『イメージの人類学』(2018)

『イメージの人類学』(せりか書房、2018年4月)は、「イメージ」の概念を軸として、人類学の過去から現在、そして未来までの全体を見通しうるような理論的視座の構築を目指した本です。人類学理論から「文化」・「社会」の概念を「引き算」し、その代わりに「脱+再イメージ化」と「社会身体」の概念を軸とする——しかしそれとともに民族誌的フィールドワークという根本的な作業をしっかり見据えた——人類学を展望します。そして本の後半では、デスコラの「自然の人類学」から想を得つつ、それを「イメージの人類学」の思考枠組みの中で捉え直しつつ、「イメージの人類学」を実践していくための一連の道具を実装していきます。その過程で、人類学が哲学、映画やアート、そして科学と有意義な対話をしていくための様々なヒントも提示していきます。さらに「おわりに」では、この「イメージの人類学」を、未来に向かう学問的実践として捉え直します。

このように書くと、本書は理論志向の、抽象的で難しい本であるという印象を与えるかもしれません。しかしこれは実際には、具体性に富んだ、「人類学らしい手触り」が十分にある本です。下に掲げた目次にもある通り、本書では20世紀前半の古典的民族誌から2010年代の先端的な民族誌まで、そしてドキュメンタリー映画や劇映画など、多様な具体的素材が引用されます。また第3章および第5章第1節では私自身の南アメリカにおけるフィールドワークの経験が詳しく述べられ、「イメージ」、「社会身体」といった中心的概念の必要性も、そうした具体的経験との関係で提起されます。本書を通じて提示される、従来の「文化」、「社会」の枠組みを通してでは見えなかったような新たなパースペクティブというのは、こうした様々な民族誌的な「イメージ」の全体と切り離せないものです。付け加えれば、終結部(第8章後半から第9章)では、理論的考察をしばしば意識的に後退させ、現代進行形の人類学的記述を「モンタージュ」するような叙述形式を採用しました。これは、とりわけ現代人類学の問題性について述べるためには、読者自らがそれをダイレクトに感受し、主体的に思考していくことが大事だと考えたからでした。

本書はそれゆえ<イメージの人類学>の理論を提示する本であると同時に、<人類学>そのものをできるだけ全体的に、首尾一貫した形で提示しようとする本でもあります。究極的には、読者の中に<人類学>そのもののの今日的な問題性への関心を喚起していくという目的に比べれば、<イメージの人類学>の枠組みは重要ではないといってもかまいません(私はこの本でいわゆる「独創性」や「新奇性」を目指したのでは全くありません)。私は実際、この本が人類学を全く知らない読者にとっての人類学の現代的入門書にもなるように、予備知識をほぼ一切前提としないで徹底的にクリアーに書くことを目指しました。読者がこの本を全部読み切らなくてもいい(もちろん全部読み切ることで得られる展望は大事ではありますが)、とも思っています。私の意図は、本書を書いている過程での私の——半ば不可能な?——目標は、人類学者を知っている読者とそうでない読者の両方が、どのページを開いても何らかの発見の喜びを感じられるようにしたい、というものでした。

簡単に舞台裏をご説明するなら、私が「イメージ」概念を軸に人類学を根底から考え直す必要を感じたのは、本書の第3章でも書いた通り、チリの先住民マプーチェのもとで行ったフィールドワークについて反芻していた1990年代前半のことです。しかし、イメージについて深い理解を持たなければこの企ては達成できないことも痛感し、その後人類学を意識的に離れて哲学や映画の領域に踏み込んでいきました。そのあと2000年代には、映像人類学・民族誌映画の領域を対象としつつ「イメージの人類学」について考えました。そうした準備の上で、人類学において1990年代から2010年代にかけて新たに力強く現れてきた諸成果(とりわけ自然の人類学)をも吸収しつつ、現代の人類学についての私なりの全体的ビジョンを提示したのが、この『イメージの人類学』という本です。

『イメージの人類学』(せりか書房、2018年4月16日初版刊行、308+v頁) 定価3000円+税 (Information in English is available here)

