができます…。
高校を卒業後、同窓会に出席するぐらいで、母校からも剣道からも離れて30年以上になっていました。剣道を続けている同期生の中澤君からの声かけがあって、OB会に入会し、盛大に開催された「創部50周年を祝う会」(平成26年10月)にも出席することができました。懐かしい恩師・先輩・同期・後輩の皆さんに再会してから、早いもので、2年になります。
何回かOB稽古会を見学に行きました。皆さんが稽古に汗を流す姿を、うらやましそうに見つめる私の心中を見透かすかのように、OB会会長の冨田先生が、ご自分の剣道着と竹刀を手渡して、“また、剣道を始めたら…”と、勧めてくださいました。現顧問の渡邉先生が、防具や袴をご用意してくださいました。まるで、体験入部のようでしたが、想像を上回る心地よさに自分でも驚きました。今ではお陰さまで、仕事の関係でなかなか顔を出せていませんが、居住する地元の剣友会に入会して、近所のかわいい孫のような小学生たちと楽しい剣道ライフ!?を復活することができました。冨田先生、渡邉先生、OB会の皆さん、ありがとうございます。これからもよろしく、ご指導ください。
剣道から離れているOBの皆さんで、再開してみたいと、考えていらっしゃる方は、気楽に稽古会に見学にいらっしゃるとよいと思います。また、素晴らしい再会と新たな出会いが、きっとあると思います。
耒 直人(50期生)
がんばれ、現役生!!
越ヶ谷高校を卒業してから、剣道部を引退してから、かれこれ約5年が経ちました。この期間に色々なことがありましたが、それでもやはり剣道部での出来事は今でもよく覚えています。
上尾の武道館での試合、、
越谷東高校での合宿、、
合宿の夜に動画で聴いたあの曲も、、
本当に沢山の思い出がありますが、そんな思い出を先輩や後輩と思い出せるのも このOB会のおかげです。
OB会では多くの世代の方々とお話しもできますし、関わり合いを持てるのは非常にありがたいことです。学生から社会人になり改めて実感しました(笑)
それから今の現役生! 部員が少なくなってしまい、辛いときも苦しいときも沢山あると思います。でもそれも、役に立つ時が、やってきて良かったと思える時が必ずきます。 自分なりに楽しいことを見つけながら、やり抜いてみて下さい。応援しています。
がんばれ!!
(2019.10.12)
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山縣 宏介(50期生)
素振りだけでも楽しかった久しぶりのOB会
令和元年9月21日のOB会に、久しぶりに参加させてもらいました。越ケ谷高校で教育実習を行ったとはいえ、"卒業生"として来るのは少し緊張するものですね。あまりにも音信不通過ぎてある種の気後れがあったですが、楽しかったです。
怖い場所ではないので、「久しぶりに始めようかな」、「まずは素振りから」、などなど気軽に参加してみることをお勧めします。外部の方もいらっしゃることもあるようなので、人脈拡張にもよいと思います。
PRみたいなところはさておいて、私の感想を書いていきましょう。私は半月板を損傷してしまい、高校以来剣道からは離れておりました。大学の講義で半期程行ってはいましたが、"本腰を入れてやっている"感はあまりありませんでした(大学の友人からは「お前の面は痛い」と言われましたが……)。体力づくりや健康のため、ときたま素振っていたのは事実ですが、こちらも何だか本気になれず、長くは続かなきませんでした。そこで何らかの契機を求め今回のOB会に参加させていただいた次第であります。
素振りだけでの参加でしたが、防具・技術の準備が出来次第、かかり稽古や地稽古に参加したいと考えています。その時には先生・先輩の皆さま、どうぞお手柔らかにお願いします(笑)。
さて、一言欄にしては長くなりましたね。それでは、おあとがよろしいようで!
