武田直樹さん(筑波学院大学 講師兼社会力コーディネーター)インタビュー
筑波学院大学で社会力コーディネーターという大学と地域との連携を担当しております、武田直樹と申します。
1.支援活動の経緯について
筑波学院大学は、震災直後からまずは茨城県内で物資を集めて、北茨城だとか、いわきに送る、そういう活動を行ったりだとか、その後はいわき市のがれき撤去、あるいは、宮城県気仙沼市で避難所支援活動を行ってきました。
その中で、私が地域連携の担当をしているということもありまして、お世話になってきた、つくば市の総務課の方が避難者支援の担当を始められまして、その方とお会いした時に、「福島県から避難されてる方がここのところ増えていて、大変なんだよ。」、というお話をちょうど震災から半年後くらいにいただいて、10月頃だったんですけれども。それで、ああ自分は全然足元を見ていなかったんだなと、強いショックを受けたのを覚えています。
それ以降、つくば市の方と話をする中で、やはり大学生らしい、いろんなアイデアがあると、避難されている方も和むような、そういう支援活動につながるのではないか、というようなことで、一番最初は一緒にクリスマスツリーを作って、その辺のショッピングセンターに飾る、というところから始まりました。なので、かなり行政さんからサポートというか情報提供も含めて受けながら、これじゃまずいな、という中で活動を開始したというのが、福島から避難されてきた方に関しての背景になっております。
2.支援活動について
大きく4つあるかなというふうに思っております。
1つ目は学生による支援活動ですね。具体的にですけども、やはり学生らしさ、それこそ、まず最初につくば市さんに求められたんですけれども、学生が自分たちで、どのような支援をさせていただくのが一番いいのかな、ということを考えさせて、一緒に何かを避難されてる方とやっていく、そういったことを大事にしながら、企画を学生に作ってもらって、それをやってきた、というのがあります。
具体的には、先ほども申し上げたような、クリスマスツリーを作って、ショッピングセンターで飾ると、いうようなところから始まりまして、あとは地域の官舎の清掃活動を一緒にさせていただいたりだとか、あとは七夕イベント、あるいは流しそうめんをやらせていただいたり、あとは筑波学院大でセグウェイ、立ち乗りの自動二輪の機械を二つ持っているものですから、セグウェイを使った交流会といったものをさせていただいたり、あとは、福島から茨城へ避難している方の子供たち同士のコミュニティを作りたい、ということで、ミニ運動会をやらせてもらったりだとか、というような活動をさせてもらってきました。あとは学園祭で、大学の近所に避難されてる方もいらっしゃるということで、一つコーナーを設けさせていただいて、福島の方が作られた小物ですとか、パンの花を展示するというような。まず学生の活動ですね。
2つ目は、私の立場的なところにもなると思うんですけれども、地域連携を担当していたりだとか、茨城県内の避難者・支援者ネットワーク「ふうあいねっと」の副代表をしていることもありますので、なるべく多くの、つくば市内外の、支援団体の方といろんな情報交換させていただいたり、場合によっては交流会に出させていただいたり、という中で、避難されている方が、その時その時、どんな課題を抱えていらして、それに対して自分はどのようなことができるのか、どういう方に繋ぎができるのか、そういったことをハブ的に行うような努力はしてきたかな、と思っております。その中の大きなところは、筑波学院大の枠をはみ出してしまうかもしれないですけれども、「ふうあいねっと」の副代表として茨城県全体、つくば市全体もそうなんですけれども、茨城県全体の支援の底上げを図る、そのために茨城県ですとか、福島県ですとか、あるいは「ふうあいねっと」と共催で、茨城県内の各市町村の避難者支援担当の方に集まっていただいて、昨年度、今年度と2年連続で、今、避難されてる方がどういう状況に置かれているのか、という状況説明をさせていただいたりとか、あるいは今後、住民票を持たれていない方が多いですので、そういった方にどういうようなサービスを、茨城県、受入先としてできるのか、ある意味提言だとかお願いだとか、という活動をさせていただいたり、あとは避難されている方が多いつくば市、日立市、ひたちなか市、北茨城市で、福島県主催ではあったんですけども、会議に一緒に同席させていただいて、各自治体さんに、どれだけ避難されてる方に寄り添った活動を今の枠組みを超えてできるのか、その辺のお話を、お願いをさせていただいたというのが、2つ目の大きな活動かと思っています。
