授業(大学院)
ディナミスムと火山の人類学(2022)
イントロダクション
植物人類学から地質学的人類学へ
火山・神話・社会
マナ・ディナミスム・聖なるもの
火山地帯としての日本
崇高について
「火山の人類学」から現代を考える
アフェクトゥス論(2021)
※西井・箭内編『アフェクトゥス――生の外側に触れる』(2020年12月、京都大学学術出版会)に基づく討論
イントロダクション
序章(中村恭子)について
第2章(黒田末寿)について
第4章(西井凉子)について
第5章(岡崎彰)について
第6章(岩谷彩子)について
第8章(名和克郎)について
第10章(久保明教)について
第3章(ヴィンセント・クラパンザーノ)について
第13章(郡司ペギオ幸夫)について
終章(箭内匡・西井凉子)について
応用編1(この本からの触発に基づく個人発表)
応用編2(同上)
バイオミミクリーと人類学(2020)
植物人類学の概念
ウイルスの意味論
『土と内臓』をめぐって(1)
『土と内臓』をめぐって(2)
ウイルス・人間・動物(1)
ウイルス・人間・動物(2)
バイオミミクリー(1)
バイオミミクリー(2)
植物・生権力・感染症
バイオミミクリーとアート
multispecies ethnography 再考
自然と感受の人類学(2019)
植物に親しむ
フランシス・アレの植物学
パースペクティヴィズムと生物記号論
南米低地の植物人類学Ⅰ
南米低地の植物人類学Ⅱ
南米低地の植物人類学Ⅲ
南米低地の植物人類学Ⅳ
植物人類学から現代社会の問題へ
ティム・インゴルドの周辺で
アンディ・ゴールズワージーの芸術
バイオミミクリーをめぐって
自然経験の人類学(2018)
イントロダクション
出発点——バシュラール『蝋燭の焔』
手がかりとしての四元素論
19世紀人類学——タイラー『原始文化』
アボリジニの自然
シベリアのアニミズム
南アメリカのアニミズム
東アジアのアナロジスム
自然と音楽
ジャン・ルーシュ——自然の映画人類学
ガードナーと物質的モティーフ
無意識としての自然——ジル・クレマンをめぐって
植物学から人類学へ(2018)
イントロダクション
社会生活の場としての「森」——擬人法について
感じ、生きる存在としての植物
古代ギリシャから西欧近代へ
アナロジズムと植物
アニミズムと植物
植物の知性
記号作用と植物ニューロン
生と性——生の存続
食・薬・毒
主体性とデザインの植物人類学
自然を再び考える
情動(emotions/affects)の人類学(2017)
情動:映像から概念へ
動物における情動
情動から表情・表現へ
情動と「文化的なもの」
心理療法の空間
情動とフィールドワーク
言語と情動
affectとしての感情労働
身体の連結
映画・emotion・affect
情動・呼吸・アート(田中卓郎)
景観デザインのフィールドワーク(陳昭)
スピノザと人類学
生物学圏に向かう人類学(2017)
イントロダクション
自然と身体の人類学
小川紳介と牧野映画
脳と言語——手話をめぐって
情動の生物学的基盤
身体・感覚・民族誌
フォン・ユクスキュルの生物学+ジョナス・メカスの映画(一之瀬ちひろ)
微生物的世界観
動物と人間における社会性
エネルギーと人間
生態発生学とエピジェネティクス
自然の政治学
自然・意味・思想
感覚イメージ (2016)
イントロダクション
視覚1——行動のための視覚
視覚2——視覚と芸術
聴覚および感覚間相互作用
共感覚
直接的知覚としての嗅覚と味覚
感覚の民族誌
社会性を考える(1)
映像と感覚
脳と性
社会性を考える(2)
神経科学と人類学:ベルクソン『物質と記憶』に立ち戻りつつ
福島と原発被災の人類学(2015)
イントロダクション
リスク・近代・国家
原子力発電所という場所
原発のある町
原発事故とその社会的影響:チェルノブイリ(および福島)
住まうこと–被災、避難、不在、帰還–
放射線・イメージ・精神衛生
市民のなかの科学
自然・動物・人間
物語の共有ーボランティア・コミュニティ・観光
「復興」と経済
地元(地面)から考える
可能な未来、可能な人類学
自然と身体の人類学(2014-5)