50期生・山縣宏介(2019年9月)
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会田 和彦(15期生)
再び剣道を始めました
私の勤務する春日部市役所には、職員厚生会に所属する団体として野球部、サッカー部等とともに剣道部も登録していましたが、長期間にわたり活動実績がなく名称のみが存続している状態でした。二年前の暮れにふとしたことから職場の若手職員から「剣道部の活動を始めませんか。」と声を掛けられました。すでに20年以上剣道から離れており、しばらく躊躇しましたが、越ヶ谷高校剣道部OB会が多くの先輩方のご尽力により設立され、稽古会や卒業生の集いなど活発な活動をされていることに大きな刺激を受け、次第にまたやってみようかという気持ちが湧いてきました。昨年から職場の剣道部の稽古に参加するようになり、今年3月のOB会稽古会にも参加させていただきました。再び稽古を始めるきっかけとしてOB会の存在が大きく影響したと感じています。
まだまだ初心者のような内容で気剣体一致には程遠い状態ですが、しばらくは剣道を続けていきたいと考えていますのでご指導賜りますようお願い申し上げます。
OB会の入会にあたりましては、冨田前会長、山﨑事務局長にご配慮いただき誠にありがとうございました。
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稲葉 勇夫(6期生)
友を通して生き方を学ぶ
私が3年生の合宿での出来事です。夜遅く、先輩がF高校剣道部OBの友達を連れてやってきました。そして、F高校剣道部が強い理由をよく聞いて稽古するように告げ、F高校OBが話し始めました。私は「夜中に起こして、よその学校のことなど聞きたくないよ。」と思いながらも、表面上は聞いているよう装いました。「F高校には、剣道部の長い伝統があり、県内外で多くの実勢を挙げてきた。」と話したき、同期の杉谷君が、「あなたたちは、伝統の上に乗ってやっているだけではないですか。私たちは伝統を作っているのです。」ときっぱりと言い放ったのです。私は、「杉谷はすごいな。」と驚くとともに、「俺は考えつかなかった。それに、そんなこと言うと先輩に怒られるぞ。」と思いました。しかし、その後、先輩もF高校の友だちも何も言わなかったのです。杉谷君の気迫に負けたのです。その夜から、杉谷君を同期ながら、ある意味尊敬するようになりました。
何年かして、私は教員になり、ある中学校を離れるとき、合宿の夜のことを思い出しながら、先生や上級生であっても、聞くことは聞き、自分の考えはしっかり持ち、言うべき時にははっきり言うことも大事であることを話しました。
越高剣道部は、剣道の技だけでなく生涯の友を得て、その友を通して生き方も学んだような気がします。
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渡邉 健太(51期生)
私は小学2年生の頃に剣道を始め、中学・高校とつづけていき越ヶ谷高校でも厳しいけれど楽しい剣道を続けていましたが、大学進学後は全くと言っていいほど剣道をする機会がありませんでした。
しかし、OB会があることで定期的に剣道をする機会ができ、さらには大会に出場することも出来て、これからもとても楽しく剣道を続けていくとこができそうです。
OBの先輩方と共にこれからも剣道を楽しんでいきたいです。
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高木 良文(22期生)
OB会の交流から、再び剣道を始めました。
平成28年10月02日(日)の越谷市民剣道大会の応援にうかがいました。同期の岩崎君から、同期生峯下君・23期生高嶋さん・24期生大下君が大会に出場するというお知らせを頂いたのが、きっかけです。
大会当日は、夫婦で会場に参りました。OB会の冨田会長は、私達にも資料を配布して、お声をかけて下さいました。試合結果は、このサイトにもあるように、まさに『素晴らしい!』や『惜しい!』という感じでした。応援に行った先に、同輩や後輩との懐かしい出会いや、新しい出会いがございました。17期生小野原先輩からは「近所だから、一緒に剣道しませんか?」というありがたいお誘いもありました。
30年以上、離れていた剣道ですけれども、頑張っている先輩・同輩・後輩を見て、『また、剣道をやりたい!』という気持ちにかられました。今では、妻を巻き込んで、夫婦で、地元の剣友会に所属しています。
体重も以前の倍近くになって、ケガをしないように、注意しております。また、稽古の途中で、休ませて頂くことも度々あり、情けなく思うばかりですけれども、若い頃に汗を流した感覚には、かけがえのないものがございます。これも「OB会の方々のおかげだ」と感謝しております。
皆さん、これからもOB会のつながりを大切にして、頑張っている現役生を励ましていきましょう!
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峯下 寿樹(22期生)
OB稽古会(H28.7.9)に参加しました。防具をつけたのは18年ぶりくらいになるでしょうか、周りの皆様方にケガをしないか心配をおかけしながら、いい汗を流させていただきました。
私は大学を卒業後、父母の故郷である愛媛県で就職(H4愛媛県庁入庁)した関係で、稽古会等については承知していましたが、当然のことながら参加することはできませんでした。
ところが、平成28年4月より東京勤務(単身赴任。これが意外と寂しい)となり、5月の総会に参加したことがきっかけで、7月の稽古会に参加させていただきました。肩に力が入って思うように動けませんでしたが、懐かしく楽しいひとときでした。東京勤務は2~3年になると思いますが、時間の許す限り参加したいと思います。
余談ですが、私は愛媛県産の農林水産物のPR等の仕事をしています。スーパー等で愛媛県産を見かけましたら、迷わずご購入をお願いします!
「愛媛産には、愛がある。」
現役生のみなさん。今は部員が少ないと聞いていますが、少ないながらも大きな声で、笑顔で練習してください。そして、みんな仲良く頑張ってください!