3つ目が調査・研究ですね。これは震災後1年半たった時に、東京大学の関谷先生と一緒に、つくば市に避難されてる方200世帯のうち50世帯の方にどういう経緯で、あるいはどういう思いの中で、つくばに来られたのかという避難経路ですとか、避難の思いだとかを、お話聞かせていただいて、それを今まとめているところです。そういうところで、科学研究費を取りまして、まさにこの場が、そうなんですけども、つくば市でこの5年間様々な支援団体の方が、それぞれの強みを活かしながら活動を行ってきた、これを残さないというのはもったいない、ということで、つくば市の避難者支援この5年・映像アーカイブの制作をさせていただいておりまして、それを今後後世に残していく、それを今後の防災計画の一つの題材にしていただければと、いうふうに思っております。あとはその科学研究費でいきますと、チェルノブイリに行って、避難されてる方のお話を聞かせていただいたりだとか、海外での調査活動もさせていただきました。
4つ目なんですけども、施設の貸出ということが、一つの核になっていると思います。具体的には、自助グループの方々が大きな交流会をしたいとか、そういう時になかなか大きな施設がないんですよね。筑波学院大学が駅から近かったり、かつ駐車場が300台あったりだとか、そういったロケーションがいいということもありますので、我々としてご協力できることはないのかという中で、無償で施設の貸し出しをさせていただいてる、というところと、あとは福島の方々がバスをチャーターされて、福島の方にイベントに参加される、その時には筑波学院大をバスの発着所にしていただいて、駐車場にも使っていただいて、施設利用の面でも筑波学院大学を拠点として使っていただけるような、そういう努力はしてきたつもりです。
3.支援活動での工夫
「学生らしい活動」それをどうやって作りだしていくのか、というところが一つの工夫点だったと思います。そういう中でどういった活動があったら 避難されてる方が喜ぶのかなと、自分たちで考えさせて実践までさせた。それが、一つ一つがクリスマスツリーの飾りつけというものであったり、流しそうめんであったり、セグウェイの試乗会であったり、我々大人では考えつかないようなことを、学生は考えてやってきてくれたかな、というふうに思っています。それが1つ目ですね。
2つ目は、筑波学院大学の隣に吾妻の官舎がありまして、やはり避難されている方が多数いらっしゃいましたので、いかに近所付き合い的な関係性を持てるか、その辺をかなり意識したところはあります。その中で定期的に清掃活動をやったりだとか、あとは学園祭の時に、避難されてる方の作られたものを展示させてもらうコーナーを設けたりだとか、いかに近所の住民ということで関わり合いを持てるかという所をかなり意識したところです。
3つ目は、やはり私が大学と地域連携の担当をしている、あとは「ふうあいねっと」の副代表もしているということもありますので、やはりそれぞれの方がどのような悩みを抱えていらっしゃって、それをどういうふうに、コーディネーターとして、適切に専門機関、場合によっては弁護士さんですとか、行政とか教育機関とか、どこにお繋ぎできるか、そういったところを工夫してきたところだと思いますし、あと、自分の大学でやってきた仕事というのが、そこで活きてきたのかというふうに思っております。
4.支援活動での課題
先ほど来、いろんなイベントを学生に考えさせてやらせてきた、というようなこともあるんですけれども、どうしても、それぞれのイベントが単発で終わってしまって、継続性を持てなかった。これは私の力量不足からきているかと思いますけども、そこはやはり大きな課題だったかな、と思います。イベント自体は避難されてる方にも満足いただけたりだとか、学生自身もやり切り感、達成感みたいなものはあったんですけれども、じゃあもう一回違う視点で考えてみない?と投げ掛けはしたんですけども、一つプロジェクトが終わってしまうと、燃え尽き症候群というか、その後になかなか繋がらなかったというところがありまして、そこはちょっと考えどころだったかなと思います。
あと、訪問活動に関しても、やはり筑波学院大学周辺に避難されてる方々を、例えばA君がXさんの見守り、B君がYさんの見守りというような1対1の繋がりを作っていけば、かなりの避難されてる方がいらっしゃいますので、本学の筑波学院大学が集まれば、そういった1対1の対応の中で長期的な、継続的な見守り支援というのをできるかなと思っていたんですね。学生も実際に何回か連れて行ったりしたんですが、その後なんですけれども、私が行かないと行けなかったりだとか、その辺の自発的な動きにつながらなかった。それは訪問活動なのでハードルが高い、私自身も感じるところなんですが、そういう展開ができていれば、より見守り活動というものが、学生が無理なくできて、かつ福島の方はいろんな知見も持たれてますし、そういった中の支援というより1対1の人間との関係の学びのようなところにも繋がったのかな、と思いますので、そこまでできなかったのは残念に思います。