田中理恵子

「生きている」音楽―ハバナにおける

「キューバ芸術音楽」の日常経験―

田中理恵子氏の論文「「生きている」音楽―ハバナにおける「キューバ芸術音楽」の日常経験―」は、キューバの首都ハバナにおいて芸術音楽の演奏・教育・創造を行う音楽家たちをめぐる、民族誌的フィールドワークに基づく論文である。豊かな民衆音楽の土壌が存在するキューバで、ソ連崩壊以来今日まで続く困難の中、国家に支えられながら芸術音楽を実践しつづけるとはいかなることか。自身が音楽の実践家でもある田中氏は、近年の音楽や芸術に関する人類学的議論の発展を踏まえ、フィールドにおける音・言葉・物事の「響き合い」を敏感に受け止めながら、そうした問題を民族誌的方法によって分厚く論じている。

「序」においてフィールドワークの概要と論文の基本的方向性が示されたあと、第1章では、本論文全体の理論的視座が示される。そこで俎上に載せられるのは、一方ではラテンアメリカの文化や芸術における「非本質的な模倣」(N. ガルシア=カンクリーニ)や「流用」(A. シュナイダー)の概念であり、他方ではM. シェーファーのサウンドスケープ論、および、S. フェルド、H. ベッカー、A. エニオンらによる音楽や芸術に関する人類学的・社会学的議論であり、さらに、T. インゴルドの「変換」と「永続」の概念である。

続く二章は歴史的・社会的背景の検討に充てられる。第2章では、キューバ芸術音楽がキューバの歴史の中で担ってきた役割、また、それが今日のキューバ社会において占める位置が考察される。第3章では、米国との関係——ないし「外との関係」——という、キューバの人々にとって特別な重要性を持ってきたテーマが検討される。以上を土台として、第4章以降、ハバナにおける芸術音楽家の営みに焦点を当てた、民族誌的議論の核心部分に入る。

第4章のテーマは、音楽家の活動の核心にある楽器との関係である。そこで強調されるのは、まずは、模索の中で楽器との共同的関係を形成し、一種の均衡的関係のもとで楽器と一体化していくことである。しかしより高次の活動においては、音楽家が逆に均衡を失って「楽器に憑かれる」一方、使えなくなった楽器には意外なほど冷淡であるなど、音楽家と楽器の関係は、楽器の「外部」性を改めて受け止めた、複雑で多重的なものになってゆく。

第5章では、昼は芸術音楽を、夜はアフロ・キューバ音楽を演奏する等といった、ハバナの音楽家たちのジャンルを超えた営みが検討される。彼らはどの場所でどんな音楽を演奏すべきかを意識して即座にジャンルを切り替えるのだが、音楽家たちの言動を詳細に検討することで理解されるのは、楽器との関係に見られたのにも似た、外部性を孕み多重性を含んだジャンルとの関係である。

第6章ではオーケストラの集団的な営みに焦点が当てられる。国立交響楽団の歴史的背景や活動の実際が描かれたあと、演奏会に向けたリハーサルの様子が具体的に検討される。その中で、音楽家たちが自分の音への制御を失いながら、オーケストラによってしか鳴らない音を生み出してゆくこと、さらに、ハバナの芸術音楽家たちが自分の音の「外」に出ることで引き起こされる感動をとりわけ大事にしていることが論じられる。

第7章では、ハバナにおける芸術音楽の営みと、それを取り囲むハバナの日常生活との関係が論じられる。音楽家たちは、政府によって与えられてきた特権的な地位が不安定となり、音楽を続けるための環境も劣化していると感じている。しかし彼らは、「どのような状況でも音楽を止めてはいけない」という演奏上のルールを守るかのように、国外に出るという選択肢を取らず、キューバで「キューバ音楽」を担いつづける。そうした営みは、キューバの「外」に暮らす親族や知人の生活を想像しつつ、老朽化した建物、凸凹の道路、衛生上問題のある水などと日々向き合いながらハバナで生きつづける人々全体の経験と確かに呼応するものである。論文末尾の「結」の部分では、本論文全体の議論が、異質性と同質性を同時に内包するような主体化のあり方の問題と通じていること、またそこに「感動」の問題が関わっていることが強調され、論文が閉じられる。

このような内容を持つ本論文の大きな意義はまず、キューバ芸術音楽という人類学にとって新規性のある対象に真正面から向き合い、豊かな内容の民族誌記述を成し遂げた点にあるが、それだけではない。ハバナの芸術音楽家たちが日常経験を彼らの身体において「聴く」中でその音楽を創っている、という基本的事実を深く受け止めながら、音楽家の生の多様な層を横断しつつ全体を描くという、本論文で田中氏が用いた民族誌的アプローチ自体が新しいものである。田中氏はこの企ての中で、キューバ芸術音楽の営みを、音楽の問題領域と社会・文化的な問題領域のどちらに引き込むこともせず、むしろ一貫して両者を重ね合わせながら論じるという、独創的な人類学的考察のスタイルを確立している。

(2019/06/16 箭内匡)