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齋藤 浩一(18期生)
久々の再会
我が18期は13名(男10名、女3名)のメンバーになります。卒業後も年1度くらいには男5~6名で集まっていました。
そういう状況で最初のOB会稽古会で、久々に先輩方や後輩とも再会しました。在部当時は先輩と話すだけでも緊張していましたが、50代にもなると、普通に話せるようになるものですね。それは後輩も同じ思いだったのではと想像しています。
3年前の50周年を祝う会では女性同期が出席したので、卒業以来の再会となりました。
これを機にOB会総会日に同期会を開催して、今年も別の女性同期とも再会しました。来年には10名近く集まり、久々に再会する同期も増えるかもしれません。
もう1つの再会は、剣道をすることです。高校卒業後には竹刀も握っていませんでした。
OB会最初の稽古会で素振りだけ参加しましたが、翌日には手に豆ができました。当時と変わらず下手だと認識しました。2年前には冨田会長の強引な誘いで、防具をつけて稽古をすることになりました。体力には自信がありましたが、切り返し、面打ちなどの後の掛かり稽古で3人を相手にしたらクタクタになり、途中で退場しました。翌日足の裏の皮がめくれていました。
60歳を過ぎてから再開できればと思っています。
このような再会以外にもOBメンバーや顧問の先生との出逢いもあります。越高剣道部所属というつながりだけでも会話ができるメンバーがいるというのはありがたいことだと思っています。
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渡邉 健太(51期生)
今回僕は久喜剣道大会に出場させていただきました。大会に出場するのは高校3年生のインターハイ予選以来だったので約1年で部活動を引退してから練習していなかったので不安でした。
今回の大会がOBとしての初めての大会だったので先輩方に迷惑をかけてしまわないか不安でした。試合は1回戦で敗退してしまいましたが、優勝候補のクラブと当たる事が出来たので試合はとても楽しかったです。
これから大会に出場する機会があったら今度はさらにチームに貢献できるようにしたいです。
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鈴木 浩之(25期)
中年オヤジの小言
越高剣道部を卒業して26年。一度は剣道から離れ、その当時はまた竹刀を握ることなど考えてなかったはずですが、転職を機に再び10年程前から体力作りと気分転換といった簡単な気持ちで再始動することになりました。
越高剣道部OB会参加へのきっかけは、当時顧問でご指導いただいた青木先生、また冨田先生にお声を掛けていただき、昨年秋より娘共々稽古会に参加させていただいております。
現役時代の動きにはほど遠い感じですが、いざ面を着けると後輩達には負けたくないという気持ちだけが空回りし、足が縺れる始末。技術的な指導はなかなか難しいですが、年齢を重ねても剣道は続けられることだけは身を持って現在も後輩達や地元の子供達へと指導をしております。
先日も久喜剣道大会にも参加させていただきました。残念ながら越高OBチームでの初の一回戦突破はおあずけになりましたが、程良い緊張感とワクワク感で充分に楽しませていただきました。いつかリベンジしたいですね。
最後に、しばらく剣道から離れている先輩方また後輩達、たまには昔の頃を思い出し、一緒に汗を流してみませんか。
きっと一度来てみると懐かしさとあの頃の充実感や達成感に魅了され、楽しい時間を過ごせると思います。私自身も声を掛けていただいた先生方・先輩方に感謝し、これからも可能な限り、稽古会には参加させていただきたいなあと考えております。
よろしくお願いいたします。
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荒川 麻里(28期)
やらされる稽古はするな
顧問の楡井秀征先生が、たびたび口にしていた言葉です。
メニュ-をこなすだけの考えのない稽古をしていても何も身につかないという戒めの言葉で、つらい時にとても励まされました。
あれから20年以上が過ぎました。新聞奨学生をしていた
大学時代、ドイツ留学、大学院生活、大学教員としての仕事、人生のあらゆる場面でこの言葉を思い出しました。
自分で道を切り拓き、貫徹する精神力を培った越高剣道部の3年間は、今も私を支え続けてくれています。ありがとうございます。
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鈴木 昭(4期)
昔の思い出
当時の道場は狭かった。春の県大会が終わって、顧問に呼ばれた。体育館練習をしたいのなら、お願いをしてくるよう言われた。体育館はバスケ部が専用である。昼休みに体育教官室に行き、来意を告げて熱心にお願いをしたが、あまりよい感触が得られなかった。バスケ部の予選敗退を耳にしていたので、そのことも言い足して退室して来た。結果は思いの外、早く出た。放課後の稽古を終え部室への帰途、名前を呼ばれバシッときた。襟首をつかまれ壁に押し付けられた。昼に不在だった体育主任が青筋を立てて怒っていて、「関東大会に出るくらいで、でかい面をするな。」と睨まれた。小僧の使いになった。