イントロダクション
身体-感覚-自然
コミュニケートする身体 [事例: ポルトガルにおけるサッカーコーチング(相原健志)]
親族論から社会的身体の理論へ [事例: アルゼンチンのユダヤ人社会における親族(宇田川彩)]
変異する身体
イメージされた身体(あるいは可能的身体) [事例: タイのバレエダンサーたち(出田恵史)]
自然・土地・力
「アニミズム」と「アナロジズム」
分岐点としてのフィジオクラシー
自然の知=力の抗争 [事例: 瀬戸内海/コロンビア(釣田いずみ)]
外へ
自然-の中の-身体/"Pauses and Interruption: Conversations with the Other" (Becca Voelcker)
(身体によって)生きられる自然 [事例: キューバのクラシック音楽家たち(田中理恵子)]
芸術/人類学2 (2014)
民族誌的考察1: キューバにおけるクラシック音楽(田中理恵子)、タイにおけるクラシックバレエ(出田恵史)、弘前市松森町獅子舞(イリナ・グリゴレ)
民族誌的考察2: 中国・陝北における剪紙(丹羽朋子)
芸術と人類学の間でーArnd Schneiderの諸著作を中心とした議論ー
実験映画製作と人類学(Becca Voelcker)
芸術実践1: 田中泯+私の子供=舞踊団公演「空気が転んだ!」(イリナ・グリゴレ)*
芸術実践2: 窓花展(丹羽朋子)*
ワークショップ(箭内・田中・出田・グリゴレ)*
Arnd Schneider "Dialogues between Contemporary Art and Anthropology: Future Challenges" (98th Contemporary Anthropology Workshop at the University of Tokyo)
*A. Schneider氏(オスロ大学教授)が参加
映像とメディアの人類学(2013-14)
「文化」人類学から「メディア」人類学へ
言葉というメディア
イメージと言葉ーoralityをめぐってー
書き言葉・話し言葉・内言
カメラと人間
民族誌的フィールドワークにおけるカメラの利用(イリナ・グリゴレ)
ジャン・ルーシュと共有人類学
現代社会における共有人類学の可能性
《ディオニュソス》
共有人類学の発展形としてのブラジル先住民映画
映像受容の人類学
科学技術とイメージ
Virtual Worlds の民族誌
ミシェル・フーコーと人類学(2013)
「後期フーコー」への視点
戦争・法・権力
「小さな語り」のフーコー
映画『ピエール・リヴィエール』をめぐって
「生権力」概念の形成
統治性・司牧・反操行
現象学的経済学
企業家としてのホモ・エコノミクス
晩年のフーコーへ
自己への配慮、修練、書くこと
カント、革命、啓蒙
真理と主体、キュニコス主義
フィールドワーク論(2012-13)
フィールドワークにおける変容(affectio)と揺動(affectus)
Powdermaker, Stranger and Friend 1(学問形成期、Lesu)
Powdermaker, Stranger and Friend 2(アメリカ南部での調査)
Devereux, From Anxiety to Method in Behavioral Sciences
Rouch, The Camera and Man
ベイトソンにおける論文・写真・映画
フィールドワークにおける倫理
Latour, Laboratory Life
舞踊をめぐるフィールドワーク(出田)
建築をめぐるフィールドワーク
フィードバックの問題性
Visual Anthropology (2012, Karl Heider 教授による)
Bateson and Mead in Bali and Birdwhistell
Alan Lomax (choreometrics), Alison Jablonko
Joseph Tobin's Video-cued Multivocalic Ethnography
Games and Culture