*書評:哲学者の野矢茂樹氏が『朝日新聞』(2018年7月14日)に「異質な世界を捉える学問のいま」というタイトルで、また哲学者・文学者の宇野邦一氏が『週刊読書人』(2018年8月17日号)に「映像を通じて人類学を再構築ー「イメージ」の一語ははるかに厖大で多様な宇宙に開かれる」というタイトルで、書評をお書きくださいました。詳細についてはこちらのページをご覧ください。

『イメージの人類学』

「はじめに」プレビュー [画像右上をクリックすると全体画面で読めます]

ジャケットのデザイン(装幀=工藤強勝氏)

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詳細目次

はじめに――人類学の変貌......5

1990年代以降の人類学

本書の構成について

第1章 イメージの人類学に向かって......14

1.1「他なるもの」の肯定

1.2 〈文化〉、〈社会〉からイメージへ

1.3 イメージの転生――脱イメージ化と再イメージ化

1.4 感覚イメージとは何か――神経科学的観点から

第2章 民族誌的フィールドワーク――原点としてのマリノフスキ......39

2.1 自己を変化させること

2.2 マリノフスキと不可量部分の理論

2.3 マリノフスキとフラハティ

2.4 フラハティからルーシュへ――不可量部分の映画人類学

第3章 民族誌的フィールドワーク(続)――転換期の一事例......59

3.1 中心のないフィールド

3.2 イメージで考える人々――儀礼的対話をめぐって

3.3 表と裏、ねじれ

3.4 力の場

第4章 イメージ経験の多層性......81

4.1 カントからカーペンターへ

4.2 脱イメージ化と再イメージ化――構造主義から何を学ぶか

4.3 再イメージ化のミクロ政治学――ラボヴの言語学

4.4 イメージ・言葉・文字

文字的イメージ平面の共存(スクリブナーとコール)

4.5 イメージ平面と人類学

古代ギリシアにおける学問知の誕生(ハヴロック)

第5章 社会身体を生きること......109

5.1 社会とは何か?

ペルー東部 一九八九年――無政府状態の中の人々

5.2 社会身体の構成

バリ島における社会身体(ベイトソンとミード)

5.3 親族名称における言葉とイメージ――マプーチェの事例

5.4 社会身体のダイナミクス

《基礎訓練》(ワイズマン)

5.5 イメージ・力・社会身体

第6章 自然のなかの人間......142

6.1 ディナミスム――自然の力を感じること

6.2 アニミズム――「多」へと向かう世界

6.3 自然の力と対話する

6.4 「戦争へと向かう社会身体」

《死鳥》(ガードナー)

第7章 アナロジーと自然の政治......165

7.1 自然のなかの照応関係

7.2 垂直性と水平性

7.3 アナロジスム的な経済

7.4 客体化された〈自然〉

ティコ・ブラーエの場合――印刷術と天文学

第8章 近代性をめぐる人類学......195

8.1 国民国家の下での社会身体

《リバティ・バランスを射った男》

8.2 客体化された〈社会〉――経済学と存在論

8.3 タルド主義の可能性

8.4 イメージの政治、イメージの経済

タミルナードゥ州 一九八五―一九八七年

マンハッタン 一九七九年

8.5 枠をめぐる問題

通過儀礼の三つの段階

マルセイユ 一九九三年

皇居 一九八八―八九年

第9章 自然と身体の現在へ......242

9.1 人類学の新たなヴィジョン

9.2 民族誌的フィールドワークの変容

9.3 脱身体化と再身体化

マーフィーと脱身体化する身体

ハルの経験――視覚を失うこと

9.4 身体の人類学に向かって

インゴルド「止まれ、見ろ、聴け!」

先天性ろう者と手話言語(サックス)

9.5 自然と国家――ペルーの場合

ユンガイ 一九七〇―七一年

パクチャンタ 一九五〇―二〇〇七年

クスコ〜マドレ・デ・ディオス 二〇〇六―一一年

9.6 技術・自然・身体

ノルマンディー半島部 一九八七―八九年

インターネット 二〇〇四―〇七年

太平洋・大西洋 二〇〇〇―〇五年

カナダ各地 二〇一一―一三年

おわりに......294

「四つ」の自然観

人類学的直観

四つの時間性

「一回的なもの」と「反復的なもの」の間で

あとがき......307