次の日、顧問に呼ばれた。バスケ部が繰り上げ、その後1時間・1週間の使用許可が出たと上機嫌で言われた。一応、昨日の顛末を告げたら「あ、そうか」と茶をすすった。
犬猿の仲と噂されていたが、呼吸は合っている。私は、妙な納得をした。
ps 先鋒として活躍してくれた塩田君。昨年、中央市民会館でバッタリ出合って近況を話しながら会場にまぎれた。後で思うと昔のように呼び捨てにしていた。いつか、別の機会に呼び捨てを詫びようと思っていたのに。心からお悔やみ申し上げます。
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岩元 正行(1期)
剣道部雑感
秘話を一つ。
ある男が、小使い室で休憩している井上一先生(当時の実力者)の前に立って、
「剣道部を創りたいんです。お願いします」
と、言ったのだそうだ。ちなみに、剣道部創部の二年前の話。
結果は――
頭ごなしに怒鳴られて、這いつくばるようにして小使い室を退去。以後、男は剣道部の「け」の字も口にしなくなった。
時過ぎて、昭和40年5月剣道部創部。副部長となった男は、二年前の意趣返しとばかりに、一・二年生に過酷なトレーニングを課した。赤水門までの往復駆け足、執拗なうさぎ跳び、エンドレスの素振り……。
その甲斐あって、ほどなく関東大会出場。
メデタシ、メデタシ。
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加賀谷 学(18期)
10月25日、越谷市市民剣道大会にOB会から出場させて頂きました。お話を聞いた時には、とんでもない、と思っていましたが、「人数が揃わない」ということを聞いて覚悟を決めました。当日、試合会場に行くと、冨田OB会長から手ぬぐい(越ヶ谷高校剣道部の)を渡され、久しぶりに『揃いの手拭いで試合に出る』ことに感激しました。
試合前、緊張で面紐がなかなか結べなくて困りました。個人戦・50歳以上の部に出ました。3回戦(準々決勝)で、人生初の判定負けというものを経験しました。団体戦は1回戦、お相手は強かったです(結果的に決勝まで進んだチームでした)が、チーム若手が副将まで勝負をつないでくれ、白熱した試合に、気合入りました。初戦で負けてしまいましたが、試合前の緊張感も、負けて悔しい気持ちも、一緒に試合に臨む仲間がいるという一体感も、久しぶりにとてもうれしかったです。このような試合の機会を頂いた冨田OB会長、大会審判長の小川先輩、特に試合準備や審判でご対応された大下さん、山﨑さん、一緒に戦ってくれた小野原先輩、内藤さん、榎本さん、どうもありがとうございました。OBの皆さん、来年はCチームまで作って出場しましょう。
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神山二美(22期)
『越高剣道部への思い』
越谷高校を卒業して30年近くなる。
高校時代は、自分の中で完全燃焼した感があり、あの頃に戻りたいという気持ちとは違うのだが、とりわけ剣道部については、どこかせつないような、あったかいような、宝箱の中に大切にしまっておきたい特別な思い出である。
今でも同期で年1回、同じ日に集まっている。もう25年くらい続いているだろうか。
剣道部の練習はきつかった。夏は暑いし、冬は足が冷たい。長期休暇も毎日格技場へ通った。夏合宿では、リタイヤする人続出の中、気持ちが悪くなり、戻しそうになったのを飲み込んでかかり稽古したのを今でも覚えている。
年頃の女の子が、練習で全身臭くなり、帰りの改札で駅員さんに定期を見せる時、小手臭くないだろうかと恥ずかしかった。
なにより本気で一生懸命する大切さと清々しさを、あの時の剣道を通して学んだ気がする。
年を重ね、力の入れ加減はちょうどよくなってきたが、今でもあの時のように、本気の気持ちを大切にしている。本気の気持ちが自分や人の心を動かすと思う。
OB会ができたおかげで、以前より行き交いが増えましたね。
子供の手が離れてきて、また剣道が恋しくなってきた。
~恩師青木茂夫先生、OB会会長冨田哲夫氏に感謝の気持ちをこめて~
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雨貝隆一(26期)
OB稽古会に参加した。ほぼ20年ぶりに竹刀を握り現役生に交じっての稽古、着いて行くのがやっとだったが懐かしさと、思うように体が動かない苛立たしさ、終わった後のビールの楽しみさで、とても充実した稽古だった。何も考えずやっていた切り返し・・・何本前に出て何本さがるのか?忘れている自分に驚いた。
まずは相手ではなく自分のアキレス腱との戦いの再デビュー、今後も時間の許す限り参加していきたい。
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大下卓二(24期)
今年の1月から稽古会に参加する様になりました。
十余年のブランクがあり、すぐに息があがってしまうのですが、そんな私の体に気を遣って皆様が稽古をして下さいます。
初めてお会いする方々ばかりなのに、温かく受け入れていただき、同窓の繋がりという不思議な縁に、ただ感激するばかりです。
今後もできる限り参加し続けたいと思っています。よろしくお願いします。
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