Translation as Cultural Transformation - Feature Films as Cultural Documents
Visualizing Emotion and Ignoring It
Feedback from the Field
Ethnographic Films
南米先住民社会の人類学(2011-12)
イントロダクション
シネ・トランスから先住民映画へ
二つの世界の出会い
食人的思考
レヴィ=ストロースの遺産
デスコラの「自然の人類学」
自然主義と多自然主義
親族論の可能性
「家」の経済
先住民運動について
今日の先住民社会(1)
今日の先住民社会(2)
先住民文化と芸術
イメージの人類学:「経済の問題」(2010-11)
問題の提示/焦点合わせ
経済を「内在性」において考える(イメージの人類学/G・タルド/ヒュームからスミスへ/貨幣論)
人類学的価値論(D. Graeber)
タルド『世論と群集』をめぐって
M. Lazzarato, Puissances de l'inventionをめぐって
タルド『模倣の法則』(1)
R・ドゥパルドン『モダンライフ』について
M, Strathernについて(里見)
民藝について(陳)
サッカーについて(相原)
タルド『模倣の法則』(2)
ペルーの呪物市場(岡本)
「タルドから考える経済人類学的記述の戦略」(中川理・特別講演)
芸術/人類学(2009-10)
イントロダクションおよび焦点合わせ
感性論、フィールド、イメージ
音、イメージ、サウンドスケープ(フェルドほか)
スタイルの問題(ベイトソンほか)
「未開美術」と民族誌(アボリジニ)
民芸の過去と現在
「未開芸術」と近代:イメージと文字
民族誌=映画的アプローチ(ガードナーとヘルツォーク)
自由発表(丹羽)
「作品」と社会:Gellの芸術人類学
今日のオセアニア美術
自由発表(藤本)
現代芸術と人類学 ~全体ディスカッション
フレデリック・ワイズマンの映画(2008-9)
第1部:法と肉
Titicut Follies
Welfare
Basic Training
Model
Zoo
Meat
Public Housing
第2部:新たなアプローチ
Juvenile Court
Aspen
Ballet
Deaf
Central Park
State Legislature
レヴィ=ストロース再考(2008)
イントロダクション、抜き取りの方法
シュルレアリスム経験(二重分節、コラージュ、蒐集)
ヤコブソン再訪(記号の恣意性と物質性)
真正性とは何か
権力とは何か
『悲しき熱帯』再考
自然から文化へ、そして再び自然へ
自然と技術(ハイデッガーとの対比)
神話的思考(ベルクソンとの対比)
神話から音楽へ
廃墟を透視すること
具体の音楽に向かって
イメージの人類学(2006)
<写真と人類学>
イメージと文化
フィールドにおける写真、photo-elicitation
家族写真と絵葉書
写真とは何か
マリノフスキーとレヴィ=ストロース
ベイトソンの映像
社会学とフォト・ドキュメンタリー
写真と建築環境
写真と「住まうこと」
写真と都市
<映画と人類学>
映像へのイントロダクション
民族誌映画の二つの極
民族誌映画の制作過程
研究資料としての映像
ナバホ映画
「生」を捉えること
映像・写真・記憶
言葉を介さない映像の次元
institutionの非本質主義的描写
人類学、ドキュメンタリー、場所
場所の人類学(2005)
「住まうこと」の問題性
フォン・ユクスキュル、ハイデッガー
考古学における場所(Tilley)
都市における場所性(オギュスタン・ベルク)
音と場所(Feld)
語りと場所(Basso)
廃墟としての場所(Stewart)
コスモロジーと場所(Arhem)
建築学と人類学
農民と風景画家(Nogue i Font)
「住まうこと」と「さすらうこと」(グッツォーニ)
「家に住まう」こと(Lofgren)
広場の人類学(Low)
都市の過去と現在(陣内)
都市計画と人々(Holston)
都市における占有、排除(Caldeira)
関根康正編『<都市的なるもの>の現在』から