つくば市に、福島県双葉郡から避難してきております古場と申します。元気つくば会という避難者の会を作っています。
1.支援活動の経緯について
元気つく場会を発足させるきっかけとなりましたことをさかのぼって考えますと、まずは避難してきた方たちからの、会を作ってほしいというお声をたくさんいただいて、それが発足させたきっかけになったのかなと思います。
こちらに避難してきて半年くらいたった時に、つくば市が主催する避難者のつどいに皆さんが集まってきておりました。ですが、つくば市の方でご説明いただく情報とか、そういうものが終わると、さーっと皆さん帰ってしまう状況でした。どこのどなたがどこにいるんだろう、つくばのどこにいるんだろうということが分からず、不安な気持ちが胸にいっぱいあるような時期に、会の代表者である私の主人の所にも、避難してきている方々から皆さんでしゃべれる場を、会を作ってくれないか、という声があちらこちらから上がってきていました。また私も、たまたま浪江町からつくばに避難してきていた知人にばったりお会いしまして、その後電話でやり取りする中で、みんなでお茶を飲んでおしゃべりできる場を作ってもらえないかしら、という声を何度もいただいたのですが、お断りをしておりました。ですが何回もいただくうち、また主人も会を作ってという声に接するうち、自分たちの中でもなんとかならないかしら、という思いを持つようになりました。しかし、なにぶん右も左も情報も分からない状況の中にいたのです。
そんな時、平成24年の3月ごろ、スーパーマーケットのカスミで、社会貢献事業というのでしょうか、そちらで「私の企画を応援します」という記事を新聞で目にし、応募してみようかということで応募しました。結果的には不採択だったのですが、プランを企画していく中で、さまざまな支援をしてくださる声をいただいたり、皆さんからの要望も高まっていたということもあって、会を発足させることになりました。浪江町の補助金をいただくような流れにもなったものですから、私と主人で会のまとめ役になりまして、数名の役員さんを決めて発足させました。
2.支援活動について
会としては平成24年の6月にスタートしました。毎月1回定例的にやっていけばいいということで、やるにあたってつくば市の避難者のつどいで賛同されて集まってくださる方の名簿を作ることから始めました。最初は15人くらいでしたでしょうか、6月から市から無償で会場を提供していただいて会をスタートさせました。月に1回、第三日曜日を目標にし、活動としては茶話会を主に行いました。朝の10時から夕方の3時まで、お昼をはさんで午前午後と集まりを持ちました。午前中は皆さんでおしゃべりをして、午後は何か別のメニューで楽しめるような時間を持てたらという、ボランティアをしていただく方からの声が上がったので、その方たちに講師にお願いして体操をやったり、身体を動かしたり手を動かしたり、制作物を作ったり毎回メニューを変えて皆さんに楽しい時間を過ごしていただこうという思いでやってまいりました。
3.支援活動での工夫
会の内容がマンネリ化しないようにということが一番、常に頭にありました。茶話会は定例でやるのですが、午後に行うメニューを毎回どうするか、皆さんが何を楽しんでくれるだろうか。集まってくださる皆さんは、平均的に年齢的にはちょっと上の方が多かったので、そういう年齢層の皆さんに楽しんでいただけるものはなんだろうということを、毎回主人とあーでもないこーでもない、と言いながらプランを立てました。
さらに工夫をしたという点では、最初のスタート段階なのですが、浪江町からの補助金をいただいていたという意味では、浪江町を 主体として集まりを持つという形が当たり前なのだと思いますが、つくば市には広域に避難してきている方たちがいらっしゃいまし た。いわき市から南相馬市までさまざまな町村がある中で、私たちが住んでいた町以外の方たちからは、「自分たちの町は入れてくれないんだろ?」という声もありました。ですから、この会に賛同してくださる方は参加者名簿に記入していただくということにし、範囲を狭めず、避難してきている方は皆さん同じ状況ということで集まりましょうということにしたのです。枠を設けずに賛同して下さる方はどなたでも結構ですという形で会を継続してきました。
4.支援活動での課題
私たちは平成24年の6月から、現在平成27年まで毎月続けているのですが、同じ者が代表を継続して続けるということは、やりやすい点で言うと確かにやりやすいのすが、それこそマンネリ化も含めて少し方向性が偏ってしまうということもあります。ですから後継者ですね、どなたか後を継いでやって下さる方はいないのかなということで、後継者について今悩んでいるのが一つです。やはり避難してきているという状況を考えますと、つくば市で支援を得る意味では広域にある程度知人がいるとか、いろいろな意味で根がないと、なかなかぽんと代表者をお願いして、「じゃ、やって下さい」ということはできないですし、難しいと思います。そういう意味で、会をどこまで維持していけるのか、果たして今私たちがやっている会のやり方でいいのか、という不安などを含めて後継者がどなたか育ってくれないだろうかということが、今の願いではあります。また、これまで4年間は、避難してきている方にあまり経済的な負担を掛けないで会を開催していきたい、参加してもらいたいということを第一目標にやってきました。
私の住んでいた浪江町、そして福島県の方からも補助金をいただいて運営をしてきているのですが、避難生活も5年に入ろうとしています。国をはじめどこまで補助金として支援していただけるのか先が全く見えない状況の中で、補助金だけに頼らずに各自が参加費を払うなど、会を維持するためのお金を集めてやればいいのかな、という考えもあるのですが。そういう運営資金ですね、そういった資金での不安というものがだんだん大きくなってきていますので、この先どこまで維持していけるのだろうかということも不安です。
また、最初は皆さん避難している場所が集中しておりましたし、皆さん集まって避難してきておりましたので、会に参加しやすい状況でもありました。ですが、これから皆さんが次のステップで、それぞれに福島県に帰る方、これからもつくばに住んでいく方、それぞれに拠点と言いますか、住居を各々に購入し始めたり、転居し始めたりという流れがおきています。こうした中で、果たしてどれくらいの方がこの後参加してくださるのか、ということもあります。ですが、会自体を作るにあたって目標にしていたのが、つくば市に避難している皆さんが孤立しないで元気になんとか避難生活を過ごしながら、これから先のことを自分たちで考えていく時間の中の、少しのよりどころとなればということでやってきました。ですから参加者が少なくなって自然消滅という形で集まりがなくなれば、それはそれで一つなのかなと思っています。会がだんだんだんだん少なくなってくると寂しさも増してきますし、皆さんがそれぞれに生活していく上で必要なくなるかもしれませんが、今の段階ではこれからの、その先が見えないという部分が課題なのかと思っています。